Coolier - 新生・東方創想話

酉京都の春は近い

2017/03/30 16:50:21
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「レポート、たくさん重なってるの?」

 ベンチに座っている私がそう尋ねると、地べたに座る彼女は怪訝そうな面持ちで顔のみこちらへ向けてきた。疲れたような、またあるいは退屈なような表情を浮かべた顔から返事はない。数回目をしばたたかせると、また顔を背けてしまった。小動物じゃないんだから、言葉くらいは発してもいいのでは――。

「んー」

 発した。意味のある言葉ではなかったが、発したのは確かだった。私は未開の地の原住民とコミュニケーションを図れたような気分で彼女を眺めていた。や、もとい、このような鳴き声になってしまうのもある種必然と言えた。それは彼女の口には食べ物が含まれているからであった。栄養機能食品、というのだろうか。スティック状のものを咥えていた彼女にとっては返答しようにもできないのが現実なのだろう。
 もぐもぐ、もぐもぐ、もぐもぐ、もぐ、ごくん。
 家畜も驚き呆れる緩慢さで咀嚼嚥下を終えた彼女は、ただただ虚空を見つめていた。季節は春を意識できる程度に暖かい冬だった。

「なんで?」

 会話をしている相手に向かず、宇佐見蓮子という女――確認はしていないので仮説に過ぎないが――はその虚空に向かって言葉を紡いだ。

「唇が荒れてるから。あと始終眠たそうよ」
「うえー、そんなにじろじろ見ないでよね」
「他に眺めるものも無いんだから、しょうがないでしょ」
「しょうがないってことはないと思うけどなあ」

 二三話して再び沈黙である。彼女がマイペースなせいか二人でいても会話が絶えないというわけではない。だが沈黙が苦痛であるかというとそうでもなく、気の置けない仲であるからこそ沈黙を恐れないでいられる、そんなものだと私は認識している。

「あんなのどれだけ課したって全く無価値だと思うけどね」
「この大学は旧態依然がウリでしょう?」
「伝統とは肯定的な破滅である、とはよく言ったわ」
「誰が?」
「私が。それに、この状況だってそんな旧態が原因に違いはないのよ」

 この状況、とはつまり我々がこんな非建設的、非論理的な談話に洒落込める時間が確保されていることを指している、のであろう。
 事の発端は、彼女の受けている講義が休講になったことに他ならない。これだけなら彼女は喜んだだろうが、今までさんざサボりたい放題だった彼女はそのツケを返すために残り全ての講義に出席しなくてはいけないらしい。そしてこの空き時間の後にも講義がある、とのことだそうだ。ああ哀れなるかな宇佐見蓮子、全ては己の撒いた種か。

「私は別に今すぐ帰ってもいいんだけど」
「えー、もうちょっと一緒にいてよ。私のこと大好きでしょ?」
「どうかしらね」
「まあ、そこで大好きって返されても気味悪いけどさ」
「じゃあ聞かないでよかったんじゃない?」
「えー、乙女心ってやつよ」
「そんなの穴掘って埋めちゃうがよし」
「子供ができたらどうするのよ」
「回ってくる相手がいないでしょ」

 ふ、と私は吐息を漏らす。蓮子は残っていた食料を口に含もうとしていた。

「確かにこの大学は随分古めかしいけどねえ」

 今現在、日本に大学ないし教育機関は数十校しかない。技術の発達により自宅から離れずとも教育を受けられるからだ。高水準、画一、均質なそれを、である。だからこそわざわざ学校という組織に属する教育方法は減っていったが、それでもゼロにはならなかった。過去に生き続ける者はとかく伝統をありがたがるのであった。そんな派閥の代表が、私たちの通うこの大学なのである。他であれば休講など事前にわかっているし家で講義を受ける事だって可能なのに、必死になって二十世紀中盤のスタイルを貫こうとしている。そしてそんなシステムに絶望しきっている少女こそが、この宇佐見蓮子なのであるが。

「んー」
「飲み込んでからにしなさい」

 子供か。
 もぐもぐ、もぐ、ごくり。今度はちょっと早かった。

「メリーはレポートとかないの?」
「ない、というか終わってるわよ」
「うひゃあ、ユーシューでよござんすね」
「馬鹿にされてる?」
「多分褒められてる」
「じゃあ許す」
「はぁ、この時間にレポート終わらせたかったなあ」
「仕方ないわよ。夜のうちに終わらせればいいでしょ」
「夜はやる気が出ないんだよね」
「そんなの私の知ったことじゃないわ」

 思えば、陽がずいぶん長くなった。風もただ寒さを運ぶだけでなく、遠くで生まれた梅だとかの香りをいくらか有しているのかもしれない。蓮子も地べたに座っているあたり、そう冷えるというわけではないのだろう。

「あ」

 唐突に彼女が口を開いた。どことなく嫌な予感しかしないのは何故だろう、ある種の慣れなのかもしれない。

「何?」
「メリーが美味しいグラタン作ってくれたらやる気出るかも」
「また?」
「いいじゃん、好きなんだもん」
「――わかったから。講義終わったら寄り道しないで家に来るのよ?」
「へへ。やったね」

 面倒ではある。が、夕食を何にするかという問題は結局私一人でも変わらないのであって、だったら一人分も二人分も変わりはしないだろう。目を離したらレポートなんてやらずに遊び呆けるかもしれないし、仕方ない。

「お買い物行かなきゃいけないから、先に私は帰るわよ」
「おー、なかなか乗り気だねえ」
「仕方なく、よ。面倒面倒、面倒だなあ」
「どうだか――あ、あと出来たら白ワインなんかも用意しておいてほしいかな」
「図に乗りすぎ」
「ちぇ。残念」

 彼女の吐き捨てた言葉を背に、私は腰を上げてぶらりと歩き出した。よろしくねー、という気の抜けた応援を耳にし、思わず口角が上がってしまった。
 お肉と、馬鈴薯と、人参と……。そう考えながら歩いていると、自分の足取りがいやに軽いことに気づいた。
 きっと春のせいだ、と思った。
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コメント



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1.60名前が無い程度の能力削除
淡々と進む秘封倶楽部の日常がよい作品でした。
が、あっさりしすぎな印象も。
やり取りは魅力的なので、もっと文章を膨らませて、二人の姿を見てみたいと思いました。
2.90名前が無い程度の能力削除
過不足ない描写とセリフでテンポよく読み進められました。春っぽさがよく出ていたと思います。
3.90南条削除
気だるげな感じの蓮子が良かったです
5.無評価重石削除
こういった何気ないやり取りも面白いです