Coolier - 新生・東方創想話

死体探偵「サファリング」

2017/01/29 22:28:30
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「気が滅入るわね……」
 疲れた声でぽつりと言うので、私は精神統一を解いた。
 趺坐の姿勢はそのままに、片目だけ開けて彼女のほうを見やる。
「へえ。いつも陽気な君にしては、珍しいじゃないか」
「事故に事件に殺人に。おまけに可愛い弟子には濡れ衣着せられちゃうし。最近、色々起きすぎじゃない。これじゃ芳香ちゃんが面白おかしく暮らせないじゃないの」
 霍青娥は憂いを帯びた瞳でそう言った。
 薄暗い部屋の中でも分かるほど顔色は優れず、長椅子にもたれかかるその様子には覇気が感じられない。
 流石の青娥も、疲れが溜まっているようだった。無理もない。先日の事件では、余りにも多く人間が死んだ。遺体の選別、エンバーミング、検屍などの諸々の全てがほぼ青娥一人の肩にのしかかっている。幻想郷でその技術を持つのは、青娥を置いて他には居ないからだ。
「誰が弟子だ、誰が」
 そう突っ込みを入れる私自身の声も弱々しい。それは自覚している。
 殺風景な青娥の作業部屋の隅で座禅を組む痩せっぽちの女の姿は、まさに哀れな飢餓鼠と言う他ないだろう。私もまた、疲れ切っていた。
「太子様もなんだかお加減が悪いみたいだし……悪い事は重なるものね」
「そう言えば、何故か聖徳王も参ってるようだったな」
「そうなのよ……」青娥はますます憂鬱そうな顔をする。「最近、政務が無いときは日がな一日お部屋に篭ってらっしゃることも多いの」
「なんと言うか、意外だな」
 以前会った時には精力の塊みたいな奴だったのだが。一体、神子に何があったのだろうか、少し気になる。
「きっとあいつが悪いのよ、あの森の人形師! あいつと会ってからお加減を悪くされたみたいで……あの女、なんかごっつい病気とか持ってたのよきっと」
「自業自得じゃないか、そんなの」
 少年少女を片端からつまみ食いしているという噂の聖徳王である。病気の一つや二つ移されても全く不思議は無い。因果応報、同情の余地は無いだろう。悪は滅んで然るべきである。
「太子様に病気を移すなんて……きぃぃ、なんて羨ましい!」
「羨ましいのかよ……」
「太子様は神霊廟で抱かれたい女ナンバーワンなのよ」
「爛れてるなぁ」
 流石は青娥、あの神子の師なだけはある。
 ふと、青娥が柱時計を見ながら溜め息を吐いた。
「それにしても芳香ちゃん、遅いわね……」
「何処かへ出かけたのか?」
「お遣いに出したんだけど、迷子になってるのかしら? 探しに行かなきゃ」
 青娥は席を立とうとしたが、先に坐蒲を蹴った私が制した。
「いや。君は疲れているだろう。私が行こう」
「でも」
「丁度、身体を動かしたかったのさ」
 私の風聞を知っている青娥は渋った。が、私は素早くぼろを纏って変装し、賢将を肩に乗せて作業小屋を後にした。
 神霊廟の街並みを歩くのは楽しい。
 里の目抜き通りや、外界の都市を歩くのとはまた違う風情が楽しめる。例えるなら、はるか昔の京都に近いと言えばよいだろうか。ノスタルジーにも似た感覚が胸に去来するのだ。
 砂利の敷かれた大通りを、ガタゴトと音を立てて牛車が行く。馬車に比べて速度は遅いが、ゆったりトコトコ歩む牛の姿は愛嬌がある。剥き出しの荷台には麦穂が積まれているが、荷台自体は板に車輪が付いただけといった風情で、小石に躓く度に荷が零れだすものだから、北の門から一直線に綺麗な麦の轍が出来ていた。
 人々の纏う麻製の簡単な着物も、里に比べると簡素ながら、それがむしろ粋である。神霊廟で収穫した麻を用いているのだろう、真新しいそれを身に付けて道を歩む荷運び達は、みな何処か誇らしげに見えた。
 西の水門から伸びる小川には女達が集い、洗濯ついでに世間話に華を咲かせている。向こう岸には居眠り半分の太公望が水面に糸を垂れていた。
 なんてのどかな光景だろう。里の混乱が嘘のようだ。
 この平和はひとえに神子の強力な統率力によって成り立っている。人々が渦巻く不安で凶行に走らないのも、神子の存在があってこそ。今の幻想郷にこのような場所を造り出したというだけでも、神子の業績は讃えられてしかるべきだろう。まあ、心情的にはあまり持ち上げたくない相手ではあるが。
 そんな事を考えながら、ペンデュラムの導くままに私はぶらぶらと歩いていた。
 芳香はすぐに見つかった。
 小川のほとりで座り込み、腕を天に掲げ、呆然としていたのである。
「芳香」
 私が後ろから話しかけると、芳香は緩慢な動作で振り返って、ぽかんと私を見つめた。額に貼り付けた札が翻って、彼女の美しい顔がハテナマークで一杯になる。
「お。お。おー? お前は確か……ん。んー? なんだっけ……」
「同居人の事を忘れるなよ」
「おー。その生意気そうな物言いとジューシィそうなほっぺのお肉は、ナズーリンか。久し振りー!」
「今朝会ったばっかりだろう……っていうか、私の事をそう言う目で見てたのかい君は」
 宮古芳香は青娥の使役する蘇った死体、所謂キョンシーである。青娥曰く、脳味噌が半分腐っているらしい。そのせいか、会話が成り立たない時があるので割りと困る。とはいえ、流石はあの青娥の従者である。青娥の技術によりその肉体は完全に近い状態で保存されており、死体と言っても、生前の美しい姿形を保っている。少々関節が固いという難点があるが、そこはそれ、その方が逆にキョンシーらしいと言えるだろう。
 賢将が私の肩からちょろりと飛び降り、芳香の肩に登った。そして鼻を鳴らし、色目を使い始める。まったく賢将は、かわいい女の子と見るとすぐこれである。毘沙門天の使者の従者として自覚が足りていない。
「おー。かわいいネズミ君。おいしそう!」
「お、おい、喰うなよ」
 芳香が言うので、私は慌てて釘を刺した。まあ、噛みつかれたくらいでやられるようなヤワな賢将ではないのだが。
「おいしそう! でもかわいい! だから我慢」
「あ、ああそう……」
 芳香は割りと小動物が好きらしい。キョンシーの癖に。
「ところで、お遣いはどうしたんだ」
「お遣い?」
 芳香は首をひねった。そこから忘れているとは。
「青娥に頼まれてたんだろ」
「おー、にゃんにゃんか。にゃんにゃん元気ー?」
「毎日会ってるだろうが……」
 埒が明かない。
 私は脇に置かれていた買い物籠を覗き込んで、中身を漁った。「にゃんにゃんのひみつお買い物メモ」なる物を発見。若干脱力しつつ開いてみると、様々な薬剤の名と量が書き連ねられていた。
 どうやら、行き先は永遠亭らしい。
 永遠亭、か……。
「ほら芳香、行くぞ」
「何処にー?」
「お遣いだよ、お遣い。まだ済んでないんだろ」
 芳香の腕を取ると、何を思ったのか、芳香はその手を振り払って顔を振った。
「やだ。行かない」
「えっ? 青娥に頼まれてるんだろ」
「んー……でも、行かない」
 命令に逆らうとは、基本、主に忠実なキョンシーにしては珍しい。私は少し驚いてしまった。
「お遣いがちゃんと出来れば、青娥に褒めてもらえるぞ」
「ん。ん。んー……でもでもでも、なんだか行きたくない」
「な、なんでだよ」
「……分かんない」
 自分でもよく分からないのか、芳香はしきりに首を振っている。
 私は溜め息を吐いた。
「分かったよ。私が代わりに行ってやる」
 そう言って籠を取ると、今度は逆に芳香が私の手を掴んできた。
「……なんだよ?」
「人の物を取るのはどろぼう!」
「君の仕事を代わりにやってやろうってのにかい?」
 可愛い顔を必死で歪ませて、私を威嚇してくるのである。忠実な番犬……だが、融通は全く効かないらしい。
 面倒になった私は、嫌がる芳香の手を引っ張って永遠亭まで歩いて行くことにした。
 竹林の中をダウジングしつつ進む間も、芳香は嫌だ嫌だとダダをこね続けていた。永遠亭の薬品の臭いが嫌いなのか。それとも、あの噂が本当なのか。永遠亭の住人達の正体は月人で、死を超越した存在だと言う。一度死んだ芳香にとっては、死を超越した存在が琴線に触れるのだろうか。
 ともかく、芳香はかなり嫌がっていたが、それでも力づくで私を引き剥がそうとはしなかった。自分でも嫌な理由が分からなくて混乱しているようだ。
「今回は量が多いわね」
 光差すというのに、どこか薄暗い診察室の中。
 「にゃんにゃんのひみつお買い物メモ」を渡すと、永遠亭の薬剤師・八意永琳は少し眉をひそめた。仕事柄、青娥はよく永遠亭を利用しているのだろう。かく言う私もそうだったりする。
「あの事件があったからな」
「それは分かっています。しかし、少し辛いわね。こちらも入用だから」
 永琳は珍しく溜め息なんて吐いている。見た目も仕草も全く普段のそれと変わりないが、きっと疲労しているのだろう。
 永遠亭は幻想郷で唯一、高度な医療行為が行える施設である。あの土砂崩れの事件の被害者の多くが、この永遠亭に運び込まれているのだ。私もそれを斡旋した。その対応に四苦八苦している事は想像に難くない。
 終わりの見えない現場捜索、連日の葬儀、追いつかないエンバーミング依頼。そして、この永遠亭にて続く数多の怪我人の治療。今も多くの人妖が、あの事件の後処理に奔走している。賢者達の残した傷跡は、あまりにも大きい。
「今日はいつもの分しか渡せないわ。足りない分はこれから用意するけれど、調合に少し時間が掛るの。後日、追加分を取りに来て頂戴」
「それで構わない」
「ごめんなさいね」
 永琳は申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや。こちらこそ、助かっている。君が居なければ救えなかった命がたくさんあるだろう。私が言っても無意味かもしれないが、礼を言わせて欲しい」
「ふふ。ありがとう」
 陽炎のように笑う。その顔に深い陰が差している事が、少し気になる。
 芳香は仏頂面をしている。彼女の腕にぶら下がる買い物籠に医薬品を詰め込んでいると、永琳が声を掛けてきた。
「貴女の方は大丈夫なのかしら」
「憎まれるのには慣れている」
「その傷。その包帯」
「……アクセサリーさ。洒落てるだろう」
 信仰を失い、私の法力が弱まったのだろうか。あの時の傷は、まだ癒えていない。
「面会もしていきたい」
 追求される前に、私は話題を強引に変えた。
 永琳は少し逡巡したが、許可を出してくれた。私は芳香を待合室に残して、彼女の病室へ向かった。
「ナズーリン……」
 彼女の病室に、ルナサが来ていた。
 ルナサは萎れた花の様に意気消沈していた。自らを責め続けているようだ。あの寺子屋での攻防の後、ルナサは逃亡する四万十を追ったが、結局取り逃がしたのだった。
「ごめんなさい。私があの時、憎しみに呑まれていなければ、貴女達は……」
 ルナサの協力を得られなかった私は、その身を人前に晒して飛礫を浴びる結果となった……そうルナサは考えているのだろう。
 だがそれは、全く関係の無い話だ。
「仕方が無い。現場は混乱していた」
「でも、私が貴女達を置き去りにしなければ、彼女も……」
 ルナサは力なくベッドの方を見やった。
 ベッドの上では、はたてが眠り続けている。全身包帯に包まれ、点滴を受けながら。
 あの青いレインコートの妖、四万十の水爆弾が直撃したはたて。すぐに永遠亭に運び込み、八意永琳の手によって治療を受けたが、未だ目を覚ます気配は無い。
「まったく、はたてには呆れるばかりですね。天狗の恥晒しもいい所です」
 窓の外を見やると、射命丸文がその黒い翼をはためかせている。射命丸はそのまま窓を開けて、はたての病室へと滑り込んで来た。
 普通に扉から入ってくればいいのに、何に遠慮をしているんだか。
「河童の攻撃如きで昏倒するなんて、情けないにも程があります。普段から鍛錬を怠っているからこのような事になるのです」眠るはたての頭をぺちぺちと軽く叩いて。「昨今の天狗の不甲斐なさっぷりには本当、頭が痛いですねえ」
 聞いても居ないのにべらべらと悪態を突きまくる。その割に、毎日のようにはたての見舞いに来ているのだから笑ってしまう。あの射命丸文にも人並みの感情があるというのには驚きだが、千年天狗の名を冠するには、少々少女すぎると言ったところか。
 はたてを永遠亭まで運び込んだのは、射命丸だった。あの熱狂を空から見ていたのだろう、里の入り口で待ち構えていた射命丸はその自慢のスピードを惜しげもなく発揮し、負傷したはたてと私を永遠亭まで急送したのだった。彼女の助けが無ければ、私は迷いの竹林で力尽きていたかもしれない。
「射命丸。妖怪の山のほうはどうだ」
「貴女のダウジングが無くて捗らないと土蜘蛛が嘆いていましたが、その辺りは地底の地獄猫と協力して上手くやっているようです。貴女の持ち込んだリストで身元不明者の確認もかなり進んでいます。収束まであと一息と言った所でしょう」
「そうか……」
 私ははたての眠るベッドに近寄って、彼女の顔を覗き込んだ。
 血の滲む包帯から覗く彼女の寝顔は、安らかだった。
「はたて……」
 なんと言葉を掛けていいか、分からない。
 あの時。四万十に止めを刺しておけば、こんな事には……。
「そんな軟弱者など放って置きましょう。それよりコレです。見て下さい、ナズーリンさん、それにルナサさん」
 射命丸が懐から取り出したのは、一枚の新聞紙だった。
 見た瞬間に、それが何かは予想がついた。
「これは、『花果子念報』……!」
 ルナサが驚きの声を上げた。
 十中八九、賢者達の偽造だろう。
「はたてはここで眠っているというのに、一体誰がこれを発行しているんでしょうねえ」
 射命丸はけたけたと笑った。道化ぶっているが、内心の憤りを隠しきれていない。私とルナサはその威圧に気圧されて、しばし言葉を失ってしまった。
「はたての馬鹿なんてどうでもいいのですが、この行為は天狗全体に対する挑戦と見ました。ならば正面から受けて立つのが天狗の誇り」
 悪魔の笑みを浮かべて、射命丸が静かに言う。
「私はこの愚行を行う馬鹿者を突き止め、然るべき制裁を加えようと思っています。ナズーリンさん、ルナサさん、貴女達もどうです?」
 ルナサは頷いた。
「協力します。誤った情報で里の人間を撹乱させる企て、これ以上看過出来ないわ」
 だが私は首を振った。
「私は今、表立って動くことは出来ない」
 今の私の状況だけが理由ではない。私は射命丸を警戒していた。彼女が賢者達ではないという確証は、存在しない。
「……まあ、そうでしょう」射命丸は文花帖を取り出して何事か書き込んでいる。「仕方ありません。逆に貴女に表立って協力されては迷惑ですからね。我々まで爆弾魔にされてしまう」
「射命丸さん、ナズーリンは……」
「分かっています」ルナサの抗議を手で制し、射命丸は窓辺に寄った。「だが図らずも今、各勢力は貴女を中心にして繋がっているのです。その貴女が役割を果たさないというのでは困りますね。貴女には妖怪同士の協力関係を繋ぎ止めるための鎖になってもらいます。この愚行を止めるために。嫌とは言わせません。例え貴女が拒絶しても、私は情報を流すので、悪しからず」
 いつものように言いたい事だけ一方的にまくし立てて、射命丸は飛び立って行ってしまった。
「私も行くわ。また人里で暴動が起きているかも知れない。私には、レイラから引き継いだ役割がある」
「ルナサ。リリカとメルランによろしくな」
 ルナサは力無く笑うと、病室を後にした。
 残された私は、花瓶の水でも取り替えようと廊下に出た。
 給湯室で水換えを終えて戻る途中、ふらふらと覚束ない足取りの青年を見かけた。青い入院着を着て右腕を釣っているところからして、入院患者だろう。
 青年はそのまま手前の部屋に入って行った。
 その部屋に掛かったプレートを見て、嫌な予感が走った。
 薬剤保管庫とある。
 慌てて扉を開けると、液体の入った薬瓶に青年が口を付けているのが見えた。その瓶の表面には劇物指定を表すマークがラベリングされている。
「やめろ!」
 私は持っていた花瓶を投げ付けた。それは青年の腕に当たって瓶ごと床に落ち、砕けて水をぶち撒けた。
 その隙に駆け寄った私は、彼の腕を押さえた。
「馬鹿な真似はやめろ!」
「死なせて下さいよ」蚊の鳴くような声で青年が言う。「これから先、生きてたって良い事なんか無いんだから」
 妙に落ち着いた、穏やかな声色。私はゾッとした。彼の言葉の中には、絶望しか感じられなかった。
 劇物の保管庫に鍵もかけないとは何事か。騒ぎを聞きつけてやって来た兎妖怪の看護士に、私は思いつく限りの文句を言ってやった。看護士は、急遽増築した病棟は洋間造りであり、自分達は慣れていなかったのだと言い訳していた。確かにそうなのかもしれないが……。
 薬物管理体制の改善は後で永琳に進言するとして、問題は自殺を図った青年である。看護士達に取り押さえられ、病室に戻された彼に、私は問い掛けた。
「何故、こんな事を」
 青年は淡々と話し始めた。相変わらず、穏やかで恐ろしい声色で。
「彼女がね。死んでしまって。私は彼女がいないと何も出来ないから、生きていても仕方がないなと思って……」
「……何があったんだ」
「あの土砂崩れですよ。彼女と一緒に、飲まれてしまって……」
 私は言葉を失ってしまった。
 あの事件の傷跡が、こんな所にも。
「幸い、彼女は見つかったんですけれどもね。五体バラバラで、首だけでしたよ。あれじゃあ、見つからない方がマシだったかもしれないなぁ……」半眼の青年は、抑揚の無い声で続ける。「私は不幸にも、土の中から助け出されてしまいまして。何の因果なのでしょうかね。私のような役立たずよりも、もっと別の人間を助けてあげて欲しかったのですが……。ここの入院費用も、私にはとても払う事が出来ませんので、最後にご迷惑をお掛けしますが、死なせて頂こうと思った次第なのです」
 頭の中をぐちゃぐちゃと言葉が渦巻いた。何を口に出すべきか分からない。胸にしまいこんだどの経典を紐解いてみても、私にはそれが空虚なものにしか思えない。
 結局、私が絞り出した言葉は陳腐だった。
「君はまだ若い。死んだ彼女の為にも……」
「無理ですよ。ほら、見てください」
 彼が掲げた右腕には、包帯が何重にも巻かれていた。だがそれにしても、形がおかしい。その先端に在るべきものが無い。
 彼の右腕は、手首から先が欠落していた。
「実はね。目もよく見えなくなってきていて。貴女の顔もぼんやりとしか見る事が出来ません。脊髄をやられたんですかね、歩く事もうまく出来なくなってしまって」
「……里にも、君のように体に不自由を抱えた者はいる」
「片端者でも生きてはいけるだろう。言うだけなら、簡単なんですがね……」
 彼は首を振った。
「私はね。外来人なんですよ。貴女は知らないかもしれないですが、外の世界からこの幻想郷に迷い込んで来たんです。当然、私を庇護してくれる人なんて誰もいない。右も左も分からなくて困窮していた時、拾ってくれたのが彼女だったんですよ。彼女の家は金属の加工を行う職人の家系で、私も手に職を付けようと頑張って修行したのです。彼女に指輪を送って、プロポーズもして。でも、ハハ、全部パァになってしまいました」
 彼は先の無い腕を振って、申し訳無さそうな顔をした。
「ああ、こんな話、貴女にはご迷惑でしたね。でも、これで分かったでしょう。私なぞが生きていても、最早意味は無いのです。私には待っている人もいなければ、大切なものもありません。あまつさえ、一人で生きて行く事すら出来ないのですから」
 溜息を吐いて、疲れた顔で。ポツリと言った言葉が、私の胸に突き刺さった。
「なんであの時、一緒に死なせてくれなかったのかなあ……」
 それは、今も必死で不明者の捜索を続けるヤマメ達や、負傷者の救護を夜を徹して行う永琳達を冒涜する言葉に他ならない。
 だが、誰が彼を責められようか?
 他人の生死を決定する権利など、誰にも無い。
 自らの運命を祝う事も呪う事も、遍く人々が保持する所与の権利だろう。
 生きろ。
 そう言う事は容易い。
 だが、どうやって。
 私が培った千年の理は、瑞光を示すことすら出来ない。
「……知っているか。死体探偵」
 憎しみが、人を活かすのならば。
「ああ、あの死体探し専門の探偵という」
「あの土砂崩れを引き起こしたのは、死体探偵だと言う話だ。彼女の敵を取ってやったらどうだ。死ぬなら、それからでも遅くはなかろう」
「敵……」
 私は席を立った。
 迷いは消えぬ。人を活かす為に、人に憎しみを植え付ける。それが果たして正しいことなのか、私には分からない。果たして生が、そうまでして守るべきものなのかも。
 清浄とはなんだ。
 涅槃とはなんだ。
 悟りとはなんだ。
 言葉だけが空虚に回転してゆく。いつからか、私は疑問に囚われていた。仏道の究極とはつまり、死ぬことなのではないか。
 ならば私は、彼に死ねと言うべきだったのだろうか……。
「……芳香。帰ろう」
 胸に迷いを抱えたまま待合室に戻ると、芳香の姿が見当たらない。待合室の兎看護師に聞いてみると、少し前にふらふらと外へ出ていってしまったらしい。
 命令に忠実な芳香の事、薬を調達したので神霊廟に帰ったのかもしれない。私は急ぎ、神霊廟に戻った。
「芳香ちゃん? いえ、まだ戻って来てないわ」
 青娥に聞いてみると彼女は首を振った。
「命令無視をするなんて、何かしらねえ。悪いものでも食べたのかしら、それともパーツがよくなかったのかしら」
「パーツ?」
「メンテナンスのために、芳香ちゃんの体は定期的に他の死体のパーツと入れ替えているんだけれど。あの子、ちょっと敏感な子でね。パーツの持ち主の残留思念みたいなものに引っ張られちゃうことがあるのよ」
「そう言えば、命令無視の理由は自分でも分からないと言っていたな」
「一応、そういう事が無いように気をつけてはいるんだけれど……」
 そのとき、扉の側で賢将がキィと鳴いた。
 尻尾で「付いてこい」と言っている。賢将は芳香の肩に座っていたから、居場所を知っているのだ。もっと早く出てこいよ、賢将。
 賢将の後について行くと、芳香はすぐに見つかった。
 神霊廟の小川のほとりで、呆然と座り込んでいたのである。腕を天に掲げ、今朝と全く同じポーズで。
「芳香。どうしたんだ、一体。青娥が心配していたぞ」
 夕日を受けてきらきらと輝く川面を背に。芳香は緩慢な動作で振り返って、ぽかんと私を見つめた。
「お。お。おー? お前は確か……ん。んー? なんだっけ……」
「またかよ……あのなあ」
「おー。その生意気そうな物言いとむっちり美味しそうなふとももは、ナズーリンか」
「そういうので私を識別しないでくれないかな」
 ふと、芳香の指先がきらりと光るのが見えた。
 見やると、その右手の薬指に銀色に光る指輪が嵌っている。
「なんだよ、芳香。誰かからの贈り物かい。君も隅に置けないな」
 私がからかって言うと、芳香は首を傾げた。
「んー? 覚えがないなー」
「しかし、この幻想郷で指輪なんて、洒落て……」
 言い掛けて、私は気付いた。
 この幻想郷に、婚約指輪を送る風習は存在しない。
 それがあるのは、異国文化を取り入れた外の世界だ。
「まさか……」
 芳香の手を取ると、その右手の肘の少し上に、下手くそな縫合の跡があった。
「この腕。どうしたんだ」
「んー。ちょっと、怪我しちゃってなー。にゃんにゃんが忙しそうだから、パーツを探して来て、自分でくっつけたんだ。すごいだろ」
 芳香はふふん、と得意気に鼻を鳴らす。
「この指輪……」
 まさかこの腕は、あの青年の……。
 芳香の手から指輪を外すと、芳香は怒った。
「人の物を取るのはどろぼう!」
「この腕は君のものじゃあないだろう」
「う」
「この指輪を、本当の持ち主に返す」
「う、あ……」
 芳香は、私の服の裾を掴んだ。縋るような、苦しげな表情で言う。
「や、やめたほうがいいと思うぞ……」
「何故だ」
「分からん、分からんけれど……。なんか、やめたほうがいい気がするんだ」
 あえぐようにそう言う。
 これは、腕の持ち主の言葉なのか。
 だがしかし……生きる気力を失ったあの青年に今必要なのは、生きてゆく意味だ。この指輪がそれになるのかは分からないが……。逆に彼女の死を意識して、彼を苦しめるだけになるのかもしれない。
 それでも。
 それでも、思い出の品なら、あるいは。
 一晩迷ったが、私は結局、指輪を彼に渡す事にした。
 翌朝、私は永遠亭に赴き、あの青年の病室を訪ねた。
 彼はベッドの上でただ呆然としていたが、私が声を掛けると取り繕いの笑顔を浮かべた。
「また貴女ですか」
「君に渡したいものがある」彼の左手の手のひらに、指輪を置いた。「この指輪は、君のものかな」
「これは……」
 彼は目を細めて指輪を見つめ、感触を確かめるように左手の中で転がした。
 やがて、彼はゆっくりと口を開いた。
「一つ、頼みたい事があります。実はこの指輪の裏側に、名前が刻んであるんです。私はもう見えないので、読み上げてくれませんか」
 私は彼の手から指輪を受け取り、裏側に刻まれた彼の名前を読み上げた。
「ありがとう。どうやらこれは、私が彼女に贈ったリングのようです」
「そうか」
 彼の左手に指輪を返すと、彼はそれを強く握りしめた。
「でも刻まれているのは、私の名前じゃあなかった」
 私は、息を呑んだ。
「そ、そうか。なら、私の勘違いだったかな。これは別の人の……」
「いいえ。分かりますよ、これは私が彼女にプレゼントするために作った指輪ですから」
 全身が総毛立つのを感じる。
「薄々感づいてはいました。彼女……気の多い女性でしたから。でもまさかプロポーズを受けてくれた後で、贈った婚約指輪に別の男の名前を刻むとは思わなかったなあ……。まあ、幻想郷じゃあ指輪の風習は無いし、仕方無い事かもしれませんね。しかし……参ったな、復讐する敵までいなくなってしまいました」
 彼は笑った。乾いた笑いだった。私は息も凍りつく思いだった。
 私は必死に震える声を絞り出した。
「ちがう、これは……」
「死体探偵さん。貴女がそうなんでしょう? 分かりますよ」私の顔を正面から見据えて、彼は言う。「貴女は優しい人ですね。私のために憎まれ役まで引き受けてくれようとするなんて。今更言っても詮無いことですけれど、恋をするなら、貴女のような人にすればよかったなあ」
 彼は笑った、初めて見せた、掛け値なしの笑顔だった。
「でも、もう良いんです。これ以上は酷ですよ。しばらく一人にしてくれませんか」
 優しい笑顔の中に明確な拒絶を感じる。
 私は、もうそれ以上、何も出来ることはなかった。踵を返し、逃げるように病室を後にした。
 後日、兎角同盟製薬の行商から、あの青年が死んだことを聞いた。劇薬を呷って、苦悶にのたうち回りながら死んだらしい。
 青娥は芳香の腕のパーツを新調した。指輪をしていた彼女の腕は、あの青年の発言を元に身元照会を行い、無事に家族の元へ返す事が出来た。
 だがあの身寄りの無い青年の遺体は、無縁仏として神霊廟の墓地に葬られる事になった。
「……こういう事もあるわよ、ナズちゃん」
 瞑想する私の傍らで、霞みを吐くように青娥が言う。
 私は一体、何をやっているのだろう……。
 銀のリング消えた僕の指は何をつかめばいいの?

 嫌な話ばっかり書いてすみません。
 でも実はもうしばらく、嫌な話が続いちゃうのです……。
チャーシューメン
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コメント



0.420簡易評価
6.100名前が無い程度の能力削除
すっげえ厭な話だった。だがもっと苦しめナズーリン……。
7.100南条削除
面白かったです
悲劇が悲劇を生んで、自分を悪役にしてまで止めようとした悲劇も止まらなくて
誰にもどうしようもない感じが良かったです
だがもっと悲しめナズーリン