Coolier - 新生・東方創想話

違ワkaん

2017/01/14 00:51:14
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 駄目ね。
 悪い子。
 あそこから出ては駄目だと言ったでしょう。
 もう忘れてしまった?
 まあ、覚えていないでしょうけれど。
 真後ろに立った永琳はそう言うと、たしかにわらっていた。

***

 退屈だった。この場所には何もないから。そう言うと決まって永琳は新しいものを持ってくる。でもそれじゃあ駄目なのだ。新しいものを持ってきても退屈をしのぐことは出来ない。新しいものに触れて少しの間は気が紛れるだろうけれど、数週間も経ってしまえば新しいものは新しいものではなくなってしまうのだ。

 手の平に乗っている新しいものだった残骸は、私が手の平を返してしまえばあっけなく畳へと落ちた。ぱらり、と音を立てながらパズルのピースは銀白色の上に転がる。少しだけそれが面白くなって、私は再び真っ白なピースを拾った。

 パラリ。右端のピースが膝の横に落ちる。パラリ。私は横長の完成したパズルからもう一枚ピースを剥ぎ取った。パラリ。膝の横にピースが増える。パラリ。私はどんどんパズルを崩していった。パラリ。落とすのはこれで何度目だろう。パラリ。もうパズルは完成してしまった。パラリ。昨日も一昨日もその前も。パラリ。私はこのパズルを毎日解いていた。パラリ。パズルを完成させるのはこれで何十回目だろう。パラリ。一日中毎日ずっと飽きることなく嫌々我慢しながら長い間延々と。私はパズルのピースを持ち上げると毎日毎日毎日毎日毎日毎日真ん中からピースを当てはめていく。もうどの形がどこに当てはまるかなんて、とっくに覚えきってしまったというのに。それでも私は強制されているようにパズルを解き続けていたのだ。

 でも、それも今日で終わる。

 私は最後の一枚を畳へ放り投げると立ち上がった。畳の上でぐしゃぐしゃになったパズルを一瞥して部屋を出る。今日は良い天気だった。程よく暖かくて程よく風が吹いている。何の差し障りもない程よい日。

 私は少しだけ温度の低い空気を受けながら長い廊下を歩き続けて永琳の元へと向かった。永琳の居る部屋は私の部屋からは少しだけ距離がある。そもそも永遠亭の奥の方にある私の部屋は何処へ行くにしても少しだけ距離があって不便だった。永琳の部屋のようにすぐに居間へ出られる部屋が少しだけ羨ましい。そんなことを零すと、永琳は決まって『良い運動になるでしょう』と言うのだ。良い運動になるには短い廊下だと思った。

 居間の前までやって来れば、イナバ達が追いかけっこをしているのが見えた。追いかけている方のイナバは追いかけられているイナバよりも少しだけ背丈が大きくて、遊んであげているのだというのがすぐに分かった。きゃあきゃあと笑いながら駆けていく二人はやがて庭の外にまで走ると、竹林の奥へ姿を隠す。とうとう声まで聞こえなくなると私は眺めるのを止めた。

 今日は良い天気だった。遊ぶのには程よい気候なのだろう。そう思った。
 居間に着いてしまえばもう永琳に会ったと言っても過言ではなかった。少しだけ誇張はしているものの過言ではなかった。私はほんの数十歩だけ足を進めると永琳の研究室の前に立つ。右手を上げてノックをした。中から永琳の声がした。それよりも先に扉を開けた。
 気候とは違って冷たい金属製のドアノブを握ると私は手首を右に回す。カチャ、とかたい音がするとドアを引いた。永琳がこちらを見ていた。灰色の丸椅子に座って青い万年筆を左手に握っている。

「どうかしましたか」
 私が永琳の元へ訪れるときの理由は殆ど決まっている。だから永琳は一応尋ねてはいるものの、どこかで答えは解っているような顔をしていた。
「退屈なの」
 言うと永琳がペンを置く。静かすぎる部屋にコトリ、と音が響くと永琳は立ち上がった。永琳よりも背丈の高い棚を見上げながら、それは困ったわね、と呟いている。私は赤と青のちょうど境界線の辺りで揺れている銀髪を見つめながら、パズルは解き終えてしまったこと、何度も繰り返し解いたことを報告した。

「そう」
 しかし返ってくる言葉はあまりにも素っ気ないもので、私はたったそれだけの言葉に――それしか返って来ない言葉に何かを踏んづけられたような気持ちになって、もう一度「もうパズルは嫌よ」と言った。
「……分かったわ」
 こちらを見た永琳の左手には小さな箱が触れていた。真っ白なパズルのピースが入っていた箱の左にあるものだった。真っ白なパズルはいま私の部屋にあるから当然その棚には並べられていない。棚の上段で一列になっている小箱たちの中に真っ白なパズルはいないのだ。しかし、それはほんの些細なことであるかのように棚にはたくさんパズルの入った小箱がある。一番右にあるものは私が初めて永琳から渡されたパズルで、たった今永琳が触れている箱は一番左にあった。

 永琳は手を引っ込めると一段下にある箱を取り出した。埃こそ被ってはいないものの、長い年月の間放置されていたのか外装はよれよれになっている。
「はい、どうぞ」
 両手で差し出された箱はピースが入っていたものと殆ど同じ大きさだった。私はしばらくその箱を眺めて、しかしその間ずっとこちらを見つめてくる永琳に気付くとすぐに手を伸ばした。両方の中指がすっかり柔らかくなってしまった厚紙に触れる。私はそこで手を止めた。

「どうかしましたか」
 数拍置くと永琳が声をかけてくる。私は答えられなかった。視線が釘で固定されたように箱から離せなくなって、厚紙に触れた指はかたかたと震え始める。胃の奥がぐるぐると回り始めた。大きな塊が身体の奥から這い上がってくる。気分が悪い。爪楊枝のように細い蛇が何匹も何匹も気管でのたうち回っているような感覚が、皮膚と肉の間で挟まった虫が暴れまわっているような気持ち悪さが、ぐるグルぐるグルぐるグルと肺の上あたりで蟠っている。指先の震えは手に広がり、手の震えは腕に広がり、やがて肩まで小さく震えだす。目の奥で暗闇がゆっくりと忍び寄っていた。時折チカチカと自己主張をしながら得体の知れない感覚がやって来る。気分が悪い。

 私はそう思うのと同時に腕を引っ込めた。
「輝夜」
 気がつけば永琳の両手には何も乗っていなかった。ハッとして見上げれば視界の端で机に乗った小箱が見える。こちらを覗き込む永琳の眉は僅かに寄っていた。両肩が掴まれている。二色の中央で揺れていた色が頬を撫でた。
「気分が悪いなら無理をしないで」
 私は頷いた。しかしあの妙な感覚はすっかり消え去っていた。

「もう大丈夫」
「本当に?」
「ええ」
 大丈夫と平気を繰り返しながらおでこや首筋に手を当てる永琳を宥める。少しするとようやく嘘ではないことが分かったようで、永琳は再びあの小箱を手にしたのだった。私は素直にそれを受け取った。
 部屋に戻って中を開けると、真っ黒なパズルピースがぎっしりと詰め込まれていた。

***

 パラリ。黒いピースが落ちる。パラリ。白いピースの中に一つだけ黒。パラリ。黒はどんどん増えていく。パラリ。私はこのパズルを解き終わった。パラリ。何度も何度も何十回も。パラリ。繰り返し繰り返しずっとずっとずっと毎日毎日毎日毎日。パラリ。何回だって解いたのだ。パラリ。横長の板がバラバラに解れていく。パラリ。完成させるのにかかった時間よりも、圧倒的に短くそれは崩れていく。パラリ。そうして黒いピースは白いピースを覆い被した。

 私は立ち上がった。そしてパズルの残骸を見下ろした。私はもう一度しゃがみこんだ。腕を伸ばす。指先がパズルの骸の頂点に触れる。私はその指を麓にまで下ろした。パズルの山にそって手の平を添わせる。
 バシャリ。
 その瞬間、パズルの欠片が向こうの壁まで弾け飛んだ。私は立ち上がると散らばった数箱分のピースを見下ろした。もう一度永琳の部屋にいかなくてはならないと思った。


「退屈なの」
 永琳はまた同じ表情をした。万年筆を置いて棚を見上げる。もうそこには何もなかった。当たり前だ。全て解いてしまったのだ。全て私の部屋の畳の上に転がっているのだ。全て全てこの部屋には何もない。
「……少し、待っていてくれる?」
 そう言うと永琳は私の横を通り過ぎて部屋から出ていく。静かな足音は廊下の奥の方へと進んでいき、やがて聞こえなくなった。私は棚を見上げた。何もなかった。上段三列分を占めていたあの小箱たちは全て解かれてしまった。でも、それも今日で終わり。

 私は小箱がいた段のその下の、小さな瓶たちを眺めた。透明な瓶の中には小さな白い塊や、色が付いた楕円形の薬達が入っている。その下の棚にも、更にその下の段にも薬が詰まっていた。一番下の段は引き戸になっている。何が入っているのかは知らない。
 私は棚の前まで歩くとしゃがんだ。右の引き戸を開けてみる。カラカラと音を立てた先には分厚い本がぎっしりと並べられていた。一番端の本を取る。表紙を捲った。中身は真っ白だった。私は首を傾げた。こういうものには普通、中身があるのではないだろうか。
 その直後。
「輝夜」

 少しだけ険のある声が背後から降ってくる。びくりと肩が跳ねた。振り返れば、声色通りの表情をした永琳の姿。両手には小箱が抱えられていた。
「それは駄目だと言ったでしょう」
 危険なものもあるのよ。確かにそう言われたことがある。だから棚には勝手に触れてはいけないのだ。でもどうしてだろう。私はその言葉に違和感があった。永琳の言うことは間違いであるはずがないのに。でも確かに、私の心はそれが間違いだと言っている。どうしてだろう。考えて考えて考えて、それでも私は分からなかった。おかしい、と脳が訴えている。

 永琳は私の持っているものを見ると更に眉間の皺を深めた。ぱっと取り上げてしまうと引き戸の奥へ押し込む。かた、と僅かに大きい音がして、ようやく引き戸が閉められたのだと分かった。私はその間、永琳を眺めていたから分からなかった。
「ごめんなさい」

 咄嗟に言うと永琳はいいの、と答えた。そして会話を打ち切るようにして話題を小箱へと移す。それでも私の中に湧き上がった違和感は消えなかった。それどころかますますその存在感を増しているように思えた。分からないのに考えて、答えが出ないのに追い求めて、些細な違和感の正体を知ろうとしている。きっと永琳ならその正体がすぐに分かってしまうのだろう。でも私は永琳に聞くことをしなかった。愚問だと一蹴されてしまうと思うと、怖かった。永琳はそんなことをするはずがない。でもどうしてか、そうされてしまうと思った。いや、そんな態度を取られなかったとしても、きっと答えてくれないと直感したのだ。

(それは、何故?)
 疑問が増えてしまった。何故? 分からない。私には何も分からない。知る術もない。知る術もなければ聞く勇気もなかった。私には何も無い。
 私は差し出された箱を恐る恐る受け取った。すると、ぐるぐるとした気持ち悪さが再びやって来る。私は気持ち悪さを喉の奥で押し留めて箱を開けた。中には数十枚の絵札が入っていた。

(どうして、)
 無意識にそう考えた。
(こんなことを繰り返しても、)
 目の奥がぐるぐるとする。気持ち悪い。気分が悪い。どうしてだろう。
(また飽きてしまうのに)
 そう思うと、気持ち悪さがパッと消失した。そのことに驚いて、もう一度私は同じことを考えた。そこでもう一度驚いた。何かをする前に飽きてしまう、と思ったのは初めてのことだったからだ。

***

 いよいよ私の部屋は無視が出来ないほどに散らかり始めた。畳の上には何千枚ものパズルピースが敷かれていて、その上に絵札が落ちている。それらが入っていた小箱は部屋の片隅で窮屈そうに肩を並べていた。
 私は絵札で遊ばなかった。ずっと違和感の正体について考えていた。飽きなかった。退屈だと思わなかった。
(何故?)

 答えが一向に出ないからだ。永琳が一瞬で分かることを理解するにはたくさんの時間が必要になる。須臾を積み重ねて積み上げて永遠に近くなるまでかき集めて、その長い永い間ずっと考え続けて、ようやく理解に至るのだ。
 もやもやとした蒸気が頭の中を満たしているようだった。届きそうで届かない、解っているようでいて説明が出来ない違和感が、もうすぐそこまで迫っている。あと一歩足を進めたら、あと少し考えたら。そんな焦燥が胸の内に湧き上がる。でも、焦れば焦るほど違和感の正体について考えることが出来なくなってしまう。

(いつ分かるんだろう)
(いつ、たどり着けるんだろう)
 そんな考えばかりが頭のなかでぐるぐルぐるグるし始める。気持ちが悪い。視界が滲んだ。どうして分からないのか。私は既に知っているはずなのだ。
(知っている)
 私は確かに知っている。この違和感の正体を。どうして? 解らない。分からない。判らない。
「――――輝夜、」
 澄んだ声と共に後ろの障子が開いた。永琳だった。永琳は部屋を見下ろすと小さく嘆息を漏らして私を見る。
「……片付けないと、」
「嫌」

 私は初めて永琳に反論した。驚いた。永琳も僅かに驚いている。駄目なのだ。ここを綺麗にしてしまっては。絶対に。パズルはもう解いてしまった。何回も何十回も何百回も。その度に私は崩して解して畳に落とした。だから、もう駄目なのだ。
「でもこのままではいけないわ」
 このままではいけない。確かに、このままではいけないだろう。でも私はそうしたくない。しかし部屋は綺麗であるべきだし、片付けているべきだ。どうして。疑問がまた増える。永琳といるとおかしなことが増えていく。どうして。分からない。永琳は何もしていない。何もしていないのに、私が勝手に疑問に思っているだけ。
「……駄目なの」
 明確なことを言えないまま私はとうとう首を振った。永琳は何も言わなかった。そうですか、と短く答えるとそれっきり別の会話になってしまう。

「――――でしょう、」
 永琳が何かを話している。こうやって相槌をせずともどんどん言葉を継ぎ接ぎしていくときの彼女には何をいっても無駄だった。なぜならそれは彼女の中で決定事項だからであって、会話でもなければ対話でもなく、相談もなければただの報告だったからだ。そしてその報告は事後承諾にさえなり得る。拒絶は出来た試しがなく、いつもうまい具合に丸め込まれた。だから今回もきっとそのはずで、だから私は永琳の話を聞かなかった。膨れ上がって爆発しかけているもやもやの解除方法を必死に探っていた。

「だから来てほしいの」
 一体なんのことを言っているのかは分からなかったが、永琳の言うことに間違いはなかった。だから私は頷いた。きっと大丈夫だと思って、立ち上がると永琳の後に着いていく。
 たどり着いたのは診察室だった。訪れた患者を通す部屋。どうやら健康診断をするようだった。そういえば時々やっていたような気がする。よく覚えていなかった。

「こういうのは定期的にやらないといけないのよ」
 聞いていないのに永琳が話す。意気揚々と紙とペンを持って丸椅子に座りながら、私もその対面の椅子に腰掛けるように促した。私は灰色のそこに座った。そして永琳に促されるまま服を捲って、心音を聞かれて、背中を向けて、聴診器を当てられて、喉の奥を見られて。身体の隅から隅までを観察してその記録を文字に起こす。私は興味がなかったけれど、こうしている時の永琳は活き活きしていた。

(でも、何も変わるはずはない)
 そうだ。そういえば、私は。いいや、永琳だって。
 私達二人は不変の存在なのだ。それなのにどうして。どうしてわざわざ記録を取るのだろう。風邪を引いたことなんてない。引く予定も未来も可能性もない。それなのにどうして?
(分からない)
 永琳の考えていることは分からない。それだけは分かっていた。なのに疑問は湧いてくる。どうして。どうして。

 ――――やがて私は疑問を口に出していた。
 その瞬間、永琳の手がぴたりと止まる。紙とペンの間を2ミリに保ったまま時が止まったように静止する。
「不変ではないの」
 答えはない。

「おかしいわ。こんなこと、わざわざ」
 言い出したら止まらなかった。
 食い違うパズルのピースの一つを持ち上げると、視点を全体へと向け直す。パズルの所々は無理やり当てはめたせいで歪な形になっていた。その上僅かにズレているピース達の合間から疑問が噴出していて、ピースを上げれば隙間が広がり、ますます疑問の声が強まる。私はその声達に煽られるように永琳へ言葉をぶつけ始める。

「もう何回もやっているのに、永琳なら解っているはずでしょう」
「どうしてこんなことを繰り返すの」
「こんなこと意味がないのに」
「何度も何度も何十回も何百回も繰り返し繰り返しずっとずっと」
「終わったのに。前に終わったはずなのに」
「どうして私はまたここにいるの」
「どうして私は、」
「私は、」

 声が出なかった。何を言いたいのか分からなくなって、ぎゅうと身を縮こめる。蹲って乱れた呼吸を吐くと、永琳の手が背中を撫でた。
「大丈夫」
 穏やかな声が鼓膜を揺さぶる。ぐるぐるぐるぐるしていた思考がゆっくりと回転を止めていく。優しい手つきが背中を撫でる度に私の中の疑問が消失していった。
(どうして、)
 その手は優しいはずなのに、永琳は大丈夫だと言っているのに。永琳が言っているのだから間違いはないはずなのだ。それでもだけれども心臓がばくばくとうるさく鳴っている。呼吸は落ち着く様子もなく、寧ろどんどん間隔が短くなっているような気がした。おでこにじんわりと汗が滲む。苦しい。気持ち悪い。気分が悪い。

 そういえば今日は天気が良かった。暖かくてとても良い気候だった。イナバたちは今日も追いかけっこをしていた。だから大丈夫なのだ。だから? どうして。おかしい。
「っ、う、」
 大丈夫、と永琳の手がゆっくりと背中を這う。細い指が服越しに肌を撫でて私を宥めようとしている。手が二つになった。肩の辺りに自分以外の体温を感じて、そこでようやく抱き締められているのだと知る。

 わたしはいきのしかたもわすれてしまったの。
 ひゅうと咽頭が鳴る。心臓はいよいよ爆発でもしそうで、怖い。吸っているのに苦しい。苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて酸素を取り入れようと呼吸をしているのに、どうしてかもっと苦しくなる。永琳は大丈夫だと言っている。私を優しく撫でて何も問題はないんだと、恐れるべきものはないんだと、そう優しく言っている。それなのに、それだというのに永琳ほど賢くない頭は危険だと私に訴えかけていた。どうして。私には恐れるものなんてないのに。永琳が守ってくれるはずなのに。ここには何も無いはずなのに。

「大丈夫よ、大丈夫」
 永琳の手に合わせて呼吸をする。そうすると段々と気が楽になってきて、呼吸が出来るようになってきて、苦しくなくなってきて、でも身体がどんどん重くなってきて。はぁ、と私は一つ息を零すと、そのままくったりと永琳に凭れかかった。

***

 私は部屋を片付けた。絵札を一枚一枚拾っていって、脇に抱えていた小箱へ入れていく。それが全て終わればパズルピースの番だった。白、黒、青、赤。パズルには何の絵も書かれていない。全て一色で塗り潰されていて、ただそのピース数がそれぞれで違っていた。私は無心でピースを箱の中に入れていく。小箱が重くなっていく。畳がピースの合間から見えてくる。やがてパズルの欠片に埋まっていた畳が大方顔を出し、そしてピースが無くなると、私は部屋のあちこちに置かれた小箱を障子に沿って一列に並べた。

「終わりましたか」
 丁度良く永琳が声をかけてくる。私は頷いた。永琳は並べられた小箱を見るとその端を持ち上げる。私は慌てた。
「どこへ持っていくの」
「どこへ……と言われても、元ある場所へ」
 私は混乱した。永琳はあの棚へまたこの小箱たちを戻してしまうというのだ。そうしたらきっと、私はまた何度でもこのパズル達を解くことになるだろう。

(何故)
 退屈だと言えば永琳が新しいものを持ってくる。新しいものが全て終わってしまえば、一番遠い新しいものを繰り返し持ってきた。

(どうして)
 胸の内の違和感が思考を苛む。永琳はこちらを見てきょとんとしていた。じっと私を見つめて、片付けを拒む私を不思議そうに見下ろしている。

 ――――どうして片付けてはいけないんだろう。だって、部屋は片付けるべきなのだ。なのにどうして。
(また渡されるから)
 そうだ。これを渡してしまえばまた解かなくてはならなくなる。もう何百回も解いてしまったパズルをまた一から組み直さなくてはならない。そして完成したパズルは再びバラバラになって小箱に詰められて、棚に戻って渡されて、また解いて。

(でも、)
 退屈だと言えば永琳は新しいものを持ってくる。新しいものを持ってきて、私の中の退屈を紛らわせてくれる。そう言ったのは永琳だ。
(――――?)
 そこで違和感が生じた。永琳は新しいものを持ってきて退屈を紛らわせてくれる。私の知らない目新しいものを次々と持ってきて、楽しませてくれる。

(…………?)
 違和感が疑問へと生じた。生じてしまった。頭のもやもやがギュっと握られると固形になって、頭の中をごろごろと転がる。もしも頭の中のもやもやが靄のままであったのなら、私はそれを無視し続けることも出来たのかもしれない。でも頭の中を転がる度に大きな音を立てる疑問になってしまえば、私はうるさくて無視が出来なかった。

(永琳は新しいものを持ってきてくれる)
 この小箱たちだってそうだ。新しいもの。
(新しい?)
 私はこのパズルを何百回も解いた。それが、新しい?
(永琳は新しいものを持ってきてくれる)
 その時、私はこの違和感の正体の尻尾をようやく掴んだ。表情を変えずにこちらを見つめている永琳の背中に陽が注いでいる。永琳がどんな表情をしているのか分からなかった。眩しい視界の中、真っ黒な影が私をジッと見下ろしている。

 永琳が何も持って来なくなったのはいつからだっただろう。それまでの永琳は、少なくとも私が何かを言う前に新しいものを持ってきた。パズルなんて目じゃない、どうしてこの世にあるのかが不思議なモノ。
 そして、私はいつから永琳の元へ行くようになったのだろう。それも、自ら。

「輝夜、どうかした?」
 急に何もかもが怖くなった。小箱を持っている永琳も、平然と同じものを繰り返し渡してくる永琳も、何もかもが怖くなって、私は思わず小箱を全て片付けてしまった。

***

 退屈だった。この場所には何もないから。そう言うと決まって永琳は新しいものを持ってくる。でもそれじゃあ駄目なのだ。新しいものを持ってきても退屈をしのぐことは出来ない。新しいものに触れて少しの間は気が紛れるだろうけれど、数週間も経ってしまえば新しいものは新しいものではなくなってしまうのだ。

 だからあのパズルも本当は、本当ならば新しいものではないはずで、過去に置いてきた懐かしいもの。なのにどうして私はこれが新しいものだと思っていたのだろう。
 永琳はその後私に新しいものを渡した。正真正銘新しいものだ。それは盆栽だった。盆栽のやり方は分からなかったけれど、永琳が教えてくれた。すぐには出来ないから、何年も何十年もかけてやるものらしい。だから、当分の間は退屈にならないだろうと永琳は言っていた。

 でも私は間違いなく退屈だった。縁側に座って貰った盆栽をジッと見つめる。なにか起こるわけでも退屈が紛れる訳でもない。ただただジッとそのままの形でいる盆栽を見つめていた。
 私はため息を吐いた。思わず立ち上がる。今日は良い天気だったから、きっとイナバたちも駆けていることだろう。それを見ようと思った。


 しかしイナバたちはいなかった。遠くの方で声がしていて、来るには少し遅かったのだと思った。仕方ないので私は永琳の元へ行くことにした。
「永琳」
 しかし永琳もいなかった。静かすぎる無音だけが部屋を満たしている。私は部屋に入った。ここで待っていればきっとその内戻ってくるだろうと思った。
 鼓膜がツンとするほどの静寂が全身を圧迫する。私は敢えて足音を立てながら部屋の中央へ向かって歩いた。埃はない。汚れもない。磨かれた板張りの床はツルツルとしていた。
「…………、」

 ふと、棚を見た。そして引き戸に近付いた。しゃがみこんで、迷いなく手をかける。ゆっくりと開くと微かに甲高い音がする。私は中に腕を突っ込むと、指に触れた分厚い本を引っ張り出した。
 色あせた赤い表紙の分厚い書物。中の紙は少しだけ黄ばんでいる。私は表紙を開いた。何も書いていない。もう一枚紙を捲った。そうすると、大量の文字が私の視界を埋め尽くす。筆跡は永琳のものだった。

「――――、」
 たくさんの文字列を追っている内、身体の内の違和感が自己主張を始める。得体の知れない気持ち悪さと猜疑心がぐるぐると心臓の中で暴れまわる。
気分が悪くなればなるほど私は夢中で文字を頭のなかに叩き込んだ。そうするとますます疑問が膨れ上がって、はちきれる寸前の風船のような危険を孕みながら、私の中の違和感が肺を圧迫し始める。

 呼吸が乱れてきた。視界がぐるぐると回って、無音だったはずの部屋にキィンという高い音が響き始める。私は頁の最後の一文を読んだ。そして息を呑んだ。膨れ上がった風船がいよいよパァン! と破裂した。
 永琳は嘘を吐いていたのだ。

***

 竹林の中を駆け回るイナバたちはまるで頭のなかに地図が入っているかのよう。目印も行く宛もない私はふらふらと辺りを彷徨うばかりで、ここが先ほど通った道なのか、果たして初めて通る道なのかは分からない。
 私は葉の擦れ合う音を聞きながらゆったりと歩いて、歩いて、歩き続けた。サァ、と一際強い風が吹く。髪が煽られて、視界が黒く染まった。

(――――?)
 その瞬間、既視感。何故だろう。ココに来たのは初めてのはずなのに。どうしてか懐かしさを感じてしまった。
 バクバクと心臓がなり始める。
 呼吸が乱れて、がんがんと脳髄が揺さぶられた。
 思い出したくないことが、思い出してはいけないことが。
 体の奥底から蛇のように這い上がってくる。

 その瞬間。

「かぐや」

 さらさらとした音の合間を縫って涼し気な声が辺りに響いた。思わず身体が跳ねる。石のように固まって、身動きが取れない。
「こんなところにいたのね」
 背後の足音はどんどん近付いてきた。土を踏む音がすぐそこまで迫っている。私はそこでようやく弾かれるように後ろを振り返った。
「う、」
 真後ろに立っていた永琳はわらっていた。
お読み頂きありがとうございます。
松宮つかさ
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5.100名前が無い程度の能力削除
流れていく文章の中、繰り返される出来事から滲出してくる永琳の狂気と永遠という概念の不安に頭がクラクラとしました。輝夜が抱く願い、抑圧されている閉塞感と永琳の思いを考え、そしてずるずると変化していく二人の間柄に、思わず手に汗が滲みまました。とても面白かったです。