Coolier - 新生・東方創想話

終わらせる物語

2016/09/20 23:21:04
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 もう多くの段階を越えてしまった。
 私は全てを終わらせないといけない。





 雲に覆われた月が、それでも鈍い光を広げていた。葉を落とし切って毛細血管のようになった枝枝を抜け、月光は地面の雪を浮かび上がらせる。その白さは、半ば朽ちつつ洗われた人骨を思わせた。
 無音だった。ただでさえ立ち入る者の少ない魔法の森は、夜間においては誰が通る可能性もない。しかも冬となれば鳥や虫の気配さえ消える。
 たたずむ私のスカートを時折微風が揺らす。ショールを羽織っていても肌寒く感じた。
 その時、両肩を抱いたのは私の手ではなかった。ほのかな体温が服越しに背中へ伝えられ、耳元で名前をささやかれる。
「アリス」
 直前まで箒で飛行し、こっそりと背後から近寄ってきたのだろう。顔までが寄ってきたので、手をかざす。
「遅刻してイタズラなんて幾つになっても子供ね、魔理沙」
「いやいや……むしろ遅刻したからこそサプライズをな。まあ、済まないとは思ってるんだ。素直に謝罪するにやぶさかじゃないが、でも、大目には見てくれるだろ?」
 そこで魔理沙は横を向く。ゴボゴボと泥が泡立つような咳をした。
 そうね、と私も同意する。
「無理を押して来てもらうように言ったのは私だもの」
「うん、細かなことは抜きにして楽しもう。こんなデートができるのも最後だろうし──今更だけど、感染の心配はないよな」
「いたって健康よ」
 もう一度寄ってきた魔理沙の顔に今度は抗わず、唇と唇が重なるのに任せた。体温と体温、粘膜と粘膜とが直接触れる。
 一旦身を離し、正面から改めて抱擁し合う。魔理沙の華奢な、折れてしまうかと思うほどの身体を感じた。以前にも増して枯れ枝のようだ。
 満ち足りたような吐息が耳元を撫で、直前に振り掛けてきただろう香水が甘く鼻腔に漂う。それでも香りの向こうに死臭を感じ取れてしまう。
 こけた頬を擦り寄せられた。
「懐かしいな。殺風景なとこでも、ここは記念すべき場所だ」
 そう述べる魔理沙の首に目が留まった。黄色い毛糸のマフラー。黒ずくめの服に三角帽子はいつもの普段着だったため、それは目立って意識を引き付ける。
 あの日、身に付けていたものだ。ここで、「記念すべき」この場所で、私は魔理沙に告白したのだった。


 秋の終わり、夜明け前、ツキヨタケの群生が発光するのを二人で見た帰り道、私はありったけの勇気を振り絞った。自分の想いをさらけ出した。
 共に魔法を研究し、共に異変へ立ち向かい、共に多くの時間を過ごす中で膨らんでいった、友情や親愛といったものを超えた想いだった。
 羞恥で顔を真っ赤にしていただろう私は、途中から自分でも何を言っているかわからなくなってしまっていた。
 隠しておきたかったけれど抑えきれないほど魔理沙のことが好きになってしまってどうしようもなくて今突然こんなことを言われて戸惑うかもしれないけれど迷惑じゃなかったら後からでも返事を聞かせてくれたら嬉しい、といったような内容だったと思う。
 突然の告白に、黄色いマフラーの上の顔はしばらくポカンとしていたが、つと笑みを浮かべると私を抱き寄せた。
『地中に長く菌糸を張ってきたのが、ついに傘広げてフェアリーリングを作ったってか。いいぜ、アリス。お前の魔法にかかってやるよ』
 その時朝日が差し込んだ。立ち並ぶ木々の間から何条もの火矢が飛んで、夜の森を切り裂いていく。
 魔理沙が親指で私の頬をぬぐう。それで自分が泣いていることを知った。魔理沙の顔が寄ってきて、私はそれを迎え、キスをした。
 目の端に映ったものは今でも網膜に焼きつけられている。葉に載った朝露の光だ。あるいは魔理沙の指から飛ばされた私の涙だったのかもしれない。 
 それは儚くも透明に光っていた。濁るもののない綺麗な光。私も魔理沙も抱える闇はあったけれど、それでも一粒の輝きは真実だった。


 以来、私は泣いてない。同じ輝きを見ていない。だからこその鮮やかな記憶なのかもしれなかった。
「ん……」
 唇に感じる現実へ引き戻される。
 再び重ねたキスは、唇のかさつきと血の気のない温度を伝えてきた。これでも魔法の補助を受けていて、それがなければ私の右腕と同じく、とうに体温は気温と同化しているだろう。
「……ん、ふぅ……ふう」
 魔理沙は顔を離し、身を離し、やや浅い息を繰り返した。何気ないふうを装っているが、わずかなキスの間、その呼吸の抑制さえもが息苦しさを招いている。
「ははっ……アリスが、あんまり情熱的なんで、疲労困憊した、ぜ」
 一瞬、皮肉かと勘違いした。私の心は冷え切っていたから。
 この、冬の夜の森のように、熱い想いなどは過去にしかない。そんなものがあるなら、病人をこんなところへ連れ出しはしない。
 私の中に確固としてあるのは、ただ一つだけ。
 始まりの場所であるここが、終わらせる場所としてふさわしい。ただそれだけだ。
 ガクリと魔理沙の膝が折れ、よろめく。とっさに右腕を駆動させて支えた。
 次いで左手で二種類の魔法陣を展開する。対象の体重を軽減するものと、対象の周囲に暖気の膜を張るものだ。光輪が浮かんで消えると、効果が発現する。
 薄く白い吐息が透明に変わるのを確認した。ここに来た当初は暖気の膜があったのに、それが弱まっていた……自力で魔法力を保てないほど衰弱しているらしい。
「わ、りぃな。大丈夫だ」
 魔理沙は指先でコツコツと私の右手を小突く。ゆっくりと解放してやると、ふらつきながらもどうにか一人で立ち、眉根を寄せつつ口角を上げた。
「ははっ、ザマァない。稀代の魔法使いが揃いも揃ってキズモノの身体だ。その上、名誉の負傷ってのならまだしも、魔法研究の失敗だってんだから」
 私の右手を取る。触覚はなく、代わりに触られたという認識が脳に伝えられる。指や手首といった関節の切れ目が、魔理沙の指になぞられた。
「魔法薬の調合で爆発事故なんて、ヘマやったよな」
「そうだったわね」
「ん?」
 物言いに首を傾げるも、魔理沙は私の義手を弄ることは止めず、光沢を帯びた表面で鈍い月光を揺らし続ける。
「けど、手に入れたものもデカいな。『手に入れることは手放すこと』の格言通り、生身の右腕を肩からごっそり持ってかれた代わりに、これだ。落ちる雨粒をつ摘めるくらいの精密動作と、そこらの石を握りつぶせるほどの怪力。ロボットアームなんてロマンがあるね。機会があったら私も……って、ロボットの『機械』と掛けたダジャレじゃないぜ、はっはっ」
 機会があったら、か。あってもその気はないくせに。言質を取る意味もないため、魔理沙がしゃべるに任せる。
「転んでもタダでは起きないってのをやらなかったって点で、間抜けさ勝負は私に軍配が上がったわけだ。寿命を削るんならそれなりの悪魔と契約しとくとかすりゃあ良かったよなぁ」
「冬は越せないのよね」
「カ・ク・ジ・ツ。もし越せたら世界の七不思議が八不思議に増えるぜ。まあ、てかな、明日ぽっくり逝ってもおかしくねーんだ」
 軽口で重い内容を述べる。これについては真実だろう。病状の進行が以前より加速度的に悪化している。予想はしていたことだから驚きはしないにしても、今日という日はもっと早くに設定するべきだったとわずかに悔いた。
 キノコの栽培農家は気管支を病むことがあるという。飛んだ胞子が粘膜で成長しようとするのだ。キノコの専門家である魔理沙は十分理解していたことだろうが、取り返しもつかないほど身体を冒されている現状だ。
 再び魔理沙は咳をした。今度は少し長く続き、身体を折り曲げる。黒帽子のつばが上下するのを見下ろしつつ、背中をさすってやった。
 魔理沙は荒い息のまま手を離す。唇と手の平を粘性の糸が引いた。魔術合成された生命を蝕む菌糸だ。
「ふぅ……サンキュー……。優しいな、アリスは、やっぱ。つい甘えて、最期を看取ってほしくなっちまうな」
「……」
「けど、初志貫徹がベストだろ。ボロボロのカスカスな苗床になった全身からキノコが噴き出てくるなんて、黒歴史にもほどがある。目鼻口にキノコのデコレートがされたのを遺影にしてほしくもないしな。死んだら家ごと燃やしてくれ」
「……」
 私は沈黙を保つ。その場限りの嘘を相づちという形でさえつきたくなかった。かといって、否定の理由を述べるには段階を踏む必要がある。
「スエヒロタケって名前だけは縁起がいいのにな。まんまとやられたぜ、おめでたいのは私の頭だったってオチだよ。確かに不死者を滅するだけの威力は持たせられたけど、凶悪性、そのまんま身を持って体験することになるとは」
 自然界に存在するものであってもスエヒロタケには特筆すべき浸食力の強さがあり、胞子が気管支炎を起こすのみに止まらず、ある患者の脚から子実体が生えてきたという事例さえある。
 魔理沙はそのキノコをベースとして、強力な破壊力・腐蝕性のある魔術を開発しようとした。術者の能力に上乗せするため、本人の肉体・魔力に対する親和性を付加──つまりは魔理沙の遺伝子と波長を組み込んだのだ。
 結果として目標はほとんど達成できた。対象を大いに傷つけるという目標は。
 一方、度外視していた点については、当然しわ寄せが津波となった。膨大な力のうねりはコントロールが利かず、術者にも覆い被さった。
 そして、親和性がかえって仇となる。スペルに乗せない限り健康的な他者へは感染しないものの、魔理沙自身へはどんな薬も魔法も効かずに侵食を続ける病魔と化したのだった。
「キノコと魔力を一体にってのが、こんな形の一体化を果たすかね。キノコを追求した結果がマタンゴ? 面白過ぎだよなぁ。普通の魔法使いは奇特な最期を遂げましたとさ、ちゃんちゃん、って」
 魔理沙はクックッと白い歯を見せる。この笑いには皮肉の色が薄くむしろ爽やかさすらあって……私は自分の目がより冷たく鋭さを増すのを感じた。
「ま、ただの人間がここまで来れたんだ。上出来と言っていいんじゃないか。それなりに満足してるぜ」
「あなたのプライドだったものね」
「ん?」
「人間のまま強くなること」
「そうさ。せっかく人間に生まれたんだ。人間として可能性を切り開いていかなけりゃな。結果、神様にだって勝てた」
「霊夢には勝てなかったけれど」
 魔理沙の顔が強張る。しかし、すぐに平静さを装って応じた。
「ああ、そこだけが心残りだったな。あいつを超えれば間違いなく人類最強だったんだが、勝ち逃げされちまった」
「神社に行けばいつでも最強の巫女に会えるわよ」
「私は、……いや、今の博麗の巫女も強いのか?」
「八雲紫の人選に間違いはないわ。幾つも異変を解決してる」
「噂だけは知ってる」
「見に行ってないのね」
「行きそびれている間にこれだからな。しゃーないだろ」
「嘘」
「え」
「行きそびれているなんて、嘘。本当は行くつもりなんて微塵もなかったでしょ」
「……」
「あなたにとっての博麗霊夢は彼女一人。その彼女がいない博麗神社は忌まわしい記憶が呼び起こされるだけの場所だもの」
 魔理沙の瞳が揺れる。「忌まわしい記憶」というのがどこまでを指すのか推し量っているのだろう。それから霊夢に対する想いも。
 あいにくと全部だ。私は全部を知ってここに立っている。
 魔理沙は口元を黄色いマフラーに埋めて、つぶやくように言った。
「紅魔館では……」
 一番無難な箇所から出してきたか。
「フランは大丈夫か? 特に問題なく?」
 しかも回りくどい。
「私の知る限り、今のところはね。現頭首として玉座に座っている意識はあまりないだろうけど」
「少なくともクソったれな姉よりはまともな頭さ」
 口が穢れるとでもいうように唾を吐き捨てる。
「人一人の人生をあそこまで滅茶苦茶に虚仮にしやがったヤツは、未来永劫出てこないだろうぜ」
「恨んでいるのね」
「当たり前だ」
「倒したかった?」
「殺したかった。たとえ不死者であろうと、是が非でもぶっ殺したかった。だから、自分の身体をズタボロにしてまであいつを殺し尽くせる魔法を創り上げたんだ」
「レミリアの自殺で望み通りにはなったわね」
「そんなんで許されるかッ!」
 夜の森に激昂が響き渡る。枯れた身のどこからそんな、というような声。
「あいつは、あのクソは、霊夢の全部を自分の欲で汚しまくったんだぞ! 心を壊して、身体を弄んで、人としての人生を奪った! 太陽に灼かれてあっさり終わっていいような罪じゃねぇよ!!」
 握りしめた右拳に燐光が宿る。
「蹂躙される痛み、屈辱、恐怖を味わってもらわなけりゃならなかったんだ。くそッ、私が、私にしかできなかったのに……!」
 幾筋かの細い光がたゆたい伸びて、複数本の太幹にからみつく。その部分がみるみる黒ずみ、腐食し、消失した。
「魔理沙」
 呼びかけた直後、大音響が満ちた。支えを失った木々の倒壊。広がる枯れ枝が擦れ合い、夜空を掻いて地に落ちる。音と音の重なり。
 うち一本が立ち並ぶ木々にこづき回された末に、こちらへ倒れ込んできた。人工的な肌色の腕を掲げる。
 頭上で幹は自重によって私の指先を内部へめり込ませた。腕を振ると抵抗なくそのままの軌道を描く。足下を失った樹木は縦に森の奥へと投げられ、周辺を騒がしくした。
 切り株の朽ちた断面には白いカサブタ状のものがそこここに生えていたが、程なくして砕けて消える。
 目を戻すと済まなそうな顔があった。言葉を投げる。
「魔法を使うんじゃなく使われるようなら、拘束術式を施してあげるけど?」
「……わりぃ」
 そう言いながらも、まだ怒りがくすぶっている様子だ。指先から燐光がチロチロと漏れている。これ以上わずかな寿命を削るような真似をしたら、問答無用で拘束することに決めた。
「けど、アリスだってわかるだろ。許せねぇんだ、私は」
 左手で右腕をつかみ、魔理沙は奥歯を噛み締める。
「なあ、わかってくれるだろ」
「ええ」
 わかる。理解・把握という意味で。共感という意味でなく。
 幻想郷の中でただ一人、魔理沙だけがその後のレミリアと霊夢に立ち向かった。紅魔館での一連の出来事はパチュリーから聞いている。



 赤い絨毯。その上に、大量の血がぶちまけられる。
 口内を破裂させたかのように、魔理沙は大量の血液を吐き出していた。ひとしきり赤に赤を重ねた後、粘性の唾液が糸を引く。肘を突っ張ろうとするが叶わず、床に崩れ落ちた。
 這いつくばったまま敵意の顔を上げて、吸血鬼と巫女の立ち姿をにらむ。
「あと、一息で……くそ」
 そんな魔理沙を吸血鬼レミリア=スカーレットは不敵な笑みで見下ろした。白いドレスを着こなす幼女は、一見可憐にも優雅にも映る。
「それはそれはずいぶんと長い一息だな。深呼吸か?」
 しかし、右の眼窩はこめかみごとえぐれ、左腕は肘から消失している。左腕の断面は血肉の色を生々しく見せており、一方右の眼窩は黒ずんでいた。その黒ずんだ部分から白いものが幾つも生えてくる。渇いたカサブタのようなキノコの片鱗。
 レミリアが顔の右半分をしかめては戻し、状態を確認する。黒ずみは徐々に広がり、白いキノコ群は成長しつつあった。
「……ふん」
 右手の四本の指を揃えて掲げると、まるで果物にナイフを刺すかのごとく、頭部右側に滑り込ませた。
 形容しがたい音を立てて、眼窩とこめかみの変色部分がその周りの肉や骨ごと切り取られる。床にその部分が落ちて、魔法障壁の途切れた肉塊はあっと言う間に白く小さい傘に埋め尽くされ、全て粉となって砕け散った。
 レミリアは脳や歯茎の一部を剥き出しにした顔で微笑む。凄惨な笑みだった。
「物質的なものとは別に、再生が阻害されているな。全身に食らっていれば、面倒なことになってはいたか」
 顔を傾け、赤い断面を足下の魔法使いに見せつける。
「だが、現状はこの程度だ。良い余興を提供してくれたと礼を言っておこう。今回もまた、な」
 うめく魔理沙を前に、傍らの巫女を血塗れた腕で抱き寄せた。無表情で立つ霊夢は為すがままにされる。
「本当に感謝している。もう誰のものでもない、私だけの霊夢だと見せつけるのは、いつでも気分がいいものだ。魔術的な浸食の解消には時間が掛かるが、ふふ、じっくりと楽しむさ、ベッドの中での愛撫と共にな」
 レミリアが自分の顔を上向かせると、応えるように霊夢の顔が下りてくる。レミリアの唇から白い牙と赤い舌が覗く。そして霊夢の唇からも、牙と舌が。
「やめろ……っ」
 魔理沙の絞り出すような声の後、湿った淫靡な音が立ち始めた。
 舌同士の絡み合いの中、レミリアの右手は霊夢の懐へと入り、胸の膨らみを撫でた。左手は霊夢の手とつながっている。
 霊夢は無表情なものの、その顔色をレミリアのものと合わせるように上気させていく。
 欠けた紅い月が彩る狂宴。行為の最中、レミリアは魔理沙に隻眼の視線を投げつける。瞳には、夜毎二人でしていることを見せつける優越感がありありと映っていた。
 立ち上がることもできない魔理沙は、歯列が砕けそうになるほど食いしばって、血反吐で汚れた床から声を絞り出す。
「……必ず、殺してやるからな……霊夢」
「お前にできるわけがないし、私がさせはしないさ。霊夢は私と永遠を生きるんだ」
 レミリアは舌を霊夢の首筋に移して舐めた。二つの穴、噛み跡が意図的に残されており、そこを愛おしそうに舌先でくすぐった。
「永遠? ……ふざけるな……霊夢は人間だ。私たちは人間だからこそ私たちだったんだ。霊夢を霊夢じゃなくしたお前が、霊夢を終わらせたんだ。私たちを……人間を、侮辱しやがって……!」
 魔理沙の血走る目を涼風と受けて、レミリアは返した。
「素直に言え」
「……何だと……」
「素直に羨ましいと言えばいい」
「っ! バカを」
「お前もまた、そうだったろう? 誰のものでもあった博麗の巫女を受容できなかった。我慢ならなかった。我々がこの舞台に立っているのは、それが理由じゃあないか」
 魔理沙は目を見張っていたが、その数秒をかき消そうとするかのように肺の中のわずかな空気を絞り出した。
「ふざけるなっ……私は霊夢をお前から……」
 頬で床を擦る。否定の首振りを残った力でしようとして、できない。歪んだ表情はより血にまみれていく。
 レミリアはえぐれた顔を振って、嘆息した。
「くだらないな。まったくもってくだらない。短い寿命の中、ごちゃごちゃと自分の欲求を誤魔化すなら、人間に何の取り柄が残る。好きなように行動して、結果はどんなものも享受する、私の生き方こそ余程人間らしい」
 霊夢から離れて魔理沙へ近づき、その脇腹に足先を引っかけ、大きく蹴り上げた。投げ捨てられた人形のように魔理沙は放物線を描き、出入り口にぶち当たって血と苦鳴を吐いた。
「そのままくだらなく生きて死ね。辺りの物に取りつき腐らせ、所構わず胞子を飛ばすのがお前にふさわしい。まあ、その魔法を強化し続ければ近いうちに自滅するか」
 レミリアはそのままきびすを返し、奥の部屋へ向かう。待て、という魔理沙の台詞はゴボゴボという血の泡と散った。
 が、レミリアは怪訝そうに足を止め、振り返る。
「どうした。行くぞ」
 呼び掛けた相手はそれでも動かない。襟の乱れた巫女服を直しもせず、倒れた魔法使いをじっと見つめている。
 レミリアは右手を伸ばした。霊夢にその手を取ることを要求する。
「行くぞ。お前だけしか要らない私だけでは足りないのか?」
 無表情のまま、霊夢は顔を向け、身体を向け、手を取った。
 レミリアは、ふっと表情に陰りを浮かべるも、すぐに微笑と変えて、そうして今度こそ霊夢と共に広間から出ていった。
 後には、意識の混濁した魔理沙だけが残され、使用人に運び出されて遠くへうち捨てられる運命を待っていた。



「あと一歩が足りなかった。あと一歩で霊夢を解放できたし、レミリアを殺せたんだ」
 魔理沙は人差し指の腹を噛んで、足下の雪を小さく蹴った。悔しさの滲み出る行為だが、先ほど放出した魔力の残滓はようやくのことで消えている。
「こんなザマじゃ負け惜しみって言われても仕方ねぇけどさ、殻を破るまで本当にあと一歩だったんだぜ」
「否定はしてないわ」
 私は言った。
「パチュリーもその一歩が踏み出せる用意をしてあったと言ってたもの」
「ああ、いや」
 魔理沙は苦笑する。
「レミリアと長年友人だったあいつが複雑な感情持ってて、そんでも私に手を貸してくれんのはありがたかったけどさ」
 首を振って、言う。
「それは私のキノコ魔法を治癒能力に応用させるやつでな。手足が千切れても即くっつき直せるのが売りだったんだが、それをやっちまうと私の身体は動物だか菌類だかわからんものになるんで、丁重にお断りしたよ」
「受け入れていたら今の苦しみはなかったでしょうにね」
「おいおい、そしたら今の私もいなくなっちゃうだろ。今の私はキノコに侵された人間。キノコと一体になった生物じゃあない」
「言っただけよ。もちろんあなたがパチュリーの手を拒否するのはわかっていたわ。彼女も提案してみただけでしょうね。それでも用意はしていたけれど」
「ん、んー」
 私の言葉に険があると感じたのか、魔理沙は弁解を始めた。
「助けを求めなかったのは私の勝手だが、ちゃんと理由があるんだぜ。お前やパチュリーが信用できなかったとかそういうのとは違うんだ」
 以前にも聞いたことを早い口調で述べる。
 曰く、本来の博麗の巫女は仕事熱心らしい。
 曰く、ちょっと大ごとになっただけで異変扱いかも。
 曰く、個人的な争いにとどめて誰にも火の粉を飛ばしたくなかった。
 理屈は通っている。
 妖怪は例外なく人を食べる。幻想郷においては、不定期に博麗の巫女が代替わりするのと同じくらい常識のことだ。
 ただの人間となった少女一人を吸血鬼が力ずくで同族に引き込んだところで、日常のことでしかない。
 それを原因として、魔法使い陣営と吸血鬼陣営が多数入り乱れて殺し合い、幻想郷を騒がせたとしたら、処分されるのは日常のことへ因縁を吹っ掛けた側になる。
 レミリアを巻き込めるなら儲けものだが、巻き込まれるのが私やパチュリーだったら恩を仇で返すことになる──というわけだ。
 お為ごかしもいいところね。
 自分だけで決着をつけたかったのは、他者を巻き込みたくないからではなく、他者を関わらせたくなかったからだ。似ているようで違う。霊夢との関係に誰も立ち入らせたくはなかったのだ。
 まったく。
 まったくもって。
 そろそろ虚飾による時間の浪費は止めさせるべきだろうと、私は考える。
「そりゃあ一人でやろうとして何にも届かなかった私が言うのも恥さらしなんかもしれねぇけどさ。霊夢にもレミリアにもふさわしい最期を用意してやれなかった私がさ」
「霊夢は自分の人生に納得していたはずよ」
「何?」
 差し込まれた言葉に魔理沙は顔色を変えた。虚飾が剥がれかける。
「お前、何て言った?」
 こちらへ一歩踏み出す魔理沙に、さらに言う。
「レミリアに身を任せたのも自殺したのも霊夢の意志だと、そう言ってるの」
「ふざけんなっ!」
 叫んでから咳き込む。それから、口に当てていた手で私の胸ぐらをつかんだ。
「心も身体も弄ばれてたってことは知ってんだろうが! それでも納得尽くだってのか!」
「幻想郷は全てを受け入れる。博麗の巫女はその体現者」
 魔理沙の手が小さなうめきと共に緩んだ。私の軽い力で胸ぐらから離れる。
「代々の巫女がしてきたことを、霊夢もしていた」
「知っていたのか……」
 渡り巫女という存在がかつて全国各地に存在していた。17から30代の美女たちで構成されており、それぞれ8から16歳辺りに養女として迎えられ修行を受けている。多くは名前の通り各地を回っていたが、中には特定の寺社のお抱えになる者もいた。彼女らが行ったのは祈祷や口寄せ、そして春をひさぐことだった。
 博麗の巫女も同じことをしてきた。幻想郷がそうであるように誰であろうと受け入れた。そういう役割だった。
「……ああ、それは事実さ。霊夢は、確かに、そうだった。そんな重大なこと、小さいときからずっと一緒だったのに、私は気付かなかったんだ」
 魔理沙はうなだれて、息をついた。
「何かの冗談かと思って、何度も確かめて、事実を突き付けられて。ショックだったよ。まったく打ちのめされたさ。同じ気持ちを他に味あわせたくなかったんだ。アリス、お前にも」
 ショックだったろ?と相づちを求められるも応えずに、
「知る者はほとんどいないし、知ってはいても廃れた風習として片づけてしまうわね。強力な妖怪の集まる博麗神社を前に、確かめてみようという物好きも出てこない」
「霊夢は隠すつもりはなかったようだけど、話すつもりもなかった。だから、私と同じようにみんな知らないままだったんだ。例外は昔からの幻想郷を体験として持ってる奴だ。そしてその例外から見知った奴だ」
「紫とレミリア」
「ああ、あの腐れスキマ妖怪は代々の巫女に手を付けてやがった。今の巫女だって、博麗神社でとっくにヤられてるはずだ。幻想郷誕生以来、延々と自分でさらってきた少女とまぐわうなんざ、とんだ好き者だよ。で、類は友を呼ぶってな。そんな変態行為を、同レベルの変態が発見しちまった」
「あなたも発見した」
「……うん」
 含むところに気づいているのか、いないのか。どちらとも取れない返答をする魔理沙。
「出くわしちまったんだ、たまたま」


 ──陽の光も白くなった朝、寝間着姿の霊夢が縁側でお茶を飲んでいる。
 博麗神社を訪れた魔理沙が、その寝坊をからかう言葉を掛ける。
 その時、寝室の障子が開かれ、レミリアが現れる。
 ギョッとした魔理沙を一瞥すると、霊夢にキスをして、日傘を差して帰っていく……。


「何がショックって、霊夢の表情さ。まったくの平静なんだ。いつもの通りに『お茶、飲む?』なんて勧めてきて」
 魔理沙は右手を顔半分に当てた。脳から引き出す痛みに耐えているのだろう、錆びたノコギリのような記憶を。
「で、理解したんだ。これも博麗の巫女の通常業務なんだって。霊夢にとっても普通なんだって。私たちを殺そうとしたみたいに」
 異変のときの話を魔理沙は持ち出そうとしている。ここまで来て核心に触れずに流すつもりか。
 言葉を差す。
「あなたの話はしないの」
「えっ」
 間の抜けた声が上がる。やっぱり流すつもりだったか。
「霊夢を抱いたあなたの話よ。紫とレミリアの次に霊夢を抱いたあなたの」


 ──レミリアが立ち去った後、何かを言おうとして言えない魔理沙に、霊夢が何かを述べて立ち上がり、障子を開けて寝室へ入る。
 魔理沙は開いた黒い空間を見つめて、やがて、茫然とした表情のまま引かれるように寝室へ入った。
 障子が閉まると、衣擦れの音さえ外には漏れなかった。
 朝日は何事もないように境内を照らし、小鳥の声はいつも通りに散っていた……。


「違うんだ、アリス」
 間を置いてようやくそれだけ言った魔理沙の足が震えているのは、底冷えする寒さによるものではないだろう。
「事実と違うところがあるかしら」
 ぐっ、と詰まりながらも、私の顔に視線を巡らしている。
 怒りも悲しみも感じられない無表情のはずだ。実際に何の感情もない。
 魔理沙はそれを見て取り、修羅場の恐れが減じられたか、ぎこちなく言葉を紡いだ。
「霊夢と、そうしたのは、事実だ。でも、違う。勘違いしないでくれ、お前とのことはいい加減じゃない」
「ええ、わかってるわ」
 素っ気なく私が頷くと、魔理沙は顔の強張りをやや緩ませる。
「アリスのこと、逃げ道にしたわけじゃないんだ」
「そのときの私は逃げ道でも構わなかったわ。むしろ魔理沙が私を逃げ道に選んでくれて嬉しかった」
「隠していたのは悪かったが、浮気を隠蔽しようとかそういうのはないからな。告白を受けたとき、霊夢と関係することはもう止めていたんだ。霊夢とはもう……」
 緩んだ口からは先ほど中断された内容が再び紡がれていた。
「アリスと組んで永遠の夜の異変に挑んだとき、霊夢は私らを殺そうとしてただろ。冷徹に、蚊でも潰すくらいの認識で。異変の首謀者だって疑いが晴れるまで、まったく冷めた目で排除しに掛かってきたよな。それで次の日、何にもなかったようにお茶を飲むか聞いてくるんだぜ。何もかも役割なんだよ、霊夢にとっては」
 干からびた笑い。
「霊夢を憎んだこともあった。なんで紫もレミリアもそんな霊夢と寝られるんだって思ったことも。でも、私は何も変えることができずにただ離れるだけだった」
 不義理を塗りつぶす意図の有り無しはともかく、また核心から離れてしまっている。あるいは秘密は墓場まで持っていこうという腹か。
 お為ごかしだ。精算せずに逃げることは、本人以外の救いにはならない。本人にそのつもりがないなら、私が精算させる。
「あなたの話はしないの」
 先と同じ台詞に魔理沙の目が剥かれる。
「何だって?」
「私の次に、パチェやフランとも関係したでしょう」
 寒々とした風が二人の間を吹き抜けた。鈍い月光の下で魔理沙の口は半開きになったまま、今度こそ動こうとはしなかった。
「正確には、『私の次』でなくて『私と同時』かしらね。ほとんど間を置かなかったもの。そして、『関係した』でなく『関係を続けた』」
 自分だけのものと思い込んでいた秘密が暴露され、魔理沙は唇からも血の気を引かせていた。
「霊夢を憎んで、そして離れたと言ったわね。じゃあ、霊夢と関係を持ったときの心境は? そこ、わざと触れずにいたわね。あなたは理解しようとしたんでしょう、全てを受け入れる霊夢の価値観を。でも、理解できずに、霊夢と関係するのを止めた。お茶を飲むことと殺すことと性交することを同列に扱える彼女は、あまりに遠かった」
 けれど、と続ける。
「離れようとして、結局あなたは霊夢から離れられなかった。身体の関係はなくなっても、霊夢を理解したいという気持ちはなくならなかった。私とパチュリーとフランドールを抱いたのはそれが理由」
 ゴクリと喉が鳴り、
「私を……」
 ようやく魔理沙は言う。
「憎んでいるのか」
「そういう段階はもう越えてしまっているわ。第一、私個人については憎む権利なんてないもの。あなたが霊夢とどうなって、どういう気持ちでいたか、わかっていて告白したのよ、私は。もがいていたところに、都合のいい逃げ道として登場したのは納得ずく」
 魔理沙の中の私のイメージは崩れてしまっているだろう。これまでのことが全部偽りだったとされても不思議ない。
「けど、パチェやフランのことは」
「そう、胸をかきむしられたわ。下の肌ごと服の胸元を爪でズタズタにしたこともあったほどね。霊夢のことは割り切れても、私を愛した手で、愛をささやいた口で、他の相手となんて想像するのは、本当に」
 かきむしられたわ、と言ったときには魔理沙は目をそらしていた。この段階でなんて、つくづく。
「……やっぱり私を憎んでるんだな。当然だ」
「何度言わせるの。それに自分の愛する人が他の誰かとって場合、矛先を向けるのはどっちだと思う? あなたはレミリアや紫に対して、だったでしょう」
 無機物の右腕を掲げて、魔理沙の視線を引き戻した。
 魔理沙は意味を量りかねて眉をひそめつつ、底知れないものを感じて身じろぎする。
「フランは何もわからなくて色恋沙汰を『そういうもの』と誤認しているから、憎みようもなかったわ。でも、パチェはね、そうはいかなかった。あなたを愛してる分だけ、互いに憎んで、殺し合ったわ。この腕はその結果」
「実験の失敗じゃ、なかったのか……?」
「パチェの臓器の幾つかも元のものじゃなくなってる。自分だけの魔理沙が欲しくて、その障害が憎くて、私もパチェも障害の排除に血道を上げたわ。どちらも命があるなんて信じられないくらい」
 右腕を下ろす。
 魔理沙の息は荒くなっていて、この寒さの中で額がじっとりと汗ばんでいた。
「でも、その段階も越えたわ。同じ痛みで苦しむ者同士、わかりあえたの。あなたに抱かれた次の日に、身体のあちこちについたキスマークの数を確かめ合ったりもしたわね。全てを受け入れる霊夢を理解しようとして実践したあなたを、私たちも理解しようとして実践したのかもしれない。どちらも真似事に過ぎず、理解できるわけがなかったけど」
 魔理沙の膝が崩れ、雪の地面を打った。力が抜けたのかと思ったが、そのまま両手をついて「すま」と言いかけたところで、私は踏み出し、魔理沙の胸ぐらをつかんで引きずり上げた。
「あぐァ!? ア、アリス……!」
「ふざけないで。土下座なんかでちょっとでも贖罪したつもりになられるのは迷惑なのよ。あなたしか得をしない行為はやめて」
 感情的になるほどの感情はないはずだったが、病人の身体に障る乱暴をしてしまっているのが自分で不思議だった。
 右手を緩めて解放しても、魔理沙の顔は歪んだままだった。その顔から次第に力が抜け、か細く長い息が吐かれた。
「……そうか」
 沈んだ色の瞳で、力無く口角を上げる。
「そうだよな。私は報いを受けなきゃならないよな。一人秘密を抱えて死ぬなんて幸せな妄想を持っちゃいけないし、罪の意識は完全に抱えてなくちゃいけないや。そう、だから、全部露見してたのにピエロ演じてた無様な自分、それを認識して、罪の意識もまったく削らずに死んでかなきゃな。ああ、やっとわかったぜ──」
 首を周囲に巡らす。朧月の下、雪の上の木々の間には誰もおらず、何の音もしなかった。
「この場で終わらせるのが一番なんだ。目撃者もいないおあつらえ向きの場所だしな。どうしようもなくクズな人間一名、行方不明になったところで何の事件にもならないさ」
 黄色いマフラーを外し、魔理沙はあごを上げる。細い喉が無防備にさらされ、月光に青白く浮かんだ。
「やってくれ。その右手だったら折るどころかむしり取れる。そのために呼んだんだろう?」
 自分の死を前にして、魔理沙は疲れ切った顔に救いの色を帯びさせていた。そうして静かに目をつぶって、終わりの時を待った。
 穏やかな覚悟。全ての罪を背負う決意と、解放される安らぎとが表情にあった。その魔理沙に対し、私は手を持ち上げる。
 パンッ!
 音が夜気を裂いた。
 魔理沙は頬を抑えて茫然としている。私は左手を下ろした。
「どこまでも馬鹿なのね。どうしようもなく馬鹿」
 まったく他に評すべき言葉がない。
「あなたを殺して得になることでもあるの? 私にとっては手間が掛かるだけ損しかないわ」
「け、けど……」
 命を懸けた贖罪を斬り捨てられて、魔理沙は情けない狼狽で震えていた。斬り捨てられて当然なのに、目を反らし続けてきたから気づかない。
「あなたが死んだら、パチェとフランが最悪の形で死ぬわよ」
 息をのむ魔理沙。
「そうなることはちょっとでも考えればわかるでしょ。姉を失ったフランが正気を保てているのは、あなたがいるからよ。それだけ依存してるの。そのあなたまでいなくなったらもう正気を保てない。自分を破壊するでしょうし、ついでに辺り一帯も同じようにするでしょうね。パチェはそれを止めようとして、死ぬわ。止めることができないというだけじゃなくて、生きることを望まないから。あなたがいなくなるってそういうことなのよ」
 心のない人形の私は、一人きりの世界でも存在し続けられるだろう。しかし、心の中心的な柱を誰かに寄り掛からせた者は、寄り掛かる相手がいなくなれば倒壊する。魔理沙がそうであったように。
「霊夢は霊夢なりに最善を目指していたわ。そこがあなたと違うところ。博麗の巫女として生きてきた霊夢は、役割を終えた後、生きる指針がなかった。だから、レミリアに身を任せたの。それで彼女が幸せになれるならと」
 垂れるマフラーを握る魔理沙の手にわずかに力が入った。
「ええ、あなたは哀しんだし、怒ったわね。霊夢はあなたの想いを理解した。そしてレミリアが本当には幸せでないことも理解した。レミリアは、手に入れたのは霊夢でない霊夢だと感じる気持ちが大きくなっていって、そこから目を反らすためにあなたを煽って利用しもしたけど、結局それは無理を塗り重ねている証明でしかなかった」
 マフラーは雪の地面に垂れたまま、動かない。
「だから霊夢は自殺を選んだ。吸血鬼としての生を拒否することで魔理沙の想いに応え、レミリアと共に死ぬことでレミリアの想いに応えた。日光の中へ飛んで、振りかえり、さらに飛んだ霊夢を、レミリアは追った。笑顔だったそうよ、レミリアは」
 事実を伝え終えて、私は魔理沙の顔をじっと見る。魔理沙の目がぎこちなく横に動き、震える唇から言葉が漏れた。
「霊夢が私を……? レミリアまで……。私は、全部、みんなを……」
 独り相撲、終わり、などのつながらない言葉がかすれる声の中から聞き取れる。思考と感情の混乱がそのまま外にこぼれていた。
 しかし、それが落ち着いてまとまるのを待つつもりは毛頭なかった。時間は限られていて、結論は一つしかない。
「あなたは霊夢の後を追えないわよ。咲夜が自分にとっての唯一の主を失ったからと紅魔館を去ったようなことは、あなたにはできないの。あなたに死ぬ権利はないわ」
「わ、私は、でも、死ぬしか」
「そう思い込もうとしているだけよ。生き続ける方法なんていくらでもあるわ。パチェはその準備をしてた。たった一歩を踏み出せばいい」
 魔理沙の時間が止まった。全部が硬直して動かなくなる。
 それから唇が震えながら開いていく。それでも何の言葉も発せられなかった。死にかけの魚のように脆弱な開閉を繰り返す。
「パチェの方法が嫌なら私が用意した方法でもいいわ。私の身体、実は右腕だけじゃなく他のところも人工物なのよ、全体の半分くらいね。それほど損傷を受けたし、殺しきれる力も欲しかった。まあ、残り半分へ手をつける前に和解したけど」
 雪を踏む音。魔理沙が後ずさった音。無意味。逃げることはできず、離した距離以上に私は踏み込みゆく。
「あなたの肉体に対するキノコの親和性が死に瀕する原因でしょ。なら、今の肉体を丸ごと別物に変えてしまえばいいわけ。単純な話よ。人間をやめればいいの」
 魔理沙は身体をふらつかせながら喉元に手を当て、首を振る。何物も見出せない行動だ。
「人間をやめて。これはお願いでなく宣告。選択でなく義務。レミリアから霊夢を取り戻すためにあなたが人生を懸けて、それでも捨てられなかったもの。強く持ち続けたもの。最後の誇り。『人間の魔理沙』。それを捨てて」
 喉元の手が口に上る。もう片方の手は腹部へ。身をよじる。現実にあぶられて。
「あなたは個人的なことで人の人生を狂わせた。全てを捨てて償う責任があるわ。霊夢とは違って、死んで何の解決も果たせない。だから、霊夢とは違って、あなたはあなたの意志で人間をやめるべきなのよ」
 魔理沙が身体を折り、吐いた。食の細さを示すように黄色い胃液しか見えない。それでも吐いた。暗闇の入り口を前にして、吐いた。
 人生そのものと言える誇りを捨て、今までと比較にならない年月を生きるというのは、魔理紗にとって地獄そのものだろう。
「その地獄にしかあなたの居場所はない。パチェとフランのために生きてもらう。あなたの唯一の存在意義よ」
 魔理沙は嘔吐した地面に両手をつき、うめくような、うなるような声を絞り出す。雪に大粒の滴が落ちた。
「私のことは構わなくていいわ。むしろ恨んでもらっていい。あなた自身の次くらいには」
 私はあの魔理沙に告白すべきではなかった。あの時の魔理沙を否定していれば、魔理沙が罪を背負うのは止められた。パチェは可能性の話だと言ってくれたけれど、地獄に落ちる理由には可能性であれ十分だ。
 知っていて利用されるふりで利用し、その結果の罪と罰を宣告する。魔理沙に匹敵する恥知らずな罪人だ。死ぬまで汚泥にまみれるにふさわしい。
 魔理沙は泣いていた。泣く権利もないのに泣いていた。嗚咽し、垂れ流す涙と鼻水と唾液で雪面を汚していた。
 私はただ、ただ、それを見下ろしていた。無表情に見下ろしていた。私にも権利はなかった。
 いつ明けるとも知れない夜の森に、むせぶ声が流れる。





 少しの遅刻もなく、魔理沙は紅魔館に現れた。
 人形一体を見張りにつけておいたが、自宅からここまでふらつきながらも真っ直ぐに向かってきていて、逃げる気配は見受けられなかった。
 玉座の間は、外の晴れた朝が嘘かのように、暗い。壁に並んだ明かりは高い天井には届かず、赤い絨毯と私たち四人をどうにか浮かび上がらせていた。
 玉座を背に立つフランドールを前に、魔理沙は憔悴しきった様子でいた。身体はふらつき、手は力無く垂れ、足取りは引きずり気味だ。
 病症の進行、さらに泣き続けた疲労も重なっていれば当然ではある。それでも顔をうつむけてはいないのは、諦めに似た覚悟がついたということの現れか。
 魔理沙の横に立つ私だったが、向かいにいるパチュリーが青色を連想する目つきでいることに気づいた。はっきりとした感情は読み取れず、青としか表現できない。
 レミリアの死以降、パチェは床に伏せがちだった。その疲れからくるものかと思ったが、どうも違う。
 外側のもの、相手に向けられたものだ。青色の意味するところは、多分、憂い。
 魔理沙に対して案じているのか。
 大丈夫だ。それは私が責任を持つ。間違いなく人間を捨てさせるし、以後もずっとここに存在させ続ける。
 が、魔理沙が一歩、二歩と前に出ても、彼女の青い視線の向きは動かない。魔理沙でなく、なぜか私の方を向いているように思えた。
 気のせいか確かめる間もなく、
「じゃあ、魔理沙」
 いつになく明るいフランが、無邪気な様子で聞いた。
「今からやるけど、何か言うことある?」
 彼女に他意はない。魔理沙が自分と同じ種族になってくれることが単純に嬉しいのだ。痛みなく手早く済ませるなどの要望を尋ねただけだろう。
 しかし、受け取りようによっては重い一言だ。そして魔理沙がその受け取り方をしないはずがない。人間として最期に遺す言葉を尋ねられている、と。
 私やパチェが提示した道ではなく、吸血鬼になることを魔理沙が選んだ理由はわからない。霊夢と同じだからなのかと推測できるだけだ。 
 吸血鬼と化したところで人格が一変してしまうと決まっているものではない。一方で、人の身を捨てたという認識は、本人の価値観に著しい影響を与えることはありえた。
 それでも魔理沙はこの場において何も言わないだろう。首を横に振って返答とするくらいだろう。
 弱音を吐くような覚悟でこの場に立てるはずがない。あの夜、念入りに引導を渡しておいたのだ。そんなことは私が許さない。
「そうだな……」
 だが、魔理沙の後ろ姿から声が生じていた。言葉は紡がれ続ける。
「私は弱かった……だから、流れ星みたいに、燃え尽きるまで駆けていきたかった」
 弱音とは違う感じを受けた。ところどころかすれる声でも、語調に芯が通っている。恐らくは恨み言か、特に私に向けられた。
 弱くても理想を追いかけることはできる。そうして一瞬の生を輝かせることができるのが人間だ。私はその輝きを捨てさせた。奇麗に死ぬより、苦しみもがいて生きることを強制した。
 あの後、魔理沙は私に対して、何一つ言い返さなかった。
 私自身に対してのもののみ、どのような罵詈雑言も聞こう。私は始めから、魔理沙が生き地獄にいる間、ずっとそれを受け止めると決めている。何百年、何千年と、人形となってたたずもう。悲しむつもりはない。そんな権利などない。贖罪としてはあまりにも軽すぎる。
「私は、弱い。でも、それを言い訳にしちゃいけなかったんだな」
 ……恨み言の台詞としても変だった。何を言い出そうというのか、戸惑いが起こる。
「なりふり構わず生きてきた。他人の迷惑も顧みずな。弱い自分にはそれが精一杯だと片付けてきた」
 それこそが魔理沙の魅力だろう。しかし、私は罪と断じた。
「弱い私でもできることはあったんだな。誰かのために──そういう生き方もできるんだ」
 強いたのは私だ。強引に選ばせたのだ。回りくどくなく、直接に感情をぶつければいい。
「気づかされてからも悩んだが……ずいぶんと悩んだが……求められたから、必要とされたから、ここに来ることができた」
 魔理沙は振り向いて、私の方を見た。
 私の思考は、瞬間、止まる。
 私は無意識に魔理沙から目をそらしていたのだ。
 それが今わかった。
 魔理沙の表情に今気付いた。
 目は紅く腫れ、白くかさついた肌には生気はなく、服はみすぼらしく薄汚れている。
 けれど、その瞳には、これまでないものがあった。
「背負った十字架に支えられて、贖罪の道を行けるよ。本当に、みんな──そして、アリス──」
 はかなくも透明に光っていた。濁るものの一切ない、あのとき見た露の光だ。
「ありがとう」
 その笑顔を見て、私は、



私は泣くことができた。
らいじう
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コメント



0.220簡易評価
1.30名前が無い程度の能力削除
下世話な話がだらだらと続くような作品でした。
5.50名前が無い程度の能力削除
味あわせ→味わわせ
目を反らす→そらす、逸らす
シリーズ?に目を通していないので物語には浸れなかった
作中の年月や対人関係の理解は出来るけど、楽しめたかというとうーんでした
6.80名前が無い程度の能力削除
僕は楽しめました
7.30名前が無い程度の能力削除
物語自体は十分に見せ場あると思うんだけど
ひたすら対話で重要な展開が語られるばっかりだと、筋は理解できても感情がついていかなくて置いてきぼりになって残念な感じになっちゃってるん
10.無評価名前が無い程度の能力削除
というか、ナンバリングなりシリーズ名をつけるなりしてください。
11.100名前が無い程度の能力削除
感激しました。非常に良かったです。