Coolier - 新生・東方創想話

リバースエンド

2016/09/16 15:57:40
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 ある天邪鬼の少女がいる。その姿はあまりにも奇抜である。特にその頭はよく目立ち、黒い毛髪の合間毎に白妙の毛筋が見え隠れし、前髪には鮮やかな朱色の髪が一筋入っていた。そんな色調の中に生えた小さく白い角が、彼女のアイデンティティである。それこそが、彼女の妖怪たる所以であり、力なき者の象徴であった。

当然だが、人が集まる里に妖怪がおいそれと顔を出して良いものではない。だがこれは妖怪が里人を恐れたわけではない。里人は非力だが、人里を少し離れたところには妖怪退治を生業とする巫女が住んでおり、弱小な妖怪たちは皆この人を恐れて里に入り込もうとは思わなかった。
「私、人里に行くわ」
里の近くにある鬱蒼とした森の中、集う妖怪たちの中で天邪鬼はそう宣言した。
「馬鹿ね。貴女如きが里に入って生きて帰れるとでも思うの?」
ある妖怪の一言をきっかけに、他の妖怪たちが口々に彼女を罵倒した。
「でも、私にはここに身寄りがない。里でうまいこと生きて、いつかは人間どもを利用してやるのさ」
弱小妖怪風情がと言わんばかりに、罵詈雑言が飛び交う。だがしかして、これらの妖怪たちは彼女を養うつもりなど毛頭ない。この有象無象どもめと小さな声で独りごちると、天邪鬼はその場を後にし、里に出る準備をした。小さい角は、それでも人間でないと分かるのに十分なそれは、厚めに包帯を巻いて留めて隠し、服装は茶色の地味で解れた小袖を着けた。

もう桜の季節は過ぎ去り初夏を迎え、新緑が生え、木々は風に靡く度にその力強さを感じさせる頃だった。里の外れを、荷台を引いて歩く青年がいた。時刻は正午を過ぎた辺りだが、森の中では日の光は届かない。暗い森を抜けて開けた草原に差し掛かろうかという矢先に、随分とみすぼらしい少女の姿があった。白黒の髪に包帯が巻かれた頭はとても派手で、ところどころ解れたところのある貧相な服とのミスマッチさが青年の興味を誘った。
「お前さん、その頭はどうしたんだ?怪我でもしたのか?」
「森で妖怪に襲われてしまって……申し訳ないが、里まで運んでくれないか?もう歩くことも出来はせん」
青年は悩んだが、少女のあまりの押しの強さに気圧されて承諾した。少女は返事を聞くとすっくと立ち上がって、さも当然のように荷台に転がった。青年は奇妙な女に捕まってしまったと思いながらも荷台を引いて里を目指した。
 里に着くと少女は荷台から上半身を乗り出して青年の肩を掴んで問う。
「お前の家は何処だ?」
「お前、まさか俺の家にまで付いてくるつもりなのか?流石にそれは……」
「まさか、こんな傷だらけの少女を捨て置くつもりだったのか?」
青年は少し前の自分を殴りたい気持ちでいっぱいになった。青年の住む里は決して裕福ではないにしろ、皆家を持ち、生活にはそれほど不自由していなかった。だからこそ、この少女のように何とかして里に入り込もうと考える者は少なからず居る。青年はこれからのことを思って頭を抱えていたが、少女はそんな状況を知ってか知らずか、したり顔で返事を待っている。
「お前はよそ者だ、頭を低くして生きろよ。お前の傷が治ったら追い出すし、問題があればすぐにでもそうしてやる」
「そうと決まれば話は早い。私は家と飯が欲しかっただけだからな」
さらに可愛げもないとくれば、いよいよ青年は萎えた気持ちで家に向かった。
 少女を家に上げると、青年は訝しげに警告した。
「家にあるものに不用意に触れるなよ。それと、外に出てはダメだ。変なのに見つかると俺もお前も得しないからな」
「わかった。その約束は守ろう」
早速部屋の中を物色する少女に不安を抱きながらも青年は仕事に戻ると告げて家を出た。青年の家は大きいわけではなく、一人で住むのに十分と言える程度の広さだった。たった一間の部屋の中央には食卓があるが他に特筆するものもなく、あまりにも殺風景だった。

 ――かかったな、人間め
天邪鬼は部屋を一通り眺めてから、とりあえず自分がやるべきことを整理した。
――あの男の言う通り、下手に動けば巫女に始末されかねない。ここはあいつの機嫌をとって信頼を得て時期を見計ろう
だが、どうにも天邪鬼には人間の喜ぶことが思い浮かばなかった。生まれからして『天邪鬼』なのだから、当然のことである。人間が嫌がることこそすれ、喜ぶことなど生を受けてから一度たりともしたことはない。
――喜ぶことねえ……私が喜ぶことは相手の嫌がることだから、私が嫌がることを相手にすればいいのか? いやそれは違うか
葛藤のあまり文字通り頭を抱えて畳の上で転げまわっているうちに、溜め込んだ疲れは少女の意識を奪った。胎児のように縮こまって眠る姿には、何処にでもいる女の子と何一つ変わらないあどけなさがあった。

 少女が目を覚ますと、美味しそうな香りが部屋に漂っていた。目を擦ってぼやけた視界を正すと、目の前には座布団があった。青年の声が聞こえる。
「ほら、飯だ。早く食べないと冷めるぞ」
食卓には三品ほどの料理が並んでいた。少女ははっきりしない意識のまま座布団の上に正座して箸を手に取り、焼き魚を眺めた。箸を持つのは何時ぶりだろうか。少女はただ黙々と食べ続け、数分としない内に全て平らげた。
 ――これだ。これしかない!
少女は思った。この青年の気持ちを掴むためにはこれしかないと。
「おい、もう寝るぞ。明日も早いからな。お前は押入れで寝ていろ」
青年は押入れから布団を取り出し、寝支度を始めた。押入れには薄い布を敷いて、そこで少女は横になった。昼間の睡眠は夜の睡魔を退け、少女の目は開かれたまま、翌朝のことに考えを巡らせた。

 青年の朝は早かった。まず窓を開けて時刻を確認してから朝食の支度をするのが常だった。だが、今日はそうはいかない。
「お前、いったい何している」
「何って……料理だけど」
少女は台所に立ち、お皿に置かれた黒い何かを眺めていた。青年は少女を家に入れた事実を回想してから状況を整理した。
「しかし、料理も出来ない娘を拾ってしまうとは俺も運がない」
「うるさいなぁ。腹に入れてしまえば何も変わるまい」
少女は少女で困惑していた。腹を満たす行為が嫌いな奴なぞいないと考えていたが、何もまずいものを食べたいと思う奴もいない。火を使うことはわかっていたものの、火の取り扱いがわからない少女には難しい料理だった。少女が作ろうとしたのは玉子焼きである。
「まあ、朝は時間がない。とりあえずもらうぞ」
黒いそれを口に放って青年はそのまま家を出た。普段はもう少し食事に時間をかけるが、これから少女の面倒を見るほどの時間はない。
「馬鹿に……」
少女は言いかけた言葉を飲み込んだ。普段から少女が悪態をつくのは、人間に嫌がらせをするために行っていることで、殆ど癖のようなものだった。今、自分は青年を不快にさせても何も得がないと言い聞かせて自重した。
――馬鹿にしやがって。今に見ていろ、料理なんてすぐにこなしてやる。腹を満たせば誰でも満足するのだけは確かだからな
こうして、少女の家事奮闘記が始まった。

 次の朝、少女が用意したのはサラダだった。手でちぎったレタスの上に細かくしたヤツメウナギと適当に切られたきゅうりが乗っかったものである。
「サラダか、確かに失敗はしないし良い選択だ。だがな、まず魚には火を通せ。いや、ヤツメウナギはそもそも魚ではないか」
――軟弱者が、偉そうに。だが文句を垂れても仕方ない。次だ

 そして翌朝、少女が用意したのは冷奴である。今回、少女は失敗しない自信があった。豆腐はきちんと一口大ほどのサイズに切り分けて、長ネギも添えられていた。
「買ってきた豆腐を切っただけでドヤ顔されても困るんだが……。あと、長ネギは齧るものじゃないから、輪切りにしてくれ」
――話で聞く限りではこれで良いはずなのに、この男ときたら注文が多いことこの上ない

 更に次の朝は長芋を使ったキムチの炒め物。細切りにした長芋に火を通して、そこにざく切りにした白菜とキムチを加えて炒めたものだが、白菜はこの時期手に入らないのでレタスで代用されていた。
「いや、悪くない。悪くないが、長芋にはもっと火を入れろ。焦がすのはダメだが、焦げ目をつけると美味しくなることもあるぞ」
言われたことに少女が難しい顔で料理を見つめているのを見て、青年は少女が試行錯誤して料理していることを察した。この少女が自分の思っているほど悪い存在には見えなくなってきた青年は、少女に助け舟を出してやろうと考えた。
「今晩、火の使い方を教えてやろう。少しはマシになるだろ。それと、そろそろこの辺での生活にも慣れただろう。食材は自分で買いに行っていいぞ、少しだが金を出してやる」
少女は青年に目を向けるや否や、すぐに顔を背けて頷いた。その小さな後ろ姿が、青年には少しばかり魅力的に映った。

 来る日も来る日も少女は料理を続けた。火の使い方も大分手馴れてきて、大抵の料理はレシピがあれば作れるようになった。青年がいない間は時間が有り余っているために人間の生活や習慣、近所の事情など様々なことを学び、里の社会に溶け込めるように努めた。買い物のために里の商店群に繰り出すと、時折人間ではない存在も見受けられた。相手も少女が同類だと分かると、目を伏せ顔を逸らしてさっさと離れていった。
 ある日、青年が木賊色の生地を持ち帰ったことがあった。決して高価なものではないが、少女のボロ雑巾のようなみすぼらしい服を哀れんでのことで、少女はこれを大いに喜んだ。家事はある程度こなすようにはなっていたが裁縫は不慣れであったために青年と共に苦戦しつつもなんとか仕立て上げた。新たな着物で着飾った少女を見て、青年が一言
「似合っているよ」
なんて言えば、少女もすっかり黙り込んでしまった。この日は寝るまで言葉を交わすことさえなかった。
 そして次の日、青年が仕事を終えて家に着くと、山椒の香りが漂ってきた。部屋に入ると、少女は何やら真剣な眼差しで火とにらめっこしていた。
「ちょっと待て。もうすぐ終わるから」
そう言われたので青年は一旦厠へ向かった。厠は部屋の中にはないため、外にある共用のものを利用していた。青年が戻ってくると、食卓にはうなぎの蒲焼と山盛りのご飯が二人分並べられていた。
「お前、お米を炊く方法は教えた記憶がないが……」
「毎晩お前が米を炊いているのに、覚えないわけがないだろう」
「それに、うなぎなんてそんな高いものを買えるほどの金は与えてない」
「なんでもいいだろう。嫌なら食わなければいい」
青年は、この娘がそんなに献身的とは思わなかったが、生きるのに必死なこの娘にとってはこういったことも重要なのだろうと納得した。青年は気がつかない内に台所には調味料などが少しずつ増え、少女の着物が部屋に彩りを加え、食卓には向かい合わせの二人が居た。もう誰が見ても殺風景とは言えないこの部屋の中には、二人がいた。

 セミの声があらゆるものに染み渡る頃には、色んなものが盛んになる。例えば縁日や花火だ。最早いつも通りとなった二人の夕食の途中、青年が口を開いた。
「明日の夜、縁日に出て花火を見ないか」
青年の誘いを断る理由もないなんて思う少女は、多少の胸の高鳴りを抑えて水浴びのために外に出た。無論、包帯を取れない以上は里の浴場を利用することや近場の井戸水を借りるなんてことは出来ない。結果として、少々遠いが自分が元々住み着いていた森の中にある沢に、小規模ながら滝壺があり、わざわざそこまで歩かなければならなかった。時間こそあったので数日に一度ほど昼間に済ませていたが、青年が突然言い出したことなので、慌てて水浴びに向かった次第だ。青年は夜間だからと心配していたが少女がどうしてもと言えばそれ以上は食って掛からずに送り出した。
 沢は人間の手も殆ど入っておらず、水は澄んでいた。滝壺も小規模とはいえ高さは辺りに生えた木々と変わらず、見上げるほどの滝は森の中に荘厳さを与えている。少女は服を脱いで丁寧に畳んで近くの岩にそっと置いた。包帯をするすると解いて纏めると、そこにはやはり妖怪の姿があった。水浴びをしていると、どこに潜んでいたのか、ぞろぞろと物の怪たちが湧いて出てきた。
「久しいな、天邪鬼。人間の里はどうだ」
「お前たちとひもじい生活を共にするよりかは幾分かマシに暮らしているよ」
挑発するような少女の一言に、周りの妖怪たちは口々に言いたいことを言う。誰が何を言っているのかなど聞き分けられないし、少女はその必要も感じていなかった。
「まあそう言うなよ。お前にいい情報を持ってきたんだ」
「人里の情報なら、お前らより私の方が詳しいと思うが」
ある妖怪の一言で、がやがやと五月蝿い森の中が水を打ったように静まり返った。
「明日の夜、巫女が人里に現れるらしい。お前も気をつけろ」
「忠告は受け取る。だが安心しろ。ヘマをするつもりはない」
言うが早いか、少女はさっさと着替えを済ませてその場を後にした。

 鈴虫の音色が響く平原を、帰るべき家へ向かって少女は一人で歩き続ける。吹く風は熱帯夜の熱を払うように心地よく流れ、草木が靡けば大自然の音が鳴った。何もかもが美しく映る光景の中で、少女だけは嫌な予感を胸に募らせていた。
「待たれよ」
歩く少女の後ろから声がする。少女は振り向かず下を向いて足早に前を歩いたが、今度は前から声がする。
「話を聞かないなら、ここで殺されるのが良いか」
観念して顔を上げると、少女の目の前には女が立っていた。服装は特徴的で、白袴の上から何やら紋様の描かれた青い布が垂れ下がり、鮮黄色の髪に頭の突起を覆うように白い帽子を被っている。これだけでも奇妙だが、何よりもその背中に九つの金色の尾を生やしていることが、明らかに人外であることを示していた。
「今日は私に用がある奴の多いこと。何の用よ」
「我が主から警告だ。心して聞くが良い」
少女は返事こそ威勢がいいものの、足はすくんで動かない。まるで蛇に睨まれた蛙だった。
「この世界でのルールだ。妖怪は人間と相容れてはならぬ。我々が最も恐れることの一つは、人間が妖怪を恐れなくなることだ。これ以上あの男に近づくな」
少女の表情は強ばったままだが、この妖狐の言われるままにすることだけは嫌だった。
「お前の言う通りになぞするものか。あの男は私のものだ、とやかく言われる筋合いはない」
「殺さないだけでも、我が主の温情だと言うのに……」
妖狐は一つため息をつくと、おもむろに少女の眼前まで歩いてきたかと思うと、目にも止まらぬ速さで少女の鳩尾を突いた。何が起こっているのか分からず少女は目を白黒させて嘔吐いた。横隔膜が正常に機能しなくなったような感覚、呼吸のリズムがうまくとれない。情けない、空気が抜けるような呼吸音を出しながらも、少女は地に膝をつきたくない一心で堪え、下唇を噛んで妖狐を見上げた。
「明日が最後だ。二度はない。その人間を大事に思えばこそ、賢い判断をせよ」
 威圧的な気配が消え、辺りには静寂が戻った。妖狐は跡形もなく消え去り、先程までの会話全てが少女の幻想のようにさえ思えた。呼吸を整えてから全身を見回して、どこも汚れていないことを確認すると、少女おぼつかない足取りで再び帰路についた。
 帰るのがかなり遅れたこともあってか、家について青年を一瞥するとよく眠っていたので、なるべく音を立てずに押入れに入り込み、横になった。少女は、自分が何をすべきか悩んだ。自分はどういう立場でいたいのかを考えた。自分の行動が青年を危険に晒すこともあると考えると、思考が全くまとまらなくなって堂々巡りだった。意味のない逡巡の果てに、少女の瞼は閉じた。

 起きればその日はやってくる。朝食を終え、青年は家を出た。少女は普段通りに家事をこなし、それらが全て終わると部屋の真ん中で大の字になった。
――もしかしたら、今日、全てが終わるのか
まとまらない思考が今でも頭にまとわりつく。成るように成ると思っていても、心に安寧は訪れない。思考が悪い方へとはまっていくと心臓の音が五月蝿く頭の中に響く。何をしようにも堪えられない。
――いっそ、二人でこの里を出れば……
そう思った瞬間に、少女は自身への嫌悪感に身を裂かれる思いに駆られた。そもそも自分が妖怪だからこうなったのだと今更ながらに自覚する。
――そもそも、彼が私を、妖怪である私を受け入れてくれる保証なんて……
 すると、突然扉が開かれた。少女は一瞬身構えて起き上がったが、青年を見ると目を伏せた。青年は息を切らしながら部屋に入ってきて一言告げた。
「今日の仕事は終わりだ。祭りが始まるまで、外でも歩かないか」
青年を見上げた少女の表情は次第に柔和になり、少し笑った。
「いいよ、どこに行こうか」
少女はそう言うと、深緑の決して派手ではない着物で着飾った。

 祭りまでの間、少女は笑みを絶やさなかった。青年との関係が、このまま続けばいいとさえ思えるほどに。自分が何をするために里で来て、何を求めて生きていたのかをすっかり忘れてしまうほど、この生活は甘美なものだった。繋いだ手を離さずにいれば、何もかもがうまくいってしまうような気がした。

 里中が賑わいを見せ、あちこちで出店を構える中、二人はただただ歩いていた。人が増えれば何かと紛れ込むもので、時折人間とは思えない気配の持ち主も通りすがった。勿論青年は気がつかないが、少女にだけは感じられた。少女は思った。
――これだけ妖怪やら何やらが堂々と闊歩していて、どうして私が認められないんだ
「何か食べるか?色々あるけど」
「え、あ、いや、私はいらない。よくわかんないし」
「それなら、何か買ってこよう。この道を抜けた先に神社があるから、そこにいて」
「わかった」

少女は人ごみを縫って歩いた。屋台の通りを抜けて少し歩いた先に、寂れた鳥居が見つかった。もう手入れする者もいない神社のようだった。参道の階段に腰掛け一息つくと、何かを忘れているような気がした。ぼんやりとした不安が立ち込める。風が止み、鳴くセミは何処かへ飛び立ち、祭りの騒ぎも掻き消えた。途端に背筋が凍り、そもそも自分が今どんなところにいるのかを思い返す。即座に立ち上がって振り向くと、女が立っていた。階段の先には、赤と白の装束を纏い、幣を片手に自分を見下ろす巫女がいた。
「貴女、人間の生活に慣れすぎね。それとも、夜は妖怪の楽園だとでも思ったの?」
これまで出会ってきたどんな妖怪よりも、つい昨日の妖狐よりも、何よりも化け物じみた気配が、そこにはあった。気圧されるだけで後ろに倒れてしまいそうなほどの存在感で、少女に詰め寄る。巫女は階段を一歩降りた。
「もう警告は聞いたでしょ。早くここから立ち去りなさい」
その発言には、奇妙な違和感があった。少なくとも、少女には明らかに理解しがたい発言に思えた。少女は巫女に問いかける。
「何故人間であるお前が妖怪の情報を知っている?」
「当然でしょう。貴女が見た狐の妖怪の主は、この世界の管理者の一人よ。そして私はその秩序を守るための人間。繋がっていて何ら不思議はないわ」
――妖怪が人間と繋がっている……?
少女は、妖怪が人間を襲えば巫女に退治されるのは理だと思っていた。そう思っていたから、これまで暗い森の中で飢えに苦しんだ。そう思っていたからこそ、少女は青年に正体を隠して生活していた。それがどれだけ心苦しいことであろうとも。
――もし、それが自分たち弱小妖怪だけの理で、強い妖怪たちは巫女と癒着して自分たちの地位や生活を安泰にしているとしたら……
「じゃあ私たちのような妖怪は、お前らのように上に立つ者の勝手で、こんな生活を強いられているとでも言うのか!」
少女は無意識に声を荒げていた。自分が何を思って人里にやってきて、何をしようとしていたのかをはっきりと思い出した。自分のような弱い妖怪が人間に取り入って生活していることを思い出した。巫女は答える。
「あんたらが弱いのが悪いのよ。妖怪としての矜持があるなら、妖怪として生きて私に歯向かえばいい。事実、強い妖怪はこの世界に異変をもたらすこともあるわ。それを解決するのが私の役目だから」
巫女は表情一つ変えたりはしない。ただ冷酷に見下ろし、階段を一歩ずつ下っていく。
「貴女は弱いから、私に反抗すればどうなるかは分かるでしょ? 二度と人里に近づかないことね」
巫女はそのまま少女を横切り、里の方へと歩いて行った。横切る瞬間の畏怖を、少女は決して忘れないと誓った。少女は、退治すべき存在とさえ見られない己に辟易した。目の前に反逆すべき敵がいて、何も出来ない自分の惨めさに切歯扼腕した。

 数刻としない内に、青年は駆けてきた。両手に色とりどりの食べ物を持って、何も知らずに笑いかけてきた。少女の表情が暗く沈んでいるのを見て、青年は戸惑った。
「ごめん、かなり待たせちゃったかな」
問いかけても答えない少女に、青年は不安を募らせる。少女は顔を上げて青年に手を差し出した。青年は面食らった様子で、とりあえずとばかりに綿あめを差し出した。少女が無言で綿あめを食べだしたので、隣に座って自分は手にあったりんご飴を齧った。青年は少女の尋常じゃない様子にうろたえていたが、生い立ちさえ知らない相手においそれと質問し続けるのも野暮と思って黙っていた。綿あめを食べ終えた少女は、ついに口を開いた。

 私はついに意を決した。もう私は、後には引けない。
「私は、本当はお前のことが嫌いだ」
彼の表情はどうなっているのか、横にいる私には見えない。
「お前の飯はいつも美味しくなかったし、何をやっても鈍臭いお前なんて嫌いだ」
私の口からは何から何まで優しくない言葉しか吐かない。彼と出会った頃は困ったものだが、今はそれがありがたい。
「おまけに、この着物はなんだ。こんな緑色の気味の悪い生地を女に渡すなんて、どうかしている」
私は立ち上がって男の前に出た。私にはこの男の最後の表情を見る義務があると思った。彼は目を赤くし、放心した様子で私の瞳を見つめていた。見下ろす私が直視出来ないほどに辛く、悲しい表情だった。だが、彼をこうさせたのは私自身だ。
 私は包帯の結び目を解くと、音もなく包帯は地に落ちた。
「私は妖怪だ。お前のような下等な人間風情とは違う。人間は愚かで、弱くて、騙されやすいから、こういう目に遭うんだ」
彼はなお一層ショックを受けたように顔を歪めた。怯えているのか、ただ悲しいのかは私にはわからない。私は彼に背を向けた。これ以上は、私が堪えられそうにない。
「きっと、二度と顔を合わせることもないだろう」
私の足は自然と動き出す。一刻も早くその場から消えたいのは私も同じだ。
「最後に言わせてくれ」
背後から彼の声がする。私の足は情けないことに止まってしまった。これでは天邪鬼が聞いて呆れる。彼は告げた。
「お前の飯は、美味しかったぞ」
彼がどんな表情をしていたのか、私は知らない。振り向きたくても、振り向くことは許されない。これは私の罪であり、被るべき罰だ。今更後戻りが許されたりはしない。私は彼の全てを裏切った。ひっくり返したんだ、二人の関係の全てを。

 妖怪は全てを断ち切って、あらゆる手段を用いて幻想郷に復讐する計画を企てた。もはや彼女は何を裏切ることも厭わない。命ある限り、その全てを尽くして、この世界のイデオロギーを転覆させ、ヒエラルキーを崩壊させ、上も下もない世界を目指す。鬼人正邪は、生まれ持ってのアマノジャクだ。
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コメント



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1.100名前が無い程度の能力削除
。・゜・(ノД`)・゜・。
3.100絶望を司る程度の能力削除
良かったです。正邪の無念さよ……。
4.70SPII削除
途中まではすごいいい流れでwktkしました
それだけに終盤がちょっと強引なのが勿体無い感じがががががが
もう一声スパイスが欲しかった感
5.90Q-neng削除
人と触れ合う中で鬼人正邪が自覚し、芽生えた感情を抱く弱者が強者と立ち合い、そして捨てられ切れない想いを残して去っていく。王道な悲恋ストーリーでジーンときました( ;∀;)
6.80名前が無い程度の能力削除
変な言い方ですが、誰でも好きな展開に溢れているので、作者さんの思った通りに、僕は「これはいいなあ」と思いました。オチにも納得
7.80名前が無い程度の能力削除
面白かった。欲をいえばもう少し長さが欲しかったです。
10.80奇声を発する程度の能力削除
良かったです
21.無評価名前を失くした程度の能力削除
お前の小説は、面白かったぞ(すみませんでした)
面白かったです!