Coolier - 新生・東方創想話

迷子が見たマリンスノー

2016/07/23 00:08:55
最終更新
サイズ
25.59KB
ページ数
1
閲覧数
609
評価数
2/8
POINT
470
Rate
11.00

分類タグ

 雪が降り積もるのを見た。
 うだるように暑い、夏の日のことだった。



 さーっ、と。
 低く這う風が、波のように吹き抜けた。

「また今日も、迷子が一人」

 どこともなく投げやりに呟いたのは、煤塗れでよれよれのカッターシャツを着た、手入れの足りない乱暴な身なりの少女、藤原妹紅。厭世家を気取っている風でいて、妙に達観的でもある。腰の位置よりも下まで伸びた髪は、燃え尽きた灰のような白。紅蓮の瞳は燠火を思わせて紅い。

 進んでも進んでも似たような景色が続く竹林には目印になりそうな物は見当たらず、果てのない広がりは、茫漠とした砂漠か、茫洋の大海原を思わせる。かと言って見晴らしが良いわけもなく、むしろ見通しは最悪で、さながら壁に囲まれた巨大迷路の造り。複雑に傾斜した地面に平衡感覚を狂わされ、真っ直ぐ歩いているつもりがいつの間にか元の位置に戻って来ていると、それくらいは当たり前。天気によっては深い霧が立ち込めて、視界は白く閉ざされる。
 あらゆる要素が、迷わせるためのもの。この鬱蒼とした竹林が、迷いの竹林と呼ばれる由縁だろう。妹紅に言わせれば、迷いの“まじない”が掛かっているとしか思えなかった。
 竹林には妖怪と化した獣が棲み着いている。かさかさと揺れる繁みの中の、黒く塗り込めたような影の奥には、大抵、獣の唸り声と息遣いがあった。
 幾多もの死で満たされた土。無限の生に穢れた森。悍ましい四足の声──
 と、評する者もいようか。言わずとも分かろう。危険な場所だ。人間が来るような場所ではない。
 にも、関わらず。
 迷いの竹林には、定期的に、どうしてか途絶えることなく、何かに誘われるようにして、迷子が迷い込む。

 かく言う妹紅も、やはり何かに誘われるようにして迷い込んだ口ながら、今やすっかりこの竹林に住み付いていた。幾分か地理に明るいことや、長く生きて戦ってきた知識と力が役に立てばと、人間を守る立ち位置にいる。人間の護衛は、仕事と言って差し支えないだろう。最初は、人里に住んでいるお節介焼きへの義理立てだった。今では、人間からの感謝を面映ゆく感じている。
「気を付けて帰れよ。良いか? ここ迷いの竹林は、誰だって迷うように呪いが掛けられているんだからな」
 ぶっきらぼうに言う。照れ隠しだった。
 怯え切った人間に歩調を合わせることにも苦労する。気を抜くと、置いていってしまいそうになる。

 無事に迷子を送り届けた帰りの道中、妹紅は、自分も迷子になった時のことを思い返していた。



 四百年ほど前、だったろうか。
 具体的な数字は定かではないが、丁度、全てを憎悪して攻撃的になっていた頃と、全てに疲れて無気力になっていた頃の、過渡期だったと記憶している。

 適当に歩いていれば、その内、知っている場所に出るだろう。
 などと、甘い見込みだったとしか言いようがない。つい先刻の自分を殺してやりたい気分だった。死なないけど。
 迷った。冗談でも笑い事でもない、完全に、言い訳の余地無く、道に迷った。
 ただでさえ薄暗い竹林だが辺りは一段と暗い。夜と思うほど真っ暗で、肌寒くさえ感じる。しかし今は、真夏の昼間。にも関わらず、暗く、肌寒い。竹の葉に守られた日陰は涼しいものとは言え、これは異常だ。
 大きな塊になった溜め息を吐き出して、高く伸びた竹が覆い隠す、暗緑色の空を仰ぐ。上へ逃げても無駄とは既に試した結果だ。いくら逃げても竹は延々と追い掛けて来る。空を飛んだって、簡単には抜けられない。

 深い闇に沈んだ竹林の中を、当てもなく歩く。しかしどれだけ柔らかい土に足を沈めて歩いても、鬱蒼とした竹藪が続くばかり。ところが決して死なない体質に胡坐を掻いていたせいもあって、妹紅は闇雲な行進を続けてしまっていた。引き際もあったかも知れないが、その線は大股で跨いで通り過ぎた。
 獣道すらあるかないかという竹林を、少しでも繁みの薄い場所を選んで、掻き分けて、踏み入るように進んでいく。始めの頃は、まだ歩いて通れるだけの空間はあったのだが、歩みを進める度に、段々と取り返しが付かなくなっていく。

 不意に段差を転がり落ちて、少し開けた所に出た。妹紅は顔を顰めながらも、呪法の文言を口の中で呟いて、手の上に炎を灯す。辺りに視線を巡らせ、すぐにそうしたことを後悔することになった。明かりによって見渡せるはずだった暗がりは、無作為に林立する竹の間に墨汁を満たしたように何処までも茫洋とした真っ暗闇で、少しも安心できるものではなかった。
 足元は、しっとりと湿った地面。だが、水溜まりに足を突っ込んだような感触がある。表面はひんやりと冷たいが、中は生温かい。目を擦ってもう一度、足元を見た。今度は足元が無かった。瞬きをすると、元の湿った地面がある。踏んでいるはずの地面が、今にもざぷんと沈んでしまいそうに感じられる。この調子では目に見えるものは当てになりそうもない。
 舌打ちを、呑み込んだ。
 動揺。苛立ち。謂れの無い焦燥に駆られる。暗い夜道を歩いた者なら誰でも経験のある、弾かれるように後ろを振り返り、あるいは一心に足元にのみ視線を注ぐことになる、あの恐怖だ。

 ふと。
 あまりにも静か過ぎることに気付いた。生き物の気配が無い。音というものを忘れてしまいそうな沈黙。

 さーっ。

 ……と、竹林が、鳴いた。
 頭上遥か高く、覆い被さる竹の天蓋。暗闇を織り込んだ深緑の波模様。擦れる笹の葉が、波のように畝を作り、押し寄せて来る。
 一人だと気付いた。
 脅かすように揺れる竹に紛れて、ふと、何かがこちらを手招きする錯覚でも見えそうな。そんな厭な気配を充溢させた、暗闇。気がふれそうな、暗闇。
 妹紅は、竹林の中にぽつんと存在する空き地の真ん中に、たった一人で立っていた。すると急に心細くなってくる。不老不死の自分が? 馬鹿な。そう笑い飛ばしても、できなかった。
「……っ!?」
 背中を誰かに撫でられた……ような気がしただけだ。何も無い。
 寒気に蹂躙された全身の肌という肌が一斉に粟立つ。足が竦んで、一歩も前に進めなくなった。爪先の向きを変えてしまうと、どちらを前として見定めていたのかも分からなくなりそうで、身動き一つできない。何もできずに棒立ちのまま、どれくらいの時間が経ったろう。気が狂ってしまうかとも思った。一回だけ、喉から悲鳴が絞り出された。

 そんな時だった。
 深々と、雪に似た何かが降り積るのを見た。

 暗い、暗い、ずっとずっと上の方から、淡く白い粒が、ふわりふわりと、たゆたうように、着実に。ひどくゆっくりとではあるが、降ってくる。普通の雪よりも、その速度は遅いようだった。

 ゆらゆらと踊りながら、音も無く降り頻る。
 ちらちら、ちらちら、と。音も無く、不思議な音を立てながら。

 妹紅は我を忘れて、その白いものを見上げた。

 溟い背景に、白をまぶして。炎に照らされてゆらめくその光景は、溜め息を禁じ得ない程に美しい。そのはずが、妹紅は肌寒さを感じていた。雪に似た何かは、どうしようもない死の気配を纏っている。
 幽邃。静謐。どこか空恐ろしい程の、静けさ。

 手を上に伸ばして触れてみると、温度は無く、ひどく冷たい印象を受けた。
 確信する。
 これはきっと、美しいものでは、ない。



「あ、いたいた。どうしてこんなところまで潜って来ちゃうかなぁ? ここは、まともな生き物の棲める環境じゃないよ?」
「えっ?」
 聞き逃していた。いや、聞いてはいたのだが、空っぽの頭では、簡単な理解も追い付かなかった。
「前にもこんなことがあったよね。覚えてないの?」
「……前、だって?」
 前とは、どういう意味だ?
 今は、いつだ?
「前の時から400年くらい後、かな」
 迷った時のことを回想するばかりに、また迷っていた、らしい。
 白昼夢を見ているように足元が覚つかない。あの時は、どう帰ったのだったか。
「……お前、いつから」
「いつからと言うなら、最初から、かな」
 ふわふわと波を打つ黒髪を揺らして、にこりと微笑む。
 暗がりに半ば溶け込むように、微かに色付いたシェルピンクのワンピースドレスの白い姿が、ぼうっと浮かび上がっていた。
 因幡てゐ。この竹林の持ち主と言う少女は、負の情念から成り立つ妖怪が持つ陰よりもむしろ、自然存在の妖精に近い朗らかさを感じさせる。
 てゐを見付けると竹林から抜け出せるとか、幸運の素兎などとも呼ばれているが……どうだか、というのが妹紅の正直な感想だった。迷いの竹林の道案内役は、妹紅しかやっていない。
「……あれ、雪……どうして」
 まだ夢見心地。忘我のまま、そんなことを呟いていた。
 確かに気温は涼しいどころか肌寒い。しかし今は夏だということだけが、いやに頭に張り付いていた。冬に雪が降る分にはどこで降ろうと構わない。だが今は真夏だ。雪など降る道理が無い。
「雪?」
 こてん、と。てゐは小首を傾げる。
 予想していなかったような、と言うよりも、予想して然るべきだったことを、当たり前過ぎて忘れていた、という風な首の傾げ方だった。
 妹紅が雪と思っていたものは、てゐにしてみれば、雪という名前ではないらしい。
「そうね。雪、と思うよね」
 でも、違うよ?
 悪戯っぽく、微笑んで。
「デトリタス」
 てゐが口にしたのは、妹紅の聞いたことの無い言葉だった。
「と言っても、分からないよね。まあ、分からないように言ってるんだけど」
 簡単に答えてもらえるとは思っていなかったにしても、その口吻に妹紅は頭を掻いた。てゐはよく、追及をかわしてはぐらかすような、からかう風な言葉選びをする。
「知りたい?」
「別に。喋るなら、聞かないこともないけどな」
 少し調子を取り戻して、妹紅。
「……あ、そう。どうしよっかなぁ~?」
 にやにやと、ご機嫌そうに、嫌な笑い方。
「興味無いな」
「帰り道も分からないのに?」
 てゐは、すうっと目を眇める。自分を見上げる眼差しは、しかしどこか俯瞰するようでいて、見透かされているように感じる。妹紅はその目付きが苦手だった。
「まあ、いいけど。ほら、こっち。早くついておいで」
 スカートを翻して軽やかに跳ねる白い影が、早くも遠ざかるものだから、妹紅は慌てて後を追った。



 ほぼ無音の世界。足を踏み出す度に、積もった白が宙を漂った。
 今も絶え間なく、雪に似た何かは降り続けている。けれども、深く暗い竹林の様相は、先程までとは違って見えた。
 生き物はいないと思っていたのだが、よく見ると、奇妙なものが棲んでいるのだ。もっとも、それらを生き物と言って良いのかどうかは不明ではあるけれど。まともな生き物の棲める環境ではない、てゐはそう言っていたが、確かにそうなのだろうと納得させられた。あれらは、普通の生き物とは違う。
 押しなべて異様な姿形だった。特に異様なのは目に当たる器官で、そもそも目と呼べる器官が無いか、逆に、極端に大きいかのどちらか。体の色は暗く沈んだ色合いをしているか白く透き通っているかの二択。この暗闇に棲む生物は、決まってそれらの点が共通していた。
 てゐも、同じだな。
 ふわふわと歩く白い姿に視線を向けて、そんな感想。てゐが白い服を着ていたら、より一層そのように思ったろう。
 目が退化するにしても発達するにしても、この場所まで届く光量の関係だろう。見えなければ色に意味が無くなる。普通の目は、この環境では役に立つまい。中には自らが淡く発光するものもいた。地上とは異なる自然法則を感じさせる、不可思議なものばかりだ。

 例えば──

 大粒の牡丹雪に見えるものが、ふわふわと風に乗っていた。
 大きさは手のひらに収まる程度。ぼんやりと白い体は半透明の傘状で、やはりあれも見たことが無い。そもそもあれは本当に生き物なのか。

 頭上を、途方も無く巨大な魚影が過ぎった。
 王者の風格を醸し出して悠々と泳ぐそれは、腹は満たされていたのか、何もせずに去って行った。野人同然の生活に育まれた半ば獣のそれにも近い勘が、今のあれは凶暴で強力な捕食者だと知らせても、肝心の警鐘は故障していた。妹紅は逃げることもどうすることもできずに見送るしかなかった。

 細長い紐のようなものが浮いていた。その横を通り過ぎて振り返った時にも、それはそこに浮いていた。
 猪独活に似た花が咲いていたが、あれも、花ではないのかも知れない。
 球状のものが幾つか連なった、奇妙なキノコ。しかしこれもやはり、らしきもの、としか言えないような何か。固いのか柔らかいのかも想像が付かない。
 魚の幽霊……?

 意味不明にも程がある。混乱で頭がおかしくなりそうだ。
 自分の体に現実感が伴わない。宙に浮かんでいるような気さえする。吐き出す息は泡になり、上の方へと消えていった。
「……なあ、おい」
「ふふっ、なあに?」
 痺れを切らして声を掛けると、返ってきたのは、小馬鹿にしているとも受け取れるような柔らかい声。振り向いたてゐは、やはり笑っていた。気持ちは砂のようにざらついていたのに、可憐そのものの微笑みを向けられると言葉に詰まってしまう。
「……何、じゃないだろう」
 口をついて出たのは、ただの不貞腐れた文句だけ。
 明確な理由もある。ここに一人で取り残されては確実にロクなことにならない。それが分かっていると、どうしても強気に出られなかった。
 ここは人の来てはならない場所で、あれらも人の見てはならないものだ。人の意識なんて、あっさりと砕かれ呑み込まれてしまうに違いない。そうなっていないのは、妹紅の意識が何かに守られているからだ。目に見えない被膜が、薄らと掛かっている。
「教えてくれるんじゃなかったのか?」
「素直に教えてもらえると思ったの?」
 妹紅とてゐの間を、群れから外れたのか、先程の半透明の白い傘が一つ横切って、妹紅は伸ばそうとした手を引っ込める。所在を失った手は、乱暴にポケットに突っ込んだ。



 歩きながら、妹紅は再び過去に思いを飛ばす。
 死ななくなってから、もう千年以上になる。あれから気の遠くなる長い年月が過ぎて、多くのことがあった。宿敵にも再会して、今の生活は楽しいものだと思えている。
 以前、深刻な迷子になった時は、不安定な過渡期だった。何があったのか、何をしたのかも、よく覚えていない。
 それでも、ぼんやりと記憶に残っている光景がある。
 夢のように不気味な竹の国。妖しく輝き出した、月のような仄明るい光。
 行く手には竹がアーチ状に覆い被さっていて、竹の隧道の両脇には、ぽつ、ぽつ、と仄白い光が灯っていた。真っ暗闇の中で、ぼうっと浮かび上がるような光は、今なら分かる、あれは光る竹だった。緩やかな螺旋の上り坂、白い光の道標を夢中で辿って、妹紅は地上に生還した。それから……



「降参だ。この雪みたいなのは、何なんだよ。さっぱりだ」
 雪に似ている。
 けれど、雪ではない。
 だとすると、これは何か。
 諸手を挙げて降参を示すと、てゐは半眼になって唇を尖らせる。
「あのねぇ、妹紅。少しは考えてごらん?」
 小馬鹿にされたのは、気のせいではないだろう。
「考えても分からないから降参だと言ってるんだ」
 はあ、と。溜め息を零して、てゐは足を止める。そよいだスカートの裾は、たっぷりと時間を掛けても落ちることはなく、重力など無いかのようにふわりと浮いたままだった。
「細かく砕けて、千切れて崩れて、白くなるまで色褪せて」
 淡々としているが抑揚も付いた不思議な口調で、てゐ。
 何だそれ?
 言いかけて、口を噤む。待ち望んだ説明のはずだ。
「流れに巻かれながら、ゆっくりと沈んで、降り積もる。中でも特に、目に見える大きさのものを、マリンスノーと呼ぶ」
「……つまり、雪なのか?」
「いや、雪じゃないって。こう聞き返して欲しいわね。つまり、それは何が元になっているのか」
「……つまり、何が元になってるんだ?」
 ただ繰り返した妹紅に、てゐは更に目を細めて、呆れたと言わんばかりの非難がましい視線を向ける。
「じゃあ、あれは温かいものだった? 冷たいものだった?」
「冷たかった」
 死の気配すら、感じる程に。
 すっかり冷め切った、真っ白な灰のよう。
「そう。そしてそれで正解」
 勿体ぶった割には、てゐはあっさりと告げた。ほとんど答えに近いヒントを聞いた後ではもう遅いのだろうけれど、少しだけ連想が働いた。
 上の方から降り積もる、白い何か。
 それは、細かく砕けて、千切れて崩れて、白くなるまで色褪せたものだと言う。
 雪のように、氷のように冷たい、どうしようもない死の気配。
「──死骸、か」
 頭で理解するのと、自分で呟く声は、ほぼ同時だった。
 通常、生き物の死骸は土の中で、たしか微生物とやらの働きによって分解される。自身の体は腐らないとは言え、死に触れる機会の多い妹紅はそれをよく知っている。あの雪に似た何かは、竹林の浅い場所で死んだものが微細な白い塵となり、深い場所へと沈んできたものだ。何のことはない。気付いてしまえば、始めの印象に馴染むものだった。
「綺麗だったけど、やっぱり、綺麗なものじゃなかったんだ……」
「まあ、正確に言うと色々違うけどね。ちなみに、ここにいるこの子達も、元の生物からは変質していて、微々たるものでも土着の神霊に近くなってるわ。長い時間……千年とかそこらじゃないよ? もっとずっと長い時間を、ここで過ごしたせいね。そういうわけだから、具体的に何かはあんまり気にしないで欲しいかな」
 千年より長いとは、一万年か、十万年か。
 妹紅には想像も及ばない、長過ぎる時間の距離だった。
「で、この子達の多くは、地脈から噴き出す魔力の他に、この死骸を餌にしている」
 言い添えると、てゐは、雪の日に子供がそうするような仕草で、細かな肉片を差し出す手のひらに受けた。
「そこは地上と同じなんだな」
 死んだものは生きるものの糧になる。
 輪からはじき出された自分には関係の無い話だった。食糧だって、絶とうと思えば絶ててしまう。空腹は我慢するにしても、それだってどうでもいいと思う時期があった。
「関係無い?」
 皮肉げに細めた目で妹紅の思っていることを読んで、てゐが言う。
「不老不死だからな」
「ふ~ん?」
 てゐはからかう笑みを浮かべると、背中の後ろで手を組んで、妹紅の顔を下から見上げてくる。
 欺瞞のヴェールに指を掛けた、何もかも見透かした風な眼差しだった。
「妹紅なんて、意外とあっさり死んじゃうよ?」
「まさか。私が何回試したと思ってるんだよ」
 死にたくなった時、思い付く限りの方法で自殺を試みた。結果は、今の妹紅をご覧の通り。
「まだ、死にたいの?」
「いつかはな」
 じっと見上げる深紅の瞳に、正直に答える。
「でも今日はやめとくよ。気が乗らない」
 ここまで含めての正直な答えを口に出して、今度はてゐに言われる前に、その出来事の続きを思い出した。



 無我夢中で坂道を上った妹紅はいつの間にか気を失っていて、竹の香りに混じった甘ったるい匂いと顔に触れる柔らかい感触によって、目を覚ます。
 膝枕、されていた。それも、成長が半端なままの妹紅より遥かに小さい、幼い少女に。まじまじと見つめ合うこと数秒、妹紅がまずしたことと言えば、何とも荒んだことに、警告だった。
「見逃がしてやるから早く逃げろ」
 その時は丁度、妖怪だろうが何だろうが見つけ次第退治することで薄っぺらな自己を保っていた頃と、その辺の妖怪では物足りなくなり何事に対してもやる気を失っていた頃の過渡期。白い服を着た兎の少女は見るからに弱々しく無力で、こんなものを倒しても意味が無いと思った。
 無力、そう、無力だ。兎の少女に限らず、不老不死の自分以外の全ての生き物が、いずれ必ずや壊れてしまう定めの儚いものに思えて仕方が無かった。形あるものは、脆く、儚い。
「逃げろってば」
 兎の少女は妹紅の警告が聞こえなかったのか、妹紅の髪を指に巻き付けたりして遊び始めた。少し前までの妹紅なら呼吸同然に焼き殺していたところだが、殺意と憎悪は燃え尽きて、わずかに燻るばかり。怒鳴るのも億劫で、好きにさせたまま竹の葉の被さった空を眺めた。
 しかしどうしても、視界の端を白く削る少女の姿は意識から外せない。妖怪兎ならこの竹林には多く棲み付いているのでよく目にするが、少なくとも逃げ足程度の自衛手段は備えていた。ところがこの少女ときたら華奢で、か弱くて、ふとももの耐荷重量が妹紅の後頭部を支え切れるかどうかも不安になる。その年に初めて積もる新雪のように、柔らかく潰れてしまうのではないかとさえ。
 可憐。その言葉が相応しいだろう。
 獣が備えているべき牙も爪も筋肉も、可憐を体現したような儚げな少女には、力というものが何もかも備わっていない。ひいては、厳しい自然を生き抜くための能力が備わっていない。まともな生き物としては異常だ。普通、生き物は生きるための能力を磨いていく。可愛さは弱さの顕れ。自然界では弱いものから狙われるのだから、何の役にも立たないどころか、脅威を誘引するだけだろうに。
「私はな、バケモノなんだ」
 それは最初の三百年。人間に嫌われ、身を隠さないと自分にも周りにも迷惑を掛けていた頃。姿の変わらない妹紅を人間は気味悪がって、その度に妹紅は逃げ出して、転々と住む場所を変えていた。悲惨だった。あの頃は身の振り方が下手で、よく化物扱いされた。悲しくて、毎日、泣いていた。思い出すと今でも泣いてしまいそうになるから、思い出さないようにしていた。
 妖怪退治に明け暮れながら、いつしか誘われるように辿り着いたこの竹林は、身を隠すには都合が良かった。妹紅は、もう何もしたくないのだ。刺すような熱い日差しも鬱陶しい外気も遮るこの日陰で、何ものにも煩わされることなく。
「お前なんか、すぐに消し炭してやる」
 脅しかどうかは自分でも分からなかった。何かの拍子で本当に焼き殺してしまうこともある。妹紅はそういう、手負いの獣じみた状態だった。とにかく放っておいてほしい、それだけが望みだ。
「そう」
 警告とも脅迫とも付かない妹紅の言葉にも、兎の少女は興味なげに頷くのみ。
 膝の上に半端な妖怪よりも危険なものを乗せているというのに、絶対的な安全圏にいるかのように安心し切っていた。焼き殺されるとは露程も考えていないらしい。まるで、妹紅がそんな非道な行いをしないと無垢な信頼を寄せているかのよう。危険の意味が分からない幼い少女ならではの無邪気さ、そして、危うさ。
「ふふっ」
 それの何が面白いのか皆目分からないが、妹紅の顔を触っては微笑んでいる。
 小さな爪は桜貝の色。指で輪郭をなぞるような、微かな手付き。雛鳥を愛でているかのような屈託の無さだ。
「聞いてなかったなら、もう一度だけ言ってやる。私はな、バケモノなんだ。お前なんか、すぐに消し炭してやる」
 妹紅にしては懇切丁寧。強い口調で、その白い兎の耳によく聞こえるように、はっきりと言ってやった。
 ようやく、少女は首を傾げる。笑みを含んだ眼差しが、妹紅の顔に注がれた。
「ばけもの?」
 そうは見えないけど、と言う風に。
「死ねないんだよ」
 どうしても。何をやっても。
「死にたいの?」
 きょとんと無邪気に、頑是無く問い掛けてくる少女は、今度こそ口に出して、妹紅の心臓が跳ね上がるようなことを囁いた。
「そうは見えないけど?」
 瞬時に、頭に血が上った。
 永遠の孤独を、不老不死の恐怖を、理解されてたまるか。
 心の最も触れられたくない場所、龍なら逆鱗に当たる部位を、少女は容易く撫で上げた。胸の奥の燠火が、パチリと爆ぜた。体の外で燃え盛る炎を感じたその後のことは、本当に覚えていない。



 葉が擦れる音が鳴り響くと共に、先の尖った細い葉が葉裏を見せて一斉に翻る。
 夏の匂いと、網膜を焼く日光。
 叩き付けるように横殴りの蝉時雨も戻ってきた。
 そうだ。今は、真夏だった。涼しさに慣れた肌にじわりと汗の玉が浮かぶ。

 白く透き通るてゐの頬には、竹の葉に濾過された黄緑色の木漏れ日の模様が映っている。
 吹き抜けた風に髪を嬲られても、てゐは気にしていなかった。揺れる前髪の向こうで、大きな目を縁取る長い睫毛が、瞬きに合わせて漣のように震える。ワンピースドレスのスカートは軽やかに風に躍った。
「さてと、妹紅。ちょっと聞いてね? マリンスノーも、あそこの生き物も、浅瀬では見られないものだから、さっき見たことは秘密にしてね? 二人だけのナイショだよ?」
 唇に指を立てて微笑むてゐは、ついドキッとしてしまうくらい可愛かった。
 仕草の一つ一つがいちいち蠱惑的なのだ。これはもう襲ってくださいと言っているようなものだろう。

「……今更、なんだけどさ。ここはどこだったんだ?」
「本当に今更過ぎるわね。ここは因幡国高草郡、だった。妹紅も知ってるよね?」

 それは、ひそひそと喧しい妖精達の噂話。

『この竹林はね、昔は幻想郷じゃない別の場所にあったんだって。伝承では大津波に流されてここに流れ着いたとか……』
『竹林が津波で流された? しかも流されて幻想郷にって変じゃない? 海も無いのに……』

 もちろん妹紅も、妖精達の噂していた伝承を、より詳しい形で聞いたことがある。竹の語意は高生え、高草郡の名称もそこで聞いた。それを今になって思い出した。
 見聞きした物事はやがて空想と混じり合って、異界めいて不可解な竹林の光景への、疑問の一部を納得させる。

 迷いの竹林は、少なくとも一度、海に沈んだことがある。
 あるいは、本来なら海の底に位置しているはずの、この世から消え去った土地、ということ。
 一切の光が届かない暗闇は、深い海の底もそうであるのだろうか。竹林の深潭に棲むあれらの生き物も、元々は海に棲んでいたのかも知れない。

 妖精達の会話には、こんな続きがある。

『幻想郷は外の世界で消えた物が流れ着く事もあるのよ。魔法の森だって似たような伝承があるわ』
『時空の迷子になった場所ってことね。だから迷いの竹林って言うのかな』

 ではどうして、竹林の深くに、海に似た光景があるのか。更にその意味を考える。
 その、原風景の意味。
 妹紅は、もしかして、と。
「どこだか知らないけどさ……そこに帰りたいとか、思うのか?」
「私が? 思うわけないでしょ?」
 と、てゐはいつもの悪戯っぽい笑み。
 踏み込んだところで、はぐらかされるだけだろう。妹紅は未だに竹林で道に迷うのだから。
 竹林は人を惑わす竹の迷路で、迷い人を捕まえる大きな罠。てゐが、時空をさまよう程度のことで迷子になどなるわけがない。

「ねぇねぇ、ランデブーの感想は?」
 にこりと微笑んで、妹紅が逃げる間も無く腕に絡み付いて、小さい体をすり寄せてくる。
「ぴょんっ、ぴょんっ……えへへ、抱き付いちゃった」
 妹紅は、すぐには返事をしなかった。
 ひょっとしなくても、妹紅はこの非力な少女を殺してしまったことがあるのに、こうも無防備に、大きな目が妹紅を見上げている。始めはそれを、幼い少女ならではの無邪気さの顕れだと思っていた。今はもう、違う。何せ、今日もまた、思い知ったばかり。

 自慢ではないが、妹紅が最も、この竹林の怖さを最も分かっている人間だ。

「楽しかった?」
「ああ、有意義だったよ」
「それだけ?」
 上目遣いに問い掛ける少女の姿は、やはり可憐そのもの。年端もいかない少女が、好きな相手に甘えてせがむように。和邇とやらにも、このように接していたのだろうか。
「ところで、あのやたら大きい魚影みたいなのってさ……」
「サメでもワニでもないよ。しいて言えば古代の海生ワニに近いけど、モササウルスとかの恐竜にも似ているし、巨体の重量感はシャチかな。まあ、神代の海に棲んでたシーサーペントの類いね。妹紅が見た他にも、色々な種類がいるわ」
 妹紅の下手な話題の逸らし方にも、てゐは機嫌良く答えた。
「怖かった? でも安心して。私が見てたから、妹紅を食べたりしなかったでしょ?」
「…………」
 妹紅は、かつてない程の仏頂面。けれど、てゐはと言えば、愉快に感じているようだ。
「あははっ……♪」
 本当に、妹紅の何が面白いんだか。
「面白いよ。面白いね。面白いね♪」
 いや、てゐが何を面白がっているのか、妹紅は勘付いている。それを認めるのが癪だというだけで。
「ねぇ、妹紅。妹紅は、自分がどんな顔をして溺れていたのか知ってる? と~っても面白くて可愛かったよ? 普段は強がってるのに、あんなに怯えちゃうなんてね」
「…………」
 憮然として顔を背ける妹紅だが、その反応も合わせて、てゐはさも可笑しいという風に微笑を深めた。
 そして妹紅が聞きたくないことを、甘く蕩けるような声で意地悪く囁く。
「最近は、死にたいとかあんまり言わなくなったわね。今は、死ねるなら死んでおきたいくらいの感覚かな。でも、具体的な死がちらついた途端に怖くなる」
「いい加減、離れろ」
 やや語気を荒げてみるも、てゐはこれにも笑顔のまま。
「じゃあ、ちゃんと答えてね。楽しかった?」
「もういいだろ。勘弁してくれよ……」
「だーめっ」
 可愛らしく、頬を膨らませたりして。
「私は、妹紅の囀る声で、妹紅のことを聴きたいの」
「……はっ」
 囀るときたか。この、炎の不死鳥に対して。
 始めから、てゐは雛鳥でも可愛がるように妹紅に接していた。それはつまり、ただそのまま、そういうことでしかないのだろう。
 数百年以上も前と何一つ変わらない笑顔が、そこにはあって。
 急に、悲しいようなよく分からない気持ちに襲われた。妹紅は昔の自分を思い出せない。三百年前、そのまた三百年前、更に前と、人格は寸断して、不老不死になる前の自分のことは完全に何も思い出せない。以後のことも似たり寄ったり。人格の崩壊を何度も味わったせいだろう。
 そして考えるのは、未来のこと。

 ──例えば今から三百年後。私は、今と同じ私でいられるだろうか。

「私はいつまで、今のままでいられるんだろうな……?」
 今と同じように思えることは、保証されていない。
 そしてそれは、必ずしも先送りにできる話とは限らなかった。無事に次の三百年後を迎えられる保証までも反故にされた。
 今日、楽しかったかどうかを言うのなら、楽しかったはずがない。怖かった。
 たった少し地面を踏み外して転がり落ちただけで、深淵を覗いた。もしもあのままあの場所で迷っていれば──どうなっていた?
「そう思うなら、その限りある命は大切にしなよ? そうしたら、妹紅は面白いから、ちゃんと最後まで私が見ててあげるね」
 くすくすと、てゐが微笑む。
 同時に、竹の葉が静かにささめくような音を立てる。くすくすと、含み笑いにも聴こえる音だった。
「……そうか」
 随分と久方ぶりの安心した気持ちで、妹紅は静かに呟いた。
 噛み締めるようにして、絶望的なまでの畏れを味わう。
 たとえ、妹紅が壊れて妹紅でなくなったとしても、この少女だけは、いつまでも変わらずに可憐なままで微笑んでいるのだろう。いつか壊れる妹紅を前にして、今と全く同じ笑みを浮かべる少女の貌が、妹紅にはありありと想像できてしまった。
 微笑む少女は可憐だ。妹紅がどうなろうが、そんなことはこれっぽっちも関係が無い。人間の事情などお構いなしに、自然は、ただそこに在り続ける。

 人間は自然に生かされている。そう知った時、過去の傷口も未来への不安も、歪んだ死への羨望までもが柔らかく溶け崩れていき、それらが溶け落ちた後に残る胸の穴を満たす白い少女への思いは、妹紅にとって、もはや信仰とすら呼べる畏敬の念だった。
 夏が涼しくなるような、とびっきりの幻想譚を目指したのですが、どうでしょうか。
珈琲味のお湯
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.270簡易評価
5.100名前が無い程度の能力削除
珈琲味のお湯氏の小悪魔解釈も素晴らしいが、永遠亭勢もたまらなく魅力的である。読み応えのある作品、次作も楽しみにしております。
8.100名前が無い程度の能力削除
あなたのてゐは特徴的ですね
あなたの作品を読んでいればてゐがどういう存在でその中がどうなっているのかは何度か書かれています
それなのにあなたの作品にてゐが出てくるたびに「いったいこの妖怪の裏側にはなにが潜んでいるんだろうか」ととても怖くなるんです
てゐだって妖怪なんだし彼女を怖がってもおかしくないですよね?