Coolier - 新生・東方創想話

妖怪の山 最終話

2016/05/20 05:36:12
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 川の流れが岩にぶつかり、そこらじゅうに湿った音を振りまいている。
 私とにとりさんは川からほど近い、くねった太い幹の広葉樹の陰に身を隠していた。

 私たちは椛さんとはたてのイチャイチャを妨害するべく、にとりさんの工房を出てすぐにここまで来た。にとりさんは妨害作戦にやる気をみなぎらせているようで、かちゃかちゃとブリーフケースのラッチを開け、機械蜂〈ドローン〉の操縦準備をせっせと進めている。
「見えますか、にとりさん。あそこですよ」私が指さすと、にとりさんは手を止めて木の陰から二人を覗いた。
「ほんとだ、椛のあんにゃろめ……」
「んなっ! よく見たらヨダレ垂らしてます!」
 先程から場所を変えずに、相変わらず二人でイチャイチャしている。見ていたらさっきの怒りが沸き起こり、胸やお腹がムカムカしてきた。
 にとりさんは姿勢を前傾し、食い入るように見ている。
「あいつのあんな顔初めて見た……はたてちゃんのマッサージ、そんなに気持ちいいんだ」 
 椛さんはだらしなく口を開き、さっき来た時よりも頬が紅潮し目尻と眉が垂れ下がる。首元を揉みほぐされているのに全く抵抗せず、全てをはたてに委ねている。半裸でござに寝そべりイイようにされている様は、まるでまな板の鯉のようだった。
「はたてのマッサージは確かに気持ちいいですけど、他にも色々したんですよ。あの椛さんがあんなにとろけているなんて」私はマッサージ以外に何かしたのではないかと勘ぐった。というのも、椛さんの感情を主に表現する尻尾が、力なくパタパタしているところを見たからだ。尻尾ですら表現できないほど気持ちよさとはなんだろう。はたてはきっと、筆舌しがたい〈何か〉を椛さんにしたのだ。

 たとえば……せ、接吻とか……

「くそう、椛め。いまに見てろ」
 にとりさんの憎々しい声で我に帰った。何を想像しているんだ、椛さん接吻だなんて、そんなことするはずないじゃないか。浮かんだ想像を頭から追い出そうと必死に否定する。
 見たくもない光景から視線をそらそうともした。二人がイチャイチャしている光景なんて、とても許容できない……はずなのに、なぜか二人から目を離せなかった。小麦色に焼けた椛さんの背中、弾けるようにみずみずしい肌、健康的な筋肉質の肉体。椛さんをマッサージした感触が手に蘇る。
 ああそうか、なぜ二人から目を離せないのかわかった。
 はたてが羨ましくて仕方がないからだ。さっきのマッサージが成功していたなら、いまごろ私がはたての代わりに椛さんを気持ちよくしていたはずだった。叶わなかった幸せな未来が後悔と妬みに変わって、二人を嫉妬深く見続けるという行動をとらせているのだ。
「にとりさん、はやくはやく!」
「もう少し……よし、準備完了」
 にとりさんを焚きつけて、私は自分の黒くドロドロした感情から目を背けた。そんなことをしても自分の気持ちには嘘をつけないことはわかりきっているのにもかかわらず、だ。
「ようし! ドローンよ、出陣!」
 にとりさんがプロポの操縦スティックを倒すと、ブリーフケースのスポンジに置かれた十機の機械蜂、ドローンが飛びあがる。ブウウウンと細かい羽音を鳴らし、スティックの操作とともに体を反転させて、椛さんとはたてに向かって飛んでいく。

 不快な羽音のドローン達は、私の黒く淀みきった嫉妬心にほかならない。
 嫉妬心は蜂の姿で、愛する人と旧知の友人にグングン迫っていた。



 ======



「はふぅ、きもちよかったよぅ」ござから顔を上げはたてさんを見る。今までにないくらいの心地よさに襲われてしばらく動けずにいた。よだれがござに染み込んでいることに気づき、慌てて袖でこすった。
「どういたしまして。また、してあげるね」
「ひゃうん」はたてさんが耳元で、吐息混じりに囁いた。その声がくすぐったくて、僕は耳をぱたんと閉じる。はたてさんがこんなにテクニシャンだとは思ってもみなかった。耳と尻尾を丹念に揉みほぐされた余韻が、身体の芯に残っている。
 冷めやらぬ火照った頬をさすってみると、ござの跡が少し残っていた。
 マッサージの気持ちよさに遠慮なく出ていた僕らしくない変な声。はあ、思い返せば思い返すほど恥ずかしい……でも気持ちよかったなあ。

「ん?」

「どうしたの?」
 快楽の余韻に浸っていると、森林の奥からなにか異質な音が聞こえた。川で水が跳ねる音でもない、木々がざわめく音でもない。山の警備をしている時にたまに聞く音――蜂の羽音だ。
 スズメバチの警告音に似ていたが、どこか無機質な感じがする。僕がいままで聞いたことがない蜂の羽音だ。
「蜂が何匹か、こっちに向かってきているんだ」
「ハチ? ミツバチとかスズメバチみたいな?」
「ああ……でも変なんだ。こんな羽音、聞いたことがない」
 妖怪の山に新種の動物なんてそうそう現れない。何か嫌な予感がした。
 今、哨戒任務は休暇中だが、山の異常事態ならその限りではない。迎撃態勢を取るため、僕は頬をぴしゃんと打ち上着を羽織って盾を取る。
「はたてさん、この岩のくぼみに入って」
「え、どうして?」
「念のためさ。この盾で塞ぐから、合図するまで出ないでね」
「うん……気をつけてね、もみじ」
 ちょうど一人入れるくらいの岩のくぼみを盾で塞ぎ、はたてさんに危害が及ばないようにする。
 地面に刺していた段平を抜いて水平に構える。羽音の方に千里眼を凝らすと、黒い霞のように虫の一団がこちらに向かってきていた……スズメバチ? だが何かおかしい。スズメバチは巣を攻撃しない限り、まとまって攻撃することがないはずだ。とはいえ攻撃性の高い蜂には変わりないので、向かってくるなら迎撃するのみ。訓練で培った剣の舞を試すに丁度良い相手だ。
 精神を集中し、自慢の千里眼を閉じた。蜂のように小さく素早いものは、目で見て仕留めることが難しいのだ。
 明鏡止水――切っ先に全ての意識を集中し、一切の雑念を捨てた。澄み切った心で姿を捉えて、気配を頼りに剣を進める。

「はっ!」

 ひと振りのち、極限に研いだ刃は蜂の羽を切り裂いた。十匹の蜂はぽつぽつと川に落ちた。羽音はやみ、残るは木々や川の静寂なささやき声のみが辺りに染み入る。
 僕は段平の意外な軽さに気がついた。段平自体が軽くなったのではない。はたてさんのマッサージのおかげで筋肉の余計な強張りがなくなり無駄のない剣捌きができるようになったのだ。はたてさんのマッサージには気持ちいいだけではなく、こんな効果もあったのか。ますます侮れないな。
 身体の良い調子に気分をよくしながら迎撃した蜂を見る。川に落ちてしまったものは確認できなかったが、足元の岩場に運良く一匹落ちていた。
 僕は、信じられない光景に二度見してしまった。岩場に落ちた黒色の蜂は、生物ではなかった。

「はたてさん、もう大丈夫」伝家の盾を岩のくぼみから外し、はたてさんに手を貸した。
「なんだったの?」
「これが飛んできた音の正体。見覚えある?」蜂の残骸をつまんで手のひらに乗せた。まじまじと見たが、やはり生物ではなく機械だった。
「……ないわ。でも、こんな小さな機械を作れるのって、幻想郷じゃ限られるわよね」
「ああ」この機械蜂がなんにせよ、作った主がいるはずだ。創造主につながる手がかりがないかと蜂の腹部を引っ張ると、透明の液体が入ったガラスの筒が出てきた。この筒は腹部の針に直結しており、スズメバチと同じように、刺した時にこの液体が注入されるのだろう。
 筒を爪で割り、染み出た液体の匂いを嗅ぐ。つうんとした、腐った魚のような臭いが鼻に届いた。
「この液体、麻酔薬みたいだ。僕らを痺れさせるのが目的らしい」
「私、こんなのが作れる人なんて一人しか知らないわ……」

「まさか……」そいつのことは――僕も知っている。



 ======



「ぐあああ私のドローンがあああ!」大木の陰で私は頭を抱えて倒れこんだ。あの試作品を作るのにどれほどの時間と素材を費やしたと思ってるんだ。幻想郷随一の科学力をもって制作した至高の一品を、剣撃一閃で水の泡にするとは!
「椛さんあんな小さな物に気づくなんて、やりますねえ」
 頭の血管が破裂しそうになっている私をよそに、のんびりした口調で椛を褒めるアヤ。どこ吹く風の他人事なセリフに私の血管はブチブチと音を立てて破裂した。

「何悠長なこと言ってるのさ。このままじゃ二人とも家に帰ってイチャイチャの続きを始めるぞ!」
「な、なんですって! それは絶対に阻止せねば!」
 アヤはようやく事の重大さに気づいてくれたようだ。しかしもう一つ重大な問題が浮上した。この作戦に持ってきた妨害用の機械はドローンだけだったのだ。自信作かつ十機もあったので、まさかこんな結果になるとは夢にも思わなかったのだ。
 手元にある機械といえば、リュックの中に入っているのびーるアームと飛行用プロペラくらいか。とても椛の戦闘力に対抗できるとは思えない。
「ぐぬぬ……持ってる機械じゃ決定打に欠けるな。どうしよう、アヤ」
「何を言ってるんですか、私たちには切り札があるでしょう」
「切り札?」
 コホンとわざとらしい咳払いをして、アヤはひょいと葉団扇を取りだした。
「私たちは天狗と河童ですよ? ちょいと風や水を操れば妨害なんてお茶の子さいさいですよ」
「そうか、その手があったか!」灯台もと暗しとはこのことだ。はたてちゃんと椛を引き離すくらいなら私たちの能力でもできる。それにスペルカードではなくちょっとしたイタズラに能力を使うだけなのだ。スペカ宣言も必要ないのでバレるはずがない。
「では河童屋、早速」
「二人のお邪魔をしましょうか、お天狗様」
   
「風神一扇!」
「河童のポロロッカ!」

「いっけえー!」私の起こした川の逆流が、アヤの起こした逆巻く強風に煽られる。静かな川辺で話す二人を飲み込むように、荒れ狂う波が大きくうねった。



 ======



 ゴゴゴゴゴゴ

 僕の背後――川の下流から地響きのような音が迫ってくる。はたてさんが怯えたような目で僕の肩ごしに下流を見る。
「何の音?」
「まさか……」振り返ると鳥たちが一斉に木々から飛び立った。その直後、木の高さほどもある大量の水が迫ってくる。あまりに非現実的だったため、にわかに信じられず立ち尽くしてしまった。

「鉄砲水だっ!」
「もみじ、掴まって!」
 はたてさんに掴まり、波に飲み込まれるすんでのところで上空に逃げた。突風に煽られながら遥か下の方を見ると、平らな岩に敷いていたござやお弁当箱が押し流されて影も形もない。
 はたてさんに連れられて高い針葉樹の太い枝に着陸する。ここから見える分だけでも相当な流域面積を鉄砲水が飲み込んでいた。今まで自分がいた場所とは思えないくらい急変した光景に背筋がぞっとした。

「なんでまた急に鉄砲水が」
「飛び上がる直前に気づいたけど、流れに沿って突風も巻いていたわ」
 僕たちは顔を見合わせ頷いた。そう、風と水を自由に操れる知り合いを二人知っているからだ。信じたくはないが……これだけのことをできる能力者で、僕らと直接関係する者は二人しかいない。
 その二人の居場所を突き止めようと、すぐさま匂いを嗅いだ。しかし、氾濫した水と縦横無尽に入り乱れる風のせいで正確な匂いが辿れない。
「見て」
 はたてさんはそう言うと、携帯を見せた。その画面には文さんとにとりが一緒に写っている。
「あいつら……」
「どこにいるか、この背景でわかる?」
 奇妙にくねった太い幹の広葉樹の陰に二人は写っていた。これだけ特徴的な木の近くにいるのだ、見つけられなければ哨戒天狗の沽券に関わる。
 千里眼を使い該当する木の周辺を探すと、残念ながらあっけなく見つけた。
「見つけた。あそこだ。やっぱり文さんと……にとりだ」
「信じられない、あんなことをするなんて」
 はたてさんはかぶりをふった。当然だ、たとえ友人だったとしても僕らを危ない目に合わせたことは事実だ。どういう意図があったにせよ、追求する他ない。
「さあ行こう」はたてさんに掴まり二人のもとに僕らは向かった。

 急行する僕らに気づいたのか、慌てふためく二人が見えた。にとりは金属の手提げ鞄を閉めようとし、文さんはにとりを急かすように周りをぐるぐる回っている。
「あなたたち待ちなさい! あ、コラ逃げるな!」
 閉まらない鞄を諦めてアヤはにとりを抱えて逃げようとする。
「や、いやですよ、待ったら怒るでしょ」
 子供みたいな逃げ口上だ。しかし逃すわけにはいかない。いままで喧嘩らしいことはしても、ここまで直接的な攻撃はされたことがないからだ。下手をすれば命に関わる事、ただで済むと思うなよ文さん。

「待て、文さんっ! にと……っがふっ!」
「きゃあっ! もみじっ!」

 はたてさんが金切り声で悲鳴をあげた。何もそんなに大声を上げなくても、と咳を受けた手を見ると、手は真っ赤に血で染まっていた。口から血がだらだらと流れて、白い服を朱に染める。
 はたてさんは僕を抱きかかえて急いで川岸に着陸した。はたてさんの手を離し自分で立とうと砂利に足をおろすと、膝から力が抜け、がくっと倒れてしまった。

「待ってアヤ、なにか様子が変だよ」
 少し先の上空にいたにとりの声が耳に入る。だけど、僕はそれどころではなかった。喉の痛み、溺れたような湿った咳、とめどなく出る吐血。間違いなく喉の傷が開いたのだ。
「ああ、そんな……しっかりして、もみじ!」
「げほっがはっ……けふっ!」――はたてさんを見ると涙が滲んでいた。彼女は懸命に背中をさすってくれている。しかし喉の痛みと咳は、一向に収まらなかった。
「うそでしょ……椛さん……あんなに血が」
「まだ治ってなかったの!?」
 文さんとにとりが近くに降り立ち、僕らのもとに駆け寄った。いつもなら心配してくれてありがとうと思えるが、今回ばかりはそうはいかない。僕はぎろりと二人を睨んだ。
「近寄らないで!」
 僕の視線を察して、はたてさんは二人を牽制した。
「あんたたちのせいよ……こんなことして、もみじに何の恨みがあるのよ!」
「そ、それは」
 文さんは言葉を詰まらせる。どんな理由があったのだろう……いや、どんな理由があったとしても、もはやどうでもよかった。あわあわと二の句を告げない間抜けな烏天狗を、はたてさんが突き飛ばして道を開けさせる。
「早くお医者様のところに行きましょ」
「あ、わたしたちも……」
「何言ってるの、ついて来ないで!」
 のこのことついてこようとした文さんとにとりを、鋭い口調で一喝した。その怒りの眼差しは凍てついている。彼女は力の入らない僕をかばうように支え、立ち上がらせてくれる。はたてさんの肩を借り、急いで白狼天狗の居住区にある診療所に向かった。血が滴ってはたてさんの服についてしまうが、それでも彼女は気にせず僕を支えてくれる。騒動の元凶となった後ろの二人とは大違いだ。

「どうしよう、アヤ」
「私たち、えらい事してしまいました……」
 ほうぼうの体で振り返るとにとりと文さんは僕たちを遠巻きに見つめながら、ぼそぼそと後悔の言葉を紡いでいた。僕はその言葉を一言一句、聞き漏らさず耳に入れる。どうやら悪気があったわけではないらしい。だけど、後悔の念だけでは到底、許すつもりになれなかった。

 僕は文さんと、にとりに……失望した。



 ======



 風が止んで蒸し暑さが残る河童の里、私の工房。
 玄関脇のポストには発明品のオーダーが続々と届いているが、私はそれらを放置していた。どの工作機械も停止しており、いつものけたたましい音は無い。
 静寂に包まれた工房に私とアヤは、消沈して座っていた。
「椛……大丈夫かな」
「わかりません。私たちは念写も千里眼も持ってませんので」
「なんであんなことしちゃったのかな」わかりきっているのに私は呟いた。結果的に自分の決断で椛とはたてちゃんに危害を加えようとしたのだ。椛の傷が悪化した以上、悪ふざけでした、などと言えるわけもない。
 大切な友人なのに、無二の友人なのに傷つけてしまった。はたてちゃんにも嫌われてしまった。二人のあの、ゴミを見るような目……私の心を折るには十分すぎる。しかし、もし逆の立場だったなら私もきっと蔑んでいただろう。
 今頃二人の気持ちになっても遅かった。なぜ、行動する前に椛やはたてちゃんの気持ちになれなかったのだろう。後悔だけが私の胸にジクジク残った。

「ちょっとイチャイチャするくらい、どうして許せなかったのかな」後悔が口をついて出てくる。だが、ため息混じりに呟いたのがいけなかった。その言葉がカンに触ったのだろう、アヤが顔をこっちに向けて苛立ちを隠さずに突っかかってきた。
「なんですかそれ。私が悪いみたいな言い方ですね」
「そりゃあ、最初に二人がイチャイチャしてるなんて文が言わなきゃ、私は気づかなかったもの」
「なんですって! じゃあ私だけのせいだって言うんですか。あんなに乗り気で機械蜂を持ってきたくせに」
 くせに、という言葉にムカッときた。腹が立ったので馬鹿にしながら冷たく言い放つ。

「ドローンだよ」

「どっちでもいいですよ! あのガラクタのせいで失敗したんですから」
 これにはカチンときた。いくら私を馬鹿にしても許……せないけど、発明品を馬鹿にするのはもっと許せない!
「ガラクタだって? もっぺん言ってみろ!」
「なんべんでも言ってあげますよ、ガラクタガラクタガラクタ!」
「バカ!」
「にとりさんこそ馬鹿ですよ!」
 私たちは売り言葉に買い言葉、くだらない口喧嘩を延々と繰り返した。
 罵詈雑言の種類が少なくなってきた頃、窓の外からお隣さんが何事かと覗いていたのが見えた。工作機械が稼働するよりもやかましく怒鳴り合っていたのだろう。近所迷惑にならないよう声を落とし気味にしたら、途端に罵倒するのがバカバカしくなってきた。それはアヤも同じだったようで、口喧嘩の不毛さに気づいた私たちは罵り合いを止めた。

「はあ、私たち何やってんだろ」
「……こんなことしてても椛さんの怪我が治るわけじゃないですよね……」
「アヤ?」アヤはガクリと肩を落としうつむいたままボソボソと言葉を続ける。
「嫌われたくない……椛さんに嫌われたくないですよぅ」
 アヤは、よっぽど椛に好かれたいのだろう。
 ピクニック以前からアヤは椛に結構な熱の入れようだった。椛以外のまわり――私のことだが、全く見えてなかったようだった。周りが見えなくなるくらい椛のことが大好きなのだ、嫌われたともあれば私の後悔どころではないはず。ここまで目の前で失意のどん底に落ちられては、慰めなければ友人ではない。
「大丈夫だよ。椛はアヤのこと……」
「にとりさんはいいですよ。椛さんにめちゃくちゃ愛されてますもん」
「んなっ、何言ってんの! そんなことわかるわけないでしょ」急にとんでもないことを言われて椅子からひっくり返りそうになった。

 ア、アイされてるだって……?

「新聞記者を舐めないでください。どんなに大喧嘩しても、なんだかんだで仲直りできるのは椛さんがにとりさんを大好きだからですよ」
「大好き……」椛に貰った紙のことを思い出し、紙を裏に隠した写真立てを横目で見た。椛の笑顔に満ちた写真が、荒んだ私の目に入る。その時、このままじゃいけないと頭のどこかで椛が囁いた。 『僕と仲直りしようよ』――写真の中の椛がそう言ったように思えた。

「でも椛さん、にとりさんとは違って私のことはあまり好きじゃないんです。だから、一度でも椛さんに嫌われたら……もう会えなくなっちゃいます……」
 アヤは震えた声で泣き言を言う。彼女の椛に対する真剣な気持ちに触れ、私の中で何かが変わった音がした。
 そうだ。私の今すべきことは、後悔することではない。一緒にいた友人を罵倒することでもない。椛とはたてちゃんに謝って、許してもらうことだ。そのためには私は、いや、私たちはこんな所で不幸自慢をしている場合ではない。
 仲直りの決意を思い立ってアヤを見ると、今にも泣き出しそうなウルウルの目でどんよりとしている。これでは仲直りどころか立ち上がることすら不可能に思えた。まずはアヤを元気づけなければ。
「アヤ!」
「アヤ、しっかりして。椛に嫌われるなんてことないよ、私たちみんな仲良しでしょ?」
「下手な慰めはいらないですよ。にとりさんも椛さんのこと大好きなくせに。私が間に入る余地なんてこれっぽっちもないんですよ! ううう、うう……」
 床をドンと叩いて思いの丈をぶちまけたアヤは、ついにこらえていた涙をこぼした。口はへの字に曲がり震えている。眉尻はがくんと落ち、悲しみに打ちひしがれている。冷たい床にピチャン、ピチャンと涙の落ちた音が哀しく響いた。

 それでも、私は諦めない。諦めたらアヤの言うように、本当に椛やはたてちゃんと会えなくなる。私たちは謝らなきゃいけないんだ。そして元通り仲良し四人組にならなきゃいけないんだ。ピクニックの写真と――裏に隠した椛の言葉、私たちは失ってはいけない。一人でも欠けちゃいけないんだ。
 私はアヤを抱きしめた。
「アヤ、私と椛はアヤが思ってるような関係じゃないよ。ただの友達、友達なんだよ」
「それにね、椛はアヤのこと好きになってると思うんだ。そうでなきゃピクニックにもライブにも行かなかったはず」
 ポンポンと背中を優しくたたき、落ち着かせるように頭を撫でた。私の言葉は届いただろうか。アヤの身体の震えは止まり、泣き声と鼻をすする音は静かになる。私の方に顎を置き、私の背中に手を回してきた。もう大丈夫ということなのだろう、そのままの姿勢でアヤは話し始める。
「……ライブには、本当はにとりさんと行きたかったみたいですよ? 本人に直接聞いたんです。その時の私の気持ち、わかりますか」
――その気持ちは痛いほどわかった。だって私もアヤと椛が一緒にいたのを見てすごくショックだったんだよ――
「でも現実はアヤと行っただろう? 嫌いな人とは行かないもんさ」
「そうでしょうか」
「うん、そうだよ」
「そうですか」
 アヤが再び私の肩に顔をうずめる。唇がもにょもにょ動いているのが服越しでもわかった。私はまた、アヤの頭を撫でる。頭巾がぽとりと落ちたが、アヤは気にせず私に撫で続けられていた。
「……よしよし、アヤは本当に椛のことが好きなんだね」
「にとりさんの事も好きですよ」
「はたてちゃんは?」
「はたてもです」
 アヤも、仲直りすることに賛成みたいだ。その言葉を聞けただけで私は勇気が出る。改めてアヤと同士になれた。とはいえ、さすがに『行くぞ同士!』とは言わないが。
「じゃあ、仲直りしにいこっか」

 私はよちよち歩きのアヤの手をひき、椛の家に向かった。
 赤焼けの空が、刻一刻と藍色に染まっていく。



 ======



 清潔なリネンの香りが漂う診療所。私ともみじは白狼天狗の救急診療所で小さな椅子に隣り合って座っている。所在無げに落ち着かないもみじをなだめるように私は声をかけた。
「不幸中の幸いね、傷が浅くて」
 白狼のお医者さんに診察してもらった結果、吐血の割には傷の開きは小さく、完治までおよそ一週間だそうだ。もみじは遠慮がちに微笑んでいたが、尻尾は落ち着きがなく動いている。
 治療のための薬を処方してもらい、私たちは診療所を出る。もみじは完治するまで、またしばらく喋ることができなくなった。生活するだけならできなくもないが、干し肉を齧る食生活が喉に良いわけがない。他にも何かと不便だろうと思い、私がしばらく同居して身の回りを世話することにした。
 診療所から少し離れたもみじの家まで、私たちは無言でさくさくと草を踏みしめた……私まで黙らなくてもいいか。
「あの二人には呆れたわ、私たちを攻撃するなんて」どう思う? ともみじに目配せしたら、こくりと一回だけ頷いた。その表情は悲しさや怒りの色がなかった。もみじはどう思っているのだろう。
 角を曲がりもみじの家が目と鼻の先という所まで来ると、玄関のあたりに二つの人影が見えた。誰だろうと目を凝らす。
「……あ!」にとりと、文だった。私たちに気づいたのか、おずおずとこちらに向かってくる。逆に私はカツカツと一本歯の下駄を鳴らして早足で二人に近づき開口一番牽制した。
「どういうつもり? よくもぬけぬけと顔を出せたわね」
「あの、私たち謝りたくてきたんです」
「謝ったらもみじの傷が治るって言うの?」
「う……」
 もみじも私の横で二人をギロリと睨んでいる。絶句した文にもう一歩踏み込んで突っぱねる。
「文、あんたはよく後先考えずに行動するわよね。その結果がこれよ。治りかけていたもみじの喉の傷が開いちゃったじゃない」
「ほんのいたずらで……」
「ほんのイタズラで友達の傷を抉って楽しかった? ご立派な友人だこと」
 生意気にも口答えをしてきた。何がほんのイタズラだ。顔だけは申し訳なさそうにしているが、反省の色が全く見えない。私はもみじの手をひいて、文にぶつかるのも気にせず玄関まで突き進む。
 振り返り、にとりを見ると何かを言いたそうに口を開いていた。文はそのとなりで、目線を下に落とし活力を完全に無くしていた。なんだ、謝りに来たという割にはすぐに諦めるのか。その程度の気持ちなら、もう会わなくてもいい――私はそう決めた。

「文の顔なんか二度と見たくない!」
「あ……」
 戸をビシャンと勢いよく閉め、鍵をかけた。戸の向こうで文が何かを言いかけたようだが、私は完全に無視を決め込んだ。もみじと私は履物を脱いで居間に向かう。

 私はそれでも、何かを期待してちらりと玄関を振り向いた。
 下地窓の掛障子に映っていた二人の影は、真っ赤に染まった夕日が沈むと同時に、すうっと見えなくなった。



 ======



 私は文とにとりを追い返してからずっと、もみじの家に泊まっている。病み上がりのもみじのために、掃除洗濯料理等できる限りの家事を手伝い尽力した。
 お弁当の大雑把さからある程度は予想していたけれど、やはり部屋は散らかっていた。埃が舞っていては喉に良くないと思いまず手始めに掃除を敢行。散らかっているとは言っても、文やにとりの部屋に比べれば綺麗なもので、あっという間に片付いた。
 綺麗な部屋で美味しい料理を食べれば、身体の調子が良くなるはず。そう思って体に良い薬膳料理を中心に一日三食振舞った。

 ある日もみじの家の台所を使って料理を作っていると、私の手元をじいっと見ながらメモしていた。どうしたのかと聞いたら筆談で、料理の腕を上げたいからとのこと。メモを見せてもらうととても事細かに料理の手順を書き記していたので、私も包み隠さず全てを教える。
 熱心に聞く様は非常に好感が持てて、ますますもみじが好きになった。きっとこの真面目さだと、あっという間に料理上手になるだろう。もみじの手料理を味わうのが楽しみだ。

 蝉の声がけたたましい昼過ぎ、窓から夏の日差しが差し込んでくる。
 もみじと私は午後の暑さを乗り切ろうと、野菜が多めの冷やし中華でささやかな涼をとっていた。
「ごちそうさま、美味しかったよ」
「うん」
 もみじの家に泊まってから十日が過ぎた。干し肉オンリーの偏りきっていたもみじの料理スキルは、目覚しい進歩を見せて格段にレベルアップする。今日の冷やし中華はもみじ一人に料理してもらった。簡単な料理とは言え、初めて料理したのに非常に美味しくできている。
 この分だとレシピを見るだけで様々な料理を作れるのではないだろうか。教えた者として非常に鼻が高い。

 食後に処方された薬をだした。簡素な紙袋の中からぽとりと、最後の薬がころがり出る。
「お薬もこれで最後ね、喉の調子は良いかしら?」
「うん」
「あとはゆっくり静養すれば仕事復帰も早まるわ」
「うん」
「……マッサージしてあげよっか」
「いや、いいよ」
「そう、じゃあ将棋でもしようか?」
「いや、いい……」
「そう……」私は食器を片付け、洗い始めた。最近のもみじはいつもこうだった。返事は短く言葉も少ない。しかし、かつて文が泣き言混じりに私に相談していた、険悪な雰囲気とも様子が違った。表情もほんの少し暗く、どこか寂しさを纏っていた。
 食器を洗い終わり、台所から振り返るともみじは居間の畳で横になっていた。
「もみ……寝ちゃったの」顔を覗き込むと目を閉じ息が静かになっていた。尻尾を腹に巻きつけ身体を冷えから守っているようだったので、起こさないようそっと掛け布団をかける。
 私はもみじの寝顔が見えるように、掛け布団に入って添い寝した。くせっ毛の白い髪をくしゃっと撫でると、耳がピョインと小さく動く。なにか夢を見ているのだろうか、モムモムと桃色の唇を動かし愛らしい仕草で深い眠りについている。
「私がいてあげるからね。ずっと一緒だよ」私が小さく、目の前のもみじにすら聞こえないくらい小さく呟くと、もみじは答えるように口を開いた。

「う、んん、にとり……」

 撫でた手が止まる。愛らしい寝顔を見て幸せが満ちていた心が、急に冷水をかけられたように冷たくなった。どっくんと大きく鼓動し、様々な考えが浮かぶ――ただの寝言でしょ――こんなに尽くしているのに――もしかして起きてるのかしら――私って友人ではなく都合のいい奴なのかな――どんな夢を見ているの――私よりも、傷つけたにとりの方が――……
 もみじが寝返りを打ち、ハッと気づいた。私の中の黒く渦巻く考えが、なにかとんでもない方向に進んでいた。あろうことに、自分のことにも関わらず傍観者のような目線で、自身の黒い考えをただじいっと眺めていたのだ。

 にとりが悪いわけでもない。私が悪いわけでもない。当然もみじも悪くない。
 もみじは寝言でつぶやいてしまうくらい、にとりのことが大事なのだ。たとえ仲違いして十日も経ち、私という甲斐甲斐しく世話をする者と一緒に暮らしていても、にとりのことが忘れられないのだ。
「もみじ――やっぱりあなた、にとりと一緒がいいのね」掛け布団から静かに出て、名残惜しくもみじの髪をもう一度撫でた。先程と同じく口がモニョモニョ動いているが、私の期待した言葉はついに出なかった。
「いいわ、連れてきてあげる。待っててね、もみじ」私はもみじの前髪をかきあげそっとおでこに唇を当てた。

 白狼天狗の里にほど近い崖。私は文とにとりを呼び出した。連絡してまもなく、二人は空から舞い降りた。にとりは気まずそうな顔をして、文は……眉間にしわを寄せ、纏う風も荒かった。
 文はどこからどう見ても怒っている。
「お久しぶりです、はたて」
「はたてちゃん……この前はごめん」
「なんですか、急に呼び出したりして。二度と見たくないんでしょう?」
「ちょ、ちょっと、アヤ!」
 遠慮なく突っかかる文。激しい怒りというより皮肉めいた静かな怒り。私は文の冷たい目線をじっと見返し、売り言葉に買い言葉を放つ。
「そうよ、見たくないわ」
「はたてちゃんもやめてよ。私たちを呼んだってことは何か話があるんでしょ?」
 ねっ? と、にとりが焦りながら仲介した。そうだ、私は喧嘩しに来たのではない。

「もみじと仲直りして欲しいの」
「!」
 文もにとりも、私の言葉に眉を上げて目を見開く。
「もみじや私にあんなことした二人にいうのは癪だけど――あなたたちにしか頼めないの」
「何かあったんですか」
 神妙な面持ちで文が尋ねる。私は重い口を開いて答えた。
「……この十日で喉の傷は完治したわ。でも治ってないところがあるの」
 にとりの顔を見る。不安そうな、心配した顔で私を見ていた。にとりは本当に申し訳ない気持ちなのだろう。彼女を安心させるためにも、私は思い切って言葉を紡いだ。
「私たちの仲よ。喧嘩別れしてからずっと、もみじは塞ぎ込んじゃってるの」
「私がどんなに尽くしてもダメ、四人で仲良くしていた時のもみじになってくれない」
「みんなで一緒に遊んでた時みたいに、楽しそうに笑ってくれないのよ」
「だから……仲直りしてちょうだい」気づけば私の眉根は力が入り、深いシワを刻んでいる。しかし、もとの表情に戻そうとしても思い出せないくらい、頭の中が別の考えで充満していた。

 なぜ私が頭を下げなければならないんだ。

「わかりました。私たちも仲直りしようとしてたんですよ。はたてが追い返さなきゃね」
「アヤ! わかったよ、私たちも仲直りしたかったんだ。行こう、はたてちゃん」
「ありがとう、にとり」文の露骨な皮肉には耳を貸さず、素直なにとりに感謝しながら帰路に向かう。

 しかし文の一言は、一歩進むごとに深く深く心臓に突き刺さっていった。
 グリグリと心無い言葉にえぐられる私の心。大きく開いた傷口から、ドス黒い感情が再び吹き出した。



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 からりと戸が開く音がする。

 はたてさんが帰ってきたのかな、と眠い目をこすり起き上がる。いつのまにか掛け布団がかけられていたことに気づき、はたてさんの優しさにほっこりした。彼女に「ありがとう、おかえり」と言おうと玄関の方に振り向くと、開かれた玄関に三人の影が夕日の逆光を浴びていた。
「にとり! 文さん!」
「お久しぶりです、椛さん」
「や、元気?」
 僕の近くにすすす、と近寄り正座する文さん。久しぶりに見た顔は何も変わっておらず、無邪気な顔で何かを期待している表情だった。にとりは文さんの横であぐらをかいている。文さんとは違って遠慮気味な挨拶だ。
 どうして二人はここにいるのか、その理由を知るはたてさんはただひとり、奥の方で黙って壁にもたれかかっていた。その顔は夕日でよく見えなかったが、どこか寂しそうな印象を受けた。
「……」僕は久しぶりに再会した友人に向かって、何も言葉を発しなかった。口をへの字に無理矢理つぐんだのだ。十日前と違い、本当に怒っているわけではないのに、自然と睨むような表情になる。
 でもこれでいい。会えて嬉しいなどの言葉は必要ない。つけあがらせた結果なめた態度をとり、僕やはたてさんに危害を及ぼしたのだ。つまらない意地とはわかっていたが、簡単に許す気はなかった。
 僕の剣呑な雰囲気を察してか、にとりがまっすぐ僕の目を見て口を開く。
「私たち謝りに来たんだ」
「誤解しないで聞いて欲しい。私もアヤも、椛やはたてちゃんが嫌いだからあんなことをした訳じゃないんだ」
「ふうん」僕はつっけんどんに返す。
「私、椛が大好きだよ。でもさ、椛がはたてちゃんと仲良くしてた所見たんだ。そしたらなんだか、いてもたってもいられなくなっちゃって」
「そうか、僕のせいであんなことしたんだ。僕ははたてさんと仲良くしちゃ駄目なのか?」にとりの言った内容を、刃物のような言葉に変えて突き返した。誤解するなだって? 嫌われてると誤解してもおかしくないようなことをしておいて何様だ。しかも僕やはたてさんのせいにするなんて、謝りに来たとは思えない。
「ちがう、ちがうって」
 にとりは手をぶんぶん振って身体全体で異議を唱えた。
「わ、私……はたてちゃんと椛が仲良くしてるのに……嫉妬しちゃったの。それで……本当にごめんなさい」
「私からも。本当にごめんなさい」
「そうだったの」にとりと文さんは頭を下げて謝った。にとりが僕たちを嫉妬か。どっちに嫉妬したんだろう。はたてさんの家に行った時は、にとりは間違いなくはたてさんに好意を持っていた……僕には友達としてしか接していなかったのに。

 でもさっき言ったよな、僕のこと大好きだって……僕をはたてさんに取られた気分になったのかな。じゃあ、はたてさんに嫉妬した? だったら、僕のことを友人以上に大切に想ってくれているということかも。
 それなら許してもいいかも知れない。大切な人の心が誰かに向いちゃったら、悲しいし悔しいもんな。時には周りが見えなくなって、考えなしにやっちゃいけないこともするもんだ。
 しかも、その時の本音をさらけ出すなんて、本人からしたら物凄く恥かしいに決まってる。恥ずかしさのあまり、謝る機会を失うこともあるんだ。その恥ずかしさを乗り越えて、二人とも本気で謝りに来たんだ。ここまでされて許さないのは友人としてどうかと思う。

 でも僕は許さない。

「……謝ってくれてありがとう。でも僕だけに謝っても許してあげない」
「そ、そんな! 真剣に謝ってるのに」
 狼狽した文さんがさらに擦り寄る。待てよ、話を最後まで聞け。
「はたてさんにも」
「え?」
「あの時危ない目にあったのは僕だけじゃない、はたてさんにも謝って」今までずっと壁にもたれかかっていたはたてさんが、意外そうな顔でこちらを振り向いた。
「そのとおり、もっともだ」
 にとりはすぐさま踵を返し、はたてさんに向かって頭を下げる。はたてさんにはぎょっとして、もたれかかっていた壁から体を離し、姿勢を正し手にとりに向き合った。
「改めて謝るよ、はたてちゃん。椛にも言ったけど、はたてちゃんが憎くてやったわけじゃないんだ。本当にごめんなさい」
「うん」
 ものすごく丁寧に謝られたはたてさんは、はにかみながら小さく頷く。その口元は壁にもたれかかっていた時と違って、ほのかに緩んでいた。

「アヤ?」
 僕とにとりは、文さんの方を見る。文さんはうつむいたまま口を閉ざしていた。覗いてみると、目も眉も口も納得していない表情のそれだった。もしかして、僕に謝れるのにはたてさんには謝れないのか? いつまでも子供みたいに意固地になっているんじゃないよ、まったく。
「謝りたくないのなら謝らなくていいわ」
「はたてちゃん!」
「はたてさん!」しびれを切らして冷たく言い放ったはたてさんの言葉は、場の空気を一気に凍らせた。僕は、直接言われたわけではないのに、心臓がぎちぎちと締め付けられる。多分にとりも同じ気持ちなのだろう、はたてさんを説得するように歩み寄った。
 だがにとりを遮ってはたてさんは文さんに近づき見下ろした。まさかまた殴るのではなかろうか、文さんを受け止めるために僕は身構えた。

「私、文に言いたかったことがあるの」
「なんですか」
「……悪かったわ」
「え?」はたてさん以外の三人とも耳を疑った。なぜ悪くないはたてさんが謝るのだ。
 意外な一言にうつむいたままだった文さんは顔を上げ、くりっとした目ではたてさんを見上げた。
「私が一方的に突っぱねなかったら――もっと早くに仲直りできたと思ったから、その――」
「ひどいこと言っちゃってゴメン」
「はたて……」
 はたてさんは心のどこかでは二人を許していたのかもしれない。でも僕の傷が開いたあの日、にとりと文さんを思いっきり拒絶した。二人が謝りに来なかった十日間ずっと後悔していたのか。
 搾り出すように途切れとぎれのはたてさんの本音は、文さんのかたくなな姿勢をほぐした。
「私の方こそ……変な意地張っちゃってごめんなさい」
 文さんは恐る恐る謝罪の言葉をはたてさんに贈った。はたてさんの表情はふっと緩み、いつしか見た慈愛の笑みで文さんを見る。にとりも荒事にならなかったのでホッと胸を撫で下ろしていた。

 僕は手を出来るかぎり大きく広げ、三人をまとめてぎゅうと抱きしめた。
「ひゅい! も、もみじ?」
 突然のことに戸惑いを隠せないにとりが、小さくなりながら僕を上目遣いする。はたてさんも文さんも僕の行為に驚いていた。
「やっと仲直りできたな」僕は滅多にしない目一杯の笑顔を三人に向ける。意図を理解してくれたのか、はたてさんも手を回して文さんとにとりに抱きついた。
「ふふ、そうね。やっと、仲直りできたね」
「あやや、なんだか照れますね」
 文さんも口をふにゅふにゅっとさせながら僕とはたてさんに手を回す……おい、なぜ胸を触るんだ。じろりと睨むと、文さんの手は慌てて腰に移動した。
「見て。にとりの顔、真っ赤っかよ」
「わ、恥ずかしいな、見ないでよ」
 にとりの恥ずかしがる顔を見て僕はとても嬉しくなった。僕とはたてさんが目配せすると、にとりもおずおずと手を広げて僕たちをぎゅっと抱きしめる。腰に手を回そうとしたのだろうが文さんの手に阻まれて、にとりの手は僕の尻尾の根元をきゅっと掴んだ……気持ちいいからこのままでいいや。
 四人集まって団子状に抱き合っていると、とても楽しいし幸せだ。おしくらまんじゅうみたいに心も身体も暖かくなる。夏なので暑苦しいのは本来嫌だけど、不思議とこの暑さは嫌じゃない。
 四人でくっつき合っていると、おぼえのある香りがまた漂う。
「文さん、その香水……」
「ラベンダーの香水ですか。最近毎日つけてるんですよ」
「いつもその香りでピクニックのこと思い出すんだ」
「また行きましょう。今ごろだと太陽の畑は向日葵でいっぱいですよ」
「うん、みんなで、行こうね」
「みんなでね」
 にとりのにしし、という笑いにつられてみんなが笑う。声を出して笑っていると、僕の胸の奥に明かりがパチっとついた。僕の心についていた、かっぱ印の電球が十日ぶりに煌めいたのだ。さすがにとり、アフターサービスが完璧だな。にとりに頬をぴたりとくっつけて笑いあう。

 変わりない夕日が、カーテンの開いた窓からすうっと穏やかに差し込んでいる。夕日はいつだってそうだった。毎日、毎日僕の大好きな美しい妖怪の山を染めるように赤く照らす。
 そして今。僕にとって最も大切な友人たちを、夕日は静かに照らしていた。



 大変長らくお待たせしました。妖怪の山シリーズついに最終回です。二ヶ月とはいえ連載したのは大変良い経験になりました。
 結構長いシリーズになったのに最後まで見てくれた方々、コメントを下さった方々、ポイントを入れてくださった方々、どうもありがとうございます。

 このシリーズを編纂・挿絵挿入し、電子書籍化いたしました。下記のアドレスまたはホームページからご購入できます。是非一度ご覧下さい。

購入ページ直接リンク https://carte.booth.pm/items/285353
CARTE
http://www.geocities.jp/carte_0406/index.html
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コメント



0.320簡易評価
8.100名前が無い程度の能力削除
よかったです
なんかこういう顛末が正解という気がします
なぜかわからないですけど多分これで正しいみたいな
そんな気がします

思えば椛とはたては仮にも戦闘的な組織である天狗一味のひとりなんですから
些か甘い気がします
弱いなら弱いなりに弱ってるなら弱ってるなりに分を弁えるというかこびるというか政治というかそういうのはあるべきだと思います
例え親友相手でも
じゃないと意識では親友だと思っていても無意識ではそんな平和ボケしたふたりに制裁したくなる
これがこの一連のシリーズで起こる理不尽の正体だと推測します
だから表面意識じゃ不注意の事故で椛に迷惑をかけまくっていますが深層意識じゃ一種のもっとも厳格な義務を果たしている
そんな感じだと思います

だから最後の理不尽とも言える仲直りは
椛とはたてが政治というか媚びというか営業というかそういうのに無意識ながらかどうか目覚めたわけであり
だからこそ文が理不尽な態度を崩さなかった

だからこの話は大いに成長物語であると思います
椛達にとっても文にとっても

教訓としてはいくら平和でも政治を忘れるな
いくら仲良くても力差や立場を無意識でもいいから考えろってことですかね

中々奥深い話だと思いますよ
12.10名前が無い程度の能力削除
うーん、全編通して思ったのは、文章は素晴らしいのですが、長いわりにストーリーがありきたりで似たような展開ばかりという印象を受けました。
このシリーズの世界観だけで言っても、いろいろな事が起こってきたのに、未だに稚拙な事を嬉々として実行する文とにとりの心情が理解できません。
シリーズの最初のうちはともかく、ここまで来ると、大体の話の流れが簡単に読めてしまいます。文章は素晴らしいのに非常に勿体ない。

ところで、私の記憶が確かなら、厳しめの批判コメントが上の方にあったような気がしたのですが。
13.無評価CARTE削除

>13様
 文章を褒めてくださり感謝します。
 御指摘の、展開が読めてしまうということは創作における予定調和ということだったのでしょう。また心情が伝わらなかったという点も、キャラクター主体で創作していたので耳が痛いです。今後の課題として、しっかりと胸に刻んでおきます。

>ところで、私の記憶が確かなら、厳しめの批判コメントが上の方にあったような気がしたのですが。

 13様の記憶は確かです。私も見たのですが気づけば無くなっていました。削除キーがありますのでコメントした本人にしか消せないはずです、なにか理由があったのでしょう。
14.無評価名前が無い程度の能力削除
件のコメントは規約違反に抵触して、管理人様に削除されたみたいだよ
15.90名前が無い程度の能力削除
それぞれの強力な絆の理由が全編通してあまり描写されていなかったので、多少理不尽かなぁと感じました。
しかしはたてちゃんがかわいいのでそんなことは問題ではなかった。
連載はいろいろ辛いことが多かったのではないでしょうか。
完結出来たことは誇るべきことと思います。
お疲れさまでした。
16.無評価CARTE削除

>16様
 全編見てくれてありがとうございます。
 ご意見を見ていると、どうも理不尽さの方が先行しちゃってるみたいですね。キャラの気持ちになりすぎて頭の中で話が進行してしまい、途中の描写が足りずに理不尽に繋がってるのかもしれません。課題だらけですね……

 あなたの感想を見て、はたてがそっちに行きました。部屋を散らかして、腹を空かしておいてください。掃除して食事を作ってくれますよ。
17.100名前が無い程度の能力削除
完結おつかれさまです。
楽しく読ませて頂きました。
20.無評価CARTE削除
コメント削除に伴いアンカーがずれたので再度投稿

>8様
 作者です。コメントどうもありがとうございます。
 私は、作者が物語以外の場所で物語を説明するのは読者の楽しみ方を制限する、と考えております。なのであなたの御推察に対しては何も言えません。

 ですが、作者としてではなく一人の人間として、あなたに感謝します。お褒めのお言葉を拝見して、じわっと目頭が熱くなりました。たった二ヶ月とは言え本当に心を込めて書いたので、素直に嬉しいです。8様のおかげで私はとても幸せになりました、創作者としての喜びを与えてくれて、本当にありがとうございます。
 同じ空のもとにいる8様に幸福が訪れますように。

>17様
 どうもありがとうございます。次回作もよろしくお願いいたします。
21.100椎野樹削除
よかったです。
場面々々の展開で誰視点なのか戸惑う所がありましたが、全体的に綺麗にまとめて大団結にできたのが良かったと思います。
次回作にも期待しています。