Coolier - 新生・東方創想話

幻想闇市

2016/05/16 01:33:11
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提灯の灯りが森の木々の闇間に揺れる。
その夜、私は一人で森の中を歩いた。
人間の里から少し歩いた場所。あたりはひっそりと静まり返っている。
人気はない。
虫の声もない。
風もない。




竹林の奥の屋敷で聞いた、妖怪の市の噂。そこにはなんでも売っているらしい。生き死にの区別なく人間さえ売っいるとか。
どこまで本当か知らないが。



森の中をしばらく歩いていると、一人の少女と出会った。

「おっ、お姉さんも市にいくのかー」

妙に間延びした話し方をする、金髪の少女だった。

「え、ええ。そうよ。あなたも?」

「そうだぞー。一緒に行こう」

ほんの子供に見えるが、目的地が同じということはこの子は妖怪に間違いない。

「お姉さんは何か買うものは決まっているのかー?」

「あ、あのね、私はチョコレートスープが欲しくてね」

「チョコレートスープ?」

「市でしか売ってないチョコレートスープがあるって聞いて、どうしても確かめたくて。チョコレートスープが売っているお店って、市の中のあるかな」

「知らないなあ。私も客として行くだけだから」

「そっかー…」

「そんなことより、お姉さんは、あるかどうかもわからないそのチョコレートスープとやらを買うためだけに、一人で市に行くの?」

「そうだよ」

「あそこへ行くことを誰かに言った?」

「…?言ってないけど」

少女は微笑みながら「そーなのかー」と頷いた。

突然、少女が抱きついてきた。

「えっ、ちょっと、どうしたの?」

「お姉さん、いい匂いがするね…。たべちゃいたいくらい」

少女の雰囲気が変わった。驚いた私はあわてて振りほどこうとしたが、しかし彼女の華奢な体はびくともしない。

「助けて!」

「叫んだって、来るのは私みたいな妖怪ばかりだよ。面倒な奴もいるけどね…」

私はとうとう悲鳴をあげ、死に物狂いで暴れた。しかし彼女は離れない。

悲鳴をあげる私の視界の片隅を、紅い何かがかすめた。一瞬のことだった。そしてその何かが、私を妖怪の少女から引き離した。
どこからか飛び出してきて私を引っ張ったのは、紅白の巫女服を纏った少女だった。里で見たことがある、彼女は博麗の巫女だ。

「邪魔をするの、霊夢?」

「そうよ」

彼女は手に持ったお祓い棒で、私を指した。

「彼女は迷い子よ。私が保護する」

「なんだと」

妖怪の口調が変わった。

「迷い子に手を出してはならないわ」

「そいつは迷い子じゃない。そいつは行き先が市であることをちゃんとわかった上でここにいる。さっき確認した、迷い子じゃない」

「迷い子かどうかは私が判断する。口は出さないで。わかったら早く消えて」

「偉そうに…」

巫女はお祓い棒を妖怪に向けた。

「行って」

妖怪は大きく項垂れて、さっきまでの飄々とした雰囲気に戻った。

「はあ~、わざわざ市で人の肉を買わなくて済むと思ったのに」

最後に恐ろしいことを言い残し、妖怪はその場を後にした。

全身の力が抜けた。

どうやら私は、博麗の巫女に窮地を救ってもらったようだ。彼女は信用できるだろう、巫女は妖怪や神が引き起こす様々な異変を解決してきた。人間の味方だ。

「帰りなさい。里まで一緒に行ってあげるから」

その言葉に、私は息を呑んだ。「いいえ、駄目なんです。帰れません。帰る訳にはいかない…買いたいものがあるのです」

「妖怪の市で?」

「はい」

「わかってないようね。市は妖怪の巣窟、無力なあなたがいけば、すぐにとって食われるわ」

「それでも…」

「いい、あなたは今、とんでもない奴に襲われたのよ。あの妖怪はルーミア、いままでに何十何百と人を喰らってきた。恐ろしい妖怪よ」

全身に悪寒が走る。「そんな…」

「市にいるのはそんな奴ばっかりよ。あなたに人と妖怪の区別がつかなくても、向こうから見れば一目瞭然。悪いことは言わないから、あそこで買い物するなんて考えは捨てて、帰りなさい」

「…いいえ、諦められないのです」

私は膝の震えを押し殺し、道なりに進んだ。

「待ちなさい」

「お願いです」

「だめ、私はあなたが市にいくのを見過ごすことはできない」

「でも保護するってことは、市から追い出すってことでしょう」

「それが一番安全なの」

「それでは困るのです。市でどうしても買わなくてはいけないものがあるのです」

巫女は、「まったくもう」と呆れるように息を吐いた。

「仕方ないわね。私から離れるんじゃないわよ」

「え」

「一緒に行ってあげるわ。なにを買うのかしらないけど、気の済むまで探してなさい」

「ど、どうして」

「ここで無理に追い返して、後日またこっそり来られても困るからね。ただし、今夜探して無かったなら、素直に諦らめてね」

彼女は歩き出した。

私も慌てて歩き出した。

「ありがとうございます、巫女さん」

「霊夢よ」

「え」

「私の名前は博麗霊夢、博麗の巫女よ。博麗の巫女は知ってるでしょ」

「はい、里で霊夢さんを見かけたことがあります」

「そう…なら、よかった。ところで、あなたは一体、何を探そうというの?」

「チョコレートスープを」

「チョコレートスープ?」

「ご存知ありませんか」

「知らないわねえ、私は市に興味ないから」

「じゃあ、どうすれば」

「商いのことは商人に訊くのが一番よ。信頼できるやつからそれらしいものが売ってないか訊いてみましょう」





やがて森が途切れ、人工物らしい直線的なシルエットばかりが続くようになる。ここが過去に打ち捨てられたという廃村らしい。
ここまで来ると、もう、耳を澄まさなくても、喧騒を感じられるようになる。多くの者が集まっている場所へ確実に近づいているのがわかる。

「あの、霊夢さん」

「何かしら」

「あなたはさっき、私のことを迷い子とよびましたが、それは…」

「ああ、あれね。たまにあるのよ、あなたみたいなただの人間が市に迷いこんでくることが。そういう人間は、発見次第保護することになってる。私以外にも妖怪と人間の中立にあって力のある者が市をみまわってるの」

「発見されなかった迷い子は、どうなるのですか?」

「自分の迂闊さを呪ってもらうしかないわね」

ということは、霊夢に見つけられた自分は、あながち悪運続きというわけではないのだ。
ぞっとしつつも安堵した。


チョコレートスープ あなたの番

もう いらないでしょう

だったら わたしに ちょうだいな


横を歩く霊夢が、ふと呟いた。「その歌」

「え?」

「妙な歌ね」

「歌…あれ?私、今、歌ってましたか」

「歌ってたわよ」

「ああ、無意識でした。お恥ずかしい。つい口をついて出てしまったみたいで」

「妙な歌ね」

「そうですね。変な歌ですよね。私も最近知った歌なのですが、なぜだか耳について離れないのです…」

これを歌っていたのは、ある女だ。
名前も知らない女だが、彼女がいつも口ずさんでいたこの歌だけは、なぜかよく覚えていた。


むしゃむしゃむしゃ

むしゃむしゃむしゃ

なんて おいしいチョコレートスープ

お肌も きれいになりました


ふと顔をあげると、廃屋と廃屋の間から見える細い幻想郷の空が、低い位置で赤く焼けているのが見えた。

「あれはは篝火よ」

霊夢は突然足を止めると、顔を私に向けた。

「あの、私、どこかおかしいですか」

「おかしいというか」

「何かまずいですか」

「そうね。その姿では、ちょっとね」

何がいけないのだろう。
私は私の体を見下ろして見たが、何が問題なのかはわからなかった。

「はあ、どうしましょう」

「仕方ないわね、私が術をかけてあげる」

そう言うと、霊夢は懐から一枚のお札を取りだし、私の胸に貼った。

「こ、これは?」

「一種のカモフラージュよ。対象者の体をこちらに都合のいいように見せるわ。これならあなたが人間であることも隠せるしね」

特に何か変わった様には見えなかったが、霊夢が言うのならそうなのだろう。

「さて、いきましょ」




私は思わず足を止めた。

「ここが、妖怪の市…」

なんとなく、閑散としたようなイメージがあったが、実際には、意外なほど多くの妖怪が行き交っていた。あまり何度も妖怪を見たことはなかったが、その幾つかはあまり人とは違わない、少女の姿をしていた。
もう後には引けない。
私は市に一歩、足を踏み入れた。

目抜通りは、目抜通りなのに、ぐねぐねと曲がりくねっていた。
目抜通り沿いには、様々な露店が軒を連ねていて、それぞれの商店主は、買い物客と熱心に交渉していたり、ひやかしに胡乱な目を向けていたり、退屈そうにしていたりした。こういう雑然としたところは、普通の市場と変わらない。

やがて広場に至った。
あちこちに、秩序があるようなないような配置で、無数の篝火が組まれている。夜空が赤々と燃えていたのは、霊夢の言うように、あの篝火を照り返していたからだろう。

「おおい、霊夢」

声をかけられ、霊夢は足を止めた。
手を振り親しげに近づいてきたのは、青を基調とした独特の着物をきた、銀髪の男だった。眼鏡をかけている。

「よう、お疲れさん」

「あら、ちょうどよかった、霖之助さん。市のなかでチョコレートスープを売ってる店はない?」

霖之助と呼ばれた男は「チョコレートスープ?」と首をかしげた。
これは自分が説明しなくてはと思い、私は思いきって一歩前に踏み出した。

「あ、あの」

すると霖之助は、今初めて私の存在に気づいたというふうに私を見た。

「今しゃべったのは彼女か?これは…彼女、人間だね」

私の全身の毛が逆立った。
やばい、もうばれた。

「ちょっと、あまり大きい声でいわないでよ。ああ、この人にならばれても大丈夫よ、信用できるから」

「ふむ…、訳ありなようだね、心配しなくてもいいよ、僕は人間には友好的だ。僕の片親は人間なんだ。はじめまして、こんばんは。僕の名前は森近霖之助、魔法の森の近くで古物商を営んでいる。ここへは客として来た」

「あ、はい、よろしくお願いします。それで…そのチョコレートスープは、この市でしか売ってないらしくて」

そこまで聞いて、霖之助は「ははあん」と頷いた。

「チョコレートスープか、チョコレートスープ、チョコレートねえ…ところで、キミ、アオギリ科の常緑高木であるカカオの種子から作られるチョコレートなる食品は、今日のような甘く口当たりのいい嗜好品として世界中で愛されるようになる以前、そもそもどういう用途で食されていたものであったか、しってるかい?」

唐突な問いに、私は困惑した。
霊夢は呆れたようなな顔をしている。

「わからないかい?」

「はあ」

「古代マヤ人は、カカオの実をすりつぶして…」

私は彼の話を上の空で聞いていた。

霊夢がこそっと囁いた。

「霖之助さんは蘊蓄をたれるのが好きなのよ」

「はあ」

「そのぶん物知り」

霖之助は胸を張って言った。

「…つまりだね、ここ幻想郷においてもチョコレートと名のつく飲み薬は幾つか存在する。おしなべて、この市においてチョコレートとは菓子ではなく薬を指すのだ」

「薬」

「そう。君がさがしているチョコレートスープが何であるかまではわからないけど、その隠語で売られている薬があったとしても、おかしくない」

「隠語…なのでしょうか」

「その品はこの市しか売ってないんだろう?普通のチョコレートなら僕の店にも置いてある」

妖怪の市でしか売ってないチョコレートスープとは、薬のことだったのか。

一体どういう薬なのだろう。

霊夢が聞いた「そういう薬が売られていそうな店はない?」

「うーん、そうだな。売ってるかどうかはわからないけど、あの永遠亭の薬売りの兎のところなんてどうだ?彼女もここに商売に来ているそうだ」

「鈴仙のことね、探してみるわ」




霖之助が教えてくれた商店主のところへ向かうことにする。
賑わしい一帯からはは少し離れたところ。廃屋が廃屋と廃屋に挟まれてどうにか立っているような、窮屈で朽ち果てた一角。
前に垂れさせた兎の耳をもった、学生服姿の少女が、ひび割れた階段に腰掛けていた。
霊夢がまず声をかけた。

「鈴仙」

「あら霊夢、いらっしゃい。でもあんたはお客じゃないよね」

霊夢はやんわりと私を前に押し出した。

すると鈴仙はたちまち表情を明るくし「あら、お客かしら」と声を弾ませながら、足元に置いてあった巨大な道具箱を引き寄せた。箱からは、ガチャガチャとガラスのふれ合う音がした。

「さあさ、どんな薬をお求めですかな。目薬、軟膏、飲み薬。なんでも揃っておりますよ」

鈴仙の口上を遮って、霊夢が訊いた。「あんた、チョコレートスープという商品を扱ってない?」
鈴仙は怪訝そうに霊夢を見た。「ないけど」

「チョコレートスープという商品名に心当たりはある?」

「ないねえ。お師匠様ならしってるかもね」

「市の中でそういうものが売られているという話を聞いたことはない?」

「それもないねえ」

私は落胆した。「そうですか」

「空振りだったわね。行くわよ」

霊夢が背を向けると、鈴仙は「ええっ、何、もう行っちゃうの」と情けない声を出した。

「用は済んだわ」

「ああん、待って、待ってよお」

鈴仙は私の服の裾をはっしと掴んだ。

「あ、ちょっと」

「確かに私は、その、チョコレートスープのことは知らないけれど。でも、せっかく来たんだから、せめて品物だけでも見てってよお。長い間、お客が来なくて暇してたの」

なんだか彼女が哀れに思えてきた。
私は霊夢の顔色を伺った。顔色は渋い顔をしている。

「では、少しだけ」

「あ、ありがとうございます」

鈴仙は可愛いらしい笑顔を浮かべ、ようやく服から手を離した。
彼女の道具箱の中には大小の瓶が無数に納まっていた。

「嘘か真か。嘘か真か。どんな薬をお求めかな。お客さん。苦しい恋をしているのなら、こんな薬はいかがかな。トリスタンとイゾルデが飲み交わしたという、愛の秘薬でございます。謎に包まれていたイゾルデの母のあのレシピも、月の叡智にかかれば朝飯前。意中の方の飲み物に数滴垂らせば、あら不思議、この世ならぬ熱烈な仲のなること請け合いでございます。嘘か真か。嘘か真か…」

鈴仙は次から次へと興味をそそる小瓶を取りだした。いかにも怪しい真っ黒な小瓶。蠱惑的な丸みをもつ真っ赤な小瓶。香水のそれのように可愛いらしく装飾的な小瓶…

まるでマジシャンだ。鈴仙の手つきと口上に私はすっかり魅せられてしまい、自分の目的もわすれて、小瓶の妖しい輝きに見入った。

「さあさ、お客さん、何か気になるものはないかな」

「ええっと…うーん、こんなに多いと、迷ってしまいますね」

「ではこうしよう。なんでもいいから直感で一つ、選んでごらん」

「直感で?」

「そう。直感で求めるものが一つの答えであることもあるのよ」

わかるようなわからないような。
私が首をかしげていると、すかさず霊夢が言った。

「選んだものを買わせるつもりじゃないでしょうね」

「まさか、霊夢の前でそんなせこいこと、しないわよ。さあお客さん、お一つ選んで、選んで」

「そう…じゃあ、これを」

目についた小瓶を摘まみあげる。
私の親指くらいしかない、本当に小さなガラス瓶。雀の涙ほどに封じ込められているのは、鮮やかな紅色の液体だ。

「あっそれは…、お客さん、ずいぶん濃ゆいものをお引き当てましたね」

「綺麗な色ですね。これはなんの薬ですか」

「なんだとおもいます?」

「なんだろう、この色…薔薇のエキスとか?」

「ううん。残念、薔薇は入っておりません」

「何がはいっているのですか」

「えーとですね、それは…こおろしの薬でこざいます」

「こおろし」

「子を堕ろすための薬でございます」

瓶に触れる指先に、ひやりと寒気が走った。
力が抜けた私の手から、小瓶がぽろりと落ちた。

「あっ!」

鈴仙は慌てふためいて手をのばし、小瓶をキャッチした。

「ふう、危ない危ない。お師匠さまに怒られるところだった」

ふらついた私を霊夢が受け止めてくれた。

「ちょっと、大丈夫?」

「いえ、あの…」

うまく言葉が出てこない。
ひとりでに呼吸が荒くなる。
どういうわけか震えが止まらない。
気分が悪い。

「すみません、ちょっと…目眩が」

「目眩?」

鈴仙が言った「ごめんなさい、何か悪いことを言ってしまったみたいで」

「いいえ、別にあなたは悪くないわ。邪魔したわね」





「何か飲む?」

「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます」

広場の隅の、ベンチ代わりの丸太に腰掛けた。
霊夢も私と並んで座った。

「まだ目眩はする?」

「いいえ、いいえ、もう大丈夫です。すみませんでした」

なぜだろう、ひどくだるい。
体が重い。どうしてこんなに、と首をかしげてしまうほどに。
篝火が照らす広場は、先程よりも人が増えた様だった。この市は、夜が更ければ更けるほど盛況になっていくらしい。この喧騒は、市というよりは、まるで祭りだ。
妖怪の祭り。
毎夜こんなに賑わしいのだろうか。
広場の中心では奏者と思わしき少女たちが演奏していた。キーボード、トランペット、バイオリンなど、里ではほとんど見かけることのない楽器を手にしていた。
また、能楽を舞っている少女がいた。常に無表情で、彼女の回りには沢山のお面が浮かんでいた。

「チョコレートスープって、一体なんなの?」

霊夢が訊いた。

「分かりません」

「分からないって…あんたはチョコレートスープを見たことがないの?」

「ありません。霖之助さんに指摘されるまで、ただのお菓子と思って疑いませんでした」

「見たこともないものを、なんで探してるのよ」

「教えてくれたんです、ある女性が…」

「何者よ、その女って」

「…分かりません」

「あんたとはどこでどう出会ったの」

「竹林の奥の屋敷で、私は入院していて、その女性も入院していて、私より先にいたんです、彼女の方が、何日も前から」

「永遠亭ね」

「ええ、私達は毎晩喋っていました…」

耳の奥で、あの歌がこだまする。
あどけなく、しかしどこか悲愴な、あの歌。
そう、あの女が歌っていたのだ。
彼女があまりにも繰り返して歌うものだから、いつしか私も覚えてしまった。


チョコレートスープ あなたの番

もう いらないでしょう

だったら 私に ちょうだいな

広場で一際大きなざわめきが起きた。
何かと目をやれば、広場の隅で、二人の少女が揉み合っていた。二人は見た目からは到底想像もつかない、人間離れした力で互いに傷つけ合っていた。
やがて片方が飛び上がり、もう片方も炎の翼を広げて宙を舞った。
霊夢は「やれやれ」と肩を落とした。

「仕方ないわね、ちょっと行ってくるわ」

「喧嘩…といっていいんでしょうか。あれの仲裁も博麗の巫女の仕事なのですか」

「そういうことよ。あんたはここで待ってて。絶対に動くんじゃないわよ」

素早く言い残し、霊夢は夜空を彩る花火の中に消えていった。
こうして私はぽつんと一人、取り残された。

そのとき。
歌声が耳に入ってきた。
喧騒にかき消されそうな、かすかな歌声が。


チョコレートスープ あなたの番

もう いらないでしょう


「この歌は」

私は息を詰めて耳を澄ました。


だったら わたしに ちょうだいな

わたしが 食べてあげましょう

ちょっとした物音でかき消えてしまいそうな、頼りない声量。
どの方角から聞こえてくるのか突き止めたくて、私は立ち上がり、あたりをさ迷った。霊夢の「絶対にうごくな」という言い付けが脳裏を掠めたが、止められなかった。
しかし気づけばもう歌声は聞き取れなくなっていた。
空耳だったのか?
私は項垂れた。今宵は何度こうして落胆しただろう。
肌にチリチリとした熱さを感じた。気づくと、ずいぶん篝火に近づいていた。慌てて距離を取る。
と。

むしゃむしゃむしゃ


やはり聞こえる!
空耳などではない。
子供の歌声だ。どこで歌っているのだろう。
そう遠くない…


なんて おいしいチョコレートスープ

お肌も きれいになりました

歌声に誘われるように広場の端まで行き、細い路地をのぞきこむ。あかりがほとんど届かない奥のほうに、小さな影が一つ、幽霊のように立っていた。

「あの、すみません」

私の声に反応したように、影はこちらに歩いてきた。女の子だった。黒くつばの広い帽子をかぶった、銀髪の少女だ。胸のあたりには瞳の閉じられた目のようなものがある。

「ちょっといいでしょうか。訊きたいことがあるんです。さっき、あなたが歌っていたあの歌。チョコレートスープがどうのという歌。あれ、どこで知りましたか」

少女は私の目を見つめ、歌い出した。


チョコレートスープ あなたの番

もう いらないでしょう


「そう。それ。その歌。あの、チョコレートスープのこと、あなた方はご存知なのですか」

少女は頷いた「しってるよ」

「ホントですか。よかった!」

「知りたいの?」

「ええ、あの、どうか、教えてください」

「教えてあげてもいいけれど、ここじゃだめな気がするわ」

「そんな」

「だってここにはチョコレートスープがないもの。私はチョコレートスープを持ってないもの」

「じゃあどうすれば」

「よかったわね。あなた、運がいい。私、これからお姉ちゃんのところにいくの」

「お姉ちゃん?」

「ええ、そう。チョコレートスープを持っているのは私の姉。チョコレートスープを作れるのは私の姉」

「どうすれば貰えますか」

「お姉ちゃんは優しいからきっとくれるわ」

少女は笑いながら言った。

「よかった…」

「そうと決まれば行きましょう」

そうして少女は意気揚々と路地の奥へ向かって歩き始めた。



やがて行きついたのは、廃村の外れにある大きな洋館だった。明らかに廃村の雰囲気にそぐわない洋館を疑問に思ったが、少女は勝手知ったる様子で鉄格子の門を抜け、呼び鈴を鳴らすこともノックすることもなく、一直線に玄関へと向かい、私に立ち止まる暇を与えなかった。
少女が玄関の扉を開けた。
白い壁、白い床、白い天井。
目が眩むほどに白い内装で、この場において汚れなどというものは存在すら許されていないかの様だった。そんな場所だから、土足で入っていいのかと躊躇した。

「どうしたのどうしたの。早く行こうよ」

少女に促され、ようやく踏み出した。
エントランスから段差も仕切りもなくダイレクトに続く廊下は、異様なほど長かった。外観からも大きな屋敷だとは知れたが、まさか、ここまで広いとは。
四つ角を何度か曲がって、やがて、天井から床までを覆う幕に行く手を阻まれた。

少女は、汚れ一つなく真っ白に輝く幕に「お姉ちゃん、私だよ」と声をかけた。
すると、間を置かず「入りなさい、こいし」という少女の声が帰って来た。
こいしと呼ばれた少女が「入って」と言いながらさっさと幕の内側に入ってしまったので、私も続いて身を滑り込ませた。
大きな部屋の奥は段が上がっていて、そこにある椅子にはピンク色の髪をもつ少女が座っていた。胸にこいしと同じものがある。おそらく彼女が"お姉ちゃん"なのだろう。
その足元には、紅い髪を三つ編みにした、どことなく猫に似た少女が座っていた。

「さとりお姉ちゃん、この人、チョコレートスープが欲しいんだって」

「ほう…そうですか」

さとりと呼ばれた少女は、私のことを胸ににある目で見つめた。遠慮のない視線は、まるで心の奥底まで見透かされるようだった。

「成る程、事情は読めました。ご安心を、チョコレートスープはここにあります。用意させましょう、お燐」

「分かりました、さとり様」

さとりの足元に座っていた少女が立ち上がり、そして瞬く間に消える。
いつの間にか、私の前に白木のテーブルが運ばれていた。同じく白木の椅子も私の背後に置かれた。テーブルに、真っ白なクロスがサッとかけられる。お燐と呼ばれた少女に促され、私は椅子に腰掛けた。
ああ。ついに。
ついにチョコレートスープを手に入れられる。
よかった。
本当によかった。
やはり、この市に来たのは間違いではなかった…。
目の前に、銀の蓋がかぶせられた皿が置かれた。水差しとグラスも置かれた。カトラリーもきちんと置かれた。
テーブルが整えられたのを見て、さとりが声高らかにいう。

「さあ、これが、あなたの望むチョコレートスープですよ」

テーブルの傍らに立っていたお燐が、優雅な手つきで蓋を取り払う。

真っ白なスープ皿になみなみと湛えられていたのは、どろりとした赤黒い汁だった。生ぬるい湯気が立ち、吐き気を催すほど血腥い。浮き身は、小動物の目玉や虫の翅や鱗のついた指だった。
なんだこれは。

「それが、あなたが心から望んだチョコレートスープですよ」

食わなければ食われかねない雰囲気だった。
震える手でスプーンをとると、おそるおそるスープ皿に突っ込んだ。
かき混ぜられたスープの底から、ヒトのものと思わしき爪がざらざらと無数に浮かんできた。

「ひっ…」

私は思わずテーブルの上皿を払った。

「あら、何をするのですか」

さとりはなぜか、微笑みながらそう言った。

「ダメじゃない、ちゃんと食べなきゃ」

こいしが言った

「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。つい。あの、お代は払いますから。許してください」

さとりが椅子から立ち上がり、私のもとへ歩み寄ってきた。
私の胸に手を添え「お代なんかいりませんよ、私が欲しいのは…」
そう言うと、私の胸のお札を引き剥がした。

「ほう、あなた。いいチョコレートを持っているじゃないですか」

さとりは私の腹部に触れた。風船を詰め込んだかのように膨らんだ私のお腹に。

そう。
もう臨月なのだ。

さとりの横にこいしが立った。

「まあもうわかってると思うけどチョコレートってのはソレのことなのよ」

「私達覚り妖怪はヒトの心、思い、意思を喰らいます。赤子のそれはまた格別なのですよ」

「あなた騙されたのよ。材料として差し出されたのよ」

「チョコレートスープのことを知っているものはそう多くありません」

「私達にチョコレートを毟りとられた女に、自分と同じ目に遭わせようとした女に」

「何と言われたのかは知りませんが」

「あなた騙されたのよ」

私は答えることもできず、凍ったようにその場に立ち尽くしていた。背後からは、猫の少女が歌う、あの歌が聞こえてくる。


チョコレート あなたの番

もう いらないでしょう

だったら わたしに ちょうだいな


「そこまでにしておきなさい」

白い部屋に鈴のような声が響き渡った。
初めて出会ったときと同じように、霊夢は私を妖怪から引き離し、妖怪の前に立ちふさがった。

「霊夢…」

さとりは感情のこもっていない声で言った。

「私の食事の邪魔をするつもりですか」

「彼女は迷い子よ、私が保護する」

一瞬の膠着の後、さとりはスペルカードを発動しようとした。
霊夢はお祓い棒でそれを制する。

「これ以上この人に危害を加えようとするなら、スペルカードルールじゃ済まさないわよ」

さとりは苦い顔をして、大きく溜め息をついた。肩をすくめて、観念したように言う。

「はあー、あなたが相手では仕方ないですね」

「諦めるの、お姉ちゃん?」

「そうですね、こいし。今回は仕方ありません」

「今回はって…もう二度とやるんじゃないわよ」

「そこで素直に従う訳にはいきません。私達は妖怪ですから」

霊夢が私の方に向き直った。

「あんたねえ…待ってろって言ったでしょ」

「すみません…本当にごめんなさい」

「目を離した私もいけなかったけど、まさかよりにもよってさとりのところに来るとはね。これだから迷い子はめんどくさいのよ」

霊夢は再びさとりの方へ向いた。

「そろそろ想起を解いてくれる?屋敷の入口からここまで来るの、大変だったんだから」

「分かりましたよ」

さとりは両手の平を辺りに向けて、目を閉じた。
すると、立派な洋館はありふれた廃屋になった。

「さあ、帰るわよ」

霊夢は私の手を引っ張り、建物の外へと出た。




赤ちゃん。
私の赤ちゃん。
彼の子ども。
事故で死んだ。
一人残された私は絶望した。
これからどうすればいいのだろう。
一人でこの子を育て上げる自信がない。
悩みながら歩いていたら階段から転がり落ちた。

目が覚めたときには永遠亭にいた。
歌が聞こえる。
すぐそば。
カーテンの向こうから。
私は寝たまま腕をのばし、カーテンを少し開いた。隣のベッドの上で、女がこちらを向いて正座していた。
女は囁いた。可哀想にね。

「…何が可哀想なの」

女は言った。あなたの赤ちゃんこのままじゃ助からないわよ。

「なんですって」

チョコレートスープ飲まなきゃダメよ。

「…何、それ」

チョコレートスープしかない。妖怪の市でしか売ってないチョコレートスープ。これを飲まないとあなたの赤ちゃん死んじゃうわ。

「どういうこと」

ここの人たちは何もしてくれないし、何も言わないわ。

「そんな」

薬で朦朧としているところに、毎晩毎晩、そんな話を聞かされ、あんな歌を聞かされて、だから私、行かなければならないと思い込んでしまって…。


幻想郷の夜空は、満面の星空だった。

「ほら、つかまって」

霊夢と手をつなぐと、ふわりと体が浮き上がった。
二人、いや三人で、星空へと飛び込む。
静かだった。
高く高く上がっていくごとに市の喧騒は薄れていき、やがて風の音のみが聞こえるようになる。

「私は母親になれるかしら」

「さあね」

「上手くやっていけるかしら」

「きっと大丈夫よ」

霊夢はあっさりと言ってのけた。

「そうかしら」

「知らないわよ。けどまあ、あんたが大丈夫だって思うんなら、きっと大丈夫よ」

私のお腹を内側から蹴るものがあった。まるで忘れるなと言わんばかりに。

「寒いわ…」

「そうね、だから早く、人間の里に帰りましょう」

私は振り返り、市の光を眺めた。
夜の闇に浮かびあがる、幻想の光を。

「でも、綺麗」

東の空が白み始めていた。
私がこの市にくることは、おそらく二度とない。
妖怪が跳梁跋扈しながらも、美しく幻想的な光を放つ妖しい市場。
この話は元々は2次創作として書いたものではなかったので、少しキャラの口調がおかしいのと、東方分少な目かもしれません。
この不思議で蠱惑的な世界観は気に入っているので、また同じ設定で書くことがあるかもしれません。
そのときはもっと、東方キャラに焦点をあてた話にしようと思っています。

#10 さん コメントありがとうございます
こういう自分を成長させてくれるような感想はとても励みになります。

#20 さんコメントありがとうございます
霊夢がお札を貼る直前を読み返してみてください。霊夢は「その姿では、ちょっとね」と言ってるとおもいますが
執筆刑の刻印持ち
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コメント



0.840簡易評価
1.20名前が無い程度の能力削除
違和感が凄い。キャラさえ使えば二次創作と言わんばかりの作品でした。
3.90名前が無い程度の能力削除
東方は原作からして対立する事実関係、曖昧にされる真実、
無数にありうる世界解釈に開かれています
このお話はぞっとすると同時に美しく、一つの世界観が確かに立ち上がっていると思います

私の中では、さとりは本当に”チョコレートスープ”を出したわけではなく、
恐怖心を食べるための心象風景を見せただけだと信じたい気持ちがあるのですが、
それは私が優しい世界解釈が好きなだけですね
どこか『夜市』を思わせる妖怪の市の描写は凄く私好みです

また力のこもった話を読ませていただきたいので次回作も頑張ってください
5.90名前が無い程度の能力削除
怪しげな雰囲気が魅力的でした。
9.90名前が無い程度の能力削除
 ダークな感じを醸し出しつつ、でもちょっぴり優しさや希望が感じられる、良いお話でした。
 私は言うほど違和感も感じませんでした。
10.100名前が無い程度の能力削除
こういう話は胸にキツイ
前の方が好きです

こういう話を美しいと思える感性は正直危険だと思うし醜いとも失礼ながら思えますし寧ろそう思うべきとすら思いますが
ひとつの選択としてありえる感性であり現実に存在している感性のひとつであることも認めるべきものかも知れませんがもしかしたら存在自体認識すべきではないほど醜い感性なのかも知れません

この話は少女が助かったのでよかったです
最大のポイントはこのような恐ろしい世界があることとそれに対する迂闊で無防備な弱者と何よりそんな馬鹿でもそれを助けようとする強者の意思の存在でしょう

自分が弱者であればヒーローな強者を期待せず迂闊で無防備な馬鹿であってはならないですが
自分がヒーローにならないとはいえ
ヒーローたる強者の意思と馬鹿な弱者が助けられた結果に対して
祝福する感性は持ちたいものです
少なくとも彼らを呪う感性にはなりたくないというか屈したくないものですね
それは案外難しいことかも知れませんが

次回の話もどんな話であれ期待しております









12.50名前が無い程度の能力削除
うーん、評価が難しいな。構成力はあるし、オチもある。文章も上手くはないけど下手ではない。
でも、読後に面白いという感想が出てこない。なぜなら強みがないから。
あなたは人にこの作品を勧める時にどこが面白いと言うでしょうか?
世界観を勧めるならば、中盤の夜市の描写をもっと多くすべき。あえてテンポを崩して地の分で埋めてしまうのも一つの手でしょう。
キャラ描写を勧めるならば、奇想天外な行動をさせましょう。原作通りというのはいい意味であり悪い意味です。
個人的には最後にもう一つオチが欲しかったです。黒幕登場→霊夢が助ける→終わりではいまいち盛り上がりに欠けています。
好みはありますが、主人公が食べられて終わりというのも、一つのオチだと思います。
13.80奇声を発する程度の能力削除
何というか凄かった
15.100名前が無い程度の能力削除
めちゃんこ面白かったです。
このように世界観に踏みこんだお話は久しぶりですね。
16.50名前が無い程度の能力削除
地の文の入れ方が下手かな。視点も唐突に混ざるし読みにくい。
独特の世界観を造りたいなら、まず基礎をより固めた方がいいと思う。
テーマが良いだけに荒らさがよく目についてしまった印象でした。
17.80名前が無い程度の能力削除
「母親」と「女性」という二面性と、その矛盾を現実にする覚の存在がじわりと背筋に来ますね。
「滑り落ちる『こおろし』の瓶」、「真っ白なテーブルと赤黒いスープ」、「白い部屋に鈴のような声」というような言い回しが印象的で、時に悪夢に引き込まれ、時に悪夢から引き戻されと、「世にも奇妙な物語」でも見ている気分でした。

しかしテーマ的には、霊夢の存在がなかったら最後まで読めなかったです。そこが作者さんの優しさというか、正気の象徴なのでしょうけども。個人的には霊夢のポジションに妹紅を据えるとまた違った味わいがある気もしました。まぁその場合、オチの爽快感がいささか減ってしまう恐れがありますが。

20.80名前が無い程度の能力削除
なんとも言えない闇市の暗い雰囲気と主人公の暗い心情が見事にマッチしていて物語の中に簡単に入り込む事ができ、その上でオチもよく出来ていて楽しんで読む事が出来ました。情景描写も丁寧で頭の中で映像をイメージしやすく非常に読みやすかったです。ただ、登場人物が誰も主人公の妊娠を気にする様子がなかった所に違和感を感じました。読者には種明かしの場面まで気づかせずにそういう事を表現出来たら、より良いものになると思います。
21.80名前が無い程度の能力削除
なんとも言えない闇市の暗い雰囲気と主人公の暗い心情が見事にマッチしていて物語の中に簡単に入り込む事ができ、その上でオチもよく出来ていて楽しんで読む事が出来ました。情景描写も丁寧で頭の中で映像をイメージしやすく非常に読みやすかったです。ただ、登場人物が誰も主人公の妊娠を気にする様子がなかった所に違和感を感じました。読者には種明かしの場面まで気づかせずにそういう事を表現出来たら、より良いものになると思います。
23.90リペヤー削除
この雰囲気を「おどろおどろしい」というのでしょうね……よかったです。
25.100名前が無い程度の能力削除
非常に面白かったです
久しぶりに時間を忘れられた
26.100名前が無い程度の能力削除
不気味な中にも温かみのある物語でした。
主人公が最後には吹っ切れていて良かったです。
とても楽しめました。
31.100名前が無い程度の能力削除
 面白かったです
32.90ナナシン削除
囁いてた女ってのは誰なのよ
34.80絶望を司る程度の能力削除
とてもダークな雰囲気が良かったです。
35.無評価Q-neng削除
妖怪と人間の関係性が表現されており、妖怪の本質をさらっと描かれた作品でありまして、落ちをドキドキしながら読ませていただきました。面白かったです
37.50名前が無い程度の能力削除
柴村仁の夜宵ですね オマージュならそう書くべきでは