Coolier - 新生・東方創想話

鈴仙と月の悪夢

2016/04/26 11:54:30
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 「イナバが一匹、足りないんだよ」

てゐがそう言った。
あれだけの数を常に把握しているのかと、この時だけは感心した。
いつも、私に悪戯ばかり仕掛けてくる性悪因幡だと思っていたが、部下への配慮に事欠かない所は、さすが竹林の主というだけあるな、と鈴仙は思った。

 「それで、私に探しに行けって?」

てゐ曰く、餅の受注が大量に来てしまったため、自分は探しに行けないのだと言う。
イナバ達の配置を確認している最中に、一匹足りない事に気がついたとのこと。

 「ちょーっと忙しくってねー。
  頼むよ鈴仙~。人助け……いや、イナバ助けだと思って、ね?」

てゐが両手を合わせて、懇願のポーズをとる。ウインクも追加した。
正直、聞いてやりたくはなかった。今までにされた悪戯の数々、それらを全て許したわけではない。
ましてや頼みを聞いてやるほど、私はお人好しではない。
今だって、この前の落石の罠で出来た傷がちくちく痛むというのに。

 「そもそも、ちゃんと見てやらなかったあんたの責任でしょ? 自分の失敗は、自分でカタつけなさい」

鈴仙はそう言い放った。ちょっと冷たく突き放したかもしれないが、
悪戯好きでずる賢いこいつにはいい薬だと思って、そうした。
てゐは意外そうな顔をした。目が見開かれている。
これは相当効いたかな? ま、今までの悪事を謝るのなら考えてやっても……

 「ぐすっ……」

ん?

 「うっ……ぐす……っ」

すすり泣く声が聞こえた。まさか、と鈴仙は耳を疑う。
てゐを見た。目を何度も手でこすっている。
ええ? いやいやいや、まさかそんな、有り得ないっしょー。
どうせ嘘泣きでしょ? そうに違いない。

 「ちょっとー、いくらあんたでも、嘘泣きで落とそうなんて思……」

俯いた顔を確認しようと下から覗き込んだ。
てゐの手が濡れている。
……濡れてる? えっ、この涙もしかして……本物!?

 「え、ちょっ、てゐ!? な、泣いてるの!?」

鈴仙はだいぶ狼狽した。
あのてゐが、あのてゐが! 泣いてるだなんて!
そうだ。いくら悪戯好きでずる賢くて嘘ばかりつくてゐでも、他人に対する心配や思いやりまで嘘であるはずはないのだ。
突然居なくなった一匹のイナバ。探しに行きたくても、仕事が山積みで他のイナバを放っておくわけにも行かない。
そんな時に私を頼ってきたというのに、鬱憤を晴らしたいがためだけに、困っている彼女を突き放してしまった。
鈴仙は、自分の発言をひどく後悔した。

 「ご、ごめん! さすがに今のは言いすぎた! 本当に悪かった、ごめんなさい!」
 「ぐすっ……、ううん、いいんだ……。
  鈴仙も、忙しいよね……。ごめんね。イナバは、自分で探しに行くから……」

てゐはぐずぐず鼻をすすりながら、イナバ達のほうに歩み寄ろうとした。
鈴仙はそれを、力の限り食い止めた。肩を掴んだだけだが。
しゃがんで、目線の高さを揃える。お互いの顔がよく見えるようになった。

 「いや、私が行くよ」
 「えっ? でも、鈴仙……」

てゐはまた目を丸くした。泣いていたので、目が腫れて潤んでいる。
それが、鈴仙の罪悪感を後押しした。

 「困ってるんでしょ? だったら、助けるのは当然じゃない」

鈴仙はにっと笑った。手で、涙を拭ってやる。

 「でも……」
 「いいから、あんたは仕事をちゃんとこなしなさい! 必ず見つけてくるから!
  師匠に言伝、頼んだわよ!」

てゐの肩をぽんと叩くと、鈴仙は立ち上がり竹林に向かって行った。

 「あ、ありがとう鈴仙! よろしくねー!」

てゐはもう泣き止み、他のイナバ達と一緒に手を振って見送った。
鈴仙は振り向き様に、親指を立てて返事をする。
そして鈴仙の姿が、竹林の向こうへと消えていった。
てゐはそれを確認すると、

 「……ふぅ、やっぱり鈴仙はちょろいなー」

けろりと、そうのたまった。
てゐの手には、八意特製の目薬(コンパクトタイプ)が握られていた。

 「さすがお師匠様、涙の成分そのものって謳い文句は伊達じゃないねぇ」

てゐは、だいぶ手の込んだ嘘泣きを仕掛けたわけである。
押して駄目なら引いてみろ。
泣き落としは鈴仙に対して効果てきめんだったようで、ここまで上手くいくとは正直思っていなかった。
ちなみに目が腫れているのは、先程こすったからだ。

 「笑いを堪えるのが大変なのがデメリットだね。あと、頻繁に使える手じゃない」

一人で騙しの反省会をする。
てゐは、てゐだった。

 「さあ、鈴仙はイナバ探しに行ったし、餅でもつくかー」

そうしててゐは、普通の速さで餅の準備をし始めた。餅の受注はあるが、大量ではない。
むしろ、ゆっくりついても間に合う程であった。
一方、イナバが一匹いなくなったのは事実である。
しかし行き場所は分かってるので、大慌てで探しに行くような案件では無い。
では何故、泣き落としで騙してでも鈴仙に行かせたのか。

 「面白いからに決まってんじゃん?」

深い理由はない。
騙したいから騙す。つきたいから嘘をつく。餅もつく。
てゐは、自分に大変正直な妖怪兎である。


* * * * *


鈴仙は竹林をうろうろしていた。時々、声を出しながら歩き回っていた。

 「おーい、イナバー。どこだー」

イナバが何処かへ行くとしても、竹林から外に出るはずはない。
なので、竹林を探していれば見つかるはずだ。
しかし、この迷いの竹林という場所はとにかく広い。
太陽の光もほとんど届かず、霧の立ち込める竹林は、立ち入る者から鋭気や体力をじわじわと奪う。

 「ふう、何処に行ったんだろうなぁ……」

だがそれは、鈴仙にはあまり関係のない話だった。
鈴仙は普通に竹林を歩くことが出来る。おそらく、てゐの幸運のおかげであろう。
てゐから直接そのような施しや儀式を受けたわけではない。
だが、何となくそういうのは、分かる。

 「イナバー、出てこーい。家に帰るぞー」

鈴仙は、イナバを探し続けた。


* * * * *


夕刻になった。
永遠亭では、余った餅を住人みんなで食べていた。少し早めの夕飯だった。

 「うーん、きな粉餅おいしい!」
 「姫、きな粉がぼろぼろ落ちてますよ」
 「きな粉餅はそういうもんでしょー? 風情だわ~」
 「無理矢理すぎませんか? ……あら、ウドンゲがいない?」

永琳が食卓を見渡すと、姫とてゐと、たくさんのイナバしかいなかった。鈴仙がいない。

 「てゐ、ウドンゲが何処に行ったか、知らない?」
 「ひゃぐ!?」

てゐは声をかけられ、びくりと肩を震わせた。
餅が喉に詰まりそうになったが、セーフだった。

 「いやー、私は、知らないなー。何処かに遊びに行っちゃってるのかなー?」
 「鈴仙ったら、こんな時間まで遊んでるの? 元気ねー」
 「…………てゐ、本当に知らないの?」

永琳はてゐを見据える。てゐは躊躇しそうになったが、耐えた。(?)

 「知らないですねぇ。ちょっと行ってくるって出てったっきりだもの」
 「何処に行くとか、聞いていないの?」
 「うん。どうせすぐ帰ってくるだろうと思ってたから」

てゐは、完璧にしらばっくれた。伊達に長年、嘘をついていない。

 「永琳、心配しすぎじゃない?
  鈴仙だって子供じゃないんだから、内緒で行きたい場所の一つや二つ、あるでしょうよ」
 「うーん、そんなもんですかねぇ」
 「お年頃ってやつだね」

永琳は少し考え事をしているようだったが、やがて普通に餅を食べ始めた。
てゐは内心ほっとしたが、別の内心はちょっと焦っていた。
鈴仙が出かけたのは昼過ぎだ。しかし、まだ帰ってこない。
少し本気にさせすぎたか。やはり、あの手は多用出来ないなと改めて実感した。
居なくなったイナバの場所は知っている。
だから、鈴仙がそこまで辿り着くのにそんなに時間はかからないはずだ。
何をやっているんだ。そんなに間抜けだとは思わなかった。
途中で責任転嫁をして、餅を食べた。当たり前だが美味しい。
視界の横で、永琳がこちらを見ていることに気づいた。

 「ん? お師匠様、どうかしました?」

変に目を背け続けるのも怪しいので、絶妙なタイミングで気づいた振りをする。

 「いいえ。お餅、美味しいなと思って」

永琳はごく自然に返し、自然に微笑んだ。
それは良かったと、てゐも自然に返事をした。
てゐは、伊達に長年嘘つきをやっていない。


* * * * *


鈴仙は、迷っていた。

 「はあ……はあ……、何処だ……」

いくら探しても、イナバが見つからないのだ。
永遠亭の周りから捜索を始めて、だんだん範囲を広げているのに全く見つからない。
それどころか、何処かに居たという痕跡すら見つからない。足跡も何処にもなかった。
竹林はだんだん薄暗くなっていた。もうすぐ、完全に夜の帳が降りる。
見つからなかった、と言って諦めて帰ってしまうことも考えた。
でも、鈴仙はそんなことは決してしたくなかった。
あのてゐが、泣いたからだ。
あの悪戯好きでずる賢くて嘘つきであるてゐが、居なくなったイナバを心配して泣いたのだ。
普段決して見せない涙をさらけ出したてゐ。そして、それに応えねばと啖呵を切って出てきた自分。
何の成果もなかった、と言って帰ることだけは避けたかった。
イナバ自体が見つからなくても、せめて手がかりや痕跡だけでも持ち帰りたかった。

 「……っく、……はっ……はあ……」

しかし、体力はその気持ちとは裏腹だった。
足は既に棒のようで、靴もだいぶ汚れてしまっている。
手や足には細かい傷がいくつかついていた。竹の葉で知らずに切っていたのだろう。
もう、体は疲弊していた。
鈴仙は、迷っていた。
このまま探し続けるか、それとも帰ってしまおうか。
心が折れそうだった。

 「探さないと……」

もはや気力だけで歩いている状態だった。イナバを呼ぶ気力はもう無い。

 「はっ……イナバ……、イナ……、ぅわぁあ!!」

転んだ。足が少し大きな石につまづいたようだった。
膝と手のひらが擦りむけてしまった。
土に汚れ、少し血が滲んでいた。

 「うぅっ……、こ、こんなの……痛くない……っ!」

てゐの心の痛みに比べれば、こんなもの。
部下を心配するてゐを、自分は突き放してしまった。
仲間が困ってる。だったら、助けなければならない。
鈴仙の心には、正義感に似たようなものが湧き上がっていた。
起き上がって土を払い、また歩き出す。
だが、一歩目でそれは叶わなかった。

 「ぅぐっ……!?」

右足に激痛が走り、体がバランスを崩した。左足で何とか踏ん張って、倒れるのを防ぐ。
改めて確認する。右足の感覚が、少しおかしかった。

 「……くそ、挫いたかな……っ」

つまづいた時に、変な方向に捻ってしまったようだ。
でもここで休むわけにもいかないので、無理やり歩き出した。
右足を引きずるように、鈴仙は歩く。元々体力がだいぶ無くなっているのに、
偏った体勢で歩くと、さらに余計な体力を使う。
もう鈴仙の体は、限界だった。

情けない、と思った。
てゐに、なんて言おう。このまま見つからなかったら、てゐはどう思うだろう。
『ちゃんと見ていなかった、あんたが悪い』
私が放った言葉で、てゐは責任を重く感じているに違いない。だから、何としてでも探し出さねばならない。
それほど、てゐの涙は鈴仙に突き刺さっていた。

竹林の向こうに、光が見えた。
光というにはとてもおぼろげな、やわらかい灯火(ともしび)だった。

 「あれは……、家?」

家だった。
家の中の光が、外に漏れていた。
永遠亭よりもずっと小さな家。鈴仙は、その家の住人を知っていた。

 「何か、知ってるかな……」

鈴仙は最後の力を振り絞り、その家に向かおうとした。
息を荒げ、足を引きずり、竹につかまりながら、ゆっくり歩いていく。
目が霞み、喉が渇き、足の感覚はもはや無い。
でも、意識は、まだ大丈


* * * * *



急に、足が軽くなった。息も弾んで、目もよく見えていた。
そして、空が一面、蒼く澄み渡っていた。
地面には、綺麗な花がたくさん咲いていた。
鈴仙は、何で自分がこんなところにいるのか、分からなかった。
でも、ここはすごく心地よくて、気持ちが良い。
風が吹く。やわらかくて、優しい風だった。
思わず、走り出したくなった。そうだ、駆け回ろう。
足を前に出す。出せなかった。地面にめり込んでいたのだ。足が。
身動きが取れなかった。
取れないと分かった途端、目の前の花畑が、とてもおどろおどろしいものに見えた。
気味が悪い。
どうしようかと思った直後、視界が全て暗くなった。陽が落ちたように、夜が訪れたように、暗い。
そして目が闇に慣れる前に、背筋が凍りついた。
背後に、何かいる。
ゆっくりと振り向いた。そこには、

大きな月がいた。

鈴仙はぎょっとした。月は禍々しい気配を纏い、鈴仙の後ろにはだかっていた。
それが何だか、ひどく恐ろしかった。月が、自分を捕らえようとしている気がした。
前に進もう。月から離れたかった。
めり込んだ足を、懸命に剥がそうともがく。足に力を入れても、ぴくりとも動かない。
何故だ、何故動かない!?
ふいに後ろを振り向く。月は、さっきよりも鈴仙に近づいていた。
必死にもがいた。早く、月から離れないといけないのに!
足は、離れない。めり込んだまま。世界は完全に闇に覆われて、鈴仙と月だけが存在している。
いやだ、動け! 動け!! 動けっ!!!
持てる全ての力を右足に込めて、引きはがす。
すると、右足は地面からやっと離れた。続いて左足も抜けた。
走り出そうと地面を蹴ろうとした、その時。

 『何だお前、また、逃げるのか?』




 「――ぅわああああああ!!!!」

鈴仙は、叫びながら起きた。
息が荒かったが、次第に落ち着きを取り戻し、呼吸は正常になった。
体がべたついていた。寝汗をたくさんかいたらしい。服が寝巻きになっていた。

 「……夢……?」

横を見ると、囲炉裏があった。火はついていない。
木床の上に茣蓙(ござ)が敷かれており、鈴仙はその上に寝ていたようだ。
ふと、右足を見る。サラシと添え木が巻き付けられていた。
爪先を少し動かしてみる。支障はないようだ。
ここは、何処かの家のようであった。鈴仙は、この家の間取りに見覚えがあった。

 「ここは……」
 「起きたか?」

聞き覚えのある声がした。
鈴仙が声のしたほうを向くと、やはり知っている人間が立っていた。

 「妹紅、さん……」

それは、永遠亭の姫の友人・藤原妹紅だった。
友人と言っても、よく殺し合いをする、そういう関係だ。
ここは、妹紅の住まいである。

 「あの、私は一体……」
 「家の外でぶっ倒れてたのを、慧音が見つけたんだよ。
  一応顔見知りだし、ほっとくわけにもいかないだろ」
 「そうですか……。ご迷惑おかけしました」

鈴仙は頭を下げた。妹紅はそれに対して、何も返答しなかった。
妹紅は手に桶とタオル、そしてコップを持っていた。

 「最悪な目覚めだったろ」
 「何で分かったんですか?」
 「だいぶ、うなされてたからな」
 「……夢を、見てました……」
 「そうか。とりあえず、体拭きなよ。土だらけだったし」

妹紅はそう言うと、持っていた桶を鈴仙の近くに置いた。
桶には湯が入っているようで、湯気が出ていた。

 「ああ、どうも……」
 「あと、これは水。起きたら飲ませるように、慧音に言われたから」

コップも床に置くと、妹紅は玄関に続く土間に向かった。

 「ありがとうございます」
 「礼なら後で慧音に言いな。
  あんたを運んだのも、足を手当てしたのも、色々用意するように私に言ったのも、全部あいつだから」
 「でも、あなたにも親切にしてもらっているので、お礼は言わせてください。ありがとうございます」

鈴仙は、再び深々と頭を下げた。座っている体勢だが、気持ちはきちんと込めた。

 「……早く、体拭きなよ」

妹紅は小さく返すと、外へ出て行った。


* * *


 「夢って、どんな夢だ?」

体を拭き終わった鈴仙はいつもの服に着替え、妹紅と共に朝食を食べていた。
服は洗濯されて綺麗になっていた。
妹紅曰く、乾燥は炎を使えばどうにでもなるらしい。ありがたいことだ。
朝食といっても、もう午の刻になろうとしている時分なので、昼食も兼ねていた。
焼き魚の骨を丁寧に取りながら、妹紅は尋ねた。

 「……月に、追われる夢です」

鈴仙は、淡々と夢の内容を話し始めた。
夢なのに、妙にリアルな感触が焼きついて離れなかった。

 「ああそうか、お前、月から逃げたんだっけ?」

話が終わって開口一番、妹紅はそう言い放った。
清々しいほどに直球を投げてくるなぁ、と鈴仙は思った。
今の言葉は、まるで巨大な鉄球で体を殴られたような気分にさせた。いろいろ痛い。

 「あっ、えーっと……悪かった」

返事をしない鈴仙を見て、さすがに言葉がまずかったかと妹紅は反省した。

 「いえ、別にいいですよ。事実ですし……」
 「いや、まあ、うん……」

重い沈黙が訪れた。
あれ、これ私のせい……かな? やっちまったかな? と妹紅は少し焦った。
妹紅はあまり他人と関わらないので、たまに選ぶ言葉を間違える。
いや、おそらく率直すぎてオブラートに包む方法を知らないのだろう。
オブラートすら知らないかもしれない。
これ以上、この話はしないほうがいいなと判断した。

 「前にも、よく見ていたんですよ。悪夢は。まあ、さっきの夢よりだいぶ惨いものでしたけど」

しかし、鈴仙は話を続けた。その顔に緊張や嫌悪感は見られない。至って正常だった。
味噌汁を飲みながら、妹紅はそれに付き合うことにした。

 「逃げてきた直後は、それこそ毎日ですよ。
  死んでいく同僚、汚されていく月、血の海が広がる凄惨な光景。
  私は一人だけ無傷で佇んで、死んだ同僚を見ている。
  そして、その同僚の目がこちらを向いて、語りかけてくるんです。
  『お前、逃げたのか』って」
 「ふーん、そりゃ最悪だな」

妹紅は箸とお椀を置いた。食べ終わったからだ。

 「そこでいつも発狂して、目覚めます。本当、最悪ですよ。
  動悸は激しいし、夏なんか汗でべったりなんですから」

鈴仙は笑いながら言った。残りの魚と米を食べる。
茶碗と箸を置いて、水を飲んだ。鈴仙も食事が終わったようだ。
笑いながら言えるなら、今はもう大丈夫ということか。妹紅はそう判断した。

 「でも、徐々に悪夢は見なくなりました。
  師匠も姫様も、優しくしてくれたので。それで結構、救われたんだと思います。
  今思えば、あの頃の師匠が一番優しかったんじゃないかなあ」

昔を懐かしむように思い出して、鈴仙は顔を綻ばせた。
輝夜が、こいつを救ったのか。妹紅はそう思って、ちょっとイラッとした。

 「あいつは、身内には甘いからな」
 「そんなことないですよー、姫様は妹紅さんの事も気にかけてますよ」
 「はあ? あいつが?」

鈴仙の言葉に、妹紅は低い声で返した。目つきも鋭くなっている。
しまった、と鈴仙は顔を強張らせた。そして反射的に身構える。
何が飛んできても、避けられるように。

 「……お前は、私に喧嘩を売りに来たのか?」
 「いえ、今のは言葉の綾で」
 「アヤだろうが椛だろうが、あいつに気にかけられるなんざ、大きなお世話なんだよ」

妹紅の声はだいぶ苛立っていた。
やはり姫の話題はNGだったか。鈴仙は少し反省した。
でも、姫が妹紅を気にかけているのは本当なので、後悔はない。

 「すみません。忘れてください」

鈴仙は両手のひらを妹紅に向け、宥めるような、降参しているような仕草をした。
妹紅は軽く舌打ちをすると、食器を持って立ち上がった。
鈴仙もそれに倣ったが、先に妹紅に食器を取られ、持って行かれてしまった。
台所に続く引き戸を、片足で開けて土間に降りる。
鈴仙は若干浮かせた腰を元に戻し、手持ち無沙汰に囲炉裏を眺めた。
薪の中心は、暖かな橙色の光が灯っている。
右足を触る。固い木の感触が返ってきた。
ふと、玄関の戸が突然開いた。
そこには、上白沢慧音が立っていた。鈴仙に気付いたようだ。

 「お、目が覚めたようだな。調子はどうだ?」
 「あの、ありがとう! 助けてくれたって聞いて……」

鈴仙は立ち上がって頭を下げた。
慧音は手でそれを制するようにしながら、土間を上がる。

 「気にするな。顔見知りがあそこで野垂れ死んでいたら、さすがの妹紅も気分が悪いだろうからな」
 「慧音! 余計なこと言うなよ!」

台所から戻った妹紅が、慧音に抗議した。
慧音は鈴仙の向かいに座り、妹紅も二人の間に腰を下ろす。
囲炉裏を三人で囲う形になった。

 「食事は済んだようだな」
 「ええ。何から何まで、ありがとう」
 「気分はどうだ?」
 「だいぶ良くなったわ。本当に助かった」
 「そうか。それなら良かったよ」

慧音は安堵したような笑顔になった。本当に心配してくれていたのだろう。鈴仙は嬉しく思った。
幻想郷の人達はみんな優しい。師匠も姫様も、だいぶ無茶ぶりをするけど、それでも優しい。
二人を思い出したら、途端に今朝見た夢のことも思い出した。
もう悪夢を見なくなって久しい。それなのに今朝、また夢を見た。

 「何で、今頃になってあんな……」
 「ん? どうかしたか?」

考えていることが口から出ていたようで、すぐに慧音が尋ねてきた。そこで鈴仙は我に返る。

 「あ、いや、何でも……」
 「もしかして、さっきの夢のことか?」
 「えっ! あの、違っ……」

妹紅が間髪入れずに核心に触れたので、挙動が乱れる。
慧音はますます訝しみ、両者を交互に見た。

 「何だ? 何の話だ」
 「だから何でも無……」
 「実はさー」

鈴仙の抵抗も虚しく、妹紅は今朝の話を全て慧音に話し出した。


* * *


 「悪夢、か……」

話を全て聞いた慧音は、そう呟いた。
呟いた後は無言だったので、鈴仙は何だか落ち着かなかった。

 「それで、『今頃になって』というのは?」

慧音は少し考えた後、鈴仙に尋ねた。

 「悪夢は、もう何年も見ていないのよ。
  でも今朝、何の前触れも無かったのに、また月の夢を見た。
  今までに見たものとは違うし、最後に聞こえたあの言葉の声は、聞いたことがないの」

そこまで話して、何故他人に自分が見た夢の話をこれほど丁寧に伝え、尚且つ相談めいたことまでしているのか、気づいて少し恥ずかしくなった。

 「いや、その、夢の話だから! そんなに真剣にならなくても……」
 「うーん。復活した悪夢……何かの前触れか?」

鈴仙は慌てて話を止めようとしたが、慧音は思った以上に真剣だった。
他人が困っていると、すぐに話を聞いたり一緒に考えたりする。慧音はそういう者だった。

 「何か、周りで変化が起きたということは無いか?」

まるで師匠の問診のように、慧音は訊いた。

 「うーん、特には思い当たらないけど……」
 「それでは、自身の心や精神に何か大きな影響を与えられた、ということは?」
 「それも無いなぁ」
 「ふむ。昔のトラウマが蘇ったということは、それに起因する物事が起きている可能性が高いんだが」

慧音は囲炉裏の薪をじっと見ている。見ながら考え事をしているのだろう。
かたや妹紅は、自分が話し終わっても引き続き夢の話が続いた辺りから、二人から少し離れて横になっていた。
右半身を下にして、手で頭を押さえている。あくびもした。
行儀が悪いが、ここは妹紅の家なので慧音も注意はしない。

 「月の者と交信はしたか?」
 「それは全くやってないわ。永夜異変からは、音沙汰無し」
 「ふむ。花畑、青い空……。突然訪れる闇、背後に月。そして、あの言葉」
 「……」

慧音が小さく呟いた。単語を羅列する。
鈴仙は、夢の話などしても意味が無いのではと思っていたが、慧音があまりに真剣に考えるので、もしかしたらこの夢には意味があるのではないかという期待を抱いていた。
慧音の質問に、寺子屋の生徒のように実直に答えていく。
特に気にしていたわけではないが、じっくり考え込んでいくと徐々に気になってくるものである。
『考える』とは、時に業が深い。

 「そもそもさ、何でお前はあんなところにいたの?」

慧音側とは違うところから声がした。妹紅だった。
だいぶ退屈そうに、髪の先をつまんでじっくり見ながら聞いてきた。枝毛を探しているのだろうか。

 「あ、そうだ! イナバ!!」

鈴仙は今の今まで忘れていた。自分が何故こんなところまでやってきたのか。
唐突に叫んだので、二人はびくりと肩を震わせた。

 「イナバ? ああ、兎か。兎がどうかしたか?」
 「てゐに頼まれてたの。一匹いなくなったから探していたのよ」
 「……お前の命令に従わない兎を、お前が探すのか?」

鈴仙がよく愚痴を言っていたのを、慧音は思い出した。
てゐの言うことは聞くのに、表面上はてゐの上司である鈴仙の言うことは聞いてくれない。
なら、てゐが探したほうが色々と都合がいいのではないか。慧音はそう考えた。
しかし、鈴仙には探さなければならない理由があった。

 「……てゐが、泣いてたから」

鈴仙は少し間を置いて、この事実を告げた。
普段誰にも見せない彼女の弱みを、他人に簡単に漏らしていいのかと迷ったが、それでも告げることにした。

 「は?」
 「はぁああ!?」

二人は想定通りに驚いた。そりゃそうだよなぁ、と鈴仙は共感した。

 「あの 狡猾な 兎がか!?」
 「あの 生意気な 兎がぁ!?」

叫ぶ台詞もタイミングも、ほぼ同時だった。
すごい。私も師匠とこんな息の合った師弟コンビになりたい。
鈴仙はちょっとズレた感想を抱いた。

 「あっはははは!! そんなわけないだろー」

妹紅は大笑いして、仰向けになった。腹を押さえている。
一方、慧音は大層驚いた顔をして、また考え出した。

 「私だって、嘘泣きだろうって思いましたよ? でも、本当に泣いてたんです」
 「嘘でも泣ける奴なんざ、世の中たくさんいるぜー?」
 「ですけど、イナバがいなくなったんだから心配はするでしょうし……」
 「どうだかなぁ。あっははは……」

妹紅はツボにはまったらしく、一人大笑いしていた。
てゐと何かあったのだろうか。
そして慧音は、考え込んだままだった。

 「どうしたの? 慧音」
 「……その兎の涙を見て、鈴仙はどう思った?」
 「え?」
 「てゐの涙に対して、お前はどう感じたんだ?」

てゐが泣いていると知り、自分は何を感じたか。
初めは嘘泣きだと思った。だが本当に泣いていた。
彼女だって血の通った妖怪だ。妖怪には妖怪なりの義理やら人情やら、思いやりがある。
それを無下にしてしまったのは、他ならぬ自分。
だから、イナバを探しに行きたくても行けない彼女の代わりに、自分がその役目を果たすのは当然のことだと思った。
鈴仙は、これを掻い摘んで慧音に伝えた。

 「だから、何としても連れて帰らなきゃって……」
 「夜が更けても戻らずに、か?」
 「それは……」
 「鈴仙。気持ちは分かるが、いくらお前でも夜に竹林を出歩くのはどうなんだ。
  さすがに半日以上も帰らなかったら、兎だけでなく薬師も姫も心配するだろう。
  そもそもお前は……」
 「慧音、話が変わってるよ」

思わず説教になってしまった慧音の話を、妹紅が咎めた。
妹紅はもう笑い止んでいた。今度は爪をヤスリで削っている。
ヤスリなんか持ってたのか、とやっぱり何処かズレたところに鈴仙は注目する。

 「ああ、すまない。それで鈴仙は、兎を必ず連れて帰ろうとしたんだな?」
 「うん。なんか変に正義感みたいな、使命感みたいなのが湧いてきちゃって」
 「…………それじゃないか?」

慧音の言葉が、一瞬よく分からなかった。
イナバを探しに行ったら、月の夢を見るとでもいうのか。

 「それって?」
 「使命感、と言ったな。それが起因してるんじゃないのか。
  お前、月の戦士だったんだろう?」

言われて、はっとした。
よほど衝撃を受けたのか、鈴仙は何も返せないままでいた。

 「これは、あくまでも私の推測だ。根拠があるわけではない。
  その点に留意した上で聞いてくれ」

慧音の言葉に、鈴仙は黙ってうなずく。
欲しているのだろう。誰かの言葉を。誰かの意見を。

 「お前は、月から逃げ出した」

いきなり直球が来た。
うぐ、と小さな声が漏れたが、慧音には聞こえていないようだった。

 「今まで、それに罪悪感を抱いていたんだろう。だから悪夢を見ていた。
  それでも徐々に地上での暮らしに慣れ、永夜の一件で月の使者を遠ざけて以来、平和な日々を送ってきた。
  しかし、お前の中の戦士としての血は、まだ絶えてはいなかった。
  今回『兎を連れて帰らねば』という使命感が湧いたことで、
  月の戦士としての記憶が、無意識に呼び起こされたんじゃないか?」

慧音の話には、説得力があった。
本当のところは分からない。けれど、納得できる部分も多かったので、そんな気がした。
それに何より、自分の中にある『戦士としての魂』はまだ消えていないのだと、信じたかった。

 「兎を探している時、迷ったか?」
 「え?」
 「諦めるか探し続けるか。途中で迷ったんじゃないか?」

慧音は占い師か何かなのだろうか。鈴仙は少し戦慄いた。
おもむろに首を縦に振ると、慧音も確信を得たように頷いた。

 「逃げるか、立ち向かうか。その迷った心が、お前に悪夢を見させたのだろうよ。
  まあ、推測だがな」

そこまで言って、慧音は妹紅に水を持ってくるよう頼んだ。
妹紅はすぐに立ち上がり、台所へ向かった。

 「迷いが、悪夢に……」

鈴仙は、慧音の話を頭の中で反芻する。
使命感をきっかけに、戦士としての魂や月に対するトラウマが無意識に蘇った。
確かにイナバを探している時、似たような感情を抱いていたような気がする。
『仲間を護らなければ』という使命感。『任務を遂行せねば』という使命感。
昨夜の出来事は、まさに月にいた頃と同じ感覚だったのではないだろうか。

 「なんか、無理やりじゃない?」

台所から戻ってきた妹紅が、話に割って入った。
コップを慧音の前に、ついでに鈴仙の前にも置いた。鈴仙は一礼した。

 「だから言っているだろう。ただの憶測だって。
  悪夢に関する文献を基に考察した、一個人の意見に過ぎない」

話を終えた慧音はコップを手に取り、水を飲んだ。コップは空になった。

 「もはや妄想にしか聞こえなかったけどね」
 「いえ、私はすごく納得できました。そうなのかもしれないって思います」

夢で言われたあの言葉を、思い出す。

 『何だお前、また、逃げるのか?』

「また」と月は言った。しかし、それは違う。
『また』じゃない。私は、『ずっと』逃げ続けていたんだ。
平和な世界にどっぷり浸かって、嫌な記憶から目を背けて、触れないようにして、気ままに過ごしてきたけれど。
私は、月に対してケジメをつけていなかった。

 「私、帰ったら師匠に相談してみる」
 「相談?」
 「月と、正面から向き合ってみるよ」
 「……そうか」

鈴仙の顔は、何だかスッキリとしていた。
慧音はそれを見て、満足そうに笑みを浮かべた。
気づくと、妹紅がいなかった。厠にでも行ったのだろうか。

 「吹っ切れたようだな」
 「夢が何だったのか、腑に落ちただけよ」
 「正しいかは分からないぞ」
 「いいのよ。本人が納得出来れば、理由なんて何だっていいわ」

鈴仙は立ち上がった。
右足に違和感はあったが、歩ける程には回復していた。

 「帰るのか」
 「ええ。さすがに師匠も心配しているだろうし」

玄関に向かう。慧音もそれについていく。

 「一応、その足は薬師に見てもらえよ。応急処置だからな」
 「うん、ありがとう」

礼を言いながら玄関を開けると、妹紅が外で背中を向けて座っていた。
煙草を吸っている。だから家にいなかったのか。

 「あ、妹紅さん」

声をかけると、妹紅はこちらを振り返った。

 「おお。終わったか」

振り向いて鈴仙の姿を確認すると、妹紅は立ち上がった。その際、腕に何かを抱いていた。
白くて、小さくて、ふわふわしていて、一定のリズムで膨らんだり縮んだりしている。
まるで呼吸をしているようなリズムだった。

 「ん? それは……」

鈴仙はその白いものを凝視した。
ぴょこっと、長いものが飛び出した。あれは耳だ。見慣れているので、すぐに分かった。
何で耳が、と聞く前に、白いものはこちらを振り向いた。生きている。
それは、鈴仙がずっと探していたものだった。

 「……あああっ!! い、い、イナバぁぁああ!!!」


* * * * *


 「あ、鈴仙!」

てゐが叫ぶ。その声に反応し、永琳と輝夜も外に出てきた。
竹林の道から、鈴仙の姿が見えた。頭には小さなイナバも乗っている。

 「ウドンゲ……」
 「ほらねー、無事だったでしょ?」

輝夜はドヤ顔で永琳に言った。
永琳は昨夜から心配していた。自分に断りも無いまま一日帰らなかったのは、初めてだ。
鈴仙の戦闘能力を軽視していたわけではない。だが、それでも心配なものは心配だ。親心のようなものだった。
対して、輝夜はそれほど心配はしていなかった。子供じゃないし、というのが彼女の見解だった。

 「師匠、只今帰りました。遅くなって、大変申し訳ありません」

鈴仙は永琳の前に立ち、深々と頭を下げる。
そのタイミングでイナバは鈴仙の頭から降り、てゐの元へ駆けていった。

 「お帰りなさい。何処に行っていたの?」

永琳は腕を組みながら尋ねた。
その言葉に耳を疑い、鈴仙は頭を上げた。

 「え? てゐから聞いていませんか? イナバが居なくなったので、探していたんです。
  途中で倒れたのを、妹紅さんと慧音が助けてくれて……」

それを聞いて永琳は、てゐの方を見た。
てゐはイナバと再会して嬉しそうだった。抱き締めている。

 「……てゐ、どういうことかしら?」

永琳の冷たい声が、その暖かな抱擁タイムをぶった斬った。
てゐは一瞬で硬直し、イナバはその威圧感から真っ先に逃げ出した。
からくり人形のように、カチコチとてゐは後ろを振り向く。
永琳の鋭く氷のような眼光が、一匹の兎を捕らえた。

 「い、いやー、その、イナバが、居なくなっちゃって! れ、鈴仙に、探しに行ってもらっ……」

そこまで言ったところで、てゐの懐から何かが落ちた。

 「ん? 何か落ちたよ?」
 「えっ? あっそれは……!!」

鈴仙が拾う。小さな半透明の容器で、中には液体が入っていた。
それを見た永琳が口を開いた。

 「あら、目薬じゃない」
 「……目薬?」
 「てゐに頼まれて作ったのよ。目が乾きやすいイナバがいるからって。
  なるべく自然のものがいいから、涙と同じ成分にしてくれと言われたわ」

それを聞いて、鈴仙は一瞬で一つの答えを導き出した。
てゐは、この世の終わりのような顔をしている。

 「あ、あのね、鈴せ……」

言い終わらない内に、てゐの視界が突然激しく揺れた。大きな音も聞こえた。
同時に、頭にものすごい痛みが降りかかる。
じんじんとした波が頭を巡り、目の焦点がなかなか定まらなかった。
拳を握った鈴仙の姿が見えた気がする。思いっきり殴られたらしい。

 「いっ……たぁぁいっ!!」
 「あんたねぇぇえええ!! 絶っっっ対許さないんだから!! 覚悟しなさいよ!!」

鈴仙は、てゐの耳の近くで怒鳴る。殴られた直後の頭には、ダメージが大きい。
げんこつと大声を受けて、てゐはフラフラしている。

 「ウドンゲ……何があったの?」
 「もぉおお、聞いてくださいよ師匠ぉぉおおお!!」

鈴仙は駄々をこねる子供のように、これまでの経緯を永琳に話し始めた。

イナバは、居なくなったわけでは無かった。
単に、妹紅の家にお使いをしに行っただけだったのだ。
このイナバは、他のイナバより智恵がついていない。妹紅の家に行くだけで精一杯だった。
訓練も兼ねて、てゐが行かせたのだ。
イナバはとりあえず、直線で行けば迷わないと踏んだ。
足跡が見つからなかったのは、茂みを通って行ったからだった。
智恵があまり無いイナバの頭は、妖精並みだ。
後から他のイナバが迎えに行くから、それまで妹紅の家にいるように言われていたらしい。
イナバから聞いた話を、鈴仙はだいぶ感情的に伝える。

 「居なくなったって言うから! 忙しくて探しに行けないって言うから!
  急に泣き出すから!! だから探しに行ったのに!!!
  全部……全部ウソだったのね!? 本っ当許せない!!」

鈴仙は怒りをぶちまけた。
てゐの涙も、てゐがどれだけ心を痛めているかという心配も、自分が抱いた罪悪感も全部嘘だったのだから、その怒りたるや半端なものでは無い。
てゐは、鈴仙の凄みに圧倒されるしか無かった。

 「ま、まさか、丸一日帰って来ないとは思わなくって……」
 「こっちは怪我までしてんのよ!! ほら見なさいよ、この足!!
  妹紅さんと慧音が居なかったら、大変だったんだから!!」

鈴仙は右足を差し出した。サラシと添え木が巻かれている。

 「ウドンゲ、怪我をしたの?」
 「ちょっと挫いちゃって……。慧音から、師匠に診てもらうようにって……」
 「じゃあ、すぐに診ないと」

永琳は建物の中へ入ろうとしたが、鈴仙はまだてゐに言いたいことがあるようで、彼女を見下ろしている。
輝夜はすでに、縁側に移動して皆のやり取りを眺めていた。数匹のイナバも一緒だ。

 「あんた……これほど盛大に嘘をついたんだから、さぞかし仕事は捗ったんでしょうねぇ?」

てゐを睨みながら鈴仙は問いただす。
その表情は、さながら犯人を追い詰める刑事か探偵のようだった。

 「えっ……仕事??」

てゐは、ピンと来ていなかった。
そこに永琳が、またもや割って入ってくる。

 「仕事? あら、てゐ。昨日は仕事していたの?」
 「仕事ってなに……あ゛っ!?」

鈴仙は嫌な予感を感じつつ、両者を交互に見る。
てゐは何の事か気付き、ますますばつの悪そうな顔になった。

 「てゐが、仕事が山積みでイナバを探しに行けないって……」
 「昨日のてゐは、そんなに忙しなくなかったわよ。ねえ、姫様?」

永琳は、縁側にいる輝夜に向かって同意を求めた。輝夜は首肯でそれに応じた。
鈴仙はそれを聞いて、しばらく動かなかった。
てゐはその姿に何かを感じ、忍び足でその場から離れようとした。

 「てゐ」
 「っ!?」

てゐの動きが止まる。鈴仙の中で、一番低い声が聞こえた。
出来るだけ顔を鈴仙に向けないように、視界の端ギリギリで彼女の姿を捕らえようとする。
ゆっくりと、ゆっくりと振り向く。
しかし、その目が鈴仙を映す前に、頭を何かが掴んだ。般若だった。いや、鈴仙だ。否、やはりこれは般若だ。

 「ぜーんぶ……嘘だったのね?」
 「え、えへへへへ…………退散っ!!」
 「あぁっ!?」

てゐは掴まれていた手をするりと抜け、一目散に逃げ出した。
鈴仙はそれを追いかけ……はせず、素早く一枚の紙切れを取り出した。

 「逃がさないわ!『幻朧月睨(ルナティックレッドアイズ)』!!」

赤と青の大小様々な弾幕が、てゐを追うように放たれた。
てゐは一瞬で弾幕に囲まれてしまい、「ひぃっ」と小さく悲鳴をあげた。
そして。
てゐの残機が、ひとつ減った。


* * *


 「いたたた……」
 「もう、無茶するからよ。怪我してるのに」
 「すみません……」

永遠亭の一室。畳敷きで物が何もない六畳ほどの部屋で、鈴仙は治療を受けていた。
鈴仙はすっきりしていた。弾幕勝負は彼女の圧倒的勝利で収まったのだ。

 「捻挫はね、痛みが引いてからが大事なのよ」
 「そうなんですか?」
 「痛くなくなったからって、甘く見たり無茶したりすると、大変なことになるの」
 「はあ」

兎でもですか? と聞こうとしたが、やめておいた。

 「それにしてもあの白沢、随分と丁寧に処置したのね」
 「二人には本当に感謝しないと。今度、菓子折りを持っていきます」
 「ふうん……。藤原の娘も、なかなかね」

永琳は静かに笑った。それから、黙々と鈴仙の足を治療する。
鈴仙は、今朝の悪夢の事を言おうか迷った。が、やめておいた。

 「あの、師匠」
 「なに?」

永琳はこちらを見ずに返事をした。手が、手際よく動く。
その手の動きが、美しいと思った。

 「私……もう、月からは逃げません」

少し、勇気を出して言った。永琳の手が止まる。
寸時そのままだったが、再び手が動き出した。言葉は無い。

 「注射、刺すわよ」

永琳の断りが入り、ちくりと患部を針で刺された。
刺された箇所から、じわじわと何かが入っていく。
針を抜いて、布を当てる。

 「急にどうしたの?」

永琳が聞いた。
やはり、悪夢の事を話すことにした。慧音の考察もついでに。
話し終わると、永琳は何を言うでもなく、治療をし続けた。

 「私、今まで逃げてました。過去からも、月からも。
  でも、もう大丈夫です。向き合うことにしましたから」
 「……妙に顔がすっきりしているのは、てゐに勝ったからだけでは無かったのね」

微笑みながら永琳が言った。
そうか。こんなに晴れ晴れしいのは、そういうことか。
鈴仙は納得した。

 「はい、終わり。明日まで無理をしないでね」

サラシの巻き終わりを固定して、治療は終わった。

 「ありがとうございました」

痛みも腫れも、ほぼ無くなっていた。そういう薬を使ったのだ。
治ったわけではないので、サラシを巻いている。
大げさだが、患部の保護以外にも、視覚的にも完治していないと思わせる効果があることを、弟子入りした最初の頃に聞いた。
永琳は道具を片付け始めた。鈴仙は靴下を履く。

 「良い顔つきになったわね、鈴仙」
 「え?」

片づけながら、永琳が口を開く。
鈴仙は思わず手が止まり、永琳を見たがすぐに目を逸らした。
久々に『鈴仙』と呼ばれて、何だか気恥ずかしかったからだ。
ぱちん、と音がした。鞄のロックをかける音だった。
片づけが終わり、永琳は道具を持って立ち上がる。

 「あながち、てゐの悪戯も悪いものでもないんじゃない?」

そう言い残して、永琳は戸襖を引いて部屋を出た。
鈴仙は声で追いかけるように反論する。

 「冗談じゃないです! あいつの悪行に賛成するんですか!?
  痛い目見るのは、いっつも私なんですよ!?」
 「冗談よ、冗談」

戸襖の陰に半分ほど隠れながら笑って、永琳はいなくなった。
鈴仙は仰向けになった。畳の匂いが心地良い。
ふう、と一息ついた。
試しに、耳に意識を集中させてみた。月との交信を試みる。
しかし何も聞こえなかった。屋内なので波長の感度が悪いからだろうと思った。
だからといって、外に出る気は無い。

憑き物が取れたような心地だ。
もう何があっても、月に怯えることはないだろう。そう確信した。
向き合うから、大丈夫だ。
具体的にどう向き合うのかは、未定だが。

そのまま、鈴仙は眠ってしまった。
大丈夫。
もう、悪夢は見ない。

だが、彼女は忘れていた。
不用意にうたた寝などすると、悪戯好きのあいつの餌食になってしまうことを。

携帯で見るとページ分割がすごいことになってたので、1ページにしました。
コメントでのご指摘ありがとうございます。精進します。
unico
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コメント



0.260簡易評価
1.90名前が無い程度の能力削除
各キャラがしっかり作られていて、面白かったです。
内容に関係ないから評価には含んでいませんが、この短さでここまで細切れに分割する必要性が理解できなかったです。
3.90奇声を発する程度の能力削除
分割がちょっと多いかな?と思いましたが、面白く良かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
うどんげが悪夢をみたのは
イナバを救出しようとする程度にいいやつになったから
脱走に罪悪感を覚える程度のやつになったってことなんだろう
8.無評価名前が無い程度の能力削除
行単位で一人称と三人称がころころ変わるので読みにくいです。
10.70名前が無い程度の能力削除
これは案外ていがうどんげから月をかき消すためにしくんだ策かも
えいりんかぐや公認の

これでうどんげの中で月への罪悪感はていに騙される程度の余計な親切に結びつき矮小化出来たかもしれない
11.80いぐす削除
罪悪感を感じて必死にイナバを探す鈴仙にも、過去と訣別せんとする鈴仙にも、
鈴仙をからかおうとしたてゐにも、大事になってしまって焦りうろたえるてゐにも、非常に感情移入して読ませていただきました。
てゐには言いたい!悪戯したい気持ちは痛いほどわかるけど、事こうなった以上、手痛い報いを受けても仕方ないぞとw
全体的に楽しく読ませていただいたのですが、個人的に2つ気になった点があったので記させてください。

まず、てゐが鈴仙を騙した理由や動機が最初はよく掴めませんでした。
新しい騙しテクを試してみたかったからなのか、ただ悪戯したかったのか、イナバを探すのが本当に面倒くさかったのか。
鈴仙に悪戯したかった&騙しのテクを披露したかったのかな?と、後半部分で読み取りはしたのですが、
最初の段階である程度説明提示していただければ、もっと深くてゐにも感情移入できたかなと感じます。

また、他の方も指摘されていますが、一人称と三人称が混在していて視点がブレがちだったのが、少し読みにくさを抱かせた部分だと思います。
鈴仙サイドにしろ、てゐサイドにしろ、心情描写の細かさと多彩さがこの作品の武器の1つだと思いますので、
徹底的に地の文は一人称で統一した方が、より臨場感を演出できるのではと感じました。
(言い方に語弊があって恐縮ですが、さしずめ「鈴仙は~」という主語が禁止ワードでしょうか…)
ただ、最後のエピローグ的な部分は客観的な引きの視点で読ませたいという意味では、
あえてこのままの三人称描写でもいいのかもしれませんね!

色々細かい事を長々と言ってしまって恐縮ですが、物語構成には起承転結がはっきりとあり、
かつ鈴仙とてゐのキャラクターの対比やその心情の動きの描写も丁寧で、上記を差し置いても、
最初に記した通り、とても感情移入して読めた素敵なお話でした。次回作も期待させていただきます。
12.無評価いぐす削除
>「…………てゐ、本当に知らないの?」
>永琳はてゐを見据える。てゐは躊躇しそうになったが、耐えた。

状況と照らし合わせると、「躊躇」という単語だと少し文脈的におかしくなってしまうのかな?と思いました。
辞書的に言うと「躊躇」は、あれこれ迷って決心できないこと。ためらうこと。という意味らしいので…
じゃあ、代わりの相応しい単語はなんなんだと言われると…
ごめんなさい、パっとは思い浮かばないです。申し訳ない…
一方で意図あっての単語選択であったのなら、今回の指摘は当方の浅慮であり、その時も大変申し訳ございません。
以上、誠に勝手ながら追記させていただきました。
13.無評価unico削除
皆様、評価&コメントありがとうございます。
こんなに感想やご指摘を頂いたのは初めてで、なんというかとても感動しております。重ねてありがとうございます。
文章の視点がばらばらという点については、恥ずかしながら言われて初めて気づきました。
自分で何度も読んでしまってるので、客観的に見れていませんでした。
冒頭は特に、ですね。この反省は次回作に活かします。
考察もして頂けて嬉しい限りです。そういう見方も出来るのかと気づかされました。

>いぐす様
たくさんご意見いただけて恐縮です……。ありがとうございます。
言われたこと全部、その通りだなと納得しております。
てゐについて、もっと考えてあげればよかったです。
「躊躇」は確かに間違ってますね。ご指摘の通りです。「竦みそうに」等ですね。