Coolier - 新生・東方創想話

妖怪の山 九天防衛システム

2016/04/26 01:27:32
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 不快な湿気がじっとりと身体にまとわりついて鬱陶しい。耳元では血を吸おうと、蚊がぷうんと飛び回る。河童の里を一望できる丘の藪、向こうから見つからないよう茂みに身を隠した。

「ここからなら里全域を見渡せる。どこかに侵入できる穴はないか」
「河童の里に夜来たのは初めてですが、やけに警備が固いですね」
 僕らは河童の里を追い出された。なぜかはわからないが、今の河童たちは僕らを目の敵にしている。にとりの安否を確かめたくても、会うことはおろか里に入ることすらできないでいる。
 もしにとりが死ぬかもしれない場合、その場にいなければ助けられなくなってしまう。そんなことはあってはならない。僕はにとりのもとへ、絶対に行かなければならないんだ。
「どうして河童さんたちは私たちを追い出したのかな」
 はたてさんが茂みの暗闇の中で携帯電話を開いて、なにかの操作をしながら聞く。明かりが漏れて見つからないよう僕の影で隠した。
「私たちが、にとりを傷つけたと思ったのではないでしょうか」
「河童も天狗と同じく仲間意識が高いからな。でもこっちも友達なんだ。通してくれないなら強行突破するしかない」再び藪から顔を出し、目を凝らして千里眼を使う。
 にとりは雷に打たれたんだ。どんなに軽傷でもとりあえずは病院に行くはず。里全域を見回し、それらしい施設を探索する。

「河童の里、夜なのに妙に明るいな」里の北側、特に目立つ大きな建物は窓が少なく屋根などの突起も少ない。装飾が極端に少ないので何かの施設のようだが……投光器が各所に設置されており、警備員も複数人いる。
「あの建物は研究施設ですよ、以前取材に行きました。とは言っても取材が許されたのはごく一部ですが」
 何だ、研究施設か。発明好きな河童たちが、重要度の高い研究や大切な発明品を盗まれないよう警戒しているのだな。もっとも、雷に傷つき倒れたにとりが、その日のうちに回復して研究に没頭するとは思えない。僕らの目標地点が研究施設でないことは確かだ。

「あの一角はきゅうり畑みたいだ。そういや畑泥棒のために警備を強化したと、にとりが前に言ってたな」
「きゅうりを盗むような奴がいるんですね。にしても厳重すぎやしませんか。研究施設よりもすごいですよ」
 きゅうり畑は里の南側にある。自動的に栽培されているのだろう、畑の畝に沿って複雑なパイプが配備されている。畑の真上には鳥よけと思われる細い糸が網状に張り巡らされ、周囲は一丈(約三メートル)のフェンスが囲んでいた。投光器が通路に向けられ、どんな些細な変化も見逃さないよう常に動き回っている。名前は思い出せないが、なんとか防衛システムを配備したと言っていたので、きっとそれだろう。しかしあそこまで警備されていると、研究施設ときゅうり畑の一角はこっそり潜入するには不向きである。

「にとりのいるはずの病院はどれなんだろう?」それらしい建物が意外とたくさんあるので外からだと判別しにくい。自慢の千里眼が役に立たず、もどかしい。
「白い三階建ての建物よ。三階東側の部屋にいるわ」
 はたてさんが携帯電話を見せる。その画面には、にとりの名前が書かれた病室が写っていた。にとりの姿は見えないが、まず間違いないだろう。縮小すると病院全体の姿が映し出された。
「これが念写か、すごいな」
「新聞のネタ集め以外で活用できたのはこれが初めてよ」
 はたてさんが哨戒天狗だったとしたら、念写の能力だけで指揮系統の、そのなかでも幹部クラスに昇りつめるだろう。障害物で対象が見えなくなる僕の千里眼とはレベルが違う。
「にとりさんは無事そうですか?」
「ごめんなさい、念写は見たいと思ったものしか見れないの……にとりの容態を知るのが怖いからはっきりとは見れなかった」
 念写は精神面で左右されることもあるのか、意外な落とし穴だ……仕方ないかもな。はたてさんは、にとりのことで自責の念にかられている。はたてさんのせいじゃないと言っても、心はそう簡単に割り切れるもんじゃない。逆に、それだけにとりの事を想っている証拠でもある。
 同じくにとりを心配する身だから、考えていることがよくわかる。真面目で優しいはたてさんは、ともすれば全ての悪いことは自分の責任だと考えがちだ。
 でも、自分を責めても何も始まらない。後悔しても過去を取り消すことができずに苦しむのは、にとりに暴言を吐いたとき嫌というほど味わった。自分の頭の中で、もやもや考えていても事態が好転することはないのだから。
「僕だってにとりのことは不安だから、はたてさんの気持ちはわかるよ」
 はたてさんの肩に手を置いて元気づける。はたてさんが僕に向かって小さく頷き、可憐な目に自信の光を取り戻した。
 僕は再び里に目をやる。携帯電話の画面をもとに千里眼で見直した。幸い病院の近くは投光器がなく、明かりのついた建物も少ない。侵入するには里の東側からが良さそうだ。
「よし、あそこから行こう」病院からほど近い、建物の死角になっている一部のフェンスを指し示す。

 僕らは立ち上がり、里の東の崖から静かに降りた。
 誤って蹴飛ばした石がからりと転げ落ち、汗がひやりと背中を伝う。



 ======



 こちらのフェンスも一丈ほど、周りの建物と同じくらいの高さだ。この高さだと遮蔽物が少ないので、フェンスを飛び越えると北側の研究施設まで筒抜けに見えてしまう。慎重にいかなければ……
「このフェンスを越えれば里ですね」
 無用心にもいきなり空を飛ぼうとする文さんに驚いた。慌ててスカートを掴み、戻ってくるよう引っ張ったらスカートがずれてパンツがあらわになる。何するんですかエッチ! と膨れっ面で睨んできたが、感謝してほしいくらいだ。
 文さんは日頃パパラッチであちこち侵入しているはず。こそこそするのは文さんの方が得意かと思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。大雑把な性格が行動に表れている。
「空を飛んだらバレるだろ。フェンスに穴を開けるか地面に潜っていくほうが得策だ」
「でもスコップなんて持ってきてませんよ」
「しょうがない、じゃあフェンスを切るか」僕はいつも研いで切れ味が鋭い、自慢の段平に手をかけた。このくらいの鉄柵なら叩き切るのは造作無い。
「待って!」
「えっ」はたてさんが僕の袖を引っ張り、フェンスにかかった看板に指をさす。看板には《高圧電流危険》と書かれており、大量にゼロの並んだ数字が表記されている。
「そのフェンスには電流が流れてるわ。剣で切ったら感電するかも……」
「なんですか、あの数字と単位。よくわかりませんが、ものすごい電流が流れているってことですか」
 試しに小枝を一本放り投げてみるとバチュンと弾け、焦げた匂いが広がった。どう考えても、侵入者を殺す勢いの厳重っぷりだ。やはり研究施設、いや、きゅうり畑を守るためだろう。きゅうりに対する愛情が溢れている。
「これじゃ入れないな」フェンスの全長は長く、丘から見渡した限りだと里をすっぽり囲んでいた。もちろん里の出入り口は警備が厳重なので、おいそれと突破はできないだろう。
「ふうむ、しょうがないですね」
 葉団扇を取り出した文さんがフェンスに向かってとことこ歩く。きょろきょろと周りを見渡し周囲に誰もいないことを確認して、ふうと一息深呼吸。
「とう!」
 独特の構えで手首を返し、ひゅるりと葉団扇をひるがえす。甲高い風の音が一瞬鳴ったかと思うと、フェンスが丸く切り抜かれた。ぱしゃんとフェンスが静かに倒れ、周りは再び静寂を取り戻す。
「えっ何したんだ!?」
「小さなかまいたちを作って切り刻んだんですよ。新聞の集金で居留守を使う霧雨魔法店によく使います」
 あまりの早業に僕は目を丸くした。文さんが風を操る能力を持っているとは知っていたが、ここまで繊細に扱えるのは初めて見た。はたてさんも文さんも、これだけ優れた能力を新聞のためだけに使うとは、なんとも贅沢な人たちだ。
 こっそり病院に近づいて、壁にぴったりくっついた。磨かれた盾を鏡代わりにして、角から病院の入口を観察する。詰所には警備員が一人しかいない。罪なき河童に怪我をさせるのは本意ではないので、注意をそらして一気に駆け込むことにしよう。はたてさんと文さんに目配せして頃合を見計らう。
 警備員が下を向いた直後、握り締めた小石を反対側の樹に勢いよく投げつけて甲高い音を響かせた。狙い通り警備員が異音に気づき外に出てきた。

「よし、今だ!」

 下駄を脱いで静かに、しかし迅速に入口に向かう。ガラスの扉をそっと開けようとすると、機械的な音を立てながら自動的に開いた。身を低くし警備室の明かりを避けて通る。
 白く大理石のように滑らかな廊下を、素足で歩くのは初めてだった。足裏にひやりと冷たい感触が伝わるが、木の板と違い音が鳴らないので隠密しやすい。文さんもはたてさんも超低空飛行で一緒に廊下を進む。少し進むと広い待合室が見えた。葉っぱの大きな観葉植物と座り心地の良さそうなソファが並ぶ。
 誰もいないが何かの音がする。機械の音なので遠隔から監視されているのかもしれない。見つかる前にさっさとにとりの部屋に行ったほうが良さそうだ。
「ふう、意外と簡単に入れましたね。三階でしたっけ?」
 文さんが観葉植物の横を通ると、館内にいきなり警報が鳴り響いた。
「えっ私ですか!? 何もしてませんよ!」
 ガシャン! と大きな音とともに廊下の奥の壁から細い筒を束ねたようなものが飛び出した。機械特有の直線的かつ機敏な動きで僕らのほうを向く。ぴたりと動きを止め筒が回転したかと思うと――破裂音とともに火を噴いた。
「ふせろーっ!」
 二人を盾で庇いながら床に伏せる。石の礫のようなものが目にも止まらぬ速さで僕らをめがけて飛来してきた。鉄砲のようだが、あれだけ連射がきくものなのか。昔見たことのある火縄銃とは大違いだ。
 弾丸がびしりと当たる度に、盾に描かれた紅葉柄が削れていく。だがそこは犬走家の家宝の盾、鬼の一撃に耐えられる頑丈さは伊達じゃない。
 絶え間なく去来する弾丸は、丸みを帯びた盾に反射して床や天井を次々破壊していった。いつになったら弾切れになるのか、業を煮やした僕は三尺(約九十センチ)の段平を掴む。
「ここで待ってろ!」
 猛烈な弾幕の中、床を蹴り、壁を蹴り、天井を走って火を吹く筒に狙いを定め、段平を投げつけた。鋭い切っ先は連発式回転銃を両断し壁にめり込んだ。無数の弾丸をばら撒いた鉄筒は高熱と白煙を発しながら停止した。
 猛烈な弾幕が止み、盾から顔を出した二人がこちらに来る。
「やりましたね、さすが椛さん」
「ごめんね、盾が傷ついちゃった」
 謝るはたてさんは、申し訳なさそうに伝家の盾を手渡した。はたてさんはいきなりの弾幕で怖かったのか手が震えており、盾がかちゃかちゃと音を立てる。僕ははたてさんの手を握り、気にしないでいいと微笑み盾を受け取る。安心し震えが止まった手が、きゅっと僕の手を握り返す。
 文さんが早く行こうとせっついた。

 ご先祖様、頑丈な盾をありがとうございます。椛は今日も無事助かりました。心の中で感謝を示し、盾と段平をがちゃりと背負う。



 ======



 はたてさんが、僕の服を引っ張った。
「あれは?」
 がやがやと後ろの方で声がする。入口のガラス戸を破壊し、重装備の河童たちが複数人入ってきた。全身黒ずくめでタイトな服装に、にとりとは違うタイプのリュックサックを背負っている。河童たちの姿は攻撃的で、統率のとれた動きはまさにプロフェッショナルだった。哨戒天狗の白兵戦と同じく、遮蔽物をうまく利用しながら警備室、待合室、廊下と着実に安全を確保しながら迫ってくる。きゅうりにうつつを抜かすにとりと同じ河童とは思えない、訓練された戦士の動き方だ。
「まずい、警備がいっぱい来たぞ!」
「あやや、二人共掴まってください!」
 文さんは僕たちの手を引っ張り、強烈な速さで階段を飛び上がる。踊り場の度に方向を切り返すので目が回った。
「東側の部屋、一番奥のあそこよ」
 あっという間に三階に到着する。はたてさんが示す部屋はすぐそこだった。

 突如後ろの窓ガラスが派手に散り、三人の武装河童たちが乱入してきた。粉々になったガラスの破片が大量に床に散乱する。河童たちは、リュックからホースのつながった銃を取り出し僕に向けた。後ずさりした僕は足の裏に、焼け火箸を当てられたかのような痛みがはしる。隠密のためとはいえ、下駄を脱いだのは失敗だった。血にまみれた足のせいで思うように動けない。
 武装河童が銃の引き金に手をかけたその時、僕の目の前に黒のスカートがひるがえる。紅い葉団扇を構えた後ろ姿、文さんが僕をかばって前に出る。
「水鉄砲みたいな生易しいものじゃなさそうですね。ていっ!」
 葉団扇で空気をひと撫ですると、河童たちの放った水弾幕が水しぶきに姿を変えた。空気の壁を作ったのだ、次々と放たれる弾幕はこの壁に止められ威力を失っていく。
 河童たちは、効かないとわかると銃を放り投げ、小さな筒をホースに繋げ直した。リーダー格の河童が号令をかけると、筒から不吉な音を鳴らして青白い水の刀身が現れる。
「あれ、もしかして刀ですか」
「そのまさか、みたいね」
 水を高圧で鋭くすれば金剛石をも切り捨てられると、にとりが昔に自慢していた。金剛石を切るともなれば、伝家の盾でも分が悪い。
 僕は床に散らばったガラスの破片をぐっと握る。手のひらにガラスが刺さり血が溜まった。
「……ここは逃げるが勝ちだな、にとりの部屋まで一気に走るぞ!」手に溜まった血とガラスの破片で河童の目を潰し、怯んだ隙に三人まとめて階段へ蹴落とした。踵を返しにとりの部屋へ一目散に走る。血で足を滑らせた僕は、文さんとはたてさんに引きずられるように連れて行かれる。

 振り向くと廊下に続いた血の跡を追って武装河童がやってくる。迫り来る軍靴の音は、僕に畏怖の念を抱かせた。



 ======



 扉を勢いよく開け、僕らは部屋になだれ込んだ。白く薄いカーテンに囲まれたベッドが四つ並んでいる。その内の一つに人影があった。
「にとり!」
「こないで!」
「うっ」到着した武装河童のウォーターセイバーが僕の喉元を的確に捉えた。鋭い水刃は皮膚の薄皮一枚を隔て、ぎりぎりの距離で寸止めされている。普通の刃物ではなく、触れるだけで切り刻まれるようだ。僕の服の喉周りがきれいに切り落とされて足元に落ちる。
「椛も、アヤも、はたてちゃんも、もう会わないって決めたんだ」
 やっと会えたのに、言いたいことがたくさんあるのに、もう会ってくれないだって? そんなに僕たちのことが嫌いになったのか。
「あんまりな言い方ですね。椛さんもはたても私も、にとりさんのことが心配でここに来たんですから。それなのに少々手荒すぎる歓迎ではないですか」
 文さんも武装河童に刃を向けられているのに、動じず毅然と応対する。文さんの眉間には皺が寄り、怒っているようだった。
「里から追い出されたのにこそこそ……いや、派手に侵入するからだろ。河童の里自慢の【九天防衛システム】は天狗ごときに突破できるもんじゃないよ」
「私たちは、にとりさんの所まで来れましたよ」
「いや、これから私の顔を見れずに帰ってもらうんだ、守りきったことになるよ。三人とも二度と来ないで頂戴」
 文さんの挑発にも乗らず、僕らを断固拒否するにとり。そうか、そこまで僕らが憎いか。
 だが、はいそうですかと帰るわけには行かない。僕にはひとつの使命がある。にとりの命が危ないなら、僕の魂をかけてにとりを救うという使命が。
「にとり、雷に打たれた傷は無事なのか」
「二度と会うことはないだろうし、答えるつもりもないよ」
 冷たい返事が返ってきた。だが、優しいにとりのことだ、もしかしたらもう助からないのかもしれない。だから僕らを遠ざけて、わざと嫌われるような口調で突き放しているのかも。一度その考えが浮かんでしまうと、そうとしか思えなくなった。にとりは僕を遠ざけようとしている。そうはいかない、助けなきゃ。
「それでも、にとりのことが心配なんだ。頼むから無事なのかどうか教えてくれ!」
「……ズタズタだよ」
「にとりっ!」
 喉元に当てられたウォーターセイバーに構わずカーテンに手をかけた。カーテンが開いた先には、白いベッドと白いシーツ、それらに包まったにとりがいた。にとりは見て欲しくないのか咄嗟に手で頭を隠す。その頭は雷の高熱により髪が変化し、全方向にボリュームが増えていた。いわゆるアフロという髪型だ。腕の隙間から髪があふれている。ただ、アフロ以外はにとりの体に別段異常はなく、所々に包帯を巻いているだけ。もしかして無事なのか。
「にど、り、無事な、ガフッ」
 なぜか言葉が出ずに咳が出た。目の前が一瞬光り、貧血のように気が遠のいた。
 にとりに視線を戻すと真っ白なシーツに赤く鮮血が飛び散っている。鮮血? にとりではない、誰の血だ? にとりは真っ青な顔で僕を見ている。振り向くと、文さんやはたてさんも同じ顔で僕を見た。だが三人とも血を流していない。

 ぱたたっと何かが滴り落ちる音がして、足元にぬるい感触が広がった。

 ああそうか、これは僕の血だったのか。下を見ると、白かった僕の服が血で赤く染まる。血で濡れた部分がだんだん温かくなってきた。喉元を抑えると、ぶしっと勢いよく血が噴き出し――
「椛っ!」
 遠くの方でにとりの叫ぶ声がした。共鳴したように全ての音が遠くなり視界がどんどん白くなる。にとりが必死に駆け寄り、僕の手を握る。

 ふふ、へんなあたま。そんなにぼくにちかよったら、ちでよごれるよ。
 でも……にとり、そのてをはなさないで……にとり……



 ======



 おぼろげながら目を開けると、赤い陽光が部屋を染めていた。先程まで夜の暗闇に包まれていたのにどうしたことだろう。
「……ッ」起き上がろうとすると激痛が走る。声を出そうとしても出なかった。痛みの中心、喉元に手をやると、包帯のような感触が。横目で見渡すと、僕はベッドに寝かされていた。でも拘束されているわけではなく、患者が着るような青くて薄い服を着させられていた。なぜこんなことになっているのか、いやそんなことより呼吸の度に痛みがする。

 荒くなった呼吸を和らげるため、静かに深呼吸して強張る身体を弛緩する。

 段々と思い出してきた、僕はここで血を吐いて倒れたんだ。そしてここは……にとりのベッドのとなりじゃないか。
「……!」ぎりぎり手が届いたカーテンを慌てて開く。しゃっと開いた音に気付いてにとりもカーテンを開く。
「椛! 気がついたのか! 良かったあ」
 にとりは僕の顔を見るなりベッドから飛び起きて、僕のベッドの横に駆け寄った。アフロがもさもさ揺れて可愛らしい。にとりの元気そうな顔を見て僕は一安心した。にとりが死んでしまうなんて僕には耐えられない、と言おうとしたがうまく話せず、僕は口をぱくぱく言わせるだけだった。
 にとりは僕の手を握り、困ったような笑顔で口を開く。
「あんたバカだよ。なんでも切れるウォーターセイバーを喉に突きつけられてるのに、私のベッドに無理やり突っ込んで来るんだもの」
「……」そうだったか、そのあたりはよく覚えていない。僕は本当に馬鹿なのかもしれない。
「声帯を切ったらしいから一週間はそのまま、声を出さずに安静にしなきゃいけないよ」
 僕の頭をくしゃりと撫でて、微笑んだ。僕はガラスで切った包帯だらけの手をにとりの頬にそっと当てた。手の甲でもにとりの頬の感触がよくわかる。ぷにぷにさらさら気持ちいい。
 にとりは寝たままの僕を抱きしめ顔をうずめた。アフロの髪が鼻面をくすぐりこそばゆい。
「二日も意識不明だなんて、どれだけ心配させりゃ気が済むんだよ。バカ椛」
 そう何度も馬鹿馬鹿言わないでくれ、軽率だったことは認めるからさ。
 にとりの顔が二の腕と胸の間に埋もれている。にとりが話すたび空気が脇をくすぐった。
「はたてちゃんとアヤに聞いたよ。私のために尻子玉をくれようとしてくれたんだろ? 確かに親密な人の尻子玉は霊薬になる。どんな病に効くのも本当さ。でも私が、椛を犠牲にしてまで生きたいと思うはずないだろ? ほんとバカなんだから」
「……」にとりに伝えなきゃ、何のためにここに来たのかわからなくなる。
 にとりに書く物をくれと、身振り手振りで説明する。渡された鉛筆でたどたどしく文を書く。本当は筆の方が良かったが、仕方ない。童子の様な、のたくった字でにとりへの想いをしたためる。
『にとりは大切な人だから、絶対助けたかった。でも、にとりの気持ちを思いやれなくてごめん』
「椛……」
 にとりは僕の手を握り、包帯のないところに頬を擦り寄せた。唇の端が手首に当たり、どきんと心臓が飛び跳ねた。きらきらした目で微笑を浮かべるにとりは、可愛くもあり綺麗だった。
「早く元気になろうな」

 大切な友人の励ましの言葉に、目覚めたばかりで満身創痍の病み上がりだが、笑顔で僕は頷いた。ベッドの向こうで扉がきいと鳴いたが、にとりのアフロで見えなかった。



 ======



 扉を開けたのは文さんとはたてさんだった。せっかく良い雰囲気だったのに、さすが空気が読めない文さんだ。文さんはにとりに向かって改まって口を開く。
「にとりさん、声の出ない椛さんに変わって私が誤解を解きます。椛さんと私が抱き合ってたのは特別な気持ちがあったからではなく……」
「いいよ、わかってるよ。椛もアヤも、私をのけものにしようとした訳じゃないんでしょ? あの時は私もどうかしてた。なにより私を助けてくれようとここまで来たんだ、誤解だったことがよくわかるよ」
 驚いた。にとりの誤解があっさりとけた。聞く耳を持たなかった先ほどの、いや二日前のにとりとは思えないほどあっさりだった。だけど、わかってくれてよかった。にとりをのけものだなんて、とんでもない誤解だ。
「私も、八つ当たりしちゃってごめんなさい。にとりが憎かったからじゃないの」
「うん、はたてちゃんも私のこと嫌いになったんじゃなくてよかった」
 にとりは笑顔ではたてさんと仲直りの握手をする。にとりが倒れてから今までずっと憔悴しきっていたはたてさんの顔がようやく晴れた。
 はたてさんは僕のベッドの足元に座り、膝をさすってくれた。
「椛は大丈夫?」
「うん、お医者さんは意識が回復すればもう大丈夫って言ってたよ」
「よかったあ」
 はたてさんは僕の足をぎゅっと抱きしめ満面の笑みをこちらに向けた。今まで見たはたてさんの笑顔の中で一番明るかった。にとりも文さんも笑顔で頷いた。
「あ! みんなが謝ってくれたのに私が謝ってなかったや。里から追い出すわ、怪我させるわ、色々ごめんなさい」
 急に立ち上がったと思ったら、にとりからの謝罪だった。にとりが謝ることなんてない、頭を上げてくれ。
「ううん、にとりは悪くないわ。悪い事が重なっちゃっただけよ」
「そうですよ、またみんなで仲良くやりましょう!」
「うん、そうだね!」
 紙に書こうとしたらはたてさんと文さんに先に言われてしまった。筆談というのも難しいな。途中まで書いた紙を丸めて捨て、新たな会話の切り口となるような言葉を書いた。
『早く治して外で遊びたいね』
「そうだね~椛は喉が、私は髪の毛がどうにかならないと、外で遊べたもんじゃない」
 にとりはふわふわのアフロを両手で上げ下げしながら困った顔をしていた。
「髪の毛? そういえばにとりさんはどうして入院していたんですか。見たところどこも悪そうではないみたいですけど」
「えっと、あの……髪の毛がアフロになっちゃって、外に出るのが恥ずかしかったから……」
「えっ」
「えっ」
『えっ』思わず紙に書いてしまった。
 三人とも唖然としてあいた口がふさがらなかった。かろうじて持ち直した文さんが質問を投げ返す。
「もしかして、それだけですか? それだけで入院していたんですか?」
 あれだけ過剰な警備体制の病院にいたのだから、重篤な症状だったとしてもおかしくはない。
「う、うん、それだけ……」

 なんだって! 

「いーじゃん、お医者さんも一週間くらいで生え変わるからここにいてもいいって言ってくれたんだし。全治一週間だよっ!」
 にとりはふてくされてそっぽを向いた。でも、僕から見えるにとりの表情は、少しだけ笑っていた。
「あはは、いやはやそうでしたか。アフロ似合ってますよ、にとりさん」
「うふふ、そうよ。似合ってるし可愛らしいわ」
 二人にアフロをつつかれてにとりは顔を赤らめもじもじする。僕はさらに恥ずかしがる顔が見たくてアフロに対する感想を書こうとしたが、にとりに鉛筆を取り上げられた。
「いいよ、書かなくて。アフロについては何も言うなよ」
 口をふにゅふにゅっと曲げて悪っぽく睨んできたが全く迫力はなかった。そんな表情もまた良いものだ。心に小さな花がぱっと咲いたように、何とも言えない満足感が得られた。
「椛さんもきっと似合ってると思ってますよ」
 文さんの言葉に大きく頷き同調した。どんな髪型をしていてもにとりはにとり、可愛らしい。
「だーめ。どれだけおだてても、この頭で幻想郷を歩くつもりはないからね」

 にとりははにかみ、文さんはニヤつき、はたてさんは微笑んだ。
 笑い声が病室に広がり、僕たちのベッドは華やかな空気に彩られた。



 ======



 もう外も暗くなり、面会時間も終わりに近づく。天狗の里に帰る文さんとはたてさんを、部屋から見送り手を振り続けた。二人が見えなくなった頃、にとりは大きなあくびをする。そろそろ寝ようねと僕に掛け布団をふわりとかけ、にとりは自分のベッドに戻ろうとした。僕は痛む腕を伸ばして、にとりのパジャマの裾を掴んだ。どうしたのかと振り返り、僕のベッドに腰を掛ける。きょとんとしたにとりの手を握り、紙を渡す。

『にとり、大好き』

 僕はその紙に本心を書いた、これ以上無い本心を。今まで伝えられなかった素直な気持ちを字に込めた。
 にとりはその字を何度も見返すように、視線を言ったり来たりさせている。目をぱちくりさせて、僕の顔を見返した。僕は照れ笑いも照れ隠しもせず、紙に書かれたことは本心だ、と真剣な目で語る。伝わるだろうか。ちょっと不安だったのでにとりの手を握り続けた。
 にとりはその紙をポケットに大事そうに入れた。照れているのか頬をぽりぽり掻いて、僕の顔の近くに座り直す。こちらをちらりと見ては、ふいっと視線を外す。所在無げに指を動かしながら、足をそわそわ動かしている。再びこちらを見た時、にとりのすべすべで滑らかな頬が近づいた。目の前の頬は、ぽおっと赤く染まっていった。

 僕は心に大輪の花畑が咲き誇ったのを感じた。



このシリーズを待っていてくれた人へ
おまたせしました。ようやく九話ができました。
このシリーズはまだもうちょっとだけ続くんじゃよ
CARTE
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