Coolier - 新生・東方創想話

死体探偵「ファイト・フォー・ジャスティス」下

2016/04/25 00:27:07
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 りぃん。
 鈴の音のように細く美しい音が木霊する。
 ……最悪だ。
「何よ……何なのよ、それ」
 わかさぎ姫が呻く。その視線は血に塗れた陰陽玉に張り付き、わなわなと震えている。怒りか、それとも恐怖か。
 私が陰陽玉を手にすると、ペンデュラム・エンシェントエディションから放たれていた赤光はピタリと止まり、再び洞窟内は揺らめく水光で満たされた。
 水。
 この洞窟はここで行き止まり。そして中には川が引き込まれている。しかも、外は雨。
 最悪だ。最悪以外の何物でもない。
「わかさぎ姫。生き残りたければ協力しろ」
 私は言う。声が震えるのを自覚しつつ。
「え……」
 状況が飲み込めないであろうわかさぎ姫は、訝しげに私を見上げた。
 りぃん。
 またあの音が響く。
「何処かに脱出路は無いか」
 私は首を回して洞窟内を見渡すが、何処にも出口になり得る隙間は無かった。洞窟の壁面は強固で、打ち崩すには時間がかかるだろう。水に入るなどは愚の骨頂。
「脱出……?」
 涙で腫らした目を瞬きさせて、わかさぎ姫は呟いた。
 りぃん。
 耳障りなその音が、一際大きく鳴り響いたその時。振り返った私の目に映ったのは、紛れもなく、奴の姿だった。
 霧虹を背に立ち尽くす、雨に打たれる蒼暗色のレインコート。すっぽりと被ったフードの隙間から、眼光だけがギラリと光っている。コートの表面は雨に濡れててかり、のっぺりとした両生類の皮膚を思わせた。右手に握りしめた鎖の先には、仄かに赤い光を放つペンデュラムが揺れている。
 りぃん。
 これは高純度の石英結晶同士がぶつかり合う時に発生する音。揺れたペンデュラムが周囲に巡らされたリングにぶつかり、音を立てているのだ。リング内に石英が仕掛けられているのだろう。この音には妖の感覚を刺激し覚醒状態にする作用がある。ダウジングとしては、邪道。自らの感覚をロッドやペンデュラムで増幅して探索を行うのがダウジングである。感覚そのものを無理矢理過敏にさせて知覚を拡大しようなぞ、本末転倒も甚だしい。それはダウザーの領域ではない。シャーマンの領域だ。
 奴は私を認めるとゆっくりと指を持ち上げ、私へと向けた。私は、小傘のロッドを斜めに構えた。
 私と奴との間の時が止まる。
 額から冷や汗が流れ落ちて行く。それは額を伝い、頬を伝い、顎を伝い、ぽたりと溢れ地面に染み込んだ。
 私は呼吸を深くし、全身の筋肉にいつでも伝令を届けられるよう、気脈を整えた。獲物を求めるように揺れる奴の指先が、いつ止まってもいいように。しかしそれは、奴に取っても同じ事。ほんの少しずつ移動する奴の重心が、戦闘体勢に入った事を示していた。光る眼光が些細な動きの一つも見逃さぬよう、素早く私を舐めまわしている。
「誰よ、あんた!」
 凍結した時を打ち破ったのは、わかさぎ姫の怒声だった。
 瞬間、揺らめく奴の指先が、ピタリと止まった。
 来る。
 私は瞳を開き、指先から放たれた奴の得意技、水爆弾を見切った。私から逸れている。威嚇、或いは次の攻撃の為の布石。私は最小限の動きでその余波を回避する。
 炸裂音を背中で聞いて、私は奴の次弾に備えた。
 だが、揺らめく奴の指先から次弾が放たれる気配は無かった。
 私は眉をひそめた。
 フードの下で、奴が笑った気がしたのだ。
「あ……」
 茫然とした、わかさぎ姫の声。
「あああ……」
 指の谷間から砂が零れ落ちる時のような。或いは、天上に輝く太陽が遠く空の彼方へ落ちて行く時のような。
「ああああ……!」
 それは、喪失の声だ。
 眼前の脅威に巨大すぎる隙を晒して、それでも振り返った私が目撃したのは、爆裂四散した盗賊の身体と、その血に塗れて我を失う、わかさぎ姫の姿だった。
 迂闊だった。
 奴の目的は、盗賊を確実に始末する事だったのだ。
 ぐるりと首を回したわかさぎ姫は、血に塗れるその顔を強烈な憎悪で歪め、奴を睨んだ。
「お前が……お前が……!」
 おこりのように体を震わせる。小刻みに振動するその体から、水滴が放たれた。水滴は見る間に水流となり、さざめき立ち、渦を巻き、水の龍となって洞窟内をのたうち回り始めた。
 奴も目を剥いたのが気配で分かる。奴の動揺が、かえって私を冷静にした。私はロッドを強く壁に突き刺すと、両手で抱え息を止めた。尻尾は胸の前に。
「賢将、しっかり掴まってろ!」
 清らかで荒々しい水龍が牙を剥く。渦を巻く濁流は砂粒一つすら残さず押し流そうというのか、狭い洞窟内を瞬く間に満たした。
 水流に逆らい、私はロッドにしがみついた。四肢が千切れそうになるほどの圧力。聖から習っていた身体強化術が無ければ、私の身体は簡単にバラバラになっていただろう。
 この現象は長く続かないはず。そう私は予想していた。こんな大規模な術、弱小妖怪では力が保たないのだ。
 しかし、流れは一向に衰える気配を見せなかった。
 水の中、私は目を凝らして、水の膜の向こうのわかさぎ姫を見やった。姫は輝きながら小刻みに振動し続けているように見えた。が、その体が少しずつ透明になって行く様にも見える。自分自身の存在を術力に変換しているらしい。言うまでもなく、これは危険な行為だ。
 私はもう一つのロッドを前方の壁に突き刺し、体を移した。最初に突き刺したロッドを引き抜き、さらに前方へと突き刺しなおす。そうしてロッドを交互に壁へ突き刺してゆく事で、わかさぎ姫に近づいた。
 小傘印の退魔針をわかさぎ姫の腕に軽く突き刺すと、ようやく術が解け、荒れ狂う水の竜は俄かに消え去った。
 私は濡れた体に構わず、気を失うわかさぎ姫を担ぎあげた。奴が来る。一刻も早く、ここから移動しなければならない。
 四散した盗賊の残骸を見やったが、今はそれを搔き集め供養する余裕が無い。
「……すまん」
 私は洞窟を出ると、降り注ぐ雨の中、上流へ向かった。わかさぎ姫の出した水は、もちろん下流に向かったのだろう。それに流された青いレインコートの妖も。奴は水を武器に使う。あの水流でやられたとは思えない。必ず追って来るだろう。少しでも距離を取っておかなければならない。
 暫く登った先に、小さな岩室があった。私はその中にわかさぎ姫を横たえ、自分も座り込んだ。少し疲労を覚えていたのだ。降り注ぐ冷たい雨は、体温だけでなく気力と体力も奪ってゆく。雨を防げるこの岩室がありがたい。非常用に常備しているゴールデンエメンタールチーズを賢将と二人でつまみ、一息ついた。
 空を見上げれば、黒雲の隙間から夕日が漏れている。
 夜の闇は隠れ潜むのに適しているが、奴を振り切る事は出来ないだろう。この陰陽玉が、私の手の中にある限り。
 奴は私と同じく、赤光を発するペンデュラムを使って探索をしていた。奴のペンデュラムもこの陰陽玉に反応するのだろう。逃げ切る事は不可能だ。
 一体、この陰陽玉は何なのだろうか。
 陰陽玉と言えば、まず思い付くのが博麗の巫女だ。彼女は陰陽玉を武器として扱うことがある。私も目撃した事があるが、その力は絶大であり、博麗の巫女を幻想郷の調停者たらしめる原動力となっている。だが今、私の手の中にあるそれは、巫女の使っていたそれよりもずっと禍々しい。
 そしてもう一つ。付喪神異変を引き起こした幻想郷のお尋ね者、鬼人正邪も陰陽玉を持っていたと聞く。鬼人正邪は数々のマジックアイテムを何処からかくすね、それを使って追っ手から逃れ切ったらしい。これがそれと同じものであるのなら、今、活路を開く助けになるのかも知れない。
 陰陽玉を眺めていた私は、その陰と陽の間に継目がある事に気付いた。上下に手を添え、少し捻るようにしてそれを開いてみる。
 その、中には。
「……あの人は」
 わかさぎ姫の口が開いた。意識を取り戻したのだ。
 私は救われるような気持ちで、陰陽玉を元に戻し、彼女のか細い声に耳を傾けた。
「あの人は湖の岸辺に倒れていたの。血がいっぱい出て、苦しそうだった……。私、人間は怖かったけど、どうしても放っておけなくて……」
 穏やかな顔で夢語る。まだ意識が朦朧としているのだろう。無理もない、文字通り全身全霊をかけた術を放った直後だ。
「私が怪我の手当てをしてあげると、あの人、私に笑いかけてくれたわ。ありがとうって言ってくれたの。とっても嬉しかったわ。いつか人間と友達になりたい、それが私の夢だったから」
 妖は人を襲い、人を殺すものだ。だが同時に、人に惹かれ、人を求めるものでもある。
 私にも何となく、彼女の気持ちが分かるのだ。
「好きだったのかい」
 私は不躾に問うた。
「……どう、だろう。分からないわ」わかさぎ姫はそう言うが、はにかんだその笑顔が、全てを語っていた。「でも、楽しかった。あの人と色んなお話をするのが楽しかった。あの人が退屈しないようにって、私、湖の事、色々お話してあげたの。あの人も楽しそうに聞いてくれた」
 ……だからこそ、悲劇だ。
「でも、あの人は追われていたの。沢山の武器を手にした人間達に。すぐに湖に居られなくなって、私達は川を遡ったの」
 人間……。
 ちらつくのは、私に依頼をした自警団を名乗る見慣れない男の顔。
 確かにあれは、人間だった。
 だが、果たしてただの人間だったのだろうか。
「私、戦ったわ。戦いは得意じゃないけど、一生懸命。あの人を助ける為に。でもあの人……どんどん喋らなくなって……」
 わかさぎ姫は目をくわりと見開くと、体を起こした。その顔は再び、憎悪に歪んでいる。
「あいつは何処! あの河童野郎は!」
 河童。
 確かに奴は、水を使う。
「奴は河童なのか。それにしては雰囲気が異常だが」
「臭いで分かるわよ! あの野郎……!」
 涙を流し震えながら、わかさぎ姫は口から泡を飛ばした。
「絶対、絶対許さない……必ず、必ず八つ裂きにしてやる!」
「憎しみの為に戦うな。君の身を滅ぼすだけだ」
「彼だってそう望んでいるわ!」
「もう一度言う。憎しみの為に戦うな。死なば皆仏。死んだ人間は、争いを望みはしない」
「うるさい、小鼠の癖に! あんたなんかに何が分かるって言うのよ!」
 りぃん。
 ……来た。
 奴だ。
 私はロッドを取って立ち上がった。
「私は戦わねばならん。君はここで隠れていろ」
「奴が来たのね! 私も戦うわよ」
 わかさぎ姫の腹にロッドをめり込ませると、姫はえずきながら私を睨んだ。
「あんた……」
 一撃で失神させるつもりだったのだが、失敗したようだ。
「あの術を使った後でもその生命力。存外、丈夫だな。しかし君は来なくていい。憎しみの為に特攻をする輩など、足手まといだ。彼が望んでいたのは、きっと君が生きることだったはずだ。だから私は、何度だって言ってやる。憎しみの為に戦うんじゃない」
「じゃあ、あんたは……一体、何の為に戦うのよ……?」
 首筋に手刀打ちする事で、ようやくわかさぎ姫は気絶した。
 何の為に戦う、か。
 この陰陽玉を捨てさえすれば、無用な争いから逃れられるのだろう。
 だが、しかし。
 私は右腕を押さえた。
 あの時の八雲紫の白い腕が、震える瞳が、か細い声が。呪いのように私を掴んでいる。
「賢将。彼女を頼む」
 賢将を残し、私は森を駆けた。奴が追い付きやすいよう、少しペースを落として。
 目論見どおり、奴はすぐに追いついて来た。
 後方から殺到する水爆弾の連打を身をひねり、飛び跳ね、転がりながら躱し、私は蛇行しながら下流へ走った。
 奴の弾切れを狙いたい所だが、この雨では不可能だ。弾薬が無尽蔵に天より降り注いでいるのだから、こんな厄介な軍隊も無い。おまけに水爆弾の威力も上がって、一撃で大岩を砕くほどである。射撃戦では分が悪かった。接近戦に持ち込まなければ。
「滑稽だな!」
 退魔針を応射しながら、私は奴に向かって叫んだ。
「盟友にコキ使われる妖なんてな!」
 私の挑発に奴は言葉を返さなかったが、水爆弾は一層密度を増した。苛烈な爆影を背に、私は遮二無二走った。
 河童は人間を盟友と呼ぶ。人間と対等であるというのが河童の基本的なスタンスなのであるが、奴の態度には妖としての強い自負がある。そこに違和感を感じる。奴は本当に、ただの河童なのか。
 奴の水爆弾は私を川へ追い詰めるようにして放たれている。私はその誘いに敢えて乗り、川へと向かった。狙いがあったのだ。
 やがて、川岸に出た。周辺には鋭利な鱗弾が突き刺さり、私とわかさぎ姫の戦いの跡がある。あの洞窟に戻って来たのだ。
 私は迷わず川に飛び込んだ。
 勿論、水の中で河童と戦おうなど、聖相手に説法を挑むようなものである。敵うわけが無い。だが、川に飛び込む事で一瞬、奴から姿を隠す事が出来る。
 私は素早く潜水し川底の石を拾いあげると、ぬえから借りた正体不明の種をくっつけ、念を込めた。その石に術をかけ、丁度川へ飛び込もうとしていた青いレインコートの妖に向かい、力いっぱい投げ付けた。
 ジグザグに飛ぶ飛礫に向かって、奴が水爆弾を連射する。奴がそれを砕き、正体を見破った時にはもう遅い。
 水から飛び出た私は、奴の懐に飛び込んでいた。
「この距離では、炸裂弾は使えまい!」
 私は瞳を開いた。
 奴の指先が走る。
 力を込めた人差し指がぶるぶると震えている。接近戦に奴が選んだのは、読み通り。高圧圧縮された水のレーザーだ。忘れもしない。以前遭遇した時、古いロッドとペンデュラムを真っ二つにしてくれた技。
 だが今のロッドは、小傘の鍛えたロッド。負けるはずがない。
 発射された水レーザーに対し、正確に軸を合わせ、私はロッドを突き出した。小傘のロッドは水を押し返し、奴の右手の指先を打ち据えた。
 勝った。
 追撃を加えるべく振りかぶった私を、しかし衝撃が襲った。奴の左手から発射された水爆弾が、地面で爆裂したのだ。自分のダメージを省みず、奴は特攻を仕掛けたらしい。
 吹き飛ばされて倒れた私は、起き上がろうとしてよろめき、再び倒れ込んでしまった。思った以上にダメージを食らったようだ。右足と右手、何とか繋がっているようだが、それぞれの感覚が鈍くなってしまっている。地面に叩きつけられた時に打ち付けたのか、背骨にも鈍痛が走った。
 私は左腕でロッドを構えようとしたが、吹き飛ばされた時に落としたらしい、手の内から離れてしまっていた。
 舞い上がる土煙の向こう。
 奴の影が揺らめく。
 フラフラとした覚束ない足取りで、奴も同様に負傷しているようだが、凄まじい執念である。
 ゆっくりと、奴の右手が持ち上がった。
 私は倒れたまま、手近に転がっていた桃色の折り畳み傘を拾い、開いて威嚇した。
 それが滑稽に見えたのか、奴は口角を吊り上げた。そして、奴は私に止めを刺すべく、指先から水爆弾を発射した。
 瞬間、奴の背後に回った私は、傘を放り捨て、左手を伸ばし奴の首根っこを掴んだ。
「馬鹿な……」奴が声を漏らす、意外にも女の声だ。「まさか貴様、隙間の……」
 この折り畳み傘は、八雲紫が忘れて行ったものだ。少女趣味のケバケバしい桃色傘など、この私が好んで買うはずもない。
 この傘には隙間を生成する力がある。八雲紫のように自由自在とは行かないが、相手の背後に回るくらい朝飯前である。
 これはルールのある弾幕ごっこではない。真剣勝負なのだ。相手も必死だ。私は接近戦を防がれる想定もしていた。だから私はこの傘を求め、この場所に戻ったのだ。
「安心しろ。殺しはしない。私は殺生はせん。だが、答えて貰おう。貴様は誰だ。目的は何だ」
 この体勢なら、水爆弾で自爆をされても、奴の体が盾になる。
「小鼠が……!」
「答えろ。私は短気だぞ」
 左腕に力を込めると、奴が呻いた。が、同時に、その口からは笑い声が漏れた。
「何が可笑しい」
「小鼠にしては良くやったと褒めてやる」
「何……」
 周囲に目を配ると、いつの間にか囲まれていた。
 黒い忍者装束を纏い、鳥の嘴を模した鉄仮面を着けた男達。七、八人はいるようだ。漲る妖力、一目で分かる。
「か、烏天狗だと……」
 馬鹿な。
 何故、河童の女が烏天狗共と。
「貴様ら……」
 私は女を盾にしようとしたが、
「無駄だ。奴らは私諸共、お前を殺す」
 じゃらり。
 奴の言葉に答えるように、烏天狗達は背負った白刃を抜刀する。
 しかもその上、動揺した隙を突かれてしまった。奴は私の腹を肘で打ち据えて、支配から逃れた。
 雨脚が強まり、水音が丸腰の私の頬を打つ。
 奴がフードを外すと、その長い黒髪が露わになった。つり目がちの瞳が冷酷に私を見据えている。
 ゆっくりと、その右腕を持ち上げて。
「観念しろ。最早、お前が助かる道はない。これ以上、煩わすな。大人しく陰陽玉を渡せ」
 奴の揺れる指先が、再び私を捉えた。
 死が頭を過る。
 死が怖くないと言ったら嘘になる。だが今は、それ以上に強く思う。この悍ましき陰陽玉を、こいつらの手に渡してはならない、と。
 私は、唇を噛んだ。
「観念するのはお前らだ!」
 響き渡る怒声。
 上流から現れたのは、わかさぎ姫。その顔からは憎悪こそ抜け落ちているが、烈火の怒りに猛っていた。
 だが、それは奴らの失笑を買っただけだった。
「のこのこ戻って来たか、馬鹿め」
 この状況で、弱小妖怪が一人増えても、高が知れている。
 天狗共はわかさぎ姫の放った鱗弾を事もなげに弾いた。そして、嘲るようにその鱗弾を踏み砕いた。
 元来温和な人魚と天狗とでは、力量差がありすぎる。
「笑っていられるのも今の内だけだよ!」
 反対側、下流からも声がする。
 赤みがかった黒髪に獣耳の少女。確か、霧の湖で会った、今泉影狼だ。
 影狼はその手を天にかざし、宣言した。
「あんた達は包囲されている。囲んだつもりが囲まれるだなんて、とんだお笑い草だね!」
 その言葉に天狗共はざわめいたが、青いレインコートの妖は冷静に言い放った。
「見え透いた嘘だな。貴様ら木っ端妖怪に、そんな組織力があるものか」
「どうかな?」
 影狼は不敵に笑い、掲げたその腕を振り下ろした。
 途端、四方八方から赤色のレーザーが殺到し、奴らの足元を焦がした。天狗共は色めき立ち、レーザーを防御することで手一杯になったようだ。
 その隙に、疾風のように私の下へやって来た影狼は、私を抱えその場を離れた。
 包囲されている事実に加え、敵の数の多さに、流石の奴も戦慄したらしい。
「り、離脱する!」
 慌てて空へ飛び上がると、
「また会うぞ、小鼠!」
 お決まりの捨て台詞を残し、雨降り注ぐ黒雲の中へ一目散に逃げて行った。天狗共もそれに続き、背を見せて空に逃げ出した。
 天狗共は明らかに奴の指揮の下で動いている。天狗と河童は共に妖怪の山に暮らす妖で、共生関係はあるものの、基本的に別の社会を築いている。しかも天狗は独善的かつ排他的で自負が強く、他種族が山に入ることさえ好まないと言うのに。
 その自負を曲げてまで、この陰陽玉が欲しいと言うのか。
 この陰陽玉には、それほどの価値があると言うのか。
 私は懐に収めたこの悍ましい陰陽玉を封印するように、襟を締め直した。
「上手くいったわね。あ〜、怖かった」
 私を下ろした影狼は、気の抜けた声を出した。
「蛮奇ちゃん、もういいわよ」
 影狼が言うと、林の中から赤マントの少女、赤蛮奇が出てきた。彼女の周辺に何か丸っこいものが浮かんでいる。それは彼女の頭だった。
 飛頭蛮はその頭を飛ばし、しかも分裂させる事も出来ると言う。普通にホラーな光景だ。その顔が泣きじゃくっているので、さらにホラーである。その上、四方八方から彼女の頭が飛来して来た。その数、全部で九つ。林の中に分散配置した頭から攻撃を加え、数を多く見せかけたらしい。なるほど、上手い手である。
「うえぇん、怖かったよぉぉ……」
 影狼の胸に飛び込んだ赤蛮奇の頭達がむせび泣く。弱小妖怪が強大な天狗に逆らうなど、そうそう出来る事ではない。かなりの覚悟が必要だったのだろう。
 赤蛮奇の肩には、賢将がちょこんと座っていた。
「賢将、影狼達を呼びに行ってくれたのか」
「この作戦を考えたのも、このネズミなんだよね、悔しいけど」
 賢将はえっへんとふんぞり返った。
 むかつく。が、ここは素直に褒めておいてやろう。
「良くやった、賢将。後でチーズ奢ってやる」
 キイキイ。
 賢将が嬉しそうに鳴いた。
「君たちも、助かったよ。礼を言わねばなるまいな」
「いいえ。ナズーリンさん、貴女のおかげで、姫を見つけることができました。こちらこそ、ありがとうございます」
 影狼はそう言って、私へ頭を下げた。
「ふん。まあこれで、以前の事はチャラにしてやってもいいしぃ」
 赤蛮奇はジト目で私を睨みながらそう言う。以前の事って、なんだろう……?
「ナズーリンさん」
 一人、わかさぎ姫は湖のように静かな顔をしている。
「貴女、探偵なんですってね。私のお願い、聞いて頂けませんか」
「依頼か」
 彼女の眼差しは、四散した彼が眠る洞窟に向けられている。
 復讐、か。
 だが、振り返った彼女の瞳は、憂いを帯びつつも力強く輝いていた。
「どうしたら良いのか分からないけれど、あの人のお葬式をしてあげたいんです。私に教えて下さい」
 ぽろぽろと輝く涙を零しながら、わかさぎ姫は言う。赤蛮奇と影狼はその肩にそっと手を置き、一緒に涙を流していた。
 人を生かすのは、憎しみではない。
 それは、悲しみと決別するために。
「……任せろ。得意中の得意さ」
 胸を張って、私は言った。
 後日。命蓮寺では、前代未聞、喪主が人魚の葬式が開かれた。


 貫くためになら全てを犠牲にしてもいいらしいですね。

 戦闘シーンを書くと、すぐに長くなってしまいます。短編らしく、さくっと読める量にしたいところですが。

 2016/05/01
 少しだけ加筆。
チャーシューメン
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コメント



0.360簡易評価
2.90名前が無い程度の能力削除
面白かった。
短編としては、多くの謎が残ったのが気になるところ。
10.80名前が無い程度の能力削除
読み手に浸透してる東方キャラと違い、オリキャラは一から肉付・開示せにゃならん。今回は顔見せでしたが死体探偵シリーズの成否はオリキャラを書ききれるかに掛かって来るかもね。楽しみに待ちます。
12.90名前が無い程度の能力削除
このエピソード何か好き