Coolier - 新生・東方創想話

迷々々夢

2016/03/05 21:26:16
最終更新
サイズ
125.36KB
ページ数
10
閲覧数
4946
評価数
4/15
POINT
950
Rate
12.19

分類タグ


○探求と発端


 私が幻想郷の歴史に興味を持つのは、ごく当たり前のなりゆきだったと思う。
 夢のなかでしか来ることのできない世界──幻想郷。だからこそ憧れるのだし、幻想郷の完全なる住人になりたいのなら、まずはそのなりたちを知ろうと努力するのがスジだとも考えたからだ。
「霊夢さん、私たちはどこに向かってるの?」
「ん~?」
 隣を歩く紅白の巫女は、気怠げに返事をした。
 雪がまだ少し残る参道を二人でテクテク歩く。春を告げる妖精がそこかしこで目撃される季節にはなったものの、防寒着はまだ手放せないくらいの寒気が幻想郷の朝を包み込んでいた。
 現実世界では味わえない、冷たくも澄んだキレイな空気。
 霊夢さんは寒そうにしている。私は中に着込んでいるのでへっちゃらだけど。いつものマフラーを巻いてはいるものの、牡丹のように鼻先や耳を赤くしていた。
 無理もない。赤色のスカートはもとより、彼女の服装は外気にふれる部分が多いのだ。寒くて当然だとは思うのだけど、霊夢さんは特別な事情がない限り、必ず紅白の巫女服を着るようにしている。なんでも、それが決まりなんだとか。
「あれ、言ってなかったかしら。人間の里よ。そこに物覚えの良いやつがいてね」
 マフラーを口元に寄せながら、白い息をはきだして言う。私は「ふ~ん」と相槌をうつものの、身震いする彼女がなんだか心配になった。
「やっぱり、幻想郷の歴史も人間が管理してるのね。てっきり、人間より長生きする妖怪がそういう役目になってるかと思ってたけど」
 そんなことを口にしながら、横にいる彼女に少し寄る。
「たしかに、妖怪のなかにも趣味で歴史を編纂してるやつはいるし、毎日の出来事を書き留めて保管するやつもいるわ。天狗とかね。でも、人間が知るべき歴史ってのは、人間が管理すべきなの。じゃないと、人間が妖怪の良いように使われるだけだわ」
「へえ。私の世界じゃ、人間が人間にウソをついたり情報に振り回されたりするけど」
「……外の世界は殺伐としてるのね。人間が人間を騙すなんて、人間の里じゃないこともないけどさ」
 霊夢さんは、げんなりとした表情で私の言葉を受け止めた。
 人里で信頼をなくした人間は、それこそ命にかかわることを幻想郷の住人たちは知っている。人間だけでなく妖怪も。現実世界より原始的な世界なのだ。不便が多いことから助け合いが関係を築く基礎となっている。そのため、人間の里で信頼を失えば孤立するし、そうなった人間は妖怪につけこまれるのが定石。
 つまり、人間同士ウソをつくようなことは滅多にない。裏返せば、人間が管理する歴史は信頼がもてるのだと霊夢さんはまとめた。
「ま、これから紹介しようと思ってる女の子はわりと妖怪じみてるけどね。でも安心してちょうだい。あの子はれっきとした人間だから」
「ふふっ、妖怪じみてるって言ったら霊夢さんだって」
「私がなんだって?」
「いえなにも」
 睨まれてとぼけておく。まあ、超能力が使える私も人のことは言えないのだけど。
 にしても、本当に彼女は人が良いなあとあらためて思った。面倒見が良いというか。
 今日は休日なので思いっきり寝ていられる。もとい、ずっと幻想郷を堪能していられる日なのだ。そういうとき、私はこの世界の真の住人になる方法を探るようにしている。
 いまのところ、そのヒントとなりえそうなものは見つけられていないけど、それはそれで幻想郷を探検しているみたいで、不便を楽しんでいた。
 その要因は霊夢さんにもある。今朝もそうだったけど、彼女に頼みごとをするとだいたい一言目が「あー?」なのだけど、二言目は「仕方ないわねえ」と折れてくれるのだ。
 そこがどことなく可愛くて、こうやって二人で出歩くのが嬉しくもあった。
「神社の掃除中だったのにゴメンね、付き合わしちゃって」
「別に気にしないで。今日は朝の見回りも予定にいれてたし」
 そう返事をする彼女の頬は、どことなく赤みがさしているように見える。
 寒さのせいか、それとも別のなにかが原因か。
 思いきって手を伸ばしてみる。当然、私の体はすり抜けてしまうのだけど。
「なによ」
 霊夢さんに気づかれ、怪訝な眼を向けられる。
「えっと、今日も寒いなあと思って」
「そう? 私は平気だけど」
 言いながら、自分のマフラーに視線を落としてバツを悪そうにする霊夢さん。
 そんな彼女を、私はとても愛らしく思う。
「ん」
 手をさしだされて、遠慮なく握らせてもらう。幻想郷にいるあいだ、この体は霊体ではあるけれど、決闘するときと同様、相手に許可をもらえば触れあうこともできるのだ。
 自然「フヘヘ」とおかしな笑みがこぼれてしまい、そんな私の様子に霊夢さんはこんなことを言ってきた。
「あんたが寒そうにしてたから仕方なくよ。ありがたく思いなさいよね」
「うん、そういうことにしておくわ」
 そんなこんななやりとりをしながら人間の里へ向かう。
 幻想郷の近況を聞きつつ、といっても私はほぼ毎日ここに訪れているので目新しい出来事はなかったみたいだけど、霊夢さんとはあれやこれやと話が盛り上がった。おもに話すのは、現実世界の技術とか幻想郷で過去に起きた数々の異変のこと。
 そうやって喋っていれば、あっというまに人里へたどり着く。
 紅白の巫女服と私の学生服は大いに目立ち、すぐに注目を浴びた。そこかしこから優しく降りそそぐ「おはようございます」という挨拶。
 もちろん、私も霊夢さんも手を振り返事をしながら街道をいく。
 現実世界ではまずしないやりとりだ。校門の前で教師からかけられるものは、業務的で感情がこめられていない。私はいつも無視している。だけど、幻想郷にいる人たちのそれはどこか心が安らぐのである。
 しだいに、霊夢さんと手をつないでいることにも「あらあら、仲が良いのねえ」と茶化されるようになる。その返事に霊夢さんは「この子が寒い寒いっていうからさあ」なんて小馬鹿にされたけど、そう話したところ見ず知らずのおばさんが白湯を持ってきてくれて、私たちはそれをいただくことになった。
 色も匂いも味もない、だけど、体とは別にあたたまるものがそこに込められていた。
 ハア、幻想郷最高。
 おばさんにお礼を言って湯呑みを返し、再び歩き出す。ときおり、里の住人になにか困ったことはないかと霊夢さんは尋ねていたけど、いまのところは無事平穏とのこと。
 それを聞いて満足しながら、私たちは目的地へと向かった。
「ここよ。幻想郷の歴史といったら、この家の当主に聞くのが一番だから」
「うわ」
 思わず驚嘆の声が漏れてしまった。現実世界でも滅多にみないほどの立派なお屋敷だ。人里には何度も遊びにきてるし、その中でもひときわ大きな家があることは知っていたけど、まさかここに案内されるとは。歴史なのだから、てっきり図書館的なところを想像してたので、これは良い意味で期待を裏切られた。
 まず入り口からして圧巻。薬医門、というのかしら? 詳しくはないのだけど、立派な屋根にしっかりとした造りの門扉や門柱が、とても厳かな雰囲気をかもしだしていた。
「ごめんくださ~い、博麗霊夢です~。どなたかいらっしゃいますか~」
 私が圧倒されているのに対し、霊夢さんは遠慮なくドンドンと扉を叩く。ほどなくして内側でかんぬきが外される音。顔をだしてきたのは、若い女中さんっぽい人だった。
 事情を説明して当主に会いたい旨をつたえる。すると、その人は頭をぺこりと下げ、すぐに呼んでまいります、と踵をかえしていった。
 そしてこれまた驚く。
 しばらくは待たされたのだけど、その女中さんから紹介された当主は、私よりも小さな女の子だったのだ。
 椿の花の髪飾り、若草色の長着の上に黄色の着物、長くて赤いスカートという、色鮮やかな出で立ちだ。服装だけで格式の高いお嬢様というのがうかがえる。
「おはよう阿求。朝から悪いわね。話は聞いたかしら? こいつにいろいろと教えてあげてほしいんだけど」
「おはようございます。ええ、別に構いませんよ。どうぞ中へ」
 そのまま敷地へ招かれ、私たちは彼女のうしろをついていった。
 やっぱり幻想郷は飽きない。女の子で当主ときいてはいたけど、さすがにここまで幼い子だとは思いもよらなかった。これなら話しやすいかも。
 屋敷に案内されつつ庭をキョロキョロとする。やっぱり広い。庭園といった感じだ。
 松の木や薄桃色をつけはじめた梅、鮮やかな鯉がゆったりと泳ぐ池に鹿威し、少し離れたところには東屋まである。見ているだけでも楽しめる、手入れの行き届いた風靡なところで、さっきからため息ばかりが出てしまう。
 屋敷の中も言わずもがな。漆喰の壁に木目の床。玄関から廊下にいたるまで、古式ゆかしい雰囲気が漂い、豪奢なものは一切ないものの、それがかえって上品さを演出しているくらいには、歴史を感じさせる邸内だった。
「こちらで少しお待ちいただけますか? 書の準備と、茶を用意してきます」
 客間とおぼしき襖の前で、当主の女の子は頭を下げた。私も霊夢さんも「お構いなく」と返事をしておく。すると。
「先客がきていますので、そちらの方から幻想郷の歴史について、さわりだけ聞いておくのも良いかもしれませんね」
「先客?」
 当主が廊下の角に消えていくのを待ち、襖を開く。
 非常に広い一室だ。何畳あるかパッと見じゃわからないけど、子供がはしゃいで走り回れるくらいの広さはある。そして、木製の長いテーブルのそばにポツンと一人だけ、正座して待っている人物がいた。大人っぽい女性。
 霊夢さんはその人をみて、なぜか怪訝な表情を向ける。
「おはようございます慧音先生。先生も阿求に用事ですか?」
「ああ、授業に必要な教材の用意を頼んでいてね。そちらは?」
「この子は宇佐見菫子。人間よ。新参、になるのかしら? 幻想郷の歴史を知りたいっていうからここに案内してあげたんだけど」
「ほう、新参か……」
 霊夢さんに紹介されて私は一礼する。先生と呼ばれていて、教材がどうとか言ってたからどこかの学校の教師なのかしら。そう思っていると。
「……?」
 なぜか、霊夢さんは先生と呼んだ女性のもとに近づき、なにやら耳打ちをしていた。
 すると、相手は得心したように、柔和な笑みを浮かべながらも困った表情で霊夢さんに頷く。ついで、私のほうにも同じ感情を向けてきた。
 どうしたのだろうと疑問に思っていると、彼女から腕を伸ばされる。
「上白沢慧音。半人半獣をしている。よろしく」
 握手を求められていることに遅れて気づく。それに、なんだかおかしな自己紹介の仕方だなと思った。ぎこちないというか。
「は、はじめまして。宇佐見菫子といいます」
 手を握って応える。上白沢慧音なる人物が人間でないことは、白髪にうすい青のまじった髪の色を見て、なんとなく察しはついていたので驚かない。種族が違うことを気にしているのだろうか。
 妖怪に怖い思いをさせられたとはいえ、彼らのなかには人間に友好的な者もいる。
 というか、そういう妖怪の方が多いような気もしている。見たところ悪い人──もとい妖怪──ではなさそうだし、遠慮される必要もないのだけど。
 握手がおわると、そこでちょうどよく襖が開かれる。あらわれたのは当主とその女中。茶菓子のほか、本や巻物類を携えていた。
「お待たせしました。お茶の準備ができたので──」
「すまない阿求。私はもう帰らせてもらうよ」
「え……」
 上白沢慧音の突然の申し出。
 どうして? さっきたしか、この家の当主に教材の用意を頼んだって言ってたのに。
 当主が霊夢さんのほうに視線を向ける。その意図がわかっているのか、霊夢さんも小さく頷くのだった。
「……あとで使いの者を寺子屋に向かわせます」
「助かる。気遣いに感謝するよ」
 阿求と呼ばれた女の子と上白沢慧音がすれ違う間際、そんなやりとりが交わされる。
「ごめんなさい、先生」
 客室を出ようとする彼女の背中に、霊夢さんの謝罪が告げられる。
「気にする必要はないぞ。博麗の巫女、君は自分の役目をまっとうしているにすぎないんだから。その子に誤解を与えないためにも、この場に私はいるべきじゃないだろう?」
 そう返事をして、上白沢慧音は部屋から出ていってしまった。
 ほうけているのは私だけ。霊夢さんがなにか言ったみたいだけど、あの人を退出をなぜさせたのか見当もつかない。私の知り得ない幻想郷のルールなのだろうか。
 というか、これじゃまるで──
「阿求もごめんね。この子のこと、もっと詳しく言っておけば良かったわ」
「お気になさらないでください。私もうかつでした。宇佐見菫子さんはもう理解していると思っていたので」
「ちょっとちょっと、さっきから私ずっとおいてけぼりなんですけど」
 さすがに口を挟まずにはいられなかった。なんだかのけものにされてる気がしたので、抗議の声をあげておく。
「もしかしてさ、ここにくるのはまずかったとか?」
 そう。
 まるで、あの上白沢慧音なる女性を追い出したのは私のような……。
 だったら謝罪をするべきなのは私だし、気を遣う必要はないとも言ってたけど。
「そんなことはありませんよ菫子さん。いまのは私と霊夢さんの落ち度です。妖怪に襲われたことのあるあなたなら、彼女らへの接し方を知っていると誤解したのは私ですし」
 座りつつ、当主の女の子は話しながらお盆にのったお茶をテーブルに配膳していく。
 その言葉を繋ぐように、霊夢さんもこう続けた。
「私も、阿求にそう伝えておかなかったのが悪かったのよ。菫子は大体うちの神社にしかこないしさ。そこから外に出歩くなんて滅多にないし」
「なにが言いたいのかさっぱりわからないんだけど」
「それをこれからご説明いたしますよ。どうぞ」
 湯呑みを近くに置かれたので、当主の女の子と同様そこに座らせてもらう。霊夢さんは私の隣に。当主──稗田阿求と二人で向かい合う形だ。テーブルの上には茶菓子の入った木の器。手元には、用意してくれたお茶が湯気を立てている。
 ただ、湯呑みは私たち以外にもう一つ用意されていた。上白沢慧音の分。
 渡すべき人物のいない湯呑みは、どこか寂しそうに熱をゆらめかせていた。


 幻想郷において妖怪は人間の敵。
 それは疑ってはいけない真実である。
 霊夢さんと当主の阿求は、そう前置きをして幻想郷の歴史を語ってくれた。
 忘れられたものたちによる最後の楽園。救いの場所。はたまた蓬莱の国。
 結界が張られる前の幻想郷は、外の世界と同様、科学の力が進歩するに従って妖怪たちは衰退していったという。そこで、幻想郷の賢者たちは常識と非常識とをわける結界──博麗大結界を作ったのとのこと。
 これは、幻想郷と外とを隔絶するほか、力の弱くなった妖怪は自動的に幻想郷へ呼び込むという仕組みがあり、そうやっていくうちに今のような勢力図が出来上がっていったらしい。
「へ~。じゃあ人間は? ここに住んでる人たちも結界の外の世界に忘れられたの?」
「人間はそうではありません。昔から幻想郷に住んでた人たちが代々繁栄し、営み続けているのが人間の里なのです。……あなたという例外もないこともないですが」
 人間もまれに幻想郷へ迷い込む。そうなれば、博麗の巫女に外の世界へ送り返されるか、もしくは人知れず妖怪に喰い殺されるかのどちらかとのこと。たいていは、後者の運命をたどるのが一般的らしいけど。
 そしてごく一部の例外。私のように好んで幻想郷にくる人間は前例があるらしく、いま現在妖怪の山で神社を構えているとのこと。
 これは良いことを聞いた。いつかそこにお邪魔したいなと思う。
「迂闊にはうごかないことね。油断していて妖怪にうしろからバクリ、ってこともよくあるんだから。いつも言ってるでしょ。神社の外にはあまり出歩くなって」
 妖怪の山に行きたい、というような顔になっていただろうか。霊夢さんに諌められ、私は苦笑してその思惑を誤魔化しておいた。
「人間は妖怪の食糧ですからね。ヘタに動き回らないのが賢明かと」
「わ、わかってるわよ。私だってたくさんの妖怪に追いかけ回されたことがあるし、少なくとも一人では動かないわ」
 そう。妖怪は人を襲う。それは私が身を以て体験したことなのだ。
「そのときの恐怖を生涯忘れないことね。さっきの半人半獣だって、私たちの知らないところで人を襲ってるかもしれないし、もしくは歴史を食べてるはずよ」
「歴史を食べる?」
「ハクタクの妖怪なのよ、あの人は。いえ、人じゃないんだけど……。とにかく、妖怪っていうのは私たちとは別の空腹があって、それを満たすためには人間に怯えてもらうか、独自の力で解決したりするのよ。そういうことをする連中なの」
 独自、というのは上白沢慧音を例にあげると、歴史を食べることがそれにあたる。
 鬼なら怪力、天狗なら風、妖精なら自然現象をあやつり、人間から畏敬と信仰を得る。そんなふうに。
「ん? ちょっと待って。人間は妖怪の食糧なら、どうしてここは安全なの?」
 ここ、とは人間の里のこと。妖怪に囲まれた里はけっこう賑わっているようにも見えた。いくら霊夢さんのような退治屋がいるとはいえ、吸血鬼のいる紅魔館、死を操る亡姫の住む白玉桜、蓬莱人が佇む永遠亭、そのほかにも組織や集まりはまだまだたくさんある。
 そんな妖怪の勢力図をみせてもらった限りじゃ、人里なんかはあっというまに呑み込まれそうな印象を受けるのだけど。
「里は妖怪の賢者様と不可侵条約を結んでいます。なので、里の中にさえいれば人間は安全なんですよ」
「不可侵条約、か。そうよね、そういうものがないと……でも、その賢者様も妖怪なんでしょ? どうしてそれを信用できるものだって言えるの?」
「そりゃ信用するしかないわよ。私たちはそうするほかない。それに、妖怪は無闇に人を襲わないっていう根拠もあるの」
「根拠?」
「うん。妖怪は人間の『畏れ』をうけてこそ妖怪なの。つまり、人間がいなくなってしまうと、妖怪は妖怪たりえなくなっちゃうってわけ」
「あ~、なるほど」
 そこまで説明されて相槌をうつ。
 人間を食糧としてはいるが、それは「畏れ」を得る一手段であり過程にすぎない。人間がいなくなってしまえば、妖怪は存続できなくなってしまうのだ。
 だから、ある程度の数の人間は残している。ここのように不可侵条約を結んだ場所があるのはそのため。霊夢さんはその条約がキチンと守られているか、条約を知らない新参が幻想郷に迷い込んでいないか定期的に警邏しているのだという。それが巫女の役目。
「なんだかそう考えると、人里は妖怪の家畜牧場みたいなものなのね。管理されてるというか、幻想郷も世知辛いわね」
「否定はしないわ。だけど、それで共存できてるのも確かなの。で、博麗の巫女である私の役目は、その両者から生まれる摩擦や軋轢を緩和すること」
「へえ。霊夢さんって、意外と重要なこと任されてるんですね。人間にも妖怪にも顔が広いなとは思ってましたけど」
「意外は余計よ」
 霊夢さんに睨まれて口を閉じる。
 ふむ。幻想郷の住人になるには、結界の成り立ちと歴史を知る必要があるとは思ってたけど、面白い話も聞けてかなり満足……。
「あれ? じゃあどうしてさっきの先生は部屋を出ていっちゃたの? 人間と妖怪のあいだを取り持つのが霊夢さんの役目なら、あの半人半獣さんはそのおかげで人間と仲良くできてるんでしょ。だったら、なにも負い目にする必要はないと思うけど」
「それは……」
 稗田阿求は口を閉ざす。どう説明しようか迷っている感じだ。
 この屋敷は見たところ、名家と形容しても良いくらいに立派だ。そんなところの当主が妖怪を屋敷のなかに通している。そのことから、あの半人半獣は里の人たちからも信頼の厚い妖怪だと考えられる。実際、私も彼女から悪い印象は受けていない。むしろ好意的で物腰が柔らかそうにも思えた。
 おかしなことを聞いているだろうか。
 う~ん、と二人が言葉を濁しているあいだ、私は資料として渡された「幻想郷縁起」に目を落とした。とあるページを開くと、その上白沢慧音に関する記述も載っている。
 歴史を食べたり歴史を創ったりと、その能力は恐ろしいものではあるけれど、寺子屋で教師をしているの一文を見るだけで、人間と共存していることがうかがえるし。
「誤解してほしくなかったの」
 霊夢さんはそう切り出してきた。
「人間と妖怪は共存できているけど、それはとても危ういバランスで保たれているだけ。ねえ菫子。もし、妖怪が人間と打ち解けすぎてしまったら、どうなるかわかる?」
「打ち解けすぎてしまったら?」
 変な言い回しだなと思いつつ考えてみる。
 打ち解けていけたなら、そりゃあ仲良くなれるだろう。気さくな仲になれたら、友達とか家族とかそういうものにもなれるだろうし。
 はたと気づく。霊夢さんが言いたかったこと。もしかして。
「人間から『畏れ』がなくなってしまう?」
「ご名答。妖怪は人間を滅ぼせる力をもってはいるけど、その逆、人間も妖怪を滅ぼせる手段があるの。持ちつ持たれつの関係ってやつかしら」
 持ちつ持たれつってそういう意味だっけ?
「でも、それじゃあの人が部屋から出て行った説明になってない気がするけど」
「最初に前置きしたわよ。幻想郷において妖怪は人間の敵。それは疑ってはいけない真実である、ってね。そういう主旨の説明をしたいのに、仲良くしてる妖怪がこの場にいたんじゃ説得力に欠けるでしょ。先生は、そこに気を遣ってくれたのよ」
 納得。だから誤解してほしくないとなるわけか。
 霊夢さんが耳打ちしたのはそのこと。相手も、私たちの目的と私が新参であることを伝えたとき、霊夢さんと同様に表情を暗くさせたのは同じ理由だろう。そして、自分を半人半獣だと自己紹介したのは、人間の敵であることを知ってもらうため。
「いい? 妖怪は信用しちゃいけないものなの。それだけは肝に銘じておきなさい」
 人指し指をたてて、なんだかお姉さんぶった仕草で霊夢さんは私に忠告する。
「は~い……と言っても、そもそも霊夢さんに説明されること自体、なんだか矛盾してると思うけどなあ」
「ど、どういう意味よそれ」
「あ、それ私も思います。妖怪とたくさん縁のある人に言われても、ってなります」
「なんで阿求まで……」
「だって、神社で月に何度か縁日をするじゃないですか。酉の市だったか能楽演舞だったか、人間だけじゃなくて妖怪も呼び寄せたり」
「あ、あれは生活費を稼ぐため……じゃなくて、人間と妖怪お互いの立場をあらためて認識してもらうためにやってるの! そんなんじゃないんだから!」
 顔を真っ赤にして誤魔化しにくる霊夢さん。
 慌てる彼女にクスクス笑いながら、私は幻想郷に思いを馳せた。
 やっぱりここはとても良いところだ。迷い込んだ当初は恐怖しかなかったけど、受け入れてしまえば私の求めるモノがたくさんある理想郷なのだと、あらためて理解した。
 現実世界はつまらない。なにもないし、他人はみんな同じことをバカみたいに繰り返しているだけ。そんな世界で歳をとって死んでいくだけの人生なんて、私はまっぴらゴメンだった。
 霊夢さんを見て思う。
 彼女はもしかしたら、人間と妖怪の真の共存を目指しているのかもしれない。
 妖怪が生きるのに必要な「畏れ」──それに代わるなにかを模索するために妖怪と縁を繋いでいるとしたら、霊夢さんの巫女としての振る舞いも頷けるから。
「とにかく、妖怪は人間の敵。それだけは心に留めておいて」
「は~い」
 神社で妖怪と駄弁る霊夢さんを思い出しながら返事をする。
 一方で、ここでの用事が終わったら、あの先生に気を遣ってくれたお礼を言いにいかないとな、と思う自分もいた。寺子屋がどこにあるのかわからないので、霊夢さんに場所を教えてもらわなきゃいけないのだけど、彼女は素直に案内してくれるだろうか。
 そんなことを考えながら、幻想郷縁起のページをめくっていく。
 この世界の住人になるための真新しい情報は、あまり見つけられない。現実世界で忘却されることが条件のようだけど、私はまだ不完全のようだった。霊体で、しかも寝てるときでしか幻想郷にこれないのはさすがに不便。
 やっぱり、妖怪の山にある神社の神主か巫女さんに話を聞く必要が……ん?
「未解決資料?」
 巻末でそんな項目を見つける。
「ああ、それは特に気にしないでください。おまけのあとがきみたいなもので、いまじゃ解明できない謎とか、個人的に保管してるものの紹介です」
 編纂者である当主からそんな補足が付け加えられる。
 御阿礼の子が誕生したことを知らせる新聞記事、スペルカードルールの原案、そして、幺樂団のチラシ。
 新聞記事は阿求が記念に。スペルカードルールの原案は霊夢さんもよくは知らないと言うし、幺樂団は幻想郷で人気のバンドだと耳にもしている。
 だけど。
「なにこれ」
 ひとつ、目を引くものがあった。
 数百年前の迷いの竹林で発見されたというメモ用紙。
 夢のなかで幻想郷に彷徨っている……そんなことが書かれたそれは、あまりにも私と被りすぎてて。
 携帯電話、GPS、ホーキングの時間の矢逆転、そして……蓮子。
 これらの単語が頭のなかでグルグルと渦巻いていく。
「どうしたの?」
 幻想郷縁起を凝視する私を訝しがって、霊夢さんも覗いてくる。
「これ、私と同じことになってる人がいるみたいなんだけど、霊夢さん知らない?」
「いや、さすがに何百年も前のことらしいから知らないわよ。知ってたらあんたに話してたはずだろうし」
 そりゃそうかと納得する。
 私が霊体でここにきたとき、霊夢さんは驚いていたのだ。そんなことができるのかと。
「おそらく、先々代以前の御阿礼の子が保管したものだと思います。詳しい発見日時はよくわかりませんけど」
 稗田阿求は、見たもの聞いたことを忘れない求聞持の力をもってはいるが、転生まえの記憶はおぼろげにしか引き継いでいないという。そのことは隣の新聞記事にも補足として書かれている。
「当主さん、これの原文って見せてもらうことできるかしら?」
「ええ、構いませんよ。ちょっと待っててください」
 快諾をもらいひと息つく。この、何百年も前に幻想郷に来たらしい誰かはどうなったのだろうか。幻想郷に住みついた? それだったらもっと歴史的に騒ぎになってそうだけど、生憎そんなことは幻想郷縁起には書かれていない。この人のことを調べれば、この世界に帰化するヒントが得られるかもしれないけど。
「念のために聞いておくけど、霊夢さんはこの『蓮子』っていう子のことは?」
「もちろん知らないわよ。あんたは?」
「私も知らない。わかるのは、これを書いたのは日本人ってことくらいかしら」
 日本語が書かれているから、という理由なのだけど安易すぎるだろうか。
 メモ用紙を見る限りで他にわかるのは、字がキレイであること、語尾の特徴から書いたのは女性である可能性が高いこと、満点の星空に驚いているところから、この人は都会に住んでいるかもしれないこと。
 それと、教養があることかな。タケノコを「筍」、サマヨウを「彷徨う」と表記しているあたり、知識のある人なのだと思う。一般的にこうは書かないだろう。雰囲気的にも、私より年上のような気もするし。
 そうこうしているうちに、稗田阿求がメモ用紙の原文を持ってきてくれた。檜でできた小さな木箱にそれは入っていて、保存のため半年に一度虫干しもしているとのこと。
「少し調べてもいいかしら?」
「はい。扱いに気をつけてもらえるなら」
「わかったわ。じゃあ、ちょっと失礼するわね」
 幻想郷にとっては貴重な資料なので、手袋をつけておそるおそる触らせてもらう。
 確かに、その風化具合は何百年も経過してる雰囲気がある。茶色くなってしまったそれは、幻想郷縁起に印刷されたものと変わらない文章が綴られているが。
「…………」
 なにげなしに裏面も覗いてみる。何も書いていないかと思いきや、薄く印刷されている文字があった。風化しているせいもあって読みづらいけど、判別はできなくない。

 創立二〇〇年記念 K大学

 ここからわかるのは、メモ用紙はどこかの学生に配布された粗品の一つであること。
 だけど、それ以上に疑問が山ほどあふれてくる。
「どういう、ことなの?」
 K大学は知っている。現実世界にも存在している名門の国立大学だ。明治時代に創立し、歴史の深いところだという認識はあるけれど。
 ──二〇〇年記念。
 明治から平成の今までで、二百年も経過していないはず。となれば、このメモ用紙は私の世界より未来からやってきたということになるのだろうか?
 だけど、これは数百年前の幻想郷で発見されたものだ。時間の流れがあべこべになってしまっている。
「あ、あれ……?」
 考えがまとまらないよりさきに、突然眠気のようなものが襲ってきた。慌ててメモ用紙を檜の箱に戻し、稗田阿求にお礼も言えないまま目頭をおさえた。
「向こうで誰かに起こされてるんじゃないの? 大丈夫?」
「う、うん……どうしてかしら。今日は休みだから誰も起こしにこないはず」
 返事がうめき声っぽくなってしまったことに情けなくなる。にしても、幻想郷で眠くなるなんて初めてのこと。ここで夢をみてしまったらどんな夢をみるのか、興味はあるけど、と──
 ぐにゃり。
 景色が歪む。
 なに、これ。色と光が瞬きのように明滅していく。
 そんななか、おかしな風景が視界の端を横切っていった。
 ──黒のネクタイ、白のブラウスを着た女性とカフェで駄弁っていたり。
 ──どこかの講義室のようなところで授業を受けていたり。
 ──これまた、駄弁っていた女性とどこか廃れた神社にでかけていたり。
 それ以外にもいろいろ。見たことない記憶が流れていく。
 どれも私には身に覚えのないものだし、白のブラウスを着た女性とは面識はない。
 でも、なんだろう? あの人の被っていた帽子が、私のモノとよく似ているし、背格好もどこかしら私と同じような。
「菫子? ……ちょ……あんた……だいじょ……」
 霊夢さんの声が段々と遠くなっていく。
 小さくなる景色を捉えながら、私はどこか暗い世界に引きずりこまれるような錯覚に溺れていった。


 混乱する意識を奮い立たせる。なにがどうなっているのか。
 落ちている。自由落下している感覚。
 粟立つ肌を抱えて、私は眼前に広がっている景色をみた。
 満月と星。それ意外は闇が広がっている。まさに、天体の真ん中にいるようだった。
 どちらが上でどちらが下か、平衡感覚もままならないまま落下に制動をかける。
「どこよここ……」
 私は目が覚めたのだろうか。それともまだ夢のなか? 浮遊したまま頭に血がのぼっていないので、とりあえず上下は正しいみたいだ。
 にしても、おかしなところに来てしまった。月と星、それだけが輝く奇妙なところ。
 宇宙? それにしたって、周りには地球も太陽もない。太陽の光を受けずにどうやって月は光っているのだろうかと疑問に思ったりしたけど、それ以前の問題だ。
 宇宙ならどうして呼吸ができているのか。やっぱり夢のなか?
「ここはアポロ経絡よ」
 横から声をかけられて振り向く。
 そこには、白黒のワンピースに赤いナイトキャップ、という出で立ちの女性がいた。
 ワンピースは同色の玉飾りが特徴的で、その背後には尻尾らしきものもみえる。
 紺色の分厚い本と、ピンク色の蠢く物体をそれぞれ片手に抱いているけど。
「だれ」
 面識のない人物だ。警戒を怠らずに尋ねてみる。
「私はドレミー・スイート。夢の管理監督をしているわ」
「夢の管理、ですって?」
「ああ、そんなに邪険にしないで」
 優しげに諌められるも、どうにも信用がならない。見た目は間違いなく妖怪だ。さっきからウネウネとおかしな物体は動きつづけているし、尻尾も蛇のようにぬるりとしている。
 そんな敵意を感じ取られたのか、ドレミー・スイートなる人物はこう話を繋げてきた。
「博麗の巫女から私のことを聞いてないかしら? 月の騒動で手助けしたのだけど」
 相手の口から霊夢さんの名前が出て、少し緊張をとく。
 言われてみれば、アポロ経絡なる場所に聞き覚えはあった。どこで聞いたかというと、月でのいざこざを霊夢さんや魔理沙さんに話してもらったときだ。夢の管理人である獏に案内されて、アポロ経絡を使い月にまで向かったとのこと。
「実は、宇佐見菫子さん……あなたにお知らせしたいことがあってね。幻想郷から突然はじきだされたワケを知りたいでしょ?」
 理由あってのことだとドレミー・スイートはいう。私の名前を事前に知っているところからして、事情を把握してそうではあるけど。
 どうしようかしら。妖怪は信用するなと霊夢さんに言われたばかりだけど。
「……聞かせてもらえる?」
 どうにもならない現状を考えれば、情報がゼロよりかは大いにマシだろう。真偽のほどは私しか判断できないし、それを聞いてからでも遅くはない。
 ドレミー・スイートがなにかおかしな行動を起こしたときのために、超能力をすぐに使える準備だけはしておく。
 ────
 結果からいえば、それは杞憂に終わった。ドレミーは私には何もせず、ただただ状況を説明しただけ。
 その内容は私の夢について。

 私は、幻想郷に行けなくなってしまった、とのことだった。

コメントは最後のページに表示されます。