Coolier - 新生・東方創想話

看板娘を広告塔に

2016/02/19 00:07:13
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 三が日という言葉はとっくに過ぎ、どこもかしこも普段通りの生活に戻っていた。
 人里ではしめ縄をはじめとする正月の飾りつけは全て片付けられ、祭りの活気はとうに消え、ついでに人々の浮かれた気分も片付けてしまったかのように。再び寒さに身を縮こまらせてひたすら春を待つ光景が、人里には戻って来ている。
 一時は舞い上がった私たちの竹林も、普段通りの平穏が戻り、中には宴をしたことを忘れる輩が居てもおかしくないくらい、今や新年ムードは冷めきっていた。
 なのに何故、ここでは未だに門松が並んでいるのだろう。もしかすると魔法の森は時間の流れが緩やかで、土地も家主も正月のままなのだろうか。
 ぼうっとそんなくだらないことを考えていると、「おい鈴仙、焼けたぞ」と私を呼ぶ声がした。


       ○


 門松から目線を外すと、確かに目の前の網に乗せられた四つの餅のうち、火に近い二つが美味しそうに膨れていた。
 声の主である霧雨魔理沙は、箸を伸ばして焼けた餅を一つ掴むと、自分の小皿に乗せて醤油をかける。箸で平たく潰す心地よい音が響き、小さく湯気がたつ。
 私は箸を取る気になれず、網で焼かれている他の餅をなんとなく見てから、魔理沙の手元、次にその背後にある、彼女の自宅に目線を移す。
 森にひっそりと佇むはずの家は、辺りに並べられた正月の飾りつけのお陰で大変目立つ。肝心の『霧雨魔法店』と書かれた看板も門松の影に隠れ、ほとんど役割を果たしていない。普段以上に客引きをする気のない構えである。
「魔法店、やめたの?」
 間を埋めるため口にした冗談に、魔理沙はとんでもない、という顔をする。
「なんでやめなきゃならない」
「だって私を連れてきて早々に、お餅を焼き始めるから」
 人里を後にしようとしたところにぐいぐいと引っ張るものだから、どうせ厄介な頼み事か、使えもしない魔道具の押し売りだろう。そう見当を付けたのに、ホームに連れ込んで魔理沙が最初にしたことは、網と火種の準備だった。
 資金難で飲食店に鞍替えしたのかと思った。言い終わる前に、焼き上がっていた餅が勝手に皿に乗せられた。
「まず客人をもてなすのが、そんなにおかしなことか? それとも、兎は焼き餅は好きじゃないのか」
 しっかり米を食わせるもてなしなど聞いたことがない、精々茶菓子止まりだろう。加えて、別に昼食を一緒したくてここまで来たわけでもない。
 思いはするが、そこまでは口にできない。元来兎は臆病な性格なのだ。
「それにまだ正月明けなんだぜ、餅もおかしくない」
「嘘。もう如月も半ばよ」
「旧正月とも言うし構わないだろ。いつの正月を指すのか、私はさっぱり知らないが」
 私の不満げな声に、魔理沙が餅をくわえながら答える。手に持った小皿から延びる餅は思ったより熱かったらしく、小さく「熱い熱い」と溢し、金髪を揺らして格闘している。
 なんとか熱を逃がして余裕が出てきてからは、「お前も遠慮せず食べろ」と勧めてくれたが、目の前でのたうち回る姿を見てから、さあそれに続こうとは思えない。ゆっくりと息を吹きかける。
「まず聞きたいんだけど、どうしてお餅なのよ。あなたが無闇に人に振る舞うとは思えないし、さてはこれ、余らせてるの?」
 私の問いに魔理沙は頷こうとして、先に口の中の物を飲み込んだ。それから一つ頷くと、背後に隠してあった、切り餅が詰められた透明の袋を、どんと網の隣に置いた。
「どうだ、お得用パックだ」
「どうだ、と言われても」
 魔理沙は早々に一つ目の餅を食べ終わり、最初に網にかけてあった、自分の二個目の餅にかじりついた。
「いや新年会で食べるかと思って、ほら、神社でやったやつ。それで買っていったら、かれこれあって食べる前にみんな潰れちゃってさ。置いていくより持って帰ってきて、で」
「そのまま忘れてたのね」
「正解だ。餅をもう一個やろう」
 勝手に乗せられないよう皿を逃がしつつ、丁重に断る。魔理沙は腕を伸ばしたまま不機嫌そうな顔を作り、仕方なく自分の皿を空けにかかる。
 網と手元を順に見て、それから再び熱さに悶える魔理沙を眺める。
 彼女が二個目を食べ終わるのにはまだ時間がかかりそうだ。焦げる様を見守るのも勿体ないので、仕方なく二つ目の餅を皿に乗せる。
「分かったわよ、食べてあげる。でも、まさか、それ全部の処理に付き合わせる気じゃないでしょうね」
 魔理沙が何も言わずににへらと笑うので、私は急用を思い出そうかと検討した。


       ○


 焼き餅をかじりながら、今日の仕事は本当に終わっていたっけ、と考える。
 呑気に餅を食べているのに仕事をやり残していたとしたら、当然、帰ったあとはどやされてしまう。
 誰に? 私の師匠であり保護者役である、八意永琳にだ。
 愛しの我が家である永遠亭は診療所を営んでいて、決して一日中暇な訳ではないのだ。
 ただ竹林の奥という立地条件は良いものではなく、余程の急患か里で処方できない薬の利用者が来ない限り、人間の患者はそう居ない。
 だから人里での薬売りなんて仕事も必要で、それを任されるのも弟子入りを志願した以上仕方がないのだと、度々自分に言い聞かせる。今朝もそうだった。
 いつも通りの訪問販売をなんとか終え、さて帰ろうかとした矢先。人里の出口くらいで、過去の知り合いである白黒ファッションの魔法使い、霧雨魔理沙が私を呼び止めた。
 こちらが用件を訊ねてもろくに答えもせず、「ちょうど良いところに」とだけ言って私の腕をぐいぐいと引っ張り、あれよあれよという間に里を出て、森へ突っ込み、魔理沙宅の前まで連行された。
 それが半刻程前の事である。
「そういえばさ、それ、なんだよ」
 私が極力ゆっくりと二つ目の餅を完食した時、すでに魔理沙は二つを食べ終え、お茶を飲んで喉を潤していた。
 私の様子を察したのか飽きてしまったのか、魔理沙は新たに餅を焼き始める素振りはなく、何気なく私の背後を指差した。
「何って、薬よ。永遠亭が里に訪問販売してる」
「違う違う、その脇の。いかにもお土産っぽい紙袋だ」
 魔理沙に言われて、自分がすっかり忘れていたことに気がついた。里に行く際に背負っている籠の他に、今日は荷物がもう一つあるのだった。
 正確には、途中で増えたという方が適切だ。
「思い出した。そう、これね。なんだか里の人間たちがしきりに、持ってけ持ってけ、って」
 体を捻り、紙袋を手に取る。持ち上げる際に中に積んであったものが崩れ、がさがさと音を立てた。
「なんだか軽いし、気持ちだから、とか言うだけで中身に付いては何も言わないし。その癖みんな同じような包装だし」
 一番上の一つを手に取り、魔理沙に渡してみる。
 眉をひそめながら受け取った彼女は、重さを確かめ、裏返して、耳元で振ったりして、中身を探り始める。
 というより、どちらかといえば、自分の想像と合っているかを確認しているようだった。
「なあ、これを渡してきたのって、大半が男じゃなかったか?」
 なぜか声を潜め、魔理沙が奇妙な質問をする。
 魔理沙が返したパッケージを手に取り、思い返してみれば。確かに男性が多かったような気がする。
「ああ、そうか。ならたぶん、それ全部チョコレートだ」
「チョコレート? あの、甘いやつ?」
「甘くないのもあるが、まあどっちでもいい。とにかくカカオ豆が材料の、アレだ」
 どうしてここでチョコレートが話題に上るのか、まるで分からなかった。
 なぜ里の人間はチョコレートを押し付けたのだろう。そもそも代金はちゃんと頂いてる筈だし、皆が揃いも揃って同じ品、という点も不思議だ。
 はて、と危うく首をかしげそうになる寸前まで考えていると、急に魔理沙が身を乗り出してきた。
「おい、まさかとは思うが、バレンタインデーを知らないのか」
「バレン?」
 初耳だった。
 魔理沙が茶化す様子もなく詰め寄る様子を見ると、私が知らない方がおかしいらしい。
「仕方ないな。私が教えてやろう」
 固有名詞を取り除いて魔理沙の話を整理すると、以下のようらしい。起源は昔々の神話に遡り、女性が意中の男性に送り物をし思いを伝え、晴れて二人が結ばれたことにあやかる祭り。主に女性が男性にチョコレートを渡す日となり、さらに最近では性別や思いの丈を越え、何かしら理由をつけてチョコレートを渡す祭典、とのこと。
「へえ、そんな日があったのね。わざわざ買いそろえるなんて、みんな律儀ね」
 紙袋を傾け、数の確認をする。向かいでは魔理沙が変な顔をしている。
「んー、なんだかな。新手の喧嘩売りか?」
「何を訳の分からないことを。私は薬を売りに来てるのよ」
「ああ、もう、それでいい。この件は帰って上司に相談でもしてみるといい」
 よく分からないが、今のやり取りの内に、魔理沙はどこか機嫌を損ねたらしい。
 不機嫌に任せて餅の押し売りが再開する前に、立ち去った方が懸命だろう。
「とりあえず、感謝するわ。餅屋の宣伝は、うちの兎にしておくから」
 行商人紛いの着物を整え、耳が隠れるような笠を顎の下で結ぶ。
 情報の分と餅の分、二つの礼を言って、魔法の森を後にした。


       ○


 魔法の森を抜け、帰るべき我が家である永遠亭へ向かう。魔理沙の家で餅をごちそうになったため、思ったより遅くなってしまった。
 永遠亭の位置する迷いの竹林を一直線目指すと、人里の端を横切ることになるはずだ。何もやましい気持ちがあるわけではないのだが、また妙な人間に見つかって荷物を増やされるのは煩わしい。気持ち大回りで、人里を迂回するように歩き出す。
 迷い猫に会ったのは歩き始めてしばらく。竹林の近くに差し掛かり、「そろそろ帰宅だ」と思い始めたあたり。
 茶色い毛並みの猫が一匹、左手の藪から駆け出してきた。
 黒猫よろしく目の前を横切れば何も気にしなかったのだが、その猫は私にぶつかる様に飛び出してきたので、足を止めざるを得ない。くわえてその大きめの猫は、私の左手にあった紙袋を引っ手繰らんと掴んでいた。尚の事、足を止めざるを得ない。
「あの」
 遠慮がちな声を出したのは、当然私だ。何か、といった顔をする猫を、警戒しながら観察する。
 二足で立っている。右前足は紙袋の取っ手。左前足は今にも駆け出さんと前に。帽子の下からは耳が、赤いスカートからは二本の長い尻尾が見える。
 猫又、だろうか。
「猫又さん」
「はい」
 合っていたようだ。
「猫又さん、それ一応私の荷物なんですけど」
 あまり刺激しないよう言葉を選んで指摘すると、意外にも猫又は、あっさりと手を放した。
「そうだったね。美味しそうな匂いがしたからつい、ごめんね」
「つい、で人の物を盗らないの」
「よく注意される」
 悪気はない、と笑う猫を眺めながら被害に遭った原因を考える。が、紙袋の中身は魔理沙に推測されたチョコレートだけだ。この匂いに惹かれたのだろうか。
「私マタタビなんて持ってないし、この中身はチョコレートよ。それにチョコって、犬猫にはやっちゃいけないって教わったわ」
「猫にとっても美味しいものは美味しいの。それに、あなただって兎でしょう?」
 私はあくまで月兎だから、そこらの兎と一緒にされては困る。
 そこで一つ、くぅ、と音が鳴った。
 何の音かと思えば、目の前の猫又がお腹を押さえている。空腹なのだろうか、別に辛くはなさそうだが、バツが悪そうな顔はしている。
「お腹、空いてるの?」
 そういえば、この猫は藪から飛び出してきた。方角的には迷いの竹林の方になる。竹林で迷子にでもなっていたのだろうか。
 当の猫又は恥ずかしがる様子もなく、急に顔を輝かせた。
「じゃあ、それくれる?」
「あげません。中毒症状でも出されたら困ります」
 仮にも医者のたまごなのだ。薬でなくても、症状が予測できない物は迂闊に処方出来ない。
 膨れる猫又を前に、妙案が頭に浮かぶ。
 念のため、確認を取る。何から尋ねるべきか。頭の中で組み立てる様子は、カウンセリングの様だ。
「あなた、普段なに食べてる?」
「うん? 獣肉とか、菜っ葉とか」
「お米は食べる?」
「もちろん」
「お餅とか」
「小さく噛んでから飲み込みなさいって言われてる」
 ビンゴだ。彼女の空腹問題と、とある食糧事情をまとめて解決できそうだ。
 後は最後の問題なのだが。
「霧雨魔理沙って人間、知ってる?」
 直接名前を出してみる。彼女たちが知り合いである確証は無かったが、魔理沙は人間の癖に妖怪に顔が広い変わり者だった。
 今回も、例外ではなかった。
「ああ、うん知ってる」
 少し苦い顔をしたが、認識があったようだ。大方魔理沙の辻斬りにでもあったか、特別友好的ではないようだが。
「あの子が餅屋始めたのよ。場所は、ほら、根城にしてる魔法の森の、奥の方」
「ああ、近くを通ったことあるよ」
 この子、普段どこを闊歩しているのだろう。
「いま開店サービス中らしくて、タダで振る舞ってくれるわよ」
 無料と聞いた途端、先ほどのように顔を輝かせた。さっきまで空腹に駆られて引っ手繰りをしようとした猫とは思えない。
「本当! 何個食べさせてくれるかな?」
「二個は堅いわ」
 言ってから、開店したのにタダで振る舞うとはどういう事だと矛盾に気が付いた。しかし彼女は気にしていないし、真面目に騙すつもりではないのだからいいだろう。
 彼女は現在地から魔法の森への道のりを一度確認すると、先程の横暴をもう一度謝り、去っていった。
 四つ足で駆けて行く背中を眺めてから、手提げの中をもう一度覗き込む。まさかとは思うが、ぱっと見が変わっていないから、抜き取られてなどいないだろう。
 まあ、背中の薬品たちに比べれば、甘味のいくつかなんて無くなっても困らないのだが。
 顔を上げると猫又の背中はもう無くなっていた。全速で駆けていったのか、適当な所で舗装道を抜けたのか。
 とりあえず彼女が到達する前に魔理沙が餅を消化しきることは無いだろうから、外出していないことの方を祈ろう。
 ようやく一段落が付き「いざ帰ろう」と元の道に向き直ると、新しい顔が至近距離にあったものだから驚いた。
「わあっ!」
「人の顔見て、わあとはなんですか失礼な」
 二歩ほど後ずさった私に対して怯む様子のない黒髪の女は、心外だ、というように眉をひそめた。
 いつから居たのかと、それから背後をとられていたことを思い出し、後ろ手に薬品箱を触る。
「薬、盗んだりなんてしてないでしょうね」
「と言うと、薬師さんですか。永遠亭?」
 ええそうです。と返す。
 ぱっと見人間のようにも見えるが、それにしては気配が鋭い。下駄のような高い靴も、人間の間では流行っていない。
 そこで女は懐から名刺を取り出した。
「ああ、申し遅れました。こういう者です」
 警戒しながら受け取った白い紙は、簡潔な名刺だった。真ん中に名前だけが入っている。とうてい機能するとは思えない名刺だ。
「新聞記者として面白い話は無いか探していたら、先程の妖怪の方との話を耳にしまして」
「ああ、新しい餅屋の話」
 ええ、餅屋の話です。
 そう返した女は何かに気づいた顔をして目線を下げると、私の左手を指さした。
「こちらは?」
「ああ、ええと」
 知らぬ話を行き当たりばったりですると、逆に話が長引くと知っていた。聞いて納得した話だけを簡単にすることにする。
「人間たちの間で、最近、甘味物を贈るイベントがあるらしいの。それを知らずに今日薬売りに行って」
 女は黙って話の続きを待っている。
「お裾分けを」
「ふむ」
 薬売りで訪ねた際に貰ったんですね。と状況を当ててくる。
「やっぱり嬉しいものですか」
「そうねえ、まあ嫌いなわけじゃないし」
「それだけ永遠亭が馴染んでるってことは、院長もお喜びでしょうね」
「あまり聞いたことはないけど、それはそうじゃないかしら」
 何を納得したのか、二、三度頷くと目線を紙袋から外した。
「では餅屋の話ですが」
 そこで女は手に持っていた写真機をこちらに向けると、不意に写真を一枚撮った。
「いえ、情報提供者として隅っこに載せようかと」
 突然の行動に咎める気も起きなかった。それに手慣れた様子からして、私が止めても聞くようにも思えない。
 いい加減帰りたくなってきたので、これ以降は簡潔に話した。
 霧雨魔理沙が餅を余らせていて昼食に頂いた事。それを猫又に教えた事。魔理沙の家は魔法の森に位置する事を簡単に話し、新聞記者を名乗る女とそこで別れた。


       ●


 さてさて、予期せぬところでいい話が聞けた。
 さっきのは月兎だとか、宇宙人だとか括られているが、噂ほどではない。普通の妖怪と変わらなかった。
 けど、それだけで丸々信用するかどうかは別ってもの。
 人里にでも行ってみようか。
 まずは話が本当か確かめないとね。


       ○


「バレンタインデーを祝い事にすり替えて祭りをしているのなんて幻想郷ぐらい。作り手の思惑に乗せられるまま義理チョコ友チョコ逆チョコを循環させるだけの形骸化した祭典、気にするだけ無駄よ」
 私が打ち明けた瞬間。開口一番にそこまで容赦無く言うものだから、特に興味を持っていなかった私も「それは言い過ぎでは」と口を挟みたくなる。
 眉をひそめる私に涼しい顔で向き直る、八意永琳。私の愛すべき場所である永遠亭を纏める、実質の大黒柱である。
 本来は決して気性の荒い性格でも、何にでも噛み付く困った性格もしていない。冷静沈着、といった言葉が似合う私の師匠。ところがやってくる患者を診るのに疲れている時だったのだろうか、「私はチョコを受け取ったようだ」という相談を、師匠は言語道断とばかりに一息で切り捨てた。
 そして少しばかりすっきりしたのか、一度息を吐き、普段の冷静な声に戻った。
「と、まあ言ってやりたいところだけど、郷に入っては郷に従え。付き合ってあげるのも悪くないんじゃないかしら」
「はあ」
「はあ、なんて気の抜けた返事ね。ようは人気者ってことなのよ、喜びなさい」
 どう人気者に繋がるのかは分からないが、師匠の方針としては風習に従えということらしい。
「まあ、疎まれてないのは喜ばしいんですが。これ、貰ったらどうすればいいんですか?」
 どうすればいいとはどういうことかと、師匠の目が少し驚きを見せた。
「もしかして貴方、知らないの?」
「私の知ってる事は師匠より遥かに少ないので、たぶん、知らないです」
 何か物を貰ったのなら感謝する。そういった常識的な回答以外に思い付かなかったので、素直に認める。
 そしてこの件に関して、自分の知ってる情報を開示した。薬売りを終えてから、昼過ぎにあった出来事を――魔理沙と会い、バレンタインデーの存在を知ったことまでを話す。
 恥ずかしいから驚かないで、一般常識よ。と師匠は苦言を呈してから続けた。
「その翌月、ホワイトデーと言って、バレンタインデーに貰ったお返しをしたり、男性から女性へ特別な気持ちでお菓子をプレゼントする日があるのよ」
「へえ、そんな日が」
 あとあの子の話した起源は聞いたことがないわ。と師匠は念押した。私が間違った知識をひけらかすのを恐れてだろう。
「一月後にホワイトデー。お返しをする日、ですか」
「そう、思いを伝える日」
 師匠がわざとずれた返答をし、私を動揺させようとしているのは見え見えだった。しかし流石の私もそこまで馬鹿ではないし、そこまで純情でもなかった。
 それよりも何よりも、今の私には非常に気になることがある。
「お返しをするというのは、全部にでしょうか」
「まあそうでしょうね」
「お返しをするべきなのは、私でしょうか」
「貴方宛であって、私は貰ってないもの」
「えっと、つまり」
 背中に嫌な汗がつたう。
 僅かに鼓動が早くなる。
 頭に浮かんだ嫌な予感を振り払い、自分を落ち着けるために一つ一つ確認していると、私のことを面倒に思ったのか、師匠が全部言ってしまった。
「つまり貴方が全員分チョコを用意して、それらをくれた男衆に一人一人手渡しで返すのよ」
 わぁん。
 頭を抱えた拍子に、情けない声が出た。聞きたくなかった事案を突きつけられ、おでこを膝につけたまま、耳を塞ぐ。
「そんな情けない格好しても駄目です。いい加減人間に慣れなさい」
 今の地球で一番影響力を持つのは人間なんだから。と私に諭す。
 視界の端に映った紙袋の、一番上の箱が目に留まる。
「でもでも、師匠」
 はいどんな言い訳ですか。と師匠が真っ向から説き伏せる態勢で応える。
「いえ、でもほら、これは『永遠亭の人たちへ』って」
 宛先はあくまで永遠亭。当然その家主は私ではないのだから、これは私が返さなくても良いのではないか。といった理論を並べる。
 脱兎の如くとはよく言ったもので、逃げ道を見つけてそこに飛び込む様子は、我ながら情けないぐらい素早かった。
「ちょっと見せて」
 病弱で、うちでよく薬を処方している子が渡してきたものだ。鉛筆で大きめの付箋が付けられたラッピングを、師匠に差し出すように前に出す。
 が、師匠は箱を手に取ることはなく、呆気なくその付箋を剥がし、机の隅に張り付けてしまった。
「はい、これで宛先は貴方になったわ」
 向き直った師匠は悪びれる様子も、茶化している様子もない。つまり私にお返しを一任するということなのだろう。
「分かりました。師匠、面倒なんですね」
「私の弟子を名乗るならもっと早くに気づきなさい」
 師匠は再びデスクに向き直り、机の端の付箋を剥がして目の前のコルクボードに貼り直す。
「それに、女の子はお菓子の一つも作れなきゃ駄目ですよ」
 別に料理は普段からしてますし。そう言おうかと思ったが、お小言が長くなりそうなので飲み込んだ。
「あ、師匠、もう一つ質問が」
「はいなんでしょう」
 女性から男性宛に贈る日があり、そのお返しをする日があるのは分かった。
「それならどうして、男性から女性にお菓子を贈る、ホワイトの方を待たなかったんでしょう? なにもバレンタインの方で渡さなくても」
 私は最低でも月に一度は薬売りに訪問する。私には、翌月を待たない理由が特にないように思えた。
 師匠は手に持ったペンで頭をかきながら、わざとらしいため息を一つ吐いた。
「馬鹿ねウドンゲ、この風習は年に二回しか設定されていないのよ? 律儀にホワイトデーに渡してしまったら、貴方からお返しを貰う機会がないじゃない」


       ○


 なんと貪欲で狡猾なのだろう。
 師匠と話し終えてから、村人たちへの印象がそのように書き換えられた。
 実に単純なこと。全ては私のお返しを狙っての事だったのだ。対面を怖がっている一方、元凶ともいえる人間たちは呑気に甘味物を期待しているのだから、もはや腹立たしいまである。
「あ、ウドンゲ。今お客様がいらしてるの。ご挨拶と対応、お願いね」
 閉じた襖越しに聞こえた師匠の声に、今一度振り替える気力もなく、同じく襖越しに了解の返事をする。
 紙袋を片手にのろのろと歩きながら、今後の対応を考える。
 裏に企みがあると知ったために、全てのお返しを蔑ろにする、なんてことは私の性格上、とてもできそうにない。かといって、貰った物を今から返却するというのも無理な話だ。
 つまり、時すでに遅し。私が受け取って帰ってきた時点で、選択肢は一つしかなかった。
「我慢して、お返しをして回る」
 言い聞かせるように呟いて、廊下で一人、肩を落とす。
 それから師匠に言われた事を思い出し、紙袋を台所に適当に置いてから客間へ向かう。
 足取りは、重い。ついでに頭の回転も重い。客間の前に立ってからようやく、お客様とは誰だろう。という考えに至る。
「失礼します」
 厄介なお客だったらどうしよう。
 襖を開いて恐る恐る覗き込むと、座布団に人影がひとつ。正座をして座る、背筋の伸びた妖怪が居た。
 短めの金髪に白い帽子。白いロングスカートに、青い羽織り。そして何より目立つ、九本の尻尾。その外見に私は面識があった。
「あなた、大妖怪の式神の」
「お邪魔しているよ」
 九尾の妖怪、八雲藍はこちらに顔を向け、自然にお辞儀をした。
 彼女は式神であるため、主人に使役され、主人と行動を共にし、主人の教育を受けて知識を付ける。私の知る中でも常識と礼儀を合わせ持った、いい教育を受けたと思う相手だ。元が高位の妖怪であるというのも、要因の一つだろうか。
 そこではっとして、室内を見渡した。
 机にはお茶が二つ出ているが、人影は藍しかない。主人である妖怪は、席を外している居ようだ。
「紫様が永遠亭に伺うというので同行してな。今、八意様とお話ししている筈だ」
 私の視線に気づいて、楽にしろ、と小さく笑う。
 大妖怪、八雲紫。
 幻想郷最強の妖怪、妖怪の賢者、妖怪のトップなどと言われている、神出鬼没の存在、八雲紫。“それ”は過去に一度、永遠亭の強行捜査に乗り出してきた。当然その式神である彼女もその際に同行しており、迎撃に出た私にしっかりと弾幕を叩き込んでいる。
 それ以来何か興味を持ったのか、八雲紫は稀に永遠亭に現れているらしい。私はといえば、できるだけ接触を避けている。
 妖怪の格やらを抜きにしても、掴み所の無い性格、自分のペースでしか話を進めない態度。師匠がお疲れだったのにも、納得がいくというもの。
「あれ、でも」
 先程帰宅して着替えた後、私は真っ直ぐに診察室へ向かった。その際に兎以外とすれ違うことはなかったし、廊下を歩く気配もなかった。とすると、八雲紫は何処に行ったのだろう。
「いま師匠のところに行ったけど、私、あなたの主人と会っていないわ」
 藍は小さく、なんだと、と呟いて微かに眉を上げた。
 それから卓上の冷めたお茶を一すすりすると、癖であるのか、袖の中で腕を組み直した。
「すると、置いていかれたのか」
 気に病まないところを見るに、さほど珍しいことではないらしい。隣にある八雲紫の分であろう湯飲みを覗き込んで、納得した様子を見せる。
 そういえば先程師匠は、ご挨拶と対応、と言っていた。つまり対応というのは、竹林の外まで送れという意味だったのろう。
 一人納得し、机越しに向かいの座布団に座る。
「そうだ、イナバ、と言ったかな」
 藍は私の狂気の瞳を直視しないように、頭頂の耳の辺りを見て話す。
「“イナバ”はうちの姫が呼ぶときの名よ。個体的には、鈴仙か、優曇華院」
「そうだったか、失礼」
 鈴仙は、月に居たときに付けられた名前。優曇華院は、師匠に付けられた名前。全て含んだ名前としては、鈴仙・優曇華院・イナバが適切だろうか。
 ややこしくはあるが、私にとってはどれも大事な名前である。呼び名に関しては、呼ばれたことが分かればどれでも良いのだが。
「では、鈴仙。一つ聞きたいことがあるのだが」
 藍の目線は耳に向いているため、中空に話しているようにも見える。
「屋敷の中で、私の式を見なかったか?」
「式? 式って、式神よね」
「そうだ。恥ずかしながら、まだ言うことを聞かないこともあってな、屋敷にお邪魔する直前で、ふらりとどこかへ行ってしまった」
 恥を忍ぶか、自分の力不足と嘆くように、藍は一度目を閉じて息を吐く。
「竹林の中で、何か見かけなかったか? 橙という名だ。猫又の式で、気性はさほど荒くないのだが」
 ちぇん。橙。猫又。さほど荒くない。
 挙げられたキーワードで何か引っ掛かるものを感じ、数瞬考える。それから、竹林の外で会った猫又を思い出した。
「ああ、それなら会ったわ。あの子、式だったのね」
「本当か、それは良かった」
 胸を撫で下ろしこそしないが、ふっと肩の力が抜ける。その様子は、迷子の子を心配する親のようにも見える。
「竹林の外に居たわ。いきなりチョコレートを引ったくられそうになった」
「ああ、それは迷惑をかけたな。まだ無理だと言ったのに、背伸びをして食べたくなったんだろう」
「へえ、やっぱりあげなくて正解だった。猫又でも食べちゃ駄目なのね?」
「まあ成長して妖怪として位が上がれば、大丈夫だ。あいつはまだ未熟だから」
 式を使える程度まで成長すればいいかもしれないな。と藍は笑った。
 どれだけ遠くのことを指しているのか、私には分からない。
「会った後は、魔法の森に向かったと思う。とりあえず、竹林の外まで送るわ」
「お願いするよ」
 足を崩していた私は、机に手をついて立ち上がる。正座で座っていた藍は、座布団から降りて立ち上がる。足が痺れた様子は、微塵もない。
「兎なのに、チョコレートなんて食べるんだな」
 客間を出て、玄関へ向かう。後ろから付いて来る藍が、話しかけてくる。
「私は月兎だし、問題ないの。でも、買うほどじゃないわ。今日持ってたのは里の祭りで貰っただけ」
「ほう、あれか」
「あなたも知ってたのね。大方、妖怪の私が珍しかったんでしょう。折角だから行ってみたら? あなたも人間からしたら珍しいし、チョコレート貰えるかもよ」
 靴箱から出した靴に足を突っ込み、土間を爪先で叩いて準備完了。
 人目避けに笠を被っていこうか考えたが、竹林の前までなので不要と判断した。
「生憎、チョコレートはさほど好きでないんだ」
 藍が靴を履き終えたので、戸を開ける。
 部外者からは迷いの竹林とも言われているが、道筋を知り、荒れていないルートを通れば、さほど時間はかからない。
 竹林の出口に近づいたところで、烏の声がした。そういえば猫又の後にもう一人会ったなと思い出し、口にする。
「そういえばあなたの式と別れた後、新聞記者っていうのとも会ったわ」
 新聞記者。と藍が不思議そうに呟く。こちらは知らなかったらしい。
「その女にも、猫さんは魔法の森へ行くだろうって言っちゃったわ。まあ、聞いただけで、大丈夫だと思うけど」
 道が平坦になって、途端に開けてくる。昼下がりの日光が届く。
 竹林の出口だ。
「記者というのは何にでも興味を示すのだろう。まさかとは思うが、取材を受けていたりしてな」
「迷子の情報も乗せてるのかもしれないわ」
 自分で言って、くだらないと思う。
 新聞に書いて載せるのではもはや行方不明者だ。迷子程度ならば人里で呼び掛けた方が早い。
「ここで、もう大丈夫だ」
 藍が案内に感謝する。もう向こうの竹の隙間から、人里から広がる歩道が見える。
「あなたの式によろしくね」
「毒を取り上げた恩人に、今度お返しをさせよう」
 そう言って一度腰を折ると、藍は魔法の森を目指して竹林を出ていった。
 私はその姿を見送り、来た道を戻り始める。その道すがら、台所に置きっぱなしていたチョコレートを開封しなければと思い出した。
「師匠に分けたらお返し手伝ってくれる、なんてこと。ないわよね」
 憂鬱さを和らげるためにひとりごちてから、決意を固めて土を踏みしめる。
 先程私が茶化した新聞記事。
 それがまさか、私の予想を大きく裏切る内容になるとは。


       ●


 思いの外、いい仕事ができたわ。
 原稿を眺めながら満足感に浸る。後はこれを持って“つて”で生産ラインを動かしてもらえば、号外の完成。
 頃合いを見て、配布することにしよう。普段通りの他、少しだけなら、風が強い日に配布しても良いかもしれない。人里に届いちゃっても、風が飛ばしたなら仕方ない。
 長時間の作業で固まった身体を反るように伸ばしながら、背後の壁に目をやる。
 下が天井、上が床を映す逆さの視界でも、不思議なことにカレンダーだけが正しい向きで見える。けどあれは霊力も何も使っていない、ただの紙カレンダーだ。
 以前、同僚には逆さカレンダーを笑われたことがあったが、こうした時に日付を確認できるのは便利だ。普通にしているなら、日付は手帳で見られる。案外、カレンダーはこうして貼る方が利口なんじゃないかとすら思う。
 反り返った体勢のまま、肩を回す。椅子の背もたれに体重をかけながら、配布日と、次の取材スケジュールを検討する。


       ○


 なんですかこれは!
 そう怒鳴りたくて、相手を選んだ。師匠に怒りを飛ばすよりは、隣の妖怪兎にだろう。
「なんですこれ!」
「あたしに言われても困るんだよなあ」
 地上の妖怪兎は普段通り、私をまともに相手にしない。仕方なく、顔を目の前の師匠に戻すと、師匠は目線で「座りなさい」と促した。
 一度息を吐いて力を抜き、ようやく診察室に駆け込んだままの体勢から動き出す。振り返って扉を閉め、診察用の椅子を引き、患者のように師匠に向かって座る。
 師匠は私から回収した新聞を手にデスクに肘を突き、新聞を片手で構え、見出しを読み上げる。
「『薬師の看板娘 人里で大ブーム』」
 情けないのを承知で、耳を塞ぐ。
 これまでこの体勢を数回試して分かったが、全力で塞ぐか、声を出しでもしない限り、案外効果はない。今も妖怪兎の煽りの声が聞こえている。
 師匠は続けて「『師である院長も鼻高々』」と記事の内一部を読む。
 聞きたくない。言ってないもの。そんな証言してません。
 読み上げを遮断するついでに弁解しようと、ぽろぽろと嘆く。
「そう聞こえるよう言ったんでしょう。あれほど言動には注意しなさいって言ったのに」
「鈴仙はただでさえ口を滑らせやすいからなあ」
 自分が何を発言したか、どんな言い方だったか。一字一句間違わず、つらつらと復唱する記憶力を持ち合わせていないのが非常に悔しい。
「まあ書いた側も、面白い方に面白い方に解釈していったんでしょうけどね」
 師匠がそう呟いて新聞を折る。
 妖怪兎が面白がって手を伸ばすのを、デスクの引き出しに仕舞って回避する。
「して、どう見ますか?」
 意見を仰いだ冷静な声は、私でも、妖怪兎でもない。部屋の入り口で立っていた八雲藍だ。
 新聞など取っていない永遠亭に問題の号外新聞が届けられたのは、彼女の手と足によるものである。
 彼女は単独での訪問を驚いた私をよそに「少し迷った」とだけ告げ、先ずは先日の式神探しの礼を言った。それから二部握っていた新聞の片方を私に見せる。内容に飛び上がった私は師匠の意見を乞うため、玄関から走って診察室に駆け込み、藍はそれにぴったり付いて来て、診察室にすんなりと入る。
 不法侵入でも患者でもない。どちらかといえば、配達員だ。
「どう見るか。そうねえ」
 師匠は配達代としてなのか顔を知っているからか、追い出しもせず質問に回答する。
「新聞自体が、事実報道より話題性を重視したものなのでしょうね。信じるかどうかは読者次第。その読者が何処にいるのかは知らないけど」
 読み手次第、悪評は信じられやすいからな。と藍は溢した。
 彼女は私の記事ではなく、その下の『猫又妖怪 餅屋に出没』の記事を見ているのだろう。内容は空腹の末引ったくりに失敗した猫又が辺境の餅屋を襲撃、焼き立ての餅で舌を火傷して撃退されたというものだ。こちらも間違ってはいないのだろうが、幾らか脚色されているように見える。
「引ったくりは兎も角、魔理沙から餅の処理を頼んだわけであるし、この表現だとただの間抜けな下級妖怪だ」
 自分の式がそのように思われるのは、少し心外である。というのが藍の主張だった。
 一方の私としては、少し心外どころではない。
 最初に要求していた餅の話は、橙メインの記事に取って代わって、私が主になった記事はあの様子。当然、写真は私の記事に使われた。
 涼しい顔で渡してきた記者の顔と、名前しか入っていない名刺に書かれていた“射命丸文”の文字を思い返す。
 次に見つけたらどうしてくれよう。
「いっそ鈴仙、そういうキャラになっちゃいなよ。永遠亭の、看板娘」
「あんたは黙ってなさい!」
 冷やかす兎の眼を直視して、睨み付ける。兎はバランスを狂わせ、「うひゃあ」と声を上げて椅子ごと背中から転倒した。
 八つ当たりだったことは否定できない。が、常々からかわれている仕返しだ。
 ざまあ見なさい。
 師匠が頭を打っていないかだけ確認し、あっさりとこちらに向き直る。それから、私に改めて問う。
 して、どうするのか。
「泣き寝入るのか、訴訟でも起こしに行くか」
 当分文句を言い続けながら、盛った記事を知られていないか気にするのか。裁判の真似事でもして回収を命じるのか。
 どちらも上手く事が収まる様子が見えない。大体訴訟しようにも、取り合ってくれる訳がない。
 ならば当然。
「強行手段を取るしかないでしょう。記者を取っ捕まえて、刷り直した新聞を出してもらいます」
 私の案に、目を回した妖怪兎だけが「面白そうだからいいんじゃないの」と無責任に同意した。
「記者を捕まえるねえ」
 師匠は検討するように、新聞をもう一度眺める。
「多分だけど、この新聞は天狗が発行したものよ。この印刷技術は今の人間には無い。妖怪の山の技術とすると、噂好きな天狗に絞られる」
 亀なら兎も角、天狗と兎じゃあねえ。と師匠が首をかしげる。
 確かに言う通りだが、追い付けないなら撃ち落としてしまえばいい程度に考えていた。しかし天狗のいる山の事に関しては、私は詳しくない。居る場所すら分からない状態だ。
 動くに動けずやきもきしていると、藍が何でもないとでも言うように呟いた。
「なんだ、その記者とやらは、天狗だったのか」
 もしかすると、九尾となると天狗に知り合いがいるのだろうか。そう聞いてみても、首を横に振る。
 天狗は妖怪の中でも高位の存在だからな。と前置いた上で、証言を続けた。
「ただ天狗なら一匹、竹林の入り口あたりで枝に止まって人待ちをしていたぞ。髪は、これくらいの」
 藍は自分と同じくらいの高さに手を揃え、ワイシャツに高下駄で、写真機を持っていると話す。
 この辺りに現れた天狗でその風貌と言えば、間違いないだろう。
「今から行けば、間に合うかしら」
「分からんが、行くなら私の分も頼むぞ」
 藍の静かな声援を受けて、勇んで部屋を飛び出しかける。
 それから診察室の戸に手をかけたまま考えて、言葉の違和感に気づく。
「ちょっと待ってよ、あなたは行くんでしょ」
 出会って初めて、藍は少し嫌そうな顔を見せた。渋る藍の手を掴み、引きずるように診察室から出る。
「なに然り気無く人に任せてるのよ。自分も天狗に文句があるんでしょう」
「しかし、天狗を怒らせると後々面倒で」
「いいから、あなたも被害者でしょう!」
 橙を見つけてあげたことも盾にしつつ、なんとか藍を歩かせて進む。会えても捕まえる算段はないが、一人より二人、だろう。
 背後の診察室からはため息と、無責任な応援歌が聞こえた。


       ●


「見つけたわ! 出鱈目記者め!」
 突如かけられた怒号に振り返ると、予想通り、先日の月兎がこちらを見上げていた。
 私を探して竹林の中を走ってきたのか、息が荒い。
 一応不意打ちを想定して気を澄ませてはいたが、いきなり攻撃して来なかったところを見ると、まずは話をしに来たようだ。
「会いに来てあげたんですよ。本気で追いかけっこをしたなら天狗に敵う者はいません」
 むむむと口を尖らせる兎の後ろから、遅れて一つの影が駆け込んできた。兎と私を交互に見る辺り、ただの通行人ではなさそうだ。
 はて。あの金髪の妖獣、どこかで見たことあるような。
「そちらの方は、どのような? もしかすると、本命の方ですか」
「違うって!」
 とりあえず写真に収めようか。カメラを構えると、レンズ越しに月兎の指先が見えた。
 おおっと。
 直感的に、枝を蹴って後方に回避する。仰け反るように宙返る中で、放たれた弾丸が先程まで自分の居た位置を通過するのが見えた。
 流石にシャッターを切る暇はなかった。羽根を広げて、空中で体勢を整える。
「そこそこに速いですね。何か訓練でもされてたのですか?」
 カメラと指先とはいえ、私と同じ速度で構えた後、躊躇いもなく攻撃を開始した。狙いもついている。
 狂気の瞳が怖いため直視はできないが、目付きも先日の取材の時より多少は鋭いか。思ったより、只者ではないようだ。
「質問には答えません。さきの内容を差し替え、あるいは訂正する文書を配布してください」
「いきなり検閲とは戴けませんねえ」
 二、三、指先が光る。
 今度は見えた。あえて右に飛んで回避する。
「狙いは右肩とカメラ、でしょうか。急所を外してくれているのには感謝します」
 月兎は眉一つ動かさない。やや、結構怒ってるわねこれ。
 次の弾丸が飛んでくる前に、隣に居た妖獣が一歩前に進み出た。攻撃してくる気配はない。
「こちらからも願い出る。あれではまるで私の式が間抜けな強盗のようだ」
 隣の兎は「そもそも話した内容が違うんです」と根本を指摘するが、妖獣は気にしていない。統率はあまり取れていないようだ。
「残念ながら、そちらも却下です。私とて曲げない信念で新聞記者やってますので」
「そうか、では私は諦めよう」
 眉をハの字にしたのは、月兎だけではない。私もだ。やけにあっさり引き下がるなあ。本当は付き添いがメインで、あまり記事に興味はないのかしら。
 ともかく、二人がかりでないなら話はもっと簡単になる。
「では薬師さん。ご友人もそう仰ってますし、あなたも諦めて頂けると」
「いや、それとこれとは話が別よ」
 まあ、その様子だと諦めないわよね。
「ではこうしましょう。追いかけっこでも、その自慢の腕前でも構いません、私を捕らえてごらんなさい」
 もう少しだけ、二者と距離をとる。追いかけるのを諦めない程度の間隔が、ちょうど良い。
「ただ私も撃たれるだけではありません。キジバトやリョコウバトと一緒にされるのは心外です。ここは昨今の幻想郷らしく“弾幕ごっこ”といきましょう」
 二対一であることは承知だったが、それを補う術はある。警戒するべきは、妖獣の攻撃か。
「無言は受諾と見なしますよ。まあ、どちらにしろ、私は編集室へ帰るだけなんですけど、ね!」
 力加減を調節して、団扇を振るった。


       ○


 天狗が振った団扇は、弾幕と一緒に激しい風も引き起こした。台風ほどではないものの、塵が飛ぶ程度に、真っ直ぐ立つとよろける程度に強い風だ。
「なによ、やる気満々じゃない!」
 曲がりつつ突っ込んでくる風弾を、旋回径の内側に入るよう避ける。少し追いかけるが、風弾と強風で、簡単には追い付けない。
 風弾が飛来する隙を見て、駄目元で膝を立てて屈む。
 距離はだいたい、十五メートル、強くらいだろうか。
 腕を伸ばして安定するよう構え、遠くをイメージして指先から弾丸を放つ。
 弾丸から溢れた霊力が弾け、フラッシュと音を発生させる。見慣れたそれには怯まず、軌跡を目で追う。
「当然、駄目か」
 弾は当たらなかった。立ち上がり、走り出す。
 風は常に最高風速というわけではないが、止むことなく吹き続けている。加えて、横風だ。当然、弾丸は流される。
 下手側から吹く風が髪を揺らして、顔にへばりつく。指で取り除いて後ろに流し、追いかける。
 こちらが追いかければ、天狗は団扇を振りながら後退する。団扇が振られると、風が新しく吹き直し、弱まっていた風速がまた強くなる。
「この、面倒な」
 悪態を吐きながら屈み、素早く姿勢を整えて射撃する。
 が、これも当たらない。弾が逸れ、天狗の向かって左を貫いた。
 このまま撃っても無駄だ。少なくとも、風の弱まる時が必要だ。
「藍さん、あの天狗を捕まえるのを手伝ってください」
 当然のごとく、私は協力を要請する。後ろから何となく着いてきていた藍は、私がか、という顔をしている。
 天狗の身体能力は知っているが、その壁は幻影を駆使すれば乗り越えられると思っていた。
 しかし激しい攻撃でも素早い回避でもない、突風は最悪だった。弾が当たらないのは、どうしようもない。
 陽動か風を起こせないタイミングを作って欲しかったが、藍はどこか乗り気でない。
「気を逸らすか、陽動だけでも」
「いや、正直、あまり天狗に手は出したくないんだが」
「援護射撃だけでもいいんです!」
 私の言葉にも、藍はううんと唸った。
 それから弾を避けつつ考えて、頭を狙うわけではないから良いか、と溢した。
「分かったよ、力を貸そう。でも、私は手は出さないからな」
 とりあえず協力してくれるらしい。助かります。と返す。
「私が追って行きますから、そっちは地上から死角を」
「待て、追うならこのままでいい」
 私が勇んで立ち上がろうとしたところ、肩に手をやられ制される。
 何故追わないのかと疑問に思って仰ぎ見ると、彼女は静かに腕を組み直す。目線は真っ直ぐ天狗に向けたままで、その姿は観察に徹しているように見える。
「あいつは言っただけでさほど動いていない。追わない限り、離れない。そして仮にお前が追っても、揺らした照準に見合うほど距離は縮まらない」
 今のところは、と私が足す言葉に、藍も同意する。しかしじきに痺れを切らして離れ出すだろうとは、私にも想像がついた。
「最初の弾丸だ」
「え?」
 天狗に向けていた目線を戻すと、藍は私の眉間の辺りを見た。
「風が吹いてから撃った弾だ。速度、回転、径。最初に撃ったあの弾が良い。奴が動き出してから射程を出る前に、また撃てるか」
 肯定するが、記録していない弾を完全に再現する自信は無かった。となれば、あの時の気持ちでもう一度撃つしかないだろう。
「もう撃って来ないんですかー?」
 上空から天狗の急かす声がする。まるで暇だとねだる少女のようだ。
「来ないならこっちからも、いきますよっと」
 反撃が来た。
 左手に持った団扇を振るい、風の塊を弾幕として飛ばしてきた。直線的ではなく、弧を描くように。挟み込むように幾つかの弾が飛来する。
「あ、それと今から極力動くな」
「え」
 足に力を込めた瞬間、隣から耳を疑う発言が聞こえた。
 当然、向こうは弾を当てるように撃ってくる。動かずに避けろとはどういう事か。
「撃ち落とせなんてそんな急に!」
 咄嗟に順に指先を向け、拡散する弾薬を放つ。
 貫くのではなく、正面からまともに当たる弾。爆風が勢いを殺し、風の弾を打ち消す。
 まずは直撃ルートのものを四つ。
 天狗が再び団扇を振るう。今度は二振り。
 単純計算で八発、九発を覚悟し、相殺にかかる。青赤鮮やかに染められた風弾に目を凝らし、このままでは被弾するものを選んで撃ち落とす。隣では、人の気も知らず藍が弾幕を避けている。
 地道な防戦を続け、天狗の攻撃が四セット目に入ったとき。さっきまでちゃんと回避していた藍が「概ね分かった。そろそろ立ち止まる」と言うものだから、変な声を出しそうになる。
「ちょっと、どういうこと」
 そして宣言通り、私の一歩横に着地すると、屈みもせず本当に真っ直ぐ立ってしまった。
 回答が来る前に風弾が来る。撃ち消す。ああもう、これ隣に当たっちゃうじゃない。指を向ける。
「その意気だ。私の方も撃ち落としてくれ」
「やっぱり!」
 文句を言いながら見上げても、真意は見抜けない。目線を風弾に戻す。
 まずは増えてきた直線めの速度のある弾。隣には飛んでいないか。次に緩くカーブしてくる弾に注意。赤、これは赤だけ消せば平気。隣に当たるのはこの弾だけ。逆カーブは、見切れない。二つ、いや三つ落とす。そろそろ直球、来た。構えていれば落とせる。
 的側が二人に増えるだけでこんなにしんどくなるのか。一人で辟易していると、もう一つ痺れを切らした天狗が動きを見せる。
「うーん、なんなんだか。本当に行っちゃいますからね」
 今度は今までより多少雑に、二振り。風と弾幕を起こした動きに乗せて、こちらに背を向けた。
「来ました、離れます」
 それでも離れる速度は遅かった。本当に立ち去ってしまいますよ、追ってこないんですか、という様子見であることは明らかだ。
 隣を見上げると、彼女は直立の状態から手を真っ直ぐに伸ばし、距離を測るようにしていた。手のひらを天狗に向け、指をL字にしている。
「三つ数えたら弾を撃て」
 急な指示だった。身を正す。
「私が補正する。最初の弾だ、集中しろよ。三!」
 ちょっとちょっと、早い早い。撃ち落としもしなきゃいけないのに。とりあえずどういう体勢だっけ、確か腕はちゃんと伸ばしてた。
「二」
 さっきより間隔が開いてる。落とすのはそこだけ。膝、肩、背。で、弾の感覚、良し。距離は? ざっと三十。相当加減してる。
「一」
 藍の隣から何か出てきた? 足元来た。なんだこれ、小さい。腕が捕まれた。勝手に動かされる。
「零」
 焦る脳内とは裏腹に、身体は宣言通りのタイミングに弾丸を発射した。
 発射音だけが耳に響く。
 指先のフラッシュまでは見た。
 しかし弾丸の行く先を見る前に、手元に目線が行く。攻撃の行動としては当然望ましくないが、そうせざるを得ない。
 手元を操った原因を見るため、自分の懐に潜り込んだものを見るために目線が下がる。天狗は視野から外れる。
 赤いスカート。二本の尻尾。
 揺れる猫又の尻尾を見ながら、遠くで天狗の悲鳴を聞いた。


       ○


 ぎゃっ。という声と共に墜落した天狗は、尻餅を着いた体勢でこちらを眺めていた。腰をさすってはいたが、貫通弾は使っていないので外傷はない。
 さほど焦りも屈辱の表情も浮かべず、困ったように笑っている。腰のポーチに団扇を納め、参った。と手のひらを見せる。
「あいたたた、油断しました」
 私の足元に橙が丸くなり、後ろから藍が近づいてくる。
「まさかあの風の中当てる技量があるとは。いやはや」
 そこで言葉を切った射命丸は「ところで化け猫さんはいつからここに」と疑問符を浮かべた。
 橙が答える前に藍が一度手を叩き、目線を引いた。袖の中で腕を組み直し、話を戻すように持ちかける。
「ともあれ、彼女があなたを討ち取ったんだ。善処していただけるかな」
「ま、言ってしまったものですからね。悪いようにはしません」
 あれ、目線が外れてる間に、橙が向こうへ駆けていってしまった。大きく手を振ってきたので、手首で小さく、振り返してやる。
 目の前では、天狗と狐が話を続ける。
「ああ、ようやく思い出しました。あなた、境界妖怪の式神ですね」
「何処かで正面からお会いしたかな?」
「残念ながら。お噂は耳にしていたので知っていましたが、ちゃんとお会いできて光栄ですよ、ええ」
 そこで天狗は、よっこらせ、と親父臭く呟き、器用に足の高い下駄で立ち上がった。
「なんでも優秀な式として可愛がられているとか。その手助けがあるのであれば、さっきの射撃も納得です」
「私が手を出していないのは、確かに見ていたはずだが」
「しかし強風の中一発で当てれるとは思いません。どういうネタですか」
「恐らく訓練の賜物だろう」
「そんな馬鹿な。月では旗がなびく風すら吹かないと聞いていたのに」
 天狗が不満げに頬を膨らませ、私を睨み付ける。
 ああこれは私一人が恨まれる流れだな。となんとなく把握できた。月の都では風も吹くし、そもそも最後に照準を変えたのは猫又であるのだが。
「一応、事情も聞いておきたいんだけど」
 気を取り直し、聴取を再開する。
「新聞のネタになるような、祭りの話題は他にもあったはずよ。どうして私に白羽の矢を立てたのか、聞かせてもらうわ」
「理由、理由ですか」
 頭を一掻きしてから、腰に手を当てて考える様子を見せる。言い訳を考えているというより、勘に任せて進めたことを振り返っているように見える。
「まあありきたりな回答になりますが、画になるか、あとは客層を考えた結果でしょうね。僻地の餅屋の開店を嬉々とするのは、現地の妖精か迷い人でしょう。事実と照らし合わせられない場所の話をされても、なかなか楽しくありません」
 そもそもそっちは投函してないので、お客が存在するかも知りませんけど。と付け加える。
「加えて最近は人里への投函も進めていこうかと思いまして。人間の講読者も視野に入れる以上、遠すぎず、近すぎない妖怪の話がうってつけでした」
「それが私だったと」
「ええ。さらに言えばビジネスライクなあなたはそそくさと竹林に逃げ帰るそうじゃないですか。普段直接話を聞けない相手の近況というのは、自然と興味が出るものです」
 勝手に乗せられて、好奇の目で見られる側の身にもなってください。私の抗議を、天狗は声を立てて笑い流した。
 不満げな顔を続ける私を見て、天狗は少し落ち着いた表情に戻る。
「ですが、あなたは記事にしても大丈夫な方だと判断しました。各所取材をして裏付けをした上で、殆ど検討をして原稿を選んでます。本当に駄目なネタは、使いませんよ」
 その証拠に、と取材手帳をこちらに向けると、速読するのと同じように、手帳の端をつまんでパラパラとページを飛ばしてみせた。
 手書きの文字がびっしりと詰められた取材手帳。その全てのページを読めたわけではないが、中には殺めるだとか、罪だとか、不穏な文字が少なからず目に止まった。
「記事にし話題にし露にするといっても、してはいけない人、事案があることくらいは分かっています。その上で、あなたはもう、大丈夫であると判断しました」
 挟む言葉を探しているうちに、天狗が「今の中身、読めても広めないでくださいね」と要らぬ心配をする。
 それを聞いてか、横で藍が笑う。
「もう大丈夫っていうのは、何をもって判断したの」
 私の質問は、ご自分でお考えください。と一蹴される。
 それから天狗は、自分で次の話をし始めた。
「少し別の話をしましょう。此度の祭典が、送る側と貰う側に、境がなくなっている理由についてです」
 主人の影響を受けたのか、境、という言葉に藍が少し興味を見せる。
「女性が男性に贈り物をする日は、まだ生まれて間もない祭典です。発端は諸説あって絞れませんが、義務感、一体感、連帯感から、お返しをする日が翌月にできるのは、納得がいきます」
 いかにも人間が考えそうなことです。と天狗が一言置く。
「ですがこの祭りには欠点がひとつあります。それは女性主体の企画で、男性は受動的にしか参加できないということです」
 頷いて、納得したことを示す。単純計算で半分が、その祭りを受動的に過ごすことになる。
「人間は寿命が短い生き物です。参加権を与えられるか分からないまま数年を過ごすうち、自分の関われない祭りが開催されるとことが堪えられなくなったのでしょう。平等参加のお祭りにしてしまえば、確実に毎年、不参加を見積もっても、相当回数参加できるというわけです」
 挙手こそしないが、合間を見て私が質問する。
「じゃあ、今回ばら蒔かれたこれらは、お祭り好きの影響だと?」
「いえ、そうは言っても参加権が不規則になったのも最近です。まだまだ想いを伝える贈り物として、渡す方も多いのでは」
「本命というやつだな」
 そういうものなのか。
 藍の補足に、そうそうまさにそれです。と天狗が食いつく。
「一女子としては、それが非常に気になります。どうでしたか、目線とか、渡し方とかで分かりませんでしたか?」
 前のめりで訊ねる天狗に気圧され、当日を思い返してみる。が、誰が誰かの区別以外、その様子などをはっきりと思い出せない。
 それはそうだ、目線を合わせないようにしているから、分かりようがない。
「そんなの今さら覚えてないわよ。それより、さっきの続き」
 天狗の頬が、もう一度不満げにふくらむ。
「人間が祭り好きなのは分かったわ。じゃあ、妖怪が祭りを好きな理由は?」
「『気』が集まりますからね。いい感情も悪い感情も、妖怪の大好物です」
 加えて、今の妖怪は新しいもの好きが多いですからね。
 それには同意する。永遠亭の存在が露になってからは、冷やかしに来る妖怪も少なくない。暇なのか、そういう性格が多いのかは分からない。
 すると妖怪が喜んで菓子を作る日が、そう遠くないのか。
 天狗の話を受けて少し考え事をしていると、突然名前を呼ばれた。
「時に、優曇華院さん」
 急な改まった声に、戸惑いながらも「はい」と答える。
 目の前の天狗はいつの間にか、取材手帳とペンを構えていた。
「バレンタインのお返しは、どうするご予定で」
 いくら天狗といえど、狂気の瞳は十分怖いだろうに。記者としての度胸なのか、誠意なのか。目線がこちらの眉間を捉えたのが分かる。
 記者としての名刺に書いてあった、射命丸文、という文字が頭に浮かぶ。
「まあ、それは」
 返すつもりではいる。
 永遠亭としても、私としても。
 動機としては、依然さっきの話にもあった連帯感、責任感が多くの割合を占めていた。残りの要素としては、普段お世話になっている永遠亭からの気持ちというのと、打ち解けるための返答として。
「それは、作るわよ」
 僅かながら、私自身の意思を込めても、お返しをしようという気にはなっていた。
 私の返答に対して射命丸は、うんうんと頷く。
「ならばよいです」
 次の瞬間、急に強い風が吹き上げて、思わず目を瞑った。
 砂埃を警戒しながら薄目を開けると、目の前に人影は無くなっていた。まつ毛についた砂を指で払ってから見上げると、羽根を広げた射命丸が滞空している。
「では取材も終わりましたし、私はやらねばならないことが増えたので、失礼しますよ」
 そう言ってあっさり立ち去ろうとする。急な話の運びに、動揺する。
「待ちなさい、今のって取材なの。というか、増えたってなによ」
「そりゃあ、記者なんだから記事だろう」
 埃を嫌ってか、藍が目を閉じたまま言う。当然のような物言いだが、つまり、また私が記事にされてしまうということか。
 ゆるやかに飛行をしながら、射命丸がこちらを振り返る。
「読者が一番期待しているのは何だと思いますか? 続報なんですよ」


       ●


 やれやれ、酷い目に遭った。
 噂の狂気の瞳とやらには注意をしていたが、相方の方がやり手だったとは。式であるのを失念していたのが、敗因かしら。
 だが負けてしまっても、とりあえず証言は頂いた。一歩前進。
 手帳をしおりの場所で開いて、数ページ戻る。あの兎への取材メモの一ページにある『手作り証言』の文字に、丸を付ける。その下の、重要な要素にも二重丸を付ける。
 本人から証言を得たことで、この記事は書けるようになった。だがこの内容だけ刷るのは、流石に集中砲火が過ぎる。
 隙間を埋めるネタはないかと手帳をあちこちめくり、頭の中で簡単なレイアウトまで組む。そういえば式神の方が、自分の式に関する記事をどうこうと言っていたな。
 そこらで遊んでいた妖精の隙間をすり抜けながら、構想に頭を回す。この目撃証言も、使えるかな。
 ふと、今回は一風変わったことをしてみようと思い付く。ネタもネタだし、悪くはならないだろう。
 そうと決まれば、俄然やる気が出てきた。
 さて今日も真実を広めるために、お仕事お仕事。


       ○


 天狗との抗争の原因があった日から、ひと月弱が経とうとしていた。
 報道の状況はといえば、その後射命丸が姿を現すことはなく、先日の内容についてのフォローや訂正が知らされることもなかった。
 しかし当の私といえば、一度撃ち落としたことで気が張れたのだろうか。さほど怒りもせず、「まあそんなものだろうか」程度に現状を受け止め、憎き祭りに向けた菓子を作るための買い出しに来ていた。
 チョコレートと、市販のミックス、香り付けの果物。それと疲労の見られた調理器具が、今日の買い物メモの中身。
 メモの内容を量を確認しながら歩いていると、団子屋の前に見覚えのある影があった。長袖の中で腕を組むようにし、九本の尻尾を揺らしている姿は、見間違える筈がない。
 メモを上着のポケットにしまって駆け寄る。
「式神さん」
 おお、と溢してこちらに向き直る藍は、大して驚いていない。
 偶然、というわけではないのだろうか。
「お買い物ですか?」
「いや、ここで待っていれば通りかかると思っていた。少し知らせようと思ってな」
 どうやら私が人里に来ると予見した上で、待っていたらしい。まあ先日、作る宣言をしてしまったため、材料を買いに来ることを予想されても不思議ではない。
 藍は袖の中から手を抜くと、右手に挟み持っていた用紙をこちらに見せた。写真と見出しの文字が入ったそれを裏返すと、『文々。新聞』の文字が見えた。
「昨日発行の、続報だそうだ。読んでみるといい」
「はあ、またですか」
 渋りはしたものの、藍はさほど気を悪くしていないようだった。すると、内容は悪くなかったということなのだろうか。
 受け取った新聞を広げてみると、目的の記事は探す必要もなく見つかった。予想はしていたが、一面だ。
「『人気薬師、手作り宣言』って、これ」
 君だろうな。と藍が私と、私のさげた買い物かごを指さす。
 慌てて本文に目を通してみる。さっと目を通すと、『お返しの是非を問うと「当然手作りをお返しする」と証言。業務上か個人の対応かは図りかねる』とある。さらに記事の終わりは、筆者の味の好みで締められている。なんだ、これは。
「甘くないチョコレートの方が好みだったというのは、意外だな」
「確かに意外ですけど、そこじゃないんです」
 少し目線を隅にやると、猫又の出没情報の記事があった。先日餅屋を訪れた際に魔法店も物色、一昨々日は古道具屋に現れたという情報があるため、どうやら食べ物以外にも興味はあるらしい、将来的には鑑定士か、という内容だった。成る程、若干ではあるがフォローの記事が乗ったおかげで、藍は機嫌が良いわけか。
「確かにあれで終わらせるなとは言ったけれども、これってまた話を広げてない?」
 思わず、ここに居ない射命丸を非難するような口調になってしまい、藍を笑わせる。
「ご丁寧に、お返しされる人の家には契約がなくても投函されているらしい。先程里の人間が話していた」
「嘘、それじゃ無駄に期待させてるじゃない」
 試験的とはいえ、人里への進出第一歩というわけだ。と藍が見解を述べる。
 意欲的と捉えることもできるが、私からすれば利用されたようにしか見えない。
「あの時は記事にしていい内容なんて言ってたけど、あれもこれも、どこで決めてるのか」
 勝手に表に出されて上手く使われただけじゃない。と不満を溢す。
 私がやり場の無い不満をまだまだ持て余していると、藍が顎に手をやり一考する。
 それから、ぽつりと単語を呟く。
「『コルクボード』、『手紙』」
 え?
 急に、何を呟くのか。そう思ってそちらを見ると、藍はそっぽを向いてそれを続けている。
「『診察室のコルクボード』『お礼の手紙』『満足げ八意氏』、『弟子の心配』」
 記憶に有るものを読み上げるようにつらつらと喋る。
 バラバラに見えて、時系列のある単語。それも藍の思い付きではなく、記憶するために走り書きしたようなワードの並び。
「まさかそれ、あの手帳の」
 射命丸が極力見せないようにと、ぱらぱら高速でめくっていたのを思い出す。
 藍は苦笑して、たまたま見えただけだよ。とこちらに向き直る。
「そのページ、なんて締めてあったと思う。下付き線で『まだ』とあったんだ」
 まだ。
 その二文字に続くものを、考える。まだ、何なのだろう。
 まだ足らない。まだ使えない。まだ面白くない。まだ集める。
 まだ慣れない、まだ記事にできない?
「いや、まさかそんな」
 まだ、の意味を考えて、記者の考慮という言葉を思い返す。
 しかし、あの天狗に本当にそんな考えがあるのだろうか。
「その取材メモの日付からして、気を使っているというのは案外本当かもしれんな」
 私が何に行き着いたのか、藍は言わずとも分かるらしい。一連の記事を恨んだ様子はなく、清々しそうに藍が呟く。次来るときにでも答え合わせをしてみればいい、と。
「次?」
 どういうことだ。それは分からなかったぞ。そもそも、次に会う宣言などしていない。
 問いただすと再び顎を引き、「『欲しいもの、手作り証言』『受けがよければ特集』」と呟いた。
「よければ特集、って! なんて都合の良い記者なのかしら!」
「だが傾向からして、当分は行事の度に来るだろう。それこそ味の調査、といって菓子を一部要求するかもな」
 反感を買って攻撃され、渋々次の新聞を刷ったのに、再び報告やネタ調達に来るだろうか。
 考える余地もない。一度わざと姿を現したのだ。来るだろう。
 ではその時に、図々しく菓子を要求するだろうか。
 恐らく、するだろう。そして目の前でいただき、コメントするだろう。
 それから、『甘すぎるのは好きでないのですよ。せっかく書いたのに読んでいただけなかったんですか』と文句を垂れる様を夢想する。
「こなくそ」
 ならば対策として、特製のものを用意してやる。あんたの味の好みに合わせたチョコレートを。
 ポケットから取り出した買い物メモの一番下に、“ビター”と殴り書く。手を止めてから考えて、書き足して“超ビター”としてやる。
 隣では藍が、「もし来なかったら自分が食べる羽目になるぞ」と笑っている。
 バレンタインの逆チョコって一時流行りましたが、すぐに聞かなくなった気がします。それとも、私の周りだけでしょうか。
 人里で人気が出そうな妖怪は鈴仙かアリスあたりかなあ、なんて考えたのが発端でした。
 しかし話の軸が二転、三転するうちに、こんな感じの内容に。
 私の中で少し不満の残るお話となってしまいましたが、供養も兼ねて、投稿。

 ご意見ご感想、改善すべき点等、どのようなお言葉でも構いません。ひと言残して頂けるとそれだけで泣いて喜びます。
 ここまで長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

2/26 誤字を一点修正。
くろさわ
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コメント



0.370簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
藍が凄く頭が良いと言うか、賢そうに見えてカッコイイ
親バカ、紫の家族、元大妖怪、と言う要素で人格のほとんどを構成されてる場合が大多数な藍ですが、頭の良さ、と言う一点で納得させられる描写は珍しいかも
小細工の応酬かパワーゲームのみの描写になりがちな弾幕勝負(変則ルール)の中、一発勝負で乾坤一擲とも言える一手を打てる観察眼とサポート
見られないように注意をしていた文花帖を視認し、こっそり情報を把握していた、射命丸の上を行く抜け目の無さ
橙を式としてきちんと戦闘に利用しているのも良いです
あたいが見たかった藍さまこれこれ

鈴仙とのタッグってのも珍しくて、いかにも現場で居合わせて利害の一致で協力した急造コンビ感があって、物語的に面白かったです
オチはなんとなく「これは鈴仙が割を食う展開やな…」と予想できてしまいましたが、予想外過ぎても評価に困るので、鈴仙には頑張れって事で(非情)
3.60名前が無い程度の能力削除
細かいところを雑に切り捨ててるのが残念でした。
5.90奇声を発する程度の能力削除
面白かった
7.80名前が無い程度の能力削除
読みやすく、引っかかる部分がなく読めました。
また、くろさわさんの思う藍、射命丸などのキャラクターは上手に、魅力的に表現されているように思いました。
ちょっと惜しいと感じたのは、話の盛り上がりや落ちが若干弱いかなと。
8.50名前が無い程度の能力削除
どこぞのレビューから。
面白さに関しては点数の通り、個人的に楽しめたのは藍との掛け合いや共闘部分のみ。藍の式らしさを活かした描写は良かったのですが、全体的に冗長が目立って仕方なかったです。
まず気になったのは東方をあまり知らない人向けな説明文が多く、鈴仙視点へ切り替わる節、移る前に読んだ内容を繰り返すように辿るので、読み進めるテンポを悪くさせられました。
私は読むのが遅く、基本的にしっかりと読みたいのですが、該当箇所があまりにも頻発するので、つい流してしまいました。結果、共闘以外にこれといった印象が残りませんでした。
「私」といった主語や、ほかキャラの「」内で理解できる所作が地で繰り返されていた点も、読みづらさや目が滑る原因にもなりました。
長さの割には出来事としてのインパクトや変化が弱かったので、そこの補足や描写がしっかりとしていればまた印象は違ったかもしれません。
最後に、誤字っぽい報告。
>今日の仕事は本当に仕事は終わっていたっけ
9.100名前が無い程度の能力削除
みんながちょいちょい粗相して
それがスルーされてるあたりがなんか好き
12.無評価くろさわ削除
>2さん
 うえええ! 高評価、ありがとうございます……!
 藍は少し万能にしすぎたかなという感じはあったのですが、これくらい切れ者でも良いはずと強行した次第です。
 不安ではありましたがキャラのイメージが一致する方が居るというのは、それだけで嬉しいです。
 オチは目下勉強中です。今後苦労人に落とさなくてもなんとかなるよう、考えていきます……。

>3さん
 評価ありがとうございます!
 自分の中でも駆け足になってしまった部分、人物の理解が良すぎる点があったことは実感しています。
 癖である悠長さとの兼ね合いはやはり課題ですね。ご指摘ありがとうございます。

>奇声を発する程度の能力さん
 高評価ありがとうございます……!
 私の長い話でそう言っていただけると、また少し頑張ってみようと思えます。

>7さん
 ありがとうございます。私の中での彼女たちが、少しでも伝われば幸いです。
 引っ掛かる部分無く、というのは本当にありがたいお言葉です。下手すると長いくせに支離滅裂となってしまいますので……。

>8さん
 真摯なご意見をありがとうございます。

 必要以上に丁寧、長いというのはやはり一番の課題です。加えて「あまり知らない人向け」との意見ですが、まさにおっしゃる通りです。そこまで分かられてるんだなぁ、と驚いています。
 これは自分の経験話なのですが、一時期東方から離れていた頃があり、当時ふらっとお話を読んだ際に「知らない子ばっかだ、想像できない」ということがありました。
 それから名前しか知らない、このキャラそんなに詳しくないといった方も居るはずと思い、場景、背景の確認(所謂二次設定がどこまで込みなのか)なども兼ねて、細かく話すようになっていきました。自分は嫌いでない、振り返りながら作れるということで満足していますが、それがエゴにならないよう、調整していこうと思います。
 まあタグに名前が出てるのに知らない人がいる話を読むかとか、原作登場回数の多い人は流して良いんじゃないかとかはありますけれども……。
 繰り返し説明してしまっている、主語が多いなどは、純粋に私のミスです。製作の仕方が悪く、ミスが出てしまったのかもしれません。以後気を付けます。
 また誤字の指摘もありがとうございます。こっそり直しておきます。

 流させてしまうような内容でもなんとか最後まで読んでいただき、また詳細なご意見ご感想、本当にありがとうございました。頂いたお言葉を大切にし、今後も精進します。
 ところで、「どこぞのレビュー」とはどういうことだったのでしょう……?

>9さん
 自分で書いたものを読み返すとつくづく雰囲気だけの話な気がしてますが、それがお気に召したのなら幸いです。
 恐らくこんなやりとりは当分変わらないと思いますので、今後ともよろしくお願いします。