Coolier - 新生・東方創想話

青と紫の境

2016/01/29 23:27:30
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 さっきからというもの、すれ違うのは死体ばかりだった。

 向こう側の世界に手が届きそうなくらいに、青い空。雲はただの一片さえも漂っていないのに、太陽がどこにも見当たらないのは奇妙だ。いくらお日様がなくたって、晴れているのだから気分は良くなりそうな物なのに、と思う。立ち止まって、空を仰ぐ。視界が青に染まった。まるで、自分が真っ青な布で潰される寸前のアブラムシにでもなってしまったみたい。己の矮小さを知れ、と言われているようで、いい気分はしない。
 空から視線を逸らして、もう一度歩き出す。私を取り囲むのは、地平線まで広がるヒマワリ畑。背の高いヒマワリたちの足元には、ポツポツと隙間を埋めるみたいに彼岸花が咲いていた。小さな彼岸花の紅色は、ヒマワリに見下ろされているせいか、とっても居心地が悪そうに見える。広大な黄色のマチエールに飲み下されて、色彩の相乗効果を発揮できずにいるせいで。

 ヒマワリは夏の花。彼岸花は秋の花。
 その両者が共存しているなんて、まともな世界じゃ到底ありえない。

 空に太陽がないせいか、ヒマワリの群衆はひとつの例外もなく、咲き誇る花を俯かせている。元気がない、と言うよりは、元気であるつもりが最初からないみたい。もしくは、空気を読んで神妙にしているのかも。葬列を見送るのに、背筋を伸ばしていたら死者が怒るかもしれないとばかりに。
 黒土が剥き出しになった一本道を進む。花園の迷路に迷い込んだ子どもの気分だ。人がひとり通るのがやっと、という細道。

 前方から、厳かな鈴の音が遠く響いてくる。
 また、死者が通りがかる。

 足を止めて、どこかへ向かう葬列のために道を開ける。ほどなく、陽炎の中から白装束の集団が姿を現した。音のない世界を鈴の音色で満たそうとしているみたく、しゃん、しゃんと一歩を進めるごとに鈴を鳴らして。白木の棺を担いだ葬列が、私の前を通り過ぎていく。
 これで何回目だっただろう。よく覚えていない。けれど、前回も、その前も、その前の前も、いま私が見送っている葬列とまったく同じだったのは覚えている。死装束に身を包み、顔すらも白い布で覆い隠した彼らが、鈴の音を除けばすすり泣く声はおろか、足音ひとつ立てずに棺を運んでいく光景。実は同じ集団がヒマワリと彼岸花の迷宮をグルグルと当てどなく進んでいるだけなのか、あるいは迷っているのは私なのか。そのどちらだったとしても、判別は付かない。
 どこの誰とも知れない死者に合掌するほど、自分が慈しみ深いとは思ってないし、そんな天使みたいな存在になるつもりもなかった。だから私は、何も言わずに葬列が途切れるのを待つ。

 ――私は何をしようとしているのかしら。

 鈴の音に従って行進していく葬列を半ばほど見送って、そんなことを思う。
 どことも知れない場所。ありえない光景に、現実感のない葬列。彼らに道を譲りつつ、彼らが通り過ぎれば再び歩き出す。その繰り返し。疑問は感じる。けれど、私の両足は前へ前へと進み続けることをやめない。この先に何が待っているのかも判らないのに。

 何度目かの葬列を見送って、また歩き出した瞬間に、それまでのルーティーンが否応なく崩れたことに気が付いた。
 それまで青かった空が、スミレのような紫色に変化していたからだ。
 いつの間に、と首を傾げる。ついさっきまでは、普段通りとは言えないまでも確かに空は青かった。日が暮れた訳じゃないのは判る。太陽は見えないし、そもそも空が紫色に染まるという現象にお目に掛かったこと自体がない。紫色の空と、俯くヒマワリの黄色。下を向けば彼岸花の紅。色の取り合わせにセンスを感じられなくて、頭がクラクラとした。
 奇妙だとは思いつつも、私は歩みを止めようとはしなかった。何か。自分でもよく判らない何かが、私の記憶の門を叩いている気がしたからだ。あるべき法則を無視した現象。現実ではないどこか。そんな事柄に既視感があった。

 私は、この世界を知っている。

 その一念が、私に歩みを強制させた。紫影の果てに何があるのかは判らなくても、きっとその場所こそ、私が辿りつかなくてはいけない境地なのだと、そんな気がして。

「――あらら」

 そんな声が聞こえてきたのは、音のなかった空間に一陣の風が吹いたのとほとんど同時だった。風がヒマワリたちを囁かせる。まるで、決意らしきものの芽生えた私の背中に、後ろ指を指すみたいに。
 立ち止まって前へ目を向ける。こちらに歩いてくるのは、これまで私が見送り続けてきた葬列ではなかった。サンタみたいな赤い帽子、青い髪、兎の尻尾みたいな白と黒の玉が付いたパジャマ染みた服。いまから眠ろうとしている人のような格好をした少女が、これまた白黒の尻尾をふりふり、私の目の前で立ち止まる。少女は口元に少しだらしのない笑みを浮かべて、

「お久しぶりです。幽香さん。いやぁ、また逢えるだなんて思ってもみませんでしたよぉ。アナタは夢と決別しちゃいましたからねぇ。いやはや、どうやったらそんな血迷った真似ができるのか、不思議で仕方がなかったんですけどね? それを聞き出す機会も永遠に失われたとばっかり思ってたら、これです。永遠なんてものは存在しないっていうことの証明みたいなもんですかねぇ?」

 目を細めた少女が、意味の判らないことをまくし立ててくる。
 コイツは私を知ってるのだろうか。けれど私は、寝巻で人と逢おうとするような奴なんかに見覚えはない。取り敢えずぶっ飛ばしておこうかな、なんて考え出したところで、彼女はスカートの両端をつまんで恭しげに頭を垂れつつ、

「ドレミー・スイートと申します。どうせ、私のことなんか覚えてないでしょ? えぇえぇ、そうでしょうとも。顔に書いてありますもんねぇ。誰だコイツってな具合で。まったく、死にたくなるくらいに悲しいですねぇ。辛いですねぇ。あははははぁ」
「アナタは、私を知ってるの?」
「そうじゃないと、『お久しぶりです』なんて言いませんよね? わざわざ聞くほどのことじゃない――おおっと、怒りました? ちょっぴりイラッとしました? 嫌だなぁ、勘弁してくださいよぉ。いくら夢の中とはいえ……いや、夢の中だからこそ、アナタに喧嘩を売るなんて自殺行為はしたくないんですから」

 おどけたように身体を仰け反らせる少女――ドレミーをジロリと睨んでやる。面識があるらしいとは言え、私にはまったく覚えはない。にもかかわらず、ここまで馴れ馴れしい態度を取られれば、気分を害さない理由がなかった。自分が知らない相手から、一方的に知られているというのは、良い気のする話じゃない。

「さて、せっかくお会いできたんです。ちょっとお話しましょ? これでも私、幽香さんのこと大好きなんですよぉ。だからこそ、アナタが私をまるっきり覚えてないってのは、とぉっても悲しいと思ってるんですからねぇ」
「嫌よ――と、言いたいところだけど」

 嘆息しながら、ドレミーの顔を見る。そういえば、霊夢から先の異変についての話(愚痴)の中に、ドレミー・スイートの名前が出てきたことを思い出す。夢の世界に棲む妖怪獏だとか何とか。
 ということは、私とドレミーが居るこの場所は、夢の中ということになるのだろう。恐らく。夢なんて一度たりとも見たことがなかったから、これこそが夢だという実感が持てなかったけれど。

 そうなると、おかしな点に思い当たる。

 ドレミーは、私を知っているらしい。それどころか、私の方にも彼女と面識があったということを匂わせている。夢を見たことの無い私が、夢の世界の妖怪に逢ったことがあるというのは、どういうことだろう。
 ほんの少し、興味がわく。夢の管理者と私の関係について。彼女が夢と呼称したこの世界について。
 さっきからジィッと私を見上げていた少女の両目を見返して、

「……どうせ、アナタと話をしないという選択肢は用意されてないのでしょう? 良いわよ。アナタの思惑に乗っかってあげる」
「お話が早くて助かります。やはりお話しするとなると、頭の良い方じゃなくっちゃいけませんねぇ」
「それで、いったい何を話すと――」
「――そっちじゃありません」

 先ほどまで進んでいた方向に一歩を踏み出した途端、ドレミーが鋭く告げる。それまでのどこか人を小馬鹿にしたような声音とは全然違っていて、思わず足を止めてしまう。
 彼女の顔を見る。だらしのない笑みは、それこそ夢だったみたいに掻き消えて、怒ったみたいに真剣な表情が張りついていた。そんな顔を向けられる理由が判らなくて、首を傾げる。

「なぜ? 私は、こっちに行こうとしていたのだけど」
「駄目です。こちらです。アナタに見せたいものがあるんです」
「それを見なければいけない義務が、私にあるとでも?」
「あります。大ありです。そのために、私が出張ってきたんですからね」
「ふぅん……?」

 私に向けられる視線を眺めながら、少しだけ考える。自分の希望を後回しにしてまで、この少女に着いて行っていいと思えるかどうか。私が行きたいのは、紫色の空の果て。葬列がやってくる方向。彼女が指し示したのは、その真反対。ドレミーのどこか真剣な眼差しが、私に決断を強いていた。

「……ま、いいわよ。アナタの思惑に乗る、と言ってしまったのだしね」

 そう言って、私は踵を返す。ドレミーが何を企んでいるのかは知ったことじゃないけれど、その企みを見物してやるのも面白そうだな、と思った。心変わりをした私を見て、ドレミーは音もなく唇の端を吊り上げて、

「ご案内しますよ。こちらです。早く行きましょう。葬列に追いつかれない内に」

 と、紫色の空の下を確認するみたいに私の背後に目をやって、歩き出した。
 私は何も言わず、私よりも一回り小さい背中を見つめていた。そして、スカートの付け根から伸びる、彼女の白い尻尾が左右に振れるのを。
 進む方向を真逆にしたところで、見える景色に変化はなかった。ヒマワリは俯いたまま大地を埋め尽くしているし、空は紫色のまま。妖怪獏の少女が視界に追加されてこそいるけれど、それを景色としてカウントしないだけの配慮は持ち合わせていた。

 しかし、ドレミー・スイートは、私にとっての何なのだろう。
 彼女の口ぶりから察するに、私とドレミーには面識があったようだ。でも、私はこんな寝起きみたいな格好で人前に出る少女なんかに見覚えはない。名前だって、霊夢から愚痴っぽく聞かされたのが最初。この娘が夢の管理人だというのなら、私が以前に、思い出すことができないくらい昔に見た夢の中ででも逢っているのだろうか。

 私は、夢なんか見たことがないというのに?

「――夢を見ない生物なんか居ません。意識、と言ってもいいですけどねぇ」

 まるで私の心の中を読んだみたいに、ドレミーが前を向いたままに言う。

「夢とは記憶の整理であって、意識の休息です。自分が見聞きしたこと、感じた思い。そうした生きている上で体感する諸々の情報を整理し、魂に刻むべき取捨選択を行い、その結果を世界にフィードバックする……知ってます? その辺で何も考えずに生きてる畜生でも夢を見るんですよ。現実と呼ばれる世界に存在している限りね。夢を見るか否かという辺りが、意識として存在しているかどうかの境と言ってもいい。そうして意識は、生物は、夢というカケラを通じて世界に繋がれるのです」
「なに? 夢を見ない私は、生物じゃないと言いたいの?」
「生物じゃないでしょ。妖怪じゃあないですか。他者の信仰、即ち『存在している』ことへの確信。それを通じて、世界に具現化している存在。『存在している』と思われる。故に『存在する』。はは、トートロジーですねぇ」

 何がおかしいのやら、ドレミーは私に背を向けたままケラケラと笑う。背後からキックでもかましてやったら、ちょっと面白いかな、なんて思う。蹴りたい背中。

「だから」

 そこで、ドレミーがくるりとこちらを向く。後ろ手を組んで。まさか、蹴られないように背中を防御してるわけじゃあるまい。立ち止まった彼女は、私をジィッと粘着質な視線で見上げると、

「そのトートロジーに反したとき、妖怪は妖怪ではなくなりますよね。人喰い妖怪は菜食主義者にはなれません。小豆砥ぎは人里の料理屋で皿洗いの仕事はできませんし、砂掛け婆が相撲取りよろしく塩を撒くこともしません。そんな鞍替えが何を意味するのか、知っているからですよ」
「心を読まなくなったサトリ妖怪とか、河を捨てた河童の話を聞いた覚えがあるけれど」
「そんな輩を、人々は何と呼べばいいんですか? 河童の方は良いですよ。山童っていう別種のトートロジーがあるんですから。ですが、心を読まないサトリ……これ、何という名前の妖怪ですか? 『古明地こいし』っていう名前の一種一人の新妖怪ですか? そんな定義がどうあれ、もともと持ち合わせてるアイデンティティを捨てた彼女が、もしくは彼女の意識が、どんなものか……聞いたことくらいはあるんじゃないですかねぇ」

 ドレミーはくすくす笑いと共にそう吐き捨てると、いま言いたいことは言い終えたとばかりにまた、私に背を向ける。再び歩き出した彼女が私に何を言いたいのか、結局よく判らないままだった。判らないままだったから、聞かないことにした。教えて、教えて、と捨てられ掛けたヒモみたいに縋るのはガラじゃない。

 再び歩き出してから少ししてから、さっきまで何度か見送った葬列に、いつまで経っても追いつかないことに気が付いた。葬列の速度は、私たちが歩く速さよりもずっとゆっくりだった。なら、そろそろ見えてきたっていいはず。なのに、一向にその背中が見えてこない。いつの間にか、空の紫色も少しずつ青に戻ってきている。まだ普通とは言い難いにせよ、一歩一歩を刻むごとに、薄皮を剥ぐように紫色が弱まっていた。
 ふと、思う。私が見送ってきた死者たちはどこへ向かっているのだろう。どこから来て、どこに辿り着こうとしているのだろう。もしかしたら、ずっとずっとヒマワリ畑の最中を彷徨う運命にあるのかも。埋葬という目的地を喪失した葬列が永遠に死者と寄り添えるというのは、ある意味では幸福と言えるかも知れなかった。生と死の狭間に開いた境界を漂う時間が永久になれば、宇宙が終わるまで死者を忘却しなくていいのだから。

「見えてきましたね。あちらです」

 私に背を向けたまま、ドレミーが前方を指す。フリフリと揺れる彼女のナイトキャップ越しに、オレンジ色の屋根を被った洋館が見えた。ヒマワリ畑の真ん中に建つ西洋風のお屋敷。寂れた霊夢の神社くらいなら、四つは並ぶほどの広大さが、遠目にも窺えた。

「なーに? あの屋敷。アナタの家?」
「そうだとも言えますし、そうじゃないとも言えます。私みたいな獏一匹が住むには広すぎるので。正直、持て余してます。いま、所有権は私にありますが、特別なときにしか使いませんねぇ」
「特別なとき?」
「夢の迷子を、じっくり食べるときとか、です」
「そうなの。掃除が大変そうね」

 意味ありげなドレミーの台詞を、さらりと流した。どういうわけか夢の世界に囚われた私も、夢の迷子と言えるのかもしれないとは気付きつつも。

「そうでもありませんよぉ。私の捕食は、普通の妖怪の捕食とはちょっと違うので。普段はカスみたいな悪夢しか食べませんし、夢の迷子だって夢の構成物質に変化しています。血も出ませんし、骨が残ることもありません。掃除は不要です」
「へぇ? うまくイメージできないけれど」
「そんなわけ、ないんですけどねぇ……ま、いいでしょう。いまは門番も居ませんから、入るのに邪魔されたりしませんよ」
「門番?」

 聞き返しながら、目の前の屋敷を見る。確かに、あれほど大きな屋敷ならば門番のひとりやふたり居たっておかしくはない。霧の湖の畔に建つ紅い館のように。ここが夢の中の世界だというのなら、門番がグースカ寝こける心配もしなくていいだろう。

「可哀想に、お役御免です。そりゃ、主の居ない空っぽの館を、何のために守らなくちゃいけないんだって話ですよねぇ。守る意味がないのなら、存在している意味がない。意味がないのなら、あとは消えていくだけです。涙を誘いますねぇ、あははははぁ」
「でも、あの館の主はアナタなのでしょう? なら、意味がないわけじゃないでしょうに」
「そうでもないんですよねぇ、残念ながら。夢の世界というのは物理法則に縛られない分、とぉっても残酷なんです。僅かでも意義が揺らげば、夢の世界の構成物質として溶けていくだけ。夢の世界に棲むってのは、滝に打たれ続けるようなモノなんですよ。確固たる自分を持ち続けていないと、数多の夢に押し潰されて、削り取られて、消えるだけなんです」
「つまりアナタは、自分は強いって言いたいわけね」
「強くならざるを得ない、という方が正しいですかね? まあ、私の話は別に良いでしょう。いまは。とにかく、中に入りましょ」

 ドレミーは、あからさまによそ行きの笑顔で告げると門番不在の門を開け、館の敷地内へと私を誘う。私は蟻地獄にバンジージャンプをするスズメバチみたいな好奇心を胸に、彼女の導きに従うことにする。
 開け放たれた門を通る直前、私は何となく右側の門柱に目をやってしまう。さっき確認した通り、もしくはドレミーが言った通り、誰の姿もないその場所を。

 まるで、かつてその場所に誰かが立ち続けていたことを、知っていたみたいに。

 ◆

 大きな屋敷だとは思っていたけれど、中に入ってみるとその大きさは外見以上のものだった。いくらなんでも、廊下の先が見えなくなるくらいに広いというのは、やり過ぎだ。これじゃ、廊下にモップを掛けるだけで一週間は掛かるだろう。ドレミーが持て余すと言っていた理由が、よく判るような気がした。
 空気が停滞している。それが何よりも先に気付いたことだった。誰からも忘れ去られた空間に特有の、時間が止まってしまったみたいな空気。なのに、内装が少しも汚れていないという辺りが、不思議というよりは不気味だった。赤い絨毯、壁に取り付けられた燭台、空の花瓶を乗せたチェスト。どれもこれもが取り澄ました顔をしていて、生活の気配がないことを否定してるみたい。この空間そのものが、綺麗にエンバーミングを施されたゾンビのように思えて、居心地が悪いこと極まりない。

「豪奢な家ね。けれど、住むには向かなそう」
「そうですか」

 ドレミーがつまらなそうに言う。彼女は広すぎる屋敷だというのに、まったく迷う素振りもなくどこかへと歩き続けていた。四つ辻のようになっている廊下を何度か曲がる。曲がった先も、果ての見えない廊下。どれほど進んでも、見える景色に変化がなくて、進んでいるという確信そのものが曖昧になっていく。

「ああ、ここです。この部屋ですね」

 時間の感覚までも朧になり掛けたところで、ドレミーが足を止めた。両開きの扉らしきものの前。らしき、と言ったのは、重厚な色合いのそれには十重二十重の茨が巻きついていて、本当に扉かどうか自信が持てなかったからだ。

 ――茨。

 ダークグリーンのツル性植物が、無数の鋭い棘を生やしている。バラの茎を発狂させたみたいだと思った。何者をも通して堪るか、という強固な意志が具現化したかのよう。なら、扉の先に待つのは眠り姫よりもずっと大切なモノなのだろうか。

「さ、幽香さん。開けてください」
「は?」

 当たり前のように促されて、眉根に皺を寄せる。

「何を訳の判らないことを言ってるの? ここはアナタの屋敷なのでしょう? だったら、自分で開けなさいよ」
「だから、所有権があるだけって言ったじゃないですかぁ。私だって知りませんよ。どうやってこの茨を退かせばいいのかなんて」
「なら――」

「――でも、アナタには判るんですよ」

 突然、ドレミーがグイ、と背伸びをして私の両目を覗き込んでくる。ラピスラズリみたいな彼女の瞳には、何の感情も浮かんでいなくてびっくりする。まるで、ぽっかりと空いた虚穴。彼女はその瞳を、形だけの笑みに取り繕って、

「アナタが開けようと思えば開くんです。この扉は。この封印は。触れれば皮膚をズタズタに裂く棘だって、跡形もなく消滅する……不思議ですねぇ? どうしてですかねぇ? くくくくく」
「……この世界が、私の夢だからでしょう」
「ある意味では正解。ある意味では間違い。さ、どうぞ開けてみてください。どうやればいいのか、私みたいなちっぽけな獏には判りませんがねぇ」

 私は少しだけ、この館に招かれたことを悔い始めていた。固く封じられた扉、堅牢な攻撃性の封印。私だけがこれを破れるという、ドレミーの言葉。それが意味するところなんて、明白だった。
 封印がある。つまり、これを施した『誰か』が存在するということだ。その『誰かさん』は、絶対に、何があっても、この部屋が開けられないことを祈ってこの部屋を封じた。それだけのことをする価値がある――違う、そうしなければならなかった理由が、あるのだ。
 恐怖の源泉。それは不明だ。自分にとって訳の判らないもの。不定形のネバネバとした闇。それこそが、恐れと呼ばれる感情の端緒。
 問う。私は部屋の中を見ることを恐れているのか。認めたくないけれど、答えはイエスだった。封じられた扉の隙間から、見えない過去が死者のように手招きをしている。恐れ。そんな感情が、私の中にも巣食っていることに狼狽えさせられる。

「あぁ、因みに。逃げるっていう選択肢は差し上げられません。残念ながら」

 ドレミーが肩を震わせながら、右手で嗤う口元を隠しながら、告げる。さっきまで空っぽだった両目に、たっぷりの悪意と優越感を溜め込んで。

「これは契約です。アナタがこの部屋の中に入ることが、ね。逃げられませんし、逃がしませんよぉ? このまま永劫、この夢から覚めることなく、ただ一人きりでヒマワリ畑をうろつき回るだけで良いのなら、止めやしませんが」
「……逃げる?」

 私は勝ち誇ったみたいなドレミーの顔を真っ直ぐに見つめて、そして笑ってやる。
 この私が。この風見幽香が。過去からの囁きごときから、尻尾を巻いて逃げるとでも思っているのだろうか。本気の発言だとしたら、それは私という存在を過小評価している。
 何者も、私の前に立ちはだからせない。それこそが私であり、そう在る者こそが風見幽香だ。一切の例外を許さず、私は私を脅かすものを殲滅しよう。私が風見幽香であり続ける限り、そのアイデンティティに揺らぎはない。
 恐れ。それは確かにある。だが、それは胸中に宿る影法師でしかない。恐怖は私を退けさせる理由にはならない。恐れの源泉から逃げ回るのは、私以外の卑小な存在が勝手にやってればいい。

 恐れるモノを前にして、私を恐れさせるモノがあったか、と笑う。
 それこそが、私という現象だ。

「それは結構。わざわざ私が焚きつける必要なんて、ありませんでしたねぇ。いやはや、これは失礼を働きました。考えてみれば、あの大妖怪幽香が、あのアルティメットサディスティッククリーチャーが、そんな腑抜けた真似をする筈がありませんよねぇ、あははははぁ」

 口とは裏腹に微塵も反省の様子がないドレミーが、相変わらず口を手で覆ったまま言う。私はそんな彼女を脇目に、扉を雁字搦めにする茨に手を伸ばした。
 私の人差し指が触れる寸前から、茨は急速に枯れていった。かさかさと秋風に舞う木の葉のような囁き声を立てて。私が手を引っ込める頃には、あれほど強固に扉を封じていた茨は、その痕跡すら残さず風化してしまっていた。

 あとに残るのは、守り手を失った秘密だけ。

「おお、凄いものですねぇ。ナショナルジオグラフィックチャンネルのドキュメンタリーみたいでしたよぉ。流石は幽香さんです。お見事」
「心にもないお世辞を言うのは止めてくれる? 鬱陶しい」
「あらら、バレましたか。まぁ、いいでしょう。さ、中へどうぞ。アナタが失ったモノたちが、首を長くして待ってますよ」

 ニコニコ顔のドレミーが、さっきまで口元に当てていた手で扉を指す。言われなくとも、と笑顔で返してやって、私は扉に手を伸ばした。少しずつ扉がこちら側に開いていき、部屋の中の光が廊下に漏れてくる。眩い光。目の奥がズンと痛むくらいの。そんな強い閃光が、部屋に一歩を踏み出した私を包み込んで――
 
『――夢幻界は、人間界から弾かれたモノの集まる世界なの』

 ……声。声が聞こえた。
 聞き覚えのない声。どこか気の強さを感じさせる、夜空で鳴らされる鈴のような声音。閃光で目でも潰されたか、ホワイトアウトした視界では何者の姿も捉えられない。

『人間たちの集合意識――違うわね。集合『無』意識が、欠片となって流れてくる場所。妄想、幻覚、夢……そうした逃れざる情動、社会を構成するためには不要とされる感覚。それらが、斯在るべしという意志のベクトルに流されて、次元を超越したこの場所に山積していく。思いというのは、重力だからね。この世でもなければ、あの世でもない。過去でもなければ未来でもない。あるいは、そのどれでもある。個人の脳内でもあれば、不特定多数の描く夢でもある。アルファでありながら、オメガでもある。そんなシュレーディンガーの猫みたいな精神世界。私は、この世界で私を認識する私は、この世界を夢幻界と名付けた。姉さんと一緒にね』
『……まだるっこしいわね』

 小難しい説明を滔々と続ける声に、何者かが反論する。その声を聴いて、私はハッとさせられた。説明その物を嘲笑うような声音。自分に絶対の自信があるからこそ、他者を踏み付けにしても構わないと考える傲慢な返答。

 ――その声が、紛れもなく私の声だったから。

 光の向こうに、ふたつの人影が朧に浮かび上がってくる。その姿は、まるでブロッケンの巨人が単なる影だということを知らしめるみたいに、姿かたちのディテールはおろか、大きささえも曖昧なものだった。

『それで、なーに? アナタは、私が存在するこの世界が自分の物だと言いたいの? 誰に許可を取ったというのかしら。先輩風を吹かせるつもり? 気に入らないわ』
『言ったでしょう。この世界には過去も未来もない。何故なら人間の想いは、過去も未来も超越して次元の壁の向こう側に漂着するものだから。そのカケラが寄り集まって生まれたアナタが私を気に入らないと感じるなら、それはアナタがそう生まれついたからよ』
『そう、それで? アナタは結局のところ何が言いたいの? さっきから、わけの判らない定義ばかり並べて……哲学者でも気取っているのかしら? メイドのくせに』
『メイドなのは格好だけよ。それに、定義というのはこの世界では不可欠なの。自分が何者なのか。何のためにここに在るのか。それが薄れれば、私たちは消滅してしまう。強すぎる雑念の渦に飲まれてね。だから私は、それをアナタに伝えようと思って来たってわけ』
『アナタが、私を定義するというの? ふざけた話だわ。蜂の巣に……それだと、蜂の反撃を喰らいそうで嫌ね。ヒマワリみたいにしてあげましょうか? 蜂の巣みたいだし、種もいっぱい刺さってるし』
『……私の妹にするのは無理そうね。まあいいわ。端的に教えてあげる。アナタは、夢を司る存在よ。生物が持つ無意識の内、もっとも強大な力を誇る部分。人間の夢を管理し、管轄し、この夢幻界と今よりもずっと強く繋げる。夢と現実の媒介者。夢の世界の管理者。両者の境界を橋渡しするモノ……そのために在るの。そのために生まれたの。だから、現実と非現実の境界にあるこの館に――夢幻館に、アナタという現象が発生した。アナタが私の言葉をどう受け取ろうと、その定義は揺らがない』
『ふぅん……それを破ったら?』
『……そんなの、判るでしょう?』

 唐突に、光が収束していく。
 背後から甘ったるいリコリスが香ったかと思うと、真っ白だった視界は急激に奈落染みて暗くなっていき、今度は二つの白い影法師が浮かび上がる。ひとつは大きくて、ひとつは小さい。宇宙に浮かぶ永遠の追放者みたいな二つの影は、小さい方が大きい方を追い掛けているらしい、と判別するのが精一杯な曖昧さしか持っていなかった。

『――着いて来ないで、鬱陶しいわ』

 私が知らない私の声が告げる。記憶にないとしても、他ならぬ私の声だ。その拒絶が言葉だけのものだとは、すぐに判った。

『夢の世界を揺蕩うお勉強です。それなら、アナタの真似をするのが一番手っ取り早いでしょう?』

 知らない少女が、あどけない声で囁く。それが大きな影法師に向けた物なのか、それとも私自身に向けられているのか、よく判らない。さっきから、幻灯機でも眺めてるみたいだ。演者として存在している私に、覚えはないのだけど。

『どうすればアナタみたいになれますか? 強大に、無慈悲に夢を統べる妖怪……それこそ、私の辿り着くべき境地ですものね』
『知らないわ。私は、ただ私であるだけだから』
『ははぁ、羨ましい。いっそ妬ましいくらいです。意識せず、夢妖怪の理想を体現してるだなんて』
『気持ち悪いわね。ストーカーだなんて』
『何とでも。理想の端緒に触れるまで、アナタを観察しますけどね』
『なら、教えてあげるわ。だから、私をひとりにしてちょうだい』
『良いですよ。本当に教えてくれたら、ですけどね』
『笑ってればいいのよ。どんな時も。たぶん、それが私の核だから――』

 不意にリコリスの香りが途切れた。

 それに伴って、聞こえていた声も、追い追われる二つの影も消えて、視界が明るさを取り戻していく。予期せぬ会話、記憶にないやり取り。そこから導くべき何かを取り零したまま、私は徐々に明確になっていく部屋の内装を目の当たりにする。

 ――天蓋付きの巨大なベッド。

 部屋の中にあるのは、ただそれだけだった。キングサイズのベッドを二つ並べたくらいに大きなベッドは、そこで眠るべき存在を失った喪失感を喧伝するみたいに、所在なさげに佇んでいる。

「――アナタは、この部屋に『定義』を置いて行った」

 バタン、と扉が閉まる音がする。振り返ると、そこには歪んだ目元から愉悦を垂れ流すドレミー・スイートが立っていた。仄かに甘い香りを漂わせて。

「一度だって、アナタは自分が何の妖怪なのか考えたことがありますか? 断言します。ないでしょう? 当然です。なぜなら、その根源を自分から切り離して、この部屋に置き捨ててしまったのですからねぇ」

 やれやれ、とばかりに肩を竦めながら、ドレミーが私を追い越してベッドに腰掛ける。彼女の瞳が、立ち尽くす私に向けられた。骨の髄まで観察し尽くそうとしているみたいに。

「アイデンティティを喪失した妖怪がどうなるのか……アナタには、もう語りましたね? 別種のトートロジーを会得するのか、それともそれまでの自分を何もかも『忘れて』、何でもない存在になるのか……まあ、アナタの場合、運よく花にタグ付けて認識されることで、花の妖怪もどきには、なれたみたいですけどね」

 ドレミーはパタパタと両足を揺すりながら、クスクス笑いを隠すことなく見せつけてくる。彼女の言葉が私の奥深くまで浸透していき、光と闇の中で耳にした会話の意味を知らしめてきた。

 ――夢を司る妖怪。

 お前は、それだ。ドレミーが、この部屋が、私の記憶にない追想が、閻魔のようにそう宣言している。突き付けられた事実が私に衝撃をもたらしていたら、もっと違うリアクションも取れただろうか。今の私は、どこかその宣託を他人事のようにしか感じられない。
 私が喪失した過去。私が私となった原初。それが私の喉元に突き付けられていることは判った。だけど、それによって都合よく昔の自分を取り戻すことはなかった。ちょうど、人間がへその緒を見せられた気分に似てると思う。カサカサに干からびた肉片を見たところで、そのミイラに愕然としたりはしないだろう。私に染み込んだ言葉は、それに似ている。

 そう。それこそ、夢の中の言葉みたいに。

「……それで?」

 ベッドに腰掛けたままのドレミーに問いかける。まさかこの妖怪獏が、私に失った記憶を見せて、それでおしまいという筈もないだろう。私がどんな存在だったか、それを見せられたところで、ああ、そうなんだ、っていう無味乾燥とした感想しか持てなかったのだから。
 話が早いですねぇ、と。ドレミーは表面上だけ親しげに微笑んでみせると、

「『定義』を捨て去ることで、アナタは夢と決別しました。この夢幻館の所有権ごと放棄してね。まあ、そのおかげと言っていいんですかね? とにかく、それで一介の妖怪獏に過ぎなかった私が、夢の管理者なんて身に余る役職を得られたんですが……」

 そこでドレミーがゆっくりと立ち上がる。
 私をニヤニヤと眺める彼女がパチリと指を鳴らした途端、積み木でできた城が崩壊するような音と共に、天井から大きな木箱が大量に降ってくる。
 一瞬でこの寝室にうずたかく積まれたそれらが、大量の棺だということに気付くまで、それほどの時間は要さなかった。

「――重なり合った未来です。幾つもの分岐を経て、パラレルワールドの向こう側からやってきた終着地点の残骸。お察しの通り、ヒマワリ畑を彷徨っていたアナタが、何度か見送った棺ですよ」

 規則性も几帳面さも無く、ただただ雑多に山を為す棺たちを眺める。紫の空の下からやってきて、この場所を流刑の到達地点と定めた死者の群れ。


「……そういうこと」


 ため息。私は理解する。この夢の中で何が起きているのか――ではなく、この夢が何を暗示しているのかについて。ヒマワリが俯いていた理由も、空が青くなったり紫に染まったりする理由も。私がひたすらに一方向を目指して歩いていた理由も。

 この夢は、私にとっての『青』と『紫』の境。
 ……くだらない言葉遊びだ。

「ときに、一種一人の妖怪の死という奴は、とっても残酷なんですよ」

 ドレミーが、笑う私を切り裂こうとしてるみたいに鋭い視線を向けてくる。さきほどまでとは、まったく立場が逆転していることが、何だか可笑しかった。

「妖怪は概念。『存在している』と思われる。故に『存在している』。そんなトートロジーの産物です。そのトートロジーが存続している限り、妖怪は生き続ける。その死が意味するところは、完全なる忘却です。何もかもが忘却の闇に飲まれて、存在していたという痕跡そのものが消えて、失せる。記憶も、物も、何もかも。最初から居なかった……ということになるんです」

 怖いですねぇ。ドレミーはそう呟いて、自分の身体を抱きしめながら嗤う。彼女が言っていることは、単純な摂理の話だった。
 例えば射命丸文という個体が死んだとしても、天狗という概念そのものが死ぬわけじゃない。河城にとりが死んでも、河童という概念の死を意味しない。それは概念の中で回転するサイクルの一部に過ぎない。集団内における単一個体の死は、社会の模倣という側面でしかないからだ。
 けれど八雲紫が死んだら、それはスキマ妖怪という概念そのものの死を意味する。スキマ妖怪を構成するトートロジーが消失するということは、概念が構成されるに至った信仰そのものが消失することを意味する。『存在している』と思われる。故に『存在する』。それは『存在していない』と認識されたら、『存在しなくなる』という意味と同一だ。『存在していない』という認識。それは忘却以外の何物でもない。

「……警告、な筈はないわよね?」
「ある意味ではその通り。ある意味では全然違います。要はこの館に棲みませんか? というお誘いです。夢から決別したアナタが、もしもまた夢を見るなんていうことになったら、そう誘えと言われてましたので」
「誰に? 私に?」
「夢幻界の主のお二人にですよ。あの姉妹は、復権の時を待ってますからねぇ。夢を司る妖怪が去ってしまったことは、夢幻界の弱体化に他なりませんもの。同業者のよしみって奴ですかねぇ? まあ、誰かの思惑なんてどうだっていいじゃないですかぁ。夢から決別したはずの存在が、再び夢を見るようになった理由。『定義』なくして存在していられないモノが、置き捨てた筈の『定義』に引き摺られた意味……もちろん、理解できると思います。アナタなら、ねぇ?」

 口元を禍々しく歪めたドレミーが、ふぅわりと重力を嘲笑うように浮かび上がり、山積する棺の頂上に腰を落ち着けた。居なくなった夢幻館の主に代わって夢を司る獏が、やがて収束することになる未来たちを踏み付けにした。
 私は天井付近に陣取ったドレミーを見上げる。まるで神と子羊の対峙のよう。もちろん彼女のそんな不遜な態度が気に入る筈はなかったけれど、私と夢の管理者との関係性がその構図を、そっくりそのまま踏襲していることは理解していた。

 さあ、選択せよ。
 捨てた過去に縋って眼前の未来たちを否定するか、それとも賽の河原に転がる石ころのように、この部屋に積み上がった山の一部となるか。
 それこそが問題だ、と。私を見下ろす獏の笑顔が告げている。

 彼女の目を見る。まっすぐ、けっして揺らぐことなく私を、私の選択を見届けようと向けられる青い両目を。顔では笑ってるくせに、全然違う感情を湛えたその目を。

「愚問だわ」

 私は、笑う。未来を人質にとったと誤認してるみたいに微笑むドレミーの顔を見上げて。その顔がほんの少しでも曇れば爽快だっただろうけれど、へぇ、と呟いた彼女は人懐こそうな笑みを崩すことなく、

「……そう言うだろうと思っていましたよ」
「私を見透かしたつもりかしら? 私の夢にケチなコソ泥みたく入って来ただけのくせに」
「言ったでしょ? こう見えても私は、幽香さんのこと、好きなんですよって。記憶を無くしても、アナタは何も変わりませんねぇ」

 ドレミーが片手を天井に伸ばす。どう見ても収納スペースなんてない天板から彼女が取り出したのは、紺色のハードカバー本。面白がる様子もなくペラペラと何枚かページを捲った彼女が、パタン、と音を立ててそれを閉じる。
 その音が合図ででもあったみたいに、無数の鎖が棺に埋め尽くされた床からジャラジャラと伸びて、丁寧とは言い難い工程で棺のひとつひとつを雁字搦めにする。棺は木の軋む音を断末魔のように奏でながら、次々に床に飲みこまれていく。
 たったひとつだけ鎖の拘束から逃れた棺が、ベッドの上で横たわっていた。ベッドを使っていた主の代わりを務めようとしてるみたいに。

「未来が収束しました。もう逃れられません」

 天井付近から床にまで戻ってきたドレミーが、ベッドの上の棺を横目で見ると、私のもとに歩み寄って言う。

「この先に起こる結果がひとつしかないのなら、それはもはや運命と言ってもいいでしょうね。それにしたって、少しは動揺したり、悩んだりする顔を見せてくれたってよかったじゃないですか」
「私が、それを良しとするとでも?」

 両手を背中に回して、ニッコリと微笑んでやる。迷子を前にした優しいお姉さんみたいに。あからさまに見せつけた私の余裕を受けて、あぁ、もう、とドレミーは困ったように笑って、

「ちっとも思いませんよ……あーあ、やっとあの幽香さんが動揺するところを見られると思ってたのに。扉の前でちょっと躊躇ってたときに、いけるかな、なんて考えた自分が馬鹿みたいです」
「えぇ、馬鹿だわ。とっても滑稽よ」

 ドレミーの帽子を脱がせて、彼女の頭を撫でる。獏の少女は私の手を払いのけることも、ニヤニヤと嫌らしく笑うこともせず、無言で私の爪先辺りを眺めていた。

「でも、許してあげる。アナタの馬鹿さを、滑稽さを、そして回りくどさを。誘えと言われた? 同業者のよしみ? 嘘ばっかり。期待してたくせに。それを不躾と嘲笑で覆い隠そうとしたって、無駄よ」

 ドレミーの俯いた目を、下から覗き込んでやる。彼女はバツが悪そうに、私から目を逸らした。そう、その目だ。単なる使者が、同業者のよしみで声を掛けただけの奴が、あんな必死な目で私を見るものか。紫影のもとへ向かおうとした私を。過去と未来を乗せた天秤を前にした私を。

 わざわざ『定義』と何の関係もない記憶を見せてまで、私に思い出して欲しかったくせに。

「……アナタなんて嫌いです」
「それも嘘」
「私に何も言わなかったくせに。なんの相談もせず、夢の世界を捨てて行ったくせに」
「ごめんなさい、と謝ったら納得する?」
「しません。アナタの口から謝罪の言葉が出てくるなんて、ゾッとしませんしね」
「じゃあ言うわ。何も言わずに、夢の世界とアナタを捨てて、ごめんなさいね?」
「……ふん」

 ドレミーが私から自分の帽子を引っ手繰り、それを元通りに被りながら扉へと歩いて行く。彼女の右手が不自然に目元に伸びたのを、私はもちろん見逃さない。

「――覚えてないのでしょう? 思い出せないのでしょう? だから、私はアナタを許しませんよ」
「えぇ、なーんにも覚えてないわ。私、リサイクルに熱心じゃないから。捨てたモノに執着するほど、殊勝な女じゃないのよ。残念だけど」
「ああ、もう。やっぱり、勝てませんねぇ……『定義』もないのに、アナタは昔の強いアナタのままじゃないですか。ムカつくなぁ」
「そのムカつきも、どうせその内、綺麗さっぱり忘れるのでしょう?」
「それが嫌だった……なんて、アナタはもう見透かしてるんでしょうね」
「もちろん」
「やっぱり、アナタなんて嫌いです」

 そう言って、ドレミーが閉じられていた扉を押し開ける。その先に待ちうけている筈だった廊下は跡形もなく消えて、弔いのために俯いたヒマワリたちと、彼らを分断する一本道が真っ直ぐに伸びているのが見えた。

「さあ、進みなさい。ただひたすら、『紫』を目指して。歩いていれば、その内に目覚めますよ。もう取り返しのつかない現実にね」
「エスコートありがとう。ちっちゃな獏さん? また逢ってあげても良くてよ?」
「アナタがまた夢を見られれば、の話ですけどね。そのときは、また引き留めてあげてもいいんですよ?」
「答えはNOだけどね」

 私はドレミーを置いて、ヒマワリ畑へと一歩を踏み出す。彼女の視線を背中に感じたけれど、私は一度だって彼女のために振り向いてやることはしなかった。
 私を包む空はもう、紫色に完全に染め上げられていた。それは不可逆的な現象なのだろう。それを私は既に知ってしまっている。私の未来を内包したこの夢の中で、空が青に戻ることは、きっと最期までない。

 けれど、だからこそ、私は笑って歩き続ける。

 もはや逃れられない宿命を前にしてこそ笑うのが、強者として在る私という現象の核なのだから。終わりが怖くて、おめおめと自分が捨てたモノに縋るなんてことは、私が私である限り、選びはしない。
 雲すら見えない紫色の空から、ポツポツと冷たい水滴が零れてくる。雨足はみるみるうちに強まって行き、俯くヒマワリや隙間を見つけて花を付ける彼岸花、そして歩き続ける私を濡らしていく。

 まるで、天が誰かさんの代わりに泣いてあげようと、決めたみたいだと思った。
 どんな時でも笑えと、言われていたくせに。

Fin
夢見がちな妖怪だからこそ、理想に焦がれる。
たとえ、理想から相手にされなかったとしても。
夏後冬前
kagotozenn0731@gmail.com
http://blog.livedoor.jp/kago_tozenn/
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コメント



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2.80名前が無い程度の能力削除
良かったです
3.20名前が無い程度の能力削除
USCという単語が飛び出た瞬間に白けました。
6.40名前が無い程度の能力削除
USCって極端な記号っすからねぇ
軽口としては作品の雰囲気をハズしてる感があるかなー、と
7.80とーなす削除
ドレミーの性格(というか口調)がゲームと解離しまくっている気がするのが少し心残りだけど、最後まで読むとこのひねくれドレミー可愛いなあ、と思ってしまう。
夢幻館・夢幻世界からドレミーを引っ張ってくる絡ませ方は新しいなあ。面白かったです。それと冒頭、情景描写の空の青とヒマワリの黄色と彼岸花の紅のコンストラストが素敵でした。
13.80名前が無い程度の能力削除
夢妖怪としての幽香と、ドレミ―の関係性って色々想像できておもしろいですね
冒頭の風景とか夢幻館の描写とか印象的でよかったです