Coolier - 新生・東方創想話

Dawn of the ...  (3) ~てゐとうどんげ~

2005/11/06 12:48:13
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「いい? ウドンゲ」
 
 なだめるような口調で諭すは八意永琳。

「いくらあなたが私の弟子だからと言っても、限度という物があるでしょう」

 向かい合うは、革のソファーの上で縮こまる鈴仙。
 どうしても永琳と眼を合わすことができずにいた。へたれる両耳すら永琳の方を向いて
いない。
 二人だけの応接室に沈黙が走る。

 夜の応接室はいくつか並ぶ大きめの電灯に照らされて、橙色がかかった独特の雰囲気を
かもしている。此処といい、実験室といい、発電機を取り付けられた部屋が羨ましかった
鈴仙だが、今の状況では楽しむ余裕はない。
 見慣れぬ装飾品に囲まれ、一人用の大きめな革張り椅子に座った永琳を脅えた目でちら、
と上目遣いにのぞく。二人を挟む長方形のガラス製テーブルが、距離を置くための隔壁に
見えた。

「あなたはあくまで“居候”なんだから」
 
 言われてしまった。そう思った。これほど胸が痛いと思うことはないだろう、とも。
「…………申し訳ありません……」 
「……まぁ、良いわ。私は今忙しいし、この事は」
 ゆっくりと席を立つ永琳。大振りな銀色の三つ編みを揺らし、扉に手を掛けると、
「後でゆっくりと聞かせてもらうわよ」
 かすかな微笑みを浮かばせる。

「あ、あの、待って下さい」

 呼び止めていた。些細な事だ。しかし些細とも言っていられない。少なくとも鈴仙には。
永琳は無言で立ち止まり鈴仙を仰ぐ。聞く気にはなったらしい。

「今夜見回りに出たイナバ四人ですけど、三人行方不明ですよね」
「不幸な事件よね……満月でもないのに凶暴な妖怪が溢れてるのかしら」
 
 頬に手を当て、さも興味なさそうに瞳を流す永琳。

「それだけじゃありませんよ、一人帰ってきたのを師匠は部屋に隔離した。何故です」
「ちょっと狂言染みてた……と言ったらいいかしら?」
「……師匠は指揮能力も高くて、頭がいいので私の憧れなんです。師匠の判断が間違って
 いない事は信じています」
「あら、有難いわね」

 瞼を細めて永琳は腕を組んだ。「それで?」と無言で催促する永琳に、鈴仙は口を開い
た。

「それでも、なんで捜索部隊を出さないんですか、なんで私を外へ出してくれないのです
 か。あなたはなにか隠してる……」
「ウドンゲ」
 
 少し昂ぶった気持ちを一瞬で冷やされる、そういう声だった。渋々引き下がる鈴仙。

「失礼しました……」
「その事は夜が明けてからにしなさい、いいわね」

 俯く鈴仙を傍目に、永琳は再び扉へ手を掛け、廊下に足音を響かせる。

「はぁ」
 あとでゆっくりと、か――
 溜息。
 酒に酔っているわけでもないのに、下手な事をしてしまった。本当に。
 しかし永琳がなにか隠していることは確かだ。それでも、各部屋の外へ通じる襖には結
界のような物が張られ、うかつに触れる事もできない。正面扉は完全に封鎖されていた。

 ――そういえば師匠は今日、ずっと姿を見せていなかった。忙しいってどういう事?
   新薬の生成はもう終わったはずだし、それにさっき忍び込んだ時にはいなかったし。
   忍び込んだ時。そうだ。てゐ。てゐに担ぎ上げられさえしなければこんな――

 ――れーせーん 
 ふと、天井から降ってくる声。
 ――れーせん、れーせーん
 恐らく捕まったであろうてゐ。彼女の怨念が鈴仙にも聞こえた気がした。

「鈴仙、無視するなよ……ぐふあっ!」
 バン!と耳に刺さるような音を立てて何かが落ちてくる。降り立つ、にしては不器用に。
「て、てゐ? あんたいつから!」
 ソファーを飛び出して、黒髪の兎少女へと駆け寄る鈴仙。
「あ、天井が抜けた」 
 てゐは尻餅を付いたまま、ぶち抜かれた穴を眺める。
 すぐに立ち上がると、そのふかふかした兎耳や白いワンピースについた埃を叩いて掃う。
「いやね、鈴仙。私の司令室も差し押さえられてね……いろいろあったけど逃げ出してき
たのよ」
 
 でた。司令室。今回の事件の発端にして元凶。
 とは言え、てゐの自室をわずかに改造しただけの物だったが、月の兎が放つ特殊な音波
を模すことのできるアンプ装置があり、またレーダーで鈴仙の位置を探る事ができるため、
非常に有用性が高い――とは言えないが、そういった物にしては優秀だった。
 難点と言えば、月の兎である鈴仙・優曇華院・イナバだけにしか通用しない事だったが。

「確かに今回ばかりは隠しようがないわよ」
「なんで私の部屋に最初にがさいれ入るのよー!」
「あんたが信用無い嘘付きって事は師匠にはバレバレなのよ」
「マジで!?」
 鈴仙は肩をすくめた。割と本気でショックを食らったてゐを見下す。
「Bダッシュ使ってれば見つからなかったかもしれないのに……」
「だから何なのよそれ」
「それよりこれ。何だか分かる?」
 すぐさまケロっとするてゐ。
 唐突にずい、と目の前に持ってこられるのは、
「うわ、きれい! って何なのこれ」
 思わず感嘆の声を上げるほどに美しい、深い青を湛える小さなカプセルだった。
 てゐの小さな手のひらの上に収まる円柱型のそれは、少し転がるたびに光を反射して鈴
仙の瞳を打つ。先ほどの一件など吹っ飛ぶほどに、それはひたすらに綺麗だった。

「極秘資料室から持ってきた」
「へ?」
 どこかで聞いた単語に、間の抜けた声を漏らす鈴仙。
「って、あー! あんたいつのまに!?」
「ふっふーん、鈴仙ちゃんよ。敵をだますにはまず味方から、ってね」

 そうしててゐは掻い摘んで話し出した。
 鈴仙に侵入させ、警報機を鳴らさせたのは計画のうち。
 そこに永琳を向かわせれば、目標の周りはがら空きになる。
 あとは鈴仙へと、兎や永琳が注意を向けているうちに、その目標を奪取、という訳だ。

「んな、私がお咎めを受けたのとか全部……意味無かったの!?」
「というか全て私の手のひらの上というか」
「ふざけるなー!」
「何が“ふざけるな”なのかしら?」
「「うえぇ!?」」
 突然すぎたので思わずハモる二人。
 取っ組合いに発展した鈴仙とてゐを冷やかな眼で眺める人物が一人。

「し、師匠、いつのまに」
 それは笑みを浮かべた永琳だった。目が笑っていないが。
「今さっき、よ……てゐ? あなたの部屋から色々見つかったわね」
「うっ」
「これからしっかり事情聴取するとして、その背中に隠している物を出しなさい」
「うう……このっ」
「逃げようとしても無駄よ」

 とっさに身構えるてゐを一瞬で硬直させる永琳。
 鈴仙も驚きの速度で、永琳は弓をつがえていた。指と指を結ぶのは光り輝くエネルギー
のみで構成された“薬の矢”、流石に渋々とてゐは両手を頭の後ろで結んだ。

「いい子ね」

 てゐへと近寄る永琳。もちろん光る矢の先端はてゐを捉えて離さない。
 しかし、矢の先の口がわずかに歪むのを、鈴仙は見逃さなかった。 

「ほら、手を出しなさい。それは大切なものなのよ」

 その催促は危険だ。てゐが何をしでかすか。
 鈴仙は不安に瞳を泳がせる。ふと、てゐが鈴仙へ、目で合図を出す。
 ――二回の瞬き。ああ、これは師匠に後で謝らないといけない。鈴仙は心の中で深い溜
息をついた。

「――鈴仙の部屋で待ってる。永琳をおさえて!!」

 右手人差し指を自らの師匠に向ける鈴仙。これがどういう行動かも分かっている。

 二回の瞬きはてゐと鈴仙、二人の間の“不意打ち”を示す。
鈴仙自身にも永琳にこれがどれだけ通じるか想像もつかないし、出来れば実行はしたくな
かった。

 指先に僅かな思念を流す。瞬間、掌全体が熱に侵され、それらが指先へと疾駆する。
 なにかが身体中から抜け、人差し指一本から全て流れ出てしまいそうな感覚。惜し気も
無く、出せる限りの力を、
 ――放つイメージ。
 ――穿つイメージ。
 ――弾くイメージ。
 放つ。
 穿つ。
 弾く。 
 青い軌跡を刻んで疾走する弾丸一発が、鈴仙の思念に導かれ、永琳の弓へ衝突した。

 永琳は鋭い金属音に我に返る。焼けるようにしびれる左手から弓が弾かれ、カラカラと
床を転がる。矢も消滅した。一秒間その事象が理解できなかったが、既に目の前にてゐが
いない事を理解する。

「……はー……師匠、ごめんなさい。後で説教なら聞きますので」

 鈴仙は呆けたままの永琳の横をすり抜けながら、軽く頭を下げ、応接室から走り出て行
った。
 その表情は暗澹たるもので。
 永琳には「待て」と言えなかった。追う気にもならなかった。

 後に残された永琳。弓を静かに拾うと、二人が飛び出していった扉を眺め、ソファーへ
自身を投げ出した。

 ――てゐの持っていた物は間違いなく……私にとって悪いものだ。
   ウドンゲさえも私に歯向かうとは、調教が足りなかったかしら?
   どちらにしろ、もう時間は残り少ない、二人だけでどうにかできる事じゃない――

 一旦思考を切る。
 なにかが引っ掛かる。歯向かう者。部外者。部外者。

「射命丸文――少し予定を変えようかしら。逃げ込んできたところ悪いけど」

 ソファーから身体を跳ね起す。ぎり、と革の擦れる耳障りな音。

 ――文はどこへ行った?警報が鳴ってから文を置いてこの部屋を出たはず――

「探し出して排除するしかないわねぇ」




 永琳は一つ、悟った。
 自分はこんなにも、卑しい人間だったのかと。

 ――なぜこんな事をする?
 
 話しかけてくる。そこの調度物の陰から?ソファーの下から?天井の穴から?
 分かってるはずだった。明らかにそれは彼女の声。彼女のものだったのだから。

 ――楽になるため。開放されるため。姫様と歩んできた永久を終わらせるため。

 だが答えていた。なぜかわからない。そしてそれは真実だ。
 蓬莱の薬一つで全てが狂ってしまった。ただ怠惰に時間の海を漂うだけの無意味な人生。
時とは酷だ。時は永琳を見捨てた。蝕もうともしなかった。
 だからこれは――永遠を与えてしまった姫様への償い。永遠を約束した姫様への裏切り。

 単純に言えば飽きたのだ。明日の無い明日に。未来の無い未来に。
 








 ―――――――――――――――――――――――










 廊下を疾走する鈴仙。ここまで足音を立てれば、普段なら永琳が説教をしに飛んでくる
だろう。今はどうか分からないが。
 ともかく走る。走る。疲れなんて気になるうちに入らない。
 永琳が弓をつがえる事。これは非常に稀な事だ。戯れでは決して無い。それが鈴仙の焦
燥を募らせた。あの青い液体はなんなのだ?と。 

 曲がり角をまた一つ、と回った時。これが最後のはずだ。
「うぼぁーー!!」 

 鈴仙は思い切り床で滑った。

 廊下に水でも零してあるのか、曲がる勢いを殺せなかった鈴仙は横滑りになったのだ。
結果、頬や服が水浸しになってしまう。

「あだだ、誰よこんな所に水こぼして、掃除しときなさ……い…………」

 改めて床を直視する鈴仙。感触だけなら水だ。感触だけなら。
 目の前が深紅の液体でなければ。
 手にも白いブラウスにも自慢の銀髪にも兎耳にもスカートにも靴下にも、その紅い液体
は染込み、離れない。
 悲鳴を上げようとした。でもできなかった。口がかくかくと動くだけだ。慌てて上体を
起す。しかし腰は浮いてくれず、思うように動かない脚は水溜りの上を滑りまわるだけ。
 
 ――これが“腰が抜けた状態”か、と鈴仙は妙な納得をした。

 なんにせよ、これは見た事がある。
 そして目の前には部屋の扉。鈴仙の部屋の扉。その正面だ。良く見慣れた一つの兎。
 黒髪と耳を紅の海に沈め、横たわりピクとも動かない。

 もつれる脚を必死に動かす。深紅の水溜りを泳ぎ行く。兎の元へと。
 鈴仙は一瞬で、脳裏に浮かんだ事実を打ち消した。そんなはずはない、と。

「こんな……てゐ!!」

 生臭さにくらくらする。鉄粉のような臭気に吐き気を覚える。
 そんな事はどうでもいい。血溜まりに沈む友人をほうっておけるはずがない。

 ――こんな匂い、月で慣れた!!

「てゐ、どうしたのよ、起きて!! 話してよ!!」
 必死にてゐの肩を揺する鈴仙。 
 身体を仰向けにすると、その顔に既に生気は感じられず、服に幾本と知れずに刻まれた
紅い亀裂からは、もう流れ出す命もないのだろうか。
 特に腹から背中にかけてが酷い。紅だけで覆われている。
 だが、わずかに幼い唇が動く。溢れ出すのは血ばかりと思われたが、少し瞼が開くのを
鈴仙は見逃さなかった。

「う……あぁーたたた……れい、せんか……」
「ちょっと、しっかりしなさい! 何があったのよ!?」
「ついに、私も報いを、うける時みたいよ……さんざんうそついたし……」

 風前の灯火、それを如実に示すように酷く儚く、穏やかな声で、てゐは喋った。
 喉を逆流する血が苦しいのか、途切れ途切れの言葉で。

「大丈夫、死なせない絶対……こんな事するやつは誰よ、捕まえて殺してやる」
 顔を引きつらせ、歯を食いしばる鈴仙。その瞼には感情の涙が溜まる。

「それより……えーりんを止めてあげて、タイム、リミットは……夜明け、みたい」
「し、師匠がどうしたのよ?」
「これよ……」
 てゐは懐から一つのノートらしきもの――血に塗れているが――を取り出し、鈴仙の手
におさめさせた。
 

 その表紙には“DAWN OF THE RETURNEESに関する概要”との表記。
 

「あとこれを使、えば、完全に完結よ……よかった、じゃない。鈴仙。」
「なにが……なにが良いのよ、さっきから訳分からない事だらけじゃないの!!」
「いいか、ら受け取って」
 
 息も切れ切れに渡されたもう一つの物は、青く光るカプセル。血に浸ったてゐの紅い手
を両手で握りしめ、「これはいったい」と呟く。
「すぐ、分かるよ、そこの……客人にでも、聞いて見れば……」

 視線を上げる鈴仙。広がる血の中に下駄の刃を落とし、その人物は二人の様子を眺めて
いた。
 いつのまに、と声を上げる前に、カラスを連れた天狗は口を開く。

「災厄を統べるは“死者”の夜明け――私も外で色々見てきました」
「な……何言ってんの……どこから来たのよ、文!」
 死者とはなんだ。
 死者とはなんだ。
 ――死者とはなんだ?意味としてではない。外に何があるというのだ。
 
「……私が、それを読んだかぎり、夜明けまでに……その青い、薬を幻想、郷中に」
「てゐ、あまり無理しないで……薬は……薬…………っ!」

 鈴仙は憤った。ここで友人の役に立てなくて、何が薬師の弟子だ!と。
 
 ここまで自分を呪ったのは――月からの脱走時以来だ。
 
 似たような状況だったのを覚えている。
 血の匂いを覚えている。
 助けられなかったことを覚えている。
 血の匂いを覚えている――こんなところで、こんなところでまた見捨てろというのか!

「できるよ……鈴仙なら……」
「てゐ、しっかりして、大丈夫だから、大丈夫だから!」

「……鈴仙さん、てゐさんはもう……」
「――っ、巫山戯るな! まだ助かる!!」
 感情が爆発する。
 血を蹴り、文へ掴みかかる鈴仙。文のブラウスの黒いリボンが解ける。それでも、抵抗
はしなかった。できなかった。 

「あんたに何が分かるのよ、てゐは――」
「いえ、生気が完全に途絶えてます、どうして喋って……?」

「え……」

 振り返ると、完全に瞼を閉じ切ってしまったてゐ。

「ねぇ、てゐ?」
 引きつった笑みを浮かべる鈴仙。
 振るう声を抑えきれずに、

「ねぇ、しっかりしなさいよ」
 真実を否定せざるを得ない。
 てゐの小さな肩を、相応しくない力で揺らす。揺らす。揺らす。

「いつもみたいに“なんちゃって”とか言って起きてきなさいよ………………どうしてそ
 れが嘘じゃないのよ!!」
 
 鈴仙の涙が、堰を切った。文はその様子に、ばつが悪そうな表情をするしかなかった。

「その……お気の毒です…………」

 天狗は、余りにも久しぶりに、心から他人を想った一言を発した。 

「てゐ……てゐ!!」
 もう届かない、届かないはずの友人の名を叫ぶ。こんな事では納得できない、と。










「なによ……」

「うわぁ!?」

 唐突に口を開くてゐに、鈴仙は思い切り背中を反らせて頭から血溜まりへと突っ込んだ。
 文はとてつもない顔で吃驚していた。

「今のはちょっと嘘だったゴメン」
「……………………んな……」
「え? え? どうなってるんですか?」 
 
 鈴仙は起き上がると同時に無言でてゐを殴った。呆れたを通り越して、悲しいを通り越
して、恥ずかしいといった領域につっこんだ感情をぶつけたのだ。 

「ぐふっ! ちょっとまって、怪我してんのは本当なんだって!!」
「乙女の涙を弄びやがって……」

 文は相変わらず困惑していた。てゐに生気の流れを一切感じなかったはずなのに、これ
ではまるで――そうだ。外の“死者”ではないか、と。









 ―――――――――――――――――――――――









「で、その怪我は誰にやられたのよ?」

 三つのランタンに照らされた室内は比較的明るい。
 鈴仙は自室にてゐを寝かせ、ひとまず怪我の手当てをする事にした。
 とはいえ切り傷等は殆ど、ふき取ったように治りかけており、再度鈴仙は驚いた。こん
な状況をどこかで見た事がある。それは確か――

「兎」
「は!?」

 思考の途中で謎の単語が入ってきた。いや、兎でもかなり非常事態だ。同じ兎である、
しかも統括するリーダーであるてゐに手を上げるとは。

「発狂してた。永琳が監禁してた奴だと思う」
「脱出してきたのね」

 師匠が話していた兎はそいつか、と納得する。となるとまだ館内を彷徨っているんだろ
うか。

「うん……あの顔は間違いなく奴だ。私をさんざんコケにできるほどに腕が立つ筈ないん
 だけどなぁ……」
「その兎は発狂してたというか、ある“病気”にかかってるんですよ」
「んな事は見たまま分かるわよ」
 ふん、とてゐは腕を組んで、横に立つ文を見上げる。ぼろぼろになった服が少しずれた。

「てゐさんも同じように……いや、正確には私も、鈴仙さんも」
 てゐが「気味が悪い」と笑った。
「……良く知らないけど、空気感染するうぃるすってやつね」
 それを鈴仙が代弁する。昔永琳に教わった“ウィルス”の事を思い出す。

「ですね、でもそれは潜在的なもの……ある事がキッカケで病気が発動する」
「ある事?」
「“死ぬ事”、その瞬間にこの薬は蓬莱の薬のような力を発揮します」

 ――蓬莱の薬。そうだ。どこかで見た現象と想ったら、姫様や師匠が蘇る時と同じじゃ
   ないか――
「ただし――発狂効果付きですね」
 少し脅すような口調。二人の兎が怪訝そうな表情をする。

「てゐさんはその、ワクチンを持っていたから発狂には至らなかったんでしょう」

 てゐの掌にある小さなカプセルを、文はしゃがんで指差した。
「それは物理的な効果を持たない薬です。瓶に密接していれば効果があるんですよ」
「へぇ……私も危うく発狂兎になるところだったんだ。そこまでは知らなかったな……」

「……もともと蓬莱の薬も手を出せば発狂しかねない劇薬です。永琳さんが生成しなけれ
 ば、ですが」
「それで今回師匠が振りまいたのは……」
 文は鈴仙の瞳を覗き込む。不安とも、恐れとも取れない表情が浮かんでいるのを文は見
て取った。文は言った。それはもう、なぜか得意げに。

「わざと不完全にした蓬莱の薬」

「完全な永遠ではない……無理やり生かされる状態ってわけね」

「そうです。歩く死者を作る蓬莱の薬。生者を仲間に引き擦り込む、性質の悪い死者を」
 






あれっ山場g

次で完結しますよ。
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