Coolier - 新生・東方創想話

りゅばんとりころーる

2015/12/12 00:49:18
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 博麗神社の裏山には、大きな湖が在ります。
 注連縄の結ばれた磐座(いわくら)が居並ぶ、何とも妖しげな湖です。
 その湖の正体、そこに眠る館の存在を知る者は、余り多くありません。
 ですが、いつも湖上で日向ぼっこをしている、奇妙な吸血鬼のことだけは、それなりに知られています。
 彼女の名は、くるみ。
 この世で最も気紛れな妖怪と、この世で最も酔狂な死神によって育てられた、稀代の妖怪少女です。





   ◆





 ある日の昼下がり。
 いつも通り、くるみが湖上でぽかぽか日光浴をしていると、岸の方から自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきました。
「くーるーみー!」
 呼ばれたくるみはそちらを振り向きます。
 すると、ずうっと向こうの方から、湖の上をふわふわ此方へ向かって飛んで来る黒猫の姿が見えました。
 彼女の幼馴染み、化け猫の橙です。
 お互い、育ての親同士が旧知の間柄――決して仲良しではありませんが――で、昔から何かと一緒に遊んだり、張り合ったりしている仲なのです。
 橙は見る見る近付いて、遂に彼女の目の前までやって来ました。
「くるみ、いまヒマ?」
 と、尋ねる彼女に向かって、くるみは突然右の拳を大きく振り上げ、それを勢いよく振り下ろしました。
「にゃ!?」
「うちの湖は立ち入り禁止だっつってんでしょうが! いい加減、覚えなさいよ!」
 橙は目許に涙を浮かべながら、頭の叩かれたところを手で摩(さす)ります。
「……でも、最近はちょっとくらい泳げるようになってきたから……」
「だ……!?」
 くるみの顔がかっと赤く染まりました。
「誰もあんたが落ちた時の心配なんかしてないっての!」
 橙は今までに二度、この湖に落っこちています。何でも、覗いていると眠くなってきて、うっかり足が滑るのだそうです。
 それを聞いて以来、くるみは彼女が一人で湖に来ることを固く禁じたのでした。
「立ち入り禁止は立ち入り禁止なの! わかる!?」
「みゃ……」
「だいたいね、いくらあんたが泳げたって、式は溶けちゃうでしょうが! どんだけ藍さんに手間かけさせんのよ!」
「にゃう……」
 二言も三言も怒鳴られて、橙はすっかり萎れてしまいます。
 彼女がおずおずと「ごめんなさい」を言うと、くるみは途端に悪気を覚えた様子で、さっと顔の赤味を引っ込めました。
「……次こそは覚えてなさいよね。岸から呼べば、それでちゃんと聞こえるんだから」
「……うん……」
「で、なに? ヒマだから遊ぼうっての?」
 くるみが尋ね返すと、橙も一転、落ち込んでいた顔をぱっと明るくさせました。
「うん! あのね、マヨヒガの裏に、おもしろいとこ見つけたのよ! だから」
「あー、はいはい。わかったわ。ちょっと待ってね」
 そう言うと、くるみはちょっと体をよじって斜め後ろを振り返り、そこに浮遊していたへんてこな手鏡を引っ掴みました。
 翼に髭に、棘まで生えたその黒紫色の手鏡は、どういうわけか真っ暗闇を映していて、何も見ることが出来ません。
 ところが、くるみが指先に魔力を篭めて、その縁の所をピィンと弾くと、鏡は途端に淡い光を帯びて、ある光景を映し出しました。
『どうしたの、くるみ?』
 鏡の向こう側から、外刃(そとば)の大鎌を携えた赤い服の貴婦人が尋ねます。
 くるみの育ての親の一人、夢幻の門番ことエリーです。
「橙が遊びに行こうって。行ってもいい?」
 くるみの頭の上から、橙がちらりと顔を覗かせました。
『こんにちは、橙ちゃん』
「こんにちはー」
『いつもくるみと遊んでくれて有り難うね』
「にゃ」
「で、行ってもいいの?」
『勿論、良いわ。だけど、夕飯までには帰りなさい』
「はーい」
『余り危ないことをしては駄目よ』
「はいはい」
『それから、知らない人に付いて行ったり』
「わかってるってば」
 彼女達にとって、このような会話は日常茶飯事のようです。
 辟易としたくるみは早々に鏡をもう一度指先で弾き、元の真っ暗闇に戻してしまいました。
 と、そのすぐ後ろで、橙がじいっと彼女の頭を見詰めています。
 前にしか目の付いていないくるみですが、そのことは何となく勘で分かったらしく、「何よ」と不機嫌そうに尋ねました。
 先程の、あの過保護な扱いを揶揄(からか)われるのではないかと思ったのでしょう。
 ですが、橙の興味はそこには有りませんでした。
「……これ、昔っから同じの着けてる」
 これと言うのは、くるみが頭に着けている、カチューシャに結ばれた白いリボンのことです。
 成る程、橙の言う通り、随分と古い物のようで、今まで何度も洗濯されたのでしょう。布が擦り切れてきています。
 実を言うと、色も最初はピンク色だったのですが、洗われたり干されたりする度に段々色が抜けていって、今の真っ白になったのでした。
「だから何?」
 くるみはまだ不機嫌そうな物言いが直りません。
 と言うのも、このリボン、彼女が初めて妖弾(ようだん)を撃てるようになった記念に、エリーから貰い受けた物なのです。そして、敬愛する主人である捻くれ者の大妖怪が、珍しく素直に「可愛いじゃない」と誉めてくれた思い出の品でもありました。
 彼女はいつも、この真っ白なリボンを見て、そこに二つの色を思い浮かべているのです。
「新しいの、もらえないの?」
 きっと、橙に悪気は無かったでしょう。
 もしかしたら、新しいリボンを貰えるよう、一緒に頼んであげようかと、そんな善意の気持ちさえ有ったかも知れません。
 ですが、残念ながら、その優しさはくるみには伝わりませんでした。
「あんただって、昔からずーーっと同じ輪っか耳につけてんじゃないの」
「これは錆びたりしないヤツだもん。ずっと使えるヤツ」
「私のこれも、まだ使えるわよ」
「……貧乏性?」
 間髪を入れず、二度目の拳骨が飛び出します。
「みぁ!?」
 勿論、橙は何が悪かったのか、全く理解出来ていません。
「なんで叩くの」
「うっさい。マヨヒガの裏手でしょ。さっさと行くわよ」
「……むー」
 こうして二人は、お互いちょっとぎすぎすした雰囲気のまま、マヨヒガの在る妖怪の山へと向かったのでした。
「くるみ」
「何」
「そっち、反対」
「ッ……」





 橙の先導によって、二人は無事に目的地へと辿り着きました。
「ついた」
「……ここ?」
「うん」
 それは一見、ただ鬱蒼と茂っているだけの、何の変哲も無い林のようでした。
 一体全体、これの何処が「おもしろいとこ」だと言うのでしょう。
 不審がるくるみを置いて、橙はくんくん臭いを嗅ぎながら、木々の生い茂る際(きわ)の所を歩きます。
「あった。ここ、見て」
「う?」
 彼女が足を止めたのは、居並ぶ木の幹が何とも不自然に左右に分かれて、小さなトンネルを作っている場所でした。
「この先、行ってみよ」
 くるみはとことこと近付いて行き、ぐいっと大きく身を屈めて、それを覗き込んでみました。
「……狭くない?」
 素直に「何これ」と言えなかったのは、まだ先程の不機嫌を引き摺ったままだからでしょうか。それとも、これが本当に心の底から出て来た言葉だったのでしょうか。
 どちらにせよ、橙はこのトンネルの面白そうなことに相当な自信が有るらしく、狭いと言われたからと言って、諦めるつもりは無いようでした。
「大丈夫。通れたから」
「そりゃあ、あんたは頭さえ通ればどこでも通れるでしょうけど」
「くるみも小さいし」
「この立派な翼が目に入んないの? 節穴?」
「行けるって」
「あ、こら、待て……!」
 くるみが止めるのも聞かず、橙はするりとトンネルに入り込んでしまいました。
「ちょっと、橙! この奥、どこに繋がってんの!?」
「わかんない!」
「はぁ!?」
「だって、途中までしか行ってないもん!」
「バケモンの住処とかだったらどうすんのよ!」
 くるみは何度も声を掛けましたが、とうとう返事が聞こえなくなってしまいます。
「あー、もう!」
 仕方無く、彼女は橙の後を追って、トンネルの中へと潜り込みました。
 ですが、心配していた通り、背中の翼が何度も周りに引っ掛かってしまい、なかなか巧く進めません。
 ただでさえ狭い通路なのに、それが右へ左へぐにゃぐにゃと曲がっているものですから、余計に苦労させられてしまいます。
 そうして彼女が手間取っている間にも、橙は先へ先へと行ってしまっているようでした。
「ちょっと、バカネコ! あんた、いい加減に……!」
 その時です。
「ぎにゃッ!?」
「橙!?」
 木々の向こうから、橙の悲鳴が聞こえてきました。
 何が有ったのでしょう。やっぱり、この先には何か恐ろしい怪物が居て、それに襲われてしまったのでしょうか。
 くるみは気が気ではありません。
 引っ掛かる幹や枝を強引に振り切って、大慌てで橙の許へ向かいます。
「橙!? どうし……!?」
 大声で尋ねようとして、彼女は舌を咬みそうになってしまいました。
 突然、頭がぐいと後ろに引っ張られたからです。
 そして、その瞬間、彼女の頭の上で、ビリッという、どうにも嫌な音が鳴りました。
「……あッ!?」
 何が起こったのかなんて、確かめるまでもありませんでした。
 そうです。
 彼女がとても大切にしていた、あのリボンが木に引っ掛かって、破けてしまったのです。
「うぐ……」
 慌てて解いたリボンを見たくるみは、一瞬泣き出してしまいそうになって、だけど、すぐに涙を引っ込めました。
 彼女はそれを手早くスカートのポケットに仕舞い込み、また急いで先へと進み始めます。
 そうして、ようやく橙に追い付くことが出来ました。
「橙! どうしたの!?」
 橙が居たのは、狭い狭いトンネルを抜けた先の、大きく開けた場所でした。
 彼女はそこで小さく蹲り、左耳の付け根の所を手で押さえながら、ぶるぶる小刻みに震えています。
「橙!? わ……!?」
 トンネルを抜け、立ち上がろうとしたくるみの翼が、また木の一部に引っ掛かりました。
 くるみはバランスを崩して転びそうになりながらも、難無くそれを振り切ります。
 ですが、どうやらそこで、ちょっと嫌な予感が彼女の脳裏を過ったようです。
「……あんた、もしかして、そこでピアス引っかけたんじゃないでしょうね」
「痛い……」
 残念ながら図星のようです。
 狭いトンネルを通っている間はきちんと気を付けていた橙も、最後の最後で油断してしまったのでしょう。
「バカね。見せてみなさい」
 耳は少し赤くなっていましたが、怪我と言う程のものではないようでした。
 くるみはほっと一息吐いて、ふと何気無く、ちらりと辺りを見回してみます。
 すると、とんでもない事実が発覚してしまいました。
「……ここ、すっごい見覚えあるんだけど」
 何と言うことでしょう。
 そこはトンネルの入り口からほんの数メートル離れただけの、元の林の前だったのです。
「にゃ……」
 ようやく耳の痛みが引いてきた橙でしたが、ばつの悪いこと、この上在りません。
 おずおず、おどおど、ゆっくりと顔を上げて、くるみの様子を窺います。
 くるみは紅い妖気を滲ませながら、ぎろりと彼女を見下ろしました。
「……みゃ……?」
 と、橙はその時、少し首を横に捻って、何かを不思議に思っているようでしたが、くるみの怒り様ときたら、それどころではありません。
 なまじ暴力が振るわれないことも相俟って、彼女はどんどん恐縮してしまいます。
「…………ごめんなさい……」
 幾ら素直に謝られても、今回ばかりは赦してやる気になれない。
 そんな風情で、くるみは黙って彼女を見下ろし続けていましたが、その内、ふいと外方(そっぽ)を向いて、その場から立ち去ろうと歩き始めました。
「……帰るわ」
 橙から返事は有りません。
 ですが、くるみはそんなこと全然構わないと言わんばかりに、これっぽっちも振り返ること無く、早足に行ってしまいました。





 湖へ、そして、その底に在る館へと帰ってきたくるみを、エリーが迎えました。
「お帰りなさい」
「……ただいま」
 育ての親として百年以上も一緒に暮らしてきたエリーですから、彼女の様子がおかしいことにはすぐに気が付きます。
「随分と帰りが早いようだけれど、何か有ったのかしら?」
「…………別に」
 こんなにむっつり剥(むく)れた顔をして「別に」だなんて、誰も信じやしないでしょう。
 ですが、エリーはしつこく聞き立てたりしません。ただ一言「そう」と言って、彼女の頭をふわりと撫でました。
 どうせ橙と喧嘩でもしたのだろうと、そんな風に考えていたからです。そして、それはあながち間違いでもありませんでした。
「…………これ……」
「うん?」
 終始穏やかな微笑みを浮かべていたエリーですが、くるみの差し出した物を見て、少し悲しげに目を細めます。
「……破けた」
「あらあら」
 彼女は破れたリボンを受け取ると、その状態を確かめました。
 ただでさえ擦り切れそうだった布が随分乱暴に引き裂かれ、あちこちに出来た解(ほつ)れの何れかを少しでも引っ張れば、また簡単に破けてしまいそうな、それは酷い有様でした。
 もはや襤褸切れとして使えるかどうかも判らない代物ですが、くるみがこれを後生大事にしていたことは、エリーもよく知っています。
 その古さと、今日まで無事で居られたことの凄さを称えた上で、やんわりと言いました。
「綺麗に出来るかは判らないけれど、繕えないことは無いわ」
 ですが、くるみは小さく顔を俯けて、声低く言い返しました。
「いい。どうせ、またすぐ破けるから。新しいの出す」
 のそのそと、あるいはとぼとぼと、彼女は自分の寝室に向かって歩き出します。
 その拗ねた背中と破れたリボンを交互に見やるエリーの顔は、やっぱり少し、悲しげでした。





   ◆





 三日が経ち、くるみはまた、妖怪の山へとやって来ました。
 彼女の頭上では、小綺麗で鮮やかな紅い色のリボンがひらひらと揺れています。
 今日は橙と一緒ではありません。
 あれ以来、橙からは何の沙汰も無いのです。
 彼女は考えました。あの時、自分があんまり怒っていたものだから、恐くて何も言ってこられないんじゃないか、と。
 不機嫌だったのは本当です。少しも怒っていなかったと言えば、それは嘘になるでしょう。
 ですが、彼女は橙を恨んでなんかいません。
 どんな経緯が有ったにせよ、大切なリボンを破いてしまったのは、他でもない、彼女自身なのですから。
 ましてや、あのトンネルが何処にも繋がっていなかったことなんて、これっぽっちも気にしていないのです。
 だから、彼女は橙にそれを伝えることにしました。
 早い話が、仲直りをしに来たのです。
「もうすぐ着く?」
「もう見えてるわ。ほら、あそこが迷家(ゴール)よ」
「あ、ホントだ」
「でも、橙は留守みたいね。波長は感じるから、近くには居るようだけど」
「じゃあ、待っとく。捜しに行って、すれ違ったら困るし」
「それより自分がまた迷子になる可能性を心配しなさいよ。毎回毎回、どうして山を目指して竹林に着くわけ?」
「だって……」
「……まあ、良いわ。私はあっちの方に用事があるから、ここまでね」
「うん。ありがとうございました」
「はい、案之定(ストップ)。そっちじゃないわよ。右向け、右」
「う?」
 道に迷った彼女を此処まで連れて来てくれた親切な妖怪に別れを告げて、くるみは誰も居ないマヨヒガへと勝手に上がり込みました。
 居間に置かれた炬燵――通電はしていません――に入り、じっと家主の帰りを待ちます。
 彼女はずっと、橙に会ったら何を言おう、とか、仲直りした後は何をしよう、とか、そんなことを考えていました。
 それが一段落して、やっぱり捜しに行こうか、などと無謀な考えがちらつき始めた頃、ようやく橙が帰ってきました。
 橙は何だか深い溜め息を吐きながら、ゆっくり静かに居間へと歩いて来ます。
 いつの間にか亀みたいに炬燵に潜り込んでいたくるみは、顔だけを外に出す恰好で、帰宅した彼女を迎えました。
「おかえり」
 居るとは思わなかった友達の姿に、橙は一瞬驚いた後、どうにも居心地悪そうに目をきょろきょろさせました。
 そうして、くるみが炬燵から這い出て、何か話をしようとした矢先のこと。
 どういうわけか、橙の大きな両目から、ぽろぽろと涙が零れ始めたのです。
「うゅ? え? なに?」
 そんな涙は、くるみの予定に有りません。
 彼女は大層慌てふためいて、橙に問い質しました。
「何で泣くのよ。今日はまだ叩いてないわよ」
 すると、橙がめそめそしながら、「ごめんなさい」と言いました。
 けれど、「ごめんなさい」では解りません。
 くるみはどうにも困った様子で、一言「何が」と尋ねます。
「……見つかんなかった……リボン…………」
「へ?」
 ようやく得られた回答に、彼女は呆気に取られてしまいました。
 きょとんとして、泣きじゃくる橙を訝しげに見ていると、あることに気が付きます。
 橙は頭の天辺(てっぺん)から足首に至るまで、全身土と砂で汚れていたのです。しかも、服のあちこちに何処かで引っ掛けたような跡が有り、それはもう、絵に描いたようなぼろぼろの姿でした。
 くるみは考えます。一体全体、この黒猫は何処で何をしていたのか、と。
 しばらく考えて、ようやく答えに辿り着いた時、彼女は「あ」と短く一音発して、かっと顔を真っ赤に染め上がらせました。
「バ……バカ! あれは別に、無くしたわけじゃないっての!」
「みゃ?」
 今度は橙がきょとんとする番です。
「あれは……えっと……ちょっと汚れちゃったから、洗うために外しただけよ!」
「そうなの?」
「……そう!」
 散々虚仮にしたリボンのことなんて、橙は全く気にしていないだろうと、くるみはそう思っていました。思ってもいなかった、とも言えるでしょう。
 けれど、そうではありませんでした。
 橙は、ちゃんと気が付いていたのです。
 あの時、くるみがリボンを身に着けていなかったことも、彼女にとって、あれがどれ程大切な物だったのかも。
 だから、一所懸命に捜していました。自分のせいで彼女が『無くしてしまった』リボンを、三日三晩掛けて、捜し続けていました。
 見付けられる筈が無いのに。
「まさか、今までずっと捜してたわけ!? 三日前からずっと!?」
「……うん」
「バカじゃないの!? 初めの二、三時間で諦めなさいよ!」
「でも……」
「って言うか、一昨日雨降ったわよね!? そん時も捜してたの!? よく見たら式剥がれちゃってるわね、あんた!?」
「……だって……」
 一旦引っ込んでいた涙が、また溢れそうになります。
 くるみは慌てて彼女に近寄ると、その首根っこを掴みました。
「にゃッ?」
「服もあちこち破いてんじゃないの、このバカ。夢幻館(うち)に行くわよ」
「み? なんで?」
「今の時期、藍さん忙しいでしょ。式神のこと以外で面倒かけちゃ悪いわ。エリーなら綺麗に直してくれるから」
「でも」
「いいから、来なさい」
「……うん」
 そうして、二人はマヨヒガを出て、博麗神社の裏山へと向かうのでした。
「ついでにお風呂に入れてあげるわ」
「みゃ!?」
 くるみはずっと橙の襟首を掴んだまま、なかなか手を放そうとしませんでした。
 お風呂嫌いな化け猫が逃げ出そうとするから、ではありません。
 気恥ずかしさに赤らんで、嬉しさに綻ぶ自分の顔を、彼女に見られたくなかったからです。





 くるみが橙を連れて館へ帰って来ると、エリーは気持ち悪いぐらいににこにこしていました。
 どうやら、二人の『喧嘩』を随分と心配していて、無事に仲直り出来たらしいことに心底安心したようです。
 勿論、橙の服の解れを繕うことも、彼女に浴場を使わせることも、快く承諾してくれました。
 主人が殆ど館に帰らない為、そういったことは全てエリーの裁量に任されているのです。
「橙ちゃんも、最近はお風呂が平気になったのかしら?」
「え……あ、はい」
「何が『はい』よ。暴れて引っ掻いたりしたら、ぶん殴って底に沈めるからね」
「くるみ」
「……ふん」
 主(はは)譲りの悪態を窘められ、くるみは少しく膨れてしまいます。
 そこへ、橙がおずおずと口を挟みました。
「えと……大丈夫。ちゃんと爪、引っこめておくから」
 すかさず、くるみの指が彼女の頬を摘まみます。
「爪を出す出さない以前に、暴れるなっつってんのよ。わかる?」
「……あい」
「よろしい」
 指を放した時、くるみはもう剥れていませんでした。
 その口許に微かな笑みが浮かんでいるのを見た橙は、ほっとしたのでしょう、にゃあッと小さく笑うと、浴場に向かって歩き始めた彼女を後ろから追い掛けました。
 エリーもまた、やっぱりにこにこ微笑みながら、二人の後ろを歩きます。
「着物は預からせてもらうわね。替えは後で持って行ってあげるから、少し長風呂していてくれるかしら?」
「はーい」
「……長風呂?」
「いちいち嫌そうな顔すんじゃないわよ。のぼせるまで入れってんじゃないんだから」
「……はーい」
 エリーがクスリと笑います。
 彼女の眼には、ずっと昔、嫌がるくるみを無理矢理お風呂に入れようとしていた主人の姿が映し出されていたのかも知れません。





「なんか背中がすーすーする」
「だから、ファスナーが付いてるんだってば。じっとしてなさい。いま閉めてあげるから」
「にゃ」
 入浴を終えた二人は、分厚いタオルで体を拭いて、風の妖術で水気を飛ばし、エリーが持ってきてくれていた服に着替えました。
 もとい、まずは橙です。橙が慣れない服に着替えるのを、くるみが手伝ってあげました。
 いつもと違う洋服を身に着けて、橙は何だか御機嫌です。
「似合う? 似合う?」
「あー、はいはい。かわいい、かわ……」
 軽くあしらうつもりが、ついつい「似合う」を「かわいい」に変えてしまったことに気が付いて、くるみは思わず言葉を詰まらせました。
 すぐに言い直せば何てことは無かったのですが、そこで話を止めたものですから、橙に不審がられてしまいます。
「どしたの?」
「何でもない」
 彼女は気恥ずかしさを誤魔化そうと、慌てて自分の服を籠から取り出し始めました。
「そういや、さっきの話だけどさ」
「みゃ?」
 ついでに、話を逸らすつもりのようです。
「トロールが妖怪の山にいるの?」
「あ、そうそう! いるんだって! トロール! にとりが言ってた!」
「あの河童(ひと)、信用できるわけ?」
「あんまりできないけど、でもトロールはいるの!」
「……どこに?」
「だから、あのトンネル!」
「いなかったじゃん」
 そんな風に話をしながら、くるみは肌着から順に服を着ていきます。
 と、その手が籠からスカートを取り上げた瞬間、彼女はぎょっとして、両目を大きく見開きました。
「滅多に会えないヤツなんだって! どんぐりが好きらしいんだけど……!」
「……ふーん。どんぐりね……」
「うん。でも、エサにしておびき出したりはできないみたい!」
「そうなんだ……」
 彼女はすっかり上の空になって、何だかんだと生返事をしながら、それを取り上げました。
 金具に結ばれた、薄く、真っ白な布地の上を、指先でそっと撫でります。
 それは、実に見事な出来映えでした。一度破れた事実を知る者でさえ、よくよく注意して見ないと、その痕跡を見受けることが出来ない程に。
「あ!」
 橙が一際大きな声を上げました。
 いつもなら「うるさい」と一喝するくるみも、今回ばかりは何も言いません。
 黙って彼女にカチューシャを手渡し、サスペンダーを留めてスカートをしっかり履いた後、おもむろに胸許で蝶ネクタイを結びます。
 その間、橙は手許の純白をまじまじと眺めていましたが、くるみが「ん」と鼻から息を吐いて手を出すと、何だか嬉しそうにしながら「はい」と、それを返しました。
 そうして間も無く、くるみの黄金みたいな髪の上に、真っ白いリボンが翻りました。
「どう?」
 くるみが得意気に尋ねます。
 橙は大袈裟なくらい朗らかに笑って、はっきりと答えました。
「うん。かわいい」
「かッ……!?」
 余りにも率直過ぎる感想に不意を突かれたのでしょう。くるみの顔に満ちていた得意は綺麗さっぱり消し飛んで、代わりに紅潮の波が押し寄せました。
 思わず顔を背け、「でしょ」と投げやりな自讃をする彼女の目に、鏡の中で真っ赤になった自分の姿が映ります。
 その頭上を飾る純白に、彼女は何を思い浮かべるのでしょうか。
 そこにはきっと、今まで彼女が見ていた二つの色の他に、もう一つ、新しい色が加わっていたのに違いありません。

 
――緑、赤、黒って、色の濃い定式幕みたいね。(ナレーションの『お姉さん』談)


お読みいただきまして、ありがとうございます。

というわけで、前作に続きましてのくるみちゃんです。エリーに至っては前々作から連続3回目の登場です。
前作と前々作はいずれも古い過去の話となっております。もしも興味が御座いましたら、御笑覧いただけますと幸いです。

捏造設定ですけど、幼馴染っていいですよね。捏造設定ですけど。
成長するに連れ、くるみは幽香に、橙は藍に似ていって、お互い素直になれずに皮肉の言い合いしちゃうような、そんなカップルになれば良いと思います。

それでは、お疲れ様でした。
昭奈
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コメント



0.160簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
相変わらずくるみちゃん可愛い
6.80名前が無い程度の能力削除
くるちぇんとは珍しい。
7.80奇声を発する程度の能力削除
可愛らしくて良かったです