Coolier - 新生・東方創想話

マチルダとワルツを

2015/12/06 16:13:05
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 どうして自分がここにいるのか、彼女にはそれを思い出すのも困難であった。第一、来ようと思って来た場所ではないし、瞬きひとつのうちにも彼女の無意識は刷新され、塗りつぶされ、まっさらになった。
 見る風景はもちろん、聞く音や手や足の感触もいつも新鮮に感ぜられたものだが、彼女がそれに何かしらの感慨を覚えたことはなかった。いや、感じはする。感動もする。しかし、それを心に留める事はないのである。
 彼女は考えることもなく歩いた。彼女自身、歩いたと思ってはいなかった。ここではない何処かへ行こうという、漠然とした思いが、無意識的に彼女に足を動かさしていた。

 彼女は普段旧灼熱地獄跡に暮らしていた。
 しかし特定の家を持つわけではない。彼女には家はあったが、そこに暮らしているなどとは自分でも思っていなかったし、事実家に居る事は多くはなかった。

 気が付くと、旧灼熱地獄跡の街中に突っ立っている自分が居る。
 そこいらに提燈が下がり、黒い空には赤黒く光る怨霊が舞い踊っている。色の禿げかけた壁の建物は、どの窓に明かりが灯って賑やかだけれど、窓には影一つ映っていない。
 はて、どうして自分はここに居たのだったか、と彼女は考えた。
 家に居て、部屋で退屈そうに机に向かっている姉の姿を見ていたのはぼんやりと思い起こせた。姉が自分に気付く事は稀である。自分もあえて姉に存在を知らせようとも思わない。
 それからどういう変遷を辿ったのだか、ともかく彼女は街中に立っている。
 生ぬるい風が頬を撫で、髪の毛を揺らす。
 地底にもわずかながら四季の変化は訪れる。冬には雪も降る。今は夏であるらしい、風には微かな草いきれや、陽の光の匂いが感ぜられた。

 彼女は歩いている自分に気付いた。何処へ向かっているのだか考えてみても分からない。分からないけれど構わない。当てなど元々ないのだ。ふと湧いた些細な疑問はすぐさま消えた。
 街中を抜けて、次第に街の灯のない方へと向かう。建物がまばらになる辺りから次第に赤い彼岸花が目立ち出した。微かな風に花弁を震わして、それらが柔らかに触れ合うらしい、さわさわと囁き声のような音を立てた。彼女はその間を縫うようにして、軽い足取りで歩いて行った。

 やがて川が見えた。
 怨霊が幾つも飛んで、川面に光を反射させている。
 向こう岸には大小の石が転がっているばかりで、花はおろか、草木一本の気配もない。此岸の方が割と味気ないと彼女は思った。
 橋は、かつては絢爛な装飾に彩られていたと思われたが、長い年月のうちに塗装は剥がれ、木目のあちこちは痛んで、橋板を踏むだけで頼りなさげに音をさした。彼女は、かつては朱塗りであったらしい欄干に手をやり、撫でるようにその表面に手を滑らしながら歩いた。

 橋の中ほどで橋姫が欄干に寄り掛かっていた。何処を見るでもなく、ただぼんやりと宙空に視線を泳がしていた。橋板がかたかた音を立てるのにも気づいていないらしかった。
 彼女はくすくす笑った。
 人前では変につんけんして、如何にも橋姫らしく振る舞うこの橋姫も、一人で居る時は静かなものだと思った。
 ふわり、と彼女が脇を通り抜ける時、橋姫は怪訝そうに目を細めてそこいらを見回したが、直ぐに諦めたように視線を落とし、今度は川面の方を眺め始めた。彼女はとうにそこを立ち去った。

 暗がりの中、ごつごつした岩の上を、彼女は苦もなく進んでいく。とんとんと踊りでも踏むように岩の上を飛んで、それは次第に一種の律動を産み、彼女は自分でも気づかずに高揚した。
 やがて岩や石の輪郭がぼんやりと見えだしたと思ったら、そこいらがぼんやりと明るくなるように思われた。岩の間に苔のような草が見え始め、小さな虫が石の下に慌てて潜り込んで行くのが分かった。地上が近い。

 彼女が岩陰からひょっこり顔を出すと、むわと熱い空気が顔中に吹き付けた。
 彼女は大きく息をして、空を見上げた。片側には切り立った崖が迫っていて、青草がぴんぴん生えている。風に乗って硫黄の匂いが微かにした。

 彼女はまた歩き始めた。靴底を通して感ぜられる地面の感触が、彼女は好きであった。そうやって自分の居場所を確認しなくては、何処かへ飛んで行ってしまいそうな気分になったものだ。
 彼女が居たのは山の中腹辺りであった。
 秋には見事に紅葉するであろう木々の間を縫って、彼女は軽い足取りで下って行った。スカートから伸びた足に触れる夏草がくすぐったかった。
 山から下りた彼女は帽子をかぶり直し、きょろきょろと辺りを見回して、とんとんと足踏みをした。そうしたらもう歩き始めていた。

 日差しは強かった。夏の盛りの太陽であった。
 しかし彼女は汗をかく事もなく、淡々と人方向に向けて歩いた。空は不自然な程に高く、遠くには陰影をはっきりとさせた入道雲が居座っている。
 その下で里の家々は甍を並べていた。
 黒い瓦屋根の大きなお屋敷。白亜の壁の寺子屋。いつからあるのだろう赤いポスト。黒地に白いペンキで豆腐と書かれた看板。木陰の差す板塀の上で寝そべる不細工な猫。遠目に、彼女はそういったものを見た。
 彼女は里が好きであった。喧騒の中に紛れると、自分の居場所がはっきりと感ぜられた。いつも何かが起こっている気がした。
 果物屋の店先からこっそり夏みかんを頂戴したり、豆腐屋からがんもどきをくすねたり、彼女はふと頭をよぎった行動を素直に実行した。そうして彼女はひと時の感慨に耽るが、直ぐにそれを忘れてしまう。忘れてしまうから、気は楽であったのだが、時折、忘れてしまうということを思い出す時がある。そんな時、彼女は柄にもなく心をざわめかせた。

 氷屋の店先で氷を削る鋭い音がした。
 温い風が吹いて、軒先に下げられた布看板がひらひらと揺れた。
 しばらく雨が降っていないらしい、人が行き交う度に土ぼこりが立ち上り、それを鎮めるかのように柄杓で打ち水をしているおばあさんが居る。
 彼女の目の前を、虫取り網を持った男の子が駆け抜けた。その後を、虫籠を持った女の子が付いて行く。妹なのだろう、にいちゃんと言って、時折立ち止まっては虫籠を捧げるように持ち上げて中を見る。油蝉が一匹、黙ったまま入っていた。

 ――わたしにもお姉ちゃんがいるんだよ。

 彼女は女の子の肩を叩いた。女の子は不思議そうにきょろきょろと辺りを見回したが、彼女に気付く事はなく、兄に呼ばれて駆けて行ってしまった。彼女はつまらなそうに、道端に転がっていた小石を蹴った。

 影が段々長くなって、相変わらず氷を削る音が聞こえる。
 広く枝を伸ばした木の一角で、蝉がけたたましい声で鳴いていた。彼女はぽんと飛び上がって、蝉の間近に行った。蝉も彼女に気付かないらしい、硝子玉のような目に夏空を映して鳴き続ける。
 こんな華奢な羽根を持った小さな虫が、こんな大きな声を出すのを、彼女は非常な感動を以って見た。
 もしかして、わたしにもこんなに大きな声が出せるのではないかしらん。と思う間もなく彼女は叫んでいた。声は向こうの空へと飛び抜けて、溶けて消えて行った。
 彼女は嬉しくなって、きょろきょろと周囲を見渡した。誰かに褒めてもらいたかった。大きな声を出したのに、誰も彼女の方を見なかった。彼女はがっかりしたが、ふと瞬きをした拍子に、自分がどうして落胆していたのか分からなくなってしまった。小さくざわめき出していた心はすでにしんと静まっていた。

 時折、彼女は思い出したように足元に伸びる影を見る。振り返って、肩越しに後ろに伸びる影を見下ろす事もある。

 ――わたしに付いて来てくれるのは、あなただけね。

 彼女は影にそういう風に笑いかけた。影の奥底の暗闇が、自分の存在を世界に繋ぎとめているような気がしていた。尤も、彼女がそれをはっきりと意識したわけではなかったのだけれど。
 自分の心の中のふはふはしたものたちが、もっと鮮明に感じられたら楽しいのにな、と彼女はよく思う。しかし、それではいけないのだ、と直ぐに思い直して、忘れてしまう。

 何の為に自分が心を閉じたのか。サトリとしての宿命を捨てて、無意識の宙に漂い出したのはなにゆえか。
 その理由すら彼女にはもはや漠然としていたが、彼女の深層意識は、恒久的な感情を取り戻す事をかたくなに拒否していた。波が寄せては引くように、一時の感情が彼女の心をざわめかせるが、直ぐに忘れてしまう。心がざわめく事に気付かない時もある。ただ、その気配だけが彼女の心を満たすばかりである。

 やがて日が傾き始めると、濃くなった陽の光がそこいらの影を同じ方向に伸ばした。
 彼女はしばらく立っていた。ずっと日差しを受けていたけれど、今は影の中に居る。うっすらと汗をかいたような心持になった。
 見上げると、自分の後ろの方から雲が流れて来ている。大きく向こう側に居座っていた雲は、次第に横広に流れて、しかし陽が傾いたせいか妙に陰影がはっきりとして、巨大な白い岩山のようにも見えた。
 どことなく空気がもったりとし始めて、蝉の声も不思議と大きい。
 影は長くなり、遠い山に陽が沈みかけているらしい、そこいらがやにわに薄暗く、しかし妙な明かりが木々の葉の表面や、軒先の柱に残っているようであった。

 まだ見通しが効かないというほどの暗さではないが、通りに連なった店は軒先に明かりを灯し出した。彼女はその電球の下まで行って、それを見上げた。目に眩しく、目を背けても黒いかたまりが目の中でちらちらと動いた。
 やがてすっかり日が暮れて、山の稜線に沿うように残光ばかりが残るようになると、軒先にはますます幾つも明かりが灯り、通りには人通りが増え、しかし陰影も濃くなっているから、誰が誰だかは分からない。ただ、人が大勢行き交っているという事ばかりである。
 そうしてすっかり夜の帳が降りた。
 浴衣をつっかけた若衆が、酒を飲みに行くのだろう、連れ立って喚くように歌いながら歩いて行く。
 笑い声。怒鳴り声。泣き声。グラス、ジョッキ、盃の触れ合う音。煙の匂い。煤の匂い。石鹸の匂い。お酒の匂い。風鈴の歌声。団扇のぱたぱた。下駄のからころ。草履のぺたぺた。雑踏。雑踏。雑踏。
 あらゆる音と匂いのるつぼの中、彼女は半分透明になった気分だった。心地良かった。しかし、良い知れぬ空虚さが胸に風を吹かすようでもあった。

 とんとん、と彼女はステップを踏んで通りを進んで行く。その度に、足先より体を揺らす震動が自分の中で反響しているのを感じた。自分が空洞で、叩くと音がする気がした。その音は次第に一つの律動となり、それが周囲に反響する事によって、彼女自身の輪郭を浮かび上がらせた。自分がここにいるのではない、ただ、周りがあるから、自分が見えるだけの話だ。
 歩き疲れた彼女はぽつねんと突っ立った。
 宵の口で、まだまだ人の通りは多いのに、不思議と彼女にぶつかる者はいなかった。誰も彼女に気付かなかったし、彼女も周りに気付いていなかった。目に風景は映ってはいたし、雑踏が鼓膜を震わせもした。しかし、映っていても見えてはおらず、音はすれども聞こえてはいなかった。彼女も、人々も。
 ぽかりと空いたような、不思議な寂寥が彼女の心を満たした。誰も居ない所に一人で居るよりも大きな寂寥であった。この感じは何だったかしらん、と彼女は一人首を傾げ、しかし直ぐにそれを忘れて歩き出す。

 夜はどんどん更けて行って、通りも段々暗くなって行く。
 彼女は様々な人とすれ違った。
 散らかった道端のゴミを片付けている汚いなりの男と。しかつめらしい顔で長棒を持って歩き回る里の自警団と。紙の束を抱えた、疲れた様子の寺子屋の教師と。
 そうしてぽんと飛び上がって、里を囲む壁の上で焚かれている幾つもの篝火を見守る人々の脇を通り抜けた。

 ――おやすみ、お掃除屋さん。おやすみ、お巡りさん。おやすみ、先生さん。おやすみ、火守りさん。おやすみ。おやすみ。おやすみ。わたしにも、おやすみ。

 彼女は、彼女自身も気付かぬうちに、小さな声で歌った。尤も、それは他の者にはつと吹いたそよ風にしか過ぎなかった。
 里の外にとんと降り立った時の振動が、彼女をハッとさせた。
 彼女は歌っていた自分に驚き、可笑しくなった。くすくす笑いが次第に大きくなり、彼女は愉快そうに笑いながら、軽い足取りで暗がりへと姿を消した。
 その頬に涙の跡があった事に気付いた者は、彼女を含めて一人も居ない。
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コメント



0.360簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
作者さんのオノマトペ割と好き
3.100名前が無い程度の能力削除
またこの作品が読めて嬉しいです。しかも増えてる。
4.100奇声を発する程度の能力削除
良かったです
7.10019削除
案外こいしちゃんの1日は誰にも気付いてもらえずこうして過ぎて行くのかなぁ、
と思いました。けど誰にも気付いてもらえない悲しさを感じさせない文章は素敵だと
思いました。
9.100名前が無い程度の能力削除
このSSを読んだ人の感情とこいしちゃんの感情には決定的かつ致命的な差があるのでしょうね
それがどうにも悲しく感じます
10.90とーなす削除
真に迫る情景描写に惹き込まれました。
良かったです。
12.100名前が無い程度の能力削除
無意識の描き方、幻想郷の様子、こいしちゃん
どれも素敵でした
15.80名前が無い程度の能力削除
哀れ