Coolier - 新生・東方創想話

冬眠

2015/11/30 23:20:13
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 木星に向かう宇宙船で乗り合わせた吸血鬼の姉妹はずいぶん疲れた様子だったが、ロビーに独りでいた姉に話しかけると意外に気安い表情で微笑んだ。
「連れはどうしたの」
「部屋で休んでいます。貧血気味で」
「そうか。お大事に」
「どちらのお生まれですか」
「ルーマニア」
「日本の方かと」
「だってもうずいぶんと長いもの」
 吸血鬼はくすくすと笑った。笑うたびに青い髪が揺れる。年のほどは十四くらいだろうか。少なくともそう見える。 
「大学生?」
「そうです」
「空を飛ぶには良い年頃だね」
 私は頷いた。彼女の尊大さは未だ言語の習得過程にあることから来ているわけではないことは明白だったが(口調のニュアンスを理解していないにしてはあまりに彼女の日本語は流暢すぎた)、私はそれを不思議と不快には思わなかった。私たちは窓の近くに飲み物のチューブを咥えて移った。コーヒーのようなもの。コーヒーだと思って飲めばカフェインは頭を巡るし眠気も覚めるし文句はなかった。別に眠っていることがそれほど嫌なわけではないけれど。
 笑いながら吸血鬼だと自己紹介をしたレミリア・スカーレットはそれでもコーヒーを口の端を曲げながら飲み、腐った血みたいな味だと評した。吸血鬼はもうルーマニアには少ないのですかと尋ねると、故国にずいぶん帰っていないのだから、どうなっているかなんて分からないと言う。
「どうして木星に?」と私は訊いてみた。
「遠くまで行きたいもの」
「地上はお気に召しませんか」
「そんなことはないよ……。ただずいぶん長くいたってだけ。他人のロケットも一度見てみたかったしね」
「自分で作ったことがあるんですか?」
「そうそう……」と言いながら彼女は笑う。「作るのが一番楽しいよね。飛ばすのはおまけみたいなもの」
 私は笑って窓を見た。地球はもうずいぶん離れて窓の染みくらいになっていて、他にはただ何もない空間だけが漠然と広がっている。そう思うと何だか恐ろしいような気分になってきた。横の吸血鬼は至極落ち着いた様子でいる。これは確かに彼女の口調には裏付けがあるなと私は思いなおす。彼女は黙ったままでしばらく両手の指を組んで爪をじっと見ていた。私は耐え切れなくなって口を開く。 
「お連れ様は?」
「部屋で寝ているみたい。これからずいぶん長く眠るのにね」
「?」
「冷凍睡眠」と彼女は呆れたような表情で言った。「説明をちゃんと聞いていなかったの?」
「もう一人に付き合わされただけなので」
「ずいぶん仲が良いのね」と言って彼女は微笑んだ。「訳も分からずこんなところにまでついてくるだなんて」
「そうでしょうか」
 私が曖昧な答え方をするとレミリアは片眉を上げて曖昧な表情を見せた。それからしばらく私たちは黙り込んでいた。誰も喋らないと宇宙はずいぶん静かだった。
「静かね」としばらくして彼女は言った。
「そうですね」
「ソ連の宇宙飛行士もそう考えたに違いないわ。彼はここにカセットテープを持ち込んで……カセットテープって知ってる?」
「存じません」
「そうでしょうね」と言って彼女はくすくすと笑った。「古い再生媒体よ。とにかく彼は船に乗るときに光を持っていたの」
「音じゃなくて?」と私は思わず口を挟んだ。
 彼女は黙って静かに笑いながら首を横に振った。入り口が開く音がして、そちらに目をやるとメリーが寝ぼけ眼でこちらに向かって進んできた。彼女が近くに来るまで私は黙って彼女の姿を見ていた。
「長く眠った?」と彼女が訊いた。
「いや」
 彼女がレミリアの姿を見て目で説明を求めたので、私は彼女たちを互いに紹介する。
「私たちはいわば難民ね」とレミリアは挨拶をしてから笑って言った。「どこにも居場所がない」
 メリーは頷いた。「木星には馴染めるでしょうか?」と彼女は訊いた。
「さあ。もしかしたらあなたは馴染めるかもね」とレミリアは言った。
「私には?」とメリーが訊き返した。
「そういう顔をしている」
「どんな顔です?」とメリーは面白がるような口調で訊いた。
「日本語で答えるのが難しいな」とレミリアは笑って言った。「あなたに船は要らなさそう」
 私は話す互いの顔を順々に見ていたが、次第にこの会話には自分が入り込む隙が無いということに気付き、不機嫌さが表情に出ないように努力しながら黙ってその場を離れた。彼女たちは互いが日本において異邦人であるということで盛り上がっているのだ。ここは既にどこでもないというのに。
 窓を見ると宇宙船は既に図書館に差し掛かっていた。その巨大な六角柱の形をした図書館には底と天井がなく、六つの壁面にはおびただしい量の本が収められているという話だ。誰もそれを取り出して読んだことがないので確かなことは言えない。人間が読んだら気が狂うという話もある。吸血鬼が読んだらどうなるのだろうか。
 五年ほど前、探査機が壁面に降り立って調査をしたことがあった。探査機にはアームとカメラが付いていたが、アームは遂に本棚から本を取り出すことができなかった。せめて画像だけはということで、カメラが並んだ背表紙を捉えた画像を地球に送って寄越した。文字は誰にも読むことができなかった。しかし、インダス文字も線文字aも解読した人類なのだ、たくさんの資料が揃えば文法や単語が検出できるかもしれないと誰もが考えた。探査機は五枚ほどをなんとか送ってきたけれど、すべての写真においてその文字体系は異なっていた。ある写真においてはそれは文字には見えなかった。私に言わせれば、どちらかというとそれは胃弱に呻いているシマウマのように見えた。メリーは子供が食べ残したケーキのようだと言っていた。程なくして探査機が原因不明の故障を起こした。どの先進国もどの企業もそれ以上探査機を送り込もうとはしなかった。
「この世界を取り巻く謎を解き明かすのは私たちにとってひどく楽しく興味深い作業であり、ひょっとすると、死すべき(mortal)存在である私たちがそれでもこの星に生きる最も大きい理由であるかもしれないことを否定することはできない」とある国の胃痛持ちの高官は言った。報道陣によって多量のフラッシュが炊かれていて彼の顔色は実際よりも一層悪く見えた。「しかしながら、労多くして得るところがあるとは言い切れないこの仕事に限りある予算をつぎ込むことの正しさを裏付ける材料を、今の我々は示すこともできない」
 そういうわけでその巨大なトンネルの形をした図書館は単なる未開拓の神秘として体よく放置されることになった。

 肩を叩かれて我に返った。顔を上げるとメリーの顔があった。
「何を考えていたの?」と彼女が訊いた。
「さあね」
「拗ねないの」
「冷凍睡眠のこと、知ってたの?」と私は誤魔化した。
「?」
 私は溜め息をついた。

 半年に一度ほど私たちは目覚めた。目覚めることは眠ることと同じくらい意味がなかった。大事なのはまなざしだ。
 まなざしを持っている旧い吸血鬼も大概私たちと同じ時に目覚めた。
「眠ってもせいぜいが月に近づくくらいだものね」と彼女は言った。「大した飛距離じゃない」
 彼女はワインを持っていて、それを私たちにも薦めた。私は文献で読んだことがあるだけのそうした歴史上のフィジカルなドラッグに興味があったのでありがたくご相伴に預かった。
「頭がぐらぐらしてきた」
「そういうものよ」
「なるほど」
「どうして木星に行くの」
「進化するの」
 レミリアはしばらく黙って考えてからげらげらと笑った。
「向上心があって良いね」と彼女は言った。
 メリーは黙って紫色の液体を舐めていた。多分進化しているのだ。

 地球と月の間には獏がいるそうだ。月の横は通り過ぎたので、私たちにはもう関係のない話だ。月と木星の間には長い長い図書館が横たわっている。それを通り抜けるには私たちはまだいくつもの冬を越さなければならない。
夢を見るには冬は長すぎる
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コメント



0.330簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
ワーオ!
>メリーは黙って紫色の液体を舐めていた。多分進化しているのだ。
ここすき
2.100名前が無い程度の能力削除
秘封倶楽部、レミリア、木星行き宇宙船、宇宙空間に浮かぶ図書館
非常に異質な組み合わせなのに不思議と受け入れることができました
こういう空気は好きです
3.100奇声を発する程度の能力削除
この雰囲気の秘封は良いですね
4.100名前が無い程度の能力削除
トマソンめいた図書館、形而上的な会話、終わりと始まりが描かれない宇宙の旅……
なんでしょう、道半ばの浮遊感と言いますか、心地よいお話でした。
6.100名前が無い程度の能力削除
続きがあるなら読んでみたいものだ。
8.100名前が無い程度の能力削除
銀河鉄道の雰囲気
9.100名前が無い程度の能力削除
ハイセンス!
11.90大根屋削除
作品中に感じる浮遊感が心地良いものでした
15.100怠惰流波削除
感じたことを心の中ですら整理して言語化できないのを悔しいと思います。ただ、面白かったんです。
17.100サク_ウマ削除
銀河鉄道の夜を思い出します。不思議な雰囲気でとても良かったです。