Coolier - 新生・東方創想話

妖怪くずれ (前)

2015/11/11 22:45:10
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命蓮寺の常盆は寺の近くの檀家を借りきって明六つから陽が落ちるまで開帳されていた。
この近辺において博打は法度ではないし人間妖怪問わず誰でも出入り出来る気安さから有象無象は今日もまた小銭を握りしめて吹き溜まっている。
種は色々。
本引き、丁半、カブに賽子。
舶来だねのポーカーなんてのも取り揃えている。
勝手気ままに場が立っては手仕舞われる。
寺銭は場の揚がりの五分とこれも気安い。

赤蛮奇は昨日の日銭仕事で得た種銭を陽が上がり切らないうちに早くも溶かしていた。
朝っぱらからそこら辺の暇人と賽子を振った訳だが何時もの通り運気はつかずに負け、負け、負け、勝ち、負け、負けという具合を繰り返してそろそろ次あたりは勝ちが拾えそうな塩梅ではあるものの肝心の種銭は今さっき尽きてしまって全くの空手であった。
「おーい、ズク頼むよ!」
盆の奥にまるでそこに数百年前から腰掛けているかのような塩梅の狸に向かって声を掛けた。
狸はこちらを一瞥するでもなく煙管を口から外してベっと痰を吐いた。
分かっている。
赤蛮奇のような流れの、何の背景も持たない、つまり取り立てが面倒な客に回銭をするような奇特な金貸しは存在しないのだ。

ところで、どういう訳か妖怪という奴は博打に弱い。
それは要するに勝負事に関して最終的に身体の髄までのめり込む事が出来ないからだ。
別に金を得てどうこうしたい訳でもない。
金があったからといって何が出来るだろう。
精々良い物を食べて飲む事が出来るくらいだ。
家が欲しい訳でもなし。
何がしたい訳でもない。
別に男も欲しくない。
だから金を得て失っても一向に強い気持ちになれなかった。
生来の気の弱さというのもあるのだろうがどうしたって金に対する執着というものが生まれないから勝負事で勝てる筈もなかった。
けれども何事か此処にいる限り誰かしら居て(多くは見知らぬ顔の者が)場が立って時間を忘れて遊ぶ事が出来る。
勝負中は原則的に喋る必要もないからそこも赤蛮奇は気に入っていた。
つまり赤蛮奇にとって盆とは単純な遊戯場であり退屈凌ぎの場に他らないが、その点人間は違ってまず金がないとそもそも生きる事が出来ないから彼らは真剣だった。
彼らはここが自らの職場だと心得てカモである妖怪達を可能な限り場に引き留めて金を吐き出させていた。
時におだて、時に煽り、時には負けてみせて場を盛り上げる。
妖怪もいい気分になって人間達と遊びに興じる。
けれど最終的に陽が落ちたら妖怪は空手で帰り、人間は今日の揚がりを各々の家に持ち帰り、場を仕切る命蓮寺は寺銭で潤うという寸法であった。

わかさぎ姫という恰好のカモがいた。どう見たってカモというよりは魚だったが。
この不幸な人魚姫は古くから里の外れの霧の湖に住んでいる。
この古くから、という点が重視されてつまり湖の主だと見込まれて(全くそのような力はないのだが)人里の者が湖で釣りをする許しを乞う為に里から毎月決まった結構な額が付け届けられていた。
何もわかさぎ姫がそのような要求をした訳でもないのにこれは礼儀だからと全く使い道のない金が彼女の懐に貯まっていった。
ある時、命蓮寺という妖怪寺が人里の近くに出来てたちまち賭場が立った。
勿論わかさぎ姫は勝負事など微塵も興味を持てなかったが湖の付近に住む妖怪連中に手を変え品を変えて誘われ、まあ一度くらいならと重い腰を上げる事になったのである。
何せ懐中には賭場で必須の金が唸っている。
わかさぎ姫からすればあるだけ邪魔だからこういう所で使ってしまう事に一切の抵抗を覚えなかった。
それはまさに魅惑の世界だった。
ピンっと張った賭場の空気。
わかさぎ姫が初めて盆に足を踏み入れた際の種は手本引きであった。
胴頭が手札を繰って命蓮寺の紋で染められた紙下に札を入れると左右に控えている合力、村紗水蜜と雲居一輪が「さあ、札入りました!張った張った!」と大声を張る。
場の左右に居る張り子達はあれやこれやと言いながら貼札と札の前に賭金を揃えると「できた!」「こっちもできた!」と声がかかり「勝負!」と、なる。
胴の札が紙下の上に提示されると合力達が電光石火の早業で各張り子の勝ち負けと張り子が勝った場合は配当を付けて負けた場合は札前の金を回収する。
この間わずかに数分。
そうしてまた次の勝負が始まるのだ。

わかさぎ姫が賭場に入り浸り今までの貯め込みを全て吐き出すまで大して時間はかからなかった。
そして狸共に回銭を要求し始めてドツボにハマるのにも大して時間を要しなかった。
狸達は赤蛮奇とは違ってわかさぎ姫が要求する回銭を断わらなかった。
今ではわかさぎ姫が場に入ると盆の奥から回銭が投げられるのが当然とまでになっていた。
賭場の利息は一割。
つまり明六つから陽が落ちてからまた陽が昇ると一割の利息がつく事になる。
もう随分前からわかさぎ姫は湖の主である権利を、つまり里から届けられる金の受け取りの権利を狸に売り払っていた。
それを狸達は日で割ってそこから更に一割を引いた金額を回銭としてわかさぎ姫が盆に訪れる度に投げ入れていた。
狸というのは気長く商売する事に長けているらしい。

要するに諸々の仕組みはこういう事だ。
幻想郷において最も重要なのは各勢力間のバランスを取ることであった。
意図した拮抗状態を生み出す事によって突出を防ぎ緊張感のある平和を維持する。
その為に人里としては各勢力に均等に人里として出来る事、つまり金を用いて各種の便宜を図る事であった。
最近、金という価値を生み出して人妖ともに共有する事である程度人間と妖怪との共通事項を作ろうとしていた。
例えば賃金を払われる事に妖怪側が納得したのならば彼や彼女達は人間と仕事をする事も出来る。
何故ならば賃金が出るという理由で大抵の不都合を我慢する事が出来るからだ。
それには賃金というものに例えようもない魅力がなければならないだろう。

そもそも何かを食べなければ生きていけない人間と違ってそこは少しだけ形而上学的な存在である妖怪には食物等不要であった。
それを言うのならば人間こそが彼や彼女達にとっての主食であったから金を介しての遣り取りなど非効率的で面倒でしかなかった。
幻想郷に存在する食物の総量は毎年殆ど一定である。
言い換えるならばその食物によって養える人間の総量が決まっているという事でもあった。
幻想郷はある目的から外の世界の様々な勢力を境界というフィルターを通じて選択的に移住させている。
移住者が居るのならばそれらが生存する為の各種物資が必要となるのは当然であった。
これは単純な計算だが中位の妖怪が一体幻想入りするならばそれに伴って人間が三人ほど必要とされた。
妖怪が食べるのは何も人間の肉体ばかりではない。
彼らの精神も重要な食い物だったので食傷を避ける為にも人間の頭数は大いに越したことはないだろう。
しかしながら人間が増えすぎる事もまた困りものであった。
妖怪の為に人間を維持しようとするならば水と食物を用意しなければならず幻想郷の耕地面積には限りがあったので必然的に乏しい田畑の収穫量から逆算した数しか揃えることが出来ない。
そこで外の世界から食物を輸入する事になるのだがあまりにも大々的に事を行えない事情からそれは細々としたものだった。
そして輸入品が乏しいという事はそこに価値が生まれる事になる。
希少価値というやつだ。
つまり肉や鮮魚といった贅沢品から菓子や酒という嗜好品がその対象となる。
あるいは必須の原料、塩、米、油、砂糖、卵、小麦等など。
生きていく為に必須の糧秣は里に居る人間ならば各家庭に誰にしも平等に分配されたが贅沢品や嗜好品はそういう訳にはいかなかった。
数に限りがある以上誰にしも分配する訳にはいかないのである。
そこでそれらを手に入れる為には金という呼び名の紙切れが必要だという事にした。
その紙切れは幾種類かあって各々に価値が定められていた。
より具体的に言うのならば一銭、十銭、百銭と分かれていて幻想郷に存在する全ての紙切れを集めると幻想郷にある全ての贅沢品や嗜好品と引き換えられる仕組みとなっていた。
当初はこの仕組みの絡みで大勢の人間が死んだ。
それも当然の話しで誰がその紙切れを発行して管理するのかという謂わば生命線を握るのかで大揉めに揉めた。
更に言うのならば各輸入品目をどの家が引き受け商売をする権利を得るのか。
紆余曲折があったものの仕組みが定められた当時最も狡猾で他を出し抜くのに長けた人間達がそれらを握った。
つまり人間としては有力で自らの頭で物事を考えられる者のみが生き残った訳だ。
妖怪賢者としてはそれは誰でも良かったのである。
要するに馬鹿でなければよかったのだ。
人間達は寄り合いを作り上げた。
寄り合いは贅沢品の価値と労働の単価を定めた。
例えば麦酒は五銭で購入出来るがこれはだいたい三日分の日銭仕事をすると得られる金額である。
決済の必要から更に細かい金が発行される事になった。
五厘と一厘という幾分小振りの紙切れがそれであった。
厘は銭の一分の価値があった。
寄り合いは人間を労働させる事に成功して様々な事を成し遂げた。
田畑に川を引いて堤防を築き治水した。
里の有力者の為に豪奢な建物が築かれた。
各種飲食店や職人の為の住まいが築かれ銭勘定を学ぶための寺小屋が築かれた。
全ては贅沢品を基礎とした労働の集約に成功した結果であり目論見は成功して田畑から収穫は増えてそれに伴い人間の数も増えた。
有力者達は紙幣を発行する際に特別な印を妖怪賢者に結んで貰っていた。
ある手続きを踏むとその印が浮かび上がる仕掛けだが要するに偽の紙幣が出回る事を抑制する為である。
この印を人間だけの力ではどうしても結べなかったので紙幣発行権は依然として妖怪賢者の手に有り(ついでに言うならば価値の源である輸入品割り当ての権利も)彼女はそれによって簡潔に人里を完全に支配する事に成功していた。
そういう訳で金なる紙切れが人里を支配して久しいがそれらは妖怪を縛る事は出来なかった。

長らく多くの妖怪にとって金は不要な物でしかなかった。
しかしながら命蓮寺とそこに取り入る狸が事情を一変させた。
狸の正業である金貸しに必要なのはまず借り手が居る事である。
需要がなければ商売は成立しない以上どうあっても需要を創出する必要があった。
人里の人間の数が限られているならば商売の規模も当然決まってしまう。
これを嫌った狸たちは一計を案じた。
狸の元締めである二ツ岩マミゾウは何とか妖怪共を経済に取り込んでしまおうと躍起になった。
最もマミゾウからすればこれは商売モドキに過ぎないとしても繁盛するという事はそれによって威勢が増して妖力の増強にも繋がるから割合真剣な話でもあった。
命蓮寺は寺である以上手入れがどうしても必要となる。
着ている物が粗末であったり寺の障子が破れていては信心をどうして獲得出来るだろうか。
ある程度のみてくれを確保する事は重大な事だからそれには人間の手がなかんずく職人の手が必要でつまり金が必要だった。
何故ならばこの世界の人間も経済活動の渦中にあって金こそが何をおいても大事とされていたからどうあっても金を稼がねばならない。
そこで昔ながらの金策を講じる事となって早い話がそれが賭場の開帳である。
寺を博打は切っても切り離せない。
そもそも場代を寺銭と名付けられている事からも根が深い関係が伺える。

賭場に必要な物は胴元と金貸しであった。
これが両輪となり盆は運営されるのである。
幸い命蓮寺にはそのどちらも過不足無く存在したので幻想郷に越して早々に盆が立つ事になった。
と、まあ長くなったがそういう事情があったのである。
持ちつ持たれつ。
なあなあのなし崩し的関係。

妖怪達にとって賭場に馴染みの者とそうでない者がいたが皆が皆たちどころにこの余りにも面白い遊戯に没頭する事になった。
結局のところ誰もが勝負事を望んでいて勝った負けたを繰り返したがった。
厳格なルールが定めらた場において人間も妖怪もないのである。
そういった力一杯の鉄火場はそこに居るだけでも面白い。
そしてルールを守らない輩には強烈な制裁を行えるだけの力が命蓮寺にはあった。
胴元がキチンとしているから皆が安心して遊べるという訳だ。

さて賭場には張り駒である金が必要でその金は金貸しである狸が用意する。
最初は気前よく。
後の事は察して余りある。
妖怪の中でも稼ぐ者とそうでない者が現れた。
稼いだ者はこの金という面倒な代物は実は存外に便利なもので相当に稼ぐ事に成功すると交渉次第で一応の禁忌である里の人間を頭から囓る事も許された。
そういう事を知った妖怪達はいよいよ賭場にのめり込むようになった。
その多くは単体では大した恐れも力もない無名で非力な妖怪達であった。
各勢力の長達はそういう妖怪達の事を軽蔑していたので名だたる妖怪達とその勢力は賭場と命蓮寺を黙殺していた。

人里に課せられた使命とは経済を作り上げて各勢力間に金を配って幻想郷の安定に寄与する事にある。
その一環としてわかさぎ姫にも毎月人里から頼みもしない金が届けられる次第なのだが前述のとおりこの権利は狸達に二束三文でというか借金のカタとして取り上げられていた。
賭場は幻想郷に出回った余剰資金を回収する事を目的として開帳を妖怪賢者から許された。
寺銭の二割が揚がりとして毎月妖怪賢者の元に届けられる。
そして狸たちはこの世の中の仕組みを全て知ったうえで余剰資金を貯め込み始めていたのである。

ある時、二羽の目つきの悪い鴉天狗が命蓮寺の常盆に現れた。
彼女たちは天狗にしては長い髪を振りながら、本日も手本引きが開帳されていたので生憎場は一杯であったが彼女達の目の前に座る妖怪どもを足蹴にして彼奴らを睨み倒すと盆奥の金貸しに向かって「ズク」と回銭を要求した。
蹴倒された妖怪達は歯向かう事もせず恐れ入ってそそくさと場を明け渡して盆から出て行った。有象無象の輩程度では鴉天狗の影さえ踏めぬのは当然の理である。
盆奥から束ねられた百銭札が天狗の足元に投げ込まれる。
彼女たちはどかっと座ると目の前の貼札を手に収めてあれやこれやと罰当な言葉を吐き散らして「さっさとしねえか」と胴頭に向かって凄んだのである。
胴頭は両脇に控える合力達に目配せをしたが彼女たちは無表情であった。
ここは命蓮寺の常盆。
人妖構いなしが原則であったから品の悪い鴉天狗であっても受け入れぬ道理はなかったのである。
「入ります」
胴頭が手札を繰って紙下に入れる。
合力達は声を張り上げ駒を揃えさせる。
勝負となる。
天狗達の張り札はグニの三、四。
胴頭の札は六。
しかしまずは様子見というところだろうか。
張り駒は十銭ずつだから見た目や言動にしては随分と所帯じみている。
周りからも何だ、鴉天狗がどうともいうが大した事はねえなあという雰囲気になった。
けれども二人は気にする事もなくそれからも小さく張って相変わらず安張り箱張りで取って取られてを繰り返してその日はそれで終えた。
天狗達は途中の飲み食いと本日の利息分を乗せた銭を狸に投げて返すとまた来るわと言って去っていった。
態度こそ悪いが何とも行儀の良い客じゃないか。
やはりあまり問題を起こすと山の方から仕置されるに違いない。
よく見るとふたりとも別嬪だったねえ。鴉天狗らしく足がすらっとしているのが堪らねえ等など。

翌日と翌々日は来なかったがその次の日はやってきた。
二人組は変わらず。
よく見ると彼女たちの目は若干充血していた。
きっと下番終わりで盆に来ているのであろう。
そのままでは寝られないから一勝負していくという寸法に違いない。
盆には酒も店屋物もあったから金さえあればどちらも楽しむ事が出来る。
その日も大人しく張り終えて二人は去っていった。
それからも三日おきに彼女たちはやってきては小さく張って帰っていく。
彼女たちを警戒する者は最早いなくなっていたのである。


それからまた三日後。
赤蛮奇は昼過ぎに何時ものように盆を訪れると様子が随分とおかしかった。
何事と思い場に赴くと心の蔵が凍りつきそうになった。
例の噂の鴉天狗達の目の前には見たこともないような札束の山が出来ていて顔面蒼白の胴頭と合力達が険しい顔で勝負の続きを催促する二人に何とか本日はお引取り願おうと必死に説得をしている最中に出会してしまったのである。

(続)
手本引きについてはググって頂けると詳しい解説が載っていますが後篇でも折々に解説していこうと思っております。
よろしくお願いします。
春日傘
[email protected]
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コメント



0.230簡易評価
1.10名前が無い程度の能力削除
うーん。イマイチ、若干不快
14点だから10点に入れます
2.90名前が無い程度の能力削除
妖怪とカネの価値、そしてそれを回す賭場、駆け足気味の背景ではありますが雰囲気はとても好きです。
ここからの切った張ったに期待。
3.100名前が無い程度の能力削除
おもしろい
5.100名前が無い程度の能力削除
面白い
いや、面白い
賭場に来てる妖怪達が本当にいそうな臨場感もそうだし、賭け事独特の緊張感が滲み出ている
胴元のきちんとした説明、紙幣が保証している「モノ」の背景、しかもちゃんと(?)賭け事で身を持ち崩しているキャラがいる事による不安感、後が気になりすぎる引き、面白くない訳が無い

でもカネが保証してる物は八雲さんが輸入してくる贅沢品との事なので、「金」と表記するのは貨幣、紙幣の代名詞ってのは分かりますけど正しくないかもですね、金(きん)を保証してるわけじゃないし
まーそんな細かい事言うのは自分だけなんでしょうけど
紙幣も八雲さんがいないと発行できないなら銀行券じゃなくて、八雲券とか言われてんのかなあとか妄想が捗ります
しかし何故前後編なのか、これがわからない
ただ、鬼引きなんで続きは絶対に開いてしまうであろうと言うのが悔しい
7.90奇声を発する程度の能力削除
中々面白いですね
8.90名前が無い程度の能力削除
後編も期待しています。
9.無評価名前が無い程度の能力削除
単純に気になっただけなんだけど、このくらいの長さなのに前後分けたのはなんでなの?