Coolier - 新生・東方創想話

菩薩の微笑

2015/10/23 01:37:48
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菩薩の微笑



-1-



 陽はすっかり落ちたにもかかわらず蝉はけたたましく声を上げ、あらゆる生物に己の存在を主張していた。夏特有の蒸し暑さが人間の汗を呼び込み、夏祭りで人口密度の高い命蓮寺をますます暑くする。それでも帰る人はまだ少数であった。命蓮寺の内部は河童製の明かりのおかげで昼のように明るく、里への道もかがり火で安全を確保されていた。里の人において夏祭りは数少ない娯楽の一つで若い男女の出会いの定番となっていた。
 命蓮寺の夏祭りでは聖の方針で人妖それぞれが店を出していた。妖怪とは言っても参加するのはほとんどが河童である。河童製のおもちゃや冷やしキュウリは物珍しさもあり人気の商品であった。人気ではあるのだが運営側である命蓮寺とは毎年のようにトラブルを起こしており河童の店は運営本部のある本堂近くに置くのが恒例になっている。
 普段静かで厳かな雰囲気のあるこの本堂も、この時ばかりは賑やかになる。特に目立つのは、迷子になった子供の泣き声だ。
「君、名前はなんていうの?」幽谷響子が泣きじゃくる女の子に尋ねる。
「チヨ」嗚咽に交じりながらかろうじて返答した。
 名前を聞くと響子は持ち前の能力で群衆に向かって声を上げる。
「チヨちゃんのお母さんいませんかー?」
 群衆によって響子の声がかき消されたせいか、何度声を上げても女の子の母親はあらわれなかった。
 しょんぼりした顔で寅丸に近寄った。「寅丸さん。見つからないです」
「では、このあたりを一周してきます。留守番お願いします」
 そういうと、寅丸はチヨを持ち上げて肩車した。彼女は長身であるためチヨの頭が群衆から突き出るようになった。
「いってきます」
 群衆の中で歩き出した寅丸はチヨの母親を探そうと声をあげる。それにつられてチヨも叫び始めた。本堂から離れていく寅丸の動きは大多数の人間の動きに逆らっていたため、まるで自分が川の中の石であるかのように感じられた。今はチヨの家族を見つけるために動いているのであって川の流れに飲まれるような不安定な石になってはいけないと己を鼓舞した。肩にくる重さがその気持ちを後押しした。
 ほどなく母親が見つかった。何度も頭を下げて礼を言ってきた。
「ほら、チヨもありがとうって」
「ありがとーございます。神様」そう言うとチヨは子供特有の無邪気な笑顔を寅丸に向けた。
「どういたしまして。お母さんの手、離しちゃだめですよ」寅丸も笑顔を返した。
 無事に終えた寅丸は人の流れに乗って本堂に向かった。行きとは打って変わって横目であちこちの屋台を覗いていた。寺では口にしないような食べ物が魅力的で、図らずも口の中の唾の量が多くなっていた。
途中で人通りの少ない横道を見つけた。ここから先は池に通じているだけで出店もない。歩き疲れた人がいるだけだろうと寅丸は池の方へ目をやった。

 池が真っ赤に染まっていた。
 
 慌てて寅丸は走り出し、何人かにぶつかった。謝罪の言葉をかける余裕もない。
 呼吸を乱したまま寅丸は、足元まで近づいて池を覗き込んだ。
 蓮の葉が浮かぶ池にはゴミがいくつか浮かんでいるだけだった。念のため屈み込んで、池の水に手を浸した。夜空を映した水面と自分の手が見えるだけで、赤い色は少しも見えなかった。


-2-



 翌日の命蓮寺は片付けの騒音で満たされていた。太陽の熱波に大勢の人間が汗をかきながら作業をしている。
 寅丸は聖を探して声をかける。
「聖、申し訳ありませんがそろそろ出かけます」
「ああ、そうでしたね。今日、明日と用事があるのですよね」
「こんな時にすいません」
 彼女に会える日は限られている。
「大丈夫です。みんな頑張っていますから」
「いってきます」
 命蓮寺を出る途中、他の者たちを見つけた。幽谷響子はゴミ拾いをしており、雲居一輪と雲山は出店の片づけをしており、村紗水蜜は河童とお金のことで揉めていた。このままだと殴り合いになりそうだったので寅丸が軽く諫めておいた。
 命蓮寺を後にし里を通過する途中、聖以外の者に挨拶をし忘れていたのに気が付いた。頭上から望む太陽が自分自身を非難しているような気がして、汗がどっと噴き出た。意図して言わなかったわけではないのだが今回の外出に後ろめたさを感じているのもまた事実だった。
 いつからこんなに臆病になったのだろうかと度々疑問に思う。聖に出会う前は強さに物を言わせた怖いもの知らずだった。他人の視線など気にならず唯我独尊で振る舞っていた。聖に出会い、思いを共有する仲間に出会って優しくなったねと言われるようになったせいだろうか。だからと言って、今の生活の方がずっと幸せで、これを捨てようとは露ほどにも思わなかった。
 里を通り、人家がまばらになると気温が下がっていくのがわかる。次第に、風に吹かれる竹のざわめきが聞こえるようになると目的地である迷いの竹林が見えてきた。うっそうとした竹林の内部はほとんどの光をさえぎっているようで暗く、奥の様子を見ることはできなかった。一人で入ったらたちまち迷子になるだろうと考えるとゾッとした。
 ここで待とうと腰を下ろした。寺から持ってきた水筒から水を少量ずつ口に含んで目的の人物が来るのをひたすら待っていた。
 里の方角をじっと見ていた寅丸は背後から今までとは違う物音を聞いた。振り返ってみると清潔そうな服を着た女性がじっとこちらを見ていた。薄暗い竹林の内部にいるため顔の細かいところまではわからなかったが。
 先に発言したのは寅丸だった。「何か?」
「あなたひょっとして命蓮寺の人?」
「はい。寅丸星と申します」
 ふーん、と呟きながら品定めするように寅丸の姿を観察していた。
「友人から聞いてたけど、神様のふりをした虎の妖怪ってあなたなのね」
「ふりとは違います。毘沙門天様から許可を貰って代理をやってます」
「結局は妖怪よ。神様の威を借りてるだけでしょ」
 手厳しいことを言われて苛立っていたがぐっとこらえていた。
「あなた、お名前は?」
「今泉影狼よ」
「では、今泉さん。もう少しこちらに来てお話しませんか?」
「いやよ。竹林からは出たくないの。どうしてもって言うならあなたが来て」
「人を待っているので、できません」
「じゃ、このままね。会話はできるからいいじゃない」
 一瞬沈黙があったが、寅丸は気になることがあった。
「どうして竹林から出ないのですか?」
「竹林の外に出たら嫌なことがたくさんあったから。ここなら人間も来ないし、姿もみられないし、安全なの」
「それは……失礼しました」
 そういう話は聖や色んな妖怪から聞いてきた。聖はそういった者のために活動しており、自分もできる限り協力したいと思っている。
「困ったことがあったら命蓮寺に来てください。できる限り力になります」
 これは心からの言葉だった。
「命蓮寺に?行かないと思うわ。私はそんなヘマしないから」
「ヘマですか?」
「そうよ。分不相応なことをして失敗したから居場所がなくなったり、死んだりするのよ。同族はそんな奴ばっかりだった。だから、私は絶対に外に出ない。関わる友人も最小限にして植物みたいに静かに生きていくの。だから寺に行くこともないわ」
 そういうと踵を返してあっという間に竹林の薄暗い世界の中に消えてしまった。足音もほとんど聞こえなかった。
 いまの言葉が寅丸の頭の中で釘を撃ち込まれたように突き刺さっていた。自分が聖の世話になったのは失敗が原因なのだろうか。聖に出会わなかったらもっと早い時期に死んでいたかもしれなかったのも事実だった。人間を挑発して、泣かせて、怒らせて。そんなことばかりして争っていた。それが妖怪だと思っていた。けれど、聖が手を差し伸べてくれて言葉では言い尽くせないものを与えてくれた。その温かさは何物にも代えがたいと思う。それが失敗の結果得られたものなのだと思いたくはなかった。
 あなた達のやっていることは傷の舐め合いだ。そう彼女から暗に言われている気がした。


-3-



 陽が西に傾き始めたころに目的の人物が里からやってきた。帽子を目深にかぶっているので顔がわかりにくいが、すらりとしたシルエットに白い衣装、大きなかごを担いでいる薬売りを寅丸は見間違えなかった。
 寅丸が丁寧な動作で立ち上がって挨拶をする。「お久しぶりです」
 薬売りは軽く会釈をした。「こんにちは、寅丸さん。……ひょっとしてこの前の薬ですか?」
「はい。無くなったのでまた頂きたいと思いまして。永遠亭までいいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。ついてきてください」
 薬売りが先に進み、寅丸が後からついてきた。両者の距離は3歩ほど離れており、薬売りが緊張気味なのが後姿からでもわかった。寅丸にとってはこの距離は全く意味のないことを彼女は気づいているのだろうか。
 竹林に入ると里があっという間に見えなくなった。周辺も薄暗くなり、聴覚がいつも以上に際立って働くようになる。周囲からは笹のこすれる音が絶え間なく押し寄せてくる。その笹のざわめきは寅丸にとっては誰かのささやき声のようにも聞こえた。
 薬売りが帽子を外すと兎を思わせる耳が見えた。
「お寺の前を通りました。お祭りをやっていたそうですね」鈴仙・優曇華院・イナバが硬い声で話しかけてきた。
「ええ。昨日です」
「賑やかだったんでしょうね。行ってみたいです」
「来年もまたやりますよ。その時来てください。なんなら手紙を送ります」
 来年までこの関係は続いているのだろうかと、寅丸は疑問に思った。仮に終わっていたとしても、手紙を送るぐらいまったく問題ないだろう。むしろ、終わっていたほうがずっといい。
「どんなことをやってるんですか?」
「本堂までの道に店を出すんです。主に食べ物とかおもちゃを。で、本堂では定期的に説法を開きます。目的はそっちなんですけどほとんどの人は出店しか見ないですね」
「まあ、若い人間とかはもっぱらそうですよ。寅丸さんは説法をしたんですか?」
「いえ。私は案内係とか迷子の受付を」
「あー、向いてそうですね。迷子は来ました?」
「ええ。一人」
 寅丸の表情が曇った。視線を落とし、鈴仙の足を見るようになった。
「ちょっと、迷子の親を探したときにマズイことが起こってしまって……」
 鈴仙の歩みが止まった。寅丸もそれにつられて立ち止まる。顔を上げて鈴仙の顔を見るとなぜか軽いめまいがした。
「マズイこととは?」鈴仙の声が遠くから聞こえたような気がした。
「池の水が真っ赤に見えたんです。けど、近寄ったら何もない普通の池でした」
 一瞬明後日の方角をみた鈴仙だったがすぐに歩みを再開した。さっきよりも速足だった。
 歩きながら質問をする。
「真っ赤な水ってなんだと思います?」
「一瞬だけなのでよく見えなかったのですが、やはり血でしょうかね」
「どうして、血に見えたのでしょう?」
「……よくわからないです。親を見つけて帰るところでした」
 う~んと、鈴仙が唸り声を上げる。
「すいません。私にもよくわかりません」

 たっぷりと歩いた二人はようやく永遠亭に到着した。ここでも笹はざわついていた。
 案内された部屋で待っていると、鈴仙が八意永琳を呼んでくれた。
「突然来てすいません」開口一番に寅丸は謝った。
「いつきても大丈夫よ。この前渡した薬は効いたかしら?」
「はい。だいぶ楽になりました。それで、無くなってしまったのでまた作っていただきたいのですが……」
 八意永琳は顔を外に向けて空をじっと見た。
「わかったわ。けど、作るのにも時間がかかるし、そろそろ陽がくれるから今晩は泊まってもらっていいかしら?渡すのは明日になるわ」
「ありがとうございます。お世話になります」
 寅丸は頭を下げた。


-4-



 永遠亭の夕食の席に招待された。ただ、八意永琳は薬の調整のため不在だった。
寅丸はばつの悪そうな表情を見せた。「すいません。みなさんに迷惑かけてしまって」
「いいのよ。こういうことは珍しくないから」蓬莱山輝夜は上機嫌だった。
 輝夜は仏教に興味があったようで食事をしながらしきりに質問をしてきた。
「お肉とかって食べてるの?」
「基本的には食べません。けど、祝いの席とか、もてなしで出されたものは頂いてますね」
「あら、そうだったの。ちょっと意外」
「それぞれの考え方によりますけどね。うちの寺ではそうなってます。要は食材に対してどう向き合うかってのが重要なんで」
「なるほどねえ。今日の夕食は野菜ばっかりにしてもらったけど、野菜にも感謝しろってことね」
「そうですね」
 楽しそうな様子で輝夜は筍を口に運ぶ。こういう風に仏教の話を楽しんで聞く人は少ないので寅丸も楽しかった。
「よかったら寺にも来てください。体験とかもできますから」
 憂いを含んだ表情で輝夜は首を傾けた。
「けどねえ。私は輪廻を外れてるから、修行しても悟りは開けないと思うわ。」
「そこまで本格的にやらなくていいじゃないですか。師匠も寂しがりますよ」鈴仙が横やりを入れる。
 そうねえ、と輝夜は呟く。
「けど、ひょっとしたら逆かもしれないわね。悟りを開いたら薬の効果が切れて輪廻に戻るのかもしれないわ」
 どうなんだろうと寅丸は思う。仏教は蓬莱の薬なんて想定していなかっただろう。
 ひょっとしたら、この人は弥勒菩薩に出会えるかもしれない。出会ったらどんな話を聞けるのだろう。羨ましいと思った。しかし、それと同時に出会うまでの長い期間どうやって生きるのだろうと疑問に感じた。妖怪である自分にとってもその期間は途方もなく長い。出会う前に時間の重みに押しつぶされるのではないかと思うと同情のような感情がわいてきた。
 寅丸の胸中を知らない輝夜はクスクスと笑っている。言葉遊びを楽しんでいる少女の様だ。
「ねえ、どっちだと思う?」


-5-



 セピア色の世界が広がっている。
 人間だけが住むとある村で女性が声を上げて泣いていた。
 女性の傍らには人間だったものが整然と並べられていた。 
 骨、内臓、筋肉、皮膚、解体されたそれぞれが山となって積み上げられていた。人体に詳しいものがいたら元の人の形に組み上げることができたかもしれない。個人を特定する物は一緒に置かれていた衣服しかなかった。女性はその衣服を抱きかかえて泣いていた。
 その村の近くの山で、草むらに隠れた虎がじっと叫びに耳を傾けていた。涎を垂らしながらひたすら身を潜めており、形のないごちそうに舌鼓を打っていた。安易に食べなくてよかったと心から満足していた。
「あなたが、この辺りに住んでいる人食い虎ですか?」
 唐突に人間の声が聞こえた。
 脅すつもりで唸り声をあげるが微動だにしない。そもそも、ごちそうに夢中になっていたとはいえ、気づかれずにここまで近寄れるということは普通の人間ではなさそうだ。
「聖白蓮と申します。僧をやっています」
 僧侶ということは殺しに来たか。そう思いさらに強く声をあげた。
「そんなに警戒しなくて結構です。あなたを攻撃するつもりはありません」
 一呼吸おいてさらに話を続ける。
「このままでは、あなたは人間に殺されてしまいます。誤魔化してあなたを退治したことにしますから、一緒に行きましょう。あなたを助けたいんです」
 返答は一瞬だった。茂みから飛びかかった虎はあっという間に僧侶の喉に噛みつき、その身体を地面に押さえつけた。支配するのは自分だと言わんばかりに。
 噛みついた喉元からは湧き出る泉のように一定のリズムで血があふれてくる。次第に血が溜まり池のようになった。興奮した虎は喉元から牙を離し、頭部に噛みついた。そのままどこかへ引きずろうとすると、咥えた僧侶の頭から声が聞こえてきた。
「……星」
 ショウ?ショウって誰だ?
「所詮、あなたは獣だったのですね。妖怪ですらない。私の見込み違いでした……」
 星が自分だと気づいた瞬間、セピア色だった世界が一瞬で色づいた。聖の喉からこぼれた血の赤が見えた瞬間、星は自分が何をしたのか理解した。


-6-



 目を覚ました星が最初に見たのは永遠亭の天井だった。寝床で上半身を起こすと借りた寝間着が汗で張り付いていた。
 まだ薄暗く太陽も登っていない。薄暗い部屋の中で、遠くから聞こえる笹のざわめきと寅丸の荒い呼吸だけが響いていた。夢の聖に言われた言葉が体の中で反響して内臓をズタズタに切り裂いているような痛みを感じていた。

 違う。違うんです。
 聞いてください。
 聖。聖。
 助けてください。

 頭の中で必死に言葉を唱えて蜘蛛の糸を探そうとしていた。一言でも何か言葉を発っしたらそのまま心臓が飛び出るような気がした。頬を流れる水は汗なのか涙なのか判断がつかない。
 生まれたばかりの牛のようにおぼつかない足取りで寅丸は立ち上がった。牢の中にいるように気がして閉ざされた部屋から離れようと障子を開けた。

 月が彼女を見下ろしていた。

 月に誘われたかのように寅丸は駆け出した。縁側のふちを利用して大きく飛ぶ。最初の一歩で永遠亭の庭の半分を。次の一歩で塀を飛び越えて竹林の世界に侵入した。
 そのまま音もなく駆け出した寅丸は竹の隙間を縫うように、音もなく、危なげなく駆け回った。いつの間にか衣服を脱ぎ去り、四つん這いで走っていた。
 それが立ち止まったとき、それは人の姿ではなかった。そこにいたのは全身をきらめく毛で覆っていた虎だった。人の背丈を超えていそうな立派な虎だった。
 虎の姿をしたそれは駆け出すことは無くなったが落ち着きなく歩き回っていた。座り込んだかと思うと突然立ち上がり、その場を回り始めたりもした。
 やがて虎は体を伸ばして両前足を一本の竹に載せた。竹は虎の動きに応じてしなり、後ろ足を載せるころには大きな音を立てて根元から折れた。
 虎は座り込んで、その竹をひたすら噛んでいた。
 骨に残った肉をむさぼるかのように。


-7-



 朝食の席には永琳が同席した。
「お師匠。昨日の夜中だけど、竹林で大きい肉食獣が出たんだって」
 小柄な妖怪兎が声を上げた。
「肉食獣って?」
「隠れてばっかの兎の報告だから、どんな奴かはわからないってさ。とにかくいきなり現れて走ってたかと思うと、しばらく立ち止まって消えたんだって。3日くらいは見回りを増やそうと思ってる」
「それでいいわ」
 その場にいた寅丸は生きた心地がしなかった。
 永琳がじっと寅丸を見つめてくる。「どうしたの?」
「い、いえ。なにも」首を振って否定した。
「そう。薬出来たから後で診察室に来て」
 寅丸は慌てて頷いた。

 和風建築である永遠亭だが、診察室は過剰な清潔感と薬品の香りで満たされており、全く別の世界のように寅丸には感じられた。
「はい、これ。飲み方は前と同じよ」
 永琳から渡された薬を寅丸は受け取った。
「ありがとうございます。これは代金です」
 巾着を永琳に渡す。中身を改めると彼女の目が大きく開いた。
「多すぎよ。前の時でも十分すぎるぐらいなのに」
「私にとってはそれだけの価値があるんです。どうか受け取ってください」
 永琳は困惑した様子だった。
「前も言ったけど、それは抑えるだけよ。治療するためにはあなたの意志が重要なの。それこそ、貴方のお寺がぴったりでしょ」
 寅丸はうつむく。「形だけとはいえ私が寺の代表なので。周りには言えません」
「責任感があるのはいいけど。それだけじゃだめよ」
 そういって、永琳は机からファイルを取り出す。開いてなにか書き込み始めた。
「昨日竹林に現れた肉食獣ってあなたでしょ。なにがあったの?」
 喉に何か詰まっているかのように寅丸は黙っていた。
 永琳は微かに微笑んでみせた。
「カウンセリングは苦手だけど。こんなに頼られたら放っておけないのよ。秘密は絶対に守るから話してくれない?」
 寅丸は話し始めた。池が赤く染まっていたこと。夢の中で聖を殺したこと。月に誘われて虎になったこと。
「……風に吹かれる竹の音が声に聞こえたんです。そしたら、何か食べたい衝動が強く出て我慢するために、竹を噛んでいたんです。ほんとダメですよね。池の件も、お店の食べ物を見たせいだと思います」
 昔の自分にとって生きることは食べることだった。何かを殺して、食べて、眠りにつく。それしかなかった。今は違う。たくさんの人に出会って、たくさんのものを抱えたことでそれはもっと複雑になった。どこかでそれを煩わしく思っていたのだろうか。
「思ったより悪くなくてよかったわ」
 永琳の診断に寅丸は驚いた。
「だって、我慢しようとしてたでしょ。客観的に見れるのはいいことよ。修行のおかげかしらね」
「……治りますか?」
「大丈夫よ。無理しないで、落ち着いて自分をしっかり見つめていればよくなっていくわ。あと、他愛ない会話でもいいから信頼できる誰かと一緒にいることね。一人になるのはオススメできない」
 永琳はファイルを閉じて、目を細めた。ここではないどこか遠くを想っているように寅丸には見えた。
「私だってそう。姫の為にやってることが正しいか不安になるの。けど、一人になろうとは思わない。一人でいるとゆっくりと腐っていくだけ。助けようとすると同時に助けられてるの。貴方の周りの人も、きっとそう思っているのではないかしら?」
 聖を救出した時のことを思い出した。あの時の聖の表情と感謝の言葉は生涯忘れようがない。しかし、実際には自分を救うためだったのかもしれない。何もできなかった自分は寄り掛かれる柱が欲しくて、ようやく出会えたみんなに手を引っ張られて、ようやく救出できたのだ。
 なんだ、そもそも自分はカッコつけるほど立派ではないのだ。


-8-



 永遠亭を出ようとすると、入り口に少女が立っていた。寅丸の知らない人だが、白髪と赤色のもんぺが鮮やかだった。
「この人、これから里に帰るの?」白髪の少女が聞いてきた。
「はい、そうです」隣にいた鈴仙が答える。
「私が案内してもいいかな」
「私は構いませんけど……」鈴仙が横目で寅丸を見る。「寅丸さん。この人は藤原妹紅さんです。帰りの道案内をお任せしても良いですか?」 
「ええ。大丈夫です」寅丸が断る理由は特になかった。
「ありがとう。ところで鈴仙、今夜来るから。輝夜に伝えておいて」
 鈴仙の返事が機械的だったことに、寅丸は違和感を感じた。

 妹紅と寅丸はずっと黙ったまま歩いていた。
 鈴仙と違い、妹紅は寅丸と肩を並べて歩いていた。昨日は涼しいと感じていた竹林は、今日は妙に暑かった。
 妹紅がようやく口を開く。「昨日の夜だけど。竹林を走ってた動物はあんただろう」
「……ええ。よく分かりましたね」
「唐突すぎたんだよ。場所を考えれば、永遠亭の客の可能性が高かったから。一目見てあたりだと思ったよ」
 妹紅は寅丸の全身を舐めるように見た。
「見た感じ、あんまり動物っぽい特徴がないな。隠してるの?」
「昔のことを思い出したくないので」
「妖怪は素直に妖怪らしくすればいいんだよ。そうすれば私が退治してやれるのに」
「もう傷つけたくないんです。私はやりすぎました」
「それで過去を否定して、そんなウジウジしてるのか。押さえつけることにも失敗してるようだし、無理なんじゃないか」
 寅丸はうつむいてしまった。彼女の言葉は表面的には間違っていないように聞こえる。そもそも、人間のイメージに依存する妖怪はそのあり方を変えるのは並大抵のことではない。
それでも、
「藤原さんは……思ったことありませんか。誰かの笑顔に勇気づけられるとか、誰かの笑顔の為に頑張りたいとか」
 笹のざわめきにかき消されそうな小さな声だった。それでも、彼女は主張しなければいけなかった。一緒に励んでいる寺のみんなのために。
 妹紅はしばらくの間黙っていた。
「一人暮らしが長くてね。他人の笑顔の価値なんて興味がなくなったよ」
 竹林の気温が少し下がったように寅丸には感じられた。
「けどさ、私が一番嫌いなのは自分がやったことを忘れてへらへら生きてる奴なんだ。そういう意味では正面から悩み続けてるあんたはマシなんだろうな」


-9-



 竹林を抜けたところにナズーリンが立っていた。
「藤原さん。送ってくれてありがとう。今度お礼するよ」
「じゃあ何か食べ物がいいな」
「わかったよ」
 片手を上げて妹紅は竹林の中に消えていった。
 寅丸とナズーリンは竹林を背に歩き出す。
「知り合いでしたか」
「探し物をしているときにね」
 小柄なナズーリンは鋭い眼差しで寅丸を見上げた。
「夜のことだけど。なぜ虎になった?」
 尋問するような強い口調だった。
「見てたんですか」
「ネズミはどこにでもいるよ」
 夏の日差しは容赦なく寅丸を照り付ける。
「なあ、今までこんなことなかったじゃないか。聖がいない時だってそうだ。なんで平和になった今になって」
 ナズーリンの眼差しは幾分かの憂いを含んでいた。これまでの長い関係の中で気づくことのできなかった自分の失態。そこまで悩んでいたのに何も言ってくれなかった失望。ネズミの報告を聞いてから会うまでの間悩んでいたことが寅丸にもわかった。
 それが読み取れたからこそ、話す義務があると寅丸は思った。
「ここは、いいところです。聖もみんなもいます。毎日楽しく過ごせて、フッと思うんです。楽しむ資格があるのかって。そうしてたら、昔を思い出すようになって」
「平和だからこそってことか。まったく、君は……」
 ナズーリンの声はそこで消えていった。暑さで発生する陽炎のように、揺らめいて見えなかった。
「毘沙門天様に怒られますね」
「……ご主人を代理に任命する時に、進言したんだ。人食いの過去があるものを代理にしていいのですかって」
「毘沙門天様はなんと」
「そういう者を導いてこそ仏教だろ、だとさ。本当にあの方は立場をわかっていらっしゃらない」ナズーリンは言葉をつづける。「まあ、なんだ。私はご主人のサポートをするために来てるんだ。もし、何かあったら一緒に怒られるよ」
 驚いた寅丸はナズーリンの顔を見ようと下を向いた。既に前を向いている彼女の顔はよく見えなかった。ただ、頬が赤く見えたのは暑さのせいだろうか。
「だからって、私も怒られるのは嫌だ。だから、悩みとかがあったら教えてほしい。才のないネズミだが聞くくらいならいくらでもできる」
「ありがとうございます」
「褒められることはしていない」

 里の中心でナズーリンとは別れることになった。
「寺まで来ればいいのに」
「目的は達したから。けど、明日は寺に行くから、それまでは勝手にどこか行かないでくれよ」
 寅丸は笑いながら手を振った。久しぶりに笑顔になった気がした。
 ナズーリンも手を振った。彼女特有のシニカルな微笑みが一瞬見えたが、人ごみの中にあっという間に消えていった。
「あれ、星じゃん」
 声のほうを向くと、雲居一輪と村紗水蜜がいた。
「おかえり~」二人とも無邪気な笑顔を寅丸に見せた。
 出かけるときに何も言わなかったことを思い出し、寅丸は上手く笑顔を作れなかった。
「今日は打ち上げだからご馳走だよ」村紗が言う。
「お祭りの打ち上げは昨日したんじゃないですか?」
「何言ってるの、星がいないのにするわけないでしょ」
 寅丸は目をパチクリさせた。
「あ、そうだ。これあげる。八百屋でサービスしてくれたんだ」
 村紗は買い物袋から取り出し寅丸に差し出した。
「桃ですね」
「そう。水蜜様から水蜜(すいみつ)の贈り物だよ。ありがたく受け取りなさい」
 それに合わせて寅丸は仰々しい動作で桃を受け取る。三人は声を上げて笑った。
「じゃ、次は魚屋さん行ってくるから。寺までに桃食べちゃいなよ」
 一人になった寅丸はゆっくりと歩きながら桃にかぶりついた。一口食べるごとに果汁が溢れだし、手や口元を濡らした。食べ終わると濡れた手を舐めてきれいにする。
 適度に歯ごたえのある桃は美味しかった。これまで食べたどの食べ物よりも、そう思えた。

 命蓮寺が見えてきた。幽谷響子が草木に水をやろうと桶と柄杓を持って本堂から走ってくるのが見える。
「あ、寅丸さん。おかえりなさーい」
 子供のような笑顔を見せたまま、響子は手のひらを高く上げて寅丸を目指し走り出す。意図を察した寅丸は響子とのすれ違いざまにその手をたたく。小気味いい破裂音があたりに響いた。響子はそのまま走り去っていった。
 みんな笑顔で迎えてくれる。
 こんな、飢えた虎の為に。
 彼女らのために自分は何ができるのかと疑問に思う。自分の背中を押してくれる彼女たちに。考え続けなければいけない。途中で逃げてはいけないし、負けてもいけない。
 何から?過去の自分だ。
 奪うことにしか楽しみを見いだせなかった獣。血を酒として紅い夢に酔っていた虎。
 それを越えなければいけなかった。
 風に吹かれてざわめく笹の音が聞こえてくる。
 寅丸は目を閉じる。
 真っ暗な世界に寅丸と血に汚れた虎がいた。

 上手いものを食って何が悪いのだと虎はささやく。

 お前の嗜好はどうでもいい。寅丸は強い言葉で言い返す。
 私にとって大事なものはたった一つだ。それもすでに持っている。
 それを奪おうというのなら容赦しない。
 
 すると寅丸は、桃の香りを含んだ息を吹きかける。
 虎はどこかへと逃げていった。暗闇の世界には寅丸だけが残された。
「星」
 目を開けると目の前に聖が立っていた。
「聖……」思わず全身に緊張が走った。
「なにぼうっとしているのですか」聖は寅丸に向けて手を突き出す。「エイッ」
 途端に寅丸の額に痛みが走った。一瞬なんなのかわからなかったが、聖が笑っているのを見てデコピンされたのだとようやく気が付いた。
「中に入りましょう」
 寅丸は思う。この人には何を返せるのだろう。とにかく今は修行をすることだ。自分の中の獣を追い出す。それは聖のもとで生きると決めた時に最初に立てた目標だった。あの時と目標は全く変わっておらず、むしろその目標の難しさを再確認するだけではあった。けれども、それを達成しようという決意はむしろ強まり、ダイヤモンドのように寅丸の胸の中に確かにある。
 
 履物を脱ごうとした寅丸は大切なことを忘れていることに気が付いた。
「聖、ただいま帰りました」
 聖は微笑みながら言葉を返す。
「おかえりなさい」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
寅丸の獣性はずっと興味のあったテーマでした。

(10/26)誤字を修正しました。ご指摘ありがとうございます。
カワセミ
http://twitter.com/0kawasemi0
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コメント



0.590簡易評価
2.80名前が無い程度の能力削除
仏の道と言うのは許す道だってどっかの憑きもの落としをしてる人が言ってた
受け入れてその後どうするかって話なんですかね
仲間がいるから星ちゃんなら平気やな(楽観
3.80奇声を発する程度の能力削除
面白かった
4.80名前が無い程度の能力削除
もこたんや影狼ともこの後仲良くなればいいなぁ

一箇所誤字があったので報告いたします。
>驚いた虎丸はナズーリンの顔を見ようと下を向いた。
6.90名無し削除
聖がやっている事は救済でありながら妖怪を殺すものでもあるんですよね。
面白かったです。
7.70名前が無い程度の能力削除
よかったです
9.90とーなす削除
面白かったです。
序盤から中盤、少し淡々と進みすぎた気はしましたが、その分するすると読めてよかった。
この星ちゃんならば大丈夫だろうと、後半の命蓮寺メンバーとのやり取りで確信しました。
デコピン聖がお茶目で可愛い。
10.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
あと願望かもしれませんが星ちゃんと優曇華や影狼、妹紅との関係はまだ始まったばかりでこれから変わっていくのかなと感じました。
12.100名前が無い程度の能力削除
是非とも続きが読みたい作品でした。
面白かったです。
13.100削除
優秀が故に不器用で、悩む星がとてもよかったです。ナズーリンとの会話がグッときました。
14.100大根屋削除
これは凄く良い。心に刺さります。
淡々としながらも必要な要素の伝わる書き方。星の悩みがよく伝わってきます。彼女の今後を応援したいとも心から思いました。
満点!
21.100名前が無い程度の能力削除
文句無しに良い
一人でいるとゆっくりと腐っていくという永琳の台詞。私事ですが実感が有り過ぎてもう