Coolier - 新生・東方創想話

Wlii  ~其は赤にして赤編 7

2015/08/18 02:44:39
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夢が偽りだというのならこの世界は嘘吐き達の住む箱庭

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~其は赤にして赤編 1

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~其は赤にして赤編 6



    第八節 病院の道化師

 不動達が病院の理事長室に入ると、窓際に立って背を向けていた八意永琳が振り返って顔を見せた。
「初めまして」
 病院の理事長であり、製薬会社のCEOでもある、八意は若く美しい。不動の見立てでは三十前後。世界に名立たる巨大企業のCEOであり、周囲の都市の実質的な支配権を握っている大人物にしては、あまりにも若い。若くして台頭した天才と言えばそれまでだが、その若さは誰が見ても異常に思う様で外見の若さを揶揄した様な噂が多い。もう数十年外見が変わっていないだとか、百年以上前から存在した八意製薬の創始者は八意永琳とそっくりであるとか。
 製薬会社の社長なんだから、若返りの薬でも飲んでいるのかもしれないなという冗談を思いつき一人心の中で笑った後、不動は八意永琳について考える事を止めた。今回の主題は、目の前の天才を暴き出す事では無い。
 挨拶を返した不動が話を切り出そうと口を開くと、八意はそれを手で制し、テーブルの上に置かれたコップを不動に勧めてきた。
「まずは一杯」
 テーブルの上には銀のコップが一つ。透明の液体が半分程まで注がれている。どういう事かと顔を上げると、八意の笑顔と目が合った。訝しみつつも不動はテーブルに寄り、コップを拾い上げる。中身は無色透明だが、臭いは水のそれではない。かつて似た様な臭いを嗅いだ事がある。テロリスト組織が使っていた毒だ。
「これは、何の冗談ですか?」
 不動は笑みを作って八意を見たが何の返答も無い。
「この液体からは、毒薬の臭いがしますが」
「毒? なんすか、それ。やばいじゃないですか!」
 道梨が驚いて不動に縋り付いてきた。それを押しのけて、不動は八意に問う。
「飲めと?」
「ええ。その覚悟はお有り?」
 あからさまな挑発を受けた不動は笑顔を崩さず、手に持った得体のしれない液体を一息で飲み干した。
 苦味が口の中に走る。
「不動さん!」
 叫んで心配してくる道梨を手で制し、口元を拭ってコップを置いた。
「何がしたいのか分かりませんが、これでよろしいですか?」
 不動の問いに、八意が笑う。
「凄いわ。そこまで躊躇無しに飲んだのはあなたが三人目。怪しい薬だと分かっていたのにどうして飲めたのかしら?」
 無邪気な八意の言葉に、不動は苛立ちと不気味さを覚えた。だがそれでも笑顔だけは絶やさず、声音が荒立たない様に気をつける。
「あなたの事を信じていたからですよ、八意さん。ここで刑事に変な薬を飲ませて事を荒立てるなんて事をするとは思えません」
 それを聞いた八意は成程ねぇと得心が言った様子で目を細める。
「私が悪ふざけで他人を殺す筈が無いと考えた訳ね。うん、常人の思考。でもあなたの場合、その決断までが速かった。興味深い方です」
「そうでしょうか? 天才と呼ばれる八意さんにそう言って貰えると嬉しいですね」
「ちなみに前に来た刑事さん達は、散散迷った挙句、私への心象を悪くしない為に、一番下っ端の者が飲まされていましたわ」
 まさか訪れた人間全員にこんな悪ふざけをしているのだろうかと不動は呆れた。訴えられれば罪に問われるだろう。その訴えを潰せるだけの力は持っているだろうが。
「ええ、一瞬で見切ったのはあなたが初めて」
「三人目では?」
「一人目は自分が毒では死なないと確信していたし、二人目は私に受け入れられなければ行き場が無くなると追い詰められていたから。二人共、毒だと分かっていて飲んだ。あなたの場合、そうでは無いでしょう? 毒を飲んで死なない体ではないし、この毒を飲まなければいけない立場でもない。毒なんて千種千様、それが危険な毒かどうかを判断するなんて、解析に掛けないと本当の所は分からない。あなたはその液体が毒でないと確証出来無かった筈」
「まあ、そりゃそうですな。しかし、その二人目の方に、追い詰められていると分かっていて飲ませるのは、悪趣味では片付けられない問題では?」
「ええ、そうですわね。ですけれど、彼女に飲ませたのは単に心臓を止める薬で、ちゃんと強心剤を打って息を吹き返させましたから大丈夫です」
「冗談ですよね?」
 八意が笑うので、不動も頭を掻いて笑いながら、シリアルキラーを取り調べているみたいだと内心溜息を吐いた。
 一頻り笑ってから、八意は戸棚から薬瓶を持ってきた。
「人でも町でも何でも、新しく始めるのなら、一度殺さなければならない。心機一転とはそういうものです」
「その為に毒を飲ませると? イニシエーションという事ですか?」
 不動の中に苛立ちが湧いた。下らないこじつけの為に、偽物とはいえ、毒を飲ませるなんていう悪趣味な事をしたのか。
「そうです。あなたも最近刑事に戻り新しい自分になったとか」
「よく御存知で」
 不動の中に苛立ちが募る。その怒りの中には、自分が交番へ左遷された不満や刑事に戻しておきながら捜査本部から外した失望への、八つ当たりが含まれている。いつになく感情が制御出来ない事を自覚しつつ、怒りを抑えようとするが、次から次へ怒りが溢れてくる。
「私の門出を祝す為に、毒を飲ませたと?」
「そうです。けどそれだけじゃありません。私への忠誠心を試す為でもあった。あなた、若い頃は随分無茶したらしいじゃないですか? その所為で交番に左遷されて。そんな危ない人間がまた戻ってくるなんて怖いでしょう? ですからちゃんと私の命令を聞いて死ねるかどうか試したんですよ。毒を用意してね」
 不動の目が赤く染まる。
 怒りで思考が消えた。
「ちゃんと私の命令を聞けるみたいで安心しました。予想の通り忠実な犬の様で」
 不動は無言のまま、勢い良く立ち上がった。
 その瞬間、八意が不動の目の前で掌を打ち鳴らした。突然の破裂音に、不動の動きが止まる。
「収まりました?」
 八意の問いで正気付いた不動は、一瞬前まで感じていた激情が綺麗に消え去っている事に気がつく。
「不動さん」
 横から心配そうな顔で覗きこんでくる道梨を見て、自分が今何をしようとしていたのかに気が付き、銃を握ろうとした手を懐から戻して、座り込んだ。
「失礼致しました」
「こちらが仕組んだ事ですから。お気になさらず」
「いえ、挑発に乗った私が悪い」
 大した挑発でも無かったのに、怒りを爆発させてしまった自分を猛省する。だが解せない。一瞬本気で八意を殺そうとしてしまった。そこまでの激情が、どうして沸き上がってきたのが、不動は自分でも理解出来なかった。
「いいえ、毒を盛ったこちらが悪いのです。さっきの毒、実はあれ、本物の毒だったんですよ。あなたがおかしくなったのはその所為です」
 不動が驚いて目を剥くと、八意がくすくすと口元を手で押さえる。それを見て、目の前の存在を本当に野放しにしていいのかと疑問に思った。人に毒を盛って悪びれもせずに笑っているだなんて、今すぐ牢屋に打ち込むべき邪悪さだ。
「今、あなたが体験したものがスカーレットと今世間で騒がれている薬物。を希釈したものです」
「何だって?」
 不動が更に目を見開く。
 今回八意の下を訪れたのは、薬の解析結果を聞く為だ。スカーレットという薬物はまだそのものを手に入れられていない。だから薬物に狂った人間の体内に残った成分を分析するしかなく、難航していた。というより警察は手を上げて降参し、この八意製薬に頼む事になった。
 それが、本物のスカーレットを手に入れたというのであれば、話は全く変わる。
「薬の出処を押さえたんですか?」
「いいえ。残っていた微かな粒子の解析をあなた方警察から依頼されておりまして、それが今朝完了したので、試しに精製してみたのですわ。ええ、薬の効能は解析した通りですね」
「そんな簡単に」
「天才ですから」
 八意は冗談めかして笑ったが、警察が手を焼く未知の薬物を昨日の今日で解析し、しかも精製までしてしまえた八意製薬の技術力に不動はぞっとした。それは良い方向に使われれば世界を救う事が出来るだろうが、目的を誤れば世界を滅ぼしてしまう事すら可能だ。現にスカーレットという薬物一つで、今この町は大混乱に陥っている。
 内心の恐怖を隠しつつ、不動は八意の冗談めかした笑みに笑って返した。
「いや、早速解析してしまったとは素晴らしい。八意製薬に不可能無しとは本当ですな」
 ふと八意の微かに睫毛が動いた。
 その表情の変化は今まで不動が観察していた八意の反応とそぐわない。自然な反応ではなく、何か心の動きが阻害された様だ。不動はそれを笑みが退いたのだと判断する。八意は今確かに気分を害した。だがその感情を、極小の変化に押さえ込んだ。いわゆるポーカーフェイスという奴だ。八意の見せたポーカーフェイスは見事だった。感情の表出を抑えるのはどんなに小さな感情でも難しいものだ。それを睫毛が微かに動いただけに抑え込んだのは見事としか言い様が無い。訓練によって体得したに違いない。
 だからこそ解せない。
 ポーカーフェイスが出来るのであれば、多少の感情は表に出ない。それが崩れたという事は、相手の感情を酷く揺さぶったという事だ。だがそんな言葉を吐いた覚えが、不動には無い。
 不動は答えの見えそうにない思考を打ち切る。これ以上考えても仕方が無いし、今回の事件と関係の無い事は明らかだ。
「それで、まあ」
 不動がやるべき事は、このスカーレット事件を解決する事だ。
「私が今日ここに来た目的は、もうあなたに先を越されてしまいましたな。そのスカーレットという毒についての報告を受け取りに来たのですが」
「分かっています」
 八意は笑顔を見せる。
「だから用意して待っていたんです」
「はは、成程」
「どうです? ご自分で飲んでみて効能は分かりましたか?」
 からかっているのか本気なのか、悪意があるのか無邪気なのか、八意の笑顔と口ぶりからは判別がつかない。
 一一それに反応していては話が進まない。
「つまり相手を凶暴にする薬だと?」
 ここに来る前に、射命丸から吸血鬼という妖怪の特性について聞いていた。それによれば色色と規格外の化物の様だ。特に気に掛かったのは、吸血鬼は血を吸った相手を支配出来るという事。しかも血を吸った相手が死亡した場合は、吸血鬼に似た死体となってよみがえるらしい。その死体は、吸血鬼の様に怪力を持ち、吸血鬼の様に血を求めるのだそうだ。そして死んでいるから、その死体を止めるには、頭を潰すなり物理的に動けない様にしなければならない。
 事件を思い返してみると、射命丸の語った吸血鬼像と合致している様に思える。今回のスカーレット事件は、何の変哲も無かった人間が突然怪力になって凶暴化し暴れまわるというものだ。その凶暴化した人間は普通の人間なら致命傷となる怪我をしても平気で動き回る。またスカーレット事件を引き起こしながら生き残った者の証言によれば、急に血が見たくなって、力と破壊衝動が沸き上がってきたらしい。
 ならば今回の事件は吸血鬼が引き起こしたのか。
 そうやって素直に断じるのは尚早だろう。まず射命丸の吸血鬼情報が事件が起こった上での後出しでしかない。吸血鬼の事を知らない不動には、射命丸の情報が本当に吸血鬼の情報なのか、それとも事件になぞらえた法螺なのかが分からない。
 更に射命丸はレミリア・スカーレットという人気モデルこそが吸血鬼の正体だと断言したが、可憐な少女にしか見えないレミリアが今回の事件の犯人だとは思えない。人間に当てはめた外見年齢と妖怪のそれが別物だというのは教わったが、それでも不動にはレミリアが可憐な少女にしか見えなかった。年齢の話ではない。あくまで映像の中だけだが、悪意は見えず、言動はどう見ても無邪気な子供であり、そういうキャラクタを演じている様には見えなかった。射命丸は、吸血鬼の目には人を魅了する力が宿っていて不動がそれに魅了されたのだろうと笑っていたが、不動はどうも釈然としない。今回の事件は無邪気な子供がいたずら心で毒をばらまいている様な事件だとは思えない。警察が未だに犯人も薬の出処も掴ませてもらえないのは、犯人が狡猾で計算高いからだと確信している。
 不動は顔を上げた。
 八意がじっと自分の事を観察していた。八意は不動と目が合うといたずらっぽく笑う。その笑みは、柔和で、何処か隙のある、間の抜けた様にも見える、安心感のある笑みだ。笑み自体は完璧だ。何も不審な点は無いし、その奥に負の感情も見えない。だが相手は八意グループという世界的に有名な医療機関を持ち、実質的にこの都市の近隣を治めている大人物。簡単に隙を晒す訳が無い。そこに隙が見えるのだとすればそれは相手の計算だろう。それどころか、こうして警戒される事すらも計算の内かもしれない。
 そこで、自分が目の前の八意という人物すらも掴みかねている事に気が付く。そう考えると、自分の下したレミリア評も間違っているかもしれない。
「凶暴になるというのは少し違うと思います。詳しい内容は資料に書いておきましたので、後で御覧下さい。平たく言うのなら、脳がおかしくなります。脳からの信号指令が体を動かす事に特化して、思考は鈍化し、攻撃性が亢進して血を見たくなります」
 不動は資料に目を通してみたが、概ね八意が述べた事を詳細に記しているだけで、大した事は書かれていない。それでは足りない。今の八意の説明では今回の事件を説明出来ない。スカーレット事件の加害者となった者達は、常識外れの膂力を発揮し、しかもどれだけ致命傷を受けても死ななくなる。例えば車にひかれたり、銃で撃たれたりしても、平気で動く。それは明らかに脳の変調だけでは説明がつかない事象だ。痛みを忘れさせる事で、痛みで動けないところを動ける様にする事は出来るが、体がひしゃげ、全身の血液を流し尽くしても尚、生きて動く事等出来る筈が無い。だが現に、今回のスカーレット事件の加害者は、骨を砕くか、四肢を物理的に切断するか、あるいは脳みそを吹き飛ばすかしなければ、活動を続ける、まさに生きた死体となっている。不動の常識では説明する事が出来無い。いや、きっと人間社会の常識で説明する事が出来無い。それを説明しようとするのなら、妖怪という存在が必要だ。
 不動は隣に座る射命丸を見る。
 妖怪という未知の存在こそがそれを説明出来るだろう。射命丸に言わせれば、それは吸血鬼によって引き起こされているらしい。本当に吸血鬼の仕業かどうか疑うところではあるが、とにかく妖怪の常識であれば、動く死体というのは決しておかしなものではないのだ。
 不動は射命丸に何か糸口となる発言を期待したが、肝心の射命丸はさっきから端末にメモばかりとっている。
 八意に視線を戻す。
 八意のまとめた資料は人間の視点でしか書かれていない。それが意外だった。てっきり、この町を収めている大人物である八意は、妖怪について知っているのだろうと思っていた。本部長の阿藤も、妖怪は警察や八意製薬と繋がりがあると言っていた。吸血鬼の事を伝えろだなんて命令は形だけのもので、既に八意は妖怪の事を知っていると思っていた。
 八意は妖怪の存在を知らないのだろうか。ならば早く妖怪の事を伝えなければならない。不動はその為にここへ来たのだ。
 八意が首を傾げて、私が知っているのはこんなところですわと言った。やはり妖怪の事は知らないらしい。ならばと不動が口を開きかけた時、八意は続けて言った。
「と、言うのが、人間側の話。けれどあなた達は、妖怪の居る世界について聞きに来たのでしょう?」
 驚いて不動は口を噤んだ。八意の視線は射命丸に向いている。
 不動は脱力した。
 想像通りというか、当たり前というか、八意は初めから妖怪の知っていて、隠していたらしい。
 隠していたのは単にからかう為か。それとも別の意図があるのか。考えても仕方が無い。毒を飲まされ、妖怪の事を知らないふりをされ、そういう人物と相対しているのだと不動は諦める。内面のあらゆる感情を押し殺して、努めて冷静を装いながら頷いた。
「その通りです。射命丸さんとは知り合いの様ですね」
「何度かお顔を。ね? 妖怪の頭領さんだったかしら」
 意外な言葉に不動が射命丸を見ると、射命丸は逡巡した様子を見せた後「そうですね」と答えた。
「ええ、何度かお会いしました。ただ私はあくまで伝令役であって、頭領ではありません」
「でも天狗さんなんでしょう? 天狗といえば妖怪の山を治めている統治者。妖怪の山そのものでしょう? そしてその妖怪の山にはこの近隣に存在する妖怪の四割が所属する大勢力。十分頭領と言って良いと思いますよ」
 八意はにこにこと笑いながら頭領じゃないだなんて謙遜ですねと言った。不動が射命丸を見ると、表情こそ平静を装っているが、漂ってくる空気は、今にも舌打ちしそうな程、不快感がこもっている。
「ですから、天狗という種は、確かに妖怪の山を治めているとと言っていいでしょう、が、私は天狗の中でも下っ端なんですよ」
 不動が射命丸に尋ねる。
「四割で大勢力?」
 妖怪の数は人間に比べて遥かに少ないと聞いている。この近郊の人口を考えれば、四割という事は、多くとも百や二百、もしかしたら数十人かもしれない。警察にも顔が利くらしいから、てっきりもっと大人数だと思っていたが。
 不動の問いに八意が答えた。
「そうです。妖怪は小規模なグループこそ数多にありますが、大規模な組織となると、世界的に見てもそう多くない」
「ほう。ならはぐれの妖怪も多いという事ですね」
「いえ、少なくともこの辺りは九割以上が何らかの組織に入っていますし。はぐれと言うと更に少ない。ね、射命丸さん」
 八意に話を振られた射命丸は、手に持った端末を指先で二度と叩いた。意味のある行動には思えない。射命丸の苛立ちがはっきりと伝わってくる。
「ええ、そうですね。不動さんの誤解無き様に言っておきますが、単独で生活している妖怪はそれなりに居ます。組織に所属すると言っても、名を連ねているだけで、殆ど単独で行動している妖怪も多い。ただ妖怪というのは、意識として、妖怪という枠組みに入っています。人間と対比して、妖怪という社会に自分達が含まれていると心の何処かで考えています。私達の言うはぐれというのは、その妖怪という枠から外れた者の事を言うんです。例えば無闇に妖怪を殺さない。人間も態態同族を殺したりはしないでしょう。当たり前の事です。その当たり前を踏み越えるのは、枠組みから外れたいわゆる犯罪者だけ。妖怪のはぐれも、人間で言う犯罪者と同じ様な意味なんです。だからはぐれというのは殆ど居ません。ただでさえ、いつ人間社会から爪弾かれるか分からないというのに、その上妖怪とまで事を構えるなんて自殺志願と同じです。そしてそういう枠組みから外れた者は災難を持ってくる。私達はそれを見過ごす事はしません。だから殆ど居ない」
 不動は少し考えてから、射命丸に尋ねる。
「射命丸さんは今回のスカーレット事件の首謀者はそういう犯罪者だと言いたいんですね」
 八意と射命丸が同時に、「そうです」と答えた。八意と射命丸は顔を見合わせ、八意の方が射命丸を促したので、射命丸は仕方無さそうに口を開く。
「妖怪の存在が公になれば、人間からの悪い影響は免れない。それも大量殺人なんていう最悪の形でばれたらどうなる事か。そんなの妖怪なら誰も分かっている。それが分からずに今回の事件を起こしているのだから、犯人ははぐれ妖怪なんです。まともな思考を持った妖怪のする事ではありません」
 それを引き継ぐ様に、八意が続けた。
「妖怪を勘定に入れた観点から、今分かっている事を抽象的に捕らえるなら、事件の加害者はいずれも動く死人にされていると言っていいでしょう。神経毒によって体の正常な繋がりを断ち切られ、妖力だとか魔力だとか、様様な俗説で語られる未だ解明されていない力で、人間の体を無理矢理動かしている。だから常識外れの膂力を出せるし、普通なら活動を停止する怪我を追っても死なずに動ける。古今東西、動く死体というのは生きた人間を求めるものです。人を動く死体にするという逸話は世界中にありますが、有名なのは」
 そこで八意が言葉を切り、射命丸へ笑みを向けた。
 射命丸はまた端末を指先で叩く。
 八意の言葉は不動が引き継いだ。
「吸血鬼という事ですね」
「そうです。一番イメージし易い犯人像でしょう。今回の事件が吸血鬼による眷属化の結果だというのなら大枠の説明は容易い」
「吸血鬼という存在の特性については射命丸さんからお聞き致しました。確かに今回の事件に見られる不可解な部分を説明する事は可能です」
 だが本当に吸血鬼が犯人かと言えば、疑問の余地は多い。見られるのは類似性だけで吸血鬼が犯人だという証拠は無い。不動の疑念を見透かした八意は頷いて言った。
「今回の事件を吸血鬼の犯行だとしても説明出来無い事があります。例えば眷属となったと思しき犯人に若者が多い事。何故若者ばかりを襲うのですか? 確かに吸血鬼は若く美しい処女の生血を好むと言われています。ですがそれなら若さだけでなく美醜や性交の有無も厳選の対象になる筈なのに、そんな様子は見られない。それから眷属にされた筈なのに、他人を食らうのではなく自殺する者が多いのも謎ですね。自分が眷属にされた事で絶望して自殺というのも考えられますが、目撃証言は、どの犯人も嬉しそうに自殺あるいは他殺を行っているとの事。他殺だけなら血を欲してと納得出来ますが、何故自殺を? まだあります。吸血鬼が眷属にしたらもう人間に戻れないと言われています。けれど、今回の犯人達は事件を起こして時間が経つと人間に戻る様子です。運び込まれた加害者を調べてみましたが、死んでいても生きていても、その体は人間のそれと変わらない。致死傷を受けても死なないという特性も、しばらくの間だけで、時間が経つとふつりと糸が切れた様に死んでしまう」
 八意はそうやって不可解な部分を並べ上げたが、不動にはいまいち理解出来無かった。
「それは明らかにおかしい事なのですか?」
「流布している吸血鬼の噂からは外れていますね」
「単に吸血鬼にも色色な種類が居るだけでは? いやまだ吸血鬼に限らないのですから、似た様な妖怪が居るのかもしれません」
「そうかもしれません。そしてそうではないかもしれない。ただ私は今回の事件が薬によって引き起こされているのではないかと思います。私が薬を扱う職だからかもしれませんが」
「スカーレットですか? 世間ではその薬によって今回の事件が引き起こされたと思われている」
「私の予想が独り歩きしているきらいもありますけどね。スカーレットは私が付けた名前です。吸血鬼レミリア・スカーレットに因んで」
「しかし薬で引き起こそうにも、今回の事件はあまりにも現実離れしている。死体が動くなんて一般的ではない」
「そうです。もしも薬で引き起こされたのであれば、それはとても不思議な薬なのでしょう。身も蓋も無い言い方ですが、そう言うしかない。先程不動さんに飲ませた毒も、妖怪の部分がすっぽり抜け落ちた単なる神経毒で、死体を動かしたりなんて出来ません」
「不思議な薬に心当たりは?」
「誰が作ったのかは分かりません。ただ少なくとも、吸血鬼を知っており、尚且つ妖怪の様な普通の人間ではない存在が作ったのでしょう」
「吸血鬼に酷似した症状という事は吸血鬼を知っていなければならない。薬が人間の科学力を超えたものであるのなら、それを作る者は常人ではない。という事ですね。それに当て嵌まる方は居ませんか? 八意さんなら、薬学界の知り合いも多いでしょう」
「私、ですかね」
 八意が冗談めかして笑う。
 不動も笑いで応じる。
 八意は笑みを引っ込めると、真面目な顔をして言った。
「先程も言いましたが、この事件は人間社会の常識を外れています。表の世界での評判は当てにならない。だから権威があるかどうか、名声があるかどうかで、犯人を推測する事は難しい」
「そうですね。その通りだ」
 そこへ、射命丸が口を挟んできた。
「私は吸血鬼が関わっているのは間違いないと思いますけどね。レミリア・スカーレットの来日と、今回の事件が被っているなんて、無関係の訳が無い」
 それを不動が訂正する。
「事件自体は、レミリア・スカーレットの来日よりも前から確認されていましたよ」
「そうですけど、本格化したのは」
 その時、ベルが鳴って、八意が立ち上がった。
「失礼。ちょっと会社に呼ばれたので、今日はこの辺で」
 まだ八意から引き出せる情報はある筈だ。目の前の八意は、妖怪を知り、今回の事件についても詳しく、医療という切り口も持っている、数少ない事件解決の糸口だ。何とか引き止めて更に情報を得たいところだが、大した口実がないので引き止める事が出来無い。もう一度出会える事を期待しつつ、不動は謝辞を述べてその場を後にする。
「そうそう。スカーレット事件の犯人が運び込まれていますから、その方達から話を聞いてみたらどうでしょう」
 去り際に八意がそんな提案をしてきた。ありがたく、その申し出を受けて、不動達は理事長室を出た。

「凄いですね、不動さん」
 理事長室を出るなり、後ろを歩く道梨が感動した様子で言った。
 不動には道梨が何を言っているのか分からない。
「あの八意って人とか凄そうなのに、不動さん平然と渡り合ってたじゃないですか!」
 そうだろうかと、不動は首をひねる。八意は肩書こそ立派で、実際に大人物なのであろうが、今しがたの面会でそれをひけらかし威圧してくる様な事は無かった。加えて、渡り合うという程、大した話し合いにも持ち込めなかった。それどころか、知見の深い人物から事件解決に結びつく様な情報を得られなかったという意味で、勝ち負けで言えば負けたと言える。褒められる謂われはない。道梨が世辞で言っているのなら問題無いが、本気で言っているのなら楽観が過ぎる。
「先程の話を聞いて、道梨君はどう思いました?」
 不動の問いに、道梨は頭を掻いた。その仕草は如何にも自信なさげだ。
「正直、よく分からないです」
 頼りない言葉だが、間違いない。さっきの話を聞いて真相が分かったのであれば勘違い以外の何物でもない。
 エレベータがやって来たので乗り込み、目的の階を押すと、道梨は唸りながら不動に尋ねる。
「ただ妖怪ってのが関わってるんですよね? そんなの普通にやって警察って解決出来るんですか? だって俺今日までそんなの知らなかったっすよ? 妖怪って秘密にしてなくちゃいけないんですよね? 公にすると人間が迫害するから。でも妖怪を知らなかったら、今回の事件は解決出来るんすか?」
「君はどう思いますか? 妖怪を知らないまま警察が解決出来ると思いますか?」
「いや、無理じゃないっすか? 普通に。だって知らないんですよ?」
 その通りだ。妖怪の存在を知らずに今回の事件を解決する事なんて出来る訳が無い。だから。
「あ、って事は、俺達がやるしか無いって事っすよね?」
 数瞬前までの自信の無さが消え、道梨は決意に満ちた目でそう言った。それを聞いて思わず不動の顔に笑みが溢れる。
「ああ、その通りだ。ようやく自覚が出てきたな!」
 不動は笑う。そう、この事件は自分達が解決するしかない。それを道梨が理解し、そして真剣に考えてくれている事が嬉しかった。それは味気無く言ってしまえば、自分だけが解決出来るという子供っぽい全能感を共有したからであるが、不動からしてみればようやく、自分の部下であるこの新人と心が通い合った様な気がしたのだ。
 褒められた道梨も笑みを溢すと、不動に肩を抑えられて屈めていた腰を伸ばし、直立不動になる。
「勿論す! つー事で、俺ちょっと事件解決の為に聞き込みしてきます! 聞き込みが捜査の基本すもんね」
 丁度エレベータは目的の階についた。道梨は止める間もなく、不動の手から逃れて、駆けて行った。それを見送った不動は隣の射命丸に苦笑を漏らしながらエレベータを降りる。
「元気なのは良い事なんですけどね」
 射命丸はにやにやとした笑みを浮かべていった。
「内心、結構苛苛していません?」
「まさか。まだ新人ですよ? むしろ行動してくれるのは良い事だ」
「昔はそんなの関係無くしごいてたって聞きましたけど?」
「昔は昔です」
「その割に、さっきちょっぴり素が出てませんでした?」
「そんな事ありませんよ」
 と言いつつ、自分の中にしばしば昔の自分が顔を覗かせるのも確かだ。それは復讐と八つ当たりの鬼となってテロリストを殺し回る、狂っていた頃の自分だ。
 廊下を歩いていると扉の開いている病室があって、通りがかりにふと中を眺めると、どこかの家族が団欒していた。仲睦まじい様子だった。ベッドに寝たわり動かない老人を囲み、優しそうに話しかけている。生きる事を励まそうとして、早く元気になってくれと語りかけている。何の変哲も無い、それどころか模範的な、患者を思いやる家族だった。
 一見すると。
 不動は病室の前を通り過ぎる。
「射命丸さん」
「はい、何でしょう」
「やっぱり私は今でもおかしいんでしょうね」
 病室で仲睦まじく過ごしていた家族には違和感があった。夫婦の表情と仕草がほんの微かにぎこちなかった。夫婦の視線は子供に向いている。子供の顔はお菓子に向いている。食べたそうな表情で見る先のお菓子は生命維持装置の傍に置いてあり、もしも子供がお菓子を食べようとうっかり機器を触り、そして万が一スイッチを押すなり叩くなりで機械に生命維持装置に狂いが出れば、最悪の場合寝たきりの老人は死んでしまう事だろう。両親はそれに気がついていた。それなのにお菓子をどけようとも、子供に注意を促す事も無かった。ただ気にしていた。もしかしたらお菓子は両親が置いたのかもしれない。それが実際に最後まで行き着くかはともかく、あの夫婦は病人に生きていて欲しくないのだろうか。
 病室をすれ違う一瞬で、不動はそんな想像をしてしまった。それが本当かどうかは分からない。可能性はあるが、限りなく低いだろう。普通の人間が同じ光景を見ても、不動の様な想像はするまい。
 射命丸は問いかけてきた不動の質問の意図が読めなかった様で不思議そうな顔をする。
 何でもない事を伝えて、不動は自分の異常さを振り払う様に己の腰を掌で叩いた。
 その時、不意に背後から複数の足音が聞こえた。病院だというのに、小走りのやけに響く足音で、振り返ると子供達が笑顔で花束を持っていた。
 子供達は今しがた不動が覗いた病室に入る。姿は見えなくなったが、病室の中から大きな挨拶と元気を届けにきたという声が聞こえてきた。しばらくすると子供達は病室から飛び出してきて、不動の隣を駆け抜けると、その先の病室に駆け込んだ。不動が中を覗き見ると、子供達は患者に花を一輪渡して、元気を届けに来たと笑顔を見せている。受け取った患者も初めは驚いた表情だったが、すぐに笑顔になって礼を述べていた。
「そういうサービスかな?」
 不動は何だか心が和んで、優しげにそう呟いた。
 だがすぐに片眉が釣り上がる。
 病室の患者一人一人に花を渡していく子供達を見つめている内に、ふと奇妙な事に気がついた。子供の数が曖昧なのだ。病室に駆け込んだ子供の数は五人。筈だが、何故かもう一人増えて見える。注意深く目を凝らすと、五人に加えてもう一人少女が居る。気を抜くと五人に見える。けれど注意深く見るともう一人居る、気がする。しかしどう目を凝らしても、細部までは分からない。絵の具の黄と緑を人の形に塗りたくった様に、その姿を捉える事が出来無い。それが子供達を率いる様に蠢いている。
 疲れているのだろうか。目をこすると、もう子供の数は五人から増える事が無かった。
「どうしました?」
「いや、何でも」
 不動が憔悴した顔で答える。
 それを見つめる射命丸は不動を覗きこむ様にして微笑んだ。
「あなたがおかしいのかどうかは分かりません。ただあなたはみんなをお巡りさんを三十年も努めて周りから信頼され、そして今度はこの町を守る為に刑事になった。それは確かでしょう? あなたを構成する大きな要素に警察官という属性がある。そしてあなたはみんなを守る為、警察になった。あなたは誰かを守る為に生きてきた。それは、決しておかしいと断じられる事では無いと思いますよ。むしろ褒められるべき事です」
「いえ、刑事になった理由は違いますが」
 すると射命丸は目を輝かせる。
「ほうほう。その理由とは?」
「いえ、大した理由では」
「是非ともそれをお聞かせ下さい」
 不動は苦笑する。
「取材ですか?」
「そうです! 私は記者ですよ? 折角警察の方と同行するのですし、一つ刑事さんの仕事と内面に迫る連載企画でもと」
「私を取材したって面白くないと思いますが」
「それを決めるのは、私の腕と読者の反応です。ささ、あなたが刑事になった理由とは?」
 不動は天井を見上げ、そして射命丸に微笑みかけた。
「秘密です」
「けち」
「多分道梨君なら快く答えてくれると思いますよ」
 射命丸が不機嫌そうにそっぽを向く。
「もう聞きましたよ」
「おや、早いですね」
「聞かなくても勝手に喋ってましたから。あれはあれで面白いですけど」
「何と言っていたんですか?」
「秘密です」
 射命丸が意地悪い笑みを見せたので、不動は一本取られましたと頭を掻く。
 それを見て、射命丸はまた不機嫌な顔になった。
「ところでいつまで敬語で話すんですか? 一応私、あなたの部下って事になってるんですよ? 威厳も何もありません」
「とは言っても、こういう口調と言うか」
「かつての刑事時代もそうでした?」
 射命丸の追及に、不動は苦笑する。
「そうですね。違いました。あの頃に戻るのが怖いのかもしれません」
「少なくとも対外的には威厳を持ってもらわないと」
 不動は一瞬思考を巡らせ、聞いた。
「もしかして敬語だと口を滑らせにくいからですか?」
「あれ? 分かりました?」
 笑う射命丸に不動が肩を竦めていると、二人の背後から声が掛かった。
 振り返ると道梨が走ってくる。
「不動さん、すみません! 駄目でした」
 何を聞き込みに言ったのかは分からないが、とにかく駄目だったらしい。
 不動は笑顔で道梨を迎え入れると、その頭を押さえた。
 褒めようと口を開き、さっき射命丸に言われた事を考える。
 道梨は明るく元気で自分を慕ってくれている。それは自分にとって好ましい事だが、刑事として成長しているかと言われるとそうは言い難い。新人だからいずれ成長すると楽観視していたが、現在起こっているスカーレット事件の中、成長を待っていては捜査が進まないだけでなく、下手をすると道梨自身が危険に陥るかもしれない。
 そう考えると、もっと厳しく指導をした方がいいかもしれない。そして厳しく当たるのであれば、威厳が無ければ単に反発を生むだけだ。
 そう考えて、不動は口調を直す事にした。
「よし、まずはスカーレット事件の犯人とやらに会いに行くぞ」
 道梨は不動の様子に驚いたが、すぐに敬礼して背筋を伸ばした。
「はい!」
 射命丸は背後でくすくすと忍び笑いを漏らす。
「単純ですね、不動さん。吹っ切れたんですか?」
 不動は振り返って好好爺然とした笑みを浮かべた。
「何からです? 吹っ切れたという言い方はそぐわないですね。どちらかと言えば、覚悟を決めたという感じで。優しさを被っていても仕方が無いのだと。そう思いだしました」
 道梨は不思議そうに不動を見上げると、笑みを見せた。
「よく分かんないっすけど、俺、優しい不動さん好きっすよ」
「ありがとう。ただ悪いんだけど、捜査の間は怖い不動さんに戻りますよ」
「ええ! 怒らないで下さいよ」
「それは道梨君の素行次第です」
 不動はそう笑いつつ、自分の懐にある銃の感触を確かめた。
 射命丸はその背後で満足気に頷いてから、不動に尋ねた。
「さて、それで先程の八意との話はどうでした? 何か有用な情報は?」
「残念ながら。あの話だけではどうにも分かりません。まあ、地道に調べていくしかないでしょう。まずは薬の出処を探りましょう」
「敬語」
「失敬」
 部屋の番号を確認しながら歩いていると、向こうから強面の男が二人やって来た。捜査本部で見た顔だったので、不動が会釈をすると、相手は戸惑った様に会釈を返してきた後、驚いた様子で目を見開いた。
「あれ、もしかして不動さんですか?」
「ええ、そうですよ」
「どうも、高橋です。すみません、一瞬気が付きませんで」
 高橋が頭を下げるので、不動は頭を振った。
 高橋の隣に居る若い男が、不動の事を眺め回してくる。
「この人があの不動なんですか?」
「組織の先輩だぞ。失礼な事を言うな」
「すみません」
 叱られた若い男は言葉だけの謝罪をして、尚も不動の事を無遠慮に見つめる。
「ただ聞いた話じゃ相当やばい人だって聞いてたんで、こんな普通の人なんだみたいな? あ、違くて。優しそうって意味っすよ。良い意味で」
「峯岸!」
 峯岸と呼ばれた若い男は、やはり悪びれた様子も無く、「ういーす」と答えた口を閉じた。高橋は峯岸の頭を叩くと、不動に頭を下げる。
「すみません。教育が行き届いてませんで」
「お互い様です。部下の育成とは難しいものですね」
 不動の言葉を無視する様に、高橋は話頭を変える。
「それで今日はどうしてここに?」
「スカーレット事件の犯人が入院しているそうなので、話を聞こうかと」
「やはりそうですか」
 高橋は苛立った様に吐き捨てると、睨む様な目付きになった。
「不動さん、ここの聞き込みは私達の仕事ですから、どうぞ不動さんはご自身の仕事をなさって下さい」
 不動が反論しようとすると、かぶせる様に、高橋は言葉を重ねる。
「はっきり言いましょう。邪魔なんですよ。あなたが刑事だったのはもう三十年も前だ。しかもその時の仕事ぶりも滅茶苦茶だったと聞く。まともに捜査出来るんですか? 所詮は数合わせで連れて来られただけでしょう? だから我我本職の邪魔をしないでいただきたいんですよ」
「随分噛み付いてきますね」
「あんたに良い印象を抱いている奴なんて居ないという事です。だろ、峯岸?」
 峯岸は驚いて、高橋と不動を交互に見比べ、高橋に尋ねた。
「えっと、先輩の言葉は失礼じゃないんですか?」
「失礼だよ。でも俺は良いんだ。俺が言う分には俺の責任で済むからな」
「意味分かんないっす」
「他の奴等が遠慮して言わないから俺がきちんと伝えておこうと思ったんだよ。年齢を重ねただけのロートルが居ても邪魔なだけだと」
「どういう事っすか?」
 峯岸は意味が分からなかった様で混乱している。
「ま、そういう事です。こちらは人手も足りていますし、不動さん、あなたは帰って頂いて結構」
 高橋はそう言って前を向いた。だがその時既に、不動は高橋の横を通り抜けて、奥の病室へ向かっていた。
「ちょっと不動さん!」
「まあまあ、目と耳は多い方が良いだろ?」
「だからこっちの縄張りを侵すなと言ってるんだよ」
「まあまあ」
 飄飄と答えて先へ進むと、八意に教えてもらった病室が目に入った。扉の前には警官が一人立っている。
「あれは何の為に立ってるんだ?」
 不動の疑問に高橋が答えた。
「薬物の被害者だとは言え、犯人は犯人だ。逃げられたら困るから見張りをつけてる。また暴れられたら病院に被害が出るだろ」
「なら何で一人なんだ?」
 スカーレットによる暴走は並みの大人が一人や二人で止められる力ではない。もしもスカーレットで暴れた場合を想定するなら、もっと多くの警官を配備に付けるべきだ。
「カメラで監視してる。で、暴れだしたら制圧用のガスを出す。スカーレットにも効く筋弛緩剤をね。だから大丈夫ですよ」
「なら扉の前に立ってるのは要らないじゃないか」
「念の為ですよ。ここは一般人も通れますから。近付かない様に」
「さっきと言っている事が違うね。それに、一般人がどうの言うのなら、立ち入り出来無い場所に収容すれば良い。明らかにおかしいな。もしかして、何かを誘き寄せようとしてるのか?」
「うるさいなぁ。不動さん、頼むから大人しく帰ってくれませんかね?」
 苛立たしげな高橋の目の前に、不動は掌を掲げた。
「何です?」
 高橋の疑問に答えず、不動は駈け出した。
 不動の視線の先で、警備の警官がやって来た少女の前にしゃがみこんで何か話しかけている。中に入りたいという少女を、警官が押し留めている様だ。
 それに向かって不動は叫んだ。
「離れろ!」
 少女と話していた警官が驚いて不動へ振り返る。
 警官が無防備な姿を晒した瞬間、少女は警官を両腕で突き飛ばした。
 胸を押された警官はくぐもった呻きを吐き出して、背後の扉に激突する。何が起こったか分からない様子で、痛みに顔をしかめて顔をあげると、警官の目の前には赤い目をした少女が居た。
 悲鳴を上げて逃げようとする警官に少女がのしかかる。
 不動はこのまま駆けても間に合わない事を悟り、懐から銃を出す。流れる様な動きで銃を構え少女に狙いを定めた。
 その瞬間、不動の頭の中に桜の下で泣いている妖夢の姿が蘇った。更に悲鳴が、妖夢のものだけでなく、かつて聞いた沢山の断末魔が頭の中に反響した。
 自分は今、年端もいかない少女を撃とうとしている。それを急に意識してしまい、不動の狙いがぶれる。
 不動は歯を噛み締め、銃把を握りなおして、再度狙いを定めた。
 だが今度は、妖夢だけでなく自分の孫の姿までが、これから撃とうとする少女に重なった。
 不動は割れんばかりに歯を食いしばり、その幻影を抑え込んだ。
 狙いは定まる。
 未だに幻影が少女に重なっている。
 だが最早狙いはぶれず、不動はそれに向けて銃を撃ち放った。
 飛来した弾丸は過たず少女の肩に命中して、関節を破壊した。だが少女は動きを止めず、片腕だけで、警官の首に手を掛ける。不動は更に弾丸を放ち、もう片方の肩にも命中させる。
 両腕の垂れ下がった少女から、警官は何とか這い出した。廊下を這い蹲り少女から離れようとする。だが少女はそれを逃すまいと、警官に向けて跳躍し、足で踏み潰そうとした。不動は更に二発発砲し、少女の両膝を正確に撃ちぬいた。
 少女が空中でバランスを崩し警官の上に倒れこむ。
 警官は悲鳴を上げながら、のしかかってきた少女を振り払い、這這の体で不動へ向かって駆け寄ってきた。
 不動は縋り付こうとしてきた警官を後ろに放り、少女の傍に駆け寄る。
 油断無く銃を構えて、少女の傍に屈むと、少女は体をやたらめったらに動かして立ち上がろうとしていた。暴れる少女を止める為に、不動は少女の目の前に銃口を突きつける。
 それが効いて、少女は充血した目を恐怖で見開かせ、暴れるのを止めた。
 不動は自分が今している事に気がついて、胸を締め付けられる様な苦しさを覚える。
 まだ幼い少女に銃を向けて脅している。
 まともな人間がやる事じゃないだろう。
 不動は一度自身の呼吸を整えてから、銃を少女の視界から外して、優しく笑いかけた。
「大丈夫。君が暴れなければ何もしないよ」
「やめて」
 少女は首を横に振って逃れようとした。だが四肢が動かないので、どうする事も出来ず、悲鳴を上げて周りに助けを求めだした。
 何とか落ち着かせようとしたが、不動が何を言っても、少女は助けと許しを請うばかりでどうしようもない。やがて高橋や射命丸達も集まってきた。
「おい、不動さん! 子供ですよ!」
 開口一番高橋が怒鳴ってきた。
「だから?」
 高橋の叫びに不動は冷たく答える。
「いかれてる。病院で銃、しかも子供を撃ったんだ! 懲戒程度じゃ済みませんよ!」
「だったらどうすりゃ良かったってんだい? 仲間が襲われてたんだ」
「相手は子供だ。スカーレットの効果があるとはいえ、やりようはあった筈だ」
「そうかい」
 不動は溜息を吐くと、少女の首を手で頭を手で抑え付け、もう片方の手に持った銃をしまい、銃を持っていた手を自分の口に持っていって、その人差し指の先を思いっきり噛んだ。皮膚が裂けて血が流れ出す。
「不動さん、あんた何をしてるんだ」
 高橋の言葉を無視して、不動は射命丸に尋ねる。
「吸血鬼に噛まれると血が欲しくなるんだろ?」
 虚を突かれた射命丸は慌てて頷いた。
「そうです。けど、一体」
 不動はそれを聞くと、血の流れる指を少女の前に翳す。
 狂乱していた少女は、不動が目の前に血の流れる指をかざした瞬間、動かなくなって、じっと不動の指先を見つめ出した。
「欲しいか?」
 不動の問いに、少女の眼が揺らぐ。
 不動がゆっくりと少女の視界から指を外すと、再び少女が暴れだした。
 必死で体を動かし、不動の指先を求めて首を伸ばそうとする。だが不動が抑え付けていて動けない。暴れている内に、少女は自分の周りに自分の血で血溜まりが出来ている事に気がついた。目を輝かせた少女は、体を浸す血溜まりに舌を伸ばし、首を傾けようとする。不動は少女の舌が血溜まりに届かない様に頭を抑え続ける。すると少女は今まで以上に激しく暴れだした。
「どいて! 飲ませて! 邪魔しないで!」
「質問に答えたら飲ませてやる」
「邪魔! 離して! どかして!」
 話を聞く気の無い少女を見て、不動は再び銃を取り出し、少女の目の前に銃弾を撃ち込んだ。少女の動きが止まる。
「質問に答えたら飲ませてあげますよ」
 不動が冷たく言うと、少女はおずおずと不動に目を向けた。その目は充血が大分収まっている。薬が切れかけているのだろうか。これならまともに尋問出来るかもしれないと不動は考えた。
「名前は?」
「秦野りんご」
 思った以上にまともな言葉が帰って来た。
 不動は質問を続ける。
「りんごちゃん、どうしてこの部屋に入ろうとしたんですか?」
「中の人が死んじゃってるかもしれなくて」
「どういう事だい?」
「さっき、外で泣いてたら、何で泣いてるのって聞かれて、パパとママを車で轢かれて死んじゃったから悲しいって言って、轢いた人がこの病院に居るから死んで欲しいって言って、殺して欲しいって言ったら、分かったって言われて。何処に居るって言われたから、場所を教えたら。後で怖くなって、もしかしたら本当に殺されちゃってたらどうしようって」
「泣いていたら誰かに声を掛けられて、その人に両親の仇を取って欲しいと頼んだんですね? どんな格好の人でした?」
「分かんない。後ろから声が聞こえて、話してる時も後ろに居て」
「りんごちゃんはその人と話している間、ずっと振り返らなかったんですか?」
「泣いてたから恥ずかしくて」
「後ろから声が掛かって姿は見ていない。その人が、りんごちゃんに薬をくれたんですか?」
「薬?」
「さっき何か飲まなかった?」
「ジュースは飲みました。でも、それだけ」
 少女の目が血溜まりに向く。
「その後ろに居た人からジュースを貰ったの?」
「違う人。ピエロの人」
「ピエ、ロ?」
 不動の力が緩む。
 その一瞬の隙を少女は見逃さなかった。
 少女が舌を血溜まりに伸ばし、自分の血を舐める。不動が慌てて抑えようとしたがもう遅く、少女は奇声を上げると、四肢の関節が壊されているにも関わらず、筋肉を強烈に圧縮させて立ち上がった。
 不動はそれを掴んで止めようとしたが振り払われる。
 少女は筋繊維が断裂して音が鳴るのも構わずに走りだし、何事か喚きながら跳び上がって、廊下のガラスを破り、外へと逃げ出した。不動と高橋が破れた窓を開き、下を除くと、四階下の玄関前に着地した少女は正門に向かって駈け出した。それを目撃した人人が次次に悲鳴を上げる。
「まずい!」
 高橋が急いで仲間内に連絡を取っている後ろで、不動は少女が入ろうとしていた病室に近付き扉を開いた。むせ返る血の臭いに眉を顰めながら、中を覗き込むと、全員死んでいた。六つのベッドの上に躯が六つ。全てベッドの上に座り、壁に凭れた状態で、喉笛を掻っ切られている。血塗れの病室を一瞥した不動は振り返って怒鳴った。
「高橋!」
 連絡していた高橋が驚いて振り返る。
「病室の中は監視してたんじゃねえのか!」
「して、ます」
「ならどうして、全員死んでんだ!」
「死んで、は?」
「監視してる奴に連絡を入れろ!」
 高橋が慌てて連絡をし始めたのを尻目に、不動は病室へ戻る。中を荒らさない様に死体へ近付いて調べると、死体はいずれも喉笛以外に外傷は無さそうだ。抵抗した様子も無い。どういう事か訝っていると、突然甲高い音が鳴った。見ると、窓には繰り抜かれた様な穴が空き、ガラス片が窓際に散らばっている。さっきまで確かに穴なんか空いていなかった。だがそうすると急に割れた訳が分からない。誰かが石でも投げ込んできたのだろうかと辺りを見回すが何も無い。
「不動さん、こいつらはついさっき、あの女の子が暴れている時に殺されたみたいです」
「カメラのデータは?」
「あります」
 送られてきた監視カメラのデータを映し出す。まず映ったのは、六人の被害者がそれぞれのベッドの上に座って笑い合っている様子だった。それが次の瞬間、六人同時に首から血を吹き散らしながら倒れ、壁に凭れ掛かった。犯人の姿は見えなかった。何に切られたかすら分からなかった。映像をスローで再生しても、被害者達の首が切れる原因は分からない。
「これは?」
 不動はふと気がついて映像の中の窓を指さした。
 被害者達の首が切れる一瞬前に、窓の端に何か黒いものが見えた。よぎった様にも見える。だが窓から見える部分はあまりにも僅かでそれが何なのかは分からない。
「他の監視カメラの映像は」
「用意します」
「調べろ。さっきの子供は?」
「捜索の指示を出しました」
「それから病院の出入りを全てチェックしろ。刃物を持ってる奴と、それからピエロ。絶対に捕まえろ」
「分かっています」
「もう封鎖してんのか?」
「いえ、今、指示を」
 不動はそれだけ聞くと病室を飛び出した。
 外で立ち尽くしている道梨の肩を掴んだ。
「ぼさっとしてんな! もう遅いかもしれないが、とにかく今この病院の中に居る奴等を引き止めて調べ上げなきゃならん」
 だが不動が引っ張っても道梨は動かなかった。
 苛立って振り返ると、道梨は怯え切った様子で震えていた。
 もしかしたら怒鳴ったから怖がらせてしまったのかもしれないと、不動は苛立つ心を抑えこみ、努めて笑顔を向けた。
「すみません。焦って怒鳴ってしまいました。が、一刻を争います。犯人が逃げる前に病院を封鎖しなくてはなりません。行きましょう」
 道梨は頷いて、ぎこちなく動き出した。
 まだ怯えが取れていない様だが、そんな事に構っていられない程、不動は焦っていた。
「ピエロだと?」
 その単語が、不安となって不動の胸の奥をじりじりと焼いている。
 自分でも焦っているのは分かっているが、それを抑える事が出来無い。
 少女の発したピエロという単語が、テロ事件に対する憎悪以上に、不動の心を掻き乱す。
 不動は焦燥を振り払う為に歯を食いしばりながら階段を駆け下りる。
 道梨は恐怖に満ちた表情でそんな、子供に対してあまりにも冷酷に尋問を行った狂人の背を追った。

 病院を封鎖しての大大的な捜索は、病院の近隣まで及び徹底的な捜索を行ったにも関わらず、逃げた少女も六人を切り殺した犯人もそしてピエロも捕らえる事が出来無かった。夜になって捜査報告が行われたが、成果は無く徒労ばかりが残った。
 逃げた少女は病院の裏庭の植え込みで発見されたが、一つ説明のつかない事がある。割り出された死亡推定時刻は不動達が病室で少女に出会った時間よりも数時間も前だった。それが本当なら、少女は死んだ状態で病室の前まで来て警察と争った事になる。それどころか、時刻から言って、病院にやって来てすぐに亡くなり、それ以後の監視カメラに映っている姿はずっと死体が動いていた事になる。スカーレットを飲んで動いていたんじゃないかという意見もあったが、スカーレットという正体不明の薬物は数分で効果が切れる事は既に分かっており、またスカーレットが効いている間も身体自体は生きた状態を保つので、死亡推定時刻はそのまま薬の効果が切れ動かなくなった時間と一致する。体の生体反応が無くなった後も動く事は無い。それなのに、少女は生体反応を失った後も数時間動き続けていた。これは既知の情報では説明がつかない。少女の死は明らかに不可解である。
 六人を切り殺した事件は、病院内のあちこちに設置されたカメラの映像を検証した結果、複数人の容疑者が浮かび上がり、中でも不自然な長物を携えていた魂魄妖忌という人物に注目が集まった。この人物は一年前に失踪届が出ている等、とにかく不審だ。病院に来た前後の足取りが殆ど追えず為、行方は知れない。大大的な聞き込み調査を行う必要があるものの、魂魄妖忌のただ一人の肉親である孫が、つい先日スカーレット事件に巻き込まれ心身が衰弱しており、直接の聞き込みが出来無いばかりか、下手に大掛かりな捜査をしてその孫に祖父の失踪及び殺人の嫌疑が知られると、立ち直れなくなる可能性がある。また社会的にも風当たりが強くなる事が予想され、人道に配慮すべきだとの意見があった。たった一人の少女の為に捜査全体を止める訳にはいかないが、配慮は行うべきであるとの結論が出て、魂魄妖忌の捜査方針は判断保留で、翌日の本会議に持ち越しとなった。
 ピエロについてはまるで手掛かりが掴めなかった。どのカメラにも道化師姿の人物は映っておらず、目撃者も皆無。その日病院を訪れた者の中に道化師の職業についている者も居ない。少女が混乱をきたしていた為に、口からでまかせを言ったのではという見方が強い。
 報告会が終わって刑事達が次次に外へ出て行く中、不動は最後まで席を立たなかった。道梨と射命丸が声を掛けても反応せず、二人が諦めて外へ出て、一人になった後も、じっと黙って動かなかった。
 しばらくして戻ってきた射命丸は、未だ座って動かない事に呆れた様子で不動の前に立った。
「良かったですね。発砲のお咎めが無くて」
「そうだな」
「女の子を撃った事が気にかかっているんですか?」
「いや」
 射命丸はじっと不動を見つめる。
 しばらく沈黙が続いた後、不動は静かに言った。
「ピエロだ」
「ピエロ? 女の子の言った嘘ですか?」
「そうだ。嘘に違いない」
「どういう事ですか?」
「何でも無い」
 不動は立ち上がって出口に向かい、電気を消して射命丸と一緒に外へ出た。
 その瞬間、驚いた様子で振り返り、再び会議室の中に踏み込んで電気をつけた。
「どうしたんですか?」
 射命丸が問いかけるが、不動はそれに答えず辺りを見渡し続けた。
 やがて不動は頭を振ると戻ってきた。
「確かに殺した筈だ」と呟いて、電気を消すと、会議室の外に出て、扉を閉じた。



続く
~其は赤にして赤編 8(秘封2)
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コメント



0.260簡易評価
10.100名前が無い程度の能力削除
手に汗を握るとはまさに貴方の作品のこと
独特な世界観とてもよかったです
月並みですけど最高です