Coolier - 新生・東方創想話

パチュリー・ノーレッジとミニ八卦炉の秘密

2015/08/02 09:51:57
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◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 パチュリー・ノーレッジが口にしたそれは、ともすればただのボソリとした呟きにしか聞こえなかっただろう。
 しかし、魔法に心得のある者であれば、多くは驚愕し、そして恐怖を覚えたはずだ。
 たったワンフレーズで唱えたそれは、何重もの多重詠唱と高速詠唱によって成る魔法の詠唱だった。
 直後、パチュリーの眼前に数十の光弾が浮かぶ。そしてそれらは瞬く間に弾け、光の矢となって放たれた。
 薄暗い地下図書館が、爆光によって明るく照らし出された。本棚の陰から聞こえてきた悲鳴に、パチュリーは嘆息した。最近、目は悪くなった気がするが、耳は別に悪くない。むしろ、ちょくちょくネズミが紛れ込むせいで、よくなってきたかも知れない。
 とことこと歩いて、パチュリーは悲鳴の主へと近付いていった。つくづく、この館の住人はネズミ取り能力が低いと思う。
「……まったく」
 本棚の陰を除くと、やはりいつもの白黒ネズミがそこにいた。目を回してピヨピヨと頭の上にヒヨコを回していた。
 パチュリーは白黒ネズミ。もとい霧雨魔理沙が手にしていた本を取り上げる。結構分厚い。親指と人差し指の間を開いた程度の厚さだ。
 そして、彼女はそれを大きく振りかぶった。
「ふんっ!」
 思いっきり魔理沙の頭を本で叩き付けた。ネズミはきっちりと止めを刺さなければ。いつ目を覚まして暴れるか分かったものではない。
 魔理沙は声も無く床に倒れ込んだ。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 ものの数十分で霧雨魔理沙は復活した。縄で縛って椅子に座らせているが、ぎゃあぎゃあと喚いて五月蠅い。実にしぶといネズミである。
「お前な。人が目を回しているところに何て事するんだよっ!? 鬼っ! 悪魔。人でなしっ!」
「……ここ、悪魔の館だし。私、魔女だし」
「そういう問題かこのやろーっ! 人権意識ってものは無いのか」
「泥棒に人権は無い」
 きっぱりと言い切る。
 やっぱり、問答無用でフランドールの部屋に放り込んでおいた方がよかっただろうか。
「……というかパチュリー? お前、さっきから何をしているんだよ?」
 図書館の床に、畳二枚程度の大きさの魔方陣が描かれている。それは淡く光を放っていた。そして、その魔方陣の周囲には五芒星を描くように、色違いの魔力石が浮かんでいる。
「んー? 勝手に忍び込んで勝手に本を読んだその落とし前? 代金を貰おうっていうところかしら?」
「答えになってないぜ」
 非難がましい魔理沙の声に、パチュリーは肩を竦めた。
 そして、彼女は机の前に近付く。そこにはミニ八卦炉が置いてあった。霧雨魔理沙から取り上げたものだ。
 魔理沙が表情を引きつらせる。
「おいっ!? お前、勝手に人のものに手を出すなよっ!」
「お前が言うな」
 苦々しく、パチュリーは言い返す。
「小悪魔、そっちの準備はどう?」
「はい、魔力回路の接続は完了です。準備OKです、パチュリー様」
 魔方陣から少し離れたところに、また別に小さな魔方陣が描かれている。その傍らに立つ小悪魔が親指を立てていた。
「そう、ご苦労様」
 よしよしと、パチュリーは頷いた。
 ミニ八卦炉を持って、パチュリーは大きな方の魔方陣へと近付いていく。
「おいっ! パチュリーっ! だからお前、私のミニ八卦炉に何をするつもりなんだよっ!」
 白黒ネズミにしては珍しく、慌てた声を出している。その姿に、パチュリーは悦に入った。
 にんまりと、パチュリーは唇を吊り上げた。
「ふふふ? さぁ~? どうしてくれようかしらねぇ~?」
 魔理沙が青冷める。どうやら、これは彼女にとってよほど大切なものらしい。
 くっくっと、暗い笑い声をパチュリーは漏らす。それはまさしく、悪魔の館に住む魔女の笑みであった。
「おい、パチュリー? 悪ふざけなら大概にしろよ? もし、そのミニ八卦炉に何かしてみろ? タダじゃおかないからな?」
 魔理沙が目を細め、睨んでくる。その声も、本気の怒りが込められていた。この紅魔館で、身動きも取れない状態でなお怯えた表情を浮かべない威勢の良さだけは大したものだとパチュリーは思った。
 もっとも、表に出した態度は冷たく睥睨し、嘲笑うだけだが。
「そう、せいぜい覚えておくわ」
 それだけ言って、パチュリーは魔方陣の中心にミニ八卦炉を置いた。
「小悪魔、始めるわよ」
「はい、パチュリー様」
 術式起動の魔法詠唱を実行。
 魔方陣の輝きが増し、そして周囲の魔力石も同様に輝きを増した。魔力は文字となってカーテンのようにそれぞれの魔力石の間を埋め尽くしていく。
 その様子を魔理沙は緊張した面持ちで眺めている。
 そんな彼女を横目で見ながら、パチュリーはにやりと笑った。
「そんなに心配しなくていいわよ? 魔法が失敗しない限り、このミニ八卦炉を傷つけることはないし、私が魔法を失敗するなんてことも有り得ないから」
「……何をしているんだ?」
「ただの分析よ。あなたが持つミニ八卦炉の構造、魔力構成……そういったもののね? あなたが私の知識を盗むというのなら、私もあなたの知識を盗ませて貰う。そういうことよ。この程度で、等価交換になるとも思えないけど」
 そう教えてやると、魔理沙は大きく息を吐いた。安心したらしい。
「なんだよそれ。……脅かすなよ。というか、そんなの言ってくれればいつだって教えるっての」
「分析をするなら、こっちの方が手っ取り早い」
 小悪魔の傍にある魔方陣も、順調に動いているようだ。魔方陣の上には次から次へと文字が浮かび、そしてそれらは空中で一枚の紙となった。その紙はふわりと宙を舞って机の上へと移動する。ミニ八卦炉の分析結果を自動で印刷している形だ。そんな具合に、紙が次から次へと机の上に積み上がっていく。
「というか、何でまたいきなりそんなことしようって思ったんだよ? 今まで、まるで興味ないって顔していたくせに」
「別に? 私は興味無いわよ? ただ、フランがミニ八卦炉を欲しがっているのよ。まさか、それであなたから奪い盗るわけにもいかないでしょ? 私は、泥棒じゃないのよ。あなたと違ってね。だから、同じものを作ろうっていうわけ」
「あー、なるほど」
 納得したと、魔理沙は頷いた。
「え? あ、あれ~?」
「どうかしたの? 小悪魔?」
 困惑した声を上げる小悪魔に、パチュリーは首を傾げた。
「いえ、その……パチュリー様。ちょっと、これ見て下さい」
「何があったのよ?」
 パチュリーは小悪魔の傍へと近付き、彼女が持つタブレットを覗き込んだ。
「これ、何かの……間違い……とかじゃあ、ないです……よね?」
「はぁっ!? ……え? なにこれ?」
 パチュリーは目を疑った。
 分析が終わるまで、あと三日は必要と書かれていた。せいぜい、十分やそこらで終わると思っていたのだが。
 何かの間違いか? ああは言ったが、何かを失敗していたのか?
 額に指を当てて、手順を確認する。……問題ない。魔術式も……眺めるが異常は見当たらない。
「まさか……嘘でしょ?」
 パチュリーは小走りに机へと向かい、そこに積み上がった分析結果を読んだ。
 その結果に、彼女は息を飲んだ。
「パチュリー? どうかしたか?」
 一瞬気が遠くなりかけた。それを魔理沙の声で現実に踏みとどまる。
「いえ、何でもないわ。ただ、ちょっと結果が想定外だっただけよ。分析が終わるのに……三日ほど掛かりそうって……それだけ」
「なにぃっ!? そんなに掛かるのかよ? ちょっ!? 勘弁してくれよ。その間、私はどうしろっていうんだよ?」
 再び魔理沙が騒ぎ出す。その声が実に耳障りに思えた。
 パチュリーは、我知らず腕が震えているのを自覚した。歯を食いしばって、怒鳴り散らしたくなるのを抑える。
「そうね。フランの相手でもして頂戴」
「うおいっ!? 三日もずっとか? おま……そういうのじゃなくて、せめてここの本を読ませてくれるとかしても――」
「却下」
 そんな要求だけは、飲めるはずがなかった。
「小悪魔、白黒ネズミを妹様のところに案内してあげて」
「はい、畏まりました」
「縄は解く必要ないわよ? そのまま地下に放り込んでおけばいいから」
「は~い」
 頷いて、小悪魔が魔理沙へと近付いていく。
「人でなし~っ!!」
 魔理沙の悲鳴が図書館に響いた。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 三日後。時刻は夜中。
 魔理沙はゲッソリとした表情を浮かべて紅魔館から去って行った。フランドールの精神状態は安定してきているとはいえ、疲れ知らずの子供……それも吸血鬼とずっと遊んでいたのだ。休憩時間は食事とおやつのときぐらいだ。それは、疲れたことだろう。
 そんな報告を小悪魔から聞いた。
 だがそんな事、パチュリーはどうでもいいと思った。図書館の中。机に置かれた、一万ページ超の分析結果の紙の束をパチュリーは睨んでいた。その紙の束に、感情のほとんどが向いていた。
「確か、香霖堂……森近霖之助と言っていたわね」
 苛立たしげに、パチュリーはその名を呟いた。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 翌朝、パチュリーは香霖堂を訪れた。第一印象は、冴えない店だと思った。
 そして、外観だけではなく、中に入ってもやはり同じだと思った。何だか色々と使えなさそうなものがごちゃごちゃと置かれているだけにしか見えない。
「いらっしゃい」
 眼鏡を掛けた男が声を掛けてくる。香霖堂の店主、森近霖之助に違いない。やはり、店構え通り、才気溢れるようには見えなかった。それが、パチュリーの彼に対する印象だった。
「何か、御入り用かい?」
「いえ、そういう訳ではないわ。ちょっとあなたに話が有ってきただけよ」
「話……かい?」
 少し、がっかりしたような表情が店主の顔に浮かんだ気がする。
「まあ、何かめぼしいものがあれば買っていくわ」
「それは何より」
 今度はあからさまに表情に明るいものが浮かんだ。分かりやすい。
「言っておくけれど、亀の甲羅とかそんなのはいらないわよ? あれ、役立たずの上に邪魔でしょうがないんだから。あー? でも、そういえば最近はチュパカブラの爪研ぎになっているらしいけど」
「亀の甲羅?」
 はて? と霖之助は首を傾げた。
「自己紹介がまだだったわね。私はパチュリー・ノーレッジ。紅魔館の魔法使いよ。あなた、いつだったかうちのメイド長に大きいだけの亀の甲羅を売りつけたでしょう? 月に行くのに役立つはずだからって」
 そう言ってやると、店主は得心がいったらしい。
「ああ、あれの事か。でも、天狗の新聞では月に行くのは成功したと書いてあったけれど? なら、役に立たなかったということはないんじゃないかい?」
「あれが有ろうが無かろうが成功した。あなたは、お酒造りが成功したとき、戸棚に有る徳利が役立ったと考えるの?」
「お気に入りの徳利を使う事を考えれば、酒造りにも熱が入るというものさ」
「……まあ、素直に話を聞くとも思ってないけど」
「言っておくけれど、もう返品には応じないよ?」
「期待してないわ」
 メイド長から、人物像についてはある程度聞いている。それに、あの霧雨魔理沙との古い知り合いなのだ。捻くれていないわけがない。
「それに、話をしにきたというのはそういう事じゃないわ」
「というと?」
 パチュリーは小さく息を吐いた。どう言ったものか、言葉を選ぶ。聞きたい事は沢山有る。しかし、どこからどう聞けばいいものかは、迷う。
 結局、迷ったままパチュリーは口を開いた。
「霧雨魔理沙のミニ八卦炉。あれについて、話を聞かせて欲しい。あれを作ったのは、あなただって聞いているけど?」
「正確には、改造しただけだよ。元々、あれは暖房として使っていたんだ。でも、色々あって魔理沙が一人暮らしをすることになったからね。なら、魔法の研究に役立つんじゃないかと思って火炉を小型化してあの子にあげたんだ。あと、護身用にもなるかなと。丁度その頃……そこにあるストーブを手に入れたからというのもあるけど」
 それを聞いて、パチュリーは眉根を寄せた。
「それ、本気で言っているの? 本当に、そんな話なの?」
「そうだけど?」
 首を傾げる霖之助に、パチュリーは拳を握り締める。
「何を考えているの? 私は先日、あれを分析したわ。友人の妹のプレゼントのためにね。その子、あれと同じものを欲しがっているから。でも……あの分析結果は何よっ! ふざけてるのっ!? あの魔力増幅値……リミットも設けずに……下手すれば山一つが軽く吹き飛ばせる代物じゃないっ! かと思えば他にも有用なものから馬鹿げたものまで、ごてごてと沢山の機能を盛り込んで、ヒヒイロカネなんて稀少金属まで使って……なんなのよあれはっ! 一個の魔法道具としては、それこそ伝説級の宝具にすら匹敵するじゃないのっ! ただの人間の魔法使いがそんなもの……悪い冗談としか思えないわ」
 パチュリーは一気に感情を爆発させた。いや、むしろこの言い方でもまだ冷静な言い方だと思った。問答無用でここら一帯を蒸発させてしまいたい気分だ。
「あー、それについてはどこから言ったらいいのかな?」
 激したパチュリーの口調とは対照的に、霖之助は平静な態度で頭を掻いた。
「まず、魔力の増幅の具合だけれどね? それについては具体的な値がどんなものかは僕は知らない。そこまで魔法に詳しくはないからね。でも確かに今のあれは、やろうと思えば山一つは吹き飛ばせるだろうね」
 平然と、霖之助は答えた。
「別に、僕も最初に渡したときからそんなものを渡そうとしたわけじゃないよ。最初はちゃんとリミッターを付けたものにしたんだ。というか、元々あの火炉には改造前からリミッターが付いていたんだ」
「何ですって?」

“でも、渡した次の日にはリミッターを外されてしまった”

 その言葉に、パチュリーは息を呑んだ。
「更に言えば、最初はリミッターを外したとしても、山を吹き飛ばすなんて到底不可能なものだったよ」
「なら、どうして?」
「あれから、魔理沙が改造したんだよ。あちこちから稀少な素材を集めたり、研究したりして。最近は竜の爪を手に入れたとか言っていたから、また何か手を加えるんじゃないかな? まあ、僕も魔理沙に頼まれて改造の手伝いをしたりはしているけど」
「あれを……魔理沙が?」
 ああ、と霖之助は頷いた。
「まあ、実際に山を吹き飛ばすなんて事、あの子は間違ってもしないだろうから、そういう点については安心していい。山を吹き飛ばす事があるとすれば、吹き飛ばさなくてはいけない何かが起きたときだよ」
「どうして、そんな事が言い切れるの?」

“あの子は、天才だからね”

「天才? 魔理沙が?」
「そうだよ。ミニ八卦炉について、彼女ほど知り尽くしている人間はいない。その原理も構造も、使い方もだ。たとえどんなに酔っ払っていたとしても、取り扱い方を間違える事はしないだろうね」
 天才。その言葉に、パチュリーは押し黙った。
 そんな彼女に、霖之助は苦笑を浮かべてきた。
「意外そうだね? 君は、魔法使いとして魔理沙の事をどう思っていたんだい?」
「どうって……普通の、ただの人間の魔法使いよ」
 そう口にして、確かめるように頷く。
「扱える魔力の量も規模も精度も、種族としての魔法使いには届かない。人間の枠を超えていたりはしない。研鑽を積み続けるその精神性を才能と呼ぶのなら、それも才能だとは思う。事実、魔法の使い方はよく練習しているんでしょうね。あの歳で、しかも人間でという枠を考えれば上位の魔法使いと言っていいかも知れない。けれど……それでも、人間の枠を越えていたりはしていない。そういう意味での天才だとは思っていない」
「そうだね。純粋に、何も持たない魔法使いとしてのスペックを考えれば、その見立ては間違っていないと僕も思うよ。将来、あの子が捨虫や捨食の魔法を習得し、種族としての魔法使いになるのかどうかは分からないけれど」
 確かに、古代には人の身でありながら人を越えた魔法を使えるような魔法使いもいた。人の枠を越えた天才がいた。そして、彼らや彼女らは英雄となり伝説に名を刻んだ。パチュリーはそういう記録も多く読み知っている。
 しかし、霧雨魔理沙はそうではない。そんな規模の魔法を扱う人間ではない。
「魔理沙はね? 魔法を使う天才ではないよ。けれども、道具を作るという事に関しては天才なんだ。まあ、魔法も人の中では十分卓越した技術や知識を身につけているようだから、魔法使いとしてもそれなりに素質があるという事だったんだろうけど」
「道具作りの天才? まさか、いくら何でも」
 確かに、これまで彼女の道具作りの才能というものに着目したことは無かった。何故なら、概ね魔法そのものの腕と魔法の道具作りの腕は、比例するものだからだ。魔法の研究を通じて蓄えた知識と経験、応用力が無ければ、その結晶として魔法の道具も作れない。魔法の道具作りだけ、能力が飛び抜けているという可能性は低い。
 さらに言えば、八卦炉も調べるまではこれまで目にした機能が、すべてだと思っていた。
「天才だよ。多分、君もレポートを読めば分かるんじゃないかな? 推測だけれど、基本原理はどれも難しくはないと思うんだ。知識そのものは、まだまだ君の足下にも及ばないんじゃないかな?」
 その指摘に、パチュリーは呻いた。
 確かに、レポートは長大ではあったが、自分が理解すら出来ないような代物では無かった。だがその使い方、発想が斜め上を行っているものがほとんどだ。大凡、これまでパチュリーが学び、そして常識と考えていたものがまるで別物と言っていいほどに変質している。
 それは、ある意味では醜悪なまでに非常識だとすら思えた。だが別の意味でそれは、パチュリーが学んでいたものがただの旧態依然としたカビの生えた発想と指向性だとせせら笑い、そしてこれこそが革新なのだと伝えてくるかのようだった。
 それまでの常識を覆し、型を破る。それが天才だというのなら……ミニ八卦炉に込められたものは、天才の業の証明だというのか?
 その自問自答の答えを認めるより先に、霖之助が口を開いた。
「あの子は、昔からそうだったよ」
「え?」
 霖之助は懐かしむように笑みを浮かべた。
「魔理沙は、人里にある道具屋の娘として生まれたんだ。霧雨の血なのかな? 女の子だっていうのに、小さな頃から人形遊びより、道具弄りの方が好きな子だった。売り物にまで手を出して分解して、そうして親父さんに怒られるのもしょっちゅうだったよ」
「昔から手癖が悪かったのね」
 それを聞いて、思わずパチュリーは呆れ、嘆息した。霖之助も「まったくだ」と肩を竦めた。
「とはいえ、一方で親父さんはそれを喜んでいた節もあったけどね。道具に興味を持ち、道具の知識を深めていく彼女に、親父さんは大きな期待を抱いていたよ。親父さんも彼女に持っている限りの知識と技術を叩き込んでいた。それを魔理沙は何よりも楽しそうに吸収していた。その過程で、次々と道具の改良も行っていたよ。僕は当時、霧雨道具店で商売を学んでいて、親父さんの親馬鹿には随分と付き合わされたものさ」
「じゃあひょっとして、魔法もそのときから? 道具屋と言っていたけれど、魔法の道具も扱っているのかしら?」
 もしそうなら、魔法にも子供から馴染んでいたという事で、魔法の道具の知識に深くても不思議ではない。
 しかし、霖之助は首を横に振った。
「いや、とんでもない。人里に行ってみれば分かると思うけれど、霧雨道具店は一切魔法の類いの品は扱っていない。それどころか、あの店は絶対に魔法関係の品は扱わないよ。それが、あの家の掟だから」
「何ですって?」
 霖之助の説明に、パチュリーは困惑した。生まれつき魔法に馴染みが薄くて、それでどうしてそこまで魔法に拘るようになったというのか。
「魔理沙が家を出たのも、それが理由だよ。家の掟と、真っ向から対立したからね。どちらが悪いとも言えないけれど、親父さんも魔理沙も絶対に譲れない信念を持っているから、仕方ないと言えば、仕方ないのかも知れない。あんなに仲のよかった親子がこうなってしまうなんて、思いもしなかったなあ」
「何で、そんな掟が? それに、そんな掟があるのなら、どうして名前に『魔』なんて字を使っているのよ?」
 パチュリーの疑問に、霖之助は頬を掻いてしばし宙を見上げた。
「名前は、改名したからさ。あの子は家を出るときに、元の名前の字を魔法の『魔』に変えたんだ。掟は、そうだね。それは……今のところ、魔法が誰にでも使えるものではないからというのが、大きいだろうね。魔法は、その才能を持っている存在にしか、使う事が出来ない」
「それがどうしたっていうのよ?」
「その一方で、道具は使う人を選ばない。霧雨道具店はね? 先祖代々、道具で人々の生活を豊かにすることを一番大切な理念だと考えて商売をしてきたんだ。そして、等しく人々の生活を豊かに出来なくてはいけないって考えてきた。技術や知識は万人に平等に恩恵を与えなければ、それは本当の意味では豊かさを与えたとは言えない。一部にだけ恩恵を与えれば、それは相対的にそれ以外の人達に貧しさを与えるからね。だから、一部の人間や魔法使いにしか使う事の出来ない魔法は、あの店の理念に反するんだ。魔法使いを排外的に見ているわけじゃないけれど、魔法使いにしか恩恵を与えられないようなことは、したくないんだ」
「でも、魔理沙は魔法に興味を持った」
「そう、この幻想郷で魔法の存在を知らずに生きるなんてことは無理だ。そして、あの子は魔法を知ったときに思ったのさ。『これは凄く有用な技術だ』ってね。魔法の力を道具に使うことが出来たら、どんな凄いことが出来るのか? みんなが平等に、道具によって魔法の力を使えたら、どんなに素敵なのかって。魔理沙も霧雨の子だ。掟の根底にあるものを理解していないわけじゃない。ただ、親父さんとそこで魔法に対する見解が食い違ったのさ。そしてその見解の違いは、埋まらないままだ」
 霖之助は少しだけ目を伏せ、嘆息した。彼女の親子関係については、彼なりに気に病んでいるところがあるのだろう。
「魔法の方は、最近は独学だけど、以前はとびっきり強力な悪霊に師事していたらしい。それこそ、風見幽香に比肩するほどの力を持つほどのね? 具体的な修行内容までは聞いたこと無いけれど、君も言う通り、あの歳でも人間の中では上位に入れる程度の修行だったということじゃないかな? 当時から既に霊夢やアリスと色々、派手にやり合っていたようだし」
 そこまで話をして、霖之助は再び柔らかい笑みを浮かべた。
「つまり、魔理沙はね? 昔から道具に関係する才能を開花していたし、教育も受けていた。そして、彼女は幼くして家を飛び出すほどの信念と覚悟を持って、魔法の研究に打ち込んでいるんだ。確かに、魔法使いとしての年期はまだ浅いかも知れない。けれど、その密度は濃いものだと思っているよ」
 そして、静かに続ける。

“だから、不思議じゃないんだよ。あのミニ八卦炉が、何十年と生きた魔女にすら勝る代物だとしてもね”

 しかし、その静かな言葉に、パチュリーは唇を噛んだ。
「しかし、君も大変だね?」
「え?」
「友人の妹のために、あれと同じものを作ろうっていうんだろ? どこまでの機能を再現するのかにもよるけど、結構な大仕事だと思うよ? ここに来たときから、難しい顔ばかりしていたけど、それも無理の無いことだと思ってね?」
 いつしか、霖之助の笑みは悪戯っぽいものへと変わっていた。白い歯を見せてくる。
 パチュリーは疲れたように、嘆息した。
「……そうね。まったくだわ」
「でも、今回の分析は君にとっても、きっと有意義なものになるんじゃないかな?」
「そうかしら?」
 ああ、と霖之助は頷いた。
「僕はね。常々思っているんだよ。魔法使い達はもっと、自分の成果を公表し意見交換するべきなんじゃないかってね? そりゃあ、色々と専門分野や目指しているものが違うからというのもあるだろう。でも、だからこそだ。研究に没頭したいというのもあるだろうけど、工房に閉じこもりがちというのは、古来から続く魔法使いの悪癖だと思うよ」
「どうして?」
 自分の目指すもの。真理の追究にしろ、魔法技術の実現にしろ、生活のすべてを打ち込んで取り組む。それが魔法使いの生き様だと彼女は思っていた。自分の専門を極めるために、寄り道をするような非効率な真似は魔法使いとしての矜持に反する。
 だからこそ、パチュリーもまたそんな魔法使いを体現した生き方を貫き、それを誇りに思っていた。
「非効率だからだよ。自分以外の視点が入らないということは、新たな発想の無いままいつまでも同じところをぐるぐる回り続けることになりがちだ。特に、不眠不休なんてのはよくないね。疲れた状態で研究しても、集中力は落ちるだろうし、成果をあげるのは難しいだろう。別に、魔法に限らないと思うけれど」
 しかし、霖之助はそれを否定した。パチュリーはぐらりと、足元が揺れる思いがした。
「それだけじゃない。成果が他人の目に触れないということは、その成果が埋もれがちになるということだ。外の世界で魔法を知る者が少なくなり、魔法が衰退し、こうして幻想となった背景には、その悪癖が理由として大きいと思うよ」
 パチュリーは押し黙ったまま、霖之助の話を聞いた。自分の在り方を否定する話だ。受け入れがたい気持ちはある。しかし、反論の言葉は思い浮かばない。
「けれど、今回君は八卦炉を調べることで新しい発想を手に入れた。僕は君の専門分野が何かは知らないけれどね? それはきっと、君の今後の研究にも役に立つはずだよ。もし、分からないところがあれば魔理沙に聞いてみるといい。あの子は喜んで教えるよ。他人の魔法を参考にすることも多い分、自身の魔法について広めることにも抵抗は無いから。生憎と、その機会は少ないようだけどね」
 パチュリーは相槌を打とうとして、だが沈黙した。自分を否定するような言葉は口に出来なかった。代わりに、小さく笑みを浮かべた。本当に、笑みとして伝わるような表情を浮かべられたか、自分では分からないけれど。
「さて、僕からの話はだいたいこんなところなんだけど――」
「なによ?」
 怪訝な表情を浮かべるパチュリーに、霖之助はにっこりと笑みを浮かべた。
「何か、買ってくれるかい?」
 パチュリーは溜息を吐いた。この店は、喧嘩でも売っているのだろうか? とか、そんなことを一瞬考えた。こちらの事情を何も知らないのだから、そんなわけもないのだろうが。
 思わず、ジト目が浮かんだ。
「そうね。めぼしいものが無いか、聞かせてくれる?」
 待っていましたと表情を輝かせる霖之助を見て、この店主は商売には向いてないに違いないとパチュリーは思った。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 虚空を見上げる。
 視界の先には、青い空が広がっている。庭園の一角に置かれたベンチに、パチュリーは座っていた。
 香霖堂を訪れてから、一週間が過ぎた。それからというもの、気付いたらここにいることが多い気がする。
 一人になりたい気分だった。吸血鬼の姉妹は、好き好んで日中の屋外へは出てこない。メイドやホブゴブリン達も、それぞれの仕事で館の中にいるのがほとんどだ。
 本来なら、彼女も外に出るようなことはしない。たくさんの本に囲まれた地下図書館。あの場所こそが、もっとも落ち着く空間だ。あそここそが、自分の居場所だ。
 しかし、今はあそこにはあまり居たくない。
 逃避だというのは分かっている。しかし、八卦炉のレポートを読み進め、理解していくことに、前向きにはなれなかった。
 このままでは、フランドールにミニ八卦炉を作ってあげるという約束も、いつになるか分かったものではない。
 友人の妹で、同じ館に住む住人だ。家族同然で生活している少女の期待には出来るだけ応えたいし、格好悪い姿も見せたくない。
 と、そんな静かな時間が破られた。足音が近付いてくる。

“今度の悩み事は、随分と時間が掛かりそうですね?”

 パチュリーは声の主をちらりと横目で見た。
 美鈴は如雨露とシャベルを持っていた。花壇の世話だろう。それだけ確認して、パチュリーは彼女から視線を外した。
「……別に? ただ、たまには外の風に当たろうと思っただけよ」
「そうですか? でも、その割には、最近はその『たまに』が多い気がしますけど?」
 にっこりと、美鈴が笑みを浮かべてくる。しかし、その笑みが、パチュリーには不愉快に思えた。
「いいじゃないの。何か、悪い?」
「いえ、ただ気になっただけですよ。普段は図書館に閉じこもりっきりのパチュリー様が、こうして外に出られるのは珍しいですから。それも、こうしてここで過ごされるときは、今まで決まって何かあったときでしたからね」
「そんなことないと思うけど?」
 勝手に人のことを決めつけるなと、パチュリーはむくれた。
「そうですか? じゃあ、以前にこちらに来たときって何がありましたっけ?」
「何って……何かあったとでも?」
 というか、前にここでこういう過ごし方をしていたのはいつだったか? そもそも、そんなことあっただろうか?
 パチュリーは記憶を辿るが、思い出せない。
「そうですねー、だいたい二十年くらい前でしたっけ? お嬢様に『一瞬で美味しいプリンを作る程度の魔法を教えろ』みたいな無茶言われて、ブチ切れてました」
 言われて、思い出す。確かにそんなこともあった。同時に、そんな前のこと思い出せるものかと思った。
 結局そのときは、どうやってもそんな魔法は出来ないどころか、出来たとしても普通に作る方が遙かに効率的だということをレミリアに教えたのだが……。
 その結果レミリアは『何だ、魔法って大したことないのね』などとさらなる暴言を吐いたのだった。今思えば、魔法の勉強をしたくないから屁理屈言って怒らせてきただけのような気もする。本当に美味しいプリンを作る程度の魔法が出来たら御の字なわけで。
 そして、そのまま……レミリアとパチュリーが大喧嘩して疲れ切って、もうどうでもいいやと……その話は有耶無耶になったのだった。
「確かに、そんなこともあったけど、ただの偶然よ」
「そうですか? 最近でも、月に行くロケットを作るときとかは、よくここに来られていましたよ。今ほどしょっちゅうではありませんでしたけどね」
「ただの気分転換よ」
「それはつまり、気分を変えたい状態に陥っていたということですよね?」
 パチュリーは小さく呻いた。ほんのちょっとの気晴らしをそんな大袈裟に捉えるとか……屁理屈だと思ったが、上手く言い返せる言葉が思い浮かばない。下手なことを言えば、また言い返されそうだ。
 もっとも、こうした沈黙が一番の悪手だとは思うけれど。
 いや、……確かに、あのときも何度か考えが煮詰まったときや技術的に難しいと頭を悩ませたときはあった。そのときはよくここに来ていた。あまり自覚はしていなかったけれど。
 そういう意味でも、下手な反論では潰される。こうした証拠があるのだから、自分を欺くことは出来なかった。
 たっぷりと、十秒の沈黙の後、パチュリーは口を開いた。
「まあ……研究を続けていれば、たまにはちょっとの気晴らしをしたい気分になるときもあるわ。自分でも気づいていなかったけれど、そういうときここに来ることが多かったって……それだけでしょ? ここは静かで……暖かくて、花が綺麗だから。別に、何かを悩んでいるとか、そんな話じゃないわ」
 だから、さっさとここから立ち去って欲しいとパチュリーは思った。今は一人でいたい。あまりしつこく絡まれたい気分ではない。
「はあ、そうですか。それならいいんですけどね」
 しかし、美鈴はにこにこと笑みを浮かべるだけだ。立ち去る様子は無い。邪険にする理由も無いが、今はそんな美鈴が疎ましい。
 八つ当たりの感情が湧いて、パチュリーは気分が悪くなった。
「ところでパチュリー様?」
「何よ?」
 機嫌が悪い声を出さないように努めるが、それでも滲み出ている。そんな気がした。

“妹様へのプレゼントの調子はどうですか? 妹様、凄く楽しみにしているようですよ?”

 その言葉に、パチュリーはぎゅっと拳を握った。よりにもよって今、一番触れられたくない話題だ。
 そして、すぐに後悔する。美鈴がにまっとした笑みを浮かべていた。
「……ほら、やっぱり悩み事があるんじゃないですか」
「だから、別にそんなんじゃ……」
 美鈴を睨むが、彼女は勝ち誇ったように笑うだけだ。
「まあ、別に何でもいいですよ? 何かあるのなら、話してください」
 優しげに言ってくる美鈴の言葉が、癪に障る。苛々してくる。
「何も無いって言っているでしょ? でも、しばらく一人でいたいのよ。悪いけれど、どこかに行ってくれる?」
 疲れたように、パチュリーは美鈴に言った。

“お断りします。一人になりたいのでしたら、パチュリー様がここ以外のどこかに行ってください”

「なっ!?」
 笑顔のままの拒絶に、パチュリーは戸惑う。笑顔だが、声は笑っていない。
「ちょっと、迷惑なんですよね。いつまでもそうして不機嫌な雰囲気を撒き散らされていると。花に良くないですし。ですから、私がご相談に乗ろうかと思ったのですが」
 戸惑いはすぐに怒りへと切り替わった。立ち上がって美鈴の頬へと手を上げる。
 だが、乾いた音を立ててそれは弾かれた。冷笑を浮かべて、美鈴が見下ろしてくる。
「随分と、余裕が無いようですね? 私がそんなもの食らうとでも?」
「あんた……ねぇ」
 武術の達人である美鈴に、通じるわけがない。そんなことは分かっていたが……。
「門番風情が……あんたが、どこか行きなさいよっ!」
「お断りします」
 パチュリーは美鈴を睨むが、美鈴にはまるで臆する様子が無い。
 やれやれと、美鈴が嘆息した。
「じゃあ、こうしましょうか?」
「何よ?」
「決闘しましょう。この幻想郷でのルールに従い、弾幕ごっこで勝負です。私が勝ったら、パチュリー様はここにいてもいいです。私は素直に立ち去りましょう。その代わり――」
「何よ?」
「パチュリー様が負けたら、何を悩んでいるのか、素直に白状してください」
「……いいわ」
 パチュリーは条件を飲むことにした。
 少し弾幕を放つ程度でこの邪魔な門番がどこかに行ってくれるなら、安いものだ。それに、むしろ弾幕ででも痛めつけられるなら願ったり叶ったりだ。
 悩み事については、話を整理して説明出来る気はしなかったが、それも心配していない。何故なら、負けることなどあり得ないから。
 昏い笑みをパチュリーは浮かべた。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 勝負は互いにスペルカード三枚を使用する事に決まった。
 最大三枚のスペルを使用し、避けた相手のスペルが多い方が勝ちだ。
 パチュリーが用意するのは、月符「サイレントセレナ」、日符「ロイヤルフレア」、火水木金土符「賢者の石」。
 些か、相手をするには過剰だと思ったが、気にしない。むしろ、徹底的に叩き潰してやろうと思った。
 門と館の入り口に立ち、彼女らは相対する。
 まずは一枚目のスペルをパチュリーは宣言した。高々と腕を上げる。

“月符「サイレントセレナ」”

 宣言と同時に、庭園の頭上に無数の弾幕が浮かび上がっていく。それらは次々に増殖し、空を埋め尽くしていった。まるで、満点の星空だ。これらが降り注げば、躱す術など有りはしない。
 美鈴もスペルカードを宣言した。

“華人「瞬光落葉」”

 パチュリーは眉を潜めた。
 美鈴がこれまで、そんな名前のスペルを使用したことは無い。まさか、新しく用意していたというのか? しかし、その割に構えはどこかで見たことあるような? 彼女のスペルカード、彩翔「飛花落葉」に似ている?
 いや、問題ないとパチュリーは判断した。どんなスペルだろうと、この圧倒的弾幕で押し潰すのみ。
 パチュリーは腕を下ろした。それを合図に、流星群の如く弾幕が落ちていく。
 だが、次の瞬間にはパチュリーは驚愕した。
 突然、目の前に美鈴がすっ飛んできた。反応など出来はしない。悲鳴を上げる暇すら無い。
 パチュリーの体が高々と空に舞った。
 そして、地面に叩き付けられる。
「むきゅんっ!?」
 パチュリーを吹き飛ばした美鈴は、そのまま館の壁を蹴り、その反動で地面へと降り立った。
「ぐ……ぬぬ」
 一本取られた。まさか、弾幕が降り注ぐよりも先にこちらに距離を詰めてくるとは……初見だったとはいえ。対応できなかったのが屈辱だ。
 パチュリーは素早く立ち上がり、二枚目のスペルを宣言する。

“日符「ロイヤルフレア」”

 続いて、美鈴もスペルカードを宣言した。

“彩符「八雲彩風」”

 また、新しいスペルカード?
 今度はどんな弾幕だというのか。パチュリーは身構えた。
 美鈴の周囲に様々な色の弾幕が展開された。緩やかにカーブを描きながら、こちらに向かってくる。名前と弾幕の軌道から考えるに、今度は彩符「極彩颱風」に何か手を加えたということか?
 だが、ロイヤルフレアの密度には敵わない。パチュリーはそう判断し、ささやかに安堵した。
 次々と美鈴の弾幕はロイヤルフレアの弾幕に飲み込まれ、相殺し消滅する。たまに隙間をすり抜けてくる弾幕もあるが、避けるほどでもない。それらは脇を通り過ぎていくだけだ。弾幕の数はこちらが優勢。押し切れる。
 あともう少しで、今度はロイヤルフレアが美鈴の体を包み込む。
「むぎゅえぇぇっ!?」
 そう確信した直前、パチュリーは後ろからの不意の衝撃で、前へと吹き飛ばされた。
 一瞬、シャチホコの様なポーズになって、地べたに俯せる形で倒れる。
 見上げると、美鈴が勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「さて、これで私の2本ストレート勝ちですね」
「くっ……この……」
 わなわなとパチュリーは怒りに身を震わせた。立ち上がり、スペルカードを宣言する。

“火水木金土符「賢者の石」”

 これが反則であり、たとえ美鈴に弾幕を当てることが出来たとしても敗北という結果に変わりが無いことくらいは分かっている。けれど、それでも一矢報いたかった。
 パチュリーの周囲に、等身大の魔方陣が浮かび上がる。
 この展開は予想していたのか、美鈴もすかさずスペルカードを取り出した。

“極彩「見様見真似の賢者の石」”

 そのスペルカード名に、パチュリーの頭はいよいよ以て沸騰した。
 美鈴の周囲にも、弾幕の射出点と思しき光点から、弾幕が次々と湧き出してくる。
 だがよく見れば、美鈴の展開する弾幕は「賢者の石」とは名ばかり構成だ。パチュリーの展開する弾幕に比べて、圧倒的に数が少ない。その上、速度も足りない。
 ありったけの魔力を魔方陣に込め、視界を覆い尽くすほどの弾幕をパチュリーは打ち出した。ロイヤルフレアのときは不意打ちでやられたが、今度こそ弾幕の数で圧倒出来るはずだ。
 だが、その期待は裏切られた。
「ぐっ……思ったより粘るわね」
 どれだけ弾幕を打ち込んでも、美鈴に当てた手応えが返ってこない。それどころか……。
 あんなにも乏しかったはずの美鈴の弾幕を貫けない。むしろ、押し返されている!?
 パチュリーはその現実に戦慄した。美鈴は確かに武術の達人ではあるが、弾幕ごっこはどちらかというと苦手としていたはずだ。魔法の素地を大きく生かせるパチュリーならばともかく、美鈴にこれだけの弾幕を展開する真似は不可能なはず。
 より一層、パチュリーは魔方陣に魔力を込めた。自分でも制御できるかどうか、その限界。ここまでの本気は、これまでも出した覚えが無いほどだ。
「……嘘でしょ!?」
 しかし、その限界に美鈴はあっさりと付いてきた。即座に、さっきよりも強力な弾幕が放たれてくる。
 このままでは、押し負ける。
「馬鹿な……そんな、馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な……馬鹿なあああああぁぁぁぁ~~~っ!?」
 怒りに身を任せるまま、パチュリーは弾幕を限界まで打ち込んだ。
 そして、体力と集中力が途切れたそのとき、彼女は無数の弾幕に潰された。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 目が覚めると、パチュリーはベッドの上に寝かされていた。
 そして、傍らでは紅色の髪の妖怪が椅子に座っていた。
「あ、お目覚めになった――」
 美鈴の言葉は最後まで言わせなかった。気付くなりパチュリーは飛び起きて美鈴の胸ぐらを掴んだ。
「こ……このっ! 中国っ! パクりっ! 中国っ! パクりいいいいぃぃっ!」
「パクりじゃありません。リスペクトです」
「やかましいわっ! リスペクト言ったら何でも許されると思うなっ! ……むぎゅっ!?」
 突如として全身から激痛が伝わってくる。あれだけの弾幕を立て続けに食らったのだから、当然だ。
 パチュリーは荒い息を整えた。
「何なのよあれ? 初見殺しばっかり……しかも、全部パクりよね?」
「そんな人聞きの悪い……ちょっと、参考にさせて貰っただけですよ」
 何の悪びれも無く、美鈴は苦笑した。
「最初の奴……あのスピード。妖夢のよね?」
「”妄執剣『修羅の血』”ですね。妖夢さんの歩法をまだ完全にはマスター出来ていませんが、大分近づけたかなと思います」
「次のアレは八雲紫よね?」
「” 魍魎『二重黒死蝶』”を参考にしました。いや~、弾幕をあれだけの角度で曲げるようにするのは苦労しました」
「一度避けた弾幕が画面枠外からバックアタック仕掛けてくるとか……最下段にいたらそりゃ当たるでしょうっ!」
「唐突にメタいこと言わないで下さいよ」
「最後のやつ……アレは」
「ええ、パチュリー様の『賢者の石』です」
「どこがよっ!? あれ、ほとんど打ち返し弾じゃない」
「名前だけそれっぽく?」
「おいっ!」
「というか、私がまともにやってパチュリー様の弾幕に数で対抗できるわけ無いじゃないですか」
「分かってるわよっ!」
 その当たり前に、気が付かなかったし、観察力が足りなかった。頭に血が上っていたとはいえ、それが悔しい。
「打ち返し役は誰がやっていたの?」
「私の気で防御力を強化したメイド妖精です。弾幕発射点の後ろに隠れて貰っていました。いやー、妖精も数が多いと侮れませんねえ。芳香さんに施された術を真似してみたのですが、私もあそこまであの子達がやるとは思いませんでした」
 と、美鈴が困ったように苦笑を浮かべてきた。
「しかし、打ち返し役をお願いしていたメイド妖精がパチュリー様のせいで大量虐殺されてしまいました。どうしましょう?」
「知るかっ!」
 とはいえ、実際のところ紅魔館の維持にはそれほどのダメージにもならないと思うが。まあでも、それでも咲夜からは雷が落ちると思うし、たっぷり落とされることを希望する。
 大きくため息を吐いて、パチュリーは美鈴の胸ぐらから手を離した。
「ところでパチュリー様?」
「何よ?」
「約束は、覚えていますよね?」
「……ええ、分かっているわよ」
 苛立たしげにパチュリーは頭を掻いた。約束は約束だ。今更反故にすることは出来ない。
 だが、パチュリーは沈黙した。
 美鈴が小首を傾げる。
「そんなに、話しにくいんですか?」
「というより、何から話せばいいのか分からないのよ」
「……やっぱり、妹様へのプレゼント。八卦炉の関係ですか?」
「まあ、そうなんだけどね」
「あれ、相当に難しいんですか?」
「そういうのとも、ちょっと違うわね。まあ、稀少な魔法金属も使われているし、確かに難しい部分も多いけれど」
 しかしそれでも、どうしても再現できないというほどでもない。少し時間はかかるけれど。
「何から話せばと思ったけど、そうね……こっちから話した方がいいのかもね」
 パチュリーは肩を竦めた。
「賢者の石」
「はい?」
「私の研究目標の一つよ」
「それは……まあ、聞いていますけど。それがどうかしたんですか? だってパチュリー様、もう賢者の石は出来ているじゃないですか?」
 美鈴の疑問に対し、パチュリーは自嘲した。
「紛い物よ。あんなもの。まだ私も見たことも無いし、正体も知らないけれど……。けれど、本物の賢者の石にはほど遠い紛い物」
「そうなんですか?」
 パチュリーは頷いた。
「賢者の石がどんなものか、それは結局誰にも分かっていない。卑金属を貴金属に変換出来る触媒という記録もあれば、永遠の命を授ける霊薬の素という記録もある。無限の知識を蓄え、持ち主にそれを与える魔石という記録もあるし、膨大な魔力を蓄えていたという記録もある。そして、私の作った魔石はそんなものにはほど遠い紛い物なのよ」
「でも、それでも作ろうというのですか?」
「そうよ。実在したのかすら怪しい賢者の石の再現。あるいは、それが古人のただの妄想だったとしても、それに相応しいだけの魔石を創造すること。それが私の研究目標よ」
「何で、そんな――」
「純粋に、魔法使いとしての興味よ。それ以上でもそれ以下でもないわ。理由なんて、特に無いのよ。賢者の石がどんなものか、私はこの目で見てみたい。ただそれだけ」
 パチュリーは拳を握り締めた。
「では、その賢者の石がどうかしたのでしょうか?」
「真の賢者の石がどんなものかは知らない。けれど膨大な魔法の内蔵、そして魔力の増幅機能を備えていることは確かよ。そして魔理沙のミニ八卦炉。あれはそれらの点において私の賢者の石を大きく凌駕していたわ。認めたくないけれど」
「なるほど、そういうことだったんですね」
 そう言って、美鈴は微笑んできた。何が可笑しいのかとパチュリーはむくれた。
「要するに、パチュリー様は魔理沙さんに負けて悔しいのと、それが妹様にバレると恥ずかしかったんですね」
 美鈴の問いかけに、パチュリーは舌打ちを返すことで肯定した。
「まあ、そんなこともありますよ。魔理沙さん、天才ですし」
「天才……ね」
 パチュリーは嘆息した。
「あなたも、魔理沙のことを天才って言うのね。魔法を使う才能は、どう見積もっても普通の人間の枠を越えていないというのに」
「弾幕ごっこという形だったとしても、パチュリー様と対等に戦える人間ですよ? たとえ魔法の才能がそうだったとしても、それ以外のところで、何か天賦の才が無ければそんなことにはならないじゃないですか」
「香霖堂の店主。魔理沙の古くからの知り合いは言っていたわ。魔理沙は道具作りの天才だって。……あんたの方が、よっぽど魔理沙のことを見る目があったって事ね」
 逆に、自分には見る目が無かったという現実。パチュリーは陰鬱な気分になった。
 美鈴は苦笑して小首を傾げた。
「どうでしょうね? 相手が他ならぬ魔理沙さんだからこそ、パチュリー様は見誤ったんじゃないですか? 私には、そう思えたんですが?」
「どういうことよ?」
「パチュリー様は意地っ張りってことですよ。魔理沙さんにだけは負けたくない。どこかで、そう思っていたんじゃないですか? だからこそ、魔理沙さんの実力を過小評価していたんじゃないかと」
 パチュリーは黙考した。
 確かに、そんな感情が無かったと言えば嘘になる。しかし、それはライバル視していたとか、そういう意味とは少し違った気がする。
「どうかしらね? 負けたくない……特にあんにゃろうのどや顔なんて見たくないというのは確かだけれど。でも、どちらかというと、見下していたというのが先だと思う。確かに、弾幕ごっこで負けることもあったかも知れない。けれど、天才でもない……普通の人間の魔法使い如きに、本気で魔法で負けるはずが無いって思ってた。美鈴も思わない? 武術で人間に負けるはずが無いって。それが、普通の人間に負けたとしたら――」
「そうですねえ、人間って侮れないですからねえ」
 美鈴のしみじみとした口調に、パチュリーは眉をひそめた。
「どういう意味? 何だか、人間相手に負けることもあるって聞こえるんだけど?」

“ありましたよ?”

 その返答に、そしてそのあっけらかんとした態度にパチュリーは呆気にとられた。
「え? え? えええ?」
 美鈴は苦笑した。
「と言っても、私が紅魔館に流れ着く前の話ですから、もう二百年はそんなことは無かったですけどね。でも、負けることはありました。ただの人間相手に、一対一で」
「あなた相手に? どんな化け物よ?」
 というか、それははっきり言って天才の類いではないのだろうか? パチュリーはそう思った。
「化け物って……いや、そんなことないですよ? ごく普通の人間でした。武術の才能は並。修練は真面目に積んできていた。それだけの普通の人間です」
「どうして負けたのよ?」
「一言で言えば、私の未熟と驕りでしょうね。でもその人間は、私のそんな僅かな綻びを大きく広げ、油断を誘い、そして致命的な一撃を入れてきました」
 美鈴は肩を竦めた。
「言い訳をすれば、別にあのときも侮っていたつもりは無かったんですが……。でもやっぱり、慢心はしていましたね。人間よりも遙かに長く修練を積み、そして事実、その前も人間に負けるなんてことはほとんど無かったですから」
「それ、本当に普通の人間だったの? どんな状況で戦ったのよ?」
 実は美鈴が知らないだけで、武術の天才だったということは無いのだろうか? 文献を漁れば、何か手がかりが見つかるかも知れない。そう、パチュリーは思ったのだが。
 美鈴は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「いえ、本当に普通の人間でしたよ? 顛末だけを言うと何て言うか……ちょっとお腹空いて、食い逃げしようとしたら、その場にいた禿げ親父にやられちゃったという具合でして。その禿げ親父さん、後世に名前が残っているとか、そんな話も聞いたこと無いので、平凡に人生を終えたんじゃないでしょうか? いや~、人間ってつくづく侮れないものだと再確認しました。恐いわ~、人間恐いわ~」
 うんうんと、美鈴は頷いた。そんな美鈴に、パチュリーは違和感を覚える。
「随分と普通に話すのね? ショックじゃなかったの?」
「そりゃまあ、それなりに凹みましたけどね。でも、昔の偉い人は言っていました。『学ぶところがあれば相手が子供であっても頭を下げなさい』ってね? 元々、私にも武術の才能なんて無いんです。あるのは人間よりも長く積む事が出来た修練だけです。そんな私が、人間も含め誰かを侮るなんて、驕りもいいところですよ。貪欲に、相手の優れたところを吸収していかないと、成長しません」
「その結果が、あのパクりか」
「リスペクトですってば」
「……まあ、そういうことにしておいてあげるわ」
 実際、優れたところを吸収し我が物としているのだから、ただのパクりというつもりではないのだろう。
 パチュリーは頭を掻いた。
「結局、私も驕っていたってことね。たかだかこの狭い幻想郷の中で、そして図書館の中だけで、その知識と魔法に悦を覚えていただけの井の中の蛙だったということか」
「そうですね。古人の糟粕なんて言葉もあります。書物で得る知識も大切ですが、それだけでは足りません。パチュリー様はもっと、書物以外のことからも学べるものが多いと思います」
「古人の糟粕ね。そういえば、いつだったか天人にも言われたことあったわね」
 もっともあのときは、それほど心に響かなかったのだが。あのときは、相手が天人ということもあり、それほど打ちのめされたと思っていなかったということだろう。
「結局、私はどうしたらいいと思う? 美鈴」
 ふむ、と美鈴はしばし虚空を見上げた。
「そうですねえ。パチュリー様の悩み事は分かりましたが。結局、ただの杞憂だと思いますよ?」
「杞憂?」
「ええそうです。妹様もレミリアお嬢様も、それでパチュリー様に幻滅するなんて事は無いでしょうし、魔理沙さんも勝ち誇ったりはしませんよ」
「何でそう言い切れるの?」
「妹様もレミリアお嬢様も長い付き合いですからね。負けず嫌いのパチュリー様が、このまま負けっぱなしだなんて、欠片も思わないでしょうし。魔理沙さんも、パチュリー様から色々と魔法の知識を吸収していますからね。パチュリー様から学ぶところが沢山あると思っている魔理沙さんが、パチュリー様に対して本気で驕るなんてことは無いでしょう。自室でこっそり『うふふ』とか、にやけることくらいはあるかも知れませんが」
「なるほど」
「敗北を知ることは、悪いことばかりじゃないですよ。自分に足りないものが分かりますから。強いて言うなら、パチュリー様はこの敗北を受け入れて、ミニ八卦炉のレポートをきちんと読み、その中に書かれていることを吸収することをお勧めします。そうすれば、間違いなく魔理沙さんよりも優れた八卦炉が作れるはずですから」
「そうね。道具屋の店主も、あのレポートは私の研究にとって有用になるはずだって言っていた。結局、それしかないのね」
 自分以外の誰かの知識や技術を取り入れることの有用性も、美鈴との弾幕ごっこで痛いほどに理解した。
 敗北を認めずにいつまでも逃げ回っているのであれば、それこそが敗北だ。それならば、相手を認め、優れたところを吸収し凌駕する方が、よほど建設的だ。
「ありがと、美鈴。少し、感情に整理が付いたわ。しばらく寝て頭も休めたいから、席を外してくれる?」
「はい、分かりました。では、お休みなさい」
「お休み」
 不眠不休はよくないと、店主は言っていた。なら、睡眠の効果がどのようなものか試してみるのも、悪くない。
 パチュリーは目を閉じた。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 睡眠を取ったのは正解だったように思う。
 目を覚まして図書館に向かいながら、パチュリーはそう思った。気分的なものかも知れないが、頭の中がすっきりしたように感じる。
 扉を開け、パチュリーは図書館の中に入った。机へと向かう。
「あら?」
 珍しいものを見た気がする。
 フランドールが机に向かって、本を読んでいた。
 姉ほどではないが、妹の方もそれほど勉強熱心というわけではない。吸血鬼の性なのか、フランドールも気まぐれで我が儘だ。そのときどきの好奇心の赴くままに行動する。気分の乗ったときにしか、ここに来て勉強しようとしない。
「あ、パチュリー。お帰り」
「フラン、それって――」
「うん、魔理沙の八卦炉のレポート。どんなものか、私も知りたかったもの。ダメだった?」
「ううん、そんなこと……無いわ」
 ぎこちなく、パチュリーは笑みを返した。おそらく、フランドールはレポートのありかを小悪魔に訊いたのだろう。小悪魔に断れるわけも無い。
「でもパチュリー、やっぱりこれ難しいわね。パチュリーから前に教えて貰ったことのある部分が結構使われているみたいだけど……変な使い方ばっかり」
「そうね、魔理沙のアレンジが結構あるみたいね」
 むむむ、とフランドールは眉根を寄せて皺を作っていた。
 その姿を見て、パチュリーは少しだけ安堵した。どうやら彼女は、八卦炉の理解に興味が向いているのか、自分に幻滅はしていなかったようだ。
「ん~? でもさ、パチュリー?」
「何?」
「私思ったんだけど、パチュリーならもっと凄いものに改良出来たりしない?」
「え? どうして?」
 パチュリーは小さく息を飲んだ。
 自分の実力を高く見積もってくれるのは嬉しい。しかし、あまり過大な信頼を寄せられても、それに応えられる自信は無かった。それを裏切ってしまったときが……やはり、恐い。
「ほらここ? ここって、多分黒の本の第9章のところに書いてあったことを使っていると思うんだけど、でも蒼の記録66節がそれを元により効率化されているんでしょ? なら、そっちにしてみたらどうなのかって思ったんだけど? ……間違ってるかな?」
 そう言って、フランドールはレポートの図面を指さしてきた。
 それをパチュリーは見て、精査する。理屈としては、合っていた。
「……そうね。確かに、その通りだわ」
 その言葉に、フランドールは表情を綻ばせた。
「だよね? 他にも、こういう箇所って沢山あると思うの。ほら、こことかは見たこと無いけど、同じ事をするのに紅蓮の書の第3章に書いてあったこととかの方がいいんじゃないかって」
「どれどれ?」
 再びパチュリーはフランドールが指さした記述に目を落とした。そこもまた、八卦炉の粗だった。いや、自分が知っている知識で改良可能な箇所だった。
「……ちょっと、貸して貰える?」
「え? うん」
 はい、と渡されたレポートを受け取り、パチュリーは次々とページを捲った。自分の知っている知識……この図書館の書物に書かれている知識の中で、更に上位互換が存在する知識に対し、より下位のものを使用していた箇所が無いかを洗いだしていく。
 その箇所は、ところどころで見つかっていく。
 にたぁ……と、パチュリーは唇を歪めた。
 考えてみれば、当たり前のことだ。魔理沙はこの図書館の知識すべてを知っているわけではないし、知識を体系的に理解することも出来なかった立場だ。どうやっても、理解のしやすいものからつまみ食いをし、それを応用していくしか無い。
 その応用力は目を見張るものはあるが、よくよく観察してみれば、全体として同じクオリティの技術が使われている訳でもないし、歪な箇所も見受けられる。
 この一週間、応用力の凄まじさに打ちのめされていたが……。なるほど、疲れもあってか、大分視野狭窄していたようだ。
 頭を休めること、フランドール……他人の視点を入れることの有益さを実感した思いだった。
「ふ、ふふ。勝てる……これなら勝てる」
「パチュリー?」
 首を傾げるフランドールに、パチュリーは視線を向けた。
「妹様。魔理沙よりも凄い八卦炉、作ってみませんか?」
 とびっきりイイ笑顔を浮かべて、パチュリーはフランドールに提案した。
 フランドールは目を輝かせてその提案に賛成してくれた。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 図書館に爆音と爆光が展開される。
 そして、その中の悲鳴。忍び込んできた白黒ネズミ。
 フランドールの相手をしてあれだけ憔悴していたというのに、懲りないものだとパチュリーは感心した。まあ、懲りるなどとは微塵も思っていなかったが。
 本棚の影から魔理沙が飛び出す。その手にはミニ八卦炉。狙いはこちらに向けている。
 すかさずパチュリーは魔法による防御壁を展開。光の奔流が目の前で砕け散り、飛沫となる。
 山を吹き飛ばすような本気のマスタースパークでもなければ、この程度で耐えられる。もっとも、これからどれだけ威力を調整、増幅し、障壁を破ってくるのかは定かではないが。
「フラン。今よ」
「うんっ!」
 パチュリーの隣にいたフランドールは手にしたミニ八卦炉を魔理沙に向けた。
「うぇっ!?」
 魔理沙の驚いた声が聞こえてくる。
 魔法障壁でよく見えないが、魔理沙の周囲にはレーザーが展開され、彼女を囲んでいるはずだ。
 これでもう、逃げ出すことは出来ない。
「さて、あのネズミを捕まえて下さい」
「は~い!」
 フランドールはミニ八卦炉を構えたまま、元気よく魔理沙の元へと駆け寄っていった。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 魔理沙は目を輝かせていた。その瞳の光はまるでシイタケのようだ。
 捕まったとか負けたとか、そんなことはまるで気にしていないらしい。自分も人のことは言えないが、こいつは魔法バカもいいところだとパチュリーは思った。
「なあなあ、パチュリー? フラン? さっきのってあれだろ? 私のミニ八卦炉を改良したんだよな? どうやったんだよ? なあ? なあ?」
 鼻息を荒くして魔理沙が詰め寄ってくる。
 ちなみに、さっき魔理沙を捕まえたのはマスタースパークの本数を増やして、更に展開先も分離。レーザーで禁忌「カゴメカゴメ」をやったような具合だ。
「はいはい、そんな顔しなくても教えてあげるわよ」
 やれやれと肩を竦めると、魔理沙はきょとんとした顔を浮かべた。
「何よ?」
「いや? パチュリーが素直に教えてくれるなんて、珍しいと思ってさ」
「悪いっ!?」
「いや、悪くないっ! 全然悪くないってっ!」
 睨み付けると、魔理沙は慌てて目の前で手を振った。
「そう。じゃあ、妹様。魔理沙にそのミニ八卦炉を見せてあげてください」
「うん、いいよ」
「……流石に、ヒヒイロカネとかは私にもすぐには調達できないから、作りかけだけれどね」
 興味深げに、魔理沙はフランドールのミニ八卦炉を見つめた。
 短くパチュリーは咳払いする。
「それと魔理沙。悪いけど、確認という意味だけれどあなたのミニ八卦炉、いくつか教えて欲しい箇所があるんだけれど、いいかしら?」
「おう、いいぜ」
 全く躊躇するそぶりの無い魔理沙の態度に、パチュリーは些か拍子抜けした。どうやら、本当に知識を広めることに抵抗が無いらしい。
 教えを請うことに抵抗を感じていた自分が、馬鹿馬鹿しく思えてくる。
「そう、ありがと。じゃあ、お礼にあなたに一つ魔法を教えてあげるわ」
「え? マジかよ!? いいのか?」
 魔理沙は表情を綻ばせる。
 だが、すぐにそれは怪訝なものへと変わった。
「いや、パチュリー? お前、今日はどうしたんだよ? 八卦炉のこともそうだけど、妙に気前がいいじゃないか? 何か悪いものでも食べたのか?
「あんたねえ、私をなんだと思ってるのよ?」
 もっとも、魔理沙にそう言わせてしまう原因がどっちに有ったかくらいは、理解しているけれど。
「別に? 思っていたよりは、あんたの八卦炉を調べるのが有意義だったから、技術や知識の交換というのも悪くないと思っただけよ」
 パチュリーは魔理沙から視線を外し、努めて平静な口調でそう言った。顔が赤くなっていたとしても、この暗い図書館でバレる可能性は低いので、そこは心配していない。
「そうなのか? 私の八卦炉、パチュリーの研究に役に立ったのか?」
「ええ」
 肯定すると、それこそ得意げに、そして嬉しそうに魔理沙は笑みを返してきた。
「それで? どんな魔法を教えてくれるんだよ?
「写本作成の魔法よ。この図書館にある、カテゴリーB程度の魔法書なら、これで複製できるはずよ」
「マジでっ!? いや、でもカテゴリーB? 全部はダメなのかよ? ケチくさいなあ」
「ケチじゃない。それ以上の高レベルの魔法書は、魔法によるギミックが懲らされているから、そのまま写本なんて無理よ。それに、今のあなたにはそれで充分。あと数十年は読む本に困ることは無いはずよ」
 そう言ってやると、魔理沙はムッとした。
「なにおう、それなら私は数年で理解してやるぜ」
 本当に負けん気は強い奴だとパチュリーは小さく嘆息した。とはいえ、こいつなら本気でやりかねないから侮れないとも思うが。
「その代わり、もう本の持ち出しは止めなさい。必要なら、ここに来て読むのは許すから」
「……分かった」
 しぶしぶ、と言わんばかりの表情で魔理沙は頷いた。
 その表情を見て、これはやっぱり盗み出さないか見張らないとダメだとパチュリーは思った。
「あ、そういえばパチュリー? 意見交換で思い出した。ここってゴーレム作製について書かれた本って無いか?」
「ゴーレム? 一応、参考程度にはあるけど……随分と古いものに興味を持つのね? 技術的に行き詰まりが見えたせいで、魔法の中でも廃れた分野よ? それに、あんたの専門でもないと思ったけど?」
「いや、私じゃなくてアリスの方だ。アリスの人形魔法の絡みで、外の世界のロボットとかいうものを知ってさ。何でも、言うなれば人形に物理的に式を組み込んだものらしいんだ。アリスの自律人形も、式を魔法という形にしているだけで、概念的には似ているらしい。で、最近のアリスはロボット関係の本を漁っているんだけど、よくよく考えてみたらゴーレムも似ているなと思ってさ。で、どんなものかって知りたくなったんだ。あと、古い魔法だったとしても、当時は技術的な問題で実現出来なかったというだけで、理論上はどうなのかとか……アリスの研究にも役立つかも知れないしさ」
「なるほどね」
 本当に役に立つのか、そもそもアリスならゴーレムについてもある程度知識はありそうな気はするが、それはそれとしても、果たしてアリスがどんな反応を見せるのかは、少し興味が湧いた。
「いいわ、後で適当に見繕ってあげる」
「ああ、ありがとな。あ、それでさっきの八卦炉の話だけどさ――」
「ああ、はいはい。教えてあげるわよ」
 興味津々な魔理沙とフランドールの表情を見ながら、なるほど、こうして魔法について語り合うのも悪くないとパチュリーは思った。
 何しろ、ここの住人相手では、なかなかその機会は無いのだから。
 折角だから、今度はアリスも呼んで話し合おう。ひょっとしたら、それでまた一歩、何か賢者の石に辿り着く何かが見つかるかも知れない。
 パチュリーは小さく笑みを浮かべた。こんなささやかな交流から、幻想郷の魔法が一気に発達したら、それはそれで面白いと思いながら。

 ―END―
 漆沢刀也です。
 気が付いたら、前にこちらに投稿してからかな~り時間が空いていたという(滝汗
 複数のネタをマルチに書くような融通さが欲しい。延々と同じネタをこねくり回して考える癖は何とかしたいものです。
 魔理沙は確かに努力家ではあるけれど、天才でもあるんじゃないかとふと思い、そういった側面を書いてみたかったというお話。
 作中の美鈴じゃないですが、そうでもなければ霊夢達と渡り合ったりは、そうそう出来ないんじゃないかなあと。
 あと、パチュリーはもっと外に出た方がいいんじゃないかなあと。
 最後の、アリスの人形の説明とゴーレムの件は、過去作とちょっとだけ絡みがあったりします。原作の霖之助の解説だけでは違和感を覚える人もおられるかも知れませが、そのあたりは個人的な解釈や説明については、こちらで考えているので、ご勘弁を。
漆沢刀也
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コメント



0.1130簡易評価
13.70名前が無い程度の能力削除
地力で離されてても応用力・発想力で回りの強者にくらいつくキャラクター大好物です。ロマン。
ただ魔理沙の評価の高さに対してパチュリーが香霖に上から諭され、美鈴に子供扱いされ、魔法の悩みもフランがサラッと解決、とちょっと低く扱われすぎな気がしました。
26.10名前が無い程度の能力削除
ほーんそんなに凄いのに錆落としすらできんのか、ふーん
27.50名前が無い程度の能力削除
パチュリーにしては頭が悪すぎて違和感が強かった。
魔理沙アゲ美鈴アゲパチュリーサゲを見ているような気分でした