Coolier - 新生・東方創想話

歩け! イヌバシリさん ― 東行西走/刀工製想 ―

2015/06/21 03:50:39
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【 mission4:柄の素材集め  ~ 河城にとり ~ 】

守矢神社に刀の安全祈願をさせた翌日。
椛はその報告と、部下の励ましが上手くいった事への礼を言うため、大天狗の屋敷を訪れていた。

「それで、守矢にダダで祈祷やらせたって事?」
「ええ。それにしても祈願って、色々とやるんですね。ただ棒を振って終わりかと思ってました」

早苗が、額に汗を滲ませながら祝詞(のりと)を唱える姿を思い出す。これでご利益がないワケがない。

「最近のモミちゃん、色々とトントン拍子で羨ましいわ」
「天狗社会の序列二位の御方に言われても、皮肉にしか聞こえませんよ?」
「出世したってねぇ。それを分かち合う相手がいなきゃ意味ないのよ?」

大天狗は指を折って数え始める。

「最初に出来た人間の彼氏(牛若丸)は、私を置いて都に行っちゃうし」

八艘飛びなんて教えるんじゃなかった、と小声で愚痴る。

「それから数十年後に、一目惚れした相手は、衆道家で私の事なんて見向きもしなかったし」
「うわぁ」
「その数年後に、告白してきた男は、実は私の命を狙う退魔師で」
「…」

その後、椛は延々と、彼女の実らなかった恋のダイジェストを聞かされた。

「前世で何やったら、それほどの業を背負えるんですか?」
「こっちが聞きたいわよ!」

そして話題は刀造りに戻る。

「刀身が十日後には出来上がり、研ぎは七日程で終わります」
「ならギリギリ間に合いそうね」
「なのでそろそろ、柄の準備を始めようかと思います」
「そっちも上手く行くといいわね」

話題も尽き、椛は大天狗の屋敷を出た。






河城にとりの工房。
キュウリをかじりながら設計図を眺める椛とにとりは、柄についての相談をしていた。

「山でも一二を争う鍛冶屋と研師が製作したなら、下手な仕事は出来ないね。私も最高の素材で最高の仕事をしないと」

研ぎ終わった刀身に、柄を組み付けるのはにとりの役目である。

「こんな良い刀身なんだ、柄に『鮫皮』がないと恰好がつかないね」
「鮫皮ですか?」

にとりは設計図に書かれている刀の柄を指さした。

「高級な刀の柄を見ると、糸を巻いてある内側にブツブツした部分があるでしょ? 大天狗様が持ってる刀とかで見かけない?」
「そういえば、ありますねそんなのが」

椛達に支給されている剣の柄には、見当たらない部分である。

「あれが鮫皮。鮫皮が有ると無いじゃ、グリップの感触が全然違う。滑り止めにもなって、握力を限界まで発揮できるんだ」
「そんな効果があるなら、是非ともあやかりたいですね」
「うん、ただね」
「ただ?」
「幻想郷じゃ、すごく稀少な素材なんだ」

海に棲む生物からしか採れないのだという。

「それなら別に、当初の構想通り布やゴムで構いませんよ? 予算の事もありますし、そこまで拘らなくても」

補助の対象はあくまで刀身であるため、柄の部分の予算は自前である。

「それは駄目だよ。今回ばかりは、椛には妥協して欲しくないんだ」

椛は今まで、色々なものを諦めてきた事を知っているにとりは、語気を強め説得する。

「しかし、先立つものが」
「それはそうだけど……いや待てよ。あそこに行けば。タダで鮫皮が手に入るかもしれない!」

何か思い当たる事があるのか、にとりは道具を纏める。

「善は急げだ、行くよ椛!」
「え、ちょっと!?」

説明も碌にせず、椛を連れ出した。









靄(もや)で対岸が見えない三途の川。
その河原に椛とにとりはやって来た。

「ここならヤバイ魚がいっぱいいるから、鮫皮持っているのがいるはずだよ」
「まさか釣るつもりですか?」
「あたぼうよ。釣キチ三平ファイトとは私の事さ」
「意味がわかりません」
「はいこれ。椛の釣竿」

長い棒に糸が付いているだけの竿を渡される。

「こんな細いので、鮫皮持ってる魚が釣り上げられるんですか?」
「大丈夫大丈夫、超合金チタンだから。カバが釣れても折れないよ」
「カバいるんですかこの川?」

餌を付けた針を垂らす。
底の見えぬ、混沌とした色をした川ではあったが、その水面は穏やかで、浮きの揺れは小さい。

「椛は釣りって好き?」
「あまり好きではありませんね。じっと待っている間、時間を無駄にしている気がしてしまって、どうも」
「椛はせっかちだもんね」
「獣の狩りなら、獲物が罠にかかるよう誘導するなり、追い立てるなり出来るので退屈しませんが。釣りはただただ待つだけですから」
「その待つ事が醍醐味だって言う人が大勢いるみたいだよ」
「私ももう少し心に余裕が持てれば、それを楽しむ事が出来るのでしょうか?」
「良い機会だし、試してみたら?」
「そうします」

そこで会話は終わり、しばらくは糸が引かれるまでの時間に身を委ねてみることにした。

「どう? イライラとかする?」

三十分ほど経過した時、にとりがそう尋ねた。

「いいえ。黙想をしているような気分でした」
「進歩したじゃんか」
「そのようです。考え事をしたい時は、釣りも悪くありませんね」
「新しい発見ができたね」

椛に起きた心境の変化をにとりは喜んだ。

「しかしこれ以上、釣れない時間が続くと、別の意味で焦りますね」
「それもそうだね」

今日の目的は釣りを楽しむ事ではなく鮫皮を得る事である。

「やっぱり三途の川の魚はアグレッシブなのが多いから、こっちもアグレッシブなエサを用意した方がいいのかな」
「アグレッシブですか?」

にとりは竿とエサを交換する。新しい竿には糸を巻き取るためのハンドルが付いており、取り出したエサは異様な光沢を放っていた。
竿を握り、体を逸らして思い切り振りかぶる。

「いっけぇぇぇ! Gスケル〇ン!」

魚の骨を象ったルアーを飛ばした。

「何ですかその疑似餌?」
「なんか無縁塚にいっぱい落ちてた!」

巧みなロッド捌きで、まるで本当に生きているかのように疑似餌を操る。

「本当にそんなので釣れ…」
「フィィィィィシュッ!!」
「早っ!」

早速釣り上げるにとり。そのまま腕を振り上げ、一本釣りの要領で、背後に設置したおいた大型のビニールプールに獲物を放り込む。

「不覚! あまりの懐かしさに思わず…」

プールの中を巨大なブラックバスが激しく暴れまわる。

「にとり。魚が喋ってるんですけど」
「一級河川サンズリバーだからね。そりゃ喋るよ」

にとりはプールに近づき、釣れた魚を見つめる。

「君は鮫皮持ってる?」
「拙者。そのようなものは持ち合わせておらん」
「それじゃあリリース」
「あ゛あ゛あ゛!!」

リュックから飛び出したロボットアームがブラックバスを掴むと、三途の川に放り投げた。

「気を取り直して次。っお、また来た」

先程とは違う魚が釣り上げられる。

「鮫皮持ってる?」
「おいどん。シーラカンスでごんす。もってないでごわす」
「そっかー。じゃあ帰っていいよ」
「おうふっ!」

綺麗な弧を描き、三途の川に落ちるシーラカンス。

「どんどん行くよー、おっ手応え有り!」
「入れ食いですね」
「さすが読者全員サービスの限定カラー。君は鮫皮持ちかな?」
「拙僧、ナイルワニなり」
「エジプトに帰れ!」
「あー」

三途の川の水面に大きな水しぶきをあげるナイルワニ。

「よーし、今度こそ……っと、フィィィシュ!!」
「本当に何なんですかその疑似餌?」

だんだん怖くなってきた椛。

「貴方は鮫皮を…」
「我ノ名ハ、ポセイドン。深海ヲ総ベル者ナ…」
「なんか違う!」
「ぐああああ!」

断末魔を上げて沈んでいくポセイドン。

「椛も手伝って、はいこれ」

同じ竿と疑似餌を渡された。

「こうやって竿を振るんでしたっけ?」

にとりの動きを思い出しながら、ルアーを投げた。

「うん。ナイスキャスティング」
「私が扱っても貴女みたいに釣れるものなのでしょ……うわっ、もう来た!」
「こっちもヒットだよ!」

二人同時に釣り上げる。

「君、名前は?」
「おっちゃんな、ホオジロザメていうねん」
「鮫!? おおっ! じゃあ鮫皮持ってる!?」
「ごめんな、おっちゃん、そういうの持ってないんやわ」
「なんだとぉ!」
「おっほ! フカヒレ揉み揉みせんといて! で、でも、ソイツなら持っとるよ!」

ホオジロザメは椛が釣り上げた魚に鼻先を向けた。

「あの、貴方は?」
「ロックンロール・トーキョードーム」
「えっと…」

初めて見る、平ぺったい生物を前に、若干狼狽する椛。

「そいつ、エイの『エイキチ』っていうんやわ。まだこっち来たばかりで日本語が苦手でな。おっちゃんが世話焼いとる」
「イエスマイラブ」
「ちなみに鮫皮いうんわ。エイの背中の皮のことをそう呼んでな。シャークの皮と別物なんよ」
「アイラブユー、オーケー?」
「へぇ、そうだったんだ」
「ソニー・ブラビア」
「ところで、さっきから何言ってるんですかコイツ?」

謎の言語に椛は戸惑う。

「ねぇサメさん、モノは相談なんだけど。彼の背中の皮を少しだけ…」

採らせて貰えないかと、頼もうとしたその時だった。
地面が僅かに揺れた瞬間、三途の川から巨大な何かが飛び出してきた。

「にとり!!」
「ひゅぃぃ!?」

椛がにとりを抱えてその場から跳ぶ。

「チャイナタウン!」
「エイキチ!? お前何を!?」

エイがホオジロザメに体当たりして、ホオジロサメをプールの外へはじき出す。

「エイキチィィィ!!」

川から出現したソレは、エイが入ったままのプールを丸呑みにした。

「ナマズだと!?」
「しかも滅茶苦茶でかい!」

突如出現した、巨象をも凌ぐ大きさのナマズに二人は驚愕する。

「コイツは三途ランキング一位の『大ナマズ』や! 『太歳星君の影』と呼ばれて恐れられとる!」

河原に寝そべるホオジロザメが叫ぶ。

「三途ランキング?」
「三途の川での強さを表す順位や!」

一位は、三途の川で最強の生物だという意味らしい。

「ちなみに、二位は電気ウナギでな」
(是非直曲庁が考えてるのかな)
「頼むお嬢ちゃん達! エイキチを助けてくれへんか!!」

陸上で身動きが取れない自分を顧みず、ホオジロザメは懇願する。

「どうしますにとり?」
「決まってるじゃないか」

ここで引き下がる二人ではない。
椛は剣と盾を携え、にとりはリュックを担ぐ。

「やっと見つけた鮫皮。助けて、そのお礼として分けてもらいましょう」
「うん。そうしよう。ここで見逃したとあっちゃ商売人の名折れだよ」

二人の視線に気づいたのか、大ナマズは腹で這って、向きを変えようとする。

「人の獲物を横取りしたんだ。覚悟は出来てるんだろうな?」

椛が駆け出して跳躍、剣を振りかぶるのと、大ナマズの二本の長い髭が、鞭のようにしなるのは全く同時だった。

「ッ!?」

ナマズの髭が椛の剣と盾に絡みつく。
椛は悪寒がして、咄嗟に両手を開き、装備を放棄する。
直後、剣と盾から火花が飛んだ。

「こいつ、電気を!?」

にとりは火花の散り方から、それが電気によるものだと看破した。
椛が間一髪で感電を免れた事がわかると、大ナマズは体をくねらせて腹で地を這い、異常な速さで椛に急接近してきた。

(コイツ!? 腹のぬめりを潤滑油にして私との距離を一瞬で!?)

一瞬で間合いを詰められる。椛の眼の前には大きく開かれた口があった。

(幸い、歯は無いな)

懐から、糸切り用に持って来た刃物を抜く。

「喰われるのはお前だ」

刃物を突き上げようとしたその時。

「どっせい!」

口が閉じられるよりも先に、大ナマズは真横に吹っ飛んだ。
にとりのリュックから飛び出したロボットアームが、大ナマズの横腹に拳を叩き込んでいた。
大ナマズは横に二回、激しい音と砂埃を上げながら転がった。

「思い知ったか!!」

大ナマズのすぐ傍に着地する。

「さぁ、エイキチ君を吐き出して貰うよ」
「待ってにとり! そいつに不用意に近づいたら!!」

体勢を立て直した大ナマズは、間近に居るにとり向けてヒゲを伸ばしていた。
しかし、髭がにとりに届く事はなかった。
どこからともなく現れた二匹のヒグマが、大ナマズの髭をそれぞれ抱え込んでいた。

「まさかあのクマ達は!?」
「そう! 私の技術の結晶。ヒグマロボさっ!! 三途の川にネッシー号は持ち込めないし、三平ファイトは釣道具のせいでリュックに入らなかったから、この子達を近くに待機させてたんだ」

にとりが説明する間、常に大ナマズの髭から火花が散っていた。

「電気喰らってますけど、大丈夫なんですか?」
「私の地下工房で働いてるんだよ。感電・漏電対策はバッチリさ」

二体のヒグマロボは、怯むことなく大ナマズをガッチリと押さえ続ける。

「一気に畳みかけるよ!」

にとりが指笛を吹くと、三途の川に待機していた残りのヒグマロボが、ぞろぞろと上陸を始める。
フジツボや藻、海藻を貼り付けて行進する姿は、百鬼夜行さながらである。

「やっちゃえ皆! 尻子玉も残すな!」

数の暴力が大ナマズを襲う。
スズメバチを圧殺するミツバチの如く、全方位から鉄拳と蹴りの乱打を浴びせる。

「ふはははは! 先日のアップグレードで古代ローマカラテを覚えさせたからね! ついでに友情もインプットしたし! 向かう所敵なしだよ!」
「いささかやり過ぎでは?」

段々、大ナマズが可愛そうになってきた。

「そうかな?」

スーパースコープを肩に担ぎ、照準を合わせるにとり。

「やり過ぎですって絶対」

大ナマズがエイを吐き出すまで、その私刑のような光景は続いた。








幸いにも、エイは無傷で救出された。

「ありがとう。お嬢ちゃん達のお陰で、エイキチも無事に帰ってきたで」
「ミュージックフェア」

ホオジロザメとエイがそれぞれ礼を言う。

「ゴールドラッシュ」
「エイキチの奴がな『助けてくれたお礼に、鮫皮を分けてやる』って言うとるで」
「本当に!?」
「オールナイトニッポン」
「『二、三日で元通りだから。どってことない』だそうや。それに、アイツがどこかに行ったおかげで、三途の川底も平和になったし、大丈夫やろう」

大ナマズは川に撤退した直後、こつ然と姿を消してしまった。まるで初めから存在しなかったように。“影”のように消えてしまっていた。
鮫皮採取後、エイの傷口に十分な手当を施して、椛達は帰路についた。






戦利品を手に、二人は工房へ戻って来る。

「刀身が出来る頃には、鮫皮も乾燥し終えてるだろうし、やっとこれで柄の素材が揃ったよ」

床に柄に使う材料を並べていく。
その中で気になるモノを見つけ、椛は拾い上げる。円形の金属だった。

「これが鐔(つば)ですか?」
「そうだよ」

柄と刀身の間に挟まる部具である。

「木瓜(もっこう)型とは貴女らしい」

キュウリの断面を思わせるその形を見て、椛は苦笑する。

「凝った形にするよりも、それの方が重心が安定するし。手元を守る事を考えたら、それより良い形が思い浮かばなかったんだ」
「なるほど」

外見よりも機能性を重視する自分にとって、これ以上の形状はないだろうと納得する。

「ようやく、完成が見えてきましたね」

肩の荷が下りた椛は、大きく息を吐いて俯いた。

「ところで鞘はどうする? これも私が用意しちゃって良いの? 専門の職人に頼むとかは?」
「鞘は消耗品ですし、別に」
「そうかな? 折角だから拘って挑戦してみようよ。時間はまだあるんだし」
「鞘ですか」

新たに出現した課題に、椛は腕を組み考え始めた。




【 mission5:鞘師確保 ~ 姫海棠はたて ~ 】

刀身はとうとう研ぎの段階に入り、提出の日まで残り十日となった頃。
突然、大天狗は椛を呼び出した。

「最近、誰かから見られているような感覚がするのよ。視線を感じるわ。これ絶対ストーカーよ」

椛の眼を頼りに、犯人を探すつもりだった。

「錯覚じゃないですか? もしくは自意識過剰」
「本当だって! 昔、退魔師集団の討伐対象にされた時みたいな視線をビンビン感じるのよ!」
「きっと大天狗様を新種の霊長類か何かと勘違いした生物学者とかじゃないで……」

椛も視線を感じたため、咄嗟に振り返った。

「あっ」

視線の先。開いたままになっていた襖から見える景色の中で、何かを見つけた椛。

「どうしたのモミちゃん?」

尋ねられ、椛は遠くを指さす。

「ここから見える尾根。岩肌が露出した箇所から左に10尺の位置。望遠の筒でこちらを覗き込む奴がいます」

千里先を見る事の出来る眼が、こちらを覗き見る者の姿を捉えていた。

「多分、あれが犯人じゃないですか?」
「あの距離なら、弓なしでも届きそうね。投げるのはコレでいいや」

大天狗は指を鳴らしながら、部屋にあった茶筒を手に取り、振りかぶった。

「ファーー………ストッ!!」

全身を使っての遠投。茶筒が遠く彼方に消える。

「当たった?」

結果を椛に尋ねる。

「足元に落下して、すごく驚いてます」
「本体に当てるつもりだったんだけどなー、まあ良い。ちょっと行って来るわ。すぐ戻るから」
「いってらっしゃい」

その場で軽い柔軟体操をしてから、大天狗は飛んだ。








尾根。

「やっぱアンタか! このサイコレズ!!」

大天狗は、覗き見ていた者の顔をアイアンクローで持ち上げていた。

「ひぎゃぁぁぁぁぁ!!」

激痛で叫び声をあげているのは妙齢の女性。かつて天狗社会で『保守派』と評される面々を束ね、首領と呼ばれていた人物である。

「この前言ったわよねぇ!? 『会議、行事以外の時に、私の半径三海里以内に近づいたら殺す』って!」
「だ、だからこうして、三海里を守って遠くから大天狗様の麗しいご尊顔を」
「うっせぇ死ね!!」
「ひぎぃぃぃぃ!!」

激痛で雄叫びを上げながら、足をバタつかせる。


(だいぶ前にも、あんな光景を見た覚えが)

遠くからその光景を眺める椛はデジャヴを感じる。





「ああっ、でもこの状況ッ、大天狗様の手の香りが鼻腔に広がっ…」
「それが遺言かぁぁぁぁ!!」

握りつぶそうとしたその時。

「大天狗様! 主(ぬし)様も悪気があるわけでは!」
「お慈悲を! どうか寛大な御心で! 命だけは!」
「今回だけ見逃してください!」

首領のすぐ近くに居た、まだ幼さの残る三人の白狼天狗の姉妹が、大天狗に懇願する。

「くっ、子供を出汁にするとは小賢しくなったわね」

舌打ちしてから、解放してやる。





屋敷に戻って来た大天狗。

「ただいま」
「お帰りなさい」
「カッコイイ男に付きまとわれるんなら大歓迎なんだけどね」
「あっ、付きまといと言えば」

そういえば、と思い出す椛。

「なにかあったの?」
「最近、はたてさんの周りを探る輩がいるように思えます」
「マジ?」
「単純に好意を寄せているだけなら厳重注意で済みますが。天魔様との関係を探っているようなら非常に厄介な事ですよ」
「わかったわ。今日の昼、天魔ちゃんにこれ渡しに行くから、その時に相談しておくわ」

手元に置いてある風呂敷を軽く叩いた。

「外の世界のお菓子。あるツテで手に入ったのよ」







午後。
天狗社会で幹部のみが立ち入りを許されている議会所がある。
その一室で、大天狗は天魔の前で風呂敷を開けた。

「天魔ちゃん、これあげる」
「な、なんですかコレは!?」

可愛い絵柄の袋たちを前に、天魔は眼を輝かせる。

「外の世界で『調理菓子』って呼ばれてるものよ」
「それは興味深い」
「試しに一個選んで」

促され、一つ取り開封する。

「これが本当に菓子なのですか?」

中から出て来た銀色の袋とプラスチックの容器を前にして、怪訝な顔をする。

「その袋の中身をこの容器に入れてみて」
「粉しか出て来んが?」
「水をちょっと入れて、付属してる爪楊枝で混ぜるのよ」
「こんな事をして一体何が……おおおおおおお!!」

粉末と水が混ざり合うと、楊枝の先端に鮮やかな色のグミが生まれた。その様子に天魔は感激する。

「なんじゃコレは!? 錬金術か!?」
「違うわよ。そういうお菓子。ほら、食べてみて」
「あむっ……んんっ! 長いこと生きて来たが、作り立てを食べるというのは初めてじゃ!」

何度も頷き、手をブンブンと振る。

「他にもゼリーとか、ガムとか、ラムネとかミックスジュースとか…」

他の包装を手に取り、大天狗が紹介しようとすると。

「お二人ともいい加減にしていただきたい!!」

男の怒声が、議会所に響いた。

「今は議会の最中ですぞ!!」

その部屋には、二人以外にも大勢の天狗が詰めていた。
今日は幹部が集まり定例の会議が行う日で、ここはその会場だった。

「は? なに言ってんのよ。議会ならついさっき終わったでしょうが。解散の挨拶したら、急にあんたが喚(わめ)きだしたんじゃない」

大天狗が言い返す。
天魔も大天狗も真面目に会議に参加していた。この日話し合う予定の題目を全て片付け、天魔が終礼の挨拶をした時、幹部の一人である山伏天狗の男が立ち上がり、熱弁を始めた。
それを無視して、大天狗は天魔に調理菓子の説明を行っていたら、彼が猛烈に怒り出したのだ。

「某(それがし)がこれほど訴えているというのに、一体何をしているのですかっ!?」
「『ねりねりグミ』だけど?」
「これはペニシリンが発見された時以来の驚きじゃ」
「真面目にやってくだされ!!」

興奮し、何度も机を拳で叩く。

「なんという体たらく! お前たちもそう思うであろう!!」

両隣に座る、同門と思わしきに仲間に同意を求める。

「今日の天魔様は、一段と愛らしい」
「ババア可愛いよババア」
「お前たちに聞いた某が馬鹿だった!」

長い顎ヒゲをワナワナと震わせ、目を血走らせる彼は再び正面の二人を睨む。

「とにかくッ! 天狗の当主とその右腕である貴女達がそのような心構えだから、我々天狗が舐められるのです!!」
「別に舐められてないと思うけど?」

大天狗は頬杖を突きながら、気だるそうに答えた。

「否、舐められております! ここ最近、巷で起きている数々の異変。我々も被害を被っているのに、解決しても犯人からの謝罪も、妖怪の賢者からの説明もない!」
「被害ったって、イタズラレベルの規模じゃない。そんなんでイチイチ目くじら立てないの」
「規模の問題ではありません!」
(なーんか、守矢派の連中を除名したら。強硬派が活発になっちゃったわね)
(うむ。天狗の未来を案じてくれるのは、素直に嬉しいのじゃがのぅ)

以心伝心。長い付き合いの二人は、視線だけで言葉を交わす。

(とりあえず、今日は宥めて帰ってもらいましょうか)
(あいわかった)

天魔が頷き。ゆっくりと咳払いをしてから口を開いた。

「お主の言い分もわかる。じゃがな、巷で起きる異変など、天狗にとっては取るに足らぬ事。儂らはどっしり構えておれば良い。それが天狗の威厳となる」
「泣き寝入りしろと!?」
「そうは言っておらん。“ゲンコツ”は、ココ一番で振り下ろさねば意味がない。狼狽し、やたらめったら拳を振り回すのは下級妖怪のする事じゃ」

諭すように話す。しかし、彼の顔色は変わらなかった。

「天魔様の胸中、良くわかりました。ゲンコツを振り上げようとした時、腕が残っている事をせいぜい祈りましょう!!」

そう吐き捨てて、彼は議会所を大きな足音を立てながら去って行った。
彼の足音が消えて少しだけ間を置き、他の幹部達もポツポツと帰り支度を始めた。




やがて、議会所にいるのは天魔と大天狗だけになった。

「守矢の脅威が薄まったと思った矢先にこれか」

肩を回して凝りを解す天魔。

「まだ発足したばかりの集まりじゃない。今はまだ幹部同士、お互いの距離感を探っている時期よ」

守矢派の幹部を排除して、新たに人員を補充して再出発したばかりの天狗社会上層部。
まだ当分、波乱の日々が続きそうである。

「大天狗様」

一人の幹部が、議会所へ戻って来た。

「すみません。ああいう輩を抑え込むことこそが、私(わたくし)めの役目ですのに」

保守派を纏め上げていた鼻高天狗の女性が謝罪する。こめかみには、今日の午前に大天狗に絞められた痕が残っている。

「いや、今日はあれで良いわ。今の内に言いたい事を言わせておいた方が、後から変に拗れなくて済むわ」

大天狗は彼女の行動を適正だと評した。

「フヒヒヒヒ」

大天狗から肯定された瞬間、彼女は両手を頬に当てて、体をくねらせ始めた。

(これが無きゃ、優秀な奴なんだけどなぁ)

軽い頭痛に苛まれる大天狗。

「ああいう手合いは、手綱さえキチンと握れば、良い働きをしてくれる。奴が毒になるか薬になるかは、儂らの腕次第じゃ」
「では、私(わたくし)は当分、アレが先走らぬよう目を光らせておきましょう」
「そうしてちょうだい」
「よろしく頼むぞ」

鼻高天狗の女性の言葉に、二人は満足げに頷く。

「あと、すみません。話は変わってしまうのですが、よろしいでしょうか?」

議会の件がひと段落すると、元首領の女性がそう切り出してきた。

「ん? なに?」
「なんじゃ? 言うてみよ」
「姫海棠はたてという鴉天狗の少女についてなのですが…」

その瞬間、大天狗が彼女をバックブリーカーで締めあげていた。

「言え! どこでその名前を聞いたっ!?」
「アダダダダ!! でも、しばらくこの感触を楽しみたい!!」
「いいから吐きなさい! どこで聞いたの!?」

弓のようにその身を反らせる。

「か、幹部達の間で話題になってますよ! 何故彼女が天魔様と仲がよろしいのか、と!」
「なんですって?」
「アガガガガガガ! せ、背骨! 曲がっ、折れっ、分解すっ、死…」
「大天狗殿。ちとやり過ぎでは?」
「良いのよ。殺したと思ったら復活するゾンビみたいな奴だから」

鼻高天狗が沈んだ事を確認してから、二人は本題を話し始める。

「モミちゃんが言ってたストーカーの正体も、幹部の部下って可能性が高いわね」
「面倒な事になった」

腕を組み、眉間に皺を寄せる天魔。

「流石に『儂の身内じゃから手を出すな』とは言えんし」
「一時しのぎだけど、私の直属の部下にしちゃう? そうすれば下手に手は出せなくなるわよ?」
「ふむ。しばらくはそれで時間を稼ぐか」





天魔と大天狗が話している頃。
噂の張本人であるはたては、とある崖の上で、秋姉妹と共にいた。

「初日だし。今日はこれで終わりにしましょうか」
「ありがとうございます」

秋静葉は天魔から、再びはたてを鍛えるよう頼まれており、今日はその一回目だった。

「ところで、どうして急に再開したんでしょうか?」

理由を聞かされていなかった。

「『はたては、友達の事になると無茶をする。だから無茶をする必要がなくなるまで、鍛え上げてくれ』って」

秋穣子が教えてくれた。

「ようは、無茶を無茶と感じないくらい、頑丈な体と技術を身に着けろって事よ」
(レベルを上げて物理で殴る理論だ)
「何にせよ、じっくりやっていきましょう」
「よろしくお願いします」

今日はそこで解散となった。









「なんか記事になりそうな事ないかな」

二人を見送ったはたては、まだ崖の上に残っていた。
秋姉妹との鍛錬で、今日はまだ一度も念写をしていなかった事を思い出し、その場で携帯型カメラを取り出す。
文章を入力しようとしたその時だった。

「へっ?」

死角から飛んできた大型の鳥の足に、カメラをガッチリと掴まれ、そのまま掠め盗られてしまった。

(あれは、天魔様の鷹?)

嘴の形や、羽の色に見覚えがあった。

(とにかく追いかけないと)

はたては崖へと急降下する鷹を追うため、自らも飛んだ。

(あの子、滅茶苦茶速いっ!)

崖を滑空した鷹はそのまま木々が生い茂る森の中へと入る。
枝と枝の間。自身しか通れないギリギリの隙間を鷹は飛び、はたてを突き放す。
はたてもそれに習い、自分が通れて、かつ最短のルートを見極めながら懸命に追う。

(この音は、川?)

滝の音が耳に届き、前方に川が流れているのだとわかった。

(まさか捨てたりしないよね?)

嫌な予感は的中するもの。鷹は森を抜け、河原に出た瞬間、足を開いた。

「うっそ!」

森の中でその光景を見つめる。カメラは一直線に川へ向かっていく。

「よいしょっと」

しかしカメラは、川の前に立っていた女中が受け止めていた。

「なんで女中さんが……あ、しまっ」

一瞬の判断を誤り、太い枝に腹を強打する。

「ぐぅぅぅ」

呼吸困難に陥り、その場で蹲る。その枝をかわせば、河原に出られるはずだった。

「大丈夫ですか?」

申し訳なさそうに女中が近づいてくる。

「すみませんでした。天魔様が、貴女は一つの物事が終わると注意力が散漫になるからそれを身をもって教えるようにと…」

その為に、鷹にカメラを奪わせた。

「…」

聞えてはいるが、苦痛で返事どころではなかった。
内臓が暴れまわるような痛みと苦しさに、自然と涙が零れた。

「立てますか? そこはヒルが多いです、早くこちらまで」
「…」

俯いたまま、顔を横にふる。涙が数滴。地面を濡らした。

「ほら頑張って。泣きたくないから強くなったのでしょう?」
「違います」

しっかりした声で返事が返って来た。

「違うとは?」
「泣いて欲しくないから、強くなったんです」

誰に、と聞くほど女中は野暮ではない。

「失礼しますね」

断りを入れてから、蹲るはたてを負ぶさる。

「恥ずかしいかもしれませんが、我慢してくださいね」
「い、いえそんな!」

慌てて否定する。

「ただ、ちょっと懐かしいです」
「そうですか」

背負われて、山道を進んでいく。

「乗り心地は悪くないですか?」
「このまま寝ちゃいそうです。すごく安心します」
「良かった。天魔様以外の人を、背負った事がなかったもので」

その言葉に引っ掛かるものを感じた。

「あの、お子さんを背負った事は?」
「私に子はおりません」
「いらっしゃらないんですか?」
「産めない身体なんです。私は」
「え?」

予想外の返答に驚く。

「天魔様から、私の事は話すなと口止めされているんですけどね」

今のはたてになら話しても良いと判断した。

「私は、今のあなたより十ほど歳が上の頃、治安維持部隊を率いておりました。家柄と、学問に優れていたおかげで。その歳で高官の役職を与えられました」

それはまるで絵本でも読み聞かせるような口調だった。

「あの頃の私は権力に溺れ。貴女が軽蔑する事を幾つも平気でして参りました。その因果応報なのでしょう、ある宴会の席で、酒に毒を盛られました」

悪行を見かねた部下による鉄槌か、出世を妬んだ同僚の凶行か、上層部の制裁か、犯人もその動機も今となってはどうでも良かった。

「幸い、一命は取留めたものの、腑を広く焼かれ、激しい運動の出来ない身体になってしまいました。アルコールも分解できなくなりました」

思い返せば、彼女が酒を飲んだ所をはたては見た事がなかった。鍛錬の時も、彼女は少し付き合っただけで息が上がっていた。

「学問はそれなりに出来たので、退院後は、監査や寺子屋の教師等の内勤を務めるようになり。その後、天魔様のお世話役に抜擢されました」

そして長い長い歳月が経ち、今の女中としての彼女が形成されていった。

「今の医療技術や、妖術なら、治療できたりしないんですか?」
「仮に出来たとしても、治すつもりはありません」
「どうして?」
「私は多くを奪ってしまいました。これは私の罪。死ぬまでこの身体で生きていくつもりです」

それが彼女なりのケジメなのだとわかった。

「すみません。迷惑でしたねこんな話」
「い、いえ。そんな事ないです…」

どう返答すれば良いか困っていると、鷹が戻って来た。
鷹は女中の目の前で数回啼くと、飛び去ってしまった。

「はたてさん。今、鷹君が知らせてくれたのですが」
「なにか?」
「大天狗様が、貴女を直属の部下にしたいそうです」











翌日。椛と文の立ち会いのもと。大天狗による辞令交付が行われた。

「じれーこーふ。姫海棠はたて殿。以下同文」
「一人目で『以下同文』って言う人、はじめて見ましたよ」

これ以上にないくらい椛は呆れていた。

「はいこれ。私の部下になった特典として、私が開祖した鞍馬流剣術の奥義書の目録一式」

詰まれた巻物を渡される。

「いいんですかこれ貰って!?」
「素直に『いらない』って言った方が良いですよはたてさん。見た目が派手なだけで、実用性低い技ばっかりですから」
「ウチの流派は浪漫重視なの! 義経流にも影響与えてるんだから!」

その後、『組織系統としては、大天狗に仕える従者と同等の扱いではあるが、自由にしていて構わない』という説明を受け、はたては解放された。
大天狗の屋敷を出て、三人並んで歩く。

「刀の作成は順調ですか?」
「お陰様で。来週には研ぎ終わりそうです。柄の準備も出来てます」
「鞘の方はもう用意されているのですか?」
「どうするかはまだ決めていません」

当初はにとりに頼むつもりだったが、今の椛は迷っていた。

「にとりにではなく、やっぱり本職にお願いすべきでしょうか?」

文にまで言われてしまい、鞘師について本気で考える事にした。










にとりの工房。

「やっぱり餅は餅屋っていうし、私は賛成だよ。鞘師に頼むの」

にとりは鞘師への依頼に肯定的だった。

「にとりの知り合いで、有名な鞘師を知りませんか?」
「木工職人を何人か知ってるから、紹介するよ」

にとりから、住所と店名が書かれたメモを受け取り、早速そこを当たってみる事にした。

「あら、イヌバシリちゃん」
「ん?」

三人が工房のドアを開けると、目の前に厄神の雛がいた。

「まぁまぁ。これから三人でデートかしら?」
「違いますよ。刀造りの続きです。ちょっと鞘師を探しに方々を回ろうかと」
「何言ってるの? 鞘師ならすぐ近くにいるじゃない」

そう言って、雛はにとりの工房から三軒隣の家を指さした。

「あー。そういえばそこの彫刻屋のジイさん。昔は有名な鞘師だったっけ」

雛の言葉でにとりは思い出す。

「ちょっと厄い店主だけど、これ以上にない、最高の鞘を作ってくれるはずよ」
「『厄い』って、一体どんな店主なんですか?」
「気に入られれば、いずれ分かるわ」

多くの謎を残したまま、雛は去ってしまった。

「近所ですし。覗いてみますか?」

せっかくだからと、椛達は雛の言う職人を訪ねることにした。






「ごめんください」

『河童彫刻』と書かれた暖簾を潜り、入店する。
店内は、店というよりも、工具や素材が並ぶ工房に近かった。

「あぁ。なんだ?」

白髪が混じる角刈りに、ほっかむりを被せた、河童の老人がいた。
今は休憩中なのか、削りかけの木片を横に置き、キセルを吹かしている。

「休まれているところすみません。鞘の作成をお願いしたいのですが」

単刀直入は申し出る。

「もう作ってない」
「かつては評判だった鞘師だったと伺ってます」
「昔の話だ」

「…」

はたては二人の話を聞きながら、店内をゆっくり見渡す。

(電気の工具が一つもない)

工具は棚にずらりと並んでいるが、にとりの工房で見かける、電動で動く工具が一つもなかった。

(頑固一徹ってカンジがする)

足音を殺して部屋の中を歩く。謎の隠密性を持つ彼女のその行動に、他の三人は気付かない。

(ん?)

壁際まで歩き、ある物を見つけた。

(隙間に何かある、なんだろ?)

壁と箪笥の間、数センチのデッドスペースに、顔を近づける。

(白鞘だ)

はたてが見つけたのは、装飾の施されていない鞘。白鞘と呼ばれるものである。

(でも、なんかこの白鞘。模様が…)



「多少、値が張っても構いません。作ってはいただけないでしょうか?」
「しつこいぞ。他をあたってくれ」
「こちらなら良い鞘を作ってくれると伺ったのですが」
「知るかいそんなの」
「わかりました。他を当たります」
「おう。そうしてくんな」
「お邪魔しました。お時間を取らせてすみませんでした」

椛は踵を返しながらそう告げて出て行った。文も小さな会釈をして椛に続いた。

「ったく、とんじゃ邪魔が入りやがった」

キセルを置いて、彼は作業を再開する。




店の外。

「技術だけで飯を食って来た老人ほど、頑固な奴はいませんね」

店を出て早々、椛がぼやく。

「あ、そういえばはたてさんは?」
「まだ、中ですよ」

文が店を指さす。

「折角です。ココは、はたてに任せてみては?」

迎えに行こうとする椛に待ったをかける。

「なぜです?」
「あれは、お年寄りに好かれる素質がありますから。案外、すんなり聞いてくれるかもしれませんよ?」





店内。

「…」

彼の手の中で、木の塊が徐々に輪郭を得ていく。その様子をはたては眺めていた。

「なぜお前は帰らない?」

作業しながら、はたてに問いかけて来た。

「何を作ってるのか気になって」
「茶碗だ」
「えっ、お茶碗を手で彫って作ってるんですか?」
「なぜそうも驚く?」
「木のお茶碗っていったら、機械でガリガリ削って一瞬で作ってるのしか見た事なくて」

手作業で最初から最後まで、というのを見るのは初めてだった。

「手彫りの茶碗も知らねぇのか最近の餓鬼は?」
「はい、ごめんなさい」
「ケッ」
「…」
「…」

シュンとするはたてを見て、彼は居心地が悪くなる。

「おい」
「は、はい」
「そんなに気になるなら、近くで見てみろ」
「ありがとうございます」

その言葉に甘え、間近で作業を見学させてもらう。




「この木、節ばっかりなんですね」

ある程度作業が進んでから、はたてが話かける。彼が削っている木は、円形の節が目立ち、加工に向いている素材だとは思えなかった。

「良い素材を使って、良い作品が作る。そんなの、ちょっと訓練すれば誰だって出来る」

作業の手を止めることなく話す。

「どんな素材でも、最高の品物を提供する。それが職人だ」

はたては棚に置かれた、これから納品するであろう商品に目をやる。
数体の動物の彫刻で、どれも節を上手く取り入れた、趣のある作品だった。

「お陰で今じゃ、素材に節や荒が無いと落ち着かないくらいだ。節だらけの粗悪材を芸術品に変えられるのは、この幻想郷じゃ俺くらいなもんさ」
「すごいです」
「客をそう言わせるのが、職人の仕事だからな」

ムスっとしていた彼の表情が、少しだけ柔らかくなった。

「どうしてもう、鞘を作らないんですか?」
「金にならないから廃業した。それだけだ。作り方なんて、とうの昔に忘れたよ」
「嘘ですよね。それ」

その言葉で、彼の手がピタリと止まる。

「どうした急に?」
「さっき、見ちゃったんです。壁と箪笥の隅に、何本も鞘があったのを」
「アレは俺が作ったんじゃない」
「節だらけの粗悪材を芸術品に変えられるのは、おじいさんだけなんでしょ?」

鞘には節を利用した模様があり、誰の作品かは一目瞭然だった。

「世間知らずな顔して、中々目聡いんだな嬢ちゃん。餓鬼でも鴉天狗といったところか」
「なんで鞘は作ってないだなんて言うんですか?」
「嬢ちゃんにとって、すごく詰まらない話になるかもしれないが。それでも聞きたいか?」
「是非」
「俺が鞘をまだ作っている事に気付いたのは、嬢ちゃんが初めてだ。いいだろう。話してやる」

作りかけの茶碗を隅へ置き、彼は再びキセルを手に取った。

「俺は確かに昔、鞘師としてそれなりに有名だった」
「そう聞いてます」

彼はポツポツと語り始める。下積み時代の苦労。売れる為の試行錯誤。その努力が実った頃の思い出話を。

「俺の鞘の意匠は美しいと評判だった。刀の納まりも良く、保管にも向いていると評価が高かった。しかし、ひとつ重大な欠陥があった」
「欠陥?」
「当時、まだ若かったこの村の村長から指摘されたんだ『貴方の作った鞘は確かに美しく、刀の保管に適している。しかし他の職人の鞘よりも構造上、抜刀が数瞬遅れる』ってな」
「数瞬ですか?」
「数瞬だからって侮るな。命が懸かった場面で、それは大きな隙になる」
(確かに)

これまでの経験から、彼の言う事が深く理解できた。

「ある日『とある剣士が任務の最中、夜道で野盗に襲われた』という一報を受けた。暗闇からの不意打ちだったらしく、剣士は剣を抜く前に死んだそうだ」
「えっ」
「その剣士は俺の女房だった。俺が作った鞘を使っていた。その時、頭に過ったよ『俺の作った鞘じゃなかったら助かったんじゃないのか』って」
「そんな事誰にも。それに、悪いのはおじいさんのせいじゃ…」
「分っている。悪いのは野盗の連中だし。他の鞘にした程度で運命が変わるとは限らない。けどな、心がどうしても納得しようとしなかった」

野盗は全員捕まり、それ相応の処罰を受け、女性の亡骸は手厚く葬られた。けれど、彼の心が平静さを取り戻す事はなかった。

「あいつの死を境に、鞘師を畳み、木工職人になった。無理矢理にでも忘れる為に」
「じゃああの鞘は?」
「忘れようとしても出来なかった。あいつが死んで半年も経たない内に、俺の手は勝手に突き鑿(ノミ)と鉋を取っていた」

ただし、作り始めた鞘は今までのような意匠性を優先したものではなかった。

「どうすれば速く抜けるのか、どうすれば持ち主の生存率を高めるのか、それだけを追求した鞘を、俺は作り始めていた」

既に居ない者の為だけに、彼は木を削った。

「一年に一本、あいつの命日に合わせて俺は鞘を作った。毎年毎年、それを繰り返した」

作っては墓に供え、また作っては供え。その度に鞘は改良されていった。

「これだったらお前は助かったんじゃないかって墓石に話しかけながらな」

先程はたてが見つけた鞘達は、かつて供えられていた物だった。

「作らずにはいられなかった。いつか、最高の鞘が出来れば、あいつが帰ってくるんじゃないかって、そんなありもしない幻想に憑りつかれて」
「…」
「『ほら出来たぞ。最高の鞘だ。頑丈な椚(クヌギ)を使ったんだ。使ってみろ。どんな一撃だって防げる』、『ほら出来たぞ。最高の鞘だ。鯉口の形を工夫したんだ。すぐに抜けるぞ』。
 作っても作っても、あいつは帰ってこない。俺に何も言ってくれない。俺を責める事も、許す事も、励ます事も、慰める事もしてくれない。わかってるそんな事」

それでも彼は繰り返す。きっと今年も、来年も、再来年も。

(大切な人を喪う日というのは、誰にも平等に必ずやってくる)

彼の姿を見て、その実感が湧いた瞬間、心の奥底から言い知れぬ恐怖が噴き出した。

「どうした嬢ちゃん? 大丈夫か?」
「え? あっ…」

はたての手が震えている事に気付き、心配してくれていた。

「その震え様、今の話で、何か辛い事を考えちまったか?」

手の震え方に、共感するものを感じたのかそう問いかけてきた。

(椛の身に何かあったら、きっと私はこの人と同じになる)

そうなった未来を無意識の内に想像したからこそ、手が震えていた。

「今、私には喪いたくないと思う人がいます」

自然と口が動いていた。

「さっきの白狼か?」

コクリとはたては頷いた。

「椛の身体には、たくさんの傷があります。本人は紙一重で生き延びた結果だと言っていました」

あの身体に、あれ以上に傷が増えるのは、自分が傷つくよりもずっとずっと辛かった。

「もし、椛がこれから負うであろう傷の数を減らせるものがあるのなら、私は何をしてでも、手に入れたいと思います」
「餓鬼が軽々しく『何をしてでも』なんて言うもんじゃねぇぞ」

彼は咥えていたキセルを置き、鋭い眼光ではたてを貫く。

「その白狼に万が一があったら、嬢ちゃんはどうなる?」
「多分。おじいさんと、同じになると思います。一生囚われて生きる事に」
「ハッ、餓鬼がそんなもん背負うなんざ、千年早ぇ」

立ち上がると、勝手口で雪駄を履いた。

「案内しな。さっきの白狼のところへ」






にとり宅。

「邪魔するぞ河城」
「ジイちゃんから出向くなんて珍しい事があるもんだ」

はたてに案内され、彼はにとりの工房を訪れた。
その場には、椛も文もいた。

「やい。刀の図面を見せろ」
「これだよ」

にとりは、自身が設計した刀の図面を渡す。

「これを打つ鍛冶屋は、信頼できる腕なんだろうな?」
「天魔様と大天狗様のお墨付きの刀工と研師に依頼しています」
「なら良い。おい白狼」
「なんですか?」
「手を見せろ」
「はい?」

同意するのを待たず彼は椛の手を取ると、じっと眺め始めた。

「あいつの手も、こんなんだったな」
「あいつ?」

問いには答えず、彼は手を離した。

「この刀の鞘、俺に作らせろ」
「引き受けていただけるのですか?」
「ただし、どんな口出しも許さない。俺は俺が作りたいと思った鞘を作る」
「依頼主に口出しするなとは、ずいぶんと大きくでましたね」
「その代わり、持ち主を護る、最高の鞘を用意してやる」
「ならば文句はありません」

値段は一般の鞘師に依頼するよりも安く。
納期は必ず守るという口約束だけを交わして、老河童は帰って行った。

「すごいですねはたて。あの頑固一徹をどう説得したのですか?」

興味深そうに文が尋ねる。

「秘密」

口の前で指を立て、はにかんだ。






【 mission6:手入れ道具購入 ~ 射命丸文 ~ 】

鞘師に依頼して三日が過ぎた。提出まで残り一週間を切っていた。
この日の午前に、椛は大天狗に屋敷に来るよう言われていた。

「この前の幹部会議の休憩時間の雑談で、『ファーストキスは何味だったか?』っていうのが話題に上がってね」
「その話に至るまでの流れがすごい気になるんですけど?」
「一人、『廃アルカリの味』って言った奴がいたんだけど。何があったのかしら?」
「あまり深く追求しない方が良さそうな気が…」

椛は大天狗の背後に目を向ける。

「ところで、後ろにある大きな鞄はなんですか?」

異様な大きさのトランクケースが気になった。それが呼び出された原因なのだろうと椛は察する。

「今日から一週間くらい出張行ってくるから。留守の間、指揮権は天魔ちゃんと、サイコレズに預けたから、有事の時はその二人から指示を待ってね」

どうやらそれを伝えたかったようだ。

「結界ってすんなり抜けられるモノなんですか?」
「私くらいになると余裕よ。何年幻想郷に住んでると思ってるのよ」

裏ルートから強行突破の方法まで幅広く知っていると、そっと耳打ちしてきた。

「にしても遠征で一週間って…国でも滅ぼす気ですか?」
「違います。やっと来たのよ招待状が」
「招待状?」
「少し前に、三人にお見合い写真の山を見て貰ったじゃない。その婚活パーティの招待状よ」
「本当に行くんですか?」
「うん。チョーおめかしして行く」
「なんで一日だけの催し物に一週間も?」

大天狗なら飛べば日帰りでも行けるように思えた。

「外の世界は、未確認飛行物体には容赦なくミサイル撃ち込んでくるから、安易に高速飛行とか出来ないのよ」
「おっかない所ですね。まぁ、頑張ってください」
「うん。天狗代表として、恥じない婚活をしてくるわ」

人差し指と中指を立てて敬礼してみせた。

「一般の天狗とは明らかに別方向の進化を遂げた貴女が代表って、どうなんですかね?」

あと二時間程で出発するらしく、椛は彼女の支度を邪魔してはいけないと思い、屋敷を出た。









午後。

「~~~♪」

上機嫌な文は、椛の家を目指して歩いていた。
その時だった。

「どいたどいたー!」
「わひゃぁ!!」

何者かが高速で文を追い抜く。
その者が通過した際に発生した突風が、文を襲った。

「くぅっ、目に砂が」
「おっとぉ」

文を追い抜いた者は、両足を地面に擦らせてブレーキをかけて振り返った。

「あーごめんね文ちゃん。無駄にテンションが上がってたわ。これ使って」

大天狗が自身のハンカチを差し出す。

「どうしたんですかそのお姿は?」

渡されたハンカチで目尻を拭いながら尋ねる。着物が普段着の彼女が、洋服を身に着けている事に驚いた。

「ちょっと遠出するから、余所行き用に着飾ってみたのよ。どうよ?」

ノースリーブの白のワンピースに麦わら帽子を被る大天狗は、スカートの腰あたりを摘まんでみせた。

「八尺様のコスプレですか?」
「ちーがーうー!」

婚活パーティに行く事を説明する。

「良い知らせをお待ちしております」
「ありがとう文ちゃん。行ってくるわ。あ、そのハンカチは別に返さなくていいから」

こうして、大天狗は結界の外へと出かけていった。







大天狗と別れた文は、椛の家にたどり着いた。

「ごめんくださーい」

扉をノックする。今日の椛は非番で、この時間に家にいる事はリサーチ済みだった。

「どうも文さん」
「椛さん。ちょっとデートに行きませんか?」
「本日はもう閉店です。またのご愛顧をお待ちしております」

扉を閉めようとする椛。

「待ってください。ショッピング! 一緒に買い物行きましょう買い物!」
「何を買うんです?」
「椛さんがこれから使う、刀の手入れ道具ですよ。まだ購入していないのでは?」




文に半ば強引に連れ出された椛。商店の多い集落へと続く道を、文と共に歩く。

「刀の手入れは、詰所にあるものを拝借しようかと思っているのですが」

集落へ向かってはいるものの、椛は未だに買うかどうか決めかねていた。

「質の良い刀なんです。それに見合う高価なもので手入れをしないと」
「打ち粉や刀油なんてどれも一緒です。高いのは、納める箱やらの見た目が凝ってるだけです」
「良いじゃないですか。大勢の想いが詰まった刀です。雑に扱っては、可愛そうです」
「…」
「そしてなにより銘が椛さんと同じなんです。化粧道具には、良いものを使ってあげないと」
「……あまり高くないと良いのですが」

その言葉で、ようやく買う事を決心したようだった。





しばらくして集落へ到着する。
商店が多く並ぶだけあって、往来は道行く人で活気づいている。

「とりあえず、刀剣商を回ってみますか?」
「そうですね」

まずは刀剣を扱う店を巡ってみることにした。







数時間かけて、集落にある刀剣商の殆どを回りきる。

「何処の店も、品揃えは悪くないのですが」
「『これだ』ってモノがありませんね」

値段が高かったり、見た目が納得いかなかったりで、購買意欲がくすぐられるものには巡り会えなかった。

「あの店が最後ですね」
「あそこは高級店です。良品を扱っているのでしょうが、私の懐事情では手が出ません」

諦めて質屋でも回ろうとかと考えたその時。

「あら、相変わらず仲がよろしいのですね」

高級店から出て来た、藍色の着物の女性に声を掛けられた。

「げぇ」
「あ…」

とある人物に出くわして、二人は苦い顔をした。

「そのような顔をされるのは、いささか心外ですね」

かつて保守派を率いていた女性だった。

「ご無沙汰してます首領さん」

文の挨拶に、彼女は少しだけムスっとする。

「その名で呼ばないでください。もう保守派は解体されたのですから。今の私は、大天狗様の右腕です」

宣言し、髪を掻き上げる。銀の髪飾りが優雅に揺れた。

「そういえば、大天狗様から留守の間、一部の軍権を預かったとか」

椛は大天狗の言葉を思い出す。

「まったく大天狗様も戯れが過ぎます。欧州などに思いを馳せずとも。もっと近くに愛を唱える者がいるというのに」

頬に手を当てて、憂鬱そうにため息を吐く。

(これだけ見たら、すごい美人なんだけどなぁ)

その証拠に、往来にいた男ならず女までもが、彼女のその仕草に釘付けになっていた。

「お買い物ですか?」

胸に抱える紫色の風呂敷を見て、文が問う。

「まあそんな所です。刀の手入れ道具が古くなったので、新調したんです」
「…へぇ」
「貴女方は?」
「デートです!」
「私も刀の手入れ道具を探しに」

文の言葉に椛が被せる。

「手入れ道具? 支給品の低価格低品質な剣を使う貴女には不要ではなくて?」
「自分用の刀を持とうと思いまして。任務で使用するための」
「すごいんですよ椛さんの刀。大天狗様の今剣を打った家系の刀匠に依頼してありますので、きっと名刀になりますよ」
「それは喜ばしい事です。貴女は剣を振り回すことしか、取り得が無いのですから。より一層の活躍を期待していますね」
(皮肉で言ってるのか、本心なのかわかりませんね)

どう反応すべきかと、文は考えあぐねる。

「任務で使用すると言う事は、大天狗様の名の下にその刀を振るうという事です。努々(ゆめゆめ)それをお忘れなきよう」

そう告げる彼女の目には、只ならぬ殺気が篭っていた。

(この方は、大天狗様が絡むと本当に見境がなくなりますね)

文は首筋に滲む嫌な汗を拭うために、ポケットに入っていたハンカチを取り出す。

「お待ちなさい!!」

次の瞬間。文は女性に手首を掴まれていた。
あまりの速さに文にも、椛の眼にも捉えることが出来なかった。

「そのハンカチはまさか…」

彼女の身体が震えだす。

「五十三日前!! 大天狗様が人里に赴かれた際、大通りから西に三列離れた区画の反物屋で買われた、柿の葉で染めたハンカチではありませんか!!」
「詳細はわかりませんが、確かにこれは先ほど大天狗様からいただいたハンカチですけど」
「やはりそうでしたかっ! 道理でこんなにも強く匂いが残っているのですね!」
(怖い。眼がガチだ)

先ほど向けられた殺気とは、別系統の威圧感に二人は気圧される。

「譲ってください。言い値で買います!」
「そんな、お金だなんて」
「確かに! 大天狗様の使用品に値は付けられません! 良いでしょう! 貴女の望みを言いなさい!」
「良いんですか?」
「命以外なら何でも差し出す所存です!!」
「そんな大それた事じゃなくてですね。ちょっと譲って欲しいものがありまして」
「譲る? 私の地位を譲渡せよということですね…しかし、これもハンカチの為、背に腹は変えられません」
「だーかーらーですね!!」

文は彼女が抱える風呂敷を指差す。

「物々交換です! このハンカチを差し上げますので、その手入れ道具をください!」
「へ?」

彼女はキョトンとする。

「これが欲しいんですか?」
「それが欲しいんです。今、世界で一番」

文は彼女にハンカチを握らせた。

「あとはそちらの番です。椛さんに渡してください」
「………良いでしょう」

彼女は、憑き物が落ちたように穏やかな顔になる。

「犬走さん。貴女の戦いぶりは、組合時代から拝見しております。貴女が優れた刀を持てば、きっと鬼に金棒なのでしょう」

椛の前に風呂敷を突き出す。

「受け取りなさい。そして大天狗様の為に、その刀を振るいなさい」
「よしてください。私はただ、死にたくないから、失いたくないから剣を振るうだけです」

冷めた目で見つめ返した。

「きっと貴女のそういう所を大天狗様は気に入っているのでしょうね」

ふっと笑い、手を離した。椛の腕に風呂敷が落ちる。

「重っ」

抱えた風呂敷が想像以上の重さだった事に驚く。

「当然です。所々、金をあしらっているのですから」
「悪いですね、そんな高価なものを譲っていただい…」
「スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥハァァァァ、スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥハァァァァ、スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥハァァァァ」

彼女は早速、手に入れたハンカチを口元に当て、異様な呼吸を繰り返す。

「あの…」
「スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!?」
「あ、いえ。なんでもないです」

話しかけようとすると『邪魔するな』という眼で睨まれ、言葉を引っ込めた。

「狂気ってこういうのを言うんでしょうね文さん」
「完全に聖遺物扱いですね。大天狗様が使用した盃なんか手に入れた日には、聖杯として一生崇めそうです」
「これが上層部の一人ですよ?」
「大丈夫なんでしょうか天狗社会」
「でもまぁ。序列二位の方がアレですから。ある意味納得かもしれませんが」
「それもそうですね」

これ以上彼女と関わりたくない二人は、早々にその場を離れた。









目的を達成した二人は帰路についていた。

「よろしいのですか私の為に? 本当ならもっと有益な物と交換出来たのでは?」
「構いませんよ、あの時、私が世界で一番欲しかった物は紛れも無くそれなんですから。あ、それとも、見返りを要求した方が良かったりします?」

顔を近づけ、耳元で意地悪く囁く。

「有難く頂戴します」
「はい。そうしてください」

少し歩くと、遠巻きにはたての家が見えた。
明かりはついておらず、おそらく新聞のネタ探しか、天魔のもとへでも出かけているのだろう。

「時々思います。あの日、椛さんに協力を仰がなかったら、私一人で引篭りのはたてを説得できたのかなって」

もしもの未来を文は想像する。

「最終的には出来ていたと思いますよ」
「でも、きっと私だけでは彼女を自立させる事は出来なかったでしょう」

椛がいなければ、先輩や上官の言う事をただただ聞いて行動する受け身の少女になっていたかもしれないと文は考える。



しばらく歩くと、ダムの近くを通りかかった。

「ここはお互い、あまり良い思い出がありませんね」

椛にとって、かつて故郷だった場所。先輩の亡骸が埋まっている場所。守矢神社の様々な野望の起点となった場所。
自分一人では抗いようのない力に翻弄され続けた場所だった。

「そう、ですね」

文にとっても、この場所は辛い経験しかない。

「唯一あるとしたら、先輩と再会できたという事だけでしょうか」
「言えてますね」
「先輩さんは、生前、どんな方だったんですか?」
「初めて会ったのは、新人として配属された哨戒部隊でした」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


配属された初日。
名前のみという非常に簡潔な自己紹介を終え、詰所の端で自分に支給された物の整理をしていると話しかけられた。

「なんでお前みたいな歳の奴が配属してるんだ? 普通なら訓練生にも参加できる年齢じゃないだろ?」
「自分の食い扶持は、自分で稼がないといけないもので」
「家族は?」
「いません」
「頼れそうな親戚は?」
「いません」
「力を貸してくれそうな友達は?」
「いません」
「相談できそうな仲間は?」
「いません」
「ふーん」

顎に手を当てて先輩である白狼天狗の少女は考え込む。
しばらくして考えがまとまったのか、椛に手を差し出した。

「喜べ、私が記念すべき第一号になってやる」

そう言って無邪気に笑った。


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「不愛想で可愛げの欠片もない餓鬼に、ああも明るく接してくれたのは先輩が初めてでした。あの人がいなければ、ただでさえ最低だった私は、堕ちるところまで堕ちていたでしょう」

立ち寄り、慰霊碑に手を合わせてから、その場を去った。








墓地の前。

「ここには、あまり近づかないようにしてきました」

かつて、幼い椛から全てを奪った男が眠る墓地の前を通る。

「やはり駄目ですね。時が経ち、心に多少の穏やかさを得ても、彼を、あの男を許す気にはなれません」

墓地の中で、最も立派な墓石を見ながらそう告げた。

「それで良いと思います。誰を恨み、誰を許すのかは、全て椛さんの心が決める事です。そこに倫理や道徳が入り込む余地はありません」

文はただ、椛の今の心情を肯定する。
ここでは一度も足を止めることなく、二人は通り過ぎた。





様々な種類の落葉樹が突き出すように生えた崖の斜面。
その中にある一本の楓を、椛と文は眺めていた。

「あの木です。あれに私は引っ掛かってました」

発電所建造の騒動で神奈子を追い詰めた際、椛は発電の要となる御柱を破壊した。
破壊した事で生じた衝撃で吹き飛ばされた椛を受け止めたのがあの木だった。

「あの紅葉の中で意識が戻った時、ただただ泣いていました」

その時の心境を、椛は口にする。

「私はこの山に嫌われていると、ずっと思っていました。心のどこかで『この山は、私の死を望んでいる』と考えて生きて来ました」

しかしあの時、山は自分の命を救ってくれた。だから涙が止まらなかった。

「まぁ、今にして思えば、山なんて所詮は土が盛り上がり木が生えている場所に過ぎません。きっと、全部私の妄想だったのでしょう」

苦笑して、崖に触れて。楓の木を再び見つめる。

「でももし、この山に耳と口があるのなら、訊いてみたく思います。私の事をどう思っているのか」
「嫌いだと言われたらどうします?」

文が少しだけ、意地の悪い質問をする。

「そしたら私はこう言い返してあげます」

振り返った椛は両手を広げる。満面の笑みだった。

「私は貴方が大好きです。と」

その瞬間、吹き込んで来た風に木々が煽られ、葉の表面が太陽光を反射し、あたりがキラキラと輝きだした。

「……おっと」

自分らしからぬ乙女な仕草をしている事に気付き、赤面して両手を引っ込める椛。

「素敵な一枚、いただきました」
「撮ったんですか今の!?」
「ええ、ばっちりと」

カメラを手に文は微笑む。

「貸してくださいそのカメラ!」
「駄目です。手放すワケないでしょう。あんなベストショット」

逃げるように駆け出す文。それを椛は追いかけた。







しばらく椛から逃げる文だったが、ある場所まで来て足を止めた。

「そういえばここは」

つい最近まで椛が暮らしていた、旧椛宅の前だった。

「この家、まだ取り壊してなかったんですね」

少し前まで椛が住んでいた家を見て、文が呟く。

「廃墟と変わらぬ風貌ですが、まだ十分住めますし。私にとっては数少ない思い出の場所です。更地にするのは、もう少し後にしようかと思いまして」

追いついた椛がそう説明する。
二人は廃屋に近づき、まだ残っている縁側に座る。

「この席で、何度、月見酒したかわかりませんね」
「そうですね」
「一度、ここで無理矢理に唇を奪って、ぶん殴られた事もありましたね」
「謝りませんよ?」

椛にとっては、あまり思い出したくない過去である。

「今、迫ったら。どういう反応をしてくれるんでしょうか?」
「なんですか急に?」

文は椛の肩に寄り掛かる。

「さっき『嫌いだと言われたらどうします?』と聞いたじゃないですか?」
「ええ、嫌な質問でした」
「あの後、こう続けるつもりだったんです。『もしこの山が貴女を嫌いだと言っても、私は貴女を愛してます』って」

予想外の返事をされてしまったため、言うタイミングを逃してしまった。

「椛さん。私は、貴女を好きになって本当に良かった」

椛の顔は見ず、視線は前に向けたまま話を続ける。

「私だって、負けず劣らずの最低な奴でした。組織でのし上がる為なら、誰を蹴落とそうと構わないと考えていました」

狡猾で冷徹な文は、椛と出会った事で新しい道を見つけた。

「出世よりも大切なものがある事を教えてくれてありがとうございます」

礼を述べ、文は椛の顔を見つめる。

「やっぱり、手入れ道具のお礼。して貰っても良いですか?」
「何を言って…」

しっとりとした文の唇が、少しずつ椛に近づく。

「椛さん」
「今ならいつもの冗談で済みますよ?」
「椛さん」
「本気ですか?」
「椛さん」
「待ってください」
「椛さん」
「…」
「…」

重なる唇。椛は文を拒まなかった。

(柔らかいなぁ、椛さんの唇)

脳を駆け巡る心地良い電流に酔いしれながら、目を閉じようとする文。そんな彼女に向け、椛は自分の手に平を見せた。

「 ? 」

文が見ているのを確認してから、親指、人差し指、中指と順番に畳んでいく。
何かのカウントダウンだとわかったが、唇を離すつもりはなかった。
そして今、小指が畳まれる。

「イだァい!!」

脇腹に激痛が走り、文は飛び上がる。
椛が、文の肋骨の隙間に指を突き入れていた。

「うごごご…」

余りの痛みに悶絶し、縁側に寝そべる。

「おいたが過ぎますよ」
「ですが、一歩ずつ確実に前進してます」

痛みをねじ伏せて不敵に笑う。

「今はまだファイブカウントですが、いずれ時間無制限にして差し上げますから」
「勝手にしてください」


呆れたような、困ったような、鼻で笑うような、そんな微妙な表情を椛は浮かべた。




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