Coolier - 新生・東方創想話

ガールフレンド

2015/06/07 13:54:52
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 僕はその娘が好きだった。子供の頃からずっとずっと好きだった。人里の人間や里に来る生意気だったり気の強い妖怪達が好きでない僕にとって、その娘は天使のような存在だった。
大きくなった今でもそれは変わらず、ずっとずっとその娘の事を思っていた。



* * * * * * * * * * *



至る所に豆ができた右手を使い、僕はキャンパスに向かって、一心不乱に絵筆をふるう。
何の趣味も持たない僕が唯一持つ特技。それが絵を描くことだ。幼い頃から、ずっと続けていただけあって、中々のものだと思っている。
でも、それを見せる相手は僕にはいない。僕には友達や知り合いと呼べる相手がいないからだ。
こんな僕でも、幼い頃は友達という相手がいた。でも、何かを相手と一緒に行うということが、僕にはとてもとても疲れる行為で。自然と僕は人の輪から離れがちだった。

「何か違うな。これではあの姿を再現できていない」

そんな昔の事をぼんやりと思い返しながら、僕はふるっていた絵筆を止める。キャンパスに描いていたのは、ある少女の姿だった。
もし、その娘がいなかったら、僕は友達などというものを作ることはなかったと断言できるだろう。それだけ、キャンパスに描かれた少女の存在は大きかった。

「僕はずっとこの娘のことを思っているのに。他の奴らときたら、大きくなるにつれて、すっかりこの娘の存在を忘れちゃうんだもんなぁ」

この娘と初めて会ったのはいつの頃だっただろうか。物陰からぼんやりと他の子供達が遊ぶ様子を見ている時だった。

「こんな所からじっと見ているだけで、面白いのかしら?」

その娘は、なんの前ぶれもなく僕の隣にいた。驚いて見つめる僕ににっこりと笑いかけながら、その娘は僕に話しかけた。

「みんなの所に行きましょうよ。一緒に遊んだ方が楽しいわ」

そう言うやいなや、その娘は僕の腕を手に取って、他の子供達の方へと歩いていく。僕はそれでも尻ごみしてしまい、腰をかがめ、両手と両足に力を入れる。けれども、その娘は僕の抵抗などないかのように、ずんずんと他の子供達の方へと歩いていく。

「こんにちは。ごきげんいかがかしら」

遊んでいた子供達は、その娘を見るやいなや一斉に駆け 寄り、その娘の名前を口ぐちに叫ぶ。
その娘は、微笑んだまま子供達の頭をなでていた。僕は他の子供達の勢いに尻ごみしてしまい、その娘の後ろに隠れてしまう。

「今日は新しいお友達を連れてきたの。ちょっとシャイな男の子だれども、みんな仲良くしてあげてね」

その娘は他の子供達にそう言うと、尻ごみする僕の背中をぽんと押し出した。僕は顔を少しそむけながら、子供達に挨拶をする。

「さぁ、今日もお姉さんが一緒に遊んであげる。ふふ、今日は一体何をして遊ぶのかしら」

子供達は僕とその娘の手を引きながら、遊びに参加するよう促す。初めはそれに参加することに僕は躊躇していたが、その娘と子供達の楽しそうな様子に感化され、めいいっぱい体を使って遊びに参加していた。
やがて、日が傾いていき、空が夕焼けで真っ赤に染まる頃、子供達は息をきらしながら遊ぶのを終えていた。

「ふふ、楽しかったわぁ。よし。もう暗くなるから、みんなお家に帰りなさい」

子供達はその娘に促されると、別れの挨拶を交わしながら、それぞれの家へと駆け出していく。
気がつけば、僕とその娘だけが残っていた。

「どう? 今日一日、他の子達と遊んでみて。楽しかった?」

僕はその問いかけに、楽しかったと答えた。今までにないような充実感を覚えていた。こういうのも悪くないと思った。

「また、ここに遊びにきなさい。毎日とはいかないけれど、わたしはここで他の子達と遊んでいるから」

僕はそれにうんと頷く。気がつけば、夕日はほとんどその姿を地面に沈ませ、夜のとばりが辺り一面に立ち込め始める。

「もう遅くなるから、坊やも今日はお家に帰りなさい。わたしもお家に帰るから」

僕はさよならと別れの挨拶を交わすと、その娘に背を向けて歩き出す。でもその娘の事が気になって、もう一度後ろを振り向いた。
その娘はどこにもいなかった。ついさっきまで僕の近くにいたはずなのに、もうどこにも姿が見えなかった。
あの娘は人間じゃなく、妖怪なんじゃないかと僕は思った。そんな不可思議な現象を起こせる人間なんて、人里にはいないからだ。
でも、どうして僕達と遊んでくれるのだろうか? 考えても僕には分からなかった。
充実感と疑問を胸に抱きながら、僕は帰路についた。



* * * * * * * * * * *



それから、僕は他の子供達とよく遊ぶようになった。あの娘は来たり来なかったり、遊びの途中でいなくなったりと神出鬼没だったが、妖怪ならしょうがないんじゃないかと思った。
充実した日々だった。寺小屋でも一人でじっとすることはなくなり、遊び友達と先生が来るまで過ごすようになったからだ。
でも、いつの頃からだろう? 一人の友達が、その娘の存在を全く気にかけないようになったのだ。
僕は一体どうしたのかと声をかけるが、その子は不思議そうな顔をするだけだった。
そうしている内に、一人、また一人とその娘の存在を気にかけなくなっていく。
そして、ある時、僕以外の子供が、誰もその娘の存在を気にかけなくなった。

「そっか。時期が来たのね。わたしとの別れの時が」

僕は一体どういう事なのかと聞いた。別れの時とはどういう事なのかと。
でも、その娘は答えてくれなかった。ただ微笑むだけで、何も答えてくれなかった。

「あなたとも、もうお別れね。今までありがとう。楽しかったわ」

そんな。その娘のおかげで友達ができたのに。別れないといけないなんて。そんなのいやだ。
その娘よりも大きくなった僕は、その娘の袖を掴んで離れたくないと訴える。

「駄目よ。あなたとはもうお別れ。他の所にいかないと。じゃあね、ばいばい」

そうして、その娘は僕の前から姿を消した。
それから、その娘と会う事はなかった。僕がどんなに探しても、その娘と会う事はできなかった。
僕はその娘の事を思い返そうとする。でも、その姿と顔はおぼろげな影のようにしか認識する事ができなかった。
その娘のおかげで友達になった子供達とも、大きくなるにつれて、だんだん疎遠になっていった。
親の家業を継ぐもの。嫁入りするもの。人里の外にある有力な妖怪の屋敷へ卸売に行くもの。みんなそれぞれの道で生活をするようになった。
僕はまた、一人で過ごす事が多くなった。
僕の人とほとんど関わらない生活。寺小屋の慧音先生も、僕の事を心配してか時折見回りに来るが、僕は今の状況にさして不自由を感じていなかった。あの娘がいた時に友達ができていた事が、異常な事態だったのだ。また、あるべき状態に戻っただけの事。
だた、あの娘と会う事ができないことが心残りだった。
僕はその娘の姿を思い出そうとするが、おぼろげにしか思いだせない。
僕はキャンパスに、顔と服の色のないその娘の姿。曖昧な今の記憶では、ここまで描くのが限界だった。

「また、会いたいなぁ……こいしちゃん」



* * * * * * * * * * *



僕は、いつもの様に妖怪達の露店で物々交換を済ませて家路につく。
何も変わり映えのない日々。少し退屈だが、穏やかな毎日。でも少し張り合いがないなぁと僕が何度目か分からない思いを抱いた時だった。
始めに感じたのは匂い。甘い花の匂い。遠い昔、どこかで嗅いだ事のある匂い。
僕はそれを思い出そうとするが、かすみがかかったようで、思い出すことができない。

(一体どこで嗅いだことがあるのだろう……そうか……あれは……)

僕は、どこでその匂いを嗅いだのかを思い出した。それと共に、僕の目の前に、少女の姿がはっきりと見える。
僕が小さい頃、他の子供達と共にお姉さんとして慕い、遊んでいた女の子。こいしちゃんの姿がはっきりと見えた。

「こいしちゃん!! こいしちゃん!!」

こいしちゃんは、ぼんやりとした様子で僕の前を歩いていた。でも、僕が自分の事を見て、大きな声をかけたことに気がつくと、驚いたように目を見開いた。

「まぁ、びっくり。わたし、大人の人にじっと見られているわ」

初めて会った時は、ぼくはこいしちゃんの胸程の背丈だったのに。今ではこいしちゃんの方が、僕の胸程の背丈になっている。
こいしちゃんは初めて会った時と変わらない姿で、そこに立っていた。僕の事をもう忘れてしまっているのか、こいしちゃんは久しぶりなどとは言わなかった。少し残念であったが、こうして会えた事に比べれば、些細なことだった。

「わたしの事が見えるのね、お兄さん。でもどうしてなんだろう。わたしは大人の人には見えないはずなのに」
「あ……あ……」

僕がこいしちゃんの事をずっと好きなままだったからだよ。他の人間や妖怪に目もくれず、こいしちゃんだけが好きだったからだよ。
僕はそうこいしちゃんに言いたかったが、言う事ができなかった。なぜなら、こいしちゃんと実際に会った驚きと愛らしさに言葉を失ってしまっていたから。

「おーい、お兄さん。返事をしてちょうだいな。そんな案山子みたいに立たれたままじゃあ、わたし、反応に困っちゃうよ」

こいしちゃんは、僕の顔を覗き込むようにし、僕の目の前で手をひらひらと振っていた。それにはっと気付き、僕はこいしちゃんとしっかり目を合わせる。

「あの……こいしちゃん……」
「何かしら? お兄さん?」
「こいしちゃん。あの……その……」
「なぁに、お兄さん? 言いたい事があるなら、はっきり言ってくれないと分からないわ。わたしは心が読めないんだもの」

こいしちゃんは、小首をかしげながら、僕を見てそう言った。僕は何とかこいしちゃんに自分の意思を伝えようと、言葉を絞りだしていく。

「僕と……」

高鳴る鼓動をこらえ、僕はこいしちゃんの方を向いて、自分の思いを口にした。

「僕と……お茶……しないかい」

僕の言葉を聞いたこいしちゃんは、何も言わずにその場に立っていた。しかし、それも僅かな時間。こいしちゃんは、にんまりと笑っていた。

「あらぁ。ふふふ、ふーん……お兄さん、わたしにデートしてほしいんだ」

こいしちゃんは体を揺らし、ひらひらとスカートをはためかせながら、僕の顔をじっと見つめてきた。そんな様子がとても可愛らしくて、僕は胸がどきどきするのを感じていた。

「どうしよっかなー。わたし、結構めんくいなの。誘ってきたのはそっち。だから選ぶ権利はわたしにあるわ。どうしよっかなー? お兄さんと付き合うのはどうしよっかなー?」

こいしちゃんは、僕を焦らすことを楽しんでいるのだろうか? 頬に人差し指を当て、商品の品定めをするかのように僕を見ていた。
その一つ一つの動作が可愛らしく魅惑的で。小馬鹿にされているかもしれないこの状況を、僕は幸せに感じていた。

「どうしよっかなーー? どうしよっかなーー?」

もったいぶったように、僕の周りをくるくると回るこいしちゃん。
そんな様子を見ていた僕に、一抹の不安が頭をよぎる。もし、こいしちゃんが駄目と言って、いなくなってしまったらどうしよう。いつ会えるか分からないこいしちゃん。もう二度と会えなくなってしまったらどうしよう。僕はそんな不安に駆られていた。

「んーー? ふふふふ。はははははははは!!」

そんな不安そうな様子に気づいたのか、僕の顔をじっと見つめるこいしちゃん。少ししてから、大きな笑い声が、辺りに響いていった。

「そんな捨てられた子犬みたいな顔をしないでよ。わたし、とっても悪いことしているみたいじゃない」

悪いことをしているんだよ、こいしちゃん。こんなに僕を焦らして困らせて。いけない子だね、こいしちゃん。
僕はそう言葉にしたかったが、することができなかった。こいしちゃんが、自分の顔を僕に大きく寄せて、ささやくように声を出したからだ。

「付き合ってあげる。わたし、お兄さんとデートしてあげる」
「ほ、本当かい?」
「嘘をついてどうするのよ? ちゃんとお兄さんとデートするって、約束してあげる。いい一日にしましょう。わたしに取っても、お兄さんに取っても」

こいしちゃんは笑顔のままそう言うと、僕の手を引いて歩いていく。女の子に先導されるのは気恥かしいような気がし たけれど、こいしちゃんならいいか、と棒は思った。
そのまま手を引かれ、僕はこいしちゃんと歩いていく。
今日は、僕の人生の中で最良のものとなりそうだった。



* * * * * * * * * * *



僕とこいしちゃんが入った店は、里で評判のかふぇという所だった。今まで遠巻きにしか見る事のなかった場所に自分がこいしちゃんと共に入るのは、とても不思議な気持ちがした。

「お一人様ですか?」
「あっ、いえ、二人です」
「二人……後でこちらに来られるんですか?」
「いえ、今ここにいます」
「今、ここにいるんですか?」
「は、はい」

店員は奇異の視線を僕に向けてきた。それもそうだろう。店員にはこいしちゃんは見えておらず、僕しか見えていないのだから。少々頭が可笑しいか、妖精の悪戯にはまっているとでも思っているのだろう。
店員はやれやれといった様子で僕を見た後、二名様ご案内です、と声をあげ、僕〈とこいしちゃん〉を店の席に案内した。
僕とこいしちゃんは机を挟み、向かい合わせに椅子に座る。こいしちゃんがこれがいいなぁと指さしたメロンクリームソーダという飲み物を二つ注文する。

「お兄さん以外には、わたしの姿、見えていないみたいね」
「そうだね」
「お兄さん、変な人だと思われてるよ。女の人達や、カップルで来ている人達のお店に一人で来ている変な人だと思われてるよ」
「いいんだ、僕はそれで」

そう。そういう状態でいいんだ
僕だけがこいしちゃんの存在を知り、一緒に話している。そう思うと、僕はとても幸せな気分になっていた。

「嬉しそうね。お兄さん」
「嬉しいさ。こいしちゃんとこうして一緒にいられるんだもの」
「ふーーん。お兄さん。そんなにわたしと一緒の時を過ごすことを楽しみにしてたんだ」

こいしちゃんは脇に帽子を置き、座った状態で僕をじっと見ていたが、何かを思いついたように立ち上がると、笑みを浮かべ、口を開く。

「ねぇ、お兄さんはさ、わたしの事、好きなの?」
「えっ?」
「必死な顔でわたしを引き止めて、デートすることになったら、安堵して、とっても嬉しそうな顔をして。好きだから、そんなことをしたんでしょう?」

こいしちゃんは、僕の方に手を伸ばすと、僕の頬を指でなぞっていく。僕は、自分の心臓がどくどくと激しく鳴り響くのを感じていた。

「好きなの? 好きなの?  好きなの? ねぇ、好きなんでしょう? お兄さん、わたしの事が好きなんでしょう?」

こいしちゃんは、僕の方に顔をずいっと寄せてきた。互いの息づかいが聞こえる程の近い距離。僕は、自分の顔が熱くなるのを感じていた。

「お兄さんは、わたしのどこが好きなのかしら? 顔? 体つき? ウェーブのかかった髪? 匂い? 肌触り? 小さな手と指? スカートからのぞく太腿? お尻? 性格? 声色? どこが好きになったのかしら?」

こいしちゃんの声が、僕の心の中に深く潜り込んでくる。それはまるで催眠術をかけられているようで。僕は頭の中がぼうっとするのを感じていた。

「お兄さんはわたしをどうしたいの? 帽子を取った頭を撫ぜたい? わたしの体をぎゅってハグしたい? 一つのケーキを食べさせっこ? それとも男女のイケない遊び? わたしに何を望んでいるの?」

こいしちゃんの言葉。こいしちゃんの仕草。それは僕の中の欲望を激しく刺激し、かきたてていく。
僕は……僕はこいしちゃんと一緒に……
熱にうかされたような状態のまま、僕が自分の思いをこいしちゃんに伝えようとしたその時だった。

「おまたせいたしました。メロンクリームソーダになります」

僕とこいしちゃんのやりとりを断ち切るように、店員がメロンクリームソーダを持ってきた。それに僕は思わず舌うちしてしまう。どうして、いい所で邪魔をするんだ。あの店員は。

「一つしか来なかったわね。わたしも頼んでいたのにね」
「ごめんよ、こいしちゃん。もう一回注文しなおすよ」

そう思って、僕が手をあげて注文をし直そうとした時だった。
こいしちゃんが、僕のあげようとした手を押さえていた。

「えっ、こいしちゃん?」
「一緒に飲みましょうよ。どうせみんな気づいていないもの。周りの人からはお兄さん一人で飲んでいるようにしか見えないわ」

そう言いながら、こいしちゃんは立ちあがると、店の奥へと入っていく。そして戻ってきた時には、手にストローを持っていた。そのストローを僕の持つメロンクリームソーダにさし、口を近づける。
こ、こいしちゃんと一緒に飲み物を……

「ほら。早くお兄さんもストローをさしなよ。じゃないと、わたしが全部飲んじゃうよ」
「う、うん。分かったよ」

僕は幸福感に包まれ、今まさにこいしちゃんがストローをさしているメロンクリームソーダにストローをさし、一緒に飲んで……

「あーーー、こいしちゃんだーーー!!」
「えーーー!! ほんとーー!! どこどこーーーー!!」
「いるいる!! あそこ!! あそこだよ!! 男の人と一緒にいる!!」

口ぐちにやかましく騒ぎ立てる子供達。店にいる店員や客達も何事かと、外や店の中を見渡した。
そして、誰かのあっという声と共に、店の人間達の視線が、一斉に僕の向かい側に注がれる。

「あらぁ、見つかっちゃった。わたし、お店のみんなに見つかっちゃったわ」

隠れんぼの鬼に見つかった子供のように、ちろりと舌を出して、こいしちゃんは店の周りを見渡した。そして、ぺこりとその場でおじぎする。
妖怪……だよな
あの男、あんな少女型の妖怪を連れ込んできてたのね。全然気づかなかった
おぉ。いい身なりと可愛らしい仕草じゃないか、お嬢様妖怪か? ああいう品の良さをお前も少しはもっいだだだだだ!! 髪をひっぱるんじゃねぇこのあばずれいだだだだだだ!!

店の中が小さなざわめきに包まれていく。まぁ、みんなこいしちゃんに化かされていたようなものだから、驚くのも無理はないだろう。しかし、僕以外の大人は、ここまでしないとこいしちゃんが見えないのか。

「あそぼーー!! あそぼーよこいしねーちゃん!! 」
「「こーーいしちゃーーん!! あーーそびーーましょーー!!」」
「あらあら、あの子達ったらあんなにはしゃいじゃって。お店の人達の迷惑になるわ」

大きな声で口ぐちに騒ぐ子供達。僕はいつも思うが、あの元気は一体どこから出てくるのだろうか?
しかし、やかましい。少しは静かにしてもらいたいものだ。

「わたし、ちょっとあの子達の所に行ってくるわ」
「こいしちゃん。あの……」
「心配しなくても大丈夫よ。お兄さんとのデートは、まだしっかり続けるから」

こいしちゃんは耳元で僕にそう言って後、店の壁をすり抜け、子供達の方へと向かっていった。

「こんにちは、こいしちゃん」
「ねぇ、こいしねーちゃん。今日もあそぼうよ」
「おねえちゃん、いろいろな遊びを知ってたり、面白い話もしてくれるもの」
「こないだの目かくし鬼ってやつ。いつもの鬼ごっことちがって、おもしろかったなぁ」

こいしちゃんの胸程の高さの背丈の子供達が、口々にこいしちゃんに話かける。
こいしちゃんは、そんな子供達に年上のお姉さんとして接していた。なんのおかしさもないその光景。けれどもその様子を見ていると、僕の胸の中がちりちりと痛んだ。

「ふふっ、わたしを遊びに誘ってくれてありがとう。でもお姉ちゃん、今日は男の人とデートしてるから、あなた達とは遊べないの」
「えーー、あんな暗そうな男と一緒にいるのーー」
「こいしねーちゃんは、もっといい男の人と付き合えるよ。あの人には注意しなさいって、お母さんも言っていたもん」
「そうだよそうだよ。あんな男じゃもったいないよ。あの男、なんか危なそうだもん」

僕の胸の中のざわめきが、激しく燃えるようなものになっていく。けれども、こいしちゃんに会って過ごしていた時のような高揚感に包まれるものではない。暗く、へばりつくようなどろどろしたものだった。
僕だけがこいしちゃんを見ていたのに。僕だけがこいしちゃんと触れ合っていたのに。どうして、どうして、そんな大切な時間に割り込んでくるのか。
そして……どうして僕が気にしている事を、遠慮なく言っているのか。

「こらこら。そうやって人の悪口ばかり言っていたら、怖い怖い人食い妖怪にさらわれて乱暴されてしまうわよ。もしくは頭か足からばりばり食べられちゃうわ」
「へーーん。そんな奴こわくないよーーだ」
「人里でそんなことやったら、こわい巫女に袋だたきにされるんでしょ。それに先生がだまっちゃいないって」
「まぁ、この子達ったら。いつからこんな減らず口をたたくようになったのかしら」

生意気に強がる子供達。それでも、こいしちゃんが穏やかな笑みを崩すことはない。子供達のお姉さんとして、こいしちゃんは楽しそうに振る舞っていた。

「貴方達。今日はお家にもう帰りなさい。いい子にしていたら、また、一緒に遊んであげる」
「ちぇっ。しょうがないなーー」
「お姉ちゃんと遊べなくなるのはいやだから、今日はいい子にして帰ってあげる」
「じゃあ、さよなら、こいしお姉さん」
「さよーなら、こいしねーちゃん!!」
「ばいばーい!!」
「えぇ。さようなら」

別れの言葉を口にし、手を大きく振りながら、子供達は走り去っていく。そんな子供達を、こいしちゃんは、穏やかな表情で見つめていた。

「……」

やがて、こいしちゃんは子供達の走り去ったのを見届けると、店の壁をすり抜けて、僕の向かい側の席に座り直す。
こいしちゃんは、ストローを手に取りメロンクリームソーダを飲もうとしたが、僕の表情を見ると、小首をかしげる。そして合点がいったように手を打つと、小さく笑いだした。

「ふふふふふ……」
「何が可笑しいんだい、こいしちゃん」
「だって……ふふふふふ……だってお兄さん」

僕の方を見ながらこいしちゃんは小さく笑う。その様子を僕は黙って見ているだけだった。
やがてひとしきり笑い終えると、こいしちゃんは可笑しそうな様子で、僕を見て口を開いた。

「やだぁ。お兄さん、あんな小さな子供に嫉妬しちゃってるのぉ?」
「えっ!!」
「図星なんだ。ふふふ、そうかそうかぁ。お兄さん。あの子達に嫉妬しちゃったんだぁ」
「……そうだよ。その通りさ」
「全くもぉ、お兄さんったら。あの子達、恋愛対象としてじゃなくて、一緒に遊んでくれるお姉ちゃんとしか、わたしの事を思っていないのに。そんな子達相手に嫉妬しちゃうの?」
「するさ……せっかく僕だけがこいしちゃんの姿を見ていたのに。あの子達が騒ぐから、みんなこいしちゃんに気づいちゃったじゃないか」
「お兄さんったら、本当に子供っぽいんだから。器の小さい男は、女の子に好かれないわよ」

僕よりもずっと背が小さく、少女の外見をした妖怪に諭される。その時はこいしちゃんがとても大人びて見えた。

「今のお兄さんを見たら、パルスィちゃん、すごく喜ぶだろうなぁ。嫉妬心を煽れるだけ煽って弄んで、お兄さんの心をぼろぼろに擦り切らせていく。そして手足をもいでだるまにして断末魔の声を聞きながら廃人にして、鼻歌を歌いながら、血に塗れてゆっくり体をばらばらに解体していくんだ。とてもとても嬉しがるだろうなぁ」

パルスィちゃんと言うのがどういう者なのか、僕は知らない。でも、こいしちゃんの話を聞く限りだと、とても恐ろしい者のようだ。

「大丈夫よ。パルスィちゃんは地下から出てくることはないから、お兄さんがそんな目に会うことはないわ」

こいしちゃんは、僕の胸の中に半透明にさせた右手を差し込んだ。そして、ゆっくりと僕の心臓をなぞっていく。

「パルスィちゃんは、他人の不幸は本当に蜜の味がするっていうけれども、本当なのかな? わたしは心の味なんてさっぱりわからないんだけれども、そんなに美味しいものなのかな? ねぇ、お兄さんは他人の不幸はどんな味がするか知っている?」

文字通り心臓を鷲掴みにされ、僕は冷や汗をかいていた。もし、こいしちゃんが手を実体化させて、心臓を握りつぶしたら、そこで僕の生は終わってしまう。
そうだった。こいしちゃんは妖怪なんだった。どんなに綺麗で可愛らしい姿をしていても、その本質は人の恐れ等から生まれた異形の者達の一員なのだ。

「こいしちゃんは……こいしちゃんは怖くないのかい? そんな嫉妬心を操るような子なんかと付き合って」
「んーーー? 怖くないよ、全然怖くなんてない。わたしは心がないから、精神に関わる術の類は、何も意味をなさないの。嫉妬を操る力も、心を読む力も、何者か分からなくする正体不明の力も。何もわたしには意味をなさないの。だから、わたしにとって、パルスィちゃんはただの可愛い女の子だよ。少し陰口が多いだけのね」

心がない。あれだけ感情豊かに笑っているのに。子供達と楽しそうに触れ合っていたのに。今、僕と楽しく会話をしているのに。それでもこいしちゃんには、心がないのだろうか?
僕がこいしちゃんの事が好きだという事も、こいしちゃんはなんとも思っていないのだろうか?

「さ、デートの続きを……」

そんな僕の気持など知らないように、こいしちゃんはストローを手にすると、メロンクリームソーダを飲もうとした。しかしこいしちゃんは、ストローを口にすることなく、辺りを見渡した。店に人間達がじっとこいしちゃんを見ていたからだ。

「なんか、こんなに注目されると、ちょっと恥ずかしいわ」
「僕はもっとだよ。でも、どうしてこいしちゃんが見えるようになったんだろう? 幼い頃に見えなくなってから今まで会う事ができなかったのに」

僕の疑問にこいしちゃんは頬に手を当て、横を向いて何かを考え込んでいた。しばらくすると僕の方に向き直り、口を開いた。

「お兄さん。家族か誰かを失った?」
「え? うん、少し前だけども父親と母親を亡くしたなぁ」
「そう。じゃあ、お兄さん、天涯孤独になっちゃったんだ」
「まぁ、そうだね」
「お友達とか、知り合いもいないのかしら?」
「いないね。昔はいたけれども」
「そっかぁ。じゃあきっとお兄さん、寂しくなっちゃったのね。誰かと触れ合いたい、話したいって、心の奥底で思っていたのね。お兄さん、誰とも関わりを持たなくなっちゃったから。それでわたしが見えるようになったのね」

こいしちゃんはそう言うと微笑んだ。でも、その表情はどこか寂しげで、僕はこいしちゃんに申し訳ないような事をしている気になってしまった。

「じゃあ今日はお互い沢山話し合って触れ合って、楽しい一日にしましょう。ほら、さっきの続き続き。一緒にこのメロンクリ―ムソーダをストローで飲みましょう」



そう言うとこいしちゃんは、メロンクリ―ムソーダのストローに口をつけ、僕にもストローを口にくわえるように促した。僕は、頬を熱くさせながらストローを口にし、こいしちゃんと一緒にメロンクリ―ムソーダを飲んでいく。
僕はとても幸せな時を過ごしていた。



* * * * * * * * * * *



「ふふふ、今日は楽しかったわぁ」
「僕もだよ、こいしちゃん」

僕とこいしちゃんは手をつないで歩いていた。不意にこいしちゃんがじっと僕の方を見る。どうしたのかと僕が思うと、こいしちゃんは僕に抱きついてきた。

「こ、こいしちゃん!! 何をしているんだい」
「何って、ハグよハグ」
「は、はぐ?」
「外界の異国の中には、こうして相手と抱き合うことで、親愛の情を示す所があるの。挨拶みたいなものかしらね」
「へ、へぇ……変わった風習だね」

こいしちゃんが、僕の体に両腕を回し、抱きついている。僕よりも華奢な体をしているのに、その体は柔らかい。ふんわりとした感触だ。
こいしちゃんの甘い香りが、僕の鼻を強く刺激する。僕は自分の心臓の音が激しくなるのを感じていた。もっとこいしちゃんとくっついていたい。もっとこいしちゃんの感触を感じていたい。僕もこいしちゃんを抱きしめたい。僕の頭の中に、色々な欲望が渦巻きはじめる。
でも、僕が両腕を動かそうとした時には、こいしちゃんはハグするのを止め、僕から離れていた。

「なぁにお兄さん。物欲しそうな顔をして。そんなにわたしにハグされるのが嬉しかったの?」
「あ、あぁ……」
「もぉ。お兄さんったら、むっつりなんだから。そんなに長く抱き合っていたら、まるで恋人同士じゃない」

こいしちゃんと僕は、十何年ぶりに再会したばかり。しかもこいしちゃんは、小さい頃の僕の事を覚えていない。それで、恋人同士は確かに無理があるかもしれない。
でも、少しひどいと僕は思った。
僕は、こいしちゃんの事をずっと思い続けてきたのに。大人でこいしちゃんを見る事のできる人間が、他にいるかどうか分からないのに。そんな扱いはないんじゃないかと思った。

「お兄さん。ねぇ何考えてるのお兄さん」
「何って僕は……」
「人目につかない草むらで、男女のイケない遊びがしたくて、うずうずしているの? わたしの中に欲望を吐き出したくて、我慢できない?」
「ちょ!! ちょっとこいしちゃん!! 何言ってるんだい?」
「ふふふふふふ!! ふふふふふふふふふ!!」

僕が慌てふためくのを見て、こいしちゃんは口に手を当て、笑っていた。その様子は小さな子供のようで、とても下世話なことを言った後のようには見えなかった。

「男女のイケない遊びは無理だけれども……唇にキスなら、してあげようか、お兄さん」
「え!! えぇえええええ!!」
「ほらほら、どうするのどうするの、お兄さん。もうわたしと会う事はないかもしれないよ。こんな機会、もうないかもしれないよ」

思ってもみなかった提案に、僕は完全に意表をつかれ、どぎまぎしていた。こいしちゃんとキスができる。あの柔らかな唇と触れ合うことができる。僕は自分の顔が熱くなるのを感じながら、こいしちゃんにキスのお願いをした。

「お、お願いします、こいしちゃん。僕にキスを……キスをお願いします」

完全に動揺した僕は、うわずった声で、敬語でこいしちゃんに話していた。そして、腰をかがめ、こいしちゃんがキスしてくるのを待つ。
でも、こいしちゃんは僕に近づこうとはしなかった。その場に立ったまま、可笑しそうに笑いながら僕を見ているだけだった。

「ふふふ、だぁめ。もっと深い関係になった時じゃないと、キスはしてあげない」
「は……え……」
「だいたいさぁ、がっつきすぎだよ、お兄さん。そんなおどおどした様子で、わたしが何か思わせぶりな事を言ったり装ったりしたら、どぎまぎして。ふふ、本当に面白いんだから」

ひどいよ、こいしちゃん。そんな思わせぶりなそぶりを見せられたら、キスしてくれるものだと思うじゃないか。

「唇にキスも、男女のイケない遊びもなしだよ、なし。今日はもうこれでお兄さんとのお付き合いはおしまい」

高利貸しが、お目がねにかなわない客を追い返すように、こいしちゃんは手をひらひらとふっていた。僕はがっくりと肩を落とし、こいしちゃんに背を向け、立ち去ろうとする。
もう会えないかもしれないけれど、それでもよかった。今日の事を忘れないように、いい思い出として残して、しっかり生きていこうと思った。

「ちょっと待って、お兄さん
「……なんだい、こいしちゃん」
「はい。これ、お兄さんにあげる」

こいしちゃんは僕を呼びとめると、掌を軽く振り、何かを握りしめる。そしてそれを僕に手渡した。
僕はそれをじっと見る。手渡されたのは、赤い一本の薔薇だった。

「それを大事に持っていたら、またわたしに会えるから。なくしたら駄目だよ」
「じゃあこいしちゃん。こんなものをくれるってことは……」
「また、お兄さんの所に遊びにきてあげる。じゃあばいばい、お兄さん。今日は楽しかったよ」

にっこりと笑いながら、こいしちゃんは僕に手を大きく振った。そして、その姿がかき消える。今までの事が幻であったかのように、そこには誰もいなかった。
僕は、こいしちゃんに手渡された赤い薔薇を見る。花屋でも見た事のないような立派な赤い薔薇。僕には勿体ないくらい、立派な花。
僕はそれを握りしめると、ぽつりとつぶやく。

「また、会おう。こいしちゃん」



* * * * * * * * * * *



僕はキャンパスに向かって、一心不乱に絵筆をふるう。今までぼんやりとしか分からなかった全体の輪郭が、顔がはっきりと思い起こされ、描く事ができる。

「できた。できたぞ」

僕は興奮に震えながら、絵筆を置く。
キャンパスに描き上がったこいしちゃん。今まで描く事のできなかったこいしちゃん。
本物は綺麗で可愛らしかった。こんな僕の下手の横好きで描けるような存在ではなかった。たとえカメラとかいう対象の姿をそのまま写し取れる機械でも、その存在を伝えきることはできないだろう。

「こいしちゃん……こいしちゃん」

僕はうわごとのように何度もこいしちゃんの名前を呼ぶ。でも、キャンパスの中に描かれたこいしちゃんがそれに答えることはない。当たり前の事とはいえ、残念だった。
僕はこいしちゃんからもらった赤い薔薇を手に取り、その匂いを嗅ぐ。甘い香り。こいしちゃんのものとは違う、けれどもこいしちゃんを思い起こさせる甘い香り。僕は、早くこいしちゃんに会いたくて仕方がなかった。

「今度はいつ会えるのかな。僕の好きなこいしちゃん」



* * * * * * * * * * *



僕は満たされた気持ちだった。鼻歌を歌いながら、妖怪達の露店で買い物を終え、自分の家へ向かって歩いていた。
ふと僕の耳に聞こえるざわめき声。僕はその声の方に向かって歩いていく。

「ほーーら、おーじょうさーん♪ おはいりーなさーーい♪」

声を出していたのは、里の子供達とこいしちゃんだった。里の空き地で、可愛らしい声を出しながら、こいしちゃんと里の少女が縄とびの縄を回していた。声に促されるようにして、里の子供達が次々に縄の中に入っていく。

「じゅーし、じゅーご、じゅーろく、じゅーしち」

どこか舌足らずな声で、飛ぶ回数を数える里の少女。それでも、縄とびの縄は綺麗に回っていた。

「二十一、二十二、二十三、あっ……」

軽快に縄を回していたこいしちゃんだったが、その縄の動きが唐突に止まる。いや、止められたと言った方が正しいだろう。縄に里の少年の足が引っ掛かっていたからだ。

「またタケオか。本当にどんくさいつだな」
「うるさい!! マサオだって、初めの縄とびの時ひっかかったじゃないか」
「へん、タケオよりはずっと回数が少ないやい」
「なにをーー!! なまいきなやつめ!!」
「なんだよ!! なまいきなのは、おまえの方じゃないか」

マサオと呼ばれた子供が、タケオという子供の着物の胸倉をつかむ。それに対し、タケオが勢いよくマサオの頬をはたく。
大きな叫び声と共に、取っ組み合いを始める二人の少年。他の子供達はまたかと言った表情で、その様子を眺めていた。

「はいはい、喧嘩はよしなさい。坊や達」

取っ組み合いをおさめたのは、こいしちゃんだった。胸元から長く伸びる無数の青い触手のような者が、二人の少年達の手足に絡みつき、動きを止めていた。

「喧嘩するほど仲がいいとは言うけれども、そんなに喧嘩ばかりしていたら、本当に相手の事を嫌いになってしまうわ。ほら、仲直りの挨拶をなさい」

こいしちゃんの言葉が聞こえているのかいないのか、触手のようなものから解放された二人の少年は、互いを睨みあっていた。しかし、こいしちゃんの方を見ると、しぶしぶと言った様子で、互いの手を出し、握手をした。
それを見たこいしちゃんは、にこりと笑うと、二人の少年の頭を撫ぜる。
僕は、昔を思い返し、目を細める。昔はああして、他の子供達と共に遊んでいたものだ。喧嘩もしたりしたけれども、そのたびにこいしちゃんがああして、その場をいさめてくれた。

「変わらないなぁ、こいしちゃんは。僕が初めて会った時から、全然変わらない」

そう。妖怪であるこいしちゃんは、あの可愛らしい姿のままその世界に存在し、子供達と一緒に遊び続けている。
それに対し、僕のような人間は、年月と共に姿を変え、昔の姿に戻る事ができない。いつまでも、子供として遊び続けることができないのだ。

「僕も……もう一度、子供に戻って、こいしちゃんと一緒に遊んでみたいな」

かなわない思いを抱きながら、僕はこいしちゃんと子供達の様子を見つめていた。
ふと、僕は喧嘩していた二人の少年達の様子がおかしいことに気付いた。互いに顔を見合わせると、何かをうなずいたのだ。でも、こいしちゃんは、その様子に気づいていない。
首をひねる僕をよそに、二人の少年はにやりと笑う。何かよからぬ事を考えている顔だった。

「きゃーーーーーーーー!!」

里の空き地に響くこいしちゃんの声。二人の少年は、こいしちゃんのスカートをまくっていた。
乾いた音と共に、スカートをまくっていた少年達の頬に、こいしちゃんの掌がさく裂する。

「あぁんもぉおおお!! 男の子ったら、本当にえっちなんだから!!」
「こいしねーちゃん、結構色っぽいパンツ履いてるんだ。おっとなーーー♪」
「こいしねーちゃん、ブラジャーはつけてないの?」
「多分つけてないよ。つける程胸があるように見えないもの」
「悪かったわねぇ、小さい胸で。わたしはキャミソールしかつけてないわ」

さっきまでの喧嘩はなんだったのか。息をぴったりと合わせたように、二人の少年はこいしちゃんに不埒な行為を働いていた。僕は激しい憤怒に両手をぐっと握り、拳を震わす。

「セクハラは禁止よ、禁止。今度やったら、仲間はずれにするんだから」
「そんなこと言っても、結局すぐに許して、仲間に入れてくれるんだろ。こいしねーちゃんは優しい者」
「そうだよ。それに、こいしねーちゃんが遊んでくれなくなったら、僕達、寂しくなってしんじゃうかもしれないよ」
「死ぬなんて、冗談で言ったら駄目よ。本当につらくて苦しくて死にたくてたまらない人達に失礼だわ。そんな軽い理由で死んだら、閻魔様に長々と説教されるわよ。だから、死ぬのは駄目」
「じゃあ、仲間はずれにしないでよ。こいしねーちゃん」
「そうだよ」
「あぁあ、もう。本当にこの子達は……分かったわよ。仲間はずれにはしないわ。でも、セクハラはだぁめ」
「やったぁ。こいしねーちゃんありがとう」

がしりとこいしちゃんに抱きつく二人の少年。僕はそれを横目でちらりと見た後、きびすを返す。
そう、きびすを返さないといけなかった。



* * * * * * * * * * *



ざぁざぁと勢いよく降り注ぐ雨。僕は、蓑を着こみ、笠を深くかぶると、木陰でじっと待ち続ける。
もう一刻以上待っていたが、僕は全く苦にならなかった。目的を達成するまでは、何刻でも待ち続けるつもりだった。
僕が目的とする者がやってくるのが見える。そいつらは木陰に隠れる僕に気づくことなく、傘をさして、僕のすぐ脇を通り過ぎていく。予想外の者がいたのは少し残念だったが、一緒にいるのなら仕方がない。
僕は鉄棒を取り出すと、勢いよくその者達目がけて振り下ろす。
突然与えられる激痛に体をよじる者達。地面に倒れ込みながらも、必死で逃げようとする。逃がすわけにいかない僕は、鉄棒で何度もその者達の体を打ちすえる。やがて、痛みにうめく者達を回収する為に、僕は傍らに置いていたずた袋を開く。両手と両足を麻縄でがっしりと拘束し、口に猿ぐつわを噛ませ、その中に一人ずつ入れていく。そして、口を麻縄でしっかり縛ると、用意していた荷車にのせ、運びだす。
雨の中、僕は目的を達成するために、歩き続ける。



* * * * * * * * * * *



人里の中心から離れた所にある僕の家。その倉庫の地下室に、僕はずた袋をどんと下ろした。
低くくぐもった声が聞こえるが、気にすることはない。
僕はふうと一息つくと、ずた袋の口を開ける。中に入っていたのは、両手と両足を麻縄でがっしりと拘束し、口に猿ぐつわを噛ませた、少年二人と少女一人。こいしちゃんとデートしていた時僕の邪魔をし、久しぶりに遊ぶこいしちゃんの姿を見た時に狼藉を働いた奴らだ。
少女は完全に怯えきっていた。体をがたがたと震わせ、目をつぶって僕から視線をそらす。少年の一人、マサオは困惑した様子で僕を見ていた。自分がどうしてこんな目にあっているのかまだ分かっていないようだ。
そして、もう一人の少年、タケオは、僕をじっと睨みつけていた。拘束された両手と両足を激しく揺すり、抜け出そうとしていた。
僕は、近くの椅子に腰かけ、そんな三者三様の様子を眺めていた。しばらくその様子を眺めて、これからなすべき事を思案する。そして、それが決まると、椅子から立ち上がり、壁から長い柄のついたくわを手に取る。
そして、僕を睨みつけていたタケオの頬を、思いっきりくわの柄で打ちすえる。
少年は猿ぐつわの奥でくぐもった悲鳴をあげるが、僕の手は止まらない。僕は少年の全身を何度も何度もくわの柄が折れんばかりに強く打ちすえる。
やがて、僕は息を切らし、くわを床に投げ捨てる。タケオはぐったりした様子で床に転がっていた。
体の至る所に痣ができ、特に激しく打ちすえた頭からは、ぽたぽたと鮮血が流れ落ちていた。

「少しは自分のした事が理解できたか?」

僕はタケオの胸ぐらを掴むと、体を引き起こす。タケオは始めのように僕を睨みつけることはしなかった。しかし、涙と鼻水を垂らしながらも、その両目は僕から離れる事はない。それが、僕の苛立ちを大きくなせる。

「なんなんだ。その顔は。なんなんだそれはぁああああああああああああああああああ!!」

激昂した僕は、タケオの首元を両手で掴む。そして、渾身の力をこめて、その首を締め上げる。

「あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

狂ったような雄たけびをあげながら、僕は渾身の力を両手に込める。みしみしと、骨と肉の軋む音が聞こえるが、気にすることはない。殺す。殺す。殺す。殺す。確実に、今この場で、こいつは殺す。
激しい殺害衝動に駆られ、僕は少年の首を強く強く締め上げる。
タケオは顔を紫色に染めて激しく苦悶し、体を激しく震わせていたが、やがて、白目をむき、びくんびくんと体を大きく震わせる。そして、一際大きく体を震わせた後、がくりと全身から力が抜けていく。
完全に死んだのを確認すると、僕はどさりとその体を投げ捨てる。
初めて人を殺した。でも、僕はそれに何の感傷も抱く事はなかった。
興奮と殺意の冷めない僕は壁に行くと、右手になたを取る。そして、勢いよく、少年の死体になたを振り下ろした。

「僕がっ!! 僕だけがっ!! こいしちゃんを見ていていいんだっ!! お前なんか!! お前なんかこうしてやる!! こうしてやる!!」

僕は、手にしたなたを何度も何度も、タケオの屍に振り下ろす。肉の湿った音と、骨の砕ける音が部屋一面に響き渡る。屍となっていたためか、血しぶきが僕に降りかかることはなかった。
僕は何度も何度も、なたをタケオの屍に振り下ろす。
僕は息を切らせ、なたを振り下ろすのを止める。タケオだったものは、ぐちゃぐちゃの肉塊となっていた。
残りの子供達は恐怖に震えたように、体を震わせていた。

「はは。ははははははは。怖いか? 僕が怖いか? 怖いよなぁああ? 今この場でお前達を殺そうとしているんだもんなぁあああああああああ!!」

まるで、自分が妖怪になったような感覚を僕は覚えていた。激しい狂気と殺意に駆られながら、僕は残る少年と少女に殺害宣言をする。

「あーーーーーーーーーーははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!! 殺してやる殺してやる殺してやるぞお前達!! もっともっと残酷に無残に殺してやる!! 」

僕は少女の方に近づくと、勢いよく足で体を蹴り飛ばす。大きなうめき声をあげながら、少女はごろごろと転がり、壁に激突して、その動きを止める。
僕は、そんな少女の様子を意に介さず、服をなたで切り裂き、剥いで行く。まるで強姦でもするような状況だが、僕はこんな小さな少女と交わる趣向はない。ただ、これからすることに邪魔な服を剥いでいるんだ。
そして、僕は少女の腕の肉を食いちぎる。
生肉を食い千切られる激痛からか、少女はさるぐつわの奥で声にならない絶叫をあげ、のたうち回る。そんな少女に覆いかぶさるようにしながら、僕は少女の体を押さえつけ、肉を食い千切っていく。二の腕の肉を、膝の肉を、太ももの肉を、腹の肉を、肉を肉を肉を肉を肉を肉を肉を肉を肉を肉を肉を肉を肉を肉を肉を肉を食い千切っていく。
恐怖からか、痛みからか、失禁により出来た水たまりが、少女と床を濡らしていく。それに混ざる鮮血の鉄錆びた匂い。まるで、屠殺場の解体現場か、妖怪の食事のようだった。
こうして、肌を食い千切って血まみれにした後に、なたで頭をぶち割るのもいい殺し方かもしれない。残りの少年は、腹をかっさばいて、手づかみで中の内臓を引きずり出してやろう。そして、この地下室を埋め立てて、誰にも看取られない、発見されない状態にしてやるのだ。
僕がそう思いながら、少女の頭をかち割るために、なたを手に取って、勢いよく振りかぶろうとした時だった。

「なにをしているの?」

その声は、何の前触れもなく聞こえてきた。僕はその声の主が誰なのかを知っていた。でもそちらを振り向くことができない。

「なにをしているの? お兄さん」

声はさっきよりも僕の耳の近くで聞こえてきた。手を伸ばせば、すぐにその体に触れられる程近くで。
僕は恐る恐る後ろを振り返る。
僕の真後ろにこいしちゃんが立っていた。

「こ、こいしちゃん……」

僕の問いかけにこいしちゃんは何も答えない。
何の音もしない、地下室で、雨の音がいやに大きく聞こえる。
蝋燭の明かりが、ぼんやりとこいしちゃんの顔を照らす。
その顔はとても冷たく、能面のようになんの感情も浮かばせない。
まるで亡霊のような、死せる者がその場に立っているようだった。
怖い。怖い。こんな生き物、立たれるだけで怖い。
恐慌状態に陥った僕は、こいしちゃんの頭めがけて、なたを勢いよく振り下ろした。
肉の裂ける湿った音。それでも、こいしちゃんの頭は切り裂かれることなく、綺麗な顔は健在だった。

「……」

こいしちゃんは、僕のなたを自分の右手で受け止めていた。いや、受け止めたと言うには、言葉に語弊がある。なたは、こいしちゃんの手を裂き、骨を割り、肉を裂きながら、肘まで達していたのだから。
それでも、こいしちゃんは身じろぎひとつしなかった。ただ、ぼそりとつぶやいただけだった。

「また服が一つ駄目になっちゃった……こんなに何度も服を駄目にしたら、お姉ちゃんに怒られちゃうわ」

深手を負いながら、こいしちゃんからは一滴の血も流れ落ちることはなかった。ぱっくりとなたで切り裂かれた傷跡を見せているだけだった。

「ご、ごめんこいしちゃん。あの、僕は」
「わたしの名前を呼ばないでちょうだい」

僕はこいしちゃんに弁解しようとするが、こいしちゃんはそれを拒否する。それでも口を開こうとした僕の耳に、不気味な音が聞こえてくる。
不気味な音はこいしちゃんの腕から聞こえてきた。なたで切り裂かれたこいしちゃんの腕。その傷口から、猛烈な勢いで何かが飛び出してくる。それはぐるりと僕を取り囲み、僕の右腕を引き裂いていく。
僕の右腕は、肘から先の皮膚がはぎとられ、赤黒い肉塊と化していた。びっしりと長い刺の生えた植物の茎が、僕の手に絡まり、右腕を引き裂いたのだ。
猛烈な激痛にうめく僕。痛みに震えながらも、僕はその手でなたを握りしめ、渾身の力で、こいしちゃんの首筋目がけて振り下ろす。

「残念だわ。とってもとっても残念だわ」

こいしちゃんは、なたを握る僕の右手をがしりと掴んだ。そして、そのまま、なたの柄ごと僕の右手を握り潰していく。
僕は大声をあげて、地面を転がり回る。痛い、痛い、痛い。

「わたし、畜生なんかに名前を呼ばれたくないの。だから、黙っててくれる」

こいしちゃんは、小さな声でそうつぶやく。なんの抑揚もないその声が、僕はとても怖く感じた。
こいしちゃんはなたの刃を無造作に掴むと、僕のぐしゃぐしゃになった右手を切り落とす。僕の右手の切断面から、鮮血が勢いよく噴出していく。
立て続けに与えられる痛みに、僕は子供のように泣き叫ぶ事しかできなかった。このままだと、出血多量と過剰な痛みで死ぬ。僕がそう思った時だった。
僕の傷口に何かが無数に入りこむ。それは瞬く間に僕の傷口の縫合をしていく。焼けた鉛を注がれるような激しい激痛に僕はのたうち回る。
やがてその痛みが引いていく。
僕はゆっくりと目を開き、右腕を見る。切り落とされた右腕の断面を、植物のつるのようなものが完全に覆っていた。

「まだ死んでもらったら、困るわ。わたし聞きたいことがあるんだもの」

こいしちゃんのなたで切り裂かれた腕で、無数の植物の茎がうごめいていた。それがこいしちゃんの右腕を完全に覆い、赤く輝く。輝きが止んだ時には、元のほっそりとした傷一つない腕が千切れた袖の間から見えていた。

「ねぇ、畜生になり果てた男の人。今なら他人の不幸はどんな味がするか、分かるんじゃないかしら? 実際に味わったんでしょ。その潰れた右手と口で。どんな味がしたのかしら?」

一緒に人里のカフェでしたのと同じ言葉を、こいしちゃんは口にした。けれど、あの時のような他愛もない触れ合いではない。有無を言わせぬ圧迫感を、僕に与えていた。
僕はいやに乾く口を舐めながら、ゆっくりと答える。

「右手で味わった時は、深い高揚感があった。けれど、口で味わった時は、ただ苦くて鉄錆びた味がしただけだった」
「ふーーん……そうなんだ……」

こいしちゃんは、肉塊となった子供の屍のそばにしゃがみこんだ。そして、手を伸ばすと、子供だった肉片を掴んでは口の中に含んでいく。スカートや袖が血肉で汚れるのも気にせず、こいしちゃんは肉片をゆっくりとかんで咀嚼していく。
骨と肉を歯ですりつぶす音。ごくりとそれを咀嚼する音が部屋に響き渡る。
どれ程その行為を続けていただろうか? ふいに、こいしちゃんが血肉を食すのを止め、僕の方を見て立ち上がる。
唇とその周り、服と袖は血肉でべっとりと汚れていた。けれども、そんな事を気にした様子もなく、こいしちゃんはじっと僕の方を見て、口を開く。

「やっぱり、わたしに他人の不幸の味は分かりそうにないわ。だってわたしは……みんなと笑いあっている時の幸福の味の方が、よっぽど美味しいもの」

この陰惨な光景の中では、似つかわしくない言葉と表情。こいしちゃんは笑っていた。涙を流しながら、満面の笑みで笑っていた。
こんな状況にも関わらず、僕はこいしちゃんのその笑顔をずっと見ていたかった。
でも、その満面の笑みは、古い漆喰が勢いよく叩かれたかのように剥がれ落ち、能面のような表情に戻っていた。

「どうしてこんな事をしたのこの子はわたしの大切な遊び相手だったのに毎日をしっかり生きて生活していたのにこんなことをする畜生なんて許すことができないこのまま帰すわけにはいかない許せないわ許せるわけないじゃない」

こいしちゃんは今悲しいのだろうか? それとも怒っているのだろうか?
無表情で声の抑揚のないまましゃべっている為、僕にはその判別ができなかった。まるで、人形が意思を持ち、言葉をしゃべっているような。
そんなアンバランスさを、僕はこいしちゃんから感じていた。

「だから殺すわこんなひどいことをする畜生は無残に惨殺して後灼熱の業火で焼いてやらないと」

抑揚のない言葉を羅列しながら、こいしちゃんは僕に向かって手を突き出した。その手に妖力が宿り、僕に目がけて放出される。
胸元に何かが突き刺さり、僕に激しい痛みを与える。僕の胸元が赤く輝いている。それはよく見ると、大人になってから初めてあった時にもらった赤い薔薇と同じものだった。でも、綺麗だと感じたあの時と違って、とても不気味に感じていた。

「ねぇ、お兄さん。愛と憎しみって表裏一体だって知ってる?」

こいしちゃんは、ゆっくりと言葉を区切りながら、僕に口を開く。僕はそれに答えることができない。胸元だけだった痛みは全身に広がっていたからだ。
それは、僕の全身を抉るようにして、薔薇から伸びる無数の触手が原因だった。
こいしちゃんは、もう片方の手を、地面目がけて指し示す。僕の周りを取り囲むようにして、無数の模様が浮かび上がる。

「相手のことを強く愛おしく思っていても、裏切られると激しい憎しみに変わるの」

こいしちゃんの言葉に呼応するかのように、僕を取り囲む模様が、赤く禍々しく輝く。

「わたし、嬉しかったのよ。大人になっても、わたしの事を覚えてくれている人と出会えて。あまりいい顔立ちでもないし、好みのタイプってわけでもなかったけれど。友達として、お茶して、人里やそ幻想郷のあちこちを歩き回るぐらいの関係なら続けてもいいなって思っていたの。なのに……なのに……」

こいしちゃんはそこでしゃべるのを止めた。模様は激しく明滅しながら揺れ動いていた。

「でも憎しみってどんな気持ちなのかしら? 今、ここで畜生を激しく憎しみたくても、心をなくしたわたしはできないの。そんな表情を見せることもできない。だから……だからわたしは……」

そういうと、こいしちゃんは自分の爪を激しくとがらせ、自分の顔にめり込ませ、肉を次々に裂いていく。
頬が裂け、歯茎が見える。あちこちが傷つき、赤黒い肉が生々しく露出する。けれども、その傷跡からは一切血が流れない。僕はその様子を、息を飲んで見る事しかできなかった。

「どうかしら? 多分これが憎しみの表情だと思うけれど。能面の中にこういうものがあったはずだわ」

可愛らしい顔は、あちこちが深くえぐれ、妖怪か獣に食い千切られたかのような、凄惨なものとなっていた。
ぱっくりと凄惨な傷跡を見せた顔でからどられたその表情は、怒りに満ちた修羅の顔だった。

「怖いのね? 多分そうだわ。化け物を見る顔をしているもの」

僕の顔を見て、こいしちゃんは笑った。獲物を前にした肉食獣が笑みを浮かべるとしたら、こんな風なのだろうか?  傷ついた顔で満面の笑みを浮かべるこいしちゃんが、僕はとても怖かった。
こいしちゃんは左手を高く上げ、全身の紅い輝きを強めていく。それと共に床の模様も輝きを増していく。
その中から、勢いよく何かがわき出してくる。それは大きな大きな無数の赤と青の薔薇だった。それは次々と床からわき出し、壁、天井を侵食していく。

「こいしちゃん……今の姿はとても」
「さようなら、畜生になり果てた男。地獄で後悔なさい」

僕の言葉をこいしちゃんは最後まで聞かなかった。こいしちゃんは全身を眩く発光させる。それとともに、部屋中の薔薇が、一斉に僕に向かって茎を勢いよく伸ばす。
僕の腕程もある茎が、僕の全身を貫いていく。
激しい痛みと共に、僕は無数の薔薇に、全身の水分と血液が吸い取られていくのを感じていた。
でも、悪くないと僕は思った。こいしちゃんの呼び出した薔薇に喰われるのなら、悪くないと思った。
意識が薄れる。僕は死ぬんだ。あぁでも最後に一言……

「こ……」

僕の意識はそこで途切れた。



* * * * * * * * * * *



ごうごうと激しく僕に何かの音が鳴り響く。悲鳴声、呻き声が僕の身を震わせる。熱い何かが僕の全身を包み込む。全身が締め付けられるような息苦しさを、僕は感じていた。

「やっとお目覚めのようだね、新入り」

声をかけたのは、一人の女だった。いや、それは女の姿をした妖怪だろう。人間はこんな熱くて瘴気の漂う場所にはいられないだろうから。

〈この不気味さと陰鬱さ。ここは地獄なのか?〉
「その通り。ここは 旧灼熱地獄跡。そして、あたいはこの灼熱地獄で死体を運び怨霊を操る火車妖怪、お燐さ」
〈僕は死んでしまったのか? 罪を犯して死んで、お前に捕まったから、ここに運ばれてきたのか〉
「その通り。お兄さんは罪を犯して死んじゃったのさ。からからの干からびたミイラになってね。いやーー、嬉しいなぁ。人間の死体だよ人間の。感じるよ感じるよ、孤独さから来るどす黒く陰鬱な気を。何の罪もない小さな子供の殺人犯の死体だ。こいしちゃんには感謝しないとねぇ。こんな人間の魂なら、いい怨霊になりそうだ」

女の姿をした妖怪、お燐は、そんな陰惨な場所にそぐわない程、朗らかで快活な様子を見せていた
でも、死体を運び怨霊を操る火車妖怪というだけあって、その言葉の節々から、不穏なものを感じていた。

「お兄さんもすぐに、この怨霊達の仲間に入れてあげるからねぇ」

どこかうっとりとした甘い声で自分の頬に手を当てるお燐。それと共に爛れた死肉の腐臭、生乾きの血の鉄錆びた匂いが、辺り一面に漂う。
吐き気を催すような真っ赤な瘴気を放つお燐の妖気。その中から青白く、生気はないが、猛烈な熱を放つ者達が次々に湧き出し、お燐の周りをゆらゆらと漂う。
遠くに聞こえていた呻き声に唸り声、怨嗟の声に喚き声、重く陰惨な様々な声が、僕の身を大きく震わす。

「それじゃあ、まずはお兄さんの魂を焼かないとね。あたいと怨霊の放つ炎で焼いて、新しい怨霊として迎えいれてあげるよ」

そう言うと、お燐と怨霊達の放つ瘴気が勢いよく燃え上がる。お燐の手に抱えられていた僕は炎に包まれ焼かれていく。

〈あぁああああ熱い!! 熱い! 熱いぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!〉
「大丈夫さ。熱いのは怨霊に変化する最初の数回だけ。苦しいのは怨霊達に感化される、数十回だけ。それが過ぎればお兄さんも、いっぱしの、あたいの可愛い怨霊達の一員さ」

朗らかに笑いながら、僕を炎で焼いているだろうお燐。けれども、僕はその様子を見る事ができなかった。熱い。痛い。苦しい。魂だけとなった僕は、それしか感じる事ができなかった。

〈早く、早く僕を殺してくれ。痛い!! 痛いいぃいいいいいいいい!!〉
「駄目駄目。じっくり段階を踏みながら焼かないと、質のいい怨霊にならないのさ。美味しい料理を作るには、火力調整が大事だって、お兄さんは習わなかったのかい?」

炎の与えるすさまじい痛みに、僕は身をよじって悶えていた。けれどもどうあがいても、その炎から逃れる術はない。僕は、体を震わせ、苦痛に叫び続けていた。
ふと、身を包む熱さが収まる。全身に与えられた苦痛に呻きながら、僕はゆっくりと辺りを見渡した。
地面に転がる魂となった僕。その傍らに立つ火車お燐。そして、少し離れた所に僕のよく知る少女が立っていた。

「もう始まっていたのね。怨霊への練成が」
「珍しいじゃないか。こいしちゃん。こんな所までわざわざ下りてくるなんて。放浪の旅は終わったのかい?」
「そんな気分じゃなかったわ。少し疲れたから、お部屋で眠っていたの」

こいしちゃんは、そう言うとじっと僕の方を見た。その顔は笑っていない。人形のような無機質な視線を僕に浴びせていた。
こいしちゃんは、お燐の方へと歩いていくと、その体にもたれかかって、顔をすりよせる。

「駄目だよこいしちゃん。働いている最中のあたいに触っちゃあ。死体の死臭と腐臭が移っちまう。臭いが取れなくなるよ」
「いいのよ、それで。今は薔薇の甘い香りよりも、死体のよどんだ臭いをかいでいたい気分だわ」

自分の体から引き離そうとするお燐の手を、こいしちゃんは振り払った。そのまま、お燐の体に手を回し、強く抱きしめる。

「お燐。わたしは全てのものを強く愛したいのに。いつも裏切られてしまうわ。なんでかな? なんでいつもわたしはこうなのかな? わたしはみんなと愛し愛されて仲良く暮らして行きたいのに」
「生きる者全てを強く愛するなんて、無理な事さ。人形やぬいぐるみじゃないんだから」
「どうして愛にはそれに見合った見返りがないのかな。お金みたいに目に見えるものならよかったのに」
「愛なんて曖昧なものの見返りなんて、それと同じく曖昧なものさ。見合った見返りを強く求めても、自分が苦しむだけさ」
「ドライなんだね、お燐は。わたしはそんなにうまく割り切れないや」
「あまり深く物事を考えないだけだよ。難しく考えたり、暗く考えたりするのは性分じゃないしね。そんな事を考えるようじゃあ、この仕事なんてやってられないよ」

こいしちゃんは背中に回した手で、お燐の背中の服をぎゅっと握った。お燐は何を言う事もなく、じっとこいしちゃんを見つめていた。しばらく続くその光景。
まるで、姉が妹を慰めているようなその光景。しかし、その考えは決して歩みよれないものだった。

「もう帰るわ。お燐。今度は長い放浪になると思うから、寂しがらないでね」

こいしちゃんは踵を返し、灼熱地獄の外へと歩いていく。

〈こいしちゃん。待って!! 待ってくれ!! おい、お燐。君は僕の声が聞こえているんだろう。黙っていないで、こいしちゃんに、僕の言葉を伝えてくれ〉

こいしちゃんは僕を振り向かずに歩いていく。お燐は僕の言葉を無視して、じっとこいしちゃんの様子を見つめていた。

〈こいしちゃん待って!! 待ってくれ!! 僕は!! 僕は君の事が好きなんだ!! 君の事が初めて会った小さい頃からずっとずっと好きだったんだぁあああああ!!〉

こいしちゃんは、こちらを振り返らない。足音を響かせながら、ゆっくりと灼熱地獄の外へと歩いていく。お燐はその様子をまだ見つめていた。
やがて、こいしちゃんの姿は灼熱地獄から完全に見えなくなる。そこで、お燐はゆっくりと僕の方を見た。

「悲しいねぇ。非恋だねぇ。残念だねぇ。滑稽だねぇ」

お燐は楽しそうな様子で僕を見つめていた。その顔に同情の憐れみは見られない。

「孤独で根暗な男が、決して成就しない恋と愛を求め、邪魔者を消したのに、愛した者の怒りを買って殺され、地獄で罰を受ける。良質な怨霊になるにはいい条件だ。うまくやったじゃないか」
〈おまぇえええええ……〉

僕は怒りと怨嗟の言葉を吐く。お燐はそれを気にした様子もなく、笑って僕を見つめていた。どこまでもいい怨霊となる材料としか見ていない。そこに僕はやるせなさを感じていた。

「さぁ、初めようか。お兄さんを怨霊にする為の練成を。怨霊に終わりはないよ。ずっとずっとこの世界に有り続けるんだ。それがあたいの手にかかったものの宿命さ」

炎が灼熱地獄に広がっていく。終わりのない始まりを知らせる炎が僕を包みこむ。身に浴びせられる熱さと苦しみの中で、僕はいつまでも、こいしちゃんの事を考えていた。
こいしちゃんは可愛らしさと不気味さ、儚さを併せ持つ、とても魅力的な少女だと思います。
ニーゲルンゲン
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コメント



0.440簡易評価
2.無評価名前が無い程度の能力削除
こういう後ろ暗いのは然るべきところでやってくれませんかね?
3.80名前が無い程度の能力削除
いいね、こういうの好きだわ
ただお燐ってこいし様って読んでないっけか?
4.90名前が無い程度の能力削除
気持ち悪かったです、とても
男の執着心や独占欲、その狭量さは嫌悪感を感じさせてくれました
子供にしか見えないこいしちゃんが男に見えたのは
男の精神が幼かったことも一因だったのかもしれません
あと、こいしちゃんのかわいさが十二分に伝わってきたのがよかったです
でも、こいしちゃんが天使すぎたので個人的にはそこが気になりましたね
7.60名前が無い程度の能力削除
まあ男がガチクズ殺人下衆野郎なだっただけですけど
子どもと大人という視点でみてしまいましたね
子どもと大人というか
子どもには子どもの善というのがありますがまあ攻撃的な大人はそれが異様に許せないようで

こいしちゃんを介して変な大人と子どもが出会ってしまったが故の惨事なんでしょう
こいしちゃんなんで愛したいだけなのにこうなるのって言ってますが人を選べよって気はします
やはり人を選んだり正しく判別することは何より大切なんだなと思います
判別をミスるところに妖怪がいるのかもしれません

13.100絶望を司る程度の能力削除
気持ち悪くて実に良かったてですね。
16.100名前が無い程度の能力削除
おもろー