Coolier - 新生・東方創想話

魔女の手記 グリモワール・オブ・パチュリー

2015/05/19 18:46:49
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――序説――



まず初めに忠告しておこうと思う。
この手記に、特に目立つ物を書いたつもりはない。
もしもこれを読み、特殊な術式や精霊への接続技術を得たと言うのであれば、
それは妄想か、もしくはアイディアの種を与えたに過ぎないだろう。
少なくともこれを記す私に、そのような意図は全くない。
魔導書の名を冠する事すらも、これには不相応であろう。
これは単なる人生録。あるいは日記。あるいは他愛のないメモだ。
ふとした拍子に思い出したので、これを綴った。
それだけの事であり、それだけの物である。
それだけを、各位留意されたし。

著者 パチュリー・ノーレッジ


目次

1.レミリア・スカーレット
2.フランドール・スカーレット
3.紅美鈴
幕間・小悪魔
4.十六夜咲夜
後書














 
――レミリア・スカーレット――




 本の山に埋もれ、本の海を泳ぎ、本の傍で眠る。
 それが私、パチュリー・ノーレッジの本懐である。

 紅魔館の大図書館は、その本懐を遂げるに相応しい場所だと常々思う。
 いっそのこと、私はここに骨を埋めてもいいだろう。私の魂は永久にこの場所に鎮められ続けるのだ。莫大な知識の海の中で、安らかに。
 問題があるとすれば、その墓に無断で押し入る黒いネズミが気掛かりな事。それからこの場所でお茶を呑みながら談笑する怪物たちがいることだろうか。

 特に、この場所で優雅にお茶を嗜む紅魔館の主は最も性質が悪い。

 横暴、高飛車、幼稚で傲慢、その全てを掻き混ぜて内包するその精神は、否応なく周囲に嵐を吹かせ、私自身をも巻き込んで騒動を生み出す。
 畏怖すべき吸血鬼にして、我が唯一の親友。
 永遠に紅い幼き月――レミリア・スカーレット。
 眼を閉じれば、今でも思い出せる。彼女との邂逅の記憶を。
 あの忌々しくも憎めない吸血女王は、霧と共に降臨した。
 


 ―――◆―――



「こんばんわ、お嬢さん。良い夜ね」
 
 途轍もなく丁寧な挨拶をかけられて、私の頭は一瞬漂白されてしまう。
 辺りに満ちていた白い霧のように、何も考えられなくなった。
 それだけ、その邂逅は私にとって衝撃だったのである。

「あれ、通じなかった? もしも~し、お嬢さん?」

 あどけない姿。透き通るような白磁の肌に、水銀の髪と血染めの瞳。何より目を引いたのは背中に生えた蝙蝠の羽根。
 伝承通りの吸血鬼。一瞬何処かのサーカスのコスチュームかと思ったが、雰囲気がそれではないことは、サーカスに行った事のない私でもすぐに分かった。
 近代化して久しい昨今、それこそ生ける伝説に出会ったのだから、誰でも思考停止に陥るだろう。

「……一応、通じてるわ」
「あぁ良かった。こっちの言葉はこの前覚えたばっかりでね。実際に使うのはほとんど初めてなのよ」
「そう……」

 なんとか会話を始めたとはいえ、どう対応すればいいのか分からない。生憎と銀や大蒜は持ち歩いていない。夜では日の精霊も呼び出しにくい。
 まず、この吸血鬼の目的が分からない。

「突然ごめんなさいね。で、申し訳ないけど、ここが何処だか分かる? 連れとはぐれちゃって、困ってるのよね」
「……夜道を一人で歩くなんて、非常識ね」
「人の事を言えた義理ではないでしょう。こんな夜中に本を片手に散歩なんて良い趣味だわ。お茶でもどう?」
「誘う時間を間違えてるわよ。レディの扱い方の心得はないようね」
「私がレディなのよ? 心得る必要がどこにあるのかしら?」
「楽しい会話ね。でも生憎だけど私、急いでるの。ここはスラムの入り口よ。右に曲がって真っ直ぐ行けば大通りに出られるわ。そこからは自分で帰りなさい」

 相対するべきではないということは前提として、これは本当だった。親切に他人に道を教えるほど、時間の余裕はない。
 早々に帰宅し、手に抱える魔導書に目を通したかったのだ。
 
「連れないわね。送ってくれないの?」
「道が違うわ。私は貴女のいる方に行かなくちゃいけないの」
「それは残念。引きとめちゃってごめんなさいね」

 そう言って、ヴァンパイアは道を空けた。私はその隣をすり抜け、帰路を急ぐ。

「そうそう。最近誘拐が流行っているそうね」
「ご忠告ありがとう。気を付けるわ」
「そうね。気をつけた方がいいわ。じゃないと死ぬわよ?」

 一瞬。背筋に悪寒が走る。
 もちろん分かっていた。だからすぐさま最低限に抑えた詠唱で魔法を発動。魔法陣が足元で展開し、いくつもの銀の光が私を守るような間欠泉となって噴出する。
 嫌な音がする。加えて嫌な匂いが漂った。
 ゆっくりと振り返って、ヴァンパイアが光を喰らってそのまま地面へと倒れ込んだ姿を見る。

「死ぬ? 死ぬですって? 私が? それは貴女の間違いよ、可愛い吸血鬼の御嬢さん」

 血塗れのヴァンパイアは動かない。頭が砕け、四肢が捩れ、肉が裂け、内臓が零れているからだ。
 
「こんなもので死なない事は分かってるのよ。それに、残念だけど銀弾や白木の杭はないから、死ぬ程痛い目くらいにしか合わせられないけれど。私に手を出そうとした事を後悔しないなさい、モンスター」
「……く、くっく」
 
 肉を抉られ、血溜に沈んでいた吸血鬼の姿が、赤い霧となって炸裂し、収束する。そうして、元通りの少女がそこには立っていた。

「はっはっは! やるな小娘」
「こう見えても結構歳は重ねてるのよ? 多分貴女より年上だわ」
「ふん。だとすれば何故こんな国で惨めに安いアパートを借りて根なし草をしているのだ、パチュリー・ノーレッジ」

 まさか名前を知られているとは思わず、呆気にとられた私は口を噤み、彼女を睨む。
 ますます彼女の意図がわからなくなっていた。

「勝手に人の名前を調べるなんて、本当に礼儀知らずなモンスターね……」
「好きな者について調べるのは恋する乙女の特権だろう? まぁ、調べたのは私ではないんだけどさ」
「戯言を……魔女狩りか?」
「貧乏魔女を狩る程、吸血鬼も暇じゃあないよ」

 確かに、私は貧困に喘いでいた。
 しかし正しくは『金』にではなく、『本』に、だ。

 旅をしながら、本を蒐集する日々。

 私の生まれ場所は、森に囲まれた所に入り口を持つ小さな洞窟だった。薄暗い闇の中に、苔を好む精霊の光。そこに建てられた小屋の中で、私は暮らしていた。

 親の顔は知らない。知ろうとも思わない。

 物心ついた頃には一日を読書で過ごしていた。晴れた日も雨の日も、私には関係がなかった。ただ、そこに本があるのだから、私が読まない理由はない。
 けれどすぐに本は底をついた。小屋にお似合いな小さい本棚だ。私はそれに我慢できなかった。
 以降はずっと、流浪の民だ。

「じゃあ魔女の血がお望み? 随分と偏食な吸血鬼がいたものね」
「くくく、世の中の美食と謳われる料理や素材は偏食から生まれたのだ」
「だから私もその一部になれって? お断りよ、私は知識になるのではなく、知る側でいたいの」
「ノーレッジの名は伊達ではないようね」
「良い名前でしょう? お気に入りなの、よ!」

 土の精霊を媒介して、吸血鬼の周囲に壁を創造する。
 その壁を球状に閉じて、さらにその上からさらに土を盛って、生き埋めにしてやる。

「死体は土に帰る時間よ。眠りなさい、永久に」

 辺りに静寂が満ちる。怪物は土の中。私は悠然と踵を返した。留まる理由はない。

 けれど、どん、という鈍い音が響いて、私は再び振り返る。

 吸血鬼が土の壁を殴ったのだろう。
 その振動が明らかに外側の大気を揺らした事に戦慄する。
 これは不味い。膂力が違う。予想はしていたが、やはり準備も無しに鬼と善戦することは不可能だ。
 
 逃げようと思ったが、もう遅い。

 爆発した。
 紅い光が、天へと昇る。
 鮮明な紅。燃える炎ように荒れ狂い、天を焦がし、霧を裂く。
 衝撃が身を襲い、吹き飛ばされた。

「土の棺桶とは酷い待遇だ」
「げほっ、ごっほ……!」
「おっと悪いね。力加減には慣れてなくてさ」

 思い切り地面に背中をぶつけてしまい、咳き込む。ただでさえ丈夫な体ではないのに。これでは詠唱もままならない。喘息がぶり返しそうだった。

「やって、くれるわね……ルーマニアの蝙蝠にしては、ごほ、骨が折れそうだわ」
「軟弱な体だなぁ。もっと鍛えれば? 良い講師を知ってるんだ、紹介してやろう」
「丁重に遠慮しておくわ……」

 酷い力だ。まさに暴力。余波だけで分かる。あの小さな体躯の中には嵐が渦巻いている。手がつけられない。

「全く、こんな所で遊んでる場合じゃないのに……」
「随分その魔導書にお熱のようだな。ふふん、プレゼントした甲斐があると言う物だ」
「……? 何を言っているの? これは私が闇市のオークションで買ったも、の――」

 そこまで言って、吸血鬼の言葉の意味を理解する。
 
 この魔導書の噂を聞きつけたのは二ヶ月。それからこの国にやってきて、見つけたのは偽書……それを何度か繰り返して、ようやく手に入れたのがこれだ。苦労の甲斐あって、これは触るだけで本物だと分かった。
 
「全て、貴女の手の上だったというわけね……」

 誘き出されたという事実に、歯噛みするほどの悔しさを覚えた。
 吸血鬼は自慢げに笑い、告げる。

「そう。私は運命を操る吸血鬼。貴女が本を手に入れる事も、私と貴女が出会ったことも、これは全て運命なのよ。受け入れなさい」

 その笑みに自惚れはなく、あるのは怪物の本性と愉悦、そして底知れぬ闇。
 吸血鬼は手を広げ、政治家のように高らかに、けれどピエロのように道化染みた立ち振舞いで、言う。

「君がこれから帰るアパートが燃えている事も、隠していた本の洞窟が崩れている事も、全ては運命。受け入れなさい」
「…………」

 私は――。

「そう……」

 目を瞑り、

「では死ね」

 激怒した。

 吸血鬼の四肢を、彼女の足元で生成した鋼の剣に貫かせる。そうして拘束した後、火球を作って我武者羅に投げ付けた。私の怒りを体現するような、紅蓮の炎だ。そうして吸血鬼を火葬してやる。
 もちろんそれだけでは終わらない。風の力を凝縮させ、撃ち出す。それは少女に纏わりついていた火の精霊を吹き飛ばし、彼女の腹腔を穿ち、上下を皮一枚で繋がっているような状態にまで破壊した。

「……、ー……、げほ!」

 連続の攻撃魔法行使。雑な詠唱。形振り構わない姿に、情けなさを感じる。
 精神的な未熟さを感じて、私は頭を抱えたくなった。 
 怒りで強くなるタイプもいるが、私はその限りではない。

「やってくれるな……死んだかと思ったぞ」

 ヴァンパイアは笑う。血の霧が集まり身体を再生させながら、紅玉のような瞳を滾らせる。

「銀がないのが悔やまれるわね……これじゃあ貴女を殺せないわ」
「本を燃やされたのがそんなに悔しいのか? 書物崇拝者め」
「血飲み子よりよっぽどマシな性格だと思うわよ……ぐっ」
「ふん。無理をするな、そんな状態じゃ私を殺しきれないぞ?」
「……殺しきれなくても、痛い目は見せられるわ」

 手に精霊を集わせる。光が生まれ、球状に渦巻く。
 吸血鬼の顔が、明らかな嫌悪を含んで歪んだ。

「日の光はお好きでしょう? ヴァンパイアのお嬢さん」
「……真夜中だ。程度は知れているぞ」
「そうかしら? まぁ、貴女に嫌がらせをして死ねるなら本望ね」
「性根の悪い魔女だなぁ……」

 光球が膨らむ。眠っていた日の精霊を叩き起こして集わせる。吸血鬼一人を蒸発させるには不十分だが、しょうがない。
 光を、天に掲げる。


 けれど、その掲げた手を、誰かが後ろから掴んだ。遅れて鈴の音が小さく響く。


「あ、動かないで貰えます? あとこの小さな太陽も消してくださいね」

 喉元にすっと指が添えられる。聞こえたのは女の声だ。吸血鬼ではない。日を恐れた吸血鬼は怒り顔で目の前に立っている。
 仲間? 仲裁? 不意打ち? 魔女狩り? 状況を把握するための言葉が飛び交い、「結論を出せない」という結論を出して、私は吸血鬼を睥睨する。
 それから黙って日の精霊の束縛を紐解いた。この状況では従う他ない。掲げた光球は雲散霧消した。
 けれど吸血鬼は、子供のように顔を歪めて声を荒げる。

「遅い! 何やってたんだ!」
「えぇぇ! 留守番を言いつけたのお嬢様じゃないですか!」

 答えた声は若い。成人した女ほどか。魔力は感じない。人間の仲間かと思った。

「いつも人の言いつけを聞かない癖に今日だけ律儀に守ったのか?」
「まぁ、守ってませんけど。いや余りに楽しそうだったんで、邪魔するのも悪いかなぁって」
「変な気を遣うんじゃない。おかげで灰になる所だったぞ……」

 吸血鬼は脱力する。私も掲げていた腕を下ろして力を落ちつけた。首筋に添えられたしなやかな指は、離れないままだった。
 こちらの心情を察してか、後ろの女が謝罪する。

「ごめんなさいね。暴れられると怒られるから」
「正直言って良い気はしないわ。他人の手に命を預けるのはね」
「私も怒られるのは嫌いです。でも離した所で状況は変わりませんよ?」
「……まぁ、そうね」

 吸血鬼は呆れた表情から一点、今度はきゃらきゃらと面白そうに笑う。

「おい美鈴。そいつは大事な《食客》だ。丁重に扱え」
「そうですか。では失礼しました」

 指が退けられ、美鈴と呼ばれた女はその場から跳躍。私の上を飛び越えて、吸血鬼の後ろへと降り立った。
 紅い髪を靡かせる、青い瞳の女。袖を余らせ、細やかな金糸の刺繍が目立つ緑地の道服。束ねた揉み上げに、鈴。こちらを見、にこやかに屈託なく笑う。

「しかしお嬢様、さすがに騒ぎすぎです。そろそろ行きませんと」
「そうだな。お前も来い、この状況でまさか逃げようとは思ってないよな?」

 紅い猫のような目が、私を見据えていた。ニ対一、考えるまでもないだろう。

「私を釣り出して、そこまでして魔女の血に飢えているの? 相当な美食家ね」
「悪魔は欲しい物に対して妥協しない。狙われたら最後なのよ」
「目を付けられるほど、大暴れした覚えはないのだけれど」
「そうか?」

 吸血鬼は笑う。極めてシニカルに。悪どく、侮蔑すら籠めて。

「名のある秘密結社を潰し、魔女狩りの使徒を何人も滅殺し、同業者からも忌み嫌われる異端の魔女は、私の目の前にいる者ではなかったか?」

 そんな事もあったか。読書を邪魔された怒りや気怠さで忘却していた。言われて思い出し、私は吸血鬼の目的に新しい検討を着ける。

「そう……そういうこと。報復にきたのね。誰の差し金かしら。消えた人の名前は覚えてないんだけど」
「報復? つまらんことを言うなよ。死んだ者にかかずらうような物好きではないよ」
「じゃあ何の用なの。もう回りくどい話は無しよ」

 吸血鬼は手を差し出してくる。人間を惑わす、悪魔の笑みを浮かべて。

「パチュリー・ノーレッジ。私と共に来い。貴様の知識が必要だ」

 その幼い指先には、きっと私の運命の糸が絡め取られていたに違いなかった。



   ―――◆―――



「パチェ~? どこ~?」

 ふわふわと吸血鬼が漂っている。腑抜けた声に、腑抜けた表情。昼間だから? そんな事はない。牙を研ぐ必要のないこの場所では、誰も彼もが腑抜けてゆく。無論、私でさえも。例外はない。

「居るわよ。貴女の上にね」

 吸血鬼の頭上。浮かんだ机の上に関連書物を重ねて、浮かんだ椅子に背を預けて、私は気だるげな声をかけた。浮かびながら自動的にページが捲られていく魔導書を置くと、親友が変わるように私の目の前にやってきた。

「親友よ。どうしたら幻想郷は面白くなると思う?」
「暇なのね……フランと遊んであげたら? 勿論、図書館(ここ)以外でね」
「あの子は寝ているよ。昨日は夜更かしでゲームをしていたらしいからな」
「らしい? 貴女としていたのではなくて?」
「美鈴が付き合わされたって私に自慢してきたの。マジムカつく」
「それを昼寝の言い訳にしているなら殺してもいいかもね」

 マジなどとけったいな言葉遣いをする吸血鬼も、いっその事殺すべきだろうか。
 怪異の巣窟。妖怪の閉じた楽園。この幻想郷でも外の文化に触れる機会は多いが、古式ゆかしきヴァンパイアの末裔も、このように今やゲームや漫画にうつつを抜かしている始末。時の流れというのはかくも恐ろしく、神のごとくに残酷だ。
 過去と今のギャップは、それはそれで愉快さがあるけれど。

「ん、魔女殿は執筆中かい? 意欲的なことで」
「いいえ、これはメモ。恐らく本にする価値もない、どうでもよい思考の書留よ」
「ふーん。完成したら朗読してやろうかと思ったのに。残念」
「そう。ならこの魔導書はどう? 人間が読むと頭が炸裂するらしいんだけど、吸血鬼がどこまで耐えられるのか観察したいわ」
「親友を実験台に! なんて非道! この鬼畜!」
「吸血鬼に言われると重みも増すわね」

 机の上の呼び鈴を鳴らし、小悪魔を呼び寄せる。

「紅茶をお願い」
「畏まりました」

 吸血鬼を追い返す気はない。丁度行き詰っていたところだ、気分転換しよう。
 親友は適当な椅子を浮かびあげてそれに腰掛けた。
 
「暇を潰す良い方法を考えてくれない?」
「あの子みたいにすやすやと眠ればいいじゃない」
「嫌よ、時間を無為に過ごしてる気分になるじゃない」

 吸血鬼はこめかみを指先で突いて、悪どく笑う。

「脳は酷使するために存在する。決して甘やかすべき器官ではない」
「箴言ね。珍しく同意見だわ」
「それは肉体的に不滅なお嬢様たちだから言える話では?」

 小悪魔がそんな事を言いつつ、銀のソーサーと白磁のティーセットを持ってきた。すぐに注がれる琥珀よりも紅い液体が、カップに注がれる。匂いで分かる。お気に入りの茶葉だ。

「良い香りね」
「貴女の自慢の庭師が育てた一種の、初摘みを使っているのよ」
「え、何それ聞いてないよ」
「言ってないからね」
「普通、そういうのって私に献上されるべきじゃなくて?」
「今献上されたわ。それ以上の文句は本人に言いなさい」

 答えに対してレミィは恨みがましそうに紅茶の水面を睨む。当然、彼女の姿は映らない。代わりに私には、のんびりと笑う門番の顔が見えた。
 本当は彼女にも初摘みがちゃんと献上されているが、言わないでおこう。そのほうが絶対面白い。

「美鈴め……」
「良かったじゃない。暇つぶしの理由が出来たわ、オメデトウ」
「“こういう暇つぶしの理由”ならいくらでもある。特にあの妖怪にはな」
「仲が良いのは、悪いことではないわね」

 昔から、彼女と美鈴の仲は良好であった。十六夜咲夜とはまた違う信頼が、確かに結ばれているような感覚。お互いを理解し合っているような距離感。「馬が合う」という言葉が、一番しっくり来る関係。

「仲が良すぎて魔女殿が嫉妬しないかと冷や冷やしているさ」

 ふざける親友の顔に、私は小さく笑って言い返す。

「むしろ私は貴女がアレをいつ殺すかが気になるわ」
「殺して死ぬなら苦労はしないよ」
「封印してみる? 博麗の巫女かスキマ妖怪、妖怪寺の僧侶にお願いでもして」
「それで霊夢が庭師をやってくれるなら大歓迎だけどさ。割に合わないよね、実際」

 庭を掃いて金に飢える巫女に、園芸の知識や意欲があるとは思えない。胡散臭い冬眠大好き妖怪は協力してくれるとも思えないし、妖怪寺の僧侶が妖怪を封印するわけもない。咲夜にさせるにも負担がすぎる。門は門番隊が居るとして、庭が荒れるのは必定だろう。

「咲夜も美鈴の方に懐いているみたいだし、レミィったら可哀想ね」
「ふん。咲夜は最後に私を助けてくれるからいいんだよ」
「そうかしら。人間というのは案外脆いものよ。自分の感情を制御できずに暴走することは、まま有ることだわ」
「もしそうなったら――パチェが私を助けてくれるだろう?」
「そうね」

 本来はまぁ、そうならないための私であるけれど。
 いざとなれば動くことも厭わない。
 そのために攫われたのだから。誰も、嵐には逆らえない。

「まぁ、咲夜が私を助けなかった場合は美鈴の死期が若干伸びるだけだけどね」
「あら。なら咲夜はレミィを助けてくれるわね。良かったじゃない」
「それはそれで複雑だ……」

 そんな他愛無い話が連綿と続いていく。
 他者の愚痴と世間話に、紅茶の香りを混じえて、時間が流れていく。

 こういう時間も、悪くない。私が彼女――親しくも忌まわしき吸血鬼に対する、それが全ての解であろう。
 
 しばらくして、レミィが机の上に広げていたメモを手にとって眺めた。
 
「なんだこりゃ」
「そのメモは……アレね、貴女と邂逅してしまったときの書留だわ」
「ん~、私、パチェの本焼いたことあったっけ?」
「無いわよ。嘘を吐かれたことならあるけどね」

 結局、蒐集した本は全てこの館に移されていた。

「えーそうだっけ? 思い出せんなぁ」
「ね? だから言ったでしょう。取るに足らないメモだって」

 運命は、今なお吸血鬼の指先で編まれている。
 その編まれた物がどうなるのか、私はそれに興味がある。
 ただしきっと、碌でもない物になるに違いない。それだけは、確信できていた。








 
―――フランドール・スカーレット―――




 読書の時間に必要な物は3つある。
 一つは魅力的な本。
 一つは背もたれのある椅子と机、香りの良い紅茶という環境。
 
 最後に安息と安寧があれば、最高の読書時間を楽しめる。
 
 しかし紅魔館には、その肝心の安息と安寧が、残念ながら少ない。
 魅力的な本の山。背もたれのある椅子に尽きない紅茶。ここまで揃っていて何故安息と安寧が約束されないのか。理由はいくつもあるが、今はその一つであるこの館の妹君の話をしよう。
 
 姉のほうを嵐に例えたが、ならば妹は竜巻だ。

 瓦礫を飲み込んで渦を巻き、破壊と騒動を持って私の安息と安寧を破壊する。
 嵐の中でも身動きはできるが、竜巻ではそうもいかない。

 敬うべき妹君。フランドール・スカーレット。
 彼女との記憶は、私が彼女に殺されかけていた所から始まる。



 ―――◆―――



 私が吸血鬼に攫われて、半年が過ぎた頃のことである。
 レミリア・スカーレットの館内で、私は見知らぬ金髪の吸血鬼に遭遇した。

「誰?」

 そう言って私の首を締め上げる少女は、可愛らしく、まるで人形のようだ。
 吸血鬼だとわかったのは感覚的なものだったが、外見的な因子として、彼女からは歪な波動が滲みでいた。
 さらりとした、けれど濃密な金色の髪に、紅い猫の目。白磁の肌に幼い体躯。姉であるレミリア・スカーレットの面影が、どことなく漂っている……。

 けれど羽――そうあの虹色の羽が、ひどく歪だったのだ。がちがちと荒削りな七色の結晶が、まるで葡萄のように点々と垂れ下がり、時折触れ合ってきゃらきゃらと音を立てる。

 その奇妙な羽が、全体の均衡をぶち壊していた。まるで人形のような少女に、その不釣り合いな羽が加わるだけで、存在が根本から歪曲した。

 いつだったか。吸血鬼が話していた。曰く「我が家にはもう一人の吸血鬼が居る。過眠症でアホだが、なお愛すべき妹だ」らしい。
 これがその、件の妹なのだろう。

「私はフランドールっていうの。フランって呼んでいいわ。 趣味も特技も無いけど、だらだらするのは好きかな。お姉さんは何が好き?」

 そう聞いてくるが、答えることが出来ない。首を閉められ、声が出せないというのに、この吸血鬼は涼しい顔でお構いなしだ。

「変な色の髪だわ。まるで朝顔みたい。それとも藤? 貴女、お花の精かしら? いやそれにしては匂いが変ね……全然良い香りがしないわ。むしろ薬みたいな臭いがする。酷いわ、鼻が痺れる」

 顔を近付けて、首筋をいいように嗅がれる。鬱陶しい上に、苦しい。首を締める手を解こうとするが、力が違いすぎて無理だった。

「あは、もしかして苦しい? ごめんなさい、でも知らない人について行ったら怒られちゃうからさ~」

 だからといって問答無用で首を絞めるのは間違っている。論理が破綻している。

「貴女、ケーキは好き? 良かったら一緒にお茶しない? モーニングティー。久しぶりに起きたのよねぇ。誰かとお話したくて堪らないの。て、ちょっと腕が疲れてきたわ、貴女ちょっと重いんじゃないの? ケーキとお茶を嗜むなら口だけで十分よね? あ、でも表情は必要かお話したいし。首から下(余計な部分)はバラしちゃっていい?」

 冗談じゃない。私は少女を睨んだ。声を出せないので詠唱できない。ゆえに魔法も使えない。このままではマズイ。

「凛々しい顔ね。ますます気に入ったわ。お茶の後に貴女を私だけのマスクに仕立てあげようかしら。知ってる? 近くに腕のいい解体屋がいてね? 人間を捌くのがとても上手いの。その人に頼めば綺麗に剥がしてくれるわ。さ、行きましょう」

 まるでデートに誘うかのように、少女は軽やかに言う。
 私はというと、彼女が何を言っているのか理解できないでいた。
 狂っていると思った。完全に、完璧に、完成されているほどに。
 不安定と歪さと不連続性を掛け算して作られた100%。
 阿呆とかのレベルではない。無茶苦茶だ。
 危機的状況。打開策なし。くるしい。

「やっぱり重いわね。腕が疲れちゃう。今バラしちゃいましょ」

 首を締める力が強まる。吸血鬼の笑みが深まる。もう、どうしようもないか。
 諦めて、とりあえず私は静かに目を閉じた。

「動くな」

 けれどその破壊の全てを止めるように、しゃりん、と綺麗な鈴の音が響く。
 私はひとまず安堵した。

「ゆっくりとその方から手を離せ。さもなくば撃つ」

 ゆっくりと、手が離される。解放され、私は地面に膝をついて咳き込んだ。
 全く、喘息が悪化したらどうするのか。
 新鮮な空気を肺に取り込んだ末に、私は顔を上げた。

 吸血鬼の後ろに、見知った顔の女が立っている。赤髪のメイド――美鈴だ。少女の後ろに立った彼女の手が、“銃の形”をして少女のこめかみに当てられていた。

 まさか、それで脅しているつもりなのか。子供の遊びじゃあるまいに。
 けれど子供の外見をした少女は、両手を上げて降参状態だ。

「うふふ、怖い怖い。この靭やかな指先は、私に一体何をしてくれるのかしら?」
「もちろん、貴女の望む物を差し上げましょう」

 そう言って美鈴は少女のこめかみから銃口の指を引いて、挙げられている手を優しく握る。

「お早うございます妹様。相変わらずお元気そうで何よりです」
「グッドモーニング美鈴。貴女の体も変わらず温かいわ」

 少女が背中を預けて美鈴に寄りかかる。対して、美鈴は少女の腰に手を回して受け止めた。見つめ合い、微笑み合う二人。謎の時間だ。
 まるで耽美な絵画のような光景だが、私はそんなものに興味はない。
 呼吸を整えて、立ち上がった。

「……美鈴、状況を説明してくれるかしら。酸欠で視界が明滅しているの」
「驚かれましたか。すみません。と、言ってもパチュリー様も薄々ご理解されていると思いますので、改めましてご紹介させていただきましょう」

 美鈴が少女を離して立ち位置を変える。左にずれて、一歩前へ、相対する私とフランドールの間に仲裁するように立って、それから頭を下げて、彼女を手で示す。

「我らが主の妹君であらせられる、フランドール・スカーレット様です。これまでは長き眠りにつかれておられましたが、今日めでたくお目覚めになられました」

 向きを変え、同じように私を手で示して、彼女は言う。

「妹様、こちらはパチュリー・ノーレッジ様です。貴女が眠りにつかれた後に、お嬢様が《食客》として招かました」

 その言葉に、少女は可愛らしく両手を合わせて、目を見開いた。

「あらそうなの。てっきり食料かネズミの一つかと思ったわ。あ、でも《食客》ねぇ……“そういう物”でもあるのかしら?」
「いいえ、それはありえません。元にお嬢様はただの一度も、パチュリー様の血を飲まれたことはありません。それに、彼女は仕事を手伝ってもらっています」
「え、そうなの? なーんだもしかして人間じゃない?」
「魔女です。それもとても博識な、途轍もなく博学な方ですよ」
「魔女!」

 フランが声を上げて大きく反応し、無邪気に目を輝かせた。

「魔法使いなのね! 良かったわ、丁度魔法の勉強を再開しようと思ってたの! もう何年も前に辞めてしまってね。貴女、私の講師にならない?」

 対して、私は唖然としてしまう。
 先ほどまで首に手をかけていた相手に、何故こうも素直に教えを請えるのか。
 気性の上下が激しすぎるというか、方向性がバラバラすぎる。罪悪感は無いのか。申し訳なさは? 彼女の精神構造をいっそ分析してみたいくらいだ。
 こちらの心情を察したのだろう、美鈴が苦笑する。

「すみませんパチュリー様。遭遇する前に説明できれば良かったのですが……敵に回ればそれは恐ろしい方ですけれど、友人にはそれはそれはお優しい方です。あまり、誤解のなきよう……」

 美鈴の言い分に、私は苦虫を噛み潰す。誤解というか、もはや起きてしまったことに警戒してしまう。だがすぐに嘆息し、渋々それを了承した。

「……まぁいいわ。レミィの妹なら、相応の敬意を払わせてもらうわよ。何せ私は《食客》ですからね」
「ぷっは! レミィ! なんて可愛らしい愛称なの! ははは! はははは!」

 何が面白いのかわからないが、フランドールは腹を抱えて行儀悪く笑う。浮かべる笑顔は無邪気な童女のようだ。可愛らしい、本当に幼気な吸血鬼。
 
「さながら貴女はパチェ? それともパチュ? まるで恋人ね」
「ひどい冗談だわ」
「生憎アイツと違って教養はなってなくてね。口が悪いでしょうけど、それでもよろしくて? 陰気の魔女さん?」
「……まぁ、私も人のことを言えた義理ではないわ。よろしく、狂った吸血鬼のお嬢さん」

 握手を交わす。先ほどとは違って優しい力加減だった。こうして触れば、外見的には体温以外まるで少女だ。外見的には。

「さっきはごめんなさいね。寝起きでピリピリしていたの」
「ぴりぴり……?」

 怒っていながら笑うのか。怖い。

「ではお二方、ご一緒にお茶でもいかがですか?」
「ついでにケーキも出してくれるかしら? お腹が空いちゃって」
「畏まりました。パチュリー様もケーキを?」
「……そうね。折角だから、いただこうかしら。でもフラン、顔の皮は剥がないでね」
「友人の顔を剥ぐほど悪趣味ではないわ」
「友人、なのかしら」
「お姉様の親友なのでしょう? なら私にとっても友人だわ。違くて? 美鈴」
「その通りだと思います」
「…………」

 ずいぶんとまぁ、“気の置けない”友人が出来てしまったものだ。
 しかしそれは姉の方も一緒なので、私はその時、思わず苦笑してしまった。
 


 ―――◆―――



「パチェ? どうしたの?」

 読書の時間。対面で魔導書をペラペラと捲っていた妹様が、私の筆が止まっていることに気付いたようだ。

「昔を思い出していたの。もうだいぶ昔の話をね」
「じゃあそれを書き留めているの? 思い出に浸るには若すぎるんじゃない?」
「そんな事はないわ。もう三桁を超えたんですもの。昔を懐かしみ始めるには丁度いいわ」
「そんな事言ったら私やお姉様はいつも懐かしむレベルじゃない」
「吸血鬼と魔女では体験の感覚は違うのでしょうよ」
「そんなに違うかしら」
「そんなに違うのよ」

 実は、そんなに違わないと私も思う。ただ私はそういう気分であったというだけで、いつもなら彼女と似たような感覚で居ることだろう。
 要するに、ただの気紛れという奴だ。
 明日には辞めているかもしれないほどの、曖昧な感慨。
 お笑い草だ。フランの不安定さに優るとも劣らない物を抱きながら、まるで批判するように彼女の有り様を綴るとは。

「どうしたの?」

 見つめる私を不思議がって、フランは首を傾げる。

「どうもしないわ。貴女の勉強は進んだの?」
「さぁね。目的もないから流し読みしてるだけなの」
「知識に触れることは良いことよ。何か面白そうな記述はあった?」
「ここなんだけどさ……」

 しばらく彼女と対話して、精神を分析してきた結果をまとめておこう。
 彼女は気まぐれで情緒不安定。けれど思考は速く、それを基かせる知識と、それらからなる豊富な経験則と価値観を持っている。そして、敵への容赦のなさと味方への信頼は見事に極端だ。

 何より恐ろしいのは、彼女はそれら全ての精神的変動を意識下に置いていることである。

 つまり彼女は自覚的に不安定であり、歪であるのだ。
 あまりにも理性的な本能。剥き出しの感情。心の本質を曝け出した驚異的な精神構造。怒ったり、泣いたり、笑ったり、狂ったりしても、その変化を受け止め、受け入れている芯の彼女がいる。

 まるで彼女の羽のように。七色の結晶は、すべて黒い蔓で結ばれている。
 
「――って感じで、これスペルカードに応用できそうだよね」
「いいんじゃない? 綺麗な物になりそうね」
「いいね~。綺麗なものは好きなんだ、心がさらさらするから」

 今日の彼女は、比較的穏やかな感情模様のようだ。色は水色だろうか。
 この図書館が荒れないことに、私は一安心した。

「そういえば」

 私は前々から疑問に思っていたことを口に出した。

「フランは美鈴がお気に入りよね。いつからそうなの?」
「いつから? さぁ? 美鈴がウチに来て色々してたけど、それからじゃない?」
「美鈴ばかりに構ってないで、レミィにも構ってあげなさいよ。あの子、そのうち貴女の人形を殺すかもしれないわよ」
「え~。困るなぁ、私が壊す前に壊されちゃ」

 これと会話していると、どこまで冗談か分からなくなる。

「でもお姉様だって私のこと閉じ込めて放ったらかしにしてたし、お互い様よね」
「…………」
 
 それは貴女が長い間眠りについていたからでは? という質問は、果たして無粋だろうか。

 フランドール・スカーレットは、これまで定期的に長期間の睡眠に就くことがあった。それは誰にも邪魔されない迷宮の奥の地下室に閉じ籠もるという徹底ぶりだ。私が紅魔館に来る前から続いていることであったらしく、当然姉と過ごす時間は少なかった。姉の方はそれはそれで寂しいらしかったが、彼女の言うように結構忘れていたりするので、こちらから強くも言えない。

 姉は冗談のように「閉じ籠もっていた妹」が恋しいという。妹は冗談のように「閉じ込めた姉」を憎いという。まったくこの館は冗談塗れだ。冗談じゃない。

「お姉様が嫉妬ねぇ。じゃあもっと美鈴とイチャつこ」
「好きねぇ。そのうち駆け落ちでもするのかしら」
「嫌だわ。それじゃあアイツの悔しがる顔が見れないじゃない」
「見たいの?」
「見たいわ。じゃなきゃ意味が無いもの」

 戒めか。
 忘れていた者への復讐か。
 それとも放ったらかされていた妹が姉へと向ける、細やかな反抗心か。

 本音はわからない。

「酷わいね、美鈴はそのためだけの物?」
「まさか! 美鈴は美鈴よ、それ以上の物なんて、この世にはないわ」

 口調は本音のようであり、冗談のようでもある。
 
 存在自体が冗談のようでいて、本物である。常に混ぜこぜで、混沌としている。
 それが、フランドール・スカーレットの在り方なのだろう。
 









―――紅美鈴―――




 私は、本と呼べるものならなんでも読む書物崇拝者だ。
 それがどのような形態をとっているかも、関係はない。
 手で持てて、ページを捲ることができるならば。それは、本以外の何者でもなく、私が集めない道理はない。
 
 だが、忘れてはならないのは、私が《魔女》であるということだ。

 本から得た知識を魔道の研鑽に注ぎ込めないのであれば、私は存在価値のないただのブックスタンドになってしまう。

 どちらが目的で、どちらが手段なのか?

 どちらも目的で、どちらも手段なのか。

 両立は難しい。
 当て所なく、そのどちらもをふらふらとする日々。このままでは不味いとはやる気持ちと、読書こそが人生だという落ち着く気持ちの間で、右往左往している。
 一度、この悩みを相談したことがある。
 それを聞いた謎の東洋妖怪はこう答えた。

「現状維持で行きましょう」

 何故という疑問に対して、彼女はこう答える。

「世界には陰と陽があります。光と闇、男と女、人と怪異。そのどちらもが一つの境によって区切られ、その場をぐるぐるとしているのです。反転し、回転し、気を生み出しながら様々な影響を及ぼし合っています。その気と影響を“どちらも取れる今の状態”は、かなり理想的なのではありませんか?」

 太極図。陰陽思想。
 まるで《仙人》のようなことを《妖怪》の彼女が言うことで、その言葉にはなかなかいい皮肉が効いていた。
 
 陰陽――そして五行。私の魔道体系には、その思想が多く関連する。

 我が魔道にそういった五行思想が定着したのは、およそ五〇年ほど前のこと。
 そのきっかけこそ、あの赤髪の謎妖怪――紅美鈴に端を発していた。



 ―――◆―――



「貴女って、なんの妖怪なの?」
「さぁ?」

 紅魔館の朝は“酷い”。立地の影響もあってか、恒例の如く濃霧が立ち込める。その最中、庭で謎の運動(太極拳)をするメイド妖怪に対して聞いた質問に帰ってきた答えがそれだった。

「さぁ……て、いいの? それで」
「特に困った覚えはないですね」
「いや、いろいろマズイんじゃないの。その、由来がわからないって」

 妖怪という種族がどういうシステムの上で存在しているのかは分からないが、由来が不明だというのであれば、使える物も使えないのではないか?
 例えば私が魔女だということを忘れ、魔法を使えなくなるように。
 もちろん、そんな事は有り得ないが。
 
「ではパチュリー様。推理してみてください」
「妖怪系の知識はそれなりにある方だけど、民話レベルなら難しいかも」
「ヒント①、妖怪である」

 前提的な話だった。

「ヒント②、拳法が得意」

 特技的な話だった。

「ヒント③、庭弄りや家事が得意」

 職業的な話だった。

「ヒント④、赤く綺麗な長髪で背丈は高く、魅力的な身体つきをしている」

 身体的な――自慢ですか?

「さぁ、私の正体は?」
「分かるわけがない」

 お手上げだった。
 どうすればいいというのだ。

「パチュリー様でもお手上げですか。これは益々謎が深まりますねぇ」
「そもそもなんで貴女はレミィの元で働いているの? そこを聞かせてほしいわ。そうすれば何か分かるかもしれないし」
「無理だと思いますよ。お嬢様は私の身元を知っていて仕えさせているわけではありませんし」
「そうなの?」
「ええ」

 美鈴が体操を止め、こちらに歩いてくる。私は手元にあった手ぬぐいを魔法で彼女に投げた。

「ありがとうございます。それで、お嬢様との出会いですか……パチュリー様と出会う50年位前かな? まぁ有体に言って、私が挑んで返り討ちにあったんですよ。あの人に」
「挑んだ? 相当腕に自信があったのね」

 そう言うと、彼女は慌てて顔と手を降って否定する。

「違います違います。私だって妖怪の端くれですよ、あの時の吸血鬼がどれ程の物かは身に染みて分かってましたって。ただ私の上司がやれって言うものですから、断りきれずにって感じです」
 
 まぁ、それはそうだろう。
 吸血鬼とはそれだけ知名度があったし、故に力があった。
 
「上司? 貴女、別の奴に仕えていたの?」

 鞍替えしたのか。なんと安い忠誠か。
 一瞬驚きと蔑みの混ざる視線を送ると、やはりこれも彼女は首を振って否定した。

「忠誠的な物は一切ありませんでした。今で言う、仕事仲間みたいなもので。上司っていうか、取引先ですね。上役というか。私は信用が売りだったんですけど」
「はぁ、なるほどね」

 なるほどなるほど。

 結果として信用がなくなったわけだ。
 当たり前だ。信用を売っていた者へ「吸血鬼(もしくは少女?)を殺せ」と依頼して「無理でした」では、それはもう話にならない。もちろん彼女が吸血鬼に勝っていれば今こうして朝の談話に彼女が居るはずもない。
 信用は谷のように失墜し、居場所を逐われ、殺そうとした少女の下についたと。

 そこまで察しをつけて、私は肩をすくめて呆れ笑いを浮かべた。

「なんとも間抜けな話ね」
「だから言ったでしょう。伝説なんてものは私にはないんですよ」
「てことは貴女もその時代辺りで生まれたの?」
「生まれたのはもっと前ですよ。でもお嬢様よりは後ですかね。多分」
「何よ多分って。ずいぶん曖昧なのね」
「時たま昔の記憶を夢で思い出すんですが、それがいつでどの辺りなのかが皆目検討もつきません」
「何をしている夢?」

 食い下がる。内容から読み取れないないか。

「……あれは、なんでしょう。当てどなく歩いているとか、延々と畑を耕しているとか、のんびりと釣りをしているとか、そんな感じですかね」

 無理だった。

「悠々自適ね……」
「うーん、改めて考えると本当に不思議ですね。私って何の妖怪なんでしょう」

 そんな事を言うが、彼女の顔はへらへらと笑ったままだ。
 真面目に考える気もないのだろう。

「考えられるのなら、中国圏内の妖怪よね。伝説レベルではないにせよ、それなりに昔の話なら文献もあるんじゃないかしら」
「どうでしょう」
「能力面で見るなら、風水関係の一端も見られるわね。道術、陰陽思想、仙人系統の話も含めるべき?」
「仙人ではないと思いますよ、多分」
「……虹は? 貴女の力は虹色に発光するわ。中国では虹は《龍》の姿として捉えられているとも聞く。これが無関係とは思えないわ」
「綺麗ですよね、アレ」

 私は思わず机に突っ伏した。盛大に、ゴンという小気味よい音と共に脳が痺れる。そうして全ての思考をシャットアウトした。

「すみません。やはり忘れてしまったことを思い出すのは難しいのですよ」

 本人から探り出そうにも、これが限界だろう。そう結論づけて、私は「もういいわよ」とぶっきらぼうに答える。
 もどかしく、歯がゆい。答えが分からないというのは、ストレスだ。知りたくなる。
 
「不思議といえば」

 まるでスイッチするように、今度は美鈴から話が振られた。

「パチュリー様って、生まれた時から魔法使いなんですよね?」
「……そうよ。記憶する限り、人間であった時の記憶はないわ。まぁ、記憶喪失なのかもしれないけど」

 私の棘を含む返答に美鈴が苦笑する。

「あの攻撃するときの魔法も最初から使えたんですか?」
「そうよ。使えるのは攻撃するだけのものじゃないけどね。精霊に接触してその力を借りるの。そうして望む効力を生み出しているのよ」
「精霊魔法って奴ですかね?」
「そうね。接続方法や使役の仕方を比べたことはないけど」

 知っているのだから、わざわざそれを確認する必要はない。

「体系化されていたりしないんですか?」

 私は黙った。
 それは親友の吸血鬼にも聞かれたことだったから。

「する必要がないわ。貴女が自身の種族を知ろうとしないのと、同じようにね」

 その時の私の魔法に、体系というものなど存在しなかった。
 ただ感知できる精霊に接続し、隷属させて魔法を生み出していたに過ぎない。 
 これは《技術》というよりも《機能》に近い。
 生まれた時から可能だった。呼吸するようなものだ。だから私は自身の魔道を体系化するよりも、読書に腐心していたのだ。体系化などせずとも体が覚えていたから。食事の仕方を改めて考える者などいない。

 魔女という種は基本的に長寿であり、また不老である。

 それは人間がいくつかの魔法を習得した後にその形態へと変貌する。必要な魔法やアプローチは異なるが、概ね元人間であることが多く、人間の頃の習慣を取るものが多い。
 しかし、純粋な魔法使いとして誕生する者も存在する。
 私はその存在の《証明者》だ。
 生まれた時から精霊を従え、魔法を行使した。
 体ももう、何十年も成長していない。

「勿体無いですね」

 呆れたような、それとも意外そうというか。そういういくつかの感情が含まれたような顔で、美鈴は言った。

「魔法への理解は浅いですけど、相当学術的な能力ですよね、アレらって。それを生まれた時から使えるパチュリー様は、まさに“一種の読まれていない魔導書”のようですけど。読書狂のパチュリー様に打ってつけではないのですか?」

 その言葉は。

「――――」

 まるで雷のように私の全身を打ち、流れた。

「そうして考えるならば、自身の魔道を“極める”のが魔法使いの常と聞きますが、パチュリー様の魔道は究明という意味で“究める”という言葉が的確ですねぇ」

 美鈴がからからと笑っている。
 けれど私は、片手で頭を支えながら、机の上に視線を滑らせていた。人生でもそうそう感じない程の晴天の霹靂に、身悶えしそうになっていたくらいだ。

「……そういう風に、考えたことはなかったわ」

 自身を知る――自惚れていたわけではないが、知った気になっていた。
 自分のことは自分がわかっている。そう考えていたのは、安易な人間的感性に感化されたのか、面倒臭かったのか、それとも心のどこかで怯えていた故の言い訳か。
 しかし理由などどうでもいい。
 すでに、スイッチは入ってしまった。
 
 そうか、そういう考えもあるのか。

 本を読むということは、知識を得るということ――つまり理解することだ。
 それと同じような事をすれば、同じように満足できる。
 私は私を読みたくなってしまった。

「ではこれから考えていけば良いと思います。我々には腐るほどの時間がある。その一時の暇潰しとして考えていただいて結構。我らにとってその疑問はその程度でしょう」

 だから彼女は忘れたことに拘らない。もうその“暇潰し”は終わっているのだから。

「……そうね。その通りだわ」
「そろそろ館へ戻りましょうか。紅茶をご用意いたします。何なら軽い朝食もいかがですか」
「ええ。お願いするわ。全て図書館に持ってきて」
「畏まりました」

 この時から、私の魔道は始まったと言っていい。
 結論として陰陽と五行思想を基礎とした東洋的魔術(あまくまで基本)として纏まり、あまりに面白味のない“読後感”を味わい、落胆する羽目になったのだが、それはそれでオチとしてはまぁまぁ許せるレベルだ。
 
 大切なのはスタンス――物は考えようだということ。

 捉え方次第で、いくらでも利を求めることができる。
 本を読むか、読み解くべきか、ではなく。
 本を読み、読み解くべきなのだと。

 ――しかしここまで思い出してみて分かったが、私は同じような疑問に再度陥り、同じように彼女に質問をしていたのだ。そう考えると、自身の間抜けさに自嘲的な気分になる。まぁこれを戒めとして、より魔道の研鑽に役立てることにしよう。



   ―――◆―――



「んっ、ちょっと美鈴、あんまり強くしないで……」

 寝そべりながら、私は呻く。

「痛いですか? 相当凝ってますね」

 執筆も一段落し、私は自室で美鈴からマッサージを受けていた。
 体の弱い私はこうして定期的に彼女からこれを受けている。割と療治効果があるのでお気に入りだ。
 
「最近は特に熱心に筆を執られているそうで。良い事ですが、体調を崩されては元も子もないのでは?」
「だからこうして貴女からマッサージを受けているのよ。それに、食事だってちゃんと摂っているわ。私の健康は貴女と咲夜の腕に懸かっているのよ」
「それはそれは、これにも一層身が入ります、ね~」
「ん~……」

 美鈴は中国式整体である推拿に、いくつかの技法をミックスして私の体を刺激している。痛みやくすぐったさもあるが、それ以上に気持ちいい。
 血行が促進し、体が温まる。適度な刺激は精神を整調させる。
 リラックスすれば、詰まっていた思考もスムーズに流れ出す。

「それにしても回顧録とは。随分とまたパチュリー様らしくない書物ですね」
「私も思ってたところよ。だから飽きたらいつでも燃やせるようにしておいてるわ」
「ははぁ。それはそれで勿体無いように気もしますけど」
「いいのよ。これはそういう物だから」

 燃えるなら燃えればいい。出来るだけに派手にしてやろう。それだけの価値を詰めておく。思い出に価値とは、随分と人間臭いが。

「残しておくもよし、燃えるなら派手に。そういうスタンスで書いているの」
「ですか」
「これでも貴女の助言を参考にしているのよ? どちらをも取れる状態こそ、理に適うという」
「私が言ったのは“不安定さは楽しめる”ということでして、パチュリー様のスタンスはどちらかというと陰と陽を両立して内包させた、“安定さを確立する”スタンスだと思いますけど」
「当たり前じゃない。私はパチュリー・ノーレッジ、七曜の魔女。世界を構成する五行と陰陽の精霊を司る魔法使い。その私の作品が不安定なのは似合わない。でもね、美鈴。そんな私にも不安定さを及ぼすモノは多く存在するのよ」
「ほうほう。例えば何でしょう」
「それは《他者》」

 例え一個人の中で法則が完結しようと、他者が持つ理に接触すればそれは破綻する。その可能性が生まれる。

 所詮私は世界を構成する魂の一つに過ぎない。

 それは歯車のような。
 オセロのような。
 いや、もっと大きな盤面があり、その上で魂達が夥しく流動し、影響し合っているのだ。
 それら全てを把握し、確定的に操作するには、目眩がするほどの情報量を処理し無くてはならない。
 そんなことは無理だ。

 なら諦めて、流れに身を任せるほうが楽しい。

 恐らく美鈴が言ったことはそういう事であり、私もそれを理解した上であれを書いている。

「個人が内包する理なんてそんな物。他者という存在に触れられればあっという間に崩れ去る。不安定で曖昧。でも今は、それがちょっと面白いと思えているわよ」
「……ですか」

 美鈴はどんな表情をしていただろう。多分苦笑いか。そんな声音。
 
「まぁ、ご自身が納得されているのであれば、私は良いと思います」
「何か言いたげね?」
「相変わらずパチュリー様の考えることは難しいなぁと思いまして」
「漫画ばっかり読んでるから分からないのよ。たまには哲学書を読んで人生を彩りなさい」
「眠くなる~」
「どっちにしろ寝るのね……」

 美鈴のマッサージが終わる。私は軽くなったような気がする体を起こした。

「ありがとう、だいぶ気持ちよかったわ。腕を上げたんじゃない?」
「パチュリー様には特にお相手してますからね、もうどこが弱点なのかは手に取るように分かりますよ」
「やだ、ちょっと美鈴、変なことを言わないでよ。小悪魔が勘違いするじゃない」
「えぇ……パチュリー様らしからぬ冗談ですね、明日は豪雪ですか?」
「豪雨を降らせましょうか? 最近暑くて花も参っているでしょうし」
「お花畑を人質に取らないでください!」

 そういえば結局、この妖怪の正体は分かっていない。
 この妙に馬鹿っぽくて、脳天気で楽天家、これといって妖怪としての特性はないのに、何故か人間の技術やルールに詳しい、人間臭い謎の妖怪の正体。
 何者なんだこいつは。

「美鈴。自分のことは思い出したの?」
「え? 自分探しの旅に出た記憶はないですけど」
「頻繁に眠りこけているからてっきり探してるのかと思ったわ」
「門に居ると暇で暇で寝る以外やることがないんですよねぇ」
「寝る必要なんて無いくせに……」

 幻想郷に来てからの彼女は、益々人間臭くなる一方だ。そのうち本当に人間になるんじゃないだろうか。

「最近の私の中じゃ麒麟説が熱いわ」
「キリンですか? あの首長の?」
「違うわよ……四霊の一体の方。瑞獣とか言われてる奴」

 曰く、体型は鹿、蹄は馬、尾は牛に似て、頭は龍に似ている。
 曰く、全身より五光の光を放つ。
 曰く、生虫を踏まず、生草を折らず。殺生を嫌い、草木を愛する。

 人型、殺生を極端に嫌うという点を除けば、特徴は一致しなくもない。
 性格は穏やかで優しく、けれど戦いとなれば積極的に敵を排除するという。
 赤髪は麒麟の一種である炎駒の毛色。
 
 運命を操る吸血鬼によって、その性質を弄くられてしまった麟の一体。

 それが最近の私の下らない想像である。
 頭に龍の字を掲げているのは、麒麟の頃の名残かもしれない。

「えー、でもアレって祖国でも相当古い者ですし、第一獣じゃないですか。私は人型ですし、そんな伝説があればお嬢様とも対等に渡り合えちゃいますよ~」
「麒麟としては新しい世代なんじゃない? それに麒麟も実は人型になれるとかだったら、結構ソレっぽいわよ」
「いろいろ適当ですね……」
「それぐらいが丁度いいわ、暇潰しとしてはね」

 この妖怪自身もそこまで真剣に考えているわけではないし(はぐらかしているだけかもしれないが)、こちらが真面目に考える必要はない。
 なればティータイムの細やかな話題として挙げれるような、荒唐無稽で支離滅裂な、根拠もなく整合性もない、面白可笑しい話に仕立ててやろう。
 きっと彼女は困った顔でとぼける言葉を考えるはずだ。
 
 「不安定さは楽しめる」と彼女は言った。

 なら彼女の持つ不安定さを“楽しみ”にしてやろう。
 それが私を解き明かさせた彼女に対する、ほんの細やかな仕返しであった。








 

―――幕間・小悪魔―――




 うちの図書館には悪魔が住んでいる。
 彼女は普段本の整理に勤しみ、私が呼べば紅茶を出してくれる。必要以上の干渉はしない。優秀な使い魔だ。

 悪魔という種族は基本的に大きな力を持ち、契約などによって人間や魔女にも力を与える存在である。しかしその中でも彼女の種族は取り分けて弱い。

 現に彼女と私の間に契約は存在しない。

 私が捻じ伏せて、服従させて、仕込んだ。

 彼女がこの図書館にやってきたのは、私が図書館に住み込んで、おおよそ一年ほどのことである。
 彼女がこの図書館で働き始めたのは、それから三時間後のことである。
   
 なんでも彼女は、魔法使い同士のいざこざに巻き込まれた末に本に封印され、以来人の手を渡り歩いていたらしい。末は博物館の禁書庫で埃を被っており、それを奪い、図書館に持ってきたのはあの吸血鬼姉妹と謎妖怪である。

 前評判は「如何な魔女にも解けなかった封印禁書」。

 開けてみれば入っていたのはなんて事のない悪魔。
 中身には肩透かしを食らったが、パズルとしては面白い物だったので良し。
 開放早々に自由を求めて襲ってきた彼女だが、運悪くここは魔女の本拠地にして吸血鬼の館。自由などあるはずもないのだった。







 

―――十六夜咲夜―――


 

 レミリア・スカーレットが外界で何をしていたかを知る者は少ない。
 
 知っている者は皆死んだ。

 挑む者、卦しかける者、邪魔する者、そのほとんどが人知れず消えていく。
 遭遇者を消しているのだから、誰も彼女の所業を知るはずもない。
 それに元々“存在していない”という輩も多かった。
 ただただ吸血鬼という存在が、世界の闇の中でひっそり動き、暴れていた。

 その活動が終わったのは、実に二〇世紀中頃。

 一人の少女を連れてきたことで、彼女の華々しい血塗れの道は、ぷっつりと途絶えるのである。



 ―――◆―――



 それは霧の深い、三日月の夜。金曜日であったろう。
 紅い館の主はその日、愉快な妹君と僕の妖怪を引き連れて、奪ってきたであろう無骨なトラックに乗って《仕事》から帰還した。血塗れの三人が降りてきた時、私はその光景を睥睨したものだ。

 姉妹は先に、湯浴みのために館へと消えていく。残された美鈴は、トラックにギリギリまで詰め込まれた“戦利品”の荷降ろしをする。私はそれに付き添い、戦利品のリストを作りながら魔法を使ってロビーに並べていく。

「どっこいしょ」

 そうして戦利品を担ぎ込んでいた美鈴が、最後に車から下ろしたのは薄汚れた麻袋だった。わざわざロビーのソファに置くという丁寧な扱いに、私は首を傾げた。
 
「何それ? 美術品?」

 そう言うと、彼女は首を振る。

「まぁ芸術品と言ったらそうかもしれませんがね」
「問答をする気はないのよ。で、何それ」
「今回の最大の戦利品です。しかも途轍もない価値を秘めてますよ」

 紐を解き、美鈴は中身を露わにさせる。それをソファに横たわらせた時、私は呆れた表情を浮かべて、やがて戦慄し、「えっ?」と声を漏らして美鈴の顔を確認するほどだった。
 美鈴はそれに苦笑した。そして彼女は頷く。肯定した、だから私は驚愕する。
  
 それは、紛うことなき人間の子供であった。

 呆れたのは、祝杯を満たすための血袋だと思ったから。
 戦慄したのは、それが勘違いであると考えたからだ。

「……少なくとも、捌いて血を祝杯に注ぐ程度の価値じゃないわよね?」
「まさか! とんでもない! 苦労に見合いませんよ、そんなんじゃ」

 つまり殺すわけではないということだ。
 ではどうするのか? あの吸血鬼は人間の子供を攫ってどうするのか?

 結論は導き出されていたが、それをにわかに信じることが出来なかった。

「さすがですよね。お嬢様もお人が悪い。蹂躙して、手塩にかけた作品を横取りしてしまうんですもの。悪魔の所業ですよ、ホント」
「子供ゆえの無邪気さかもしれないわよ」
「尚更恐ろしい方です。本当に」

 私は子供の顔を見て、そっと頬を撫でる。
 まるで生気のない、人形のような少女。

「寝ているの?」
「分かりません。見た限りではそう見えますが」

 呼吸はある。
 体温も正常。
 
「報告と比べると、随分と外見的に差を感じられるのだけど」
「恐らく最後の抵抗だったんだと思います。けれど失敗したのか、無理が祟ったのか、その状態で膠着しました」
「そう……」

 少女は紛うことなき人間である。
 故に恐ろしい。
 これは、ともすれば世界を作り変えるほどの破壊力を持った爆弾だ。
 今のうちに処理するべきではないのか。

「……まぁ」

 これもまた運命か。
 一度飲まれた嵐の中で、紅い船には奇遇にも漂流者がやってきた。
 彼女にはきっと、過酷な未来が待っている。
 願わくば、彼女に幸多からん――

 ―――――

 ―――

 ――


 ―――◆―――


 
 そこまで書いて、私は筆を置く。

「このメモはダメね」

 クシャクシャとメモを丸めて、火の精霊にくれてやる。それは空中で炭化し、すぐに消えた。
 そうした所で私は頭を抱える。自身のセンスの無さにため息を吐く。

「どうでもいい事と書くべきことが混同しているわ……思考を整理しなくちゃ」

 机の上に置かれた呼び鈴を鳴らして、小悪魔を呼ぶ。紅茶を飲んで休憩しよう。
 眼鏡を外して背もたれに寄りかかり天井を仰いだ所で、聞き慣れたヒールの踵の音が耳についた。

「……呼んだ覚えはないわよ、咲夜」
「え? でも私を呼び出すときの鈴の音でしたけど」
「…………」

 呼び鈴が一つズレていたようだ。
 音も耳に入らないのでは、いよいよ私も行き詰まったと見える。

「お邪魔してしまいましたか?」
「いえ、いいわ。それより紅茶をお願い」
「畏まりました」

 よく出来たメイドはすぐに紅茶を持って現れる。彼女ほど完璧なメイドはこの幻想郷に置いて他にいないだろう。
 白磁のカップに、紅茶が注がれる。香りが漂う。思考が、張り詰めていた精神が緩む。

「どうぞ」
「ありがとう」

 そうして私は一杯の紅茶にありついた。長い旅路の休憩には、些か高価すぎる一杯である。
 
「だいぶ書留も溜まってますね」
「ええ。そろそろ完成間近よ」
「楽しみですわ」
「読んでも面白く無いわよ。それに他人に読ませる物でもないわ」
「そうなのですか? ですがそのうち噂を聞きつけた者が奪いに来るかもしれませんよ?」
「盗ませておけばいい。私は読むことを勧めないだけで、止めることはしないわ」

 咲夜は肩を竦めて首を傾げる。

「複雑ですね」
「火傷したくなければ手は出さないことね。魔女からの親切な忠告よ」
「肝に銘じておきます」

 しかしこのままでは完成する事もないだろう。
 何かしらの情報で、この項目を埋め無くてはならない。
 どうしよう。

「それにしても残念ですわ。パチュリー様とお嬢様の出会いのお話が聞けなくて」
「知りたければ教えてあげるわよ。別段隠すようなことでもなし」
「妹様との出会いや、美鈴のメイド長時代も聞かせてもらえますか?」
「ええ勿論。なんなら貴女が館に来た時のことも話してあげるわよ」
「やっぱり遠慮しておきます」

 咲夜は恥ずかしそうに笑う。やはり誰でも、未熟な頃の記憶には一抹の気恥ずかしさを感じるのだろう。

「咲夜、この本には荒唐無稽な情報が載せられているわ。吸血鬼は尊大で、その妹は歪で、その僕の妖怪は謎めいている。貴女はどんな風に載せてほしい?」

 情報に価値を含ませるなら、何がいいだろう。
 真実? それとも興味を引くもの? 面白さ? 
 咲夜は笑う。それはもう、予定調和のように、いつもの笑みを浮かべて、いつも通りの声音で、答えを返す。

「そうですね。では最初から完璧で瀟洒なメイドとして、吸血鬼に使える者として描いてください」

 見栄っ張りめ。

「わかったわ。実はヴァンパイア・ハンターで返り討ちの挙句運命をイジられて従者にされたと書いてあげる」
「わぁ捏造だ~」

 咲夜が笑う。ふんわりと柔らかく笑う。その仕草が美鈴に似ていて、けれどちょっと違うので、ちょっと微笑ましい。

「……ホント、上手く仕上げたものだわ」
「はい?」
「いいえ。美味しい紅茶をありがとう。私は執筆に戻るから」
「畏まりました」

 並べられていた器を咲夜が纏めていく。終わりかけたとことで、私は意地悪な質問を投げかけた。

「咲夜。完璧で瀟洒な従者。貴女はレミィとフラン、どちらもが危機に瀕した時、どちらを助けるの?」
「もちろんお嬢様ですわ。妹様は美鈴が助けてくれます。逆もまた然り、ですわ」

 完璧で瀟洒な従者は、完璧な笑みと答えを置いてその場から消失した。
 やはり嵐の中では、誰もがその流れに逆らうことは出来ない。

 まるで運命のように。

 人は、運命に呑まれ、流れていく。

 十六夜咲夜の項目は、うんと馬鹿馬鹿しく、面白可笑しな物にしよう。
 あの妖怪じみて人間な従者の話は、それくらいが丁度いい。

「……書き出しは」

 
 
 十六夜咲夜は、怪異撲滅を掲げる組織が作り上げた《人造能力者》である。



「馬鹿馬鹿しい……」

 どこかで見たようなフレーズだな。この書き出しはダメだろう。これでは思ったよりもヘンテコな項目になってしまうかもしれない。

「まぁ……」

 一つくらい、そういうエピソードがあってもいいか。



 嘘か本当かは、もちろん別として。



―――後書き―――



ここまで読まれた貴女に敬意を評したい。
よくぞこの本を読まれたと、このまるで価値の無い人生録をお読みいただいたことに、
私は万感の念を込めて拍手を贈ろう。
これに記されている情報は、貴女にとって価値のある物だったろうか?

いやきっとない。

そういう風に書いたから。
これに記される情報が、何の役にも立たない代物であることは、序説で忠告したはずである。
しかし魔女の忠告を素直に信じる者はいないだろう。そういう心理を突いたはずだ。
もしも後書きから読んでいるというのなら、別にそれでも構わない。
改めて言おう。
「鍵」はない。
いくら探しても、含めてない鍵はない。
しかしこの後書きは鍵である。
 
これに懲りたら、もっと用心深くなるように。それから我が図書館から本を奪わないように。



このアドバイスと共に、貴女に細やかなプレゼントを送ります。



――親愛なる霧雨魔理沙様へ 本の魔女パチュリー・ノーレッジより




 ―――◆―――



 奪ったソレをのんびりと読み耽っていた魔理沙は、宛名まで読んだ末に本が発光し始めたことに驚愕した。

「げぇ!」

 魔理沙はその本を慌てて窓から外にぶん投げた。バラバラとページが捲れる本は無残に地に落ち、やがて弾けて上昇、爆音とともに夜の空に幾つもの花を咲かせた。

「あ、危な~……家が火事になっちゃうところだった」

 夜空で、絶えず光と爆発が続く。夜なのに、まるで昼のように明るい。不思議な光景だ。

「くそ、パチュリーめ……」

 困ったように笑って、魔理沙は椅子と食事と酒をとってくる。5月の空に咲いた花火を肴にして、それから魔理沙は食事にありついた。

「魔女の忠告を素直に受け取る奴はいないぜ。いつか目にもの見せてくれる」

 もぐもぐ。塩胡椒の効いたきのこの炒め物を頬張る。
 雲の少ない夜。綺麗な花火は続く。



 ―――◆―――



 パチパチと、パチュリーは静かに拍手を送っていた。
 魔理沙の家で発動したソレは、ばっちりと紅魔館からも見える高度で花開き、住人たちの花見の肴になっている。

「いいわねぇ花火は。風情があって好きだわ」

 レミリアはきゃらきゃらと笑ってワイングラスを傾ける。
 サマーベッドで寝転びながらそれを見るフランドールも楽しげだ。
 
 暇潰しの種として仕掛けたアレは、一応の成功ということだろう。
 
「これで図書館に安寧が訪れることを願うばかりよ」
「ふふ、あの魔法使いがそう簡単に挫けるとは思えませんけどね」

 美鈴の言葉に、パチュリーは不満気だ。

「大体、あなた達が侵入を許すから私が策を講じる羽目になるのよ。もっと真面目に警備しなさいよ」
「裏口から入られたらまず無理ですね」
「数少ない人間の友人を追い払うなんてとてもとても」

 自分勝手な従者たちの言い分に、魔女は呆れ返って嘆息するしか無い。

「いいじゃないかパチェ。アイツが盗みを働いたことで、あの結果が生まれたんだ。因果がなければ結果は出ない。暇潰しも出来ない」
「盗まれる方は溜まったものじゃないのよ」
「見てる分には面白い」
「もう……」

 フランドールが顔をパチュリーに向け、慰めの言葉をかける。

「ま、ああして意趣返しできたんだからさ、今は風情を楽しもうよ」

 なお止むことなく咲き続ける花火を見遣る。一度発動すれば、しばらくは点火し続ける爆弾だ。文字として込めた魔力を火薬とし、1ページ分を一発分として、約三〇〇発分の花火が続く。あの魔法使いも、しばらくは花火が見たくなくなることだろう。

 パチュリーは笑った。完成した作品の出来と、それを作るに至った自身の人間臭さに。

「……悪くないわ。ええ、悪くない」

 夜空に映る火の花は、幻想郷中の注目を集めて、盛大に咲き誇る。



 数日後、押しかけた魔法使いに図書館を花びら塗れにされることは、この時さしものパチュリー・ノーレッジも、予想できないことであった。
 


 了
 ここまでお読みいただき有難うございます。

「この作品は出来損ないだ、食べられないよ」

 投げ終えた今も、パチュリー様にそう言われてしまいそうな物となってしまったような気がしてなりません。回顧録として紅魔館の面々との出会いやエピソードを挟みましたが、言うまでもなくこれは二次創作であります。

 一応、原作の設定や性格を重んじていますが、時系列や把握ミス、誤字脱字などの抜けがあるかもしれません。発見された際には、ご指摘のほどをお願いいたします。

 また、今回は試験的にタグを乱用しているため、読みづらくなっているかもしれません。文も長くなってしまいました。そういった事へのご指摘もお待ちしております。
泥船ウサギ
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コメント



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1.100名前が無い程度の能力削除
出来損ないだなんてとんでもない、オチまであって大変素晴らしいものでした。
キャラの造形(?)に大いに腐心されたようですが、その甲斐あってか紅魔館の皆さんは自分のイメージとぴたり重なるもので、違和感なく没入することができました。
力作をありがとうございました。
2.100名前が無い程度の能力削除
この紅魔館はすごくよい、ほぼ理想
3.100名前が無い程度の能力削除
凄くよかったです
めーりんがかっこいい
4.100奇声を発する程度の能力削除
良い、とても良かったです
7.90名前が無い程度の能力削除
キザですな
13.100名前がない程度の能力削除
読みやすい、読みやすい。創作過去話、大好きです。
20.100名前が無い程度の能力削除
すごく時間をかけて丁寧に描かれている気がしました。
美鈴とパチュリーの会話が哲学的で楽しかったです。
でてくる面々が本当に生きているみたいでした。
特にセリフのやりとりが素敵だと感じました。
21.100名前が無い程度の能力削除
構成、表現、キャラの性格、どれもが丁寧で素晴らしかったです。
やっぱり謎の妖怪が大好きです
31.100名前が無い程度の能力削除
まったく、出来損ないだなんてとんでもない
とても好みな話でした。オチも含めて