Coolier - 新生・東方創想話

インタラクティビティ・トライアングル

2015/05/08 11:46:10
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「だからさぁ、お前たちの関係は一体どうなってんだって聞いてるんだ。
 頼むから教えてくれよ、絶対に他の人に言ったりしないからさ」

とあるゴシップ記事が天狗の新聞に掲載され、妙な噂が幻想郷を跋扈するようになった。
発端は昨日の出来事、それも夕方にばら撒かれた新聞。
まだ一日だって経っちゃいないのに、顔見知り程度の知り合いから心配そうに、あるいは野次馬根性丸出しで詰め寄られてはあしらって、そんなやりとりを今日という限定的な範囲でさえもう二度も繰り返している。
姫の待つ湖畔に向かうには少し早すぎると思い森、をふらふらと散歩しようなんて思い立ったのが運の尽き、白と黒の魔法使いが空から猛スピードで落ちてきて挨拶もそこそこに切り出した話題がこれだ。
せいぜい顔見知り程度の知り合いなのに、いきなり話しかけてきた時点で嫌な予感はしていた。
話しかけられただけでため息なんて失礼だと思われても仕方無い。
しかし思わずため息を吐きたくなる私の気持ちだって理解して欲しい、相手は想像通りの質問しかしてこないし、どうせ私の返答なんて一つしかないんだから。

「珍しく話しかけてきたと思ったらやっぱりその話なんだ。
 別にどうもなってないわ、私たちはいつも通りよ」

そう、私たちはいつも通り。
どちらかと言えば変わったのは周りの方で、私は――私たちはちっとも変わってなんか居ない。
いつも通り穏やかで、いつも通り仲良しの三人組のまま。
今ごろは姫や蛮奇ちゃんも私と同じように、大して親しくもない知人から詰め寄られているのだろうか。
蛮奇ちゃんは大丈夫だろうけど、姫は心配だなあ、あの子ってば天然な上に打たれ弱いから。まさに姫って感じで。

「どうもないってことはないだろ、火のないところに煙は立たないって言うしな。
 何かあるはずだ、何もなくても絞り出してくれ」
「無い袖は振れないって言葉を知らないのかしら」
「気合でどうにかしてくれ、お願いだからっ」

頭を下げられても出ないものは出ない。

「即興でご期待に添えるような作り話を披露出来るほど私は器用じゃないわ。
 そもそもなんでそこまで必死になるのよ、あなたには関係のない話でしょう?」
「関係は無いが興味がある」
「どうして?」
「それは……その、だな。私が今後の参考にしたいからだ」
「参考って言うと……」
「参考は参考だ、深い意味なんて無いからな!」

確かに深い意味は無いだろう、言葉通りの意味なんだろうし。
しかしだからこそ気になる、彼女がスキャンダルに巻き込まれてるなんて初耳だ、新聞記事にされて大っぴらになった私たちなんかよりずっと秘匿性の高い情報じゃないか。

「お前には関係の無い話だしな、聞かれても絶対に何も答えないぞ。
 今日の私はお前の話を聞きに来たんだ」
「関係は無いけど興味があるわ」
「なんでだよ!」
「私が参考にしたいから?」
「真似するなよぅ……とにかく、そういうわけで私はどうしても聞かなきゃならないんだ。
 だから教えてくれ、頼むよ、な?」
「そう言われても……」

正直に言っても何もない、としか言い様がないのだけど、霧雨魔理沙の言うことも間違ってはいない。
私が何もないって言っても納得してくれた人なんて今まで一人もいないし、おそらくこれからも居ないだろうから。
原因ははっきりしているし、はっきりしているからこそ私は困っている。
少なくとも”何もない”という言葉自体に嘘はないのだから。

「写真にはっきりと写ってるんだぜ? あれで何も無いなんて言い訳が通るわけがないだろ」
「逆に聞くけど、何があったら満足なの?」
「そりゃお前……あれだろ、ドロッドロのスキャンダルとか、見てる方がドン引きするような爛れた関係だとか、そういうのだよ」
「私たちにそんなスキャンダルが似合うわけないじゃない。
 あ、参考にしたいってことはあんたこそそういうの巻き込まれてるんじゃ……」
「あーあー、何も聞こえないなー」

わかりやすい上に強情なんて、なんて面倒臭いやつなんだ。

「お前たちの雰囲気にスキャンダルが似合わないなんてこと誰でもわかってるよ、だからこそこれだけ注目を集めてるんじゃないか。
 一見してただ仲がいいだけの三人組に見える、だけど実はこじれた三角関係で、想像も出来ないような愛憎劇が繰り広げられている……って知ったら、そりゃ野次馬もしたくなるってもんだろ。
 想像力を掻き立てるお前らのキャラが悪いんだ。
 あとこれ以上しつこく聞いても私は何も答えないからな」

野次馬の分際で何故ここまで強い態度に出ることができるのか、ギブアンドテイクという言葉をこの場で彼女に教えてやりたい。
しかし、どうして普段は目立たない私たちの記事にここまでの反響があったのか理解できないで居たけど、さっきの魔理沙の言葉でようやく納得できた。
一見してほんわかした、薬にも毒にもならないような友人関係を築いている私たちだからこそ、世間は興味を持ったってわけか。
言われてみれば、見え見えの三角関係よりはそっちの方が想像力を掻き立てるのかもね。
つまり、人の不幸に嬉々として食いつく野次馬共が望んでいるのは、それぞれの気持ちがから回った見事な三角関係と言うこと。
できれば私たち三人の関係が破綻してくれるぐらいの大事になってくれた方が都合がいいのだろう。
趣味悪いったらありゃしない。

「で、どうなんだよ」
「で、も何も無いわよ、最初から言ってる通り私たちの間には何もありません、私たちはただの仲良し三人組です。
 それ以上でもそれ以下でもないし、嘘でも無い限り何も絞り出せないわ」
「と言ってもなあ……」

なかなか食い下がらないのは彼女に限った話じゃない。
これが異変の真っ最中だとか、他に彼らの興味を引く何かが起きていれば今ほど注目されることは無かったんだろうけど、生憎今の幻想郷は平和そのもので、住人たちは都合の悪いことに刺激に飢えている。
彼らの目は刺激に飢えギラギラと怪しく輝いており、鼻息荒く私たちに近づいてくるのだ。
蛮奇ちゃん曰く、満月の日の私の様に。
満月の日の私はどうやらちょっと怖いらしい、自分ではそんなつもりないのに。
ただちょっと興奮してて、ちょっとだけやらしい視線で女の子を見ちゃうだけだよ、断じて怖くなんて無い、はず。
それより発情期のがよっぽど酷いしね。
とりあえずそれは置いといて、飢えた野次馬たちが私のぼやかしたような返答に納得するわけがないということだ。
そう言われてもなあ、今の時点では本当に何も起きて無いのに。

「記事に載ってたあの写真はどう説明するんだ、私たちだってあそこまではやらないぞ」

たちって誰のことよ、と聞いてもどうせ耳をふさいで聞こえないふりだろう。
非常に気になる、わからないままスルーするのは喉に小骨が刺さったような気持ち悪さが残るが、聞ける見込みがないのだから諦めるしか無い。

「どの写真のことを言ってるの?」
「あの赤面モノの写真全部だよ、とりあえずはお前が人魚をお姫様抱っこしてたやつからだ」

記事に載っていた写真を思い出しているのか、魔理沙の顔は言葉通りほんのり赤くなっている。
スキャンダルに巻き込まれている割には意外と初心らしい。

「そりゃあ姫は見ての通り地上を歩けないから、私が抱っこしてあげないと移動できないの。別にあの時に限った話じゃないわ、いつも抱っこしてるし」
「蛮奇って奴もお姫様抱っこしてたぜ」
「いくら私が妖怪と言っても、人一人を抱っこするのって意外と力が必要なのよ。だから蛮奇ちゃんと交代でやってるの」
「私が見た限りじゃ、変な台車に乗せて移動してたこともあったよな?」
「姫のその日の気分で変わるのよ、台車って目立つし恥ずかしいじゃない」
「だったら、お前が蛮奇ってやつをお姫様抱っこしてたのは何の意味があるんだ?」
「……いや、それは」

私たちのプライベートを無断で撮影して記事にするなんて、いくら天狗と言えど職権乱用が過ぎやしないだろうか。
友達が三人集まれば意味のない行為で大盛り上がりすることだってあるだろう、私が蛮奇ちゃんを抱っこしたのはそういった無意味な行為の一環であって、求められているような理由なんてない。
確か、いつも姫ばっかり抱っこされてるから、たまには姫の気分を味わいたいとか何とか、そんなことを私が言い出したのが発端のはずだ。
それがどうして私が抱っこする立場になっていたのか、そこまでは覚えていない、
ただ、そんなやり取りの途中で姫が『私が蛮奇ちゃんを抱っこするー』と無茶な事を言い出して、大方の予想通り潰れた姫の上に蛮奇ちゃんが寝そべっている変な絵面が完成したことははっきりと覚えている。
蛮奇ちゃんを上に乗せてジタバタしてた姫の写真が記事に載っていれば、今ほど怪しまれることも無かったはずなのに。
あれはどこからどう見ても友達同士でじゃれあってるようにしか見えなかったからね。
私と蛮奇ちゃんのやりとりが撮影されてるってことは、姫とのやりとりもしっかりと見られていたはずなんだけど、やっぱりあの記事には悪意しか感じない。
結論ありきとでも言えばいいのだろうか、記者としては正しいのかもしれないけど、私たちにとっては迷惑極まりない。

「なあ、本当の本当にただの友達なのか? あれで友達止まりなんて本当にありえるのか?」
「しつこいわねえ。
 記事にまでされて無防備な状態を撮影されてるのに、この期に及んで嘘をついたって意味がないじゃない。
 あれが私たちの赤裸々な姿よ。
 だから私が言ってる言葉は全て事実なの、何も無いし私たちはただの友達なの! いい加減にわかってよ」
「……うーむ」
「納得できたみたいだし、私は行くわね。人を待たせてるの」
「あ、おい待てって! まだ一番大事なことを聞いてないぞ!
 最後の写真、あれはどう言い訳するつもり――っておい、逃げるな! 頼むからちゃんと聞かせてくれー!」

これ以上続けたって押し問答が続くだけ、だったら嘘でもついて逃げた方がずうっと賢い。
彼女もこの森の地理には詳しいようだけど、人間ごときの足で地上で走り回る私に追いつけるわけがない。
いくら空を飛べると言っても、生い茂った森の中で低空飛行なんて危険な真似をするほど切羽詰まった状況でも無いだろうから。
しばらく逃げまわっていると、じきに彼女は私を見失い、声は聞こえなくなっていった。
諦めてくれたのか、それとも私を見失っただけなのか。
何にせよ、これ以上は行く宛のない散策は止めた方が良さそうだ、また別の誰かに見つかって質問攻めにされたくはない。
私の目的地なんて一つしかない、姫と蛮奇ちゃんが待っているであろう湖畔に決まっている。
どうせ近いうちに湖畔に行くつもりではあったし、多少予定が早まっただけのこと。
噂が広まってる今は三人で集まらない方がいいのかもしれない、でも下らない噂せいでバラバラになるなんて、それこそ負けたような気がして気分が悪い。
何より、私も蛮奇ちゃんも来なかったら、姫が寂しがって泣いちゃうだろうし、結局私には湖畔に向かう以外の選択肢など存在しないのだ。

鬱蒼とした森を、迷うこと無く真っ直ぐに歩いて行く。
住まいは竹林の傍にあるものの、毎日のようにこの森に通っている私からしてみればここは自分の庭のようなものだ、方向感覚を失ってしまいそうな深い森だとしても、慣れてしまえばどうってことはない。
気持ち早めのスピードで湖畔へ向かう、だってまた野次馬に見つかったら嫌なんだもの。
もし今度また見つかったら、脱兎のごとく逃げ出してやろうと思う。

静寂の中、私の足音と木々の乾いたさざめきだけが寂しげに響く。
最近はすっかり三人で居ることに慣れてしまって、ふと孤独を自覚した瞬間に、鋭い痛みにも似た寂寞感に打ちひしがれることがある。
一緒に暮らしてるわけでもない、むしろ一人の時間の方が長いぐらいのはずなのに、不思議と私の記憶の大半を占めるのは彼女たちと過ごした記憶ばかりだ。
自分でも不安になるぐらい、記憶も心も二人に支配されている。
お互いに、依存しすぎるのは良くないと理解はしている。
姫は置いといて、私と蛮奇ちゃんはそれをとっくにわかっているはずなのだ。
なのに、それでももっと傍に、もっと近くに、と望むのを私の本能は止めてくれない。
そして、私たちは本能に逆らえるほど強い自制心を持っていない。
夜な夜な襲い来る孤独による寂しさをどう発散させるか、それが近頃の私の悩みである。
さすがに暗くなってから姫や蛮奇ちゃんに会いに行くのは相手に迷惑だろうし、私は夜目がきくからいいものの、二人からしたら相手の顔も見えないぐらいの真っ暗闇なはずだから、あらゆる面で現実的ではない。
でも、一人で発散させるのには限界がある、日々積もりゆく不満はいつか爆発してしまうだろう。
それも、そう遠くないうちに。

『私たちさ、姫に甘すぎると思わない?』

ふと、かつての蛮奇ちゃんの言葉が脳裏をよぎる。
今になって、あの頃の蛮奇ちゃんが抱いていた不安がようやく私にも理解できるようになってきた。
私たちは確かに姫を甘やかしてきた、でもそれは同時に自分自身も甘やかすことでもあったのだ。
蛮奇ちゃんが言いたかったのはきっとそういうことだ、これ以上甘やかしていたら、いつか孤独に耐え切れなって取り返しの付かないことになってしまうのだと。
抑止せずに垂れ流す感情は、際限なく肥大を続けてしまう。
放置しておけば、かつては自分でも気づかないぐらい小さな感情でも、自分の心の大半を占めるほどまでに大きくなる。
今さら消せるはずがない、なにせそれを消すことは私の心を消し去ることと等しいのだから。
現在は予感だけで済んでいるとしても、いつか必ず限界はやってくる。
客観的に見れば私たちはとっくに――いや、本当は第三者視点なんて必要はないのだろう、私自身だって本当はわかってたことであって、霧雨魔理沙を始めとする野次馬たちが私たち三人の関係に関する曖昧な説明に納得が出来ないのも仕方のないことなのだ。
写真に撮られたのは、何も私たちがお姫様抱っこしてきゃっきゃとじゃれあっている様子だけではないのだから。

実を言えば、私たちはとっくに感情を抑えるのをやめている。
一般的な友情の範囲内で収まる限界はとっくに通りすぎて、『私たちは友達です』なんて言葉じゃ誰も納得出来ない段階まで到達してしまっている。
じゃあどうして友達なんて名乗ってるのかって、要は誤魔化しだ。私たちはいつも通りの私たち何だって言い聞かせる、要するに自己暗示のようなもの。
そんな私たちのスキンシップが、お姫様抱っこごときで済むはずがない。
ちっぽけな自制心、抑えきれない本能、漏れだした本音がプラトニックな接触だけで納得するはずがない。
それ以上をやらかして、今だって絶え間なく次のステージを望み続けている。
他者への言い訳としてはとっくに破綻している、自分たちへの言い訳もいつまでもは通用しない、今の私がやっていることは往生際の悪いあがきにすぎない。
いずれ、自分自身にすら言い訳しきれなくなる日がやってくる。
ひょっとすると、あの記事は私たちの関係を見直すために神様がくれた絶好の機会なのかもしれない。

『影狼ちゃんも蛮奇ちゃんも、私のことを姫って呼ぶじゃない?
 確かに私の名前はわかさぎ姫なんだけど、でも人前で姫って呼ばれるのって何だか恥ずかしいの。呼んでる二人にはわからないだろうけど』

文字通り、私たちは姫をまるでお姫様のように扱ってきた。
だからこその、蛮奇ちゃんの”甘すぎる”発言である。
私だって甘すぎるとは思ってたし、たまにやり過ぎじゃないかと思うことはあった。
改善の余地はある、ただし必要性があるかどうかはまた別の話。
蛮奇ちゃんは必要性を感じた、私は少なくともその時点では必要性を感じなかった、意見の相違はそういう理由で発生して、結局対策は見送られることとなった。
見送られたのだから、私たちが姫に厳しく当たる必要なんて無かったわけだ。
そもそも、甘えたいオーラを出してる姫を放っておくなんて私にも蛮奇ちゃんにも出きっこない。
我慢出来るんなら最初から悩んでなんか無い。

『ですから、本日より二人に対価を要求しようと思います』

その結末を、選んだ結論を、正しいとか間違ってるとか押し付けがましい二者択一の極論で決め付けるつもりはない。
正誤は個人で決めること、少なくとも私は間違っているとは思わない、だったらそれでいいじゃない。
誰が何を言おうと、記事にされても野次馬にたかられても。
……ってな感じで、そうやって開き直れるなら私たちだって記事一つにここまで翻弄されちゃいないんだろうけどさ。
なし崩し的、成り行き上、そんな感じで私たちは次のステップに進んでしまった。
大した覚悟も十分な結論も出せないままに。

『私が姫なら、二人は王子様であるべきだと思わない?
 ……いや待って、文句を言いたい気持ちはわかるし、普段の私だったら二人の不満を聞いてあげるところなんだけど、今回に関してはだめ。これはもう決まったことなんだよ。
 私を姫って呼んだのは一度や二度じゃないんだから、代金も払わずに商品を持ち逃げするのは立派な犯罪だって先生に習ったでしょ?
 だから、私が今まで恥ずかしい思いをした分だけ、二人には王子様の役割を演じてもらいます』

結局の所、私たちの意思なんてただのハリボテだった。
甘えちゃいけない、今度からは甘やかさない、明日からは、明後日からは――そうやってずるずる引き伸ばすうちに、気付けばとっくに終わっていたわけだ。
薄っぺらいけど気高いつもり、中身は無いけど重そうな気がして、辛くも無いのに悩んでみたり。
答えは明白だっていうのに。
お医者さんに訪ねてみれば、ずっと前から手遅れだったって鼻で笑われるに違いない。
神様に祈ってみれば、私でも無理だって苦笑いされるんだろうな。
正気は遠く彼方へ吹き飛んで、胸を満たすのは狂おしく欲しがる気持ちだけ。
私たちに足りなかったのはたった一つだけ、それは自覚だ。
もっと早い段階で、友情のラインなんてとっくに超えてたんだ、じゃあ仕方無いそういう関係になってしまおうって開き直れていれば、なあなあの関係に甘んじることもなかった。

姫の命令を聞いて、蛮奇ちゃんと私は顔を見合わせる。
間抜けな表情が目の前にあった。
たぶん、その時の私たちは鏡合わせのように同じ表情をしていた。
その時に気付いてしまった、私たちは全く同じ気持ちを共有していたんだってことに。
私たち、ぐうの音も出ないぐらい、とっくの昔に姫に心を奪われちゃってたんだ。
友情なんて言葉がバカらしくなるぐらいに。

『だめ、かな?』

姫は実に愛らしい仕草を私たちに向けた。
首をかしげて可愛らしく、私はお前たちのお姫様なんだぞーって自己主張するかのように。
姫が計算なんてこと出来ないのは私たちが一番良く知っている、だからそれは素の状態だ、自然極まりないくせに私たちの急所をピンポイントで撃ちぬいてくる。
そんなことされたらさ、誰だって納得するしかないと思うんだよね。
特に私たちは、弱点な上にクリティカルヒットしちゃったら、場合によっちゃ一撃必殺ってこともあり得る。
もうとっくに殺されてるのに、オーバーキルもいいところだ。
だから、これは仕方のないことなのだ。
お姫様に上目遣いでそんなこと言われたら、従者である私たちが頷かないわけにはいかないでしょう? 王子様になるしかないじゃない!
きっと蛮奇ちゃんも同じ気持ちだった。
甘やかし過ぎだと最初に言って来たのは蛮奇ちゃんだったのに、一旦落ち着いて二人で相談でもしようと視線を向けた時にはすでに首を縦に振っちゃってて、まさに即答とはこのこと。
あらまあ、なんて意思の弱いお方なのかしら、なんて皮肉を姫の目の前で言えるわけもなく、ため息を吐く暇すら私には与えられない。
クールな顔してるくせに、案外流されやすい性格なんだよね、蛮奇ちゃんって。
さすが似非クール、その正体は誰よりも可愛らしい乙女のくせに。
心の中でぶーぶー文句を垂れながらも、私もすぐにイエスの返事をしちゃったんだけど。

『じゃあ、二人は今日から私の王子さまだねっ』

かくして、私たちはお姫様と王子様になった。
手遅れだと理解しながらも、それは友情の延長線上にあるものなのだと、自分の中にある感情を無視してそう結論づけることにした。

私はね、とても怖がりなの。
全ての原因はそれに尽きる、あけすけに言えばへたれでビビリ。
それは蛮奇ちゃんも同じで、私たちはとても怖がりで、意志薄弱なへたれ妖怪なのだ。
妖怪だからって誰もが強いわけじゃない、そりゃ身体能力で人間に負けやしないだろう、でもせいぜいちょっぴり強いぐらいで、人外みたいな人間である博麗の巫女には簡単にこてんぱんにされてしまう。
そんな私たちだから、たった一歩を踏み出すのが怖くて仕方無い。
先へ先へと急かす流れに抗って、友情の二文字にしがみつき続けている。今の心地良い世界が壊れるのが怖くてしょうがないから。
そのくせ自制心は欠けてて、すこぶる誘惑に弱い。
だめだめだ、ダメすぎて目眩がするぐらいダメ妖怪だ。
今回の写真の件だってそう。
お姫様抱っこだけならただの友達の悪ふざけで済んだのに、その先を我慢できなかった私たちの自業自得だ。
ある意味で霧雨魔理沙の発言は正解だったのかもしれない。

それでも、私たちは友達で、私たちの間には何もなくて、私たちはいつも通りで、そうやって意地を張り続けるしかない。
そう答えるしかない、だって私はそうありたいから、そうなんだって自分に言い聞かせなければ今にも崩れてしまいそうだから。
私たち三人が望み続ける限り、私たちは今の私たちであり続ける。
明日も、明後日も……たぶん、来週も、来月ぐらいだったらまだ大丈夫かもしれない。
でもその後は――





さて、そろそろ湖畔に到着する頃合いだ。
見飽きたいつもの通り道を過ぎた後に、私は今日も彼女たちと会うのだろう。
昨日のように、一昨日のように、約束をしたわけでもないのにそこに居るのが当たり前であるかのように。
湖畔の開けた場所に出る直前、ちょうど湖から見えない場所に小さめの広場がある。
私たち王子様二人組はいつもここで合流し、作戦会議の後に二人で同時に姫の元へと向かう。
作戦会議と言ってもいつもは大した会話はしないんだけど、今日みたいな日は別、しっかりと策を練っていかないと。
万が一姫が泣いてたりしたら大変だからね。

今日も大きめの木に背凭れる蛮奇ちゃんの姿があった。
蛮奇ちゃんは足音で私の存在に気付くと、軽く手を上げる。

「おはよう」

その声には微妙に元気がない。
微笑んではいるものの、どこか無理をしているようにも見える。
表情の異変は微々たるもので、私や姫でなければ気づけなかっただろう。
どうやら厄介事に巻き込まれているのは私だけではないらしい。

「おはよー」

蛮奇ちゃんに向かって一直線に歩み寄りながら、私も同様に手を上げて挨拶を返す。
私も笑顔で挨拶してみたけど、蛮奇ちゃんには微妙に疲れてるのがバレバレなんだろうなあ。
隠し事を出来るほど浅い繋がりじゃない、過ごした時間も決して短くはないが、私たちはそれ以上に濃密な関係を築いてきたから。
あ、変な意味じゃなくてね。
……いや、変な意味かもしれないけど。

「その様子じゃ、蛮奇ちゃんも野次馬に捕まったのかな」
「影狼こそ、朝だっていうのに随分疲れた顔をしてる」

ほらね、伊達に毎日顔を見てるわけじゃない。

「どうやらそっちも大変だったみたいだね」
「人の居ない森を散歩してただけなのに、追っかけに二回も捕まっちゃったわ。
 人気者すぎるのも考えものね」
「普段は特に注目されることもない地味な妖怪だって言うのに、こんな時だけ人気者扱いされたって嬉しくともなんともないよ。
 私もここに辿り着くまでに三人に捕まってさ、うかつに人里なんて通るんじゃなかった」
「そっか、蛮奇ちゃんの家って人里の近くだもんね。
 あのあたりは人通り多いからどうしても見つかるのよね、人目を避けて湖畔まで辿り着くのも難しいだろうし」

無理ではないが、かなりの遠回りをすることになる。
まあ、遠回りをしてでも人目を避けた方が良かったのかもしれないが、全ては結果論だ。
人目の無い場所を通ってきた私が二人に捕まったのだから、違うルートを通っても別の誰かに捕まるだけの可能性が高い。

「人気の少ない場所を選んでも二人か、これではまるでお尋ね者だ」
「私たちには逃げ場なんて無いってことね」
「……はぁ」
「……ふぅ」

二人して大きくため息を吐く。
私たちですらこの有り様なのだ、湖から身動きの取れない姫はどうなってしまっているのか、想像だけで寒気がするほどだ。
早く顔を見せてあげないと、「王子様は姫を守るのが役目でしょー」と言いながらへそを曲げてしまうかもしれない。
姫と言いながらもあんまりワガママを言う方ではないのだけど、今日はさすがにね。

「気が滅入るよね、さすがに」
「まあ嘆いていても仕方が無い、今は姫の無事を確認するのを優先して……って影狼、止まりなさい。なんで無言で顔を近づけてくるのかな」
「なんでって、アレだからよ」
「アレじゃないだろう、さも当然の行いのように振る舞われても困る。
 離れなさい、しっしっ」

蛮奇ちゃんに悟られないようにじわじわと距離を詰め、今や私と彼女の距離は少し顔を近づけるだけで接触してしまうほどの至近距離。
私を遠ざけるように手を払う蛮奇ちゃんだけど、私がそんな犬のような扱いをされて潔く離れるわけもない。
全く動こうとしない私を睨みつける蛮奇ちゃん。とても可愛い。
私を睨んだ所で全く意味がないことを思い出したのか、彼女はしぶしぶ自分から距離を取ろうとする。
でも逃がさない。
右手を突き出し進行方向を塞ぐ、ちょうど私が彼女を木に押し付けるような形。
この姿勢が恥ずかしいのか、それともこれから行われる行為を想像して恥じらっているのか、蛮奇ちゃんは気まずそうに私から視線を外した。

「何を恥ずかしがってるの? いつもやってる事じゃない」
「記事の件もあって、色々考えたんだ。
 考えた結果、やっぱりこういうのは良くないと言う結論が出た。
 本当は考えなくてもわかりきったことだったんだろうけど、改めて駄目だって思ったんだ。
 私たちはただの友達なのに、毎日こんなことをするなんて……その、はしたないだろう」
「理由ははしたないからってだけ? 愛情表現ってそういうものでしょう」

首を傾け、顔を近づけようとすると、蛮奇ちゃんはとっさに空いている左側から逃げようとした。
無論逃さない、さらに左手で逃げ道を塞ぐ。
私の腕の間に収まる蛮奇ちゃんの姿はいつもより小さく見えた、普段は強がって男の子みたいな口調で話しているけど、やっぱり根っこは女の子なんだなって実感させられる。
実際に身長は私より低いぐらいだしね。
完全に捕えられた蛮奇ちゃんは、無駄とは知りながらも最後の抵抗と言わんばかりに私を睨みつけた。
対して私はそんな彼女をニヤニヤ笑いながら見つめている。
大体、本気で逃げたいなら首を飛ばしてしまえばいいだけの話なのだ、それをしないと言うことは彼女だって本気で嫌がってはいない。

「そんなに不貞腐れないでよ、何も特別な事をしようってわけじゃないの、いつもの儀式をしようってだけ」
「特別じゃない? 冗談は良してくれよ、あれを儀式の一言で済ませられるほど私は尻の軽い女じゃない。
 それに、人が睨んでいるのにニヤニヤしてるのが気に食わないな」
「それは仕方無いわ、蛮奇ちゃんが可愛いのが悪いの」

更に睨みつけられるが、それもまた可愛い。不機嫌な表情とは裏腹に全く殺意は感じないし。
私と蛮奇ちゃん、そして姫の三人はそれなりに長い付き合いになる。
これだけ長く付き合っていれば、相手が本気で怒っているかどうかも手に取るようにわかるのだ。
だから、今の彼女が本気で怒っていない、そして彼女も私がそれを悟っていること心のどこかで理解している。
じゃなきゃ、こんなおちょくるような返しは出来ない。

「影狼があんまり楽しそうだからなかなか言い出せなかっただけでね、正直に言えばずっと前から良くないと思ってたんだ。
 相応しくない、もっと私たちらしいスキンシップの選択肢があるはずだ、これに拘る必要なんてないってね。
 今回の件だって自業自得なんだよ、天狗の書いた記事にみんなが群がる理由もわからないでもない。
 だってそうだろう、記事を見て私たちがただの友達だなんて、一体誰が信じるって言うんだ」
「奇遇ね、私も同感よ。
 良くないと思っているし、記事にされたのは予想外だったけど記事に対する反応に関しては想像通りだった」
「だったら――」
「でもさ、だからって簡単に手放せるものでもないの、やっと手に入れた大切な権利なんだから。
 それにね、私にとって価値があるのは良くないからこそなのよ、相応しくない、はしたないだからこそ意味があるの。
 ほら、美味しいものに限って健康に悪いのと同じよ、体に悪いからって簡単に手放せるならもっと早いうちに手放してるわ」
「だったら今日がそのいい機会じゃないか、手放してしまえばいい、止めてしまえばいい。
 先延ばしにしても、いつか限界はやって来る」
「今更すぎるわ、蛮奇ちゃんだって昨日まで喜んでやってたくせに」
「よ、喜んでなんかないっ! 私は、仕方なく……」
「仕方なく、なの?」
「……う」

仕方なくなんて言われて傷つかない程、私の乙女心は頑丈じゃない。
蛮奇ちゃんのデリカシーの無さは今に始まった話じゃないけど、今のは特に酷いと思う。
結構、胸が痛い。じくじくする。
ペナルティ一個目だ、もう一個たまったら蛮奇ちゃんにはご飯でも奢ってもらおうとしよう。

「ごめん……」
「反省する気はあるみたいだから許してあげる。
 あと記事のことだけどね、今のところは私と蛮奇ちゃんのは写真には撮られて無いからまだセーフだと思うの。
 言い訳もまだ続けられる、姫の件についてはあの子の気まぐれで済ませたらしばらくは大丈夫でしょう。
 それでも、蛮奇ちゃんがどうしても嫌って言うなら……止めても良いけど」
「私がこういう時にはっきり嫌だって言えるような性格をしてたら、今みたいな事態にはならなかったんだろうけどね」
「たまーにデリカシーの無い発言をするけど、なんだかんだ言って蛮奇ちゃんは優しいのよ。だから嘘をつけないの、そういうとこ好きだな」
「影狼のそういう所は嫌いだ」
「嘘つかないの、内心喜んでるくせに」

今みたいに表情がコロコロ変わる所も好きだ、って言ったらもっと顔を真っ赤にして喜んでくれるのだろうか。

「仕方無い、逃げ道も塞がれてしまったことだし、私にはもう受け入れる以外の選択肢が残されていないみたいだ」
「まったく素直じゃないなあ、蛮奇ちゃんだって本当な乗り気のくせに」
「さっきも言ったけど、何もかもはっきり言えるならこんな事にはなってないよ」
「へたれめ、まあそういう所も嫌いじゃないんだけど」
「お互い様じゃないか、影狼だって大したへたれのくせに」
「うるさい、生意気な事を言う口はこうしてやるっ」
「んっ……」

その生意気な口を、私の唇で塞ぐ。
先ほどまで睨んで文句を垂れていたくせに、口づけした途端におとなしくなるんだから、蛮奇ちゃんってばほんと可愛い。
鼻から吐息を漏らしながら、軽く顔を動かして唇同士をこすりあわせる。
目の前には瞳をぎゅっと閉じた蛮奇ちゃんの顔。
事前の抵抗が一番大きいくせに、一度受け入れちゃうと必死になっちゃうのが蛮奇ちゃんなんだよね。
彼女の腕はいつの間にか私の背中にしっかりと回されていて、服を力いっぱい握りしめている。
体も、少しだけ震えている。いい加減に慣れればいいのに、そもそも最初に提案してきたの蛮奇ちゃんだってのに。

「ぷはっ……っん……」
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまは止めてくれっていつも言ってるじゃないか」
「ごめんごめん、でもそれは無理かなあ。
 私、実は蛮奇ちゃんに睨まれるのが好きなんだけど……って言うと語弊があるか、蛮奇ちゃんの睨んでる時の表情が好きなんだけどね。
 その中でも、顔を真っ赤にして睨んでくる表情が一番好きなのよね、可愛すぎてたまらないわ、だからついつい」
「ついついじゃないよ、影狼は悪趣味すぎるんだ。あと可愛いって言うな」
「恋人でもない相手にキスをしようなんて言ってくるどっかの妖怪よりは悪趣味じゃないわ。
 あと蛮奇ちゃんは間違いなく可愛い系です、本人がどう思っていようとね。
 これに関しては姫も含めて満場一致だし、必死に反論しても無駄だと思うの」
「ぐ……」

我ながら蛮奇ちゃんが可哀想になるほどに見事な反論である。
見事すぎて、悔しがるのを通り越して本気で落ち込んでしまった、これはちょっと予想外。
蛮奇ちゃんはやたらと可愛いと言われるのを嫌がる。
本人的には格好いい自分を目指しているらしく、トレードマークである赤いマントもそのためのイメージ戦略の一環らしい。
てっきり首を隠すためだと思っていたのだけど、思えばただそれだけならマフラーでも付けてればいいんだしね。
その空回りが可愛さに拍車をかけていることに本人は気づいていない。
まあ、そんな蛮奇ちゃんの無駄な努力は置いといて、彼女が落ち込んだのはそっちが原因じゃない。
恋人でもない相手――つまり私に、最初にキスをしたのは蛮奇ちゃんだって部分だ。
フォローしてあげないと、姫よりよっぽど厄介なへその曲げ方をしそうだ。

「今さら聞くのも何だけどさ、もしかしてあの時のこと後悔してる?」

あの時ってのはつまり、私たちが初めてキスを交わした日の事。
姫も絡んで色々と面倒な事情があって、私たちは何故か二人でキスをするようになった。
しかもその事情はまだ解決したわけじゃない、だから私たちはこうして微妙な関係を続けている。

「あの時って……最初の時のことかい?
 出来ることなら私だって後悔したかった、いっそ思いっきり悔やめるなら今ほどもどかしい思いをしなくて済んだのかもしれない」
「へたれだから無理だったってわけね。ま、私も人のこと言えるような立場じゃないんだけど。
 でも、私たちって姫には逆らえないでしょう?
 その、強制されるとかじゃなくて、どんなに私たち二人で抗ったところで姫のおねだりに勝てるはずないわけで、どっちにしたって同じ結果になってたんじゃないかしら」
「それでも姫だけで済んだのなら――」

思わず口走りそうになったその言葉を、蛮奇ちゃんは既の所で止めた。
ペナルティ二回目、今度何か奢ってもらうことにする。
私たちが歪な関係になったのは、姫だとけとか、私だけとか、そうなりたくないからこそだ。
事を要約して説明すると、不平等は良くないってこと。
私たち三人は、三人でなくてはならない。そう望んだから、だから私は後悔なんてしていない。

「……ごめん、今のは失言だった」
「謝らなくて良いわ、蛮奇ちゃんの気持ちもわからないでもないから。
 謝罪の代わりに食事一回分で許してあげる」
「その程度でいいのなら喜んで……と言いたい所だけど、奢りだけで許してくれるんならその表情は止めてくれないか、普段脳天気な影狼にそんな顔されたら胸が痛くてしょうがない」
「へ?」
「笑ってるつもりなのかもしれないけど、口しか笑ってないし、目は今にも泣きそうなぐらい潤んでる。
 そんな顔されて、私が何も感じないわけがないじゃないか、影狼は罪悪感で私を殺す気なのかい?」
「あー……やっぱり無理だったか、うまく誤魔化したつもりだったのに」

置いてけぼりにされた気分だった。
私たち三人の関係は、相互依存の関係だ。
互いに寄りかかり、支えあって、そんな絶妙のバランスで成り立っている。
だから、どこか一点でも崩れれば全てが台無し、何もかもが終わってしまう。
さっきの蛮奇ちゃんの言葉は、そういうことなのだ。
姫だけなら――そうやって片方だけにより掛かる行為が私たちに取ってどれだけ致命的か、そして私がどれだけ寂しい思いをすることになるか、蛮奇ちゃんだって十分に理解しているはずなのだから。

「翳のある笑顔なんて、ただ悲しまれるよりよっぽどタチが悪い。
 それにね、仮にうまく誤魔化せてたとしても私には全部お見通しだってことは影狼だってわかっているはずだろう」
「私の表情ってそんなにわかりやすいかな?」
「いいや、普通じゃないかな。
 でも私の場合はいつも影狼のことを見ているから簡単にわかるってことさ。
 これだけ近いと、なおさらにね」

蛮奇ちゃんの手が私の頬に添えられる。
やたらキザったらしい台詞とその仕草に、私の顔は一気に紅く染まった。
そういうのは向いてないくせに、蛮奇ちゃんは何かとカッコつけたがるきらいがある。
ほとんどの場合空回って終わる事が多くて、どうあがいてもかわいい系から脱却出来ないのが蛮奇ちゃん……だったはずなんだけど。
今の蛮奇ちゃんはかっこよかった、かなりきゅんと来た。

「さて、さっきの償いをしないとね」
「償い?」
「私の心ない言葉で影狼の気持ちを傷つけたんだから、その償いをしないと。
 もちろん奢りはまた別でね」
「ああ、そういうこと。でもそんなに気にしなくても」
「駄目だよ、影狼が気にし無くても私が納得できない。
 だからさ、して欲しいことがあったら言ってよ、私に出来ることなら何でも――」

その提案は嬉しい、世の恋に恋する少年少女達なら小躍りして喜ぶぐらい嬉しいのだろう。
けど……相手は私だ、そして目の前に居るのは蛮奇ちゃんだ、そう簡単に事が進むわけがない。
と言うか、どんなにカッコつけた仕草をしてみてもやっぱり蛮奇ちゃんは蛮奇ちゃんだなあ、と。
優しすぎるし、その優しさが蛮奇ちゃんが可愛い系である原因な気がするんだよね。
かっこいい系を目指すんなら、多少は強引さも無いと。

「うーん……気持ちは嬉しいんだけど、やっぱり蛮奇ちゃんってあと一歩何か足りないのよね」
「足りない?」
「格好良くなるための要素って言えばいいのかな、少しだけ及第点に届かない感じがもどかしいわ」
「急に何を言い出すんだ」

蛮奇ちゃんの反応はごもっとも、立場が逆なら私も似たような反応をしていただろうから。
それでも蛮奇ちゃんが格好良くなるためには必要な試練だと私は考える。
何もイニシアチブを握られたままなのが不満なわけじゃない、あくまで蛮奇ちゃんのためなのだ。

「償いをしたいっていう提案はなかなか良かったわ、言葉のチョイスも二枚目っぽかった。
 でも違うのよ、格好いいと呼ぶにはちょっとだけ足りないのよ。
 世の中で二枚目と呼ばれてる人たちがこういう時にどうするか知ってる?」
「美少女の願いならなんでも聞いてあげる、じゃないかな?」

やだ美女なんて……ってそんな見え見えのお世辞で私が喜ぶと思ったか。
私はそんな単純じゃない。

「影狼、顔が真っ赤だけどどうしたんだい?」

ああもう、ええ嬉しいですとも、単純で悪いか私だってこんなんで喜びたくないやい!
でも、ニヤニヤしながらそんなことを言う蛮奇ちゃんなんて大嫌いだ。

「ああ、美少女って言われて嬉しかったんだ」
「うっさい」

どうしてこう私の顔は嘘をつけないんだろう。
大嫌いなんて大嘘だむしろ大好きだ。
くそう、顔が熱い。悔しいけど嬉しい。

「変なタイミングで変なお世辞を言わないでよ、蛮奇ちゃんのくせに。
 私が大事な話をしてるんだから話の腰を折らないの、今は蛮奇ちゃんを格好良くするための授業の時間なんだから。
 私が先生、蛮奇ちゃんが生徒、生徒は先生の話を大人しく聞かなければいけません、わかった?」
「いつの間にそんな設定が……」
「今よ、たった今出来たの、もちろん蛮奇ちゃんに拒否権は無いわ」
「はいはい、じゃあ私はどうしてればよかったのかな? 
 ちょっと煽てただけで顔を真っ赤にして恥ずかしがる子犬系美少女をディナーにでも誘えばよかった?」

調子に載ってる、私より身長低いくせに。可愛い系のくせに。
何が子犬系だ、私は狼なんだぞ、がおー。
いつの間にやらすっかり主導権は向こう側、でも逆転の一手は無いわけではない。
見てろ蛮奇ちゃんめ、すぐに吠え面かかせてやろうじゃないか、狼だけにね!

「違うわ、そういう時は無言で唇を奪うものなのよ」

そう言いながら、半ば強引に蛮奇ちゃんの唇を奪った。
二度目のキス。
狼らしく、喰らいつくように、彼女の心を食いつくす勢いで。
王子様と王子様のキスって書くと何やらヤバそうな文面に見えるよね、女同士って時点で大概だとは思うけど。
くちづけは一度目より軽く、早めに切り上げて唇を離す。
目の前には不満気な蛮奇ちゃんの顔、きっと蛮奇ちゃんの目には満足気な私の顔が写っているのだろう。
どうだ見たか、どんなに調子に乗ったって私の手にかかればイチコロだって事が十分にわかったはずだ。

「不意打ちとは卑怯じゃないか……そもそも、これはルール違反だと思うんだけど。
 二度目のキスはご法度だって影狼が最初に言い出したんじゃないか」
「そうだったっけ?」

そんなルールの存在、完全に忘れていた。
言われてみれば最初の頃はそんなことを言っていたような気がする、ただ今までは必要以上にキスする事が無かったから、ルールを認識する必要が無かった。

「そうだよ、自分で言った言葉にぐらい責任持っておくれよ。
 二度目以降は挨拶じゃないから、違う意味のキスになるからダメだって」
「そっか、違う意味……ね」

一度目のキスだってただの挨拶で済ませていいものか怪しいというのに、今更そんなルールに意味などない。
正直に言えば、自分でも全く覚えていないのだけれど、蛮奇ちゃんが覚えているからには間違いなく私が発した言葉なのだろう。
でもいい機会だ、そんな下らないルールは撤廃してしまおう。

「今になって思えば無意味なルールよね、今日から無かったことにしてしまいましょう」
「無責任女め」
「現場主義なのよ」
「行き当たりばったりの間違いだろう?」
「物は言いようってこと。
 いいじゃない、どうせ……でしょ?」
「どうせ、ね」

どうせの後に続く言葉を、私はまだ声にすることが出来ない。
蛮奇ちゃんもその後に続く言葉をとっくに理解しているはずなのに、理解しているからこそ言えない言葉だってある。
相互依存を崩さないための防衛手段だ。

「……今の私たちを、姫が見たらどう思うだろうね」
「”私も入れて”って言うんじゃない?」
「それで済んだらどんなに良い事か」

お互いに蕩けた表情を突き合わせて、至近距離で見つめ合う今の私たちは、誰がどう見ても恋人同士にしか見えないだろう。
姫が取り乱す状況なんて想像すら出来ないけれど、ショックを受ける可能性は十分に有り得る。
今更キス程度で、ってのが私の予想だけど、念には念をってことだ。なにせ私たちはへたれなのだから。
あの記事に蛮奇ちゃんと私のキスシーンが掲載されなかったことだけが唯一の救いだ、そこまで天狗に見られていたのなら嫌でも姫の目につくことになっただろうし、私たちの関係は否が応でも変わらざるを得なかっただろうから。

私たちの変わらない関係。
私は蛮奇ちゃんが好きだ、そして姫も好きだ。
んで、蛮奇ちゃんはきっと私の事が好きだ、そして私と同じように姫のことも好きなんだと思う。
私たちの三角形は、絶妙な力関係で成り立っている。
私と蛮奇ちゃんは両想いで、それをお互いに知っている。
だから、”どうせ”の後に続く言葉は、”両想いなんだから”という言葉。想い合っているのなら、キスが挨拶以上の意味を持ったって構わないじゃないか、そう言いたかった。
でも恋人同士じゃない、友人同士だと言い訳を続けている。
キスを繰り返したって、はっきりと言葉にさえしなければ関係は確定しない。
私たち以外にその理屈が通用しないのは理解してる、でも人間関係に必要なのは他人の意思じゃない、私たちがどうしたいかなのだから。
曖昧な位置でふわふわと浮かんでいたって、それが最善手だと思うのなら他人の意見に惑わされる必要はない。
誰が何を言おうと、何を言われようと。





姫はいつものように湖にぷかぷかと浮かびながら、じっと森の方を見て私たちが来るのを待っていた。
私が見る限りでは疲れた様子はない、あれだけ話題になっているのに現場である湖だけが静かなんて事あるだろうか。

「やっと来た、二人ともいつもよりおそいよ、どこで道草していちゃいちゃしてたの?」
「ごめんね、ちょっと野暮用があったのよ」
「断じていちゃいちゃはしてないけどね、影狼も否定してくれよ。
 姫は大丈夫だったのかな、変な奴に話しかけられたりしなかったかい?」
「……何のこと?」

首を傾げてきょとんとする姫は、本当に何も知らない様子だ。
記事の存在を知っていれば想像は出来るはずだから、ひょっとするとあの記事のことすら知らないのかもしれない。
どうやら湖には野次馬はやってきていないようで、スキャンダルの現場にはさすがに踏み込みづらいと言うことだろうか。

「影狼、周りに人……と言うか、天狗の気配はある?」
「今の所は無いわね、さすがに千里眼を持つって言う白狼天狗まで使われたらどうしようもないけど、少なくとも湖畔の周りには誰も居ないみたい」
「じゃあ隠れて見てるって可能性も無いわけか」

全く気配が無いわけではないが、おそらく獣の類だろう、少なくとも天狗でないのは間違いない。
新聞が配布されたのは昨日の今日のことで、さすがに私たちが警戒してると思ったのか天狗も近くには居ないらしい。

「二人して何の話をしてるの? 私だけ仲間はずれにされてるみたいで寂しいわ」
「どう説明したものかね」
「変にはぐらかしても仕方無いじゃない、全部話しちゃいましょうよ。
 今日はたまたま誰も来なかったってだけで、明日以降も湖に誰も来ないなんて確証はないわけだし、姫に教えておいて損はないわ」
「それもそうか……じゃあ私から説明させてもらおうかな。
 発端は昨日の夕方あたりに配られた新聞だ、ちょうど私たちが解散したぐらいの時間だったかな」
「新聞?」
「そう、もしかしたら姫も知ってるかもしれないね、射命丸文って名前の天狗が書いてる文々。新聞と言う名前の新聞だ」
「その人なら知ってるわ、私はほとんど話したことは無いけれど、よく湖に遊びに来てるもの。
 このあたりに住んでる妖精さんと仲が良いのよ」
「げ、湖によく居るんだ。だから私たちを狙ってたのね」
「そういうことか……と言うことはこれからも警戒する必要があるってことだね、面倒だな。
 まあ、対処は後で考えるとして、問題はその新聞に載っていた記事なんだ。
 それが、私たちがじゃれあってたり、その……口づけしてる所を写した記事だったんだが」

蛮奇ちゃんは言いづらそうに、少し言葉をつまらせながら姫に告げた。
純粋な姫のことだ、さぞショックを受けて、下手したら泣き崩れるかもしれない。
その時は私たちが王子様らしく華麗に慰めてあげなくては。
そう思って身構えて待っていたと言うのに、姫は以外にも一言だけ、

「あらまあ」

と発言しただけで、それ以上のリアクションは特に無かった。
え、それだけ?

「……それだけ?」

驚きすぎて、思わず思考が声にまで出てしまう。

「もしかして、二人がいつもより疲れた顔をしているのはそのせいなの?」
「そう、記事のことであれやこれや聞かれてね。私も影狼もうんざりしてたんだ。
 だから姫の所にも不躾な輩が押しかけてるんじゃないかって心配してたんだよ」
「私はあんな記事が書かれた直後に集まるのはどうかと思って、悩んでたら遅くなったの」
「だからいつもより遅かったのね、そんなの心配することは何も無いのに」

どうやら姫は私たち二人よりずっとタフだったようだ。
それとも、恥じらいの概念がずれているのだろうか。
姫や王子様なんて恥ずかしい言葉を平気で連呼するメンタルの持ち主だし、私たちの尺度で測ること自体が無茶な話だったのかもしれない。

「だって、私たちは姫と王子様なんだから。何も恥ずかしがることはないわ、当たり前の事を当たり前に行って何が悪いのかしら」

ほらね。
そもそも、私と蛮奇ちゃんがなんで姫とキスなんてするようになったのかと言えば――元はと言えば姫が全ての原因なのだ。
言い出した張本人が気まずいなどと考えるはずがない。
私と蛮奇ちゃんがキスをするようになった理由にも、根っこには姫とのキスが絡んでいる。

話はそう難しいことじゃない、姫と王子という関係になった私たちは、その名前に負けない行為が必要だった。
私と蛮奇ちゃんに関しては、姫だの王子だのそんなのは望んでいないわけだから、設定やら何やらは主に姫が考えていた。
何とか国のほにゃらら城のお姫様と王子様だとか、最初の頃は固有名詞までがっちり決まっていたはずだ。
いつからだったかなあ、姫がそういうの言わなくなったのは。
頑なに話題に出そうとしないし、聞いてても中々に痛々しくて苦笑いしか出来なかったし、本人にとっても思い出したくない記憶なのかもしれない。
誰にだってそういう思い出はあるものだ、胸の奥にそっと仕舞って鍵をかけておくのが最良の処理法である。
でも、姫と王子に必要な行為だけは消えなかった。
姫と王子はキスをするもの――誰が言い出したのか、史実がそう告げているのか、説得力のある理由はいまいち浮かんでこないが、イメージとしては確かに正しいのかもしれない。
姫の出した結論に、私たちは「なるほど」と納得した。
あくまで、姫と王子とキスという三つのワードの繋がりがあまりにしっくり来たものだから納得してしまっただけで、実際に行うとなれば話は別。
私たちはもちろん拒否した、そりゃもう全力で、姫がぶーたれるぐらいに全力で。
当時は今みたいに変な事を考えたりはしてなかったし、名実ともにただの友達だったわけで、そんな私たちがキスをするなんて、いくら姫に頼まれたからと言って出来るわけがない。
出来るわけがない……のに、だ。
結果を見れば分かることなんだけど、私は姫とキスをした。
何もかも蛮奇ちゃんが悪いんだ、
意思の弱いあの子は、私が悩んでる横で真っ先に頷いてしまった。
私と二人きりの時は偉そうにキスは止めた方が言いとか語っちゃうくせにさ。
意思が弱いなんてもんじゃない、蛮奇ちゃんの姫に対する抵抗力は間違いなくゼロに等しいのだろう。
そして、ちょうど姫を抱きかかえていた蛮奇ちゃんは、そのまま流れるようにキスの構えに。
二人が顔を寄せて、お互いに顔を真っ赤にしながら初々しい恋人のように唇を合わせる光景を、私はただ立ち尽くして見ることしか出来なかった。
見ているだけしか出来なかった。
第三者として、他人として。
そんなの、私が納得出来るわけがない。

全てはあの時からはじまった。
誰ものけ者にされず、三人で生きていくことを私が強く望むようになったのは、きっとあの時の経験があるからこそ。
胸が痛かった。はちきれるんじゃない、締め付けられて潰されそうな強烈な痛みが胸に走った。
吐き気のような悲しみが胸からせり上がり、喉を通りすぎて瞳を濡らす。視界がゆがむ。
涙が溢れなかったのが幸いだった。
おかげで二人には気付かれなかったけれど、私はあの時に孤独の痛みを嫌ってほど思い知らされた。
他人の幸せは、時に私の毒になる。
その孤独は一瞬の出来事だったからどうにか我慢出来た、でも本当に二人が私を置いてどこかへ行ってしまったら、私はずっとその痛みに耐え続けなければならない。
いいや、可能性があるのは私だけじゃない。
もし私と姫が結ばれたのなら、私と蛮奇ちゃんが結ばれたのなら、残された一人はこれからずっと今の私と同じ痛みを味わわなければならない。
それが、怖くて怖くてしょうがなかった。

こうなるともう私に拒むなんて選択肢は残されちゃいない。
蛮奇ちゃんが姫から唇を離し、二人はやけに艶かしい表情で見つめ合う。
あの瞬間、二人の頭からは私の存在は綺麗さっぱり消え去っていたことだろう。
もちろん割り込む。
当時は嫉妬という自覚は無かったものの、完全に嫉妬である。
『ひゅーひゅー、二人ともお熱いわね』なんて茶化しながら、私の痛みなんて悟られないように不自然に明るく振る舞い、その空気をぶち壊しにする。
次は私だと、いつまで姫の唇を味わってるんだと、おふざけのように見えて五割ほど本気の嫉妬を込めながら蛮奇ちゃんを弄って遊んだ。
嘘だ、十割嫉妬だった。
そして、私と姫はキスをした。
まず手を取って、次に頬に手を当てて、吸い込まれるように私たちはキスをした。
その感触もさることながら、顔を離した瞬間から目の前にあった、今まで見たこと無いほど絢爛な笑顔を見た瞬間、私の顔は一気に赤熱した鉄のように熱くなった。
これは駄目だ、友達として間違っている――そう思いながらも、私の心に刻まれた感触は二度と消えることはなく、楔として打ち込まれたままだ。
それがある限り、私と蛮奇ちゃんは姫の誘惑には抗えない。

今だってそう、打ち込まれた楔の所在を確認するように、私たちはその行為を繰り返す。

「ところで、二人とも今日の挨拶がまだよね」

姫は「よいしょ」と絶妙にあざとい掛け声をかけながら地上に上がる。
無論、足の無い彼女は地上では一人で身動きは取れない。
姫が地上に上がるときは、どちらかに抱っこして欲しいという暗黙のサインだ。
今日は私の方が先らしい。
特に順番が決まっているわけではなく、姫のその日の気分で私と蛮奇ちゃんの順番は入れ替わる。
私は、こちら向かって両手を広げる姫を軽々と抱え上げた。
腐っても妖怪、この程度は造作も無いことなのだ。

「うらやましいなあ、姫は悩みが少なそうで」
「影狼ちゃん、もしかしてそれは馬鹿にしてるのかしら。
 悩みが少ないわけじゃないわ、悩む必要の無いことは気にしないようにしてるだけよ。
 こんな些細なスキンシップで大騒ぎすることは無いと思うの、他人がどう言おうと私たちは私たちなんだから」

私と蛮奇ちゃんがへたれだから、自動的に姫もへたれになると思い込んでいたけれど、どうやら私の見当違いだったらしい。
王子様より姫の方がよっぽどしっかりしてる、みんな姫みたいな三人組だったらぐちぐち悩む必要も無かったのに。
姫が瞳を閉じる。唇を軽く突き出す。
「はぁ」と軽くため息を吐いた後、私と姫は唇を重ねた。
姫の言い方を借りるなら、”おはようのちゅー”ってやつだ。
最初に口頭で挨拶は交わしたが、それだけじゃ不十分。キスをして初めて挨拶という儀式が完了する。

「んふふ、おはよう影狼ちゃん」
「おはよ、やっぱり姫には敵わないわ」

この子にマンネリという概念は通用しないのか、数えるのも億劫になる程繰り返してきたキス、そして同じ回数見てきた姫の反応なのに、私の胸は毎度跳ねる。うるさく鳴り響く。
桃のように軽く赤らんだ顔で、姫が微笑んでくれる。ただそれだけで、有象無象の問題なんて頭の中から吹き飛んでしまう。
何だろうこれ、魔法だろうか。魔法使いの使う魔法なんかよりずっとそれらしい、妖怪を殺すための魔法よりずっと私を殺してしまう。
姫の表情を存分に独り占めした所で、私は蛮奇ちゃんに姫を渡す。
蛮奇ちゃんにとっては姫はちょっとだけ重いらしく、渡す瞬間に少しだけ苦しそうな顔になった。
単純な腕力なら、三人の中なら私が一番上で、次が蛮奇ちゃん、一番下が姫という順番になる。水の中だと姫が一番だったりするんだけど。

「蛮奇ちゃんたら眉間に皺が寄ってるよ、そんな難しい顔したって何も解決しないんだから。何より可愛らしい顔が台無しだわ」

断じて姫が重いから眉をひそめているわけではない。
姫に可愛いと言われた事が不満だったのか、眉間の皺は余計に深くなった。

「私ぐらいは悩んでないと、姫も影狼も何も考えてないみたいだから」
「一番流されやすいくせに偉そうに何か言ってる……」
「影狼は黙っててくれないかな」

蛮奇ちゃんは気づいていない、どんなに力を込めて睨みつけても私が喜ぶだけだということを。
思わず頬が緩む、自然とニヤついてしまう。
そんな私の顔を見て諦めたのか、蛮奇ちゃんはすぐに姫の方へ視線を戻した。

「影狼ちゃんも蛮奇ちゃんも、私が何も考えてないと思ってたんだ……。
 私ね、ちゃんと二人のこと考えてるんだよ?」
「例えばどんなことを?」
「二人がどうやったら笑ってくれるのかなー、とか。
 二人はどうやったら幸せになるのかなー、とか。
 一人で居るときはそんな感じのことばっかり、気付いたら二人のことしか考えてないの」
「姫……」

私と姫の距離ですらこの破壊力。至近距離でそんなこと言われたら、もう我慢できるわけがない。

「ねえ姫、もうキスしていいかな」

ほらね、蛮奇ちゃんったら発情期だって馬鹿にしてた時のの私を笑えないぐらい目がギラギラしてる。

「我慢できなくなっちゃった?」
「……!!」
「んぐっ!?」

姫の台詞からいやらしい事を考えてしまったのは多分私だけじゃないはずだ。
他意は無いんだろうけど、お姫様抱っこさせながらその台詞はえげつないよ。
さすがに辛抱できなくなった蛮奇ちゃんは少し鼻息を荒げながら、いつもより少し乱暴に自分の唇を姫の唇に押し付けた。
姫の喉から「んっ」と苦しげな声が漏れる。
彼女は全て無自覚、なのに狙いすましたかのように私たちの弱点を徹底的に攻め立ててくる。
全て計算ずくってのも嫌だけどさ、天然だったら天然で怖い。
周りに居たのが私たちみたいなへたれでほんとよかった、凶暴な狼さんだったら姫はとっくに食べられちゃってたかもしれないから。

「蛮奇ちゃん、ずいぶん力強かったね」
「ごめん、私としたことが」
「可愛い系を脱却するためには強引さがあった方が良いって言う私のアドバイスが効いたのかしら」
「影狼、ほんと黙っててよ」
「ああ、その顔良いわぁ……」
「だあぁ、もうっ!」

わかる、わかるよその気持ち。
いくら姫が無自覚に誘ってきたからとはいえ、乱暴なキスをしてしまったことに自己嫌悪してるんだよね。
わかってる、わかってるからこそ私は追い打ちをかけたのさ、より素晴らしい睨み顔が見られると思って。
正直に言ったらさぞ怒られるだろうから胸に秘めておくけど、言わなくてもどっちみち怒られるような気がしてならない。

「とりあえず、姫は影狼に返すから」
「えー、もっと蛮奇ちゃんが抱えてくれていいのに」
「今は勘弁して……ほんとに」

私が傍に居るとはいえ、今の蛮奇ちゃんじゃ人目も憚らずに姫に襲いかかってもおかしくはない。
しっかし今の姫の反応を見る限り、自覚が無いどころか知識だってなさそうな感じだ。
普段は水の中に住んでるってことは本なんか読む機会は無いのかもしれないし、オトナな知識を仕入れる手段が無いのかもしれない。
蛮奇ちゃんから姫の体を預かり、私は湖畔に有る切り株に腰掛けた。
興奮冷めやらない様子の蛮奇ちゃんは、落ち着くまでその場で深呼吸を続ける気のようだ。

「蛮奇ちゃんたらどうしたのかしら」
「姫は怖いねえ、私が相手じゃなくてほんとよかった」
「……?」
「気にしなくて大丈夫よ、放っておけばそのうち元に戻ってるだろうから」

姫は私の方を見ながらこてんと首をかしげる。
わからないならわからないでいい、そういう純粋な所が姫の良さなんだから。
いつまでもそのままで居てくれたら……いや、それもそれで困るか。いつまで私たちが我慢出来るかわからないしね。

「んー……」
「どしたの姫、まるで悩んでるような顔して」
「まるでじゃなくて悩んでるのよ、本気で私には悩み事が無いと思っていたの?
 私ね、前は影狼ちゃんや蛮奇ちゃんのことなら何でもわかるんだって、胸を張って自慢できたの。
 でも……最近はなんだか、二人の分からない部分が増えてるような気がしてならないわ」
「今まで見えてなかった部分が見えてきただけよ、私たちだって姫のわからない部分なんていくらでもあるんだから」
「でもでも、二人はお互いにわかってるんでしょう? じゃあ私にも話してくれてもいいじゃない」

それが出来たならどんなに楽なことか。

「それとも、私が原因だから話しづらいとか? だったら仕方ないのかもしれないわ、でも……ちょっと寂しいかな。
 あ、あんまり深く考えなくていいんだよ、ほんのちょびっとだけなんだから、別に二人の事を責めてるわけじゃないの」

いくら鈍い姫とは言え、私たちの様子が以前と変わってしまうと疑いもするか。
下心無しで語り合えていた頃の私は、一体どんな気分で姫の事を抱きしめていたのだろう。
今じゃ思い出すことも出来ない。
こうやって傍で姫の事を見ててもさ、唇が柔らかそうだとか胸が大きいだとか着物の下は一体どうなってるんだろうとか、前は全く考えたりしなかったのに。
まるで万念発情期みたいに頭のなかは茹だっている。
今でこれなんだから、本当の発情期の時がどうなっていたかは説明するまでもないだろう。
姫はこんなに無邪気に私に話しかけてくれるのに、友達を装うことしか出来ない私が情けなくて、たまに無性に虚しくなることがある。
別に騙しているつもりはない、でも心のどこかに罪悪感があって……最近、蛮奇ちゃんに対する好意がやけに膨れ上がっているように感じるのは、もしかしたら共犯者として共感しているからなのかもしれない。
だとすると、一人仲間はずれにされている姫が寂しさを感じるのも当然の事だ。
姫と蛮奇ちゃんのキスシーンを見ていた私が感じた寂しさを、仮にその万分の一だったとしても、姫も感じているのだろうから。

「やっぱり、隠し事があるんだね。
 影狼ちゃんは感情が顔に出すぎだよ、見てて飽きないからそういう所も私は好きだけど」
「……ごめんね、でも姫には話せないの」
「どうしても?」
「ええ、どうしても。別に姫が悪いわけじゃないの、十対ゼロで私たちが悪いのは間違いないから、そこは勘違いしないでね」
「わかった、話せないなら仕方ないよね。じゃあこの寂しさは胸の奥にしまい込んで忘れてしまうことにしますっ」
「姫……」

それじゃあ、痛みは消えない。ただ誤魔化すだけだ。
今の私たちは、大きな痛みを恐れるあまりに、数多の小さな傷を負い続けている。
痛いことに違いは無いのに、まだ誤魔化せる痛みだからとやせ我慢して。
でも、見て見ぬふりには限界がある。
気にするなって、忘れることにするって宣言したくせに、姫の笑顔には現在進行形で悲しさが混ざっている。
蛮奇ちゃんが私に言った通りだ。
悲しみ混じりの笑顔は、ただ悲しまれるよりよっぽど辛い。

「私たち、隠し事はしてるけど……一つだけ、絶対にこれだけは嘘じゃないって事があるの」
「気を使わなくていいのに。
 でも、影狼ちゃんがそこまで言うなら聞いてみようかな」
「うん、聞いて。そして忘れないで。
 今、こうやって私の手の届く範囲に姫が居て、蛮奇ちゃんが居て、三人で下らない話して、そうやって過ごす無駄みたいな時間が、私にとって一番大事な時間なの。
 今まで生きてきた中で一番幸せで、絶対に手放したくないって思ってるわ。
 それだけは絶対に、絶対に、嘘なんかじゃないから」

いつもは心に仕舞いこんでるその想い。
今はその想いが足かせになってしまっているのかもしれないけれど、何があってもこれだけは譲れない。

「影狼ちゃん……」
「あはは、ちょっと重すぎたかしら」
「重いと言うか、恥ずかしい?」
「ひどっ!?」

姫の心ない一言に私の心は深く傷つく。
痛い、その言葉はめっちゃ痛いよ姫。

「だって、急に生きてきた中で一番幸せなんて言うんだもの、私だってなかなかそんなこと言えないよ」
「そりゃそうかもしれないけど、今は空気読んで感動してくれる所じゃないの……?」
「感動する空気でも無いと思うわ」

今日の姫は本当に容赦無い。
視界が霞むぐらい涙目だ。いっそ涙をぼろぼろ流して泣いちゃいたいぐらい傷ついている。
泣かないけど。本気で泣いたら変な空気になるってわかってるんだもの。

「うふふ、でも……嬉しかったかな、さっきの寂しさなんて忘れちゃうぐらいに吹き飛んで、山盛りのお釣りが返ってくるぐらいには嬉しかった。
 後になって忘れて欲しいって言っても忘れあげないわ、絶対に一生覚えててあげる」
「……ほんとに?」
「ええ、影狼ちゃんが忘れた頃に一言一句間違えずに耳元で囁いてあげられるぐらいには覚えてしまったわ」
「ま、待ってよ、それはちょっと……」
「あらあら、忘れないで欲しいって言ったのは他でもない影狼ちゃんじゃない、私は約束を守るだけでーす」
「勘弁してよ、お願いだから姫の心の中だけに留めておいて、ね?」
「んふふふ、冗談よ、冗談。そんなことはしないわ。
 でも嬉しかったのは本当だから、影狼ちゃんの言うとおりに、さっきの寂しさの代わりに胸の中に仕舞いこんで、ずっと忘れないようにしておくね」

そこまでしてくれるのなら言ったかいがあったと言うものだ。
姫に言われた通り、後になって考えてみると素面の私じゃ絶対に口にしないようなこっ恥ずかしい台詞だったけどね、蛮奇ちゃんに聞かれてなかったのがせめてもの救いだろうか。

「……ふぅ、ようやく落ち着いたよ」
「おかえり蛮奇ちゃん」

姫と駄弁っているうちに、興奮状態にあった蛮奇ちゃんもどうにか復帰。
顔を見る限りじゃまだ少しだけ引きずっているようだけど、突然姫に襲いかかるようなことはあるまい。

「まるで思春期の少年みたいな反応だったわね」
「ただいま、姫。
 影狼はいちいち何か言わないと気が済まない病気なのかな?」
「蛮奇ちゃんの睨み顔がキュートなのが悪いと思うのよね、どうしてこんなにも私の心を惹きつけて止まないのかしら、永遠の謎だわ」
「悪いのは十割方影狼の方だと私は思うけどね」
「うん、そうかもしれないわね。でもそこに蛮奇ちゃんの睨み顔がある限り私は戦い続けるわ」
「開き直ったし……ほんともう」
「あはは、二人ってほんと仲良いよね。
 私、ちょっとだけ嫉妬しちゃうかも」

あとはいつも通り、三人肩を寄せあって、今日あったこと昨日あったこと、あることないこと織り交ぜながら、記憶にも留まらない会話を繰り返すだけ。
なんて下らなく素敵な時間。
この場所なら私、いつまでだって笑っていられるような気がする。
そして今日も、空が赤らむまで私たちは語らい合った。
別れる時は明日の約束なんてしない、別れ際にはまた儀式を繰り返す。
「おやすみなさい」の言葉と、唇を触れ合わせるだけの軽いキスを。










私が”格好いい”妖怪を目指しているのは、不本意ではあるが周知の事実である。
はっきりと明言したつもりはないのだが、親しい友人までは誤魔化せない。
影狼はもちろん、姫にすら気づかれている。
だからこそ、二人は私に対して頻繁に”可愛い”という言葉を使ってくるのだ、嫌がらせ以外の何物でもない。
だったら私が無駄に格好つけるのをやめればいいだけの話ではあるのだが、真似事も染み付いてしまえば自身の物になってしまうもの、今ではその辞め方も、元の自分がどういう喋り方だったのかもよく思い出せない。
中性的な口調も、この赤いマントも、すっかり私のアイデンティティとして定着してしまったのだ。
だが真似事はしょせん真似事でしか無い、内面までが付いてきてくれるかどうかはまた別の問題である。

「影狼、ちょっといいかな」

湖畔からの帰り道、私と影狼は途中まで同じ道を歩く。
彼女は三人で居る時よりも二人きりの時の方が、微妙にだが温和な表情をしているような気がする。
隣に居るのが着飾る必要のない、本音で話せる相手だからだろうか。
少し自惚れじみていると思わないでも無いが、事実そうなのだから他に言いようがない。
決して姫と一緒に居るのが辛いとかそういう話ではない、ただ姫はやはり姫なのだ、高嶺の花に触れる時は誰だって多少は緊張するはず。
好意のベクトルが違う、とでも言えばいいのだろうか。
ともかく、私は姫と一緒に居る時よりは影狼と一緒に居る時の方が気が楽なのだ、そしてそれは影狼にとっても同じこと。
その顔を見ているだけで、妙な安心感がある。
しかし、隣を歩く少しだけ背の高い彼女の表情を見ようと思うと、私の顔は自然と少し上を向くことになる。
あまりじっと見ているとすぐに気づかれてしまうのは当然であって、

「どうしたの、蛮奇ちゃん」

私たちの視線はばっちりと噛み合ってしまった。

「……いや、なんというか」

影狼に見惚れていました、なんて言ったら調子に乗るのが目に見えているから、私は不貞腐れたフリをして目をそらす。
でも、よく考えたら私が不貞腐れた所で影狼を喜ばせるだけだ。
影狼は私の本心に気付いてか気付かずか、私を愛でるようににやりと微笑んだ。

「なーに今更恥ずかしがってるのよ、目が合っただけなのに」

声色も、さんざん私を弄んでいた先ほどまでの影狼より明らかに優しげだ。
その柔らかな音は、隙だらけの感情にするりと入り込んでくる。
ただ声を聞いただけなのに、こうも容易く私の気持ちは高ぶってしまう。
姫の時のような激しい欲求ではなく、触れたいと言うよりは傍にいたいと思わせるこの気持ち。
形は違えど、姫に向かう感情も、影狼に向かう感情も、どちらも恋と呼ぶべきなのだろう。
自覚など、とうの昔に済ませている。
友情の枠を超えた感情が自分の中にあるのに気付いたのは、もう随分と前のことで……おそらく三人の中では私が一番最初になるはずだ。

私は格好良くなりたかった。
発端がどこにあったのか、一体私は何に憧れたのか……里の人間か、あるいは書物に登場した彼だったか、確かにきっかけはあったはずなのだが、今では全く思い出せない。
断片的な記憶から判断する限りでは、私の目標となった誰かは冷静沈着で正義感が強く、だれに対しても優しく接して、強い自制心を持つ人物だった。
簡単に言えば”ヒーロー”というやつだ、私はそんな誰かを目指していた。
その目標が今の私という人格を作り上げ、赤蛮奇という一人の妖怪が完成する。
だがいくら真似てもその全てがヒーローになれるわけではない、誰かに優しくすることも、いつも冷静沈着でいることも、気持ちの持ちようでどうとでもなるだろう、しかしどうにもならない事だってあった。
自制心という奴だ、こればっかりはどんなに気を強く持とうとしても身につく物ではない。
どんなに他人を想えても、自分への戒めは容易く解ける、どんなに強く願おうとも綻びが生じる。
それは私の心の弱さゆえなのだが、強くなりたいと願って強い心が手に入るのなら私も苦悩したりはしない。
つまり――結局の所、私はヒーローなんかにはなれなかった。
赤いマントを羽織っても、気取った口調になっても、致命的に自制心という物が欠けていたから。
格好良い自分でありたいのなら、誰よりも最後まで耐えるべきなのだ、でも私にはそれができない。
それどころか、一番最初に限界を迎えてしまう。
そう、ちょうど今のように。

「影狼はまだ大丈夫なのかい?」
「大丈夫って、姫のこと?
 だったらまだ大丈夫かな、しばらくは友達で通せるぐらいの余裕はあるつもりよ。
 ほら、私も色々あるから、蛮奇ちゃんよりはそういうのに慣れてるの」
「もしかして、はつじょ……」
「いくら蛮奇ちゃんでもちょっとデリカシーに欠けすぎじゃないかしら?」

そんなのは承知の上だ、私たちが友達なのだとするのなら、一番踏み込みづらい話題であることは違いない。
でも、だからこそ私は更に踏み込む。
土足で踏み荒らすのはマナー違反だと咎められても、影狼のアドバイス通り時には強引さが必要なこともあるのだ、それは今だと私は感じている。

「でもさ、実際はどんな感じなんだい? 見た感じだと野生の動物ほどは酷くはないようだけど」
「いやいや……まさか突っ込んで聞いてくるとは思わなかったわ。
 話すわけ無いじゃない、私にとっては満月の件と同じぐらい避けたい話題なんだから」
「ああ、毛深くなるっていうあれね。
 そんなに気にすることなのかな、私はあの時の影狼も可愛いと思うけど」
「満月の時の私を褒められても全然嬉しくないわ、コンプレックスだって知ってるでしょ」
「コンプレックスがチャームポイントになることだってあるさ、少なくとも私にとってはね。
 で、結局のところ発情期はどんな感じなんだい?」
「え、あー……ふざけてるとかじゃなくて、本気で聞きたいの?」
「関係のない話ではないからね、いい機会だし聞いておいてもいいかなと思ったんだ」
「関係、あるんだ」
「そういう関係になるのなら、一度は話しておく必要があるだろうから」
「……なるの?」
「なろうと思ってる」
「いつ?」
「明日にでも」
「きゅ、急な話ね、心の準備がまだ出来てないのに。
 と言うか今日の朝は止めた方が良いとかはしたないとか言ってたじゃない、どうして急に方針変えたのよ」
「”どうせ”って言ったのは影狼の方だろう、お互いにわかってるんならこれ以上誤魔化したって無駄だと思ったんだ。
 明日ってのは、その、私の方だだってまだ気持ちの準備なんてできていないから、明日までに準備をしようと」

いくらお互いの気持ちを理解しているとは言え、さすがにこれは恥ずかしい。
だってこれじゃあ告白しているような物だ、でも明日はもっと恥ずかしい思いをするんだろうなあ。
影狼も、まさかへたれ呼ばわりしている私に先を越されるとは思ってはいなかっただろう。
私だって本当ならしばらくは気持ちを伝える気は無かった、あったとしても何ヶ月か先のつもりだった。
しかし私は、もう隠したって仕方無いということに気付いてしまったのだ。
今日の朝、影狼といつもと変わらないやり取りをしている時に私は自分の無力を痛感した。
小悪魔めいた悪戯っぽい表情も、正統派美人に見えなくもない翳のある表情も、無くせば喪失の痛みに泣いて叫んでしまうほどに、自分の一部として馴染んでしまっている。
その痛みに私はきっと耐え切れない、影狼を無くすということは私が消えると言うこと。
これは単純に好きになるよりずっと厄介だ。
簡単に引き剥がそうにも傷みを伴い、目を背けようにもどこまでもついてくる。
誤魔化せていたつもりでいた、逃げ続けているつもりでいた。
なあ私、よく考えてみなよ。
数えきれないぐらいキスまでしておいて誤魔化せていた? 逃げ切れていた?
馬鹿げてる、そんなの子供すら騙せやしない、私はもうとっくにどうしようもなく影狼の事を好きになってる、認めるしか無いんだって。
そう、気付いてしまったから。
もう抗うことはやめようと思った。
ただあるべき形に収まるだけなのだ、多少の準備は必要だろうがおそらく私たちの関係はそう変わらない。
今まで通りに一緒に過ごして、その関係の名前が友人から恋人に変わるだけだ。

「で、結局のところ、発情期の時はどんな感じになるんだい」

そして話は本題に戻る。
話は逸れてしまったが、私の聞きたかったことは発情期に関することなんだ。
告白に関しては、すでに宣言してしまった以上は嫌でも明日までに考えなければならないのだから、今考えたってどうせ無駄になるだけだ。

「そうね、まあ、蛮奇ちゃんがそのつもりなら話してもいいのかな」

私たちの感情は、きっと共有されている。
私だって顔から火が出るぐらいまともな精神状態じゃないんだから、恥ずかしがり屋の影狼が平気でいられるわけがない。
影狼は私の顔を直視することが出来ないのか、わざとらしく視線を逸らしながら話を続ける。

「簡単に言えば、普段より気持ちが大胆になるって感じなのよ。
 気持ちが昂ってるって実感はあるんだけど、さして我慢をする必要もないわ、堪えればいつも通りの自分として生活出来るわけだし。
 だけどそれも、堪えられる状態ならって条件付き。
 姫や蛮奇ちゃんに関しては別ね、前回の時点でもうギリギリだったわ。
 気合入れて歯を食いしばって、胸の奥からふつふうつと湧き出てくる黒い欲望を力ずくで抑えこんで、ようやく我慢出来たの」
「具体的には?」
「容赦無いなあほんと、結構嫌な話だと思うけど、聞いても嫌いになったりしない?」
「その程度で嫌いになるんならとっくに私たちは離れ離れだ、嫌な部分も込みで惹かれたからずっと一緒に居るんだろう」
「そこまで言うなら仕方ないなあ、嬉しいから教えてあげる」

さっきまで視線を逸してたくせに、笑顔だけはしっかりこっちに向けてくるんだから卑怯だ。
今度は私が笑顔を直視出来ない、こんなの見てたらすぐに心臓がキャパシティ限界を超えて破裂する。

「発情期中の私はね、頭の中がいやらしいことでいっぱいなの、きっと二人が知らないような事をたくさん妄想してる。
 だから、本当は二人のこと襲いたくて仕方なかったのよ、すぐにでも服をひん剥いて滅茶苦茶にしたいってずっと思ってた。
 ううん、それだけじゃ足りない。とてもじゃないけど蛮奇ちゃんにだって言えないような事を沢山してあげたかった。
 頭の中では実際に何度も何度もそうして二人を壊して、想像するたびに体が熱くなってたまらなかったわ」
「いつもの影狼からは想像できないね」
「そう、きっと想像出来ないから二人には気づかれなかったのよ。
 私も誤魔化しきれてる自分が嫌で、ずっと自己嫌悪してたわ。
 ……どうかな、さすがに幻滅したでしょ。友達面しておきながら、実は裏でそんなこと考えてたなんて」
「幻滅するほど良いイメージを持たれていると思っていたのかい?」
「辛辣だあ、蛮奇ちゃんはもっと私に優しくするべきだと思うんだけどなー」

発情期は避けられない生理現象だ。
いくら野生の動物よりもその本能が弱っているとはいえ、衝動を抑えこむのは容易ではなかったはず。
それを私たちのために強引に抑えこんでくれていた。さぞストレスだったろうに、それを私たちに全く気取らせずに。
そこまでして私たちを守ろうとする影狼の意思が、たまらなく嬉しかった。

「これ以上優しくする必要なんて無いだろう、言っておくけど私は褒めたつもりだからね」
「褒め言葉に幻滅って言葉をチョイスするのは世界で蛮奇ちゃんだけだと思うよ」
「言っておくけど、さっきの話を聞かなくとも私は影狼の短所を数えきれないほど知っているからね。
 今更一つや二つ幻が消えた所で嫌いなどなるものか、それを含めて影狼なんだ、私はそんな影狼に惹かれたんだ。
 それに……私は嬉しかったよ」
「喜ばせるようなことを言った覚えは無いのに?」
「影狼は私と”そういうこと”をしたいと思ってくれた、それが嬉しかったんだ」
「……蛮奇ちゃん」

好きになると、それすら嬉しく思うことができる。
恋は精神的な繋がりだけじゃない、肉体的な繋がりを求める、無性に人肌が恋しくなる。
私たちが唇を重ねたのも、そういう欲求に逆らえなくなった結果だ。
ある種の独占欲でもあるのかもしれない、品のない言い方になるけれどマーキング行為とでも呼べばいいのだろうか。
本能的に、それを求めてしまうわけだ。

「発情期の私に今の台詞は絶対に言わないでね、きっと我慢できないから」

表情を見られたくないのか、影狼は顔を伏せている。
だが髪の隙間から見える耳が先まで真っ赤に染まっているのが見えて、その表情もだいたい想像できてしまった。
いつも影狼は私のことを可愛い可愛いと言うけれど、私だって本当は影狼に可愛いと言ってあげたい。
私に見せる仕草の数々が、どれだけ私の心を掴んできたか少しぐらい自覚しているのだろうか。
姫にしたってそうだ、本当なら私よりよっぽど可愛いくせに、そんな二人から可愛いと言われたって茶化されているようにしか聞こえない。

「実はさ、蛮奇ちゃんほど急ではないにしても、私も次の周期が来たら無理だろうなとは思ってたの。
 それまでに決着はつけなくちゃって」
「次はいつ頃に?」
「だいたい三ヶ月後ぐらいかな、だからまだ余裕はあると思ってたんだけど……」

影狼には発情期という弱点があるにも関わらず、私はそれよりも早く限界を迎えてしまった。
見てくれだけ格好つけたって、いずれはボロが出るものだ。
それが、今だった。
立派な誰かを目指しても、内に宿った自制心までは真似出来なかったのだ。

「そっか、明日かぁ」
「ごめん、急にこんなことを言われても影狼も困るよね」
「へ? いや、別に困るとかは無いかな……うん、むしろワクワクするっていうか、ドキドキするというか」
「嬉しいんだ?」
「そりゃもう、嬉しいに決まってるじゃない!
 お互いの気持ちはとっくにわかってるのにそれを言えないなんて、いつまでこんなもどかしい思いをしたらいいんだってずっとイライラしてたんだから。
 それに、蛮奇ちゃんが言い出さなかったらたぶん私、三ヶ月後に手遅れになるまでなあなあで済ませてたと思うの、だから……」

明日の事を想像してしまったのか、影狼は急に私から視線をそらし、うつむき加減になる。
赤らんだ顔は夕日のせいなのか、それとも本当に赤くなっているのか。
どちらにしたって、明日になれば全てわかる。
今まで言葉に出来なかったことも、伝えられなかった言葉も、全部。
そして私は逃げ道を無くす。友達という言い訳の言葉はその力を無くして、私たちは無理にでも次に進まなければならなくなる。

「明日、姫にも言うの?」

この先は分かれ道、そこで私と影狼は別れて別々の道を進まなければならない。

「まだわからない、姫の気持ちはまったくわからないままだし、影狼と”そう”なったからって一日や二日で結論を出す必要も無いだろうからね」
「そう……だよね。うん、私もそう思うわ、姫のことはもう少し考えてみないとわからないよね」

姫のことに関しては、わからないことが多すぎる。
私たちのことを深く考えたことが無いのだとしても、それはそれで厄介だ。
如何にして姫に恋心を自覚させるのか、それも私と影狼二人に同時に。
果たしてそんなことが出来るのか……確信を持ってから告白することしか出来ない、臆病な私たちにはハードルの高すぎる難題ではなかろうか。

「じゃあ、明日は楽しみにしてるから」
「ご期待に添えるよう努力してみるよ」
「がんばれっ」
「他人ごとみたいに言わないでくれよ、言っておくが影狼だって当事者なんだから」
「わかってるわかってる、こう見えても私、白目剥いちゃいそうなぐらいドキドキしてるから。
 これ以上蛮奇ちゃんと一緒に居たら死んじゃうかも」
「それは大変だ、早い所別れないとね」
「ええ、だから今日はそろそろお別れしないと。
 じゃあね、また明日」
「うん、また明日」

いつもなら「じゃあね」だけで済む別れの挨拶に、今日は珍しく「また明日」という言葉が付いてきた。
暗に明日が楽しみだと言ってくれていると受け取っていいのだろうか。

「……あ、そうだ」

分かれ道を少し進んでから、まだお互いの姿がはっきり見えるぐらいの距離で、影狼はふいに立ち止まった。
そして踵を返す、私に小走りで駆け寄ってくる。

「せっかくだし、あれやらない?」
「あれって?」
「お別れのキス。おはようは毎日してるのに、別れるときのキスはいつも無いでしょ?」

言われてみれば、確かに。
と言っても、そもそもおはようの口づけ自体が不自然な物なのだから、別れの口づけに正当性なんか無いのはずなのだが。
まあ、今日だけは影狼の口車に乗ってあげてもいいだろう。
気まぐれにしても我ながら珍しいものだ、勢いや気分で口づけをするのは好きではなかったはずなのに。
無言で歩み寄った私たちは、顔を寄せ合う。
少し身長の高い影狼が顔を傾けて、唇同士を触れさせた。
抱きあうこともなく、狂おしく求めることもなく、ただ唇を合わせるだけの口づけ。

「友達としての最後のキスってことになるのかしら」

人差し指で唇をなぞりながら、いたずらっぽい目で私の方を見てそう言った。

「それが言いたかっただけか」
「あれー、渾身の一言だと思ったのに。きゅんと来なかった?」
「……来たよ、嫌ってぐらい胸に来た」

調子に乗った影狼の思惑通り動かされるのは気に食わないが、認めざるをえない。
自制心に欠けた私が彼女の誘惑に抗えるはずがないのだ、なにせ自分が恋する相手なのだから。

「ふふ、作戦成功ってことね。さすが私、惚れ惚れするような完璧な作戦だったわ」

そういう天狗発言は、せめて自分の顔の赤みを取り除いてから言うべきだと私は思う。
平気で感情を制御出来る誰かより、隠そうとしても隠し切れない影狼の方がずっと魅力的だけど。

「じゃあ今度こそ、また明日ねっ」

恥ずかしさを誤魔化すように、影狼は再び分かれ道を向こう側に駆けていく。
途中、小石につまづきそうになりながらも、こちらを振り返る事なく走り続け――すぐにその姿は見えなくなった。





一人になると急に寂しさがこみ上げてくる。
笹の葉が揺れる、風の流れと共に遠くからざわざわと葉の擦れる音が押し寄せてくる。
そして私に目をくれることもなく通り過ぎて行く。
風の吹く先にはきっと影狼が居て、彼女も私と同じような寂しさを感じているに違いない。
いいや、影狼だけじゃない、姫だって同じように。
特に姫は寂しがり屋なイメージがある、私たちよりずっと強い寂寥さを感じているのだろう。
その根源にある感情が私たちと同じかどうかは知る所ではないが。

「……気づかないうちに、随分と変わってしまったんだなぁ」

ぽつりと口をついた言葉。
日々の変化は自分でも気づかないほどに微量で、月単位、年単位で比較して初めてその差異に気づく。
一年前の記憶を手繰り寄せ、あの頃の私たちを脳内で再生する。
表面上はあまり変わらない、私たち妖怪にとって一年などほんの些細な時間の経過だから、変わらないことこそが正しいあり方なのだろう。
それでも、内面は別物と言ってしまっていいほどに変わってしまっている。
あの頃は、こんな不安な気持ちになることは無かった、こんな苦しい思いをすることはなかった。
同時に、今ほど大きな幸せを得ることも無かった。

「姫、影狼……」

ただ名前を呼ぶだけで、私の感情は大きく揺れ動く。
この一年で何があったのか――まあきっかけは、間違いなく姫のあの気まぐれからなのだろう。
私たちが王子様になったあの日、”友人として”の口づけを求められたあの時。
知らなかった感触、見たことのない表情、あるはずのない感情。
全てがうかつで、何もかも未体験で、友人を名乗るのなら首を突っ込んではいけない領域だったのだろう。
私と影狼の二人だけなら絶対に越えようとはしなかった。
加減を知らない――あるいはわかった上でやっているのか、だとしたらとんだ策士なのだが――そんな姫だから、やらかしてしまったのだろう。
……ああ、やらかすと言えば。
私だってそうだ、姫と初めて口づけを交わした後にあんな血迷った提案をしなければ。





湖畔を後にした影狼と私、二人だけの帰り道。
ちょうど今日と似たようなシチュエーションだ、ふと思い出してしまうのも仕方無い。
姫の唇の感触を思い出しているのか、影狼は時折唇に指を当てながら、心ここにあらずと言った表情をしていた。
もちろん会話は無い、口づけをした直後なのだ、私たちがお互いに何をしたと言うわけではないのだが、気まずくって仕方無い。
影狼と二人で居る時はいつだって気楽だったのに、こんなに息苦しさを感じるのは初めてだった。
何か話を切りださなければ、と焦燥感に駆られながらも、思うように声を出すことが出来ない。
どんな話をしたって墓穴を掘ってしまいそうで、沈黙こそが最善なのではないかと囁く臆病な私が喉を塞いでしまっている。
思えば、この時の予感は予言と言っていいほどに的中していた。
会話など無くてよかったのに、無理して沈黙を破る必要なんてなかったんだ。
たまたま今日話さなかっただけで、明日になればまたいつも通りの私たちに戻っているはずだったのだから。

『影狼は……どんな気分になった?』

慎重に話題を選別しようと頭をフル回転させていたはずなのに、出てきた言葉がこれである。
血迷っているとしか思えない、地雷原を素足で全力疾走するようなものである。
だが一度話題に出してしまった以上、もう後戻りは出来ない。

『それ、聞いちゃうんだ』

ちょうどさっきの、発情期の話題を掘り下げた時と同じような、呆れ返った影狼の反応。
まずい、何を言っているんだ私、と今さら悔いても後の祭り、もはや逃げることはできなかった。
デリカシーが無いと繰り返し言われるのもしょうがない、どうやら私は追い詰められると最善手とは程遠い悪手を打ってしまうようだ。

『いや、えっと、ごめん、ちょっと頭が変になってるみたいだ、やっぱり今のは忘れてくれ』
『いいわよ、答えるから。
 その代わり蛮奇ちゃんも答えてよね、私だけ恥ずかしい思いするなんてイーブンじゃないもの』

思えば、影狼も私がどう感じたのか興味があったのかもしれない。
私たちだって年頃の娘だ、そういった行為に全く興味がないわけじゃない。
それに、姫との口づけはあくまできっかけでしかなかったわけで、元から好意を抱いていなければ今の私の様に友情以上の感情を抱くことなどなかったのだ。
だったら、私はこの時点で影狼に対しても友情以上の何かを、自分でも気づかない程に微かに抱いていたのだろう。
だから、好きな人が他の人と口づけした時にどう感じたのが気になったのだ。
今になって思えば、実は嫉妬だったのかもしれないが。

『なんて言えばいいのかしら、言葉で上手く表せる物じゃないんだけど、唇があまーい感触だったのよ。
 思わず体がぶるって震えちゃいそうな、感じたことの無い感触。
 寒い時にぶるってなるあれに似てるんだけど、同じものではないのよね、嫌な感じがしないと言うか、胸が暖かくなるっていうか』

すごく、わかる。
他人の口づけの感触なんて自分が理解できるはずないと思っていた、でも違う、私と影狼は同じ感触を味わっていた。
姫の唇を通して。
なんだかそれって、とてもイケナイことをしているような気がする。
いいや、気がするんじゃない、友達同士でこんな気持ちになる口づけなんて、イケナイことに決まってる。

『で、蛮奇ちゃんはどんな感じだったの?』
『影狼とだいたい一緒だよ』
『それはずるいわ、私はこんなに赤裸々に全てを語ったんだから、蛮奇ちゃんも恥ずかしい思いをしないとイーブンじゃないと思うんだけど』
『……甘かった、暖かかった、そんな感じだよ』
『私のパクリじゃない、もうちょっと独創性のある感想は無いのかしら』
『わかったよ……柔らかくて、気持よくて、まるで酔っ払った時みたいにくらくらした。
 あと、あの後から姫の事が前より可愛く見えるようになった』

どういうからくりなのか、姫の顔が変わったわけでもないのに、本当にそう思えてしまうのだから恐ろしい。

『やっぱり蛮奇ちゃんもそうだったんだ、まるで魔法にでもかかったみたいだよね、とても不思議な気分。
 でも、姫はたぶんあれを毎日やるつもりだよね、毎日って……いいのかな、私たち大丈夫なのかな』
『毎日あんなのを味合わされたんじゃ、まともで居られる気がしないね。
 なんとか姫を説得して止めたい所だけど』
『と言っても、一度やっちゃった物を今さら止めるなんて言っても、姫は聞いてくれないだろうし』

聞いてくれないというか、酷く悲しい顔をさせてしまうのは目に見えているので、そもそも姫に提案すら出来ないのが私たちなのだ。
一度許してしまった時点で、もう後戻りは出来ない。

『どうにかなっちゃうしかないのかな』
『諦めが肝心なんじゃないかな
『そうなるわよね、なにせ相手は姫なんだもの。
 私たちが姫を悲しませるような真似できるわけないわけだから』

自ずと結果は見えてくる。
これは勝負ですらない、試合が組まれた時点で不戦敗がすでに決定している不平等な力関係だ。
だったら、私たちにできることなんて一つしかない。

『……私、一個いい案を思いついたわ』
『奇遇だね影狼、私もちょうど案を思いついた所なんだ』

キスの感想も一致した私たちだ、案外この案も一致しているのかもしれない。
いや、案外でもないか。
私に選択肢が一つしか残されていないように、私と同じ立場である影狼にも選択肢は一つしか残されていないはずなのだから。
つまり、これは自動的に導き出される答えなのだ。

『『開き直る』』

二人の声が一致する。
以心伝心を実現した満足感に数秒だけ笑いあった後、私たちは盛大に溜息を吐いた。

『何事も諦めが肝心ってことね』
『諦めるしか選択肢が無いってのが情けない限りだけど、仕方ないか』

木々の隙間から見える空はこんなに晴れ渡っているのに、私たちの心はどんよりと曇り空。
次第に会話はなくなっていき、私たちのため息の回数はそろそろ片手の指で数えられない回数に突入しようとしていた。
良くない、これは良くない。
せっかく影狼と二人で歩いているのに、気まずい雰囲気なんて何だか損した気分だ。
口悪く罵ることはあるが、私は基本的に影狼のことを評価している。
評価なんて言葉を使うと偉そうに聞こえるが、要するに私は影狼の事を好いているわけだ。
自覚は無くとも、おそらく当時から友情以上の感情を抱いていたはず。
一緒に居ると気が休まる、何より楽しくて仕方ない。
そんな時間が、気まずい沈黙で流されてしまうのが嫌だったのだろう。
場の空気を変える何かが必要だった。
軽口でもいいし、気の利いたジョークでもいい、何にせよ二人でじゃれあって笑えるような一言が。
だが生憎当時の私は正常な思考力を欠いていて、厄介なことに自分でそれに気づいていなかった。
だから、あんなうかつな事を言ってしまったのだろう。

『ずいぶんと静かじゃないか、口づけのことでも思い出してたとか?』
『なっ、急に何を言い出すのかと思えば下らないことを、違うわよ』
『本当に違うのかい?』
『うっ……』

わかりやす過ぎる、そんな反応してたんじゃ全てを白状しているようなものだ。
これ以上追求を続けても影狼が可哀想になるだけだし、私の気の利いたジョークで場を和ませてやろう。
私は、本気でそんな風に考えていた。

『そんなに恋しいなら、私としてみるっていうのはどうかな?』
『……は?』
『だから、私と口づけでもしてみるかって言ってるんだよ。
 影狼は随分とあの感触にご執心みたいだからね、私とでも多少はその欲求不満を解消できるんじゃないかと思ってね』

無論、冗談である。
私の予想では、影狼は”ふざけるな”と言いながら憤慨するはず……だった。
見通しが甘かったと言うべきなのだろうか。
だがいつもの影狼なら間違いなく私の想像通りの反応を示したはずで、そうならなかったのは、おそらく影狼も私と同様に正常な思考力を欠いていたからなのだろう。

『私とキスするなんて……本気で言ってる?』

私の想像通りにことは運ばなかった。
可能な限り冗談めかして言ったつもりだったのに、影狼の顔はまったくそんな雰囲気ではない。
それも良いかもしれない、なんて考えてしまっている自分が心のどこかに居るのも否定出来なかった。
なにせ、姫との口づけに虜にされてしまったのは影狼だけではないのだから。
冗談のつもりで言った言葉も、実は無意識のうちに願望が外に漏れでてしまった結果なのだとすれば。

『……』
『……は、ははは、まさか本気だとでも思ったのかい? 冗談に決まって』

慣れない空気に惑わされたのか、舌が上手く回らない。
思考が言葉が結びつかない。

『いい、けど』
『な……っ』
『蛮奇ちゃんがするって言うんなら、構わないよ』

影狼は歩みを止める。
私も釣られてその場に立ち止まった。
これで、状況は整ってしまった。
止められるものなら止めてしまいたかったのに、私にはそんな勇気はない。
何より、下唇を軽く噛みながら服を握りしめ、うつむき加減で何かに耐えている影狼が、いつも以上に色めいて見えて。
恥ずかしさに、耐えているのだろうか。
いつもの私と軽口を叩き合う影狼はそこには居ない、まるで恋する乙女にでもなったかのようだ。
きっと目の錯覚だと思いたかったが、その時の私には影狼が貞淑で清楚な一輪の花に見えた。

『姫とだけするのは、不公平だもんね。』
『……うん』

思わず頷く。
何が”うん”だ、違う冗談だ無かったことにしてくれって言えば止められただろうに。
影狼からは罵倒されるだろうが、そんなの今に始まった話じゃない、いつものことだ。
だったら、なぜ、どうして、私はそうしなかったのか、そうできなかったのか。

歩み寄る間、言葉はなかった。
さっきと同じ沈黙のはずなのに、不思議と気まずさは感じない。
甘ったるい空気とはこういう事を言うのだろう。
味覚では感じない、肌で感じ取る甘さがあった。
影狼の肩に手を置く。
手のひらが肩に触れると、彼女の体がぴくりと震えた。
らしくなく、緊張しているらしい。
私の手も震えているから人のことは言えない、呼吸が震えるほどに精神がぴんと張り詰めている。
姫の時とは、また違った雰囲気。
姫と王子ではない、私たちはただの友達だ、だから本来なら口づけなんて必要ないはずだ。
それなのに、私たちの唇は磁石のように引き寄せられていく。
少しだけ背伸びして、首を上に傾けて、私たちは近づいていく。
止まらない。
止まれ止まれ、今ならまだ冗談で済む、理性はそう叫んでいるのに、私の体を支配しているのは本能だ、弱い意志は本能には逆らえない。
私は、ヒーローなんかじゃないから。

『ぁ……』

影狼の唇から、小さく声が漏れた。
躊躇いはあった。
でもそんなの今更だ、絶叫する理性を無視して私は唇を押し付けた。
乾き気味の唇が剥がれる感触すら覚えている。
その瞬間、私たちの関係は崩れた。
友達という言葉は言い訳に成り下がった。
どうせいずれはそうなる定めだったのだとしても、急ぎすぎなのは否めない。
それから私たちは、駆け足で追いかけっこでもするかのようにお互いを追い詰め合っていった。





私の心の混沌と、影狼の心の混沌は、きっと同じ色をしている。
性格は似ていないが、私たちはしばしば共感する。
心地よさの正体はきっとそれだ、自然体で相手のことを理解している、必要以上に考える必要がない、そんなの楽に決まっている。
場合によっては、私たちは最高の親友になり得たのかもしれない。
そうならなかったのは、私たちの共通の友人として姫という存在が居たからこそだろう。
私たちは平等でなくてはならない。
姫も大事だし、影狼も大事だ、言うまでもなく。
それをいつまでも維持するためには、天秤が傾かないことが必要だった。
故にどちらか一方が重さを増したのなら、分銅を追加してもう一方とのバランスを取る必要がある。
繋がりの深さで言えば、親友としても恋人としても十分すぎるほどだったのだろう。
影狼との口づけも、おそらく必然だった。
あれがなければ、私たちの関係は姫の側に偏って傾いてしまっていただろうから。

影狼との一度目の口づけを思い出しているうちに、いつの間にか私は森を抜けていた。
森を抜け街道を過ぎるとすぐに人里が見えてくる。
本来なら迂回して人気の少ない道を選んで家に戻るべきなのだろうが、タイミング悪く買い物の用事があり、通らないわけにもいかなかった。
なるべく道の端を歩くようにしているのは、私なりの対策のつもりだ。
余計に目立っている気がしないでもないが、今の所は誰かに話しかけられる事も無いので成功と言えるだろう。

「おや、おやおやおや」

と思ったのだが、世の中そう甘くはない。
わざとらしく、大きめの声で、私に向かって何やらしゃべりだす二人組。

「見て下さいよ慧音先生、私の見間違えでなければ、あれは巷で噂の赤蛮奇さんではないでしょうか」
「そうだな阿求、まさかとは思ったがよもやこんな所で渦中の人物に会えるとは、これは何やら運命めいた物を感じるな」
「同感です、これはきっと根掘り葉掘り聞きなさいという山の上あたりに居る神様からのお告げに違いありません」
「なるほど確かに一理ある、神様からのお告げとなれば聞かないわけにはいくまい」

とにかく回りくどかった。
おそらく好奇心だけで絡む野次馬ではないということをアピールしたかったのだろうが、完全に裏目に出ている。
どこからどう見ても、完全無欠の野次馬である。
それも一番厄介なタイプの。

「と言う訳で赤蛮奇さん、ごきげんいかがですか?」
「阿求さん、わざわざそんな回りくどい言い方をする必要はないと思うんだが」
「そうは言われましても」
「いつもとは状況が違うからなあ」
「慧音さんも、先生なら先生らしく堂々と話しかけるべきだ、あんな血迷ったゴシップ記事に騙されずにね」
「耳が痛いな」

稗田阿求と上白沢慧音、この二人と私は全くの初対面というわけではない。
すれ違った時に世間話をする程度の仲ではある。
人里で生活をしている以上、妖怪とは言え人間との繋がりもある程度は無ければ生きていけないのだ。
とは言え、この二人をまっとうな人間と呼ぶには少々特殊すぎるような気もするが。
まあ、少なくとも博麗の巫女よりは人間らしいので、人間と言い切ってしまっても差支えはないだろう。

「聞きたいことはわかってる、記事のこと……つまり影狼と姫についてだろう?」
「鋭いですね」
「あれだけわざとらしく話してたくせによく言えたものだ」
「伊達に御阿礼の子なんて酔狂な役割は担ってませんから、面の皮の厚さには自信があるんです」

そんなことで胸を張られてもどんな顔をしたらいいのやら。
ついでに何故か隣で慧音さんまで胸を張っているし、どうやらこの二人、本当に仲がいいらしい。

「どうやら赤蛮奇さんもわかっているようですし、それなら話は早いですね。
 実際の所はどうなんです? お姫様は赤蛮奇さんと影狼さんのどちらを選びそうなんですか?」

どこからともなく筆と紙を取り出し、私にずいと詰め寄ってくる。
隠し撮りをしたあの天狗よりも記者らしい振る舞いだ、決して褒められる物ではないのだが、多少は射命丸文にも見習って欲しい。

「安心してくれ、私たちの口は石より堅いからな、絶対に他人に言うような真似はしない」
「そうです、せいぜい小鈴ぐらいにしかチクらないので教えて下さい」

慧音さんのフォローを直後に即否定するとは、さすがに面の皮が厚いと自称するだけはある。
はぐらかして逃げるのは簡単だが、はて今の私にその必要があるのだろうか。
どうせ明日には影狼に告白するのだ、部外者である彼女たちにとっては今日も明日も大した差ではないはず。
つまり私たちには何もないのだと、今日遭遇した他の野次馬たちと同様に適当な返事をしてしまった場合、私は嘘つきのレッテルを貼られてしまうのではないだろうか。
彼女たちがそんな悪辣な振る舞いをしないことは私だってわかっている、だが心の中でどう思うかはまた別の問題だ。
ご近所付き合いもある、それに自分を追い詰めるという意味でも、全てとは言わないが大部分を話してしまってもいいのではないだろうか。
言いふらされる可能性もあるわけだが、面の皮が厚いからと言って不義理とは限らない。
小鈴さんだって知らない相手ではないし、別に聞かれたって構いやしないだろう。

「わかった、話せる範囲でなら話すよ」
「えーっ、本当ですか!? あの噂のスキャンダルを舐め回すように全部聞いちゃえるんですか!?
 やだ私ってばついてるぅっ、ちょうど気になって気になって夜も悶々として眠れないような気がしてた所なんですよー!」

いざ話を始めようとした途端、酷く騒がしい黄色い声が割り込んでくる。

「もー、阿求だけでこんな素敵な話聞こうだなんてお天道様が許さないに決まってるじゃない、なんで教えてくれなかったのよ」
「私たちだってついさっき赤蛮奇さんに会ったばっかりなのよ、後で話してあげるつもりだったの」
「本当に? 阿求ってばたまーに……いや、たまにじゃないな、頻繁に私にイジワルしてくるんだから、知ってる事だけ仄めかして教えてくれないんじゃないかと思ってた」
「あんたの中での私は一体どんな存在になってるのよ、全力で優しくしてるつもりなんだけど」
「そんなの、神様仏様阿求様に決まってるわ。ありがたやありがたや」
「……何か増えてるんだが」

いつの間に現れたのやら、招かれざる客人は阿求と肩を寄り添わせながら、神様に拝むように頭を垂れながら手をすり合わせていた。
さきほどの阿求さんとの会話にも出てきていたが、彼女こそが本居小鈴、人里で貸本屋を営むごく普通の少女である。
なぜ彼女が幻想郷にとって特別な存在である博麗の巫女や御阿礼の子と交流を持っているのか、知らないだけで本当は彼女も特別な何かを持っているのかもしれないが、私が知る所ではない。
私が知っている情報と言えば、阿求さんとは友人と呼ぶべき親しい間柄であると言う事ぐらい。
おそらく彼女たちはお互いに最も親しい友人であり、私で言うところの姫や影狼にあたる存在なのだろう。
もちろん私たちのように怪しげな間柄ではない、はずだ。
深い付き合いがある相手ではないのだ、そのあたりの事情までは良く知らない。

「どうやら私たちの話を物陰で聞いていたらしい、どうせ阿求が後で話すつもりだったんだ、その当人が増えた所で何の問題も無いだろう?
 さあさあ、話の続きを聞かせておくれ」

二人の会話にすっかり置いてけぼりにされた慧音さんだったが、そんなことお構いなしに私に詰め寄ってくる。
普段は寺小屋の先生として教鞭を振るっており、子供だけでなく大人からも慕われる頼れる女性だったはずなのだが、存外に噂話には弱いらしい。
目を煌々と輝かせながら私に詰め寄るその姿は、まさに子供そのもの。
なるほど、彼女にファンが多い理由もよくわかる。そのギャップがたまらないという事なのだろう。
いつの間にか阿求さんと小鈴さんの会話も終わり、慧音さんほどでは無いものの二人も目を輝かせて私が話し始めるのを待っている。
ここまで心待ちにされると逆に話しづらい、かと言って今更やめることなど出来る雰囲気では無いのだが。

「まず聞いておきたいんだが、三人は私たちをどういう関係だと思っているんだい?」

嫌な予感はするが、念のため聞いておく。
妙な偏見やあらぬ誤解を持たれているとしたら、まずはそれを拭い去ることからはじめなければならない。

「一見してお姫様と影狼さんがお付き合いしているように見せかけておいて、裏で赤蛮奇さんがお姫様を寝取っている関係だと私は嬉しいです」
「愛憎と金と女体が入り乱れる禁断の関係なんてどうでしょう、最近読んだ本にそんな感じの内容のがありましたよ!
 話によるとわかさぎ姫さんの体ってなかなかすごいらしいじゃないですか、二人の獣が色香に惑わされ爛れた関係に溺れていく……素敵だと思いませんか?」
「そうだな、三人は実は生き別れの姉妹で、禁じられた想いに翻弄されつつも真摯に真実の愛を探求する、そういうのが私は好みだ」

好き放題である。
まさかここまで偏見と誤解しかない返答を貰えるとは、期待以上と言うか、以下と言うべきか。
嬉しいとか好みとか、挙句の果てには最近読んだ本にあったとか、この三人は一体私たちに何を求めているんだ。
もしこの三人が特別な思考の持ち主ではなく、人里の野次馬共の平均的な思考だとするのなら、事態は私たちが思っている以上に厄介なのかもしれない。
だが、人々が必要以上に興味を持つ気持ちもよくわかる。
何が彼女たちを爛れた妄想に走らせるのか、それは異変も起きず刺激の足りない幻想郷に対するストレスに他ならない。
私たちは、それを発散するのにちょうどいい標的だったわけだ、間が悪すぎた。

「あ、安心してください、さすがに私たちも本気でそうは思ってませんから」
「そう言ってもらえると安心して話せるよ」

とは言いつつも、心のどこかではそういったスキャンダルを期待していたに違いない。
それに阿求さんに関しては冗談だったのかもしれないが、他の二人がどう思っていたのかはわからないし。
特に小鈴さん、私に聞こえないように言っているつもりかもしれないけど、「えっ、阿求ってば本気で言ってたんじゃなかったの?」と言う声が丸聞こえだ。
まあいい、脱線はここまでにしておいて話を始めることにしよう。

「まず結論として、私たちはまだ普通の友達だ、それ以上でもそれ以下でもない」
「キスをしているのにか?」
「”まだ”って言い方も気になりますね」
「その辺りも説明を聞いてもらえれば理解していると思うよ、たぶんね」

姫だの王子様だの、説明した所で本当に相手に理解してもらえるかどうか疑わしいものだ。

「記事に載っていた通り、私と姫は日常的に口づけを交わしていてね、あれは云わば挨拶のようなものなんだ」
「もう一人の、影狼さんとお姫様のキスシーンもばっちり写ってましたよね?」
「その通りだよ、まずは私たちと姫の関係から説明しよう」

私と影狼、そして姫――要するに姫と王子様の関係性を三人に説明した。
私とて姫の考えを完全に理解しているわけではない、話すのはあくまで私の見解だ。
しかし、案の定と言うべきか、三人の頭の上には疑問符が浮かんでいる。
そりゃそうだ、私にだって完全に理解できたわけではないのだから。
理解しようなんて考えがそもそも間違っている可能性がある、それは姫と王子という概念の話だ、明確な理由があるわけではなく”それっぽいから”という理由だけの可能性だってあるのだから。

「私には理解出来ない話だが……その、姫と王子だからという理由だけで友人同士でキスなどするものなのか?」
「そのあたりは姫に聞かないとわからないな」
「でもでも、お二人は二つ返事で受け入れたんですよね? ってことはつまり、その気はあったってことなんじゃないですか?」
「小鈴さんの言う通り、私と影狼は姫の事を好いている。
 いや……正確には好きになってしまったわけだ、少なくとも姫から王子様になってくれと言われた時点では自分たちの気持ちを自覚はしていなかった」
「それってまさか噂に聞く三角関係というやつでは!?」
「ああ、その通りだ」
「ずいぶんとあっさり認めるんですね」
「ここまで記事が広まってしまったんだ、これ以上誤魔化した所でむしろ変な誤解を招くだけだと思ってね」

現に、ここに居る三人は恋愛小説でも中々見ないような妄想を展開していた。
井戸端会議の情報発信力はなかなか侮れない、下手すればあれが事実として里中に広がってしまう可能性だってある。
私たちがはっきりと関係を明言しない限り、妄想は広がる一方だろう。
ならいっそ、明言して理解してもらった方が私としてもやりやすい。

「だが先程の言い方では、まだ告白したというわけではなさそうだな。やはり影狼に配慮して?」
「確かにそれもある。
 けど一番の理由は、私と影狼が相思相愛だからかな」
「……ん?」

再び三人の頭の上には疑問符が。

「すまない、状況がよく理解できないのだが、二人ともわかさぎ姫の事を好いているのだろう?」
「そうだね」
「で、お前と影狼が相思相愛だと?」
「その通り」
「ややや、これは話の展開が怪しくなってきましたね」
「なんであんたは楽しそうなのよ」
「これで血沸き肉踊らないなんて嘘よ、阿求だって本当は楽しんでるくせに」
「大人はこういう時、本心を隠して話を聞くものなのよ。小鈴はもっとポーカーフェイスを学ぶべきね」

実際中身は大人なのかもしれないが、小鈴さんと話している時の阿求さんは歳相応と言うか、同じ年の少女同士にしか見えない。
そういう意味では小鈴さんは貴重な友人なのかもしれない。

「やっぱ阿求も楽しんでるんじゃない、変な所で大人ぶっちゃってさー」

こじれた人間関係こそ、野次馬の望むような展開だ、それが彼女たちを喜ばせる事になるのは想像の範疇である。
ただし、私たちの関係には望まれるような歪みや愛憎はない、全方位に好意を向けること誰も否定しないからだ。

「新聞には載っていなかったが、私と影狼も日常的に口づけを交わしていたんだ」
「うわ、爆弾発言! 聞きましたか奥さん?」
「誰が奥さんよ。
 驚きました、そのことをお姫様は知っているんですか?」
「いいや、知らないね。
 姫と一緒に居たいと言うのが私たちの共通の望みでもあったから」
「隠してたんだ、つまりは後ろめたいって気持ちはあるってことですよねー」
「あった、のかもしれないね。新聞に私と影狼の写真が載ってなかったのは不幸中の幸いだった」
「わかさぎ姫さんにバレたら変な空気になっちゃいますよ、きっと」

変な空気になるのも嫌だったし、姫が何の反応も示さないのならそれはそれで嫌だ。
好意の真逆は無関心、怒りはそれに入れ込んでいるからこそ発生する感情なのだから。

「それが嫌だったからこそ、私たちはお互いの気持ちを知りながらそれを伝えることは無かった。
 口づけをしておいて何が友達だって思うかもしれないが、私たちは友達のつもりだったんだよ」
「赤蛮奇さんと影狼さんがお互いに相思相愛ということはわかりましたし、お二人がお姫様に好意を寄せている事もわかりました。
 ですけど結局はどうしたいんです? どうなりたいんです?
 三人がそれぞれ二者択一で選んでしまえば最悪全員がすれ違うなんてことにもなりかねませんよね」

阿求さんは理解が早くて助かる。
私たちが最も望まない結末はそれだ、全員がどちらかを選ぶ必要があるというのなら、私たちは全員が噛み合わない選択肢を選んでしまう可能性がある。
いや、それはまだマシなのかもしれない、少なくとも私たち三人の関係は平等であり続けるのだから。
最悪なのは、私たちが二人と一人に分断されてしまう結末だ。
それだけは何としても避けなければならない。

「理解してもらえるかわからないし、理解してもらおうとも思わない、ただ事実として――私たち三人はずっと一緒に居たいと願っている、それが一番重要な事なんだ」
「どういう形でも、と言うことですか?」
「そう、友達だろうが恋人だろうが何でもいい、一緒に過ごす時間が一番幸せだから。
 私がうかつに告白しようとしなかったのはそういう理由があったからなんだ。
 友情より愛欲の方がずっと脆いからね、だから自分たちの感情が抑えられる間は友達で居ることにしたのさ」
「なるほど、無理をして関係を壊すよりは、感情を押し殺してでも一緒に過ごす方を選んだわけか。
 だがいつまでもそれを続けられるわけじゃないだろう?
 私にも覚えがある、限界まで膨らんだ恋愛感情はそう簡単に御する事は出来ないからな」

何気に慧音さんも爆弾発言、一体相手は誰なんだか。
いや、相手はわかりきっているのだが、まさかそこまではっきりと恋愛感情を自覚していたとは。
阿求さんも小鈴さんも驚いた表情で慧音さんの方を見ているが、彼女はそれに気づいていない。
今は関心が私に向いているからいいものの、話が終われば慧音さんが質問攻めに合うに違いない。
野次馬された腹いせに私も参加してやろうか、彼女も少しは痛い目を見ないと平等じゃない。

「滅多に顔を合わせることのない相手ならまだしも、毎日会う相手への恋愛感情は会う度に膨らんでいく一方なはずだ。
 仮にお前が我慢出来たとしても、先に影狼が限界を迎えるかもしれない」

むしろ逆だ、限界を迎えたのは私の方。

「慧音の言う通り、私はもうこれ以上我慢するのは無理だと判断した。
 だから、私は明日にでも影狼に告白しようと思ってる」
「明日ですか!? また随分と突然な」

小鈴さんが驚くのも仕方無い、なにせ実は私自身も驚いているぐらいなのだから。
よくもまあ勢いに任せてあそこまで大胆な事を言えたものだ、普段からあの大胆さがあれば影狼を手玉に取ることだって出来るだろうに。

「影狼にも同じことを言われたよ、でも思い立ったが吉日って言葉もあるぐらいだしね、決意が揺らぐ前にけじめを付けるべきだと判断した」
「……影狼さんに言ったんですか?」
「ああ、明日告白するからよろしくってね」
「それもう告白したようなものなんじゃ……」
「お互いに気持ちは知っていたんだ、今更だろう?」

私はへたれだから、こうして自分を追い詰めなければ明日にでも日和ってしまうかもしれない。
もちろん、そんなことを影狼の前以外で言うわけが無いのだが。
こう見えても私は冷静なキャラで通っているのだ、少なくともそこまで深い付き合いの無い人里の人間たちにはそう思われているはず。

「これからの私たちの関係がどうなるかはわからないが、現状は説明した通りだよ。
 いまの所は君たちが望むようなギスギスもドロドロも無いし、私の予定じゃこれからも無いつもりで居る」
「た、確かにドロドロはしてないけど、十分に常識を逸している気がするんだけど……ねえ阿求」
「何で私に振るのよ」
「突っ込み辛い話題は阿求に振れば九割は処理してくれるって私の経験が告げているの。
 阿求は私と違って大人なんでしょう? こういう時に華麗にフォローしてみせるのが理想的な大人だと思うわ」
「都合の良い時だけ大人扱いして……まあいいわ、小鈴の相手をしてたら日が暮れたって話が進まないもの。
 ところで、赤蛮奇さんはどうしてそれを私たちに話そうと思ったんです?
 私たちに話した所で赤蛮奇さんに利益があるわけでもない、むしろ噂が広まって三人の時間を邪魔される可能性だってあるわけですよね」

影狼に宣言するだけでは足りない、私のことをへたれへたれと言うくせに影狼だって大した小心者なのだから、二人同時に日和って告白がお流れになるという可能性も全く無いわけではないのだ。
さらに自分を追い詰める必要があった。
当人同士の約束ではなく、第三者に洗いざらい話してしまうことによって、さらに逃げ場を無くしたかったのだ。

「話を聞かせる代わりに、何か対価を要求しようとしてるんじゃないですか?」
「さすがに鋭いね、確かにそのつもりだったよ」

阿求さんは私のことを警戒しているようにも見える。
とは言え警戒されるような望みではないのだが、単純に私たちだけでは知識不足だからそれを補ってもらおうと考えただけの話。

「大した話じゃない、私たちと姫の関係について相談に乗って欲しいだけなんだ。
 彼女は掴みどころが無いと言うか、ずっと一緒に居ても何を考えているのか理解できない事がある。
 いや、もしかしたら何も考えて居なくて、私たちが見ている姫こそが姫の全てなのかもしれない、でも私たちにはそれを確認する術がない。
 だから確かめたい、姫が私たちのことをどう思っているのか」
「告白しちゃえばいいんじゃないの?」
「そう簡単に行けば苦労はしないさ」
「小鈴、話を聞いていなかったの? 告白したら関係が崩れてしまうかもしれないって言ってたじゃない」
「そうかなあ、友達同士ならおふざけで済ませたらいいだけだと思うんだけど」

そう器用に誤魔化せる物だろうか。
もし姫が私たちのどちらか一方に好意を寄せているのなら、告白した時点で無かったことには出来ないはずだ。
ふざけて終わりと言うことは、つまり私たちのどちらにも気がないと言うことで、それはそれで残酷な結末である。

「小鈴、いいかしら」

阿求さんは改まって小鈴さんの方に向き直すと、おもむろに両手で肩を掴んだ。
突然の出来事に戸惑う小鈴さん。
もちろん戸惑っているのは彼女だけでなく、慧音さんも不思議そうに二人の脈絡のないやり取りを見ている。

「な、何? 急にどうしたの?」
「ずっと前から貴女の事が好きだったの、愛しているわ」
「……へ?」

阿求さんから小鈴さんへ、唐突な告白。
何で急に告白なんて? 確かにそういう話はしていたけれど、あくまで私たちと姫の話であって、二人は関係なかったはずだ。
あまりにハイスピードで理解の及ばない展開に戸惑う私。
戸惑っているのはおそらく私だけではないはずだ、いくら二人の恩師とは言え慧音さんだって混乱しているはず。
そう思って彼女の方を見てみると、なぜか満足気に「うんうん」と頷いている。
この人もやっぱり理解できない――案外、私と影狼が例外なだけで、本当は他人なんて全く理解の出来ない物なのかもしれない。

「ふふ、いつも傍で見ているのに、ここまで近づかないとわからないこともあるのね」
「あ、あの、あきゅ…阿求……?」
「絹のようにきめの細かい肌……うらやましいわ。
 ぱっちりしたお目目も可愛いわね、まつげがこんなに長いなんて知らなかった。
 吸い込まれてしまいそう」
「まま、ま、待って、待ってよっ、何、何なのこの展開っ? どうなってるのっ!?」

小鈴さんの頬を擦りながら、鼻の先がくっつきそうな程の至近距離で甘い言葉を囁く阿求さん。
その口元が意地悪く歪んでいることに普段の小鈴さんなら気づけただろうに、あまりに突然すぎる事態に冷静さを失っている彼女には気づけない。

「慧音先生、元生徒が怪しげな関係になろうとしているのに、ただ見ているだけでいいのかい?」
「何、二人とも昔から何も変わっちゃいないからな、あれでいつも通りなんだ」
「……仲が良いんだね」

少々良すぎるほどに。

「ごめんね小鈴、私……もう我慢出来ないみたいなの」
「何をっ!?」
「目、閉じて」
「へ、えっと、それって、つまり……」
「ほら、私だって恥ずかしいんだから早くしてよ」
「……う、うん」

言われるがまま、小鈴さんは目を閉じる。
阿求さんはその表情をもう隠そうともしなかった、小鈴さんが見ていないのを良いことに声を押し殺しながら肩を震わせて笑っている。

「言われるがままに目を閉じたけど、もし阿求さんが本気だったらどうするつもりなんだろうね」
「それはそのままやってしまうんじゃないか、反応を見てる限り小鈴もまんざらじゃないみたいだからな」
「本当にあの二人は大丈夫なんだろうね」
「ははは、この場で最も大丈夫じゃない奴に言われるとはあの二人も心外だろうな。
 少なくともお前たちほど危うくはないぞ、阿求も自分の立場をわかった上でやってるんだからな」

だからこそ危ういんじゃないか――そう言おうと思ったが、事情を深く知らない私がこれ以上深く入れ込んでも無意味だと思い止めることにした。
御阿礼の子は普通の人間より著しく寿命が短いと聞く、二人の別れはそう遠くない未来にやってくるのだろう。
それに彼女には人間として普通に生きる事を捨ててでも完遂しなければならない役目がある。
二人が互いにとって唯一と言っても良いほどの親友なのだとするのなら、果たしてその役目による別れをあっさりを受け入れられるのだろうか。
すでに慣れている阿求さんは平気な顔をして別れを受け入れるだろうが、小鈴さんはまた別だ。
私には彼女がそこまで聞き分けのいい性格をしているとは思えない。

「ふっ、ふふふ、あっはははははっ、もうっ、小鈴ったら何本気にしてるのよ!」
「え、えっ?」
「まさか本当にここまで信じるとは、思わなかったわよ、もうっ」
「なっ――阿求、また私を騙したのねっ!?」
「”告白してもおふざけで済ませたらいい”ってあんたが言ったんじゃない。
 どうかしら、これでそんなに簡単なことじゃないってわかったでしょう?」
「うっ……」

阿求さんは実に楽しそうに小鈴さんを弄っている。
彼女の顔もほんのり赤くなっているのは、まあ見なかったことにしてあげよう。
二人の未来は二人で決めることなのだから。
……人に相談してる私が言うのもどうかとは思うけど、二人が相談してきたのならその時は協力すればいい。

「正直に言わせてもらえば」

阿求さんと小鈴さんのやり取りが一段落した所で、慧音さんが場を仕切りなおす。
このままでは本来の目的を忘れられてしまいそうだったからこれは助かる、私の相談が無かったことにされるなんてたまったもんじゃない。

「私たちは恋愛経験が豊富なわけじゃない、だから相談に乗ってくれと言われてもこれが正解かどうかはわからない。
 それを踏まえた上で聞いて欲しいんだが、少なくとも私はしばらく様子見をするべきだと思うぞ。
 わかさぎ姫にその気があったとしても作戦を練る時間は必要だろう、その気が無かったとするのならその気になるように作戦を練ればいい」
「作戦とは、例えばどんな?」
「それはお前たちが考えるんだ、どうやってわかさぎ姫を口説き落とすかをな。
 すでに唇は許してくれているんだ、全く好意が無いと言うことはありえないだろうから、言うほど難しいことではないと思うぞ」

口説き落とすと来たか。
確かに姫が私たちに恋愛感情を抱いてくれていないのなら、そうするしかない。
そのためにも一旦様子を見る、姫の気持ちを理解する所から始める。
なるほど理に叶っている。

「私も慧音さんと同じ意見です、長い時間をかけて築いてきた関係なんですから、慌てなくてもそう簡単に壊れたりはしませんよ」
「たった今、私との友情をぶち壊しにしようとしたくせに」
「あら、それぐらいで壊れる関係だったの?」
「本気で絶交してやろうと思ってたの! 私は大人だから我慢してあげたけど」

阿求さんのことを大人と言ってみたり自分を大人と呼んでみたり忙しい子だ。
ちょうど大人に憧れる年頃なのかもしれない。

「私の意見なんだけど、赤蛮奇さんも影狼さんもちょっと弱腰すぎると思うのよ。
 姫なんて言われるぐらいなんだから、相手は可愛い人なんでしょ? 二人がぼーっとしてる間に他の誰かに奪われたらどうするつもりなの」

そんなことは考えたことが無かった。
少なくとも私たちと一緒に居る時は他の誰かが乱入してくるなんてことは無かったから、姫が他の誰かと関係を持つなんて。
確かに姫は可愛い、私や影狼の目にはフィルターがかかっているだろうから必要以上に可愛く見えている可能性はある、でもそれを差し引いてもかなり可愛い。
姫の名前に負けないほどに。
でも、他の誰かと……なんて。
ああだめだ想像してたら無性に不安になってきた、これが独占欲という奴なんだろうか。

「不安になってきたんでしょう?
 だったらいっそ襲っちゃえばいいのよ、既成事実を作れば逆らえなくなるって――痛っ!? 何よ、なんでいきなり叩くのよー」

小鈴さんの脳天に容赦なく拳が落ちてくる。
彼女は頭をさすりながら、犯人である阿求さんを睨みつけた。

「あんたがふざけたこと言ってるからよ。
 ごめんなさい赤蛮奇さん、この子はたまに頭が残念になるんです、さっきの言葉は気にしないでください」
「頭が残念って何よ、これでもそこらの一般人よりは博識なつもりよ」
「”たまに”って付けただけマシだと思いなさい、あんたの知識は偏りすぎてるの」

小鈴さんは貸本屋を営んでいるらしいが、店には大量の妖魔本が眠っているという噂を聞いたことがある。
彼女がそういった本に興味を持って集めているのだとしたら、知識が偏るのも仕方のない話だ。
しかし恋愛絡みの知識が妖魔本に沢山書かれているとは思えないし、全く別の……例えば外の世界の小説だとか、そういった物も嗜んでいるのかもしれない。
阿求さんは襲ってしまえばいいと言う意見を即座に否定したが、実は私も全く考えなかったわけじゃない。
本気で頼み込めば、そういう関係になるのも無理な話ではないと、そう思ったのだ。
あまりに情けないのですぐに却下したが、もしも影狼の次の発情期がやってきて我慢ができなくなってしまったのなら、そういう結末もあったのだろうか。

「相談に乗ってくれてありがとう、色々と参考になったよ」
「ほとんど阿求と小鈴の漫才披露会になってしまったがね、満足してくれたのなら幸いだよ」
「漫才なんてとんでもない、私は小鈴のボケに逐一突っ込んでただけです」
「だからそれが漫才だと言っているんだ」

漫才と言うより、二人の仲の良さを見せつけられただけのような気もするが。
それを言ってしまうと、阿求さんから照れ隠しついでに辛辣な言葉が飛んできそうなので口を噤む。

「次の新聞の一面に、三人の幸せな姿が写ってるのを期待してますから」
「そうなるように頑張ってみるよ」
「はい、頑張ってください。
 二人のアドバイス通りに慎重に動くのもいいですけど、たまには襲っちゃうぐらいの大胆さも必要ですからね」
「はいはい、小鈴の言葉は適当に聞き流しておいてくださいねー」
「なによ、阿求だって恋愛経験ほとんど無いくせに」
「誰が無いなんて言ったのよ」
「あるの?」
「ええ、あるわよ。これだけ長く生きてればね」
「ふーん……そっか、あるんだ」

二人の間に微妙な空気が漂う。

「やはり私にはあの二人が大丈夫なようには見えないんだが」
「……まあ、なるようになるんじゃないか、たぶん」

慧音さんもさすがに否定できなくなってきたのか、言葉端を濁す。
そういえば彼女も途中で意味深な発言をしていたんだっけ、私にも経験があるとか何とか。
阿求さんと小鈴さんはすっかり忘れて、悪い意味で二人の世界に入りこんでしまっているようなので、代わりに私が言っておこう。

「そういえば、慧音さんにも好きな人っているのかい?」
「ん?」
「途中で自分にも気持ちを抑えられなくなった覚えがある、みたいなことを言ってたような気がしてね」
「……」
「慧音さん?」
「……いや、それはだな」

随分と話しにくそうにしている。
自分から言い出したくせに、あるいはあの発言はうっかりだったという事なのだろうか。
言いづらい内容と言うことは、相手が私たちも知っている誰かと言うこと。
慧音さんが親しくしている相手として真っ先に浮かんでくる人なんて一人しか居ない。

「も」
「っ!?」

わかりやすすぎませんか、慧音さん。

「いや、もういい、だいたい察したよ」
「私は何も言ってないぞ! ただ”も”と言っただけで私の何がわかると言うんだ」
「共通の知り合いで、名前の最初に”も”が付く人って他に誰か居たかな」
「も……も、もり……そう、駄菓子屋の斜向かいに住んでる森さんだっ、そう、私は森さんだと思ってだな!」
「森さんって妻子が居たはずだよね」
「……」
「教師が妻子持ちの旦那さんと不倫……」
「すまなかった、全部白状するから許してくれ」

ほぼ自滅だというのに、平謝りされるとなぜか罪悪感が沸いてくる。
もはや白状されるまでもなく慧音さんが想いを寄せている相手は明白なのだが、せっかくなので本人の口から聞くことにしよう。

「相手は、もうわかってる通り妹紅だ」
「やっぱり」
「やっぱりなのか……」
「人里に住んでれば誰でも知ってるよ」
「そうだったんだな……いや、そうなのかもしれないな。
 知っての通り、普段は私が保護者面して世話を焼いているように見えるかもしれない。
 だが、あれも本当は下心なんだよ。
 満月の夜なんかになると、自分を抑えきれなくなる。ちょうどお前たちと同じだ、近いうちに限界が来るんだろうな」

影狼の発情期と同じような状況だ。
満月の夜に多くの妖怪が強い力を発揮し凶暴性を増すように、半人半妖である慧音さんは満月の夜になると妖怪の方へ大きく傾いてしまう。
それでも今まで抑え続けてこられたのは、それだけ妹紅さんの事を想っているからだろう。
想っているからこそ壊したくて、想っているからこそ守りたい。
二律背反に陥ってしまうのは何も私や慧音さんに限った話ではない、きっと恋愛ってそういう物だ。

「でもな、私には様子を見ることすらできない、相手の気持ちを確かめるのが怖くて前に進むことが出来ない。
 できることなんて、せいぜい保護者のフリをして傍にいることぐらいなんだよ」
「里の人間たちは、経ねさんの事を通い妻なんて呼んで茶化しているようだけど」
「知ってるよ、言われるのは嬉しいがそんな良い物じゃない、所詮は一方通行だからな」

普段の慧音さんとは違う、随分と臆病で悲観的な物の見方をしている。
通い妻なんて言葉、一方通行に見えたのなら使うはずがないのに。

「妹紅さんは慧音さんの事が好きなんじゃないかな」
「そう見えるか?」
「見えるよ、案外二人とも臆病なだけだったりしてね」
「私はまだしも、妹紅が臆病? まさかそんな、妹紅はいつも勇敢で私を守ってくれるんだ、お前たちの言葉を借りるなら私にとっての王子様だな」
「好きでもない人を必死になって守ったりはしないんじゃないかな。
 慧音さんが妹紅さんを守っているのもそういう理由なんだし、きっと二人は似たもの同士なんだよ」
「そんなことは……」
「私には本心を聞き出せ、口説いてみせろって助言したくせに、まさか自分が出来ない事を言ってみせたのかい?
 教師のくせにそんな無責任なことをするなんて、まったく困ったものだね。
 どうせなら一緒に新聞の一面を飾るぐらい派手なことしてみたらいいじゃないか、いい機会だと思って」
「……まあ、それもいいかもしれないな」
「言っておくけど、私たちやあの二人みたいに不明瞭なわけじゃない。
 第三者から見ても慧音さんと妹紅さんの関係は明らかなんだよ、だから通い妻なんて呼ばれるんだ」
「そこまで言うほどか?」
「言うほどさ、中にはもう付き合ってると思ってる人も居るって話だよ」

半同棲状態で、お互いに困ったときには支えあうその姿は、理想の夫婦像に見えなくもない。
恋人なんて通りすぎて夫婦なわけだ、それが逆に二人の関係に歯止めをかけているのかもしれない。
隣に居るのが当然すぎて、今更気持ちを確かめる必要が無いから。

「私も出来る限り影狼と一緒に頑張ってみるから、慧音さんもさ」
「ああ、そうだな。いつまでも臆病に引きこもってちゃ前には進めないからな。
 お互いに頑張ろうじゃないか」

私たちは固く握手を交わす。
相談に乗ってもらうつもりが、逆に相談に乗ってしまったような気もするが、気持ちに発破をかけるという意味では有意義な時間だった。
他人まで巻き込んでしまったのだ、いくら私がへたれてもこれで逃げたりすることはあるまい。
さあ勝負は明日だ、まずは影狼が真っ赤になって溶けてしまうほどの台詞を考えようじゃないか。










夜が来るたび私は一人になってしまう。
当たり前の、疑う予知の無い事実で、私がどう頑張ってひっくり返せる物ではない。
影狼ちゃんも蛮奇ちゃんも、私と違って水の中では生きられないから仕方無ないのだけど、できればずっと一緒にお喋りしていたいと思っているわ。
でも、わがままを言って二人を困らせるのは嫌だから。
魚さん達とお話をして気を紛らわすことは出来ても、やっぱり私は人魚。
魚でもなければ人間でも無い、とても中途半端な存在なんです。

少しだけね、遠いなって思うことがあるの。
誰がとか何がとか、一つひとつ何かと比較して遠いってわけじゃなくて、全部が遠いなって。
空も遠い、月も遠い、陸も遠くて、みんなも遠い。
生まれてきた時からそれが当たり前だったから特別意識したことは無かった、でも最近はちょっとだけ違う。
影狼ちゃんと蛮奇ちゃんは変わってしまったから、私だけを置いてけぼりにして。
何が変わったかはわからないけど、ああ変わったんだなって、そういう確信だけがある。
二人の距離は以前より近づいている、変化の正体がその距離の変化なのかはわからない。
別に私は嫉妬しているわけじゃなくて、ただ二人して遠くに言ってしまうんじゃないかって不安があるだけ。
私が遠くに行っても二人なら探してくれるだろうけど、二人が遠くに行ってしまえば私は探すことはできないから。
少しだけ切ないなって、寂しいとは違う気持ちが、本当にほんの少しだけ。
疑ってるわけじゃないんだよ、私は二人の事を信じてる、だって私の王子様なんだから。

そう、王子様。
二人には私が突然王子様って言い出したように見えたかもしれない、でも本当はずっと前からそう思ってた。
ずっと前、遡ると出会った頃まで戻っちゃうぐらいに前の話。
そう、出会った時からずっとね、二人は私の王子様だったの。
お伽話は誰から聞かされたんだったっけ、お魚さんたちだったかな、それともそれ以外の、記憶にも無い誰かから?
覚えてない、記憶は定かじゃない、ただ憧れだけが漠然と私の中にあった。
ちょうど蛮奇ちゃんが格好いい誰かに憧れるように、本当のお姫様になんてなれないことは知っていても、だからこそ私は憧れている。
ううん違う、私はお姫様になれたんだ。
だってそうでしょう、二人は私の王子様になってくれたんだから。
白馬の王子様は囚われたお姫様を狭い世界から連れだしてくれるんだって、二人は本当に私を広い世界に連れて行ってくれたから、他の誰に否定されたって私の王子様であることに間違いなんて無い。
たまに情けなくても、王子様にしては可愛くても、そんなの否定する理由になんてならない。

じゃあ二人が居なくなったら、王子様に捨てられたら私はどうなるのかしら――

ああ、胸が痛くなる切なさが嫌い、こんなもの無くなってしまえばいいのに。
一人で居ると時々嫌な事を考えてしまうから、そういう時は月を眺めることにしている。
私が妖怪だからってのもある、月は妖怪に力を与えてくれるから。
けど本当の理由は違うの。
こうして見ているだけで、二人と繋がっている気がしてくるから。
今ごろ二人も同じ月に照らされて、同じように空を見上げているんだって、そう思うだけで嫌な気分なんて綺麗さっぱり吹き飛んでしまうから。
満月とは程遠い、十三夜の月って所かな。
欠けた月とそれに照らされた空に、二人の姿を思い浮かべながら、私はニヤニヤと笑うのです。
水面に背中を浮かべて、仰向けで空を見上げながら。
今日あったこととか、今までのこととか、明日二人とまた会える事を思うだけで心が躍るから。
どうせ誰も見てないんだし恥ずかしがることなんて何もない、何ならついでに鼻歌だって歌ってもいいぐらい。
「ふんふふーん」なんて聞いたことも無い適当なメロディを並べてご機嫌に。

「……あやや、どうやらお邪魔してしまったようですね」
「っ!?」

すっかり油断していた、全くこれっぽっちも誰かが来るだなんて想像してなかった。
思わず体がびくっと強張る、仰向けの体を急いで捻って半回転、一旦水中に身を隠す。
恐る恐る、鼻から上だけを水面に出して様子を伺う。

「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ、どこかの犬と違って私は食べたりしませんから」
「影狼ちゃんは狼です、犬なんて言ったら怒られますよ?」
「食べられたのは否定しないんですね……。
 しかし、犬ってのはどこの世でも見えっ張りなものなんですね、私の知り合いの犬っころも犬って呼ばれると怒るんですよ。
 それが嫌なら好物を前にぶら下げるだけで尻尾振り回すのを止めればいいのに」
「いいじゃないですか、可愛いんですから」
「狼としての威厳を保ちたいのなら牙を抜かれた獣のような振る舞いは避けるべきです、つまり私は悪くありません、犬っころどもが人懐っこすぎるのが悪いんです」

否定出来ないのが悔しい、でも私にとっての影狼ちゃんは王子様、つまりかっこいいの。
だから狼で構わない。
どう思うかなんて人それぞれで、結果的にこの天狗さんが狼たちに嫌われるだけなんだから。

「射命丸、文さん?」
「名前知ってくれていたんですね、もしかして新聞読みました?」
「私の所には届いていません、影狼ちゃんや蛮奇ちゃんから話を聞いただけです」
「そりゃそうですよね、耐水性の新聞みたいな酔狂なものを作る変わり者なんて河童相手に商売してる連中ぐらいですから」

私が活字に縁が無いのはそういう理由があるから、読めないわけじゃないのだけど日常的に触れる物ってわけでもない。
つまり基本的に私は新聞には縁のない生活をしている、私たちが記事にされるまで新聞の内容を一度だって見聞きしたことはなかった。
私の彼女に対する認識は、よく妖精さん達と遊んでいる優しいお姉さん。
もちろん名前は知らなかったし、良いイメージは持っていたけれど詳しい性格まで把握していたわけじゃない。
実を言えば、ちょっとだけがっかりしてるの。
新聞記者という職業にネガティブな印象を抱いていたつもりは無いのだけれど、少なくとも彼女の記事によって影狼ちゃんと蛮奇ちゃんは困った目に合ってしまった。
私は写真を撮られても別に構わないと思う、例えそれがキスシーンであっても。
でもみんながみんな同じように思うわけはない、プライバシーは尊重されるべき当然の権利なのだから、二人が嫌がるのも当然のことだって私は思う。
射命丸さんが記者だって言うんなら、それが嫌がられる記事だってことぐらいわかっていたはず。
なのに平気な顔をして新聞に載せて、挙句にこうして平気な顔をして私の前に姿を現している。
それが、私の中にあった彼女の優しい印象とかけ離れていて、身勝手とは理解しながらも失望してしまった。

「私のこと信用してないって顔してますね。
 まあ当然ですか、許可も取らずに勝手に記事にしてしまったんですからね。
 その件については謝ります、すいませんでした」
「随分とあっさり謝るんですね」
「新聞記者ってのは身勝手な生き物ですから、本当は謝るつもりなんてありませんでしたよ。
 でも……」
「妖精さんに言われたから?」
「よくわかりましたね、実は私のこと監視してたりします?」
「湖の上でじゃれあってたら誰にだってわかります。
 あの時の射命丸さんの顔、今と違ってとても楽しそうだったもの」

まるで三人でいる時の影狼ちゃんや蛮奇ちゃんのように。
今は仕事用の表情という印象を受ける。冷たくて硬くて、まるで仮面でも被っているみたい。
仲の良い妖精さんに言われてしぶしぶ謝りにきたのだから、本当は不機嫌全開なんだと思う。
仮面を被っても隠しきれない不機嫌さが表に出ているもの、月明かりだけが照らす薄暗い視界でも見えてしまうほどに露骨に。

「あの妖精さんは、きっと貴女の弱点なのね」
「取材対象に弱点を知られてしまうとは記者として致命的ですね」
「取材?」
「ええ、ただ謝るだけってのも癪に障るんで、せめて何か情報を掴んでやろうかと。
 今回の記事は想像で好き勝手に書き殴ってしまいましたから、私は実際あなた達がどういった関係なのか全く知らないんですよ」
「嘘ばっかり書いて、それで新聞だなんてよく名乗れましたね」
「意外と辛辣なんですね、もっと温和なイメージでした」

二人が不機嫌になるのも当然のこと、それを知ってたらさすがの私だって文句の一つや二つ言いたくなる。

「いくら私が人畜無害な妖怪でも、怒る時は怒るんですよ」

それが二人に絡む事ならなおさらに、姫だからって守ってもらってばっかりじゃ駄目なんだから。
でも、実は私って記事の詳しい内容は知らなかったりする。
どういう写真が載ってたとか、あることないこと書かれてたって話は二人から聞いていたのに、あまりにひどい内容だったからわざと言わないでおいてくれたのかな。

「まああんな記事を書かれたら誰だって怒りますよね」
「わかってたなら書かないでください!」
「おいしそうなネタが転がってたんです、食べたくなるのが記者の性って奴なんですよ。
 そうそう、それで本当の所はどうなんです? 二人とはただの友達……なわけないですよね、キスまでしたんですから」
「ただの友達です、キスをしたのは私が姫で二人が王子様だからなの」
「……は?」

何を言っているのかわからない、と言った様子。
考えるんじゃない、感じろって言ってもきっと理解してもらえないんだろうな。
本来なら他人が理解する必要なんてなくて、私たち三人だけがわかっていれば良いことだった、だから私は納得の行く論理的な説明なんて出来ない。
姫と王子だから、それ以上の理由なんて無いんだから。

「姫と、王子ですか? それって恋人じゃないんです?」
「姫と王子は姫と王子です、友達ではあるけど恋人なんかじゃありません」
「えっと……またなんでそんな珍妙な関係に?」
「二人は私のことを昔から姫って呼ぶんです。
 確かに私の名前はわかさぎ姫だし、呼び辛いから姫と呼ぶのも仕方ないとは思いますよ。
 でも、人前で姫って呼ばれるのは少し恥ずかしいでしょう」
「あぁ、わからないでもないですね、お姫様扱いはさすがにむず痒いです」
「そうは言っても今更になって呼び方を変えさせるわけにもいかない、馴染んだ呼び名を変えるのって簡単じゃないですから。
 そういうわけで、私は二人に対価を求めることにしたんです」
「はぁ、対価ですか。それはどんな?」
「姫と呼ぶなら、二人は私の王子様になって欲しいって」

再び、頭の上にハテナマークを浮かべながら首をかしげる射命丸さん。
やっぱり、こうなるってわかりきってたのに。
明確な定義があるわけじゃない、ただの概念で、漠然としていて、でも何となく理解出来る、そんな物なの。

「告白ですか?」
「違います、告白ではなく対価を貰うだけです!
 それで二人が了承してくれたから、私たちは姫と王子様になったんです」
「よく理解できませんね。
 仮にあなたたちが姫と王子様という関係だと定義したとしてもですよ、それイコールでキスをする理由にはなりませんよね?」
「なりますよ、姫と王子様はキスをするものだって相場が決まってるんですから」
「まさか、理由はそれだけなんて……」
「それだけですよ、射命丸さんが期待しているような変な関係なんかじゃありません」

自分で言っておきながら、変な関係とは果たしてどんな関係なのかはわからない。
射命丸さんがどんな答えを期待しているのかは知らないけれど、少なくとも友達とか姫や王子なんて答えは期待していないはず。
もっと別の、変な答えこそが彼女の求める私たちの関係なんじゃないかな。
ごあいにく様、私たちは健全な友達同士で、それ以上でもそれ以下でもないんですー!

「天狗は長生きで新聞記者は博識なのかもしれませんが、何でもかんでも自分の頭だけで理解できると思ったら大間違いです。
 世の中には価値観の違いってものがあるんです、私と射命丸さんは価値観が全く違うんですよ」
「これって価値観云々の話でしょうか……。
 ちなみになんですが、あなた最初にキスをした時にどんな気分でした?
 一緒に相手の反応も教えてくれると助かります」
「最初の時? えーと、どうだったかなあ……」

姫と王子様って話を持ちだした時もそうだったけど、キスをしようって言った時に二人はさらに驚いて居たのをよく覚えている。
驚きすぎた二人同時に氷みたいに固まっちゃったんだよね。
それが無性に面白くて、固まった二人を見ながら私は一人でけらけらと笑っていたと思う。
それから、二人に正気か本気かって何度も問いかけられて、本当に何度も何度もしつこく同じことを聞いてばっかりだった。
でも、私がキスをするのが嫌なの? って言うと蛮奇ちゃんが二つ返事で『嫌なわけない』って言ってくれて、影狼ちゃんもそれに続いて首を縦に振ってくれた。
蛮奇ちゃんの好意を打算的に利用するのは腹黒みたいで嫌なんだけど、この場合は仕方いよね、影狼ちゃんはきっと簡単には許してくれないだろうから。
こうして私たちは、初めてのキスをした。
唇は、やわらかかった。
二人の唇の感触は結構違ってて、蛮奇ちゃんはさらさらで影狼ちゃんはちょっと湿っていた。
キスをするまでもなく、顔を近づける段階で二人の顔は真っ赤に火照ってて、まあ最初は慣れていないから恥ずかしいのも仕方ないのかな、なんて思いつつキスをしたと思う。

「恥ずかしくはなかったんですか?」

私は、別に。
二人は恥ずかしいと思っていたのかもしれないけれど、言い出しっぺである私がそんなことを考えるはずがない。
慌てる二人の様子を見て楽しむ余裕があるぐらいだった。

「恥ずかしいだなんて思ったことはありません、お姫様と王子様がキスをするのは当然のことなんだもの」
「……本気で言ってます? その、ふざけているわけではなく」
「失礼な人ね、新聞記者っていうのはみんなそうなのかしら」
「ああ、いや、すいません、決してそういうわけではなくですね。
 にわかに信じられないことだったので、思わず疑ってしまっただけなんです。
 詳しく調べなかった私が言うのも何ですが、少なくとも二人のうちのどちらかとはとっくに恋人なんだと思っていましたから」
「まさか、恋人なんてありえません。さっきも言った通り私たちはごく普通のお友達なんですから」
「……」

何か変なことを言ったつもりはないのに、射命丸さんは顎に手を当てて何やら考えこんでしまった。
彼女は深く考え過ぎなのだ、もっと単純に考えれば簡単に理解できるはずなのに。
行為に大した意味なんてない、それは云わば儀式のようなもので、食事の前の”いただきます”という言葉がほとんど意味を持たなくなってしまったことと同じ。
私は恥じらわない、特別な感情もない、そう胸を張って言い切ることができる。
射命丸さんの言いたいことはわかる、キスをしているのなら恋人なんじゃないかって、そういう理屈も世の中にはあるのかもしれない。
けど、もし私が二人に恋をしていると言うのなら、私の気持ちはとっくに変わっていないとおかしいはず。
でも私の気持ちは二人と出会った時から何も変わっていない、変わっていないってことは恋なんてしてないってこと。
ぐうの音も出ないほどの正論。
彼女がどんなに頭の回転が早かったとしても、この理屈に反論などできるはずがない。

「少なくとも私の二人への想いは出会った時からずっと変わっていませんから。
 私をこの狭い場所から連れだしてくれた王子様で、かけがえのない友人なんです。
 大切な人であることは否定しません、でも恋人なんかじゃないんです、私たちはあくまで友人同士ですから」
「……ふうむ」

射命丸さんは相変わらず難しい顔をしたままで、相槌すらもおざなり。
何が納得いかないのだろう、張本人である私がそう言っているのだから、それ以外の答えなんてありえないはずなのに。
まさか部外者である彼女が、私以上に事情を知っているなんてことあるわけがない。

「もしかして、わかさぎ姫さんって……」

自分の中で何らかの結論が出たのか、顔を上げた射命丸さんは今度は呆れた顔をして、私にこう言い放った。

「鈍いです? その、ちょっと笑えないレベルで」

情け容赦無い言葉がぐさりと私の胸に突き刺さる。
鈍い? 私が? まさかそんな、普段から天然だ抜けているとは言われるけども、これでも人の心の動きには敏感なつもりなのに。
それが蛮奇ちゃんと影狼ちゃんのことならなおさらに、誰よりも二人のことを理解していると自負している。

「射命丸さん、さっきから私を馬鹿にするような事ばかり言ってますけど、本気で取材する気はあるんですか?」
「ありますよ、あるからこそはっきりさせておかなければならない事なんです。
 言っておきますが私は馬鹿にしてるつもりなんてありませんから、事実を伝えてあげているだけです。
 あなたは自分が異常なまでに鈍いことを自覚するべきだ。
 もし、自分が鈍くないだとか、ましてや人の心を読むのが得意と思っているのでしたら、その幻想を早々に捨ててしまうことをおすすめします。
 それがあなたのためでもあり、影狼さんと蛮奇さんのためでもあるのですから」

まるで心でも読んでいるかのように的確に、私の自信を打ち崩していく。
私たちのことをちっとも知らないくせに、どうして私より知っているような口ぶりで話せるのだろう。

「どうしてそこで二人の名前が出てくるんです?」
「あの二人が不憫でならないからですよ、まさかこんなポンコツがこの世に存在しているとは、私の想像力もまだまだみたいですね」

お次はポンコツと来ましたか、これはもう聞き捨てなりません。
いや、前からずっと聞き捨てならない言葉の連続だったけど、これには私の頑強な堪忍袋の緒も切れずにはいられない。

「さすがにそれは言い過ぎだと思います!」
「いいえ言い過ぎなんかじゃありません、貴女は鈍いしポンコツで、その上好き放題に周りを振り回して自分の思うように操る、自覚のない悪女です」

さらに悪女とまで。
だから私と二人は恋人なんかじゃないし、私にはまったくそのつもりは無いと言っているのに。

「言いたい放題ですね、さすがに私でも怒りますよ?」
「怒りながら言われても困ります、あと怒られても私は止まりません。
 新聞記者としてではなく一人の女として言わせてもらいます、あなたの鈍さは短所を通り越してもはや罪ですよ。
 姫扱いされてるからって多少の天然ボケが許されると思ったら大間違いです!」
「なっ、天然って……そんなわけありません! 一体私のどこが天然だって言うんですか」
「どこが? むしろ天然じゃない部分を教えて欲しいぐらいです、頭の天辺から尾っぽまで余すこと無く天然じゃあないですか。
 いいですか、あなたは、二人のことが好きなんですよ!」

射命丸さんは呆れ顔で首を振りつつ、大きくため息を吐く。
また始まった、だから私にそんな気持ちは全く無いと否定したはずなのに。
このわからずやめ、どう説明したら納得してくれるのだろう。
最初から結論ありきで話しているから話が噛み合わないんじゃないかな、私たちが友人だって事実をハナから信じようとしていないから。

「まだわかってないようですね」
「わかってないのは射命丸さんの方です。
 確かに私は二人のことが好きですよ、それは事実です、でもさっき言った”好き”ってそれとはまた別ですよね?」
「ええ当然です、そこまでわかっているならどうして私の言葉を聞き入れてくれないんでしょう」
「私の気持ちは私が一番知っているからです」
「一体その根拠の無い自信はどこから来るんでしょうねえ」
「根拠ならありますっ!」

思わず語気が荒くなる。
知りもしないくせに、心の中を読んだわけでもあるまいに、理不尽な言葉に私の心はささくれ立つ。
根拠の無い自信を振り回してるのは私ではなく射命丸さんの方じゃない。

「へえ、そうだったんですか。じゃあその穴だらけの根拠とやらを聞かせてもらおうじゃないですか」

ほら、また最初からそうやって決めつけて。
鼻を明かしてその生意気な口から謝罪の言葉を引き出さないと、私の気が済まない。
馬鹿にされた気分だ、私だけじゃなく二人のことだって。
蛮奇ちゃんも影狼ちゃんも私にとってかけがえのない友達なのに、恋とか愛とか好きだとか、まるで私たちが下心だけを理由にして一緒に過ごしてるみたいに。

「もし私が二人のことを好きなんだとしたら、さすがに私だって途中で気づくはずじゃないですか。
 出会ってからずっと、私から二人への想いは変わっていないんです。
 形も、色も、匂いも、何もかもあの時のままで、そこから大事に大事に育てて大きくしてきた気持ちなんです」
「それが根拠、ですか?」
「ええそうです。
 最初から変わっていないんですから、つまり私たちは最初からずっと友達のままだってことになりますよね」

再び黙りこむ。
顎に手を当て、顔を伏せ、あたりが暗い事もあって私の位置からだとあまり表情が見えない。
今度は完全に論破できただろうか、ぐうの音も出ないぐらいに叩きのめされて悔しさに下唇を噛んでくれているだろうか。
そろそろ上を見上げるのも疲れてきたことだし、これでわかって貰えないのなら話はおしまいにしよう。
今以上に上手に説明出来る気がしないから。
私は物事の説明が上手い方じゃない、喧嘩のようになってしまったのは彼女との価値観の相違が一番の理由だろうけど、私の言葉が足りなかったのも原因の一つだと思う。
九割はあっちが悪い、それは間違いないけれど、ちょっとだけ反省はしよう。ほんのちょびっとだけね。

「わかさぎ姫さん、あなたはどうやら根本的に勘違いをしているみたいですね」

ああ、やっぱり。
何となくそんな気はしていた、話が通じる相手じゃないことは薄々感づいてはいたから。
怒りを通り越して呆れてしまう、今度は私が大きなため息を吐く番。

「その根拠とやらはいとも簡単に崩れてしまう物なんですよ、どうしてだかわかりますか?
 いや、わからないでしょうね、ここまで言っても理解してもらえないんですから」

露骨な挑発に乗るほど直情的な性格はしていない。
次はどんなとんちんかんな話をしてくれるのかと、むしろ楽しむ余裕があるぐらいでちょうどいい。
何があったって、私の気持ちが変わることはないんだから。

「要するに、あなたは最初から二人のことが好きだったってだけの話なんです」

――え?

「……え?」

思考と声がシンクロする。
それは反射的に、頭で考えるのとほぼ同時に口から漏れでた、紛れのない私の本音だった。
唖然としている。呆然としている。だって、その言葉は私の完全な死角から私に迫り、見事なまでにクリティカルヒットしてしまったのだから。
言葉に大した威力はない、そのダメージの大きさは、私の死角を完全に突かれたというショックからくるもの。
どうして? なんで? そんな疑問がいくつもいくつも頭の中で生まれていく。
その疑問はどれも射命丸さんに向けた物ではなく、自分自身に向けた疑問だった。
なぜ? どうして今まで――そんな簡単な事に気づかなかったんだろう、って。

「鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていますね、そんなに驚かれるようなことを言ったつもりはなかったのですが」
「え、え? だって、その、そんなこと……」

思うように言葉に出来ない。
完全なる不可視の一撃は、必要以上に私の思考とぐわんぐわんと大きく揺らす。
避けようとする時間すら無く、為す術もなく直撃した私は、彼女の言う通り間抜けな顔をしていたんだと思う。

「その可能性を全く考えていなかったわけですか」

その通り。
言われてみれば本当に単純明快なことで、根拠の穴と呼ぶのもおこがましいほどの見え見えの弱点。
最初から感情は変わっていない? だから友達?
そんなの、一目惚れの一言で全て瓦解する砂上の楼閣じゃないか、誰が見たって明らかだったはずなのに、どうして、どうして今まで私は。
そんな露骨な弱点をさらけ出しながら、私は自信満々で射命丸さんの言葉を否定してきた。
なんて恥ずかしい、これじゃ天然ボケ呼ばわりも否定なんて出来ない。
全くまるっきり彼女の言う通り。

「わかさぎ姫さん、あなたは二人と一緒に過ごす時に胸が高鳴ったり、体が熱くなることはありませんでしたか?」

先ほどと違って射命丸さんの口調がどこか優しげなのは、自分がすでに完全に勝利している事を確信したからだろう。
私の顔を見たら一目瞭然だ、自分を支えていた穴だらけの根拠が崩れた今、私は無防備に彼女からの攻撃を食らうのみ。
全力なんて必要ない、手加減した確実な一手で私はいとも容易く崩れる。
つまり、きっとここから先はただの確認作業でしかない。

「ありました」
「どんな時に?」
「一番強いのは、キスをした時に。
 他にも二人とお話をしてる時とか、一緒に居る時はずっと」
「はぁ……本気でそれで気付いてなかったんですか。
 じゃあ、胸が痛くなったりすることはありませんでしたか?」
「……ありました。
 二人が、私の居ない所で他の誰かと仲良くしてるのを想像した時だったり、あとは二人が何を考えているのかわからないことがあって、そういう時に」

思い出しただけでまた胸が痛くなる。
私だけが仲間はずれにされたような感覚が、胸を締め付ける。
でもそんなの今に始まったことじゃない、出会ったころからずっとあった事だったから、当たり前のことなんだって思ってた。
慣れてしまえばどうってことはない、だって二人はそれ以上に私の心を満たしてくれたから。
ドキドキして、ワクワクして、二人と一緒に居るだけでそんななのに、遠くに連れて行ってくれた時なんかはもう大変だった。
妙にテンションの高い私に、連れて行った二人が戸惑うぐらいに。

「それで恋じゃないなんてよく言えましたね」
「ただ寂しいだけだと思ってたんです、仲の良い友人相手ならよくあることだって!
 だって、こんなに誰かと仲良くなるのなんて初めてだったから、誰かのことを想うのは初めてだったから……」

中途半端な私でも、二人は大切にしてくれたから、だから私も大事にしたかった。
大事に、大事に、臆病すぎるほど過保護に。

「その鈍感さが、ひょっとしたら二人を傷つけることになっていたかもしれない。
 わかさぎ姫さんはそれに気付いていましたか?
 普通、好きでもない相手にキスをしようなんて持ちかけたりしませんよ。
 自覚は無かったのかもしれませんが、あなたは好きだからこそ二人とキスをしていたんです、お姫様と王子様なんて所詮言い訳に過ぎないんですよ。
 私があなたの事を悪女だって言った理由も今ならわかるんじゃないですか」

もう、否定なんてできない。
射命丸さんの言う通り、私はとんだ悪女だった。
二人が逆らえない事を知りながら、自分の欲望を満たすためだけに適当な理由を付けて二人の唇を奪ったのだから。
それも現在進行形で、数えきれないほどの回数を繰り返して。
私はなんて間抜けで、なんて容易い女なんだ、こんな簡単な事を指摘されるまで気付かなかったなんて。

「ま、だからってどうしろって言うわけでもないんですが。
 あんな記事を書いた手前、本来ならあなたを責める事のできる立場ではないですからね」
「謝罪の言葉は、二人のためにとっておきます」
「それが懸命です、私に謝られたらそれをダシにして脅迫してやるつもりでしたから。
 さて、言いたいことは全部言いましたし、私はここらでお暇させて頂きますかね」
「あの、待ってください」
「ん?」

こんな時、本当なら私は嘆きと反省で顔を覆って崩れ落ちるべきなのに。
二人への詫びの言葉で頭をいっぱいにして、無理してでも地上を跳ねて移動して二人の元へと向かうべきなのに。
どうして、こんなに体が熱いんだろう。
頭の中を駆け巡るのは大好きな二人の姿、二人と過ごしてきた過去の記憶。
あの時はなんとも無かったのに、あの時の私はなんて大胆なことをやってきたんだろうって、恥ずかしくて恥ずかしくて、記憶の中ですら二人の顔を直視出来ない。
恥ずかしさと、愛おしさと、胸を締め付ける沢山の感情が混沌と渦巻いている。

「私、どうしたらいいんですか?」
「……はい?」
「だから、明日以降私どんな顔をして二人とお話したらいいんですか?
 恋ってわかったら、その、とんでもなく胸がドキドキして、思い出すだけで壊れちゃいそうなぐらいに頭の中がめちゃくちゃで、どうしたらいいかわかんないんです!」
「いつも通りでいいんじゃないですか」
「そんなこと出来るわけがないじゃないですかー!」
「そこまで責任は持てませんよ……」
「だってだって、射命丸さんが言い出した事なんですよっ!? こういうのは最後まで責任持って面倒見るべきなんです!」

もう形振りかまってられない、こんな状態で一人放り出されたんじゃ明日の私がどうなってしまうかわかったもんじゃない。
二人は間違いなく明日もやって来る、二人が来たからにはさすがに顔を出さないわけには行かないし、かと言っていつも通りに振る舞う図太さなんて私にあるわけがない。

「あー、わかりました、じゃあ適当にどっちかに告白したらいいんじゃないですか?
 好きな方を選べばいいんですよ、どうせ選ばないといけないんですし」
「選ぶなんて私には……」
「そういえばそろそろ帰らないと次の新聞が予定に間に合わなくなってしまいますね、これは大変だ」
「ま、待ってください、まさか本当に帰るつもりじゃっ!?」
「それでは、また今度」

漆黒の翼を翻し、一気に上空高くへと上昇する。
強い風が私の顔を凪ぎ、長い髪を一瞬だけはためかせた。
瞬間移動でもしたんじゃないかってほどの素早い動きに私が反応できるわけがなく、目で追いかけるのが精一杯。
再び彼女の姿を視認した時には、とっくに私の声も届かないほど高くに舞い上がっていた。

「射命丸さぁぁぁぁん!」

私の叫びは虚しく黒の空に響くだけ、射命丸さんに届くことはなく、しばし反響した後に闇に飲み込まれてあっさりと消えてしまった。
一人残された私。
否が応でも時間は巡る、明日はやってきてしまう。
相談相手は居ないし、一人で妙案を思いつけるほど健全な精神状態ではない。
今だって心臓はバクバク鳴っている、二人のことを思い出すだけで顔が熱くなる、なのにどちらか選ばないといけないなんて。

「無理よ、そんなの絶対に無理!」

私たちは、ずっと三人だったから。
誰か一人でも欠けてはいけない、それが絶対条件。
そもそも私が好きなのは二人であって、どちらか選ぶなんて愚かな真似できるわけがないし、選べるほどの差があるわけでもない。
普段は格好つけてるくせにどこか抜けていて、それがたまらなく可愛い蛮奇ちゃん。
ちょっと頼りないようにも見えるけど本当はとても優しくて、本人は気付いてないけどすごく美人さんな影狼ちゃん。
二人とも私に無い物を持っていて、羨ましくもあり眩しくもあり、そんな二人が私を守ってくれている今という時間がどうしようもなく愛おしい。
贅沢すぎるぐらいに満たされている、きっと求めたって手に入らない時間だから。
どちらかを選ぶってことは、それを手放すってこと。
だったらいっそ、こんな気持ち必要なかった。
気づかないまま、これから気づかないふりをして突き通せれば、それで。

「それじゃあ私、ただの嘘つきじゃない」

これ以上二人を裏切るなんてこと、私には出来ない。
ただでさえ今まで沢山迷惑をかけてきたのに、何一つ恩返しが出来ないどころか更に負担をかけるなんて。
二人を今以上に幸せにする方法、無いのかな。
本当はね、私がお姫様だから二人が王子様なわけじゃなくて、最初から二人は私の王子様だったの。
王子様が居たから私はお姫様になれた。
私をこの狭い世界から連れだしてくれた、白馬の王子様――それがきっと蛮奇ちゃんと影狼ちゃんだったんだって、私はそう思う。
優しくしないといけないのは私の方、守らないといけないのは私の方。
なのに私は……。

「……駄目、こんなんじゃ駄目なの、今の私じゃ二人に会ったってまともに目も合わせられない」

独り言が多いのは、一人で過ごす時間が多かったせい、染み付いた癖は二人と出会ったって変わらない。
ちゃんとしないとって自分を奮い立たせても、胸の高鳴りも頬の熱さも変わらない。
やっぱり二人のことを想像するだけで私は駄目になる、恋心が暴走する。
自制を促してもブレーキは効かない、アクセル踏みっぱなしの私の心は、機械と同じで今にも壊れてしまいそう。

「ああもう、どうしたらいいのよー!」

再び轟く虚しい叫び。
誰も居ない空に響いた後、闇にかき消されて綺麗さっぱり消えてしまう。
残ったのは、私の胸に去来する虚しさだけで、こんな気分になるぐらいならいっそ叫ばなければよかった、と即座に後悔する。
それでも叫ばずにはいられない。
明日への不安が、二人がやってくるという恐怖が、胸の中で好き放題膨れ上がって破裂しそう。
だから、吐き出さないとどうにかなりそうだった。
とっくにどうにかなってるけど、さらにどうにかなって完全に壊れてしまいそうだったから、私は叫ぶ。
その後も何度も何度も、抑えきれない感情を叫びに乗せて吐き出す。

喉が枯れるまで繰り返し、気づけば夜は更け月は沈み太陽が昇る。
結局その日、私は一睡もすることが出来ず――為す術もなく、朝を迎えてしまった。










「……いやそりゃそうだよ、眠れるわけないじゃない」

鏡に写る私の顔は、そりゃまあ酷いもんで、さすがにこの顔は姫にも蛮奇ちゃんにも見せられない。
顔を洗えば多少はマシにはなるだろう、でも今日ばっかりは最大に可愛い私で居たいのだ。
なんせ、今日は蛮奇ちゃんが私に告白する、まさに運命の日なんだから。
昨晩はもう大変だった、早く眠らなければならない明日は万全の体制で臨混なければならない、といつもならまだまだ起きてる時間からベッドに潜り込み、全力で眠ろうとした。
だがそれが失敗だった。
そりゃそうだ、と言うのはつまりそういうこと。
気合を入れるという行為と眠るという行為は相反する、両立するはずの無い行為なのだから、んなことやって眠れるわけがない。
ただでさえ蛮奇ちゃんの告白を想像してギンギンに目が覚めているってのに、私はなんて阿呆なんだ、こんなんじゃ蛮奇ちゃんに笑われてしまう。

「延期……とか駄目だよね」

そんなことやってみろ、次の告白チャンスは明日どころか数カ月後か、下手すれば一年以上後にもなりかねない。
なんせ当事者は私と蛮奇ちゃんなのだから、へたれが二人揃えばそういうことだってあり得る。
だから、ありったけの勇気を振り絞って約束した今日しかありえないのだ。
……行くしか無い。
蛮奇ちゃんは私の嫌な部分も含めて好きだって言ってくれた、だったら今日の酷い顔だって好きになってくれるはずだ。
きっと笑われない、こんな私も含めて、抱きしめてくれる。
そんで、恋人としての初めてのキスを交わすんだ。

「よしっ、もう仕方ない、こうなりゃやけだ!
 悩んでても仕方ないし行きますかっ!」

パンパンッ、と二度両頬を叩き気合を入れる。
私は告白を受ける側なんだし、出来ることは限られている。
少しでもマシな顔を作ること、遅刻しないこと、ヘマをやらかさないこと。
本当に最低限、蛮奇ちゃんに比べればやるべきことは遥かに少ないんだから。
うじうじしてても仕方無い。
手早く準備を済ませ、いつもよりも三十分ほど早く家を出る。



今日が雨じゃなくて本当によかった、告白日和なんて言葉が存在するかはわからないけど、あるとすればきっと今日みたいな天気こそがそれなんだろう。
笹の葉の隙間から差し込む光が寝不足の体に染みる。
気を抜けば太陽の光にやられてふらっと体勢を崩してしまいそうなほどの最悪のコンディションだけど、蛮奇ちゃんや姫に合うことを考えれば元気が湧き出てくる。
問題はない、憂いもない、あるのはすぐ先の未来に対する希望だけだ。
歩いて行くうちに、次第に足取りも軽くなっていく。
いつもより軽やかなステップ、思わずスキップしちゃいそうになるほど上機嫌。
竹林を抜け街道を過ぎ、森の中を突っ切って、目指すは湖畔の先の広場。
歩幅がいつもより広かったのか、ただでさえ早くでたのに更に早く到着してしまった。
太陽の高さからして、いつもより四十分は早いかもしれない。
さすがに蛮奇ちゃんは来てないだろう、そう思って木の影に身を隠し広場を覗きこんでみると――

「おはよう、影狼」

見慣れた光景がそこにはあった。
居ないと思っていた蛮奇ちゃんはそこにいて、仮に居たとしても見つからないつもりで居たのにあっさり見つかって、心の準備も十分でないうちに見つかってしまったもんだからもう大変。
バクンと心臓が跳ねる、痛いぐらい激しい高鳴りに思わず胸を抑える。
蛮奇ちゃんは平気なんだろうか、挨拶のトーンはいつも通りだったけど、私と同じように緊張してないんだろうか。

「お、おひゃよう!」

ダメじゃん私。
声は裏返るわ舌は噛むわでもう最悪、今日は厄日だ、お日柄も悪いので告白は明日以降にしたら如何かしらとでも持ちかけてみようかしら。
どうせ笑われる、すぐ笑われる、いつもの蛮奇ちゃんだったらそうだ、ムードもへったくれも無い笑い声がじきに聞こえてくるはず。
目をぎゅっと閉じて死刑宣告の時を待つ。
笑うなら笑ってくれ、今すぐに、次の刹那にでも、生殺しの状態で放置される方がずっと辛いから。

「……」

だが刹那の後にも、数秒経っても、蛮奇ちゃんの笑い声は聞こえてこない。
おかしい、これはどういうことだ、私たちは互いの失態を躊躇うこと無く笑う関係だったはずなのに。
これから告白するからって躊躇っているのだろうか、柄でもない、そんなの蛮奇ちゃんらしくない。
だったらいっそ私が笑ってやろうかしら、”あはは、噛んじゃった、えへへー”みたいに、お調子者キャラでも装うように。
ダメだダメだ、今の状態で私に演技なんて出来るはずがない、どうせまた噛んで恥の上塗りをするに決まってる。
だったら、だったらどうする。
沈黙が圧迫する、冷や汗が背中を伝う、こらえ性のない私にこれ以上の我慢は出来ない。
仕方無い。怖いけど、蛮奇ちゃんがどんな顔をしてるのか想像するだけで体が震え上がるぐらいだけど、目を開けるしか無い。
恐る恐るじわじわと、秒速ミリメートル単位でゆっくりと瞼を上げる。

「……蛮奇ちゃん?」

一見して、彼女はいつも通りの姿に見えた。
距離があったからだろう、私は見た瞬間に蛮奇ちゃんの異変に気づくことが出来なかったのだ。
ああ、なんだ、何も心配することなかったんだ。

「あー……えっと、なんて言えばいいのかな」
「あはは、なんか、ごめんね」
「謝られると逆に困る! いや、今も十分困ってるんだが」

蛮奇ちゃんも頭の中で色々と考えていたんだろう。
きっと彼女の予定では、私はいつも通りに挨拶をしてくるはずだった。
その予想は完全に外れたわけではない、私は非日常な状況だからこそ日常を演じようとしたのだ、だから順当に行けば蛮奇ちゃんの予想どおりになるはずだった。
だけど、さっきも言った通り私は演技なんて出来る状態じゃない。
元々演技は苦手だったし、それに緊張も合わさって、まともに挨拶すら出来なかった。
そう、私が噛んでしまったのは、蛮奇ちゃんにとって全くの予想外だったのだ。

「仕切りなおす?」
「そんなこと恥ずかしくて出来るはずがないだろうっ、まったく影狼は本当に……」
「面目ないわ、でも蛮奇ちゃんだって悪いのよ」
「なんで私が悪いことになるんだ、出会って早々に噛んだ影狼が悪いに決まってるだろう」
「もちろん一番悪いのは私よ、それは間違いないし申し訳ないと思ってるわ。
 でも、元を正せば蛮奇ちゃんが告白予告なんて訳の分からない事をするからこうなったんじゃない、あんなの聞かされて……私が緊張しないわけがないって、わかるでしょ?」

予定は最初から崩れた、おそらく頭の中にはキザな告白用の口上が並んでいたんだろうけど、そんなものは綺麗さっぱり吹き飛んでしまった。
これは私が緊張に弱いという周知の事実を計画に織り込まなかった蛮奇ちゃんのミスだ。

「それもそうか……」

蛮奇ちゃんが私に伝えようとしていた告白の言葉は、おそらく使い古された言葉を適当に並べただけじゃない。
頭を捻り回し絞り出して、もう何も出なくなるほどまでに考えぬいた結果選ばれた、云わば精鋭軍団だったはず。
そんな彼らを選出する作業が数時間程度で終わるはずがないのだ、一日で終わらせようとするのなら睡眠時間を削らなければ絶対に無理なはず。
徹夜なんて慣れないことをするから、普段通りの振る舞いすら出来ないんだ。
これが私たちじゃなければ、気持ちも冷め切って告白は次の機会に、となってしまう所なんだけど、むしろこの情けない展開に愛おしさを感じてしまうのはきっと私たちだけだろう。
だってさ、私たちは今までだってこんな有り様だったんだから。
蛮奇ちゃんが格好つけようとして可愛くなかった事なんて無かった、私が”明日こそは”って決めて明日にそれをやったことなんて無かった。
情けなくて、意思が弱くて、笑っちゃうほどにへたれで。

「いや、それにしたって何と言えばいいのか」
「きっと、”私たちらしい”じゃないかしら」

そう、それが私たちらしさだったから。

「そうだ、それだ。
 せっかく徹夜して色々と考えていたのに、全部無駄になってしまったよ。
 私たちの間抜けさをもっと早く思い出せていればこんなことにはならなかったのに」
「無理はするなっていう神様からのお告げね、いつも通りのナチュラルな私たちがベストなのよ」
「全くその通りだ、慣れないことはするもんじゃないね」

お互い様にね。
私だって色々考えた、蛮奇ちゃんからの告白にどう答えるかとか、恋人になったらどんなことするんだろうとか。
それこそ徹夜して、こんな酷い顔になっちゃうぐらいにね。
でもね、どんなに考えたって未来のことはわからない、無駄だったんだよ。
ところが、どんなに長い時間考えてもわからなかったのに、今のやり取りだけで確信できたことがある。
たぶん、私たちはほとんど変わらない。
赤蛮奇と今泉影狼は今と変わらずこのままで、ロマンスとは程遠い関係を続けていくんじゃないかな。
それが恋人と呼ぶに相応しい関係かどうかはわからない、でもそう呼ぶのは私たちだ、他人は関係ない。
今までずっと友達だと言いはってきたように、誰かに否定されたのなら今度からは”私たちは恋人だ”って言い張ればいい。
感情の証明は出来ない。
人も妖怪も、あるいは動物だって、いくらだって仮面を被ることはできる。
得手不得手があったとしても、嘘をつかない生き物なんてきっとこの世には居ない。
口ではどうとでも言える、他人の言う好きも嫌いも結局は証明する手段など無いのだ、その存在を知っているのは自分自身だけ。
最終的には、自分が信じるか信じないか、ただそれだけ。
蛮奇ちゃんの顔を見た瞬間、私はその全てを理解して、これまで以上に彼女の事を求める自分の感情に気付いた。
胸を締め付ける強烈な欲求。
たぶん、蛮奇ちゃんも私の顔を見て同じように感じたんだと思う。
私は信じてる、蛮奇ちゃんが私を好きだってこと。
姫もそうだ、どういう好きかはわからないけど、私のことを好きでいるのは間違いない。
と言うより、そうであって欲しいって望んでる、信じようとしている。
恋って、きっとそういう気持ちのことを言うんだよね。

「蛮奇ちゃん、寝不足なんでしょ? ひっどい顔してる」
「影狼こそ、よくそんな顔で外を出歩けたね」
「ふ、ふふ……っ」
「あははっ、あはははははっ!」

鏡写しのように間抜けな互いの顔を見ながら、私たちは腹を抱えて笑い転げる。
目の下には隈が出来て、赤く腫れ上がっていた。眼球だってばっちり充血している。
肌だって昨日よりずっと荒れているし、むくんでいるせいか顔が大きくなったみたいだ。
本当に酷い、蛮奇ちゃんの言う通りよくこんな顔で外を出歩けたものだ。
ああ面白い、こんな馬鹿げたことがあるものなのか。
どんな告白が待ってるんだろうって、心臓バクバク言わせながら一晩中緊張して、結局一睡だって出来なかったってのに、あれは何だったの?
まさに茶番だ、それ以上にふさわしい言葉を私は知らない。
こんなことは二度と無い、あってたまるものか。
今日限定の酷く情けなく最高に愛おしいラブコメディの当事者になれた幸せを、私は笑いながら何度も何度も噛みしめる。
ゲラゲラ、ケラケラ、二人して下品な笑い声をあげる。
数分間は笑っていたと思う、思うように身動きが取れなくなるぐらい笑って、笑ったあとも腹筋の痛みと呼吸の荒さで思うように動けず、その全てが落ち着いてようやく私は蛮奇ちゃんとの距離を詰め始めた。
蛮奇ちゃんの復帰は私より十秒ほど遅かった、とっくに私の顔は蛮奇ちゃんの目と鼻の先だ。

「ふふふっ、全く馬鹿げてるよ、まさか全部台無しになるなんて想像もしてなかった」
「考えるだけ無駄ってことなのよ、今まで一緒に過ごしてきて難題に頭を悩ませたことなんてあったかしら?」
「いいや、無いね。難しいことなんてない、ただ一緒に居たいから一緒に居る、それが私たちなんだから」
「そういうこと、恋人になろうが友達だろうが関係なんて無いのよ。
 だから今日だって、何も考えずに思いついた言葉を言えばいいの」
「ならそうさせてもらおうかな」

綺羅びやかな装飾は必要ない、地味だって構いやしない、他人の期待なんて関係ない。
私たちは私たちらしく、そうあることが幸せだって言うんなら、誰がどう言おうとらしくあり続けよう。
蛮奇ちゃんにしては珍しく、勝手に顔を近づける私に文句の一つも言わずに、むしろ無言で私の左頬に手を当ててきた。
告白を予告しただけあって、今日の蛮奇ちゃんは一味違うらしい。ちょっぴり大胆だ。
個人的にはもっと強引に迫ってくれてもいいんだけど、昨日の今日でそこまで求めるのは酷だろうし、大目に見てあげよう。

「好きだよ、影狼。
 今日までずっと好きだった、そしてこれからだってずっと好きだ、誓ったっていい」

まあ、本当に素敵な告白だこと。

「知ってた」
「最悪の返事だ」

そう言われましても、蛮奇ちゃんだって私の気持ちをしってるわけで、冷静に考えてみると改めて告白なんて儀式を執り行う必要なんて無いのかもしれない。
”恋人になろう”、”うんいいよ”って二言だけで簡単に恋人になれる、そんなギリギリの関係だったのだから。

「本当のことを言ったまでよ。知ってたし、その気持ちを一度だって疑ったことなんてなかったわ。
 蛮奇ちゃんは私と姫のことだけを見ている、他の誰にも見向きなんてしないってね。
 お互いの気持ちを知っていたのに友達のままで要られたのは、そういう安心感があったからなのかもしれない。
 ほら、普通だったら誰かに奪われるかもしれないとか、気持ちが冷めちゃうかもしれないとか、そういう不安があって然るべきだと思わない?
 蛮奇ちゃんだって、私が二人以外の誰かを好きになるなんて考えたこと無かったんじゃないかしら」
「確かに無い、無いけども……何も考えずに思いついた言葉を言えって言ったのは影狼だろう、私は頭に思い浮かんだ言葉を言っただけだ」
「そ、そうだったっけ?」
「ついさっき言ったばかりだろう、自分の言葉にはきちんと責任を持ってくれよ」
「うぅ……」
「……影狼、ひょっとして」

蛮奇ちゃんがまじまじと私の顔を凝視する。
そんなに見たって何も付いてないし、変な顔だってしてない。
断じて、絶対に、だからそんなにじろじろ見ないでよー!

「照れてる?」
「……っ!」

図星だ。
急所のど真ん中、ハートの一番柔らかい場所を一突きで貫かれる。

「そうか、照れてるんだ。
 そういえば影狼は案外、直情的な台詞に弱いんだよね、それがわかっただけでも十分な収穫……」
「調子に乗らないのっ!」
「んぐっ!?」

勢い任せのキス。
ゴツッと歯同士が唇越しにぶつかる音がしたけど、今は痛みなんか気にしてる場合じゃない。
どんなに我慢したって顔の赤さまでは隠せない。
そっけない返事で誤魔化したつもりだったけど、蛮奇ちゃんの告白は私のハートに痛いぐらいに突き刺さった。
ど真ん中ストレート、こんなの嬉しくないわけがない、心ときめかないわけがない。
鬼灯みたいに赤くなって悪いか、顔がにやけて悪いか、好きな人から好きって言われたらこうなるに決まってるじゃないかこんちくしょう!
どうせ蛮奇ちゃんにバレるのは時間の問題だと思ってたけど、こういう時は気を利かせて見て見ぬふりをするのが恋人ってもんじゃないのかな。
いや、この子がそんなことをするはずないってことは十分に理解してたけど、それでもさ。

「今のキスにはどういう意味が?」
「照れ隠し兼、おはようのキスよ!」

気を利かせるどころか、ここで追撃を仕掛けて来るのが蛮奇ちゃんなのだ。
ニヤニヤと意地の悪い笑いを浮かべちゃってさ。
本当なら手をほどいて逃げてやりたいぐらいだけど、不思議な磁力に囚われて私は逃げることが出来ない。
本心ってやつは、どうしてこうも私の言うことを聞いてくれないのだろう。
それとも、本心の言うことを聞かない私が悪いだけ?

「なるほどね、じゃあ今度は――」

蛮奇ちゃんの手が両頬に当てられる。
今度は何? 何して私の心を乱すつもりなの?
心なしか頬が赤らんでいるのは、おそらくよっぽど恥ずかしい台詞を言うつもりだからだろう。

「誓いの口づけをしようか」

顔が引き寄せられる。
私は少し顔を傾けて、少し突き出した唇を蛮奇ちゃんの唇とくっつけた。
幾度と無く交わしてきたキスの中で、一番甘い味がした。
味というよりは感触なんだけど、口で甘いと感じたのだから味って言っても別に構わないはずだ。
ああ、やっちゃった。
これは誓いのキスだから、もう後戻りなんて出来ない。
今日から私たちは恋人で、友達だって言い訳も必要なくなった。
でもなんだろう、この気持ち。
どうせ大したことないんだって思ってたのに、いつもの私たちの延長線上だって思ってたのに。
気持ちが溢れる。すっごい嬉しい。たまんなく幸せ。
満たされる。満たされ過ぎて破裂して溢れるぐらい、過剰なぐらいに幸福が注がれる。
時間は有限、名残惜しいけど唇を離す。
至近距離で見つめ合う。

「……蛮奇ちゃん、すき」

夢見心地でぼんやりと呟いく。
意識はしていない、思わず漏れでた、他のどんな言葉より本音らしい本音。
私の言葉を聞いた蛮奇ちゃんは優しく微笑んで、こう言った。

「知ってた」

最悪だ。
でも、幸せだから許してやろう。





ロマンスなんて似合わないとか言いながら、思った以上にそれらしい告白になってしまった。
気持ちさえ通じあえば、予定通り進まなくても形にはなるものらしい。

「変わらないと思ってたのになあ、いざ恋人になってみると変わるものなのね」
「私は変わってないつもりだけどね」
「嘘つき、あのあと何回もキスしてきたくせに」
「影狼だってしてきたじゃないか」
「仕返ししてやっただけよ、一方的にやられるのは趣味じゃないの」

いつもの張り合いをしてるつもりだったんだけど、これってどこからどう見てもいちゃいちゃしてるだけだよね。
近くの切り株に腰掛けて、肩を寄せ合いながら隣り合わせで座って、こんな傍に居たんじゃキスしないわけがない。
ただでさえ、告白したてのほやほやで気分が昂ってるってのに。

「そうだ、姫のことなんだけど……」

そう、私たちは二人だけ完結するわけじゃない、姫がいてこその私たちなのだ。
私と蛮奇ちゃんは恋人同士になってしまった、こうなってしまえばもう後戻りは出来ない。
姫も取り込まなければ、そして三人で恋人同士になるのだ、それで初めて私たちの告白は完遂する。

「むごっ」

相談しようと蛮奇ちゃんの方を向いた瞬間、唇を奪われる。
蛮奇ちゃんってば節操無さ過ぎ、こんなキス魔だったとは思わなかった。
予想外のタイミングに変な声が出てしまったじゃないか。

「ごめん、こっちを向いたから口づけして欲しいのかと」
「そんなわけないじゃない! もう、いくら恋人同士になったからって調子に乗りすぎ、もっと節度を弁えてよ」
「影狼から節度のことで説教を受けるとは思わなかったな」
「私だって説教するとは思ってなかったわよ。
 で、姫のことなんだけど……」
「ああ、それならもう方針は決めてるんだ、あとは影狼が同意してくれるだけでいい」
「なんだ、ちゃんと考えてたんだ」

意外と言うと蛮奇ちゃんに失礼かもしれないけど、さっきまで私に現を抜かしてた彼女が姫のことまで考えているとは思わなかった。

「方針と言っても前と大して変わらないんだけどね。
 とりあえず様子を見よう、感付かれないように姫に探りを入れるんだ」
「まずは今の姫が私たちをどう思っているか調べようってことね」
「そういうこと、私たちのことが好きだって確認出来たら告白したらいい」
「好きじゃなかったらどうするの?」

今まで姫の気持ちを確かめようとしなかったのは、残酷な現実を知りたくなかったから。
姫が私たちの事を嫌いってことはありえない、私としては姫は間違いなく私たちのことが好きなんだろうって信じてる。
それでも、万が一にでもそうじゃなかった場合、あるいはそうだったとしても、別にもっと好きな他人が居た場合、私たちの関係は漏れ無く崩壊を迎えてしまう。
それだけは避けなければならなかった。

「好きになってもらえばいい、ただそれだけの話だよ」
「簡単に言うなあ、経験とかあるの?」
「無い、でも姫ならいけると思ってる。嫌いな相手と口づけなんてしないだろうからね」
「それはそうかもしれないわ、でも……」

二人一緒に好きになるように口説くなんて、私たちみたいなへっぽこ妖怪に出来るんだろうか。

「やる前から諦めたって仕方無いだろう、私たちが恋人になった以上、遅かれ早かれ姫との関係もはっきりさせなければならないんだ」

蛮奇ちゃんの言う通り、もう逃げ道はない。
自分から塞いだ逃げ道だ、あーだこーだ愚痴ったって全て自分にダメージが返ってくるだけ。

「……やるしかない、か」
「大丈夫だよ、私だってついてるんだ」
「今の蛮奇ちゃんか、不安だなあ……」
「何を不安がることがある?」
「えー、だって油断したらすぐにキスしてくるじゃない、うっかり姫の前でキスして関係がこじれるなんて事になったら目も当てられないわ」
「人を何だと思ってるんだか」
「ケダモノ」

あるいはキス魔か節操なしか、その他色々、蛮奇ちゃんに対する罵詈雑言はバラエティ豊かだ。

「ケダモノは影狼の方だろう」
「そっか、二人ともケダモノだったんだ」
「そういうことだ」

何だかんだ言って、実は私もキスは嫌いじゃない。
さっきまではさんざんやられっぱなしだった、今度は私の番だ。
ちう、と唇同士を当てるだけ軽いキス。
何がおかしいんだか、私たちは二人してクスクスと笑いあった。

ほとんどじゃれあってただけ、でも一応姫に関する方針は決めることが出来た。
しばらくは様子見、姫の気持ちを確かめるまでは告白はしない。
進歩したんだかしてないんだか、私たちらしい消極的なやり方だと思う。
まあ、私たちらしいんならそれでいいかもしれない。
さあ早く行かないと姫が待ってる。
二人でじゃれあうのもいいけど、やっぱり私たちは三人じゃなきゃね。










どうしよう、どうしよう、どうしよう。
じきに朝がやってくる、それまでに落ち着きを取り戻さないと。
そしてどうやって二人に接するべきなのか、きちんと考えないと。
時間は無限じゃない、こうやって水底に引きこもることが出来るのは二人がやって来る朝まで。
すでに三時間ぐらいは経過しているだろうか。
目を瞑っても今の落ち着かない気持ちじゃ、胸騒ぎがうるさくて眠れない。
瞼に閉ざされた真っ暗闇の中で、私はずーっと二人のことばかりを考えていた。
真面目に、本気で、それ以外のことは全く頭に無かった。
思い出されるのは、可愛くて、美人さんで、格好良くて、優しくて、私を守ってくれる二人の姿。
思い出が、私の恋を明確な形にしていく。
二人に対する接し方を考えるどころか、思い出せば思い出すほど、考えれば考える程に想いは強くなるばかりで、落ち着くどころか全くの正反対、気持ちはざわざわと騒がしくなっていく。
こんな気持ち、どうしたら。
二人と過ごしてきた時間、ずっと貯めこんできた気持ちが、射命丸さんの指摘を境に一気に溢れだしてしまった。
それが一日や二日で落ち着くわけがない。
わかってる、わかってるけど、こんなことをしている間にも朝は近づいてくる、蛮奇ちゃんも影狼ちゃんも病気でもしない限りは湖畔にやってきてしまう。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
ぜんぜんダメだ、こんな所で引きこもって考えこんでたってまともな案が浮かぶわけがない。
一度外に出よう、月の光でも浴びながらじっくり考えよう。
瞼を上げる、一気に視界が鮮明になる。

「……明るい?」

そう、明るい。疑問を呈すまでもなく、夜にしては明るすぎる。
揺らぐ水草も、心配そうに私に寄り添う魚達の姿も、鮮やかにはっきりと視認することが出来る。
一番傍に居た彼に聞いてみることにした。

『もしかして、もう朝なの?』

彼は『そうだよ』と返事をしてくれた。
一瞬で目の前が真っ暗になる。
私は頭を抑え、少々大げさによろけてみせた。
周囲の魚達が慌てふためく、心配をかけて申し訳ないとは思うものの、よろめかずには居られない。
そんな、馬鹿な。
だってだって、射命丸さんが来ていたのはついさっきの話だったはず。
多く見積もったってせいぜい二時間か三時間程度しか経過していないはずだったのに。
時間の感覚はとっくに麻痺していた、思考に夢中になりすぎて月が沈むのにも、日が昇るのにも全く気づいていなかったのだ。
水面を見上げると、太陽の光の向こう側にこちらを覗きこむシルエットが見えた気がした。
一瞬だ、すぐに頭を下げてしまったので誰かまではわからなかった。
しばらくすると、今度はふよふよと頭だけが浮いて、水中を覗きこんでいる。
浮遊する頭部、その視線と私の視線がばっちりとかち合う。

「蛮奇ちゃん……」

確認するまでもない、私の知り合いで首を飛ばせる妖怪なんて蛮奇ちゃん以外に居ない。
と言うことは、さっきこちらを覗きこんでいた女性は影狼ちゃん。
ああなんてこと、こんな情緒不安定なままで二人に会ったら、私はどうなってしまうのだろう、何を口走ってしまうのだろう。
魚達も二人の来訪に気付いたらしく、私の傍に寄ってきてエールを送ってくれた。
『頑張れ』、『勇気を出せ』と。
無責任すぎる。
気合でどうにか出来るならとっくにどうにかしてる。
今、水面に飛び出すのは勇敢ではなく蛮勇、無計画に突っ込むなんて自分から死ににいくようなもの。
もう少し、あとちょっとだけ時間を貰えれば。
五分、十五分、いや出来れば一時間とか三時間ぐらい貰えれば。
そうしている間に、いつの間にか魚達は私の背後に集まっている。
相変わらず『ファイト』、『今がチャンス』、『ここが勝負時』と無責任な応援を口々に言いながら、あろうことか私の背中を押し始めたのだ。
いつもなら魚達に力で負ける私ではない、これでも立派な妖怪なのだから。
でも今日に限っては、彼らの力はやけに強くて、私が迷っていることもあってか抵抗出来ずにぐいぐいと水面に向かって押上げられていく。
私の『待って、まだ待って、あと少し時間が欲しいのー!』という叫びも彼らは聞き入れてはくれない。
再び水面に影狼ちゃんの顔が現れる、こちらを覗きこんでいる。
私が上昇してくるのが見えたのか、いつもの優しさ溢れるスマイルで私に向かって手を伸ばす。
さすがにここまで来たらもう逃げられない、観念した私は自分の力で水面を目指す。
影狼ちゃんの伸ばした手に、自分の手を差し出して、私たちの手はしっかりと結ばれた。
魚達と違って、私は餌に食いついて釣られるなんてことは無い。
でも影狼ちゃんや蛮奇ちゃんなら話は別だ、二人が手を差し伸べるだけで、私はいとも簡単に釣られてしまう。
自分の気持ちを自覚してもしなくても、二人の笑顔が私の心を掴んで離さないという事実は変わらない。
笑顔という餌をぶら下げられてしまうと、私であっても抗うことは出来ないのだ。

「おはよ、姫。寝坊するなんて珍しいね」
「ぶくぶくぶく……」
「……姫?」

手を引かれた以上、顔を見せないわけにもいかない。
しかしまともに会話など出来るはずもなく、顔の上半分を水面から出すので精一杯。
顔を見るのも恥ずかしいし、顔を見せるのだって恥ずかしい。
本当は、真っ先に二人に謝らないといけないのに。
それも出来ない自分の小心さが恨めしい。

「姫ー、おはよう」

今度は蛮奇ちゃんが顔を見せる、爽やかな笑顔だが今は少々目に毒だ。

「ぶくぶくぶくぶく……」

影狼ちゃんの時と変わらず、水中で返事をする私。
もちろん二人には伝わらないが、一応返事はしておかないと気がすまない。

「影狼、これは一体どうしたんだい」
「私は知らないわ、最初からこの状態なんだから。そういう遊びなのかしら?」
「何か変なことでもしたんじゃないか、思い当たることは?」
「昨日は蛮奇ちゃんだって一緒に居たじゃない、何もしてないわよ」
「じゃあどうしてこんな状況に?」
「うーん……」

二人が首を傾げるのも仕方無い。
私がこうなってしまった理由を二人が知るわけがないわけで、かと言って射命丸さんに何を言われたとか一から十まで説明出来るわけもなく。
結局私に出来ることは、こうして水中でぶくぶくと泡を出し続けることぐらい。
本当に二人には申し訳ないとは思ってる、でも無理な物は無理だから、できれば今日は諦めて欲しい。
今日は二人の顔を見れただけで満足だから、ね?

「わかったわ、おはようのキスを求めてるんじゃないかしら」
「求めてるんなら何で出てこないんだか」
「そこよ、あえて試練を課すことで私たちの王子様適性を試しているのよ、ええきっとそうね」
「またまどろっこしいことを……」
「ねえそうでしょう、姫は私とキスをしたいのよねー?」

ブンブンと全力で首を横にふる。
顔を合わせるだけで頭がおかしくなりそうなのに、キスなんてしたら頭が爆発して二度と使い物にならなくなってしまう。
そんなことになった人を見たことはないけど、絶対にそうになるに決まってる。

「ぷっ、全力で嫌がられてるじゃないか」
「ここで笑うのはさすがに性格悪いと思うんだけど。
 んー……キスでも無いとなると、一体どうして姫は私たちに可愛いお顔を見せてくれないのかしら?」
「口づけを拒否されて本当は深く傷ついているのに、それを気取られないように振る舞う影狼……本当に健気だね」
「今は姫のことを話してるんだけど。
 もしかしてそれ、いつも仕返しのつもり?」
「自分が被害者になると私が嫌がる理由がよくわかるだろう、それに姫に拒否されて傷ついているのは本当のことだと思うがね」

傷つくってことは、影狼ちゃんは少なくとも私とのキスを嫌ってはいない。
それは前からわかっていた事だけど、それを考慮すると影狼ちゃんも蛮奇ちゃんも、少なくとも私の事は嫌いじゃなくて、好きってことにならないだろうか。
ううん、なる。なるってことにしておこう、そしたら多少は気が楽だから。

「どうしよっか、多少強引な手を使う?」
「そうだね、それもいいかもしれない」

不穏な会話、嫌な予感。
二人は珍しく共謀して、いたずらっ子のような顔をしながら私に近づいてくる。
怖い、いくら好きでも怖い物は怖い。
でもこの場で逃げるような私が、明日以降も逃げずに向きあるだろうか。
気持ちを自覚してしまった以上は、諦めでもしない限り私の気持ちが落ち着くことはおそらく無い。
この気持ちは昨日急に生まれたものではなく、元から私の中にあった物なのだから。
日によって振れ幅はある、場合によって大きくなったり小さくなったりもする、けれど一度だって消えたことは無かった。
それが、自覚したことで今までで一番大きく燃え上がっている、ただそれだけのこと。
ずっと胸の中にある物なのに、都合よく消えてくれるなんてことはありえない。
わかるよ、私自身の事だから誰より私が一番わかる。
きっと私は明日だって逃げる、逃げて二人に謝れないまま、また中途半端な私に戻っていく。
それだけは、嫌だから。
私の腕を掴もうとこちらに出された二人の手に、私は自ら手を載せる。

「やっと観念したわね、今度こそおはよ」
「うん……おはよう、二人とも」
「おはよう、姫。
 もしかして体調が悪いとかじゃないよね?」
「ううん」
「嫌なことがあったんなら相談に乗るわ」
「それも違うの、心配をかけてごめんね……私は何とも無いから」

こういう時でも二人は優しい、私のバレバレな嘘にも苦笑いをするだけで深くは追求してこないのだから。
二人の差し伸べた手を握り、私は地上へと引き上げられる。
地面に打ち上げられた私はすぐに影狼ちゃんに抱っこされて、そのまま切り株に腰掛けた。
蛮奇ちゃんもちょうど向かい側にあるもう一つの切り株に腰掛ける。
見慣れた光景なのに、まるで今日が初めてみたいに感じる。
いつもこんなに顔近かったっけ、こんなに影狼ちゃんの体の感触がはっきりと感じられたっけ。
たぶん違ったと思う。
見える世界が違う、触れる感触が違う、外から与えられる何もかもの刺激が一つ上の段階へと進化しているとでも言えばいいのだろうか。
昨日まではまるっきり別物だ。

「おはようのキス、するの?」
「いつもは姫の方からねだってくるぐらいなのに、ほんと今日はどうしちゃったの」
「うん……別に、どうもしないけど」

嘘だ、私の頭はおかしくなってしまった、厄介な病に冒されてしまったのだ。
だけど伝えられない、伝えきれない。
懲りずに嘘で嘘を塗り固める、本当の気持ちを二人に伝える勇気がどんどん遠くなっていく。

「やっぱり熱があるんじゃないかな、さっきより姫の顔が真っ赤になってるようだけど」
「無理して地上にあげない方が良かったのかしら、遠慮なんてしないで正直に言っていいのよ」
「ちっ、違うの、本当に違うの、そういうのじゃないから……!」

じゃあどういうのなんだ、と聞かれても私には答えることは出来ない。
そして二人は優しいから聞いてきたりはしない。
私が口を開くまで、何事も無かったかのようにいつも通りに振る舞ってくれるだろう。

「今日はタイミングが悪かったかな」

ぼそりと、影狼ちゃんはそう呟いた。
その後蛮奇ちゃんと目配せをすると、二人は首を振ったり頷いたりを何度か繰り返した。
また隠し事だ、それも私に関係する。
私を驚かせようとしてくれているのかもしれない、二人が私に悪意を向けるはずがないなんてことわかってる、きっと私を驚かせようと何かを準備しているのだろう。
それでも寂しさを感じてしまう、自分の都合だけを押し付けるエゴイズムがやめられない。
どうしてこんなにもワガママになってしまうのか、理由がようやく分かった。
これが独占欲だったんだ、二人は私の物、他の誰にも渡したくない、そんな利己的な考えが私を動かしていた。

「……姫はさ」

二人のやり取りが一段落した後、影狼ちゃんが口を開く。

「恋愛とかに興味あったりする?」
「ひぇっ!?」

突然の質問、あまりにタイムリーすぎる話題に素っ頓狂な声を上げる私。
なんで、よりにもよってこのタイミングで恋愛の話題なんて、そんなことってありえるの?
気づかれてる……わけはないよね、一度だってそんな話はしたこと無いし、気付いてるんならそんな遠回しな聞き方するわけないもの。
そう、私たちってキスまでしてたくせに恋愛の話なんて全くしてこなかった。
二人から浮ついた話は聞いたことはなかった上に、私は二人のことがずっと好きだったわけだし、そんな私たちがあえて恋愛に絡む話をする必要などは無い。
ひょっとすると、少なくとも私に関してはあえて避けてきたのかもしれないけど。
興味があるかないかで言えば、あるに決まってる、その張本人が目の前に居るのだから。
本当なら誤魔化して興味はないって言いたい所だけど、ついさっき嘘をついたばかりなのに、これ以上嘘を重ねるなんて。
想いを伝えるのは怖い、勇気のいる行動だ。
でもそれ以上に、大好きな人に嘘をつくことの方がずっと辛い、罪悪感の痛みは恋の痛みなんかよりずっと痛い。
だから、全部伝えようと思う、これ以上罪を重ねたくなんて無いから、二人に嘘はつきたくないから。

「……ある、かもしれないわ」
「そっか、あるんだ。
 まあそうよね、女の子なんだし恋愛には興味があるに決まってるわよね、うん」

影狼ちゃんにとって予想外の返答なのだろうか、私の答えを聞いたとたんにそわそわと落ち着きが無くなる。
蛮奇ちゃんも心なしか表情が堅い、私が恋愛に興味があると何かまずいことでもあるの?
急にあんな質問をしたってことは、二人が最近隠していたことは恋愛に関する何かってことになる。
恋愛絡みで私に隠さないといけないことなんて、二人に好きな人が出来たとか? それともとっくに誰かと付き合っているとか?
そんな、まだ告白だってしてないのに。
確かに二人が地上でどんな生活をしているのか私はほとんど知らない、私の知らない誰かに私の知らない笑顔を見せていたっておかしくはないし、もしそうだったとしても二人に非は無い。
私が勝手に嫉妬して、私が勝手に失恋するだけの話だ。
でも、それでも、何も知らないまま蚊帳の外で終わるのだけは嫌、絶対に。

「私にだけ聞くのはずるいと思うわ、影狼ちゃんと蛮奇ちゃんは恋愛に興味はあるの?」

この際だし、これをいい機会だと思って二人の気持ちを確かめてみてもいいかもしれない。
それで二人が私のことを好き、なんて都合の良い結果がわかれば万々歳だし、わからなくてもそれはそれで二人のことをより深く知ることができる。
姫や王子なんてメルヘンな言葉を使っていても、私だって現実はそう甘くないことぐらい知っている。
影狼ちゃんと蛮奇ちゃん、二人が同時に私に恋してくれてるなんてご都合主義がありえないことぐらい承知しているし、どちらか一方だけだとしても十分にありえない奇跡だと思う。
そんな都合のいい奇跡よりは、知らない場所で知らない誰かと恋をしている可能性の方がずーっと高い。
それでも奇跡に縋りたいと願ってしまうあたり、やっぱり完全には現実を直視出来てないんだと思う。

「あると言えばあるかな、けど人並みだと思うわ」
「私もあるよ」
「そうなんだ……」

私に聞いてくるぐらいなんだから、興味あるに決まってるよね。
問題はここから、質問が一つで終わりなわけはないし、さらに突っ込んだことを聞いてくるのなら私だって二人に聞き返してやる。

「じゃあ次は、姫の好みのタイプなんて聞いちゃおうかな。
 どんな人が理想なの?」
「理想……ねえ」

ぱっと思いつくのは、やはり二人の顔で。
二人はあまり似ているわけじゃない、性格も身体的特徴も、喋り方や私に対する接し方だって違う部分はかなり多い。
でも、それぞれが私にとっての理想であり、どこが良いとかどこが好きだとか、具体的な言葉にするのは難しい。
だから結局、当たり障りの無い解答になってしまう。
ここで突然に二人のことが好きって告白するわけにもいかないものね。

「優しい人かしら、あといつも傍に居てくれて守ってくれる人がいいわ」

そのまんま二人のことになっちゃったけど、気づかれたりしないよね?
この手の質問にありがちな模範解答だもの、きっと大丈夫。

「見た目はどんな人が良いんだい?」

間髪入れずに蛮奇ちゃんからのクエスチョンが飛んでくる。

「やっぱり魚みたいな顔の人がいいのかな……」
「くすくす、私が人型をしてるんだからそんなわけないじゃない。
 でも見た目なんてどうでもいいわ、好きになるってそういうことじゃないと思うの」
「好きになる相手はそうかもしれないね、でも何かしら理想はあるんじゃないかな?
 理想なんだからどんなに無茶な要求だって構わないよ」

とっくに好きな人がいるんだから、それが理想に決まってる。
身長が高くて、本人は否定するけどスタイルも抜群、目鼻立ちも整っている上に長い黒髪のせいで大人っぽく見える影狼ちゃん。
満月が近くなるともふもふした毛が生えてくるのもチャームポイントよね、本人は気にしてるみたいだけど。
一方で身長は低めで、綺麗って言うよりは小動物的な可愛らしい顔をしているのが蛮奇ちゃん。
子供っぽいとは言わないけど、格好良い自分を目指してるなんて言いながら大きなリボンをつけているギャップがさらに可愛い。
首だけ飛んでても可愛いと思えちゃうあたり、私の惚れっぷりは筋金入りなのかもしれない。
見た目一つをとっても正反対と言っても良いぐらいに違うのに、理想の容姿を一つに絞るなんて出来るはずがない。
そんな二人の共通点なんてせいぜい一つや二つ。

「うーん……強いていうなら、優しい目をしている人がいいかな」
「性格の理想と被っるような気がするわ」
「つまり優しい人がいいってことだろう、それが一番重視する部分ってことだ」

普通の人は理想があるからこそ好きになるのかもしれない、理想にぴったりの人を探すわけだ。でも私の場合はそれとは逆。
理想なんて意識したことなかった、二人を好きになってからはその二人が理想になってしまったから。
だから、見た目も性格も違う二人の共通点は優しいってことぐらいしかない。
私に接する態度も、かける言葉も、そして見つめる瞳も、どれをとっても慈しみを感じる。
”嫌いって言われたらどうしよう”なんて思うこと自体が不義理なんだ、疑う予知もなく二人は私の事を大切に想ってくれている。
この二人なら、きっと私が告白したら受けてくれるだろう。
傷つけないために、守るために、自分の気持ちが別にあったとしても喜んで私の恋人になってくれる、そんな気がする。
甘えて少しワガママになってしまうほどに、二人は私に優しいから。

その後も、二人からの質問攻めは続いた。
核心に触れるようで触れないギリギリの質問を何度も何度も投げかけられるうちに、私の緊張は少しずつほぐれていった。
と言うより、二人と話しているのが楽しくて本題を忘れつつあったと言った方が正確なのかもしれない。
いつも通りの会話にリラックスしすぎたなんて言い訳にしかならないことはわかってる、わかってるんだけど、言い訳してでも、出来るならこのまま最後まで何も変わらない私たちのまま自然な会話を続けていたかった。
嘘をつくのはやめたって言っておきながら、いざその時が迫ってくると日和ってしまう。
臆病者の自分に嫌気が差す。
愛すべきこの場所を、この時間を、今の状態のまま止めてしまえたら、そんな魔法が私に使えたのなら、迷わずにその場で使ってしまうだろう。
でもね、臆病だと呼べる人がこの世にどれぐらい居るって言うの?
大切な物をずっと大切にしたいと思う気持ちは臆病さなの?
切り捨てて前に進むことが正しさなの?
何が正しくて何が間違ってるかなんて人によって違う。
二人の存在は、私にとっては全てと呼んでもいいほどに大きい物だから、失った時の痛みは計り知れない、想像しだけで死んじゃうぐらいに胸が痛くなる。

重ねる質問はやけに慎重で、核心に迫ると言うより外堀を埋めていると言った方が相応しい。
中身は知ろうとしているわけではない、まずは概形さえわかればいい、そういうやり方だった。
少なくとも、その時がやってくるまでは影狼ちゃんは上手くやっていた。
でもその時は、突然にやってきた。
私ほどでは無いものの、影狼ちゃんも天然な部分がある。
ふとした瞬間に気が抜けてしまうのか、偶にとんでもないへまをやらかしてしまうことがある。
何も今、その”偶に”がやって来なくてもいいのに、新聞に撮られた件もそう、昨日の射命丸さんのことだってそうだ、運命の神様はどうしてこう意地悪なんだろう。
空高くにいるから私の力じゃ届かないけど、力いっぱいに恨んでやる。

「じゃあさ、姫には好きな人はいる?」

流れるように、特に意識することなく影狼ちゃんはそう言った。
会話の流れからして”次はあの質問が来るだろうな”という予想の範疇であったけど、おそらくそれは二人が最もやってはならないことだった。
そして私にとっても、もっとも恐るべき失敗だったのだ。

「なっ……!?」

蛮奇ちゃんは目を見開いて驚く。

「あ、やばっ……」

影狼ちゃんは口に手を当てて青ざめる。
蛮奇ちゃんが顔を手で多いながら頭を垂れ、「はぁ」と大きくため息をついた。
鈍い私にだってわかる。
今の質問こそが、二人が聞こうとしていたことの核心だったんだね。

「やっぱり今の質問は無しでいい?」

影狼ちゃんは冷や汗をだらだら流しながらそう言った。
本来ならもっと段階を踏んでたどり着くはずの問いだったんじゃないかな、何時間も、あるいは一日、一週間、とにかくゆっくりと時間をかけて私から聞き出すつもりだった。
私に感付かれないように。
でも何のためにそんなことをする必要があるんだろう。
まず単純に興味本位である可能性、でもその場合は影狼ちゃんに蛮奇ちゃんが協力するとは思えない。
蛮奇ちゃんも協力していると言うことは、その理由にはある程度の正当性があるということ。
それっぽい理由があるとするのなら、誰かに頼まれたとか? 
でも一体誰に、私の親しい友人なんて影狼ちゃんと蛮奇ちゃんぐらいしか居ないのに。
私の知らない誰かになんて興味はないわ、私が興味あるのは二人だけなんだから。
あとは……少し自惚れていいのなら、私に興味があったから。
影狼ちゃんか蛮奇ちゃん、どちらか一方が私のことを好きで、協力してもらってどうにか本音を聞き出したかったとか。
もしかしたら二人とも私のことが好きで、だから協力してたとか。
そうだったら、どんなに良いことか。
だけど良いことを想像してた方が気持ちは楽だし、何より正しいから、私の中ではそれが正解ってしておこう。

でも、うん、やっぱり今の質問は無しにしてもらった方がいいかな。
どうせどう答えても私の望み通りにはならない。奇跡はどうせ起きない。
だったら、私が傷つく可能性のある質問に答える必要なんてない。
それが、私に出来うる最もベターな行動。
誰も傷つかないし、私も傷つかない。
特に誰が損をするというわけでもないし、得をする誰かだって居ない。
賢くて、効率的で。
ずるくて、逃げ腰の。
ああ、なんて私らしい、臆病者らしい選択。

「そうね……」

……ねえ、私。
本当に、それでいいの?
私は二人のことが好きなんだよね? 思わずキスをお願いするぐらい好きなんだよね?
そして自分の気持ちを自覚せずに嘘をついてしまったことを悔いている。
悪いのは私、二人の善意を利用してきたのは他でもない私、誰のせいでもない。
謝りたいって思ってる、二人にたくさん迷惑かけてきて、その分恩返ししたいとも。
でも一番の理由はそんなんじゃない。
独占欲が沸いてくるぐらいの好きって気持ちが、気付いてしまったばっかりにもう抑えられなくなった大好きの想いが、どうしようもないぐらいに膨らんでしまったから二人にぶつけてしまいたいんでしょう?
抑えられる? 我慢できる? 無かったことにしてもいいの?
そんなのは、嫌なんでしょう?
そう、嫌だ、絶対に嫌だ、二人が知らない誰かのものになるのも、私の居ない場所に行ってしまうのも、私の知らない場所で笑うのも、嫌だ、嫌だ、嫌だ!
お姫様だからってお利口さんでいる必要はない、痛い思いは嫌だなんて甘えてる場合じゃない。
二人のため、そして何より自分のため、エゴイストだって言われても、私は自分の想いを伝えたいの。
二人が私のことを好きじゃなくてもいい、仕方なく恋人になってくれたって構わない。
そのあとで好きになってくれるかもしれないじゃない、可能性はゼロなんかじゃない、奇跡だって起きたらそれが現実なんだから。
あえりないなんてありえない。
だって好きなんだもの、こんなに好きになっちゃったんじゃ逃げたってどうせまた溢れだす、止まるわけがない!
だから――

「答えて、いいの?」
「答えるって……」
「今の質問に、好きな人は誰かって」
「ん……」

影狼ちゃんは、視線で蛮奇ちゃんに確認を取る。
蛮奇ちゃんはしばらく黙ったままだった。
下唇を噛み締めながら、目をぎゅっと閉じて、険しい表情で考えこむ。
しばしの沈黙。
冷や汗が、不安げな表情の影狼ちゃんの輪郭をつぅと流れる。
……蛮奇ちゃんは、こくりと頷いた。

「うん、いいよ。
 この際だ、もう全部答えてもらった方が私たちにとっても都合がいいだろう」
「……わかった。
 お願いしてもいいかな、姫」

お願いなんて必要ない、私が答えたいと望んだのだから、二人が許可しなくたってどうせ答えるつもりだった。
二人の思惑なんてこの際関係ない、もう全部ぶちまけてしまおうと思う。
これで私たちの関係が壊れてしまう可能性だってある、壊れなくとも関係に違和感は残るだろう。
その恐怖はある、あるのだけれど……この気持ちを隠したまま、嘘をついたままで二人と一緒に居るほうがずっと辛い。
辛いなんてもんじゃない、絶対に耐え切れないって、そう確信できるから。
言おう、言ってしまおう。
ご都合主義に、祈りを捧げて。

「私が好きなのはね」

喉から声を絞りだすのにこんなに力が必要なことは今まで無かった。
お腹にきゅっと力を込めて、抗おうとする臆病な私を一蹴する。

「影狼ちゃんと蛮奇ちゃんだよ」

瞬間、時間が止まったような気がした。
風が私たちの頬を撫でるまで、このまま二度と時間が動き出さないんじゃないかと錯覚してしまうほど、景色は静止して周囲からは音が消えていた。
二人も自分の息を忘れるほどに驚いていて、再起動までに五秒以上もかかってしまった。
再起動後に、最初に口を開いたのは影狼ちゃん。

「ごめん、たぶん、私の聞き間違えだとは、思うんだけど……ねえ姫、さっきの言葉、もう一回だけ聞いても、いい?」

音飛びを繰り返すレコードのように途切れ途切れの言葉。
そんなに驚いているのは、どうしてなんだろう。
二人にとって都合の悪い事実だったから? それとも嬉しかったから?
まだわからない、二人の言葉を聞かない限りは秘密は暴けない。
怖いよ、怖いに決まってるよ、どんなに勇気を振り絞ったって失うのが怖い気持ちは変わらない。
それでも、好きな気持ちを諦める気はさらさらなかったから、二人に比べて自信を持って喋ることが出来る。

「何回だって聞かせてあげる。
 私は、影狼ちゃんと蛮奇ちゃんが好き。
 友達としての好きじゃなくて、恋人になりたいって意味で好きなの」

聞こえた?
嘘偽り無く、これが私の全てなんだよ。
二人のことが好き。
たったこれだけで私って言う人格が出来上がっていると言っても過言じゃないぐらい、二人への想いが私の全てなの。
つまり、今まで私は私のほとんどを隠してきた。
私から見た二人が理解できなかったように、たぶん二人からみた私だって理解できなかったんじゃないかな。
それもそのはず、心を閉ざしていたも当然の状態だったのだから。
私の言葉を聞いた二人は、再び固まってしまった。
影狼ちゃんは助けを求めるように蛮奇ちゃんの方を見る、でもそっちもそっちで役に立つ状態じゃなかったみたいで、同じように影狼ちゃんにすがるように視線を向けた。
しばらく見つめ合う二人。
最初は表情も凍ったように固まっていた二人だけど、次第に解凍されていき、口角がじわじわと上がっていく。

「影狼、これはもしかしてもしかすると、私たち……勝った、んじゃないか?」
「勝ったって表現が正しいのかはわかんないわ。
 けど、そうね、それ以外に相応しい言葉が見つからないわ」

二人の言っていることがわからない。
私は精一杯の告白をした、それに対して返ってくるのはイエスかノーの二択だと思っていたから、まさか勝ったなんて言葉が出てくるとは思ってなかった。
勝敗なんて物があるような質問だったの?
まだ結果はわからない、私の気持ちが実るのか実らないのか、あまりに分の悪い賭けだとは理解してる。

「は、はは、ははははっ……」

すると、影狼ちゃんは突然に声を上げて笑い始めた。
急な出来事に呆けて影狼ちゃんを見ていると、それに反応したかのように蛮奇ちゃんまで笑い始める。

「ふ、ふふふ、あはははははっ!」
「はははっ、はははははっ! どうしよう、どーしよう、私どうしたらいいのかな!?
 一生分の幸せ、今日で使い果たしちゃったかもしれないわ!
 どうしよう、ほんとどうしよう蛮奇ちゃんっ!」
「どうしようなんて私に言われたって困る、私だってどうしたらいいのかわからないんだからね。
 ただ……一生分の幸せを使い果たしたってのには同意だよ、まさかここまで都合良くことが運ぶとは思ってもいなかった」
「これ、夢じゃないわよね? 夢じゃないんだよね、姫?」

やけにハイテンションな影狼ちゃんが、満面の笑みで私に問いかける。
夢、と言われても、二人がどうしてそんなに喜んでいるのか私にはさっぱり。
二人の間ではそれで完結していたとしても、私は全く蚊帳の外だ。
喜んでくれるのはいいけど、はっきりと言葉で私に伝えて欲しい。
勢いに任せて告白したのはいいものの、今になって何だか急に恥ずかしくなってきた。
顔が熱い、体も熱い、一人だけ恥をかいたみたいで余計に恥ずかしい。

「私が勇気を出して告白したのに、返事をしないで二人だけで盛り上がるのは酷いと思うの」
「あっ……」
「はしゃいでたのは影狼だけだよね」
「思いっきり蛮奇ちゃんだってはしゃいでたじゃない!
 ごめんね姫、まさかこんなに都合の良い展開になると思ってなかったから、ついつい舞い上がっちゃって」

さすがの私でも、ここまで言われれば答えはわかる。
都合のいい展開、ご都合主義。
それは……私が望んでいた事でもあって、二人の望みも私と全く同じだと言うのなら、奇跡は起きたと言ってしまってもいいのかもしれない。
でも私がはしゃぐのは、本人の口から直接聞くまでおあずけだ。
だから影狼ちゃん、蛮奇ちゃん、その言葉を早く聞かせて。
ご都合主義の奇跡だってこの世に存在するんだってことを、私に教えて欲しいの。

「私の気持ちも姫と一緒だよ、姫のことが大好き、そして蛮奇ちゃんのことも大好き。
 だから、ずっとずっと一緒にいよう、ねっ?」
「私もだよ、姫のことを愛してる、影狼のことも愛してる。
 だから――三人で一緒に恋人になろう」

三人で一緒に。
私たちにとって、それ以上に重要なことはこの世に存在しない。
誰か二人が恋人になっても、三人一緒に友達で居たほうが遥かに幸せ。
じゃあ三人一緒に恋人になったらどうなってしまうのだろう。
影狼ちゃんのはしゃぐ気持ちがよくわかる、むしろ今でも抑えてるぐらい。
蛮奇ちゃんは格好付けたがりだから表立っては騒いだりしない、ただ顔を見てみると一目瞭然でにやにやと緩んでいるのがすぐわかる。
そして私も、影狼ちゃんの瞳に写る自分の姿でなんとなくわかる。
顔はでろでろにとろけているし、気分はもう天国にいるみたい。

「そういえば、おはようのキスをまだ済ませていなかったはずだよね」
「そーだ、そういえばそうだった、せっかくの記念だし思い出に残るキスにしたいわね。
 姫はなにかリクエストとかある?」
「待って、待ってよ二人とも、いまキスなんてしたら、私……」
「だーめ、もう私は抑えられないからね、おはようのキスどころかそれ以外のキスも何回だってするつもりなんだから。
 一度や二度で恥ずかしがってたんじゃこの先戦っていけないよ?」
「うぅ……わかったわ、じゃあリクエストするわ」

どうせなら三人一緒に出来るキスがいい。
さすがに唇を合わせるのは無理だから、他の場所を考えないと。

「首がいい? それとも耳? 背中?」
「影狼ちゃんの変態……」
「まさにケダモノじゃないか」

今じゃなければどこにキスしてもらって構わない。
でも今だけはダメ、そんなことされたら一気に臨界点を超えちゃうのは目に見えてるから。

「えっとね、二人一緒に頬にキスしてもらってもいい?」
「頬なんかでいいの?」
「興奮したケダモノも居ることだし、頬に口付けるぐらいがちょうどいいのかもしれないね」
「蛮奇ちゃんだってさっきまでケダモノだったくせに」

これは勘なんだけど、もしかしたら二人は私より先に恋人になっていたのかもしれない。
私に好きって言ってくれた時、お互いに影狼ちゃんと蛮奇ちゃんの名前だって含まれてたと思うし、最近二人の雰囲気が変わった気がしていたのはそういうことだったのか。

「さて、それじゃあ姫のほっぺたをおいしく頂いちゃいますか」
「ほ、本当に食べたりしないでね?」
「大丈夫大丈夫、うまくやるから」

いつも唇にしてるくせにいまさら頬になんて、と影狼ちゃんは思っているのかもしれない。
物足りなさを感じる気持ちもわかるけど、今の私にはこれが精一杯。
それに今必要なのは、私たちが恋人になったっていう証だから、キスの形なんて本当はどうだっていいの。
影狼ちゃんは私を降ろして、切り株の上に座らせる。
そして二人は唇を私の頬に近づけていく。
唇同士を寄せ合う時に、真正面で見つめ合う恥ずかしさは無いけれど、頬に感じる二人の体温がたまらなくこそばゆい。
二人の唇が私の頬に触れる寸前に、影狼ちゃんは私の耳元で囁いた。

「姫のこと、絶対に離さないから。ずっと一緒にいようね」

至近距離から吐息と一緒に聞こえる声に、私の背筋にぞくりとした感触が走る。思わず体を震わせる。
蛮奇ちゃんもそれを見て真似するように耳元に唇を寄せた。

「愛してる」

そう一言だけ。
またびくんと体が震える。
満足した二人は今度こそ頬に顔を近づけて――私の頬に、ほぼ同時に口付ける。
至福の時間とはまさに今のこと、胸の中も頭の中も全てが幸せに塗りつぶされていく。
この幸せが一生続きますように、と願いながら、私は二人の唇の感触をしっかりと記憶に刻み込んだ。










「文、つまらなそうな顔してる」
「当然でしょう、予想通りすぎて何もおもしろみが無いじゃないですか。
 個人的にはもっとドロドロとした展開を期待していたのに、三人がお互いに好き同士ってなんですかそれ、甘っちょろすぎますよ」
「幸せなのが嫌いなの?」
「自分の幸せは好きだからいいですけど、基本的に幸せな記事は受けが悪いですからね」
「どうして?」
「悲しいかな、読者には不幸の方が人気があるんですよ、そちらの方が色々想像のしがいがあるんでしょうね」
「あたいは文の幸せが記事になったら絶対に買うよ!」
「嬉しいですが、それが通用するのはチルノさんぐらいでしょうね」
「そうなんだ……でもそう言う割には、あの三人の写真もちゃんと撮ってたよね? 飯の種にならないんじゃないの?」
「……まあそうなんですが。
 私も新聞記者の端くれですから、一度手を付けた事件を途中で放り出すなんて、プライドが許してくれないんですよ」










竹林を抜け、街道を人里方面にしばらく進んだ所に、お地蔵さんが三体ほど並んでいる。
私たちはこの場所を、そのまんま三体地蔵と呼んでよく待ち合わせの場所として利用したりしている。
人里からそう離れていないこともあって、妖怪に限らず、人間たちもここを待ち合わせ場所にすることはままあることだ。
そんな三体地蔵の前で、私はかれこれ二十分ほど待ちぼうけていた。
苛立たしげに尻尾を左右に揺らしながら、腕を組み彼女を待つ。
彼女が時間にルーズなのはどうやら有名な話らしく、一時間待たされた者も居るらしい。
頼み事をしたのは私の方だし、一時間以上待たされても文句を言える立場では無いのだが。

「あふ……」

我ながら大きなあくびだ、嫁入り前の乙女のこんな姿はとてもじゃないが人に見せられない。
しかし退屈すぎると眠気が来るのも仕方のないことで、私の瞼は次第に重くなっていく。
一瞬だけ、ほんの十秒ほど目を閉じて眠気を覚まそう……そうやって本気の眠りに入った回数は数知れず。
さすがに立ったまま眠るのは無理がある、それでも眠気を覚ますために目を閉じるのは決して無駄ではない。
ほんの数秒だけ、腕を組んだまま私は瞼を落とす。視界が闇に閉ざされる。
すると、ちょうど私が目を閉じたのと同時に、風を切る音と、髪が乱れるほどの暴風が同時に襲いかかってきた。
慌てて目を開くと、そこには待ち人――霧雨魔理沙の姿があった。

「すまんすまん、思った以上にあいつの話が長くてな」

口ではすまんと言っているが、顔は全く謝っているようには見えない。
まあしっかり頼み事を終えてくれたのなら文句は言わない、対価を払ったわけでもないんだしね。

「ほらよ、約束の品だ」
「ありがとう、まさか本当に受けてくれるとは思わなかったから助かったわ」

魔理沙から手渡されたのは一巻の巻物。

「私がやったわけじゃない、知り合いにそういうのが得意な奴がいたからな。
 あとは材料と人手だが……」
「そこは大丈夫、あれのお陰で協力者がいっぱい居るから」
「みんな暇なんだな」
「最近は目立った異変も起きてないもの、退屈で仕方無いみたいね。
 ともかく今回は本当にありがとう、このお礼は必ずするから」
「ああ、そこそこ期待して待っておくよ」

大したお礼は出来ないだろうから、そこそこ止まりで非常に助かる。
せいぜい菓子折りを送るぐらいで精一杯だろうしね。

「ところで、魔理沙の方はどうなったの?」
「どう、って何の話だ?」
「私を追いかけまわしてた時に言ってたじゃない、スキャンダルに巻き込まれてるとか何とかって」
「お、覚えてたのか……」

忘れるわけがない、時折思い出しては、気になって眠れなくなるぐらい気にしていたのだから。
私の方の問題が解決したわけだし、彼女の問題にも何らかの進展があっておかしくはない。

「まあ、どうにかなるんじゃないか」
「ちなみに相手は?」
「私のことはどうでもいいだろ、お前には関係のない話だ」
「関係は無いけど興味はあるの」
「それはもういいから」

どうやらよっぽど話したくない内容らしい。
ドロドロのスキャンダルって言ってたし、たぶん両想いだった私たちなんかよりずっとこじれているんだろう。
ひょっとすると、そのうち文々。新聞の一面を飾ることになるかもしれない。

「ま、私に出来ることなんてそんなにないけどさ、応援ぐらいはしてあげるわ」

内容も相手もわからないんじゃ、応援以上のことは私には出来ない。
私の計画に協力してくれた恩もあるし、本気で相談には乗るつもりでいたんだけど、本人にそのつもりがないんじゃしょうがない。

「ふぁーいとっ!」

両手で拳をぎゅっと握り、精一杯のエールを魔理沙に送る。

「気の抜ける応援だな……。
 その気持ちだけはありがたく受け取っておくよ、じゃあな」

彼女は箒にまたがり、嵐のように飛び去っていく。
再び風圧が私の髪を乱した、もう少し慎重に飛び立ってくれてもいいだろうに。
慌てて髪をセットする。
髪も気持ちも一段落した所で、私は自分の手に握られた巻物を見つめ、にやりと笑った。
ようやく手に入った、依頼をしてから思ったより時間がかかってしまったけれど、タダで請け負ってくれたんだから文句は言うまい。
今すぐに開きたいのはやまやまだけど、二人の前でお披露目するまで我慢我慢。
でもその我慢もそう長くは続いかないのを私はよーく知っている、だから急いで駆け出した。
こう見えても私は狼の妖怪、空はそんなに得意じゃないけど、地上を駆けるスピードならそんじょそこらの妖怪には負けない自信がある。

街道を駆け抜け森の中へ、森を突っ切り湖畔へ一直線。
地を蹴り風を切り、草木生い茂る森の中を強引に突っ切って行く。
あっという間にいつもの広場に到着、スピードはそのままで蛮奇ちゃんの目の前目掛けて地面を踏み切った。
ドスン、と地面を抉るほど強い着地、自分で思っていた以上に大きな音が鳴ってびっくりしてしまった。

「おっはよ、蛮奇ちゃん!」
「うわっ!? か、影狼?」

びくっと体を震わせ、お手本のような驚き方をする蛮奇ちゃん。
サプライズ成功である。
張本人である私ですら驚いたのだから蛮奇ちゃんが驚かないはずがない。
突然の登場に驚いた蛮奇ちゃんは、私の期待通りのリアクションをしてくれた、世は満足じゃ褒美を取らせよう。

「早速だけど、ラブラブキスしよ?」
「なんなんだい一体、そのラブラブキスって」
「それはもう濃厚な愛がこもった、ドロドロの塊のような甘い甘いキスよ」
「……いや、遠慮しておくよ」
「えー!」

キス自体はいつもしてるのに、ちょっと濃厚になっただけで避けるなんて潔癖すぎだよ蛮奇ちゃん。
私は口を尖らせながら、愛を受け取ってくれない蛮奇ちゃんをジト目で睨みつける。

「そんな顔しないで欲しいな、普通の口づけなら歓迎ってことだよ」

困ったように笑いながら、蛮奇ちゃんは私の手をとって自分の方へとぐいっと引き寄せる。
バランスを崩し少し前のめりになる。
蛮奇ちゃんは私より身長が低いから、前のめりになるぐらいでちょうどよかったりする。
そのまま唇を食むようにキス。

「満足したかい?」
「仕方無いわね、100点をあげるわ」
「その割には不満そうだ」
「もっと愛がこもってたら120点なのよ、次は頑張ってね」
「はいはい、適度に頑張らせてもらうよ」

いつもの儀式を終わらせた私たちは、手を繋いで湖畔へと向かう。
姫はすでにこちらを向いて待ち構えていた。
私たちの姿が見えると、右手を大きく左右に振った。

「影狼ちゃーん、蛮奇ちゃーん!」

一緒に尾ひれまで動いてバシャバシャと水しぶきを上げている、飼い主の帰還を喜ぶ犬にも見えなくはない。
三人で挨拶を済ませると、蛮奇ちゃんが姫の両手を掴んで地上に引き上げ、お姫様抱っこで切り株まで運んだ。

もちろんキスだってする。
まずは蛮奇ちゃんから、抱っこした姫の額にまずキスをする。
次に瞼、頬、となんどもちゅうちゅうキスを繰り返して、最後に唇同士を重ね合わせた。
見てるこっちが嫉妬するほどのいちゃいちゃっぷりだったので、ほんのちょっとだけ嫉妬してしまう。
次は私の番だ、蛮奇ちゃんから姫の体を受け取る……と見せかけて、不意打ちで蛮奇ちゃんの唇にキス。
さっき出来なかったラブラブキスである、舌まで入れられたのによっぽど驚いたのか、蛮奇ちゃんは慌てて顔を離した。
唇を拭いながら睨みつける姿が非常にセクシー、やっぱりその顔が一番いいよね。

無論、姫とのキスも忘れない。
今度こそ姫の体を受け取った私は、蛮奇ちゃんに負けじと耳に、首にとキスの雨を降らす。
姫は耳の上のあたりが弱いらしく、そのあたりにしつこく口付けると、体をよじらせながら甘い吐息を漏らした。
これ以上続けると変な気分になりそうだったので、ここらで中断して本題の唇のキスへ。
唇を離すと、姫はとろんとした目で私に「大好き」と言ってくれた。
きゅんと来た、かなり強烈に。

「そうだ、今日は二人に発表したいことがあるの」

おはようのキスもそこそこに、私は姫の体を再び蛮奇ちゃんに預けて二人の前に仁王立ちする。
興奮のあまり鼻息も荒い、ようやく二人の発表出来る段階まで漕ぎ着けたのだから気分が高揚するのも当然。

「……それは巻物かい?」
「ただの巻物じゃないわ、中にはとんでもない物が描いてあるんだから」

想いが成就した今、この巻物の中に描いてある物こそが私の次の夢と呼んでも良いぐらいに大切な物だ。
しかもその夢は、すでに叶える直前までやってきている。
本来ならもっと時間がかかるはずだった、この夢がこんなにも早く実現出来るようになったのは、間違いなくあの文々。新聞に掲載された記事のおかげだろう。
あの記事が無ければ、私一人では年単位で進めなければ実現なんて不可能だった。

「じゃじゃーん!」

紐を解いた巻物を、二人の前で勢い良く開く。
さあ驚け、そして喜ぶがいい、これが、これこそが――

「何だいこれは」
「家の、絵?」

……あれ?
思ったより二人の反応は薄い、私の想像ではもっとわーきゃーと騒いでくれるイメージだったんだけど。

「その通り、家よ。私たちの家の完成予想図」
「私たちの家だって? 待ってくれよ、いつの間に私たちは家を建てる事になってるんだ?」
「いつの間にって、少し前に話してたじゃない、一緒に住もうって」
「それは確かに話したが、あれは一緒に住めたら良いという話であって、家を建てるなんて具体的な話はしてないはずなんだが」

そんな馬鹿な、あの会話をした直後に私は夢の三人暮らしを実現するために動き始めたというのに。
みんな願いは一緒だったはずだ。どうせ毎日ここに集まって過ごすのだから、いっそ一緒に住めるのがベストだって話してたはずなのに。
私の、早とちりだったのだろうか。
確かに過剰に加熱しているという自覚はあった、一緒に住めると考えるとどんなに大変でも、何だってやりきれるそのモチベーションは、どうも私らしく無いという違和を感じてはいたのだ。
慣れないことはするもんじゃない、そういうことなのかな。

「私、もしかして……から回ってた?」
「……影狼ちゃん」
「姫、ごめん。二人の意思もちゃんと確認しないうちに話進めちゃってて。
 てっきり、二人とも一緒に住むのに乗り気だと思ってたから」
「違うの、私が聞きたいのはそういうことじゃなくって、その……本気で、一緒に住むって言ってるの?」
「ええ、二人がそれでいいなら本気のつもりだったの」
「本当の本当に? 冗談とかじゃなくて、ここに家を建てて一緒に暮らすんだよね?」
「予定ではね、木材も人手も準備する手はずは整ってるわ」

姫の表情がぱぁっと明るく輝き出す。

「影狼ちゃん、それってすごい、とってもすごいことだよ!
 私、そんなこと考えもしなかった、一緒に住むなんて夢物語で、ここで会えるだけで十分幸せだって思ってたのに!
 本当に、本当にそんなことできちゃうの? できちゃうんだよね!?」
「ええ、私は本気で言ってるわ。
 ここに家を建てて一緒に暮らすの、三人ずーっと一緒にね!」
「木材も人手もあるって言ってたけど、一体どこでそんな物を集めたんだい?
 にわかには信じられないな」
「蛮奇ちゃんは私たちと一緒に暮らしたくないの?」
「姫、そんな顔で言わないでおくれよ、私だって一緒に暮らしたいに決まってる。
 問題は、それが本当に実現可能かどうかなんだ、影狼が何の計画も無しに言い出したんじゃないかと思ってね」
「ひっどーい、いくら私だって何の計画も無しにこんなことを言い出したりはしないわ」

蛮奇ちゃんの気持ちもわからないでもないけど。
私だって信じられないし、一人だけの力じゃ絶対に家を建てるなんて無理だった。
それが可能になったのは、霧雨魔理沙を始め沢山の人間や妖怪、さらには神様なんかが力を貸してくれたから。

「文々。新聞に二度目の記事が載ったでしょう? 私と蛮奇ちゃんが姫のほっぺたにキスしてるやつ」
「ああ、載ったね。あの天狗めどこで隠し撮りしてたんだか」

そう、姫と私たちの告白シーンはばっちりと撮影されていたのだ。
私もあたりの気配を察知する余裕なんて無かったし、あの状況じゃ盗撮されても仕方ないとは思う。
まあ、その記事のおかげで沢山の人々の協力を得ることが出来たのだから、結果オーライかな。

「あの記事のせいで、私たちが結婚するっていう妙な噂が広がってそれはもう大変だったの」
「噂と言うか、人里ではすでにそういう認識になってるようだけどね。
 困った話だが私たちにはどうしようもない」
「私は嬉しかったな、結婚できたら本当の意味でお姫様になれるもの!」

そして私たちは本当の意味で王子様になるわけだ、それはそれで悪くない。
と言うか、人里にデートに行けばおしどり夫婦と茶化されるほどに既成事実として私たちの結婚は幻想郷に広まってしまっている。
三人で一組の夫婦なんて普通は異常だと思うんだけど、それをいとも容易く受け入れてしまうの懐の広さにびっくりだ。
人間と違って、妖怪には結婚や夫婦に関する細かい事項は定まっていない、ゆえにそう広まってしまった時点で夫婦は夫婦なのだ。
つまり、私たちが否定した所で結婚の事実を消し去ることはもはや出来ない。
自分たちの意思も無しに結婚させられてしまうとは恐ろしいシステムだが、そうなってしまった以上はもはや受け入れるしかあるまい。
幸い、夫婦になったからって私たちに都合の悪いことは何一つ無いのだから。
それどころか、ところ構わずキスしても誰にも怒られないという特典付きだ。

「でもあの記事のお陰で力を貸してくれる人が現れたんだから、一概に悪いことばかりとは言えないのよね」
「どういうことだい?」
「最近は異変どころか小さな事件も起きないぐらいに平和だし、みんなよっぽど退屈してたんでしょうね。
 最初は一部の人間や妖怪だけだったんだけど、いつの間にか私が家を建てるって話が色んな所に広まっちゃったみたいで……いや、そもそもほとんど人に話して無いんだから一体誰が広めたのかもよくわからないんだけど。
 とにかく、気付いたら山の上の神様にまでその話が伝わっちゃってて、紆余曲折あって暇つぶしついでに協力してくれることになったの」
「暇つぶしで家を建てるって……いや、一部の妖怪にとっては造作も無い事なのかもしれないけど」
「なんだかんだで、あの記事も悪いことばっかりじゃなかったんだね」
「不本意ではあるけど、今回に関しては感謝しないといけないかもしれないわ」

盗撮は如何なものかと思うけどね。
わざわざ二度に分けて記事を書いたのは、もしかすると彼女なりのけじめのような物なのかもしれない。
あの天狗がそこまで深いことを考えてるようには思えないんだけど、まあそういうことにしておこう。

「と言うわけで、ここに家を建てて、そして一緒に住もうと思います。
 ……いいよね?」

さっきの反応もある、今度は恐る恐る二人に伺いを立てる。

「もちろんっ!」
「そこまで話が進んでるのなら私が口を挟む必要も無さそうだ」
「蛮奇ちゃん自身はどう思ってるのよ」
「顔を見たらわかるだろう、こんなに嬉しいことは無いね」
「それなら良しっ、全会一位で決まりね!」

最初はどうなることかと思ったけど、これでどうにか計画は前に進めそうだ。
肝心要の二人が乗り気じゃないなら家なんて建てても仕方ないしね。
それにしたって、いくら協力してくれる人々が居るとしてもこれから更に忙しくなりそうな気がする、なんたってマイホームを建てようって言うんだから。

「家かぁ、ずっと水の中で暮らしてきたからどうなるか想像もつかないなあ」
「家って言うからには地上なんだろうけど、姫はどうやって出入りするんだい?」
「そのあたりは図面を頼んだ相手に任せてるから何とも、普段から水辺に住んでる妖怪だし大丈夫だとは思うわ」
「もしかして、河童に?」
「すごいすごい、影狼ちゃんいつの間に河童さんなんかと知り合いになったの?」
「私自身が知り合いになったわけじゃないわ、間に人間が入ってくれたからどうにか頼めたの」
「あの河童たちが設計するのか……」
「河童さんに何か問題でもあるの?」
「変なものを発明するので有名だからね、まともな物が出来上がってくるか心配だけど……まあ間に居る人間がどうにかしてくれるだろう」
「不安はわかるけど、今は期待して待とうよ。
 完成予想図だとこんな立派な家になる予定なんだから」

豪邸、と呼ぶには程遠いが三人で住むには十分すぎる広さだ。
幸いなことにここは誰かの縄張りというわけでも無さそうだし、強いて言うのなら姫の縄張りなんだろうけど、それならますます問題は無い。
三人で完成図を見ながら、家に関する想像をあれやこれやと話し合った。
特に姫の機嫌の良さは先日の告白の時と同じぐらいで、尾ひれも耳もせわしなくぴこぴこと動いている。
こんなに喜んでくれるなら計画した甲斐があるというもの。

「影狼ちゃん、蛮奇ちゃん、ありがとうね」

家の間取りで盛り上がっていると、突然姫が真面目な顔になってそんなことを言い始めた。
でも真面目な顔はそう長くは続かない、すぐに解けていつものだらしのない表情に戻ってしまった。

「二人が居てくれなかったら私、ずっと水の中で一人きりだったかもしれないから」
「こんなに可愛い妖怪をみんなが放っておくようには思えないな」
「可愛いなんて言ってくれるのは蛮奇ちゃんと影狼ちゃんぐらいだよ。
 私は人魚で、空も飛べなければ地上を歩くこともできない、そのくせ人の形をしている中途半端な存在だから、二人に出会うまでは私はずっと一人だったの」

姫が私たち以外の誰かと親しげに話している所は見たことがない。
魚達と会話は出来るようだし、友人が居ないというわけではなさそうだが、人型故に魚達たちとも本当の意味で心を通じ合わせることは出来ないということだろうか。

「やっぱり、二人は私にとっての王子様だね」
「その王子様って言うの、姫がお姫様だから私たちが王子様だって意味なんだよね?」
「言い始めた時はそのつもりだったわ、けどよく考えてみると二人は最初から私にとっての王子様だったの。
 そういえばこの前はきちんと話せてなかったね。
 私ね、本当は出会った時から二人のことがずっと好きだった、出会った瞬間からずっと王子様だったの。
 でも私、自分の気持ちに気づかずに強引に二人にキスを迫ったりしたわ、そのことで二人を傷つけたことだってあると思う……だから、ごめんなさい」

謝るような事なんて何もない。
それを言い出したら、私たちだって自分たちの気持ちを隠して姫に接してきた。

「お互い様よ、私たちも本当はキスをする度に下心を持ってたんだから」
「勝手に私も下心を持ってたことにしないでくれるかな」
「蛮奇ちゃんはムッツリスケベキャラだし、持ってたに決まってるわ」
「誰がむっつり助平だ、それは影狼の間違いだろう!」
「私はオープンスケベだもの、下心をひた隠しにする蛮奇ちゃんとは違いますー」

蛮奇ちゃんは唇を尖らせながら私を睨みつける。
やっぱり睨み顔が最高にキュート、私の胸はもうきゅんきゅんである。
そろそろ蛮奇ちゃんも学べばいいのに、苛立てば苛立つほどに私を喜ばせるだけなんだよ。

「ってことで、姫が謝ることなんて何も無いわ、こうして想いが通じあったんだし今更過去の事を悔いてもしかたないもの」
「そうだよ、謝るとすれば影狼の方だ、姫には何の責任もない」
「しれっと私のせいにしないでよ……」
「ふふふ、本当に二人は優しいね。
 こうして腕に抱かれているだけで嫌な気持ちが全部吹き飛んで、お話をするだけで自然を笑顔になるの。
 私には勿体無いぐらい」

姫は両手を頬に当てて、うっとりと頬を赤らめる。
完全に惚気だ、私たちの顔も思わず赤くなる。
姫の言葉を曲解すると、つまり私たちにはシリアスな話なんて似合わないってこと。
本当は、誰だって脳天気に幸せだけを噛みしめたいと思ってる、けどそれが出来ないから悲しんだり怒ったりしてしまうんだ。
それが似合わないってことは、他人から見たら何も考えてないお馬鹿な三人組に見えるのかもしれない。
でも、それでいいんだと思う。
例え他の誰から貶されたって、私たちはそんな彼らよりずっと幸せなんだから。
だってそうでしょう、他の人が泣いて喧嘩してる間も私たちは何も考えずに笑っていられるんだし。

「私を見つけてくれたのが二人でよかった」

全ての幸せの源泉はそこにある。
二人に出会えなかったら、今ごろ私は竹林で人間を襲う凶暴な妖怪になっていたかもしれないし、人里あたりで二人と関係のない誰かと仲良くなっていた可能性だってある。
可能性なんて、最初から最後まで、現在進行形で数えきれないほど分岐している。
その中で、私は二人に出会うっていう最高の選択肢を選ぶことが出来た。

姫の言葉を聞いて、私と蛮奇ちゃんは微笑み合う。
言葉にしなくたってわかってる、私だって二人に出会えて良かったと思っているし、蛮奇ちゃんも同じ。
それをわざわざ言葉にして、私たちをほっこりさせてくれるのが姫の良さだから良いんだけどね。

「……あ」
「どうしたんだい、姫」

でもさ、どんなに私たちの仲が良かったとしても、そりゃあたまには泣くことだってあるし、喧嘩をすることだってあるかもしれない。
だけどきっと、私たちはほとんどの時間を笑って生きていく、今もそうやって生きている。
好きな人に好きって言える、溢れだす思いを好きな時に行動に変えることが出来る、そんな好き放題に幸せな日常こそが、重なりあう奇跡の先に私たちが手に入れた物だ。
たかだか両想いが判明しただけで奇跡なんて大げさすぎる言葉を使うのは何だかアホっぽいし、恥ずかしい気もするけど、こういうのって大げさに言った方が華があるじゃない。
誰かに脳天気馬鹿って貶されたって構わない、派手好きの単細胞って言われたら……少しはムカつくかもしれないけど、そう大きな問題じゃない、大事なのは私たちが幸せだってこと。
まあ、色々と小難しく話してみたけれど、実は何もかも一言で収まる話なのだ。
要するに私が何を言いたいかっていうと――

「えへへ、二人のこと考えてたら、何だか急にキスしたくなっちゃった」

誰が何を言おうと、私たちは死ぬまで死ぬほどいちゃいちゃしますよって、ただそれだけの話。
執筆終了後、手元には長編シリアスのプロットだけが残った。

(追記 5/13)
ご指摘通り、自分でも見てて序盤の魔理沙が気になってしまったので修正しました。
つかみって大事ですよね……。
kiki
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コメント



0.580簡易評価
1.無評価秋塚翔削除
素晴らしい。魔理沙とかの野次馬根性に若干のウザさを感じたけど、それを差し引いてしまう程に素晴らしいかげわかばんでした。
2.100秋塚翔削除
おっと評価の付け忘れ
3.30名前が無い程度の能力削除
魔理沙がひたすらうざくてイライラし、それ以降全く楽しめませんでした
話しの本筋的に冗長的過ぎるのではないでしょうか
5.100名前が無い程度の能力削除
一体どんな人生を送ったら、この3人のような気持ちの機微を書けるようになるのだろう......と思わされるレベルの名作
ふわふわしてて見てて不安になるような、でも根っこでは絶対に大丈夫と思える安心感があったりカオス
6.90名前が無い程度の能力削除
俺は魔理沙みたいな引っ掻き回してくるキャラがいないと甘すぎて見れないと思ったwww
シリアス百合もバッドエンド百合も好きなんでこれからもよろしくお願いします
7.80奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
11.100名前が無い程度の能力削除
これほどド直球に終始甘い話を見たのはいつ以来だろう
13.80名前が無い程度の能力削除
三人の悶々とした雰囲気がとても面白かったです。ずっと勘違いしていたわかさぎ姫がとうとう気付いちゃった場面が実に可愛らしい。

ただ魔理沙が少しくどく感じました。そこが少し残念です。
16.100名前が無い程度の能力削除
あややナイス!
この幸せいっぱいわかばんかげは末長く爆発するがよろしい
21.100名前が無い程度の能力削除
甘い。シリアス長編も気になるけど、十分にキュンキュンしました。
22.100名前が無い程度の能力削除
楽しませて頂きました!