Coolier - 新生・東方創想話

想世界に馳せる思い

2015/02/22 13:34:20
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   1



 ほぅ、と大きく息を吐くと、それは一瞬白く輝き燻っていった。その行方をなんとなく追ってみようとして、私は天を仰いでみた。白い雲が一面に散りばめられている空。口から幾度も漏れる吐息は、歪な形を私に見せつけたかと思うと、次々に天へと解けていってしまった。
 そのまま呆ける。ぼんやりとしながら、何てことのない幻想風景に視界を楽しませる。何か理由があるわけでもなく、何か思うことがあるわけでもない。それなのに、私はただただそれを見つめ続けた。
 それから暫く経った頃、飄と、突然風が私の身体をくすぐった。思わず私は身体を縮込ませる。目を瞑る。その冷たさは、身体が切り付けられたかのような、そんな錯覚を覚えるほどだった。
 視線を地平線へと下ろす。そして、なんとなく私は周囲を見渡してみた。
 ぐるり。揺れる景色。網膜が映し出したそれは、全てが枯れてしまったかのような雰囲気を何処か醸し出していた。周囲に人影は全くなく、私だけがただ一人、この物寂しい静謐に包まれている。荒涼、なんて言葉がお似合いだな、なんて私は思った。
「もう、すっかり冬が来ちゃったんだね」
 誰に投げかけるわけでもなく、私はぽつりと呟く。当然返ってくる声があるわけでもなく、私のその声は直ぐに無音に飲み込まれてしまった。
 どうしてだろう。冬と云えば、寂しい、なんて印象が私の中にあった。灰色の空。枯れた世界。どうしても、そんなイメージを私は連想してしまうのだ。そこにしんしんと雪が降り積もればなお良いのだけど、それでも想起される私の世界観はやはり静寂に包まれているものだった。
「……帰ろっか」
 白い息と共に、そんな言葉を吐きだす。すっかり悴んでしまった両の手の平で口を覆い、もう一度、大きく息を吐く。吐息は指と指の隙間から漏れだし、相変わらず白く輝いていた。
 一歩、私は足を踏み出した。すると、霜でも踏んだのだろうか、靴からはくしゃりと音が聞こえてきた。そして、私はゆっくりと歩みを進めることにした。
 くしゃり、くしゃりと。そんな霜を踏みしめる音だけが、私の耳の中では揺れ続けていた。


 地底へと潜り込むと、私を包んでいた空気は一層冷たくなった。地上とは違い、ここには陽の光が届かない所為だろう。それなのに、雪は何処からかはらりはらりと宙を舞ってくるらしく、進む道の傍は薄っすらと白に覆われていた。儚いものほど、影の世界に追いやられる。なんとなく、そんなことを考えさせられる。
 時折、両手を擦り合わせてみたり、息を吹きかけてみたりして、何とか悴んだ手を温めようとする。だけど、ついにそれも厄介になり、私は両のポケットにそれぞれ手の平を捻じ込んだ。衣服越しにでも、手が冷たくなっているのが、私の腿に伝わった。だけど、それも一時のことで、道をすたすたと進んでいくにつれて、それは仄かな温かみを帯びるようになっていた。
 橋を渡って少し経った頃、私は旧都へと辿り着いた。旧都は先までの寒々しい雰囲気とは打って変わって、熱気に満ちているように思えた。これだけ寒いにも拘らず、相変わらず旧都はひとで溢れかえっている。その雑踏が。その喧騒が。きっとそんな空気を生み出しているのだろう。道の傍に雪が積もっていないのも、きっとこの熱気が溶かしてしまったのだ、なんて。そんな冗談を私は嘯いた。
 旧都を通り抜け、再び寒々しい道を独りで歩く。いつの間にか道の傍には、また白が見受けられるようになっている。ふと思い立って、私はそれを踏んでみた。だけど、それは普通の土を踏みしめるのと何も変わらなかった。足を退かすと、そこには私の足跡が朧げに浮かび上がっていた。それがどうしてだか少しだけ、寂しかった。

 少し経つと、私は地霊殿に辿り着いた。庭に植わっている花々を尻目に、とことこと敷地内で歩みを進める。そして、仰々しく見える扉の前に立つと、私は大きく溜め息を吐いた。
 目の前の濁りが霧散した頃、私は幾度か扉をノックしてみた。かつては何の気兼ねも無しに開け放っていた扉。だけど、こうしてふらりふらりと放浪するようになってしまった所為だろうか。時々このように地霊殿に戻ってくると、どうしても私はここで妙に畏まった気分にさせられるのだ。どうして敷地には簡単に入れるのに、この扉を開けることに勇気が要るのだろう。そんなことを考えてみると、妙に自分が可笑しかった。
 ……どうせ、鍵はかかっていないのだろう。私にはそれが分かりきっていた。私がこれまでここに戻って来た時に、扉が閉ざされていたことなんて、一度たりともなかった。もしかしたら、お姉ちゃんは何か思うことがあって、ここを開けっ放しにしているのかもしれない。そんなことを考えてみるのは、都合の良すぎる妄想だろうか。だけど、なんとなくそうであってほしいと、私は思った。それが真実であるかどうかなんて、私には永遠に分からないことなのだろうけど。
 ポケットから手の平を取り出す。そして、取っ手を両手で包み込むと、私はぐいとそれを引っ張った。その見た目に反して、扉はギギギと軋んだ音こそ立てるものの簡単に開く。入ることができるくらいにそれを開くと、私はその中にするりと入っていった。


 気圧の問題だろうか。敷居を跨ぐのとほぼ同時に、私の身体を温かな空気が包み込んだ。地霊殿はその真下に灼熱地獄があるから、その熱のお陰で冬でもその空気は暖かい。夏では少し暑すぎるくらいに思えることもあるのだけど、それさえなければ本当にありがたいことだ。
 ふらふらとエントランスの中央へと歩みを進める。すると、七色に輝くステンドグラスから零れる光に私は照らされた。なんとなくその光が心地良くて、私はそれにその身を浸すことにした。
 特に何をするわけでもなく、呆ける。網膜には幻想的な光が焼き付けられて、目蓋を閉じても、それは鮮明に浮かび上がった。自然では決して見ることのできない光。ここでしか、見ることのできない光。
 暖かな空気に身体を暫く遊ばせていると、どうやら身体はじっくり温まったらしい。微かに残っていた手の悴みはとうに消え去り、難儀させられていたあの冷たさも、私はすっかりと忘れてしまっていた。
 微かに火照りすら覚え、思考が軽く呆然としてきた頃、私は漸く歩みを進めることにした。赤と黒のコントラストが特徴的な床に、ステンドグラスが色鮮やかな模様を描く。私は、その上を跳ねるようにして進んだ。

 エントランスを抜ける。長い廊下では、カツンカツンと私一人分の足音だけが響く。暖かい空気はまだ感じ取れるものの、先とは違ってそこに幻想風景は見当たらない。薄暗い視界と静寂ばかりが、そこには広がっている。……冷たい。そんな感覚を覚える。どうしてだろうか、私は先まで見ていたあの荒涼を、無意識のうちに目の前の景色と重ねていた。
「この時間だったら、お姉ちゃんは書庫にいるはずだよね」
 そんな言葉を呟いた理由は、自分にも良く分からなかった。時計を持っていない私が今の時刻を知る術などないし、何か確信があったわけでもない。だけど、やはり沸々と湧いてくるこの寂寥が、私にそれを紡がせたのだろうか。尤も、自分でも良く分からないことを呟くなんて、私にとっては日常茶飯事のこと。別段、それを気にする必要なんてなかった。
 とは言え、私には特に行く宛てがあるわけでもなかった。そもそも、どうして帰ってこようと思ったのかが、自分でも不思議でしょうがない。
 これから自分が何をするつもりなのか。ふと、そんなことを想起してみる。多分、このまま何も考えなしにふらふらと歩き回って、無聊に時を潰すだけなのだろう。
「……だったら、お姉ちゃんに会うのも悪くはないかな」
 言葉ではそう紡いだが、むしろ私はそれを願っているんじゃないかと、そんなことを考えて、思わず口元が緩む。そして、途端に自分を包んでいる静謐に、とてつもない寂しさを私は覚えた。そこになんとなくだけど、自分でも分からない自分の行動の意図が垣間見えた気がした。
 さっさと、この感情のわだかまりを掻き消してしまおう。そう決意をする。そして、気付いた時には、私はくすんだ床の上を駆けだしていた。


 ぎぃ、と書庫の扉を開けると、案の定、お姉ちゃんは椅子に座って読書に耽っていた。耽っていると言うよりは没頭していると言ったほうが正しいのかもしれない。お姉ちゃんの前の机には、既に読み終えた物だろう、幾つかの本が重ねられて置かれていた。
「ただいま」
 書庫の中へと幾歩か進み、私はそう呟いた。けれど、お姉ちゃんには聞こえていたのか、そうでないのか。一瞬、微かに反応を示したかと思うと、再び、お姉ちゃんは読書の世界へと戻っていってしまった。
 もう一度声をかけてみようかと私は考えたけど、お姉ちゃんが私に気付いた時の反応がどんなものになるのか少し気になって、それは止めておいた。お姉ちゃんの向かいの席に腰掛ける。そして、私はそこで時間を潰してみることにした。頬杖を突いて、時折ちらちらと上目でお姉ちゃんの様子を伺う。私に気付かないで、真剣に頁を見つめるお姉ちゃんが何だか可笑しくて、私は何度も笑いを堪える破目になった。その度に私はククッと喉を鳴らした。だけど、それでもお姉ちゃんは私に気付かず、ペラリペラリと頁を捲り続けていた。
 本を読み続けるお姉ちゃんと、それを見つめ続ける私。どちらも黙りこくってしまっているので、書庫全体が静寂に包まれているように思える。それを時々お姉ちゃんの頁を捲る音が揺らす程度だ。だけど、お姉ちゃんの姿がそこにあるからだろうか、私はそれに寂しさを感じることはなかった。

 暖かい空気。心地良い音。そして、お姉ちゃんの存在。そんな書庫の安穏な雰囲気にめいっぱい浸っていた私であったが、やはり何も事を起こさないと云うのは、私に退屈な気分をもたらした。机の上で頭を寝かせてみたり、そのままお姉ちゃんの横顔を見つめてみたり。まるで自己を主張するかのような行動を、私は幾度かとってみた。だけど、一向にお姉ちゃんは私の存在に気付かない。気付いてくれない。相変わらずペラリペラリと頁を捲るだけだ。そんな時間が、長く続いた。変わらない安穏が、長く続いた。
 そんな空気に居ても立ってもいられなくなって、私は椅子から乱暴に立ちあがった。その時に、ガタ、と椅子が音を立てたけれど、お姉ちゃんは私の存在はおろか、それすら気付けていない様子だった。そして、私はわざと忙しない動きで歩みを進め、書庫から立ち去った。
 ……最後までお姉ちゃんは私に気付かなかったのだろうか。ふとそんなことを思ってもみたが、廊下に出て随分と歩みを進めてしまった私が、その答えを知る術などもはやなかった。


 ふらりふらりと歩みを進める。微かな明かりに照らされただけの廊下はかなり薄暗く、長く続いているその先は、闇に飲み込まれているようにしか見えない。
 無音に包まれた廊下では、カツンカツンと足音だけが寂しく響く。幾ら歩みを進めども私が感じ取れるのは蕭索だけで、耳元で足音が乱反射するたびに、私は自身がひどくうらぶれていくように思えた。
「本当、何しに戻って来たんだろ?」
 自問。だけど、自答すらできない。他答なんてなおさら期待できない。残響が一瞬耳にこびりつき、それは呆気なく無音に解けていってしまった。
 結局、私は何をするわけでもなく、無聊に時を潰してしまっている。これだったら、夢を見ることができた分、あの荒涼にその身を遊ばせておいたほうがマシだったんじゃないのだろうか。そんなことすら考えてしまう。
 夢を見ている時、まだその夢は現実だ。だけど、それが夢だと気付いた途端、それは現実から幻想へと姿を変えてしまう。それを追いかけたところで、虚しいだけだと気付いてしまう。だったら、夢はいつまでも夢のままのほうが良いんじゃないだろうか。
 ……詭弁。分かっている。これは、詭弁だ。だけど、そんな詭弁に頭を支配させておかないと、私は何処かおかしくなってしまいそうだった。

 ぐるりぐるりと思考を巡らしながら、何処へ向かうでもなく、ただただ私は進む。そんな時、ふと、何か強く灯りが零れているのを、私は廊下の先に見つけた。
 それがいったい何なのか、気になった私は瞬間的に廊下を駆けだした。そこまでの距離は思いの外長く、辿り着けた時、私の息はすっかり切れていた。少しだけ、額に汗が滲む。
 光の正体、それはお姉ちゃんの部屋にある照明から漏れだしていたものだった。部屋の扉は完全に閉じきっておらず、その所為でどうやら遠目からでも私は光を見つけることができたみたいだ。そこから部屋の様子を覗いてみるも、当たり前だけど、そこにお姉ちゃんの姿はない。それどころか誰が部屋にいるわけでもなかった。がらんどう。そんな言葉が私の頭を過ぎる。
 そして、それは私に怪訝を覚えさせた。普段から几帳面なお姉ちゃんが部屋の照明を落とし忘れるなんてことは考えにくいし、この時期に扉を閉め忘れるなんてことも考えられない。
 そして、それは同時に私に興味を覚えさせた。いったいどうして、お姉ちゃんはそんな失態をしでかしてしまったのだろう。どうして、お姉ちゃんはそれに今まで気付いてすらいないのだろう。
 そんな疑問を頭の中で浮かべる。その答えを求めるべく、私は幾分か、扉の前で思いあぐねてみた。だけど、いつまで経ってもその答えは見つからず、そして、私は結論を下した。
「まぁ、入っても大丈夫だよね」
 葛藤。躊躇。そんな感情は、私の中には芽生えなかった。さっきはいつまで経っても私に気付かなかったお姉ちゃんのことだ。きっと、私が入ったところでそれに気付くことはないだろう。
 扉に手を掛ける。そして、それを押し込む。瞬間、お姉ちゃんの部屋からは一気に光が零れて、暗闇に慣れきっていた私の網膜を軽く焼いた。反射的に目を閉じる。だけど、直ぐに薄目を開ける。輪郭がぼやけたお姉ちゃんの部屋の様子が、私の目には映った。
 そして、そのまま私はお姉ちゃんの部屋へと足を踏み入れた。


 ぼやけた視界のまま、数歩くらい進む。お姉ちゃんの部屋のおおよそ真ん中に辿り着いた時、私は幾度か目を瞬かせた。
 物々のぼやけた輪郭が閉じる。そして、私の視界に今度はくっきりと、お姉ちゃんの部屋の様子が映った。毛並みの深い深紅の絨毯。しっかりと詰まった本棚。お姉ちゃんの愛用している時計。書き机。それらを見ていると、少し懐かしいような思いを私は抱いた。それを郷愁と呼ぶには、少し程遠い気がするけれど。
 書き机に備え付けられた椅子に座る。お姉ちゃんが私より背丈が大きい所為か、足が宙を浮く。ぶらりぶらりと足を揺らすと、それにつられたのか、私を乗せた椅子も少しばかり動いた。
 ぐるり。椅子に座ったまま、私は視界を巡らせてみた。地霊殿には時々戻って来るけれど、お姉ちゃんの部屋に入ったのは随分と久し振りな気がする。前に入ったのがいつだったか、思いあぐねてみても、それは結局はっきりとしないままだった。視界に映る景色。鼻をくすぐる部屋の匂い。そんな空気に包まれているとやはり私は、懐かしい、なんて思いを抱いた。

 ふと、書き机に視線を移してみると、そこには何枚かの紙が置かれていた。
「お姉ちゃんの仕事の書類かな?」
 よくよく考えてみると、お姉ちゃんがいったいどんな書類を書いたりしているのか、そもそも、お姉ちゃんがいったいどんな仕事をしているのか、私はそれを知らなかった。
 興味本位で、私はそれを一枚手に取って、目を通してみた。
 綴られていたのは、やはりお姉ちゃんの文字。だけど、どうやらそれは、私の予想していた、書類やその類のものではなかったみたいだ。
「何だろ、これ」
 疑問を呟く。だけど、多分、私にはその答えが分かっていた。
 綴られた文字からは、温かさを覚える。飽きるくらい、温かさを覚える。だけど、それは決して不快なものなんかではなく、いつまでもそれに包まれていたいような……。
 気付けば、私はそれを夢中に読み進めていた。もっとそれに浸っていたい。それを味わっていたい。そんな思いを抱いたから。
 そこに、私の求めているものがあったような気がしたから。









   2



 それからいったいどれくらいの時間が流れたのだろう。目の前には真っ暗闇が広がっていて、少し考えると、自分がさっきまで意識の混濁に飲み込まれてしまっていたことに気付けた。
 呼吸がし辛い。口元が何かで塞がれている。手探りでその辺りを確かめてみると、どうやらそこには枕があるみたいだ。それを取っ払うと、私の目には微かな光が飛び込んできた。私は俯せの状態だった。
 寝返りを打って身体を裏返す。すると、上に被せられていたのだろうか、掛布団や毛布が私の身体には纏わりついた。上半身を起こそうとするも、それらの所為で上手く起き上がられず、成す術のないまま私は再び倒れ込んだ。ボフン、と云う音と共に、柔らかな感触が私の身体を包み込む。……どうやら、私はベッドの上にいるようだった。
「おはよう」
 未だ私が自身が置かれている現状に混乱していた頃、突然、そんな声が耳に響いた。その声に吃驚して、私は小さく頓狂な声を漏らした。お陰で迷妄としていた頭が一気に目覚めたくらいだ。少しばかり鼓動が速くなったのが、自分でも分かった。
 もう一度、今度はおそるおそる上半身を起こす。そして、声のした方向に視線を移した。
「え、あれ? ……おはよう?」
 まだ視界がぼやけているのか、一瞬、自分の目が映したそれが現実なのかどうか、私には判断ができなかった。布団にくるまれている腕をむりやり引っこ抜き、指で両目をこしこしと擦る。そしてもう一度、私はその方向を見つめてみた。
「はい、おはようございます」
 見つめた方向は、先まで私が腰を下ろしていたはずの書き机の椅子。だけど当然、そこにあったのは私の姿ではない。そこにあったのは、今私と目が合った途端その柔らかな声を漏らしたひと、さっきまで私の存在に気付けていなかったはずのお姉ちゃんの姿だった。

「え、何これ」
 どうして、お姉ちゃんが目の前にいるのだろう。網膜が映し取ったそんな場景に、意識と無意識の混濁を思わず私は疑った。
「多分、これは夢じゃあないと思いますよ?」
 あり得ないはずの現状。それに取り乱していると、お姉ちゃんは私にそんな言葉を投げかけた。それにふと、私は違和感を覚えた。
「あれ、私の心読めるようになったの?」
「読めるわけないじゃないですか」
 そう言うと、お姉ちゃんの表情には笑みが生じた。それにつられたのか、私の口角も自然に緩んだ。
 ついこの前まで、こんな風に互いが互い、相手が考えていることに対して返事をするのが、私たちにとっては普通だった。だけど、それは私が眼を閉じた所為で終わった。終わったはずだった。
 なのに、こんな風にお姉ちゃんは時々私の心を見透かしたかのように、私を吃驚させるようなことを呟くのだ。もしかしたら、私は考えていることが表情に出やすいのかもしれない。尤も、お姉ちゃん以外に言い当てられたことはないのだけれど。
「じゃなくて」
 頭をぶんぶんと振る。寝惚けて頑迷としていた頭が冴えてきた頃、私は漸く自身が抱いている疑問の正体を掴めた。
「なんでしょうか?」
 お姉ちゃんが首を傾げる。それを端緒に、私は疑問を尋ねてみた。
「私のこと、判ってたの?」
 私がそう言うと、答えを探しているのか、お姉ちゃんは少しの間口を閉ざした。けれど、直ぐにその口を徐に開き、
「ええ。まぁ、なんとなくですけど」
 と、紡いだ。
「なんとなくで、私の能力は無力化されちゃうのかぁ」
 お姉ちゃんの答えに、私は消沈した。
 私の能力は無意識を操るはず。だから、私が意識的に働きかけでもしない限り、お姉ちゃんだって私のことに気付けないし心だって読めない、はず。なのに、今日のお姉ちゃんは、どうやらそれを突破できているらしい。それも、ただの『なんとなく』で。
「……本当に、『なんとなく』でなの?」
「『なんとなく』で、ですよ」
 私の惚けた質問に、お姉ちゃんは含み笑いを交えてそう返した。それに何処か負けた気分にさせられて、私はむすっとした表情を作ってみた。そして、お姉ちゃんはそれを見て、さらに笑った。
「こいしは、そんなに私に見つけてほしくないんですか?」
「そんなことないけど……」
「だったら、良いじゃないですか。一人くらい天敵がいたって」
「むぅ……、それがお姉ちゃんだと、なんか癪に障るなぁ」
「どうしてですか?」
「んー……、なんとなく?」
 私がそう言うと、また、お姉ちゃんは笑った。そして、私も自分が途端に可笑しくなって、笑った。二人して、からからと笑った。

 布団を剥いで、お姉ちゃんと向かい合うような形で、ベッドの縁に腰を下ろす。その時に気付いたのだけれど、ここは私の部屋ではなくお姉ちゃんの部屋だった。
 互いに目を合わせて、そして、一瞬の沈黙。場を取り直したのは良いものの、そうしてしまったからか、第一声を漏らすのが少し躊躇われるような思いがした。
「えっと、あの、とりあえず、ただいま?」
 歯切れが悪い言葉。しかも、これが正しい言葉だったのか分からず、無意識のうちに語尾が上がってしまった。目を合わせるのが少し怖くて、思わず私は視線を下に逸らした。
「はい、おかえりなさい。二回目、ですね」
「え? 二回目?」
「はい、先ほど書庫で。もう、こいしからの『ただいま』は聞きましたよ?」
 予想外のお姉ちゃんの反応に驚く。だけど、もしそうだとするのならば、一つ、私には気になることがあった。
「ってことは、さっき、私に気付いていたの? だったら、返事くらいその時に言ってくれても良いじゃん」
「一応、『おかえり』とは、声に出してみたのですけどね」
「本当に?」
「本当にです」
 訝しげな表情を作ってお姉ちゃんを見つめてみたけど、その表情は全く変わりなし。多分、お姉ちゃんは本当に返事してくれていたのだろう。それを察したと同時に、私は一つ、大きく溜め息を吐いた。
「溜め息を吐くと、幸せが逃げてしまいますよ?」
「もう、一つ掴み損ねたのは分かってるから良いの」
 私のその言葉に、お姉ちゃんはきょとんとした表情をして見せた。だけど、それを説明する気にはなれず、私はもう一度、お姉ちゃんから視線を逸らした。
 これだったら、もう少し書庫でのんべんだらりとでもしておくべきだったかな、と後悔。思い返してみると、今日の私は後悔してばかりだ。尤も、原因は全部、私の早とちりにあるのだけれど。
「せめて、お姉ちゃんがもっと大きな声を出してくれてたらなぁ」
「あら、自分の早とちりの責任を私に押し付けるのですか?」
「少しくらい良いでしょ? って、あれ。お姉ちゃん、やっぱり私の考えていること読めているんじゃないの?」
「だから、読めるわけないじゃないですか」
 そして、二人して、また私たちはからからと笑った。まぁ、こうやって今、二人で笑い合えているのだから、結果オーライなのかな、なんて。私はそんなことを心の中で呟いてみた。


「さて、そろそろ夕飯の支度をしましょうか」
 暫く互いの近況報告や世間話を楽しんだ頃、お姉ちゃんが徐にそう呟いた。その言葉を端緒に、私は自身が少しだけ空腹に苛まされていることに気付いた。多分、地上ではもう日が暮れた頃なのだろう。
「こいし、今日は一緒に夕飯を食べていきませんか? ただ、今から支度をするので、少し遅い時間になるとは思うのですが」
 お姉ちゃんがそう提案する。私はそれを断る理由もないし、元よりそうするつもりだった。その旨を伝えると、お姉ちゃんは軽く微笑んだ。
「献立とか、もう決まってるの?」
「いえ、生憎まだですね」
「じゃあさ、私、オムライスが食べたいな」
「こいしが手伝ってくれるのなら、それでも構いませんよ?」
「あー、うん。分かった。手伝うから、だから、お願いね?」
「はい、分かりました」
「わぁい!」
 飛び跳ねたくなる思いを精一杯抑える。だけど、結局我慢できずに、私は突然立ちあがると何度かそこで飛び跳ね、そして、お姉ちゃんに抱き付いた。
「お姉ちゃん、大好き!」
 お姉ちゃんは私のこの突然の行動に対処できず、そのまま椅子ごと床に吸い込まれた。私も同様、吸い込まれる。絨毯の上とは言え、勢いをそれなりに付けたから、身体が少し痛んだ。なのに、私はからからと笑っていた。


 そして、私たちは食堂へと向かうことにした。二人で長く暗い廊下を歩く。パタパタと響く足音は、私の耳をくすぐり続けた。
「そう言えば、いったいどう云う風の吹き回しで、帰ってこようと思ったのですか?」
「えぇ……。自分の家なのに、帰ってくるのに理由なんて必要なの?」
「こいしはこいしですからね」
「わけ分からない」
「それだけこいしがつかみどころのない子だってことですよ」
「いや、意味は分かるんだけどさぁ」
「で、結局、どうして帰ってこようと思ったのですか?」
「んー……、なんとなく?」
「きちんとした答えを言いなさいって言っても、こいしの場合は、それがあり得ますからねぇ……」
「まぁ、世の中って割と『なんとなく』で済むことが多いからね。きっかけと云うものは些細なものなんだよ」
「わけ分かりませんね」
「うん、私もわけ分からない。でさ、本当の理由を言うと……」
「あら、あるのですか?」
「そりゃ、あるよ。……最近さ、外がとても寒いんだよ。だから、ちょっと暖かい空気が恋しくなって、それで」
「成る程。ここはいつも暖かいですからね」
 しみじみとそう言うと、お姉ちゃんは何かを考えるような仕草をして見せた。私もこれ以上は、口を噤むことにしておいた。
 ……私が帰ってきた本当の理由。自分でも明瞭には分からないのだけど、そのことを考えるだけで、思わず顔が火照る。
 どうしてだろう。ぼんやりとしか見えてこないこれは、恥ずかしすぎて、絶対に口には出せない。口に出せるはずがなかった。


 誰もいない食堂は灯りも落とされていて不気味さすら感じ取れる。だけど、お姉ちゃんが灯りを付けると、それは一瞬で消し飛んだ。
 中央に配置されたテーブルに、そこに備え付けられている四つの椅子。そのどれもが綺麗にされていて、長らく使っていないはずの私のものも、そうであった。
 私がそれを見つめていると、お姉ちゃんは一足先に厨房の中へと入っていってしまった。私も急いでそれを追う。どうしてだろう、私の口元は緩み切ったまま、暫くは元に戻せそうになかった。

 二人で支度をしたからだろうか、思いの外早くに夕飯は出来上がった。どうやら今でもお姉ちゃんは普段から料理を作っているらしく、その手際は相変わらず見事なもので、私が「おぉ」なんて感嘆を漏らすほどだった。一方、私が料理をするのは随分久し振りのことだったので、基本的にお姉ちゃんのサポートに回った。二人で並ぶには厨房は少し手狭で、何度も私たちの腕が絡み合った。その度に、私たちは笑みを零した。
 配膳は私が担当することにした。テーブルに出来上がった食事を並べていると、どうやらお姉ちゃんが呼んできたらしい。お燐とおくうがゆっくりと食堂へと足を踏み入れた。
「あ、久しぶりだねー」
 そんな声を投げかけると、二人は私に気付いたらしい。ペコリ、と一度会釈をすると、二人は私に近寄ってきた。
「どうも、お久しぶりです、こいし様」
「本当、お久しぶりです。少し吃驚しましたよー」
 二人の反応から察するに、お姉ちゃんは私のことを伝えていなかったのだろうか。おくうの言う通り、二人は表情に驚きを隠しきれていない。
 思い立った時にふらりと私が地霊殿に帰ってくるのは割と結構な頻度のことだと思うのだけど、その際に、お姉ちゃん以外と顔を合わせる機会は少ない。特にこの二人は基本仕事に従事しているから、必然とその回数は少なくなるのだ。本当、いつ以来だろう。思いあぐねてみても、直ぐにはその答えは出てこなかった。
「いつ以来だろうね、こうやって顔合わせるのって」
「んー、そうですねぇ……。ざっと五十年くらい?」
「そこまで久しぶりじゃないと思うんだけど」
「あれ、こいし様、物覚え悪くなりました?」
「むぅ……、おくうには言われたくないなぁ」
 そうやって冗談を投げ合って笑い合っていると、お姉ちゃんも食堂の中に入ってきた。それを端緒に私たちは一旦話し合うのを止め、それぞれ自分の席へと座った。私とお姉ちゃん、お燐とお空がそれぞれ横並びする形だ。
「さて、ではいただきましょうか」
 お姉ちゃんの号令。それに従い、私たちは「いただきます」と声を重ねた。
 家族全員で夕飯を摂るのはいつ以来だろう。今度は、思いあぐねてみても、その答えを見つけることが私にはできなかった。


 楽しかった夕飯の時間は、気付いた時にはもう過ぎ去ってしまっていた。目の前には四枚の空の大皿が並んでいる。その奥に見えるお姉ちゃん、お燐、おくうの顔。そこには皆満足そうな表情が浮かんでいて、見ているだけでこちらもそんな気持ちにさせられそうになるくらいだ。私も多分、同じような表情が、顔には浮かんでいるだろう。だけど、私はそれとは少しだけ、違う思いを心の淵で抱いていた。
 夕飯が私の好物と云うのもあっただろう。久し振りの会話がとても弾んだと云うのもあっただろう。でも、それ以上に久し振りに皆と食事を共に出来た、多分、そのことが私の中で一番大きな要因だ。それらが私に与えてくれた時間は本当に楽しくて、嬉しくて、温かくて、だけど、切なくて。
 私が楽しいと思えば思うほど、時間が過ぎていくのが早くなってしまう。もっとこの時間が続けば良いのにと私が願えば願うほど、裏腹にその終焉は近づいてきてしまう。
 そして、ついに迎えてしまった終わりの時刻。本当に時間が過ぎ去ってしまうのはあっと言う間のことで、私はそこに呆気なさすら覚えさせられた。
 食後にと、お姉ちゃんが注いでくれた熱々の珈琲をちびちびと啜る。舌に一瞬の熱さが広がり、その後には珈琲の馥郁とした香りが残る。そして、最後にその甘味と苦味が、舌全体にべっとりとこびり付く。私が何度も珈琲を啜るたびに、そこに広がる味はだんだんと強くなっていくような気がした。


「食器洗いは、あたいたちがやっておきますよ」
 皆のカップが空っぽになって暫く経った頃、お燐はゆっくりとその腰を椅子から持ち上げた。両手には自身のものと、そして、お姉ちゃんのカップ。お燐が目配せをすると、恍惚の表情を浮かべ半ば呆け気味だったおくうも直ぐに頷き、そして、私のカップを持って立ちあがった。
「え、良いの?」
「ええ。だって、今日のおゆはん、さとり様とこいし様が作ってくれたんでしょう? だったら、片付けくらい私たちがやりますって」
「オムライス、美味しかったです。だから、そのお礼ですよ」
 二人は、その顔に笑みを浮かべてそう言った。そして、私が何かを言おうとする前に、そのままつかつかと厨房へと入っていってしまった。もう食器は先に各自で厨房の中に運んであったから、厨房の先を見つめていても、二人がそこから出てくることはなかった。ジャー、と水の流れる音だけが私には届いた。

 あれよあれよと事が進んでしまったことに対し、私はそのまま口を半開きにしてしまったまま、ぽかんとしてしまった。私はなんとなく、このまま自分が食器洗いも担うものだと思っていた。多分、その所為もあって、なおさら。唖然。茫然。思考が頑迷としてしまい、ぼんやりと物事の表面だけをなぞらえる。それにつられているのだろうか、身体もすっかり固くなってしまっていた。
 食事の風景が跡形も残っていない食堂。時々聞こえてくる食器の擦れる音。仄かに暖かい空気。身体の内から現れる微かな火照り。こうやってぼんやりとしていると、そのどれもが何気ないことのはずなのに、私の意識に強く引っ掛かった。だけど、それらは直ぐに、再び無意識の淵に戻っていくことになった。
 ふと、お姉ちゃんのことが気になったのだ。二人が厨房に入って以来、お姉ちゃんはやけに静かだ。元よりお姉ちゃんは静かなひとなのだけど、それすら気にならないほどに。
 ちらり、と私は横目でお姉ちゃんの様子を伺ってみた。それがばれるのが、少し恥ずかしいような気がしたから。おそるおそる。だけど結局、それは何の意味も成さなかった。
 ゆっくり、ゆっくりと、視線を移す。お姉ちゃんの顔が次第に私の網膜には映っていき、そして、私とお姉ちゃんの目線が繋がった。
「どうしたの?」
 口からは自然と疑問が漏れた。お姉ちゃんは両手を膝に置いて、じっと私のことを見つめていた。
「こいしが固まってしまったので、いったいいつまでそうしているのかな、と」
「ずっと?」
「ずっと」
「退屈じゃないの?」
「んー……。案外そうでもありませんでした」
 そんなお姉ちゃんの言葉に、思わず私は口から吐息を漏らした。それを見たお姉ちゃんが、きょとんとした表情を顔に浮かべる。そして、それをじれったく思ったのか、そこに薄っすらと陰りの色が浮かばせていた。それが可笑しくて私がくすっ、と息を零すと、お姉ちゃんはさらにその色を強くしたように見えた。

 少しの間待ってみても、お姉ちゃんはその表情を取り繕おうとはしなかった。何処か薄っすらと歯痒そうな顔。それを先からずっとお姉ちゃんは保ち続けている。わざとしているのか、それとも無意識のうちにそうなってしまっているのか。分からない。だけど、私としてもそれを見ていると、少しずつその思いが流れ込んでくるような気がして、もどかしい。
「食器洗い、手伝わないで良いのかな?」
 だから、そんな言葉を私は吐いてみた。尤も、これが私にとって気がかりだったと云うのも、少しは理由に含まれるけど。
 私の言葉が聞こえたのか、漸くお姉ちゃんからはその色が消え去った。そして、「あぁ」なんて間投詞を口から零すと、
「任せてしまって良いと思いますよ。むしろ、任せたほうが良いでしょう」
 と、お姉ちゃんは言いきった。
「だけど、晩御飯を作ったのは結局殆どお姉ちゃんだったし……」
「そんなことありませんよ? こいしのお陰で随分と楽でしたし」
「でも……」
 私がそう続けると、漸くお姉ちゃんの表情に明るい色が見えた。
「大丈夫。別に、あの子たちはこいしのことをお客様扱いしているわけではありませんよ」
 多分、お姉ちゃんは私がそんな杞憂を抱えているのだと判断したのだろう。でも、それは半分正解で、半分間違いで。
「そっか。だったら、大丈夫かな」
 だけど、私はとりあえずそう云うことにしておいた。私がにかっと笑みを零してみると、お姉ちゃんは満足そうに頷いた。

 椅子から腰を上げ、ぐいと身体を伸ばす。その気持ち良さに、思わず口からは声が漏れた。私に倣ってか、お姉ちゃんもゆっくりと立ちあがった。
 それを見て、私はとことことお姉ちゃんのもとへと寄ってみた。そして、不思議そうな表情を浮かべるその顔を見上げ、私は言葉を紡いだ。
「今日さ、久々に一緒に寝ようよ」









   3



 一人でとことこと歩く。暗然。粛然。そんな寂しい雰囲気に包まれている廊下を、鼻歌を口遊みながら。軽やかな足取りと共に、スリッパはパタパタと音を立てる。眼下に広がる赤と黒のシルエット。私はその上を跳ねるようにして、進んだ。
 先までの入浴のお陰で、私の身体はすっかりと火照っている。その上、厚手のパジャマに包まれているから、なおさら。歩みを進めていると時々、廊下の空気が顔や手を柔らかくくすぐってくる。暖かいはずだったその空気も、今の私にとっては涼しいくらいに感じられる。だけど、それが不快だと云うことは決してなく、むしろちょっとした贅沢みたいだと私には思えた。
「ふん、ふん、ふん」
 鼻歌も、静寂しきっている廊下だと、直ぐにそれは無音へと吸い込まれてしまう。だけど、私はそれを次から次へと紡ぎだす。その所為で、まるで廊下いっぱいに私の鼻歌が溢れかえっているようにも思える。それが私の足取りをさらに軽くさせて、より一層、私に音を紡がせているかのようだった。

 先ほど、食堂で私が紡いだ我が儘を、お姉ちゃんは思いの外あっさりと了承してくれた。肯定の意として大きな頷きを一つ。そして、
「だったら、先に入浴を済ませておいてください」
 と、お願いを一つ付け加えて。終始その顔には柔らかな表情が浮かんでいて、だけど、そこにはもう少し意味があったのかもしれない。そんな風に私には見えた。
 お姉ちゃんの提案を反故にする理由を持たなかった私は、快くそれを受け入れることにした。
「じゃあさ、一緒に入ろうよ」
 なんて、冗談も付け加えて。だけど、流石にそれは、お姉ちゃんに丁重に断られた。
「少し、やっておきたいことがありますので」
 それを聞いた途端、少し突き飛ばされたかのような錯覚を覚えたのは、もしかすると私は何処か、これを本気で言ったからなのかもしれない。尤も、叶いっこないと云うことは知っていたはずなのだけど。
 それから私たちは二人一緒に食堂を後にした。暫く廊下を一緒に歩いて、途中でそれぞれの向かう先へと別れた。私は当然浴場へと。お姉ちゃんは、多分、方向から考えて自室へと向かったのだろう。……お姉ちゃんの部屋で眠るつもりなのだろうか。そう言えば、今日帰ってきて以来、私は自分の部屋に全く足を踏み入れてない。だけど、踏み入れる必要もないか、と直ぐにそんな結論を下した。

 久々の地霊殿のお風呂はとても居心地が良かった。身体を一通り洗って、髪を緩く結う。そして、私は湯船の中でぷかりぷかりと身体を遊ばせてみたり、時折足をばしゃばしゃと交錯させてみたりした。元々は少し早めに上がるつもりだったのだけれど、どうしてだか、私はそのまま温もりに身体を浸し続けた。結局、私が脱衣所へと上がったのはすっかりと身体も火照りきってしまい、のぼせていないのが不思議なくらいだと思える頃だった。

 色彩豊かな床の色は、それを覆う闇の所為で淀みこそ見せていたけど、それをほんのり照らす薄明りのお陰でより一層幻想的に見える。
「赤、青、黄色」
 その上を一歩一歩、飛び跳ねるようにして私は進む。一歩。一歩。幻想を踏みしめて、飛び跳ねて。次第に私自身も、そんな幻想の中に溶け込んでいく。


 気付いた時には、私はお姉ちゃんの部屋の前にいた。扉こそ閉まっているけれど、隙間からは少しだけ光が零れている。そこから察するに、まだ、お姉ちゃんは中にいるのだろう。
 ぎぃ、と扉を開くと、中からは一気に光が溢れ出してきた。それに臆せず一歩、私は部屋の中へと足を踏み入れる。瞬間だった。
「随分と長風呂でしたね」
「そんなつもりはなかったんだけどね」
 お姉ちゃんは書き机の椅子に腰かけて、どうやら読書に耽っていたみたいだ。机の上には本が置かれていて、よく見ると、そこには不自然な皺があった。
「それにしても、せめてノックくらいしてから入ってきてくださいよ……」
 悪態を吐くお姉ちゃんの声は何処かしら震えているように聞こえた。膝の上に置いてある手も、よくよく見てみれば微かに震えている。
「……いるとは思わなかったからね」
「それでも、せめて私の部屋なのだから……」
 ここまで言うと、お姉ちゃんは急に言葉尻を窄めて、何か考えるような仕草をして見せた。まだ僅かに震えている右手で口元を多い、頭を微かに傾げる。私がそれに首を傾げた、瞬間だった。
「……まさか、自分の部屋の在り処も忘れてしまったのですか?」
 見当違いの質問を、お姉ちゃんは私にぶつけてきた。その言葉の真意を掴みあぐねて、私は少しの間、言葉を失った。だけど、結局それを見つけることはできなくて、私は答えとしてまず、軽く頭を振った。
「流石にそんなことないよ?」
「いや、もしかしたらこいしの物覚えが悪くなってしまったのかと」
「ひどいね」
「こいしの行動も、ですよ?」
「まぁ、そうなんだけどさぁ」
「とにかく、あまり吃驚させないでください」
「無意識でやってることだから、私にはどうにも」
「だとしたら困りましたね」
「ねー」
「なに他人事みたいに言ってるんですか……」
 尤も、その通りだね。心の内で呟いて、私はからからと笑った。

 お姉ちゃんは腰掛けていた椅子から徐に立ちあがると、部屋の奥にある箪笥の方へと向かった。そして、そこから綺麗に畳まれたタオルを一つ手に取り、今度は私の方を向き、
「ほら、ここに座ってください」
 と、先まで自分が座っていた椅子へと私を誘導した。
 若干の疑問を覚え少し首を傾げたものの、私はお姉ちゃんの言葉に従って椅子の方へとふらふらと歩みを進めた。
 腰を下ろす。そこにはまだお姉ちゃんの体温が残っていて、少し熱いくらいだった。瞬間、私の頭に、何かが覆いかぶさった。思わず、「ひゃっ!」なんて、頓狂な声を漏らす。
「きちんと頭も拭かないとダメですよ。……この時期だと、直ぐに冷えてしまいますから」
 そう言うと、お姉ちゃんは私の頭をタオルでふわりふわりと拭き始めた。それに吃驚してまた、私は変な声を漏らす。お姉ちゃんがそれに笑ったような気がする。ふくれっ面をしてみせたけど、多分、お姉ちゃんには見えていないだろう。
 タオルで頭を包んだり、時折ぽんぽんと軽く叩いてみたり、撫でるように髪を拭いてみたり。お姉ちゃんのそれがとても心地良くて、私は思わず目を細めた。
 足をぶらぶらと振ってみると、絨毯の長い毛が私をくすぐる。上も下もくすぐったくて、思わず身を捩りたくなる。そう云うわけにもいかないから、なんとか我慢しようと私は懸命したのだけれど、口からは震えた吐息ばかりが漏れた。幸い、お姉ちゃんはそれに気付いていないようだった。
 頭を動かすわけにいかないので、私は視界だけをきょろきょろと動かす。先までの色彩豊かな廊下と違って、お姉ちゃんの部屋は全体的に赤っぽい色で統一されている。絨毯だってそうだし、その下に広がる床も、赤と焦げ茶のタイルで構成されている。壁紙、天井もどちらかと言えばその系統の色で塗り潰されていて、ところどころ置かれている家具もそれと上手く調和されているようだ。全体的に暖色である所為か、部屋の空気はほんのりと暖かい。火照っている身体にもそれは不快を覚えさせない。気持ちの良い、温もりだと思う。

 私の髪がそれなりに長い所為か、少し経っても、お姉ちゃんは私の髪を拭き続けていた。一応、私も風呂上りに拭いたつもりだったのだけど、どうやら私の髪はたっぷりと湿気を吸い込んでいたらしい。お姉ちゃんが丁寧に拭いてくれているのもあるのだろうけど、少し難儀しているようだった。お陰で心地良い時間が長く続いて、気付けばまた、私は鼻歌を口遊んでいた。時計が時を刻む音と私の紡ぐ音、そして、お姉ちゃんのタオルの音が、部屋の空気を揺すぶっている。
「そう言えばさ、お姉ちゃん」
「なんでしょうか?」
 全体的に、私は先とは違う印象をお姉ちゃんの部屋に抱いていた。先とは心持ちが大きく違っていると云うのもあるのだけれど、多少、違和感を覚えるのもそこにある気がした。たとえば、私の目の前にある書き机。その上には何も置かれていなくて、薄黄色の木目が綺麗な表面だけが、私の目に映った。
「この机の上に置かれていた紙、何処にやったの?」
 私はそこを指さした。何枚かあったはずの紙。温もりが綴られていた紙。もう一度読みたいと思っていたから記憶にも強く残っていたそれだけど、私はそれをこの部屋に見つけられないでいた。多分、私がこの部屋で覚えた一番の違和感。それが靄となって心の淵にこびりついていて、少し気持ち悪い。
 だけど、お姉ちゃんはそこから何の言葉も言わず、私の頭をタオルで撫で続けた。
 ふわり。ふわり。柔らかな感触が、私の頭には伝わってくる。だけど、それはずっと同じところで続いていて、まだ私の髪の先は、少しばかり湿っている。
 わしゃ。わしゃ。その感触が、だんだんとぎこちないものになっていく。すっかり乾いてしまっているはずの部分を、お姉ちゃんは何度も何度も、強く拭いた。
 ぐしゃ。ぐしゃ。なんとなくだけど、私は頭に熱を覚えるようになっていた。お姉ちゃんがタオルで描く軌跡は、ぎこちなさを通り越して随分と歪なものになってしまっていた。
 ぐしゃり。最後に私の髪を強く引き摺って、タオルは私の頭から零れ落ちた。少し、痛かった。タオルはそのまま落っこちていって、机の上でだらしなくその身を開けた。
 それに疑問を覚えた私は、後ろにいるお姉ちゃんを振り返ろうとした。その時だった。
 ぽん。タオルが引きずった跡に、多分、お姉ちゃんが手の平を置いた。髪を通り越して、じんわりとその熱が私にも伝わる。温かい。温かい。……熱い。
「あの。紙、って、いったい、なんの、ことですか?」
 歯切れの悪い、震えた、声。なんとなく、その質問に答えてはいけないような気がする。だけど、
「この書き机の上にあった、小説のことだよ?」
「……机の、上」
 多分、私は楽しんでいる。普段、見られないお姉ちゃんを見られるような気がしたから。最後に「お姉ちゃんの字で書かれてたと思うんだけど」なんて言葉も付け加える。
 時間が止まる。お姉ちゃんが黙ってしまったから。私が次のお姉ちゃんの言葉だけに、耳を傾けたから。先の瞬間のまま、二人が全く止まってしまったから。お姉ちゃんの手が乗っかったままの、頭が嫌に熱かった。

 静寂。そして、突然、私の頭は軽く揺さぶられ始めた。ぐらり。ぐらり。為されるがままの状況に、私は声だけを漏らした。お姉ちゃんの手が、大きく震え始めていたのだ。
「え?」
 疑問の声と共に、私はお姉ちゃんを振り返った。目には一瞬、水色のシャツが映る。見上げると、俯いていたお姉ちゃんの顔と、ばっちり目が合ってしまった。……紅い。
 急いで目を背けると、私は震えたままのお姉ちゃんの手を除けた。そして、机の上のタオルを手に取って、私は立ちあがった。なんとなく、お姉ちゃんから少し距離を置くと、お姉ちゃんは暫くそこに立ち尽くしたかと思うと、へなへなとベッドの縁へと腰を下ろした。膝に肘を置いて、両手で顔を覆って。その身体は、僅かながらに震えているようにも見えた。
 そんなお姉ちゃんの様子を見て、「ああ、やっぱり」。私は先の自分の予想が外れていなかったことに、一人満足を覚えていた。

「あれ、お姉ちゃんが書いた小説だったんだね」
 緩み切った顔は、意識しても戻せそうになかった。にやにやと。きっと、今の私は嫌な顔をしているのだと思う。
 私の言葉を否定しようとしているのか、お姉ちゃんはぶんぶんと頭を振った。器用に、顔を両手で覆ったまま。だけど、私の言葉に、身体を一瞬竦ませたのを、私はしっかりと見てしまった。
「んー……。そんなに取り乱しちゃったら、誰もそんなの信じないと思うけどなぁ」
 それでも、お姉ちゃんは頑なに頭を振り続ける。その時折、お姉ちゃんのふわふわの癖毛が舞って、真っ赤な耳が見える。……可愛い。思わず、嘆息が漏れてしまう。
「さっきも言ったけど、あれはお姉ちゃんの字だったよ。他の誰かだったらともかく、私はそれがはっきりと分かってるからね」
 だんだん、お姉ちゃんの頭は弱々しく振るわれるようになってきた。
「お姉ちゃんが書いたにしては、あれは面白い物語だったよ。でも、ちょっと引っ掛かることがあったけどね」
 私のこの言葉を端緒に、お姉ちゃんは完全に動きを止めてしまった。なんとなく、私の次の言葉に耳を澄ましているようにも見える。だから、私は少し待ってみることにした。
 私が暫く口を噤んでいると、少しばかり、お姉ちゃんの身体が竦んだように見えた。……可愛い。少しばかり、悶えた。
「少しだけ、話が上手くいきすぎてるって感じがしたんだよね。なにか、現実離れした感じって言うか……」
 そう言うと、お姉ちゃんは両手を漸く、顔から外した。
 そして、ゆっくりと顔を上げ、じっと私の方を見つめる。まだ仄かに紅い顔。少しばかり、目が潤んでいるようにも見える。
「い、いえ。あれは、あれで良いの」
 余裕がなくなってしまっているのか、お姉ちゃんの言動が、少し幼くなってしまっているようにも感じられた。

 お姉ちゃんの次の言葉が気になって、私はまた、椅子に腰を下ろした。少しばかり移動させ、お姉ちゃんの向かいになるように。
 そして、じっとお姉ちゃんを見つめる。だけど、お姉ちゃんはまた口を噤んでしまって、俯いてばかりいた。時折顔を上げて、私の顔をちらちらと覗く。だけど、私も何を言わないままそれを続けた所為か、お姉ちゃんは一つ、大きく溜め息を吐くと、ベッドからよろよろと立ち上がった。そして、ふらふらと覚束ない足取りで先の箪笥のもとへと向かうと、そこをがさごそと漁りだした。箪笥から幾重もの畳まれたお姉ちゃんの服が取り出される。私がそれを怪訝に眺めていると、お姉ちゃんは一瞬動きを止め、けれど、直ぐに箪笥の中へと手を伸ばした。そこから取り出された右手には、しっかりと白い紙束が掴まれていた。
「ほ、ほら。これの、ことですか?」
 ふらふらと私のもとへと歩みより、お姉ちゃんは私にその紙束を手渡した。一枚を一瞥する。まさしく、私が話題に挙げた小説だった。ゆっくりと頷く。
「なんで、隠してたの?」
「まさか、こいしに読まれているとは思わなかったですからね」
 もう恥ずかしいと云う感情は吹っ切れてしまったのか、お姉ちゃんは苦笑いを表情に浮かべていた。
 愚問。そのつもりだったけど、お姉ちゃんの言葉に私はなんとなく違和感を覚えた。
「やっぱり、これは、お姉ちゃんが書いたの?」
 さっきは有耶無耶にされてしまったから、念のため、尋ねる。お姉ちゃんは返事として、ゆっくりと頷いた。

 一頁、また一頁と頁を捲る。だけど、執筆者が目の前にいる所為か、読んでも読んでも、頭の中には物語が入ってこなかった。綴られた文字の羅列だけが、頭の表層を掠めていく。もやもやと。中途半端に浮かび上がる場景が気持ち悪くて、私はお姉ちゃんの作品を机の上に置いた。
「面白くなかったのですか?」
 不安。お姉ちゃんの顔にはその表情がべったりと貼り付けられている。
「そんなことはないよ。さっきも、面白いって言ったじゃん」
 実際、私はこの物語を面白いと思っている。この言葉も、本心から紡いだつもりだ。それでも、お姉ちゃんの表情が揺らぐことはなかった。相変わらず暗い陰りが、そこには色付いている。
 それがとても、もどかしくて。私はもう一度、紙束を手に取った。そして、そこからはひたすら無心で。無意識の力に頼って。私はその作品を読み進めた。
 ペラリ。ペラリ。短い間隔で、頁を捲る。難しい描写は噛み砕けない。比喩表現も、そのまま言葉の通りに受け取る。多分、私はこの物語の半分も、理解できてやいないのだろう。だけど、ひたすらに読んで、読んで、読み進めて。
 最後の頁を読み進め、最後の句点が目に入る。それを機に、私は紙束をまとめ、再び机の上に置いた。そして、顔を上げると、そこにはもう不安そうなお姉ちゃんはいなかった。
「うん、面白かった。本当に、面白かったよ」
 乱暴に読み進めて。言ってしまえば、流し読みで。私はお姉ちゃんの作品を読破した。それなのに、心の淵にはあの時感じたように、飽きるくらいの温かさを覚えていて。どうしてだか、身体の火照りが強くなったかのような感覚を、私は覚えていた。
「だけど、やっぱり理想的すぎる気がするの」
 だからこそ、私はこんな言葉を紡いだ。温かい。飽きるくらいに、温かい。そんな世界は、理想的だ。だけど、理想的だからこそ、現実離れしすぎている。
 だけど、お姉ちゃんは私の言葉に対しての返事なのか、首をゆっくりと横に振った。
「良いんですよ」
 お姉ちゃんはまた、あの言葉を紡いだ。
「理想的だからこそ、良いんです」

 いつの間にか床に落としていたタオルを拾う。それは私の髪の水分をすっかり吸ってしまっていて、手にはずっしりとその重さが伝わってきた。肩から首にぶら下げる。すると、柔らかな匂いが私の鼻をくすぐったような気がした。
「それって、どう云う意味なの?」
 お姉ちゃんの言葉の含む意味を、私は全く捉えられなかった。それこそ、微塵も。言葉だけが頭の中で何度も何度も反芻されて、その度に不満がわだかまって。多分、その所為で私の顔が曇ったのだろう。私の顔を見たお姉ちゃんは反撃とでも言わんばかりに、にやりと口角を吊り上げた。そして、それを見た私は、さらにその色を強くした。
「ねぇってば」
 自分でも分かる。尖った声。だけど、お姉ちゃんはそれをするりと避けてしまう。相変わらずにやにやと、その表情を保っている。それにまた、私は口を尖らせる破目になる。不快な、静寂だった。

「私は、そう云う体であれを執筆したのですから」
 お姉ちゃんのその言葉が静寂を切り裂いたのは、突然のことだった。それもあって、また私は言葉の意味を掴みあぐねる。なんだろう。お姉ちゃんに遊ばれてるんじゃないかって、そんな気分にさせられる。口を開くと同じ轍を踏んでしまう気がして、私はもう言葉を紡がないことにした。だけど、やはり私の考えていることは表情に出てしまうのだろう。お姉ちゃんは私の顔を一瞥すると、一つ、大きく頷いた。
「物語の中でくらい、理想を追ってみても良いでしょう?」
 部屋全体は静寂に包まれていたけれど、その所為だろうか。お姉ちゃんの言葉は、部屋全体に染み渡ったんじゃないかって思うくらいに、響いた。そして、残響として、私の耳の中で乱反射し続けている。
 反芻する。言葉の意味が分からないわけではない。ただ、表層だけしか私は捉えられない。捉えられていなかった。ぼんやりと曖昧な形のまま、お姉ちゃんの言葉は私の中にわだかまる。
「そう云うものなのかなぁ……」
「そう云うものなのです」
 嘆息のように言葉を吐き出す私と、諭すように言葉を吐き出すお姉ちゃん。多分、私たちの中にはなにか、決定的な違いがあるのだろう。だけど、私がそれを理解できないのは、私がその領域にまで辿り着けていないからなのだろうか。それとも……。
 思いあぐねて、止めた。溜め息を一つ吐く。お姉ちゃんはそこに私の意でも読み取ったのだろうか。表情には少し、したり顔のようなものが見えたような気がした。









   4



「では、私もお風呂に入ってくることにします」
 お姉ちゃんがそんな言葉を残し部屋を去ったのは、もう随分と前のことなのだろう。時計を見ていないから正確には分からないのだけど、あれから結構な時間が流れたように思える。カチコチ。カチコチ。そんな時が刻まれる音を、私は飽きるくらいに鼓膜で受け止めた。
 溜め息を吐く。結構な時間が経った。けれどその間、私は特に何もするわけでもなく、ただただ、のんべんだらりと時を潰し続けていた。椅子に腰を下ろし、机を支えにして頬杖をついて。その体勢を保ち続けて、そのまま。ひたすらに物思いに耽って。だけど、それは終焉の尻尾を見せることなく、時間だけを奪い去っていった。

 もう一度、私は溜め息を吐いた。そして、それを端緒に首を机の上へと投げる。ひんやりと。冷たい机の感触が、私の頬には伝わった。
「結局、なんだったんだろ?」
 お姉ちゃんの小説を勝手に読ませてもらった。そのことを、先の予想の答え合わせもかねて、私はお姉ちゃんに尋ねた。すると、想像以上にお姉ちゃんが可愛い反応を見せて、それを端緒に私はお姉ちゃんを少しからかってみることにした。なのに、気付いた時には、私とお姉ちゃんの立場はすっかり入れ替わってしまっていた。お姉ちゃんのペースに、私は完全に飲み込まれていたのだ。
 ふと、私が覚えた違和感。物語があまりにも理想的すぎる、なんてもの。こうなってしまった所以は、これにあるだろう。私はその理由が気になって、お姉ちゃんに尋ねた。けれど、お姉ちゃんは私がこうなるのを見越していたかのような振る舞いを見せた。そして、私が答えとするには不十分だと思う回答を、多分、わざと返した。「ここまで言ったのだから、良いでしょう?」なんて。そんなお姉ちゃんの続ける言葉は、容易に想像できる。だけど、その答えが分からなくて、判らなくて。そして、その答えを教えないままに、お姉ちゃんは部屋を出ていってしまった。残された私には、募りに募ったわだかまりに、ただただ悶々とするだけしかできなかった。「むぅ……」なんて、呻く。だけど、それが答えを導き出してくれるわけでもない。……どうしようもなかった。
 視界を巡らす。右には暖色の部屋、左には薄黄色の平面が見える。暖かい色のはずなのに、私はそこに冷たさを覚えた。実際、机のひんやりとした感触は、まだ私の頬に触れ続けている。私から熱を奪い取ったくせに、まだひんやりと冷たいままでいる。それが妙にもどかしくて、腕を枕にしてみようと私は試みた。だけど、椅子の高さの所為か、はたまたその他に要因があるのか。どうもしっくりくる体勢が取れない。幾分かそれに奮闘したものの、結局納得のいく答えを見つけられなかった私は、机から頬をひっぺ剥がした。そして、もう何度目になるか分からない溜め息を、私は吐いた。あれ以来、どうも物事が上手くいかない。いっていない気がする。……踏んだり蹴ったりだった。

 椅子の背もたれを支えにして、天井を仰ぐ。目に映るのは暖色の天井と照明。そこから零れる光は本当に仄かなもので、目を細めるとふらりふらりと光源が揺れているようにも見えた。
 視線を机の上に戻す。そして、ふと、私はそこに色の違う部分があることに気付いた。薄黄色の上にある、真っ白な紙。手に取って見てみると、それは私をここまでしている元凶、お姉ちゃんの作品だった。
「……そう言えば、まだ、きちんと読めてなかったんだっけ」
 最初にこれに目を通した時、私は途中で意識を混濁の中に置いてけぼりにしてしまった。そして、二回目、つまり先ほど。お姉ちゃんの視線を終始浴びながら、私はなんとかこれを最後まで読むことができた。だけど、やはり流し読みだった所為か、私はその内容を朧では思い出せても、鮮明には無理だった。そして、それが定かであるかすらも、私には判らない。
「だったら、もっかい、読み直してみようかな」
 その言葉を口に出してしまったのは、多分、自身に対する言い聞かせのつもりだったのだろう。
 この作品はあまり長いものではなく、お姉ちゃんが戻ってくるまでになら、きっと、私は読み終えることができるだろう。もしかしたら、違和感に対する答えがこの作品には記されているのかもしれない。そうでなくとも、そのヒントくらいは見つかるかもしれない。それに、そもそも、この作品をもう一度、いや、何度も何度も、私は読んでみたいと思っていたくらいなのだ。……だったら。

 気付いた時には、私は綴られた文字を目で追っていった。先のように流してではなく、今度はじっくりと。一文一文噛みしめて。物語の情景を頭に思い浮かべて。
 カチコチと鳴り響いていた時計の音はいつの間にか消えてしまっていた。耳には静謐と、私が頁を捲る音だけが残る。
 柔らかな光に照らされている所為か。それとも、先の火照りがまだ残っている所為か。私の身体は、次第に温もりに包まれていった。錯覚なんかじゃない。じんわりと身体の芯から凍えを溶かすような、そんな温もり。刹那じゃなくて、永劫。そんな温もり。
 温もりに身を浸して。想世界に思いを馳せて。ペラリ、ペラリと。頁を捲る。お姉ちゃんが描いた理想の中に、その身を夢中に、馳せる。


 パタン。
 机に作品を置くと、そんな小気味の良い音が私の耳には届いた。それを端緒に私を包んでいた静謐は弾け、時を刻む音が息を吹き返す。いつの間にかこわばってしまっていた、身体を許す。そして、ふぅ、なんて、私は小さく息を吐いた。
 黙々と。私は作品を読み進めた。全てを、噛み砕く。そんなスタイルを、最後まで貫き通して。その結果だろうか。充実感と、その余韻と、そして、飽きるくらいの温もりと。そんな感情が混濁して、混同して、混在して。私はそれにどっぷりと浸かっていた。言葉にしてしまうのも勿体ないくらいな。そんな、感覚だった。

 椅子に座ったまま、私は大きく伸びをする。それに合わせて、もう一度、息を長く吐き出す。
 そして、反芻する。あの作品を。描かれていた物語を。思わず目を細める。……その時だった。
「終わりましたか?」
 突然、部屋全体にそんな声が響いた。それに仰天した私は、声にならない悲鳴をあげた。身体を思いっきり竦ませた所為か、椅子を弾いて倒してしまった。その音にまた仰天し、「ひゃあ!?」なんて悲鳴を上げると、へなへなと吸い付けられるように私の腰は砕けた。
「吃驚したぁ……。せめて、ノックくらいしてくれても良いじゃん」
 滲んだ視界で、声のした方向を睨みつける。ぼやけて上手くは見えないけど、薄紫の髪と見慣れた姿。コシコシと目を擦ると、そこにはあっけらかんとした表情のお姉ちゃんがいた。
「さっきのこいしを捩っただけなんですけどね」
「……そ、それでも」
 両手で顔を擦る。そして、私がおおよそ表情を取り繕えた頃、お姉ちゃんは私の隣にまでやって来て、すとん、とベッドの縁に腰を下ろした。
「なら、こいしもそれを、守ってくれるのですか?」
「んー、無理かも……」
「なんですか、それ?」
「だって、私の身体は自由意志が利かないし」
「せめて、努力くらいしてくださいよ」
「んー、考えとくね」
 そうやって冗談を投げ合っているうちに、弾む鼓動も次第に収まり、取り繕わなくとも私は平静を醸し出せるようになっていた。
 椅子を元に戻し、腰を下ろす。そして、お姉ちゃんの顔を、じっと見つめた。
「それにしても、さっきのこいし、可愛かったですよ?」
「え?」
「あの、『ひゃあ!?』って可愛らしい悲鳴。もう一度、聞きたいです」
「や、やめてよ!」
「どうしましょうかね。その赤らめ顔も可愛いですよ」
「もう、やめて。もう……」
 お姉ちゃんが妙に意地悪なのは、床に散らばっている小説の所為?
「もぉう……」
 そんなことを言われたら、私はもう何も言えなくなってしまう。お姉ちゃんは、ずるい。ずるすぎる。
 また滲んできた目で、じっとお姉ちゃんを見つめる。その表情には薄っすらと、笑みが浮かんでいた。

 椅子から立ち上がり、ベッドへと飛び込む。私のこの突然の行動に唖然としているお姉ちゃんを尻目に、私は掛布団をもぞもぞと引っ張り出した。それを頭から被って、ベッドの上で丸くなる。……恥ずかしさでいたたまれない。紅い顔をお姉ちゃんに見られてこれ以上からかわれないように。これ以上お姉ちゃんに言葉攻めされないように。布団の中で耳を塞ぐ。目を瞑る。もう冬用の布団の所為だろうか、身体をやけに熱い温もりが包む。
 そんな私を見たのか、お姉ちゃんの溜め息が聞こえたような気がした。そして、どうやらお姉ちゃんは立ち上がったらしい。ベッドが少し揺らされて、私の手は耳から外れた。パラリ、パラリと、聞こえてくる音から察するに、お姉ちゃんは小説を拾っているのだろう。
 顔の熱がそこそこ引いてきたので、私は少しだけ布団から隙間を空け、お姉ちゃんの様子を覗いてみた。集まったのだろうか、お姉ちゃんは机の上で紙束を整理していた。トントンと、机の上でバラバラになった紙束を均している。みるみるうちに、それはまるで一枚の紙のようにその形を成していく。満足がいったのか、お姉ちゃんはそれを机の上に丁寧に置いた。そして、突然、私のほうを振り返った。私はじっとお姉ちゃんを見つめていたわけだから、布団越しにでも、ばっちりと目が合ってしまった。直ぐに布団を深く被る。けれど、遅かった。遅すぎた。ゆっくりとお姉ちゃんは近づいてきて、そして、布団に手を掛け、それを除けようとして……。

 コン、コン、コン。
 部屋の中に、ノックの音が三回、突然響き渡った。「ひゃあ!?」なんて、また。私は悲鳴をあげて、自らの手で掛布団を跳ね除けてしまった。お姉ちゃんも仰天した所為か、それとも掴むものがいきなり無くなってしまった所為か、バランスを崩して、そのままベッドの上へと雪崩れ込んできた。間一髪、私はお姉ちゃんの身体を受け止めたのだけど、上に飛んでいた布団が頭に落ちてきて、バランスを崩した私はベッドへと倒れた。成す術もなく、お姉ちゃんも倒れた。……酷い惨状だった。
「ノックもあまり、意味がなさそうだね」
「……ですね」
 可笑しな体勢のまま二人で顔を見合わせ、私たちはからからと笑った。

 この時間にお姉ちゃんの部屋を尋ねるのは、私の想像の限り、ペットの中の誰かだとは思う。だけど、その来訪者はノックをしたっきり、行動を起こさないでいた。
「返事が返ってくるまで、部屋の中には入ってはいけないと躾けていますからね」
 私を布団から除かし、それを整理していたお姉ちゃんは、さらに何か言いたげな顔をしながら、そう言った。
「どうして?」
「そりゃまぁ、中がこんな感じだと困りますから」
「お姉ちゃんは普段、部屋を散らかさないんじゃないの?」
「ですが、現にこうなってしまっているわけですし」
「そうだけどさぁ……」
 多分、お姉ちゃんにはそれ以外の理由があったのだと思う。けれど、それを尋ねるのも不躾な気がしたので、私はそれを憶測の内に留めておいた。ちらり、と。横目で机の上の紙束を、私は一瞥する。
 そして、お姉ちゃんの目配せを機に、私は扉のもとへと歩みを進めた。
「はいはい、なぁに?」
 そして、来訪者に用件を尋ねる。
「あれ、こいし様?」
 と。聞こえてきたのは、どうやらお燐の声だった。お姉ちゃんを見ると、お姉ちゃんはゆっくりと頷いた。布団は片付いているけど、少し、私には気になる点があった。
「お燐? ちょっと、待っててね」
 そう来訪者に告げると、私は机の上の紙束を手に取り、そして、お姉ちゃんに渡した。お姉ちゃんは私の意を汲み取ったのか、それを箪笥の中にしまい込み、大きく頷いた。

 ぎぃ、と扉を開く。廊下は照明を切ってしまったのか薄暗く、見るからに寒々しい様子であった。目の前には、二人。先の返答をしたお燐と、おくうの姿がそこにはあった。二人とも入浴直後なのだろうか、髪が水を吸っで少し膨らんでいて、そこからは微かに湯気が燻っているように見える。そして、お燐の表情には、少し不安の色が伺える。
「どうしたの?」
「えっと、あのぅ……。今日ってやけに冷え込むじゃないですか。だから、一緒に寝させてもらえないかなぁって思いまして……」
 しどろもどろなお燐の返答。その恥ずかしさからか、少しばかりお燐は顔を赤らめた。お燐が次第に顔を俯けていった所為か、言葉尻は殆ど私には聞き取れなかった。
 そんなお燐の言葉に、私は少しばかり引っ掛かるものを覚えた。廊下は寒々しく見えるとは言え、そこまで冷え込んではいないはず。確かに、灼熱地獄の管理をしているおくうはここにいるけれど、流石に自身にとって心地良いくらいには、温度を設定して来ているだろう。だから、やけに冷え込むなんてことはないはず。ないと、思う。それに、その後ろにいるおくうのきょとんとした表情が、事の全てを物語っている。
 私はお姉ちゃんを振り返った。少しばかり、そこに疑問の表情を呈して。すると、一瞬こそ思いあぐねるような体をお姉ちゃんはして見せたが、直ぐに答えに辿り着けたらしい。私に対し、若しくは、お燐とお空に対し、お姉ちゃんは大きく頷いた。その口元は、僅かばかり緩んでいた。
「うん、良いってさ」
 私のこの言葉を端緒に、お燐は直ぐに顔を上げた。目が、輝いている。成る程、判りやすい表情ってこんなことを言うのかな、なんて考える。普段から、これくらい私も表情を零しているのだろうか。
 私としても、寝場所が狭くなってしまうのが少し気がかりではあったけど、二人のことは大歓迎だ。寒いんだったら、大勢でくっ付いて寝たほうが暖かいに決まっている。そんなことを考えながら、私が笑みを零すと、お燐は大きく頷いた。
「でも、二人きりで一緒に寝ようとしていたのって、ずるくないですかぁ?」
 ずっと口を噤んでいた、おくうの不満そうな声。「あ、こら」なんて、お燐が窘めるけど、おくうの表情には、しっかりとその色が浮かんでいる。きっと、これが二人の本音なんだろう。多分、厨房で私のあの我が儘を聞いた。それで、二人で相談してみて「私たちもお願いしてみよっか?」なんて、多分、おくうが提案した。お燐は少し躊躇ったけど、結局一緒に寝たいと云う気持ちが勝って、一通り身支度を済ませた後、この部屋を訪ねた。きっと、こんなやり取りがあったのだろう。
 いつの間にか、お燐の顔には赤色が戻ってきていて、おくうはからからと笑っていた。私にはともかく、お姉ちゃんに隠し事は通用しないのに、やはり口にしてしまうのと心で呟くのとでは、違うことなのだろうか。「まぁ、最近私も嘘を吐くようになったけど」とつい先の記憶に思いを巡らせて、くすっ、と私は息を零した。
 もう一度、私はお姉ちゃんを振り返った。やはり、お姉ちゃんは二人の全てを見透かしていたのか、随分と嬉しそうな表情だった。……多分、私と同じ感情を抱いているのだろう。
 お姉ちゃんは私と目が合うと、小さく頷いた。私もそれを真似て、そして、微笑を表情に浮かべる。
 二人を招く。それを端緒に、ゆっくりと二人は部屋の中へと、足を踏み入れた。お燐、おくうの順で。二人が入った所為だろうか、部屋がより一層、温まったような気がした。

 二人が入ったのを端緒に、私たちは思い思いのところへ腰を下ろすことにした。お燐は椅子。おくうは絨毯。お姉ちゃんはベッドの縁。少し思いあぐねた挙句、私はまだスペースに余裕があったベッドへと腰を下ろした。ベッドは私の腰を包むと、少し沈みこみ、そして、その柔らかな感触を楽しませた。思わず、溜め息が漏れてしまう。見てみると皆もそれなりにくつろいでいるみたいで、お燐は背もたれに背中を預け、おくうは足を絨毯の上へと投げ出している。お姉ちゃんは普段とあまり変わらないように見えるけど、よくよく見てみると、少しだけ姿勢を崩していた。私にはそれが珍しく思えて、まじまじとお姉ちゃんを見つめていると、不意に私のほうを見たお姉ちゃんと目がばっちり合ってしまった。どのような表情をして良いのか戸惑って、とりあえずにへら、と笑ってみた。多分、それは正解だった。
 数刻の間、安穏の空気を楽しんだ頃、お姉ちゃんが何か思いついたらしく、ふと、立ち上がった。その所為でベッドが少し弾んで、私は身体を少しよろめかせた。それを見ていたのか、おくうが私を見て笑っていた。私も返事として微笑を零す。そんな私たちを見て一瞬怪訝の表情を見せたお姉ちゃんだったけど、多分、おくうの心を読んだのだろう、その色を表情から消し去って、ゆっくりと口を開いた。
「何か、温かい飲み物でも持って来ましょうか?」
 多分、お姉ちゃんが飲みたいのかな。そんな考えに至った私は、自分が欲しいのもあって、大きく頷いた。そして、お燐とおくうの顔を見つめてみた。二人とも、不意のお姉ちゃんの提案に呆然としていたみたいだけど、私の反応を見たのか、それとも、本当に欲しいと思ったのか、その旨をお姉ちゃんに告げた。それを聞いて、お姉ちゃんはゆっくり頷いた。
「じゃあ、私が注いでこよっか」
 立ち上がる。そして、私は周りの反応も確認しないままに、扉へと赴き、それを開いた。
「わ、私も付いていきます」
 突然の私の行動に呆然としていたお姉ちゃんが、そんな声を投げかける。
「良いって良いって。じゃあ、行ってくるから、待っといてね」
 捨て台詞としてそんな言葉を吐いて、私は扉の外へと出て、そして、それを閉じた。
 光源の殆どを失った廊下は薄暗く、部屋より随分寒い気がした。一瞬、思い留まる。だけど、直ぐに私は廊下を一目散に駆け始めた。









   5



 気が付くと、私は食堂の前へと辿り着いていた。無意識に頼り切って廊下を一気に駆け抜けた所為か、意識を取り戻した途端に、私の身体に酷い動悸と息切れが襲いかかってきた。口からははぁはぁと絶え間なく息が漏れ続け、あまりの身体の重たさを覚えた私は、思わず膝を支えとして掴んで腰を砕いた。だけど、あまり皆を待たせるわけにもいかない。幾度か深呼吸をし無理やりに呼吸を整えると、私は食堂の中へと足を踏み入れた。
 食堂はきちんとお姉ちゃんの手によって消灯されていて、廊下から微かに漏れる光だけが薄っすらとその床を照らしている。それは視界の手立てとするにはあまりにも頼りなくて、結局、私は手探りで灯りを探し求めることにした。
 暗闇の中、腰の引けた足取りで、手だけを徒に動かし続ける。きっと、昔だったら直ぐに見つけられたのだろう。だけど、長らく入っていなかった所為か、私はたったそれだけのことなのに随分と難儀してしまった。先の夕食を想起して、何処に光源が置かれていたかを必死に考える。だけど、皆の顔と夕食の献立、そして、その感想ばかりがぐるぐると頭の中をめまぐるしく逡巡して、私の思考の邪魔をする。
 薄暗く静謐に包まれている食堂は、たとえ何がなくとも、ただそれだけで私の不安を煽ってくる。次第に焦燥感も募りつつあった私は、とりあえず一層出鱈目に手を動かしてみた。すると、案外直ぐに求めていた光源は見つかった。安堵の溜め息を吐く。そして、私はその役割を果たさせるべく、少し不慣れな手つきでその腰にあるスイッチを入れた。再び仕事を始めた灯りは、その柔らかな光で食堂全体を仄かに照らし始める。見てみると、それはテーブルの上、私たちが夕食を摂っていたまさしくその場所に置かれていた。思わず、また溜め息を口から漏らす。今直ぐにでも、嗤い出してしまいそうだった。

 少し元気のなくなった足取りで、光源を右手に持ち厨房へと入る。そして、私は戸棚からミルク差しを取り出し、既にコンロのもとに在った鍋を軽く濯ぐと、それに注いだ。
 銀の底面が、白いミルクにだんだん覆われていく。気を付けながら目安で四人分注いでみると、ミルク差しの中身は半分ほどになってしまった。……もしかしたら、少し多すぎたのかもしれない。とは言え、今更元に戻すわけにもいかないので、適量であったことを祈り、それに砂糖を注いだ。匙でゆっくりかき混ぜながら、少しずつそれを加えていく。そして、溶けきらなかった砂糖が底面でざらつき始めた頃、私はそれを火にかけ始めた。匙で少し掬い、それを舐める。……少し、甘すぎた。舌がべたつく。
 もう一度、私は溜め息を吐いた。さっきから、なんだか失敗続きだ。何をしようとしても、どれも上手くいっていない。一度は忘れていたけど、もしかしたら、私は先のままの気持ちを引き摺ったままなのだろうか。理由は、やはりあのお姉ちゃんの作品。それの所為にしてしまうのも、自分でもどうかとは思う。けれど、どう考えても、あれを読んでしまってから、この気が続いてしまっている。
 頭をぶんぶんと振る。そんな余計なことを考えているから、私は失敗した。多分、このままだと、また……。
 一度、大きく深呼吸する。甘いミルクの香りが、やんわりと鼻をくすぐる。それもあってか、心無しに気持ちが落ち着いたような気がする。その柔らかな余韻に少し呆けた後、それを機に再び、私は鍋の中を匙でくるくるとかき混ぜることにした。
 くるくる。くるくる。匙の描く軌跡。それは初めこそ直ぐに液の中に解けいってしまったけれど、それが温まってきたからか、次第に、その形を鈍く、私に見せつけるようになる。
 ぐるぐる。ぐるぐる。それを掻き消そうとして、無意識に匙の勢いが強くなる。けれど、それは却って、軌跡を強く描くようになっただけだった。歪な円が、鍋の上に幾つも残る。
 ぐるり。無意識に勢い強く混ぜすぎて、気付けば鍋の中身は飛び出してしまいそうになっていた。咄嗟に匙を逆回転させて、なんとか最悪の事を免れることはできた。
 けれど、その所為で私のそう呼べるかは分からない淡い集中は途切れてしまった。後には呆然と云うぼんやりとした感覚だけが、私の頭の中には残された。

 耳の中にはパチパチと火の跳ねる音が時折飛び込んでくるくらいで、静寂に包まれているのと殆ど大差ない。視界に映るのも、その火と光源がぼんやりと照らす鍋の中身くらい。それ以外の景色はすっかり闇に飲み込まれてしまっていて、私の周りだけ、まるで取り残されてしまった空間であるかのように思える。そんな寂寞の空気に包まれていると、実際はぼんやりと空気が温まっているにも拘らず、私の身体が少しずつ悴んでいくような、そんな気分にさせられる。気付けば、私の身体は少しばかり、震えていた。
 勢いで飛び出してきたとは言え、皆に温かい飲み物を振舞うと決めたのは私自身だ。だから、途中で事をほっぽりだしてしまうわけにもいかない。当たり前のことだ。だけど、どうしてだろう。今の私には、この空気に居続けることが到底耐えられそうにもなく、今直ぐにでも部屋に戻りたい、そんな気持ちだけがただただ募っていくばかりであった。
「そもそも、なんでやろうと思ったんだろ……?」
 後悔。そんな思いからか、思わず口からは分かりきったことに対する疑問が漏れた。
 ……なんで?
 答えは分かっている。分かりきっている。それなのに、私の口は幾度も幾度も愚問を紡ぎ続ける。
 それを止めようと、一歩、後ろへ引いて、私は頭を何度もぶんぶんと振った。その度に空気が私の頭をくすぐって、髪が乱れた。ふと我に返って、髪を手櫛で梳かす。髪はすっかり乾ききってしまっていて、たったそれだけのことなのに、私の内からはまた、もどかしい感覚が沸々とわだかまり始めた。
 頭を振った所為もあってか、先よりも私の思考は酷く逡巡するようになってしまっていた。思い出したくないこと。考えたくないこと。そんなものまでもが、脳の表層にすっかり姿を現し、そのままべっとりとこびり付く。一度堰を切ってしまったからか、もう何を為してもそれは留まることを知らなくて。気付けばそれは、私の思考を完全に支配するようになってしまっていた。


 自身の枷に縛られて、宛てもなく左見右見する日々。それが、私にとっては当たり前の日常であった。
 何も考えずにぶらりぶらりと歩みを進め、時折、ふと我に返る。その行く末は自分でも判らず、その目的に関しても、以ての外。ただ、ひたすらに無意識に操られているだけで、それ故、自身が為そうとしていることも、それがもたらす結果も、それらについて特に何かを思うなんてことが、私には無かった。
 そうやって見過ごしてきた景色の中に、思い出したくもないような情景を、きっと幾度も。私は、見てきたのだろう。この手で、触れてきたのだろう。
 だけど、その大抵は、今、そうであるように、私の記憶に留まることはない。無意識が解けてしまわない限りは、たとえ自身がはっきりと体験したことであっても、それを想起することは、私にとってままならないことなのだ。

 それなのに、いったい、どうしてだろう?

 私は今、今日体験したあの荒涼の姿を、はっきりと心の内に見ることができる。肌で感じた寒さ。切り裂くような風。そんな些細なことすら、まるで今体験しているかのように、思い起こすことすらできる。
 あれは、なんてことのない情景だった。ただ、ちょっぴり。私がそこに、荒涼を感じ取っただけ。そんなことが、私の無意識を解いてしまったとでも言うのだろうか。

 ……違う。判っている。記憶を巡らせずとも。それこそ、思考の海を泳がずとも。その所以は、自ずと私には、判っていた。

 ――私は、寂しかったんだ。

 眼を閉じて以来、すっかり失くしてしまっていたと思っていた、感情。だけど、それは間違いで。
 どうやら、私は単にそれを思い出せなかっただけみたいだ。

 どうして、それを私は思い出すことができたのだろう。……分からない。
 だけど、私の内に、沸々と。止め処なく、この思いが溢れ出でているのは事実。それを意識してしまうと、とてももどかしくて、とても切なくて。……だから。
 無意識のうちに、私はここに戻って、いや、帰ってきたのだろう。この気持ちに唯一栓を施してくれる、この場所へと。

 ここへと戻って来て、確かに、私は温もりに触れることができた。柔らかくて、心地良くて、いつまでも包まれていたいような、そんな温もりに。
 初めは、それがとても嬉しかった。お姉ちゃんと冗談を言い合って。家族みんなで食事を摂って。まるで、何か悴みを解かしてくれるようなその安穏が、私には途方もなく愛しく思えた。

 だけど、そんな幸福な時間を過ごしていくうちに、私の中には相反する、小さなわだかまりが芽生えつつもあった。
 私がこうしてめいっぱいに浸っている、この温もり。これは、きっとその形こそ違えど、世間にありふれた存在なのだろう。別段特別なものでもない。
 現に、かつて、私はこれを当たり前のように享受し続けていた。

 ……それにも拘らず、私は、これを、捨て去ってしまった。

 眼を閉じてしまった。途端に、私にとって当たり前であったものが、当たり前でなくなってしまった。
 普段通りの日常。私だけがそこから置いてけぼりにされてしまった。周りのことが判らなくなって、分からなくなって。全てからの乖離に、次第に自分のことすら理解できなくなって。
 そして、その結末の先に。私は「何も考えないで生きていく」と云う道を選び取ってしまった。

「仕方がない」
 たとえば、お姉ちゃんだったら、そう言って慰めてくれるのだろう。頭を撫でてくれるのだろう。
 だけど、私はそれを、振りほどかなければならない。それを認めてはいけないのだ。
 この道を歩んでいく。結局、そう決めたのは、他でもない私自身なのだから。

 ものを思えば思うほど、それがいったい何なのか、私には判らなくなる。
 ものを愛せば愛すほど、それは少しずつ、私から剥がれ落ちていく。
 そうであってほしいと願えば願うほど、それは理想から乖離していく。
 そこから脱しようと踠けば踠くほど、私はよりその深くへと堕ちていってしまう。

 そんな延々と続く意識の混乱に、絶望を覚えた朝もあった。他者に縋り付いた昼もあった。慟哭を続けた夜もあった。

 そして、遂に。私は、そんな生活に嫌気差し、逃げ出した。
 目を閉じて。耳を塞いで。呼吸を止めて。
 ……私は自ら、無意識の海に飛び込んだのだ。

 一度は、自らの手で捨て去ってしまったもの。それなのに、私は、それにずっと浸り続けていたいと望んでいる。
 そんな二律背反が、ここに戻って来てからと云うもの、私の中にずっと巣食い続けていた。

 先は、私はそれに甘んじてしまった。だから、今度は私は自ら、そこから飛び出した。
 あのまま居続けてしまうと、きっとまた、あの時みたいに、周りに迷惑をかけてしまう。温もりにずっと浸っていたい、なんて我が儘を口走ってしまう。

 ……私にはそれが、許せなかった。


 鍋の中を覗いてみる。火が弱すぎた所為か、そこには白い水面には波紋一つ見受けることができない。もしかしたら、時が止まってしまったんじゃないだろうか。そんな馬鹿げた錯覚をも私は抱いた。
 私は暫く、その静寂を見つめ続けた。だけど、それは一行に揺らぐことはなく、不意に「ふぁあ……」と口から欠伸が漏れた。
「もう、どれくらい経っちゃったんだろ」
 手元には時計があるわけでもなく、その答えを知る術は私には無い。朧な記憶を頼りに思いを巡らせてみると、部屋を飛び出してからおおよそ十分が経ったくらいだろうか。結構、時間を費やしてしまっている。それなのに、滲んだ視界には白い燻りが映らない。暢気にとろ火が揺らいでいるだけだった。
「さすがに、待たせすぎだよね」
 少しの焦りを覚えつつあった私は、無作為にコンロの火を強めてみた。
 轟、と。鍋を包み込んだ青い炎は、私には、まるで息を吹き返したかのように見えた。

 火を強めた所為か、僅かながら顔に火照りを私は覚えた。それが少し煩わしくて、後ずさる。
 たった一歩。それだけなのに、私には妙に身体を包む空気が冷え込んだように思えた。

 ふと、目を閉じる。先から妙に目蓋が重かった。だけど、立ったままであれば、おそらく意識が飛ぶ、なんてこともないだろう。目蓋越しに薄っすらと火の光は飛び込んでくる。微かに、火の揺らぐ音も耳に飛び込んでくる。だから、きっと。大丈夫だろう。
 暗い静寂にその身を遊ばせていると、脳裏に先の出来事がはっきりと想起される。先からこれが続いているのは、私が今一人きりだから、なのだろうか。次々に鮮明に思い浮かぶ先の事象に「まるで走馬燈みたい」なんて、思わず苦笑を漏らす。もしそうだとしたら……、なんて考えて、そんな時。私のこの孤愁は、ある一場面を切り取ったまま止まってしまった。

 お姉ちゃんの小説。そこから想起されるあの温もりが、相変わらず私の脳裏にこびり付いて離れなくなったのだ。


 あの小説を読んだ感想として、「現実的じゃない。理想的すぎる」。そんな言葉を、私はお姉ちゃんに対して呟いた。
 それは何度読んでも私が抱いた同じ思いで、私の正直な感想だった。
 だけど、お姉ちゃんは「それで良い」なんて、私に返した。
 その所以が分からなくて、私はそれから幾時間も思いあぐねる破目になった。
 結局、私は未だお姉ちゃんのその深意を汲み取れていないし、自分なりの答えを見つけられてすらいない。
 だからこそ、先から下手に思いが乱されて、事が上手くいっていないのだろう。

「本当、情けないなぁ……」

 そもそも、私がお姉ちゃんに吐いたあの言葉の理由。
 確かに、思ったままの言葉を、そのまま口に出した。
 だけど、それ以上に、口にしてしまうのも馬鹿らしいような、そんな理由があった。

 私は温もりを自らの手で捨て去ってしまった。
 今ではそれを悔やんで、焦がれて、葛藤して。
 だけど、あれは、それをいとも容易く解決してしまっていた。
 私が幾ら為したくても為せないことを、あの物語は成せてしまっていたのだ。

 ……多分、私のあの言葉の真意は、ただの強がりに過ぎなかったのだろう。
 事実、私は今でも、あの物語を読みたいと思っている。何度も何度も、読みたいと願っている。
 あの飽きるくらいの温もりに、めいっぱい浸っていたいと考えている。
 叶わないと諦めた、あの世界。たとえ、空想でも良いから、


 ずっと包まれていたい


 ……なんて。


 目元に熱い違和感を覚えて、私は天井を仰いだ。
 黒の天井に、輪郭のぼやけた白の円。その中に、黒い影が、一つ。
 その影の輪郭すらも、今の私には、ぼやけて見えるくらいだった。


 ふと、私は目の前で白い燻りが揺さぶっているのを見つけた。一瞬、それが何か私には判らなかったが、それを把握したと同時に、私は慌てて思考旅行を中断した。
 大した距離もないのに、走る。そして、私は鍋の中を覗いてみた。
 銀の壁に包まれながら。ミルクは既に、煮えたぎってしまっていた。
 火を止めて、少し待つ。暫くして白い水面に静寂が戻ってきたのを確認すると、私は食器棚から四つのカップを取り出した。
 これ以上、失態を重ねる訳にもいかない。一つ一つ、ゆっくりと、丁寧に。私は順にそれらにミルクを注いでいった。

 ミルクを注ぎ終えると同時に、私は大きな溜め息を吐いた。大したことでもないのに、どうしてだか、私は少し緊張していたらしかった。溜め息を機に、こわばっていた身体を許す。すると、もう一度。私の口からは大きく息が漏れた。
 心配であったミルクの量だが、どうやら量は適当であったらしい。それぞれのカップにおよそ七分目半くらい、均して注ぎきることができた。
 カップからはゆらゆらと湯気が燻る。その湯気が消えないうちに、さっさと皆の元へと送り届けないと……。

 カップを一つ手に取る。両の手の平でそれを包み込むと、白磁越しに確かな温もりが感じられた。
 暫くそれを続けて手が温を覚えた頃、
「……戻ろっか」
 このように決意を言葉にして紡ぐくらいのことをしないと、このまま幾分もずっと踏ん切りが着かないような気がした。
 皆の元に戻りたい。私はそう思っているはずなのにね。そう考えると、現状が可笑しい。
 少し口元を緩めると、私は視線を他のカップに移した。相変わらず白い湯気はそこから燻っている。だけど、湯気の量は先と比べると、気の所為かもしれないけど少しばかり薄くなっているようにも思えた。尤も、注いでから須臾の時間を費やしてしまったわけだし、冷め始めていても無理はない。だけど流石にこれ以上時間を費やしてしまうと、皆の元へと持っていく前に冷め切ってしまうかもしれない。
 温まった両の手の平で顔を包み込む。そして、一度大きく深呼吸をして、
「よし」
 意気込む。それを端緒にして、私はその身を翻し、カップを取り出した棚の元へと向かった。

 食器棚の中をがさごそと探る。光源が私の手元にある小さなものしかないから、奥行きがそれなりにある棚の奥は薄暗いままだ。だから、きちんと整列された食器類を少しずつ動かして、奥までの視界を確保しようと試みているのだけれども、光源が小さすぎる所為か、私が横着して食器をずらしただけだからか、一向に事は進んでいるように思えなかった。
 私が探しているのは、四つのカップを乗せて運べるようなトレー。お姉ちゃんのことだから、多分、食器と同じところに閉まっているだろう。……そう考えたのだけど。
 淡い光源で照らしてみても。懸命に棚の中で手を巡らせてみても。トレーは全く見つからなかった。私の網膜には幾つものカップと小皿だけしか映らない。映らなかった。
「……もしかして、見当違いなのかな」
 口を尖らせ、首を傾げる。そして、散らかしたカップを大雑把に元の位置に戻すと、私は他の棚の中も探ってみた。
 だけど、もたらされた結果は先と殆ど同じ。見つかったのは、白磁のカップや小皿ばかり。手をどれだけ動かしても、姿を現すのはそれらばかりで。時間がもう無いのに、同じことばかり繰り返す自分が嫌になって来て。私の身体は、嫌に火照って来ていた。
 がむしゃらに棚の奥で手を動かし、そこにあったものを掴む。取り出す。私が手にしていたのは、先にミルクを注いだものと同じ種類のカップだった。
 大きな溜め息を一つ。まるで身体中から酸素がなくなってしまうんじゃないかってくらいに、吐き出す。
 見つからない。見つけられない。簡単なことのはずなのに、私にはそれが出来ない。

 ふと、私は台へと視線を移した。
 ミルクの注がれた、四つのカップ。白磁の中の白いミルクは、当然、波紋一つ浮かべていない。その平静は遠目から見ると、まるで時が止まっているかのようだった。
「……え?」
 口は無意識に疑問の言葉を紡いだ。だけど、私はそれを理解できない。
 頭をふるふると振るう。そして、自身の言葉を、もう一度、反芻。
「……止まった?」
 漸く事態を飲み込むことが出来た。同時に、途轍もない焦りが私の中に巣食った。
 指で目を擦って、何度か瞬かせる。そして、鮮明とした視界で、もう一度。私はそれをゆっくりと、確認した。
 台の上のカップ。そのどれからも、白い燻りが見受けられない。
 それを理解できた瞬間、私はその元へと駆けだしていた。
 きっと、ミルクは冷えてしまったんだ。私が時間を無駄にし過ぎたから。そんな懸念ばかりが、ぐるぐると脳裏を逡巡する。
 それに心を囚われてしまっていた所為だろう。私は距離のことを完全に失念していて、気付いた時には、私はその身体を思いっきり台へとぶつけていた。
 突然の衝撃に思わず噎せ返る。殺しきれなかった勢いは、そのまま私の身体に返ってくる。弾き飛ばされ幾歩かふらふらとよろめいた後、私はそのまま床にへなへなと座り込んだ。

 痛い。怖い。苦しい。情けない。
 膝を抱え込む。目元が熱い。理由は分からない。思い当たることが多すぎて。
 強く目を閉じる。だけど、今直ぐにでも。止め処なく溢れ出でてくる熱い粒に、薄い目蓋はこじ開けられてしまいそうだった。









   6



 膝を抱え、蹲ったまま。私はそれきり、何も事を起こせないままでいた。あれからいったいどれくらいの時間が流れたのだろう。随分と時間が流れてしまった気がする。でも、全く流れてしまっていない気もする。ただ一つ確かなのは、私の目元がそれなりに冷えてきていたと云うことだけ。それ以外のことは全く分からなくて、暗闇、静謐、それらに包まれている所為か、どうしても自身の負の感情を私は押し殺せそうになかった。
 床の辺りは熱が上に奪われていく所為か、とても冷たい。ずっとそれに浸っていた私の身体は、すっかりと冷え切ってしまっていた。震える。この凍えの所為か、それとも……。それすら考える気になれない。いや、考えられなかった。
 目蓋を解こうにも、強く結ばれてしまっていて、どうしてもそれが出来ない。立ち上がろうにも、膝が固くなってしまっていて、どうしてもそれが出来ない。何かをしようとしても、無意識のうちにそれが阻害して、どうしてもそれが出来ない。……出来なかった。
 ……結局、私はただ、ひたすらに蹲ることしか出来ない。

 どうして、簡単なことのはずなのに、私はそれが出来ないの?
 どうして、それだけのことのはずなのに、私はここまで崩れ去ってしまったの?
 どうして、これだけ求めあぐねているのに、私はあそこから逃げ出してしまったの?

 迷妄としてしまった頭は、ひたすらに疑問を紡ぎ続ける。どうして。どうして。どうして……。
 幾度も繰り返される疑問に、私は自身の情けなさを覚えられずにいられなかった。そして、その度に、私は強く、強く。ぎゅっと、膝を抱え込んだ。


「……どうしたのですか?」
 突然、鼓膜を揺らしたくぐもったそんな言葉を、私は根拠もなく幻聴だと決めつけた。ついにこんな音までも聞こえるようになっちゃったか。そう心の中で呟いて、微かに嗤う。
 だけど、少し経った後、パタパタと足音が私の耳の中で乱反射し始めた。その音に吃驚して思わず声を漏らす。それを端緒に、私は徐に立ち上がり、厨房の唯一の出入り口を見つめた。
 今にも膝が崩れそうな両足で、ふらふらとしながらも何とか立ち続ける。その間にもパタパタ、とその音は次第に大きくなってきていて、そして、瞬刻もしないうちに、
「あぁ、カップが足りなかったのですか?」
 と。
 私のぼやけた網膜には、薄っすらと笑みを浮かべた、お姉ちゃんの姿が映っていた。
「……え?」
 一瞬、私はまた自身が可笑しくなってしまったのかと疑ってみた。だけど、そんなことを考えている時点で、やはり私は何処か可笑しくなっているのだろう。それに気付けても、前にいるお姉ちゃんの存在が分からなくて、判らなくて。それでも、「あぁ、えっと……」なんて、私が口ごもっている間にお姉ちゃんはパタリ、パタリと足音を響かせながら私の元へとゆっくり寄ってきていた。
 どうやら、お姉ちゃんはお姉ちゃんであってお姉ちゃんで確かなんだ。そんな自分でもわけの分からない着地点に飛び降りた私は、一先ず頭をふるふると振って思考の暴走を中断させた。
 私の突然のそんな行動にお姉ちゃんはその表情に怪訝の色を呈させたが、ちらりと台を一瞥したかと思うと、ますますその色を強くさせた。
 当然、その先にはミルクが注がれたカップがあった。
「こいし」
「え、あ、うん。……なぁに?」
「これだけで、十分ですよ?」
 そう呟いたお姉ちゃんの表情には、少しばかり呆れが垣間見える。とりあえず、返事として私は小さく頷いた。
 だけど、私にはお姉ちゃんの紡いだ「十分です」の意味が、理解できていなかった。

 少し、現状を考えてみる。

――お姉ちゃんが、迎えに来てくれた?

 流石にこれは恣意的解釈過ぎるかな。だけど、それを否定する理由があるわけでもない。とにかく、お姉ちゃんがやって来た、と。漸くにして、私はこれだけを理解することができた。それでも、私にはそれ以外の現状がやっぱり全く判らなくて。お姉ちゃんを見つめながら、私はただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
 私がぼんやりと見つめているのを知っているのか、はたまたそうでないのか。お姉ちゃんは私に声を投げかけた後、四つのカップをじっと眺めていた。
 もう湯気は消え去ってしまったカップ。お姉ちゃんはそれを少しの間見つめ続けた後、各々をそれぞれ一通り軽く触れ、そして、そのうちの一つを包むようにして両手で持って、一口啜った。一瞬、少し何かを考えあぐねるような仕草をして見せたお姉ちゃんだったけど、やがて一つ、小さな頷きをして見せた。
 お姉ちゃんは台の下の収納からトレーを取り出して、カップをその上に乗せた。そして、一呼吸の間を置いて、
「戻りましょうか?」
 と、多分、私に問いかけた。
 
 静寂。
 それが少し続いて。
 ……長く続いて。

「――――、っ」
 お姉ちゃんの言葉に答えようとした。応えようとした。だのに、ついに私は言葉を発することができなかった。
 声を出そうとする。出そうとしている。それでも、口から漏れるのは呻きのような音ばかりで。
 辛い。苦しい。身悶える。何が何だか分からない。判らない。何も、解らない。
 膝が崩れ、身体が再び床に吸い付けられる。身体から力が一気に抜けてしまい、まるで暗い海に沈んでいくかのような。
 溺れていく。それに抗うかのように、踠こうとする。けれど、どこまでも身体が沈んでいってしまい、口からは声にならない音ばかりが漏れる。
 次第に頭すら重くなり、俯く。その時だった。

「どうして、泣いているのですか?」

 耳に響いた、お姉ちゃんの声。
 その声に促され、目元を指で掬う。
 そこからは、確かに熱い粒が。ぽろぽろと止め処なく溢れ出てきていた。
「あ……れっ? な、んで……?」
 嗚咽交じりの、疑問。
 涙。自分でも思いがけなかったその存在に、戸惑う。
 そして、それに気付いたことが多分、端緒になって。私の目からは幾つもの粒が、零れ落ち始めた。

 目を固く瞑ろうとも、零れ落ちる涙は止められない。何とか嗚咽を噛み殺そうとするも、苦しくて、蚊の啼くような声が口からは洩れる。
 自分でも、どうして泣いているのか分からない。
 ただ、とても切なくて、そのわだかまりだけが。私の内に、しんしんと募っていく。その所為で、私の目元は一層熱くなる。涙は一層零れ落ちる。
 瞬間、顔を覆っていた手が、掴まれた。
 それに戸惑っているうちに、手はゆっくりと引き上げられる。声も出せないままに。私の身体はゆっくりと起こされた。
 だけど、ただでさえ覚束ない私の足が、現状に耐え得ることなんてできなかった。碌に立ち上がることもできず、私は少しの間ふらふらと身体を保ったものの、直ぐに前のめりに傾いた。
 倒れる。そう思うも、成す術は疾うに無くて。

 でも、私の身体は、地に倒れる前に支えられた。
 もうすっかり朧になってしまった目を開く。そこに映ったのは、輪郭すらままならない世界で。
 だけど、ただ一つ、鮮明に。お姉ちゃんの顔だけが、私の視界にはっきりと映っていた。

 強く、抱きしめられる。少し苦しい。だけど、私は抵抗しなかった。
「大丈夫、ですか?」
 お姉ちゃんが尋ねる。
 それに、私は小さく頭を振る。
 お姉ちゃんを見つめる。まだ涙は止まっていなくて、視界は揺らいでしまっている。
「大丈夫、……なの?」
 だけど、そこにお姉ちゃんのきょとんとした表情は、はっきりと映った。

 静まり返った厨房には、私の嗚咽だけが響く。
 ヒック、ヒックと。その音が響く度に、私はお姉ちゃんの胸に蹲った。

「……大丈夫、ですよ」
 お姉ちゃんは、私の頭を撫でて、小さく呟いた。


 それから、少しの時が流れた。お姉ちゃんの胸に抱かれていた私は、すっかり平静を取り戻すことができていて。だけど、もう少しだけ、そのまま。私はこの時に浸っておくことにした。
 身体は火照っているのに、私の肌はたっぷりの温もりを、お姉ちゃんから感じ取ることができる。それはあまりにも十分すぎて、少し飽きてしまいそうなほどだった。
 時々、お姉ちゃんは私の頭をぽん、ぽんと撫でる。その度に、私は今度は自分からぎゅっとお姉ちゃんを抱きしめる。それが少し苦しいのか、お姉ちゃんは少し抵抗してきた。だけど、気付いた時には、それもすっかり無くなっていた。
 ぽん、と。また、お姉ちゃんは私の頭に手の平を置いた。それを端緒に、心の内で、小さく呟く。
 ……多分、きっと、私も、大丈夫。
 ゆっくり、顔を上げる。そして、しっかりと床を踏みしめて、私はお姉ちゃんに向き直った。

「……帰ろっか?」

 私の紡いだ言葉に、お姉ちゃんはただ何も言わず、小さく頷いてくれた。









   7



「一度、顔を洗っておいたほうが良いかもしれませんね」
 私の顔を少しの間見つめ続けた後、お姉ちゃんはぽつりとそんな言葉を呟いた。
 その言葉に促されるまま、私は両手で自身の頬を覆ってみる。すると、指で触れた頬には微かな痛みが走った。きっと、お姉ちゃんから見た私の顔は、すっかり紅潮しているのだろう。
 こくり、と一度、私はお姉ちゃんの言葉に返事として頷いた。そして、そのままふらふらと流し台へと足を運んだ。
 その蛇口を捻って、冷たい水を両手いっぱいに掬い取る。それを顔に浸すと、涙ですっかり焼けてしまった頬に、冷たい水はじんわりと染み込んでいくような気がした。
「冷たっ」
「別にお湯でやっても、良かったのですよ?」
「先に言ってよ」
 私がむすっとしながらそう言うと、お姉ちゃんは微笑みをその表情に浮かべた。それに私はさらにむっとして、だけど、それもなんだか可笑しくて。結局、私たちは二人してからからと笑った。
 頬に付いていた滴をタオルで拭うと、台の上へと私は視線をやった。
 あれから、もっと時間を無駄にしちゃったからなぁ……。
 そう心の中で呟きながら、カップの一つに手を触れる。だけど、私の予想に反して、カップはまだほんのりと温もりを保っていた。
「無駄、でしたか?」
「……そうでもなかったけど」
 途端に、お姉ちゃんがくすくすと笑い始めた。そして、私は自身が無意識のうちに言葉を紡いでいたことに気付いて、赤面する破目になった。
 居心地が悪くて、私はお姉ちゃんにそっぽ向けて、カップの載ったトレーを手に取る。そして、くすくす笑い続けているお姉ちゃんを置いたまま、厨房を出ようとして、
「あ、待ってくださいよ」
 なんて、お姉ちゃんの声に立ち止まる。そして、お姉ちゃんの肩が私のに並んだのを確認すると、私たちはゆっくりと厨房を後にした。


 お姉ちゃんと二人、肩を並べて暗い廊下をとことこと歩いていく。二人とも口を噤んでいるから、静寂しきった廊下には二人分の足音がパタパタと響いた。
 ミルクの入ったカップ、それが載っているトレーはあのまま私が持ち続けている。見た目の割にそれは重く、また、一滴も零さないようにと気を集中させている所為か、必然的に私の歩みは少し遅くなる。その所為かお姉ちゃんとの歩幅は時々乱れてしまい、少し経つと、必ずお姉ちゃんがかなり前へ出てしまっている。だけど、その度にお姉ちゃんは自身の歩幅を狭めたり、時には立ち止まったり。私のと合わせるようにわざわざ調整してくれて、決まって微笑みを私に投げかけてくれた。

「私がミルクを運びます」
 食堂を出る直前、お姉ちゃんは私にそんな言葉を投げかけた。
 その時には既に目元はすっかり冷えていたのだけど、その名残からか私の身体には微かに震えが残っていて、足取りも少し覚束なかった。ほんのちょっと短い距離を歩いただけだったけど、私がトレーを運ぶその様に、かなりのぎこちなさをお姉ちゃんは見たのだろう。
 お姉ちゃんのその言葉は有無を言わせないような鋭さが感じられて、多分、同じ立場ならば私もそのように言葉を紡いだのだろう。
 だけど、私はどうしてもこれがやり遂げたくて。返事として、だけど、言葉は何も発さずに、私は首を横に振った。
 皆から任された。
 一度、その手で事をし始めた。
 付け焼刃の言い訳は、幾つでも思いつく。……でも。
 それ以上に、私を突き動かしている想いが、確かに、私の中にあった。それが、自分でもいったい何なのかは判らない。
 だけど、とても強い、想いだった。
 だから、私はお姉ちゃんを真っ直ぐに見つめた。
 お姉ちゃんは少しの間、押し黙った。
 だけど、少し私の目を見つめた後、その目を閉じて、ゆっくりと頷いてくれた。

 我が儘を言ってまでやり始めたのだから、絶対にこれはやり遂げないといけない。
 そう分かってはいるのだけど、やはり、ふらつく足を頼りにしなければいけないのは、少し辛かった。気を抜くと、平面であるはずの廊下に蹴っ躓いてしまったり、足が縺れてしまったり。それに、灯りも既に殆どない廊下では、トレーの所為で足下が見えない私にとって、視界なんてないに等しかった。正直、不安でいっぱいだった。
 でも、先行しているお姉ちゃんの存在は、私の中に芽生えるそんな思いを拭ってくれて。気が付けば、その背中にただただ導かれるがまま、私は歩みを進めていた。
 初めこそ二つあった足音だったけど、気が付いた時には、それは一つの音になっていた。お姉ちゃんが私に合わせてくれているのか。それとも、私が無意識のうちにお姉ちゃんに合わせているのか。どっちでも良いと私は思う。
 目を閉じてみる。すると、まるで私はひとりきりで歩みを進めているかのような、そんな錯覚を覚える。だけど、目を開けてみると絶対にお姉ちゃんは目の前にいてくれて。そして、私がその背中を見つめていると、決まってくるりとお姉ちゃんは振り返って、私に小さな微笑みを見せてくれるのだ。
 パタ、パタと。決して大きくないこの一つの音が静かな廊下の空気を揺らす度に、私は何処かくすぐったい気持ちになった。


 そして、須臾の時間が経って。私たちは、お姉ちゃんの部屋の前まで辿り着いた。
 相変わらずその扉はきちんと閉じられていて、だけど、お姉ちゃんを待ち侘びているお燐とお空が中にいる為だろう。くぐもった二人の声と、扉の裾から微かな光が零れているのを私は確認できた。
 歩みを止め、扉を見つめる。そして、
「大丈夫」
 私は、先の言葉を反芻する。そう言ってくれたお姉ちゃんの温もりを思い出す。
 ……きっと、大丈夫なのだろう。それは判っている。強く、判っている。……だけど。
 さらに少しだけ。私は歩みを進めて、その扉とついに面する。……そして。
 私は扉に手を掛けることも、さらに足を前に進めることも。何も、出来なくなってしまった。
 呆然と立ち尽くす。トレーを抱え、何もできないままに。折角ここまで来て、……それなのに。未だ私はもう一歩、道を踏み出すことができない。
 取っ手を掴んで、閉めきられた扉を開け放つ。
 ただそれだけのことのはずなのに、それが私にはとても怖いことのように思えてしまって。
 縋り付くように、お姉ちゃんを振り返る。お姉ちゃんは何もしないまま、私のことをじっと見つめていた。
「……ごめん、お姉ちゃん。……開けてくれる?」
 震えた声で、呟く。
 だけど、お姉ちゃんは小さく頭を横に振った。
「……いえ。私がトレーを持ちますから、こいしがその手で、扉を開けてください」
 正直、私にはその深意が読めなかった。頼りのお姉ちゃんに付き放されてしまった。その事実に、頭がいっぱいになってしまって。私はさらに呆然とするしかできなかった。
 そして、お姉ちゃんはそんな私の元へと歩み寄り、言葉通り、トレーを持って行ってしまった。お姉ちゃんが私の逃げ道を塞いでしまった。そんな風にも、私には思えた。
「……いじわる」
 きっと、お姉ちゃんは今の私のことを理解できているはずなのに。私がそう呟いても、お姉ちゃんはにこり、と微笑むだけだった。
 そんなお姉ちゃんに促されるままに。ふらりふらりと扉へと歩み寄り、そして、その取っ手に手を掛ける。どうしてだろう、先までは全く気にも留めなかったのに、今ではそれがとても冷たいもののようにも思えた。
 大きな溜め息を一つ。まるで、身体中から酸素が無くなってしまうのではないかってくらいに、吐き出す。そして、今度は大きく深呼吸をする。
「よし」
 意気込む。取っ手を強く、握り締める。そして、私はそれを力いっぱいに、ぐい、と引いた。
 扉は私の手に為されるがまま、軋みの音一つ鳴らさない。
 そして、中からは一気に光が零れ、一瞬のうちに、温かな空気が私の身体を包み込んだ。
 案外、拍子抜けするほどに、あっさりと。どうやら、私は「扉」を開けることが出来たみたいだった。


「遅かったので、心配しましたよ」
 ゆっくりと、一歩。お姉ちゃんの部屋に足を踏み入れた私に、突然そんな声が投げかけられた。それに慄いて、一瞬、私は身体を竦ませる。そして、そのまま。私は声のした方向へと、視線を移してみた。
 お燐とお空。二人が立っている。その表情には少しだけ不安そうな色が呈されていて。だけど、それはみるみる安堵の色に上塗りされていって。まるで、二人が私を出迎えてくれているような。私の網膜に映ったのは、そんな二人の姿だった。
 そんな光景が信じられなくて。でも、とても嬉しくて。思わず、言葉が詰まりそうになる。
「心配させちゃって、ごめんね」
 何とか取り繕おうと。精一杯の笑顔で、私は咄嗟にそんな言葉を紡いだ。……だけど。
 私は直ぐに幾度か頭を振った。髪が少し乱れる。視界が揺らぐ。でも、それに構いもしないで。
 少し前に進む。そして、きょとんとしている二人の目をしっかりと見据え、もう一度、今度はしっかりと。私は言葉に紡いだ。

「ただいま」
「はい、おかえりなさい、です」

 部屋の空気は私の想像なんかよりも、ずっと温かいものだった。

 思わず口元が緩んで、私はにへらと笑みを零す。そんな私につられたのか、二人の口元も緩んで、そして、私たちは三人で笑みを交わし合った。
 すると、私たちのやり取りの終わるタイミングを見計らったのか、お姉ちゃんがゆっくりと部屋へと入ってきた。私が託したままのトレーを持って。
 お姉ちゃんも私たちを見て、小さく口元を緩めた。そして、トレーを何も載っていない書き机の上に置いて、
「少し遅くなりましたが、こいしが、ホットミルクを用意してくれました」
 そう言って、お姉ちゃんは含み笑いを交えながら私を見た。
 お姉ちゃんの言葉に、お燐とお空も私に視界を投げかける。私を中心に、三人の視線が交わっている。それが何だかむず痒くて。曖昧な笑顔を表情に浮かべ、そして、そこから逃れるように。私はお姉ちゃんの元へと早足で歩み寄った。
「ちょっと冷めちゃってるけど……」
 顔を俯けて、そう呟く。少し、顔が熱い。それを何とか紛らわせようと。私はカップをそれぞれ皆へと手渡していった。だけど「ありがとう」なんて、皆がそんな言葉を紡いでくれて、結局、私の顔の火照りは一向に引く気配を見せなかった。
 皆、私からカップを受け取ると、先と同じように、思い思いのところへ腰を下ろしたみたいだ。最後に、私も自身のカップを手に取って、今度もお姉ちゃんの隣に腰を下ろした。
 カップを両手で包み込む。だいぶ熱は逃げてしまっていたけど、仄かな温もりはまだそこに感じられる。白い水面を見つめる。目で見えることはなくなってしまったけれど、微かな湯気がまだそこからは出て来ているみたいで。甘い香りがそれに揺蕩って、微かな熱と共に私の顔をくすぐった。
「こいし」
 不意にお姉ちゃんに名前を呼ばれる。顔を上げてみると、皆、私のことをじっと見つめていた。
 一瞬、現状に戸惑う。だけど、直ぐに私は事を把握でき、大きく頷いた。
「いただきます」
 そんな私の号令の後に、皆が異口同音に「いただきます」と、声を重ねた。

 ミルクの味は、純粋な味だった。甘くて。温かくて。優しくて。何処か、泣き出したくなるくらいだった。
「あたいはこれくらいの温度のほうが好きです。美味しいです」
「こいし様のミルク、おいしいですよ」
「同感です。こいし、重ね重ねになりますが、ありがとうございます」
 そんな皆の声が、拡声器で轟かせた後のように。私の耳で乱反射し続ける。
 思わず視界が揺らいだのは、きっと、ミルクの湯気が目に入ったからなのだろう。
「うん。……ありがとね」
――もしかしたら、世の中って案外都合の良いことだらけなのかもしれないなぁ。
 そんなことを心の中で呟いて、私は顔を隠すようにカップを傾けた。

 それから、私たちは思う存分話し合った。仕事のこと。地上のこと。本のこと。ご飯のこと。昔のこと……。時折ミルクを啜りながら、本当に何気ない些細なことまでを。もしかしたら、話の種が無くなってしまうんじゃないかってくらい、飽きることなく延々と。私たちは話をし続けた。
 だけど、可笑しなこともあるみたいで。私たちの口は、会話を進めれば進めるほどに、止まることを知らなくなっていったみたいだった。一つのことを話せば、そこからもっと多くの話の種が生まれて、芽吹いって。使っていく度に、その数は増えていく。そんな二律背反が、私は可笑しかった。
 ふと。私はついにそんな奇妙な状況に耐えきれなくなって。思わず笑みを零してしまった。
 すると、それがきっかけにでもなったのだろうか。私を見た隣のお姉ちゃんが笑って、お燐が笑って、お空も笑って。
 気付けば、私たちは四人でからからと笑っていた。何が可笑しいのか分からなくなってしまうくらいに、からからと笑った。


 そして、その温かな時間も。ついには終わりを迎えてしまった。
 だけど、私はそのことに切なさなんて、全く感じることはなかった。


 暗闇と静謐の中では、私たちの呼吸の音だけが聞こえてくる。初めこそ乱雑でばらばらだったその音も、みんなやはり話し疲れていたのだろうか、直ぐにすぅすぅと云ったか細い音へと変わっていった。
 私もベッドへと身体を沈めている。掛布団と毛布の温もりに包まれている。だけど、先に眠ってしまっていた所為か、夢の世界への入り口を、私は中々見つけることができなかった。
 時々、目蓋を持ち上げてみても、灯りの消えてしまった部屋は、すっかり暗闇に包まれている。目を開けても、閉じても。視界の先には、黒の世界が広がっている。そして、次第に。私は自身が起きているのか、眠っているのか。それすら区別がつかなくなってしまっていた。
 多分、目を閉じてみる。一人用のお姉ちゃんのベッドで四人、ぎゅうぎゅう詰めになって眠っている訳だから、少し狭苦しい。だけど、そのお陰で。私は暗闇の中でも、温もりを見つけることができた。
 目には見えないけれど。それは私の手の届くところにあった。

「――良いなぁ」

 一言、呟いて。
 胸の奥から込み上げてくる感情を、私は強く噛みしめた。









   8



 とても温かい、夢を見た。
 その世界では初め、私は暗い闇の中にいた。何処までも冷たくて。何処までも苦しくて。何処までも切なくて。そんな闇の中を、私は一人で彷徨い続けた。宛てがあるわけではなかった。でも、私は何処までも歩き続けた。
 そして、私は光を見つけた。たった一筋の光だった。だけど、私はそれを目掛けてひたすら走った。息が酷く切れて。足が何度も縺れそうになって。それでも走り続けた。そして、漸く光に辿り着けた私は、それを覗いてみた。目の前に広がったのは、温かい世界だった。
 その世界は傍から見ているだけでもそうだと分かるくらいに、温かな空気に満ち溢れていて。それを見つめているうちに、私は今直ぐにでもそこに飛び込みたくなった。
 だけど、その世界は既にすっかり完結してしまっているようにも見えてしまって。闇の中にいる私がそこに入ってしまうことなんて、到底許されないだろうと思った。
 羨望と葛藤。そんな感情をぐるぐると抱きながら。それを見つめ続けていると、次第に私の中には感情の濁流が押し寄せてきた。体験したことのない、酷く強い感情だった。堰を切ったかのように止め処なく溢れるそれに、思わず私は崩れてしまった。
 だけど、そんな私の手を。突然、誰かが引き上げてくれた。見てみると、それはお姉ちゃんだった。
 お姉ちゃんに身体を起こされて、そして、手をしっかりと握られる。そして、お姉ちゃんの手に引かれるがまま、私はついにその世界へと足を踏み入れてしまった。すると、皆は私の思いとは裏腹に、温かく出迎えてくれたのだ。
 その世界で過ごす時間は、本当に愛おしくて。絶対に手放してやるもんか、なんて。私はそんなことを強く願って。
 だけど、私は目を覚ました。それが夢であると気付いてしまった。……でも。
 目覚め一番のぼやけた視界。そこに映されたのは、皆の柔らかい寝顔だったのだ。


 上体をゆっくりと起こして、欠伸を一つ。そして、少し重い瞼をこしこしと擦る。薄涙でぼやけた目を幾度か瞬かせると、やっぱり、そこには皆の寝顔があった。
 夢じゃ、ないんだよね。
 現状が信じられないくらいに嬉しくて。ありきたりなんだろうけど、思わず、そんな言葉を呟いてしまう。
 瞬間、私の声が響いたのか、お姉ちゃんが少し身を捩った。だけど、それも一瞬のことで、どうやらお姉ちゃんはまだ眠ったままでいるみたいだった。
 時々、耳に響いてくる皆の寝息が少しくすぐったい。それに、皆の寝顔ももっと見つめていたい。
 私は皆を起こさないようにゆっくりと、もう一度布団にその身を包ませた。
「今までさんざん我慢してきたんだもん、ちょっとくらい、許されるはずだよね」
 目はすっかり冴えてしまっていたけど、私はもう少しだけ、この空気に浸り続けることにした。
 夢じゃ、ないんだよね。
 もう一度、この言葉を反芻する。そして、私は声を殺して、ククッと笑みを零した。

 お姉ちゃんの小説に描かれていた世界は、本当に温かい世界だった。昨日の私は理想的過ぎると言ったけれど、それこそ、理想的超えて完璧な世界だったんじゃないかって、そんなことすら思えてきてしまう。
 一人の少女が、宛てもなく寂しい世界を彷徨っている。そんな少女のことを、姉が迎えに来てくれて。そして、姉が手を引いて、その少女を温かい世界へと導いていく。少女は一瞬戸惑ったけど、その世界の皆が少女のことを受け入れてくれて。これからは少女も温かい日々を送っていくことになる。
 簡単にまとめてみると、こんな話だった。本当、何処までも都合の良い世界があるものかって。正直、私が抱いた第一の感想はこんなものだった。
 だけど、実際にそんな都合の良い世界はあるものみたいで。現に、私はその世界に辿り着くことが出来た。考えてみると、あの少女と私の立場は殆ど同じようなものなのかもしれない。もしかしたら、そう云う部分も相まって私は少女に嫉妬して、わけが分からなくなって、昨日の厨房の感情の決壊に繋がったのかもしれない。
 尤も、私の場合はお姉ちゃんが迎えに来てくれたのではなく、自分でこの世界に辿り着けた。そんなところに、ちょっぴりの優越感を私は覚えた。
 ただ、よくよく考えてみる。私が今こうして優しい温もりに包まれている理由。きっかけ。まぁ、ふらりと私が帰ってきたと云うのも一つの理由になるのだろうけど、一番の理由は、やっぱりお姉ちゃんの小説だった。
 お姉ちゃんの小説を読んで、心が揺さぶられ、感情が溢れ出て、そしたら、お姉ちゃんが迎えに来てくれて。……と、ここまで考えて、漸くある事実に私は気付けた。

 結局、私をここに導いてくれたのはお姉ちゃんだ。

 小説の存在も。あのお迎えも。「大丈夫」と言ってくれたことも。そのうちの全てをしてくれたのはお姉ちゃんだし、もし、どれか一つでも欠けてしまっていれば、今の私は無かったのだろう。
 さらに考えてみる。そもそも、どうして私はお姉ちゃんの小説を読むに至ったのか、を。

 私がふらりとここに帰って来て、まず初めに、私はお姉ちゃんがいるであろう書庫を訪れた。案の定、お姉ちゃんは書庫で暇を潰していて、私はそれに嬉々として、「ただいま」と呟いて、お姉ちゃんの真正面に腰を下ろした。だけど、お姉ちゃんはいつまで経っても私の存在に気付く素振りを見せてくれず(尤も、お姉ちゃん自身は気付いていたらしいけど)、お姉ちゃんに無視され続けることが辛くなった私は書庫を飛び出した。
 それからの私は自分で言うのもなんだけど、傷心のあまりに、地霊殿の中をふらりふらりと放浪した。そして、私は違和感のあるお姉ちゃんの部屋を見つけたのだ。あの時はさほど気には留めなかったのだけど、今にして思えば、あれはやっぱり、あまりある違和感を隠しきれていなかった。お姉ちゃんの性格からしてあんな失態はあり得ないし、もしそうだったのだとしても、かなり不自然な状況だった。
 そんな状況を見つけた私は、当然居ても立ってもいられなくなってしまった。それに、無視された腹癒せも加わっていたから、なおさら。部屋に入る。それ以外の選択肢は疾うに私の中からは無くなってしまっていて。結局、その思いに従って、私はお姉ちゃんの部屋に侵入した。
 ……そして、私はあの小説と出会ったのだ。

 深く考えてみると、思い当たる不自然な点は多い。お姉ちゃんが私のことを無視したこと。違和感を隠しきれていない部屋。そして、机の上に置きっぱなしだった小説。
「……そっか」
 さらに少し考えてみて、思わず私は感嘆の声を漏らした。あまりにも多すぎる不自然。それらを結び付けていくと、辿り着く結論は、一つしかなかった。

 お姉ちゃんは、私にあの小説を読ませようとしたんだ。

 正直言って、穴だらけの計画だし、見当外れであるかもしれない。だけど、私にはそうとしか考えられなかった。
 お姉ちゃんは、あの小説にとびっきり温かい世界を描いた。それを私に読ませて、私の温もりへの渇望をくすぐろうとした。……でも。

 もしそうだとしても、どうして、お姉ちゃんは私にあの小説を読ませようとしたんだろう?

 あの後、私は眠っちゃって、気付けば部屋にはお姉ちゃんがいた。そして、小説の存在はすっかり隠されていて、お姉ちゃんも私がそれを言及するまで、多分、それを続けるつもりだった。……むしろ、お姉ちゃんはあれを読ませたくなかった、とも考えられる。
 でも、そうだとするのならば、あの不自然の連続は偶然の連続と云うことになる。だけど、それだといくらなんでも話が強引過ぎる。
「むぅ……」
 呻く。頭がこんがらがってくる。それが煩わしくて、一度思考をまっさらにしようと、私は目を閉じて小さく首を振った。
 ある程度思考が乱れたところで、目をゆっくりと開く。すると、視界いっぱいに、お姉ちゃんの寝顔が映りこんだ。
 何か良い夢でも見て居るのだろうか。その表情には、薄っすらと笑みが浮かんでいるようにも見える。
 そんな安らかな笑顔を見つめていると、ふと、私はちょっとした可能性を思いついた。

 もしかして、お姉ちゃんはあの小説に、自身の理想を描いたんじゃないだろうか。

 私は温かい世界を望んでいた。だったら、お姉ちゃんがそれを望んでいたって、おかしくはないだろう。
 お姉ちゃんは普段こそ気丈に振舞っているけど、案外、その心は強くはない。実際、私が眼を閉じてしまった時も、私以上にお姉ちゃんが嘆き悲しんだし、思い返してみれば、書庫にある本も、そう云った温かい物語が多い。
 だから、お姉ちゃんはその世界を実現させようと、放浪癖のある私を地霊殿に取り戻そうと考えた。そして、その方法が、温もりへの渇望をくすぐるような小説を、私に読ませることだった。きっと、お姉ちゃんのことだ。私の中にその思いが芽生えつつあるって、すっかり見抜いていたのだろう。
 そして、お姉ちゃんは私が絶対に小説を読むよう、確実な方法を考えた。それが、自らの理想を描いた小説を私に読ませることだった。自分が書いたと気付けば、私が興味本位でそれを読む可能性は高い。それに、自らその思いを直接綴ったほうが、私にそれを響かせやすい。多分、お姉ちゃんはそんなことを企んだのだ。
 だけど、いざそれを実行に移してみると、思いの外、お姉ちゃんは恥ずかしくなったのだと思う。だから、私が小説を読んだことを確認すると、お姉ちゃんはそれを隠してしまったのだろう。だから、私がもう一度読みたいと云った時、少し渋りながらも、結局はそれを私に手渡したのだろう。

 お姉ちゃんは、想世界に馳せる思いを形にした。
 そして、その実現の為に、私にそれを読ませた。
 姉妹の望みは同じなんだって私に見せつけて、私を地霊殿に取り戻そうとしたのだ。

 尤も、これは私の都合の良い妄想だ。……だけど。

 この飽きるくらいに優しい温もりは、お姉ちゃんが用意してくれたものなんだって。
 私はその温もりに、ずっと浸っていても構わないんだって。
 お姉ちゃんの安らかな寝顔を見つめていると、きっとそうなんだって、何処か強く思えてくるのだ。


「ん、――ん」
 お姉ちゃんの目蓋が微かに動き、一瞬、身体が竦んだ。
 その目蓋はゆっくりと開かれていき、とろんとした視線と私の視線が交わった。
 お姉ちゃんは何度か目を瞬かせると、一度、指で目を擦った。
 そして、優しく微笑んで、私の顔をじっと見つめた。

「おはよう、こいし」

 お姉ちゃんが紡いでくれた、温かい言葉。
 私もとびっきりの笑顔を浮かべて、言葉を紡いだ。

「おはよう、お姉ちゃん」





 私たちの世界だって、とっても温かいものだった。




想世界に馳せる思いを形にして、
実世界でそれを叶えよう。
東野 潤
http://twitter.com/Lest_daybreak
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コメント



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1.10名前が無い程度の能力削除
ちょっとひどすぎる
何も考えずに書き進めたとしか思えないめちゃくちゃな論理、陳腐にも程がある展開…100kbどころか10kbもいらないと思った
2.100名前が無い程度の能力削除
こういった静かで、優しい雰囲気の作品はかなり好みです
文章も読みやすさを配慮されているおかげですんなりと物語にのめり込むことができました
3.20名前が無い程度の能力削除
疲れた
4.20名前が無い程度の能力削除
冗長。
5.90名前が無い程度の能力削除
ゆったりと楽しめる丁寧な描写と心地よい読後感に癒やされる
6.70名前が無い程度の能力削除
丁寧語のさとりさまいいよね。
暖かい雰囲気はいいのですが、文章に引っかかる所がないので冗長と言われてしまうのかもしれません。多少文章の雰囲気に振れ幅があったほうが作者様の表現するものが強調できると思います。
8.10名前が無い程度の能力削除
丁寧と言うよりは単に文章の水増しをしているだけ。
ラベルだけで喜ぶ人向けの作品。
12.100名前が無い程度の能力削除
よかったです。
13.90名前が無い程度の能力削除
読んでいて心地良かったです。
15.90名前が無い程度の能力削除
文章に息遣い合わせゆったり読むのも心地好いですね。
こいしの内面は霧の中を進む如くです、噛み砕く為にもこの文量とテンポは適当だと考えます。どこか似た姉妹の恐る恐るのアプローチによる緊張感、互いに想う心の不安は凄く可愛かった。寄り添う家族こそ地霊殿。

私感ですが…最終章こいしにより説明口調の経緯予測が為されますが、もっとシンプルに、仮にさとりの恣意性が介したとしても暗に仄めかす文章でスッキリ終わらせるべきだった、かも。そこを-10点としました。ですが良作ではあると思います。御馳走様。