Coolier - 新生・東方創想話

あなたの隣で、

2015/01/06 18:25:24
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「22時19分56秒。良い調子ね、もうすぐ着くわ」
 宇佐見蓮子は空を見上げ言った。その肩が上下するのにあわせて吐き出される、暗闇の中でもなお白く月明かりに映える吐息。体温の残滓を攫う風が、木々の間を駆け、足元をすり抜けていった。
 首へ巻いた臙脂のマフラーに口元を埋め、彼女は背後を振り返る。寒風に凍えた樹木のすすり泣く声に混じり聞こえる、落ち葉を踏みしめるどこか覚束ない足音。騒々しさに落葉の影へ隠れた星空の静謐さは、蜘蛛の子を散らすようにあちらこちらへ逃げ去ってしまう。残されたのは少女たちのどこか荒い吐息と、二人を取り巻く空風の囁き。
 懐中電灯が差し伸ばす乳白色の光の中に、緩やかに波打った金の髪が揺れた。蓮子に少し遅れてついてきた少女は立ち止ると、ふう、と熱い息を吐き出した。
「そろそろ疲れてきちゃったわ」
「もう少しよ、メリー。頑張りましょ」
「まったく、大晦日の夜くらい家でのんびりしていたいものだわ」
 頬を膨らませるマエリベリー・ハーンをまあまあ、となだめて、蓮子はリュックサックを背負い直し再び山道を登り始める。マエリベリーもまた、それ以上の文句は一言として漏らさず、黙々と蓮子のあとをついて行くのだった。
 この日は大晦日だった。年が明けるまで、もう間もない時間帯に、彼女たちはとある僻地の山をせっせと登っていた。大晦日の夜、それもこれと言って世間に名の知れているわけでもない山の道である。そこには人影はおろか、獣の気配すら感じることなどできはしなかった。
 冬の冷たい静寂が降り積もった山道。不安定な足場も軽々と進む蓮子と、足元を一歩一歩踏んで確かめるように進むマエリベリーとがそこを登り始めて、果たしてどれくらいの時が経っただろうか。やがて懐中電灯の照らす先に現れた、参道を逸れて伸びる細道を見て、蓮子は「あったあった」と頬を小さく綻ばせた。
 秘封倶楽部にお正月休みという概念は存在しなかった。いや、宇佐見蓮子の頭の中に大晦日は家でゆっくりと過ごすなどという選択肢は存在しない、と言ったほうが正しいのかもしれない。だからこの日も、二人は山を登っている。それは蓮子が、今二人が進んでいるハイキングコース半ばにある廃神社で年を越そう、とマエリベリーに提案したからだった。
 細道を進んで辿り着いた廃神社。蓮子は立ち止り、目の前の古びた鳥居を見上げた。遅れてマエリベリーがその隣に並ぶ。蓮子は黒のダッフルコートに臙脂のマフラーと言った出で立ちで、マエリベリーは白いトレンチコートと言った出で立ちで、その後姿はとても対照的な色合いだ。
 山登りに火照った体から吐き出される二人の息は、よく晴れた青空に浮く雲のように色濃い。まるで誘われるように境内へと吸い込まれていくそれを追うように、二人は揃って鳥居をくぐった。
「それにしても毎回思うのだけれど、蓮子ってよくこんな場所を知ってるわよね」
 マエリベリーに言われ、蓮子はふふん、と胸を張って見せた。自分が求める情報を収集する能力に関しては、彼女はそこそこの自信を持っていた。それを誰かから褒められれば、がぜん気分はよくなるというものだ。
「ま、私にかかればね」
「また例の裏ルートってやつかしら?」
「別に、そうじゃないわよ」
 必要な情報を入手するのに裏ルートはとても役立つものだったが、今彼女たちがいる廃神社の情報を得るのに、それはむしろ都合が悪かった。今宵の目的を考えれば、この場所に関する情報は、できるだけ誰も知らないほうが良いのだから。
「出発前に説明したけど、今日はここで初日の出を見るんだから。ここの情報はほとんど独力で手に入れたわ。人に教えてもらえるようなスポットだったら、きっと二人だけで初日の出を見るなんて不可能ですもの」
「ロマンチックなんだかそうでないんだか、わからないわね、あなたって。どうせ二人きりならもっと別の場所が良かったけれど。ここはチョット薄気味悪いわ」
「まあいいじゃない。私たちらしいでしょ?」
「それもそうね」
 マエリベリーはいつでも、蓮子の突拍子もない提案に小さく微笑むのだ。その口では不平不満を漏らしつつ、本当の気持ちは、いつもその表情に現れる。蓮子もそれを知っているから、いつだって正直にあれこれ言い出して、マエリベリーを困らせることができる。今この瞬間だってそうだった。
 蓮子の狙いに違わず、境内には彼女たち以外、人は誰一人としていなかった。長年雨風に晒されて風化しつづける拝殿と、横倒しになった灯篭が二人を出迎える。屋根が朽ち、以前はそこに注ぎ込んでいたはずの水も絶えた手水舎の水盤が、ぽかんと口を開けて夜空を見上げていた。
「食事の用意お願いできる? テントは私が組み立てるから」
「ええ、わかったわ」
 蓮子は背負っていたリュックサックからランタンとテントを取り出した。その傍らではマエリベリーが、ガスバーナーコンロとガスカートリッジを持ち出し、早くも調理の準備に取り掛かっている。今宵は大晦日。事前の打ち合わせで、夕食は年越し蕎麦と決めていた。とはいえ本格的な調理は骨が折れるため、蕎麦もインスタントのものになってしまうのだが。
 カチッ、カチッ、とガスに火を点す音に続いて、蓮子の視界の隅でコンロが暗がりに慣れた目には眩しい光の華を咲かせた。ランタンとコンロの明りに照らされながら、蓮子は鼻歌交じりに手慣れた手付きでテントを組み立てていった。

「はい、蓮子。ココアできたわよ」
「ん、ありがと」
 廃神社の(きざはし)に腰かけた蓮子は、マエリベリーの差し出すカップを受け取った。蓮子の足元に置かれたランタンに照らされ、カップから昇る湯気は淡く柔らかな橙色を帯びて空へとのびてゆく。ふー、ふー、と息を吹きかけてから、猫舌の彼女は舐めるようにしてココアに口をつけた。
「いま何時かしら?」
 マエリベリーが蓮子の隣にマエリベリーが言った。蓮子はココアに息を吹きかけつつ、上目遣いに夜空を見上げる。
「23時31分56秒」
「あと三十分、か。今年ももう終わってしまうのね」
「本当に。あっという間だった気がする」
 ココアを少しずつ口に含んだ。ゆったりとした甘さが口いっぱいに広がる。冷えた体には心地よい温かさが、一口また一口とココアを飲みこむたび、優しく全身に広がって強張った肩をそっとほぐしてくれる。ほぅ、と溜め息にも似た息をついた。とりわけ真っ白に染まった息が蓮子の視界を瞬間だけ遮り、そして消えた。
「それにしても、一年の最後をこんな場所で迎えるだなんてね。今の瞬間が、ひょっとしたら一年で一番おかしな出来事かもしれないわ」
「まあ、それは確かに。……嫌だった?」
「まさか。あなたと一緒ならどこにいたって変わらないわよ」
「……それってどういう意味さ」
「ふふん? ま、賑やかで楽しいってことにしておきましょ。そのほうがずっと平和だもの」
 あはは、と笑うマエリベリーの横顔を見つめて、蓮子もくすっと小さく笑った。そうしながら、ランタンの明かりに照らされ仄かに赤く染まった友達の頬に、言い知れぬ幸福と、一抹の淋しさが胸の中に込み上げるのを感じていた。
 マエリベリーが隣に座ってそうするように、蓮子も視線を正面へと戻す。
 境内は三方を木々に囲まれていたが、蓮子とマエリベリーが視線を送る、廃神社とハイキングコースとを結ぶ参道の方向は視界が開けている。参道からなだらかに隆起した場所に佇む廃神社に腰を下ろしていると、開けた視界の先に、遠く離れた街の光を望むことができた。
 墨を流したように真っ暗な夜空に煌めく無数の星々。頭上の星を追うようにして視線を空の彼方まで走らせると、その色は地平線へ向けて徐々に群青色へ、紺色へと移ろってゆく。そうして溶け出した空の闇が積み重なったかのように真っ黒な大地には、まるで金粉をあしらったような煌びやかさで、街の明かりがきらきらと輝いていた。
「素敵な夜景ね」マエリベリーは小さく言って、両手で持ったカップを傾けた。そうして白く細い喉元を上下させてココアを飲んでから、ほっと息をつく。「私、蓮子と一緒にいるときが一番楽しいわ」
「どうしたのさ、急に」
「どうもしないわよ。ただ私の素直な気持ちを言っただけ。他の人には、こうして年の暮れに一緒に過ごす家族とか、恋人とかがいるのかもしれないけれど、私には蓮子しかいないもの。だから、あなたと一緒ならどこにいたって変わらず楽しいの」
「やめてよ。何だか恥ずかしいじゃん」
「ふふっ、そうね。体が火照ってきちゃうわ」
 それから少しのあいだ、二人は沈黙を平等に分けあった。沈黙には少しの恥ずかしさと、たくさんの居心地よさが溶け込んでいる。ゆったりと二人の間を流れてゆく静寂は時々冷たい風と混ざりあって、少女の髪に悪戯をした。
 あとどれくらい? というマエリベリーの言葉に、蓮子は空を見上げた。満天の星空と、二人を見下ろす丸い月を見つめて、二人だけの時間を読み取る。
「23時45分14秒」
 そう口にしてから、蓮子は胸を締め付けるような感情に息を詰まらせた。微笑むマエリベリーの横顔を見つめたときからずきずきと痛むどこか心の片隅が、涙を流すでもなく、静かに蓮子を苛んだ。その感情に付けるべき名前もわからず、蓮子は首元にまいたマフラーに顔を埋めた。
「今年も、何だかんだで充実してたわね」
 マエリベリーが言った。蓮子は寒さに鼻を啜ってから、黙ったままこくりと頷いた。
「来年は何をしようかしらね」
「……メリーは何をしたい?」
「そうねぇ。そう言われると難しいわ。来年はいろいろと、忙しくなるもの」
「研究とか、就活とかね。あーあ、なんだか嫌になっちゃうなぁ」
「理系の研究は大変そうね。まあ、頑張ってちょうだいな」
「うん、頑張る」
 ありがとう、と小さく呟いてから、ああ、そういうことか、と蓮子は空を見上げた。
「23時50分25秒」
「あと十分ね」
 あと十分で、新しい一年が始まる。今日という瞬間は過ぎ去って、明日が訪れる。けれどその明日でさえ、瞬間瞬間の一部でしかない。そうして少女たちは瞬間を積み重ねてきて、これからも積み重ね続ける。
 こうして二人で年越しを迎えるのは、今回で三度目だった。秘封倶楽部が迎える、三度目の新年。だがそれは、同時に大学生として迎える三度目の新年でもあった。
 本当にあっという間だった。毎日が楽しくて、あっという間に瞬間瞬間は過ぎ去って行った。そうして大学生活も半分以上が終わり、もうほんの少しすれば、最後の一年が始まろうとする。
 寒風が木々の合間を縫って二人に吹きつけた。首をすくめた蓮子の頬を、不意に柔らかな物がくすぐった。それは、マエリベリーの柔らかく、ウェーブがかかっていて、ほんのりいい香りのする金の髪だった。蓮子はコートの肩に乗ったそれを一房、指先で摘まんだ。細くさらさらした、綺麗な髪。自分のそれとは、まったく違った色をした髪だった。
 自分のそれとは違う、色の白い肌。自分のそれとは違う、青色の瞳。自分のそれとは違う、彫りの深い(おもて)
 今自分の隣にいる少女は、自分と同じ大学で学ぶために日本へやって来ている外国人で。四年間が過ぎ去って大学生という肩書が消えた時、彼女は自分の隣にいないのだ。
 マエリベリーが大学卒業後、祖国に帰ることは蓮子も知っていた。知っていたはずなのに、何ていうこともない日常を送っていると、そんなことは頭の中から消えてしまう。まるで今という瞬間が永遠に続くような気さえして。けれど今この時にも過ぎ去った瞬間の数々は、二度と戻っては来ない。
「23時53分38秒」
 空を見上げ、二人だけの時間を呟く。いずれ一人だけのものになる時間を。
 こうして一緒に時間を共有できるのは、いったいいつまでのことなのだろう。
 月を見つめ、二人だけの場所を読む。いずれ一人だけのものになる場所を。
 こうして一つの場所を共有できるのは、いったいいつまでのことなのだろう。
 星は、月は、平等に二人を見下ろしていた。けれど星と月を見上げる少女は、大切な友人の時間と場所を知るすべを持たなかった。
「23時56分03秒」
「いよいよもうすぐだわ」
 もうすぐ三度目の新年がやって来る。その次には四度目の新年があって、けれど二人揃っての五度目の新年は、きっと彼女たちに訪れない。
 私はいったい、あとどれだけの時間をあなたに伝えることができるのかな?
「23時59分40秒……、45秒……、50秒……」
 10、9、8、7、6。蓮子が秒刻みに呟いて。
 五、四、三、二、一。最後は二人で数を数えた。
 そして瞬間が過ぎ去って、新しい一年が始まるのと同時に、二人は互いに見つめあった。
 三度目の年明け。三度目の挨拶。
「あけましておめでとう、蓮子」
 優しく細められた両の瞳と、小さく笑窪をつくる三日月型の唇。いつも変わらず彼女が向ける、自分に向けてくれる、見慣れた笑顔。自分はいったい、いつまでこの笑顔の隣にいられるのだろう。
「あけましておめでとう、メリー」
 そう口にすると、体が小さく震えた。決して寒さのせいではなかった。
 自分は今を、彼女と同じように笑えているだろうか。新しい年の訪れを祝うべきこの瞬間を。不安に押し潰されそうになった。不安を拭おうとすれば、途方もない淋しさがそれを邪魔した。
 空を見上げた。
 0時0分28秒、29秒、30秒。
 星の瞬きは、今この瞬間にも時を刻み続けている。
 不意に、カップを持つ両手を温かいものが包みこんだ。マエリベリーの両手だった。蓮子が振り返ると、マエリベリーと真正面から目があった。
「今年も素敵な一年にしましょう。私たち二人で、必ず」
 マエリベリーの視線はどこまでも真っ直ぐで、碧眼のなかでは強い意志の光がきらきらと輝いていた。今年という一年を素敵なものにする。今自分の手を握っている少女は、本気でそう言っている。そのことが堪らなく嬉しくて、寒さに、淋しさに、不安に強張った背筋から自然と力が抜けていた。
「そうね、絶対に。楽しみ尽してやりましょ」
 そう返す自分は、きっと自然に笑えている。蓮子はそう、自信をもって思えた。
「0時2分16秒」
 宇佐見蓮子は時間を数えた。寒さに冷えた手を、互いに握りあって。そうして彼女は、一人静かに想うのだった。
 あなたの隣で、私は星を見上げよう。その笑顔を、あなたが私に向けてくれる限りいつまでも。

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