Coolier - 新生・東方創想話

ハング・オーバー・ロンリー・ガールズ

2014/12/19 10:12:06
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 博麗神社の桜の下で、咲く乱痴気の馬鹿騒ぎ。日はとっくに暮れ、月と星が何処かの誰かを祝福するかのように満天の紺碧の中に鏤められている。まだ静寂に包まれるには早い時間帯、人気の蕎麦屋や甘味処などは賑わいを見せていた。博麗神社でもまだまだ酒は入ったばかりで、全てはこれからだという熱気と期待の渦巻く霧のようなものが辺りを漂っている。桜は夜の闇に映え、しかし花より団子よりどんちゃん騒ぎな集団が、花弁の散る儚さを壊していると、侘び寂びを慈しむ心の大きい人間ならば怒るかもしれない。
 者によってはもう既にヘベレケになっているようで、どうやら今夜も何やら事件が起こりそうな、あるいは事故が起こりそうな、そんな緊迫を内包したアルコールの香りが、博麗神社の本来の姿なのかもしれなかった。望まれるべき人と妖の折衷、人間と妖怪の垣根を取り払った平和が、そこにはある。
 しかしながら、それを平和だと形容できるのは、第三者、言うなれば観測者の視点から見たときだけだ。引きの画を見れば人間も妖もみな楽しく酒を呷り話に花を咲かせ、これこそ理想郷であると言わんばかりの園がそこにあるのであるが、しかしその中のパーツ、園そのものの一部になってみると、実はプラス面ばかりではなく、混乱がそこかしこで犇いているのであった――
「以上、おさらい……もとい、現実逃避、終了」
「何言ってるんだよ! 幽香、お前も助けろよ! 早苗が脱ごうと……こら暴れんな!」
 氷山の一角。押し寄せるハチャメチャのうちの一つ。隣で白黒と緑がなにやら暴れているようだけれど、あまり興味はない。濁った酒を自分の猪口に注ぎ、空を見ていた。仄かに上気して、心なしか開放的に。隣が喧しいことを除けば、素晴らしい夜だと思った。酒は文句無しに美味しいし、肴もスキマが手配したらしく豪勢だ。こんなもの、自分一人なら滅多に食べようとも思わないだろう。白和えを摘む。
 しかしそれにしたって馬鹿騒ぎだ。人数もさることながら、人も神も妖怪も強者も弱者も綯い交ぜであった。坩堝とはまさにこのことであるが、それらの産み出す喧騒には、どこかついていけない部分がある。半裸で踊り出す者がいれば、どこからともなく弾幕勝負の流れ弾が飛んでくる。気付けば目の前の肴が何者かに喰い尽くされ、歌声に惑わされそうになる。たまにはと気まぐれを起こしてみればこのざまだ。三百六十度逃げ場のない混沌、どうにも居心地が悪い。溜息を吐くと幸せが逃げるというが、鶏か卵か、の論争のようなものだ。溜息が先か、不幸が先か。しかし鶏が先だろうが卵が先だろうが、どちらにせよそんなこととは全く関係性を持たずに私は溜息を吐くのである。
「帰りたい……」
「浮かない顔よね」
 小規模なホームシックに襲われていると、どこからなのかは定かではないが、とにかくどこかから移動してきた少女が私の斜め後方に立っていた。形容するならば、金色の七色とでも言おうか。昔馴染み……というには些か親しさに欠けるが、少なくとも旧来の知人であり、友人と謳ってもきっと嫌な顔はされない程度の仲である、アリス・マーガトロイドであった。ハチャメチャとは程遠く、綺麗な顔で凛と立っている。
 恐らくこの場において最も理性的に、そして最も気高く行動している存在だろう。アリス・マーガトロイドという人形遣いは、或いはアリス・マーガトロイドという人格は、このような場を楽しむようにはできていない。だからこそ何よりも、彼女はこの小さな宴において、孤独だった。
「隣、いいかしら?」
「ええ」
 その様は、私とよく似ている気がする。
「貴女が弱音を吐くなんて珍しいじゃない」
「そりゃそうでしょ、こんなカオス、楽しめるほうがおかしいわ」
「まあ、それがこの郷の最大の特長であり……」
 アリスはわざとらしく溜めを作って、断じた。
「私の一番嫌いなところよ」
 握手。

 幻想郷の最大の娯楽は酒であり、酒であり、酒である。最早それ以外に娯楽は無いのかと思われるほどに、その閉じられた空間では酒がこれ以上ないまでに酒として、跋扈する神々よりも神々しく、あるいは鎮座する巫女や隙間よりも尊大に、幻想郷を見守り支えている。全員が全員清々しいほどにアルコールの虜となり、それだけではなく磊落へと解放されることを全ての存在が望んでいる。
 これが共通認識であるが、しかしこれには一つだけ追記があり、それは即ち酒を酒だけで楽しむのではなく、輪となる口実として酒を用いるということによる。皆、酒が好きなのは言うまでもない。しかしそれに遠く及ばないほどではあるが、集まって暴れることが好きなのである。故に博麗神社の戌の刻、この場所には妖精も神も人間も妖怪も鬼も幽霊も大集合しているのだ。
 私も酒は好きだ。アリスもきっと、酒が好きだろう。
 けれど酒だけでなく、他人が萃あれば? 我々のような妖々を惹きつける巫女が、ここにはいるのである。だからこそ、さながら巨大な天体に小惑星が吸い寄せられるかのように、ここには混沌が産まれる。
 けれど我々は、周囲にあるのが巨大な恒星であろうが、矮小な岩石であろうが、それらとの調和すら満足に取ることができない。精々力による拮抗が関の山で、故に他人との距離を狭めることは永劫無い。私は私の人格を理解しているから、もうそれは自明、諦めるにも値せず、私とはそういうものなのだという限りなく純粋な理解を持っていた。そこに好きも嫌いも善も悪も存在しない。私は友達が少ないという事実だけがあまりにも残酷にぽつんと置かれているだけで。アリスに関しても、友人関係は狭く、いわば私と同じく今宵の宴において「なんでお前がいるんだよ大賞」に選ばれそうな、喧騒のイメージから離れた孤高の存在である。大きな違いは、私は力が強い故に恐れられているのに対し、彼女は単純に人格で人を寄せ付けていないという点にある。
 鬼なんかは凄まじい力を持ちながらにして磊落な性格をしているが、私は毛玉のようにすら見えるほどにひねくれている。それは対極のようであって、実は似たようなものでしかない。どちらにせよ弱き者たちからすれば、強くて容赦無い化け物でしかないのだから。
 しかしながら、脆弱な存在からは同じ姿に見えたとしても、ある程度の力と自我を持つ存在からはそれを見分けることができる。似て非なるものは、目を持つものからすれば非なるものでしかない。故に、鬼は向こうの方で何人かの可哀想な犠牲者を生み出しながら大声を上げることができて、一方私の方はと言えば一人で宴に来たことを後悔せねばならない羽目になるのであった。
 アリスは大して強くない。弱くはないが、大きくも強くもない。私は恐れられているために誰も近寄って来ないが、アリスの場合は全く性質が違い、単純に、性格のおかげで友人がいないのである。それが性格と性質の双方において資質のない私よりもマシなのかどうか、或いは哀れなのかどうかは別として、自分の状況を打破することは簡単なはずだ。
 単純に、友好的に接すればいい。例えば人里に人形劇を行ったときに、その後人間の子供との交流を深く行えばいい。例えば折角宴に毎回来るのだから、そこで他人と仲良く談笑していればいい。プライドの高さやコミュニケーション能力の低さ以外は全て逸脱しない程度に高水準で、それは一部の能力が逸脱してしまった私からすれば非常に羨ましい限りだというのに、その二つの「難点」が途轍もないほどに邪魔をしているのであった。逸脱せずに優れる――その行為がどれほどまでに難しいのか、彼女にはそれが解っていないようだ。
 まあ、要約すれば二人ともが社会不適合者だったというだけの話である。それはきっと、私たちが存在するのが別の世界、例えば外の世界だったとしても、私達はきっと日向にて明るく煌めく存在にはなれないだろうし、最早否定のしようがない事実なのであった。
「折角、珍しくこんなイベントに参加してるんだし、貴女もう少し他人と話せばいいのに。そんな仏頂面じゃあ誰も寄って来ないわよ」
 アリスが呆れたように言う。毎回参加して似たような結果に終わっている方が残念だとは思うが、言っている内容自体は非常に的確である。そんなことは私でもわかっているのだ、自覚していてもできないものはできないというだけで。
「それができなかったから、帰りたいって言ってるの」
 普段からしていないことは、いざという時にもできないものだった。自分を誤魔化すことは、他人を誤魔化すことよりも難しいのだろう。妖精の会話を耳にして、たまには行ってもいいかな――なんて思考を浮かべてしまったせいで、これから数時間を無駄にしてしまう。そしてもう既に、数時間を無駄にした。妖怪とは寿命が人間のそれとは桁違いに長いから気にするほどでもないとは思うが、その間の暇は種族が何であろうとそんなものは関係なく感じてしまうのだ。そして虚無感や無力感も、得てして。
「まあ、私も人のことは言えなくて……貴女が居なかったら微笑を浮かべた地蔵の如く隅でただただ座っているだけになっていたところよ。幸運な助け舟だったわ」
「……私が居ない時はどうしてるのよ、貴女は」
「地蔵よ」

 アリスは私を怖がらずに友人として扱ってくれる、ひょっとすると幻想郷で一人だけかもしれない存在だ。
 怖がらない、口を利く、という点だけで言えば、例えば博麗の巫女なんかは何一つとして気後れすることなく私と会話をすることができるが、その理由は私と友人関係にあるからではなく――彼女は全てに対して平等だから、だ。友人としてでもなく、知人としてですらなく、その関係はただ大妖怪風見幽香と人間博麗霊夢とがあるというだけに過ぎない。
 ただ全員と等しく感情を付随しない、そういう例外を除くと、例えば八雲のスキマ妖怪や白黒の魔法使い、月の頭脳、吸血鬼姉……つまるところが強い力を持つ者たちだ。そういう者は、大抵私が大妖怪だからどうしたという態度である。本気で相対したことがないからわからないが、もしかすると彼女らは私よりも強いかもしれない。だから怖がる理由などない。
 勿論彼らは強いなら強いなりに考えているから、表立った対立は避けたいだろう。けれども各々は野心で心中覆い尽くされていて、だから冷戦状態がそこかしこにある。そんなものを口を利く仲だとしてカウントするのは、間違っているだろう。敵対していないのとと仲が良いのとは決して同一ではないのだから。よって、私への感情が敵愾心でも恐怖心でもなく、親近感が主たる成分として構成されている存在など、そうそういるものではない。
 しかし実際にいたのがこのアリス・マーガトロイドであり、私と彼女とは仄暗いはぐれもの同盟とでも言うのか、たまに会ったら話をして、傷を舐め合うこともあるのだが、そうな寂しい友情があってたまるかという話だ。
 私にとって彼女は恐らく唯一だが、彼女にとって私が唯一だと言い切れるのだろうか。
 彼女は魔法使いだ。霧雨魔理沙だったか白黒も、パチュリーとかいった引きこもりも、聖白蓮とかいう僧侶も、同業者として何かしら関わっているはずだし、これまで見ていた限りでは特に前者二人とは会話をしているようだった。……勿論というか案の定というか、事務的な目的を持った談義以外では彼女の応答は見ていられるものではなかったのだが。
 私はそもそも他人との関わりからほとんど持たないが、傷付かなくて済むと自分で後付の理由を作れた分マシだろうか。
「宴っていうのは押し付けがましいものなのよね」
 アリスが溜息を吐きながら私を通ってさらに反対側に視線を寄越した。白黒と緑は未だに取っ組み合い、それを眺める者たちが真っ赤な顔で煽っているのだった。よくみれば両方の衣服が酷くはだけており、年頃の女が何をやっているのかと頭を抱えてしまう。
「あれが宴のあるべき姿なのよ。みんな短絡的にあればあるほど相応しいとかお前みたいな奴がいると酒が不味いとか言うのだけれど、少しくらい陰気臭い奴がいてもいいと思わない?」
「だから私はこれまで参加しなかったのだけれど」
「理性的ね」
 なまじ周囲と関わろうとする方が辛い目に遭うのはよくわかったから、もう二度と宴には来ないことを心に決めた。希望的な観測にしか過ぎないけれども、彼女にとっても私は唯一なのかもしれないと思った。
「……けれど陰気臭いのもお酒の力でなんとかなるんじゃないの? 宴なんて酒の匂いを纏っているわけだし、それに毎度参加しているアリスならお酒飲んでるんでしょ?」
 あからさまに、あるいはコミカルに。記号的なまでにわかりやすくアリスが震えた。否、ちょっと跳んだ。何かしら都合が悪いことがあったのが見え見えである。
「え、もしかしてアリス、貴女、わざわざ宴会に来てるのにお酒飲んでないの……?」
 金髪碧眼のアルカイックスマイルが目前にある。
 そりゃあそうだ。宴にまで出て来ておいて酒を飲まないなんて何のために来ているのかわからないではないか。酒を飲まない奴がいたらその場は確かに盛り下がる。なんだ、簡単なことではないか。アリスも酒を飲めばいいのだ。
「ほら、飲みなさいよこれ」
 私が酒を注ぐと、アリスは大袈裟に両手を振り回し、早口でまくし立ててきた。
「い、いやいや、いらないから! お酒あんまり好きじゃないから!」
「絶対飲んだ方が友達とかできるわよ……? 友人ができるかできないかの違いって、一番は自分の壁を取り払うかどうかなのよ」
 宴会に来たら酒を飲み、みんな泥酔しているのだから無礼講、何も遠慮することなく飲んで気兼ねなく接すればいいのだ。宴とはそういうもので、関係とはそういうものだ。私が最もできないことだから、どの口が言うか、と自分で少し笑ってしまいそうになる。
「で、でも私強くないし何より」
「うるさい」
「むぐぅーっ!?」
 御託はいいからはよ飲めというメッセージを込めて一升瓶を口に突っ込んでやった。

「だれか、袋ッ、袋ーッ! あっ、そこの幼女鬼! その瓢箪貸しなさいよ!」
「何言ってんだアンタ!? いいよって言うわけないだろ!?」
「心配しなくても洗って返すわよ!」
「そういう問題じゃねえよ!」

 大惨事であった。
「今日覚えたこと、二つ目。アリスはお酒に弱い」
「そういう問題じゃねえんだよ!」
 酸性のマスタースパークを爆散させることはなんとか回避できたものの、地底の小さな釣瓶落としの妖怪の桶は強奪されるに至った――そしてとんでもない問題による熱が冷めやらぬ数分のうちに、アリスは力尽きてしまった。まだ息はあるが、永遠亭の医者によると、絶対安静とのことだった。
「あーあー、こいつは本当に酒が駄目だな……」
 霧雨魔理沙はどうやら巫女に打ち勝ったらしく、向こうでしくしくと泣きながら膝を抱える緑の巫女の姿を目視することができた。霧雨魔理沙が近付き、アリスに向かって十字を切る。一升瓶は流石にやりすぎだったかもしれない。
「アーメン」
「殺さないの」
 死に掛けてこそいないものの彼女も相当酔っ払っているようで、足取りは覚束ないし呂律もあまり芳しくない。神が跋扈する場でその発言は如何なものか、とは、皆揃って酔っているから、誰も突っ込まなかった。
「しかし、これ私の所為なのよね……私が家まで送り届けることにするわ」
「お? 泥酔させてお持ち帰りか、野獣だなお前は!」
 げらげらと笑う。非常に不愉快な汚名である。
「うるさいわね、私にだって罪悪感くらいあるんだから、せめて介抱くらいさせなさいよ」
 嘘ではないけれど、二割くらい。残りの八割は、一刻も早くここから逃げ出したかったというのと、アリスともう少し話がしたかったということだ。
「罪悪……お前の口からそんな言葉が出るなんて、明日は豚が降るぞって痛ってえ!? せめて殴る時には言えよ!」
「殴らせてもらったわ」
「事前にだよ!」

 本人がそう言うなら、と。私は永遠亭の医者の許可をもらい、アリスを抱いて空を飛んでいた。夜空は明るいが、町は暗い。どうやら思っていたよりも先程から時間は経っていたらしく、もう人の気配は殆どなかった。
 家まで送り届けるなどと言ったはいいが、生憎と私はアリスの家を知らなかった。しくじった、というやつだ。致し方なく、私は自分の家の方角へと向かう。数十秒、もう博麗神社の声すらも聞こえなくなった。本気を出せばもっと早く飛べるのだが、更に具合を悪くしたら不味い。できるだけ緩やかに加速して、数分、太陽の畑へと到着した。ふわり、と玄関の前に着陸して、アリスを起こすかどうか迷ったが、やめた。徒に負荷をかけるものではないし、彼女のプライドは、どれだけ具合が悪くても自分で帰ると言い出させるに決まっているからだ。
「しっかし綺麗な顔なのよね、この子。まるで人形」
 人形遣いが人形の様、ミイラ取りがミイラに――とは何となく似ているが意味は全く違う。男を誑かすには充分、なんなら傾国と言えるほどのものであるのだが、そんなことは彼女は全く行う素振りもなく、むしろそれらに嫌悪感を示すほどに、潔白だった。肌は今でこそ具合を崩して青白いが、普段は絹と喩えられるような、艶めく純白だ。髪だって、どうやればここまでさらさらと流れる質になるのか、私にはわかりそうもない。
 自分の容姿を醜女だなどと卑下するつもりは毛頭ないが、少女としての美しさは、どう足掻いても敵いそうにない。ここまでの美しさが、無防備に、私の腕の中にあるという状況に、少し、劣等的な感情を、折角掴みかけた友好的な架け橋が潰えてしまいそうな醜悪な感情を覚えてしまって、それを振り払うように、蔦でドアを開けて、勢いよく家に入った。

 酔っ払いを仰向けにするのはよくない。万が一仰向けの状態で眠っていて、そのまま逆流――私とて少女の名を冠している身だからかなりオブラートに包むが――そうなると、喉に詰まり、命に関わる。死因が吐瀉物だなどと、そんな不名誉なことがあるか。
 寝かせる所も迷ったが、まあ、自分のベッドでよかろう。私の眠るところがなくなるとか、そういう問題はあったが、流石に、介抱すると宣言して連れて帰ってきた者を床に転がすなどと言うのは気が引ける。なりふり構わず他人を貶め苦しめるだけのものはサディズムではないのである。そんなことをする奴はサディスト失格だ。
 うつ伏せというのも不恰好だし、とりあえず、横向きにしておいた。これで万が一のことがあっても大丈夫。大層なことを言ったが、医術の心得など持ち合わせておらず、彼女のことを第一に考えるのならば酒に慣れた彼らに任せた方が良かったのかもしれないが、今更何を言っても仕方のないことだ。この程度のことで命に関わるとも思えないから、それほど力不足ということもなかろう。というか、それほどするべきことも無いように思える。着替えさせる、というのは流石に気が引けるし、私はここで様子を見ていればたぶん十分だ。珈琲でも入れることにする。
 しかし酒に弱いとは、ここでは致命傷である。一升瓶をイッキできないというのは、下戸と認定されるに容易い。むしろ樽から飲めないと興醒めだと罵られてしまうことすらあるのである。
 だとすれば、彼女の性質は確かに他人と親密になるのに適していないが、取っ掛かりを作ることもできないのであれば、なるほど、殊更、当然の結果のように思えた。それほどここの世界というのは酒に依存している。文字通りの社会現象で、そのまま全体が酒の魅力に取り憑かれ、酒の魔力に当てられているのだ。ここはそういう処だから仕方がない……とはいえ、一抹の訝しみを、誰に聞かせるわけにもいかず、珈琲で腹の中に押し込んだ。

「……」
「おはよう。具合はどうかしら?」
「……」
 時刻はちょうど寅の一ツころで、一般的にはおはようというには些か早すぎる頃合いであった。しかし、起きた時間こそおはようと言うのが正しいというのもまた事実である。外は当然のように未だ暗く、鶏もまだ鳴かない。どうやら畑近辺の虫の声も今夜は少なく、静かな夜を、私はただじっと椅子に座り、珈琲を啜っていた。おやすみからおはようまでを見守っていたことになる。妖怪は概ね睡眠をせずとも平気な生き物である……生き物かどうかも若干の不安は残るが。
「……なんで?」
 身体を起こしてそう疑問を素直に端的に最もよく表せる言葉を発したところで、アリスはまだ具合が悪そうに頭を押さえた。二日酔いとは凶悪なもので、中々の気分の悪さと活動効率の低下を提供してくれる。
「覚えてないの?」
「宴会に行ったところまでは……ってことはお酒かしら……」
「理性的ね」
「で、昨日の宴会で話したのは幽香だけだから、犯人は……」
「名探偵ね」
 嗚呼、そんな眼で睨みつけるな。私も悪かったと思っているのだから。反省してるから。
「お酒なんて飲んだら何するかわからないから飲まないようにしてるんだけど……私、その時何かしら失態を晒したりしてない?」
「間一髪といったところだったわね」
 針の筵である。二つの針が私から抜かれることはない。多分私も酔っていたのだ、仕方ないではないか。結局釣瓶落としの桶を汚すことも無くて、単純にアリスが辛さを背負っただけなのだ。
「まあ、誰にも迷惑はかけてないわよ。よかったよかった」
「私に迷惑をかけてるし私は全くよくないわ」
 一つ一つ丁寧に返してくれる。頭の回転には実はそれほど悪影響を及ぼしていないようだ。流石妖怪、回復が早い。そんなことを言ったら余計彼女を怒らせてしまうだろうから、何も言わないけれど。
「はぁ……それに、ここ、私の家じゃないわね」
 周りを見回して、アリスが呟く。勿論私にはちゃんと聞こえたのだけれど、私に向けたのではなく、自分の中で整理をつけやすくするための確認を読み上げている風に近かった。
「私の家よ?」
 先回りして答えを告げる。即座にアリスは布団を自分の口元まで引き上げると、自分の衣服を一瞥してから、徐にこちらを向いた。
「酔わせて自分の家に連れ込んだの……?」
「違うわよ、いや、違わないけど、違うわ」
 弄ぶことによる楽しみは相手の反応を見ることに集約されるのだから。眠っていては反応がない。だからつまらない。多分そういう話ではない。やましいことはないからそう執拗に自分の衣服の乱れを確認しないでほしい。少しくらい信用してほしいものである。
「……まあ、いいけど。何もしてないみたいだし……っ、痛……」
 痛みや苦しみに波があることはよく知られている。先程まで何事もなかったかのような雰囲気を持っていたアリスの顔が、美しいままに歪む。それは酷く官能的でもあって、無情にも私を刺激した。自分の中で葛藤が生まれ、疑いを事実にしてしまいそうになる魔の手をなんとか鎮めて、けれどそれは決して顔には出さず、刹那の風見幽香の内紛は、穏和な正義が勝利する。手を差し伸べることはなく、ただ小さな声で大丈夫、と声をかけるにとどめる。アリスも、それに小さな声で大丈夫よ、と返す。私にできることはなく、狼狽えるほどの若さもなく、そこから動かなかった。そのまま、数呼吸。
「やっぱり辛いわね。誰かのせいで」
 私の具合が悪くなりそうだ。けれどその言葉は本気の非難ではなく、ただの皮肉っぽい軽口であることは私にでもわかった。謝りたいのは事実だが頭を下げるのは私には至難の業だ。それならば、と私は思案して――手を打つ。
「……そうね、何かモノを用意するわ」
「へえ、楽しみね。何かしら」
「私はフラワーマスターよ。庭に出てちょうだい」
「病人を歩かせるなんて、優しくないわね」
「だってサディストだもの」
 アリスが笑ったのが先だった。

 扉を開けて、ちょっとばかり横方向に歩いていく。道こそ舗装されているが、家の周りはどこを見ても植物の温床で、もはやジャングルの類にすら見えると言われても確かにそうだとしか返せないくらいだ。
「へえ、ここ全部貴女の畑なんだ」
 私のあとをついて出てきたアリスはいたく感心しているようで、時折座り込んでまで周囲を観察している。虫が出て大きな悲鳴を出しながら尻餅をつくところまでテンプレート。虫に弾幕を張るのは止めさせた。庭が荒廃するなんてことは地獄に落とされるも等しいのだから。
「まあ、あっちの向日葵の方は明確に私のものってわけじゃあないんだけれど。家の周りは大体私が管理しているわ」
「流石ね」
「まあね」
 そこまで無理をさせたわけではなく、家を出てすぐ近くの所で立ち止まる。この辺りに植えていたはずだ――目の前には四季がこれでもかと詰め込まれていて、これでは折々の風流が全く楽しめなさそうなのだが、私はそんなことは一切気にしていない。向日葵の横に蒲公英と桜が咲き誇ろうが私は綺麗だと褒め称える。そんなポリシーのせいで、周囲は昨日の宴会よりも深刻なしっちゃかめっちゃか具合を呈しているのであった。
「貴女、すごい所に住んでいるのね……虫だらけじゃない」
「植物を愛することは虫もそれなりに愛することよ。滅多に刺されたり噛まれたりすることはないし」
 アリスにとっての花とはきっと梱包されたものや鉢に植えられたものなのだろう、と思った。都会派は自然をよく知らないものだ。それを悪だと論うことこそしないけれども、少し寂しく思う。
 さて、と。どうやらアリスを虫のいる所に長居させるのはよくないようなので、目当てのものを探す。それはすぐ見つかって、私は腰を屈めた。手刀。茎を斜めに切って、綺麗な青い花を手に持つ。立ち上がって、アリスを見て、そのままの勢いで右腕を振り上げる。垂直に差し出された花をアリスが手に取る前に、先に言ってしまおうと、口を開く。
「竜胆――根は生薬にも使われる植物よ。観賞用にするにも充分に美しい花だわ」
 そして、まだ、言わなくてはならないことがある。息を吸い込んで、台詞を、続ける。
「これ、お詫び……というか、友達、の、しるしになれば……」
 慣れない言葉を繋げる。
 アリスの顔が、酒を飲んだわけでもないのに、赤くなっていった。
 
「何だ幽香、また来たのか。珍しいな……アリスも一緒なんだな。今度は少しくらい飲めよ? ……ん? 二人一緒ってことはもしかしてあの日くっついちまったのかって痛ってえ!? だから殴る時には予告しろって!」
「じゃあ今から予告してもう一度殴り直すわね」
「いやごめん私が悪かった」
 アリスが、楽しそうに笑っている。数日前の宴会は酷い有様だったけれど、手に入れた物も、大きかったような気がする。
「よっし、じゃあそろそろ始めるか!」
 そこは博麗神社、酒と妖怪が集う場所。鬼も、妖精も、吸血鬼も、神も、人間も、宴にて全てイコールで結ばれてしまう素敵な楽園。もちろん私たちはまだ孤独だけれど――これから、変えていける。変えていく。
 乾杯! と景気良く叫ばれた声の中に、もちろん私とアリスの声も混じっていた。
「ところで、竜胆の花言葉なのだけれど」
「そういうの自分で言うかしら、普通」
「悲しんでいるときのあなたが好き」
「捨てていい?」


六作目です。おはようございます。
アリスさんも幽香さんも友達がいない話。そして友達を作るきっかけの話。
まだお酒は飲めないので、かなり想像で書いてます。けれど流石にみんなが樽からお酒を飲む世界は怖いと思いました。
倫理病棟
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コメント



0.670簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
これを匿名評価で済ましてしまうのは実に勿体無いと感じた所存
6.100名前が無い程度の能力削除
酒はビールが基本ですねはい
しかし、このビールはおかしいなあ…
なんでこんなに甘いんだ
7.90奇声を発する程度の能力削除
素晴らしいですね
10.100名無しです削除
あるぇー?幽香さん、少女って呼べるくらい若かっt(マスタースパーク
11.80絶望を司る程度の能力削除
↑幽香は少女じゃなくて女性だから……(超小声)
面白かったです。
13.90名前が無い程度の能力削除
ブラボー…おお、ブラボー…!
22.100名前が無い程度の能力削除
不器用だなあ