Coolier - 新生・東方創想話

Wlii  ~其は赤にして赤編 3

2014/12/07 20:50:17
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夢が偽りだというのならこの世界は嘘吐き達の住む箱庭

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~其は赤にして赤編 1

一つ前
~其は赤にして赤編 2



    第四節 呪いの軌跡

「シャウナ・スローンです。よろしくお願い致します」
 流暢な日本語で挨拶をした外国からの転校生に、妖夢は思わず見惚れてしまった。妖夢だけではない。妖夢はシャウナを見て、名刀を思い浮かべた。洗練された鋭利な刃は、まさに眼前の転入生と重なって見える。クラス中の生徒皆が、陶器の様に白い肌を持つ硬質な美貌のシャウナに目を奪われた。
 東欧からやって来たというシャウナの当り障り無い自己紹介を、クラス中の天井から降りてきた女神を崇める民衆の如く聞き惚れ、挨拶が終わると万雷の拍手を行った。洪水の様な拍手の音に迎えられたシャウナは、皆の視線を一身に受けながら悠然と生徒の間を歩き、事前に用意された席に座った。その席は丁度妖夢の席の真後ろで、妖夢は自分の席がこの場所である事を神と教師に感謝した。
「よろしくね」
 シャウナが座るなりそう言って微笑んでくれたので、言葉に詰まりながらも何度も頷く。美しく桃色に透き通った肌は近くで見ても粗が無い。長い睫毛の下の済んだ青い瞳に見つめられて、妖夢は自分と相手の容姿の違いに恥ずかしくなった。単なる劣等感ではない。羨望も混じり、そして確かに歓喜も湧き上がっている。沢山の感情によって何だか頭に血が上り、世界が狭まった様な心地になった。
「何?」
 シャウナに問われて、妖夢ははっとして自分の右手を引っ込めた。右手が、シャウナの絹の様に細やかな銀の髪を、触れようとしていた。自分でも無意識の内の行為だった。恥ずかしさで赤くなりながら何でもないと首を横に振る。
「日本は初めてで分からない事や戸惑う事が沢山あるの。助けてくれると嬉しいわ」
 妖夢は益益赤くなりながら、何度も頷いた。本当は「勿論何でも聞いて」と笑い返したかった。けれど言葉が喉につっかえる。照れ上がっている己がもどかしい。
 授業が始まるという事で前を向かされる。だがクラスの誰もが、視線は前を向きながら意識はシャウナに向いている。妖夢も同じ。シャウナと親しくなりたい。前を向きながら、背後のシャウナを思い、妖夢は仲良く慣れる事を願った。
 そしてその願いはあっさりと聞き届けられた。授業中、シャウナは常に妖夢の事を必要としてくれた。シャウナの日本語は会話の面で完璧だが、読み書きはまだ不慣れな様で、授業の内容以外にも分からない事が多く、事ある毎に妖夢へ尋ねてきた。その度に、妖夢は必要以上に丁寧に時間を掛けて、シャウナの質問に答えた。授業の内容に関しても、数学等は問題無いが、やはり国語や日本史はからきしで、その授業中は殆どつききりでシャウナの手助けをした。シャウナは妖夢に感謝し、妖夢はシャウナからの感謝を受ける度に、眩めく程の喜びを覚えた。この日ほど、普段から真面目に予習しておいて良かったと自分の努力を実感した日は無い。
 授業中はそんな調子でシャウナとの仲を深める事が出来たのだが、休み時間はそう上手く行かなかった。まず話し掛ける事が出来無い。休み時間の度に、シャウナの周りに山の様な人が集まる。前の席にいる妖夢にまで人集りが溢れ、圧迫されてた妖夢は自分の席から逃げ出した程だ。妖夢のクラスだけでなく、他のクラスからも人がやって来て、お祭り騒ぎになっていた。
 休み時間が駄目なら、お昼を一緒にと思ったが、休み時間でそれだけ人気なのだから当然ご一緒出来る筈もない。機械を逸した妖夢は、シャウナを中心として食堂の一角にクラスや学年の隔たりなく集まる人集りを眺めながら、一緒に食べられない残念な気持ちと、他の人と違って授業中に傍に居られる優越感を抱きつつ、いつもの四人グループで食事を摂っていた。
「すっげーね、あれ」
 妖夢の親友の一人が、何処か浮かない様子で人集りの出来た食堂の一角を見る。
 妖夢も同じ方角を見ながら頷く。
「フィクションの中の人みたいだよね」
 物語の中から飛び出してきたのだと言われたら、妖夢は信じてしまうだろう。
「ところであの人混みの中に、美貴の彼氏が居るけど、良いの?」
 妖夢が尋ねると、美貴と呼ばれた少女はそっぽを向いた。
「別に彼氏じゃないし、関係無いし」
「あらら」
 拗ねた様に顔をそむけた美貴の隣で、もう一人の親友は感慨深げに息を吐く。
「男子選び放題か。あんだけ綺麗なら幸せだわ、ホント」
「愛梨ちゃんも可愛いよ」
 最後の一人が力無く笑いながら励ますと、愛梨と呼ばれた少女は真顔で振り向いた。
「芳香もね」
 芳香と呼ばれた少女は、小さな声でやったぁと呟く。
 そうして愛梨と芳香は「虚しい」と言って溜息を吐きあった。
「何か弱みとか握れないかな」
 美貴の呟きに、芳香が恐ろしげに尋ねた。
「弱みを握るってどうやって?」
 問われた美貴は、真剣な顔を芳香に向ける。
「芳香があいつの目の前で爆発して、その殺害の罪をなすりつけるとか」
「意味分かんないよ!」
「芳香があいつと付き合ってこっぴどく振るとか」
「無理だよ!」
 親友の下らない会話に妖夢は苦笑する。
 そんな妖夢へと美貴が矛先を変えた。
「妖夢はどうすりゃ良いと思う?」
 妖夢としては、出来ればそんな不毛な事は御免被りたい。折角仲良くなりかけているのだ。
「そんな邪険にしないで仲良くなろうよ」
 すると美貴が大袈裟に溜息を吐いた。
「妖夢もすっかり裏切り者だしなぁ」
「私、裏切ってなんか」
 抗議しようとする妖夢の言葉を、愛梨が遮る。
「授業中の妖夢、恋する乙女だもんね」
「何、いきなり」
「ちらっと見たんだけど、妖夢、話し掛ける度に顔を赤くして、話し掛けられる度に固まって」
 顔を赤くし、言葉を発せなくなった妖夢を見て、他の三人が溜息を吐いた。
「女子も選び放題か。流石だわぁ」
「ちーがーうー!」
 友人達の言葉を否定するが、シャウナの事が気になるのは確かだ。何だかシャウナの事が気になって視線を送った。すると人集りの間からシャウナの姿が一瞬見えて、目が合った様な気がした。すぐにまた人混みは山となってシャウナの姿は見えなくなる。大勢の人に囲まれながら、態態その人達を無視して自分なんか見る訳が無い。目が合ったのはきっと気の所為だ。そう思いつつも、妖夢は何だか自分とシャウナが何かしらの縁で結ばれている様が気がした。誇大妄想に過ぎない事は分かっているけれど、普通の人とは違うものをシャウナから感じる。
 根拠も何も無いけれど自分とシャウナの間には、単なる友達付き合いではない何かで繋がれそうな予感がした。新しい何かを踏み出せそうな気がする。
 こういう事を考えるから、恋する乙女だとからかわれたのだろうなと思った。

 授業なんて退屈だ。いつもなら早く終れと願って止まない。だけど今日に限っては、授業の一分一秒が惜しくてしかたなかった。授業が長引けばそれだけシャウナを助けられる。話をする事が出来る。ずっと授業が終わらないで欲しいと願うのだが、今日はやけに時間の流れが早い。放課後までがあっという間に過ぎてしまった。
 授業が終われば妖夢の役目も終わる。結局、昼休みの後も授業以外でシャウナと話す事が出来なかった。今日一日、シャウナと関わった時間は誰よりも長いと思うが、授業で分からない所を教えるだけでは、義務的な間柄としか取られないだろう。休み時間も必死な様子でシャウナに話し掛ける人達に比べれば、授業の間は受け答えするけれど休み時間の間は近寄らない妖夢の態度は酷く冷淡に映ったかもしれない。
 ホームルームが行われている今も、クラスメイトの中には、誰よりも早くシャウナの下に向かい、一緒に帰る約束を取り付けようと窺っている者達が居る。そういう必死さは、求められる方からしたら嬉しいと思う。きっとその中の誰かと帰るのだろう。自分はシャウナに勉強を教えるだけ。それでは駄目だ。例えば休み時間も人混みを掻き分けてシャウナと話に行くだとか、そういう積極性が必要だった。今日が終わってしまった今となってはもう遅いのだけれど。人間関係は最初の一歩が非常に重要だ。最初に仲良くなってしまえば後は自然と仲が進展する。反対に出遅れれば後はひたすらに疎遠になる。今日の自分がどちらだったのか。出遅れた側の気がしてしょうがない。妖夢が残念な気持ちで自分の今日の行動を反省していると、教師がホームルームの終わりを告げた。
 その瞬間、シャウナを窺っていたクラスメイト達が一斉に立ち上がった。そのままシャウナの下へ走りだす。
 が、誰よりも早く声を上げたのは、他でも無いシャウナだった。
「妖夢、一緒に帰りましょう」
 シャウナの下へ向かおうとしていたクラスメイト達が硬直した。その隙をつくかの様に、シャウナは妖夢の手を握り、足早に教室の外へ向かった。
 廊下に出ると、今度は他のクラスや別の学年の者がたむろしていた。シャウナ目当てなのは目に見えている。案の定、十歩も歩く間無く、道を遮られてしまった。怯える妖夢とその手を引くシャウナの前に立ち塞がった生徒達が、何か言おうと口を開く。
 が、シャウナはその機先を制した。
「何か?」
 そう言って一番いかつい上級生の男子に尋ねかけた。いかつい上級生は一瞬戸惑ったが、すぐにはっきりとシャウナの目を見て口を開いた。
「一緒に」
「ごめんなさい。私はもう約束している相手が居ます。その邪魔をしないで下さい」
 いかつい上級生が硬直する。シャウナは更に、食い下がろうとする者達に向かって笑顔を見せた。
「それではまた明日」
 晴れやかな笑顔だったが全員がそれに気圧された。シャウナは割れた人混みをすり抜けて階段へ向かう。気圧された人人は去っていくシャウナを眺めながら、気圧されたのは容姿の美しさに見惚れてしまった所為だと驚愕した。
 とはいえ、それは勘違いで、その場に居た全員の動きを封じたのは、シャウナからさり気なく発された、邪魔をしてくれるなという無言の殺意に他ならない。その殺意は誰にも気が付かれる事が無かった為に、群衆は高鳴る鼓動を魅了と勘違いし、そして益益惹かれる事になった。
 それはともかく、並み居る生徒達がシャウナに退けられた結果、選ばれたのは妖夢ただ一人となった。妖夢はそれが信じられず、夢心地でシャウナに手を惹かれ、学校を出た。
「あの、どうして?」
 校門を抜けようやく夢見心地から覚めた妖夢は、何故シャウナは自分を選んだのか不思議に思い聞いた。昼間に美貴が言っていた通り、シャウナは選び放題だ。それなのに、その誰もを断って、自分なんかと。
 嬉しさも大きいが、どうしてだという不安も大きい。別に自分が悪い訳でも無いのに、分不相応な結果を与えられると、悪い気がしてしまう。
「あなたと帰りたかったから。授業中も親切にしてくれたし」
 それは妖夢が一番望んでいた言葉だった。自分の努力が認められ、そして自分が選ばれた。分かりやすく耳心地の良い結論に妖夢はあっさりと納得し、嬉しくなる。
「なら明日からも」
「ありがとう。あなたと帰ろうと思ったのは、あなたが信頼出来ると思ったから。他の人達、何だか無闇に近付いて来て怖かったの」
「あー」
 自分もシャウナと仲良くなりたいと思っていた妖夢としては耳が痛い。
「でも」
 仲良くなろうと必死だったのは自分も同じだと言いかけたが、むざむざ与えられた幸運を捨てる事は無いと、妖夢は言葉を飲み込む。
「何?」
「ううん」
「何か変なところがあったら言って」
 変なところなんて無い。が、考えてみると少し不思議な事があった。
「変って訳じゃないけど。その、他の人達に近付かれるのが嫌っていうのは意外、かな。シャウナさん、美人だから人に囲まれてるなんて慣れてるかなって思ってたから」
「どういう事?」
 シャウナの訝しげな表情を受けて、妖夢は自分の吐いた言葉が侮蔑的で恥ずかしいものだと気がついた。少なくとも仲良くなろうとしている相手へ掛ける言葉じゃない。シャウナだって自分と変わらない普通の人間なのだ。その当たり前の事が何処かすっぽり抜け落ちていた。
「必要以上に近付いてくるのは嫌。当たり前の事でしょ? でも近付いて来ない人となると、私の事を嫌う人達ばかり」
「そんな事無いと思うけど」
「そう? あなたのお友達もそうじゃない?」
 妖夢はばれていたのかと恐縮する。確かに昼休みは敵意に満ちた会話をしていたし、きっとそれ以外でもシャウナの事を睨んだりしていたのだろう。特に美貴は彼氏を取られたと怒っていた。そういう敵意を不快に思うのは当然だ。
 でも妖夢は自分の友達がみんな良い子だと知っている。今は距離が遠いから敵意を持っているけれど、歩み寄ってちゃんと話をすれば、打ち解けて仲良くなれる筈だと思った。
「違うから。それはシャウナさんがあまりに美人だからで。でも本当は良い子で。ちゃんと話せば」
「良い人達っていうのは分かるわ」
「え? 本当?」
 どうして急にと妖夢が不思議に思っていると、シャウナが振り返った。
「あなたの事が心配でずっとつけてきている位だもの。きっと友達思いなんでしょう」
 妖夢も振り返ると、物陰に隠れた友達が顔だけだしているのが見えた。妖夢は思わず呆れるが、同時に嬉しくなる。どんな時でも一緒に居てくれて、見守ってくれている。美貴達には感謝してもし切れない。
「うん。みんな良い子達なんだ」
「そうみたいね。呼んだら? 折角なんだし、一緒に帰りたい。妖夢もそうでしょう?」
「一緒に帰ってくれるの?」
「ええ」
 シャウナが友達を受け入れてくれた事が嬉しくて、妖夢は満面の笑みで頷くと、こそこそとしている親友達に手を振った。美貴達は驚いて顔を見合わせた後に、決まり悪げな顔で物陰から出て来た。
「ばれてた?」
「うん」
 美貴は手で目を覆って項垂れたが、すぐに顔を上げて両手を広げた。
「じゃあ、仕方無い。一緒に帰ろうぜ!」
「うん、そのつもり」
 芳香が恐る恐るといった様子で、シャウナに向いた。
「あの、妖夢ちゃんと帰ってるのに、邪魔して、ごめんなさい」
「いいえ。友達は多い方が良い。そうでしょう?」
「う、うん」
 芳香は笑顔になって自分の顔を指さした。
「あの、シャウナさん、私、名前は」
「宮古芳香」
「え? うん」
「柊美貴」
「自己紹介したっけ?」
「横溝愛梨」
「はーい」
 三人の名前を口にしたシャウナは微笑みを浮かべる。
「でしょ? 自己紹介はもう必要無いわ」
 美貴が不思議そうに首を捻った。
「何で? 教えてないでしょ?」
「名前自体は事前にクラス簿を見せてもらってたから知っていた。後は今日一日クラスの様子を観察していて全員の名前と顔を合わせたの」
「へえ! 素直に凄いと思うぞ」
 美貴は笑って手を差し出した。
「よろしく、シャウナ」
「こちらこそ」
 シャウナがその手を握る。
「随分日本語上手いんだな」
 美貴が感心していると、芳香もそれに同意する。
「本物みたい。もしかして日本人?」
 日本人離れしたシャウナの顔を眺めて芳香は首を傾げる。
 シャウナは期待の篭った視線を受けて、眉根を寄せた。
「それ、昼間もみんなから言われたけど、私が喋れるのは、母国語と英語と日本語だけよ。別に凄くなんかない。あなた達だって、日本語と英語と、少なくとも後何か一つ位は喋れるんでしょう? 時間割を見たら第二外国語ってあったわ」
 シャウナが当たり前みたいにそんな事を言うので、妖夢や美貴達は顔を見合わせた。
「日本語は喋れるけど。英語は少し」
「芳香は中国語上手だよね。帰国子女だし」
「ちょっとだけなら喋れるけど」
「私、第二外国語は寝てるから」
 シャウナは腕を組んで唸り声を吐き出す。
「それが理解出来ないのよね。みんなと話していて感じたんだけど、日本の中で完結させようとしているというか、排他的というか」
 妖夢達は気まずそうに顔を合わせ、美貴がシャウナの言葉を遮る様に言った。
「でも、日本語を覚えたのは何で? 日本好きだったの?」
「私の両親が日本の伝承を研究していて、いずれ日本にという話だったから、勉強しておいたの」
「研究? 教授か何かなのか? シャウナのご両親」
 打ち解けづらそうだと思っていたシャウナが、意外にも自分の身の上を包み隠さず話してくれるので、美貴は嬉しくなる。
「何の研究してるの?」
 美貴の問いに、シャウナは空を見上げて答える。
「民俗学を研究していたわ」
「していた?」
 美貴は、シャウナの言葉が過去形な事に嫌な予感を覚えて、鸚鵡返しに聞き返した。
「ええ、していた」
 予感が確信に変わり口を噤んだ美貴に、シャウナははっきりと言った。
「私の両親は、亡くなったの。一ヶ月前に」
 一言で場が沈み込んだ。
「両親二人共?」
 美貴が恐る恐る尋ねるとシャウナは頷いた。
「もしかしてテロで?」
 愛梨が震える唇から言葉を絞り出すと、それに向かって静かに微笑みを浮かべる。それで美貴達は納得した。
 沈み切った場で芳香がぽつりと呟く。
「私達と一緒」
 それを聞いて、シャウナは眉を吊り上げた。
「私達?」
 シャウナの視線が一瞬妖夢を向いてから、芳香に向けられる。芳香は頷いて、何か言おうとして、口ごもった。美貴がそれを引き継ぐ。
「うち等、みんなテロで親を亡くした孤児なんだ。八意の養護施設があってそこに住んでる」
「四人共?」
「いや妖夢は」
 美貴が否定しようとするのを妖夢が遮る。
「私は家があるけど、両親は小さい頃に居なくなった」
 シャウナが遠慮がちに四人を見回す。そして何も言わなかった。
 このままでは場が消沈しきって誰も言葉を発さなくなりそうな雰囲気の中、降りかけた沈黙を振り払う様に、美貴が肩を竦めながら大きな声で言った。
「別に珍しくもないでしょ、今時」
 美貴は笑い、シャウナの肩に手を載せる。
「シャウナだってそうなんでしょ? 仲間だね、うち等」
「美貴!」
 愛梨が諫める様に怒鳴ったので、美貴は慌てて手を除ける。
 愛梨は慌てた様子でシャウナの前に立った。
「ごめんね、美貴が失礼な事言って」
「気にしてないわ。下手に同情されるよりもよっぽど良い」
 シャウナは涼し気な顔で答えたが、愛梨は申し訳無さそうに顔を伏せる。一方で美貴は嬉しそうに笑う。
「そうそう! 下手に同情されるとむかつくよね!」
「美貴! 私達はともかく、シャウナさんはまだ」
 愛梨は再度怒鳴るが、途中で言葉が途切れ、シャウナに視線を向ける。
「ご、ごめんなさい」
 愛梨の言いたい事が分かったシャウナは、涼しい顔のまま首を横に振った。
「まだ私の両親が亡くなって一ヶ月しか経っていないからって事? なら気にしなくて良いわ。美貴の言う通り、同情されるより気負わないでくれた方が楽だもの」
「ごめんなさい。私」
「良いの。仲間でしょう?」
 そう言って見せたシャウナが笑みに、愛梨は蕩かされる。
「うん、ごめん、じゃなくて、ありがとう」
「謝罪もお礼も要らない。他人行儀は抜きにしましょう。仲良くしたいもの」
「うん」
 愛梨が嬉しそうな顔になると、シャウナは満足気に頷いて、今度は妖夢へ振り向いた。
「四人共、昔からの仲なの?」
「美貴と愛梨と芳香は昔から。でも私は一月前」
「そうなの?」
「うん」
 妖夢は言いづらそうにスカートを握り締め、やがて意を決した様子で言った。
「実は、私も一月前に家族が居なくなって。それから美貴達と仲良くなって」
「御両親が亡くなったの?」
 シャウナの問いに、妖夢は首を横に振る。
「二人が死んじゃったのはずっと昔、まだ私が小さかった頃。でも私の家族はまだお爺ちゃんが居たから私には寂しくなかった。だけどそのお爺ちゃんがこの前居なくなっちゃって」
「それもテロで?」
「違う。両親も、お爺ちゃんも。お爺ちゃんは失踪しただけで、まだ生きてるし」
 妖夢はそれ以上言葉を発せなくなり、俯いたまま黙り込んでしまった。
 それを見た美貴は、手を打ち鳴らして注意を自分に向けた。
「ま、そんな感じで、人それぞれ色色あるけれど、今も元気で生きてますって事で。この話はやめにしよう!」
 無理矢理な言葉だったが、これ以上話題を続けようという者は居なかった。
「でさ、シャウナに聞きたいんだけど」
 話頭を変える為シャウナに質問しようとして、美貴の口が止まる。シャウナの事を聞こうとすると、どうしてもシャウナの過去に触れる事となる。そうするとまたシャウナの両親に触れそうで、また蒸し返す事になりそうだ。
 一瞬悩んだ後に、しようとしていた質問を全て捨てて、美貴は言った。
「実はちょっと用事あるんだけど、寄り道していい?」
 唐突な問いに面食らいながらも、シャウナは肯定する。どういう用事かというシャウナの問いに、美貴は芳香へ視線を送って満面の笑みを見せた。
「実は、未来の詩仙が誕生しそうな訳」
「詩仙?」
 シャウナが芳香に視線を送ると、芳香は怒った様子で美貴の肩をぽかぽかと叩きだした。
 どういう事かと訝るシャウナに、美貴が説明しようとすると、芳香が美貴の口を抑えてしまう。しばらく美貴と芳香はじゃれあっていたが、やがて芳香が粘り勝って、行けば分かるからという愛梨の言葉を以って、何の説明も無いまま本屋へ向かう事になった。

 本屋に入るなり、芳香はこそこそと体を縮込めながら、先頭に立って歩き出し、迷う事無く、一冊の雑誌の下まで歩んだ。そうして四人が見守る中、芳香は深呼吸をする。何かに祈る様に手を合わせる。ゆっくりと雑誌へ手を伸ばし、目を閉じて額を表紙に当てる。お願いしますと小声で呟き、ページに手を掛けてめくる。めくる。めくっていき、やがて手が止まる。芳香の体が硬直し、傍で見ていた愛梨が息を飲む。
 そしてしばらくの沈黙の後、芳香は目を見開いた。
「あったー!」
 芳香は急に満面の笑みになると、声を張り上げながら、傍に立つ愛梨に抱き着いた。
「あった? 本当に? あったの?」
「うん! うん! あった!」
 芳香と愛梨はやったと言って抱きしめ合い、涙ぐみ始めた。
 そんな珍妙な二人の様子を眺めながら、シャウナはどういう事かと隣の妖夢に尋ねた。
 妖夢は衆人環境の中ではしゃいでいる二人に苦笑しながら答えた。
「芳香は詩を書いてるんだって」
「詩? ああ、それで自分の作品が雑誌に載ったのね。あの喜び様、初めて載ったの?」
「まだプロって訳じゃなくて。プロになる為の公募があって、それに送ったんだって。それが認められたんだと思う」
「じゃあ、プロとして認められたって事ね」
 シャウナと妖夢は喜び合っている二人を見た。如何にも幸せの絶頂といった様子ではしゃぎ合っている。それを眺めていると、妖夢も幸せな気分になった。友達が喜んでいる様子を見ているのがとても嬉しかった。
 だがそんな気分に水を差す様に、美貴が低い声で言った。
「まだまだだよ」
 妖夢とシャウナの視線が、美貴に向く。美貴は仏頂面で芳香と愛梨を見つめている。
「選考は段階があって、まだ最初。私も調べたけどさ、初めに落とすのはよっぽど下手なのだけなんだって。次から段段難しくなって、最後に残るのは少しだけ」
 不機嫌そうな美貴の様子を、シャウナは不思議そうに見つめる。
「それでも最初を通ったのは確かじゃない。どうして喜んであげないの? 友達なんでしょう? さっきは未来の何とかが誕生するってあなたも嬉しそうだったのに」
 すると美貴は怒った様に、頭一つ高いシャウナを見上げた。
「だってあんなに喜ぶなんて思わなかったし! 芳香が詩を書き始めたのなんか一年位前からだよ? そんな付け焼き刃で最後まで残れる訳無いじゃん。分かってると思ってたのに、あんなに喜んで。落ちたらきっと凄く落ち込むのに」
 段段と美貴の声音が弱弱しくなるのでシャウナは笑った。
「友達思いなのね。でも少し位信じてあげても良いんじゃない?」
 美貴は俯きがちにシャウナへ振り返る。
「信じたいけど」
「もう作品は出してしまっているんでしょう? 私達が信じても信じなくても結果は変わらない。あの子が喜んでも喜ばなくても結果は変わらない。なら素直に選考が進んだ事を喜べば良いじゃない」
 妖夢もそれに同意する。
「そうだよ! 私達、友達なんだから、応援してあげないと!」
 拳を力強く握る妖夢に美貴は怯み、真剣な表情をしているシャウナを見て、観念した様に盛り上がる二人へ向いた。
「それもそっか」
 シャウナに背を向けた美貴は、何だか嬉しそうに「シャウナって意外と熱血なんだね」と言った。そうかしらと首を傾げるシャウナに頷くと、美貴は盛り上がる芳香達に向かって歩き出した。
 美貴が芳香達に加わるのを見届けてから、シャウナは隣の妖夢に尋ねた。
「私って熱血かしら?」
 妖夢が頷くと、シャウナは重ねて聞いた。
「おかしい?」
「おかしくない。むしろ、何ていうか、親近感?」
「ちゃんと学生らしい?」
「多分」
「そう。良かった」
 妖夢はシャウナの顔を見上げる。今の会話の間、シャウナの表情が全く変わっていなかった様に見えた。でも何の感情も持っていない訳ではない筈だ。さっきのやり取りで分かった。ちゃんとシャウナの内側に温かな情がある。感情が表に出づらいのか、単に恥ずかしがっているのか。何となくそこに可愛げの様なものが見えた気がして、妖夢は思わず笑う。
 シャウナが不思議そうに妖夢を見つめ返すと、妖夢は何でも無いと言って、ちょっと度が過ぎた様子で騒いでいる三人を諌める為に歩き出した。
 必死で三人を諌めようとするも取り込まれて、結局四人でもつれ合っている様子を眺めながら、シャウナは自分の胸に手を当てて、無表情のまま呟いた。
「ちゃんと普通になれてる」

 芳香は紙媒体のコーナーに残ると言ったので愛梨がそれに付き添い、美貴は妖夢とシャウナを連れて週刊誌のコーナーに向かった。並ぶ雑誌のスクリーンを一枚取って表紙を映した美貴は「やっぱ可愛いなぁ」と呟いた。後ろから覗きこんだ妖夢は表紙を飾る美しい少女に思わず息を飲んだ。
「誰? 綺麗な子」
「知らないの? モデルのレミリア・スカーレット。ちょっと前から人気になって、色んな雑誌に出てる」
「全然知らなかった」
「流行りに疎いなぁ。この子、自分でファッションショーを主催してるらしくで、ファンの中には日本から態態海外のファッションショーに参加するのも居るんだって」
「凄いね。でも、まあ、これだけ綺麗なら、そういう人も居るのかな」
 表紙に映ったレミリアはまるで人形の様で、自分と同じ人間とは思えない。あまりの格差に、見ているだけで自分という存在が恥ずかしくなる。間近で見たら固まってしまうかもしれない。
 何だか現実感が無いと思ったが、そういえば隣に、同じ位美しい少女が居る事を思い出した。シャウナであればレミリアを前にしてもきっと気後れする事は無いだろう。並んだらさぞや絵になるだろうなと思い描きながら、隣に居るシャウナを見る。
 きっとまた平静な顔をしているだろうと妖夢は予想していたが、シャウナは恐怖で硬直した様に目を見開き、美貴の背後から身を乗り出す様に、食い入って眺めていた。
「シャウナ?」
 妖夢が声を掛けると、シャウナははっとして顔をあげ、険しい顔で美貴の肩を掴んだ。
「こいつは、何処に居るの?」
 肩を掴まれた美貴は驚いて振り返る。
「え? 確か、生まれはルーマニアだったかな?」
「違う。今、何処に居るの?」
「今はアメリカで公演だっけ。来週だか再来週に今度は中国でショー。何? もしかしてファンになった?」
「違う!」
 美貴の冗談めかした言葉を、シャウナは強い口調で否定した。思わぬ拒絶に美貴と妖夢が驚くと、シャウナは首を横に振って息を細く吐き出した。
「ただ、ちょっと気になるだけ。別に、ええ、ファンになったって訳じゃないわ。ただ、そう、綺麗な子だから。肌も白くて、まるで生きた人間じゃないみたいに」
 つっかえながら弁解するシャウナを見て、美貴は笑う。
「でしょ? 人形みたいだよね。そっか、シャウナもファンになっちゃったか」
「ファンになった訳じゃ……それはもう良いわ。それで、来週か再来週には中国に来るのよね?」
 シャウナが美貴に詰め寄る。その剣幕はあまりにも必死で、もしも美貴がそうだと答えれば、レミリアを追って本当に中国まで行ってしまいそうだった。
 必死なシャウナの様子に、美貴は益益笑いながら、シャウナの肩を叩く。
「大丈夫。そんな必死にならなくても、三月には日本に来るから」
「三月? 今年の?」
「そ。再来月」
「日本にこいつが来るの?」
「らしいよ。初の日本公演だって。しかも全国を回るって言ってた。結構長く滞在するって」
 驚愕の表情のまま黙り込んだシャウナを見上げつつ、美貴はわざとらしく腕を組んで頷き出した。
「そうかそうか。そこまで虜になったのか。なら、美貴お姉さんに任せなさい」
 シャウナが固まって動かないので、横から妖夢が尋ねる。
「任せるって何を?」
「公演はこの近くでもあるからそのチケットを。レミリアのショーって物凄く人気でファンクラブに入ってないとチケットが買えないらしいんだよね。っていうか、ファンクラブに入ってても抽選の倍率凄いんだって。でもシャウナがそんなにレミリアを見たがっているのなら、私が何とかチケットを用意してあげようと思ったの」
 聞くだけで、入手は難しそうだと分かる。そんな希少なチケット、そう簡単に手に入れられないだろう。
「出来るの?」
 不安がる妖夢の目の前に、美貴は拳を突き出した。
「頑張る。まあ五枚位なら何とかなるんじゃない? 三月にみんなで見に行こう!」
 ね! と言って、美貴はシャウナへ振り返った。未だ硬直しているシャウナに向かって、美貴はそうかそうかそんなに嬉しいのか実は私も一冊写真集を持ってるから見せてあげるよと言って、目の前にディスプレイを開いて操作を始めた。
 妖夢は、シャウナと友達になれて嬉しそうな美貴と、レミリアの事が気に掛かって硬直しているシャウナを見つめる。美貴は、シャウナが硬直している理由を、レミリアに惹かれたからだと考えている様だが、妖夢の考えは違う。シャウナの表情はとても喜んでいる様に見えない。怒りと恐怖が入り混じっている様に見えた。
 何か胸騒ぎがある。シャウナの見せた驚愕の表情から破滅めいた臭いを感じる。何か取り返しのつかない事が起こる気がする。例えば、そう、レミリアのファッションショーでテロを起こしたりだとか。あまり考えたくは無いし、シャウナがそんな事をする人にも思えなかったが、とにかく何か嫌な予感がする。
 それが杞憂だと妖夢自身も思っている。あまりにも誇大な妄想だ。でも単なる妄想と分かっているからこそ、はっきりさせたかった。こんなくだらない事でシャウナを疑っていたくない。
 だから妖夢はシャウナに確認しようとした。
 どうしてレミリアを見て恐怖めいた感情を浮かべたのか。
 どうして未だにそんな怖い顔でレミリアの映った表紙を見つめているのか。
 でも出来無かった。
 シャウナの表情から察するに、レミリアという存在はシャウナの深い部分に根ざしているらしい事は間違い無い。そしてシャウナはそれを敢えて口にしようとしていない。それを無理矢理暴こうとしたら嫌われてしまうかもしれない。
 結局不吉だ破滅だというのは妄想に過ぎない。だとすれば、そんな妄想の為に、シャウナの触れられたくない部分に触れて、嫌われたくない。
 まだ出会ったばかり。今日一日で随分親しくなった気がするけれど、それでもまだなりかけの状態。これから芽生えさせようと期待している友情の苗をここで潰えさせたくない。
 だから聞かなかった。
 聞いておいた方がきっと良いと思いつつも聞けなかった。何度も聞こうと口を開いたけれど、結局言葉が出て来なかった。
 今、という時間が幸せだったから。両親は居らず、祖父も消えてしまったけれど、その代わりに親友を得て、そして新しく素敵な友達が出来た。そんな今を妖夢は壊したくなかった。
 しばらくして芳香達が戻ってきて、五人で本屋を出た。美貴の素晴らしいアイディアは、たちまちの内に芳香と愛梨に受け入れられて、みんなでファッションショーへ行く事になり、美貴は絶対にチケットを取ると息巻いた。もうすぐ春がくると愛梨が言った。その時には、芳香も詩人になってるなと美貴が笑った。芳香は顔を赤らめてからかわないでと美貴に言った。そうしたらお祝いを兼ねてお花見をしようと愛梨が言った。美貴はそれに賛成して、妖夢の家を借りても大丈夫かと問いかけてきた。妖夢はそれに上の空で答えた。ファッションショーに、芳香の受賞に、お花見に、楽しい事尽くめだなと美貴が笑った。愛梨がそれに同意して、芳香は恥ずかしそうに美貴へ抗議した。
 そんな美貴達の会話には殆ど加わらず、妖夢はずっと隣のシャウナを見つめていた。シャウナは本屋を出てからずっと沈思して、険しい表情のまま一言も発する事が無い。楽しそうに話す美貴達と険しい顔のシャウナ、妖夢にはそれぞれが別の次元に隔てられている様に見えて、何故だろう、身の内が震える様な不安を覚えた。

 皆と別れて家に返って来た妖夢が玄関を開けると、一斉に廊下の灯りがついた。お爺ちゃんは帰って来て居ないのかと溜息を吐く。もしも家に居るのなら、廊下の灯りは最初から点いていた筈だ。灯りが点いていなかったという事は、誰も居ないという事で。
 無駄に広い屋敷の中に張り巡らされた冷たく静まった廊下を歩いていると不気味な気配が纏わり付いてくる様な気がする。
 何だか恐ろしい気持ちを抱いて、それを吹き飛ばす為に、妖夢は庭に面した廊下を歩きながら外を見つめた。月の明るい夜の下、自慢の庭には桜が植え座っている。けれどまだ時期尚早で、花が咲くには時間が必要だ。
 後二ヶ月もすれば咲き誇るだろう。その時には、友達と花見をする。賑やかな友達の様子を思い浮かべると、今の薄暗く静まり返った屋敷の寒寒しさが更にはっきりと感じられた。
 妖夢は花見の喧騒を思い出しながら、桜を間近で見ようと靴も履かずに庭へ降りた。妖夢の祖父が居ればきっと叱ってくれただろう。けれど今は居ない。いずれ帰って来ると信じている。でも今は、居ない。妖夢を置いて消えてしまった。
 妖夢は居並ぶ桜に近付いた。太い幹は力強く、満開の時が素晴らしい光景になるだろう事を予感させてくれる。
 立派に育ったものだと妖夢は思う。実は、この庭に生えている桜林は元元、屋敷の裏庭にあった物だ。それを妖夢がまだ物心つくかつかないかの時に、表へ移した。初めの内は枯れる木も多かったそうだが、今ではもうそんな面影は無い。毎年見事に花を咲かせてくれる。
 妖夢は不意に振り返った。誰か人の気配を感じた。だが振り返って見渡しても、庭にも縁側にも誰も居ない。筈なのに、恐怖心がいや増していく。薄暗い中、茫洋とした屋敷が不気味に思えた。
 妖夢の喉が鳴った。
 妖夢の視線が、左に向く。屋敷の側面の暗がりに目を向ける。石畳が屋敷の裏手へ回りこむ様に敷かれている。裏庭へと向かう道が続いている。その向こうに、闇がどろどろとわだかまっている。まるで粘性の巨大な生き物が口を開けている様に見えた。
 ふと、呪いという言葉が頭をよぎった。
 何かで知った言葉だ。
 亡霊だとか怪物だとか、得体のしれない存在が、人を悪い方へ導く。それを呪いというらしい。
 あのわだかまった闇をくぐれば私は呪われるのだろうかと妖夢は思った。
 荒唐無稽な思いつきだが、今の妖夢にとっては真実味のある気付きだ。
 妖夢は周囲に隠している事がある。
 それは裏庭にある一本の大樹の事であり、そして両親の死と祖父の失踪に関する事でもある。
 妖夢は息を飲み込んだ後、誘われる様に裏庭へ向かった。石畳に沿って歩き、光の届かない屋敷の横手へ回り、荒れた地面の砂利を蹴りながら進むと、鬱蒼と生い茂った裏庭へ回り込んだ。生い茂る木木が光を遮って薄暗い。だが一箇所だけ月の光が辛うじて差し込んでいる場所があり、一本の枯れた大樹が真っ青に照らされている。鬱蒼と生い茂る林の中、その大樹の周りだけ木が生えておらず、それどころか草の一本も生えていない。まるで周囲を無理矢理押しのけているかの様に、他を寄せ付けず立つそれは西行妖と呼ばれる咲かない大桜。人を呪い殺すと言い伝えられてきた曰くつき。
 勿論それは伝承や噂の類であって、この御時世、呪いなんて本気で信じている者は居ない。
 だが事実として、妖夢の両親はこの桜の下で死んだ。
 妖夢の抱える秘密はそれにある。
 それはずっと昔、妖夢がまだ物心がつくかつかないかの頃、ぼんやりとした酷く曖昧な記憶の事。
 妖夢は両親とこの桜を見上げていた。何か話していた気がするが、内容は覚えていない。覚えているのは桜を見上げて笑う両親の顔。そして桜の下に立っている、桃色の髪をした見覚えの無い少女の姿。記憶を辿ってみてもそんな少女と出会った覚えは無い。だがその見覚えの無い少女は、妖夢の記憶の中で、確かに桜の下に立っていて、妖夢にはその少女が酷く不吉に見えた。
 そのすぐ後に、妖夢の両親は桜の木の下で死んだ。らしい。
 らしいというのはつまり、妖夢はその当時の事を殆ど覚えていない。幼かったという事もあるが、きっと現実に直面し切れずに記憶を封印したのだろうと妖夢は考えていた。幾ら幼くとも両親の死という衝撃的な事があれば、ある程度記憶が残っていなければおかしいのに、先述の桜の木を見上げていた事しか覚えていない。
 そんな訳で妖夢は自分の両親が死んだ顛末を殆ど知らない。一度、何があったのか気になって妖夢は祖父に尋ねてみたが、詳しい事は教えてもらえず、忘れる様に諭された。妖夢は祖父の言葉を素直に守り、詮索する事を止めた。だから妖夢が事件について知っているのは、両親が桜の木の下で死んだ事。そして、その時一緒に、元元のこの屋敷の所有者である少女も死んだという事だけだ。
 この屋敷は元元は西行寺という一族の物であり、妖夢の祖父や両親は屋敷の管理を任されていた筆頭使用人の一族であった。だが西行寺の一族に不幸が続き、一人の少女だけになった。丁度妖夢が幼かった頃だ。そしてその少女も死んでしまい、遺言によって家は妖夢の祖父が譲り受けた。そういう事実を鑑みれば、桜の木の下に居た少女は西行寺の娘であり、両親と一緒に亡くなったのだろうと想像つく。だが肝心の証拠が無く、何故かその西行寺の娘の姿も、加えて妖夢の両親の姿も見つからない。何処のデータを探しても写真一つ残っていなかった。
 とにかく曖昧な記憶ではっきりとした事は殆ど分からない。だがその記憶はきっと両親の死の直前であると証拠も無く信じていた。そしてその記憶に登場する桃色の少女の笑顔は妖夢の記憶へ強烈に焼き付いている。両親の死、少女の笑顔、それは自然と結びついた。想像は膨れ上がり、妖夢には少女が幽霊か化物に思えた。小学校の頃は夢でうなされる事もあった。
 勿論記憶の中の少女が幽霊や化物だというのは、妖夢の印象でしか無く、実際にはそれが西行寺の娘という明確な正体を持っているとも分かってはいるのだが、幼かった妖夢にはそれを理性で納得する事が出来ず、ただ感情のままに記憶の中の少女を恐れ、両親が亡くなった原因だと信じ込んでいた。
 結局「桜の下で微笑む見知らぬ少女」という不可解な記憶が「忘れているだけでかつてこの屋敷に住んでいた西行寺の女の子」という輪郭に完全に落とし込まれたのは、結局小学校を卒業する少し前だった。
 切っ掛けは単純で、小学校を卒業する時に祖父から、中学校に上がるのならもっとしっかりしなければならない、と生活全般に対する指摘を受けた事。妖夢はそれを素直に受け取り大人になろうと決意した。そしてその決意の通りに、寝坊泣き虫怖がり好き嫌い欲しがり甘えん坊といった子供っぽさを直す中で、記憶の中の少女に対する恐れもいつの間にか消えていた。
 そうして妖夢は記憶の中の少女を恐れなくなった。
 そこで終われば幼い頃の勘違いで済んだ。
 だがそうならなかった。
 災厄は忘れてた頃にやってくるとは言い得て妙で、すっかりと恐れを克服した中学生の妖夢だったが、ある日この西行妖の下、記憶の中と寸分違わない少女を目撃してしまう。記憶の中と寸分たがわない少女が桜の下で、透明な笑みを浮かべて妖夢の事を見つめていた。妖夢は驚きと恐怖のあまり狂乱し、慌ててそ祖父に報告した。すると普段は落ち着き払った祖父までが酷く取り乱し、誰にも口外するなと強い口調で戒められた。妖夢は訳も分からずに怯える事しか出来ず、その日は久しぶりに夢で桜の少女の悪夢にうなされた。満足に寝入る事が出来ず夜中に起き抜けて、祖父に添い寝を求めて屋敷の中をさまよった。しかし、祖父は見つからなかった。朝になっても居なかった。その日を境に祖父は消えた。
 一度は迷信じみた恐怖を克服した妖夢だったが、今はまた少女を恐れていた。呪いという言葉を知ってからは、両親の死も祖父の失踪も、桜の少女の所為だと考える様になった。
 両親が亡くなった時も、祖父が消えた時も、あの少女を見た。見る者を消してしまう不吉な少女は、やはり桜の亡霊なのだろうと思う。亡霊に呪われた所為で両親が死に、そして祖父は消えたのだ。あまりにも荒唐無稽な話だから誰にも話す事が出来無い。いや、少女の事を伝えた祖父が翌日消えてしまった事を思えば、誰かにこの事を話したら呪いが感染してしまう可能性がある。だから妖夢は誰にも言う事が出来ず、悶悶と少女を恐れていた。
 ずっと、祖父が消えた時からずっと、妖夢は桜の亡霊を恐れ、二度とこの西行妖に近づくまいと固く戒めていた。
 だというのに、妖夢は今、自らの戒めを破って西行妖を前にしている。
 破戒の理由を妖夢は説明する事が出来無いし、敢えて説明をするのなら、これもまた亡霊の呪いという事になるだろう。
 呪いが、妖夢を呼んだ。
 呪いに呼ばれた妖夢は今、その顔を強張らせ立ち尽くしている。恐れて当然だろう。妖夢の視線の先に、少女が立っているのだ。両親が亡くなった時にも祖父が失踪した時にも見た、あの桜色の髪をした少女が、薄っすらと微笑み、立っている。
 妖夢は慄いて固まり、ただ呆然と立ち尽くす。
 そんな妖夢にくすりと笑みを向けて、桃色の髪をした少女は桜の木の下を離れ妖夢へ近づいた。
 妖夢の足の震えが大きくなる。口の奥底から、言葉にならない悲鳴じみた声が漏れ出てくる。
 そんな妖夢の前に、少女は立つと、そっと手を妖夢の頬に添えた。
「血の臭いがするわ」
 震える妖夢の頬を撫ぜながら、少女は笑う。
「今度は誰を殺したの?」



続き
~其は赤にして赤編 4(剣士1中)
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コメント



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5.90名前が無い程度の能力削除
少女の世界にハードボイドなおっさんが介入するこのロリータ的危うさ
そして猟奇事件
相変わらず危うい世界ですね