Coolier - 新生・東方創想話

Wlii  ~其は赤にして赤編 1

2014/11/25 00:38:01
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夢が偽りだというのならこの世界は嘘吐き達の住む箱庭



   序章 We live in peace of immediate world.

 蓮子はビルの屋上の縁に座っていた。
 そのビルは遥かな高さを誇る細長い円筒で、遠くから見ればまるで針の様に見えた。
 その天辺に座る蓮子が下を見下ろせば、遥か遠く下に広がる町並みは、ただ漠然とした光の煌めきに見える。それを眺めながら、蓮子は下の展望フロアから聞こえる阿鼻叫喚の騒ぎ声をじっと無表情で聞いている。
「今日は五周年記念よ、蓮子!」
 背後の声に振り返ると、メリーが笑顔で立っていた。下の階から凄惨な叫び声が聞こえる中で、その笑顔は酷く歪に見えた。
「勿論何の記念かは覚えているわよね?」
 蓮子は少し考えた。心当たりが無いのではなく、多すぎる。
「私達が、可能性空間移動船に乗って、元の世界から逃げ出して、こっちの世界で暮らし始めた記念?」
 メリーが眉を顰める。
「逃げたのとは違う。私達秘封倶楽部は新たな謎を追い求めに来たのよ!」
 はいはいと適当に答えて、蓮子は元に戻って、遠く、国境をも越えた先の水平線を眺めた。
「じゃあ、蓮子、今日から五年後の未来は何の記念日だか分かる?」
 蓮子は考える。今度は全く心当たりが無い。五年後といえば、二十一歳、大学に通って、普通に秘封活動に従事している。それだけの筈だ。
「ごめん、分かんない。何?」
「ごめん、適当に言ったから何も考えてない」
 阿呆かと言いたかったが堪えた。何となくここでつっこみを入れれば、メリーの馬鹿馬鹿しい話に乗ってしまう事になり、そうすると下の階で恐慌に陥り混乱をきたしている人達に申し訳が立たない気がした。
「何か無い? 蓮子」
「うーん、特には。あ、いや」
「何かあるの?」
「確か今日の五年後は、飛び降り自殺の死者数が交通事故の死者数を追い抜いた日だった様な」
「何よそれ」
 メリーが拗ねた様子で息を吐いた。思いつかないのだから仕方が無い。
「まあ、良いや。じゃあ、蓮子、今日は何の日だか分かる?」
 最初からそれが本題だったのだろう、今までより一層嬉しそうな声音で近づいて来たすぐ後ろからメリーの期待の重圧を感じつつ、蓮子は考える。メリーが何を言いたいのかは分かっている。こんな粗末な誘導尋問に乗っかってしまう事が癪で、ふざけた回答をしようかと思ったが、止めた。
 それは茶化してはならない事の様な気がした。
 蓮子は頭を仰け反らせて背後に立つメリーと視線を合わせる。
「私とメリーが結ばれた日」
 その瞬間、ビルの一階から連鎖的に火薬が炸裂し、瞬く間にビルは炎の柱となって崩れ落ちた。



   第一章 其は赤にして赤
    第一節 Scarlet prologue

 こんな事があった。
 真昼間の大通り、制限速度を遥かに超えた車達が三車線を行き交う中に突然男達が飛び込み、何のためらいも無く走っていた車にぶつかった。ブレーキ音が鳴り響いたのは車が男に突撃した後の事で、結局車達は男達を跳ね飛ばし、そして急ブレーキを掛けた所為で後ろから追突され、更なる惨事を巻き起こした。後続の車達が次次にブレーキを掛けながら前の車に激突していく中で車が一台、ハンドルを切り損ない反対の車線へ。衝突の連鎖は対向の三車線にも伝播し、結局六車線全てが人や車の残骸を炎が舐める凄惨な事故現場となった。
 やがて警察や救急車がやってきて、事故現場を整理しながら、あるいは死にあるいは生き残る者を選別していく中で、初めに車へ飛び込んだ男達は、血塗れになり四肢が捻じ曲がっていたものの、原形を留め、笑っていた。

 こんな事があった。
 白昼の商店街にゴルフバックを持った少女がやってきた。
 少女は歩いていた女性の前に立ち一つ微笑むと、ゴルフバックから長刀を取り出し、呆然としていた女性の腹に向かって一突きした。それで止まらなかった。少女は長刀に絶命した女性を突き刺したまま、脇目も振らずにそのまま真っ直ぐと駆け続けた。商店街の道を真っ直ぐと。運悪くコース上に居た者達を次次と突き刺し、刀を串にした人間団子を作る。連なる死体で刃が隠れると死体を剥ぎ取りながら、アーケードの最後まで突き進んだ。
 商店街の終わりのアーチを潜った少女は長刀を捨てて、背後に転がる死体に等見向きもせずに、両手を振り上げて晴れ晴れしく笑った。
 真っ赤に染まった少女が浮かべる清清しい笑顔は、それから何度もニュースの画面に映し出されて人人の興味を惹いた。

 こんな事があった。
 遊園地で高校生の男女が仲睦まじい様子で、振り子の様に回転する巨大なアトラクションの順番待ちをしていた。そのあまりにも人目を憚らない様子に誰もがその二人の事を見つめていた。
 やがて乗り込む時になって、二人は、座席の両端に座った客に無理を言って席を替わり、男が右側の支柱脇の席、女が左側の支柱脇の席にそれぞれ座る事になった。どうして仲睦まじ気にしていた二人が離れ離れになって座るのか誰もが不思議に思ったが、その疑問が解決する前にアトラクションは動き出した。
 そしてアトラクションの動きが最高潮になった時、突然男女は椅子に固定する器具を破壊して身を乗り出し、座席を振り回す支柱を叩き始めた。それに皆が疑問を持つよりも先に、鋼鉄で出来た支柱が人間の手によってあっさりと破壊され、十五人を乗せた座席は支柱から外れ高空に放り出され、そのまま園内のレストランに突っ込んで、辺りを赤く染めた。
 赤く染まったレストランの中で、死んで黙った者と生きて呻き声を上げる者達に囲まれた男女は、けたたましく笑いながら美味しそうだねとはしゃいでいた。

 こんな事があった。



    第二節 老刑事の邂逅

 交番に勤務する老年警官の不動は備品の購入申請を入力し終えると、伸びをして交番の外に出た。晴れ渡った空に気持ちの良いものを感じながらもう一度伸びをし、欠伸まで加える。
「お疲れですね、お巡りさん」
 横合いから声を掛けられて不動は慌てて欠伸を収め、直立不動の姿勢になった。
「これは恥ずかしい所を」
 不動が決まり悪気に制帽を脱いで白髪を掻くと、声を掛けてきた青年は笑う。
「今日は忙しいんですか?」
 青年に問われて不動はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、暇で暇で思わず欠伸を」
「そりゃ良い。お巡りさんが暇なら町は安全って事ですね」
「まあ、そういう事で。そちらは、外回りから帰って来た所ですか?」
 不動は交番近くの営業所に勤務する青年の様子を観察する。汗を掻いているのは、最近春めいて暑くなってきたからだろう。疲れた表情は、午前中の客先回りで何かあったか。
「ええ、お昼なので」
「午後もまた外へ?」
「いつも通り午後も数社定期訪問する予定。だったんですけどね。午前中にトラブルが起こって取り止めです」
「ほう、トラブル」
 不動の言葉に、青年はおどけた様子で肩をすくめる。
「ああ、そんな横領とか談合とか警察の手を煩わせるトラブルじゃありませんよ」
「分かっていますとも」
「マシントラブルがあって。ああ、午後どころか明日も調整と謝罪で丸潰れの予感がします」
「なら、精のつくものを食べて英気を養わないと」
「そうですね。まあ、いつもの妻の弁当ですけど」
「奥さんの料理が一番ですよ」
 青年は時間を確認すると、忙しくなるのでと言って、営業所の方へ走っていった。不動はそれを見送ってからもう一度伸びをする。交番の中からニュースが聞こえてくる。
 ニュースは、最近不動の住む都市の周辺で起こっているスカーレット事件という凶悪事件を報じている。今まで普通に暮らしていた加害者が突如として豹変し辺りを血で染めるという事件で、薬物が関わっているだとか、新興宗教が関わっているだとか、あれこれ言われているが、未だ解決に至っておらず、連日の様に何処かで血の海が作られている。
 凶悪事件なんて今更珍しくもない事件だ。不動が物心つくよりもずっと昔からテロの時代に突入したと言われ、テロを始めとした大小様様な凶悪事件が世界各地で起こっている。不動自身も幼少からテロには煮え湯を飲まされ続けた。女房もテロで亡くした。警官になったのもテロがあったからだ。三十代の中頃までは刑事としてテロを始めとした凶悪事件に当たっていたが、事件に対する苛烈な捜査が危険視されて交番に異動となり、以後は交番勤務のお巡りさんとしてのんびりと暮らしている。未だ心にはテロに対する憎しみが燻っているものの表には出さず、今ではすっかり好好爺のお巡りさんとして町の人人に受け入れられている。
 不動の勤務する交番の管轄ではまだスカーレット事件は起こっていないが、連日多発しているスカーレット事件を思えば、安全な場所等無いと言って良い。凶悪事件は唐突に牙を剥く。それを知っていると不動は予兆を見逃さない様に、近頃いつも以上に辺りに気を配って勤務していた。
「不動さん、どうしたんですか怖い顔をして」
 不動が振り返ると、もう腰の曲がり掛けた百歳を超える老婆が二人、並んで立っていた。
「ああ、いや、暇を持て余していて。お二人はどちらに?」
 不動が姿勢を正してから、問うと、老婆達は恥ずかしそうに笑う。
「いえね、実は水泳をはじめて見ようかと思って」
「ほら、老人の健康に良いって、最近ブームでしょ?」
 水泳? と不動の目が鋭くなった。水泳施設はここから随分と離れている。近くに交通機関の停留所もない。それなのにどうしてこんな場所を歩いているのか。
「それで、プールまで歩こうと思って。運動の為に。運動しないと」
「私はどうせプールで運動するんだからって言ってるのに、この人聞かないのよ。頑固で。駄目ね、年寄りは」
「はあ、まあ、運動は良い事ですけどね。私も最近休みは孫と公園で遊んでますよ」
「あら、良いわね」
「不動さんもプールご一緒しない? 美女二人と」
 そう言って老婆がしなを作るので、不動は苦笑して白髪を掻いた。
「いえ、まだ公務中ですので」
「冗談よ。こんなお婆ちゃん嫌でしょ」
「でも気が向いたらいつでも言ってね。会員を紹介すると商品券もらえるのよ」
 老婆達が笑いながら去っていく。不動はそれを見送って、辺りを見回し、誰も居ない事を確認すると、交番の中に戻った。スカーレット事件のニュースは終わり、すっかりと春めいてきた陽気を報じている。
 そろそろ入学式かと不動は頬を緩める。一番上の孫がもうすぐ小学校に通う歳だ。テロに関わってきた所為で自分の入学式も子供の入学式も出られなかった不動は、「孫の入学式には出たいところだ」と独り言ちた。孫の笑顔を思い出しながら、快晴の外を見る。朗らかな陽気が心地良く、こんな平和がずっと続けば良いと思った。
 交番に移ってからの人生は平和その物だ。この交番に勤務してから三十年、不動の担当する区域は、人口こそ多いが平和な区画で、勿論殺人や強盗、死亡事故等、人の死に関わる事件が無い訳ではないが、凶悪事件を捜査していた時の様なあまりにも悲惨な事件は一度としてなかった。思い切って家族で引っ越してからも三十年、この町はもう勝手知ったる自分の町だ。個人としても警官としても町の人人と親しくなり、家族の様な気さえする。定年まで後五年。勿論、老齢勤務試験を受けて就職可能年齢を引き上げ、引き続き警官を続ける気では居るが、第一の定年というのは一つの節目に違いない。まさか自分がこうも平穏に定年まで勤め上げられるとは、警官になった当時は思っても居なかった。
 平穏な生活。
 平穏な町。
 平穏な人人。
 平穏が、続いている。
 それがいつまでも続いて欲しいと不動は心から願っていた。

 パトロールに出掛けている途中で交通事故に対応し、帰って書類を完成させると、一件の落し物が届いたので処理をした。その頃には夕暮れが近くなっていた。今日は夜まで勤務だからまだまだ交番から離れられない。家族はどうしているだろうかと考えながら外を眺めると、近所の高校生が下校していた。
「こんにちは!」
 突然交番を覗きこんで挨拶をしてきた少女が居た。
「ああ、妖夢ちゃん」
 不動は手を挙げて挨拶を返す。妖夢は不動が気にかけている住人の一人だ。幼い頃に両親を亡くしてから祖父と二人で住んでいたが、その祖父が一年前に失踪して以来、妖夢は一人きりで大きなお屋敷に住んでいる。妖夢は未だに祖父が戻ってくると信じて待っている様だが、一年も失踪したままである。不動はきっと戻ってこないだろうと思っている。親戚や施設に引き取られるという話を聞かぬまま、妖夢は今も一人、屋敷で祖父を待っている。大きなお屋敷に子供が一人だけという強盗等からすれば格好の標的なので、不動はパトロールの巡回ルートに妖夢の家を含めたる等、何かと注意を払っていた。近隣住民も皆妖夢の事を気に掛け何かと世話を焼いていたり、妖夢の学校の友達が頻繁に泊まりこんだりと、皆に守られている事も幸いして、強盗に入られたりだとか怪しい人間に拐かされたりだとか、犯罪に巻き込まれた事は未だ無い。
「学校の帰り?」
「はい! 買い物して、これから友達と家でお花見を!」
 そう言って、妖夢が手に持っていた袋を掲げた。さっとアルコールの類が無い事を確認してから、笑みを作る。
「ああ、妖夢ちゃん家の桜は綺麗だから」
 妖夢の家は桜の名所として近隣で有名だ。年に一度、自治体が借りて、桜見を催す程に。
「不動さんも来ます?」
「若者の邪魔をする気はないから、遠慮しておくよ。友達と花見をするんだろう? 仲良くおやんなさい」
 元気にやっているのならそれは良い事だと妖夢を送り出そうとして、ふと扉の陰に誰か居る事に気がついた。隠れて見えなかったが、ずっと妖夢の隣に誰かが居た様だ。友達だろうかと覗きこもうとすると、妖夢は歩き出し、その後ろにつく様にして、少女が現れた。
 不動は思わず眉を吊り上げる。明らかに日本人離れした顔立ちの美しい少女だ。妖夢と同じ高校の制服を着ている。そう言えば、少し前に留学生が来たという話を思い出した。
 だが、そんな事はどうでも良かった。直感が不動の警戒を跳ね上げる。その異国の少女の目。少女が笑みを浮かべて会釈した一瞬、その瞳の奥に怜悧な無情さがちらついた様に見えた。その少女の右手。腰の辺りに据えたまま動かそうとしていないのは、武器を素早く取り出す為に訓練を受けた姿勢に見えた。少女の全身から何か高校生離れした殺気を感じる。
 それは証拠の無い想像だ。その怪しい少女が何かした訳では無い。だから不動は笑顔を作って会釈せざるを得なかった。だが直感はひたすら警鐘を鳴らし続けている。不動は、二人が交番を離れてからも、少女を目で追い、道を曲がって消えるまで、眺め続けた。その間、不審な動きは一切なかった。だが怖気めいた印象が残った。何か嫌な予感が、胸の中で騒いでいた。

 日も暮れて、すっかりと辺りが暗くなった頃、不動は日誌をまとめ終えて、交代が来るのを待った。外を見ると、街灯がそこかしこに灯っている。月も見える。いつも通りの静かな夜だ。ニュースではまたスカーレット事件で沢山の人間が死んだと報じられている。この報道も最近ではいつもの事になった。そしていつもの様に気分が悪くなる。人が大勢死んでいる。過去の事件が去来する。テロに苦しみ続けてきた人生が頭にこびりつく。早く解決してくれれば良いのだがと独り言ちる。多くの人が苦しんでいるのに何も出来ていない。解決出来無い警察も、ここで呑気にしている自分も。警察の不甲斐なさを嘆きながら、不動は月を眺め続けた。
「どうも、不動さん、遅くなりました」
「いえ、定刻前ですよ」
 やってきた警官と交代して、不動は交番を後にした。いつもであればこのまま真っ直ぐに警察署へ戻る所だが、今日は少しだけ妖夢の家へ寄り道をする事にした。パトロールだと自分に言い聞かせるが、実際は根拠の無い不安から来た強迫観念だとは分かっている。
 いや、根拠はある。あの異国の少女の目だ。あれが不安を煽る。この平穏な日常が壊れてしまう気がする。
 夜は進み、もうすっかりと遅くなっている。眠っていたら迷惑になるだろうと自分の行為を自己批判しつつも、不動は意を決して妖夢の家の前に車を止め、所持している拳銃を確認してから、車を降りた。
 開け放された正門の前に立ち、傍のインターホンを鳴らそうと手を伸ばした時、ふと風に乗って、啜り泣きと、血の臭いが漂ってきた。
 不動の中の平和ボケが一瞬で打ち壊され、全身が粟立った。迷う事無く開け放たれた門を潜る。門を抜けた瞬間、血の臭いが一層濃く漂ってくる。桜の花弁が舞っている。少女の泣き声が聞こえている。何かあった事は明白だ。
 花見をすると聞いていたので、桜の咲き誇る庭に駆け込んだが、妖夢の姿は無い。血の臭いも少女の泣き声ももっと奥からやってきている。少女の泣き声を追って庭を駆けた。走りながら不動は昔聞いた噂を思い出した。妖夢の屋敷の裏庭に、咲かない桜の大樹がある。その桜は人を死に誘う呪いの桜で、かつて満開になった時は、屋敷の人間を皆殺しにした。
 不動はどんどんと濃くなる血の臭いを嗅いで歯を噛み締めながら、拳銃を手に取り、裏庭へ駆けた。
 角を曲がり、裏庭に着いた不動は、足を止めてそれを見た。
 満開の桜が咲き誇っていた。
 巨大な美しい桜だ。
 そしてその根の部分には幾つもの死体が積み重なっていた。
 桜の下に死体が満ち溢れている。
 悲痛で惨たらしい桜が夜の月の下で咲き誇っている。
 不動はその光景を見て、動く事が出来なかった。
 大勢の人間が夥しい血を流し息絶えている。その死体の中に座り込み妖夢が泣いている。張り裂けそうな泣き声が辺りに響き渡っている。縋り付き、目を覚ます様に訴える先は、不動も見覚えのある妖夢の親友達。
 不動は目の前の惨劇を見て、自分がこの町で営んできた平穏が脆くも崩れ去った事を悟った。自分の暮らす町にもついに、連日報道されているスカーレット事件が及んだのだ。
 テロ事件が再び、不動の足を浸し始めた。
 泣いている少女に過去が重なる。
 血に塗れて泣く自分の姿が。
 腕の中で息絶えた妻の姿が。
 不動は満開の桜の下で泣く少女を見つめながら、ただ自分の無力さを噛み締めた。

 不動は頭を振って頭の中にこびりついた惨劇を振り払い、コーヒーを一気に飲み干して車から降りた。
 妖夢の屋敷で大量自殺が起きたのは、一週間前。それから毎日不動は、あの桜の夢を見る。日中も気を抜くと思い出してしまう。
 あの日を境に、不動の中の平穏は完全に崩れ去った。もう、平穏な町を見守るお巡りさんでは居られなくなった。代わりにスカーレット事件を追う刑事となった。
 妖夢の屋敷で起こった桜の惨劇はスカーレット事件と断定された。血中から特定の薬物反応があったらしい。十数人が同時に自殺したという異例の事件だが、スカーレット事件として見れば、周囲に被害が出ていない分、良心的と見做されたのか、大したニュースにもならなかった。そんな風に判断基準を狂わせる程、スカーレット事件は狂っている。
 事件後の妖夢も気に掛かかる。事件の日から妖夢は外に出ていないという。妖夢が親友達に縋り付いていた光景を思い出して、不動の胸が痛む。丁度あの日に花見をした三人の親友がみんな首を掻っ切っており、妖夢は泣き叫びながら、親友達の首の傷を塞ごうと手で押さえていた。不動が幾ら声を掛けても、妖夢は狂乱して声を張り裂かせ、死に絶えた親友の傷を塞ごうとし続けた。結局妖夢は体力を消耗しすぎて失神するまで泣き止む事は無かった。聞いたところによれば、妖夢は今、病院や警察による保護、カウンセリング等、警察が差し伸べた手を全て拒絶して、屋敷の中に閉じこもっているらしい。あんな経験をしたのだ。一週間やそこ等で立ち直れる訳が無い。一週間こもり続けているというのは体調の面からも精神的な面からも不安視されている。何としても早期に立ち直らせる必要と判断されて、今日明日中にカウンセラが無理矢理にでも訪問して世話をするらしい。だがそれだけでは最低限の対応にしかならない。桜の下で狂乱した妖夢の姿を考えれば、立ち直るには相当の時間を要するだろう。そしてきっと立ち直ったとしても、目の前で見た親友の死は一生頭の中にこびりつき、いつまでも苦しめられる。
 不動は思い出していた。
 テロとはこういうものだ。
 関わった者達を無理矢理絶望のどん底に叩き落すのがテロだ。
 そこにどんな美辞麗句や大義名分を掲げようと、虐殺は虐殺でしかない。
 平穏な日常が続き、忘れていた。
 不動もかつてテロに巻き込まれ、心の底からテロを憎悪していた。
 その時の感覚をようやく思い出し始めている。テロは何としても殲滅しなければならない。このスカーレット事件も同じだ。人を不幸に至らしめる凶悪事件は必ず解決しなければならない。

 スカーレット事件の対策本部はだだっ広い会議室で簡易的な机と椅子が並ぶだけの粗末な場所だ。慌てて人員を増やしたものの、収容する場所がない為、スカーレット事件の為に呼ばれた刑事達は、皆まともなデスクも無いこの対策本部に押し込められている。
 不動も今はここに席を置いている。現在起こっているスカーレット事件を捜査する為だ。一週間前の事件が切っ掛けかは不明だが、不動は交番から異動して、三十年ぶりに刑事へ戻った。
 だが奇妙な事に、刑事として事件を捜査する為に呼ばれながら、本隊から離れた別働隊として情報収集を任された。しかも下には、まだ配属されて数ヶ月という新人の刑事が一人あてがわれただけ。本隊と離れてたったの二人で捜査しろというのは全く解せない。まるでまだまともに事件に関われない新人に、現場の空気を味わわせる為のOJT状態だ。だがこの大事件にそんな余裕があるとも思えない。
 動員した捜査員の数を水増しして世間に報告する為だろうかと不動は睨んでいた。スカーレット事件の規模が大きくなるにつれ、世間の注目は集まり続けている。そして解結出来無い事に対して、警察への批判は日に日に高まっている。その批判対策として、これだけ頑張っていますとアピールする為に、捜査員の動員数を増やしているんじゃないだろうか。あまりにも無理矢理な動員だから、交番で勤務していた老人と、配属したばかりの新人なんていう、どこでも戦力にならなそうな不動と道梨も数合わせとして組み込まれたのではと疑ってしまう。
 妄言だとは自分でも分かっている。ただそれだけの為に、態態呼び戻されたなんて、思えないし、思いたくない。だが交番へ異動させられた時の失望感と恨みからか、不動は上層部の決定に対して、斜に構えてしまう事があった。
 とは言え、捜査を任されている事は確かだ。市民の安全を守る警察の一員として、何としても大量の人間が殺される惨劇を食い止めなければならない。不動はテロが嫌いだ。まともな人間なら嫌いで当然だが、不動の思いは人一倍強い。不動自身がテロリストに攫われ人生を狂わされた。そして立ち直るきっかけとなった妻も、テロによって殺された。その恨みは誰よりも強い。
「不動さん、おはようございます」
 顔見知りの刑事に声を掛けられたので、挨拶を交わすと、相手は呆れた顔で不動のデスクを目で示した。
「あの新人、かわいそうだから早く行ってやんなよ」
「分かってる」
 不動の席は、スカーレット事件の対策本部になっただだ広い会議室の端っこにある。不動が周りに挨拶をしながら、自分の席まで行くと、席の近くで意味も無く座ったり立ったりしている新人刑事が居た。道梨という、不動の新しい部下だ。
「おはよう、道梨君」
「おはようです、不動さん!」
 声を掛けると、途端に笑顔を浮かべ、元気に挨拶してくる。新人は元気が良ければ良いという言葉は尤もだと思うが、ここの所ずっと部下なんか持っていなかった不動には、目の前の元気だけの青年が何だか危なっかしく見える。
「立ったり座ったり、何をしていたんだ?」
「はい! 事件の事を考えていたんですけど、考えがまとまらないので、血流を良くしようとスクワットしていました! 前に走りまわちゃ駄目だって不動さんに言われたので、その場で運動をしていました!」
「そうか。それで考えはまとまったか?」
「いえ! 全くです!」
「そうか。今度から机の傍に居るときは極力椅子に座っていなさい。周りの迷惑だから。血流を良くする時は、その場でするんじゃなくて、少し外を、走らずに、散歩してくる様に」
「分かりました!」
 元気の良い返事だが、不安になる。本当に理解したのだろうか。だが、それを一一指摘していたのでは、一応大人である道梨のプライドを傷つけそうなので、とりあえず信じてみる事にした。
「それで、考えというのは、スカーレット事件についてかな?」
「当たり前じゃないですか! 今、担当しているんですから!」
 良かったと思う。これで今日の晩御飯について考えていたら脱力して立ち上がれなくなっていただろう。だがスカーレット事件の対策会議の質疑応答にて、事前に調べもせずに参加し、全員の前でスカーレット事件って何ですかと聞いた道梨であれば、何を言ってもおかしくなさそうに思える。
「それで、どういう風に考えていた?」
「はい! 今この町では、何の予兆も無かった人間が突然暴れ出して、自殺したり、殺人をしたりして、その所為で大量の人間が死んでおりまして」
「うん」
「そのスカーレット事件を俺達はどうにかしないといけません!」
「うん」
「そのいきなり暴れだす人間の関係性が目下の焦点であり、知り合いだったとか同じ地域に住んでいたとか特定の団体に所属していたとかの繋がりは見出されていませんが、どうやら子供が多い様です」
「うん」
「そこからどう考えれば良いのだろうと悩んでいたのですが、考えがまとまりませんでした!」
「うん。犯人に若年層が多いという昨日の報告を覚えていた訳だ。偉いぞ」
「ありがとうございます! ずっと考えていました!」
 結局道梨は既に分かっていた事実を並べただけで、何ら自分の意見を出せていなかったが、それは仕方が無い。道梨だけでなく不動も似た様なものだし、警察全体もそうだ。未だに、スカーレット事件と呼ばれる連続無差別殺傷事件の糸口すら掴めていない。それがもどかしい。
「あ、そう言えば、電話あったんで、不動さんの机の上にメモ置いときました」
「俺に? 用事なんて思い浮かばないが……誰からだ?」
「えーっと、何か偉い人です」
 道梨は名前を覚えていなかった様で、不動の机の上に置いたメモをつまみ上げた。
「ああ、阿藤さんていう人です。何か、こっちの署に用事があって来てて、署長室に居るから、俺と一緒に来てくれって」
「そうか。阿藤さんか。ちなみに肩書は聞いたかい?」
「さっき一応イントラで調べたんですけど、警視監らしいです」
「そうか。ちなみに県警の本部長さんだよ」
「らしいですね。それも調べました」
 あくまで呑気な道梨に、不動は大物になるなぁと溜息を吐いた。
 脱ぎかけていたコートを机の上に放り、頭を掻く。
「阿藤さんか。良い予感はしねえな」
「行きますか? 仕事一段落したらで良いって言ってましたよ。あ、俺は仕事大丈夫です」
「うん、じゃあ、行こうか」
 不動は再び嫌な予感が胸の奥に疼いたのを抑え付けてから、道梨を伴って部屋を出た。

「初めまして! 自分、道梨と言います!」
 署長室に入るなり、道梨が大きな声で名乗った。
 偉そうにふんぞり返っていた警察本部長と警察署長にではない。その隣に居た美女に対してである。
 道梨は、目を丸くしている偉そうな二人を完全に無視して、一心不乱に美女へ自分をアピールしている様に、不動は痛快な思いを抱いた。自分を左遷させた上層部が泡を食っているのは胸のすく思いがある。だが分別はつけなければならないので、道梨を引っ張って後ろに下がらせ、本部長と署長に頭を下げた。署長の方は顔を真赤にして今にも怒り狂いそうだったが、本部長の阿藤に肩を叩かれた途端、忽ち恐縮して、何も言わなかった。
「いや、忙しい所を呼んで悪かったね」
 阿藤が朗らかに笑って、不動と道梨へ座る様に促した。
「最近はどうでした? ずっと交番に居たと聞いてたけど」
 阿藤に問われた不動は笑みで答える。
「そうですね。順調でしたよ。大した事件も無く」
「きっと犯罪者共は不動さんに恐れをなしたんだよ」
「恐れだなんて。近所で評判の好好爺で通ってましたよ、交番に居た間はね」
「それは良い事だ。警察っていうのは、市民に好かれる存在でなければならない」
「そうですなぁ。まあそれならさっさと市民を不安がらせているスカーレット事件を解決しなきゃならん訳で」
「耳が痛いね。しかしあの不動さんが好好爺か。犯罪者だけでなく味方すらも震え上がらせていた鬼の不動が。きっと引退した先輩達も驚くんじゃないかな。私もね、不動さんと一緒に捜査する度におっかない思いで。今回は不動先輩との共同捜査じゃありません様にって毎回の様に祈って」
「ま、世間話はよしましょう。さっきあなたが言った通り、我我は忙しい」
 不動が静かにそう言うと、阿藤はそうだねと気にした風もなく笑みを見せた。何故か隣の署長の方が恐ろしそうに身を震わせ、ご機嫌を伺う様に阿藤を横目で見つめる。道梨は女の方ばかりを見ているし、女はさっきから微笑みを崩さず、会話に何の反応も示さない。
 一体何なんだこの集まりはと不動は心の中で自分に問いかけた。自分が何をしているのかすら分からなくなる。
 阿藤が今度は道梨に目を向けた。
「今、その新人の子と、二人で捜査しているとか」
「単に会議に参加させられて席をあてがわれただけ。本隊からは完全に切り離されて、捜査と言えるかどうかも怪しいが」
「いやいや、今の行き詰まった状況を打破する為に、遊撃的な捜査が重要なんですよ。だから呼び戻してまで不動さんを据えたんだ」
「それで?」
 不動が先を促しつつ、阿藤の事を睨む。
 阿藤はそれをかわして、隣の女性を手で示した。
「そう言えば、まだこちらの方を紹介していなかったね。射命丸さん、こっちがうちの将来有望な新人、道梨君」
「道梨です!」
 射命丸と呼ばれた女性は吹き出して、口元を手で隠した。
「ええ、先程からお名前だけは何度も」
「こっちがうちの優秀な捜査員、不動さん」
 不動が頭を下げると、射命丸も会釈を返してきた。
「不動さん、道梨君、こちらが新聞記者の射命丸さん」
「よろしくお願いします」
 不動は訝しんで眉間に皺を寄せる。
 何故、この場に新聞記者を呼び、紹介してきたのか意図が読めない。
「こちらこそよろしく。しかし聞屋さんの居る場に私を呼んだ意味が分かりませんな。まだ殆ど捜査に参加していない我我から情報を得ようったって、面白い記事にはなりませんぜ」
「不動さんの行う捜査に、射命丸さんを加えてもらおうと思ってね」
 軽く言われた阿藤の言葉を、不動は理解出来無かった。
「と言うと?」
「そのままだよ。不動さんの捜査に射命丸さんが同行する」
 そう言われても分からなかった。少し考え、本部長の言葉に裏の意味を見出して、不動は失望に項垂れそうになった。
 つまり本当の捜査なんて良いから、記者の前で真面目に捜査している振りを演じて、世間に宣伝しろという事だ。
 いきなり交番から呼び出され、新人と二人きりで組まされたのは、捜査をさせる為でもなんでもなかった。本隊に記者が張り付かれると不都合だから、邪魔な記者を押し付ける為に、用意されたハリボテだったという事だ。
 あまりにも下らない。
 不動は思わず拳を握りしめた。悔しさと憎しみと、そして無力感が胸を占める。
 自分の平穏を破壊し、知り合いの女の子を絶望の淵に追い込んだスカーレット事件を、必ず解決しようと心に決めていた。本隊から話されて新人のOJTをさせられるなんていう、全く期待されていない状態であろうとも、不動自身は熱意で燃えて、何としても解決してやろうと思っていた。妖夢の悲惨な姿が、過去の自分や妻の姿と重なる。テロは敵だ。敵は必ず殲滅しなければならない。
 だがそんな不動の熱意も、上層部からすれば鼻で笑う様なものだったのだろう。不動を物の数に入れていない。新聞記者を連れて見せかけだけの捜査を行えだなんて、不動からすればこの上無い侮辱だ。テロ事件に対する思いの全てを踏み躙られた様なものだった。
「つまり、我我がしっかり捜査しているというのを世間にアピールしたいと? マスコットの様ですな」
 不動が心の内の苛立ちを皮肉にして返すと、阿藤は身を乗り出して否定した。
「違うね。不動さん、あなたが想像しているよりもこの事件は深い所で捻くれているんですよ」
 てっきり皮肉の応酬になると考えていた不動は、阿藤の力のこもった言葉が予想外で驚いた。阿藤は身を起こして射命丸に目をやる。
「ああ、そうそう。肝心な彼女の肩書を言い忘れていたね」
「肩書?」
 新聞記者というのは聞いた。
 それだけではないという事か。
 だとすれば、一体。
「彼女は新聞記者だが、また別の側面を持っている」
 まさか海外の捜査員か何かか。
 もしや国際的な捜査網に参加させてもらえるという事か。
 あらぬ期待を浮かべる不動に、阿藤は驚きを与えんと、大仰な身振りで告げた。
「実はね、彼女は妖怪。天狗の頭領なんだ」
 不動の顔が固まる。
 阿藤が何を言っているのか全く理解出来無かった。
「驚かないのかね?」
 残念そうな阿藤の言葉に、何と返していいのか分からない。
 射命丸が「頭領じゃないんですけど」と抗議しているが、妖怪である事は否定しない。
「妖怪と言うと」
「お伽話に出てくる天狗や河童なんかのお化けだよ。それが実在したんだ。彼女は人間の様に見えるが、人間じゃない。そうだな。射命丸さん、何か彼等が信じてくれる様なパフォーマンスを」
 冗談にしか思えないが、阿藤がこんな馬鹿げた冗談を言うとも思えない。混乱する不動の前で、射命丸が立ち上がり、上着を脱ぐ。
「最近は科学が発展し過ぎてて何をしてもトリックだ何だって言われちゃうんですけど」
 そう言いながら、射命丸が背中から翼を生やした。
 驚きで目を丸くする不動の前で、射命丸は跳び上がり、羽を弛めかせて空中を浮遊する。
「こんな感じでどうでしょう? お望みでしたら、突風でこの部屋にあるものを全てばらばらにして見せましょうか?」
 射命丸が冗談めかして言った。
「それは」
 不動は混乱で、言葉が続かない。
 隣で、「へえ、凄い存在も居たもんですね」と呑気に信じ込んでいる道梨が羨ましい。不動はたった今目の前で起こった事に、何とか理屈付けようと頭を悩ませるが、どうしても頭の中が片付かない。
 やがて不動は、無駄だと諦めて首を横に振る。
「いえ、驚きましたが、ええ、信じましょう」
 結局不動は射命丸が人間でない事を信じる事にした。というより、考える事を放棄した。確かに射命丸が言った通り、トリックだと難癖を付ける事は出来るが、自分の感覚が射命丸という存在の異常性を確信している。その直感に、従う事にした。
「あら、あっさり。普通もっと疑うものですけどね」
「あまり疑っていてもしょうがないでしょう」
「刑事さんの言葉だとは思えませんね」
 射命丸が笑う。上着を着直して座る射命丸の姿はどう見ても人間にしか見えない。射命丸が妖怪だと信じようと決めたものの、やはりそう簡単に信じ切れるものではない。突然の常識破りに居心地の悪いものを感じて、不動は一度椅子に座り直してから、拳を握り、顔を上げた。
「それで? 射命丸さんが妖怪というのは分かりました。彼女と一緒に捜査をするという事は、つまりこの事件は」
「そう、妖怪が関わっている。妖怪というのはね、世間に認知されていないだけで少ないながらも世界中に存在するらしい。裏側の部分で、私達の社会と結びついているんだそうだ。社会の深い部分に関わっている者にとっては常識らしいんですが、私もこの地位になって初めて知りました。この町にも妖怪は住んでいて、妖怪の山という大きなコミュニティもある。八意製薬や警察とも繋がりがある。射命丸さんはその妖怪の山に所属する一人だそうですよ」
 不動は思考を巡らせ、阿藤の話と射命丸という存在、そして自分が呼ばれた意味とスカーレット事件について考え、朧気な結論を見出した。
「その妖怪の山に敵対する妖怪のコミュニティがあって、それがスカーレット事件の黒幕だから、妖怪と協力して粉砕してこいと?」
「惜しい」
 阿藤が微笑んだ。その笑みが良からぬ事を考えている時の笑みだと不動は知っている。
 阿藤の代わりに、射命丸が説明を引き継いだ。
「妖怪の山に敵対出来る様なコミュニティは、この町に存在しません。それにコミュニティを作るぐらいに社会性と常識をわきまえていれば、人間を異常な状況で大量虐殺するなんて事はしません。そんな事をすれば、妖怪の存在が知れ渡ってしまいます。私達妖怪の存在が社会的に認知されれば、迫害される事は間違いありませんし、下手をすれば妖怪が殲滅されてしまう等分かり切っている事です」
「なら、この事件を起こしているのは?」
「コミュニティに所属していないはぐれの妖怪です」
 確信を持って答える射命丸を見て、不動は疑問に思った。
「それだけ分かっているのなら、捜査の必要なんかないようだ。態態警察を頼る必要がありますか?」
「あくまで推測です。確度は高いですが、証拠は無い。はぐれであろうと正当な理由無く裁けば、それは妖怪社会の中で非難の対象となる。いえ、それどころか証拠があっても少なからず非難を浴びる。社会的少数というのは、お互いを守り合わないといけませんから。例えそれが身中の虫であっても」
「成程ね」
 ようやく全貌が見えてきた。
「妖怪が妖怪を殺せば角が立つ。だから人間に殺させようって訳か」
 不動の直截な言葉を阿藤がたしなめる。
「違うよ、不動さん。彼女達は妖怪でありながら人間社会で生きる事を選択したのだ。現にこの射命丸さんは、この町で人間として暮らしている。今回の事も、犯罪者は警察に捕まえてもらうという当たり前の事をしているだけだよ。ただそこで、妖怪という、人間とは異質な存在が関わっているから、彼女達が妖怪という一つの立場から、善良な市民として協力を申し出てくれたという訳だ」
「お題目は何でも結構ですがね」
 きっと警察の上層部と妖怪の間には、色色と政治的な駆け引きがあるのだろうと、不動は面倒そうに首を回した。
 今回の捜査協力の形が何よりの証左だ。
 他の部分でどんな協力が行われているのかは知らないが、もしも事件解決を至上とするのなら、妖怪側だってもっと人を出すだろうし、警察だって妖怪を本隊に合流させるだろう。だが、妖怪から出されたのは射命丸という女性一人、人間から出すのは本隊から切り離されたハリボテの様な捜査員二人。警察も妖怪もお互い、自分達の手の内を見せない様にしているのが見え見えだ。それだけお互いの事を信用していないのだろう。恐らくお互いの手の内を晒さない様にしつつ、事件を解決出来るぎりぎりの協力を行おうとしているに違いない。
 それは今回の事件が信用ならない相手と組んでまで解決しなければならない程、大事で厄介だという事でもあるが。
 まあ何でも良いさと頭をふるう。
 あくまで自分の使命は事件の犯人を捕まえる事。
 そしてそこに、妖怪という今まで考えもしなかった事件解決の鍵が手に入った。
 進んだか退いたかで言えば、間違い無く解決に一歩前進した。
 それで十分だ。
「ま、話は分かりました。ええ、これからよろしくお願いしますよ。射命丸さん」
「ええ、こちらこそ」
 射命丸が微笑む。
 それに浮かされたのか、道梨が立ち上がらんばかりの勢いで前に乗り出した。
「俺もよろしくお願いします!」
 必死な道梨の様子に射命丸が笑い声を上げる。
 阿藤が手を叩いてそれを歓迎する。
「うむ、妖怪と人間の共同戦線という訳だ。頑張ってくれたまえ」
 阿藤が署長に目配せをすると、今まで黙り切っていた署長が、躊躇いがちに切り出した。
「早速だが君達、中央病院へ行って、八意女史から今回の事件に対する考えを伺って来てくれ」
「八意?」
 八意女史とは、名を八意永琳と言って、八意製薬のCEOであり、中央病院の理事長を努め、この付近の実権を握っている人間だ。また今回のスカーレット事件が当初から薬物が関わっていると言われていたので、警察は八意永琳から薬学的な意見を貰っている。
「もう何度も話を聞いたのでは?」
「だが今回は射命丸さんが居る。妖怪の視点から、何か糸口を引き出せるかもしれない」
 そうは思えない。八意永琳はあくまで薬物の知識があるだけで、実際に事件と直接関係がある訳ではない。例え妖怪という新たな視点が加わったとしても、事件と関わりの無い人間から事情を聞くより、実際の現場に赴いた方が千倍糸口を見つける事が出来る筈だ。
 いや、と不動は思い直す。妖怪の山が八意製薬とも関わっているという阿藤の言葉を思い出した。そして気が付いた。不動達が射命丸を連れて八意永琳へ会いに行くのは、薬のエキスパートとして捜査協力をお願いするのではなく、この付近の為政者に対して妖怪と人間が手を組んだ事を宣言しに行くという事なのだろう。
 これもまた上層部が行っている駆け引きの一つに違いない。
 下らないとは思うが、そう面倒事でもないので引き受ける事にした。
「分かりました。まずは八意の所ですね」
「アポイントメントはもう取ってある。早速中央病院に向かいなさい」
 署長はさっさと話を打ち切りたい様子だったが、阿藤が補足を加える。
「実は、一昨日八意製薬に今回の薬物の解析を頼んでいるんだ。あまりにも異質らしくて、解析班が音を上げてね」
 途端に署長は顔色を変えた。
「本部長! それは内密の話でしょう」
「ここには仲間しかいないじゃないか」
「外部の者が居るというのに、うちの恥を晒して何がしたいんですか。警察全体の沽券にも関わる。あなたも警察の一員でしょうが」
「口を慎みなさい」
「しかし」
「口を閉じたまえ」
 阿藤に睨まれた署長は何も言えなくなった。
 射命丸に向き直った阿藤が頭を下げる。
「不適切な発言でした。申し訳御座いません」
 射命丸は鷹揚に首を横に振る。
 その横で不動が署長に目をやると、睨み返されたので、うんざりとした。先程の署長の言葉は射命丸だけでなく自分にも向けられていたのだろうと不動は小さく息を吐く。署長はきっと妖怪の力を借りずに警察の力だけで解決したいに違いない。そうでなければ警察の尊厳を保てないと考えている。だから署長にとって、妖怪は警察の尊厳を貶める敵であるし、その妖怪と組ませたという事は、不動と道梨もまた警察とは見做されていないという事になる。ついでに言えば、阿りの激しい署長の事だから、その言葉は上層部の言葉をそのまま吐き出しているに過ぎないだろう。つまり警察内部の権力者達が皆不動を目の敵にしているという事で。
 面倒な事になりそうだと不動は溜息を吐いた。
「不動さん、聞いていました?」
 阿藤に問われて、不動は頷いた。考え事をしつつも話は聞いている。警察で手を焼いた異質な薬物は、人間には未知で、妖怪の技術で作られた可能性がある。その技術に、射命丸は心当たりがある。吸血鬼とかいう妖怪の血を元に作られているらしい。その情報を八意永琳に伝えたいが、警察は妖怪の事を知らないという体だから、表立って伝えられない。だから射命丸を連れて訪問しろいう命令だった。
 そこに警察関係者の不動がついていけば、警察が直接伝えるのと何ら変わりないだろうという言葉を不動は飲み込んだ。聞けば聞くだけ、本当に上っ面だけの建前と面子と縄張り意識と共同戦線だが、命令とあれば仕方が無いと不動は腹をくくる。
 妖怪の関わる今回の事件において、妖怪を認めようとしない警察は解決から程遠い。妖怪も、妖怪達のルールで縛られて、黒幕に手を出せないらしい。そうなれば、刑事でありながら妖怪と協力する不動が、最も事件解決に近い存在だと言える。そう思えば、下らない警察上層部への苛立ちよりも、凶悪事件を解決せんとする熱意の方が余程強くなる。
「それではよろしく」
「了解」
 不動が隣を見ると、道梨が射命丸にお願いして連絡先を交換していた。その頭を叩いてから立ち上がる。めげずに射命丸と連絡先を交換し終えた道梨と、道梨が叩かれた事に笑いを漏らす射命丸も後に続く。
「不動さん、期待していますよ」
 阿藤の言葉に、不動は振り返らず手を挙げる。
「この町を壊さない様、程程に頑張りますよ」
 その時、かしゃりと音が聞こえ、横を見ると射命丸が、カメラを構えていた。
「今の姿、絵になっていましたよ」
 何だか馬鹿にされている気がした。道梨が「決まっていたましたよ、不動さん」と無邪気に盛り上げようとするのでその頭も叩く。
「二人の孫が出来たみたいだね」という阿藤の言葉を無視して、不動は乱暴に扉を閉めた。
 射命丸と道梨を引き連れて廊下を歩きながら、不動は溜めていた息を吐いた。
 久しぶりの事件捜査。自分を不幸にしたテロリストや、妻を失ったテロ事件と関係無い事は分かっているが、自然と力が入る。
 いや、不動は昔から事件を捜査する度、必要以上に力が入った。
 凶悪事件を解決する事が、妻を失った事に対する贖罪の様に思えた。
 勿論それが自己満足の欺瞞に過ぎない事は分かっているけれども、無慈悲な犯罪者を殲滅する事は人人の為にもなると信じている。
「あー、射命丸さん、これからの捜査についてだが」
「私はただの新聞記者ですから捜査は任せますよ。出来る限り協力はしますけどね。捜査の間は、不動さんの部下として扱って下さい」
 そう言えば、捜査も久しぶりだが、捜査に部下を連れたのは更に昔の事だったと懐かしく思った。昔の情熱が更にまざまざと蘇ってくる。
 ふつふつと事件解決への熱意が高まっていく。
 今、自分は捜査の最前線に居る。自分の捜査が遅れれば、それだけ人が殺される。
 桜の下で親友に泣き縋る妖夢を思い出す。
 その姿が、記憶の中で自分に変わる。
 冷たくなる妻を抱えて何も出来無かった自分に反吐が出る。
「道梨、射命丸、このスカーレット事件、必ず俺達が解決するぞ」
「了解っす」と敬礼する二人を引き連れて、不動は事件解決に向けて動き出した。



続き
~其は赤にして赤編 2(秘封倶楽部1)
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コメント



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2.100名前が無い程度の能力削除
なんか狂った人らや物事が多過ぎて何が狂ってないかがわからなくなる烏口ワールドきたきた
さりげに大量殺人現場をまるで猫が轢かれた程度にしか認識してないような異常な冷静さは
今迄の修羅場を掻い潜ってきた成長の証かそれとも自分らの絆しか見ない堕落の証か
あとフランちゃんメンヘラ可愛い