Coolier - 新生・東方創想話

歩け! イヌバシリさん vol.12(完)

2014/11/17 02:39:51
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【 final episode 】



< 一日目 >


夕方。その日の業務を終えた椛は、大天狗の元を訪れていた。

「今日も結婚案内所の書類ですか?」
「なんか、幻想郷全土を対象にやってる所があってね、そこにも登録しておこうと思っ………ぶえっくしょぉん!!!」
「おっと」

身体を傾けて回避する。

「あー誰かが私の噂してるわ。これはとうとうモテ期来るわね」
「クシャミ一つでそこまで飛躍しますか?」
「つーか、そろそろモテ期が来ないとおかしいわ」

彼女の計算ではあと二回残っているらしい。

「しかし何でかしら。普通、こんなけアタック続けたら、女装したオッサンでも恋人作れるわよ」
「それ言っちゃいますか?」
「そろそろ。こんな直向きな私の姿に感動して近づいてくる良い男が…」
「いないですね」
「いないかー」

今日も相変わらずのやりとり。

「気を悪くすると思って、今までずっと訊かずにいた事があるんですけど、訊いてもいいですか?」
「ん? ナニ?」
「いつもいつもそうやって婚活に励まれてますが、結局の所、繁殖がしたいんですか? 精神依存できる相手を探してるんですか?」
「うっわ、引くわー。その質問引くわー」
「でも突き詰めていけば、結婚なんてそんなもんでしょう?」

世間体で結婚を焦る者もいるというが、大天狗の立場上それはないような気がした。

「そりゃあ、私のような優秀な遺伝子は後世に残さないといけないって義務感はあるし、寄り添ってくれる相手が欲しいってのもあるけどね…」

ここで一度言葉を切り、普段より少し真面目な顔になる。

「男と女ってのはさ、個体でどれだけ優れてても一生不完全なままだと思うのよ。二人寄り添って、初めて完全な命として成立するっていうかさ。わかる?」
「これっぽちも」
「女バーバリアンでソフトサイコパスのモミちゃんにはちょ~~と難しい話かもねー」

その言い方に軽くムッとする椛。

「私に毎回あれこれケチつけるけど、そういうモミちゃんはどうなのよ? 男にモテるように思えないんだけど?」
「失敬な。私だってその気になればツガイの一人や二人簡単に作れますよ」
「ほ~~じゃあ聞こうじゃない。モミちゃんの女子力とやらを」
「料理出来ますし」
「煮るか焼くか揚げるしかレパートリーないじゃない?」
「気配りだって」
「私が背中掻いてって言ったら無言で柱を指さすモミちゃんが?」
「…」

しばらく時間が止まったように固まる椛。

「もしかして私、大天狗様とそう変わらない?」
「かもね」

大天狗は苦笑する。

「いつもと立ち位置が逆になるって、なんか新鮮ね」
「そう言えばそうですね」

大天狗が必死に足掻く姿に椛が茶々を入れるのが常で、今までにない流れだった。

「ところでさ。私たちって、何回ここでこんな会話したかわかる?」
「さぁ? いちいち数えてませんので」
「二週間に一回以上はここで会ってるから、結構すごい数になってると思う」

そう言われると、膨大な回数になっている気がした。

「これからも、その数を増やしていけると思う?」
「守矢神社に支配されなければ」
「そーなのよねー」

見過ごせない事態が目の前に迫っていた。
現在、守矢神社は発電事業を立ち上げ、妖怪の山を、ゆくゆくは幻想郷全土を牛耳ろうと目論んでいる。
守矢神社はこれまで様々な事柄で天狗社会に干渉し、結果的に天狗社会に打撃を与えていった。
その集大成が発電所建造だというのなら、なんとしても阻止する必要がある。

「しかし電気ねー、そんなのが本当に幻想郷に普及するのかしら?」

大天狗は、守矢を調査するうえで電気について色々と学んだ。電気を知れば知るほど、その必要性に疑問を感じていた。

「電球を光らせるよりも、自分の妖力を消費して指先から火を生み出した方が安上がりじゃん?」

そういった考えから、天狗の殆どが電気の存在を軽視している。

「大天狗様みたいな方には必要無いかもしれませんが、機械に依存する河童なら飛びつくじゃないんですか? あと妖力の無い人間もその恩恵を受けられるでしょうし」

個々の力が弱い種族や、大所帯の組織は、あれば積極的に使うだろうと椛は予想していた。

「なるほどね。電気を使いたいって連中の数がそのまま信者の数になるんなら、発電所は作るっきゃないわね」
「それで、守矢の発電所建設を阻止する作戦は立てられそうですか?」
「作戦も何も、異種族に対する妨害方法なんて昔から一つでしょう?」

大天狗は扇子を広げ、口元を隠して目を細める。
かつて、天狗社会の裏を暗躍した組織を纏めていた時と同じ顔つきをしていた。

「物理的に邪魔をする。誰がやったかバレないように上手に」
「具体的には?」
「発電のための装置を狙う。易々と量産できるものじゃないでしょうし。二、三個壊せばお手上げでしょうよ」
「装置の正体は掴めているのですか?」
「それがまだ全然」

もろ手を挙げる大天狗に、椛の肩がガクリと下がった。

「どんな方法で発電するかわかんないんじゃ、見つけようがないじゃん。お手上げよお手上げ」
「とか言っておきながら、ある程度の目星はついてるのでは?」
「どうしてそう思うの?」
「大天狗様は、焦ったり思い悩む事があると煙管に手が伸びるハズですから」

今は煙管を吹かしていないため、何かアテがあるのだろうと椛は思った。

「およよ? ちゃんと見てるのね?」
「どれだけ部下をやってると思ってるんですか」

椛が指摘する通り、大天狗は一つに守矢の発電で心当たりがあった。

「でも悪いけど、モミちゃんには教えないわよ?」
「なぜ?」
「だって八坂神奈子に堂々と宣言しちゃったんでしょ? 『邪魔してやる』って。モミちゃんに下手に動かれて、奴らが穴熊決め込んだら責任取れるの?」
「大天狗様」
「ん? なに?」
「私の身を案じて情報を与えないようにしてませんか?」
「ヤダ、ちょっと何言っちゃてんの?」
「同じ事を言わせないでください。貴女の本音と建前くらい、いい加減、察せられます」

相手を気遣っている事を悟られないように、ワザと棘のある言い方をするのは、彼女の癖である。

「貴女は天邪鬼ですからね」
「…」

看破されて渋い顔をする。椛が指摘した通り、大天狗は椛にこの件は関わって欲しくはなかった。

「今のモミちゃんってね、すごい危ういのよ」
「私が?」
「ちょっと前までは『生きるも死ぬも、そいつ次第。全て自己責任。誰が死のうと知った事じゃない』のスーパー弱肉強食主義者だったじゃない?」
「そこまで言いますか?」
「守矢のダム騒動があった頃までは、何が何でも生き残るって強い意志があったのに、今はそれが無い。自覚あるわよね?」

保守派壊滅に関わって以降、彼女の雰囲気が若干変わった。

「モミちゃんひょっとして、自分の事を罪人だと思ってる? 罪悪感抱えてない?」
「そりゃぁ、ありますよ」
「やっぱりかー」

大天狗は天井を数秒見上げてから顔を戻し、椛を見据えた。

「私が命令したからでしょうが。断れば粛清するって脅して無理矢理やらせたんじゃない。私を恨むのが筋ってモンでしょう?」
「それは逃げです。八つ当たりと同じ事」
「まったくこの子は」

両手で顔を覆う。

「守矢を探るのは良いけど程々にしてよ。今回はアイツ等マジなんだから。邪魔してる所を現行犯で見つかったら殺されるわよ」
「犬死だけはしないようにします。それでは今日は、この辺で」
「うん、ご苦労様」






椛が去って、静寂に包まれる部屋の中で、大天狗は物思いにふける。

(こんな事なら、隊長職を勧めない方が良かったかしら?)

その考えが彼女への侮辱だと気付き、慌てて頭からかき消す。

「気晴らしに天魔ちゃんの家に行こうかしら」

守矢の調査の報告がてら、遊びに行くことにした。
















『ずいぶんと小じんまりとした所に住んでおるのだな?』

幼い見た目に反して、ただならぬ貫禄を醸す童女が、家屋の入り口を見回す。

『ご無沙汰しております。良くここがわかりましたね?』
『知らぬ間に姫海棠などど名乗りよって、おかげで探すのに苦労したぞ』
『私はあの人の妻ですから。夫の姓を名乗るのは当然です』
『ねぇ、お母さん、この子だれ?』

突然我が家にやってきた、自分と変わらぬ背丈の少女を指さして尋ねる。

『駄目でしょう、指をさしちゃぁ。すみません天魔様』

天魔と呼ばれた童は、聞こえるように舌打ちして、露骨に不快感を露わにしていた。

『こいつが、お前とヤツの間に出来た餓鬼か?』
『そうです。はたてと言います。名の由来は…』
『目がアイツに似ておる』
『そうなんですよ。目元があの人にそっくりでして』
『残念じゃ』
『残念?』
『もう少しお前に似ておれば、共に引き取る事もやぶさかではないと思ったが。この餓鬼には愛着が湧きそうにない』

はたての顔を見ながらはっきりと告げる。

『とてもお前の才覚を受け継いでいるようには見えん。出来損ないだな』
『そんな事ありません。私が誰よりも立派な天狗に育ててみせます』
『その病弱な体でか? 笑わせるな。この餓鬼が寺子屋を卒業するよりも先に、お前は死ぬぞ』
『覚悟の上です』
『餓鬼を余所に預けて戻って来い。さすればこれまでの事は全て水に流そう』

この当時、彼女を天魔の座から引きずり降ろして、山の頂点にとって代わろうとする者が現れ、味方が一人でも多く欲しい状況だった。

『愛娘を出来損ない呼ばわりする方とは、一緒に住めません』
『ならば勝手にせい』
『そうさせて頂きます』

天魔は踵を返す。

『母子共々、好きなように野垂れ死ね』

そこで天魔の夢は終わった。




(また、この夢か)

布団をまくり身を起こす。
秋も佳境を迎え、冬目前だというのに、ひどい寝汗だった。

「天魔様、いらっしゃいますか?」

障子の向こうから女中の声がして、天魔はそちらを向いた。

「どうした?」
「大天狗様がいらっしゃってます。『お茶菓子持ってきたから縁側で待ってる』と」
「わかった。すまんが茶を淹れてくれ」
「かしこまりました」

汗を十分に拭いてから、縁側で待っていた大天狗の元へ向かった。










会って最初に、軽い情報交換を行う。

「ごめんね、あれから色々と探ってみたけど、有力なのはなくて」
「儂の方も収穫はなかった。申し訳ありませぬ」
「やっぱり、なかなか尻尾見せないわね」
「アイツ等は発電所のために多くの代償を払った。慎重にもなりましょう」
「しっかし、発電所で幻想郷を掌握しようだなんて、外の世界から来た連中は常識から外れた事を考えるわね」
「河童の村長にも協力を仰いでおいた。山で最も博識なお方じゃ、色々と知恵を貸してくれるじゃろう」
「うん、そうね…………ところでさ」

大天狗はあたりを気にしだす。

「今日って、はたてちゃん来てる?」
「うむ、この時間はあの道場で瞑想中じゃな」

屋敷内にある道場に視線を向ける。

「鍛錬の方は順調?」
「最近は、伸び悩んでおるが、それを過ぎれば飛躍的に強くなりましょう」
「ぶっちゃけた事聞くけど、同じ年代の子を強い順に並べたら何番目くらい?」
「明言できんが、上から数えた方が早いですな」
「流石は天魔一族の血を引いてるだけあるわ」
「ッ!?」

天魔の顔が一瞬強張る。

「あの子の身の上話を聞いてたらなんとなくね。そっか、はたてちゃん。あの人の娘さんだったのね」
「黙っていて申し訳ない」
「天魔ちゃん、あの人の事、ずっと嫌ってたじゃない。どういう風の吹き回しよ?」

天魔がはたてに行っている施しは、まるで彼女の母に対する贖罪のように見えた。

「大天狗殿と同じじゃよ」
「私と?」
「時間が経つと、過去の自分のしたことが客観的に見えてきて、それがいかに間違っていて、醜い行いだったかわかる」
「そうね」

大天狗も、かつて組合という名の暗部を創設し、治安維持という大義名分のために、非道な行いを重ねた。
今はその事に対して後悔の念を抱えている。

「いつ襲名させるつもり? 100年後くらい?」
「そこまでは、まだ考えておらん」
「後継者にするつもりで弟子にとったんじゃないの?」
「最初は、他の鴉天狗と同等の力を身に着け、それなりの数の友人を揃え、ささやかでも幸せな生涯を送って欲しいと。あいつへの罪滅ぼしで傍に置いた」

少し面倒を見たら、縁を切るつもりだった。

「その割にはガッツリ関わってるわね」
「一緒に過ごす内、だんだんと可愛く思えてきて。後先を考えず色々と肩入れしてしまった」

最初は胸につかえた罪悪感から逃れるためだった。
しかし、気づけば彼女を家族として扱っていた。自分と同じ血が流れる唯一の存在である彼女が、愛おしくて堪らなかった。

「今以上に強くなると、あの子はもう引き返せなくなるの、わかってる?」
「…」

天魔は押し黙る。
わかっているからこそ、ずっと基礎鍛錬ばかりで高度な術は一切教えないできた。
実力が伸びないことを気にしているはたてだが、その原因は他ならぬ指導者である天魔が意図的に引き起こしていた。

「今はまだ無名な小娘で通ってるけど、このまま成長すれば、色んな幹部の目につくわ。そうなれば私みたいに気づくのが出てくるわよ」

天狗社会が、天魔の血を引く者を放っておくわけがない。

「あの子の存在を疎ましく思う連中が必ず出てくる。そいつらはどんな手段使ってでも殺しに来るわよ?」

その時に本格的な鍛錬を始めても、もう手遅れだと大天狗は言う。

「なんとか、アイツが儂の跡を継がんですむ方法はないものかの」
「このまま鍛えて継がせれば良いじゃない。何を躊躇うの?」
「あいつは優しすぎる。天魔には向いておらん」
「そうかしら? 敵には容赦しない気がするけど? 特に友達を傷つける奴なら問答無用って感じじゃない?」

椛の過去を侮辱気味に伝えようとした時に殴られた頬の痛みを思い出し、その箇所を軽く撫でる。

「そこが問題なんじゃ。偉くなれば、組織を守るために友を見捨て、時には自らの手で斬らねばならん。その苦しみを味わうことになる」

その声色は、耐えられるのかという心配ではなく、出来ることなら味わって欲しくないという願望のように聞こえた。

「何にせよ、天魔の血筋は天狗社会の秘匿情報だから、漏えいの防止には努めるわよ。あの人には恩もあったし」
「恩に着る」
「継がせるかどうかは置いといて、本人には血筋のこと知らせておいてあげなさい。どの道、気づくのも時間の問題でしょうし。天魔ちゃんの口から言っておいた方が、遺恨が残らないと思うわよ」
「わかっておる。わかっておるのだが…」

イマイチ踏ん切りがつかない様子の天魔。

「お互い、いつポックリ逝くかわかんないんだし。今の内に話して色々と揃えておいてあげないと、最終的に苦労するのはあの子自身よ」
「そう、じゃな」
「決断力が売りの天魔ちゃんじゃない、しっかりしてよ」
「う、うむ」

曖昧な返事をして弱々しく頷いた。
















「あっ」
「あらはたてちゃん、今日も鍛錬ご苦労様」

鍛錬を終えて道場を出た姫海棠はたては、道場の前で大天狗と鉢合わせした。

「あの、大天狗様この前は…」
「これ返すわ」

いきなり小筒を放られた。
掴み、キャップを外すと戸籍表が出て来た。自分が先日見つけた椛の本名が記された戸籍表だった。

「じゃあね」
「あ、待ってください」

立ち去ろうとする大天狗を追いかける。
追いつき、横に並び戸籍表の入った筒を返した。

「それは元々、あの人が大天狗様に託したものですから」
「良いの? 私が持ってても?」
「お願いします」
「そっか、ありがと」
「大天狗様、この前は私…」
「あれは私が転んだだけだから。そういう事にしといて頂戴」

あの日の出来事は、軽率な自分の行動が招いた結果で、自業自得だと大天狗は思っていた。

「モミちゃんの過去はさ、モミちゃんの口から直接聞いてね。それ以外は信じちゃ駄目よ」
「そうします」
「それじゃあ私はここらでおいとまするわ」

はたては立ち止まり、門へ向かうその背を見守る。

「あ、そうそう」

歩を進めながら大天狗は自分のこめかみに人差し指を当てた。

「ココのリミッター解除は、連続で使っちゃダメよ? 全盛期の天魔ちゃんでも、一日一回以上は絶対に使わないようにするくらい、負荷が大きいんだから」

一度も振り返ることなくそう告げて、門を潜った。

(あんなにも頼り甲斐があるのに、本当に、十年以内にヨボヨボになっちゃうのかな?)

先日、未来の自分がそう語ったのを思い出す。
その言葉のせいか。先ほどの彼女の背中は、普段よりも小さく見えた。









< 二日目 >

守矢神社の本殿。

「今回の宗教戦争、どこも痛み分けに終わったから良かったものの。ウカウカしてられない。半年後には発電所を完成させたいわ」
「ずいぶんと急だね。それだけの期間でいけるの?」

八坂神奈子と洩矢諏訪子が、これからの段取りを確認し合っていた。

「最初は小規模な施設を建て、外にその利便性を大々的にアピールし、徐々に需要を拡大していく。まずは建てなければ話にならない」
「試験場の建設具合は?」
「順調よ。ほぼ完成している。彼らに任せて正解だったわ。予定の日には試運転が出来る」
「ちゃんと動くんだろうね?」
「十中八九成功するわ。そのために地底に赴くという高いリスクと私財を払った、気を付けなければいけないとするなら…」

神奈子は壁に手を着き、信仰により溜まった神徳の一部を開放する。
すると本殿の扉が一人でに開いた。

「おっと」

扉の向こう側、メモ帳を手にした射命丸文と目が合う。

「盗み聞きは関心しないわね?」
「盗み聞きだなんて人聞きが悪い。ただお二人のお話が済むまで待機していただけです」

自由に出入りを許可されている文はそう弁解する事で、それ以上の追及を逃れる。

「わかるわね諏訪子? これから私達が何を気を付けなければいけないか」
「なるほど、よーく分かったよ。壁に耳あり障子に目ありってか」

一人納得した様子の諏訪子は一足飛びに文の元まで詰め寄ると、文の胸ポケットに入っていた守矢神社製の御守を掠め取った。

「今からお前は出禁だ。私達と甘い汁を吸いたきゃ、天魔か大天狗の首でも持ってきな」

出ていくよう文に勧告する。

「ツれない事言わないでくださいよ。かつては同じ悪事に手を染めた仲ではありませんか?」
「ここ最近のお前は信用ならない。保守派の排除に一役買ってくれていたようだけど、最近はどうも大天狗側にいる気がするわ」
「それでもまだ、私を飼っておくメリットはあると思いますが?」
「もう十分よ。今までご苦労だったわね」
「ダッセ、振られてやんの」
「いえいえとんでもない。おかげで天狗の本分を全うできるというものです」

諏訪子の茶化しを無視して、文は身を翻し神社を出ていった。















大天狗の屋敷。
守矢神社を出たそのままの足で、文は大天狗の元へやってきた。

「どうだった?」
「あまり良い情報は…」

文は守矢との関係を解消された事と、僅かに聞き取る事が出来た二柱の会話を報告する。

「十分よ十分。そっか、やっぱり水面下で動いてたか」

試験をする場を準備中というのは、大きな収穫だった。

「そこを潰せば大打撃を与えられそうね」
「問題はその場所です。山の外にあったら、探すのは骨ですよ」
「発電所を山に作る気なら、試験も山でするわよ。それに奴ら、山の外のほうが敵多そうだし」

博麗神社、命蓮寺、道教一派と、信仰を競い合う相手が跋扈する山の外よりも、それらが容易に立ち入る事ができない山の中の方が都合が良いはずだと予想した。

「なるほど、あとは発電方法が分かれば、試験の場所もだいぶ絞れますね」
「それなんだけど、一個、心当たりがあるわ」
「大天狗様もですか? 実は私もです」

『常温核融合』という言葉が、二人の脳裏を過った。
守矢神社は以前、麓でそんな演目のパフォーマンスをした事があった。水をぬるま湯に変える程度の事だったのだが、実際に成功した時、守矢は過剰な程の喜びを見せていた。

「そもそも、火力や水力を使った発電所が半年やそこらで出来るわけないもの。幻想郷の外の技術に頼る以外、考えられないわ」

試験場という言葉からも、従来の方法とは違う発電方法を採用している可能性が高い。

「それ以外に考えられませんね」
「ところで常温核融合って何?」
「すいません。私もさっぱりです」

パフォーマンスを取材しに行った事がある文だが、早苗や神奈子の説明を聞いても何がなんだかさっぱりだった。

「河童の村長なら多少はわかるかもね。あの人の頭の良さは異常だから」

彼女が詳しい事を知っていれば、対策もだいぶ練りやすくなると考える。

「ちょっと村長に聞いてみるわ。文ちゃんは引き続きアイツらの事を探っておいて」
「かしこまりました」




大天狗の屋敷を出た文はダムの上空を飛んでいた。
ここを通るのが次の目的地までの最短ルートだった。

(もう絶対に、守矢の思い通りにはさせない)

眼下に広がる巨大な水溜りを見て誓う。
ここはかつて数多くの白狼天狗の死体が捨てられた場所。
守矢に協力する振りをしてダム建設を妨害しようとしたが、結局は失敗して、あげく椛に辛い思いをさせてしまった、自身の愚かさを象徴する場所だった。
周囲の景色を歪みなく映すその水面は、まるで巨大な浄玻璃の鏡のように思えた。

「ん?」

慰霊碑の前に誰かが立っていた。
肩まで髪を伸ばした、白狼天狗の少女だった。

(まさかあの人はっ!?)

かつて出会った人物が見えたので、急きょ方向転換して着地する。

「あれ?」

しかし、慰霊碑の前にいるのは別人だった。

「あの、私に何かご用でしょうか?」

突然降下してきた文に驚き、目をパチクリさせる白狼天狗。

「失礼しました。知り合いに似ていたもので」

文が謝罪すると、彼女はそそくさと立ち去ってしまった。

(いけませんね。少し、休暇を取るべきでしょうか?)

情報集めによる疲労が溜まっていたのと、この地に対する罪の意識から、幻覚を見てしまったようだ。

(しかし、幻覚だったとしても、もう一度会いたいものです)

かつて椛が先輩と呼び慕った白狼天狗の少女。
椛の人格形成に大きな影響を与えた少女の残留思念は、ダム建設の際、守矢神社によって完全に消滅している。

(世話焼きなあの方の事です。ひょっとして、本物の魂は、中有の道あたりでずっと椛さんを待っていたりして…)

想いを馳せようとしたその時、いきなりダムの外壁から四人の男の河童が下りて来た。全員ずぶ濡れで大きな工具箱を担いでいる。

「おい誰だよ。ここなら目につきにくいって言った奴」
「おかしいな。普段なら誰もいないハズなんだが」
「あの人ひょっとして射命丸文さんじゃないか? 俺あの新聞のファンなんだよ」
「馬鹿か。さっさと行くぞ」

文と目が会った四人はバツが悪そうに、足早に去って行った。

(なんだったんでしょうか? ダムの修理をしていた風でもなかったですし)












姫海棠はたては父親の顔を覚えていない。
物心がつくかつかないかの頃に言葉を交わした記憶はあるが、顔を思い出すには時間が経ちすぎてしまっていた。
なぜか父親の写真は一枚も残っていなかった。母親は『写真の苦手な人だったから』とはぐらかした。

(まぁ別にどうでも良いし)

わからずとも、自分には母親がいてくれればそれで良かった。自分たちを残して逝ってしまった者になど関心は無かった。
過去に一度だけ母親から「お父さんがいなくて寂しい?」と尋ねられたことがあったが、「あんまり」と答えると、母はとても複雑な顔をした。今にして思えば子供らしい残酷な返事だったと思う。
だが、そう答えてしまう程、母と共に見る景色が、彼女にとっての全てだった。

しかし、母と歩めた道はあまりにも短かった。

成長し、寺子屋での義務教育期間を終えてすぐ、母が倒れた。母が虚弱体質だというのを知ったのはその時だった。
はたてが寺子屋に通い続けられるよう、かなりの無理をしていたようだった。無事に卒業できて気が緩んだのだろう、蓄積していた負荷が一気に彼女を襲った。
医者は入院を勧めたが、母はそれを拒んだ。もう長くない事を悟っており、残りの時間はすべて娘のために使うつもりだった。
日に日に弱っていく母、ただその様子を見守ることしかできない自分。そんな日々がしばらく続いた。

―― 「あまり構ってあげられなくてごめんね」と母は言う。

(そんな事ない。いっぱい一緒にいてくれた)

―― 「贅沢させてあげられなくてごめんね」と母は言う。

(そんな事ない。私には十分すぎた)

骨の形がはっきりと分かってしまう程細くなった手が、泣き続けるはたての頬に触れる。

―― 「ごめんね、本当にごめんね」

それが息を引き取る前に残した、最期の言葉だった。


「謝らないで!!」

眼を開けて叫ぶと、道場の天井が見えた。

(ここ数年は見なかったのにな)

はたては体を起こす。瞑想の途中で、眠ってしまっていたようだった。

「オイ! 何があった!?」

声を聞きつけた天魔が駆けつける。よほど慌てていたのか、段差で躓き、はたての目の前で転びそうになる。

「大声だしてごめんなさい、ただちょっと夢を」
「夢?」
「昔の事を思い出しちゃって、それで気が動転して、夢と現実の区別がつかなくなって………あれ?」

自分の意思と関係なく涙が零れている事に気付いた。
止めようとしても、涙は際限なく涙腺から溢れる。

「す、すみません、すぐ、止めますんで」

しかし、どれだけ意識しても、涙は止まらない。
頭と心は常に繋がっているものではないと、今初めて知った。

「子供が背伸びをせんで良い」

天魔の小さな手がはたての頬に触れる。ひんやりとした感触が、はたての心のざわつきを鎮めていく。

「ゆっくりで良い。落ち着くまでこのままでいろ」
「母さんも、私が泣いてる時、こうやって慰めてくれました。誰かにこうして貰えると、とても安心できるんだって」
「そうか」

知っていた。この仕草を教えたのは、他ならぬ自分なのだから。

(こやつが泣くほど悲しい出来事など、一つしかあるまい)

はたてがどんな夢を見たから泣いているのか、おおよその察しはついていた。

(儂が泣かせたようなものじゃな)

つまらない意地で、はたての母の死期を早めてしまったのは、他ならぬ自分。

「はたてよ」

今ここで全てを話そうかと考えた。はたてが母の事を考えている今を置いて他にないと思った。

「…はい、なんでしょうか?」
「いや、なんでもない。好きなだけこうしていろ」

しかし、出来なかった。
心で思い、口が動き、いざ声を発する段階になると、喉が震えて息ができなくなる。

(儂はなぜ、伝える事をこんなにも躊躇っておるのだろうか)

はたてが泣き止むまで考え続けたが、答えは出てこなかった。






泣き止んだはたてを玄関まで見送る。

「すみません。お恥ずかしいところを」
「気にするな。あとそうじゃ、はたて。明日、三時前にここへ来い」
「何があるんですか?」
「普段から贔屓にしている行きつけの団子屋から優待券を貰ってな。一人で食い切れん量だから手伝え」
「全力で助太刀致します!」

敬礼して答える。

「それじゃあ明日また来ます!」
「これを持っていけ」

玄関から去ろうとするはたてに陣笠を差し出す。

「もうじき、一雨くる」
「ど、どうも」
「そんな顔をするな。両手が自由なのは便利ぞ」

笠に対し、露骨な嫌悪を示していると嗜められた。
はたては陣笠を被るのが好きではなかった、髪が乱れ、素材の麻の匂いが体に着くからだ。そして何より見栄えがあまりよくない。

「昼間は風が強かったからな、巻き上げられた土や砂が雨に混じって落ちてくる。それは一番笠が大きく頑丈なものじゃ。お前をしっかり守ってくれる」

外に出て見上げると鉛色の雲が山全体を覆っていた。










ダムから移動した文は、岩が剥き出しになっている崖までやってくる。
数十メートル下を渓流が流れているその断崖絶壁に、椛が足を投げ出して腰かけていた。

「文さん、なにか進展は?」
「少しだけですが」
「それは良かった」

椛の視線の先には、親指程の大きさとなった守矢神社がある。

「私が神社を出て行ってから何か動きは?」
「特にこれといって」

椛は哨戒の時間はこの場所に来て、守矢を監視するようにしていた。

「良い場所ですねココは。曇っているのが悔やまれます」

あたりに生える楓の木を見てそう呟いてから、文は椛の横に腰かける。

「そうですね。紅葉の色に紛れて、私達も溶け込めています」
「あ、いえ。そうではなくて、単純に風流だなぁと」
「…ああ、なるほど」

納得した表情の椛。今の今までそこまで気が回らなかったようだ。

「椛さんともあろう御方がワビサビを忘れるなんて。少し休んだ方が良いんじゃないですか?」
「貴女こそどうなんですか? だいぶお疲れのようですが、連中から何か言われました?」
「三くだり半を突き付けられました」
「そうですか。奴らもかなり警戒を強めてい…」
「はぁぁぁぁ」

椛の肩にしだれかかる。

「やはり気分が優れませんか?」
「いやなに、八方美人って結構疲れるなぁ…って。解放されてしみじみと思いまして」

全身の気が抜けて、椛に全体重を預けた。
守矢神社、大天狗、守矢派、保守派、水面下で対立し合う組織を要領よく立ち回るのがどれほどの心労と疲労か、椛には計り知れない。

「お疲れ様でした」

普段なら問答無用で引き剥がすところだが、今だけはこのままにしておいてやろうと思った。

(いつの間にか、ずいぶんと親しい間柄になったものだ)

かつて、一緒にいるだけで腸が煮えくり返る相手にこうして肩を許している自分。
はたての脱引篭りで交流を持つ前の自分が見れば、卒倒したに違いない。

「何か良いことでも?」

どうやら顔に出ていたらしい。
静かに笑う椛に文は怪訝な顔をする。

「いえ、ちょっと。昔よりは幾分かマシになれたんだなぁと、実感しまして」

憎いか、無価値か、あの頃の自分の目に映るモノの殆どは、そのどちらかだった。

「仇だった相手がいなくなり、ダム騒動は収束して、隊長職にもだいぶ慣れ。ようやく今になって色々と振り返れるようになりました」

落ち着いた心で、自分の半生を顧みる。

「自分の事しか頭にない、酷い奴でした私は」

手を組み、俯くするの姿勢は、懺悔の姿に似ていた。

「自分は弱いから、自分の身を守るのが精一杯だからと、弱さを言い訳に、多くの仲間を見捨てました。奪われる側を経験したことを免罪符にして、他者から奪う事に何の罪悪感も抱きませんでした」

語るその姿は、裁判官に罪を告白する被告人そのものだった。

(最近の椛さんは危うい)

文も大天狗と同じことを思っていた。
椛の強みはどんな状況でも、生き残るためなら手段も犠牲も厭わない所にある。
しかし保守派との一件で、子供のために身体を張って以来、その意思がだいぶ稀薄になった気がした。

「…」

椛の気持ちを切り替えさせる事の出来る、気の利いた言葉が出てこない。
何かないかと考えていると、水滴が一粒、文の肩に落ちた。ポツポツと数瞬の間を開け、やがて雨が本降りになった。

「椛さん、傘は?」
「持ってくるのを忘れました。文さんは?」
「私もです」

雨に打たれても二人はその場から動こうとしない。

「そういえば今日は風が強かったですね」
「ああ、だからこんなにも」

泥や砂を孕んだ雨が、白い二人の衣装を徐々に汚していく。

「今日はもうそろそろ引き揚げましょうか?」

椛の白い髪や道着が薄黒く濁っていく。それを見るのが、文は堪らなく嫌だった。

「どうぞ。私はもう少し見ています」
「汚れますよ?」
「慣れていますから。それに雲の厚さからして通り雨です。直に止みます」
「では私もこのままで」

そんな時である。二人の頭上を傘が覆ったのは。

「傘もささないでどうしたの?」

陣笠を被ったはたてが二人の間に割り込んだ。
偶然通りかかったはたては、背後から二人の首に腕を回し、自分が被る陣笠の中に招き入れた。
三人が相笠するには傘は狭く、はみ出た部分に容赦なく泥の雨がかかる。

「離れなさいはたて」
「そうですよ。貴女まで汚れてしまいます」
「良いよ別に」

椛と文に回す手を強める。

「こうなったはたては強情ですからね、お言葉に甘えるとしましょうか?」
「そうですね」

観念した二人ははたてに身体を傾ける。
互いの体温がより近くに感じられた。

「それにしても勿体無い」
「何がです?」

文がポツリと零した言葉に椛が反応する。

「どの木も、せっかく綺麗に紅葉してるのに、この雨でいくらか散っちゃうんだろうなぁ、と」

頭上を彩っている、黄色や赤に染まった葉を名残惜しそうに眺める。

「だったら来年も、この場所で紅葉を見ようよ」
「そうですね、守矢神社が見えるのは少し癪ですが」

はたての言葉に椛が同意する。

「良い事言いますねはたて」

今のやりとりがなんだか無性に嬉しくて、文の顔が綻ぶ。
通り雨はまだしばらく止みそうになかった。














「ようやく止んだね」

はたてが二人を抱える姿勢のまま見上げると、西の空に夕日が見えた。

「うぅ、ベタベタする」

雨に濡れた背中の不快感は、納得しての行動だったとはいえ、辛いものがあった。
椛と文も、頭ははたてに庇われて無事だったものの、それ以外の箇所が酷い有様だった。

「おまけに寒いっ!」

風が吹き、身体を冷やしたはたてが身震いして、その振動が腕を回す二人にも伝わる。

「湯あみしないと風邪をひきますね」
「ここからなら私の家が近いので、良ければウチに来ませんか? 狭くて申し訳ないですけど」
「とんでもない。狭い方がより密着できて嬉しいというもの」
「私は最後に入りますので」
「あれー?」

話していると、地面に落ちた雨が気化し、あたりに霧が立ち込めてきた。
立ち込める霧は徐々にその濃さを増して、気づけば数メートル先が満足に見えない。

「もうじき冬ですし、夕霧もこれで見納めですかね」

そう呟く椛を、文とはたては見つめる。

(椛の肌、また白くなった?)

外を出歩く事の多い椛だが、体質なのかその肌は白い。血色の良い白い肌を、二人は密かに羨んでいた。
隊長となり前線に出る機会が減ったからか、椛の肌が依然よりさらに白く感じられた。

「さて、そろそろ行き…………離してください」

立ち上がろうとする椛だが、文とはたてが未だにくっ付いているせいでそれが出来ない。

「もう少しだけこのままで」
「うん。それにこうしてると温かいし」

白い髪と白い肌が霧と同化して見えて、
この霧が晴れたら、椛も一緒に消えてしまうんじゃないかと、そんな根拠のない不安に二人は駆られていた。













< 三日目 >

早朝。椛宅。

「おーい、起きてるかい?」

魚の入った魚篭(ビク)を持ったにとりが戸を叩く。

「んー? にとりさんですか?」

戸を開けて出て来たのは文だった。
たった今起きたばかりのため、眠たそうに眼を擦っている。

「どうして椛の家に?」

奥を覗くと、椛とはたてが布団の上で寝息を立てていた。

「あらら、昨晩はお楽しみだったみたいだね?」
「そうなんですよ。責め慣れてない椛さんを、私とはたての二人掛かりでですね、はたてって実は結構ドSな所があって…」
「なに下らない事言ってるんですか?」

椛が背後から文の脇腹に拳を当てる。結構、力を入れながら。

「うごぉぉぉ~~ッッ」

キドニーブロー(賢臓打ち)をまともに受け、脇腹を押さえて蹲る文。

「昨日の雨で、泥だらけになってしまい。一番近かった私の家に避難して、そのまま泊まっただけですから」
「うん、だいたいそんな事だろうと思ったよ」

軒下には三人の衣装が干されていた。

「こんなにも朝早くからどうしました?」
「朝釣りしてたら思いのほか釣れてね、そのお裾分けに」
「ありがとうございます。朝食は何にしようか迷っていたところです。にとりも食べていってください」

受け取り、はたてを踏まないよう気をつけながら台所に向かう椛。

「そういえばにとりさん」

回復した文が尋ねる。

「確か、ダムの管理チームの一員でしたよね?」
「うん。そうだけど」
「外壁の強度調査は定期的にしているのですか?」

昨日ダムで見かけた河童が気になって尋ねた。

「いいや。出来たのはまだ最近だし、壁の材質はすぐに劣化するもんじゃないから、調査は五年に一回だよ」
「そうですか」

彼らの事が、増々怪しくなった。








椛の家で朝食の後、文は河童の集落を訪れた。

(どうせ守矢に入れませんし、気になった事は全部当たってみましょう)

まず最初に、河童の村長の屋敷を訪ねる。

「お忙しいところ突然すみません」
「いえ、構いませんよ。どうぞ」

以前、『呪われた笛』の一件があってから、村長は文に恩義のようなものを感じており、彼女の訪問を歓迎した。

「天魔様と大天狗様からお話を伺っています。守矢神社が常温核融合による発電を計画しているらしいと?」
「まだ何の確証もありませんが」
「もしそうなら、必ず中止を訴えるべきです」

朗らかな雰囲気を持つ村長だが、この時だけは表情を険しくさせた。

「常温核融合を利用しての発電は、外の世界ですらまだ確立されていない技術です、それを神の力で無理矢理に実現させるというのなら、きっと何時か手痛いしっぺ返しを受けます」

強い口調でそう言い切った。
以前、守矢神社が麓でその一端を披露した事をきっかけに、常温核融合に興味を持った村長は、彼女なりに調べ、そう結論付けた。

「あの…ところで、常温核融合というのはどういったものなのでしょうか? お恥ずかしい話ですが、そういった類は疎くて。掻い摘んで教えていただけると」
「そうですね。少し長くなりますがよろしいですか?」
「お願いします」

村長はホワイトボードを引っ張り出し説明を始める。

「万物は原子で出来ている。まずはこれを知っておいてください」
「ふむ」
「原子と原子がぶつかり合う。その時にエネルギーが生み出されます」
「はい」

その説明は懇切丁寧なもので。理解できない箇所があってはいけないと、単語の一つ一つをきっちりと解説しながら進んでいく。

「私たちの周りにはプラズマという見えない物質に満ちていて」
「プラズマ?」

しかし、だからといって、素人がすんなりと受け入れられるほど、科学の世界は易しくない。

「そこで、科学者たちは磁場の存在に注目しました」
「は…はぁ?」

説明が始まって五分。文の返事に気持ちが篭らなくなる。

「このように、核融合する現象を引き起こすには特殊な状況を用意する必要があります。しかし、常温核融合とは、その名の通り、この部屋くらいの温度でも反応を起こすんです」
「え、ええ…」

十分経つ頃。ホワイトボードは図と文字と表と数式でびっしり埋まった。
もはや文にとって、村長の話は、別次元の世界で起きた全然理解できない神話になっていた。

「そして、電解熱以上のエネルギーが得られれば、それは常温核融合が起きた事になりますが、この仮説を証明するための条件として」
「…」

文は自分は他よりは賢いと、順を追った説明なら理解できない事は無いと自負していた。それが自惚れだという事を知った。
眠たいわけでも、疲れたわけでもないのに、脳が休みたがっていた。頭から煙が出ているような錯覚に囚われる。

「あの、大丈夫ですか?」

口から魂が抜けそうになっている文の様子を見て、村長は説明を中断する。

「概ねご理解いただけましたでしょうか?」
「えーと、その、少ないコストで、大量の水をお湯に変えられる現象?」

僅かな投資で大量の水をお湯に変え、発生した蒸気でタービンを回して電気を作る。それが常温核融合を利用した発電方法であると文はとりあえず理解した。

「…………まあそのような認識で構いません。ところどころ誤解があるようですが」

村長の口の端が震える。常温核融合についての補足説明をしたいが、文の状態を見て必死に我慢してくれているのがわかった。

(なぜこんな事に)

机に突っ伏す文。村長の説明の仕方が悪いわけではない、文の頭が悪いわけでもない。

(おのれ守矢神社)

とりあえず、そんな奇天烈な技術を持ち込もうとする疑惑がある守矢が悪いという事にして心の均衡を保った。

「ところで村長」
「はい」

失いかけた気力を振り絞り、腕に力を溜め、ぐっと身を起こす。

「ダムの中から、見慣れない工具を持った河童の方達が上がって来たのを見ました。何か工事でも?」
「それは変ですね。この時期は特に補修も点検もしてないハズです。どんな者達でしたか?」

職業柄、相手の顔を覚えるのが得意な文。見かけた河童達の顔の輪郭、目つき、黒子の位置、傷痕等を、覚えている限りの特徴を伝える。

「思い当たる方はいますか?」
「います。よくつるんでいる四人組です」

頭痛に苛まれたかのように、頭を押さえる村長。

「腕は良いのですが素行が悪く、お金を積まれればどんな違法な建造もする、ウチの問題児達です」








河童が運営する製鉄所の裏側。
文と河童の村長は、彼らが普段から屯(たむろ)しているというこの場所に足を運んだ。
運が良いことに、彼らはそこにいてくれた。
これからダムに向かうつもりだったのか、彼らの足元には工具箱が置かれていた。

「最近、備品庫にある機材の数が合わないという報告を受けていましたが、貴方達でしたか」
「げぇっ村長!?」
「ダムの底で何か作業をしているそうですね?」
「なんでソレを!?」

村長は手を差し出す。

「設計図があるでしょう? 渡しなさい。良い子ですから」
「…」

四人はお互いの顔を見合い数秒、敵意を剥き出しにして文たちを睨み付ける。女二人に遅れは取らないと判断したのだろう。

「河童と揉め事は避けたいのですが止むを得ま…」
「お待ちください」

扇を取り出そうとする文の前に村長が立った。
コロと持ち手が付いた、まるでトランクケースのような形の櫃を引き摺りながら。

「私の監督不届きです。どうかここは任せていただけませんか?」

四人組が地面を蹴ったのと、村長が櫃に手のひらを当てたのは同時だった。

「ぐおっ!」
「がはぁ!」
「うごっ!」
「ぎひぃ!」

一瞬で地面に跪かされる四人。村長の櫃から飛び出した四本のロボットアームがそれぞれの首根っこを掴み、地面に押さえつけていた。

「設計図はどなたが持っていますか?」
「無ぇよそんなの」
「こう見えて私は気が短いんです。工場長時代に世話をした貴方達がそれを知らないとは言わせませんよ?」
「ひぃ!?」

文には村長の背中しか見えないが、彼女から漏れ出すドス黒い雰囲気から、よほど恐ろしい顔をしているのだとわかった。

「こ、こに」

一人が恐る恐る、リュックから丁寧に折り畳まれた紙を渡してきた。
それに素早く村長は目を通す。

「貴方たち、これが何か聞いていますか?」
「ダム底に眠る英霊を慰めるための祭壇だと…」

確かに、言われてみれば、何かを祀る祭壇に見えなくもない。と村長は頷く。

「これは常温核融合の装置の外装です」

設計図を広げて文に見せた。

「どうやら、貴女と大天狗様の予想は正しかったようです。守矢は核融合による発電所をつくる腹積もりのようです」

それもあろうことか、ダムの水を試験場にして。

「やはりそうでしたか」

村長は四人に視線を戻す。
ロボットアームによる拘束は解けていたが、彼らはその場に正座して頭を垂れていた。
親に叱られた子のようだと文は思った。

「この前、心を入れ替えて真面目になると言いましたね?」
「そうなんですが、こんな俺らを雇ってくれる工場なんてなくて」
「現場の日雇いだってそうそう無いですし」
「かといって工房で何か発明をしようにも、ネジを買う金すら無い」
「そんな時、八坂神奈子様の使いの方がいらしたんです」
「ダムの底に祭壇を立てて欲しいと、周りに要らない不安を与えるから極秘でやって欲しいと。その分、報酬は弾むって」

悔しそうに語る彼らの様子から、その言葉に嘘偽りがないと二人は察する。

「射命丸さん。大天狗様への書状を書きます。お手数ですが届けてはいただけませんか?」
「かしこまりました」









正午を迎える少し前。
村長からの言付けを受けた文は、その内容を大天狗に報告した。

「まさかダムを試験場にしようだなんてねぇ」

大天狗の前には、河童四人組から取り上げた設計図と、村長直筆の手紙があった。

「今回の事に、村長は強い責任を感じているみたいで、天魔様からの許可が下りれば、すぐにでも発電が不可能になるよう細工をすると」
「どうやって?」
「試験運転を始めた瞬間に、ここのパラジウム合金が融解され、ただの鉄くずになる仕掛けを施すと仰っていました」

文は設計図の中心にある、柱のような物体を指さす。

「パラジウム?」
「これが発電の肝らしく、かなり貴重な金属なんだとか」

試験の日まで、守矢が厳重に保管しているらしい。

「つまり、それがダメになれば守矢には大打撃ってわけね」
「はい。おそらく予備は存在しないだろうと」
「わかったわ。さっそく天魔ちゃんに報告して、村長に動いてもらうようにするわ」
「それともう一つ、村長から細工を施す条件として、今回、狼藉を働いた四人組の処罰は、河童に一任して欲しいと」
「それくらい呑むわ。今は発電所の阻止が最優先よ」
「寛大なお心に敬服します」

一刻も早く村長に知らせようと立ち上がる文に、大天狗が声をかける。

「ところで文ちゃん、シマ持つならどの区域が良い?」
「はい?」

大天狗の言ってる意味がわからず、不躾気味な返事をしてしまう。

「ここまで私に有能さをアピールしておいて、出世する気が無いなんて言わせないわよ?」

幹部に取り立てる事を仄めかす。
文の他に、大天狗から依頼を受けて守矢を探る天狗は多数いるが、ここまで有力な情報を持って来たのは文だけだった。

「幹部会でね、文ちゃんの名前がちょいちょい出るようになったのよ」

保守派の頭領からも、以前そんな事を言われたのを思い出す。

「射命丸って姓、年寄りが聞けば『ああ、あの』って言うくらいの名家だったじゃない。ここらでその地位に返り咲いても良い頃じゃない?」
「せっかくですが、私は今の自由気ままな生活が気に入ってるので」
「偉くなっておいたら色々と捗るんじゃない?」
「先代が家柄や血筋で散々振り回されましてね。あまりそういうのには固執するなというのが一族全員に宛てた遺言なんですよ」
「どーりで。昔から射命丸の家の者は、全員が全員、自由奔放なわけね」

過去、何人か射命丸の姓を持つ部下を持った事があるが、優秀な反面、手綱を握るのに苦労したと大天狗は愚痴る。

「では私はこれで」
「うん、ありがとう」

文が去ってから大天狗もすぐに立ち上がる。

「ちょっと天魔ちゃんの所まで出かけてくるわ」

出立する前に、炊事場にいる従者に告げておく。

「お戻りはいつになりますか?」
「すぐに帰るから、いつもと同じ時間にご飯用意しておいて」
「かしこまりました」














大天狗は天魔のもとを訪れ、村長の手紙を渡す。

「明日の朝にでも私達三人で集まって詳しく話したいわね」
「そうじゃな」

そこで入念な打ち合わせをするつもりだった。

「良く突き止めてくれた。よもやダムを使うとは、あの頃から発電所の事を見据えていたとしたら恐れ入る」
「ほとんど文ちゃんの手柄よ。お礼ならあの子に言って」
「それにしても、打ち合わせが明日からというのは有難い」
「どうして?」
「今日の夕方、はたてと予定を入れてある」
「おっ、とうとう伝えるわけね?」
「実はまだそこまで決めておらん」

単純に誘っただけだった。

「まだ迷ってるの?」
「儂とて、伝えねばならんと思っている。しかしアイツのこれからを思うと、躊躇いがな」
「その躊躇いの原因には、はたてちゃんの将来に対する不安とは別に、もう一つあるんじゃないかしら?」

躊躇いの根底にあるのが、はたての将来を案じるものだけでない事を大天狗は見抜いていた。

「どういう意味ですかな?」
「まぁネタバレしちゃうと…」

「天魔様、お昼のご用意ができました」

女中が昼食を呼びに来た。

「やっぱり自分で考えなさい、私そろそろ行くわ」
「いや、大天狗殿、しばし待たれい、待た………あっ」

無情にも大天狗は行ってしまった。

「ひょっとして、何か大事な話をしていましたか?」

女中が申し訳なさそうな顔をして天魔の隣に座った。

「気にするな。ただの世間話じゃ」
「それなら良いのですが」
「のう、儂はどうして、今日まではたてに真実を伝えられなかったと思う?」

自分と最も同じ時間を過ごしたであろう者に問う。

「天魔様のお心は天魔様しかわかりません」
「そういう無難な返事はいらん。お前の率直な意見をくれ」
「恐れながら申し上げますと、怖かったからではないかと」
「怖い? 天魔である儂があの小娘を怖れるというのか?」

はたてに対して好意を向けている自分が、そんな事はあり得ないと否定する。

「今日、打ち明けられるのでしょう? きっとその時に、全てわかるはずです」
「それもそうじゃな」
「早く戻りましょう。ご飯が冷めてしまいます」
「うむ」

天狗社会にとっての歴史的瞬間が、もう直ぐやってくる。











夕方前。
天魔ははたてを連れ、団子屋を訪れる。

「今日は比較的、温かいですね」
「そうじゃな」

店員に団子の種類と本数を告げると、天魔は店から少し離れた場所に流れている水路を指さした。
下流にある棚田へ水を送る為に作られたもので、幅と深さがニメートルある大掛かりな物だ。

「せっかくの天気じゃ、店先の椅子も良いが、川辺で食わんか?」

水路の周りは、木々や繁みがほどよく群生して垣根のようになっており、寄り付く者も少ない。
内緒話をするにはうってつけだった。

「先に行って待っとるぞ」
「はい、受け取ったら私も行きます」

はたてを残し、一人、水路までやってきて腰を下ろす。

(ここまで来たというのに、儂は、まだ迷っているのか)

昨晩から何度も伝えようと自分に言い聞かせているにも関わらず、まだ決意が固まっていなかった。

(これだけ躊躇うという事は、まだ時期尚早なのか? いや、しかしはたての今後を考えれば早い段階で伝えねば)
「そんなに唸って。何か悩み事でも?」

聞き慣れた声がして振り返る。

「…諏訪子神か」

洩矢諏訪子が手を振る。

「ここに何用じゃ?」
「そっちと同じさ。私もあの団子屋の常連だからね」

天魔が持っていたのと同じ券を諏訪子は出した。

「早苗もあの店の団子が好きだからね。これから持ち帰りで頼みにいくんだ」

幸いな事に、店先にいるはたてとはまだ遭っていないようだった。

「ところで、その眉間の皺の原因は、主に私達かな?」
「発電所の建設は順調か?」

悩んでいたのは別の事だったが、とりあえず合わせることにした。
明日の打ち合わせで使えそうな、有力な情報が引き出せるかもしれないと思った。

「お陰様で順調に進んでいるよ」
「順調というが、発電所というのはすぐに出来るモノなのか?」
「小規模のものなら、半年もあれば竣工できるね」
「どこに建てるつもりじゃ?」
「どこにしようかね。最初の一棟目は河童向けに作るから、この山なのは確かだけど」
「この山に第一号ができるわけか」
「その第一号が重要でさ。最初の一つが建てば、みんなきっと自分たちの傍にも発電所を置いてくれと縋るようになる」
「そうなれば守矢神社の天下というわけか」
「天狗も一枚噛まないかい? 神奈子はウチで利権を全部独占しようと考えてるみたいだけど、私は天狗と組んだ方がお互いに得だと思うんだ。なんせこれには人手がいる」
「それなんじゃがな」
「うん?」
「天狗はその発電所の建設とやらに反対の意を示そうと思う」
「…」

この時、諏訪子は動揺を悟られぬよう努めた。
声が上擦った声にならないよう、ゆっくり冷静に口を開く。

「へー。なんでさ?」
「常温核融合による発電を考えておるそうじゃな?」
「すごいね、もうそこまで嗅ぎつけたんだ。まぁ、あれだけ麓でアピールしてれば分かっちゃうか」

試験場はバレていないとタカを括っているのか、特に慌てふためく様子はない。

「それは幻想郷に必要なものか?」
「必要になるんじゃないかな? 人間にとっては特に」
「安全な建物か?」
「安全さ、なんたって外の技術と神の御業のハイブリッドだからね」
「河童はそうは思っておらんぞ?」
「奴らが無知なだけさ。未知だから根拠のない恐怖心を抱く」
「儂ら天狗は、河童の技術に信頼を寄せておる。河童が理解できぬものを許容するわけにはいかぬ」
「反対っていうけど具体的に何するつもりさ?」
「守矢への土地の売買の一切を禁じ、天狗・河童の作業員の派遣も許さん」
「そんな事でうちらが止まると思うのかい? 労働者なんて、集めようと思えばいくらでも調達できる。土地なんて何処にだってある。地底に一号目を建てたって良いんだからな」

一歩も引かない諏訪子。

「そなたとは、良き関係を築きたいと思っている。だから包み隠さず話そうと思う」
「なんだよ改まって?」

午前中に仕入れたばかりの情報を天魔は口にすることにした。

「秘密裏に行おうとしておるダムでの発電試験、儂ら天狗はとっくに気づいておるぞ?」
「何の話だ?」
「河童から報告があった、守矢神社の命令で妙な物を作らされていると、断ったら何をされるかわからないから大人しく従っているとな」
「ったく、神奈子の奴、何が信頼できる連中に任せているだよ、完全に筒抜けじゃないか」

多少の脚色を交えながら話すと、あっさり諏訪子は白状した。

「試験所がバレてるってことは、試験も当然させて貰えない?」
「そうなるな。悪いが発電所は建てさせん」

ダムは天狗と守矢の協同管理である。勝手にダムに手を加えたとなれば、守矢の契約違反。どんな懲罰を課せられても文句は言えない。

「あーあ、どうすっかなこれから。早苗だけ連れて夜逃げでもしようかね」

冗談とも本気とも取れる声色で諏訪子は言う。

「今度こそ、天狗と連携をとれんか? 神と天狗では、盟友になれぬか?」
「落ち目の神と組んでもメリットなんてないだろ?」
「そんな事は無い。天狗には足りないものが多すぎる。鬼が去って数百年経った今も、鬼が戻って来る事に怯えている。守矢と固く手を結べば、怯えずに済む日がきっと来る」

二柱の強大な力、計略、先見性があれば、天狗はまだまだ豊になると天魔は考える。

「…」

しばらく諏訪子は考えこんだ後、口を開く。

「発電事業から手を引く条件として幾つか頼みたい」
「構わぬ」
「まず資本の援助だね。先行投資でかなり散財した」
「よかろう。事業撤廃による損害は儂らで補填しよう」
「次に守矢神社への信仰。半強制的に天狗は私達の信者になって欲しい」
「いくら儂でも思想まで決定することは出来ん。どの家にも神棚を置く程度でも良いか?」
「構わない。あともう一つだけ」
「まだあるのか?」
「これからも早苗と仲良くしてやって欲しい」
「お安い御用じゃ。いつでも遊びに来いと伝えてくれ」
「よし決まりだ。私が神奈子を説得する。天狗の信仰が手に入るなら納得すると思う」

諏訪子は手を差し出すと、天魔はその手を握る。

「ここ最近、ずーとダムの事で不安だったから、なんだか解放された気分だよ」

手を離してどかりと座る。憑き物が落ちたかのように、諏訪子は穏やかな、見た目相応の笑顔を天魔に向けた。

「正直、天魔様とは争いたくなかったんだ。そうならなくて良かったよ。姫ちゃんと早苗も友達みたいだし」
「儂もじゃよ。あの二人が成長する頃には、天狗と守矢の結束も生まれよう」
「しっかし河童の連中も度胸あるな。後で祟り神からキツーイお灸を据えられると思わなかったのかね?」
「その話、実はついさっき仕入れた情報でな。実はこれから対策について話し合う事になっておった」

すかさず河童のフォローを入れる。本当に怒りの矛先が向いてしまうのを防ぐためである。

「ハハッ。なんだよ。カマ掛けられたのかよ」
「すまない」
「良いよ良いよ、今となっては過ぎた話だ。早苗にとっても、こうなってくれて良かった」

大きく伸びをしてから立ち上がる。

「さてと、じゃあこっちは団子でも買って帰るよ」
「神奈子神によろしく頼む」
「任せといてよ。あっそうだ」

思い出したかのように諏訪子が振り返る。

「ッ!?」

天魔は体の内側が、熱くなるのを感じた。
熱さの後、遅れてやってきたのは激痛だった。

「お、ぬ…し」
「耄碌したな天魔ちゃん。『これから対策』だって? じゃあ、今、全ての采配を下すアンタを殺っちまえば、時間が稼げるわけだ」

諏訪子の手が、天魔の腹を貫いていた。

「こっちは発電所が起死回生の一手なんだよ。早苗の命を保守派の的にしてでも進めてきた。半端な覚悟で邪魔しないでもらおうか?」

諏訪子の手が、臓腑をかき回し、臓器を一つ一つ掴んでは握り潰していく。

「悪く思わないでよ。一号目の建設に全財産を賭けてる。一号館が頓挫した瞬間、私達は無一文どころか負債しか残らない。可愛い早苗を路頭に迷わせるわけにはいかない」
「っぉ…」

天魔は、自身を貫く諏訪子の腕を掴む。

「こんな事…を、して、ただで済、むと…」
「思うさ。目撃者がいなければ、犯人が誰だかわからなければいい」
「ただでは…死なんぞ?」

万力のような力で、掴んでいた諏訪子の二の腕部分を握る。

「恨み、祟る、の…は、お主だけ、の特権だと……思うな」
「離せよ」

腕を腹から乱暴に引き抜き、その手を払う。

「肺と心臓は勘弁してあげたよ。別れの挨拶くらいは必要だろうし」

諏訪子の視線の先、繁みと繁みの隙間から、こちらに歩いているはたての姿があった。

「アンタとはお互い、良き理解者になれると思っていたんだけどね。残念だよ」

諏訪子の身体はまるで地面に埋まっていくかのように沈んでいき、やがてその姿を消した。






「ぐっ、ぉ」

天魔は体を起こすと、這って最初に座っていた位置に戻った。
傷口を押さえ、はたてが来るのを待つ。
赤みがかった砂利のお蔭で、滴った血は目立たなかった。







「二本、おまけして貰えましたよ」

天魔の隣に座り、団子が乗った皿を置く。
はたてが座った位置は、諏訪子に刺された箇所の反対側だったため、怪我に気付くことはなかった。

「いただきます」
「全ては儂の自己満足じゃった」
「天魔様?」

三色団子の串を取ろうとしたはたての手が止まる。
怪我を悟られぬよう努めながら、天魔は語りだす。

「昔、儂には何人も娘がおったが。天魔の血筋はその強すぎる力ゆえか、殆どが精神や体に異常を抱えており、その多くが短命だった」
「あの?」

はたてが不審に思っているが、構わず続ける。

「娘の一人が男の子を生んだ。娘は彼を生んですぐに死んだ。残されたその子供は成長し、やがて妻を娶り、その妻の中に命が宿った。しかし、わが子が生まれるよりも先に病で死んだ。
 妊娠中に夫に先立たれた事で妻は精神を病み、無事に子は生まれたものの、とても育児ができる状態ではなかった。だから儂はその子を引き取り、娘のように扱った」

天魔にとっての曾孫こそが、はたての母に当たる人物であるが、何も知らされていないはたてに、察せられるワケがない。

「優秀な子じゃった。教えたことはすぐに吸収し、好奇心も強く、自分で考え解決する力もあった。まさに神童じゃった。体が弱いという点を除けばな」

徐々に意識が薄まっていく中で、懸命に頭と口を動かす。

「病弱であったが、己の体とうまく付き合い、高名な術師として名を馳せた。このままいけば儂の全てを継承してくれると信じておった」

この頃が彼女と過ごした日々の中で最も楽しかった。今のはたてと過ごす日々のように。

「そろそろ所帯を持っても良い年頃だと思い縁談を勧めようと思った。血筋や家柄を考慮して最適の相手を見つけ、いざ紹介しようとした矢先、アヤツはどこの馬の骨とも知らぬ男を連れてきた」

あの頃の自分がどうかしていた事に、長い時間をかけてようやく気付いた。

「儂はやつを一方的に絶縁し、追い出した。儂の元を離れれば満足に療養できぬということを知りながら。
 本人は懸命に生きたが案の定、わが子が独り立ちするよりも先に逝ってしまった」

はたてが辺りを気にしだす、どうやら血の匂いに気付いたようだった。

「残された娘は、今でこそ風を操る鴉天狗と千里先を見る事ができる眼を持った白狼天狗に出会い、青春を謳歌しておるが、辛い時期を過ごしていた」
「え? あの、それって」

匂いの出所を探してたはたての視線が、天魔に注がれた。

「お主の母は、儂の曾孫にあたり、その娘であるお主は儂の玄孫にあたる」

ここまで語り、とうとう限界を迎えた天魔の身体は傾き、はたてに受け止められる。

「死ぬ前に伝えられて良かった」
「なに、これ?」

天魔を抱き留めたはたての手が真っ赤に染まっていた。

「天魔様!? 怪我をっ!?」

血の匂いの元がどこか、今になって気付く。

「はたてよ」
「早くお医者さんにっ!!」
「聞くんじゃ」
「血が…血がこんなにも…」
「聞け!!」
「っ!」

パニックを起こしかけていたはたての精神が、天魔の一喝で均衡を取り戻す。

「覚えていないだろうが、幼い頃のお前に、儂は酷い事を言ってしまった。そして、お前の母にしてしまった事は、到底許されることではない。
 あの頃の儂にもっと寛容さがあれば、お前たち母子はいつまでも仲睦まじく暮らせていた」

天魔の表情が、母の今際の姿と重なって見えた。
その表情に込められているものと、これからどんな言葉が零れだすかを、はたては知っている。

――― やめて。

小さな手が、はたての頬に触れる。

「綺麗な目じゃ。優しい、温かい感じがあの男にそっくりじゃ」

――― やめて。

幼い頃に負った心の古傷が疼きだす。

「許されんとはわかっておる。だがどうか、言わせて欲しい」

――― やだ、聞きたくない。

はたてがそう願うも、その言葉は天魔の口から紡がれた。

「すまなかった」

その言葉を発した直後、天魔の全身から力が抜ける。

「貴女までそんな言葉を私に残さないで!!」

両目にいっぱいの涙を溜め、はたては叫ぶ。

(ああ、なんじゃ、そういう事か…)

霞んでいく視界の中にはたてが映る。何を言っているのかは聞こえないが、とても悲しい顔でこちらを見ている。

(儂は怖かったんじゃな。はたてに嫌われるのが、真実を知って拒絶されるのが。今の関係が崩れてしまうのが)

何故、今まではたてに真実を告げる事を躊躇っているのかが、死の淵でようやく理解できた。

(伝えられて良かった)

穏やかな表情を浮かべ、天魔は崩れ落ちた。

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