Coolier - 新生・東方創想話

約束の場所へ 縊鬼の事

2014/10/29 01:50:38
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 じわりと蝉の声が響く神社の朝。霊夢は風通しの良い縁側で、風を待ちきれず団扇で扇いでいた。
 流れない空気にやきもきしていると足音が聞こえて来た。こんな時間に神社に来る奴は大抵参拝客ではないので、様子を見に行く気にもならない。
「あ、いたいた。霊夢もこの暑さではダウン気味なんだ」
 足音の正体は妖夢だった。やっぱり参拝客ではない、霊夢は団扇を動かし続ける。
「今日は特別暑いかも、冥界の幽霊二三人分くれない?」
「何て物騒なこと言ってるんですか」
「お中元よ、お中元」
「死者への供物を送るのがお中元ですよ、本人送ってどうするんですか。大人しく暑気払いでもしていれば良いんです」
「暑気払いは毎日のようにやってるわ、今日も魔理沙と二人で一杯やるの」
 呆れ気味で二の句を告げない妖夢に軽く笑みを返し、霊夢は扇ぐのを止めた。

「それで、あんたは何の用なのよ。暑気払いのお誘い?」
「冥界は避暑地にいいかも、って違います。冥界から幻想郷に出てしまった者がいて……何をしでかすか分からない故、一応要所には伝えておこうかと」
「ふーん、まあ見つけたら精々涼ませて貰うわ」
 人間が冥界に行けるくらい、今の幻想郷と冥界の結界は弱い。そういうことも有るのだろう。霊夢はつまらなさそうに空を仰いだ。
「いや、冥界に連れてきてくれないと困りますからね」
 妖夢の言葉を耳半分に聞くと、今度は空から手を振る魔理沙が見えた。また参拝客じゃ無いなぁと思いつつ霊夢も手を振り返す。魔理沙はさっと縁側の陰に降りてくると、帽子を脱いで手で顔を扇いだ。
「よう。今日は暑いな、絶好の暑気払い日よりかな」
「暑い日が暑気払いに絶好って、ちょっと本末転倒だけどね」
 霊夢は団扇で軽く魔理沙の方に風を送る。妖夢も両手でささやかに風を送ってやり、魔理沙は少しだけ目を細めた。
「今日は本当に暑いですからね、用がなければ外に出ない方が良いかも……」
「用がないのに外にでる程、私は暇じゃあないぞ」
 魔理沙は申し訳なさそうに、やや声を落として言う。
「もしかして夜の事? 私の所でやるのよね」
「ああ、それなんだがな。すまんが今日は暑気払いできん」
 
 霊夢は扇ぐ手をそのままに、少しだけ考えて「そう」と一言返した。悪戯をした後みたいな魔理沙を見ると、急用でもできたのだろう。
 そりゃあ暑気払いなんてのは、優先度で言ったら下の下の下だ。少し残念だけれど、今日は仕方があるまい、またにすればいい。
 暑気払いなんて、いつだってできるのだから。

「ちょっと待ってください」
 妖夢が扇ぐ手を止めて、ずいと魔理沙に詰め寄る。
「どうして? 今日は霊夢と暑気払いの予定ではなかったんですか?」
「なんであんたが暑気払いの心配してるのよ」
「ちょっと約束をしちまって、本当に悪いと思ってるが」
 魔理沙は後ずさりつつ、困り顔だ。でも約束を後からしたというのは、霊夢も少々聞き捨てならない。下の下の下でも先にしたのはこっちだ。
「まあ何の約束か、ぐらいは聞かせて貰ってもいいのかしら?」
 霊夢の問いに、魔理沙は頬を掻きながら答えた。
「そのな、私は首を吊って死ぬ約束をしちゃったんだよ」

 明るい調子とかけ離れた言葉に、霊夢は扇ぐ手を止めた。余計に聞き捨てなら無い言葉が聞こえたような気がする。うまく言葉が飲み込めず、蝉の声が響く。
「えっと……な、なんて?」
「首を括るから、暑気払いは行けないんだ。とりあえず霊夢にだけは言っておこうと思ったんだ。じゃあちょっと行ってくる」
「ちょっとって、待ちなさいよ!」
 帽子をかぶり直そうとする手を霊夢は思わず掴んだ。
「むむ、やっぱり」
 妖夢は額に手をやりため息を吐いた。
 先ほどの件が関係しているらしい。霊夢は魔理沙の手をしっかりと掴んだまま、逡巡した。そんな約束を人間とするわけがない、ましてや履行しようなどと、あり得ない。
 間違いなく人ならざる者の仕業だ。
「あんた、縊鬼(いつき)にでも会ったわね」
「そうみたいですね」
「縊鬼って……何だ?」
 魔理沙がきょとんと疑問符を浮かべた。



「いい? 縊鬼っていうのは、自分と同じ死に方をさせる幽霊、もとい妖怪なの。特に首を括らせようとする奴が多いから、縊死させる鬼で縊鬼って呼ばれてる。確か生き返る為に人に死ぬよう誑かすのよね、自分から死ねって」
 状況が理解できてないであろう魔理沙を座敷に上げて、いかに馬鹿な事をしようとしているか説明することにした。当人はめんどくさがっていたが、幸い拒絶せず座卓に座ってくれた。
「ええ。冥界に行って転生をするためには、同じ死に方をした人が新たに来ないといけない、というシステムが古来には有ったそうです。今はそんな事しなくても、というか多過ぎて逆に転生できませんけどね」
「じゃあ魔理沙が死んでも犬死にって事でしょ?」
「数合わせを誤魔化すことはできるかな。冥府は結構どんぶり勘定なので、ひょっとすると生き返ることは出来るかも」
 そこは上手く死んでも無駄だと言って欲しかった。
「とにかく魔理沙は良いように利用されてるだけ。わかった?」
「そんなこと言われてもなぁ、約束は約束なんだ。あんまり邪魔するなよ。今だってその縊鬼って奴に霊夢との約束を断ってくるからって、わざわざ時間をもらったんだ」
 魔理沙は至極まじめにやや不機嫌な様子。霊夢と妖夢は冷や汗混じりに顔を見合わせると、寄り合って小声で話す。
「どうすんのよ」
「霊夢こそどうにか出来ないの、お払いとかで」
「縊鬼が直接憑いているわけじゃないからね、約束したって思ってるのは質が悪いわ」
「縊鬼本人を見つければ私が直接捕まえますが……」
「それまでに魔理沙をどうにかしないとってわけね」
「この際縛り付けてでもおくとか?」
「万が一失敗でもして、早まったら厄介よ。幸い話は聞いてくれるみたいだから、時間を稼いだ方が良いと思う」
 再び魔理沙を見れば、頬杖をつき、指先で座卓を叩き、見るからに早くして欲しそうだ。
 あんまり悠長に考えている暇も無い。
「えーと、その、そうだ! 今年の春、幽々子様にまた桜を見に行くって言ってましたよね!」
「ん、ああ……そういえばそんなことも言ったかな」
「なら、幽々子様にも断ってからにしましょうよ!」
 妖夢が意気揚々と魔理沙に提案する。
 霊夢の所に来たのだから、他に人の約束だって悪いとは思っている筈だ。春に冥界に乗り込み、また皆で騒ごうとか話していたのは、なるほど霊夢の記憶にもあった。
「え、今から行くのかよ」
「死ぬ前に冥界の下見もしといた方が良いじゃないの」
 あまり笑えない冗談だが、とにかく時間を稼ごうと霊夢も食い下がる。
「そうだなぁ、まあ世話になってないとも言えんしな。手早く断っておくか」
 よし、と二人胸をなで下ろす。縁側に出る魔理沙の肩に霊夢が手を置く。
「暇だから、私も付き合うからね」
 一安心だが、差し引きならぬ状態なのは変わらない。打開策を考えなくては……。


 じっくり考えたいところだったが、魔理沙の約束を果たそうという信念は堅いらしく、箒を飛ばしあっというまに白玉楼に着いてしまう。
「幽々子、いるかー」
「はいはい。家捜し?」
 のんびりと縁側に姿を現わした幽々子は、少しだけ眠そうだ。
「そうしたいのは山々だが、ちょっと訳あってな。来年は桜を見に来られなさそうなんだ、一応断っておこうと思ってな」
「……あら残念?」
 幽々子が扇子を広げると、遅れて妖夢と霊夢が姿を見せる。ひんやりとした冥界だが、急いできたのであまり恩恵を感じなかった。
「あんた、早すぎだから……」
「もうちょっとゆっくりしても良いじゃ無いですか……」
「約束の為に急ぐのは当然だろ?」
 至極真っ当な言葉を言うので霊夢も言葉に詰まる。
「幽々子様、じつは魔理沙が――」
 と妖夢が口を開いたのもつかの間、魔理沙がきびすを返す。
「さて、やることやったし帰るか」
 霊夢はぎょっとした。これでは全く時間稼ぎにすらなってない。引き留めようにもそんな道理は無い。
「ふふふ、駄目よ。私はまた桜を見ながら騒ごうって約束したのよ?」
 魔理沙を留めたのは幽々子だった。
「ああ、だから無理そうだから悪いって」
「今からやりましょうよ」
「は?」
「両立出来ない約束ならともかく、出来る約束なんだから、今からやりましょう?」
 幽々子は屈託無い笑顔だ。魔理沙もつられて苦笑いで返す。
「だけど、他の約束もあるしなぁ」
「私とした約束の方が先でしょ? なんだったら今ここで死んでもらっても良いんだけど」
 約束を越え脅迫めいた言葉に、魔理沙は苦笑いを張り付けたまま「しゃーないな」と応じた。
 流石にああいう引き留め方は真似できないだろう、と霊夢も苦笑した。

 幽々子の言葉のおかげで、四人桜の下に集まり、桜を見ることになった。桜とはいえ、夏ともなればもちろん花なんか一つも無かった。いくら葉桜にも趣があるとは言っても、下で騒ぐのには向かないだろう。
 むしろ冥界の桜は生命を感じさせるはずの葉ですら、どこか儚げで見てるだけで鬱蒼とした気分になりそうなくらいだ。
「おいおい、私はお花見しようって約束かと思っていたが、本当にこんなんで良いのか?」
 妖夢が魔理沙に八つ当たり気味に詰め寄られて四苦八苦している。
「まあ、たまにはこういうのもあり……じゃないかなー」
 目を泳がせて、幽々子と霊夢に助け船を求めるが、二人とも別の方に目を泳がせた。
「なら私にも楽しみ方を教えてくれよ」
「え。ああ、はい、もちろん。私が剪定してるんですからね、ほら、あそこの切り方は凝ってまして……」
「どれも一緒に見えるぞ」
「そ、そんなことはー、無いんですよ? 緻密な計算の上ですね……」
 妖夢が魔理沙に冷めそうな熱弁を精一杯振るう中、霊夢は幽々子に寄った。
「縊鬼の事分かったの?」
「何となくねぇ」
 幽々子は楽しげに扇子で口元を隠す。冥界から霊が逃げた事を問題視した方が良いとも思ったが、その辺りは幻想郷側にも問題がありそうだし、しょうが無いだろう。それよりも今は魔理沙の方が霊夢にとっては問題だ。
「でもあの調子じゃ、そのうちまた死のうとすると思う。あいつ変に律儀だから下手な脅迫とかは効かなさそうだし……」
「心配性ね、縊鬼を退ける方法も有るじゃない」 
「退ける方法?」
「一応こちらの失敗でもあるから、手本は少し見せて上げる。でもあの様子じゃ、どのみち私に出来るのは少しだけかも。後は自分達でどうにかしてね」
 横目に魔理沙を写しながらそう言うと、幽々子は扇子を閉じて魔理沙の横に着いた。手には徳利が一つ。
「どう? 思ったよりは楽しいでしょう」
「お前の庭師の話すごいつまらんぞ。御伽衆か何か雇ったらどうだ」
「う、ひどい。じゃあ今度は石庭の整備の苦労を……」
「いらん」
「あら本当につまらない。ごめんなさいね、お詫びにお酌させて」
 幽々子がはんなりと猪口をおしつけ、徳利を傾ける。魔理沙は渋い顔をしつつも、流石に避けるわけにもいかない。
「悪いが、今はあんまり呑みたく無いんだ」
「いいから、いいから」
「わざわざ待って貰ってるのに、酒呑んで行くわけには行かないだろ?」
「私にだって面目というのがあるもの、一杯だけでも呑んで」
「今は霊夢と私くらいしか居ないぞ、そんなもん気にしなくていいじゃないか」
「私自身が気にするのよ」
 実に断りづらい言い方で、押し問答を繰り広げる。
「ああ、幽々子様……私の尻拭いなんて、見ていられません……」
 魔理沙と幽々子につまらないと一刀両断された妖夢は、落胆した声色を上げている。
「なるほど、あれが縊鬼を退ける方法みたい」
「はっ……私を庇って面目を保とうとする事が?」
「ばか。酒呑ませるのが、よ」
「ああ、でもそんなことしてどうなるんです」
「そういえば縊鬼と約束したって言った人を乱心と思って、酒呑ませて寝かせた話が有るにはあるのよね。起きたら正気に戻っていたってオチ」
「なんだ酔い潰しちゃおうって事、憑かれてはいないから後遺症も無さそうだし。幽々子様はそれで面目とか言ってお酒飲まそうと……」
「褒められた話では無いんだけど……時間稼ぎには有効ね」
 改めて二人を見れば、観念した魔理沙が猪口に口を付けていた。
「ふふふ、美味しいでしょ?」
「む、確かに旨い……いい冥土の土産になりそうだ」
 ここがその冥土なのに何いってんだか。緊張感の無い会話を聞きながら、霊夢は次どうするか考える。とにかく酒を呑ませてつぶせば魔理沙が死のうとする事は無いだろう。
 ただやはり、今の魔理沙に一気に呑ませるのは難しいらしかった。
「一杯呑んだんだから、もういいだろ」
「まぁ、一杯っていっちゃったものね」
 魔理沙は持ち前なのか、変な真面目さが遺憾なく発揮され、決めた事は中々曲がらない。
「魔理沙の事だから、他にも断っておいたほう良い事あるんじゃないの?」
「何をだよ」
「約束よ、他にもしてあるんじゃない」
「したっけなぁ」
 本当にしたかなんて霊夢も知る由はない。けれど、魔理沙の顔の広さなら、掘り出せばいくらでもあるだろうとは、想像できる。
「それに別れの挨拶くらいは、縊鬼だって許してくれるんじゃないの、もう少し世話になった奴の所行きましょうよ」
 魔理沙は霊夢の言葉に少し考え込んで、立ち上がった。
「そのくらいはいいか」
 何とか良い方向に転がせた。霊夢は心で安堵しつつ、
 壁のように暗い冥界の空を魔理沙はぼんやりと見上げた。

 妖夢は縊鬼の素性を調べるからと冥界に残り、霊夢と魔理沙は冥界を後にした。幽々子は一人でももう少し呑むと桜の下を離れなかった。中々に我が儘だ。
 再び戻った幻想郷は暑苦しい蝉の鳴き声で迎えてくれた。相変わらず風もなく、飛んで無理矢理空を切って感じる風も、蒸した空気だ。丁度太陽も登り切ったらしく、少し飛んでいただけで汗ばんできて、光が辛い。
 ただでさえ暑い近日でも、並々ならない事は霊夢も魔理沙も肌で感じとり、無闇に日に当たっているのは良くないと判断した。二人は山の麓辺りに鎮座する、大きな楠の陰に入った。

「しっかし暑いな、やる気がそがれる」
「なら首括るのもやめたら?」
「そういう訳にはいかん」
 帽子で顔を仰ぐ魔理沙は相変わらず頑なだ。
 騒がしい蝉時雨のせいであまり話す気にもならない。
浮かんだ汗が少し引いた頃、のんびり歩いてくる陰が見えた。こちらに気がつくと、小走りになって汗ばんだ髪をゆらし、木陰へと入って来る。
「ひー。今日は暑いですね、私も混ぜて下さい」
 駆けてきたのは早苗だった。息を整えつつ、木の根のこぶに座った。歩いてきたらしく、相当暑そうだ。
「こんな日も布教してるのか、ご苦労なこったな」
「はい、でも行ったら結婚式とかやってましてね、布教するムードじゃないと思って早々に引き上げて来ちゃったんですよ」
「ふーん、無駄骨だったわね。こんな日に布教しようとするから、罰が当たったんだわ」
「えー、そういうもんですか?」
「そういうもんよ。それより早苗さ、ちょっといい?」
 ぱたぱたと上着をはためかせる早苗に、霊夢は小声で近づく。魔理沙が縊鬼のせいで死にそうなので、時間稼ぎに協力して欲しい、と頼んでみた。
 早苗は驚いていたが、すぐに応じてくれた。
「そう言うことなら力になりたいですが、約束をしているかと言われると……」
「別に直近でなくても、何でも良いのよ、覚えてること無い?」
「あ、そう言えば……去年の暮れに一つ約束しましたが」
「本当! どんな約束?」
 早苗は目を細め、ためらいがちに答えた。
「お鍋を食べようと。それでも良いですか?」
 この暑いのに、鍋。あまりに縁のない言葉に内心は怯みつつも霊夢は頷いた。
「もう、何でも良いから、やるのよ」
「さっきから何話してるんだよ」
 魔理沙がぬっと出てきて、慌てて早苗と離れる。
「早苗が約束した事あるんだって」
 ふむう、と魔理沙は口を曲げた。


「で、約束ってこれなのか?」
 果たせる約束がある、そう押し切って魔理沙を守矢神社に連れてきた。早苗には楠の下から急いで帰って貰い、準備して貰ったのでちょっと申し訳なかったが、結構乗り気だったらしい。
 まず出迎えてくれたのが、冬の代名詞と言っても過言ではない、炬燵だった。
「だって魔理沙さん、暮れに来年も炬燵に入りたいって言ってたじゃないですか、それにお鍋も食べたいって」
「確かに言ったかもしれない。しれないが……常識的に考えてだな――」
「折角用意してくれたんだから、さっさと入りましょう」
 霊夢は魔理沙の言葉を遮って背を押し、無理やり炬燵に入らせる。霊夢も向かい合うように炬燵に入った。おや、意外と布がひんやりして気持ちいいかも? と思えたのは一瞬だけで。律儀にも早苗は炬燵の中に火種を用意していたらしく、炬燵の中は灼熱だった。
「じゃあ私、お鍋の用意もしてきますね」
 襖の奥に消えていく早苗に魔理沙は深いため息を吐いた。
「確かに約束はしたさ。でも普通冬だろ、あいつは何考えてるんだ」
 魔理沙のため、というとまたややこしいので言わない。言っても恐らく理解できないに決まってる。
 蝉の声が弱々しく響いてくる。というのも締め切っているからなのだが、話すには丁度良い音量だ。
「それよりさ、あんた縊鬼に会ったんでしょ? その時のこと聞かせてよ」
 妖夢が調べてくれているとは言え、魔理沙から情報を聞き出せるはず。ただ待っているだけは霊夢としても嫌だった。
「会った場所は口止めされたから言わん。見た目はぱっとしないが、案外良いやつそうだったな」
 全くもって良い奴には思えない。だが口止めをする辺り、展開を読む程度の勘の良さは持っているらしい。
 鼻を鳴らして、霊夢は魔理沙を睨む。
「あんた縊鬼に肩入れしてない? 縊鬼は元々首吊って死んだ馬鹿な奴なのよ。自殺か悪さしたかは分からないけど、どっちにしろ首つって死ぬ奴にろくな奴は居ないわ」
「自殺した奴が、本当に死にたいと思っていたかは分からないぞ」
「……何馬鹿な事言ってるんだか」
 訳のわからないと思ったが、目の前の魔理沙だって自発的では無く、そう心を動かされている。縊鬼もそうだったのだろうか? 確かに自分から死にたいなんて、思うよりも思わされてしまう物かもしれない。
 霊夢がふと考えていると襖が開いて、早苗が現れた。
「はーい、お待たせしました!」
「ついに来ちゃったか」
 小柄で土台付きの五徳らしきもの――早苗曰くカセットコンロを真ん中に置くと、その上に鍋を乗せた。
「今から煮立たせますので」
 不思議そうに見る二人を前に、早苗は勿体ぶって黒いツマミをひねった。ちっちっちと鳴いて青い炎が現れる。
 おー、と感嘆が漏れた。ガス七輪など、全く見たことないわけではないが、こう小さくて独立しているのは霊夢と魔理沙の目にも珍しい。
「へぇ、小さい焜炉かしら。便利ね、綺麗な火だし」
「これは安価に作れるので、きっと普及しますよ」
「まあミニ八卦炉に比べるとちょっとしょぼいかな」
「火力で言えば確かに、私もゴミとか燃やすときはあんたの八卦炉ちょっと羨ましいし」
「これは調理器具だから、これで良いんです」
 ちょっとふてくされ気味に言うと、早苗も炬燵に入った。時々ちらつく赤い炎を三人黙って眺める。
 冬ならば閑寂の中で見る炎も乙かもしれないが、如何せん蝉の声も漏れて来るし、暑すぎて感傷に浸る隙もない。
 あからさまに異常な状態で、それきり誰も言葉を発さなくなってしまった。
 くぐもった蝉の声が響き、静かな炎の熱は徐々に部屋に広がり、炬燵がそれを後押しする。
 そんな状態だと黙っているのも辛くなってきてしまう。
「そういえば、里の結婚式が中々盛大で良かったんですよ!」
 耐えかねた早苗が空元気な声を出した。
「ほー、私たちがよく分からん桜鑑賞している間に里は華やかだったんだな」
「新婦は未亡人だったそうですけど、何でも両替商だかなんかで金持ちの人から求婚されて……」
「玉の輿ってやつ?」
「そんな下世話な話じゃないですよ。始めは振られ通しだったそうなんです。親族からも未亡人なんてと反対されたそうで……でも新郎のハートは燃えていたのです!」
 やや気分が乗っているのか、苦し紛れか、早苗はこぶしの聞いた口調で続ける。余計に暑苦しい、とは言いたいけど霊夢も言わない。
「最終的には家を捨てる覚悟を見せて、お前を幸せにするって約束したんだそうですよ! 新婦ももう一度そんな約束に身をゆだねるのも良いかな、となったわけです」
「約束ねぇ」
「執念の勝利ってわけだな」
「魔理沙もするならそういう約束してもらった方が良かったんじゃ無い?」
「普通の魔法使いは独り身が多いもんだからな。霊夢こそ、そういう時のためにお淑やかにした方がいいんじゃないのか」
 魔理沙がけらけらと笑う。
「もう、お二人にはロマンテックが伝わらないんですか?」
「何がろまんてっくだ、お前だってミーハーなだけだろ」
「えー、バレました?」
 珍しく色のありそうな話をしても、いかんせん砕けてしまうのは、いつものことだ。霊夢が可笑しく見ていると、魔理沙が一通り笑い終わって一息ついた。
「まあ私にはいろんな意味で縁のない話だろうな」
 別に作戦でも何でもなかったが、将来の話をしてみても、やはり未練に押されて辞めたりはしなさそうだ。霊夢はこたつの中の脚を少し崩した。
「その……縊鬼っていうのはよく出る物なんですか?」
 魔理沙を見た早苗が熱気のこも声で言う。
「幻想郷にはあんまり居ないんじゃ無いかと思うんだけどね」
「ほう、じゃあ外の世界には沢山いたりするのか?」
 魔理沙も縊鬼自体には興味があるらしい。
「さあねぇ、でも……早苗は外に居たなら、七人岬とか知ってる?」
 早苗は額の汗を拭いつつ、こくこくと頷く。
「海に出てる七人一組の妖怪で、一人溺れさせるとその人が一団に加わって、代わりに一人が成仏する……って奴ですよね」
「あれなんかも誰かが死ぬことで一人玉突き式に出るでしょう、縊鬼から派生した奴みたいね。他にも湖とかで死んだ奴が、近くに通りかかった奴を引き込む、とかね。道連れみたいなことする奴は、縊鬼と似たような系統だと思う。そう考えると人が多い方が出てくることも多い」
「むむ、そう言えば交通事故で亡くなった人が、仲間を作ろうとさらなる事故を起こすとか、都市伝説で良く聞きました」
「それはよく分からないけれど……死に方も色々あればその分多いかも」
「じゃあ餓鬼も縊鬼なのか? 憑くと腹が減るし」
「考え方で言ったら並列の存在じゃないかしらね、どっちも大陸的な鬼の考え方なのよ、死んだのと同じ目に遭わされるってね。同じ死に方を見たり聞いたりする恐怖は克服できる物じゃないわ」
「確かに科学には荷が重い話かもしれませんね、心理学的な話と言いますか」
「とにかく、そういう妖怪。幻想郷でも出なくはないだろうけど……出るとしたら、幻想郷で死んだ人って事かしらね」
 言い終わると霊夢は鍋に目をやる。沸々と豆腐が動き出したが、暑さでもがき苦しんでるみたいだった。
「もう良い頃ですかね」
「見るからに暑そうだ、本当にこれ食うのか?」
「約束なんでしょう、私も手伝ってあげるから……取り皿ある?」
「お酒もありますので一緒に持ってきます」
 早苗はそそくさと出ていくと直ぐに取り皿と、案の定熱燗を手に戻ってきて、魔理沙ががっくりと肩を落とす。
「我慢大会する約束なんてした覚えはないぞ」
「まあまあ、あんたの好きなキノコよそってあげるから」
 霊夢はシイタケを適当にごろごろと取り皿に入れ、魔理沙の前に置いた。
「私を何でもキノコで懐柔できると思うなよ」
 ぶつくさ言いながらも、魔理沙はシイタケに噛みついて熱そうに咀嚼していた。
 とりあえず時間稼ぎにはなりそうかな。霊夢はほっとして鍋に舌鼓を打つことにした。
 
 が、舌鼓どころかあまりの暑さに、打ちひしがれた。必死に三人、姦しく鍋を突いていたが、すぐ尋常ならざる熱気に箸の進みは減衰され、やがては停滞した。
「流石にきついですね……豆腐が殺人的な熱さです」
「自分で作っておいて弱音はずるいぞ。しかもなんだよこの鍋、七味入れすぎだろう」
「メイドイン守矢スペシャル鍋ですよ」
「鍋を形容する気が皆無のネーミングね」
「おお、これもメイドの土産というわけか」
「下らない事言っても全然涼しくないわよ」
 実際には大根おろしたっぷりで、みぞれ鍋の様だ。早苗の冬らしさの演出なのかもしれない。これも全く涼しげでも無いが。
「舌が麻痺してきて、熱燗のぬるさがむしろ救いに思えてきたな」
 魔理沙が熱燗にそこそこ手を出していたのはもっけの幸いだ。
 そのままかなりの時間を掛けて殆どの具材を削っていたが、三人とも汗ばんで肌に髪がくっつき、服装もくたびれた風になってしまっていた。服をはためかせて涼を取ろうとするも、蚊ほどの効果しかない。
「あづー。このカセットコンロ? とかいうのいつまで火が出続けるんだよ、蒸し殺すつもりか」
「缶の燃料が切れたら消えますよ。本当は無駄使いしたら駄目って、神奈子様に言われてたんですけどね」
 早苗はあはは、と汗だくの顔をじんわり綻ばせる。
「大丈夫なの? でも神様に駄目って言われてる事やってると思うと、ちょっと楽しいわね」
 暑さと酔いで三人ともタガの緩んだ顔になりつつあった。
「巫女が聞いてあきれるな、早苗はあんな風になっちゃ駄目だぞ」
「いやその気持ちは分かりますよ、私だってやる時は神奈子様にだって反抗したらちょっと面白いかなと思ったりもします」
「あっはっは、もしそうなっても加勢はしないぞ」
 三人で大笑いした、まさにそのとき。
 スパァン!
 と轟く様な音と共に、守矢神社が小さく揺れ、襖が開いた。
 霊夢と魔理沙もびくりと体をこわばらせる。早苗だけが目を丸くして開けた本人を見上げた。
「か、神奈子様、今日は地下の様子を見に行くのでは……」
「もう戻ってきただけだ、早苗こそ早いね。それにしても今日は暑い、地上なのに地下と謙遜ないね」
 神奈子は霊夢と魔理沙の間にはいると、ぐわっと二人の頭を脇に抱えた。
「早苗に変なこと吹き込まないで欲しいんだけどなあ」
 暑さに似合わぬ冷めた目を振りまく神奈子に、二人は苦笑いしかできない。
「暑さ我慢大会かな? それなら続きは地下でやろう、このまま抱えていってやるからさぁ」
 ドスの聞いた声に霊夢は気が遠くなる。このまま連れて行かれたら魔理沙は縊鬼に殺されることはないだろうか。
 いやしかし、本来の目的は縊鬼を倒す事でもあるし……。
 ぐるぐると考える霊夢を目にしてか、早苗がゆっくりと口を開いた。
「ち、違うんですよ。神奈子様、私がお二人を誘ったんです。道具を紹介したくて」
「ほう?」
 神奈子はきょとんとしたあと、目をつり上げた。
「それは缶ガス供給の試験的な材料だ。決して無駄に使っちゃいけないと教えただろう」
「す、すみません……」
「何でこんな馬鹿げた事をしているんだい、そんなに我慢大会したかったのかい」
「違うわよ、魔理沙が縊鬼に誘われて……」
「そうだぞ、私が今日じゃないと……」
「お前達には聞いてないよ」
 ぎゅっと腕を絞められて言葉を遮られる。霊夢が横目にみた神奈子は呆れたようでいて、目の奧で怒っているようだった。眼力に思わず目を反らした。
 早苗はそんな瞳に威圧されながら言葉を選んでいるようだった。霊夢と目を合わせ、お互い小さく頷く。流石に縊鬼の約束をうやむやにしようとしていることは、魔理沙本人にバラしたら台無しだ。早苗には悪いが口を割って欲しくない。
「詳しい理由は言えませんけど、こうするのは約束ですから」
「おいおい、私としたのは約束ではなかったのかい」
「神奈子様とは、無駄に使わないと約束しました。でも今は無駄にしているわけではないですもん」
 神奈子はゆっくりと霊夢と魔理沙の顔を見た。すると、何か気取ったらしく、魔理沙を訝しげに見たが、すぐに早苗の方をむき直した。
「事情はしらん。だけど夏に暖を取るのに使うのが、無駄では無いと言うのか」
「そそ、そうですよ。詳しくは今お話できませんが、決して無駄ではないです」
「何だか今日は頑固だね、何か怪しいよ」
 神奈子は怒っているのは明らかだが、どこか楽しげに言う。
「第一ですね、神奈子様だって神事で変なもんばっか用意するじゃないですか。食べもしない鹿の頭とか、あれに比べたら夏の鍋なんて可愛い物じゃないですか! 見て下さい! 全部食べました!」
 早苗が鍋つかみを手に鍋を見せる。確かに具はかなり片付けたので残りは殆ど汁だ。
「なんだいそりゃ。あはは、もしかしてグレてるつもりなのかい」
 神奈子は心底可笑しそうにすると、霊夢と魔理沙を外に放り出した。何とか足で着地すると、声を荒げる間もなく、神奈子は襖をぴしゃりと閉めてしまった。
 隔てた部屋から一言。
「お前達はもう帰ってくれ。早苗はとにかく此処を片付けろ、炬燵なんて引っ張り出してきて、仕舞うの大変なんだぞ」
 閉まる瞬間、霊夢は神奈子よりも、その奧の顔に目が行った。
 さぞ怯えてるか、しょげているかと思いきや、早苗はウインクなんてかましていて、存外と楽しそうだった。

 放り出された以上、その場に居たたまれない二人は、名残惜しくはあれども、ふわふわ山を降りる事にした。
「早苗怒られてたな、悪いことしちまった」
「今度団子でも買ってきてあげようかしらね」
 態々用意したのにあれでは流石に悪い。
「ううむ、その約束は今はできん……」
 捨て身だったらしい早苗の甲斐あってか、魔理沙も酔いが回り始め、ややふらついていた。とはいえまだへべれけには少し足りないか。また首を括りに、なんて言われる前に何処かに連れ込まねばならない。
 少し太陽が傾いた夏の幻想郷を見下ろして、霊夢は一つ目星をつけた。

「次はあそこ行きましょう」
「あそこって……紅魔館の事か? 因縁こそあれど約束は無いと思うぞ」
「いいじゃないの、咲夜に今後は仕事が楽になるって伝えましょうよ」
「私が居ないとねずみ取りのノルマ超えられなくて困るだろうな」
「ねずみ取りにノルマなんて有るの?」
「外の世界ではあるって藍が言ってたぜ、まあついでだし行ってやろうか」
 振り回されるのに観念したのか、魔理沙もあまり拒否はしなかった。そういえばこうして自分が誰かを連れ回すという事もあまりなかっただろうか。霊夢はどことなく新鮮な気持ちで魔理沙を先導した。

 いくら時間稼ぎとはいえ門番は半ば顔パスの弾幕で片づけて、さっさと内部に進入した。咲夜を探そうとしたが、いつも勝手に出て来るので普段何処にいるのか分からない。霊夢は適当に扉を開けてメイド妖精を驚かしつつ、咲夜を探した。
 寝室、浴室、客室と探しつつ、厨房らしき場所をのぞき込んだ時、後ろから声がした。
「白黒に続いて紅白もこそ泥家業を始めたの?」
 振り向けば咲夜が三角ずきんにはたきを持って突っ立っていた。
「ああ、咲夜……って、あれ! 魔理沙は!?」
 いつの間にか後ろにいた魔理沙が姿を消していた。ぞっとして咲夜を見たが、のんびりと返される。
「あれなら図書館でこそ泥しようとしてたわ。掃除の途中だから先に掃除してたけど」
「なんだ、よかった」
 厨房の扉を閉めて、辺りを見回す。レミリアにでも見つかったら面倒そうだ。見たところ綺麗な廊下しか無い。しかしこそ泥退治よりも、掃除を優先しようというのがストイックというか、なんとも咲夜らしいなと霊夢は思う。
「霊夢と違って魔理沙はいつも通りに見えたけど、何かあったの?」
「ちょっとややこしい事になってるわ。私じゃなくてあいつがね、あんたにもちょっと頼みがあるんだけど……」
 図書館に向かいながら、事情を説明する。咲夜はまた馬鹿な事をとぼやいたが、酔わせるためのワインを用意してくれるという。
「ちょうど今日はワイン作っていたから、良いの持って行ってあげるわ」
「何で夏にワインなんか作ってるのよ、また主のわがまま?」
「今日里で結婚式があるらしくて、良いワインが欲しいって人に頼まれちゃったのよ。お代もそこそこだし、引き受けたってわけ」
 早苗の言っていた結婚式だろう、世の中案外狭いものだ。
「そうやって小遣い稼いでいたのね」
「たまにね。それに新婦がどうしてもって言うんだもの、元夫の命日だから好きだったワインを振る舞うことにしたみたい」
「命日に結婚式してたの? ずいぶん良い趣味してるじゃない」
「どっちも背負って生きたいそうよ。今日はめでたくもあり、めでたくもなしってね。故人の性格なら祝福してくれるだろうと周りの人も言ってたから、まあ良いんじゃ無い」
「ふーん……」
 少々ズレているかもしれないが、堅気な人なのだろう。今の自分には出来そうにない、今日と言う日が不吉な日になってしまったら、ひたすら避けてしまうだろう。
 願わくば今日をそんな日にしたくは無い。霊夢がそうこう考えている内に、図書館に着いた。
「じゃあちょっと用意してくるから、中にいて」

 そう言い残し咲夜はぱっと消えてしまった。
 霊夢が扉を押すと、既に捕まったのか魔理沙が図書館の主である
パチュリーと本だらけのテーブルで向かい合っていた。霊夢に気づくと手を振って陽気な声を上げる。
「おう、霊夢。何処行ってたんだ心配したぞ」
「そりゃこっちの台詞でしょう。咲夜に会いに来たのにあんた何してるのよ」
「どうせ霊夢が見つけたんだろ、私は図書館があると入らずにはいられないからな。とにかくお前も座っとけ」
 魔理沙が隣の椅子を引いて座面を叩く。
 まったく人の気も知らないで、聞こえるように呟いて仕方なしに座ってみれば、パチュリーが眉をひそめた。
「保護者ならきちんと手でも握ってればいい。酒臭いし窃盗未遂はもういいから連れて帰って」
「保護者じゃないわよ、見届け人」
「まあまあ。此処にも世話になったからな、明日にはちゃんと本は返すぞ」
 それを聞いてパチュリーが訳が分からない、と無表情な目を珍しくぱちくりさせた。
「うーんと、実は……ってあら?」
 説明しようと霊夢が前のめりになったが、同時に咲夜が無音で現れて中断された。
 咲夜は軽く笑うと無言でワイングラスを三人の前に置き、当然のように机にのっていたバスケットからワインボトルを手にする。
「よお咲夜、探してたぜ」
「嘘つくな」
「はいはい、お待たせしました」
 それを見てパチュリーが再び不機嫌な顔になった。
「ちょっと咲夜。こんな時間から酒を飲ませる気?」
「あ、そうでしたね」
 次の瞬間もうパチュリーの前のグラスはティーカップに変わり。ついでに霊夢と魔理沙のグラスも既にワインで満たされていた。
「おい、私も紅茶で良いんだぞ」
「霊夢から事情は聞いたわ。これは私がさっき作った熟成ワインなんだけど、いつもに増して上手く出来た自信作なの。折角だから飲んで行って」
「ふむ、メイドの土産ってわけだな」
「さっきもそんなこと言ってたわね……」
 はあ、と霊夢がため息をつくと、パチュリーが魔理沙を睨みつつ紅茶を一すすりした。
「縊鬼にでも絡まれたってわけね、注意力が足りないのよ」
 会話を聞いただけで察しが付いたらしい。素直に感心していると、パチュリーはふと冷ややかな笑みを浮かべる。
「そういうわけで今生の別れなんだ。世話になったな」
「今際の際の鼠なら、本も持ってきてほしかったけれど」
「何言ってんだ、あれは死ぬまで借りたんだ。死ぬまでは渡さんぞ」
「あんた強情になるところ間違ってるわよ」
 魔理沙は、ふふんと何故か得意げにして、ワインを少し口にした。
 けれど急に目を見開いて慌ててグラスを置く。奇妙な動作を不思議に思い、次いで霊夢がグラスを傾ける。
 芳醇なうんたらかんたら、という講釈よりも、まずキツいアルコールに喉が燻された。明らかに普通のワインより度数が高いのだ。下手な日本酒よりも高いかもしれない。
 詳しくないが、ポートワインという奴だろうか。霊夢が推測していると咲夜が小さく微笑んだ、どうやら酔わせる為に一計働かせてくれたらしい。
「死ぬつもりなら、身辺整理でもしておくべきじゃないの。八卦炉はどうするの? 要らないなら欲しいわ、またロケットを飛ばすかもしれないし」
 パチュリーが本をパタリと閉じて、本の山に重ねた。
「ん、ああ……実は昨日ちょっと不調になってな。香霖に預けてあるんだ。そのまま返すか……いや、それよりもさっき霊夢が欲しがってたっけ、霊夢にやろう」
 懐からふやけたメモ帳を取り出すと、一枚にペンでさらさらと文章を書く。『約束証明書』明日の日付を書いて、この紙と引き替えに八卦炉を託す、というわけで頼むぞ香霖。とだけ殴り書いた怪しい証明書を霊夢の胸に押しつけた。
「い、要らないわよこんなの」
「まあとっとけよ、八卦炉は後で引き替えてくれ、明日になったらな、今日は私のだぞ」
 明日だって生きている筈なのだ。こんな物を受け取ったら、本当に明日が無いみたいではないか。捨てちゃおうか、そう悩んでいるとパチュリーがごほん、と咳をした。
「ところで、こんな話を知っているかしら」
「聞いてないから知らないぞ」
 パチュリーは紅茶のカップを置いて、子供に読み聞かせるような口調で、やおら語り始める。
「知識は力なり。なら、聞くべきね」
 そこはかとない剣呑で怪しい雰囲気を感じつつも、三人はパチュリーの言葉に耳を傾けた。
「昔、とある組頭が宴を催した、でもとある同心が時間になっても中々来ない。やっと来たと思えば断りを入れて帰ろうとする。何故か? 理由を問えば、首を括る約束をしたのだ、と同心は答えた。組頭は、これは何かある、きっと乱心しているのだろう、そう怪しんで――」
 打って変わって早口で説明するパチュリーに、霊夢は息を呑んだが、言葉は止まらない。
「酒をしこたま飲ませたのよ」
「んん?」
 魔理沙が首をかしげるのと、霊夢がパチュリーのやろうとせん事に気づいたのは同時だった。
「もう勘弁と言う友人に、客人達が代わる代わる酒を……」
「やめなさいよ!」
「……水を差さないで欲しいわね」
 こいつはネタばらしして、魔理沙を縊鬼の手に堕とそうとしているのだ。
 だが少し遅かった。
「もしかして、縊鬼の話なのか? 組頭は酒を飲ませて酩酊させようとしたんだな」
 魔理沙が不信をあらわにした目で霊夢を見る。霊夢は必死に考えたが、自分でやめろと言ってしまった以上、嘘だと誤魔化すのは難しい。
「貴女だって酒飲まされて、おかしいのは気づいてたんじゃない。それに、この話には続きがある」
「続き?」
「もういいじゃない、悪かったわね」
 そう言っても今更止まらない。
「同心は仲間に酒を呑まされたおかけで、夜には首を吊ろうとは考えなくなっていた。けれど、その日、約束をしたという場所で別の人が首を吊った。縊鬼は友人の事を諦めて別の奴の首を吊らせたのよ」
 魔理沙がゆっくりと顔を曇らせてゆく。
 縊鬼だって相手が遅ければ、しびれを切らし約束を破るのだ。また別の人と約束し、その人に首を括らせてしまう。縊鬼を退けても、退治しないと結局誰かが死んでしまうのだ。
 避けたら避けた先に行ってしまう、当然のことだ。
 だからこそ、酒で有耶無耶にする以上に知られたくなかった。
 魔理沙が険しい顔で頭を掻く。
「霊夢は私の代わりに誰かが死んでも良いってのか?」
「なっ……!」
 誰かのために誰かが死んでも良いかなど、そう易々と答えられるわけが無い。
 でもそういうつもりで連れ回したのだわけではない、筈だ。霊夢は言葉に詰まり頬が熱くなる。
「答えられないの? 自分の知り合いが死ぬのが嫌なんでしょう。自分の都合で誰かを死なせようなんて、縊鬼と何ら変わりないわよ、貴女」
 パチュリーに追い打ちを掛けられて完全に閉口してしまう。
 今現在手詰まりな以上、そんなつもりは無いと言ったところで舌先だけだ。
「そこまで言わなくても……パチュリー様は本が返ってくれば満足なのでは。それならそう仰れば良いじゃないですか」
 見かねたらしい咲夜が、割って入った。
「ふん、何回言ったと思ってるのよ、こいつが死んだら本が返ってくる。それを望んで何が悪いの」
「結局自分の都合じゃ無いの」
 霊夢が小さめに言い返したが、パチュリーは鼻で笑った。
「私はこの図書館に居る以上、蔵書を大切にするのは当たり前。持ち出された本があるなら取り返す、それは私が私自身とした約束、みたいな物よ」
「私だって、妖怪退治は巫女の役目と思ってるわよ」
「なら何でこの鼠を助けようとしてるのよ。保護者でも無い、約束でもした? 違うでしょう。それで他人の約束を破らせようとしてるんだから、酷いもんね」
「いやまあ、もういいだろう」
 魔理沙の一言で会話が途切れ、静謐な図書館に重っ苦しい空気が漂う。下手に長生きし過ぎていない分、パチュリーの口から出る言葉は老獪な言い回しで厳しい。その後にパチュリーが軽く咳き込まなければ、霊夢も言葉を紡げなかったかもしれない。
「よかないわ。私は魔理沙も他の人も死なせるつもりは無い、だからそんな事は考えたって無駄なのよ。分かった?」
 どうせ舌先でしか答えられないのなら、いっそ見栄を張ってやろう。今度は声高に言い返した。
「我が儘ね」
「縊鬼も私もあんたも皆、我が儘なんでしょう、それでいいわよ。だまくらかそうったってそうは行かないわ」
「だまそうとしてたのはどっちだか。咲夜にこんな物まで用意させてね」
 パチュリーは不敵な笑みを浮かべると、身を乗り出して魔理沙のグラスを手にし、脇目もせず一気に飲み干した。
 三人が揃ってぎょっとする。
「おいよせ、そんな一気に呑んだら……」
「う、ごほ!」
 手から滑り落ちたグラスがぱりんと乾いた音で砕け散った。
「ゲホッ! な、なに……これ、ごほごほ!」
 パチュリーは背中を丸めてせきこみ始めた。ただでさえ喘息なのだ、こんな酒を一気飲みしてアルコールが悪さしない訳がない。魔理沙が言わんこっちゃ無いと額を押さえた。
「おお、毒殺されたみたいだな」
「あら大変。お水です、どうぞ……」
「計ったわね……ゲホ!」
 咲夜は困った顔をしながら、水を汲んだコップを差し出すが、パチュリーは止めどない咳に呑むタイミングが掴めず苦しんでいる。しばらくして一口飲んだかと思いきや、まだ小さな咳を繰り返した。
 霊夢は素っ頓狂な事態に口を半開きにして見ていたが、さっとワイングラスだった物を片付けた咲夜に肩を叩かれ我に返った。
「パチュリー様もこんな風になってしまったし、ネタもバレちゃったわね、どうする?」
「どうするって……」
 どうしようもない、今更魔理沙に酒を呑もうとは言えまい。きまりの悪さで霊夢がグラスに視線を落としていると、魔理沙が視線を奪うようにグラスを手にした。
「どうするって、そんなのは決まってるさ。でもその前にメイドの土産は頂いておこう」
 と宣言し、一気飲みした。二人は目を丸くしたが、グラスをおいた魔理沙は一度ふらっとしただけで、すぐに屈託無い顔で笑った。
「行かなくちゃな、約束の場所に」


 パチュリーの悲痛なしわぶき声を背に、魔理沙と霊夢は図書館を後にした。思った以上に時間が経っていたらしく、紅魔館を出ると、茜色が弱くなり始めている。
 そっと飛び上がった魔理沙に霊夢も静かについて行く、騙していたのは事実だ、いつもの様に軽口を叩く事ができなかった。かと言って開口一番謝ってしまったら、今までのことが無駄のように思えてしまう。どう口にしたらいいのか。
 結局上手く言葉に出来ず、霊夢はいつの間にか鳴き始めたヒグラシの声を聞きながら飛ぶ。
 魔理沙が約束の場所へ行こうというのなら縊鬼の所に行くのだろう。こうなったら魔理沙を守りつつどうにか縊鬼を叩くしかない。霊夢はそう覚悟を決めた。


「到着ー」
 魔理沙が降り立ったのは、飽きるほど見慣れた、博麗神社だった。
「え、もしかして縊鬼って神社に居たの?」
「そんな訳があるか。暑気払いをするのだよ」
 思わず口が開いたままの霊夢に、可笑しそうに念を押す。
「神社で暑気払いする約束だろう。夜にやる約束だったからな、今更これだけ断れんさ」
「いいの?」
「何となくこの約束は守らなくちゃと思ったんだ。出来るならやれと幽々子も言ってたしな」
「まあいいんだけどね、じゃあお酒持ってくるけど……呑むの?」
「酒が無くて暑気払いができるか。ただし、私が先に酌させろよ」
 霊夢はあらかじめ用意していた一升瓶とお猪口だけ用意して、縁側から足を出して並んだ。
 けれどその頃には魔理沙の目はとろんとしていて、まどろみの渦中にいる様だった。さすがにポートワインの一気呑みが効いているのだろう。
「ちょっと大丈夫?」
「おお、私が酌するんだから、さっさと猪口持て」
 言われるがまま両手で猪口を持つと、危なっかしい手つきで酒を注がれる。
「縊鬼とはな、魔法の森の入り口で会ったんだ、今もいるかもな」
「あら、それは喋っちゃいけないことじゃないの」
「これはあいつの話じゃなくて私の話だからいいのさ。あいつは首を括ってくれと言って、何故だか私は断れなかった。つい了解しちまったんだ」
「そういうモノだからね、出会ったら負けな奴。一番困るタイプ」
「あいつとの約束は、守らなくちゃと思うんだよ」
 気ままに揺れながら、さっきと同じ調子で同じ事を言う。けど嫌みにも言い訳にも聞こえない。なので咎めようとも慰めようとも思わない。
「まだ縊鬼に会いに行くつもり有るの」
「有るよ、でも今はこっちの方が大事だと思ったんだ」
 魔理沙は限界のようで、目を閉じて柱に身を任せた。
「約束守れなくてすまんな」
 そう言い残し、夢の世界に行ってしまった。すうすうと寝息を立てて一升瓶を倒しそうになるもんだから、倒れる寸前に霊夢が腹ばいで受け止めた。
 果たして今の言葉が自分に向けてなのか、縊鬼に向けてだったのか、霊夢には分からなかった。

 魔理沙をぼんやり見ていると、すっと人影が降りてくる。突然すぎて霊夢は肝を冷やしたが、何のことは無い今朝以来の妖夢だった。
「おっそいわよ!」
「すみません……霊への聞き込みがかなり難儀で……。皆ぜんぜん喋れないもんだから殆どジェスチャーゲーム状態なんだもん」
 妖夢はかっくりと肩を落とす。
「ずいぶん楽しそうだこと、私なんて鍋食べたりポートワイン飲んだりして、大変だったんだからね」
「そっちの方が楽しそうな……まあ今はそれは置きましょう。でも朗報が! おそらく縊鬼は魔法の森の入り口にいるようです」
「それはたった今魔理沙に聞いたわよ、他には?」
「あれ? そうなんだ、じゃああんまり言うこと無いような……。んと、じゃあ縊鬼の出自でも」
 妖夢は懐から手帖を取り出して、聞き込み内容らしき物をを確認する。霊夢としてはそういうのは要らないとも思ったが、折角妖夢が骨を折ってくれたので聞かないのも心苦しい。
「元々は里から出て川の畔に夫婦二人居を構えた鍛冶屋だそうですよ。河童には若干評判も悪かったみたいだけど、若くして里にも山にも信用を得ていた名匠だったとか」
「良い生活してたのね、とても自殺する風には思えないけど」
「なんでもある日、山から滑り落ちて大怪我を負ってしまったそうです。かろうじて一命は取り留めましたが、傷口から悪いものを貰い、衰弱していきました」
「世の中が嫌になってとかふざけた理由かと思ったけど、病苦だったのね。それでも自殺するなんて私には理解できないけどね」
 妖夢が頁を捲った。
「問題は奥さんが看病に付ききりだった事みたい。そうしているうちに蓄えもそこを付き掛け、奥さんも無理して働くような状況になりました。明らかにじり貧……そこで夫は打開策を考えた」
「……それが首吊りなの?」
「そうみたい」
 霊夢は頭を掻いた。
「とまあ死んだのは良かった。でもその後、生前の約束を果たすため、早く転生したいと周囲の霊に漏らしていたと、冥界でたむろする霊魂Aさんが言ってました」
 妖夢が手帖を閉じて、柱の方を見た。魔理沙はどっぷりと眠っている。
 この縊鬼は、何から何まで他人のために行動してしまうらしい。妻のために死に、約束のために蘇ろうとしている。まったく愚直というか、魔理沙が良い奴と言っていたのも、確かにそうなのかもしれない。
「同情しなくもないけど、だからって縊鬼になられてもね。はいそうですかとは行かないわ」
「私も同感かな。今でも魔理沙を待っているはずだけど、どうする?」
「どうするって……そりゃあ決まってるでしょ」
 霊夢は猪口にそっと口を付け、くいと仰いだ。
「約束無しに乗り込んでやるわ」


 想像以上に暗くなっていたが、魔法の森の入り口付近は香霖堂に近いので霊夢でも多少は勝手が分かる。一つ持ってきたカンテラの明かりを頼りに辺りを探した。目立ってしょうが無いが、暗視できる目は持ち合わせていない。
「この辺りよね、霖之助さんに見たか聞こうかしら」
 ぼやいていると、妖夢が、しぃっと人差し指を立てた。見つけたらしい。妖夢の視線を追うと、緑のありがちな着物を着ている中肉中背の男が、木にもたれ掛かっていた。
 それだけならもしや夜中に迷い込んだのか、とも考えることも出来るが、頭に何故か底の深い桶をすっぽりと被っている。お陰で霊夢達に気づいているかすら見て取れない。そもそも前が見えているのだろうか。
「死んでからそう時が経ってないので、顔を見られると不味いと考えたのでしょう」
 妖夢が解説する。なるほど、やはりそれなりの頭はあるようだ、そうなると二人で躍り出て行って良いかも少し不安でもある。霊夢はじっと縊鬼と思われる男を観察する。
 男はこちらには気づいて無いように見えた。腕組みし人差し指で待ち遠しそうに肘を叩いている。暗いからというのもあるが、その中で更に顔を隠し、細微な動きしかしないそれは、不自然さをかもしている。
「なんかあるといけないし、挟み撃ちにしたいわね」
「じゃあ私が此方から追いつめるので」
 先に言われると回り込むしかない。霊夢は妖夢にカンテラを渡し、感づかれないように木の後ろ側の森を上手くすり抜けた。妖夢の顔がかろうじて見える位置に陣取る。
 妖夢の表情までは伺えなかったが、頷いて来たので同じようにして返す。準備は万端。

 がさっ、とやや派手な音を出して妖夢が縊鬼の前に飛び出した。
「貴方が逃げ出した幽霊、もとい縊鬼ですね。連れて帰りに来ましたよ、一緒に冥界に帰りましょう」
 妖夢の薄っぺらい笑顔に縊鬼は動じず、ゆっくりと顔と思わしき正面を向ける。
「もしも無理というなら……」
 妖夢がカンテラを手にしたまま手早く刀を抜いた。
「この刀で斬ればその霊は輪廻の枠を抜けます。つまり永遠に現世に生まれ変わることは無くなると言う訳です。それは嫌じゃ有りません?」
 流石にこの言葉は効いたのか、男は木から離れて少し後ずさった。それを確認してすかさず霊夢も御幣片手に飛びだした。
「こんな事して、逃げられると思ってるの。どうせ地縛霊の類、遠くへは行けなかったりするんじゃ無い」
 男がびくりと霊夢の方を向き、妖夢と霊夢の顔を交互に見た。やがて「やってしまった」と言わんばかりに掌を額に打ち当てた。桶に阻まれてぽこんと間抜けが音が響く。
 コミカルな動きになんだか思ってたのと違うなと思い始めた霊夢だが、妖夢と二人、ジリジリと男を追い詰める。
「私に斬れぬ物はあまり無いです、そして此岸の者が彼岸の者の為に犠牲になる道理など、一切合切ありはしませんよ」
「他人を生け贄にするような奴は、正義の味方にやられるのがお約束なのよ。約束は守って欲しいわよね?」

 刀と御幣を突きつけられた男は、膝をゆっくりと落とした。
 身を屈め、そのまま頭を地面に押しつける。
 言わずもがな土下座である。もう完全に観念しているらしく、しきりに桶をゴンゴン地面につけるもんだから、その地面だけ少し固くなっていそうだ。
 霊夢は初め何か企んでいるんだろう、と考えたが一向に気配がない。それどころかお縄を下さいという事なのか、両手首を合わせて差し出してくる始末だった。
「なんか私たちの方が悪者っぽくなってない?」
「もはやこれまで、とか言って手下が陰から出て来るのがお約束の筈ですが……違いましたね」
 妖夢はなんだか残念そうに刀を鞘に納めた。
「あんたも、もうちょっと抵抗してくれた方が、こっちもやりやすいのになぁ」
 理不尽な駄目だしを受けたのに、縊鬼は再び地面に桶を叩き付けるのだった。

 結局縊鬼は抵抗もなく、何故此岸に来たのか分からない程あっさりと捕まった。妖夢が念のためにと用意していた縄で無駄にぐるぐる巻きにされ、木の根に腰を下ろしている。表情は窺いようが無いが、うつむく姿は何処かまだ諦めきれないように霊夢には思えた。
「想像以上に楽勝でしたね、被害が出る前でなにより……早く冥界に連れて帰ろうっと」
「ちょっとまって、縊鬼が何の約束していたかとかって……わからない?」
 こいつはさっき妖夢が転生できなくなると言ったら動揺していた。やっぱり約束のために転生したいとは今も考えているのだろう。その約束は何だろう。
「そこまでは誰も聞いてないみたい。吐かせようにもこの人全然喋らないし」
「じゃあ死んだ日は、もしかして今日と同じ日?」
 縊鬼は、同じ死に方をさせる妖怪だ。日付も同じ日を狙っている可能性はある。そして偶然にも霊夢は同日に死んだ人を知っている。
「え? そういえば、白玉楼の記録には今日と書いてあったかも。だから今日現れたのかな」
 やっぱりそうだ、霊夢は根元の縊鬼にカンテラを突きつける。こいつは今日里で結婚したという未亡人。その元夫じゃないだろうか? 生前はいい人だったと噂されていたし。
「約束ねえ……」
 もしそうだとしたら、彼のしたい約束は何か。
 確か早苗が、ロマンチック……じゃなくてロマンテックだったか。新婦はもう一度そんな約束に身を委ねても良い、と言っていたらしい。その約束は確か……

「あんたのやりたい約束って、もしかして奥さんを幸せにするってやつ?」
 縊鬼は体を少し振るわせると、カンテラの明かりの中、か細く頷いた。
 それを聞いて妖夢が口をとがらせて言う。
「そうでしたか。でも早々に生まれ変わっても、ご婦人は貴方のこと分かりませんよ」
 妖夢の言葉に縊鬼は黙って首を振った。きっとそこは問題ではないのだ。自分が誰か分からなくても、約束を果たしたいというのが、縊鬼の思いに違いない。
 そうまで考えているなら今は素直に帰っても、また何か事を起こしそうでもある。
 いっそ妖夢に斬って貰おうか。そんな事考えている間にも妖夢は縊鬼を叱っていた。
「とにかく此岸の人に迷惑を掛けてはいけません、これはこの世の理です」
「いつだったか春を盗んでいった奴も居たけどね」
「いや、それは過ぎたことだから……幽々子様が言ったからだから……」
 意地悪く言ってみたら、妖夢は急に小さくなってしまった。
 きっと縊鬼も約束に突き動かされていたのだろう、きっとこのままでは、この先も。
 また出てきて人を殺めるか、妖夢に斬られてしまう事になるかもしれない。
 それよりは今、納得して貰った方が良いのかも。
 霊夢は軽く深呼吸して、告げることにした。
「言っとくけどね。貴方の奥さん、今日別の人と結婚したわよ」
「えええっ! そうなんですか!?」
 何故か妖夢があわわと狼狽する。
「ええ、中々盛大な結婚式をしたんだって。相手は中々お金持ちで、幸せにするって誓ったみたいだし。親も納得して居るみたいだし」
「そんな事言って、自棄を起こしたらどうするんですかー!」
 小さく語気を荒げる妖夢を横にどけて、霊夢は縊鬼に続ける。
「だからさ、あんたが幸せにしようだなんてのは、もう余計なお世話ってことなのよ」
それを聞いた縊鬼は怒るでもなく、泣きわめくでもなく、ただゆっくりと空を仰いで、糸が切れたように脱力した。
 でもそれは愚かな無力感とか、打ちひしがれた空しさではなくて、安心したからだろうと霊夢には思えた。知ったら祝福してくれる、そう噂されていたのは、きっと世辞では無い。
 そんなだから、縊鬼になってまで妻の事心配してしまったのかも知れないが。
「まあ冥界から見守ってやりなさいよ。偶にはお中元ぐらい送って上げても良いわよ」

 結局その後、無口な縊鬼は妖夢に縄の端を握られ、冥界に帰って行った。
 自分が言ったことは早計だっただろうか。霊夢は少し後悔したが、去りゆく縊鬼が見せた姿は、恨みの念でも、諦めきれない名残惜しさでもなく、申し訳なさそうで小さなお辞儀だった。

 ……彼も約束を果たさなくちゃいけない、そんなある種の強迫観念に道理を失ってしまったのだ。あの性格では誰かを死に誘う事自体は、彼自身は望んでは居なかったのかも知れない。 転生する事はしばらく叶わないだろうが、彼にとっても悪くないだった。そう思いたい。
 霊夢は一人、星が瞬く此岸の空を見上げ、そんな事を考えた。

 長かった一日もようやく幕を下ろせそうだ……としんみりしていた霊夢とは裏腹に、神社に戻ると思わぬ客人が待っていた。縁側に座って、魔法の火の明かりでページをめくる姿が図書館に居るときと対して変わらないパチュリーだ。
「何してんのよ。魔理沙の寝首でも掻きに来たとか?」
「やるならとっくにやってる。縊鬼がどうなったかと思ってね」
 相変わらず本が返ってくるか気にしているのだろうか。しかしもう決着は付いている。
「気になるわけ」
「気にならないと言ったら、嘘かもね」
「妖夢が冥界に連れて帰ったわ。縊鬼は、ぎったんぎったんにしてやったから、もう戻ってこないでしょう。悪いけど本の返却はまだまだ先になりそうね」
「そう」
 皮肉と嘘混じりの言葉にパチュリーはすました顔だ。本当は悔しがっているんだろう、とも思ったが本の頁をめくる様子はちょっとも変わらない。霊夢は少し拍子抜けした。
「全然驚かないのね」
「こそ泥が死んでたら驚いたかもね」
「図書館であれだけ言って、死んだら驚くっての」
 煽っておいて、助かると考えていたと言われても釈然としない。霊夢はカンテラを置いて、離れた位置に座った。
「だって貴女が助けるじゃない」
「私が助けるって……邪魔しようとしたくせに、ワインまで飲んじゃって」
「貴女は勘違いしている、縊鬼を退けるのに必要なのは酒じゃ無い。組頭の様に気に掛けてくれる登場人物よ。それさえ見つければ自ずと事態は収集される」
「それが私だって? 元も子もない事言うのね、本の読み過ぎじゃ無いの」
 パチュリーはふふ、と吹き出した。
「さてね、とにかく貴女が手を出せばあいつが助かるなんて、火を見るより明らか。約束するまでもない。私はただ図書館から早く出て行って欲しかっただけ、ワインを呑んだのもそれ以上に意味は無い」
 魔法の火がゆらりと揺れる。あの後大変だったけど、とぽつり付け足された。
「それならそうと素直に言えって、咲夜も言ってたじゃないの」
「帰れ、とは最初に言った」
 そうだっけと霊夢が首をかしげてとぼけると、パチュリーはため息を一つして続けた。
「人間なんておかしな生き物よ。縊鬼も、約束をしたのなら断りになんて、行かせなければ良い。でもそうしない、元が人間だから。」
 本をパタンと閉じてパチュリーが立ち上がった。
「こんな馬鹿な事に巻き込むのは止してって、あいつにも言っといて」

 ふんわりとした速度で紅魔館の魔法使いは姿を消し、霊夢は一人縁側に座り一息吐いた。魔理沙に敷き布団を譲ってしまったので、今日は座布団の上で眠ることになるだろうか。隅に寄せていた酒と猪口を持ってきて、軽くあおる。
 今日は本当に疲れたなぁ。

 結局座布団を二つ並べ、一つ折り曲げて枕代わりにしたのだが、起きたら散乱していた。
 寝違える一歩手前の体をほぐしつつ、霊夢は辺りを見回した。魔理沙の姿は布団にはない。帰ったかと寝ぼけ眼をこすっていると、庭の方から音がした。
 縁側にでるとなんと魔理沙が箒で庭を掃いていた。しかし真面目にはやってないらしく、掃いて通った一本道だけ綺麗になっていた。
「掃除下手ねぇ、でも魔理沙にしては殊勝な心がけだわ」
「起きたはいいが、他にやること無かったもんでな」
 魔理沙はにっかり笑うと箒を立てかけ、縁側に腰かけた。霊夢ものんびりと座る。
「昨日のことは覚えてるわけ?」
「大体は、だな。紅魔館行ったくらいからちょっと怪しいかもしれん」
「咲夜のワイン恐るべしね。忘れたいことがあったらまた作って貰おうかしら」
「ふむ、香霖から料金を催促されたときに、すっとぼけるんだな」
「失礼ね、二日酔いの頭痛を忘れるために飲むわ」
「負のスパイラルに突入しそうだ」
 魔理沙の笑い声に朝から働き者の蝉の声が重なる。
 魔理沙は至って普通の様子だ。縊鬼が去った今、約束を守る気は失せたらしい。昨日中が期限だったのだ、過ぎ去った約束に束縛力は無い。
 それならもう話題にすることもないだろう。掘り返すのも無意味な気がするし、お礼を言われる筋合いもない。全ては自分が勝手にやったことなのだ。
 霊夢は伸びをして、ゆったりと深呼吸する。
「さっさと帰ったら。汗かいて気持ち悪いんじゃない」
「実はかなりべたべたする。帰る前に温泉でも浸かって行こうか……」
 ぼやきつつも魔理沙は腰を上げず、か細い声で言葉を繋いだ。
「結局、約束は守れなかったんだな」
「もしかして縊鬼との約束の事まだ気にしてるの?」
 心配したが、魔理沙は左右に首を振った。
「いや、違……くも無いんだけどな」
 今度はこくりとうつむく。
「私は、霊夢との約束も縊鬼との約束も守れなかったわけだ。それは褒められんだろ?」
 魔理沙としては、掘り返したい様だ。たとえあんな約束でも、破ってしまったことは魔理沙にとっては気になるらしい。結果で言えば、確かに私達の約束はどちらも破られた。
「まあ約束破るのが悪いなんて、子供だって知ってるわね」
「うぐ、すまんな……明日にでも仕切り直すか。今度こそ約束は守る、指切りげんまんしてもいいぞ」
 魔理沙がおずおずと小指を差し出す。予想外にしおらしくて、霊夢はちょっと面白かったが、優しく手を払いのけた。
「今は約束はこりごり。むしろ約束してなくても誘ったら来なさい」
「そりゃ鬼よりたちが悪いな、断る勇気を身につけんと……。でも何だか悪いな」
 どうにも笑い飛ばし切れない様子の魔理沙に霊夢は頬を掻いた。
「まぁ、私も……たぶん縊鬼も、約束を破ったことは、気にしてないわよ」
 魔理沙が不思議そうな顔をする。
「どうしてだ?」
「そりゃ――」
 と言ってから霊夢は考える。
 私は暑気払いが頓挫したからって、また呑む機会があれば気にはしない、それに最後には縊鬼に背いて神社に来てくれた。
 縊鬼だって、約束を果たされ転生した方が後悔したかもしれない。
 魔理沙が生きて今ここに居る事は、昨日の私達がした約束よりも、遙かに価値があるように思う。約束を破ったとか、そういう領域ではない。
 パチュリーは私が居れば解決は目に見えていると言ったが、あれは買被りだ。本当は魔理沙という人だから妖夢や早苗、咲夜や私が動こうと思った。そして何より自ら約束を破り己を酩酊に追いやった魔理沙こそが、縊鬼を退けてくれた張本人なのだ。
「そりゃあ、約束より大事なものを守ってくれたからね」
 魔理沙は変わらず不思議そうな顔をしていた。




 折角だからと朝食を二人で食べ、座卓で一服していると、魔理沙が突然「あっ!」と叫んで立ち上がった。
 こわばった険相で帽子の中を覗き、体中をばしばし叩いて服の中をまさぐる。
「急にどうしたのよ」
「そうだお前に渡したんだ……よな? あれはどうした!?」
「そんな聞かれても、あれって何か分からないんだけど」
 魔理沙は両手の人差し指で宙に正方形を作った。ああ、霊夢は手のひらを打つ。
「もしかして、八卦炉の約束証明書のこと?」
「そうだ、それ! すまんけどあれはやっぱり返して欲しい……」
「あれなら、私持ってないわよ」
「え?」
「だってあんな馬鹿げたの、図書館に捨てて来ちゃったもの。どっか本の間でも挟まってるんじゃない」
 魔理沙の顔から血の気が引いていく。
「紅魔館のやつらに見つかったら、何されるかわからんじゃないか!」
 ロケットの材料にでもされる八卦炉の末路でも想像したのか、魔理沙はお茶を飲み干して勢いよく縁側に飛び出た。
「あれがなくちゃ廃業モノだ! 脅される前に回収してくる!」
 言うが早いか箒を手にし、蝉の声を切って疾風の様に飛んでいってしまった。

 霊夢は座ったまま、小さくなって行く魔理沙を確認し、懐から紙片を取り出す。
 皺の寄った殴り書きの紙片、ほかならぬ約束証明書だ。
「このくらいは悪戯しても良いわよね」
 霊夢はため息混じりに笑うと、紙片を真っ二つに破り捨てた。
読了感謝です。
縊鬼と約束のお話でした。
-11/1
多く訂正しました。ご指摘等ありがとうございます。まだあるやもですが……
ことやか
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コメント



0.820簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
伏線の張り方と回収の仕方が良く、登場人物も皆それらしくて一気に読んでしまいました。
話し的には鈴奈庵に近いものがあると思うのですが、縊鬼…怪談には必ず紛れてそうな奴ですがかなり有害性の高い奴ですねぇ。
3.90奇声を発する程度の能力削除
読んでて、とても面白かったです
6.80名前が無い程度の能力削除
いつも面白いのだけど
いつも誤字が多い!
今回は文節まるまる抜けてるんじゃないかと感じる箇所もあった
7.100非現実世界に棲む者削除
なんだかんだいって霊夢と魔理沙は仲が良いってことですね。
律儀な性格も、魔理沙の取り柄の1つでしょうね。
とても良い作品でした。
10.100名前が無い程度の能力削除
やはりレイマリはいいものだ
11.90絶望を司る程度の能力削除
理想のレイマリを見た気がする……!
14.100名前が無い程度の能力削除
真面目な魔理沙可愛い。
レイマリはみんなから愛されてるんですね。
15.100名前が無い程度の能力削除
×自体は
〇事態は

妙なところで真面目な魔理沙と、魔理沙のために奔走する霊夢が可愛いかった
16.90名前が無い程度の能力削除
後半、妖夢が縊鬼の出自を説明するくだりでドキっとして
奥さんの再婚を聞いて縊鬼が空を仰ぐところでぐっと来た。
話の流れが実に上手くて、とても面白かったです!

以下、誤字報告です。
・自ずと自体は収集される⇒事態
・霊夢は素っ頓狂な自体に⇒事態
・神奈子は呆れたようでいて、目 ⇒改行が変な位置に来てるような??
・咲夜軽く笑うと⇒咲夜が軽く笑うと
17.90名前が無い程度の能力削除
魔理沙が無事で何よりだ。面白かったです。
20.90名前が無い程度の能力削除
謙遜ないね→遜色ないねですがとても読みやすく面白かったです
25.90名前が無い程度の能力削除
妖夢の真面目だけどズレてる感じとか、登場人物の皮肉混じりの会話とか原作っぽい雰囲気ですごく読みやすかった
自機5人組でまた書いてほしいですね
28.100名前が無い程度の能力削除
メイドの土産がつぼにはいった。
30.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。皆いい奴ですね
31.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです