Coolier - 新生・東方創想話

葛藤

2014/10/19 11:25:42
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 メリーが金髪の男と抱き合っていた。

 私が前期最後のテストを終え、帰宅しようと正門に向かって歩いている時だった。4限後なのでまだちらほらと他の生徒も見られる。
 明日からの夏休みに胸を躍らせていた私は、その光景に思わず立ち止まってしまった。

 警備員がいる正門前で、傍を他の学生が歩いていく中で、メリーより背の高い男がメリーの身体を抱きしめていた。
 その男はリュックサックを背負い、黒い帽子をかぶっていた。遠目からだったのでそれくらいしか見えなかった。メリーはあの帽子と髪色で分かるが。
 二人は身体を放したあと、いくつか言葉を交わし、そのまま仲睦まじく歩いていった。

 正門へ続く幅の広い道で私は二人の背中を見えなくなるまで眺めていた。というより、足が動かなかったのだ。何人かの学生が立ち止まって動かない私を怪訝そうに抜き去っていった。
 私はまだ動けなかった。足を動かすという指令を脳が出そうとしない。脳内ではひたすら目の前で起きた出来事に対する処理が行われていた。
 ふいにまぶたが熱くなるのを感じた。私はいけないと思い走り出した。さきほど抜いていった学生を追い越し、自分の下宿へと急いだ。

 息を切らせながら下宿にたどり着き、乱暴にドアを開ける。さらに靴を蹴散らし寝室に向かう。
 鞄を置いて畳の上に寝転がると、安全地帯へやってきたような安心感があった。少なくともここなら突然泣いてしまっても大丈夫だと思った。
 呼吸を整えながら先ほどの光景を思い出す。それは私の脳内で鮮明に再現された。あれは決して見間違いなどではなかった。確かにメリーと知らない男だった。

 メリーの彼氏かもしれない。

 そう思った途端きゅっと胸が締め付けられた。私は思わず枕を抱きしめた。得体の知れない何かから自分を守りたいという衝動に駆られた。
 呼吸は収まったものの、心拍数がなかなか下がらない。何かを急かすようにドクンドクンと胸を打つそれを、私は枕で抑えようとする。
 熱くなったまぶたの端が濡れているのが分かった。でも何故泣きそうになっているのか私には分からなかった。理解よりも先に身体が反応していた。

 自分の抱いている感情が分からない。何故分からないのかも分からない。
 嫉妬だろうか。メリーを取られたと感じたのだろうか。しかし取られたといっても元から自分のものというわけではない。

 様々な感情が私の中で混ざり合い、その一つ一つを見ることができない。まずは冷静にならなきゃいけない。
 枕に顔を押し付け、ゆっくりとその匂いを嗅ぐ。いつも嗅いでいる自分の家の匂いがした。ラジオ体操の終盤のような深い呼吸を繰り返すと、徐々に心拍数が下がってきた。

 クールダウンされていく頭の中で私は自分の感情について考える。男と抱き合っているメリーを見たとき、自分にどんな感情が沸き起こったのか。
 それは一つだけの感情ではなかった。嫉妬や悲しみや無常感や、その他にもいろいろな感情が混ざり合ったものだった。

 軽い吐き気のようなものを催し、私は慌てて歯を食いしばる。喉の奥の方ですっぱい味がした。眉間にしわを寄せながらなんとか気持ち悪さに耐えようとする。

 メリーに彼氏ができるなんてことを私は今まで考えてこなかった。メリーは恋愛にそれほど興味を示すタイプじゃないし、過去にボーイフレンドがいたという話も聞いたことがなかった。何より、私たちの間にはそんな浮いた話がほとんどなかった。私たちの世界には私たちしかいなくて、他の人が入る余地はないと思っていた。

 あんな得体のしれない男なんて……。
 私は男の姿を思い出すたびに頭をかきむしりたい衝動に駆られた。それは綺麗な風景の中に入り込んだ異物のように感じられた。
 
 もちろんメリーも年頃の女の子だから、ボーイフレンドができたって不思議じゃない。常識的な観点から見てそれは普通のことだ。二人しかいないオカルトサークルに入って結界を暴くよりもよっぽど健全な大学生活だろう。
 それくらい私だって分かっている。
 私はまだ客観的な視点から物事を観察できている。
 
 ただ、あの行為だけは私をひどく動揺させていた。大学の正門前という人通りの多いところで、堂々と二人で抱き合うというあれは、非常識とまでは言わないが、やや客観的な視点の欠けた行為だ。そんなことをあのメリーがやっていたというのが、私にとってとても意外なことだった。
 メリーは日本人ではないが、日本の常識やマナーは理解している。人前で異性とベタベタすることに対して日本は海外よりも寛容でないことも知っているはずだ。

 雰囲気に流されてしまったのだろうか。それとも男が強引に誘ったのだろうか。しかし私の鮮明な記憶は、メリーの腕が男の背中に回っている映像を想起させていた。受け身ではなく、自発的に。

 私は私の知らないメリーを見てしまったのだろうか。私の前で見せる顔とは別の顔をメリーが持っていて、それをボーイフレンドの前では見せているのだろうか。こちらが表であちらが裏? それとも正多面体のうちのある面にすぎないのか?

 怒りとも嫉妬とも取れる負の感情が湧き上がってきていた。気づけば私は抱きしめた枕に爪を突き立てていた。下からの刺激で火山が噴火するように、私の心の内からもドロドロとした醜いものが出てこようとしている。

 今頃メリーはあの男と楽しくデートしているのだろう。手を繋いで、買い物をして、おしゃれなカフェに入って。それからどちらかの家に行き、二人だけの世界に入っていくのだろう。そこではきっと愛の営みが行われるんだ。

「メリーが……あの男と……」

 私は抱きしめていた枕を壁に投げつけた。ばさっという音とともに枕は重力に従って落ちた。何だか分からないエネルギーが私を動かしていた。
 壁際に落ちた枕を見つめていたらいつの間にか私は泣いていた。じわりと視界がぼけていき、私はぼやけた世界を見ないように両手で顔を覆った。
 暗闇なら、泣いていても見えるものは変わらない。私は自分が泣いているということを自覚したくなかった。自分が泣いている理由を考えてしまうことを恐れた。

 うつ伏せになったまま私は涙で布団を濡らし続けた。視界は真っ暗なのにその闇の中にあの光景が何度も映される。メリーが男と抱き合い、手を繋いでいくシーンが何度も際限なく繰り返される。これが現実なのだと言わんばかりに。

 今までメリーと仲良くしてきた時間は全て夢だったのだろうか。そんな気さえしてくる。私と仲良くしてくれるメリーは、私の夢の中だけのメリーであって、男といちゃいちゃするのが好きなメリーが現実のメリーなのだろうか。
 私はずっと現実逃避をしていて、理想のメリーを作り出していただけなのかもしれない。こうあってほしいという理想像を押し付けていただけなのかもしれない。
 ぐるぐると思考は止まることなく回り続ける。鍋の底から現れては消える気泡のように、次々と仮定が生じる。
 メリーは普通の人間なのだ。あの奇妙な目が例外なだけで、他はいたって普通の女子大学生なのだ。それなら、私と仲良くしてくれるのは何故? 友達だから? オカルトサークルのメンバーだから? 私もメリーと同じく不思議な目を持っているから? それともカウンセリング相手に都合がよかっただけ?

 私はだんだん怖くなってきた。メリーが私と一緒にいてくれる理由が分からなくなったのだ。それはつまり、どのような状況になればメリーが私から離れていくのかが分からないということだ。これが私にとってとても恐ろしいことのように思えてならなかった。私が眠っている間にもメリーは私
の元を離れてどこかに行ってしまっているかもしれない。授業を受けている間に、ご飯を食べている間に。私の知らないうちに、メリーはもう私のそばからいなくなっているかもしれない。

 サークルだとか友達だとか、そんなものは男女の結びつきに比べれば弱い物だろう。生物学的に、男と女は惹かれあうようになっている。メリーがあの男と歩みを共にすることには、生物的に何の違和感もない。私とメリーがどれほど強い結びつきを得たとしても、男女の愛の前では無意味なことなのだ。

 投げつけた枕を拾って再び抱きしめた。私は今誰かに抱きしめられたかった。でも、枕には腕は生えていない。一方的な抱擁でしかない。
 私とメリーとの関係も一方的なものなのだろうか。
 私はメリーを特別な存在だと思っている。でもメリーは、数ある友人の中の一人としてしか私を見ていないのかもしれない。学部の友人、ゼミの友人と同じ場所に並んでいるのかもしれない。
 馬鹿みたいだ。私は勝手に一人で舞い上がっていた。メリーは私を特別扱いしてくれていると思っていた。

「ほんと、ばかだ……」

 枕に向かって言い捨てた。泣きたくてたまらなかったけど、もう涙が枯れてしまっていた。瞼は何も落とさず、悲しい声だけになった。私は電源の切れたロボットのように、布団に寝転んだまま動けなかった。考えることに疲れてしまった。ゆっくりと泥の中に沈んでいくように、この世から切り離されて眠ってしまいたかった。

 スカートやシャツがしわだらけになることも構わず、そのまま寝てしまおうと思った。しかし、徐々に薄れていく意識の中でスカートのポケットに入れた携帯が震えるのを感じ、私の睡眠は中断された。
 携帯を取り出すと画面にはメリーの文字があった。どうしてメリーが連絡してくるのだろう。彼氏と一緒じゃないのか。それとも冷やかし? 私今彼氏と一緒にいるのーなんて報告を私にしたいのか? ふざけるな。絶対出るものか。
 しかしメリーはなかなか諦めない。私が昼寝中に電話してくることが多いメリーは、バイブで私を起こそうと長々とコールを続けるのだ。これに何度私の安眠が奪われたことか。10回を超えたあたりでようやくバイブは鳴りやんだ。
 電源を切ってやろうと画面に触れようとしたそのとき、メリーから二回目のコールが来た。そこで私は手違いで通話ボタンを押してしまった。やってしまった。携帯のスピーカーからメリーの声が聞こえる。

 さすがに出てしまってから電源を切るというのは忍びない。そんなことをしたら温厚なメリーでも怒るだろう。それこそ関係が終わってしまうかもしれない。私は暗い気持ちでおもむろに携帯を耳に当てた。

「もしもし蓮子?」
「なに」
「もしかして寝てた? ごめんね起こしちゃって」
「うん」
「あのね、今夜うちに来ない? 一緒にディナーを食べましょう」

 メリーの言葉に私は思い切り顔をしかめた。どうして彼氏と一緒にいるのにそんなことを言うのだろう。思わず眉間にしわが寄る。私に彼氏を紹介しようとでも言うのか。
 同性の友達に彼氏を紹介するのはメリーにとっては普通のことなのだろうか。あるいは、メリーの祖国の慣習なのか。私にとってそれは拷問のようなものだということを、メリーは知らない。

「どうせ私以外にも人を呼んでるのでしょう」
「え、どうして分かったの?」
「男でしょう?」
「う、うん。でもどうして」

 メリーはわけが分からないといった様子で声を曇らせる。
 
 ここで私は何と声をかけようか迷ってしまった。男と抱き合っていたことを知っているなら、素直に言ったほうがいいだろうか。しかしそれだとメリーに彼氏ができたことを認めてしまうような気がして。いや、私は何を言っているんだ。メリーが男と付き合うことに私の許可などいるはずがない。認める認めないなんてそんな保護者のような言い方自体がおかしい。
 おめでとう、と言うべきなのだろう。私は何とも言えない感情に奥歯を噛みしめる。ボーイフレンドができて、おめでとう、と。それが友人として正しい対応なのだろう。そこには悲しみや妬みなどという負の感情は存在すべきではない。それが常識であると、私の理性は訴えかける。それなのに、言葉が喉に詰まって出てこない。開かれた口からは音声の抜け落ちた、ただの空気だけが出てくる。
 
「蓮子?」
「あ……、お、お……め」

 言えない。どうしても言えない。言えないよメリー。
 祝福したい私をもう一人の私が邪魔をする。

「蓮子? 泣いてるの? え、どうしたの?」

 私は携帯を片手にヒックヒックと嗚咽を漏らしていた。肩や携帯を持つ手が震えていた。

「ちょっと蓮子、大丈夫? 何があったの?」

 メリーの心配する声で、我慢していた感情が決壊して溢れ出してしまった。

 私はメリーの交際を喜べない。メリーにとって喜ばしいことなのに、私はメリーと一緒に喜びを分かち合えない。メリーの特別な人になりたいと言っているくせに。これじゃあ友達とすら呼べない。私は自己に対する激しい嫌悪感で涙が止まらなかった。

 メリーの友人である私は、おめでとうと言わなければならない。
 しかし私の中の感情は、メリーの交際を祝福していない。
 どうしたって解決できそうにない矛盾。

 私はその時はっきりと自覚した。自分の中に友達以上の、好きな人へ向ける感情があることを。
 いや、本当はずっと前から気づいていたのかもしれない。私は必死に隠してきた。心の奥へ奥へしまい込もうとしていただけなのだ。
 私はメリーのことが好きなのだ。それは同性の友人に向ける感情ではない。男が女に、女が男に向ける愛情そのものなのだ。
 
 だから、この涙は、失恋の涙。
 私の愛情は、メリーとその男が作る愛に負けたのだ。男と女の愛に。
 それが必然なのだ。私は女で、メリーもまた女なのだから。所詮、男女の愛には敵わないのだ。

「蓮子、蓮子?」
「メリー……」
「どうしたの?」

 心配そうにこちらの様子を窺ってくるメリーの声を聞き、私は本心を言ってしまおうかと思ったけど、結局踏みとどまった。悔しくてたまらないけど、私は負けを認めるしかないのだと悟ったのだった。

 それは私が持つべき感情ではない。私とメリーじゃ恋人にはなれない。
 その感情の存在を認めることを恐れた私は、ずっと見て見ぬふりをし続けた。きっと何かの勘違いだろうと自分に言い聞かせ続けてきた。しかしやはりそれは間違いなどではなかった。
 ああ、もっと早くに気づいていれば。いや、もっと早くに自分の感情と向き合っておけば、現実は変わったのかもしれないのに。メリーの隣にいるだけで満足し、目を逸らし続けた自分を殴りたかった。

 布団に涙がポタリと落ち、白いシーツに薄黒いシミを作った。私は嗚咽を漏らしながらも、必死に喉から声を絞り出した。

「なんでもない。今夜は用事があるの」
「なんでもないって、そんなわけないでしょ。どうして泣いてたの?」
「今は言えない」
「どうして?」
「どうしても」

 せっかくのメリーの心配を拒絶するような言い方になってしまい、自分はなんて馬鹿なんだろうと奥歯を噛みしめた。

「……そう。じゃあいつか話してくれる?」
「たぶん」

 メリーの寂しそうな声が聞こえ、胸が痛くなった。でも今メリーが相手すべきなのは、私ではなく彼氏のほうだ。私はメリーの幸せを願ってさっさと電話を切るべきだろう。

「明日の夜は?」
「……分からない。でも行けないかも」
「……忙しいのね」

 少しの間のあとにメリーが言った。私の不審な態度に困っているようだった。

「うん」
「分かったわ。それじゃあまたね蓮子」

 最後の返事はせずに私は電話を切った。ツーという無機質な電子音をしばらく聞いてから、携帯を耳から離した。
 急に多大な疲労感が身体に押し寄せてきた。身体はだらりと布団の上に転がったまま動かない。もうこのまま寝てしまおうと思った。

 目を閉じて見慣れた天井からおさらばする。視界には闇が広がったが、もうあの景色は浮かんでこなかった。代わりに、メリーと過ごしてきた時間が鮮明な映像として記憶の中から蘇ってきた。ヒロシゲに乗って実家のある東京に行ったときことや、サナトリウムにメリーを迎えに行ったときのこと。他にも様々な景色が浮かんだ。いつもメリーの隣には私がいた。だけどそんな時間はもう過去のものになった。これからはメリーの隣には私ではなく彼氏が寄り添うのだろう。きっと、私よりもうんと長い時間を。

 徐々に思考は弱まり、暗闇の中の景色も消えつつあった。ゆっくりと眠りに向かっている。起きた後のことなど考えたくもなかった。このまま永遠に眠ってしまえばいいのにと思った。重く感じていた身体が軽くなり、やがて意識が薄れていった。






 遠くで虫が鳴いているのが聞こえてくる。真っ暗な部屋に窓の外の光が落ちてきている。今は何時だろう。
 時計を探そうにも部屋が暗すぎて見つからない。天井が無ければ空を見上げるだけで時刻が分かるのに。私はやっとの思いで携帯を発見し、画面を点灯させた。時刻は20時ちょうど。そして待ち受けにはメリーからのメールを知らせる表示があった。
 その表示を見て、私は眠る前の記憶を思い出す。メリーに彼氏ができたことや、私の恋が終わったこと。思い出さなきゃよかったと思えることしかなかった。
 部屋の明かりをつける気にもなれず、再び布団に横になってメールを開く。



 受信完了 18:00 件名:大丈夫?
本文:
『今日の蓮子、全然元気なかった。それに途中で泣き出すし、一体どうしたの? 
 私に何か悪いところがあったの? それならちゃんと言ってほしい。悪いことをしたなら謝るわ。
 
 あるいは、私が原因でないのなら、蓮子には何か悩みがあるのかしら。

 私は日本に身寄りがないから、困ったときに助けてもらう人は蓮子しかいないわ。
 だから私は蓮子が困っていたり悩んでいたりしたら助けてあげたい。一方的じゃなくて、ちゃんと相互的な関係でいたいわ。
 蓮子が私のことをどう思っているかは知らないけど、私は蓮子のことを特別な人だと思っているわ。』



 私は最後の数行を何度も読み返した。相互的な関係でいたいとか、特別だと思っているとか、私の思っていることと同じことが書かれていた。
 でも、メリーの特別と私の特別の間にはレベルの違いがあったようだ。私にとってメリーは一番の存在だけど、メリーにとって私は一番にはなり得ない。だからこそ、メリーの特別という言葉は私につらくのしかかった。

 返信はしなかった。文章を書けるような余裕を私は持ち合わせていなかった。
 改めて、ああ、失恋したんだ、という気持ちが湧き上がってくる。初恋ではないけれど、失恋は初めてだった。
 これからメリーと顔を合わせるとき、私はどんな顔をすればいいのだろう。普段通りに振る舞うなんて私にはできないように思えた。私はメリーにとって一番じゃないんだという自覚が、私を常に縛り付ける。そんな痛みの中でメリーと会わなきゃいけないなんて。

 いっそのこと、友達も辞めてしまおうか。失恋した人の気持ちは失恋しないと分からないというのを、私は今ありありと感じている。振られた相手に友達でいようと言われたのが辛いという体験談をよく聞くが、まさにその通りだ。こんな心理状態で友達なんてやっていけないし、それならきっぱりと別れて、離れて、忘れてしまいたい。中途半端に関係を続けたって何もいいことはないのだ。

 メリーと友達を辞めて、秘封倶楽部を解散して……。
 未来への展望が次々に閉ざされていく。私の前には小さな道が続いているが、私はその道を進むしかない。脇道はなく、ずっと一本道なのだ。私にできることは、せいぜい進むスピードを変えることくらいだ。今まで見えていたたくさんの道は全て消え去り、最初から何もなかったかのようになっている。

 真っ暗な部屋で絶望に打ちひしがれていると、携帯の画面が明るく光った。画面にはメリーという文字と着信のサインがあった。出るべきか放置するべきか、数秒考えた末に出ることにした。どうせならこれを最後の電話にしようと思った。

「もしもし」
「あ、蓮子。あなた大丈夫? あれから返信もないし心配したのよ」
「うん。ごめん」
「何かあったの?
「なんにもないよ。それより、私なんかに電話してていいの? 大事な人が来てるんでしょ?」
「え、うん。でも、蓮子に電話するくらい大したことじゃないわよ」
「そう。寛容な彼氏さんなのね」
「え? 彼氏?」

 メリーの戸惑う声に私は顔をしかめた。何故そこでとぼける必要があるのだろうか。既に認めたことではなかったのか。

「男がいるって言ってたじゃない」
「え、えと、うん。いるけど……。男って、彼氏じゃないわよ」
「嘘。メリーが男と抱き合ってるの、私見たよ」
「男と抱き合って? ……えっと、もしかして、兄のこと?」
「へぇ……?」

 メリーは一体何を言っているのだろう。どうしてメリーの兄が日本にいるのだ。そもそもメリーに兄がいるということ自体初耳だ。
 今頃になってどうしてそんなことを言い出すのだろう。わけがわからない。

「夏休みだからって、わざわざ日本まで兄が来たのよ。両親が心配してるから代わりに様子を見に来たって」
「……うそでしょ?」
「ほんとよ」
「だって、私、メリーが男と……」

 そのとき、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。思い切り目を見開いて真っ暗な部屋を見渡す。いや、実際に視覚情報は入ってきていない。ものすごい速さで脳が回転を始めたために、無意識に動いているだけだ。

 何重にもかけられていた鍵が次々と解かれていく。
 
 まさか。
 そんなことがこの世にあるのだろうか。

 あのとき正門前で見た光景、この部屋に帰ってきてからの行動、メリーの電話、メール、そして先ほどの発言。全てが走馬灯のように高速で流れていく。そして私の頭の中で、それらの記憶に一筋の光が通った。それと同時に、恐怖にも似た感覚が私を襲い、胸の中を駆け抜けていった。。胸の内側が一瞬で全て塗り替えられたような気分だった。

 私が一番初めに見たあの男が、メリーの兄だったとしたら。
 スキンシップの一環として、妹とハグを交わしただけだとしたら。

 あのときメリーの隣を歩いていった男はメリーと同じ金髪だった。
 あのときの電話では、私もメリーも彼氏とは一言も口にしていない。私が勝手に思い込んでいただけで、メリーも聞き返しては来なかった。

 全てが、私の勘違いだったというのか。

「じゃ、じゃあ、あのとき大学の正門前で抱き合ってたのは、メリーとお兄さんだったの?」
「正門前……ええ、多分。って、蓮子あそこにいたの?」
「少し遠くから見えたの」
「そ、そう……」

 誰かが作ったシナリオだろうかと思えるほどばかばかしい勘違いだった。すぐにメリーに確認していれば、こんなことにはならなかっただろう。
 電話の向こうで戸惑うメリーの声が聞こえる。
 ここで私はもう一つとても大事なことに気が付いた。いや、本来最初に気付くべきことなのだろうけど。
 私は失恋などしていなかった。メリーに彼氏がいないということはそういうことになるだろう。嬉しいというよりも不思議な気分でいっぱいになってしまった。地獄に落とされたと思ったら、打って変わって天国に連れてこられたような感じだ。友達を辞めることすら考えていた私は、気持ちの切り替えに戸惑ってしまった。

 この部屋でずっとうじうじ悩んでいたのが馬鹿みたいだ。いや真性の馬鹿だ。でも、これで私の想いが無駄にならずに済むということだ。一度死んだのに神様の気まぐれで生き返らせてもらったような変な気分だけど、せっかくもらったチャンスだから大事にしたい。

「じゃあ、蓮子は兄が彼氏だと思ったのね」
「うん」
「それで、どうして突然泣き出したの?」
「え、と、それ、は……」

 メリーは私の気持ちには気づいていないようだった。気付いているならば私が泣いていた理由が分かるはずだ。まさかわざと気づいていないフリをしているわけでもないだろうし。彼氏ができたと勘違いして泣いてしまう理由なんて一つしかないが、メリーにとってそれは常識外のことだと判断されたのだろう。メリーは友達から友情以上の気持ちを受けるなんて夢にも思っていないのだ。そしてそれが普通のことなのだ。

「メリーが、私から離れていくような気がしたの。彼氏ができたら秘封倶楽部としての時間がなくなるんじゃないかって。そう思うと何だか悲しくなったの」
「それだけであんなに泣いてたの?」

 それだけ、とメリーは言うが、私にとってそれはとても重大なことなのだ。勿論それだけではなく、私がメリーのことが好きだからという理由もあるが、今は伝えないでおくことにした。またちゃんとした機会を設けて、そのときに伝えようと思う。

「はは、あはは」
「何笑ってるのよ」

 今になって彼氏はいないという事実が、私に安心感を生み出していた。私はほっとして気が抜けたのと、自問自答を繰り返していた自分がおかしく思えたので、思わず笑ってしまったのだった。

「私って大げさな人間だと思う? あんなことで泣いちゃうなんて」
「うーん。少し大げさなんじゃないかしら。でも私は大げさな蓮子は嫌いじゃないわよ」

 私はどんなメリーも好きよ。怒ったメリーも笑ったメリーも、全部好きよ。私の隣を歩いてくれるメリーが好き。

「メリー、彼氏作るつもりはないの?」
「うーん。私は留学生だし、日本に永住すると決まったわけじゃないからいつか絶対に別れが来てしまうでしょう? だからちょっとねえ」
「メリーがどこに行こうがどこまでも追いかけるって言われたらどうするの?」
「そんなこと言ってくれる人いるのかしら」
「例え話よ」
「本当にそうしてくれるなら素敵なことだと思うし、私はその人のことを大切にしたいわ」

 心臓がきゅっと縮まったような気がした。その言葉を聞いて私は、いつまでもメリーのそばにいようと思った。メリーがどこに行こうが、追いかけて隣に並んでやろう。メリーの隣は私だけのものであってほしい。そう思った。絵空事だとメリーは思うだろうか。だけど私はそうは思わない。私には誰にも負けないメリーへの想いがある。

「そんな素敵な人に出会えるといいわね」
「そうね。なかなか難しいでしょうけど」

 難しい、という言葉に笑ってしまう。その人はすぐ近くにいるのよ、なんて言ったらばれるだろうか。ばれるだろう、さすがに。だから自重する。
 私はメリーの幸せの青い鳥になろう。ずっとそばにいたんだと思ってもらえるような存在になろう。

「明日の夜、行けるようになったから」
「予定がころころ変わるのね蓮子は」
「予定なんてあってないようなものよ。私の気分次第で変わるんだから。もちろんメリーとの約束は別だけど」
「そう。ありがとう蓮子。それじゃ、また明日。おやすみなさい」
「うん。おやすみ」

 そこで通話は切れ、またあの無機質な音が聞こえてきた。でも私はその音に切なさを覚えはしなかった。
 メリーのことが好きでよかったという幸福感が、お腹のあたりにゆっくりと溜まっていくような感じがした。それは春の日差しのように、柔らかくて暖かいものだった。その熱はじんわりと全身に広がり、私はメリーの体温に抱きしめられているような気がした。
5作目です。
メリーに男ができたら蓮子はどうするのかと考えながら書きました。
コメントいただけると嬉しいです。次への活力剤になります。
https://twitter.com/touhounijiss
しずおか
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コメント



0.490簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
逆も見たいと思ったけどなぜかメリーはヤンデレなイメージあるので刺されそうな未来しか見えなかった
3.90名前が無い程度の能力削除
蓮子ちゃんの悩み方が生々しくて、読んでいて胸が痛くなりました
5.90奇声を発する程度の能力削除
うおお…って感じになりました
9.90絶望を司る程度の能力削除
勘違いからのすれ違いが別れにならなくて良かったと一安心。
10.90ばかのひ削除
お腹にじんわりたまっていくメリー可愛い 勘違いする女の子は可愛い
失恋した時の心の不安が渦巻いている文章が大変うまいと思いました 面白かったです
13.90名前が無い程度の能力削除
収まる所に収まった印象です。いいと思いました。
14.90名前が無い程度の能力削除
題名の通り、蓮子の葛藤の描写が素晴らしかったです
二人とも幸せになれ!
15.60名前が無い程度の能力削除
病み蓮子とは珍しい