Coolier - 新生・東方創想話

六畳一間の幻想郷

2014/09/21 21:26:27
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 幻想郷縁起という書籍がある。
『幺樂団の演奏と共に一服の紅茶を愉しめる、そんな幻想郷が存在し続ける事を希いて』という書き出しから始まる図鑑とも随筆とも小説ともつかないその書籍には、幻想郷の人物、妖怪、事件、風俗、歴史等、多岐に亘る事柄がユーモラスに詳細に記されている。それを読めば居ながらにして幻想郷を見て回れる程の緻密さである。
 その緻密さから、幻想郷は確かに存在すると主張する者も多いが、幻想郷が存在したという記録は幻想郷縁起の他に存在しない。幻想郷縁起の発売当初から幻想郷探しは幾度も行われているが、見つかったという報告は聞かない。
 作者や出版社に問い合わせる事も出来無い。出版社は存在した記録の無い社名であるし、作者である稗田阿求という人物もまた、他に何の書物も作っておらず、文献資料を当たってもその名前は一切出て来ない。正体に関して、同時代の作者の別名義であるという意見もあるが、それが誰なのか、幾人か候補が上がっているもののどの人物も決め手に欠ける。稗田阿求は、幻想郷の住人であるという意見は根強い。
 兎に角謎に包まれている書籍だが、何か人を惹きつけるものがあるらしく、一部の好事家にカルトな人気を誇っている。幻想郷を探しだそうという試みは絶える事が無い。幻想郷縁起の研究は大学の卒業論文テーマとしても一分野となっている。幻想郷をモチーフにした創作も数多い。
 私自身もその好事家の一人であり、幻想郷を一目見る事を希っている。

 狂った住人を閉じ込める牢屋がある。
 少女は部屋から一歩踏み出した瞬間、身を震わせた。その寒気は強すぎる冷房の所為だとは思えなかった。
 ここが永遠亭、と呟きながら少女は目的の部屋を目指す。
 汚れ一つ無い白塗りの廊下を歩いていると気が変になる。
 辺りから叫び声とも泣き声ともつかない声が聞こえてくる。
 少女は怯えながら廊下を進む。やがて足を止めて、ある扉の前に立つ。失礼しますと言って開けると、中には病室と外とを隔てる緩衝となる小部屋があり、小部屋の中に入ると、病人が外に逃げ出さない為の頑丈な格子窓付きの鉄扉が待ち構えている。
 格子窓から中を覗くと僅か六畳の狭い部屋の中に、粗末な椅子に座る女性が居た。
「お久しぶりです」
 少女が挨拶をしても返答は無い。女性は知らぬ気に虚空を見つめている。
「咲夜さん、お久しぶりです」
 少女がもう一度声を掛けると、女性はようやく首を動かし、少女へと視線を向けた。
「咲夜? 私の名前?」
 言葉が返ってきた事が嬉しくて、少女は鉄格子に縋り付いて声高に叫ぶ。
「そうです! あなたの名前は十六夜咲夜!」
 女性は虚ろな目で辺りの壁を見回して、荒れ放題の頭を何度か掻き毟ってから、ふっと笑顔を浮かべた。
「そうか。そうかも」
 少女はそんな女性の姿と、凛凛しく紅魔館を仕切る十六夜咲夜の姿を重ねて、あまりの落差に悲しくなった。目の前の女性を十六夜咲夜だと思いたくなかった。
「あなたのお名前は?」
「私は本居小鈴」
「そうなの。聞いた事の無い名前ね」
 忘れられている、と少女は悲しげに呟き、項垂れる。溢れてくる涙を飲み下してから、弱弱しい声を出した。
「昔、会った事があるんです。私とあなたは知り合いなんですから」
 突然大きな金属音が鳴り響いた。少女が驚いて顔をあげると、怒りを顔に滲ませた女性が椅子を蹴り倒して立ち上がっていた。
「私とあなたは会った事なんて無い!」
 予想外に強い拒絶に少女は驚いて扉から飛び退る。すると途端に女性の声が和らいで、猫撫声が聞こえてきた。
「全くみんな私を嘘吐き呼ばわり。困っちゃうねぇ。嫌になっちゃうねぇ」
 少女が中を覗いてみると、女性は卑屈な笑みで壁に描かれた小さな女の子に語りかけていた。その異常さに少女は息を飲む。女性が首を捻って少女へ顔を向けた。にたりと気味の悪い笑みを浮かべた。
「これはね、私の子供」
 少女は少し考え、壁に描かれた小さな女の子を指さした。
「もしかしてレミリア・スカーレットですか?」
「え? レミリア……ええ、ええ、ええ、そうよ。そうよ、この子はレミリア・スカーレット」
「あなたが昔仕えていた吸血鬼のお嬢様の」
「私が、この子に仕えていた?」
 少女は女性の反応に一一悲しくなる。何もかも忘れているんですねと女性に聞こえない様に呟いた少女は、浮かんできた涙を拭って鉄格子に手を掛けた。
「あなたは十六夜咲夜。紅魔館の主レミリア・スカーレットに仕える完全で瀟洒なメイド。お願いです。思い出して下さい! 幻想郷での日日を! 紅魔館で過ごしたお嬢様との日日を!」
 女性は呆けた顔をしていたがやがて得心の言った顔で笑みを浮かべた。もしかしたら記憶が戻りかけているのかもしれないと、少女が更に咲夜という人物について伝えようとした時、掃除の時間を知らせるチャイムが鳴った。
 少女も女性もそのチャイムに身を震わせて黙り込む。少女が怯えながら外へ出ると、清掃員がやって来て、廊下に出ている事を叱られた。怒られた少女は恐れ慄いて逃げ出した。
 背後から、壁に落書きをするなという清掃員の怒鳴り声とお嬢様を消さないでくれという女性の金切り声が聞こえてきた。その悲痛な叫びを聞いていられなくて、少女は両の耳を塞いで逃げ去った。

「別に危ない事じゃないし、あんたの為でもない」
 紙の上にペンを走らせながら少女は言った。
「そりゃね、頭のおかしくなっちゃった人の所に通うっていうのは、ある意味では怖い事かもしれないけど。永遠亭はちゃんと管理していて、特に危ない人は部屋の中から出さないからね。直接的な危害は無い。先生だって優しい人だし、安全安全」
 最後まで書き切った少女は背後を振り返る。
「阿求、あのね、だから、これは別にあんたの為にやってる事じゃないって。強いて言うならあんたとの勝負! 幻想郷縁起なんてあんな凄い本を見せられたら、悔しいじゃない! ここで退いたら妖怪コレクターとしての名が廃るわ」
 妖怪コレクターとどういう関係が、という言葉に対して、少女は、じゃあこう言い換えましょうと言って、書いたばかりの紙を摘み上げてひらひらと揺らめかせた。
「読んで感心するばかりで、客席から歓声を送っているだけなんて、友達として嫌じゃない! 例えあんたがどれだけ特殊で偉大だろうと、私はあんたの隣を歩きたいの! だから書くのよ! あんたと同じ舞台を歩く為に! 二人の間に確かな絆を作る為に!」
 少女は四つん這いのまま、そっと近付いて、微笑んだ。
「ま、そんな訳でさ、流石に転生を繰り返す阿求に妖怪関連じゃ太刀打ち出来ないけど、人間の闇の部分にメスを入れるのなら、阿求、そういうの調べるの苦手でしょ? 私は阿求に先んじられる。そしたら、まあ、阿求の負担も少しは減るでしょ」
 自分の言葉で恥ずかしくなった少女は顔を赤らめて口ごもったが、すぐに不敵な笑みをにっと浮かべた。
「だから覚悟してなさい。幻想郷縁起の中で、阿求が書いた部分より私の書いた部分の方が凄いって言われる様な、そんな凄いのを書いてあげるんだから!」

 病室を訪れると、女性は以前と同じ様に粗末な椅子に座って、誰かに喋りかけていた。覗いてみると、目の前の壁に描かれた女の子に独り言を言っていた。描かれた女の子は新しく書き直されたもので、特にマントと牙が印象的に描かれていた。
「咲夜さん」
 少女が声を掛けると、女性は顔を引き伸ばした様な満面の笑みを浮かべて少女に向き直った。
「あら、小鈴様! ようこそいらっしゃいました!」
 女性は、この前お話した小鈴様がいらっしゃいましたよと壁の女の子に語りかけてから、立ち上がって一礼した。
「本当にありがとうございます。小鈴さんのお陰で昔の記憶が戻っているんです」
 それを聞いて、少女はぱっと顔を華やかせた。
「じゃあ、もう全部思い出して」
「いえ、それがまだ、一部分だけなのです」
「ああ、そうなんですか」
 少女は落胆して鉄格子を掴みながら肩を落とす。
 鉄格子を掴む少女の手に、傍に寄ってきた女性の手が重なった。
「ですが、記憶はどんどん戻ってきているんです。だからまた昔の事を聞かせてもらえませんか。私がどういう存在であったのか、私がどういう生活をしていたのか。そうすれば、私は元に戻れる気がするんです。こんな牢獄から抜け出して外へ戻れる気がするんです」
 その必死の様子に、少女は何だか胸が衝かれ涙が出そうになった。何とかこの人の記憶を取り戻してあげないとという半ば義務感を覚えて、大きく頷いた。
 少女は深呼吸をして気を落ち着けてから、自分の知る限りを語った。
 幻想郷について、紅魔館について、十六夜咲夜について、その特別な力、取り巻く人間関係、英雄的な行為、少女の知る十六夜咲夜を語り尽くした。
 語り終え、女性の反応を待つ。女性は、十六夜咲夜の話を聞いている間、時折頷きはするものの殆ど無関心であった。思い出してくれるだろうかと少女は不安気に女性の事を見つめ続ける。
 やがて女性は扉から離れ、粗末な椅子に座って何事か考え出した。全身を揺すり落ち着かない様子なので、見ている少女も何だか落ち着かなくて、体が震えてきた。
「咲夜さん?」
「待って! もう少しで思い出せそうな気がするの! 少し考えさせて!」
 思い出せそうという事は、どうやら良い方向に向かっているみたいだと判断して、少女はその場を離れる事にした。最後に自分なりのアドバイスを女性に送る。
「自分を見つめ直すには、自分を構成する要素を書き出して見ると良いって言っていましたよ。だから咲夜さんも、ご自分の思い出した事を少しずつ書き下してみたらどうでしょう?」
 聞こえているのかいないのか、女性は何の反応も示さなかったが、少女はきっと良い方向に向かっていると信じて、その部屋を後にした。

「しかし良く出来ているわよね。これ」
 幻想郷縁起を読みながら少女が言った。そこに描かれた緻密で細微な活写は虚構とも真実ともつかない一つの世界を作り出している。
「本当に私もこれ位書けたらなぁ」
 視線をずらすと、机の上に置かれた自分の文章が目に入る。そのあまりの稚拙さに目を覆いたくなる。
 少女は振り返り、背後に向かって、慰めの言葉に対する返答を口にした。
「下手な慰めは結構。でもちょっとショック。自分でもここまで書けないなんて思ってなかった」
 だがそれも仕方が無い。まだ書き始めたばかりなのだから。これから成長すれば良い。これから良い物にすれば良い。十六夜咲夜という人物を口頭で詳述した影響か、今日はペンが乗りに乗っている。まるで滑る様に、十六夜咲夜という人物が紙の上に描き出されていく。確かに拙い文章だが、それは後で洗練すれば良い。大事なのは、要素をより詳細に書き下す事だ。
 ただただ頭に浮かんだ着想を書き下していく。
 ペンが進む。
 まるで自分の中に自分でない誰かが宿ったかの様にペンが走る。
 ひきつけを起こしたかの様に震えながらペンが紙の上をのたくっていく。
 最早ペンを走らせる速度が思考すらをも凌駕している気がした。
 気が付くと、文章の量が増えていく。
 まるで何かに操られる様に。
 止まる事無く書き下す。
 ふとそれに恐怖を感じた瞬間、少女ははっと顔を上げて、背後を振り返った。
「ねえ、阿求。あなたもこんな風に書いていたの?」
 稗田阿求は転生を繰り返し、過去の記憶を引き継ぎながら、幻想郷縁起を編纂する。もしかしたら阿求は今の自分と同じ様に、誰かが乗り移った様な気分で、幻想郷縁起を書いていたのかもしれない。もしかしたら今、自分は稗田阿求が居た高みに届いていたのかもしれない。
 そう考えると、自分の文章が素晴らしい物に仕上がった気がして、少女は期待しながら書き綴った文章を読んでみた。
 相変わらず下手糞な文章が書き込まれていた。
 溜息を吐く間もなく足音が聞こえ、声を掛けられた。
「おお、書いていたのか? 関心関心」
 現れた顔を見て、少女は顔を明るくする。
「マミゾウさん! どうしたんですか、今日は」
「何、少し様子をな」
 少女に笑いかけた女は、机の上に開かれた本を見て頬をゆるめた。
「どうだ。その本、面白いか?」
 少女は机の上に置かれた幻想郷縁起を見て、満面の笑みで頷く。
「はい! とても面白いです。やっぱり阿求は凄いなって。ちょっと羨ましく思う事もあるけど、やっぱり凄いって思います。ね、阿求?」
 少女は振り返って笑顔を向けた。女もその視線を追って、目を見張る。
「稗田阿求か」
「え? はい。会うのは初めてでしたっけ?」
「いや」
 女はしばらく驚いた顔をしていたが、頭を振って笑顔になり、少女の前に座った。
「とにかく、君が以前に比べて明るくなったのは良い事だ」
「そうですか?」
「ああ。きっと幻想郷縁起のお陰だな」
 少女は頬を赤くして人差し指を当てた。
「まあ、私と阿求の絆を確かめられたって言うか……もう! 何を言わせるんですか!」
「いや、私は別に何も」
「阿求も聞いているのに恥ずかしい事言わせないで下さい!」
 少女が女に向かって、拳を振り上げて、ぽかぽかと殴ろうとしたが、その両手を掴まれて阻まれてしまった。
「人を殴っちゃいけないよ」
 途端に少女はしおらしくなる。
「ごめんなさい」
「いや、良いよ。それよりも最近の事を聞かせてもらおうかな」
 女は沈んだ気分を入れ替える様に殊更明るい声を出した。少女はそれに促されて、最近あった事を話した。けれど少女は、文章の続きを書きたい一心で、そわそわと始終落ち着かない。一通り聞き終えて満足した女がそろそろ次の段階に進もうかと言って出て行った後には、扉が閉まる前に急いで机に向かい、再び続きを書き始めた。

「いらっしゃいませ、小鈴様」
「咲夜さん、どうしたんですか、それ?」
 鉄格子を覗いた少女は女性の姿を見て驚愕した。
 女性の顔は化粧で整い、エプロンドレスにカチューシャを付けて、今までの雑然とした姿とは正反対の格好をしていた。
「ようやく昔の事を完全に思い出せました。私は十六夜咲夜。紅魔館に住む悪魔の従者。ですからそれに恥ずかしく無い様に、相応の格好をしたまででございます」
「そうなんですか」
 それにしても以前見た時と比べて、変わり様が凄まじい。
 少女は何だか怖くなりつつも、気合を入れて頬を張った。
「咲夜さん、それじゃああなたは全部思い出したんですか?」
「はい、完全に」
「本当ですか!」
「はい。あなたのお陰です」
 女性が十六夜咲夜になってくれた事が嬉しくて、少女はあまりの嬉しさに何度も鉄格子を揺さぶった。金属が軋みあって不快な音を立てたが二人共気にしない。
 女性は机の上に載っていた紙束を持って鉄格子まで寄ってきた。
「あなたに言われた日誌も大変役に立ちました」
 そう言って女性は紙を広げて見せてきたが、行も列も無く乱雑に書かれた文章はあまりにも汚らしすぎて、少女は読む事が出来なかった。それでも両手に持っても重そうな紙束の量と紙の隅から隅まで余す所無く書かれた文字の情熱から、女性の記憶を取り戻したいという熱意は受け取れる。
 そして実際にそれが叶ったのであれば、これ以上に喜ばしい事は無い。
 少女は女性になった気分で異常な程喜び、それに触発されて女性も喜びだして、二人で奇声を上げながら鉄格子を挟んで祝い合った。
「それじゃあ、咲夜さんの事をお聞かせ願いますか?」
 喜び過ぎて息も絶え絶えになった少女は当初の目的を果たす事にした。
 十六夜咲夜になった事を過剰に喜んだが、それはあくまで目的を達する為の準備でしかない。少女の本当の目的は、十六夜咲夜という人物をあます事無く記録する事なのだ。
「少少お待ちください」
 女性は一礼すると、壁に描かれた女の子の絵に向かった。
「お嬢様、これから少しインタビューを受けて参ります」
 そう言いながら、ティーカップにポットの口を向けて傾ける。
 そうして恭しく一礼してから、戻ってきた。
「お嬢様から許可を頂きました。後は何なりとお答えしましょう。とはいえ、あなたは私以上に十六夜咲夜に詳しそうですが」
 女性の冗談に、少女は吹き出した。気分が乗った少女は、メモを取り出しペンを舐める振りをして不敵に笑う。
「では早速お聞きしましょう」

「これは凄い、これは凄い事になるわよ」
 少女は怪しげに呟きながらがりがりと筆を走らせる。
 後ろも振り返らずに、少女はひたすら書き綴る。
「阿求! 本当に凄いから! あんたの本にも載ってない新情報満載! 世界中が震撼する事間違い無し!」
 世界中から賞賛を受ける夢想をしながら、少女は女性から得た着想を恐ろしい速度で書き連ねていく。書き記す紙に頬を貼り付け、狂気じみた速度で手を動かし、笑い声を上げながら、自分の作品を作り上げていく。
 何者にも止める事の出来ない没頭ぶりだったが、突然肩を大きく揺さぶられた所為で、少女は驚き飛び上がった。
 悲鳴を上げて転んだ少女の視界に、上から覗きこんでくる顔が映り込む。
「おーい、何してんだ?」
「魔理沙さん! 何すんですか!」
「え? 何が? つーか、何してたの? さっきからうるさかったけど。外まで聞こえてたぜ。気になったから来ちゃったよ」
「私は今、幻想郷縁起にすら無い新しい幻想郷を書いているんです! 魔理沙さんに構っている暇は無いので放っておいて下さい!」
 やってきた人物は呆れた様子で腰を下ろして、机の上に目をやった。
「幻想郷縁起? お前、またその事言っているのかよ」
「良いじゃないですか。私にとって何よりも大事な事なんです。邪魔しないで下さい」
「そんな事してたら、出るのが遅れるぜ?」
「別に外に用事はありません。とにかく今は凄い勢いでインスピレーションが湧いているんです。魔理沙さんの相手をしてたら霧散しちゃう。魔理沙さんはそこの阿求に構ってもらって下さい」
 少女が顎で壁を指し示すのを見て、溜息を吐き腰を上げる。
「分かったよ。出て行きますよ」
 そう言って、部屋の外に出たものの、名残惜しそうに振り返る。
 六畳一間の狭い中で、少女は一心不乱に机へ向かっている。
「今日でお前の魔理沙さんは出て行っちゃうんだぜ。もう会えなくなるけど、寂しくないか?」
 そう声を掛けたが、何の返答も無い。ひたすら机に向かって文字を綴っている。
 もう一度溜息を吐いて壁を見る。
「まあ、仕方無いか。お前には新しい友達が居るんだもんな」
 壁には本を持った女の子が描かれている。
 拙いタッチで描かれた女の子は優しい眼差しで少女の背を見つめている。
 そこに余人の入り込む余地は見受けられない。
 もう一度溜息が聞こえ、そして扉が閉まる。
 壁の少女、幻想郷縁起、そして新たに書き上げようとしている三つの絆に囲まれて、鉄格子の向こうでただ一人、少女はその幻想郷を書き上げる。
 とても小さな、けれど少女の全てが詰まった、六畳一間の幻想郷。

 最近になって幻想郷縁起の正当な続編が存在するという噂が出回った。
 すわ作者がまだ生きているのかと研究者達は俄に色めき立ったが、正体は何処かのファンが勝手に作った似ても似つかぬ代物であったらしい。怪しさも美しさも感じられない書き殴りのファンアートで、はっきり言って見るに耐え無い。
 期待外れの落胆からか、その書籍を殊更悪し様に罵る者も居るが、私はその偽物にある種の満足感と感謝を覚えている。
 少なくともその書籍を書き上げた情熱は本物だ。実際に見れば分かる。ブリタニカ百科事典を思わせる程の文量を誇っているのだから。それを一人で書き上げた熱意は計り知れない。情熱を持っているのはその偽物を書いた作者だけではない。続編の噂が広まった時、(一部とはいえ)世界中の人間が狂喜乱舞した。誤報であった事は残念だが、今回の件で私は改めて幻想郷を希求する者達の、肌を焼きそうな程の熱意を浴びる事が出来た。その発端となった作者には感謝してもしきれない。
 見知らぬ者達が幻想郷という絆で繋がり、その実在に本気の情熱を傾けている。その熱が凝縮し固まれば、例え幻想郷が本当は存在していなかったとしても、本当に現出してしまう気さえする。
 我我、幻想郷を希う者達は、幻想郷の存在を確かな物とする為に、この情熱という名の不可視の絆を大切にし、これからも幻想郷探求を続けていくだろう。
決して人を傷付けられない安全なペンが開発されているという未来設定。
烏口泣鳴
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コメント



0.210簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
後書きでわろた
6.90絶望を司る程度の能力削除
なんだこの恐怖感は……?純粋に歪んでいるみたいな……。
7.100名前が無い程度の能力削除
精神病棟で繰り広げられる本居小鈴(仮)と十六夜咲夜(仮)の
ハートフルな交流に胸が熱くなりました。

ポットはきっとやわらか素材。
9.80名前が無い程度の能力削除
凄まじいまでの絆パワー
11.80名前がない程度の能力削除
一度失われたものをもう一度、というところに切っても切れないものを感じさせられました。
どういう前後関係を経てこうなったのか、という情報はぶっ千切れているようですが。
13.90名前が無い程度の能力削除
そもそも幻想郷というものは各人の頭の中にしかないのかもしれない
それなら幻想郷に思いをはせている自分と、小鈴の間にどれだけ差があるのか