Coolier - 新生・東方創想話

ひななゐロック 【天道落伍】

2014/07/25 17:48:49
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 ……大きな地震が在った。
概念結界を隔てて内陸、幻想郷と呼ばれる秘境の地にも大地の揺れと言うのは無関係ではない。
科学の解明したプレートの歪みとその反動は概念上の姿を変え。やれ地底の核実験だ、鯰の大暴れだ、いや太歳の祟りだと好き勝手に噂されるようになって、山の神とその風祝が祭事を行う事で人心の騒動を鎮めた。
この功績によって今までカツカツであった信仰もようやっとひと心地つく事となり、思わぬ漁夫の利に二柱と一人は内心大いに喜んだと言う。

 ――誰が知るだろうか。その地震が、外の世界で数多くの命を奪っていった事など。
 ――誰が分かるだろうか。これより先、一人の少女が抱える事になる苦しみを。
 ――誰が気付いただろうか。とある商店から、倉の雪崩被害による大整理の際、一枚のお面が持ち出されたなどと。

 人や妖精は既に身の回りを守るのに精一杯で、大妖怪に置いてすら、自らを慕う者……あるいは、自らの領地を整えるのに心血を注いでいた。

 故に誰からも見える事無く。地下を掘り進む虫のように……その毒は、総身に回り始める。


 そうとは露知らず、時はぐうるり一季、二季と過ぎ、夏も中程へと入った頃。
荒い木目と漆喰の壁が混じるように立ち並ぶ人里の一角、寺子屋帰りの子供達が巾着を片手にぷらぷらと歩く。
中には手に小遣いを握りしめ、我先にと駆け出す姿も在った。
その先には寺の境内があり、其処では水兵服に身を包んだ妖怪が水飴を売っている。
水飴を買う事で絵解き(紙芝居)を寄って見る事が出来る仕掛けなのだ。

 「今日のお話は何?」

 子供が群がる中で一際背の高い少女が――周囲を旋回する面から分かるように、彼女は妖怪である――無表情のまま目をキラキラとさせて、項垂れた女に声をかけた。

 「……もう日差しも熱いってのに、ガキんちょは元気よねぇ……」
 「幽霊の癖に暑さを感じるのか。これは驚きの表情」
 「はいはい、大人しく座ってて。んー……三国志は子供にウケが悪いしなぁ……」
 「封神演義は?」
 「仙人に憧れる子供が出て、大目玉食らったよ」

 ぶつくさ言う船幽霊を尻目に、少女は絵解き棚の裏側に備え付けられた書架を漁る。

 「何が読みたい?」
 「カッコいい奴」
 「ヒーロー物ねぇ……有ったかなぁ。……そーだ、あんた達、西遊記は知ってるわよね」
 「何回もやったよ。有名な話だし」

 ジト目で「それはもう聞き飽きた」と主張する少女に対し、船幽霊はチッチッと指を振った。

 「そう、でもいつも山に封じられた悟空が三蔵法師と出会う所からでしょ?
  今日はそこに至るまでの話をやりましょうか。」
 「そこに至るまで? 孫悟空が山に封じられるまでのお話?」
 「そうよ、冥界の使い……つまり死神ね、から閻魔帳を奪い取った孫悟空は、閻魔の偉い人を殴り倒して地上に戻ってくるの。
  不老不死になったせいで天界もこれを招かざるを得なくなって、挙句天界の桃や薬を食い荒らされて逃げられるのね」
 「随分悪い事してたんだ」

 少女が知る話では、孫悟空は一種のヒーローであり、口こそ粗野なものの義侠心の有る良き若者として書かれていた。
それが話の始まる少し前まで悪人として暴れまわっていたと言うのは不思議な感覚だ。
もっとも、目の前の船幽霊も宗教に救われる前は立派な人殺しであったようだし、そう言う物なのかも知れないが。
それにしても、天界の桃と言うのは食い荒らしたくなる程美味しい物なのだろうか?

 「そうよ、まぁ、妖怪たるものやっぱりそんくらいワイルドな方が語り甲斐も有るんだけどさ。
  だけど天界や地上で乱暴狼藉を働いてた孫悟空もついに捕まえられて、
  身の程を知らせる為にお釈迦様と賭けをすることになり――」

 したり顔であらすじを解説する船幽霊の横で、鳩が何羽か飛び立つ。
向かう先の空には入道雲が顔を出し、強い日差しを少しでも隠そうと、太陽にかかろうとしている。
天界。雲の上にも大地は有るのか、ならば其処にはどのような者が住むのだろう、と。
生まれて間もない妖怪である少女は、未だ見ぬ雲の上に向かい想像を羽ばたかせた。



           ◆◆ ◆◆  ◆◆ ◆◆

              ひななゐロック

           ◆◆ ◆◆  ◆◆ ◆◆



  1:比那名居天子


 もはや我慢の限界であった。

 それは「名居守にくっついてきた」と言う過去だけで全ての行動が意味を成さない天界に対してであり。
不良天人と言う言葉を訂正させるだけの努力も見せず、日々蒙昧と暮らす父親に対してでもあり。
永く非想非非想天に居ながら一向に仏になる気配も見せず、それどころか永く天に居ることを誇りにすら思っている名居本家ならびに天人全体への怒りであり。
何より「その程度の奴らにこの私が頭を垂らさなければならない」という現実に対してでもあった。

 とにかく、その娘……比那名居天子に取って、天界の生活全てが到底我慢しきれるものでは無かった。

 さて、比那名居天子は聡明な娘である。
博麗神社倒壊異変の際に起こした、自暴自棄とも取れる行動を見ればそうは思えないかも知れないが、本来の彼女は人に応じた教えをそらんじられるだけの頭脳と、死神を幾度と無く蹴散らせるだけの腕前を併せ持つ才女。
惜しむらくは、幼心地を残したまま天へと召し上げられてしまった事だろうか。
修練を積むこと無く"成し終えた世界"へと辿り付いてしまった才能は、最悪の「無視」という形により燻り続けることとなる。

 ……ついに堪忍袋の緒が切れた天子が、緋想の剣を手にするその日まで。





 「どいつも、こいつも」

 ドス、ドスと音を立て、清らかなる世界をのし歩く。
怒りの様が見て取れる程度に鼻息は荒く、床板に当たり散らすかのように踏みにじる。

 「どいつも! こいつも!」

 明らかに場にそぐわぬ騒音を発する天子に対し、注意をする者は居ない。
普段、天子がどれだけ騒ごうと、周りの天人達はわずかな視線さえも払うことなく蹴鞠などに興じている。
何故ならば? ……自分の周りの空気が乱された、そんな些細な事で怒るのは瞋(しん)であるからだ。

 瞋とは我に背く事に怒る心。仏教における三毒の一つで有り、天に昇る者ならとうに振り払ったはずの煩悩。
悩むと言う事は恥であり、煩いからは遠のくのが天界の常。
故に、天子は誰とも衝突すること無く歩みを進める。
天界兵器である緋想の剣を奪った時ですらそうだった。だから、その程度の事で天子は今更怒る事は無い。
そんな"慣れた"自分にイラつく事は有ったとしても……

 しかし、今の状況は普段のそれとはまた違うものであった。

 「どいつもこいつも、弱い弱い弱すぎる! これじゃ弾幕の練習にもなりゃしないじゃないの。
  天人ってのは死神を追い返したりするんじゃないの? あんたらの所にはそんなに三下しか寄越されないの? ねぇ!」

 累々と積んだ屍(殺しては居ないが)の山の上に、また一人と積み上げる。
緋想の剣を振るい、要石を操り蹂躙する様は、まさに無双。

 「どうしたぁ! 奪われた緋想の剣を取り返す気概のある輩はもう居ないのか!
  名居家は小娘一人すら追い返せぬ腰抜け共の集まりか!」

 怒号一喝。しかし最早残る名居の者は理不尽な暴力に怯えるしか無く、念仏すら忘れ震えるのみ。

 ――本当に、これが御仏に召し上げられた名居守の成れの果てか。

 天子は何度目とも知れぬ失望を覚えた。何回かは覚えていないが、最初の一回は確かに覚えている。
名居の家に忍び込み、何の障害もなく緋想の剣を担ぎ悠々と帰宅したその時だ。

 ――今にして思うと、必然だったとすら思えちゃうわね。名目上悪人が居ない天界に、誰にも扱われなかった兵器。
 ――そして、"そこに居ないことにする"のが一番だった私……

 ただ外面だけに非想と言う箔を塗った天人達。
叩きのめせば少しは気が晴れるかと思ったが、そんな事は無く。むしろ曇天方向へ一直線である。
むしろ、この程度も出来ない名居家に対し募るは失望と虚無感ばかりで。

 カツ、カツ、カツ、カツ
と、自分以外の足音を耳にし、そこで天子は思考を中断した。

 「何事だ、騒々しい」
 「……あら、遅いご到着でしたわね名居神様、とその付き人一名。あぁ、確か私のお父様だったかしら?」
 「て、天子。お前はまたこんな」
 「お付きさんは黙ってて貰える? 私は名居神様と話をしに来たの」
 「ぐ、むむ」

 天子は自らの父親に口を結ばせると、名居神と呼んだもう一人へと向き直る。
その男は天子をギロリと睨みつけると、あからさまに嘲りに満ちた笑みを浮かべた。

 「話? 話だと? 私は賊と話す口など持たんわ。未だ三毒も捨てきれぬ不良天人めが」
 「相変わらず口とヒゲだけは立派ですね。偉大なる名居家の出涸らし当主様は」

 繰り返すが、元々比那名居天子は聡明であり、彼我の力量を測れるだけの智慧がある。
その天子の目が、名居神の細かな所作を観察する。虚勢に震える指、吊り上がる口角、微妙に焦点を合わさぬ瞳。

 ――ああ、何と言う事は無い。この男は小物だ。

 そう思った瞬間、天子の心に有るのは空虚だった。
恐らく緋想の剣さえ無くとも、今の天子がこの男を殺してのける事は簡単だろう。
あの八雲紫から向けられた本気の殺意の経験。あれさえ有れば、この男の"見せかけ"に怯えることは最早無い。
ハリボテのような男だ。天に居ながらにして非想を測れぬ、見せかけの悟りで膨らませた風船であった。

 故に、自分の期待に答えてくれる事は無いだろう、と天子はこの時点で予想していた。

 「ぶ、無礼だぞ、主家に対して。比那名居の一人娘如きが」
 「如き。その如きにボコボコにされてこんな場所まで侵入を許す主家かっこ笑かっことじの台詞では無いかと思いますが」
 「黙れ! 我らが名居は天に登った身、既にそのような些細な諍いからは解放された存在なのだ。
  三毒に侵された小娘には分からぬだろうがな。無慚無愧の輩め、その矮小な心が満足したなら去れ!」
 「まだです。話をしに来たと言いましたが?」

 男の尊大な物言いは、一時期で有れば天子を畏怖させたであろう。しかしもう、天子は本当の力と言うものを知っている。
踏み込むことに躊躇は無い。有るとすれば、予想が確信になることへの怖れ。
震えそうになる声をねじ伏せながら、努めて平坦に。

 「先の震災の件、名居神様の元に既に知らせは届いていらっしゃるのですか?」
 「……アレか。ふん、天女天女と持て囃されようと所詮は妖怪か。こんなに口の戸が開くのが早いとはな」

 そして予想は裏切られる。自らが考えていた最悪より、なお悪い形となって。
やはりこの男は、知っていた。竜宮の使いから十全にお告げを受け取っていた。

 ――それでやる事が、緘口令を敷いて、表沙汰にならないように……!?

 「ぐおっ!? 不良天人めが、血迷ったか!」

 気付いた時には、既に名居神を壁に叩きつけていた。
頭の奥が沸騰したように熱い。首根を掴んだ腕に力が入る。殺す。いや、殺しては駄目だ。まだ話が残っている。

 「生憎、私が知ったのはサボりの死神からでしてね。
  曰く『アンタの所がちゃんと仕事しないお陰でアタイは大忙しだった』とか――」





 一時期、天人を殺す名目で、ちょくちょくサボりに来ていた死神がしばらくぱったりと姿を現さなかった時があった。
忙しかったのは本当だろうが、肝心の愚痴られる側である天子にはサッパリ話が分からない。
これはおかしいと思い問い詰めてみたところ先の大地震を知ったのだ。

 ――『なんでよ、なんで気が付かなかったの』

 それだけでは無い。中越、淡路、いいやもっと広い世界。国と国同士の戦争や、自殺ですら日々失われていく命。
死を司る神から直接聞いたそれらの話は、天子にとって全て寝耳の水であった。
天子とて頭では分かっていたので有る。人は短い時間に生き、そして死んでいく。だが、それは単なる知識。
本当の意味で理解しては居なかった。死んでいく人々を、この目で見たことは無かった。

 ――『だって、おかしいじゃない。そんな人間が死んでるなら、そんなに人間が生まれてるなら』
 ――『どうして、天界には数百年の間一人も人が増えてないのよ!?』

 天子は自問する。少し瞬きをした間に、千を超える人間が死んでいると言う事実。
仏に祈る気も無く、仏となる気も無く、日々無為に生きている私がのうのうと生き延びていると言うのに!
胸に罪悪感が影を差す。彼らの為に何かをやらなければ。何故、他の天人は知らぬ振りが出来るのか。
何故、自分は今の今まで、本来救うべきで有った者の数すら知らなかったのか。だから死神に問うたのだ。

 ――『そりゃあ、だって、お前さん達が言ったんじゃないか』
 ――『天界は既に人がいっぱいだから、これ以上成仏させないでくれって……』

 その時、長い間溜め込んできた天子の心の泥溜まりに、はじめて激しい火花が散った。



 -◯◯--



 「何人死んだの。……何人死んでたのを、私は知らなかったの」
 「じ、地震で直接集落がやられた訳ではない。今の外界の技術の進歩は目覚しいからな。小娘、貴様の想像より遥かにだ。
  だが、その後の津波で多くがやられた。万か、いや、二万か……」
 「そう。で、我らが名居守は何人救った? 見た限り、数百年前から一人とて変わらない顔ぶれみたいだけど」
 「…………我らの関与する所では」

 ギリリ、と腕に力が入る。細腕ながらにして、今ならこの男の首をへし折る事さえ出来る気がした。

 「カッ……ハ……」
 「懈怠、害、愚癡、無明。呆れた増上慢ね、名居の男。そんなだから天から先に上がれないのよ。
  貴方だけでは無いわ、大村守が解脱し天を去った後、親族一同誰か一人でもこの天を捨て去れたか!
  御仏も大概よ、こんな奴らを天に招き、挙句のさばらせて居るのだから。ハン、私含めてね!」

 憎しみを通り過ぎ、天子の胸には自嘲めいた物があった。
八苦を滅したはずの天人が、こんなにも鬱屈し憤慨している。もういい。私は最初から不良天人であり、天人くずれだった。
仏になれぬなら、せめて修羅になろう。緋想の剣一本でどこまでやれるだろうか。そんな覚悟すら固めようとして、一息。

 「……何……が、出来る……」
 「あ?」
 「人は……人間は、御仏の教えでは無く、科学を選んだ……。神を祀り鎮めるでなく、己の力で切り開く道を……
  今更、人で無い我らに何が出来る……? 何も、何も出来はしない。地脈を鎮護する要石すら、外界ではお守り程度の効力。
  ましてやそれは地の歪みをただ蓄え、何処にも逃しはしない。端から何も出来はしない……ならば、知らん方がマシだ」

 か細い声。張り詰めた風船から空気が抜けていくような、ヒュルヒュルとした呼吸音。

 「ざっけんな! それは、何かをやろうとした奴の台詞でしょうがッ!」
 「お前は知らん。何も出来んのだよ、神にも御仏にもなれぬ我々では。大村守様がこの場に居れば確かにまた違ったかも知れん。
  だがあの方は解脱なされた。輪廻を離れ、人々を見守る側に。しかし、それでもあの有様だ。我ら如きに出来よう筈もない」

 その響きは絶望、かつては確かに御仏を目指していたであろう男の折れた心の一片が、棘となって天子に突き刺さる。
そこに確かに有ったはずの熱が、膨張した空気が、刺さった破片の隙間からしゅうしゅうと漏れ冷まされていく。

 ――何も知らない? 教えなかったのは、お前達の方だというのに。
 ――お前達が精進していれば。お前達が人を見下していなければ。お前達が。お前達が。お前達が。

 しかし天子の知性は、男の言わんとしていた可能性を理解していた。即ち、大村守が、御仏が全力で救おうとして、なお――

 「……ッ!」

 何かを言おうとして、言葉にならぬ。天子は代わりに拳を振り上げ、名居の男を猛然と殴りつけた。
正しいと信じていたはずの義憤が、急に稚気じみた八つ当たりに思えてくる。頑丈な物を殴ったせいか、拳が痛い。
気が付けば、天子は息を荒げ床に座り込んでいた。名居の男は既に気絶している。仮にも天人だ、死にはしていないだろう。

 「……お父様」

 痛みを堪え、立ち上がる。なんにせよ、もう行動は終えてしまっていた。

 「お父様。まだ、いらっしゃるの」
 「て、てん、天子……わ、私は……」
 「お父様は知っていたの? あの、震災の事は」
 「いや、知らなかった……知っていれば、お前にだって知らせていた。本当だ、信じておくれ」
 「……そう」

 どうだっていいわ。とまでは、続かない。

 「ねぇ、お父様。私分かったの。仏陀は何も救おうとはしていないのね。
  結局私は、天に昇るような器では無かった。救われぬと分かっていて、なお精進出来る聖人では無かった」
 「天子、そのような事を言っては」
 「もういい。もういいのよ」

 緋想の剣を肩に担ぎ、ゆらゆらと、幽鬼のような歩み。今の彼女を見て、誰が非想非非想の処に御座す天人だと思うだろうか。
それほどまでに、疲れきった笑みだった。

 「……あぁ、お父様。今までお世話に成りました」



 ――私、比那名居天子は、ただ今を持って還俗致します。



 ◆


 「やぁやぁ、また随分派手にやったもんだね」

 足取り重く屋敷を出た処で、天子の背に声がかけられる。
その"声"は霧のような形となって集い、すぐに特徴的な二本角が現れた。
伊吹萃香。ただ独りにして百鬼夜行の鬼。

 「……何よ、アンタ。居たんだ」
 「おうおう居た居た。鬼は何処にだって居るんだよ。そんで? 何処に行こうってんだい?」
 「何処だっていいでしょ。見て聞いてたなら察しなさいよ」
 「やーだよ、魚じゃ無いんだからさ。空気読んでたら鬼なんてやってらんないの。いやいや、胸がスッとしたね。
  あの解ったような顔をしてこっちを見下す天人共を、片っ端から千切っては投げ、千切っては投げ……」
 「やめて」
 
 何処かで見たのだろう。茶化すように片足を上げポーズをキメる萃香。
天子は生気の無い瞳でそれをみやり、唇だけで呟いた。

 「やめてよ」
 「……分かった、悪かったよ。そんな泣きそうな声で言わなくても良いじゃないか。
  ちょっとこう、場を和まそうとだね……あー、いいや」

 余計に傷を広げるだけだと悟ったのだろう。バツが悪そうに角をかく。

 「真面目な話、さ。これからどうするのよ。伝手は有るのかい?」
 「……別に。関係、無いでしょ」
 「有るか無いかでいやあ、大有りだ。私は旨い酒が飲みたいのさ」

 瓢箪をあおり、酒臭い息を吐く……けれど、その目には確かな芯があった。
直視される事に耐えられなくて、天子は目を伏せる。

 「今のあんたのような顔をした奴を放っておいて、ロクな事になった試しがない。顔見知りなら尚更だ」
 「あっそ……物知りなのね」
 「やれやれ、なんだか随分と萎んでるじゃないか。いつもの傲岸不遜はどうしたい?」
 「もう、出来無いのよ。あんなの、ただの道化じゃないの」

 鉛のように重く吐き出したその言葉には、萃香がピンと来る物があった。
この六道最上界、天子は我が過ぎるが故に鼻つまみ者なのであり、不良天人なのだ、と萃香は思っていたのだが。

 ――逆か。我が儘ゆえに腫れ物になったのでは無く。最初から腫れ物扱いだったからこその、我が儘なそぶり…

 恐らく、天に召し上げられてすぐの頃。幼い天子には、なぜ自分が不良天人で有るかが分からなかったのだろう。
その為に勉強し、その度に挫折し。最終的に、天子は唯我独尊という"角"を磨き上げた。
その角さえ持っていれば、避けられる事に納得がゆく。これでは腫れ物扱いでも仕方ないと、割り切ることが出来る。
誰のせいにするでもなく。ただ、自分のせいだと。

 ――頭の良い子だ。そしてそれ故、愚かな道を進む。

 萃香は憐れむと共に、少しの失望を覚えた。この色の無い天界で、なお我道を進む天子が気に入っていたが故に。
わざわざ騒ぎを起こし、退治されるのを待ち望む姿に一方的なシンパシーを感じていたとも言えるのだが。

 ――だがこりゃ駄目だ。あまりに優しすぎる。

 萃香は、己の体格に不釣り合いな程に肥大化した角と伊吹瓢を揺らし、天子の顔を覗きこんだ。
天子の表情は、泣くでも笑うでも無い、人形めいたそれであった。


 ◆


 元来、鬼は気に入ったものには甘い種族である。酒を飲ませ寝首をかく策が常套手段である事からも懐の甘さが分かるだろう。
種族の強さによる驕りや油断と言ったものも有るだろうが、妖の上に立つ妖怪である事も関係しているのかもしれない。

 伊吹萃香は、緋色の雲が集まっているごく短い期間の観察で、既に比那名居天子と言う少女を気に入っていた。
「みんなで天人を虐める祭」なんて嘘ギリギリの理由を付けてまで、天子の周りに人を萃めた事もあるほどだ。
それは「一勝一敗して初めて対等」という鬼なりの価値観が根底にあったし、その為の機会作りでもあった。
その価値観をもってして天子をいけ好かない天人くずれで終わらせるのではなく、いち早く幻想郷の一員として取り込んだのだ。

 ――あの後、紫にねちっこく嫌味を言われたなぁ。

 一度怒れば容赦の無い紫の事だ。事態を収拾した後に、何らかの"対処"があったのだろう。
それをご破算にされたのだから、振り上げた拳がこっちに来たのはまぁ仕方のない事か。
だがそれゆえに、自分には天子に対しての自負と責任が有る、と萃香は思っていた。

 ――実際の理由はあの時紫をハブったからかも知れないけど。
 ――居なかったものは居なかったんだからしょうが無いじゃないか。

 デキる鬼は、友人の大人気無さも熟知している。



 「ほら、入ってよ。人を上げるのは、これでも初めてなんだからさ」

 天界の外れ、雲界もほど近く薄く雲も掛かっている所。天子が連れてこられた場所にその建物は存在していた。
四畳半ほどの間取りに丸窓が一つ。そして、天子でさえ背を屈めなければ入れないほど低く小さく作られた戸。

 「この意匠は……茶室? なんでこんな所に……」
 「そりゃ、私が造ったのさ。その辺の桃の木とかから木材を集めてね。芭蕉庵ならぬ、桃樹庵ってとこ?」
 「……芭蕉庵は別にバナナの木で出来てるわけじゃないんだけど」

 自信満々に平坦な胸を張る萃香に対し、天子の反応は冷淡だ。

 「というか、何? なんでアンタがこんな物建ててるのよ。何に使うの」
 「そりゃあ、茶室なんだから茶を点てるに決まってるじゃないか」
 「茶を? そりゃ、出されればアンタでも飲むでしょうけど。なんでわざわざ淹れてまで」
 「そりゃあ、お酒を美味しく飲む為に決まってるじゃないか」
 「茶室で?」
 「そんな訳ないじゃん! 茶を理解しない奴だなぁ、天人の癖に」

 心が死んだ天子とて、飲兵衛に茶を理解しないとまで言われるのは不愉快であったが、突っ込むのも最早馬鹿らしい。
茶を出すというのなら、それを飲めば満足して解放するだろう。
なんで自分に絡むのかは分からなかったが、酔っ払いを一々理解するつもりも無い。

 「ま、ま、ま。ほら、入りなよ」
 「……茶道って、元々主催が先に入って人を待つ物なんだけど」
 「そうなの? まぁ、良いんだよ、これは個人用だから」
 「まぁ、なんでも、いいですけれど……ふぅん、中も普通ね。むしろ質素すぎる位」
 「侘び茶だからねぇ」

 萃香が照れくさそうに笑い、天子が内部を見回す。
小さな戸棚。その上に福助人形。水仙。書道の掛け軸。囲炉裏がついでに魚でも焼けそうな形なのはご愛嬌か。

 「侘び茶……うわ、似合わない。大勢で騒いでる方が好きなんでしょ?」
 「あぁ、好きだよ。特に幻想郷の宴はね。賑やかで楽しくて……色々と忘れちまいそうなくらい」
 「……」
 「ここはな、寂しいだろう? こういう所に居ると、否応なしに思い出すのさ。苦しい物も、失っちまった物も。
  そんで、茶を飲むんだ……苦い奴をね。そうすれば、忘れないで居られる」
 「臥薪嘗胆ってわけ? 何でそんな事」
 「ちょいと違うなぁ。私は、忘れたくないんじゃ無いのさ。ただ、今を当たり前だと感じたく無いんだ。
  あいつらに飽きたくない……人はすぐ死ぬから、尚更だ。全力で、あいつらの生きている間を楽しんでいたい。
  酒を飲むときは塩を舐めるだろう? 同じような物だよ。この空間は、私の生にとってのツマミなんだ」
 「似合ってなくても?」
 「似合ってなくても。覚えときな、天子。長く生きていれば、似合わない趣味の一つ位作るもんだ。
  勇儀のぬいぐるみ集めみたいにね」
 「いや、その勇儀さんは私存じませんけど。あなた照れ臭さを隠す為に知り合い使ったわね?」
 「バレたか」

 抹茶に湯を注ぎ、茶を点てる。
やはりと言うべきか、萃香は作法を殆ど知らなかったのでほぼ天子が教える羽目となった。

 「呆れた……本当に我流でやってたのね」
 「たははは、まぁ、これで格好くらいは付くようになったかな? そういう天子こそ良く知ってたね」
 「一応お嬢様で、お付きだもの。……勉強、してたのよ。馬鹿にされたく無くて。意味なんて無かったけどね」
 「意味は有ったじゃないか! こうやって私に教えてくれたんだしさ」

 萃香はカラカラと快活に笑う。天子はそれがなんだか暖かく、そして嬉しかった。
その萃香が、ずい、と身を乗り出して問うて来る。嘘も誤魔化しも効かぬ鬼の目で。

 「……それで、どうするんだ。その、"比那名居天子"はさ」
 「だから、私は……」
 「私は?」
 「私、は……」

 天子は何も言えぬ。視線が左上にずれ、やがて顔を伏せる。

 「天人に愛想が尽きたかい?」
 「尽きたわ。いえ、最初から尽きるほどの物すら無かったけれど。
  それでもね、心の何処かで信じて居たんだと思う。私が疎外されるのは、私の徳が低いせいだって。
  他の、修行して仏陀に召し上げられた人たちは、皆立派な行いをしてきてるのだって。だから、しょうが無いんだって……」
 「天人、やめたいか?」
 「分かんない。でもね、怖いのよ」
 「怖い?」
 「もし、もしよ? 御仏様も、あいつらとおんなじだったらどうしよう、って。
  あらゆる神仏が、あの山の所の神様のように、人が信じなくなったせいで力を振るえないんだとしたら。
  増えすぎた人が死んでいくのを、もうどうしようも無いって諦めてるんだとしたら?

  だとしたら。巫女は、天人は。私たちは、何の為に……」

 天子の独白を、萃香は黙って聞いていた。
天子は顔を上げず、故に萃香の表情は分からない。ただ、口元だけが辛うじて見える。

 「今までの自分を捨て、別の場所で新しく生きる。それも良いさ。でもな、捨ててどうすんだい?
  捨てるなとは言わないよ。でも今の天子はあまりにも場当たりだ。怒りに身を任せて、仏を捨て、天を捨て、自分を捨て。
  その先が見えてこない。自分自身考えて無いんだろ?

  ……命は、甘くないよ。あっという間に手から滑り落ちていく。
  還俗し、地に落ちるならお前は直ぐに人としての業を取り戻すだろう。
  五衰すらせず、四苦にまみれ汗水たらして働いて、やっとこさ日々の糧を得る。
  そうして少しずつ積み重ねた安定も、ちょっとした理不尽であっという間に吹き飛んでしまう。

  私達鬼はな、そんな理不尽の象徴さ。だから分かる。目的も手段もなく生きていける程世の中ってのは優しくない」

 ……長い静寂の後。天子は何か言おうとし、何も言えずに下唇を噛んだ。

 「なぁ天子、ここは静かで良い所だな? 私はさ、紫とかに見られずに、一人隠れる場所としてここを造ったんだ。
  だからさ、今日一晩、お前に貸すよ。泣きたければ泣けばいいし、笑いたければ笑え。暴れるのはちょっと勘弁だが」

 そう言い残し、萃香は庵を出た。
しばしの静寂の後、天子は桃を取り出し一口齧り、戸棚の中に塩を見つけ、それを振りかけまた一口齧る。
お世辞にも美味しいとは思わなかったが、ほんの少し甘みが増した気がして――口元を綻ばせ、泣いた。





 一晩の後、萃香が首をもたげて庵の内を見ると、天子は畳の上で横になっていた。
眠っていたのだろう、珠のような頬には朱で一筋線を引かれており、昨晩の様子を伺わせる。

 「ほら、起きな。朝だよ! 目は覚めたかい?」
 「……眠ったのなんて、久しぶり。こんなに疲れる物だったかしら」
 「畳の上で眠るからさ。でも、いいもんだろう? 微睡むってのも」
 「だからって泥酔が認められるわけじゃ無いですけれど」
 「厳しいなぁ、天子は。そんなだから顔に畳の痕が付くんだ」
 「えっ、嘘」
 
 ぺたぺたと自分の頬をさわって確かめる天子に、萃香は笑って蒸かした布を差し出した。

 「頭がすっきりした気がする。ちょっとだけど」
 「寝て、起きて、朝が来たからさ。夢を見るのも良いらしいけどね」
 「夢が? でも夢は見なかったわ」
 「夢ってのは見たことは忘れてるもんだよ。なんだっけなぁ、人は夢で頭の中を整理するんだとかなんとか」
 「一々眠らないと頭の整理も出来ないの? 不便ね、人間って」
 「これからその不便な人間になるんだろう、お前さんは」
 「うぐっ」
 「やめるんだろ? 天人」
 「うぐぐっ」
 
 うめき声を上げ、蒸しタオルで顔を覆う天子。
その合間から上目がちに顔を向けてくる。可愛らしいことしやがって、と萃香は思った。

 「冷静に考えるとさぁ、私、天人であること辞めたら空も飛べなくなりそうなのよね」
 「ん? あー、そっか。お前さんの場合は天人だから空を飛ぶんだもんなぁ。能力による所じゃなくて」
 「そう、流石にそれはなーって」
 「あー、あー、まぁなぁ。でもそれこそ、修行すりゃあ良いんじゃないのかね」
 「これ以上、仏の為になんかしてやるのなんて真っ平御免よ。私は私の道を行きたい。
  魔法ってのも有りだけど、それだって時間かかるだろうしねぇ。魔女に師事なんてしたら真っ先に解剖されそうだし」
 「ははっ、違いないね。……ちったあマシな顔するようになったじゃないか」
 「まだよ、全然」

 天子は頭を振った。その言い様がなんだかおかしくて、萃香は再びカラカラと笑う。
そして、睨めつけるように視線をやると、瓢箪で口を湿らせて嗤う。

 「なあ天子……鬼に、ならないか?」
 「鬼? いや、そりゃ強そうで素敵だけど、なろうってんでなれるもんじゃ無いでしょ」
 「私が保障しよう。お前にゃ才能が有る」
 「本気? ……よね、多分。ちっとも目が笑ってないんだもん」
 「お前は純粋で、何より無垢だ。後は染まるだけさ。何なら私自ら般若面を彫ってやるよ。
  仏の智慧を知り、天から地に落ち、鬼が作った鬼の面をかぶる。後はしかるべき場所にしばらく居れば、直ぐにでも……」
 「待って、待ってよ。鬼の面はっついて鬼になるって。あぁそうか、伊吹山の」
 「私ゃその子の方だけどね」
 「……」
 
 熟考。天子もまさか鬼になれと言われるとは想定外だったのだろう。
鬼の力は、幻想郷でも一、二を争う。それが手に入るのは確かに魅力的ではある。
奪うも与えるも思うがままに出来るほどの、純粋に理不尽な暴力。それが有れば。それが有れば?

 天子はただじっと己の右手を見つめる。マメが出来たことも無ければ、爪も整っている。綺麗な指。

 「……やめとくわ」
 「はぁ、そうかい。理由を聞いても?」
 「だって、誰かから何かを奪うには、きっと私の手の皮は薄すぎるもの」

 今度は萃香が呆気にとられる番であった。
しゃっくりのように呼気が漏れ、次第にタガが外れたように笑い出す。

 「はは、ははは! ヒック。そうかい、お前は人から物を奪うのに、苦と労を求めるか!」
 「な、何よ。誰もそんなこと言って無いでしょう」
 「いや、良い。いいんだよ。天子、本当にお前は善い子だなぁ!
  だけど、これは前言撤回しなきゃなるまいよ。お前が目指すべきは鬼なんかじゃない。
  もっと……こう、凄い何かになれ」

 かはは、と声を上げて鬼が笑う。萃香は膝を叩き、瓢箪をあおった。

 「私ゃ、好きだよ。お前のそういう所。何でもいい、何かを目指しな。
  あんたが鬼よりも、仏よりもスゲーって思う何かを。私ゃそれを楽しみに待ってるよ」

 鬼の目で見据えられ、天子は照れくさそうに目を逸らす。

 「……何かって、何よ……。もういい! それより天から降りる事の方が先決なんだから」
 「あぁそうか。そうだねぇ、結局どうしたいんだい?」
 「んん、そうねぇ。とりあえず寺社は無しよね。なんの為に天界を出るんだか」
 「そうかい? 天人と言う身分なら楽に暮らせそうだけどね。霊夢の所は別だけどさ」
 「だからそれじゃ変わらないのよ。上手く言えないけど……私に似合わない所に行きたいわ。
  出来れば、五衰した後に八雲紫なんかがザマァしに来なければなお良し」
 「紫の目が届かない所って、気持ちは分かるけど難易度高いなぁ……
  こっからなら外に出れなくも無いけれど、向こうはコセキとかショーメイショとか色々面倒くさいし」
 「やっぱ無理そう? 私の知ってる所なんて、それこそ博麗神社か人里くらいだから悩むんだけど……」

 つまり、広く幻想郷を見渡せる萃香の目を信ずると言うこと。ならば頼られたら力を貸したくなるのが性……では有るものの。

 ――永遠亭……なんかも匿ってくれそうだけど、あそこはあそこで完結してるし……

 何よりあそこの医者もマッド気質だ。天人なんぞ居たらほいほいと実験に使われそうでもある。

 ――もっとこう、私の顔が聞いて、かつ紫の行かない場所は……

 「……あぁ、いや。一つ有るな、心当たり」
 「本当!? 言っといてあれだけど、八雲に関してはあんまり期待して無かったんだけど……彼岸とかは勘弁よ?」
 「大丈夫、アイツがそうそう顔を見せれない場所だし、居るのも気のいい奴らだ。コネもあるしね」

 萃香は自分の妙案にほくそ笑み、天子の顔がパァと明るくなった。
ズビシィ! と言わんばかりに指を突き立て、宣言する。

 「天子、お前は……地底に行くべきだ!」


 ◆


 その半刻後。天子は隠れるように雲海を進んでいた。
と、言うのも、名居家をまるまる襲撃した後である。流石の平和ボケした天界と言えども、お尋ね者となっていると考えたほうがいいだろう。
その点、常に雲に覆われている雲海は隠れて移動するには絶好の場であると言える。

 ――それで完全に危険が無いわけでもないんだけどね。

 時折、バチバチと襲い来る雷を緋想の剣で散らしながら進む。
稲光の他にも、何時遭遇するとも分からない竜宮の使いの問題も有るし、あまり長居はしたくないな、と天子は思った。

 ――衣玖、怒ってるかな。呆れてそうよね、あいつなら。

 数少ない、会話する知人の事を思う。結局お別れも言わずに出てきてしまった。
もし会ったらなんと言われるだろう? 咎められるだろうか、それとも説得されるだろうか?
案外、面倒くさがりの事だから「お陰で休日出勤ですよ。手当て出るんですよね?」みたいな愚痴を吐かれるのかも知れない。

 「衣玖」

 呟きは何処へも届かず、雷鳴にかき消される。思い出すのはいつかの記憶。
酒の匂いだ。何処で飲んでいたのだったか。博麗神社か、衣玖の自室か。アルコールと化学反応を起こした戯言の残滓。

 ――『ねぇ衣玖、私の事好き?』
 ――『何ですか、総領娘様。いきなりですね。私にそっちのケはございませんよ』
 ――『んーじゃあ、"天子"の事は好き?』
 ――『はぁ』

 はぁ、だ。何がはぁなのだ。私がどんな気持ちで質問したと思っている、と天子は憤慨した。
どうせ「面倒くさい酔い方してやがるな」とでも考えて居たのだろう。そんなだからお前は結婚出来ないのだ。
空気を読め、空気を。

 けれど、そんな空気を読まない衣玖で無ければ、厄介者の天人くずれに話しかける事はあっただろうか?
ポーカーフェイスと営業用の笑顔の裏で今日の夕飯を考えている、貴重な話し相手。

 ――衣玖。永江衣玖。

 天子は急に心細くなった。何だかんだ言って、天界に悪は無い。しかし欲界は違う。
萃香は自分の名前を出せば大抵はなんとかなると言っていた。もしならなかったら? 生きていけるのか?

 ……一人で?


 「甘ったれんな、私。行動は済ませたのよ」


 天子は己の頬を叩き、下方を睨んだ。雷雲に阻まれ、地上までは見えぬ。

 「萃香の話通りなら、この辺だったはず」

 雲の底から少しだけ顔をのぞかせて最終確認。深く暗い洞穴が口を開けているのが見える。

 「邪魔が入るかもしれない事を考えると、なるべく早く天から地底まで向かいたい……電撃作戦になるわね」

 一人ほくそ笑む。大丈夫、私ならやれる。何とでも出来ると思い込む。
根拠の無い自信だという自覚が、かえって天子を奮起させた。
不遜で、厚顔で、いつまでも少女。そうでなきゃ幻想郷ではやっていけない。

 「3、2、1……エントリィ!」

 雷雲を突き抜けて、一直線に目標点へ。空中で半身捻り、足元に要石を出現させる。
その分の重みも載せて、下へ、下へ、下へ。蒼いロングスカートがたなびく。
落下地点には、怪物が昏く口を開けて待ち構えている。

 「一寸先は闇。上等、上等よ」

スカートの縁を抑えながら、天子は自らの体躯に"比那名居天子"が戻ってくるのを自覚した。


 「やってやるわ。迷惑かけてやる。行動は済んだ。やれるだけやるだけよ!」


次第に周囲から光が無くなっていく中、天子の目元から最後の光るものが風に舞い上げられていった。


 ◆


 ごつん、みしっ、めきめき。足元に置いた要石が障害物を跳ね飛ばしていく音が聞こえる。
しばらく落下を続けていたが、地底までの道のりはどうやらまだまだ有るようだった。
妖精も何もおらず、随分と気楽なものである。

 「まぁ、こんなにでっかい岩が物理法則無視して突っ込んできたら当たり前かもしれないけど」

 天子が盾兼足場として置いた要石は、ゆうに人間の四倍以上の体積を持つ。
いかに妖怪が頑丈とは言え、落下中のこんな物にぶち当たろうと言う馬鹿はそうそう居るまい。

 「ゼロって訳じゃないのが幻想郷よねぇ」

 世の中には天地開闢プレスを避けずに受け止める奴も居るのだ。ひまわり畑で笑ってる奴とか天界で酒飲んでた奴とか。
そして旧灼熱地獄にも一羽。さらに鬼の仲間の一人が旧地獄に居るらしい。世界は余りにも広く、天子は身震いした。

 ガゴン。

 「おっと……」

 足元に振動が起こる。
恐らく、壁面か何かにぶつかったのだろう。段々と進行方向が横に傾いていくのを感じる。要石の飛ぶ方向を修正。

 「そろそろ地の底も近いのかなぁ。岩壁も飽きてきたし早くなんとかしてほしいわね」

 落ち続けてもう十数分以上になるのだ。気合を入れて来ただけに、そろそろぼやきの一つでも出していいだろう。
天子は松明替わりにしている緋想の剣を振るいながら、あたりを見渡す。

 「薄暗いとは聞いてたけど、これじゃ真っ暗闇ね……その辺の蜘蛛の巣燃やしたりしたら明るくなったりしないかしら?」
 「ちょっとちょっと。止めてよ、火気厳禁。この暗さがいいって言う奴らも居るんだしさ」

 独り言をつぶやいていたはずが、返答が帰ってきた。天子は足場を止め、緋想の剣を握る手を声のしてきた方へと向ける。

 「どちら様? 丁度ちょっとした刺激に餓えてきた所だったんだけど。最近の土壁は喋るの?」
 「土は土でも私ゃ土蜘蛛だよ。全く、最近上から来る奴は物騒なのだらけだなぁ」
 「土蜘蛛、ふーん……能力は?」
 「病気を操る程度の能力だけど、何か?」
 「へぇー……私ってば丁度四苦滅してるんだけど、やる?」

 未だ相手は姿を表さない。こういう時は先に相手をビビらせた方が勝ちだ、と萃香が言っていたような気がする。
事実、諦めたように両手を上げながら一匹の妖怪が顔を出してきた。

 「やんないやんない……全く、勘弁しておくれよ。
  上からのよそ者が居るって呼ばれて来てみれば、上は上でも空の上からとは、ちょいと荷が勝ちすぎる」
 「あっそ、つまんないわね。じゃあ道案内でもして頂戴よ」
 「はいはい……あ、火はほんとに止めてね。密閉空間のせいで一度煙が立つと中々抜けないんだから。
  実際喧嘩や傷害なんかより放火の方がよっぽど重罪だしね、街の方じゃ」
 「分かった分かった。ま、これから厄介になる場所だしね。郷には従うわよ」
 
 こちらとしても、憂さ晴らしをしたい以上に、これから顔を合わせるかも知れない奴らと関係が悪くなるのは避けたい。
針の筵でも天界よりはマシに違いないが、どうせなら楽しいほうが良いじゃないか、と肩をすくめる。

 「……え、マジで? 何でまた」
 「あら、地底は嫌われ者の寄せ集めだって聞いたけど。有頂天の厄介者じゃその範疇には入れて貰えないの?」
 「いや、そんな事は無い、けど……」

 土蜘蛛を名乗ったその妖怪は、天子を値踏みするように観察する。
悪意こそ感じないものの、あまりいい気分でも無いな、と天子は思った。思い出したくない、と言うべきか……

 「まぁ、厄介者と言っても嫌われるほど相手にしてもらえなかった、ってのが正しいし。
  地底の皆さんに比べると役者不足かしら?」
 「あぁいや、気を悪くしないでくれ。こっちじゃ坊主は珍しいからね……尼かな?」
 「どっちでも無いわ。ただの破戒天人よ。仏に救ってもらおうと思った事なんて生まれてこの方一度も無い」
 「良くそれでやってこれたねぇ。ロックだねぇ……」
 「ロック? 岩? まぁ、やってこれなかったからこっち来たんでしょ。親族殴りつけてポーイ、よ。
  ちょっと前に八雲にも因縁付けちゃったから地上も居づらいしね」

 ま、もう負けないけどね、と鼻を鳴らす。何やってんだい、と土蜘蛛の少女が笑った。

 「そういう事なら、ようこそお仲間。歓迎するよ!
  案内なら私に任せておくれ。釣瓶落としの桶の中まで紹介してやろうじゃないか」


 ◆


 天子が土蜘蛛を名乗る妖怪、黒谷ヤマメに出会って数十分後。
二人はと言うと、やたらと意気投合していた。

 「だから私はこう言ってやった訳さ! 『HEY尼公! ボンノならお前の胸に108式のが二つ付いてるぜ!』ってね!」
 「おぉ言ってやれ言ってやれ! そんでどうなったのよ?」
 「気がついたら十畳位吹っ飛んで気絶してた……催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃない、
  もっと恐ろしい純粋なパワーってのを味わったよ……」
 「なにそれ怖い」

 なんせ、移動手段が要石である。ある程度意識さえしておけば自動で浮遊し移動する優れ物だ。
それは大きささえ有れば二~三人乗っていようが同じ事で、ヤマメの指す方向に従って降りるだけの作業である。
何もする事無く二人きりで暫く座っていろと言われれば、おしゃべりに精を出すのが黒谷ヤマメの性分であった。

 「分かんないな、力の差も圧倒的な相手なんでしょ? よくセクハラを働く気になるわね、ホント」
 「ロックだろ?」
 「ごめん、意味分かんないし……」
 「駄賃として山彦にセクハラして泣かせた時もな、身体十個分位打ち上げられて」
 「それを嬉々として武勇伝に出来るんだから凄いわ、あんた」

 とにかくよく喋る。口に戸は立てられぬとは言うが、自動ドアのような開きっぷりだな、と天子は思った。
ちなみに今彼女が話しているのは、ヤマメが地上に入った時の話である。
妖怪も平等に救うと言う触れ込みの寺に行ってきたと言うので、天子も興味深く聞いていた、のだが。

 「寺の人にセクハラしまくって挙句の果てに人間襲って追い出されました、ってどうなのよ」
 「取って食おうと思ってた訳じゃないよ? ただ可愛い子だったからちょっと一夏の思い出になろうかと」
 「私思ったんだけど、こいつ今の内に叩き落としたほうが世のためじゃないかしら」
 「く、唇だけだしセーフ! 顔面セーフ!」
 「アウトでしょ、どこから聞いても……」

 せめて私の手で、と緋想の剣を構える天子。
おどけるようにひええと声を上げながら、ヤマメは要石から飛び降りた。

 「怖い怖い。こりゃ逃げるっきゃ無いぞ」
 「あ、コラ待て」
 「まぁ、ここまで来ればもうすぐだよ。真っ直ぐ行けば宿屋も有るし。酔いつぶれた奴用みたいな簡素なモンだけどね」
 「あぁそうなの? まぁそうね、うさぎ小屋みたいな所でも行く宛も無いしとりあえずは……」
 
 と、ここまで言いかけて天子は何かを忘れてる気がした。
宿屋。そう、宿屋だ。屋、と言うからには何かを売っていると言う事である。売り物を買うには対価が無ければならない。

 「……そういえば、私お金持ってないわ……」
 「え……え、マジで?」
 「いや、だってほら、天界って稼ごうって意識が無いし、だから売買も無ければ金銭も存在しないし……」
 「うわー……マージーかー」
 「マジなのよ。うー、どうしようかなぁ。最悪寝なくても何とかなるけど、最低限の食事は必要だしなぁ」
 「んーまぁ、日雇いだよねぇ。幸い、妖怪は飽きっぽいし喧嘩っ早いから、大抵の日にどっかの修理の仕事とか有るけど」
 「でもそれって、スキル無しで何とかなるもん? 自分で言うのもなんだけど私、何もやった事ないわよ」

 身体の頑丈さだけはあるが、逆に言えばそれだけ。どうしても生まれた時から手に職持ってるような連中とは違ってくる。

 「萃香の奴、ここまで考えて私の名前を使えって言ってたのかしら……
  だったら金目の物の一つや二つくらい持たせてくれれば良いのに」
 「萃香って、伊吹萃香かい?」
 「知ってるの?」
 「鬼の頭領のご友人だよ。そだねぇ。その名を使うなら大抵の所で歓待して貰えると思うけど」
 「ううん」

 眉根を寄せて唸る。勢いつけて飛び出してきた割に、これだ。
天子は自分が情けなくなった。下界では金銭を使って取引をする。そんな当たり前の事すら、自分の頭からは抜けていたのだ。
かといって、いきなり他人の名前に頼る事も、"比那名居天子"としてのプライドが許さない。

 「使える物は使えばいいと思うけどねぇ。もしお前さんが鬼の名を出したとしても、疑う奴は居ないよ。
  なんせ鬼は嘘を嫌うからね。鬼に関して嘘を言う奴は、よほどの馬鹿か命知らずのどっちかさ」
 「そう……凄いのね、鬼の名は」
 「ま、なんせ鬼だからねぇ。妖怪の中の妖怪、ガンダムオブガンダムって感じ?」
 「あぁ、それ山の風祝が流行らせてるやつ。角が生えてて……」
 「お、知ってるのかい?」
 「なんかね、要石飛ばしたりレーザー弾撃たせたりしてたら『天子さん! ファンネルですよ! ファンネル!』って。
  結局それでスペカ一枚作ったんだけど……断り切れなくて」
 「断りたかったんだ」
 「私どうもあいつ苦手なのよね……世が世なら敵対関係でもおかしく無い訳だし」
 「えぇ? どういう筋なの、それ?」
 「ウチは建御名方神からボコって国盗った神様の傍流の使用人。向こうは建御名方神の直系」
 「うわぁ」
 「あちらさんは全然気にしてないっぽいけどね。天人に上がったとは言え、流石にちょっと……気まずいとも違うんだけど」
 「あぁ、でも何か分かる。私も地上行った時聖徳太子とか居てさぁ、びっくらこいたよ。
  別にその時代に生まれてたわけでも何でも無いんだけど、ねぇ?」
 「あー、もろ朝廷側だもんね」

 本来、土蜘蛛とは朝廷に恭順しない土豪に対する蔑称である。妖怪は長命だからこそ、自分のルーツには拘るのだろう。
天子は自分が天津神側、つまり朝廷側なのはこの際気にしない事にした。仏教畑に移ったし。

 「いっそ、質にでも入れましょうか。剣は……流石に売れないけど。帽子とか」
 「下着とか?」
 「売るか!」
 「まぁまぁ……でもいいのかい? その帽子、だいぶ大事にされてそうな雰囲気だけどさ」
 「と、言っても、先立つ物が無いと仕方ないしねぇ、そりゃあ、天界に上がる前から使ってる訳だから愛着は有るけど……」

 ――あれ? じゃあこの帽子って地上に居た時から使ってたのよね。
 ――買うわけ無いし……誰かに貰ったんだっけ? 全然覚えてない……

 「どうしたのさ、変な顔して」
 「いや、いつ貰ったのか全然思い出せなくて……私って薄情な子供だったのねー」
 「ふーん……? まぁ、正直質屋はオススメしないよ。大抵の所がボッタクリだからね」
 「むむむ」

 天子は考えこんだ。ならばやはり、日雇いを探して食いつなぐ?
だが、それで良いのか。天人を止め、場末の妖怪として働いていく。それだって馬鹿に出来る事ではない。
しかし、そうなると……名居神に向かった怒りはどうなる? 天人としての自分を、全て無かったことにするのか?

 ――私は、何がしたいんだろう。

 緋想の剣を握りしめる。出来るなら、見返してやりたい。天人を、八雲を、仏陀を。
上から見下ろしている奴らを全て。それが出来るなら。出来たなら……
だがそれは、息巻いた若者が「ビッグになる」と言っているのと何が違うというのか。
萃香は天子に鬼よりも凄い者になれと言った。ならば、なれるのか。明確なビジョンも無く?

 「それにしても、故郷を捨てて己の身一つで旅立つか。いいねぇ、ロックだね」
 「ロックなの? というか、ロックって何。さっきから言ってるけど」
 「ロックはあれだ、ロックンロールって奴さ。地上に上がった時に聴いたんだ」
 「ロックンロール……転がる岩?」
 「違う違う! あえて訳すなら、『揺さぶれ、転がせ』とか……そんな感じかねぇ? いやぁ、凄かったよ。大音声でね。
  それこそ身体の芯から揺れる感じだった……そして私は直感した! これは頭の固い地上の奴らなんかより、地底向きだと!
  そう、私はロックに生きるのさ。地底のアイドルから、地底のロックスターに!」
 「へー、すごい……」
 「冷たくないッ!?」

 違う。天子は眩しかったのだ。夢を語るヤマメの表情が、瞳が。
それは「やる」と言う意思に溢れた瞳であり、自身に最も足りない物である。恐らく、彼女はやり遂げるのだろう。
天子はその未来を考え、羨ましいなと思った。地底の星、なるほど凄そうな響きじゃないか。
何より「ロック」という言葉が気に入った。

 「……一事を経ざれば、一智に長ぜず。
  惑わしの愚知に膝を折る事無くやり遂げる事が出来たなら、あなたは真の智慧を得るでしょう」
 「おぉ、何か天人っぽいねぇ。へへ、あんがと」
 「ね、地底で一番大きいお屋敷って何処?」
 「んー、そりゃ地霊殿だと思うけど……どしたの、急に」
 「私もね、ちょっとアンタの事見習おうって思ってさ」
 「え、セクハラしに行くの?」
 「ちょっと待てお前自分の中で重要なとこそこか」
 「へへっ、冗談だよ。んじゃね、私はもう行くよ。地霊殿なら、一番大きい通りを真っ直ぐだから迷うことは無いさ」
 「えぇ。デビュー曲が出来たら聞かせなさいね」
 「もっちろん!」

 宵の口のような街明かりの中に、ヤマメの背が溶けていく。天子は一度目を強く瞑り、そして開いた。もう姿は無い。
天界で、夜に星を眺めるだけだった日々を思い出す。あの時、手を伸ばしても何も変わら無かった物。
しかし、本当に何も変わら無かったのだろうか。天子の気づかない所で、少しでも変化があったとすれば。

 「揺さぶれ、転がせ」

 口の中で、小さく呟く。岩のようにただ転がるのではなく、せめて自分の手で。
緋想の剣を数度振り、感触を確かめる。緋色の燐光が弧を描く。
どうやら地に降りたからすぐ使えなくなると言うわけでは無いらしい。この剣さえ有れば、早々遅れは取らないはず。

 「大きなお屋敷なら客室の一つ位空いてるでしょうから間借りする。
  場合によっては力付くでそこを借りる。うん、ちょー完璧。ロックよね」

 くく、と自嘲気味に笑う。全くもって穴だらけの計画だが、ぴったりだ。
気分は緋想の剣の盗難前夜か、博麗神社倒壊直後か。

 「栄枯盛衰なぞ所詮ひと枕。見てやろうじゃないのよ、いい夢の一つや二つ!」
 
光に向かって歩む。天子の姿もまた、街明かりに消えた。


 ◆◆ ◯◆◯


 ◯◯--◯◯◯◯◯-◯◯◯◯-◯◯◯◯--◯---

ブクブク、ポン。ブクブクブクポーン。
ザリザリ、ザリザリ。泡とソナーの響く中、寄せては返す波のように、光景にノイズが走る。

 ――あぁ、"混線"。いつの間にかうたた寝してたのね……。

 自身の体が現実世界に無い事を自覚しながら、彼女はため息を付いた。
ここでは彼女に出来る事は何もない。ただ、映画を見るかのように席に座って居るだけの存在。

 ――これは……お空の夢かしら?

 混線した夢の中では、制御棒と火球が主観視点で映しだされている。
そういえば、午後のティータイムの最中に甘えてきたお空を撫でて居たのだった。

 ――あの後、二人共微睡んでしまったのね。

 彼女が意識だけでくす、と微笑む。夢の中も弾幕戦も、佳境に入ってきたようだ。
恐らく対戦相手であろう、青い髪の少女が上空から巨大な岩で押し潰そうとする。
空はそれを真っ向から焼き尽くそうと、制御棒を天に構える。核の圧倒的な火力が岩を消し潰し、青髪の少女を捕らえ。
少女は空が「勝った」と思った瞬間にその緋色の剣を振るい、台風の気質とやらを発現させた。
その暴風と水は空の熱線を僅かながら揺らがせ、その隙に剣を構えた相手が突っ込んできて……

 ――負ける、と。よっぽど悔しかったのね。夢に見るほどに。

 想像以上の壮絶な勝負に呆れながら、少女はその青髪の少女の事を考えた。
お空の大火力の前に、牙を向いて突っ込んで来られる少女の事を。

 ―― 一歩間違えたら死ぬかも知れないというのに、なんて楽しそ◯な。

◯女は己の真っ白な腕を◯◯がら悔しく思った。彼女が持っ-◯-る物は自分の力では◯い。
弾◯◯負において--◯◯の記憶--◯寄生◯-◯だけの◯卑--◯-◯

 ◯---◯◯--◯◯◯◯◯-◯◯◯◯-◯◯◯◯--


  2:古明地さとり


 ス、と意識が0と1の結界から浮上する感覚。軽く伸びをしてペリペリと貼り付く残滓を剥ぎ落とす。
古明地さとりは、自分自身で夢を見る事は無い。
眠っている他人の近くで自らも眠りについた場合のみ、ラジオの混線めいてその夢を読み取る。
もっとも、所詮夢は夢。起きて暫くすれば忘れてしまう物なのだが。

 「……」

 無言のままに、前方の大扉を睨みつける。普段から低血圧気味の顔がさらに人相を悪くする。
また妹に馬鹿にされるな、とさとりは思った。果たして、あの妹が帰ってきていればだが。

 「さて、誰でしょう……」

正面扉から、朧気な思念が"見える"。わざわざ自分から地霊殿くんだりに足を運ぶ客人の種類は非常に少ない。
お燐お空で無ければ、閻魔様か、妹か。後は精々、鬼の星熊勇儀。
ペットや妹なら自然と開けて入ってくるし、閻魔様は来るタイミングが決まっている上に事前通達もある。
ならば必然、星熊勇儀になるはずだったが……

 「……誰?」

 その思念は明らかに鬼の物ではない。壁越しでは完全に思念を読み取ることは難しいが、
それでも我々が声色で判断するのと同じように、個人特有の色…あるいはフォントといったような形で縁取られる。


 「たーのもーう」


 戸惑っている内に、声が聞こえてくる。やはり聴いたことのない声。

 ――鬼では無い。どちらかと言うと閻魔に近い。しかし、四季映姫のものではない……

 七色に遷ろいながら、どこか暴力的な物を孕んだ思念。
すわ討ち入りか、とさとりは身構えたが、それにしては透きとおり過ぎている。

 声からして、年頃は少女だろうか?
もっとも、幻想郷において少女という言葉が如何に信用ならないかはさとり自身分かってはいたが。

 ――それにしても、時代がかった言い方だこと。

 ひょっとして侍か何かだろうか。だとすれば、地霊殿に剣士は居ないし、剣術看板を掲げた覚えも無い。
お燐に行かせようかとも思ったが、今日は彼女は地上に行っていた。地上で知り合った猫の集会が有るらしい。
猫の社会もそれはそれで大変なのだろう。ちなみにお空に行かせるという選択肢は存在しない。

 「しょうが無い、自分で行きますか」
 「うにゅ? ……さとり様?」
 「お空、お客様みたいだからちょっと行ってくるわね」
 「はーい……にゅ」

 謎の鳴き声を上げる空を尻目に退室する。せめてこの子達のように可愛いお客様であればいいな、とさとりは願った。


 ◆


[>てんしは トビラをしらべた
[>てつのトビラは かたくとざされている……

[>てんしは トビラにはなしかけた。
[>へんじがない、ただのてつのトビラのようだ

[>てんしは トビラをけりとばした。
[>へんじがない、ただのてつのトビラだっつってんだろ
[>てんしに2のダメージ!


 「ぬぅ……」

ジンジンと痛むつま先を抑えながら、天子は正面入口らしき扉を見上げた。
西洋風に拵えられたその門は不気味なほどに威圧的で、先程からウンともスンとも言う様子を見せない。

 「うーん……どうしようかしら、これ…」

 何をするにせよどこかしらから屋敷に侵入しなければいけないと言うのに、随分と頑丈に作られているせいで突破口が見えない。
地底見学もそこそこに、一直線にここまで来た天子としては困り物である。
どうやら物理的な硬さだけではなく、魔術・神術的な要素も含められているらしい。
だからこその威圧的な意匠なのだろう。天子にはサッパリ意味は分からなかったが。

 「となると窓からかしら……」

 ぐるり、と当たりを見回す天子。留守だから諦めようと言う発想は無いらしい。

 「窓からの侵入ってどうやっても優美じゃなさそうだから、あんまりやりたくないんだけどねー。
  あ、でもステンドグラスを突き破って登場ってのは格好いいかも。何処かに無いかな、ステンドグラス」

 中が留守だとすれば登場も何も無いのだが、天子的には自分が満足さえすれば良いようだ。
演出に凝る大根ハムレットの目が二階のステンドグラスを発見する。危うしステンドグラス。

 「……止めてくださいね、アレで結構値が張る物なので」

 あわや、という所で鉄の扉が少しだけ口を開け、声を発した。
天子は振りかぶっていた要石を空中に静止させ、扉の中を覗きこむ。紫色の陰気な瞳と目が合った。
全身を伝うコード、ダボッとしたスモック、そして芯の強い筆のような癖っ毛。
ぼそぼそとした声はいかにも喋り慣れてなく、ところどころ裏返ってもいる。

 ――ミノムシみたいな奴ね。

 少なくとも覇気は感じられないな、と天子は思う。これならば博麗神社の方がよほどマシな接客態度かも知れない。
スモックも女中としては随分と色が明るいし、胸のアクセサリは趣味が悪い。コードも家財なんかに引っかかりそうだ。

 ――それとも、地底ではこれくらいの方が普通なのかしら。

 地上でも少し怪しい所が有るのに、地底の常識となるとろくすっぽ分からない天子である。
まぁ、本人達が満足してるならそれでも良いか、と思い直し、とりあえず挨拶しておく事にした。
コミュニケーションの基本は、挨拶から。


 「お茶貰える?」
 「……貴方の範疇ではそれが挨拶なのですか? いえ……いいです。
  お茶は生憎先ほど飲んでしまったので有りませんが お茶漬けならありますよ」
 「へぇ、そうなの。それじゃ、小腹も減ってたしお茶漬けでいいから出してもらいましょうかしら」
 「遠回しじゃ分かりませんでしたか。宗教も新聞も間に合ってます、お引取りください」
 「宗教でも新聞でも無いから安心していいわよ。中に入れなさい」

 なぜか天子が胸を張る。スモックの女中は一通り可哀想な物を見る目で見つめた後、諦めたようにため息を吐いた。


 ◆


 「どうぞ。粗茶ですが」

 そう言って女中が差し出したお茶には、見事な茶柱がそびえ立つ。
未だ青々しさを残したその茶柱には、無数のいぼが付き己の存在感を主張していた。

 「……うん、胡瓜よね。これ」
 「お茶漬けです」
 「うわぁ、この胡瓜浅漬にしてある……」
 「地底風ですから」

 女中は相変わらず陰湿な顔で、辛うじて笑顔と分かる表情を見せている。天子は目の前の物体を見やった。

 ――まぁ、直ぐに歓迎されるわけが無いわよね。

 つまり、ここで退いたら負けと言う事だ。天子はおそるおそる、湯のみの中で異様な存在感を醸す胡瓜に舌を這わす。

 ――味は普通……よね?

 なにぶん、桃以外の食料を口に運ぶのは久しぶりだ。胡乱な記憶は有るものの、自分の中で確証が持てない。

 ――漬け物を茶に入れてくるなんて頓狂な嫌がらせをしてくる奴だから、仕掛けがこれだけとも思えないんだけど。

 ふと、横に視線を動かす。先程お茶を組んできた少女が、こちらをガン見していた。

 「……何」
 「いえ……美少女が棒状の物体を舐め回している様子は実に良いですね……と
  こう もうちょっと奥まで飲み込んで見ませんか? ささ ぐいっと」
 「ふんっ!」

 バリボリボリバリグビグビグビグビ。

 「あぁ、何ということを」
 「黙らっしゃい! 地底に入ってきてからこっち下ネタばっかりじゃないの。何、地底の底ってそういう底なの!?」
 「これしきで顔を赤らめるとは、意外と初心ですねぇ天子さん。可愛いらしいですよ」
 「嬉しくないわよ! ……あれ、私名乗ったっけ?」

 天子は小首をかしげた。自分でも気付かない内に名乗って居たのだろうか?
胸元についた目玉のアクセサリーを掲げ、少女が笑う。天子の背にぞわりとした嫌な感触が走った。
いつの間にか、自分の首元に真綿が巻き付いて居るかのような雰囲気。

 「改めて自己紹介いたしましょう。私は古明地さとり。怨霊も恐れ怯む、この地霊殿の主にして心を読む妖怪です」
 「……あんたが?」
 「あら、驚いて頂けましたか? 成る程、てっきり鬼が管理していると思っていた、と。
  ふふ……私に隠し事は出来ませんよ。この三つ目の瞳が、貴女の考えている事を全て「剣技『先手必勝の剣』!」へっぷち」

 さとりの口上の一瞬の隙を付き、天子が抜き放ったデタラメな剣技がさとりの華奢な体を叩き伏せる。

 「な、何をいきなり」
 「私の考えが分かるって事は目的も分かってるんでしょ? 私は頭がいいから分かんのよ。
  それでこんなしょーもない歓待してる、って事は一筋縄で行かせる気がないって事だわ。
  ステゴロマスターの教えその七、『一筋縄で行かなそうな奴は喋り出す前にぶっ叩け』……どうやら役に立ったようね」
 「うぅ、誰ですか……そんな傍迷惑な教えをしたのは」
 
 第三の目に、ひまわりをバックに実にいい笑顔の妖怪が親指で首を跳ねる姿が映った。緑髪はさですと。

 「ふ、強さを口で説明する前に牙をむくべきだったわね。私要石で百とか普通に出すし」
 「全く意味が通らないのに無駄に自信に満ち溢れた事を……」
 「所詮心が読めても身体鍛えてなきゃ意味が無いってわけよ。弾幕勝負するまでも無かったわね。私の部屋は何処かしら?」
 「既に歓待される気満々ですか。何処までも厚かましい」

 剣先をつきつけられながら、さとりが呻く。しかし、大きく物音がしたお陰で聞きつけたのだろう。
既に彼女の"目"は別の者の到着を読んでいた。

 「さ、さとり様!? 大丈夫ですかー!?」
 「お空、えぇ、私なら大丈夫だから、落ち着いて」
 「お前ー! お前なー! さとり様をなー!」
 「あン、何よ。……あぁ、何時だったかのアホウドリ。貧弱なボウヤのご主人様の代わりにあんたが私の相手をするっての?」

 天子が挑発的に笑う。一度戦って勝っている記憶が自信を与えるのだろう。
さとりはどっちでもいいから家を壊さないでくれと願った。多分無意味だった。

 「おぉ、やったらー! お前なんざ怖くねぇー!」
 「お空、隅っこで体育座りでもしててください」
 「うにゅー!?」

 愛すべきご主人様のピンチに奮い立つお空であったが、当のご主人様に制止されすごすごと廊下の隅に座り込む。ちょっと涙目。
実際、危ない所で有った。さとりが彼女の脳内に颯爽と煌く"ギガ"の二文字に気付かなければ、既に家財一式ごと火の海で有っただろう。げに恐ろしきは猫のゆりかご。

 「んで、どうする? この距離だったら、あんたが何かするより私がぶん殴る方が早そうだけど」

 廊下の隅からお空に威嚇されている天子であるが、堪えている様子は見られない。
全くもって面倒だ、とさとりは頭をふる。

 「強盗に押し入られて、家主がはいそうですかと差し出したのでは格好が付かないでしょう」
 「あら、ちょっと軒を貸してくれるだけでいいのよ?」
 「そして母屋を取られる、ですか。洒落になりませんね……ですが現状どうしようもありませんし……」

 ふぅ、とため息を吐き、さとりは両手の平を天子に向け降参を示そうとする。



 「脳符『ブレインフィンガープリント』」



 「ッ……!!」

 天子の網膜が、激しい緑色の光を幻視。その隙をつきさとりは立ち上がると、飛翔を開始した。

 「やれやれ。いけませんよ? 心を読む妖怪相手に、剣を突きつけただけで脅した気になっていては。
  私ったら身体が弱いおかげで、逃げる事だけは得意になってしまいまして」
 「くっ……この……」
 「ふふ、ここで暴れられて物が壊れるのも困りますし場所を変えましょうか?」
 「上等!」
 「お空……私は大丈夫だから戸締りをお願いね」
 「は、はい!」

 天子が気炎を上げ飛翔するさとりを追う。逃げる少女は一見緩やかなスピードで、今にも追いつけそうな程度。
とは言うものの、牽制弾を放ってみてもあっさり躱される上、赤紫と青紫で彩られたタイルがどうにも遠近感を狂わせる。
天子は小さく舌打ちした。どうにも頭の奥がざわざわとする。
無理やり嫌なものを引っぱり出されているような、脳髄から化け物が這い出してくるような感覚。

 ――何よこれ……ったく、気色悪い……

 「気色悪くてすみませんね。何しろ、これしか能が無い物で。
  しかし、その自信だけは羨ましい。いえ、地底風に言うなら妬ましい、ですかね」

 頭の中がチリチリと焼けつく感覚。何かに焦らされる焦燥感。

 ――あぁそっか、思考読まれて……一々答えられるのもなかなか面倒くさいわね。

 「えぇ、覚りと言う妖怪はひたすらに面倒くさく、相手の嫌がる事をし、嫌われる事で生き延びてきた妖怪です。
  おかしいと思いませんか? ここは広いとは言え屋内であるはずなのに、ちっとも何処かに辿り着く気配がしない。
  真っ直ぐ飛んでいるはずなのに。おかしいでしょう? 私たちは今、何処を飛んでいるんですか?」

 ――えーと、入ってきた所は地霊殿で、アンタは地霊殿の奥に逃げて、だからここは……あれ?

 天子の視界の端に窓がチラチラと写る。光が一定のリズムで入っては抜けていく。平衡感覚がだんだん無くなっていく。
気づけば、天子の目の前に紫の薔薇が咲いていた。あたりは昏く、時たま赤黒い炎のようなものが上がっている。



 ――ここ、どこ?



 「さぁ、そろそろ始めましょうか。天子さん。あなたがされて嫌な事はなんでしょう?
  怖かった思い出は? 死を意識した経験は? 紫色はお嫌いですか? お友達います?
  仏の何が嫌になったのです? 恋に憧れた事は? ペットになるつもりは有りません?」

 ――あれ? えーと、私、私は、最近まで友達あんまり居なくて、恋なんかは煩悩だからってしたこと無くて、
 ――紫色はアイツを思い出すから嫌いで、怖かったのはアイツに殺されかけた時で、死にそうになって……

 既に、天子はさとりの後を追うのを止め、緋想の剣を握る腕を不思議そうに見つめていた。
頭蓋骨でシチューがゆるゆるとかき回され、煮詰まっていくような愉快感。

 「アイツ……あぁ、八雲紫さんですね。博麗神社にイタズラして、怒られちゃった、と」

 ――でもね、本当に怖い事はね。誰からも、何も相手にされない事なの。
 ――わたしはね、頭がいいから知ってるんだ。叱ってもらえる内が花なんだぁ、って。
 ――天はね、まっしろで、きれいで、何にもなくて、このまま皆ごすいするんだな、ってわたし怖かったの。
 ――だから……えーと、だから……でも、行くとこなくて…………

 さとりはうなづきながら、胸元の第三の目で天子の思念を読む。口元が半月に歪む。

 「では、地霊殿のペットになりませんか? 寝る場所も有りますし、ご飯も用意してあげます。
  その青くて綺麗な毛並みがいつもさらさらになるようにブラッシングもしてあげますよ?」

 ――ほんと? さとり、可愛がってくれる? 

 「えぇ、天子さんは顔立ちも良いですし、肌も瑞々しく白磁のように滑らかで、撫で心地がよさそうです。
  だが何よりその結晶細工のような心が素晴らしい。無垢な天人を私色に汚せる事に、下卑な言い方ですが興奮を覚えますね」

 ――えへへ、さとり、やらしーんだぁ。
 ――でもねでもね、わたし、嫌なことがあったの。もう、あんな思いをしたくないの……

 「えぇ、えぇ。嫌な事とは?」

 ――いやなこと……いやなことはね……

 ――あん時みたいに、ボロ雑巾みたいに泣かされながら惨めに生きていく事だよッ!!



 瞬間。
目の前に顕現した要石に、天子は思いっきり頭を打ち付ける。
鈍い打撃音と共に、ひび割れた場所から要石がパラパラと崩れ落ちていく。

 「……っつ、あ、痛ァ………あー、でもこれで目ぇ覚めたわ。ったく、随分ヤバい事言ってくれたわね」

 額に血をにじませながら、辺りを見回す。恐らくホールをグルグルと回っていたのだろう。
周りはいつの間にか開けた空間になっており、吹き抜けに何本か柱が立っている。二階のステンドグラスも見える。
正面にはさとりの呆け顔。ザマァ見さらせと天子は笑った。

 「……驚いた。あそこからプライドだけで自らを立ち直すなんて」
 「覚り妖怪さんの度肝を抜けたようで何よりよ。んじゃまぁ、気合も入った所で第三ラウンド行きましょうか?」
 「あれ、第二はいつの間に……あぁ、最初のあれで既に一回勝った気なのね。まぁいいわ。
  三本目を取れば結局関係無いし……何より、必要な分はもう揃いましたから」

 そう言うが否や、ぞわり、とさとりが纏う空気が変わる。針山のような殺気が肌を刺す。
この感覚に天子は覚えが有った。非想非非想天、即ち、無色界最高峰で生きていた天子にとっての最初の"色"。
王の礼服。高貴なる者。可視光の最小波長。

 「八雲、紫……」
 「あなたの思い出の中でも最高峰の恐怖の記憶……"それ"を蘇らさせて頂きました」

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。天子の耳の中で、記憶の中の音が跳ね回る。
あの八雲が何処かから呼び寄せた、最長の式神。鋼鉄の大蛇が呼び起こされ、今再び天子に向かい目を光らせている。

 ――やったろうじゃない。

 天子はよりはっきりとその姿を思い出す。盾にしたはずの要石ごとあっさりと砕かれ、噛み千切られた苦い記憶。
刀も弾くはずの天人の皮膚がズタズタに引き裂かれた痛々しい思い出。
正直、未だに足が震える。頭を下げ謝ってしまいそうになる心を、牙を剥いて噛み殺した。

 「所詮向こうは本物じゃないんでしょ。だったら、心の持ちようよ。
  やってやる。草薙剣が無くたって、私にゃ緋想の剣が有る……!」

 「対峙するのが己の恐怖と知って、尚立ち向かってきますか……ふふ、最近は本当にそんな客人が多い。
  あなたが地に堕ち、ボロ切れのような心から甘い蜜を滴らせる日が本当に楽しみよ、天人。
  さあ、これからが本番です。トラウマに苛まれ再び眠りに落ちるがいい!


  ――想起『ぶらり廃駅下車の旅』!」


 ◆


 古明地さとりにとって、戦闘とは楽しむ物では無い。
そもそも、そこまで立ち入らせない事がさとり本来の戦い方で有るからして、「一対一の弾幕決闘」というものはそれだけで一種のハンディキャップである。

 相手の記憶の中から、適当な物を選び。催眠術で相手に苦手意識を想起させ、一方的に叩きのめす。
スペルカードを花火とするなら、そこには美しさもオリジナリティも無い。ただ相手を倒すだけの弾幕。
火を嫌うなら炎を見せ。水を嫌うなら滝を見せ。木を嫌うなら森を見せ。金を嫌うなら刃を見せ。土を嫌うなら山を見せ。
だからこそ、誰も挑もうとは思わない。誰からも嫌われて居続けられる。

 ――本当に皆、何が楽しいのかわからないわ。

 それが、誰にも心を読まれる事の無い妖怪、古明地さとりに取ってのスペルカードルールの正直な感想であった。



 「…………ぐぁっ……!」

 視界の端で、比那名居天子が虚空と激突し壁へと吹っ飛んで行く。
勿論、さとりの第三の目はそれが想起した車両との激突であることを読んでいる。
が、あくまで双眸に写るのは、相手が一人で何者かとダンスしている滑稽な光景。

 ――心の傷を抉るならともかく。直接的な身体の傷を想起させるのは、こっちもちょっと痛々しいのよね。

 覚り妖怪とて、目をそむけたいような思念も有る。なんせ、痛みは直に思念として送られてくるのだ。
体験談を読んで痛い痛いと悶える感覚を、もう少しリアルにした物と言えば分かりやすいかもしれない。
例えば、生爪剥がしのトラウマを想起させるのはさとりとてちょっと遠慮したい所であった。
勿論、それが生き延びることに繋がるのなら、躊躇なくやってのけるだけの覚悟はあるが……

 「こんの、まだまだぁ!」

 天子が車両と激突するのは、これで既に三度目のはず。普通なら全身の骨が砕けていると思っても仕方ない筈なのだが。

 ――空元気とかじゃなくて、ピンピンしてるわね……天人だからかしら。本当、憎たらしい位強靭な身体。

 やはり、身体の痛みだけで天人を堕とすのは難しいか。さとりは小さく舌打ちした。

 「しぶといですね……諦めて帰ればいいだけの話でしょうに 今回れ右するなら何もしませんよ?」
 「はん、人の事ペットにするとかほざいてた奴の台詞じゃあ無いわね……こっちだって三食メイド付きがかかってんのよ。
  ったく、何が想起だ……空中発動可で常時どっかから襲ってくるとか、原典以上じゃないの」
 「他人の屋敷を占領するのみならず、主人をメイド化ですか。その煩悩、脳外科手術で取り除いた方がいいんじゃないですか?」
 「冗談、そう簡単に頭パカられて堪りますかってー……のっ!」
 
 言葉を合図に、天子が姿勢を低く駆け出す。それは三回に渡る激突からの、天子なりの学習の成果で有った。
即ち、車両が何処からでも襲い掛かってくるのであれば、脚力による瞬発が可能な地上の方がまだ避け易いはず!

 「ファンネルッ!」

 ある程度まで接近した所で、要石をばらまく。勿論、速度も方向も丸わかりなそれはさとりにかすりもしない。
しかし、ある程度進行を制限することは出来るし、何より足場になる。今はそれだけで十分だ。
飛翔も用いて要石の間を翔ける。思考を読まれている以上、撹乱戦法は通じない。直線で行く!

 ――間合いに入れば、何とでも……!

 さとりに肉薄しいざ緋想の剣を振りかぶろうとした所で、音が空間を切り裂く。

PAAAAAM!

 「ちぃっ!」

 警笛音! 天子は足元の要石を操作し急制動をかけ、後ろに飛び退いた。鉄の塊が鼻先をかすめる。
これとガタゴトとなるレールの音のみが、視覚外から襲い来る車両の手がかりになるのだ。

 ――落ち着け、集中を乱すな。さとりは何処に……

 高空に飛び上がり、さとりの姿を探す。向こうとて、懐に飛び込まれたら不利なのは分かっているはず。
だからこそ少しでも遠ざかっている……と、天子は思ったのだが。

 ――居ない……!?

 見渡してみても、その姿は煙と消え。床と高所に等しく配置されたステンドグラスのきらめきが天子の脳を焼く。
天子は目を細ませながら着地した。地霊殿の内装自体が、既に一種の催眠導入となっているのだ。長く直視したらやられる。

PAAAAAM!

 警笛音! 天子はとっさに前方に駆け出し、迫りくる車両を回避する。とにかく今は動くしかない! 今は!



 ……では、さとりは何処に消えたのか?
彼女は天子の避け方と第三の目から、"天子が見ている列車"の座標を割り出し、その中から中へ潜むようにして隠れていた。
術士はあくまで術士。自分の見せた催眠に自分が引っかかる事は無い。それは、例え弾幕であっても同様である。
そして同時に、さとりは天子がトラウマを克服しつつ有ることを"読んで"いた。
時間を与えれば与えるほど、あの天人は対応力を増してくる。そして一度懐に入られれば、今度は逃がしはしないだろう。
対応策は二つ。より一層距離を取り、別のトラウマを想起させるか。あるいは、こちらから仕掛け一気に有利な状況に持ち込むか。

 「おそらく、別のトラウマを探るまでの時間は与えてくれないでしょうねぇ」

 相手に聞こえないよう、小さくボヤいた。このスペルカード、おそらく八雲紫の技の中でも破壊力は随一の筈。
それに数度直撃してピンピンしているのだから、天人の頑丈さと言うものは恐ろしい物で。
おそらく、八雲紫も何らかの手段を使った筈なのだ。それさえ読めれば。さとりの第三の目が見開き、トラウマの奥を、探る。

 ――……なるほど。しかし、このままの方法だと私には不可能ですね。
 ――私なりにやってみますか。幸い、そちらの攻めには慣れていなさそうですし……。

 古明地さとりは己が弱者で有ることを自覚している。だからこそ、強者を抉り、啜る手段を心得ている。
そこには道義も遠慮も要らぬ。さとりはポシェットから、"先程も使った"カプセル剤を一錠手に取り、口に含んだ。

PAAAAAM!

 警笛音! さとりは回避の為に飛び上がった天子に対し、両手を付き出して躍り出ていく!

 「しまっ……!」

 再び緑色の光に脳を焼かれることを警戒したのだろう。天子はとっさに目を瞑ってしまった。
だがそれではさとりを迎撃することも出来ず、結果、目を見開いた時には……剣すら振れぬ、抱きあう程の接近距離に。
まつげ同士が触れ合う程の近くで、目と目が睨み合う。
天子は未だ勝ち気を失っていない芯の光が入った瞳で。さとりは半目の奥にグチャ混ぜにされた感情で墨を入れた瞳が。

 そして、――天子にとっては信じられぬことに――さとりはそのまま、自らの唇を天子の唇へと口付けた。

 ――な、
 ――何してんのよ、こいつ……!

 天子の顔と思考が羞恥に染まる。
意外と柔らかいだとか、初めてだったのにだとか、そういった雑多な思念で頭が塗りつぶされ、飛行すら覚束ないまま落ちていく。

 「くぁっ……!」

 背中から地面に落ち、天子は肺から空気を失った。ケホケホと咳き込む内に、馬乗りになったさとりと目を合わす。

 ――何を考えてんのよ……
 ――可愛いとか、ペットにするとか……え、もしかして、そう言う意味なの?

 心は読んでいるはずでも答えは無い。だが、再度その貌が、ゆるゆると近づいて、天子の脇腹をまさぐりだす。
天子の身体から力が抜け、脳内で緑光がちらついた。金縛りのように身体が固まり、抵抗が出来なくなる。

 ――あ……
 ――待って、待ってよ……

 さとりの口元が歪む。唇と唇が触れ合う。天子が咳き込む。生温い物が口腔内に侵入し、上顎をなぞる。
こくり、と溜まりきった唾と共に、さとりから口渡されたカプセル剤を天子が飲み込んだ。

 「……え? な、なにこれ」
 「私の戦闘手段は……何処までやろうとも、結局はトラウマの再現……それ一つしか無いんですよ。
  もっとも、私は八雲紫のように貴方を捕縛する術を持ちません。
  なのでこんな賭けのような手段に出ざるを得ませんでしたが」
 「ち、力が……入んにゃぁ……」
 「その薬剤は私の能力の効きを良くする一種の導入剤です。
  二錠目なので耐性が付いてないか少々不安だったのですが、よく効くようですね。
  もっとも、本来はこんな無茶な使い方はせず、"それとなく飲み物なんかに混ぜておく"物なんですけど」
 「あ、あぁ、止めて、やだ、嫌だ……」
 「『地に縛り付けて、轢殺すれすれの位置を鉄の車両に通過させる』……八雲紫も、中々エグい事をします。
  ふふ、私もトラウマメイカーとしてまだまだですねぇ。所詮模倣の限界ですか」

 さとりの言葉は最早、天子には聞こえていないようだった。
身体をぷるぷると震わせ、這って逃げようと体を動かす。……その瞳に、八雲紫が映る。

 ――『どうしたの? 天人。駄々をこねるだけじゃ、何が言いたいのか分からないわ』

 「いやぁ! ごめんなさいっ! ごめんなさい! 謝るから、反省するから! 助けて、ください!」

 ――『だって、貴女が望んでいたことでしょう? 分不相応な物まで持ち出して』

 「違う、違うの! 私が、私が思っていたのは、こんなんじゃないっ!!」

 ――『ならば覚えておきなさい。それが貴方達が放り出した死への恐れそのものよ』

 「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! 許して、許して、許してぇっ!」

PAAAAAM!

 警告音! そしてガタガタと揺れだす地面と、全身を引き裂く痛み。全て、天子が幻視している物である。
鋼鉄の大蛇が天子を視界に収める。フロントライトが辺りに光を照射する。
さとりは馬乗りになっていた天子の上から浮かび上がり、そっと第三の目を手で塞いだ。
これから起こるであろう思念を直接読み取ることは、流石のさとりでも参ってしまいそうだったからだ。

 ガガガガガガガッ!!

 天子が激しく痙攣し、口から涎を吐き出す。声ならぬ声がさとりの耳をつんざいた。
次第に声はか細くなり、動きは周期を遅くしていく。天子はその場に横たわり、微動だにしない。
ダラリと垂れた左腕があらぬ方向に折り曲がっている。本来の負傷は、もっと凄惨な物だったのだろう。
さとりは第三の目を塞いでいた手をゆっくり動かした。もう思念は読み取れないが、とりあえず死んでは居ない筈。

 「まぁ、考えてみれば同じ事をやられてピンピンしている訳ですし……天人は精神構造も頑丈なのでしょうか。
  今回は粗相もしてないようですしね。まぁ、床掃除は手慣れたものでは有りますが……?」

 ぼやきながら、さとりは天子の顔を見た。恐怖に彩られ、奥歯を噛み締めるように失神している。
いや、実際に何かを噛み締めている。何を? 飾り紐だ。何の? ……緋想の剣の!

 ギロリ。

 天子の目が見開き、未だ何の光も失っていない瞳がさとりを見据える。
さとりは本能的にその場を飛び退き、天子から距離を取ろうとした。数瞬前に、天子が首ごと緋想の剣を振るっていた。


 ◆


 「……ハァーッ…ハァーッ…………やって、やったわよ……」
 
 荒い息を吐きながら、未だ感覚のない両手を使い天子が起き上がろうとしている。
血が滲むほどに食いしばられていた歯茎から、ぽとりと緋想の剣がこぼれ落ちる。
さとりはと言えば、緋想の剣に切られた傷……己の第三の目から霧を吹き出しながら、呆然とうずくまっていた。

 「やってやった……上から、見下ろしやがって……私は、耐えたぞ……!」
 「なんで……何も、考えられていなかったはず……」
 「腐っても、非想非非想天の身よ……欲を、捨てるくらい楽勝だ、っての……エホッ、ゴホッ!」

 立ち上がりかけた天子が咳き込む。一度限界まで息を吸い、そして奥歯から染みだした血ごと吐き捨てた。
その二本の足で地を踏みしめ、吼える。

 「『Rock and Roll』……仏陀だろうが、八雲だろうが、あんただろうが……手の平の上なんて、真っ平御免よ。
  私を動かすのは、私だ! 私、だけだッ……」

 左腕をたれ下げたまま、動く右腕だけで緋想の剣を持ち直す。
剣を向けられたさとりは、うずくまったままカタカタと震えていた。目の焦点が定まっていない。

 「あン?」
 「心が、読めないの……聞こえないの……どうして、今までこんなこと無かったのに……」
 「……緋想剣が断つのは実体にあらず。その悪しき心を絶つ……はぁん、あんたの弱点はその能力ってわけね」
 「暗いよ、怖いよ、こいし……何処に行ったの? 教えてよ、こいし……」
 
 今度はさとりが這って後退る番であった。顔面を蒼白にし、妹の名を呼びながら、第三の目をおさえる。
天子はため息を吐き、緋想の剣を投げ捨てた。蹴り飛ばされた緋想の剣は、カラカラと音を立ててさとりの目前へと滑っていく。

 「え……」
 「それ、持っときなさい。天人にしか扱えない事になってるけど、気質を蒐める効果だけなら常時発動だし。
  実際に切ってる訳じゃないんだから、切られた部分の気質が回復すれば元に戻るんじゃない?」
 「ど、どうして」
 「だって、私の勝ちよ。私の勝ちでいいでしょ。なに、まだ何かあんの? 要石だけでも戦えるわよ、私は」
 「ち、違う。違います、けど、私は貴女の、酷い記憶を、掻き回して。傷つけて」
 「だから負けたら殺されるって? ……あのね、仮で元とは言え私だって天の住人よ。
  三回なんでも許してやるほど仏でも無いけれど、助けを乞う奴をたたっ切るほど鬼でも無いわよ」
 
 天子はどしゃりとその場に腰を下ろした。口を開け、天井を仰ぎ見ている
 
 「勝っても負けても恨みっこ無しなんでしょ、弾幕勝負って。違うの?」
 「……」
 
 さとりは答えない。代わりに、目の前に投げ捨てられた緋想の剣を猫のように拾うと、それをかき抱いた。

 「温かい」
 「おうよ。凄いのよそれ。なんてったって天界の秘密兵器だし? 黙って盗んできた甲斐も有ったわ」
 「盗んだんですか?」
 「だって誰も使ってなかったし。ロックでしょ」
 「犯罪です」

 さとりはじとりとした目で天子を見る。第三の目の傷は癒えていない。その心は、未だ読めない。
けれど不思議と、さとりの心に不安は無かった。緋想の剣の温かさのせいだろうか。
呆れられていると知った天子が、徐々に駄々をこね始める。

 「なによー、もっと褒めなさいよー。敗者には勝者を称える権利と義務があんのよー」
 「……はぁ。凄い人ね。あなた」
 「もっとー」
 「すごいなー、あこがれちゃうなー」
 「良し」

 天子はさとりに視線を戻し、嬉しそうに笑ってみせた。


 ◆


 火焔猫燐は考える。どんなに楽しい旅行であっても、帰る時になれば自然と早く帰りたいなと思うのが風情なのだと。
非日常から日常へ帰り、お茶なんぞを飲みながら「あぁ、やっぱり家が一番だ」と呟いて思い出に浸る。
それはある意味、記憶から記録に変える為の重要な儀式なのだ。

 ――だけど、結局はさとり様の笑顔で出迎えて貰いたいのが一番かなぁ。

 彼女の主、古明地さとりは滅多に外出をすることは無い。
買い物も付き合いも大抵ペットに任せるし、遊びですら出かけようとする所を見たことがない。
それは勿論、さとりの能力――心を読む程度の能力――による物も有るのだろうが、お燐は、妹の為が大きいと考えていた。

 ――『もし、家に帰ってきた時、誰も居なかったら……こいしが寂しがるかも知れませんから』

 その台詞を、実際に聞いたわけではない。
だがお燐自身、さとりが言いそうな事だと自負しているし、否定の言葉も無いと言う事はそうなのだろう。
なんせ彼女のご主人様は、ペットの心などたやすく読み通してしまうのだから。

 随分と家屋も少なくなってきた通りを、小走りに歩く。

 ――閑散として行くこのうら寂しさが、より一層帰ってきたと言う感じにさせるんだよねぇ。

 街から外れ辺りがより暗くなって来た所で、ぽつりと地霊殿の灯りが見える。お燐はこの感覚が好きであった。
土産物を手に、己の親友の脳ごと溶けたような笑顔を思い浮かべ、顔をほころばせた時。

 ――……おや?

 一時停止し、鼻をスンスンと鳴らす。何処かから、趣味で良く嗅ぐ物と同じ香り。

 ――抹香の匂い、かねぇ。もう感じないが……

 火車らしい嗅覚を発揮させ、少し興味を引かれたものの。まぁ猫も殺されては敵わんと歩み出す。
スイートホームは直ぐそこなのだ。仲間同士で語るマタタビパーティも良いが、やはりそろそろ実家の温泉も恋しい。
火焔猫燐。猫の割には風呂好きな方であった。





 「ただいまー」
 「あ、おかえんなさーい」

 はて? お燐は首を捻る。帰り着いたは良いものの、何時ものパタパタとした足音が聞こえてこない。
声もさとり様にしては随分とハキハキしているし、お空にしては元気が足りない。
さては泥棒か? と一瞬思うが、それならば挨拶を返してくる筈もなく。

 「泥棒が笑顔で挨拶して茶をせびるなんざ、それは何処の地下図書館だって話だよねぇ。はっはっは」
 
 自らで笑い飛ばしながら、食堂に入る。青い髪の女が醤油瓶片手に秘蔵の猫缶をカッ食らっていた。

 「誰だぁー――!?」
 「あによ、うるひゃいわね。ひゃれよアンタ?」
 「ええい、食べるか喋るかどっちかにしなさい! そしてそれはこっちの台詞だよ!」
 「ぱくぱく」
 「食べる方選びやがった! こやつ、わざわざ口で擬音を……恐ろしい子……!」
 「ふぅ、ご馳走様でした。猫の肉って案外悪くないのね。もっと生臭だと思ってたけど」
 「それは猫のエサであって猫の肉が入った缶詰じゃ無いんだよ! というかあたいのとっておき、どうしてくれんのさぁ!」
 「マジで? 猫の方が天人よりよっぽど良いモン食ってるわ……おのれ猫、許すまじ」
 「あたいはアンタを許したくないよ! あぁぁ、橙ルートからしか入手出来ないご馳走なのに……」
 「何よ、うるさいわね。誰よアンタ?」
 「言い直すなぁ!」

 閑話休題。

 「あぁ、ふぅん。さとりのペットの一匹ね」

 スプーンを指先で弄びながら、天子は頷いた。艶っぽい横顔に、絹糸より細く瑞々しい髪がかかる。
位置関係上目をやる仕草がどうしても流し目になるので、どうにもお燐は居心地の悪さを覚えた。
 
 ――参ったなぁ。どうにもあたいの苦手な手合いだ。
 
 自身のうねりまくる髪を無理やりまとめた三つ編みは、火焔猫燐のコンプレックスでもあった。
指がそのままストンと落ちていくようなストレートの相手には、それだけで萎縮してしまう。
ましてや、それがただでさえ高飛車なオーラを放っているとなれば尚更に。
お燐は、無意識に背筋を伸ばした。この不埒者が主人の身の何らかをおびやかしていないかどうかは、まだ不確かなのだ。

 「アンタ、さとり様はどうしたんだい」
 「……さぁ? 今頃、自分の部屋で悲鳴でも上げながらペットの名前でも泣き叫んでんじゃ無いの?」

 キィン。

 銀閃、それぞれの喉元に硬い物が当てられる。
天子にはお燐の手刀が。お燐には、天子が先程まで弄っていたスプーンの柄が。

 「舐めてんのかい、スプーンなんぞで何をするつもりさ」
 「あぁ、うん。スプーン? 舐めてた舐めてた」
 「てめぇ」
 「はん、そっちこそお笑いよ。悪魔の犬の銀牙すら通さぬ柔肌にそんなチャチな爪で何するつもり?
  止めやしないわ、突き指になりたきゃご勝手にどうぞ」

 その言葉は事実。お燐はじんじんと痛む指先を堪えながら歯噛みした。
薄皮一枚くらいは行くつもりだったのだ。だが相手は無傷で、むしろこちらが脅されている始末。

 ――自信なくなるねぇ、もう!

 手刀を引っ込め、全速力でさとりの部屋へ向かう。素手で叶わぬと分かった以上、今は主人の安否を確認するのが先であった。
ドア越しには苦しげなうめき声と、必死なお空の声。早く助けなくては!

 「さとり様っ! 大丈夫です……か?」


 「こうですか! さとり様、こうなんですね、うにゅっ!」
 「あ痛だだだ、お空、ギブ! ギブですギブ! ギブアップ!」
 「ぎ、ぎぶあ……えーっと、もっと上へ!」
 「ひぎぃーっ!? 違っ、お空、ダウン! ギブダウーン!!」
 「ダウーン!」

 べちゃり。

 逆さに吊り上げられていた挙句、上空から叩き落されたさとりが頭から落下し動かなくなる。
他ならぬお空がそんなさとりを見て心配そうな声をかけている。お燐は状況を理解するのを諦め、扉をぱたむと閉じた。

 「……よし、風呂入ろ」
 「冷たいペットね、助けてやれば良いのにさ」
 「凄い見なかったことにしたいんだけど、結局あれは何やってんだい」
 「ストレッチだって。久々に身体動かしたら、全身がぎしぎし痛むとか」
 「さとり様ぁ……冗談のタチが悪いよ、全く」
 「ふん、他人のトラウマ擽った挙句、いざ返り討ちにしてコキ使ってやろうと思ったら筋肉痛だとか言い出すし。
  一つでもネタにしてやんなきゃ胸の内が収まんないわ」

 せっかく久しぶりまともな料理が食べれるって思ったのに。少女がモチのような頬をふくらませる。

 ――黙ってりゃ、下手な人形よりよっぽど可愛らしいんだろうねぇ。

 これだけふてぶてしく尊大で有りながら、容易く手折れてしまいそうなアンバランスさ。
確かに、さとりの好みそうなタイプで有った。死体で有ればこの上なく魅力的なのにな、とお燐は思う。

 「はぁ、全く。そんじゃ私もそろそろ寝るとするわー。明日からよろしくね、センパイ。
  出来れば地底の街でも案内してほしいわ。全く、ここの主ってば地理の一つもわからないんだから」

 ひらひらと手を振り、青をはためかせ去っていく。

 「センパ……ん? え?」

 呆気にとられたお燐が振り向いた頃には、曲がり角に残されていたのはほんの少しの桃の香り。
比那名居天子、地霊殿初日の夜であった。


 ◆


 そして、天子が地霊殿に宿を構えてから数日の後。



 「う゛ぇぇ……」

 古明地さとりの朝は遅い。
死に際の蛙の如き鳴き声を上げて、もそもそと布団を探る。
探るまでもなく布団はすでに蹴飛ばされ、哀れ役目を果たせずベッドの端に落ちていた。
さて、困る。起きたならば布団をめくり、新鮮な空気に身体を浸す。この儀式をやらねば起きた気がしない。
仕方なくさとりはベッドから落ちた布団を拾い上げ、それを全身に覆いかぶせると、

 「スヤァ」
 「起きろ馬鹿」

 ゴガンッ!

 容赦無き鉄槌がさとりのおでこに振り落とされる。
さとりは涙目で枕元に立つ人物を見上げた。地底の朝は地上のようには行かないが、お空の人工太陽のお陰で夜より僅かに明るい。

 「おそよう。もう昼の方が近いわよ」
 「私が起きた時が朝ですよ……ふぁぁあ。もう少し優しく起こしてもバチは当たらないと思いません?」
 「バチ、ね。私が当ててやろうか?」
 「遠慮します。あぁ、お空ならこう、のしかかりながらゆさゆさとおっぱいで起こしてくれると言うのに」

 布団越しであってもあの迫力は格別だ。困り顔で、上目遣いだと言うのだからなお良い。
さとりは横目で天子を見た。ゴミを見る目で見つめ返されたので、すごすごと布団を剥ぎ起き上がる。

 「天子さんの胸はそれはそれで素敵な物ですよ?」
 「……気にしてねぇし」
 「またまたぁ。まぁ、敢えて言うので有れば、そうして気にかけている姿が貧乳の魅力なのであって、開き直る等言語道断」

 ゴガンッ!

 「気にしてない。私はこれっぽっちも気にしてない。オーケー?」
 「オ、オーケィ……」

 さとりは黙って『桃しか食べてないから』『着痩せするからって』『動きやすいし』等々の思念から目を逸らす。
体型と年齢の話はデリケート。如何に覚り妖怪と言えど迂闊に踏み込めば死に繋がるのだ。





 「そろそろ慣れましたか、ここでの生活も」

 食後の気だるい雰囲気を、代用コーヒーの香りが包み込む。ペット達は既にそれぞれの日課へ向かっていた。
さとりは天子に、おかわりを注ぎながら訊ねる。

 「えぇ、おかげ様で大分。お燐やお空に地底の街も案内してもらったし、ショッピングってのはそれだけで楽しいものね。
  たまに着替えの下着が黒の透けレースとかに変わって無ければもっと居心地いいんだけど」
 「あら 偶にお燐と遊んでいる妖精達でしょうか? 酷いことしますねぇ」
 「嘘つけ、お前だお前」

 天子が睨みつける視線から、さとりはひょいと身を躱した。
もとより効果に期待もしていなかったのだろう、天子も鼻を鳴らしてカップの中身に口をつける。

 「……まぁ、実際、あんたのペット達も大概素直で助かってるわよ。飼い主同様捻くれてたらどうしようかと」
 「なんとまぁ、素直で可愛い女の子に対して酷い事を」
 「飼い主同様捻じ切れてたらどうしようかと」
 「ねじっ……ま、まぁ。それなら良いじゃないですか。何をそんなに気にして居るんです?」
 「あ、やっぱ分かる?」
 「えぇ、そりゃあまぁ」

 さとりに促され、天子は己の手……そしてそこに握る緋想の剣を見つめた。
やはり、三、四日ではそこまで衰えは感じられない。緋想の剣が使えなくなっているという事もない。
だが、だがいつかは。

 「……五衰、ですか」
 「そう。それは絶対に避けられない。その前にとにかく何とかしないと」
 「ですが、今までも特に修行していた訳でも無ければ、地上にも何度も足を運んでいたのでしょう?」
 「それでも、天界に依る所は有った。しかし今の私の心はもう三宝に帰依していない。
  ここに来るまで、私一応ベジタリアンやってたのよ。信じる?」
 「えぇ、えぇ」
 「いっそ屍肉でも喰らおうかしら。幸い、燐がいっぱい持って帰ってきてる訳だし」
 「そう……そうすれば一発で冥府魔道に堕ちるでしょうね」

 天人としての霊力を備えたまま妖怪になることが有れば、それはかなり強力な妖怪となれるだろう。
元より世は陰陽太極。陽の器が大きいほど、陰の器もまた大きい。

 「けれど、そんな安易な手段に頼るつもりは無いのでしょう?」
 「まぁね。それなら萃香に誘われた時に鬼になっとけよって話だしさー」

 ポイと投げ捨てるジェスチャー。天子は後頭部で腕を組み、椅子を傾けテーブルに足を乗っけた。

 「楽な道に転がるのなら、その辺の石にだって出来んのよ?
  こちとら石は石でも要石。なゐを治めし比那名居よ。そう簡単には行ってやらないわ」
 「ふふ……まるで"我に艱難辛苦を与え給え"ですね」
 「山中鹿之助? 冗っ談じゃ無いわね」

 二人の少女がカラコロと笑い合う。蒲公英の根を煎じた代用コーヒーは天子に飲み干され、カップに香りだけが残った。

 「だけど、どうしようかしらねぇ……ここでだらだらし続けてるのも不健康だし」
 「良いじゃないですか、だらだら。だらだら最高ですよ。最強伝説ですよ」
 「流石、だらだらに負け続けてる奴は言うことが違うわね。でも生憎、ハゲて死ぬのはごめんな訳よ。
  あんまり期待してないけどさぁ、知らない? なんか心当たりとか」
 「……ほ、本当に心底期待してませんね……半引きこもりとは言え、管理者ですよ? いわば社会人ですよ?
  ニートとは違うんです、ニートとは。その辺を教育して差し上げましょう」

 むむむ、とこめかみに指を当て、わざとらしく唸りだすさとりを天子はなんとは無しに見る。

 ――分かんない奴よねぇ。

 現に今もこうやって親身に話をしておきながら、肝心な所で一歩引いているのが古明地さとりだ。
天子は読まれて居ることを――多少の無礼も含めて――承知の上で考え出す。
古明地さとりは、まるで円周上に居るよう。踏み越えてほしくないラインを、そっと撫でては去っていく。
天子が見る限り、それはペット達相手でも同じで有った。勿論、それは彼女なりのマナーでも有るのだろう。
その禁を破るのは恐らく敵か、そうでなければ、

 ――家族……



 そこまで考えた時。ハッ、として天子はさとりを見やった。直感的に、これがさとりの"円"なのだ、と感じる。
口元は笑っている。だが、それは濁った泥を吐き出すような腐った笑いだ。
天子を意識的に目を合わせる。全ての絵の具を混ぜる事で作られる黒の色。
至近距離、唇を合わせる直前に垣間見た、あの目……

 ――っていやいや、キスとかそういうのじゃ無いから私。あまつさえ舌入れられたとか、ホントどうでも良くて。

 天子はぶんぶんと首を振り、あの日の感触を頭から追い出す。
上目がちにさとりの様子を見た時、ニヤニヤ笑いからは既に妙な雰囲気は失せ、通常の物になっていた。

 「……何」
 「いえ。いえいえ? 私ったら妙案がばっちり閃きましたよ。はっちゃけはっちゃけ」
 「暴れん坊なら間に合ってるわ」
 「まぁまぁ。ところで天子さん、これからお暇ですか?」

 椅子を引き、古明地さとりが立ち上がる。天子はロクな未来を感じることが出来ず、ただ身構えた。

 「よろしければ、これからおデートでも致しません?」


 ◆


 整然と並び立つ瓦屋根。赤と黄のぼんぼりの明かりが漆喰の壁を僅かに照らす。
少し道を外れれば長屋から漏れ出る明かりを頼りに、少なくとも見た目の幼い子供達が思い思いの遊びに耽っている。
酒の残り香が仄かに浸る、ここは旧地獄街道一丁目。街を表す様々な物が、あちこちに掲げられる「呑」の一文字に示されていた。


      ――地底の花は蒲公英の 小さな太陽ここに有り

         ――地底の種は蒲公英の 風は無くても飛んで行け

   ――地底の街は蒲公英の 深く根を張り生きていく

 幼子が鞠を付き唄を歌っている光景を、天子はすれ違いつつ眺める。
隣では、フード付きの外套を目深に被ったさとりが薄く笑っていた。もっとも、さとりが薄く笑っているのは何時もの事なのだが。

 「天子さんは」
 「うん?」
 「懐かしいとは思わないのですね。ああいう光景を」
 「あー、そうね。天に上る前の記憶って、私あんまり無いのよね。天でああいう事するわけは無いし」

 会話が途切れる。
何処か居心地悪そうに、天子は漫然と街を見まわした。

 「あっ、ほら。焼き栗の屋台が有るわ。美味しそう」
 「いえ……私、栗はちょっと……」
 「え、ああそう。そっか、じゃあいいわ」

 実に会話を伸ばす気ゼロの返答である。
私とてあまり同年代の娘とそれらしい会話なんてした経験無いのに、と天子は何処かやるせない気持ちを募らせる。
折角二人で町を歩いているのだから、もう少しそれらしい会話が有っても良いものなのだが。

 「来た時はすぐに地霊殿に乗り込んだから、この辺のこと余り知らないのよね」
 「それは困りましたね。基本引き篭もってるので私も余り知りません」
 「おい」
 「まぁ、要所要所位なら分かりますよ。例えばここ、酒の臭いが焼き付いた鬼の駐在所です」
 「ひどい言い草ねぇ」

 とは言いつつも、鬼に興味が有るのも確かなので。

 「おっ邪魔っしまーす……」

 そっと障子戸を開けて見る。朱星の一本角の大柄な鬼女が、蝋燭の灯りをつまみに酒をかっくらって居た。
丁度一瓶飲み干したのだろうか。ドンと一升瓶を置く動作で、肉感溢れる胸部がバルンと揺れた。

 「ああン? なんだ、なんか用かい」
 「お邪魔しましたー……」

 そっと障子戸を閉める。

 「なんかでっかいのがいた」
 「居ますよー、でっかいの。鬼ですから」
 「でかっ!? 何あれ、百桁位有るんじゃないの!?」
 「百桁ですかー、凄いですね。おっぱいが宇宙ですね」
 「……なーに勝手な事言ってるかな、人の仕事中に」

 ガラリと障子戸を押し開いて、中から鬼女が現れる。
立ち上がった所と並べると、尚更大きい。天子達の身長だと丁度視線の前に来るのも相まって、ものすごい迫力であった。
天子も、自らのわびしいそれと比べて思わずゴクリとつばを飲み込む。

 「なんだいあんたら……げ、覚り妖怪。地霊殿の引き篭もりが何でここに」
 「新しい子が入りましたので、街の案内ですよ。何をするでも無いのでそんなに警戒しないでくださいな、星熊勇儀さん」

 薄ら笑いを浮かべ、さとりは慇懃に答える。その態度から、天子にも二人の仲が良好では無い事は何となく読み取れた。
それでも案内してくれたのは、鬼との付き合いを考えてくれたからか。

 「て、星熊勇儀? 確か、萃香が言ってた……」
 「ん、なんだ。萃香の知り合いなのかい? なら地霊殿なんて行かずに、こっちに来れば良かったのに」
 「ふふ、残念でしたね。もうウチの子です」

 後ろからぎゅうと抱きついてくる。微妙にペット扱いが抜け切らないのは、後で修正が必要だなと天子は思った。
取り敢えずひっつくさとりを引き剥がしながら、天子は勇儀に軽く頭を下げる。

 「比那名居天子よ、よろしく」
 「あい、あい。よろしく。今じゃ鬼の棟梁ってことになっちまってる、星熊勇儀だ」

 差し伸ばされた手の平は、天子の掌一つより更に半倍程大きい。
萃香が言った通り、確かに小さなぬいぐるみは似合わないだろうな、と考えて天子は「しまった」と勘付いた。
さとり隣で厭らしく笑っている。大きな手を握り返しながら、天子は心の中で頭を下げた。

 「勇儀さムグッ」
 「そ、それじゃあ私達はこれで。おほほほほ……」
 「?  あ、あぁ」

 急に覚り妖怪の口を抑え慌ただしく去っていく天子に、勇儀は不思議そうな視線を送る。
だが、嫌な奴ではなさそうだ。あの、古明地さとりに対して気後れしている様子もない。

 「釣り逃した魚は大きいかもねぇ、萃香」

 たははと笑いながら、勇儀は再び自らの巣へと戻っていった。



 勇儀が戸の中に戻るのを確認して、天子はさとりから手を離す。

 「あぁもう、変なトコ触れないでよ。私も居るんだから」
 「あら、変な所って何処ですか……? 口で言ってもらわないと、分かりませんよ?」
 「平然と嘘を付くんじゃないわよ、覚り妖怪」
 「いきなり路地裏に連れ込むなんて、天子さんって意外と大胆……」
 「馬鹿言ってんじゃ無いわよ、顔赤らめるな気色悪い」

 そう言いながらも、天子は無理やり引っ張ってきた際の事が軽い体重が気にかかった。
特に意識することも無く、本当になんとなくの流れで服の上からむにりと摘んでみる。

 「ひゃっ!?」
 「あ、やっぱり。ダボッとした服で隠してるけど、アンタほっそいわねー。ほとんど皮だけじゃない。
  でもこっちは結構肉が付いてる……引き篭もってるから?」
 「ちょ、ちょっと止めなさ……んっ!」
 「あ、今一瞬素が見えたわね。自分がされるのには慣れてないんでしょ?
  ふふふ、同じ顔を赤らめるなら、そっちの表情の方がよっぽど良いわ」
 「く……意外と順応が早いですね……」

 息を整えるさとりを解放し、天子は勝ち誇った。フードをかぶり直しながらさとりは唇を尖らせる。

 「それにしたって、少女たるものやっぱりもう少し外見に気を使うべきよね」

 改めて天子はさとりの現在の姿をジロジロと観察した。
灰色の、裾が擦れて破けた、ところどころヤケやシミが付いた外套。以上。どう見ても不審者である。

 「デートって言うんならさぁ、もうちょっとお洒落してくれたって良いじゃないの」
 「あら、楽しみにしてくれていたんですか?」
 「引きこもりのアンタが部屋から出てくる程度にはね」

 天子は憮然とした表情で、フードの奥のさとりを睨む。
効果が特に無いことは分かっているので、直ぐに眉間に力を入れるのを止め鼻を鳴らした。

 「そりゃ、顔を見られたくないんでしょうけど。それにしたってやり方は有るでしょ?
  その外套、男物じゃない! それになんだかボロボロだし」
 「色々染み付いてるんですよ。歴史とか」
 「染み付いてるのは埃の匂いでしょう? むせるのよ、なんか」

 天子だって、さとりが色々と大変だったのは分かるつもりだ。自分とは比べ物にならない程暴力的な迫害とてされたのだろう。
だからと言って、そのファッションが許せるかと聞かれれば否。

 ――そうね。さとりが何のつもりかは知らないけれど、今日は服買いに行きましょう。
 ――私だって何時までも同じ服は御免だし……こいつも色々いじってやれば、多少なりともマシに成るでしょ。
 
 胸中で腕を鳴らす天子をさとりは胡乱な目で見ると、ツツツと後退って行き

 「逃さないわよ」
 「ああん」

 天子によって捕まえられた。

 「離してください、さとりは服屋とかリアジュウ濃度の高い所に行くと死んでしまうの」
 「そんな結界有るわけ無いでしょ。大体、私は平気だし」
 「天子さんは図太いから……」
 「あ゛あん?」

 身じろぐさとりの首根っこを掴む。鼠色の外套と合わせ、猫になった気分だ、と天子は思う。

 「良いですねぇ、ブルーの猫耳。猫耳ってこう、引っ張って泣かせたくなりますよね?」
 「ナチュラルに話合わせんな。ていうかアンタ……燐の事もそんな目で見てるの?」

 間。

 「そうそう 実は最初に寄りたい所が有りまして」
 「露骨に話題を変えたな!?」

 ◆

 「……何、ここ?」
 「見ての通り民家ですよ?」
 「悪いけど、見たまんまだととても人が住む所には見えないわね」
 
 天子がさとりに連れられ来た場所は、見た目からしてすきま風の吹きすさぶあばら屋であった。
呆然と辺りを見回すと、天子の目に「剣」と書かれた木板が止まる。意味が分からない。剣って誰だ、戦闘のプロか?

 「はっ、まさか人の居ない場所に連れ込んであんな事やこんな事を……!」
 「天子さんが私をどういう目で見てるのかよく分かりました、が、それ天丼ですよ」

 さとりがフードを脱ぐ。くせっ毛がピンと跳ね、さとりが持つ瞳の内二つが露出した。

 「生憎、この場所はそう言う施設じゃ有りませんね。天子さん、貴女の先輩に当たるとも言えるんじゃないかしら?」
 「先輩? ……まさか、仙人だとか言わないわよね」

 何分、天子は破戒した身である。宗教関係はしばらくお断りしたい気持ちであった。

 「いいえ、むしろ生き様としての先輩といいますか……
  貴女と同じように地霊殿にふらりと現れては、主をたたっ切って満足して帰った剣士です」
 「へーぇ、そりゃまた何というか、酷いやつも居るもんねぇ」
 「嫌味ですか? ……あ、嫌味ですか。まぁそれはともかく、べらぼうに強い人なんで天子さんのお眼鏡にも叶うのでは、と」
 「強いの?」
 「えぇ、恐らく伊吹鬼とも打ち合える程度には」
 「へぇ」
 
 俺より強い奴に会いに行く分けでも無いが、伊吹萃香と同程度と言われると興味が湧く。
なんせ鬼と打ち合うと言うのだから、刀の方も相当な業物であるはずだ。
天子は蒐集家では無い。が、それなりに美術工芸等への教養も有るつもりである。そちらの方でも興味が湧いた。

 ――どんな奴なんだろ。六尺位有る大太刀を背負ってたりとか?
 ――いやいや、幻想郷だし……常識にとらわれず、萃香位小さいのかも知れないわね……
 ――うーん、でもこんな家に住んでる位だから、案外ガリガリだったり?

 頭の中で様々な姿を思い浮かべながら、引き戸を開ける。
すると障子戸の奥から、半透明の球体がするりと滲み出るように天子に向かい突進してきた。

 「うわっぷ!?」

 予期せぬ襲撃にあい、天子は尻もちを付く。ふと見れば、さとりが頭上でくすくすと笑っていた。

 ――このやろう、分かってたなら教えなさいよね。

 睨みと共に思念を送ったものの、どこ吹く風。天子はスカートの土埃を払う。


 「ふむ? 覚り妖怪に当てたと思ったがな」

 土間の奥から聞こえる、しわがれた声。幻想郷では案外珍しい類の物だ。
なにせ妖怪は壮健な姿を好む者が多い。狡猾だったり、あるいは好みで少女の姿を取るものも居る。
仏や神の類も似たような物。天人とて見た目は天子とそう変わらないか、精々二十離れる位であった。

 「なんにせよ、そこに居るのだろう。入ってこい、気味が悪くて適わん」
 「な、何よ。人にいきなりこんなもんぶつけて来て。こんな……んん?」

 飛来物体を手繰り寄せながら、天子は首を捻る。半透明で、白く、丸く。どう見ても幽霊。

 「半人半霊?」
 「おや……お知り合いでしたか?」
 「いや、知り合いじゃ無いけど。ううん」

 ビチビチと暴れる幽霊を放り投げ、天子はさとりの後を追い家の中へ入る。
狭い玄関から直接部屋の中へと通じている、六畳一間程の狭い部屋。

 中に居たのは、中肉中背の老人であった。身体の節々からよく練りこまれた刃金のような雰囲気を感じるものの、
そこまで圧倒的な気配を感じると言うわけでもない。むしろ部屋を飛び回るしらたま的物体が、少し可愛らしい。

 「とても鬼を切るって程の人物の家には見えないわね……」
 「ふん、入ってくるなり失礼だの」
 「あら? 入っていきなり刀を振り回す程の無作法では無いと私は思いますよ」

 恐らくこの家の主であろう老人が、グッと息をつまらせる。
それに対しさとりは何時ものようにくすくす口元だけで笑うのでは無く、柔らかに嬌笑したのである。
そこに流れる独特な空気感を、天子は理解出来ぬ。仕方なく、黙って観察に回る事にした。

 「相変わらず息災でしたようで。何とか立派に一国一城の主をやってるようですね?」
 「ふん、まさしく地霊殿の主であるお主に言われても、嫌味にしか聞こえんよ。
  それで、今日は何の自慢かな。またペットが人間変化の術を覚えたか?」
 「いいえ、彼女は元から人間でして。むしろ元人間ですかね?」
 「元? ああ、居た気がするな。そのような入道使いが……」
 「一輪さんですね。残念ながら別口ですよ。数季前の春先に出ていかれましたし……」
 
 さとりは天子をちらりと見た。会話に加われと言う事だろう。天子は軽く頭を下げ自己紹介を行った。

 「元名居守の巫女の元天人。比那名居天子よ。今は……人になる途中、かしらね」

 ここで、初めて天子は老人と目を合わせる。骨の髄まで剣を呑み込んだ男の、鋼の芯が入った瞳。
抜けばさぞかし良い玉が散るのでは無いか、と天子は考えた。チラリと隣のさとりを見やる。

 ――分から無くは無いけどさ。少し歳食い過ぎじゃない?

 がくり、とさとりの身体が傾くのを確認し、なんとなく勝った気分で向き直る。
老人は突然体勢を崩したさとりを不思議そうな顔で見ていたが、すぐに天子の方に目を向けた。

 「……天人か」
 「なんか、思うことでも?」
 「いや……仏は、切ったことが無いな」
 「切りに行くなら応援するわよ。地上に毘沙門天の化身なら居るらしいけど」
 「知っている。が、あれは違うな。ハッハッ、天人が仏を切れと望むか。何が有ったやら」
 「むしろ、私としてはさとりとアンタの間に何が有ったのかの方が気になるんだけど」
 「天子さん、ちょっと」
 「まぁ、ま」

 さとりのジト目を手の平で受け流す。いつもと立場が逆転している事は面白いが、重要なのはそこではない。
老人の眼差しが鋭さを増す。

 「ふん、何時もの事だ。地霊殿の奴らはこの顔を見るとどうも愚痴が言いたくなるらしくてな」
 「何を生意気な事を。地底で食い詰めていた貴方に仕事を回しているのは私ですよ?」
 「分かっておる、感謝しているよ、覚り妖怪」
 「誠意が見えませんねぇ。誠意が」

 ぎゃすぎゃすと言い争う二人。見た目は老人と孫位に離れていながら、まるで同レベルね、と天子は思った。
だが、少なくともさとりが信頼しているのは確かなのだろう。こうして自分と引き合わせるくらいなのだから。

 「……仕事って、どんな事をしてるの?」
 「鬼や力の強い妖怪が泥酔等であまりに風紀を乱す場合への措置、ですね。
  もっとも、最近の鬼は星熊勇儀の元に統制されているので、そこまで心配は要らないのですが……」
 「……自警団みたいな物、とでも言えば良いのかね。喧嘩の仲裁とか、まぁそんなもんじゃよ」

 さとりは天子に笑みを向ける。既に何時もの、薄気味悪い莞とした笑み。

 「まぁ、嫌われ者の役目で有る事には変わりません。おおよその妖怪は自由を尊びますからね。
  締め付けられて喜ぶのは、人間か特殊な性癖くらいの方々で……」
 「ふぅん? で、このお爺さんは、どっち」
 「半人半性癖ですかね」
 「おい」

 老人に凄まれるも、さとりはからくくと笑い飛ばす。半分腰を浮かせ、天子がスッと間を開けた。

 「うん、まぁあの、そう言うのって個人の自由だと思うし……」
 「そう言いながら遠ざかるのを止めてもらえんかね。傷つくから」
 「この平和な時代に、切った張ったで食いつないで行きたいと言うのだから、それはもう性癖でしょう?
  もっとも、天子さんも相当性癖に傾いてると思いますが」
 「おい」

 今度は天子が睨みつける番であった。老人が哀れむような目を天子に向ける。

 「お主……人の趣味にとやかく言うつもりは無いが……若い頃はちゃんとしておかんと、辛いぞ?」
 「ばっ、違うし! 私そんなんじゃ無いし! 一緒にしないで貰えます!?」
 「私はいいと思いますけどねぇ。強気な天子さんを目隠しにして、縛り上げた状態で特殊な部位に、穴を……」
 「ちょっ、おまっ! お前はお前で何を言ってるんだ!」

 ぽこすかぽこすか。
顔を真っ赤にした天子がさとりに小刻みにチョップを繰り出す。さとりはこれを手で抑えながら、愉快げに囃し立てていた。
その様子を黙って聞いていた老人が、湯のみに白湯を注ぎ、飲み干す。幽霊が辺りを心地よさそうに漂っている。

 「……ほほう、あなたも中々分かっているじゃないですか……」
 「巻き込むな」
 「へんたい」
 「待て、儂はやっとらん。奸計だ」
 「ははは、まぁまぁ。お互いの仲も解れた所で話を本筋に戻しますが」

 二人の「誰のせいだと」という視線がさとりに集中するが、やはりどこ吹く風である。

 「天子さんも、何時までもゴロゴロしている訳には行かないのでしょう?
  どうです? ここのお爺さんを手伝って、お仕事やって見ませんか?」
 「……それって、自警団まがいに成れってこと?」
 「おい、覚り妖怪……」

 顔をしかめる翁を、さとりは手で制す。

 「実際、天子さんは頑丈だし、そんじょそこらの若造鬼には負けない程度の使い手です。
  貴方も、手が足りない事を嘆いていたでしょう? 適任だと思いますけどね」
 「ぐ……しかし、だな」
 「大丈夫ですよ。無理そうなら無理そうで、こちらが判断しますし」

 どう見ても責任感が有るように見えない笑顔でさとりはヘラヘラと笑う。
それでもこいつなりに案じてくれていると思うのは、短い期間なりのに付き合いの現れか、根拠の無い自信か。

 「そうね。グダグダ言う前に、とりあえずやってみるのも大事よね」
 「良いのか? 儂は丁寧に仕事を教えられるほど器用でも無いぞ」
 「なぁーに、任せておきなさいって。これでも物覚えにはそれなりに自信が有るし」
 「……」

 老人は未だに納得が行かぬ顔で天子を見やるが、引かぬと悟ったのだろう。
諦めたように「分かった」と口にすると、端的に明日の集合場所を説明した。

 「それで、用事は済んだのか。お主がおるとどうも腰が落ち着かん」
 「あらあら、お盛んですねぇ。気になさらなくても良いのですよ?」
 「なぜそういう意味に取る……ふん、邪険にされるくらいが慣れておろうが」
 「不器用なお気遣いありがとうございます。えぇ、殿方はその位の方が可愛らしいのですけどね。
  ……あぁ、それともう一つ。この外套もお返ししますね。今まで有難う御座いました」
 「もう良いのか?」
 「えぇ……何分、ボロ過ぎると文句を言われてしまったもので」

 さとりはやおら自らの外套を脱ぐと、それを丁寧にたたみ、翁に差し出す。
そこでさとりは再び――今度は天子に向かって――ふわりと嬌笑を浮かべたのであった。

 「それに、どうやら新しいのを選んで頂けるようですから……もう、良いのですよ」


 ◆


 「まさかアレだけ格好付けた挙句自腹で買わされる羽目になるとは思いませんでした」

 アッサムの香り漂う喫茶店。
ほとんどの飲食店が居酒屋か良くてBAR形式なので、こういう茶葉に気を使っている店は地底では本当に貴重である。
多少のカクテル類が置かれているのは、まぁ、しかたのない所か。
甘いはずのシフォンケーキの前に、さとりは珍しく渋い顔で対面を睨む。

 「まぁ、悪かったってば。本当に忘れてたんだって」
 「普通、忘れますか、金銭の、存在を」

 文節毎にプスプスと突き刺しされるシフォンケーキは、天子の良心の象徴であろうか。
天子は苦々しく笑いながら視線を左へとずらす。何分、一度ヤマメと話していただけに言い訳が聞かない。

 「明日からはお仕事も有るし、アレでしょ。出世払いよ」
 「その給金も出すのはウチなんですけどね……まぁ、初任給から天引きしておきますから」
 「えぇー! ローン組んでよ、ローン」
 「黙らっしゃい。何なら身体で支払ってくれても良いのですよ?」
 「お仕事頑張らせて頂きまぁす……」

 一度は自分の力のみで立つ事を目指した天子も、雇用契約には縛られる。
その上、ここの会計もさとり持ちなので強く言い出すことが出来ない。小さな社会の縮図であった。

 「でも、その分良い物が買えたと思うわよ? さとりったらセンスないしさ」
 「本当にその辺隠し立てしませんね、天子さんは……妥協が無いというか」
 「どうせ、思っただけで伝わるんだったら正面から言ってあげた方がまだいいでしょ」

 現在、さとりが着用している物は、薄桃色の着物生地を袖なしのショート丈のインバネスコートに仕立て直したもので、衿元からケープの端を染地で装飾されているのがワンポイントであった。
ちなみに、フードについては店員に無理を言ってくっつけてもらった。
天子としてはもっとフワフワしたフリルやら何やらもくっつけたかったのだが、さとりが頑なに拒んだ事と夏でも着用すると言う点からこの辺りが決着点となったのである。

 「よく似あってるわよ。それなら、フードを被っても女らしさを失うことも無いでしょうし」
 「私としては……やっぱり、あの位でも良かった気がするのですが」
 「ダメよ、さとりだって人前に出ない訳じゃないんだから、もうちょっと気にして行かないと」

 ほのかに朱に染まった頬が、フードからわずかに覗く。さとりらしからぬ殊勝な姿に、天子は軽く笑った。

 ――私だって、慣れてる訳じゃないんだけどなぁ。

 むしろ、こんな風に誰かと買い物をするのは、初めての体験だ。
それなのにこの感覚の違いは、やはり自分は図太いのだろうかと天子は小首をかしげる。

 驚いたのは、スカートに巻きつける紐……要するに、ヤマメのつけていたアレが独立した装飾品として売られて居た事である。
「そりゃあ、ヤマメさんはアイドルですし。彼女が火付け役になったブームは多いですよ」と聞き、成る程そういうものかと納得はしたものの。

 「セクハラ蜘蛛の癖にねぇ」
 「はい?」
 「あぁいや、何でも」

 地底のアイドルと言う自称が殆ど半信半疑であった天子にとって、微妙に納得が行かない事実であった。
店員に勧められるがままに、緋色に染められたそれを一本買ってしまった辺りが、特に。

 「それにしても、地底は随分と仕立て直した服が多いのね。私が買ったスカートも、そういうのだし」
 「洋装の需要……特に、少女型の妖怪が和装より動きやすい洋装を好むのに対して、生地が全くというほど足りませんから。
  自然と、あるものを仕立て直した物になります。お燐のワンピースなんかもそうですね。
  実は、以前から地底での自給が難しい物については地上から少しづつ供給が有るのですが……
  塩や米、小麦粉と言った必需品はともかく、布やタバコみたいな嗜好品は殆ど出回らないのが現状です。例えばですが」

そう言い、さとりは喫茶店のメニューを広げ、その一角を指さす。

 「緑茶はまだしも、紅茶は幻想郷ではまだまだ嗜好性の強い物とみなされています。
  そして、その緑茶ですら地底ではそれなりに高級な飲み物なんです。では、酒以外で何を飲むか。
  このメニューに書いてある通り、地底でノンアルコールとなると蒲公英の根を煎じた代用コーヒーが基本なんですよ」
 「あぁ、このたんぽぽコーヒーって奴ね……美味しいの?」
 「まぁ、それなりに、ですかね。悪くは無いと思いますよ? 二日酔いにも良いですし。
  他にも、蒲公英は花は装飾に、葉は薬に、茎は玩具にとまんべんなく使い出の有る花なわけですね。
  特に、地底の過酷な環境でも自生できると言うのが大きい。蒲公英畑は地底にある唯一の畑でもあります」
 「ふぅん……そりゃまた、こんな曲も作られるワケね」
 
 天子は、店内に流れるBGM――カウンターの蓄音機から流れている物だ――に耳を澄ます。


      ――地底の花は蒲公英の 小さな太陽ここに有り

         ――地底の種は蒲公英の 風は無くても飛んで行け

   ――地底の街は蒲公英の 深く根を張り生きていく


 それは、出る時にも子供達が歌っていた曲であった。
要は、地底の者たちにとってそれほど迄に馴染み深く、そして日常の小さな癒しなのだろう。

 「ちっちゃい癖にやるもんよねぇ」
 「円形の花が太陽に見立てられたり、根を地中深くに張る事何かも大きいですね。シンパシーを感じる者が多いのでしょう」
 「まぁ、分かんなくは無いかな。実はアレって花びらじゃなくてガクなんだけどね。知ってた? 豆知識」
 「えぇまぁ。天子さんこそ知っていましたか? 今流れてるこの曲、歌ってるのヤマメさんですよ」
 「へー、そうなん……ゲフッ、ゴフ、なんだと!?」

 綺麗な声だと感心していただけに天子は大きくダメージを受ける。
想像上のヤマメがいい顔で親指を立て、自己主張を行っていた。

 「そ、そう言われるとそんな感じも……」
 「作詞作曲自体はカバーですけどね。本人が親しみやすい性格なのも有り、地底でのヤマメ人気はかなり高いです。
  なにせ、流行り廃りに疎い私でも知っているくらいですし……」
 「せ、性格ってアイツの中身殆どセクハラ親父……あ、そうね。アンタも大好きだったわね、セクハラ」

 やっぱり地底ってそう言う文化なのね、と深くため息を吐く。

 ――衣玖に向かって「ねーちゃん良いぱっつんしてんな!」とか声かけたら、ドリルじゃ済まないでしょうね……

 地底の事が嫌いなわけでは全く無いが、染まりきった自分を想像して身震いする天子であった。

 「でも、そうか。そんじゃ、私なんかよりずっと夢に近い位置にいんのね、アイツ……」
 「夢……ですか?」
 「ロックスターになるんだってさ。地上で感銘を受けたとかで……」
 「ロック? ふむ……要領を得ませんが。ところで、天子さんの夢とは?」
 「分かんない。私、夢なんて見たことないもの。そもそも、本来は睡眠要らないわけだし……」

 遠い過去に、何かを望んだような朧気な記憶は有る。だが、それを為すにはあまりに天人として長く過ごしすぎた。
長い時間は記憶に書いた絵図を水に晒し、白紙に戻す力を持っている。
ならば、私にとって天人とはなんと無為な物だったのだろうか。天子は机に突っ伏す。

 ――『何で、何で私を天人なんかにしたの! こんな所へ連れてきたのよ!』

 それは、今よりもずっと子供だった頃の癇癪だ。
結局あの時も父様は、困った顔で私の事を見るだけで――


 「天子さん、天子さん」
 「ん、あ、ごめん。何?」

 さとりの呼びかけが、天子を現実へと呼び戻す。天子は無用心過ぎたかと頬を叩いた。
悩むだけなら後でも出来る。自分はもう始めてしまったのだ。タイマーのスイッチは、切れない。

 「折角ですし、明日の仕事を簡単に説明しようかと思ったのですが……」
 「あぁ、うん。そうね、お願い」

 身体を起こし姿勢を正す。

 「とは言え、あまり複雑な物でも無いですが」
 「そうなの? 法律とか……」
 「あんまり有りませんね。基本的にトップは鬼ですし、規律にうるさい天狗は数がいません。
  事実関係が難しければ私の元に引っ立ててくればいい。もっとも、そうしたがる妖怪はあまり居ませんが」
 「ふぅん……そういうもん? やっぱり、私の知ってる社会とは結構違うのね」
 「なので、天子さん達のお仕事は、その辺をうろついて、目に余る酔客が居たら注意をし、殴りかかられたら実力行使。
  基本的にはこれだけです。一応、自分から手を出さないようにお願いしますね」
 「目に余る、ってのは私の基準でいいの?」
 「えぇ。参考までに言うと、あの人は他人に迷惑をかけているのを一定ラインにしているようです」

 あの人? 自分の分のケーキを突っつきながら、天子は視線を空に揺蕩わせた。

 「あぁ、あのお爺さんね……結局、どういう関係だったの? 不躾かも知れないけどさ」
 「ですから、切ったり切られたりした……」
 「そうは言うけど。ぶちかまされた相手とあんな空気出せる、普通?
  アンタひょっとして、マゾッ気が有ったりするのかしら」
 「そんなぁ、天子さんじゃ無いんですから」
 「ンだとおうコラ」

 背の低いさとりを、天子はわざわざ姿勢を下げてまで見上げる。
間にケーキが挟まっていては微妙に格好が付かなかったので、憮然として引き下がるしかないのだが。

 「……『感謝する』と、言われたのです。想起を打ち払い、胸元に刃を押し当てながら、一度だけ」
 「感謝ぁ?」
 「私の能力に、そんな言葉を言われたのは、初めてだったので……」

 確かに、あのエグい能力にそんな事を言う奴はそうそう居ないかも知れない。
自分でさえ、電車に何度も轢かれた思い出を思い出させられて「有り難う」とはとても言えないな、と天子は思う。
そんな事を言えるのは、余程のマゾか戦闘狂だろう。……やはり性癖なのか。

 「そんで、あの爺さん……そういえば、名前で呼ばないの?」
 「あまり名乗りたくないみたいですね。お爺さん、とか翁、とか呼んであげれば分かりますし」
 「人外でそこまで歳をとった外見の奴が珍しいもんね。でも、分かるんでしょ? アンタなら……」

 何気ない問いかけのつもりであった。が、一瞬さとりの目が曇ったのを見て、天子は失言を悟る。

 「あ……ごめん」
 「いえ、大丈夫です。ですが、まぁ、自分から言わない以上は……ですね。一定のお付き合いも有るわけですし」
 「そうよね、私だって。どうせ心が読めてるからって、なんだって言っていいって訳じゃ無いわ」

 覚り妖怪にとって、心の裏表は意味を成さない事は確かである。
だが、さとりとて「口に出さない」と言う心配りが分からないほど、子供でもない。
まあ、分かってて敢えて無視する機会の方が断然に多いというのもあるが。

 ――上手くいかないな。

 天子は脱力した。人付き合いの経験の無さが、如実に現れている。
少女であることを、子供であることの言い訳には使いたくなかった。

 「ふふっ」

 気がつけば、さとりが口元に手を当て微笑んでいた。天子はテーブルに伏したまま、上目つかいにそれを見やる。

 「なに……何が可笑しいってのよぅ」
 「いえ、天子さんの一喜一憂する姿が可笑しくて……本当に、そこまで気にしてませんから
  嬉しいのですよ。喜怒哀楽を素直に出してくれる子なんて、それこそペット達だけだと……」
 「それ、私が動物レベルって事?」

 ぶーたれる天子を微笑ましく眺めながら、さとりは「まさか」と首を振り。

 「天子さんには何処か、人に懐く動物にはない"気高さ"が有りますから。
  そう言う人と仲良くなることは……なんだか、自分の格が一つ上がったと、勘違いしてしまいそうになりますよ」
 「仲良い」

 天子が跳ね起き、石を当てられた小鳥のように鸚鵡返した。

 「仲良いのかな」
 「これで違うって言われたら、私はちょっと悲しいですよ?」
 「私、友達居なかったからさ。いや……一応、飲みに行く奴とかは一人居たけど、友達って言うには精神年齢離れすぎてて。
  そっかぁ……仲良いのかぁ……」

 照れたように頬をかき、もじもじとナプキンの端と端を結び合わせる。その仕草がなんとも言えず、さとりは苦笑した。

 「あ、でもペットにするとか、そう言うのナシよ。次やってきたら本気でたたっ切るからね」
 「分かってますよ。負けてしまいましたし……力の差も分かりましたしね」

 口の中を埋め合わせるかのように、さとりは砂糖の入っていない紅茶を一口含んだ。


 ◆


 次の日。比那名居天子は睡眠から目を覚ますと、早速火焔猫燐の部屋へと向かう。
地霊殿に来て以来、天子は毎日の睡眠を決まった時間に取る事にしている。
その気になれば眠らない事も可能だが、日が入らぬ地底の薄暗さにずっと身を浸していることは、言い知れぬ怖れのようなものを天子に感じさせるのだ。

 「きっと、アレがダメになるって事なんでしょうね」

 天子は背面のお燐に向かって言う。お燐の部屋には姿見が設置してあり、後ろではお空が未だ寝息を立てていた。

 「そうだねぇ。なんせ夜と朝に明確な境目が無いもんだから、その気になれば何時までも一日が終わらないし」

 流石と言うべきか、お燐は手慣れた様子で天子の長い髪を纏めていく。
天子も目を細め、気持ちよさそうにされるに任せる。

 「悪いわね、自分でやろうかとも思ったんだけど……あんまり普段纏めないから、上手く行かなくて」
 「にゃぁい、こんな綺麗な髪に触れるなら、むしろ役得だろうさ。帽子は置いていくのかい?」
 「そうね……もしどっか行っても困るし……激しい動きをするには、ちょっと邪魔だしね」
 「んじゃ、お空の予備のリボンを拝借して、と……」

 スルリ、と碧色のリボンでひと巻きされ、青空に羽根が立つ。

 「お空の剛毛を思えば、随分素直でやりやすいもんだ……ほい、完成」
 「わ、ありがと。早いわね、やっぱ慣れてると違うのかしら」
 「自分でやるのは難しい物だよ。あたいだって、これ実はリボン型のピンだしさ」
 「そーいうもん?」

 天子は立ち上がり、姿見でぐるりと見目を確認する。
服はどうしようか迷ったが、結局、一番丈夫な何時もの服で行く事にした。
ただし、虹をあしらった前掛けだけは外し、代わりに昨日買った緋色の紐を自分なりに巻きつける。

 「ん、こんな感じかしら」

 鏡に映る自分の姿を見て、天子は頷いた。
隣ではお燐が呆けたように立ち尽くし、唾を飲み込む。

 「え、何。どうしたの」
 「いや……何というか、やっぱ素材って違うもんなんだねぇ……あたい、自信無くしそうだよ」
 「何よ、燐だって全然いけるじゃん?」
 「そうは行っても、妖怪変化による美しさって、何処かちょっとした歪みみたいなのが出るじゃないのさ。
  天子の場合、それが無いというか……うん。どっか違うんだよね」
 「そうかな」

 天子はどこか複雑な顔をしている。褒められた事は嬉しいが、褒められた理由に納得が行かないのだ。

 「私はあんまり好きじゃないわ、この顔。癖も皺も無くて、何時まで経っても自分の物だって感じがしないのよ。
  能面みたいにじっと見てると、鏡の向こうから『お前は誰だ』って問いかけられてる気がしてくるの。
  きっと、桃に作られてるんじゃないかしら。成長期の頃にそれしか食べてなかったから」
 「ふーん……なんてーか、こいし様みたいな事言うねぇ」
 「こいし……古明地こいし、ね。名前だけなら聞いたことがあるわ。無意識を操るんだっけ?」
 「そうそう……あの人も良く、鏡を見ては『あなたはだぁれ?』って唱えててね……」

 お燐はバツが悪そうに頬を掻くと、天子の耳にそっと口を寄せた。

 「さとり様の妹だし、大切な家族には変わりないんだけど……やっぱりちょっと、気味が悪いんだよ。
  何というか、見ているこっちの気がおかしくなりそうな事を、平気でするお方でさ……
  自分の中で出した結論に、容赦や遠慮が微塵も無いんだよね。この間それでさとり様と大喧嘩してから帰ってきてないし」
 「喧嘩?」

 思わぬ内容に、天子は目をぱちくりとさせる。

 「さとりが……?」

 天子の中でさとりのイメージは、いつもニヤついた笑いを絶やさない、余裕を含んだ奴だ。
そうでなければ、どこかオドオドとしている。どちらにせよ、実の妹相手とは言え喧嘩をするような奴には見えない。

 「うーん、イメージ出来ないわ。何があったのか聞いてもいい?」
 「んー、まぁ。そうだねぇ……あいてっ!」

 喋りかけたところで、ぽしゃりとお燐の後頭部に何かが追突する。
慌てて目で追えば、それは二人のベッドに置いてあったクッションであった。
後ろではお空が起き上がり、眠たげに目を擦っている。

 「うー……? うるさいー……」
 「……お空、これ投げたかい?」
 「んー? …………ぐー」
 「あ、こりゃ駄目だ。ほらほら起きたんならシャキっと目を覚ましな。朝飯を食いっぱぐれるよ」

 お燐が慌ただしくお空の髪を梳かし、ばたばたと着替えさせていく。
タイミングを失った天子はしばし逡巡した後、食堂へと向かう。食堂ではさとりが人数分に一つ多い数のトーストを並び終え、新聞を片手に微睡んでいた。

 ――まぁ、私が気にしても仕方ないか。

 天子は手早くトーストを詰め込むと、代用コーヒーで流しこむ。
なにせ、今日は初仕事なのだ。あまり余計な事を気にして居られるかまで分からない。
さとりを起こそうかと思ったが、やめた。「行ってきます」と声だけかけ、扉を閉じる。

 なぜだかさとりの、あの泥のような目が背中に張り付いている気がした。

 ◆

 「ほれ、これを」

 天子が道に難儀しながらあばら屋へ向かうと、件の翁は既に家の外に居りこちらを見るや否や一振りの刀を差し出した。
鞘も鍔も至ってシンプルな、いわゆる数打。

 「……何これ?」

 天子はその刀身を見る。刀にしては刃紋が無く、焼き色も無い。ただ鈍色に輝く刃だけが取り付けられた無骨な鉄の棒。

 「大丈夫なの、これ。すぐに折れそうなんだけど」
 「見ての通り安物だ。が、それなりに切れるしそれなりに丈夫だぞ。
  なんでも外の世界の鉄の籠から剥いできた部品の一部を、河童が削りだして作っとるらしい。
  この狭い結界内で製鉄なんぞするより、そちらの方が早くて確実なんじゃろうよ」
 「ふうん……で、それを何で私に?」

 訝しむ天子。翁は溜め息をついて二,三首を振ると、呆れが混ざった声色で問いかけた。

 「そりゃあお主、そんな仰々しいもんを腰にぶら下げて巡回する気か?」
 「それって……緋想の剣? そりゃそうでしょ、私の武器なんだし」
 「やめておけ。地底も一時期に比べれば治安もマシになったが、それでも物取りも出ればスられもする」
 「何よ、物取りなんて。そんな奴に負けるほど、私は落ちぶれちゃ……」
 「泥棒が皆騒がしく表から勝負してくると思っているのか、お主は。
  大事な剣をその辺に置いて団子を頬張りながら、ふと見たら木の枝が代わりに突き刺さっていても儂は笑わんぞ」
 「うぐ」

 有りそうな未来予想図を想像し、天子が言葉を詰まらせる。
改めて見れば煌々と光る緋想の剣は、なるほど確かにその筋の人からも注目を浴びる事は間違い無いだろう。
緋想の剣は今や天子のアイデンティティの一つでも有る。そんなどうでも良い所で失いたくはない。

 「分かったら、それを代わりに腰にでも指しておけ。万が一にでも奪われればコトだ。
  ……今更だが、剣は振れるのだろうな?」
 「ほぼ本で見ただけの独学だけど……んー……」

 鞘から刀を抜き放ち、構えてみる。二尺(約60cm)強の鉄の棒と言うものは、天子の予想以上に重かった。
試しにブンブンと振り回すと、何時もより遠心力がかかり身体があちこちに揺れる。

 「わったった……おおぅ」
 「……お主は何時も、剣を振る時にはそうやってぐるぐる回っておるのか?」
 「い、いやぁほら。教本にも、隙を生じぬ二段構え~って……」
 「隙だらけだろう……」

 翁は苦虫を噛み潰したような顔をし、再度溜め息を付いた。

 「ま、まぁ大丈夫よ。要石も有るし、肉弾戦でもその辺の雑魚には負けないもの」
 「そうか、そうだろうよ……腕を切り落としたくなければ、今は取り敢えずその刀は腰に差すだけにしておれ、脅しにはなる」
 「はーい」
 「持ち腐れにされても適わん。仕事が終わった後みっちりと稽古を付けてやる」
 「うぇー」
 「うぇー、じゃない。ったく、人が好意でやってやろうと言うのに……」
 「うわぁ、何か爺むさいわよ、それ」

 天子がそう指摘すると、翁は顔の皺をよりいっそう深くする。
心なしか、辺りに浮いていた半霊もうなだれている感じがした。

 ――ちょっと気にしてた?

 男は男なりに、歳を取ると色々有るということだろうか。難しいのだな、と天子は頷いた。
カチカチと緋想の剣の柄を捻り出力を切る。光輝いていた刃が一瞬で消失し、柄だけになったそれを、飾り紐を使って腰紐に結びつけておく。まぁ、これで簡単に失くしはしないだろう。
ついでに、貰った方の数打物も巻いておく。

 「……便利な物だな」
 「でしょ? あげないわよ」
 「貰ったとしても手に余るわい。今の儂には、この程度が分相応じゃよ」

 翁が鯉口を切る。なるほど、天子と同じ、無骨な河童拵えの数打。それもただの白鞘にそのまま収まった、質素な代物である。

 「意外ね。鬼をも切るって言うから、もっと天下の名刀的な物を使ってると言うのに」
 「かかっ、なる程な。確かにこの剣では鬼を切るのは難しいかも知れぬ」

 頷き、笑う。鉄板に楔を打ち付けるような、剣呑な笑いであった。

 「だが、どんな名刀であれ、一度に切れるのは六胴かそこら。
  六人ならば、この刀が六本有れば切れる。十本ならば十人切れる。剣の上手い者なら、五本で十人切る。分かるか?」
 「だから千人ならば千本持てって? 無理でしょ、物理的に」
 「そうか? 相手の刀を奪えば二本だ。次を奪えば三本。そうやって足していけば、千位すぐだろう」
 「それは……でも、机上の空論でしょ」
 「そうだな。子供のような理屈じゃよ。『出来なくは無い』という程度の、言葉遊びのような物だ」

 男の目が遠くを映す。ここでは無いどこかを。そして自らに刻み付けるように、深く呟く。

 「分相応、と言うものよ」

 音もなく刀身をしまった翁は、天子に目だけで合図を送り歩き出す。
天子はほんの数瞬の間その言葉の指す意味を理解しようとし、絶対的に情報が足りないことに思い至り、やめた。
ただ歩いている間じゅう、頭の中でぐるぐると渦巻くのを止める事は出来なかった。

 ――分相応、かぁ。
 ――緋想の剣の使い手として、貴女は役者不足じゃないの?

 弱気な誰かが、耳の奥で囁く。天子は「関係ないわ」と鼻で笑った。
どうであれ、今剣を持っているのは私だ。ならば、私の力だ。何より使えると言うことは、緋想の剣も認めている事の証のはず。
いいや、仮に認められなかったとしても、認めさせるまで握り続ければいい。それがロックだと、天子は独りごちた。





 「着いたぞ」

 翁の声にふと我に帰り、あたりを見回す。早朝ゆえだろうか。辺りに人は見えない。
それなりに装飾が付けられた幾つかの井戸と、高く拵えられた時計。成る程、生活の起点になりそうな広場である。
辺りを淡く照らす電灯といい、天子はどことなく作りが日本風では無い事に気がついた。和洋折衷とでも言うべきか?

 「意外とお洒落なのね。明るくなくても華やかだし」
 「好き勝手改築している中に、洋風好きの奴でも居たんだろう。地底の奴らは節操が無い」
 「そう? 私は好きだけど。文化に対して節操が無いのは日本の美徳じゃない? 仏教だって、大陸伝来だし」

 その昔、日本では大陸から伝わった仏教を取り入れようとする新興派と、昔からの神道が有る、新しい神にうつつを抜かす事は
不敬であると主張する旧守派が居た。
揉めに揉めた物の、最終的に「もともと一杯神が居るのだから一柱位増えてもそう変わらんだろう。試しに祀ってみて、祟りが有るようなら取り消せば良い」という方向にまとまったらしく、仏教は見事受け入れられたという話がある。
実際はもう少し生臭い戦いが有ったのだろうが、どことなく滑稽で、天子が気に入っている逸話の一つでもあった。

 「子曰く、故きを温ねて新しきを知れ。
  逆に言えば、新しく知る事が出来無いのなら、ぬくぬくと古い事にこだわってる場合じゃないのよ。
  ガンガンチャレンジして行くべきでしょ?」
 「言い切るな? 頭の固い連中に嫌な思い出でも有るかのような口ぶりじゃぞ」
 「……っ! そりゃ、有るわよ。一杯有る……でも、今言うことじゃないわ」

 天子は一瞬沸騰しそうになった頭を何とか落ち着かせ、熱くなりかけた自分を自覚する。
この老人に当たった所で、何かが変わるわけではないと言うのに。

 「とりあえず、夕刻になったら再びここに集合と言うことで良いじゃろう。覚り妖怪から、何か言われたか?」
 「仕事内容について。まぁ、程度の酷い酔っぱらいが居たら懲らしめてやればいいのよね。
  問題になるから先に手をだすなって言われたけど」
 「ふむ、まぁ基本的な事柄はそれで良いが……例外が二つ有る」

 翁は言いにくそうに一つ咳払いをし、腕を組む。

 「放火と強姦じゃ。この二つに限り、そぶりが有れば即叩きのめして良い事になっとる」
 「ごう…………んっ。放火はちょっと聞いてたから分かるけど、その、それも?」
 「あぁ。妖怪は頑丈じゃからな。暴行に関しては、多少酷くとも跡形も無く直る場合が殆どじゃ。
  勿論、個人的な怨恨は残るだろうがな。しかし、その、精神的な傷に関しては別だろう?」
 「そうね……さとりに聞いた事が有るわ。覚り妖怪が嫌われるのは、妖怪を精神的に追い詰めて殺す事が出来るからだって」
 「そういう事だ。被害に有った者の中には、そのまま衰弱死する……あるいは自ら死を選ぶ者も少なくない。
  地底が寄せ集めの無法地帯で有った頃は、大問題になっていたそうじゃよ。覚り妖怪としても、まぁ、話しにくいだろう」
 「まぁ、そうよね……あいつだって一応、女の子な訳だし」

 天子としても、ごうなんたらだのレイなんたらだの口に出したくもない。
さとりだってそれは同じだろう。そう思って納得したものの、翁は静かに首を振る。

 「……主犯格を捕らえ、見せしめのように一人づつ抉り、晒し、そして殺していったのは……当の覚り妖怪だった。
  その際、奴は笑いながら行為の詳細を並べ立てる事も有ったらしい。少なくとも儂は、そう聞いておる」
 「……ええと、行為の詳細って、その……」
 「公衆の面前で淫猥な言葉を放つ事も有った、そうだ。
  そしてその後奴は、屍を動物たちに食わせると己が是非曲直庁の代行で有る事を告げ、かつての処刑場……
  灼熱地獄への入り口に地霊殿を構えた。故に、自ら地霊殿に近づく奴はそう居ない。そういう女じゃよ、奴は」

 そして翁は、少なからずショックを受ける天子に対し眉を厳しくし目を向けた。
批判しているかのような、憐れんでいるかのような。複雑な色を、天子は見て取る。

 「友人となるのは良い。だが、恭順する気が無いのなら、奴を信じすぎるな。それはお互いのためでも有る」
 「なによ……それ。なによ、そんな偉そうにッ! そりゃあ、ペットにされそうになったりとか、有ったけど」
 
 けれど、外套を合わせる時。僅かだが、楽しそうに笑っていたのだ。喫茶店で、甘いケーキに顔を綻ばせることだって、有る。
何より、この老人に会う時。あんなに華やかな笑顔をしていたではないか。
その翁が、伝聞でさとりの事を貶めて居る。それが天子にとって許せない事であった。

 「私は強いもの、平気なんだものっ……だったら、普通の女の子だって所も見てあげないと、可哀想じゃないの!」

 感情が止まらぬ。分かっていたとしても。そういう風になるように振舞っていたのだとしても、傷つかぬわけでは、決して無い。
比那名居天子はそれを知っているのだから。だから、それは最早さとりにだけ向けた言葉では無かった。

 「そうか……そうじゃな、余計な事を言った。すまない」

 天子が弁ずると、翁は素直に頭を下げた。そして、真摯な調子でこう続ける。

 「その気持ち……忘れずに居てやれよ。お主もじゃが、奴も随分不器用だからの」
 「ふん、分かってるわよ。言われるまでもない」

 矛を収めようとしている相手に向かって、何時までも牙を剥くほど子供でもない。
しかし、試されたような感覚がどうにも腹立たしい。ふん、と再度大きく鼻を鳴らす。

 「ならば良い。仕事に行くとしよう。随分と、長い立ち話をしてしまった。
  儂は東から回る。お主は西から回れ。そちらの方が商店も多いからな、地理も分かり易いはずだ」
 「……分かった。迷子はカッコ悪いしね。半周回ったら、一回ここに戻ってくるわ。会えたら会いましょう」

 肩を怒らせながら、天子は歩き去っていく。
それを淡々と見送った翁は、反対方向へと足を向けた。

 「あーあ、だから言ったのに」

 何処からか漂う女の声に、ピタリと歩き出そうとしていた足が止まる。

 「私言ったわよ? 怒らせるって。貴方も大概不器用なんだもの」
 「ふん、お前の事も余程言ってやろうと思ったわい」
 「あら、そんな事したらあの子に貴方の居場所がバレちゃうわ」

 三半規管を直接揺さぶるような、くすぐったさの残る女の声。しかし老剣士はこれを無視し、歩き去っていく。

 「つれないのね」
 「お前の戯言には十分付き合ってやってるだろう、共犯者め。話が分かればお前との繋がりも分からぬ御仁ではあるまい」
 「……悔しいわ。どうして縛り付けてでも止めることが出来なかったのかしら」
 「それでも諦める事など出来んかった。あの天人と同じじゃよ」

 それだけ言い捨てると、翁はスタスタと天子の反対方向へと向かう。
後に残されたものだけが、つまらなさそうに呟いた。

 「全くもう、世の中馬鹿ばっかり」

 寝ぼけ眼の住人が、障子戸を開く。がらりと言う音に混じりブォンと音がして、障子に開いていた目が閉じた。
思わず二度見した住人が首をひねりながら視線を戻すと、そこにはもう、女の声の残響すら無い。


 ◆◆ ◆◆


  3:サブタレイニアンズ

 天子がとぼとぼと見知らぬ街を彷徨う。怒らせていた肩は、いつの間にか猫の尻尾のように垂れ下がっていた。
妖怪の街と言う事も有るのだろう。これまでぐるりと回ってきた中で、会う人物などほんの僅か。
思索が好きな者であれば、成る程、良い散歩道で有ったかも知れぬ。

 「こう暇だと、ほんと、ついつい余計なことを考えそうになるのよね」

 誰に聞かせるでも無く言の葉が落ちる。
薄暗い照明の中を宛もなく歩いて居ると、不穏な想像が泡のように浮かんでは消えていく。

 シンと寝静まった街は、どことなく天子に疎外感を感じさせ、天界での生活を思い出させた。
それでも天子にとって救いだったのは、極少数だとしても暇を持て余した物好きや、道半ばで倒れ伏した泥酔客等が居た事だろう。
ちょいとつつけば照れたようにはにかみながら去って行く彼らは、僅かながらも天子にとって他者との縁を感じさせる存在だった。

 「ここは天界じゃないし」

 挨拶をすれば挨拶が帰ってくる。素朴ながら、なんと嬉しい事だろうか。そんな些細な幸せすら天界には存在しなかった。
静かに、だが着実に歩みは進んでいる。「自分から諦めるには早すぎるわ」天子は半身を捻り、今来た道を見た。
それと同時に、お腹が「くう」と鳴ってしまい、天子は慌てて誰も聞いていない事を確認すると、「お腹減ったかな」と呟き辺りを見渡した。

 「うーん、どう見ても長屋ばっかりよね。一回広場に戻ったほうが良いのかしら」

 頭の中で目算をたてる。大きく右に3回曲がったから、真っ直ぐ行けばたどり着くだろう。
最悪、何処か見覚えの有る場所に戻れれば良いと、天子は肩の力を抜く。

 「どうも、ピリピリとしてしちゃってるなぁ……」

お腹が膨れれば、少しはマシになるんじゃないだろうか。期待をこめ、天子は歩みを進めた。



 天子が大きな道の周囲に沿うようにして広場に戻って来た頃、西洋式に作られた時計の針は丁度天辺を指していた。
住人もバタバタと起きだして来たようで、飯時と言うこともあってか、広場にはいくつもの屋台や長椅子が置かれている。

 「凄い、さっき来た時は誰も居なかったのに」

 パチパチと油が弾ける音や肉が焼ける香ばしい匂い、そして店員の呼び込み等を聞きながら、天子は辺りを見回す。
コロッケ、焼き魚の押し寿司、蕎麦、蒸し芋、天ぷら……果ては炊きたての白米をそのまま盛りつけて売っている屋台まで有った。

 「これだけあると目移りするわね……」

 目まぐるしく変化する雑踏に紛れながら、天子は自身の胸ポケットを叩く。
さとりから前借りした分の小銭が、しっかりとその中収まっている事を確認する。

 「何にしようかしら……お肉は、ちょっとキツいしなぁ……」

 地底での食べ物は、酒のツマミになるような濃い味付けや、肉をさらに油で揚げたようなクドい物が多すぎる、というのが正直な天子の感想だ。
菜食主義者は返上したつもりで有ったが、やはり慣れきった胃袋は早々変化するものでも無いらしい。
天子は暫くの間考え、結局芋餅を醤油ダレにつけて焼いたものと、豆腐と蒟蒻の田楽を購入した。

 「いっただっきまーす」

 長椅子に腰を下ろし、屋台で貰った竹箸を手に、先ずは手の平ほど有る芋餅を一口サイズに切り分けていく。

 「あら? これ……」

 カリカリに焼けた表面を割ると、中からきんぴらにされた牛蒡が顔を出す。

 「成る程……アタリ入りって訳ね」

 確か、屋台で買った時は他の店とそう変わらぬ値段だったはずだ。それでこのひと手間。なんとなく得した気分になる。

 「どれ、早速」

 適度な大きさに切り分けられたそれを、髪に気を配りながら口に運ぶ。
焼きたての芋餅は舌を焦がすほど熱かったが、同時に醤油のじゅわっとした旨みと芋の甘みが口いっぱいに広がった。

 「はふ、ほふ」

 難儀しながら咀嚼し、飲み込む。もちもちとした食感に混じって、コリコリと鳴る牛蒡が心地良い。
甘辛いきんぴらの味がマイルドに包まれて噛み締める程に味がするのも、また良かった。

 「しかし、そうなるとこの田楽が浮くわね…」

 芋餅だけでは味が淡白かと思い購入した田楽で有るが、芋餅が一つとして成り立ってしまった以上、田楽味噌の何処か野暮ったい甘さは天子の頭を悩ませる。
気になるのは、横に添えられた薬味らしき青々とした塊で有るが。

 「何かしら、これ……山葵かと思ったけど、違うわね。香りはいいけど……」

 竹箸の先にちょんと付け、舐めてみると。

 「ん? …………そっか、柚子胡椒だわ、これ」

 地底は山葵等の薬味も十分に手に入るとは言い難い為、風味の落ちにくいこういった加工品の調味料が多いのだろう。
田楽に柚子胡椒を付けるのは聞いたことが無かったが、柚子味噌はかけるのだし意外と相性は悪くなさそうに感じる。
天子は早速、味噌の上に柚子胡椒をおき、豆腐田楽を頬張った。

 「美味し……あ、あう、ちょっと辛っ、のせすぎたかな」

 柚子胡椒の辛味は思っていたよりピリリとキツく、天子の口腔を刺激する。慌てて天子は芋餅に手を伸ばしたが、しかし。

 「うあ、このきんぴらも結構辛いのね……」

 少量とは言え唐辛子で風味付けされたきんぴらが入った芋餅は、単体で食べるには良い物の天子の期待する甘みには程遠い。
地底風の濃い目辛めで味付けされている事もあって、天子の口が淡麗さを欲しがる。

 「ご飯が欲しくなるなぁ。うーん、でもちょっと食べ過ぎるし…」

 芋餅だけでもそれなりにボリュームが有り、これに白米となると食に慣れてない天子には辛い量だ。
何より、未だ借金の身であると言うのが天子に二の足を踏まさせる。
未だに喫茶店の分すらさとりに返して居ないのだ。こんな所で無駄遣いをしたら、さぞかし嫌味を言われそうな気がする。

 「倹約しないとねぇ。貧乏ってこういう物なのかしら?」

 お嬢様丸出しの台詞を吐きながら、しばし考える。結局、少々勿体無いと思いつつ蒟蒻の味噌をそぎ落とす事にした。
火が通りやすいよう網目に切りこみが入れられている事もあり、それでも中々味が絡む。
むしろ天界で薄い味に慣れている天子にとっては、この位がちょうどいい塩梅だ。

 ――こういう食べ方は、天界じゃ出来なかったけどね。

 はしたないと思いつつも、髪を手でかき分けながら熱い蒟蒻にふうふう息を吹きかけ、大口でがぶり。
口いっぱいの蒟蒻と味噌の風味が、辛さを中和してくれる。
ぷちぷちとした食感を楽しみながらふと周りを見ると、なぜだか数人と目が有った。

 ――……よそ者だから注目されてるのかしら?

 注目されるのは嫌いでは無いが、それが飯時というのはなんだか居心地が悪い。
折角息の詰まる天界から出てきたのだから、行儀だの何だのを気にせず遠慮なく食べたいと言う思いが天子には有った。
気にせず食事に戻ろうか、という時。何かに尻の辺りをツンツンとつつかれる。

 「ひゃあ!?」

 すわ質の悪い酔っ払いかと張り倒す勢いで振り返ったものの、それらしき姿は見当たらず。
いや、よくよく下を見れば白い犬が一匹こちらを見上げていた。

 「あ、アンタがやったの? どこから来たのかしら。さとりのペット……じゃ、無いわよね。
  ……何よ、これは犬畜生の食べるものじゃないわよ」

 蒟蒻串を食みながら、食事が乗った皿を上に遠ざける天子。しかし犬はそれらに見向きもせず、天子の腰の辺りを嗅ぎ回った。

 「んぐっ……ちょっと、何してんのよ、スケベ犬!」

 足元に潜り込んでくる犬の鼻先を、天子は両足でなんとか追い払おうとするものの、上手く行かず。
なんだか辺りがざわざわと騒がしくなってきた気がして、天子は羞恥に顔を赤らめる。
 
 ――とにかく、片手でもいいから自由にしてとっとと追っ払ってやらないと。
 
 そう思い、高く上げていた取り皿をそうっと下におろす。だがその瞬間、一瞬の隙をついて犬が何かに齧りついた。


 するり。


 腰紐に結びつけていた緋想の剣が、腰紐ごと解け。

 「なぁっ! ちょ……!?」

 慌ててスカートを抑える天子をよそに、犬は緋想の剣を口に咥え込み走りだす。

 「……ふ、ふざけんなぁー! 待ちなさい、緋想の剣……あぁもうっ!」

 少しの間あっけに取られていた天子で有ったが、それどころでは無い事を思い出す。
急いで乱れたスカートを直し、貰い物の刀を握り直すと、猛然と飛翔を開始した。

 「待てくぉらー! 緋想の剣返せー! 犬鍋にしてやるわー!」


 ◆


 お魚咥えたドラ猫ならぬ、緋想の剣を咥えたノラ犬を追いかけて。天子はいつの間にか地下水脈の近くにまで出てきていた。
あたりではサァサァと水の流れる音が反響し、建物の合間合間に鍾乳石で作られた円錐状のオブジェが残っている。

 ぴちょん。

 「ひあっ!?」

 水滴が一粒、天子の首筋に滴り落ちた。天子は思わず声を上げ、あたりを見回す。

 「くそー…速いわね、あの犬……」

 流石に四肢で大地を蹴る獣はすばしっこい。街中と言う事もあり、天子は中々追いつくことが出来ないでいた。
要石で転ばせれば一発なのだが、万が一まわり一帯ごととなると後でさとりに何を言われるか分かったものではない。

 「私も結界とか使えればなぁ。弁償とかさせられるのはゴメンだわ」

逃げていると言うより何処かへ向かっていると感じる動きもあり、天子は今見失わないよう追いかける程度に留めていた。
面倒だが、穴にでも埋めるようで有ればすぐに掘り返せばいい。
刀をシャベル代わりにするのは随分怒られそうだが、背に腹は代えられ無いと思う。

 「それにしたって、結構走ってるわよ。何処まで行くつもりなのかしら?」

 すでに街の中心部は外れ、すれちがう通行人もまばらになってきた。
犬は鍾乳石の間をくぐり抜け、器用に細い路地裏へと潜り込んでいく。天子は飛翔の高度を上げ、注意深くそれを見下ろす。


 「ジロ! どこ行ってたの!?」


 路地を抜けた先。そこだけぽかんとあいた空間の中に、小さな家が立っていた。
庭とでも言えば良いのだろうか? 布切れの造花で飾り付けられた空間に、高く幼い声が響く。
天狗らしき少女であった。外見だけで言えば、年の頃にして天子の4~5歳下であろうか。
もっとも、白い髪に紛れピコピコと主張する耳が人外の者で有る事を主張し続けているのだが。

 「あのねジロ、今お姉ちゃんが大変なのよ? ダメじゃない、大人しくしてなくちゃ。
  ……あれ? ねぇジロ、なにか咥えてる?」

 数度、少女の手が空を切る。ジロと呼ばれた犬が、口を使ってその手に緋想剣の柄を握らせた。
少女はその手の物を確かめるように数度握り、天子の目下でくすくすと笑った。

 「もう、ジロったら何持ってきたの?」

そして、何かに気づいたように鼻をくんくんと鳴らす。

 「お線香の香りがする。どこかしら」

 ――線香? 確かに天界ではそれなりに使うことも有ったけれど、服に匂いでも染み付いたかしら。

 天子は自らの服を嗅ぎ、首をひねる。

 「そんなに臭うかしら?」
 「きゃっ!?」

 庭に下り立ちながら声をかけると、いきなり話しかけられた事に驚いたのだろうか。少女が小さな悲鳴を上げた。
相変わらず鼻をひくひくとさせながら、ゆっくりと首を回す。

 「驚かせちゃった?」
 「いえ、その、え、えっと……何か、御用でしょうか?」
 「その犬が咥えてるそれ、私のなんだけど。返してもらえる?」
 「そ、そうなんですか!? ごめんなさい、すぐに拭いて返します!」

 もともと、何かの途中であったのだろう。水瓶から桶に移し替えた水に手ぬぐいを浸し、丹念に緋想の剣を拭く。
なんとなく手持ち無沙汰になってしまった天子は、少女に寄り添う犬を睨みつけた。

 「この犬って、あなたが飼ってるの?」
 「え? えぇと……」
 「天子よ。比那名居天子」
 「天子さんですか。あたし、タロって言います」
 「……女の子よね?」
 「はい、そうですよ?」

 天子はついつい傍らに居るジロと見比べる。そしてタロを見、ジロを見、またタロと名乗る少女に視線を戻した。

 「いや、白いじゃないの。両方共」
 「あはは……でも、折角お姉ちゃんに貰った名前ですから」
 「その名前に愛が篭ってるようには見えないんだけど……お姉ちゃんに、貰った?」
 「あたし、川を流れてる所を拾われたんです。だから」

 一瞬、タロの顔に陰が走る。「それは」天子は言葉にしようとし、目前に差し出された緋想の剣に遮られた。

 「はい、ちゃんと拭けました!」
 「あ、うん……ありがと」
 「ジロは飼い犬ですけど、あたしのじゃ無いです。あたしと同じで、橋の下でお姉ちゃんに拾われました」
 「ふぅん。そのお姉ちゃんってのは、この家に住んでるのかしら?」
 「そうですけど……だ、駄目ですよ。お姉ちゃん、今ビョウキで寝込んでるんですから」
 「寝込んでる? お姉さん、妖怪なのよね?」

 天子は怪訝な顔をした。本来、妖怪は病とは無縁の筈である。
そんな妖怪が寝込む程の病となれば、それは最早"呪い"と言っていい。

 ――なんだかキナ臭いわね。

 さとりや翁には、別に探偵の真似事をしろと言われた訳ではない。
けれど、仮にも平和を預かる者だと名乗るなら、事件の香りを見過ごすのは嘘のように思えた。
まぁ、単純に興味本位でもあるが。

 「伝染るもの…じゃ、無いわよね。それならアンタもやられてるはずだし」
 「あ、あの?」
 「まぁ、ちょっと見せてみなさいよ。駄目で元々で良いから」

 取り戻した緋想の剣を握りしめ、強引に割って入っていく。
小さな間取りだが、あの爺が住んでいたあばら屋に比べれば百倍もマシに思えた。
問題となりそうな人物は、布団の上にコロンと寝転がっている。金髪はともかく、尖った耳は幻想郷では珍しい類だ。

 「か、勝手に入ったら怒られちゃいますよ」
 「昏睡してるんでしょ? 適当に誤魔化しときゃバレない」

 緋想の剣を起動させる。ヴンと言う音がし、周囲の気質がより鋭く感じられるようになる。

 「今のは」
 「……大丈夫、悪いようにはしないから」

 自分で言いながら、なんともまぁ勝手な台詞だと苦笑した。背面に居るタロが不安げに息を飲むのを感じる。
布団の上の女性に熱は無いが、熱病にうなされたかのように息を荒げている。額には濡れ布巾、タロが置いたのだろうか?

 ――……こうして照らして見ると。酷いわね、これは。

成る程、体力の消耗も酷いが、それ以上に気質が削ぎ落とされていた。
緋想の剣のようにスパッと切るのではなく、ヤスリに掛けられたように切り口がズタズタなのだ。
剣を通して様々な気質を見てきた天子でさえ顔を背ける程の物。一体、どれほどの呪いが掛けられているのか。

 「……自然回復を待つだけじゃキツいか。仕方ない……」

 話を聞こうにも、このままでは口を開く事もままならないだろう。
天子は緋想の剣を横一文字に構えると、左手の平で刀身に当たる部分を握りこむ。

 「ッ! ……」

 熱いような痛いような感覚が手の平から伝わり、掴んだ刀身から、緋色の霧がゆらゆらと立ち上って緋想の剣を取り巻いた。
その霧が十分な量に達したのを見て取ると、天子はそっと、覗き込むように顔を近づけるタロを手で制す。

 「タロ子、ちょっと下がってなさい」
 「あの、えっと……お、お願いします」
 「えぇ、任せて」

 既に刀身には十分な量の霧が溜まっていた。天子はミミズ腫れのような痕を握り隠し、天に向かい高々と緋想の剣を掲げる。
天子が精神を集中すると、ぶわりと天井辺りまで上がった霧が、次第に色を替え、七色の光として辺りを照らし出す。
『極光』。非想非非想天の天人にして名居の巫女、比那名居天子を象徴する天候で有る。天子は一瞬、皮肉げに嗤った。

 「気質発現――『凪』!」

 サア、と波が引くような音がして光がすべて緑へと代わり、やがて柔らかな自然光となる。
タロは周囲の水滴が垂れる音や水が流れる音が全て無くなった事に気付き、驚いてキョロキョロと辺りを見やった。

 「とりあえず、これで暫く放っておけばマシになるはずよ」

 天子は緋想の剣の刀身を仕舞い、満足そうに腕を組む。

 ワン!

 鳴き声につられふと振り向くと、犬のジロがいつの間にかタロの隣でおすわりの姿勢で待っていた。
別人、いや別犬のように大人しくしながら、嬉しそうに尻尾を振っている。
天子は自身をここに連れてきたものが、彼奴で有ることを思い出し、告げる。

 「勘違いしないでよ? アンタの為なんかじゃ無いんだからね」
 クゥン?
 「……うん、畜生相手に何言ってるのかしら、私」

 自分の阿呆な姿に一人ツッコミを入れ、肩を落とす天子。
その傍らで、タロが感心したように鼻をひくひくと鳴らす。

 「わ、わ、なんだか空気の臭いが変わりました……」
 「気質と天候を操る事で、場の力とする。凪は治癒の天気だから、妖怪の回復力と合わせればすぐに体力も戻るでしょ。
  私の……というか、緋想の剣の力の一端よ。まぁ、緋想の剣は私くらいしか扱えないから、実質私の力なんだけど?」
 「はぇ~……天子さん、凄いんですね……」
 「凄いでしょ。尊敬しても良いわよ?」
 「はい! 尊敬します!」
 「う、うん。素直ね、あなた……」

 知り合いは基本的に皮肉混じりのツッコミを入れてくる為、まともに返されるとそれはそれで調子が狂うのだった。





 「おぉーい、起きてるかぁー!?」
 「あ、は~い!」
 ワン!

 土間で大きな呼び声。タロとジロがパタパタと駆けて行き、障子戸を開ける音がする。
天子は、すぐにその声の主を思い出せず首を捻る。何処かで聞いた事が有るのは確かだが……?

 「おやや? おや、おや。お前さん、どうしてこんな所に?」
 「あら、アンタ……」

 向こうも向こうでこんな場所で会うとは思っていなかったらしく、唯でさえ大きな目をぱちくりと開け呆けていた。
黒谷ヤマメ。熱病を扱うという土蜘蛛の少女。自称ロックの伝導者であり、現地底のアイドルである。

 「いやぁ~、心配したんだぞぅ? なんかいきなり地霊殿に乗り込んで行ったって聞いたし」
 「まぁ、アレは、うん。とりあえずホラ、こうして無事だったわけで……」
 「ほんとに? 何か変な事されて無い?」
 「いや、変な事は……あー、ちょっとされたけど」
 「な、なんだと!? それはこう、パイン的な……ピーチ的な!?」
 「テンション高いなぁなんなんだアンタ」

 背中をバシバシ叩きながら十年来の友人のように接してくるヤマメに、ちょっと引き気味の天子。
もっとも、彼女の場合は誰に対してもこうなのかも知れないが。

 「ヤマメさん、こんにちは! ほら、ジロもこんにちはするのよ?」
 「おうおう、タロも可愛くなったねぇ……後五寸……いや、三寸育ったらお姉ちゃんとイイことしよっか!」
 「千手パンチ!」
 「ごふっ」

 きもち仏陀の御心が込められた有り難いワン・インチパンチが、ヤマメの腹を打つ。
膝から崩れ落ちたヤマメを、天子は冷めた目で見下ろした。

 「天子ちゃん……お、女の子相手に腹はいかんよ? 腹は……」
 「ごめんなさいね、私性犯罪者相手には問答無用で手を上げていいって聞いてたから」
 「いや、これは違うんじゃよ……そう、スキンシップ、お肌とお肌のふれあい路線でな……?」

 ヤマメから遠ざけるように、天子はタロとヤマメの間に割って入る。
もう回復したのか、ヤマメは膝をパンパンとはたいて立ち上がった。

 「こんなんがアイドルだってんだから、世も末よね、地底」
 「ばっか、ここから始まるニュージェネレーション、そして輝くウルトラソウよ?
  なんてったってロックは我が手に有るんだから。三顧したら孔明も泣き濡れて蟹をむさぼるレベル?」
 「疑問形で提示されてもワケわかんないって。止まりなさいよ、子供が困ってるじゃないの」
 「えー、そんな事無いよねー、タロ。もう大分慣れたよねー?」
 「はい! 大体スルー出来るようになりました!」
 「あ、うん……私それはそれで悲しいな、なんて……」

 がくりと項垂れるヤマメを、天子はテンションの上げ下げが激しい奴だと呆れた視線を送る。
話してて楽しくは有るのだが、元々感情を揺り動かす経験に乏しい天子としては、少々置いてけぼりにされる所もあった。

 「そんで、その天子がなんでこんな所に居るんだい?」
 「あぁ、犬に……あ、いや。何だか妖怪なのに病気、ってのに違和感を感じてね。
  これは何か有りそうだと思って、話を聞くために、とりあえず治癒してた所なのよ」
 「病気? まぁ、私も話を聞いて友人の様子見に来たんだけど……」

 ここで、ヤマメは布団に横たわる人影をちらりと見た。タロが困ったように答える。

 「え、ええと、病気というか……いつもの発作というか……?」
 「あぁ、なるほどね。天子はちょっと勘違いしてるのさ」
 「勘違い?」
 「んー……まぁ、これは口で説明するより、実際見たほうが早いねぇ。
  そろそろ良いんじゃないの? 体力、大分回復したみたいよ」

 天子は再び緋想の剣を構え、周囲の気質を探る。
ヤマメの言う通り、そろそろ覚醒してもおかしくない程度には回復しているようだった。
土気色だった血色は大分良くなり、魘されていたのも今は安らかな寝息に変わっている。

 ――勘違い、ねぇ。

 寝顔だけ見れば、欧風の美人なのだが。
なんとなくヤマメがニヤニヤと期待しているような気がして、天子はおっかなびっくり身体を揺すり起こした。
このニヤつきは、アレだ。中身の入ったびっくり箱を他人にプレゼントした時のような。

 「おーい、起きれるー……?」

 何度か呼びかけると、うっすらと目が開く。エメラルドを想起する美しい碧色の目。
細くて白い指が天子の両頬に伸びてきて、シャボン玉に触れるようにそっと触れた。

 「妬ましい」
 「え?」

 そのままギリリと爪が立てられる。皮膚に爪が食い込んだ状態で、ねじ切るように抓られた。

 「イダダダダダッ!?」
 「夢じゃない……現実にこんな顔が存在するとでも言うの? ますます妬ましいわ……」
 「っじ、自分の頬でやんなさいよぁだだだだ!?」

 「妬ましい……このすべすべの肌が妬ましい、スッと通った鼻筋が妬ましい、化粧の必要すら無いのが妬ましい、
  左右揃った眉が妬ましい透き通る鈴のような声が妬ましい餅のように伸びる頬が妬ましい若々しさ瑞々しさが妬ましい
  顎の造形が妬ましい引き締まったフェイスラインが妬ましいしんなりとした髪が妬ましい長くてもうねらないのが妬ましい
  現実に存在することが妬ましい私の前に現れたことが妬ましい神が妬ましい笑いに来たことが妬ましいおかしいわよねこんなの
  アンタから見ればこんな醜女が存在すること自体がおかしいんでしょうねそうよ笑いなさいよあーっはっはっはっは!」

 「やだーッ! も、やだーッ! 地底ってこんなキャラしか居ないわけーッ!?」
 「わはははは」
 「笑い転げてないで助けなさいよ、バカッ!」
 
 涙を滲ませて理不尽に耐える天子を指さし、悪戯が成功した子供のように笑い転げるヤマメ。
天子は必死に妬み女の緑の眼光から視線を逸らし、恨みがましい目でヤマメを見た。

 「天子さん困ってるよ? 離してあげてよ、"お母さん"」
 「お母さん呼ぶなって言ってんでしょコブ付きだと思われたらどうすんのよ未婚なのにッ!! ……ん?」

 爛々と光っていた瞳が通常のそれに戻る。千切らんばかりに腕に込められていた力が弱まったので、天子は慌てて脱出した。

 「……あら? 随分身体が楽だわ。もう二~三日寝こむと思ってたんだけど」
 「お姉ちゃんの事、天子さんが治療してくれたんだよ。お礼言ったほうがいいよ」
 「そうなの? そうやって人に施しが出来るその余裕が妬ましいわありがとう」
 「お礼言ってるのよね? 喧嘩売ってんじゃ無いわよね?」
 「ご、ごめんなさい。こういう人なので」

 タロが必死に頭を下げるのを尻目に、天子は未だヒリヒリとする頬を抑えた。
血こそ滲んでは居なかったが、暫く痕が残りそうだな、と嘆息する。

 「ま、いいわ。何かキリが無さそうだし」
 「ごめんなさいね。人が失恋したショックで魘されてた所で綺麗な顔してるもんだから、つい力の限り妬んでしまったわ」
 「つい、でこんな……アンタ失恋したショックで死にかけてたの!?」

 妖怪故に、精神的ダメージで死に至る事も有るのかも知れないが。そうだとしたら事件性も何も無いじゃないか。
手を切った上に、思い切り頬を抓られた分大損だ、と天子は肩を落とした。

 「馬鹿にしないでよ、そんな訳無いじゃない。こちとら何回目の失恋だと思ってるのよ?」
 「そ、そうよね。幾らなんでもそんな訳無いわよね、その台詞はすっごい悲しいけど」
 「五月蠅いわね妬むわよ」
 「まあまあ。それで、誰の恨みを買ったの? それもあんな、死に至るギリギリの呪いをかけられるような」
 「ふん、恨み辛みは売り専門よ? こちとら清く正しい橋姫様だもの」
 
 それは清く正しいと言わないわよ、と出かけた言葉を天子はグッと飲み込む。
これは、一々突っ込んでいたら話が進まない手合いだ。後ろで腹筋を抑えているヤマメを心の目で睨みつけながらそう思った。

 「せめてもの憂さ晴らしに相手の女を呪ってやろうと思ったら、えげつない呪い返しを受けたのよ。
  いやぁ、流石の私も死ぬかと思ったわ……」
 「自爆かよッ! もういい、アンタ確かにヤマメの友達だわ!」
 「やだ、褒めても緑の妬み汁しか出ないわよ?」
 「褒めてない、出さんでいい、色が指定されてるのが具体的で何か嫌ッ!」

 ぜぇはぁ、と天子は肩で息をする。なんだかもう、このまま帰って温泉にでも浸かりたかった。
汗一つかいてこそ居ないが、天人でも疲労はするのだと思い知る。ただ、精神的な物が主であったが。

 「どうだいパルスィ……鋭いツッコミだろう? 是非我がチームに欲しいと思わないかい」
 「そうね、妬み度95点を上げても良いわ」
 「う、嬉しくない……」

 かつて無い徒労感に、天子はがくりと膝をつく。ふと横を見れば、タロが苦い顔で笑っていた。
ジロは我関せずと部屋の隅であくびをしている。天子は生まれて初めて、犬が羨ましくなった。

 「まぁまぁ天子、こいつ……まぁ、水橋パルスィって言うんだけどさ。この通りだから、事件の可能性は無いと思うよ?」
 「うん、そーね。でも、それ別に口で言ってくれても良かったわよね?
  ……ねぇ、水橋さん。こういう時、なんて言えばいいのかしら?」
 「『妬ましい』と言ってやりなさい」
 「えぇ、その爪あとのついて無い頬が妬ましいわ……覚悟はいい?」
 「え? あの、ちょっと……あいたたたたた!?」

 額に青筋を立てて、ヤマメのニヤけた頬に天子の指が食い込む。これぞまさしく因果応報の縮図である。


 ◆


 六畳ほどの部屋に、四人と一頭。居れなくは無いが、少し肩身が窮屈かな、という程度には狭く。

 「結局、完全に無駄足だったのよねぇ……」

 おやつとしてヤマメに提供させたかりんとうを齧りつつ、天子がボヤいた。
ヤマメが不満そうに、天子に対して向き直る。二人合わせて布団に腰掛けているせいか、微妙に顔が近いのが気になった。

 「あ、酷いなー。こうして折角再会出来たって言うのにさ」
 「そう言われてもねぇ」
 「心配してたのは本当だよ? なんてったって、あの地霊殿だしさー」

 そう言う、"あの"の意味を天子は理解していないのだ。いや、聞くには聞いたが、やはり納得は出来ない。
問おうとした所で「ほら、妬み汁挿れたわよ」と言いながらパルスィが戻って来た。

 「お茶って言いなさいよ」
 「人が働いてる時に喋っている……妬ましい……そう呟きながら淹れてたから何も間違ってないわ」
 「でも、お姉ちゃんが入れたお茶美味しいんですよ。緑色だからでしょうか?」
 「……その理屈はなんか納得行かないわ……」

 恐る恐る、一口含んでみる。清涼感のある茶の香りが、ふんわりと鼻に抜けていく。
確かに美味しいのが少し腹立たしい。

 「そう言えば、ロックンロールの方はどんな感じなの?」
 「ん? ダメダメお客さん、ネタバレは禁止だよ。でもなー、どーしても聞きたいならちょっとだけ言っちゃおうかなー?」
 「うざっ。じゃあ良いわ」
 「あ、ゴメン嘘々。と、言っても中々大変なんだけどね。
  出来れば河童が作る機材が欲しいんだけど、私達とアイツら仲悪いしさ」
 「最初はオリジナルでやろうと思ったんだけど、ヤマメに作詞の才能が欠片もなくって結局コピーバンドなのよね」
 「ちょ、ちょっとパルスィ! それは秘密の方だよ!」
 「ヤマメさんのオリジナル詞、ちょっと……アレだもんね」
 「タ、タロにまで言われたぁ!? ……私、そんな才能無いのかな」
 「妬みたくなるほど、無いわ」
 「うぅ、天子ぃ。パルスィが苛めるよう」
 「そこまで酷評されてると、逆に聞いてみたくなるんだけど?」

 女三人寄れば姦しいとは言った物。四人寄った事でさらに倍率ドン、茶と菓子が有ればさらに倍。
この場の唯一のオスで有るジロが、呆れたように鼻を丸めて居眠りを始めた。
ちなみに、ヤマメの詩はガイアが俺に黒く輝くシーンの最前線的なサムシングである。

 「あの……天子さんは地霊殿に行ったことが有るんですよね?」

 恐る恐るといった様子で、タロが声をかけてきた。声色とは対称的に、顔は子供らしい好奇心を滲ませる。

 「どうでした? えーと、玄関に檻が有るって本当なんですか?」
 「檻ぃ? なんだってそんなもんが玄関に置いてあるのよ。無かったわよ、そんな物」
 「あっはっは、まぁ、有名な都市伝説だからねぇ。地霊殿の『動物園』は」
 「ふぅん……? 何、ペットがいっぱい居るから動物園って事?」

 確かにそれっぽい場所では有るが。さとりは自由主義らしく基本的に檻に繋がれていたりなどしていない。
天子としては少し面食らうが、奴らは風呂にも普通に入るらしい。
化けかけが殆どだから当たり前なのかも知れないけれど、それにしては人化する奴にも風呂嫌いが居る。お空とか。

 しかし、パルスィの言葉はそれを否定した。

 「違うわね、そうじゃないのよ。いい? これは"怪談話"なのよ」
 「妖怪が? なんかおかしいわね、それ」
 「茶化さないで聞きなさい。例えば……一人の男が、友人を探すために地霊殿へと向かった。
  男の友人はちょいと乱暴な奴で、常日頃から目の上のたんこぶな覚り妖怪に対する反抗的な言葉を吐いていたわ。
  『あんな小娘、いつか俺がぶちのめしてやる』ってね。それが、つい数日前からぱったりと行方知れずになった」

 パルスィの語調が変わる。いわゆる怪談話をする時の、あの感じだ。部屋の外でぴとん、と水滴が落ちる音がした。
 
 「やがて、居ても立っても居られなくなり、男は地霊殿の戸を叩き玄関へと足を踏み入れた。
  最初の方は静かな物だったが、やがて何処からか『出してくれぇ……出してくれぇ……』とすすり泣く声が聞こえる。
  それも一人じゃなく、様々な場所から……。やがて、男は気付いたわ。
  玄関からズラリと並ぶ檻の中に、一人づつ妖怪が入れられていることに、ね。
  男は気味が悪くなったが、ひょっとしたらこの中に友人が居るのでは、と思い一つ一つあらためていった」

 部屋の中が、少し暗くなった気がする。天子は笑い飛ばそうとして、唾を飲み込んだ。

 「男が歩みを進めていくと、段々と檻の中の様子が変わってくる。笑い転げる奴、犬や猿の真似をする奴、
  座り込んで何もしない奴、謝り続ける奴、見えない何かと戦っている奴。とにかく、段々とおかしくなって行った。
  『これ以上はもう無理だ、次で最後にしよう』男はそう考えた。辺り中おかしな奴らだらけで、自分が大丈夫なのかすら
  男には自信が持てなくなってきていたの。……その時になって、やっとガリガリに痩せた友人が見つかった。

  『おおい、大丈夫か? 俺が分かるか?』友人は答えない。『駄目なのか? 覚り妖怪にやられちまったのか?』
  やはり、男の友人は答えない。仕方なく帰ろうかと思った矢先、キイイ、と檻の扉が開いた。
  男は嫌な予感がしながらも、友人を連れ出すために檻の中へ入る。バタン! ……と閉じ込められるかとも思ったが、
  そんな事も無く、すんなりと友人を檻から出すことが出来た。
  『しっかりしろ、帰るぞ』男は友人をおぶりながら、元きた道を戻っていく。
  出口まで後十間、と言う頃になって、友人がボソリと告げた。

  『三つの眼がお前を見ている』『何、なんだって?』
  『三つの眼がお前を見ている』『大丈夫だ、もう帰れる。風呂にでも浸かってゆっくり治そう』
  『三つの眼がお前を見ている。お前は何の動物になるんだ?』
  男は答えず、黙って扉を開けて、外に出た。出たはずだったの。

  今入って来たばかりの檻の扉が、今度はバタン! と閉まり、鍵が掛かったわ。
  友人はいつの間にか、檻の外で立ち尽くしていた。そして、こう叫んだ!
  『三つの目がお前を見ている!』


 「『つぅぎぃはぁお前だぁぁ!!』」
 
 「ぎぃぁー――ッ!!」
 いつの間にかヤマメが天子の後ろに回りこみ、ここぞというタイミングで大声を上げる。
心臓を跳ねさせた天子は腰掛けていた畳まれた布団の上から転げ落ち、ヤマメを仰ぎ見た。
大声に驚いたのかタロとジロが揃って目を丸くして耳をぴこぴこと揺らしているので、天子は恥ずかしさに顔が赤く染める。

 「……いいリアクションね、妬ましい」
 「いやぁ、そこまで怖がってくれると妖怪冥利に尽きるねぇ。うーん、しみじみ」
 「こ、怖くねぇし……急に大きな声出されて、驚いただけだし!」

 口を尖らせて否定するも、誰の眼から見ても状況は明らかであり。

 「あっはっはっは、まぁつまりこれが『動物園』のお話ってわけさ」
 「うぐぐぐ……しゅ、趣味が悪いのよ。誰だか知らないけど、妖怪の癖にこんな作り話まで作って」
 「作り話……作り話、ね。くくく」
 「何よ、意味深長に。まだなんか有るっての?」

 意味有りげに笑うパルスィに、天子が不満気に視線を送る。ヤマメが慌てて間に割って入った。

 「あー、まぁアレだ。そのう。あんまり話したい事でも無いんだけど」
 「そう? 言ってあげれば良いじゃ無いの、妬ましい。貴女の好きな話なんでしょう?」
 「だからって、嬉々として言いふらす物でも無いよ」
 「……別に、だったら聞かないわ」

 少し、不機嫌な声になってしまったかも知れない。これはまずい。別にそういうつもりでは無いのだから。
天子は一つ咳をし、努めて平静な声を出す。

 「言いたい事は言えばいいし、言いたくない事は言わなければ良いのよ。
  私だって、言いたくない事の一つや二つくらい残ってるもの」
 「うん、……ごめんな、天子」

 ヤマメがはにかむ。「その優しさが妬ましい」とパルスィが一言だけ毒づいた。

 「さて、と。長居しちゃったわね。私、そろそろ行くわ。実はまだ、お仕事の途中だしね」
 「あれ、そうなんですか?」

 腰を浮かし、天子が立ち上がる。タロが少し名残惜しそうな顔でそちらを見た。
ヤマメが、少しだけ神妙な顔をして天子に問いかける。

 「……なぁ天子。突然だけどさ、お前はこの街の事をどう思う?」
 「そうねぇ。太陽は無いし、料理は味が濃いし、キャラも濃いし、飲み物はお酒ばっかだし……
  挙げようと思えば、不満は幾らでも挙げられるわね」
 「そう、か」
 「でもね、皆楽しそうだし、服は可愛いのが一杯売ってるし。何より、天界よりよっぽど生きてる実感が有るわ。
  だから、私この街で生きてく。きっと五衰するでしょうけど、こんなに楽しいの、生まれて始めてなんだもの!」

 天子はできる限りの笑顔を意識して告げる。それは偽らざる本音だが、不安がないわけでは決して無い。
 でも、自分であればどうにか出来る。天子にはそれだけのプライドが有った。

 「……そっか。ならいいんだ! ちょっとだけ言うとな、この街はな、誇りの街なんだよ。
  星熊様の号令の元、私達は"誇り"の為にこの街を作った」
 「誇りの為に?」
 「あぁ。だから、この街に住む奴は、皆誇りを持ってるのさ。地上じゃ無くて、この街に住むって誇りをね」

 少しだけ広くなった空間に、ヤマメが手を伸ばす。望めば、この腕は地底全てを抱けるのだとでも言うように。

 「あなた、本当にその話好きよね。妬ましい」
 「……本当に、ちょっと妬ましいわね」
 「ま、天子も何時か分かるよ。そん時が来たらちゃんと話すとするさ。この街の成り立ちって奴をね」

 ヤマメがあっけらかんと笑う。やはりそれが少し羨ましくて、天子は微笑んだ。

 「比那名居天子」
 「きゃっ」

 耳元に息を吹きかけられ、驚いて振り返る。反対に陰気な顔をしたパルスィが、天子の目をのぞき込んでいる。
緑の目が再び爛々と輝いている気がして、天子は少しのけぞった。

 「私はあなたに助けられたようね、改めて礼を言っておくわね」
 「え、ああ、そう。それはどうも」
 「だから、本当に私にとっては珍しい事に……親切心から忠告をしてあげる。
  あなたは、そこにいるだけで大小様々な嫉妬を引きつける。美しいとはそういう事だし、強いとはそういう事よ。
  けれど、何よりも毒となるのは自分自身への嫉妬。それはひと時も離れる事無く、あなたを呪い続ける鎖になるわ」
 「じ、自分自身? 呪いなんて、そんな……」

 気圧される。何を言っているか分かりにくいのに、心だけがなんとなく不安になる。

 ――呪われてるのは今この場でじゃないかしら。

 酷い話で有るが、天子は内心そう思ってすらいた。

 「分からないならそれでも良い。ただ、心に留めて起きなさい。
  妬みと嫉みと呪いと、それでも叶えたかった願いのエキスパートからの忠告よ。本当にレアなんだから。妬ましい……」
 「ちょ、ちょっと。自分でやっといて自分で妬まないでよ。えーと、ご忠告ありがとう、パルスィ……さん」
 「呼び捨てで良いわ。ヤマメはそうなのでしょう? ふん、その素直にお礼が言える素直さが妬ましいわ」
 「……はぁ」

 ようやっと顔が離れ、天子は深く溜め息を吐いた。
話してみれば案外イメージ程悪い人では無いのかも知れないが、いかんせん第一印象が悪すぎる。
あれはあれで、楽しんでやっているのだろうが。経験の少ない天子には分からない話である。

 「自分自身、か」

 思えば、天では女らしい事を何も知らぬまま生きてきた物だ。
おしゃれも、化粧も、そして恋も。何一つ、比那名居天子はしたことが無い。

 「焦ってる訳じゃないけど……ねぇ」

 ほぅ、と思わずため息が漏れ、空気に溶けていく……





 ヤマメ達に見送られながら、天子はパルスィの家を後にする事にした。
仕事としての成果はゼロだったが、様々な感情が頭の中で渦を巻く。何かが掴めそうで掴めない、そんな感覚。

 「あの、天子さん」
 「ん?」

 ふと横を見れば、タロがその小さな身体で懸命に歩幅を合わせてきている。
天子はそちらに合わせるように、歩むスピードを遅らせた。

 「ご迷惑じゃなければ、今度、天子さんが居た所の話も聞かせてください。ううん。今の生活の事でも、何でも良いです」
 「……別にいいけど、面白いものじゃ無いわよ?」
 「それでも。あたし、ホントはヤマメさんの言っている事、良く分からないんです。他の街を見たことが無いから。
  他の世界を、想像したことが無いから。だから、お願いします」
 「ん……分かったわ。私が見たもので良かったら、また今度教えてあげる」
 「やった! ありがとうございます!」

 タロの頭をくしゃくしゃと撫で、天子は再び歩みを早める。タロはパタパタと足音を響かせ戻っていった。
パルスィに手を引かれ、家へと帰っていく。その姿に、天子はほんの少しだけ郷愁を覚えた。
水の流れる音がさあさあと、天子を急かすように引き込む。

 「……誇り、ね」

 天としての地位は捨て、人としては長すぎる。それでも地ならば、この私に誇りを持たせてくれるだろうか。
街の中心は、今でも雑踏めいて賑やかで居る。天子は人ごみを掻き分けるように、待ち合わせへと向かった。

 天子は少しの間、あの蒲公英の手毬唄を口ずさむ。きっとそれが、ヤマメ達の言う誇りの一つなのだろうと噛み締めるように。


 ◆


 夕刻。夜を迎えけたたましく騒ぐ小鳥たちのように、甲高く鍔迫が鳴る。
初めて刀を握った日から、もう一週間だろうか? 天子は、次第に時間の感覚が無くなっている事に気付く。
大時計の存在が無ければ、とっくに昼夜すら分からなくなっているだろう。

 この一週間、天子は時計の針が一直線になる頃に起き、寝静まったままの地霊殿をそっと出発しあばら屋へ向かっている。
その後針三周分ほど――後で聞いた話だと、一刻半になるらしい――刀を振り、仕事へ行く。
昼過ぎになり、人が増えてくると止め、再び稽古を付けられる。これが針が再び一直線に並ぶまで続く。そんな生活を送っていた。

 ――鍛錬自体に不満が有るわけじゃないけど……

 左から繰る剣閃を半歩で躱し、右の剣を刀で受け流す。
直後、中央に開かれた隙に吸い込まれるように天子の刀が振り下ろされた。

 ――あ、やべっ

 当然、そのようなあからさまに誘われた剣が当るはずもなく、流水のように躱されて。

 「集中が乱れたぞ」

 振り切った後、戻すのが遅れた刀の峰が、草鞋に踏みつけられ勢い良く地面を擦った。
しまったと思った瞬間には、翁の振るう柄が強かにデコを打つ。

 「あいっ……たー……!」
 「一本だ。ふん、最初よりはもつようになったが、それでも気を緩めるのが早すぎる。
  どうせ死なんとタカを括っているようでは、相手に何度殺されようと文句が言えんわ!」
 「はい、はい。ごめんなさいね」
 「形だけでも礼は整然としろ。鍛錬の意味を分かるつもりでやらなければ、只の筋肉の上下運動に過ぎん」
 「ありがとうございました!」
 「良し、今日はここまで!」

 この数日、腐るほど聞いた台詞。
確かに、天子は持ち前の防御力をウリに肉を切らせ骨を断とうとしすぎるきらいが有った。
体力の限界まで刀を振らされ――しかも型が悪いと即座に殴打が飛んでくる――て一日。
「お主はやって覚えた方が早い」とひたすら斬撃を避けさせられて二日。
そして、多少は刀で受け止める事が出来るようになって四日……。

 ――未だに一本取るどころか、切り返す事すら出来ないんだけど。

 地に倒れ伏しながら、天子は次の打つ手を考える。
普通に剣を振るう間に相手は既に二太刀目を振り終えており、足を使えば転ばされ、フェイントを掛ければそれごと潰される。
刀と言う重しを持ちながら腕を振るって初めて分かる、圧倒的な手数の差。

 「というか、私に型を強制する割にはなんで自分は喧嘩殺法全開なのよ……」

 地底の冷たい石床で、頭を物理的に冷やしながら不平をぼやく。
例えば、峰を踏み潰す。例えば、腕を蹴り上げる。例えば、鞘で関節を極める。
酷い時には袖元の小刀を投げてきた事も有った。何とか弾いた物の、腕を戻す前に頭からカチ割られた。
勿論、寝ながらでも刀を振れるほど染み込ませた型があるからこそだと、天子も理解しているのだが。

 「どうしたもんかしらねぇ」

 起き上がり、刀を軽く手入れする。この一週間の内にすっかり馴染みとなった顔が今日も着ている。

 「お二人ともお疲れ様っ! でも、あんまり根を詰め過ぎるとお体に障っちゃいますよ?
  はい、お爺様手ぬぐいです。しっかりと拭いて、身体を冷やさないようにして下さいね!」
 「む……あぁ、うむ……」

 天子がげんなりと笑う。緑の瞳を潤ませて、甲斐甲斐しく世話をする水橋パルスィがそこには居た。
その隣には、タロがジロの背に手をついて腕を振っている。

 「天子さん、お疲れようです」
 「あぁ、タロ子。あんたこそ毎日お疲れ様よね、アレの相手」

 アレとは勿論、後ろで翁を相手に媚を投げ売っているパルスィの事である。
天子も今でこそこうやって苦々しい顔をする事が出来るが、最初に見た時は本気で表情が動かなかったものだ。
『恋は女を変える』とは天子も聞いたことが有るが、アレは何と言うかそういう物とは次元の違う化け物だろう。

 「いえ、そんな……私が天子さんに会いたくて、連れてきてもらってるんですから」
 「そう言えって言われてるのよね? 大丈夫、わかってるわ。
  とっととここから離れましょう。良くない空間に巻き込まれるわよ」
 「聞こえてるわよ、さっきから……あぁ妬ましい、その無粋さが妬ましい……」

 ギリギリギリギリ、と天子の耳の後ろで歯ぎしりの音が響く。
いつの間にかパルスィが戻ってきていた。垂れ下がった前髪の奥でグリーンアイがギラギラと光る。

 「うわぁ、耳元で嫌な音鳴らさないでよ! 大体アンタ、フラれたんじゃ無かった訳?」
 「えぇそうよ、相手の女に呪いすら太刀打ちできずにギッタンギタンにされたわよ……
  ふふ、でも良いじゃないの、新しい恋を見つけるほんの僅かな羽休め位。忘れられない馬鹿な女と笑ってちょうだいよ、
  あぁ妬ましい。望まなくても毎日会える貴女が妬ましい……ふぅ~……」
 「だぁらっ、もう! 耳元に息吹きかけんな気色悪いッ!」

 もたれかかるパルスィを、全身を使って振りほどく天子。
そう、驚いた事に、この橋姫が失恋したと主張する相手がこの翁で有った。

 ――誰なのかしらねぇ。その相手の女って。

 一見すると剣術一筋で女に興味が無さそうなだけに、天子の好奇心を煽る。
それも、嫉妬深いパルスィがひと目で女としての負けを認めるほどの相手。それにしては、天子は相手を見たことがない。
一瞬ひょっとしたらさとりの事かもとも思ったが、パルスィが言うには金髪らしい。

 「それはそうと、私にも冷えた水の一杯位欲しいんだけど」
 「あっそう。そこに川が流れてるし、飲めば?」
 「うん、嫌いじゃ無いわよ、アンタのそういう態度。くたばりやがれ」
 「て、天子さん。お水なら用意して有りますから」
 「タロ子はいい子ねぇ……。その調子で他山の石もって玉を磨きなさい。この親は悪いお手本よ、いいわね?」

 ちょうどいい高さに有るタロの頭を撫でまわす。わふん、とジロから呆れたような声が漏れた。

 「未婚だと言っているでしょう!?」
 「うっさいなぁ、大体あんなジジイの何処が良いのよ?
  顔とか言わないわよね、そりゃ若い頃は格好良かった感じするけど」
 「あら、分かってないわね……。長く生きてると、姿形なんてどうでも良くなってくるわ。
  むしろ妖怪にとって大事なのは中身なのよ。あぁ、あの美しくも血が凝り固まったような嫉妬の結晶……。
  閨で嘗め尽くすように味わいたい……ふふ、お子様には分からないでしょうね。その若さが妬ましいわ」
 「うええ、趣味悪い」

 天子は口元から何かを吐き出すジェスチャーをする。

 「私だって、数百年生きてんだけど」
 「精神性の問題よ。そう、だから永遠に妖怪は人間に追いつけない」

 そう言って、パルスィは慈母のように微笑む。
天子にとって、さとりもパルスィもほんの時折そのような笑い方をするのが、何処か自分が置いてけぼりにされて居るようで気に入らないのだ。

 「どんなに真似ようと、生きて長ずるように成るのは人間だけ。私達はそれが"羨ましい"。少しでも肖りたいくらいにはね。
  ヤマメなんかは新しい風を入れようとしている方だけれど、それでも黒谷ヤマメは黒谷ヤマメという妖怪でしか居られ無い。
  だけど貴方は『比那名居天子じゃ無くなることが出来る』。それが妖怪と元人間の大きな違いよ。
  くくっ、ああ妬ましい、妬ましい……」

 大玉のようなパルスィの目。天子は耐え切れずつついと目を逸らした。
視線の先には、女子には付き合ってられんとばかりに刀を丁寧に手入れする翁が居る。

 ――あの人も、誰かじゃ無くなった誰かなのかしらね。

 天子の推測が正しいのならば、以前一度だけ天子は彼の孫や主と会った機会が有ったはずだ。
さとりのように。あるいはパルスィのように、その心の一端でも覗く事が出来たなら、その感情を知ることも出来るのだろうか。

 ――知ってどうするって感じだけど。バカバカしい。

 パチリ、と音をたてて刀が鞘に仕舞われた。

 「……はぁ。ほらタロ子、ご飯食べに行きましょ。昔の話、してあげるわ」
 「え……良いんですか?」
 「最初に言っとくけど、つまんないわよ? ある意味笑い話かもしんないけどね。いい加減区切りつけろって事でしょ、要は。
  ここでやってくって決めたんだし、そろそろ話せる気がするわ。なんなら甘いモノも付けてあげるわよ」
 「あら、本当?」
 「誰もアンタに奢ってやるなんて話はしとらんぜ」
 「お、お姉ちゃんには私の半分あげますから」

 お腹も減った事だし、もういい時間だ。広場は既に食事や酒を提供する場として賑わっている頃だろう。
この街にも大分馴染んで来た。お気に入りの店も、幾つか有る。きんぴら入りの芋餅が、売り切れる前に急ぐとしよう。


 ◆


 老人は、目を細めてその光景を見送った。


 「…………」

 姦しいのが居なくなった事で、翁は精神を集中させる。
息を吸い、息を吐く。目を閉じ、息を吸い、息を吐く。全身を弛緩させ、刀を握る感触をしっかりと確かめる。
初歩の初歩、基礎的な事だ。だからこそ必要な事だと、常に己を戒める。

 ぽとん。

 水の一滴が落ちる合図に合わせて、目を見開いた。
太陽の入らぬ幽暗の中、老剣士の視界に数百、いや数千とも言うべき桜がおびただしく生える。
翁にとってそれは数百年の間、欠かさず続けてきた想像の具現。
最早あの満開の桜の花びら一枚に至って尚、ありありと思い浮かべることが出来た。

 鯉口を、切る。

 ざあ、と一陣の風が吹き抜ける。散る桜が風にさらわれ、あっという間に桜吹雪を作った。
勿論地底には、桜吹雪どころか風すら滅多に吹かぬ。しかし、老人の肌は確かにその風を、着流しがはためくのを感じていた。
忘れもせぬ。消えもせぬ。あの日あの時の風の感触。

 刀を、構える。

 切る。桜吹雪を切る。触れれば死ぬのだと言わんばかりに、剣風で道をこじ開ける。
桜吹雪は龍のように形を変え、喰らいかかるように老人を取り巻き続けた。
紙よりも軽く、水よりも軟い死の顎。無理だ道理だと思う度に、桜は肌に触れ裂傷を形成して行く。
それでも尚、剣士は剣を振り続ける。十の傷が付けば百を、百の傷が付けば千を。只ひたすらに、切って切って切り続ける。

 ……やがて、辺りの桜は全て枯れていた。否、唯一つだけ未だ八分咲の姿を保ち続けている。
他の木々の3倍程の背丈。鬼ですら抱えきれぬ程の胴幹。桜の中の桜と言うその風体こそ、正しく――

 「覚り妖怪」

 刀を振るうのを止め、老人は低く呟いた。物陰から、ぱちぱちと拍手を行うさとりが観念したように出てくる。
その身体には薄桃のインバネスコートを被せ、傍目には照坊主の妖怪でも現れたかのようだ。

 「……相変わらず、綺麗な桜ですね。ふふ、貴方に会うまで、地底で桜が見れるとは思っておりませんでしたよ。
  ペット達を誘ってお花見とは行かないのが残念な所ですが」
 「世辞はいい。何をしに来た? 思った程度の成果が上がらぬ物だから、いい加減焦れてきたか」
 「えぇ、それも有ります……と、言いたい所ですが、ちょっとばかり暇だったもので」

 ここ、良いですか? とさとりは先程まで桜の根に抱え込まれていたひざ丈程の岩の埃を払う。

 「それで、如何ですか? 天子さんは。貴方のお眼鏡には敵いそうで?」
 「一日で型を覚え、三日で打ち合うようになった。これを優秀と言わぬので有れば、儂は一寸の虫にも土下座しなければならぬ」
 「へぇ。流石ですね、天子さん」
 「しかし、やる気が無い……とまでは言わんが、本気で剣を振っておらん事は確かだろう。
  元より大抵の事が上手く出来るからか、別の事に起因する物か分からんが、努力に対する忌避感が有る」
 「必死ではない、と?」

 翁は頷く。

 「理由無ければ、人は努力出来ん。それでなお鍛えられているのは、面白い皮肉かも知れんがな。
  元より、剣とは型を覚えながら身体を鍛え、時にそぎ落とし、十年を掛けて己の身体を剣士のそれとする。
  奴の場合、その理想的な身体が最初から整えられていて、後は水を吸わせるように型を教えてやるだけだ」
 「桃に作られた身体、と仰っていましたが」

 さとりがフードを外した。あちこちに跳ねたまま、纏めていない髪の毛がぴょんと飛び出る。

 「食べるだけで鍛えられる桃、ですか。胡散臭いですよね」
 「だが、見ただろう。あの娘の身体を。見事なまでに左右対称、一片の歪みも見えぬ。
  どれだけの達人であっても、全身を、ましてや不随意筋に至るまでああも調律することは出来んじゃろう。
  だからこそ身体の軸はぶれ、その矯正にはまた長い年月を要する」

 翁は、身体の中心線に沿うように手刀を構える。
彼ほどの使い手であっても、その表情まで左右対称にする事は出来無い。
はるか昔、未だ人間だった頃には、既に固有の癖として出て来てしまっているからである。

 「あぁ、成る程。天子さんの人形めいた美しさはそこから出来ていたんですね」
 
 第二次性徴が始まる以前から天界の桃を食し、身体の根幹から理想的に鍛えられて居る。
いわば、完璧に設計された骨組みだけが出来上がっている状態だ。後は機能をインストールするだけで、何でもこなす事が出来る。
その気になれば、古今無双の英雄から傾城傾国の遊女にまで成る事が出来るだろう。

 「天才と言うにもちょっと違いますが……『天に作られし者』ですか。まさにそんな感じです」
 「事実、芸術品とすら言えるだろう。とうに枯れ果てたと思っていたのじゃがな。時々、儂の目にも止まるほどよ」
 「あら、浮気ですか? 言いつけちゃいますよ、天子さんに」
 「馬鹿者め。そういうお主こそ随分と入れ込んで居るでは無いか」

鋭い目が、薄ぼやけたさとりの瞳を切り込む。「そう、でしょうか」さとりは視線を伏せ、所在無さげにコートの裾を弄り出す。

 「今からでも、本当の事を吐き出せばどうだ」
 「それは出来ません。それは……」
 「それは? 己の心を曝け出す事にでも成るか? 勘違いするなよ、覚り妖怪。
  例え目で心の奥底を覗けようと、感じるのは全てお前の心による処理。他者が同じ思いを抱くとは思わんことだ。
  結局お主は、未知の怪物に脅えているに過ぎん。他者より物が見えるから、知った気になっているだけの愚知よ」
 「だから、闘えと?」
 「切れ。切れば分かる。切って分かつ。当たり前の事を当たり前にこなせ。
  お前達当たり前で無い者は、時偶それを忘れてしまう」
 「容赦の無いこと」

 さとりは、しゅんと肩をしだれさせ、いかにも落ち込んでいますといったポーズを取る。

 「だからこそ、私にとっては貴重な知り合いなのですが」
 「ふん、自傷癖め」
 「それはお互い様でしょう?」
 「好きに言うておれ。お主のいる横で禅を組む気にもならん、少し早いが夕餉にしてやるわい」

 手にしていた刀を腰に吊るし、翁は席を立つ。所在無くぽつねんと座るさとりに対し、呆れたように声をかけた。

 「どうせまた、妹と喧嘩したのだろう?
  相手の言い分を聞く。悪いと感じたなら謝る。それもまた、至極当たり前の事よ」
 「……」

 そしてスタスタと、振り返りもせず歩き去って行く。

 「それが出来れば、苦労はしないんです」

 後に一人残されたさとりが、拗ねたように膝を抱えた。

 ◆

 ジリジリ、ぼうぼう、モクモク、ぐつぐつ。常に湯気立つ熱気沸く、ここは旧灼熱地獄痕。
生半可な妖怪じゃ、あっという間に熱気と怨霊にやられてしまう、お燐とお空の担当区域である。
地獄鴉も飛び回っているが、彼らは別にさとりのペットと言うわけでは無い。
群れで一番強い者としてお空の言う事は良く聞くが、あくまで気ままに餌を啄んでいるのが主である。

 「お空?」
 「ん、おっけー」

 長い付き合いだけ有り、二人は息の合ったペースで地底の大釜の火力を調整していく。
火が強ければ火種の一部をお空が消し飛ばし、弱ければお燐が運んできた火種を入れる。この辺りの呼吸はお手の物で有った。

 「よし、じゃあ今日はこんなもんかな」

 二人は手早く作業を終わらせると、「暑い暑い」と悪態を付きながら外に出る。
「きゅーけーしつ」とお空ののたくった字で書道された看板付きの部屋には、幻想郷では貴重な電力と扇風機が配備されている。
灼熱地獄は地底の怨霊を焼き尽くすためには重要な施設では有るが、そもそも普段からそこまで気を配る必要がある訳ではない。
さとりはあれで色々アバウトな所も有り、二人あわせて休日を取る余裕だって有るのだ。
もっとも、間欠泉地下センターなど言う物が出来た事も有り、最近は微妙に勝手が変わっているが。

 「うひぇえ~」

 お空は途端に着ているものを肌蹴ると、ニコニコ顔で扇風機へと陣取る。
それを見たお燐が「はした無いよ、お空」と注意するものの、「二人だもん、へーき」と笑って受け流された。
扇風機はグルグルと回り続け、お空の額や胸元に風を行き渡らせる。
お燐は濡らしたタオルで顔を吹きながら、自分の力から得る物を幸せそうに享受するお空を見た。

 「お空はさ」
 「んー?」
 「さとり様、好きだよねぇ」
 「そりゃそうでしょ。……お燐、もしかして嫌い?」
 「まさか。さとり様もお空も、大好きだよ」

 軽く笑い合う。壁を隔てて静かになった、パチパチと燃える音が鳴る。

 「お空、最近何か変わった事は有ったかな」
 「ん? それは、ほら。てん……てん……てんこが着たじゃない」
 「天子だよ。覚えなよ。まぁ、それ以外でさ」
 「それ以外……うーん……」

 お空はあぐらの姿勢のまま、ころんと仰向けに転がった。黒いインナーが完全に露わになり、たゆんと揺れる。
お燐は目を細めて再び「はした無いよ」と注意をした。お空は「うん」と答え、すぐに冷たい床の方に意識を持って行かれた。

 「何も無いなら良いんだけどさ。最近、なんかきな臭いから」
 「大丈夫だよ、わたし強いもん」
 「お空は強いけど馬鹿だからなぁ」
 「あー、言ったな! 良いの、お燐やさとり様が頭良いから」
 「あたいの頭はそんなに良く無いよ……。それに、さとり様だって間違える事も有るよ」
 「そうかな」
 「そう」
 「さとり様、心が読めるよ?」
 「でも、偶にうっかり火傷してるだろ?」
 「してるねぇ」
 「お空が注意してあげれば、さとり様は火傷しないかも知れない」
 「教えてあげればいいの?」
 「そう。私達で」
 「わたし、そんなに頭良くないよ」
 「大丈夫だよ」

 お燐がお空のすぐ側に腰を下ろすと、お空はその膝に頭を乗っけた。
嫌がる素振りも無く、お燐は慣れた手つきでお空の解れた髪の毛を繕い出す。

 「天子も頭が良いよね。頭良さそうな事、いっぱい知ってるし」
 「そうだねぇ。きっと一杯、勉強したんじゃないかね」
 「勉強かぁ。勉強してても間違えるの?」
 「きっと、頭が良い程間違える問題ってのが有るんだよ」
 「そっか、大変だにゅう……」

 お空の語尾が胡乱な物に化ける。目がトロンとし、あぁ、眠たくなって来たんだな、とお燐は分かった。

 「頭良くなくても、大丈夫かな……さとり様に、教えてあげられるかな」
 「大丈夫だよ」
 「大丈夫……?」
 「大丈夫」

 -◯-

 ◆◯-◯◯--

 気がつけば、青い空の上に立ち尽くしていた。
見下ろせば雲海が有る光景を、不思議そうに眺めている。

 「◯◯、大村守様に挨拶に行かないと」

 側に居た-◯-が、こちらの手を引く。引きずられるように歩きながら、◯◯は未だ視えぬ地を見下ろし続けていた。

 「◯◯」
 
 強い調子で怒鳴られ、肩を竦ませる。
 
 「--を失い、大変なのは分かる。だが、これはお前の為なのだ。きちんと、挨拶出来るな」
 「……」

 返事は無い。代わりに、こくりと頷いた。

 「良い子だ」

 髪の毛越しに、◯-の手の温もりを感じる。大好きだった筈なのに、心が動かなかった。

 「天界に苦しみは無いと言う。次第に、お前の傷も癒されて行くだろう。
  ◯◯、毎日しっかりと勉強しなさい。-◯-は暫く忙しくなるが、お前は出来る子だと信じているよ」

 優しい言葉だ。そう、勉強。勉強をしっかりしなければ。只でさえ◯◯は、何も知らない子供なのだもの。

 ――嘘つき。

 誰?

 ――この時、周りをもっと良く見れば良かったのに。
 ――歌を詠う、踊りを舞う、酒を飲む。誰か一人でも勉強なんかしてた?

 でも、それは◯◯が徳を積んで居なかったから。周りは、徳の高い大人たちじゃない。

 ――そう、周りが必要としてたのは、修行もしてないくせに意気揚々と自説を語る生意気な小娘じゃなかった。
 ――徳の高~い自分達に仕える、見目麗しい使用人でしょ?

 じゃあ、毎日擦り切れるまで読んだこの本は?

 ――無意味。

 じゃあ、きちんと全部暗記した、この法典は?

 ――無意味。

 じゃあ、じゃあ……

 ――無意味よ、ぜーんぶ無意味。
 ――だからもう、良いじゃない。頑張らなくったって良いじゃない。
 ――地上を見てみなさいよ、ホラ、あんなに楽しそうに遊んでる。

 あ……

 ――綺麗よね、あんなに我侭なのに。
 ――格好良いね、あれだけ周りに迷惑を掛けておいて。
 ――永い永い月夜に照らされて。あんなに楽しそうに笑ってる。
 ――皆で騒いでお酒を飲めば許されるんだってさ。じゃあ、私は何をやっているの? 誰を救おうとしてるの?

 あんな風に、なりたい、なぁ……

 ――なれば良いじゃ無いの。どうせ、好かれもして無いんでしょ。
 ――口も聞かれない。目も向けられない。だったら嫌われたほうがずーっとマシじゃないのよ。
 
 あんな風になって。あんな風に生きて。



 ――そして、あんな風に死にましょう。



 ◯--◯◯◯-

 「ん……」

 目を開き、意識が覚醒する。正直な話、未だに不慣れな感覚。
特に今日は、目が覚めて暫くしてもフワフワとした不安が渦巻いていた。

 「何……今の。これが夢って事……?」

 初めて天界に来た時のワンシーン。天子に地上に居た頃の記憶は無いから、実質一番最初の記憶だ。
だが、あの時はあのような呼びかけ等、存在して居なかった。あのような……

 ――あれ……どんなだっけ。

 手の内に有ったはずの物が、するすると崩壊し、失われていく。夢と現の境界がはっきりと現れていく感覚。
まさしく夢幻泡影と言ったものが、天子の中で初めて実感として結びついた。

 ――嫌だ……これ、怖い……。

 よくも人間は、毎日こんな感覚を味わって平気なものだと感心する。昨日。昨日は何をしていた?
確か、タロとパルスィと一緒に、天界について当り障りのない愚痴を吐きながら、酒を飲んでいたのだったか。
久しぶりに天界について口に出したから、夢に見たのか? だとしたら、随分とろくでもない……


 冷水で顔を洗って、思考をはっきりとさせる。
毎日風呂に入ってるとは言え、やはり朝にする洗顔は特別な感じがした。

 「はぁ……ちょっと早いけど、今日はもう行きましょ」

 気分はすぐれない時は身体を動かすに限る、と誰が言っていたのだったか。

 「そこにいるのは天子かい?」

 洗面台の後ろ、扉の向こうから声がする。溌剌とした、けれど何処か撫でるような甘さの混じる声。

 「お燐? 起きてたんだ」
 「ああ、うん。ちょっとね……寝付きが悪くてさ。考えることが有って」
 「悩み? 脳天気に生きるのがモットーにしては珍しい」
 「酷いなぁ、あたいにだって有るよ、悩みの一つや二つ」

 「でも」とここでお燐は言葉を詰まらせた。「でも……なんてンだろね」

 「最近のさとり様は、良く笑うんだ。いつもよりずっと、笑ってる事が多い。それは良い事なんだけど……」
 「勿体ぶらないでよ、気になるじゃないの」
 「あたいはそれに、少し嫉妬してる。分かるかい、あんたのお陰だからさ、天子」
 「私の? ふぅん」

 天子は話しながら、真っ白なタオルで肌の水気を吸い取っていく。ふんわりとした綿の感触が心地良い。

 「それは、あたい達には出来ない事だ。羨ましいよ」
 「あのさぁ、アンタが具体的にどういう事言ってるのか良く分かんないけど……
  そういう態度、ムカッ腹が立つわ。やりもしないで諦めて」

 扉に緋想の剣を突きつけ、フンと鼻を鳴らす。

 「いい? Rock 'n Roll(揺さぶれ、転がせ)よ? 誰かにやって貰うんじゃ満足出来ないんでしょ。
  だったら自分でやんないと。状況を、世界を変えるのは自分自身ってワケ。痺れるじゃない」
 「……ははっ、よく言うよ、受け売りの癖に」
 「良いのよ、格好良く言ったもん勝ちよ」
 「なんとなくだけど、さとり様が笑ってる理由が分かった気がする」
 「ん? 尊敬しちゃう?」
 「呆れ笑いだよ」

 カツカツと、地霊殿のタイル床を去っていく音が響く。

 「また、暇が有ったら買い食いでもしに行こうじゃ無いか。今度はお空も連れてさ」
 「なぁに、さとりに怒られといてまだ懲りてないの? 先輩。知らないわよー、太ってもー」
 「怒られるのもペットの仕事の内さー。それに、天子はもうちょっと肉をつけた方が良いんじゃにゃいのー、なんてね」

 天子は頬をぷくーっと膨らませ、緋想の剣を仕舞った。「失礼しちゃう」と髪を留め直し、部屋の外に出る。
暗い廊下の窓の外に、仄かなぼんぼりの明かりが点いては消えてを繰り返していた。


 ◆


 溜め息を付きながら、未だ微睡む街を歩く。

 「本当に、今日は……」

 天子は頭が痛む、と言う気分を実感した。次から次へと厄介事が湧いてくるような錯覚。
ひたひたと足音を耳にしつつ、くしゃみをする振りをして唐突に立ち止まってみる。

 ひたひた……ひた。

 ――尾行にしてもおざなり過ぎんでしょ……?

どう聞いても、足音が一つ多い。向こうがそれに気付いていない程の三下、とも考えられるが。

 ――でも、このまま張り付かせるのも気持ち悪いわよねぇ、乙女的に。

 このままずーっと後をつけるのが目的、だとも考えられないわけでは無いのだ。
見ず知らずの誰かに付け回されながら過ごす一日はさぞや居心地が悪い事だろう。
出来るなら、とっととどうにかしてやりたいと考える。

 ――撒くか、蹴散らすか……。はン、決まりきってるわね。
 ――揺さぶれ、転がせ。ロックよ、ロックな方に決まってるわ。

 どうやら、大通りでは向こうも仕掛けてくるつもりは無さそうだ。
悟られにくいよう、天子はだんだんと歩くスピードを早めながら直角に路地に入る。

 ――来る?

 数瞬待つ。ぬらり、と七尺は有ろうかという大男が、小路に覆いかぶさるように現れた。
腕組みをしながら待ち受けている天子を見て、ぎょっとした表情を浮かべる。

 「きゃー、こわーい、とでも言ってあげれば良いのかしら?」

 長いスカートを足にひっ掛け、壁に背を預けながら対面の壁に足をのせる。
さながら横断幕のようにとうせんぼうしながら、天子は語りかけた。

 「でも、アンタ図体はでかい割に迫力無いわね。ウドの大木って奴?」

 頭二つは離れているだろう相手に向かって、恐れも無く鼻で笑う。
なにせ、弾幕勝負とは言え地底随一の使い手で有るお空とやりあった経験もあるのだ。そんじょそこらの妖怪には負ける訳がない。

 「なめやがって」

 大男は小さく呟き、何やらゴテゴテとくっ付いた鉄の棒を取り出す。重心が手元に集中している、武器としてはおかしな構造だ。
それを不思議そうに見やり、天子は刀に手をかけ、やめる。取り回しが悪い事に気がついた。

 「この狭い道なら避けられねぇだろうがよォ!」

 力任せに振り下ろされた鉄の棒は、翁の剣の何十倍も遅い。

 「受けりゃ意味ないんじゃないの」

 天子はそれを素手で呆気無く止めると、利き手に要石を作り出す。この距離なら、周りに誤爆する可能性も無い。
腹と顔にでも一、二発入れて、それで終わりだ。

 「間抜け!」

 バチィッ!

 大男が手元のスイッチを操作し、鉄の棒に仕込まれた高電圧が天子を襲う。
「カハッ……」一瞬で全身に感電し、手に作りだした要石が霧散した。

 「へっ……ちょろいもんだ。油断してくれるる奴ほどやりやすいぜ。こちとら河童の特製なんだよォ」
 「……油断?」

 だが、それだけだ。電撃を受けた手をグーパーしながら、天子は笑い返す。

 「こう言うのは余裕って言うのよ、三下」
 「ば、馬鹿な」
 「種明かしをすればそーいう電気ビリビリをして来る奴が知り合いにいて、結構慣れてるってだけなんだけどね。
  まぁ、ちょっとビックリはしてあげたわよ? いい奇術だわ」
とは言え、やはり小さな麻痺は指先に残る。要石はすぐには作れなさそうだ。

 「くそっ!」
 「って、逃がすかぁ!」
逃げようとする男に対し、状況判断で天子は刀を抜き放つ。縦の斬撃しか振るえないが、逃げる相手なら十分だろう。
手首でも落としてやろうかと思ったが、骨に食い止められ男の腕を半ばまで断つだけにとどまった。
 「うわっ……」
ぶじゅり、とぶつり、の丁度間をとったような感触が天子の手に伝わる。反射的に手を引いてしまい、それが隙となる。

 「ぶふぅー―っ!」

 その隙に男が口から煙を吐く。白い煙がもうもうと立ち込め、天子はけほけほと咳き込んだ。

 「なにこれ、煙幕……?」

 視界が晴れた時には、既に陰も形もない。
河童の特製と言っていた。と言うことは、地上に繋がりを持っているのか。バザーで買っただけと言うセンも無くはないが……

 「なんか、やな感じよね。謎の襲撃者登場ってワケ?」

 それよりも目下の問題は、この血と脂したたる刀をどうするか、で有るが。
 
 「こんなん持って『怪しい奴に襲われましたー』って言っても、私が怪しい奴よね……これ」
 
 錆びるのでこのまま鞘に入れるのはもっての外、ましてやぶら下げたまま歩く訳にも行かず。
次からは面倒臭がらず緋想の剣使うぞ、と決意しつつ、べとつく血と脂に辟易としながら、天子は刀の手入れをするのであった。


 ◆


 「河童の道具を持った相手に襲われた!?」

 大仰な身振り手振りで、私は心配しているぞを全身で表現するヤマメに、天子は面倒くさそうに手を振った。

 ちなみに、ここは何時もの広場ではなく、ヤマメの自宅である。
発声練習などをする事もあり、郊外にそれなりの敷地で建てられた家は、中々に広い。
襲撃の件を翁に話した所、「用が出来た」と一言呟いて、今日の修練は休みを貰ってしまったのである。
見回りの仕事も有る為、完全に暇を持て余す訳では無いが、結局何時もの四人と一匹でこうして集まってしまった。

 「そんな……ご大層なもんじゃ無いわよ。雑魚かったし」
 「そりゃあ、天子だからそう思うんだよ。電撃なんてそう耐性有る奴居ないだろうし、やぁ、怖いねぇ」
 「そういうもん?」
 「だってそりゃあ、雷といえば基本天から降ってくるものであってさ……そういうのに強い妖怪は、あんま居ないよ」

 バリバリドーン! とヤマメは机を叩きつける。急に大きな音を鳴らされ、傍らに居たタロとジロが驚いたように身を竦めた。
そして衝撃で椀が揺れ、汁がこぼれる。天子は嫌な顔をした。

 「貴様……」
 「ま、待っとくれ。わざとじゃ無い、わざとじゃ無い。ホントのこ~とさ~♪」
 「その無礼を許すわけには行かん!」
 「はいはい、そこまでそこまで」

 呆れたパルスィが手を叩き、場を仲裁する。二人は示し合わせたようにそこで止まると、椅子に腰掛けた。
妬ましい、とパルスィが小さく呟く。

 「あの……雷って、そんな大きい音がするんですか?」
 「ん……あ、そうね。タロは見たことが無いわよね……」

 地底育ちである彼女は、恐らく気象と言うものを知らないのだろう。
思えば、先日天子が下らない事で気象を発現させた時も、それらしき反応をしていた気がする。

 「ま、いつか見せてあげるわ。天から滴り落ちる雨も、雲を切り裂く雷もね」

子犬を想起させる白くてフワフワとした髪を、天子はくしゃくしゃと撫でつけた。

 「え、えっと、でも……」
 「間違っても街中でやるんじゃないわよ。排水なんて考えて無いし、大災害になるから」
 「分かってるわよ。遠い所でやるってば」

 パルスィがじとりとした目で天子に注意を促す。
まるで苔のような眼だな、と天子は思った。その瞳は嫉妬に狂った時にのみ、翡翠のように美しく光る。
普段から綺麗に輝けばいいのに、ままならない物だ。あるいは、嫉妬の本質こそそう言う物なのかも知れない。
なにせ、嫉妬と言うものは今なお輝くような数々の悲劇、喜劇を作り続けているのだから。

 「これ、もらってくわ」
 「あ、うん。どうぞ」

 卓に置かれた棒状に作られた焼餃子を、パルスィは器用な箸使いで半分に切り分ける。
そして、自然な流れでその片方を自分の皿に、もう片方をタロの皿へと取り分けた。
「はい、熱いわよ」とワンポイントも忘れない。タロがお礼を良い、ハフハフとかじり付く。

 天子は何とは無しに、その一連の流れを眺めていた。目の前には揚げた馬鈴薯。
 
 「……タロー?」
 「ふぁーい?」
 「はい、あーん」
 「あんっ」

 天子の指につままれた揚げ芋が、子供らしさの残る柔らかな唇の中に消えて行く。
反射的に鼻先に差し出されてしまった物を咥えてしまったタロが、目をぱちくりとさせて恥ずかしそうに俯いた。

 「……ふむ」

 悪くない。天子は力強く頷く。

 「お、良いなぁ。タロ、私もほら、あーん」
 「え、えぇと……」
 「……ヤマメェ、アンタね、味も付けてない生のキャベツをどうしろってのよ?」
 「えー、美味しいよ、キャベツ」
 「だってさ、食べる?」

 天子はヤマメの手からキャベツの葉を奪い取ると、さながら従者の如くタロの後ろに控えていたジロに差し出した。
ジロは「仕方ねぇな」とでも言うように鼻を鳴らした後、ぷいとそっぽを向く。

 「ほら、犬にすらそっぽ向かれたわよ、キャベツ」
 「な、なにおう! 食物繊維たっぷりなんだぞ!」
 「食物繊維って。そんな消化できない物食べるの、青虫か……」

 と、ここではたと天子の動きが止まった。

 「……悩んでるの?」

 つつつ、と天子の視線、下へ。

 「キャーッ!? な、何を言っているのこのセクハラエンジェルさんは!」
 「だ、誰がセクハラ天使だ! 字が違うわ!」
 「仲が良いわね……妬ましい。でも食事時にそっちの話はNG」
 「はい……」
 「すいません」

 ギラギラとパルスィの眼が光る。流石にこれはどうかと思っていた二人も、素直に頭を下げた。



 下品な話は横に置き、話を切り替える。

 「それにしても……。天子さん、気をつけて下さいね? 何で目を付けられたのかは、わかりませんけど……」
 「美しさは罪ってやつ? 妬ましいわね……」
 「えー……勘弁してよ、本当に。まぁ、こっちとしてはそういう奴らをぶちのめせるのはいい仕事だけどさ」

 腕が鳴る、と肩を回す。そろそろ、稽古だけではなくまともに刀を振ってみたい頃合でも有った。
もっとも、その初陣はかのような無様な結果となったわけだが。

 「それにしても……そういうのって、まだ生き残ってたんだね。
  星熊様も地霊殿の奴らも、相当厳しくやってるからとっくに全滅したって思ってたんだけどさ……」

 ヤマメが憂鬱に呟く。それらしき話は、天子も僅かながら聞いていた。

 「やっぱり……本当なの? さとりが、その……を捕まえて、晒し首にしたってのは……」
 「あ、その話、知ってるんだ……んん」

 天子からすると、にわかに信じがたい話ではある。ではあるが、信憑性が無いかと言われると、やはり有りそうな気がするのだ。
事実、ヤマメは言ったものかどうか悩んだ表情をしている。

 「私達が地底に押し込められた時、それはひどい状態だったってのは聞いてるの?」
 「パ、パルスィ!」
 「聞かせてやれば良いのよ、タロにもね。貴女が言わないなら私が言うだけよ。
  その昔、地底にまだ街も無かった頃。地底は強ければ何をしても良く、弱者は蹂躙される。そんな世の中だったわ」
 「弱肉強食って奴?」
 「そう。だけど、それが妖怪本来の生き方だ、って見方も確かに有ったの。
  そもそもが、博麗大結界で好きなように人間が食えなくなった事に不満があった奴らの寄せ集まりだからね。
  もっとも、私やヤマメ、鬼の頭領達のように、地上でその力が疎まれて押し込まれたのも相当数居たけど」
 「捨てられた……のでしょうか」

 タロも初めて聞く話なのだろう。ジロの頭に手を載せ、不安そうに身を縮こませている。

 「その頃は誰が誰に喰われたとか、そういう話ばっかりだったわね」
 「……ま、そうだなぁ。変化の一貫として少女型の奴はともかく、私みたいに元人間の妖怪は、毎日ビクビクしてた」
 「まさに地獄だったわ。天辺で有る鬼達が動かないのを良い事に、どいつもこいつも覇権を握ろうとして」
 「星熊様は、何もしてくれなかったのでしょうか?」
 「その頃の鬼は、何かを統治する事に嫌気が差してたのさ。なんせ、天狗と河童に嵌められて山から追い出されたばかりだろ?
  泣きつけば保護してくれる位はしてくれたが、自分達から何かしようとはしていなかった」

 かくして、地底は戦国時代もかくやと言う構図になった。
鬼に対抗する力を得る為に、荒くれ者共はこぞって弱者を虐げる。そもそも、社会性なんて無いに等しい奴らの集まりだ。
奪い、襲い、犯す。それこそが妖怪だと言わんばかりに、暴虐の嵐は吹き抜ける。

 「その内に、覚り妖怪が現れた。暴れていた奴の首を持って、ね。
  首だけって言っても、妖怪だから死んでは居ないの。でも、酷く脅えている様子だったわ。
  そして、皆の見ている前で心の内を読み上げた後、頭を踏み潰し、殺した」
 「次の日は二人だった。その次の日は四人だった。脅えきった首を持ってきては、心を読み上げて、踏み潰す」
 「聞いた。ええ、その辺は聞いたわ。……そして、地霊殿を建てて、とりあえず地底は平和になった。そうなんでしょ?」

 それは、天子の希望でも有った。結果的に平和が訪れたなら、例えどのように残酷な行為で有ろうと意味が有ると思えるから。
だが、パルスィは首を振る。

 「確かに、表面上は大人しくなったけれど……是非曲直庁と言えば、仏門もいいとこよ?
  そんな奴らに妖怪が首根っこ捕まえられて、面白いわけ無いじゃないの」
 「今度は、覚り排除の機運が高まってね。皆がピリピリして、このまま彼岸との全面闘争も辞さない、
  なーんて雰囲気になってきちゃって。そんな時、やっと伊吹の鬼が動いたのさ」

 やおら席を立ち上がり、演説でもするかのようにこほん、とヤマメが一つ咳払いする。声を作っているのだろう。

 「『覚り妖怪なんぞにビクビク怯えるのは、私達の胸に誇りが無い証拠だ。
   確かに、私達は住処を奪われここに居る。だが、誇りは奪われたんじゃない。自分達がいつの間にか捨ててしまった物だ。
   住処が無いなら作れば良い。この地底を、地上にも負けない位立派な街にしてやれば良いじゃないか。
   その為なら、鬼はいくらでも立ち上がり、力を貸すさ』」

 先ほどから少しづつ注がれている酒の力も有るのだろうか、ヤマメは腕を振り回し力強く宣言する。
タロがパチパチと拍手しだしたので、天子も「仕方ないか」と言った風情で遅れて手を叩いた。

 「やぁやぁ、ご静聴どうもどうも」
 「本当好きよね、それ。一字一句覚えてるなんて、妬ましい通り越して妬ましいわ」
 「通り越して無いじゃないの……」
 「一周したのよ」

 付き合いが長いだけ有って、聞き飽きて居るのだろう。パルスィは溜め息を付く。

 「そういう訳で、皆この言葉に感銘を受けた。そして誇りとするために、街を作ったって訳さ。
  それ以来、妖怪としてのモラルは皆の手で保たれ、恐怖から開放された弱者は文化を生み出していった。
  私もその口でね、地底の文化のために、こうして歌を歌い始めたのよ」

 得意げに語るヤマメをタロが見上げ、おおー、と感心した声を上げた。

 「ヤマメさんに、そんな立派な志が有ったんですね……」
 「ふっふーん、そうでしょ、立派でしょ……あれ、何かちょっと褒めてなくない?」
 「気のせいでしょ。それにしても、アンタ文化とか高尚な事ちゃんと考えてたのね。
  てっきりセクハラは文化! とか主張するもんだと思ってたわ」
 「それは明らかに褒めてないなぁ! うわ~ん、パルえもん、天子がいじめるよ~」
 「日頃の行いでしょ」
 
 ばっさりである。

 「そんで、その新しい文化の方はどうなのよ? 最近見なかったけど、何か進展は有ったわけ?」
 「よくぞ聞いてくれました! 何とか"どらむ"の試作器が完成したんだよー……」

 ヤマメはパチリと手を鳴らすと、何やらごそごそとスカートを漁り、鍵を取り出す。

 「どらむ?」
 「太鼓のキメラみたいなもんかなぁ。見せてあげるから、付いてきてよ」


 ヤマメに先導され、一団は少し離れた納屋へと向かう。
そこはどうやら普段から練習として使っている場所らしく、音が漏れにくいよう改造されている様子があった。
そしてその中央に、王のように陣取っている物があった。縦に置かれた太鼓から、幾つもの金具と打楽器が突き出している。

 「これがドラムなの?」
 「まぁ、ところどころそうじゃない部分も有るけど……概ねドラムと言って問題ないんじゃない、かな?」
 「不安げだな……」

 だが、確かに鳴らせば大層な音が出そうだ。天子は大太鼓の前に屈み込み、ポンポンと手で叩いてみる。
そして、器具の合間に差し込まれているバチに気付いた。なるほど、これで叩くのだろう。

 「ちなみに、ヤマメ自身は歌えるのかしら?」
 「勿論! ……と、言いたいけどね。何分、元が外の世界の、さらに外の国の言葉だから、中々難儀しててさぁ。
  それでも、ある程度は出来てるよ? 元々、外来語が読める奴だって何人か居るしね。パルスィ含めてさ」
 「そうね、スペルカードは外来語が良い! って駄々こねる貴女に、一々訳してあげたりとかしたわね」

 お陰で、所々日本語の固有名詞と外来語が混じった変な言語が出来上がったりしている。
それは外の世界でルー語と呼ばれた、嘗て一世を風靡していたかも知れない忘れ去られた言語。
まぁ、それは置いといて。

 「そいじゃパルスィ、ちょっと拍とってくれよ。見てさぁ帰れもあんまりだし、歌える所まで歌ってみるさ」
 「私がやるのね、妬ましい……」
 「お姉ちゃん、演奏出来るの?」
 「大丈夫。こういうのはね、五寸釘を打ち込むリズムよ」

 いやそれはどうだろう。天子は歌っている後ろでリズミカルに五寸釘を打ち込むパルスィを想像し、冷や汗をかいた。
どう考えてもそっちに気を取られて、歌などまともに耳に入らなさそうである。

 「そいじゃ、適当にやるわよ」
 「ん、お願い。こっちで合わせるから」

 ドン、チャーン。ドンドンチャーン。
パルスィは案外手慣れた様子で、スムーズに打楽器だけのイントロが始まる。
ヤマメは何拍かリズムを取り、颯爽と歌い出した。

 ――これが、ロック。何というか、金属的なのね。

 異文化を感じさせる言葉の響きが、リズムに乗って流れ出す。
天子が初めて聞くヤマメの歌声は、普段の彼女から想像出来ないほど清らかで、かつ力強く紡がれていく。
それは琴も三味線も無い、拍子が付いただけの歌で有ったが、天子が今まで聞いた中で最もワクワクする歌でも有った。

 聞きなれない弦の音、臓腑を揺さぶる拍、何より、奇妙にハウリングする、叩きつけるような歌。
時間にしてみれば、ごく短い物だ。歌の途中、ある所までを歌い、ヤマメは「ここまで」と肩を竦める。
タロがパチパチと拍手を行う。天子も、今度は自ら進んで拍手を行った。

 「良いじゃ無いの。もっとこう、騒がしい物かと思ってたわ」
 「ホントはもっとね。大きい音を出すんだけど。色々機材が足りてなくてさ」
 「あたし、外来語の歌って初めて聞きました。ちょっと……その、なんて言ってるのか分からなかったですけど、素敵です」
 「それなんだよねぇ……」

 ヤマメは腕を組み、口を引き結んで悩む。

 「私が歌えるだけじゃ意味ないんだ。地底にロックを根付かせるにゃ、やっぱり皆が歌えるようじゃないと。
  その為には、一発で歌詞を覚えられる位が望ましいんだけど……」
 「外来語の歌詞にしなきゃいいんじゃないの?」
 「何言ってんだい! やっぱり原点ってのは大事だろ。何より、格好良いじゃないか!」
 「さいですか……」

 どうやら、ヤマメ的にそこは譲りたくない一線らしい。
パルスィは、ドラムに陣取ったまま黙って腕を上げている。お手上げのようだ。

 「だったら、歌詞をそのまま配れば良いんじゃないの? 和訳でも付けてさ。
  いい歌なら持って帰って、歌ってみようとするでしょ、そのまんま」

 天子はとりあえず思い立ったままに、自分ならどうするかを発言してみた。ヤマメがポンと手を打ち、「それだ!」と叫ぶ。

 「歌詞カードかぁ。成る程ね、それなら皆に覚えてもらえるな……。
  うーん、でも印刷をどうするか……地底にはそんな設備ないしなー」
 「まぁ、時間を掛ければ何とか成るでしょ、その位。……っと、そろそろ結構いい時間になってるわね……。
  昨日の今日に人通りを少ない道を通るのは避けたいし、私はそろそろ帰んなきゃ、か」
 「あらホント。随分時が経つのが早いわね……妬ましいわ」

 家の外にもガヤガヤと、中心地から戻ってくる人の波が増えてきた様子。

 「どうする、パルスィー? ちょっと飲み足りないし、飲み直さない?」
 「タロも居るんだけど……まぁ、たまには良いかしらね」
 「あたしも、良いんでしょうか? ……ジロも?」
 「おーう、どんと来い。ヤマメさんにお任せよ!」

 どうやら向こうはまだ飲み直すようである。天子は「程々にしておきなさいよー」と気のない忠告を送った。
そのまま出て行こうとして、ふと足がテンポを刻む。
腹の奥まで揺さぶられた心地よい感触が、まだ身体の芯に引っかかっているようであった。



 ◆◯-◯-


 なるべく音を立てないように、過ごしていた。

 横に数人並ぶことが出来るほど、天人の屋敷の廊下は大きい。
その端っこによって、足音を消して歩いて行く。猫のようなその足運びは、随分と慣れたものだ。

 視界の上端に、幾人かの姿が映る。おしゃべりに花を咲かせている様子で、こちらに気付く様子もない。
天子はなるべく自分の顔を見られないよう、声を上げずに深々と礼をした。
当然、礼が返ってくる事は無い。一瞥すらもくれぬまま、天人達は廊下の向こうへと歩いていく。

 天子ももはや最初から、礼儀に対して礼儀が返ってくる事など期待しては居ない。
それでも、礼をせずに注意される事の方が余程面倒で、故に天子は頭を下げる。

 ――もし、この時礼を返されて居たら、このまま引き返して、別の生を歩んで居たのかしら?

 天子の頭に意味を成さない仮定がよぎる。無駄な事だ。なぜならもう既に、行動は過程なのだから。

 そうやって何組かをやり過ごして行く内に、天子は目的の場所へとたどり着いた。
天人の宝物庫には、鍵も番兵も居ない。なぜなら、盗み等を行う輩は天界にはこないとされている。
ならば天子のこの行いは、大問題に発展するだろうか? 比那名居天子と言う存在を、周りに認めさせることが出来るだろうか。
地上への、声なき声を。仏の膝下で行われる不正への、ほんの僅かな抵抗を。
叶わずとも、叶わずとも、指を突き立てる位は、出来るだろうか。

 惹きつけられるように、刃を持たぬ柄が目に入る。おそらくは、これの事に違いあるまい。
何の経典にも記されていない秘宝、緋想の剣。燐光の刃を持つ、肉体ならざる物を切る剣。
この剣で有れば、どんなに頑丈な◯だろうと切る事が出来る筈だ。

 そう、い-◯なる刃物でも傷付けられない◯◯の身体で有っても……

 ---◯--◯-◯◯





 「うわっ!」
天子が目を覚ますと、目の前にさとりの顔が有った。予想だにしていなかった光景に、つい驚き悲鳴を上げる。

 「そんなに驚かなくても良いでは無いですか」

 自分の顔を見て悲鳴を上げられたさとりが、無表情のまま不満の声を上げた。

 「あのね、起き抜けに顔のドアップが合ったらそりゃビビるわよ……ったく。今、何時?」
 「丁度3時頃ですね。お早う御座います」
 「え、って事はもうお昼過ぎ!? うわ、寝過ぎじゃないの……何で起こしてくれなかったのよ」
 「いえ、0時過ぎです」
 「深夜かよ……むしろ、なぜ起こした……」
 「おしゃべりしたかったから、では駄目ですか?」

 天子はさとりの瞳をじっと見つめる。何を考えているか、覚り妖怪ではない自分には知る由もない、のだが。

 「駄目じゃないけど……とりあえず、顔が近い」

 なんだかイケない物に引きこまれてしまいそう。天子が華奢な肩を押すと、さとりはあっさりと身体を退いた。

 「夢を見てましたね」
 「夢ぇ? ……そうね、最近見るようになったわ。なんか、気持ち悪い物ばかり」
 「悪い夢でした?」
 「いや、そういう印象は残って無いんだけどさぁ。だからこそ、気持ち悪いと言うか……」

 正直な話、未だに慣れないし、見なくて良いなら見たくないのが本当の所だ。

 「夢、夢ね。邯鄲之夢、酔生夢死。短い人の生が夢を追いかけて終わると言うのも、分からなくは無いわ」
 「ならば夢を見ることは、人に近くなってきている事のあらわれなのでは?」
 「……そうなの、かなぁ? その理屈は分からなくは無いんだけど」

 夢に見る程、とは何かに執着する事の例えで有る。
執着を捨て去る事こそ是とする仏教からすると、確かに俗に染まってきた事の現れなのかもしれない。

 「でも、ちょっと思い出したわ。異変を起こした時の事」
 「あぁ、地震で博麗神社が倒壊したと言う……」
 「本当に何をやっても許されるのか知りたかったのよ。許されずに死ぬ事になっても、それはそれで良いかって思ってた。
  百万の退屈の後に地獄よりも苦しい五衰が有るのならば、むしろ綺麗さっぱり殺された方が……って」
 「それはまた、巻き込まれた方は溜まったもんじゃ有りませんね」
 「滅茶苦茶に怒られて痛めつけられた上で、許されたかどうかは未だに微妙な所でしょうね……」

 八雲紫位になると、死よりも恐ろしい事が幾らでも有る事を知っているのだろう。何せ、死ねば一回で済むのだ。
笑いながらのマジ切れは本当に怖かった。だがまぁ、こうしてどっこい生きてる有頂天な訳で。

 「さとりはさ、生き方を変えたいって思った事は有る? 私は有るわ。ずっとずっと、そう思ってた」

 枕元の緋想の剣を手繰り寄せ、刃を出さないまま握りこむ。
行為自体に意味は無いが、緋想の剣はもう比那名居天子の象徴と言ってもいい、大事な物だ。
この剣がある限り、極光めいて天子の道は照らされる。
 そしてまたさとりにも、それを暖かな光として、恩恵を得た時が有ったのだ。

 「……そうですね。たまに妹が羨ましく成ることが、無いとは言いません。
  ですがやはり、私は内に篭っている方が性に有っていますし……地上との交流が増えて、読む本も増えましたしね。
  それでももし、何か一つだけ変える事が出来たなら……」

さとりの第三の目が、遥か昔の記憶へと潜って行く。自分の意識を自分で探り、朧気な思い出を想起させる。

 ◯-◯◯--

 男の荒い息。押し倒される妹。その足にしがみつく私。何事かを懇願し、男はこちらへ標的を変える。
 妹を助けられるという安堵。犯される事への恐怖。目の前に垂れ下がる逸物。
 男の背中に突き刺さった短刀。絶叫。そして、第三の目を閉じた妹。

 --◯--◯-

 「あの日、犯されかけた妹の代わりに、私は自分の身体を差し出そうとしました。
  そしてその結果、こいしは自らの心を閉ざし、無意識に生きるようになってしまった。
  私はどうすれば、こいしを助けられたのでしょう。……何をしてあげれば、良かったのでしょう?」

 「……その子の身代わりに成る事が、良くなかったと?」

 「子供の頃から、こいしは私よりもずっと力が強かった。余計な事をしたのでは無いかと、未だに悩む事が有ります。
  けれどももう、あの子の心を読んであげる事が私には出来ない! 答えが知りたくても、それを見ることが出来ないんです!
  あの男の心の汚さに目を背けたならまだいい! もし、もしそれが、私に向けられた物なら!」

 「ちょ、ちょっと落ち着いてよ。そんな訳無いじゃないの。さとりは、助けようとしてたんでしょ?」

 「こいしは力が強かったんです! 子供の時から、私よりも、ずっと!
  そして何より、母に似て美しかった……えぇ、私よりも、ずっと。そんなこいしを助ける事に、私が」

 さとりは一瞬、息を飲んだ。恐ろしくて堪らない怪物を見た、人間のように。

 「私が……優越感を感じていなかった保証が、何処に有るの……ッ!?
  あの子が押し倒されている姿を見て、少しでも『ざまあみろ、調子に乗りやがって』と思っていたのなら……
  そして、あの子の目がそれを"読んで"居たのなら、私は……ッ!」

 さとりが疑う物。それは、「自分がこいしの目を閉じる原因になったのではないか」という事。
疑いは不安になり、不安は恐怖へと変わる。
しかし、確かめようにもこいしの心は固く閉ざされ、中を窺い知る事は出来ない。まるでパンドラの箱めいて。

 「あの子は……私が、嫌いなのよ……」
 「どうして、そう思うの?」
 「だって……でなければ、どうして『地霊殿なんて無いほうが良い』なんて言うの……?
  ここは、私にとっても勿論、あの子にとっても大事な居場所の筈なのに……」

 成る程、お燐から聞いた喧嘩とは、その事に起因するものなのだろうか、と天子は思う。
こいしという娘には有ったことが無いのでその詳しい人となりは分からないが、天狗の新聞の記事が確かなら
古明地こいしと言う娘は妖怪寺に帰依したと聞いた。その事で彼女なりに思うことが有ったのか?

 さとりは、俯いたままそのスモックの袖を顔に押し付けると、暫くの間荒い呼吸音だけを漏らしていた。
そして、ややあって上目で覗きこむように天子へと向き直る。

 「すいません……取り乱しまして」
 「良いわよ、別に……さとりの事も、少しは分かったしね。性的暴行に対して過剰防衛にも思える理由とか」
 「……聞いてらしたんですね。ええ、八つ当たりなのは分かっているのです。
  ですが、やらずには居られない。あの汚らわしい思念を見た時、どうしても感情が先に立ってしまう。
  男の股に付く、あんな物が無ければ。そう思わずに居られないのです。そう、それが例え……」
 「それが例え、私を釣り餌にする事だとしても?」


 ◆


 前髪と袖に隠れた裏で、ぐるり、とさとりの顔が回転した気配がした。
哀れでか弱い少女から、残忍な地霊殿の主へと。実際、天子の知慧は、先ほどまでの彼女の涙が偽物では無いと告げている。

 ――だけど、本音でもない。そして、嘘を隠すならば本物の中が一番良い。

 ここからだ。天子は兜の緒を締める。いい加減、見て見ぬふりも止めよう。

 「おかしいと思ってたのよ。妖怪達が起き始めるのは十二時からで、私達が仕事を終える頃になってやっと活発に動き始める。
  酔客相手に自警団まがいをするには、どう考えたって時間が合わないわ」
 「より規模の大きい物を、鬼がやってますから。住み分けですよ こっちは人手が足りませんしね」

 かねてから用意してあったような、もっともらしい答え。
向こうとて、思考が読めるのだ。天子が何処か怪しんで居る事なんて、とっくに気付いているだろう。

 「もう一つ。仕事をする時ってさ、毎回あの爺さんと私って別れてるんだけど。
  その後は結構、二人ともランダムに行動してる筈なのよね」
 「『なぜ鉢合わせたりしないのか?』ですか たかが一週間程度特に不思議でも無いと思いますけどね?」
 「えぇ、でもそれって、ご飯の時も? あの広場にあれだけの人数がひしめいているのに?
  あの人が弁当持参してる所なんて見たことが無いわよ、私」
 「時間をずらして居るのでしょう?」
 「そうかしら? でも、あの広場でパルスィが爺さんを見つけた時は丁度昼飯時だったはずよ」

 そう、天子と水橋パルスィが二度目に出会った時、昼食を取ろうと天子は大時計の有る広場に来た天子は
パルスィに捕まった翁を見かけ、話をした。その流れが無ければ、パルスィが天子の剣術特訓を知ることも無く、
天子がパルスィの想い人の招待を知ることも無かっただろう。

 「パルスィはかなりストーカー気質だから、ちょっと聞けば彼女が呪い返しで倒れる前の爺さんの行動は把握出来たわ。
  昼食を取る時間も私と大体同じ。当然ね、円形の街を同じ位回って戻ってくるんだもの。
  じゃあ何で、一週間でちっとも鉢合わせする事が無いのか……
  いえ、正確にはパルスィが捕まえてくれて居た一回だけ、私は爺さんと会う事が出来た。
  つまりこれってこう考えられるんじゃない?」

 天子は顔の横に指を一本立て、くるくると解く。
一方のさとりは無言。泥のような目で冷笑的な笑みを浮かべている。

 「私と爺さんは一度別れた後、爺さんだけが私の方へ。自然と、私の後をついてくる形になるって訳。
  これなら、私と爺さんが鉢合わせする事は絶対無いわね。なんせ、真後ろに居るんだもの。
  思えば、それっぽい気配は何回か会ったのよね。隠行が上手過ぎて全然気付かなかったけど。
  じゃあ、何でそんな事をするのか? 爺さんの趣味とは考えにくいわね、それはそれで愉快だけど」

 ずびし、と擬音のようなものを立て、天子の指がさとりを指す。

 「ズバリ、雇い主の意向……でしょ?」

 さとりは、しばらく無言であった。しばし後に、乾いた拍手音が響く。

 「推測だけでよくもまぁ、立派な物です。まだるっこしいのは嫌い……ですよね?」
 「勿論。でも、まだまだ推理は続くんだけど、聞く?」
 「いえ、結構です。大体はお察しの通りですよ」

 地底の薄暗い朝闇の中、猜疑の瞳がせせら笑う。
言わずとも知られる。華奢な少女である古明地さとりを、地底の主足らしめる第三の目。

 「天子さんに釣られて出てきた人達を、お爺さんで殲滅し、尋問。それが私の狙いでした。
  いやはや、前回は見事に間隙を縫われた訳なんですけどね。いやぁ、焦りましたよ」
 「何でわざわざそんな事させたの? 別に私でも、そんじょそこらの奴になんて負けないけど」
 「では逆に聞きますが、天子さんは逃げる敵を追いかけますか?」
 「う」

 事実、つい先程一人逃した後だけに言い訳のしようがない。
さとりは小さく溜め息を付いた。

 「天子さんは向かってくる敵には強いんですけどね、向かってこない敵には気付いてすら居ない所が有りますから」
 「うぎぎ……誰よ、向かって来ない敵って」
 「是非曲直庁」

 びしり、と。今度は、天子が指を指される番であった。

 「心当たりが無いとは言わせませんよ?」
 「……そう。そう、か。あいつら、ついに私を無視できなくなった訳ね」

 是非曲直庁。彼岸の公的組織で有り、輪廻転生を司る裁判所。勿論、仏門とも関わり深く、天界と一定のコネも有る。
天子は笑った。悪戯を成功した子供のように。百軍に立ち向かう英雄のように。傷ついた獣のように牙を剥いて、笑った。

 「そいつは良いわ、上等、上等よ……でも、それでアンタが私を使った理由になるわけじゃ無いわね。
  ……まぁ、大概の検討は付くけども。つまり」
 「あぁ、良いですよ。説明しますから」

 遮られ、天子はどかりとベッドに腰を下ろした。腕を組み攻撃的な上目遣いでさとりの様子を伺う。

 「つまり、共通の敵……その通りと言えばその通りです。細かい所は少し違いますけどね」
 「でも、アンタだって上は是非曲直庁な訳でしょ? なんでそんな事」
 「怨霊管理を委託されてるだけですからねぇ。分不相応な力を持つと五月蠅いんですよ。例えば……核融合であるとか」

 成る程。山の上の神も、随分と余計な事をしたものだ。実際、さとりにとっては完全に大きなお世話であろう。
家族と言う必要最低限な物さえ揃えれば、彼女は後は草花のように過ごしたいタチだと言うのに。

 「とは言え、向こうも一枚岩な訳じゃ有りません。特に、幻想郷担当の四季映姫様がこちらに同情的なのは大きいですね。
  彼女は白黒はっきり付けたがる人ですから、こちらに非が無い罪で裁くのは主義に反するのでしょう。
  なので、後は牽制札さえ握っておけば暫くちょっかいかけられる心配は無いと言うわけです。……暫くは、ですが」
 「その牽制札ってのが、私を襲撃した奴ら?」
 「天子さんは、彼らの正体は何だと思います?」
 「何って……是非曲直庁の息が掛かった奴らじゃないの。
  そういう意味じゃ、ひょっとしたらアンタが一枚噛んでるんじゃないかって心配してたんだけど」

 そうでなければ、これ程焦って話を進めるものか。
歯噛みする天子を尻目に、さとりは指でバッテンマークを作る。子供っぽい仕草だが、妙に似合っていた。

 「ブブー、正解は、『妖怪本来の生き方を推奨する人達』です。もっと言えば、反"覚り妖怪"派ですね」
 「……はぁっ!?」

 予想外の方向に、天子は素っ頓狂な声を上げる。

 「ちょ、ちょっと待ってよ。反覚り妖怪って、是非曲直庁に頭掴まれるのが嫌だからなんじゃないの」
 「えぇ、ですが彼らは自分たちの飼い主が是非曲直庁で有るとは気付いて居ません。
  あくまで自分達の意見に賛成する支援者であるとしか見ていませんよ。
  いえ、本当は幾人か気付いて居るのかも知れませんが、今の生活の方が大事なのかも知れませんね。
  それなりに、好き勝手やれているようですから」
 「そんな……曲がりなりにも是非曲直庁は仏門なのよ!? そんな事を、許すわけが……」
 「だから言ったでしょう。向こうも一枚岩では無いんですよ。
  四季映姫様のように高潔な人も居れば、賄賂を貰って天界についての偽物の報告を仕上げる人も居るわけです。
  私達の敵は、概ねこっちですね。

  ハブとマングースの逸話を知っていますか? 人は昔、ハブを殺させる為に天敵であるマングースを放ちました。
  けれど特にハブもマングースも思ったように争わず、結局個別に対処する羽目になってしまった。
  この場合、ハブは鬼でマングースが私ですね。お分かりになられますか?」

 天子は、ゆっくりと首を縦に振った。呆然としたその表情からは、ブツブツとした呟きが漏れている。

 「そうか……だからさとりは最初に、あんな地底の妖怪の反感を買うような事をして……
  でも、鬼が思ったように動かなくて……地霊殿も、思った以上に強力になって行って……」
 「『汚い世の中』ですか。でも、地底だってその汚い世界の一つであり、私もまた汚い大人なんですよ、天子さん。
  ここまで分かった以上もう仲良しごっこは終わりでしょう? 何処へなりともお行き下さい さようなら」
 「……っ!」
 「手の平で弄ばれるのがお嫌いなのでしょう? 汚い世の中に愛想が付きていたのでしょう?
  最初からここは貴女の居るべき場所では有りませんよ、虚飾と嘘に塗れたこんな場所は。
  とっととお帰りやがって下さい 明日からその生意気な面見なくて済むと思うとせいせいします」

 カッ、と、目の前が白く染まる。
その感情の正体を知る前に、天子は一歩踏み込んでいた。



 「馬ッ……鹿にすんなッ!!」



 パァンと、甲高い音が響く。
平手を受け、朱に染まった頬をさとりが抑えた。その目は諦めの光に満ち、墨のような黒に塗りつぶされている。

 「……気は済みましたか」

 天子は答えぬまま、さとりの胸ぐらを掴み上げた。
不愉快げに結ばれたさとりの唇から、少しだけ苦しげな吐息が漏れ出る。

 「心」
 「はい?」
 「ちゃんと私の心読んでほざいてんのかって聞いてんのよ、その巫山戯た台詞は」
 「読むまでも無いでしょう。私は何時だってそうやって……」
 「だから、それを馬鹿にしてるって言ってるんだッ!」

 ベチン!

 反対側の頬に裏手を受け、さとりの頬がさらに赤く染まる。

 「に、二度も」
 「ぶつわよ。ええ、私を虚仮にした奴は例外なくぶん殴る。さっきそう決めたわ」
 「理不尽な」
 「それと同じ事やってるのがアンタでしょうが!」

 天子が両手を突き出し、ベッドに尻餅をつく形でさとりが突き飛ばされた。

 「その辺の奴らと私を同じに見て、何よあの態度!
  どうせ、ちゃんと読んで無いんでしょう? 嫌われているって確かめるのが怖くて! このチキン野郎!」
 「そんな事は!」
 「なら、読んで見なさいよ! 逃げも隠れもしないわよ! 今! ここで!」

 上から覆いかぶさり、額と額をぶつけ天子は叫ぶ。
見ようによっては危険な体勢になっている事に気付き、さとりの頬が少し赤くなった。

 「大体アンタ、嘘が下手なのよ」
 「え」
 「焦りか罪悪感か知らないけどさ、口調が二割位早くなってて、句読点も無いし。早く済ませたいってのがバレバレ。
  自分が何処で嘘ついてたか、教えてやろうか?」
 「……」

 そのまま、三分か、五分か。いや、実際には数瞬だったであろう。
さとりはまぶたに触れるほど近い、天子の瞳を見た。澄んだ空の色を、暫くの間見つめていた。

 「誰かの手の平の上で転がされるのが嫌いと、あんなに言っていたでは無いですか」
 「ええ、今でも大嫌いよ。私を転がすのは私様の手だけで十分だわ」
 「じゃあ」
 「でもね、友達の助けに成りたいって思うのだって当然じゃないの。
  ましてや、捻くれた、周りに素直に助けを求められない奴だって言うなら尚更よ」
 「……っ」
 「ちゃんと相談して欲しかった! なあなあで働かされるのでは無く!
  そうすれば私は喜んで協力してやったわ。私の手で、私の意思で、私を動かすんだもの」

 すっ、と天子は身を起こす。さとりはぼんやりと、額から熱が引いていく感触を確かめた。

 「私、成りたいもの決めた」
 「え……?」
 「地底はコレだし、地上もアレだし、天界なんかもっと駄目。彼岸もこの分じゃ怪しいわ。
  だから、私は新しいヒーローになる。ロックなヒーローよ。格好良いじゃない、どれだけ馬鹿げて聞こえようとね。
  アンタみたいな……私みたいな捻くれ物が、素直に助けを求められるような。そういうヒーローに成りたい」

 緋想の剣を握り、ピンとした背筋で、天子はそう宣言する。
さとりはそれに対し、何らかを言おうとして……その時、けたたましく地霊殿の正面扉が打ち鳴らされた。


 ◆


 「天子! 比那名居天子、居るんでしょう!?」
 「ちょい、ちょいと。お姉さん。困るよ、こんな夜更けにさぁ」

 お燐が辟易とした顔で静止をかける。唯でさえ、寝ている所を叩き起こされた上でこの怒鳴り声。
相手は翡翠の目を爛々と光らせ、金の髪を振りしだき、まさに鬼女と言った有様であった。
只事じゃ無い事だけは伝わってくるが、肝心要の事はさっぱり要領を得ない。
下手に追い返そうとして刺激するわけにも行かず、お燐としてはただ溜め息をつくしか無い。

 「せめて、何があったのか位は言ってくれんのかね。あたいとしても、何とも取りなし様がない」
 「何があったかですって!? 私だってそれを知りたいのよ、妬ましい!」

 この調子だ。お燐は肩を竦め、周囲を見渡す。当たり前だが、助けになりそうな物は……

 「パルスィ? どうしたの、こんな時間に」

 居た。比那名居天子ご本人様、それも暫く付けて居なかった帽子や虹をあしらい、正しくと言った風貌。
はなはだ不本意ではあるが、お燐の瞳に心なしか天子が輝いて映る。

 「あぁ天子、アンタにお客さんだ」
 「それは聞いてるけどさ」

 天子は頷くと、パルスィの目の前に立ち、手をとった。

 「ほら、ちょっと落ち着いてよ。只事じゃないのは分かったから、それじゃまともに伝わらないわ」
 「分かってるわよ……! あぁ、その落ち着き払った態度! 嫌になるわ、嫉妬で狂いそう!」
 「あぁもう」

 パルスィの目は溢れんばかりに眩く輝き、ボロボロと大粒の涙もこぼれ、精神状態が尋常では無い事を示している。
ひょっとしたら、自らの嫉妬を制御しきれずに負の連鎖に陥っているのかも知れない、と天子は直感した。

 「恨まないでよ」

 腰に下げた緋想の剣を、出力を弱めにして解き放ち、軽く切る。
張り詰めた袋から水を抜くように、緋色の霧が溢れ出した。パルスィの身体がガクリと力なく垂れ下がる。

 「お燐、お冷取ってきてくれるかしら」
 「あいよ、その位ならお安いご用だ」

 そう深く傷つけた訳では無い。事実、一分もしない内にパルスィは目を開くと、支えていた天子の身体を押しのけた。
お燐に取ってきてもらった水を飲ませ、天子は眼の色を見る。深く輝く碧色では有るが、制御できる内だろう。

 「何が有ったの。並じゃないわよ、その様子」
 「……タロとジロが家に居ないのよ。ヤマメと遅くまで飲むつもりだったから、先に帰らせてたんだけど……」
 「タロが? そりゃ、この夜中だし何か有ったらとは思うけど」
 「何か有ったのよ! じゃなきゃあの子が一人で何処かに行くわけなんて無い!」
 「ど、どうしてそう思うの。素直で良い子だとは思うけど、子供でしょ。不意に盗んだバイクで走り出したくなる事だって」
 「無いのよ! だって、だってあの子は……」

 パルスィはなるべく平静になるよう努め、深く息を吸った。
一刻一秒も惜しい事態だと言うのに、嫉妬に押しつぶされそうになる自分を恨めしく思いながら。

 「生まれつき、視力が悪いの。手を引いて上げなければ知らない場所も歩けない位に!
  そんなあの子が、一人で何処かに行くわけが無いわ!」
 「……視力が? でも、そんなそぶり……いえ、有ったわね」

 思い返せば、彼女が一人で出歩く所を見たことがない。何時もパルスィやジロと一緒に行動していた。
良く鼻を動かしていたのは、匂いで人の位置を判別するためか。

 「でもあの子天狗でしょ? それも、白狼の」
 「そうよ、だから捨てられた。目の視えない白狼なんて、って事でしょうね。地上の奴らなんて何時もそう。
  そうやって要らない物を捨てていくから嫉妬なんて物にに食い殺される事になるのに! 唖々、でも妬ましいのは私も同じよ!
  ジロも居れば、知らない所に行くのは無理でも家に帰る事は出来る……そんな風に構えていた過去の自分を呪ってやりたいわ」
 「ヤマメには? もう言って有るの?」
 「一応……でも、狭いとは言え街一つよ……? 私、知り合いも少ないし……もう、どうしたら良いのか……」

 パルスィが叫んだかと思うと、次の瞬間には泣きじゃくっている。非常にヒステリックで不安定な状態だ。
天子は水差しから水を注ぎ、パルスィに飲ませ、語りかける。

 「泣かないで。大丈夫、大丈夫だから。私が居るのよ?」
 「……」
 「やっぱり母娘なのね、あなた達。あなたは否定するけどさ」
 「……そんな事、ないわ……そうだったならもっと、ちゃんと……」
 「やってみせる。私、ヒーローになるって決めたのよ。ほんのついさっきだけど。だったら、子供の一人位救えなきゃね」

 天子はちらりと後方に目配せした。橋姫を刺激しない為だろうか、柱の陰からさとりが覗いている。
それに大きく頷くと、天子は飛翔を開始した。高く! もっと高くへ!

 「『揺さぶれ、転がせ』」

 何時だったか、紅い館に住む吸血鬼が言っていた言葉が有る。
曰く、「運命は仲間を引き連れてやってくる」。ならばこの事件も、昨日の朝から続く流れに連なっているのでは無いだろうか。
心当たりは有る。つい先程まで、さとりと話していたばかりなのだから。

 「そういうやり方、癪に障るのよ!」

 天子の跳躍は、数瞬の内に青天井の近くまで天子を持ってきていた。
天子は天地逆転のまま天井に着地すると、空間を一撫でし無数の小さな要石を作り出す。

 「地震『避難険路』」

 そして、ブラウスの胸ポケットからスペルカードを取り出し、高らかに宣言し。
天井を蹴り、ダンクシュートを決めるように要石へ司令を下した。

 「行きなさい!」

 総領娘の号令を受け、要の飛礫が街へと叩き付けられてゆく。勿論、これはなりふり構わぬ無差別攻撃等ではない。
落ちた飛礫は地に埋まり、微かな地の振動も余さず天子へと伝える。そう、例え足音で有っても!

 ――とは言え、流石妖怪の街。こんな夜中でも出歩いている奴が結構居るわね……

 天子は精神を集中しながら、チリチリと要石から伝えられる振動に耳を傾けた。
瞼の裏にポツポツと光点が現れ、思い思いに動き出す。ここからタロを直接探せるか?
天子は子供大の体重により注意を払う。しかし、拘束されているなら足音がするわけが無い事に気付き、すぐにそれを止めた。

 ――誰を探す? 何を? 考えろ、比那名居天子……

 その時、天子の瞼裏に一際点滅の早い光点が瞬いた。点滅が早いとは即ち、振動が早いと言う事。急いでいる?
いや、人間型の者が走る時と言うのは足を強く蹴り出す為、案外歩数は変わらない物だ。ならば何故。……四足歩行?

 「ジロ……?」

 思えば、天子は地底の街で野良の動物と言うものを見た事がなかった。
おそらく、治安が悪かった時期とやらに食物として喰われてしまうか、そうでなければ地霊殿の保護下に入ったのだろう。
そして、人化のレベルに達しないペットが地霊殿から出てくることは無い。
パルスィの話によれば、ジロはタロと共に居たはず。それがこうして一人で動いているのであれば。

 指の腹でざりざりと緋想の剣の感触を確かめると、天子は天を蹴り、再び一直線に落下する。目指すは一際逸る光点である。
瞬く間に瓦屋根が近くなり、天子は路地を駆け抜ける白犬に陰を被せた。

 アォーン!

 ふと暗くなった事でこちらに気づいたのだろう。
ジロもまた、天を仰ぎ一吠えすると、先導するように来た道を元に走り出す。

 「ついて来いって事ね?」

 砂埃を巻き上げながら、天子は嘗て無い高揚感を感じていた。有るべきものに満ち満ちている感覚。
月が満月になるような、砂時計の中を砂粒が落ちていくような。正しい事に向かっていく高揚感が、確かに天子には有った。
天界。是非曲直庁。タロの安否。考えるべき事は多い。が、今は何の心配もないのだ。この感覚が有れば。

 「見てるがいいわ。仏陀、大村守、あまねく天よ……私はやる、やってみせる……
  揺らしてやる! 転がしてやる! 分からせてやる! 何もかも、何もかもをよ!」


 ◆◆ ◆◆


  4:今にも落ちてきそうな大地の底で

 街外れに立つ土蔵。そこでは僅かばかりの灯りが窓から漏れだし、その中では男達が数人ずつ卓を囲みたむろしていた。
中でも、中心に座る3人が異彩を放つ。まだら色の肌をしたぶよぶよした男、室内だと言うのに編笠と鉄の蓑を被った男。
そして、腕に包帯を巻いたのっぺりとしたのっぽの大男である。

 「上手く行くのかよォ、こんなんで」
包帯の上から腕をさすりつつ、不安げにのっぽが呟いた。
盤上に目をやっていた他の二人が、一斉に振り向く。

 「知らねぇよ。けどまぁ、上手く行くんだろ。上手く行かなかったこと、ねぇだろ?」
 「カッ! それより、オメェもちゃんと盤見といてくれや。こいつら勝手に盗塁しやがる」
 「オメーらは気楽でいいけど、あの女べらぼうに頑丈だぜ。大体よォ、何だこの将棋。どういうルールだ」
 「アドバンスド将棋だとよ、河童がオマケとか言って寄越したらしい」
 「相手の陣地で成り上がった後、ホームに戻ってくると一点なんだよ……カァッ! そこの香車! 4-六-3、角だ!」

 駒の底面に装着された無限機動が作動し、相手の陣地に向かって全自動で香車が走り抜けようとした。
盤上を睨んで居た編笠の男がすかさず角を目前に叩きつけ、返しに手元の歩を香車を挟み込むように打つ。
あえなく香車は前後を挟まれ、くるりと黒組から白組ヘ寝返ると先ほどまでの主人で有った王将に先端を向けた。

 「ちぃ! 併殺か」
 「ケェッ、ケェッ、どうする? ツーアウトだぜ、毒蟾蜍(せんじょ)」
 「……やっぱよォー、俺は色々おかしいと思うんだけどよ、これ」

 目まぐるしく変わる盤上に、のっぽの男は怪訝な顔をすると、ふと高い位置に存在する採光窓を見上げた。

 「どうした、煙羅煙羅?」
 「いや、今なんか人が居たような」
 「蝙蝠でも見間違えたんじゃねーの?」
 「それか怨霊だな、地獄の怨霊」
 「カカッ! そりゃいいや。おお怖え怖え、怖すぎてよだれが出るぜ!」

 魑魅魍魎が蔓延る地底、宙に浮く謎は釣瓶落としの紐位とは良く言われたものだ。
仮に怨霊だとしても、喰ってやれば良い。編笠の男からは、そういう類の自信が見られる。

 「それよりお前、見たんだろ。どうだった? 写真通りマブかったか」
 「おぉ、マブいマブい。気の強そうな所がまたそそるわな。まぁ、ちっと乳は足りてねぇけどよォ」
 「あの顔がありゃ、些細なモンだろ。俺としちゃもうちょいタッパが欲しいがね」
 「あんだ鉄鴉ゥ、愛しのお空ちゃんはもういいのかよ」
 「カァーッ! どうでも良いってのあんなあーぱー阿婆擦れ! 言っとくけどよ、俺はもうちょいだったんだ!
  八咫鴉だか八坂だか言う神が茶々入れなきゃ、俺は今頃よ……!」
 「良く言うぜ、覚り妖怪にビビってた癖に」
 「んだと!」

 煙羅煙羅が指摘すると鉄鴉と呼ばれた男が激昂し、編笠の端から黒光りする嘴が覗いた。
ぐい呑みに注がれた酒を飲みながら、毒蟾蜍がぶよぶよの腹を掻く。

 「オレぁ尻に肉が付いてればなんだって良いけどよ。そういう意味じゃお空ちゃんよりヤマメちゃんだなぁ。
  あの腹をこう、後ろから抱きしめながら交尾してぇ」
 「手前は顔を見ねえから誰だって良いんだろうが。ケッ、両生類野郎は黙ってな!」
 「おいおい、お前らいい加減に……」

 今にも毒蟾蜍の胸ぐらを掴み出しそうな鴉を、煙羅煙羅が呆れ半分に静止する。
と、再び煙羅が採光窓を見上げた。勢いを失った鴉は、怪訝な顔を向ける。

 「んだよ?」
 「いや、やっぱり誰か居る気がしてよォ」
 「またかぁ? 気になるなら見てくれば良いじゃねぇか」
 「いいよ、別に。面倒クセエし」
 「なんだオメェ、怖いのか? 何ならオレが見てきてやろうか。ビビリ君よ」
 「カカッ、良く言いやがるぜ。デブの手前であの窓まで届くのかぁ? え? 無理しなくていいぜ。
  手前よりよっぽど身軽な俺が見てきてやるからよ」
 「すっ込んでろよ、とび跳ねるならオメェよりよっぽど早いっつの」
 「アアン? 俺が行くっつってんだろ、手前がすっ込んでろよ」
 「いや、良いよ、俺が行くからよォ」
 「「おう、どうぞどうぞ」」
 「……」

 何処か釈然としない風ながら、煙羅煙羅は立ち上がり窓へと近づく。
男の足元はいつの間にかゆらゆらと揺れる煙に変わり、のっぽの身長を見る間に立ち上げていった。

 「ったく……なんだってんだ、こんな時間に……」

 ぶつぶつと呟きながら窓を覗きこむと、上下逆さまの女が同じようにこちらを覗き込んでいた。
目と目が合う瞬間、少女がにんまりと笑う。

 「なっ、おまぶげぁ」

 驚く声を上げる暇も無く、次の瞬間には頭大の岩が窓を突き破り煙羅の額にめり込んだ。
その衝撃で足元は文字通り霧散し、七尺の身体が部屋の中央に向け落下していく。

 「何だぁ!?」

 部屋内の注目が天井近くから落下していく男に集まった時、既に女は慣性をつけながら部屋に飛び込んで居た。
煙羅煙羅の身体を隠れ蓑にし、捻りを加えながらの縦回転で縦横無尽に岩弾をばらまいていく。
二十人は居たで有ろう男たちが、「ぐげ」や「あばぁ」等の奇声を上げながら頭に岩をぶつけられ昏倒した。
鉄鴉はとっさに飛び上がり被害を防いだが、毒蟾蜍には流れ弾が幾つかめり込んでいる。

 「バァーハァーッ!」

 しかし、全身に力を入れるとゴムのように伸びた皮が引っ張られ、めり込んだ岩弾も滅多矢鱈に飛散。
男はぶよぶよの腹を音を出して叩くと、無傷の己をアピールした。

 「オレに物質弾が効くかぁ!」
 「そりゃ悪かったわね。なんか光系っぽい剣ならここに有るんだけど」

 気絶した奴から、緋色をした何かが襲撃者の持つ不可思議な剣へ、繭から糸を紡ぐようにして集まっていく。
成る程、あれが話に聞いていた緋想の剣か、と毒蟾蜍は心の中で唾を飲んだ。人の気質を切り弱点を貫く天界兵器。

 「ありゃやべぇな」
 「バラバラに引き裂いてやるわ!」

 青い髪をたなびかせ、一度の踏み込みで数尺間合いを詰めて来る。
果たして徒手空拳で戦えるのか? 毒蟾蜍のその迷いが、一瞬だけ存在した退路を完全に潰す。


 「ケェーッ!!」


 一対一の戦いならば、ここで緋想の剣による流し切りが完全に入っていただろう。
これをインタラプトしたのは、上空から急速降下してきた鉄鴉であった。
少女は歯噛みし、バックステップでこれを躱すと鋼鉄で出来た足爪と打ち合う。
その脚は完全に鳥類のそれであり、鉄の蓑だと思われていた物は翼であった。

 「カーカカ、ノロマだぜ蛙野郎」
 「そりゃ、悪かったぁ。ったくよう、こちらから動くのは朝って話じゃ無かったか」
 「待ちきれないから飛んで来てやったわよ。舞踏会の会場はここで良いのかしらね?」
 「なんとも刺激的なシンデレラだな、おい」

 帽子の鍔をクイと引き上げる。この時、初めて毒蟾蜍は襲撃者の顔をはっきりと見た。
天女すら霞みそうな程の整った双眸。写真で見た通りの青く流れる髪。成る程、こいつが天人か。
少女は纏わり付く緋色の霧をその剣に吸着させると、高らかに名乗りを上げる。

 「どーも、万国ビックリ三下妖怪共。私が比那名居天子だ!」


 ◆


 「バハァーッ!」

 毒蟾蜍はその巨体に似つかわぬ機敏さで天井近くまで飛び上がると、天子に向かって一直線に落ちていく。

 「そんなノロマな攻撃!」

 天子は気質レーザーでこれを撃ち落とそうと、緋想の剣に意識を集中させる。
しかしハゲタカのように空中を旋回していた鉄鴉がこれをインタラプト。鋭い滑空で襲いかかった。

 「カァーッ!」
 「ああ、もう、うざったい鳥ね……」

 レーザーを編み出すのをキャンセルし、天子は横っ飛びで身を躱す。
お返しに要石を打ち込む物の、鉄の翼によるガードに弾かれてダメージを与えられたとは言えない。

 「ケケェーッ、ぬるい攻撃だぜ」鴉があざ笑う。

 実際問題、物理的衝撃がダメージにならない毒蟾蜍とスピードの早い鉄鴉のコンビネーションは厄介であった。
溜めの大きいレーザーでは思うように毒蟾蜍に当てられず、弾速の遅い要石は鉄鴉にクリーンヒットするに至らない。

 ――ぐずぐずしていられないのに!

 ぎちり、と天子は歯噛みした。こうしている内に、タロがどんな目に合わされているかも分からない。
それに妖怪は頑丈だ。要石で気を失っている奴らが起きてこないとも限らない以上、早期決着せねば形勢は不利になっていく。

 「カァーカカカ! 地霊殿とか言う奴らが来る前はよ、俺が一番だったんだ!
  俺が一番大きく、速く、そして強かった!
  お空の奴だって俺の雌に成る筈だった所を、余計な事しやがってよぉー!」
 「はっ、そういうアンタは随分と分かり易い雄ね! そんなんじゃ愛想つかされたでしょ?」
 「うっせぇ! 引きずり出してやるぜ、天人のモツでソーセージだッ!」

 一際大きく跳び下がると、鉄鴉は壁に留まり力を貯める。何か仕掛けてくるつもりだろうと、天子は剣を構える。

 ――こんな雑魚位スペカ無しでノしてやりたかったけど!

 しかし、梃子摺ればその分タロが怖い目に合うのだ。天子は己のプライドと少女の身を天秤に賭け、少女を取った。
胸ポケットからカードを一枚抜き取る。相手が何か仕掛けてくるつもりなら、このカードが一番確実な物。
宣言動作を見て取ったのか、毒蟾蜍があからさまに警戒した形を取る。

 「おい、気を付けろよ、スペルカードだぞありゃ」
 「カァーッ! それがどうしたァ!
  所詮女子供のお遊び札よ! 壁にでも貼り付けてるのがお似合いだぜッ!」

 二、三の攻防であからさまに天子を侮った鉄鴉は、こちらも必殺の一撃を繰り出すべく壁を蹴る脚に力を入れた。
鋼鉄の爪と脚力による高速ストンピング。それが鉄鴉の十八番である。

 「喰らいなぁ、鈍色の脚スペシャールッ!!」

 鉄鴉が飛び込んでいく。見ろよ、このラッパ銃のような見事な蹴りの乱舞を! 鉄鴉は鼻高く笑う。
妖怪の脚力から繰り出される高速飛び蹴りは、ガードごと相手を削り取っていく。もう逃げらんねぇ。自然と笑みが浮かぶ。
天人の小娘はカードから何らかの力を開封した。なんにせよ遅い。このままミンチ!

 「天符」

 天子は焦る事無く、緋想の剣に"点火"した。爆発的に膨れ上がった気質が、天子、いや剣自体に上昇力と突進力を付与する。
運動エネルギーの塊となった緋想の剣を、天子はまだ十全に使いこなしているとは言い難い。
だが、加速度に任せて突撃するだけならば、それでも十分。蹴脚と鋼爪の雨に向かい、臆せず飛び込んでいく。
鉄鴉が岩盤も撃ちぬくと鉄鴉が自負するそれを、天子はガキリと肌で弾いた。

 「何だそりゃあッ!?」

 たまらず鉄鴉が悲鳴を上げる。しかし、元から硬い天人の皮膚を余剰出力で存分に強化しているのだから当然と言えば当然。
猛烈な勢いで衝突した爪が、ひび割れ砕け散る。その合間を、緋想の光が抜き貫いていった。


 「『天道是非の剣』ッ!!」


 天子の握る剣は、そのまま、吸い込まれるように腹部へ。超高圧の緋色が鉄鴉を貫く。
"女子供のお遊び"ではけして感じる事のない、手に伝わるブチュっとした感触。一瞬、天子は恐ろしくなり、強く目をつぶった。

 「ガ……カ……」

 鉄鴉は腹部から無理矢理息を絞り出され、嘴を突き出したまま壁に叩き付けられる。

 「次ッ!」

 空中で振り返り、天子は毒蟾蜍の姿を探す。
その毒蟾蜍は床に四つん這いで寝そべり、蛙のように喉をふくらませていた。

 「突進攻撃の後は、隙だらけなのが定石よォ!」

 急ブレーキをかけ、一瞬動きが止まった天子に対し、毒蟾蜍が赤紫の舌を伸ばす。
ムチのようにしなった舌は、加速を失ったばかりの天子の足首に絡みつく。

 「しまった!?」
 「もらったぜ! 天人の一本釣り!」

 舌を足首に巻き付けたまま、毒蟾蜍は後方へ大きく身体を振る。天子はそれに引っ張られ、円弧のように身体を振り回された。

 「いたっ! うぐっ……!」

 梁を擦り、蝋燭立てを幾つかぶちまけ、椅子や卓へと叩き付けられる。
肘を強く打ち付けたせいか、天子の手から緋想の剣がスッポ抜け、カラカラと机や窓の破片が散らばる床を転がっていった。

 「やば……」
 「バァーハァ! そいつが無くなればお前ごとき怖くねぇ、天人の頑丈さってのを確かめさせてやるぜ!」

 足首を舌で巻き付かれたまま、縦横無尽に振り回される天子。
壁に、床に、閉所と言うことも有り、四方八方から打ち据えられる。

 「ホラホラどうした! 抵抗しねぇのかぁ!?」

 天子は両腕で頭をガードしながら、黙して耐え続ける。「こうなりゃ根気比べだな」と毒蟾蜍は小さく呟いた。

 「頑丈さだけは褒めてやる! が、このまま肉を柔らかくして丸呑みだ! 毒付けにしてやるぜェー!」

 三度壁に打ち付けてやろうと、毒蟾蜍は身体を捻り舌を振り回そうとする。
が、ピンと伸びきった舌はどれだけ力を込めようと釘で打ち付けられたように動かず、千切れんばかりの痛みを伝えるのみ。

 「あン?」

 たまらず後ろを振り返る。毒蟾蜍の4倍は有ろうかと言う大岩を、天子は軽々とその手で持ち上げていた。

 「は、はぁ?」
 「来ると分かってりゃ、攻撃を受けながらでも此れ位練れるのよね……。
  アンタ、物質弾は跳ね返すから効かないんだっけ? ちょっと、試してみよっか」
 「ふ、ふざけんな、そんなモン……」

 ニマリ、と無邪気な子供のように天子が微笑む。すぐにそれは、悪魔のような笑顔に変わった。

 「問答無用! 『天地プレス』ッ!」
 「ちょっ待っ、バハァーッ!?」

 天子から投げ放たれる剛球は、毒蟾蜍と既に壊れた机や壁を巻き込み、纏めて瓦礫と化した。
天子の足首に絡み付いて居た舌がだらんと力なく垂れ下がる。

 「……これで粗方目ぼしい奴はノしたかな。さて、タロは何処に……あ、緋想の剣もどっか行ったんだっけ……」
 
 パンパンと手をはたき、天子は周囲を見回す。
残りは大方、取るにも足らない雑魚と言っていいだろう。大した覚悟も無く、悪ぶって力の傘下に入っただけの者たち。
まぁ、タロの行方を知っているようならこいつらに吐かせればいい。
タロがこの部屋に居る様子は無かったから安心して暴れまわっていた訳だが、さていったい何処に……



 「あんだぁ? 静かになったと思ったら、あいつらもうやられちまってたのかィ」



 ぞわり、と寒気がした。

 天界では感じた事の無い、いや、八雲紫を知るまで覚えたことのなかった感覚。
純粋に冷たい殺気の塊であったあの時とは違い、何処か生温く、それでいて血生臭い"悪"の気配。
のしり、と音を立て、奥の部屋からそれは出て来た。

 一つの腕で酒瓶を掴み。
 一つの腕で骨が付き出した麻袋を握り。
 一つの腕でそこから取り出した骨をボリボリと喰らい。
 二つの腕にそれぞれ刀を取り。
 そして、一つの腕にタロの小柄な身体を、乱暴に抱え上げていた。

 気絶しているのだろうか。タロはぐったりと眼を閉じ、頬の所々には涙の後が見える。
恐怖のためか、時折身体をビクリと震わせるのを見て、天子は痛ましい気持ちになった。

 牛を連想させる醜悪な顔に二本角。西洋の凶悪な化け物と聞く、ミノタウロスのような筋骨隆々とした十尺程の身体。
更に、蜘蛛を連想させる八本腕。妖怪への知識はそれなり程度の天子でも想像が付く、妖怪としてはメジャー所か。

 ――牛鬼。まさか鬼が出てくるとはね。

 鬼は星熊勇儀によって統制されていると聞いていたが、やはり一枚岩では無かったのだろう。
自然と喉に貯まる唾を、天子は恐れと一緒にゴクリと飲み込む。何が鬼だ、弾幕勝負なら、私だって伊吹萃香と同等だ。
そう己を鼓舞し……手が空を切る。

 ――しまった、緋想の剣、さっき落としたんだ。

 意図せぬ形で手放した事で燐光の刃は仕舞われ、今やその柄は無数の瓦礫の中に紛れて居る。
探せるか? 天子は逡巡した。何より、この妖怪がそれを許すだろうか。

 「つまんねぇ真似すんじゃねぇぞぉ」

 牛鬼は低い声で威圧する。

 「特に逆さのアレ、アレな。苛つくからよぉ、この子犬がどうなっても知らねぇぜ」

 言外に、あるいはそれでもいいと愉悦が滲むその声には、この妖怪の残虐さと悪辣さが垣間見え。

 ――手元に有る札で勝負するしか無いわね。

 天子は腰に吊り下げていた刀を抜き、構える。何の変哲も無い、河童が削り出しただけの刀。
天界の宝で有り兵器でも有る緋想の剣と比べれば、何とも頼りない。

 「俺ァよう、別に戦うのが好きでも無ければ、勝つのが好きでもねぇんだよな。
  喰うのが好きなんだ。特に、噛み砕いてやるのは最高だぁな」

 牛鬼はガリゴリと、手元の袋から骨を取り出し、食らう。何の骨だろうか。鳥や魚には、とてもじゃないが思えない。

 ――人質を取られてる以上、一回引いたたほうが良いんじゃないの?

 己の中の、冷静な臆病者がそう告げる。

 「だからなんだってのよ」

 天子は自分の頭の中で、自身に渾身の右ストレートを決めた。

 ――無策と勇気は違うのに。

 ああ、こんな時にも何処か遠くでクスクスと笑っている、冷薄な自分。クソ喰らえだ。

 「緋想の剣も失くして、おめおめと逃げろって? ロックじゃない、全ッ然ロックじゃないわ」
 「なんだぁ? さっきからブツブツと」

 牛鬼が顔を歪める。あまり不愉快にさせるとタロがどうなるか分からない、と、天子は刀を強く握り直した。

 「お前さんはよう、旨そうな上に別嬪だ。胸はねぇが、たっぷり愉しんでから喰いてぇなぁ。
  こん犬も旨そうだが、まぁ、お前さんを喰うためなら仕方ねぇ。俺ァ釣りだって出来んだ。そうだろう?」

 牛鬼は下卑た笑みを浮かべ、タロにその大きくべとべととした舌を這わせる。
意識が曖昧ながらも「い、や」とタロが身動ぎし、小さく声を上げるのを天子は聞いた。その瞳が怒りに滲む。

 「タロに何したの!」
 「何もさぁ。何かさせてやろうかと思っとったが、臭いだけでコロリと気絶しおった。
  やっぱ、鼻の良すぎるワンコロはやり辛いな。お前さんが味見させてくれるなら、こん犬離してやっても良いぞ」
 「冗談じゃないわ。さっきから胸無い胸無い言いやがって。私は比那名居天子だっての!」
 「おう、おう、知ってるよォ。お前を捕まえろって言われてる。
  けどまぁ、手足の一、二本位良いだろう? 役得って奴だぁな」
 「そんだけ腕が有ったら邪魔でしょう? アンタこそスッキリして行きなさいよ。
  その手足そぎ落として、厠にでも突っ込んで犬神家ごっこさせてやるわ!」

 天子は駆け出した。まずは腕をたたっ切り、それでタロを救い出す!
裂帛の気合を込めて振り下ろした刀に向かい、牛鬼は無造作に拳を繰り出す。……タロを握る拳を!

 「な!? ……がはっ!」

 すんでの所で危うく天子は刀を止める。が、結果何とも撃ち合わなかった拳はそのまま天子を弾き飛ばした。
その分の衝撃は、拳の中に握られるタロにもしっかりと伝わり、拳の中で苦しそうな息を吐く。
クレーター状にひび割れた壁の破片を払いながら、天子はなんとか立ち上がった。

 「こ、の野郎……」

 一発もらっただけだと言うのに、この天人の身体がギシギシと痛む。
あの電車の直撃に匹敵する、いや、それ以上のパワーが鬼の拳には込められている事が知れる。
怪力乱神と呼ばれる星熊勇儀にこそ叶わないにしろ、純粋な腕力では地底でもかなり上位に入るのでは無いだろうか。

 ――仮に、緋想の剣が有ったとしても……勝てるの、私?

 「キヒッ、キヒッ。あんだぁ、お前さん随分頑丈だな。それで? 次は何処切るね?
  何処でも良いぞぉ、女の身体は柔らかいからなあぁ。好きなトコ切らせてやる」

 牛鬼はタロを握る拳を前に突き出し、ゆらゆらとしたファイティングポーズを取る。

 「妖怪は誇りを大事にするんじゃ無かった訳?」
 「言ったろう? 俺ァ勝つよりも喰う方が好きだって……人が食えるんなら何だって良いわなぁ?」

 天子は歯ぎしりをしながら、刀を構えようとした。足首がズキリと痛み、一瞬顔をしかめる。

 「痛ッ……」
 「あんだ、お前さん、もうガマの毒にやられとったのかぃ。なら話は早えかもなァ」

 ふと見れば、毒蟾蜍の舌に掴まれた部分がいつの間にかミミズ腫れのように腫れていた。
かぶれたかのような痛みこそ有るが、気にしない事も出来ない事は無い。

 「毒?」天子は鼻で笑おうとした。「そんなもの、効くわけが」
 「ガマの毒はなァ、キヒッ、人に幻を見せる。一度やっちまったからなぁ。お前さん、もう刀を振れんよ」
 「何を」
 「やって見りゃあ分かる。ホレ、切るのかい、切らんのかい。キヒッキヒッキヒッ」

 牛鬼が嗤う。さぁ切り落として見ろと言わんばかりに、その腕を伸ばして。
天子はその挑発に乗ってやるつもりで、再び刀を大上段に構え駆け出しそうとした。
ぐるりと手の中のタロが刀の軌跡に合わせて回転し、天子はその左側頭部を切り落とした。

 ぶちゅり。

その絹のような肌をあっさりと引き裂き、腱と脂をプチプチと断ち、骨にゴキリと噛み合えば、そこから潰れた果実のように血が吹き出してくる。手から心臓へ、理性では無く本能に訴えかける殺しの感触。


 「ー―――√\_/ ̄ッ!!」

 怖気だつ痺れが全身を包み、天子は荒く息を吐きながら三度瞬く。
駆け出しては? いない。刀に血もついていない。タロも牛鬼の拳の中で苦しげに呻いている。
今のはいったい何だ? 何時もの冷静な私からの忠告か? それにしては、あまりにリアルな幻視。
天子は煙羅煙羅の手首を切り落とした時を想起する。血と脂を切り落とした、あの顔をしかめる感じ。

 ――これが毒だっての……?

 相変わらず、牛鬼は気味悪く嗤っている。
天子はその手首を、掬い上げるように切り落とすため駆け出そうとした。
牛鬼はこれを手の平で押さえつけ、間に居たタロの胴体が両断された。

 ぶちゅり。

 天子は牙突の構えで牛鬼の手首を貫こうと駆け出そうとした。
手元が狂い、タロの心の臓を刃はあっさりと貫いた。

 ぶちゅり。

 天子はひとまず牽制のため、要石を牛鬼に向かって投げつけ駆け出そうとした。
牛鬼はこれを握った物で払い落とし、タロの頭蓋は西瓜のように潰れた。
 ぶちゅり。

 駆け出そうとした。
 ぶちゅり。

 助け出そうとした。
 ぶちゅり。

 救い出そうとした。
 ぶちゅり。

 ぶちゅり。
 ぶちゅり。
 ぶちゅり。
 肉が、肉が潰れる。天子の視界の中で、何千何百と。

 「イ、ヤ……ぁ……」

 天子の思考回路が、ネガティブな部分だけを加速しまざまざと見せつける。
身体が震える。どうやってもタロを助けられないのでは無いかと言う根拠無き空想が、足首から鎖となって天子を縛り付けた。
構えていた筈の刀は、何時の間にか力なく垂れ下がり、地を擦り。

 「キ、ヒ、ヒ、ハ、ハ、ハ……お前さん、元々自信なんぞ無いタイプだな。
  完璧な仮面を作り上げて、それを被る事でどうにかこうにか暮らしてるタチだろう」

 のしり、と牛鬼が歩を進めた。天子の眼に怯えの色がビクリと混じる。勇壮に敵へ向かっていたはずの足が、震え出す。

 ――何を、やってるのよ、私はッ!

 刀が重い。脚が石になったかのように動かない。それでも、それでも顔だけは前を向き続ける。

 「キヒャ、キヒャ、そういう奴にガマの毒は良く効くぜ? そこで潰れてんのが毒蟾蜍か?
  よくやってくれたじゃねぇか、なぁ」

 一歩一歩、笑いながら牛鬼が進む。


 「天子、さん……?」


 天子が大声を上げたからだろうか。うっすらとタロの目が開き、弱々しく声が漏れた。

 「そこに、居るんですか……?」
 「タロ……!」

 焦点の定まらぬ瞳を彷徨わせ、力なく問いかけるタロ。天子は震える身体を意地で押さえつけ、声をかける。

 「大、丈夫よ……今助けるからッ……!」

 嗚呼、なんと情けない声色! あまりの不甲斐なさに、天子の瞳に涙が滲む。

 「キヒ、いいところで目が覚めたじゃねぇか」
 「あ、ぐっ……」
 「ほら、もっといい声で助けを求めてやれよぉ。場合によっちゃ、解放してやっても良いんだぜ?」
 「場合……?」

 毒が回って居るのだろう、胸を抑えて苦しげに天子が問う。
蟾蜍の毒の強心効果で無理矢理心臓が高く打ち鳴らされ、荒い息が漏れる。

 「おうよ、お前さんが服を脱ぎ捨てて、『牛鬼様、どうかこの私をご賞味下さい』っておねだりするんだったら……
  まぁ、助けてやらん事もねぇわなぁ」
 「誰が、そんな事言うもんですか……」
 「良いのかぃ? なら、このままこのワンコロを握りつぶして、骨ごと喰らっちまうぜェ?」
 「それも、駄目……!」
 「キヒッキヒッキヒッ。じゃあどうすんでぇ。俺ぁあんまり気の長い方じゃねぇぞぉ?」

 牛鬼が嘲笑う。諦めと言う毒が、"比那名居天子"をゴリゴリと鑢にかけていく。

 ――良いじゃ無い。見捨てて逃げれば。
 ――それが嫌なら、諦めて捕まれば? 死にはしないんじゃない、多分。
 ――嫌な目にはたっぷり会いそうだけど。キスだけは済ませといてよかったわね、天子?

 毒のせいだろうか。いつもより随分はっきりと、私を嘲笑する貌の無い私が居る。

 「そうよね、そうよ。分かってんのよ、そんな事は」

 逃げ出せば楽に成る。仮に後で後悔するにしたって、それが立ち向かう事より苦しいなんて誰が決めた?

 「だけど、しょうが無いじゃない……! この指が、刀を離してくれないのよ……!」

 歯ぎしりをし、怯えながら、それでも天子は牛鬼に向かって吼える。

 「折れねぇかぁ」

 牛鬼は面倒くさそうに舌打ちを一つすると、タロを握る力を弱めた。
肺が締め付けから解放され、げほげほと咳をする彼女に、強い口調で促す。

 「おら、ガキ! 『助けてくれ』の一つでも言ってみろ! なるべく憐れそうになぁ!」
 「嫌……です……」
 「あぁん?」

 タロは弱々しくも首を振った。命一つ、まさに自分の手中だと言うのに。牛鬼は顔を顰める。

 「あんだと、おめぇ」
 「弱いから、助けられるとか……強いから、助けるとか……嫌なんです、そう言うの。気に入らないんです」
 「タロ……?」
 「本当は、妬ましいの! 目で物を見て光を感じてる人達が! あたしは、目が見えないってだけで、親にまで捨てられて……
  それで『何で助けてくれないの?』なんて言ってしまったら、悔しいじゃないですか! 生きていけ無いじゃないですか!
  絶対言うもんですか! それだけは、絶対に、絶対に……ッ!」
 「あぁ、いい。もういい、黙れ!」

 苛立ちを隠そうともせずに、牛鬼はタロを握り潰す。
タロはその眼に涙を湛えながら、尚も焦点の定まらぬ何処かを睨みつけた。

 ――ああ、そうか。

 天子の頭の中で、唐突に閃く物があった。つまり、これが蒲公英(たんぽぽ)の姿なのだ。
深く根が有り、葉を広げ、例え潰されようと、例え日が当たらなくとも……小さな誇りの華を咲かせる。
そしてそれはそのまま、地底の民達がこうであると謳う姿であった。

 ――なんて、捻くれた奴らなのかしら。

 だけど、それを受け入れて初めて自分は地底の民になる、と胸を張って言えるのだろう。
さとりだけでは無い。天子だけでは無いのだ。

 「どいつも、こいつも」
 
 ドス、ドスと音を立てて、重く痺れる足を前へと進める。
助けると誓ったばかりなんだ。そんな奴らを! 神にも仏にも祈らぬ、捻くれた者たちを!

 「どいつも! こいつもよ!」

 牛鬼は一瞬、驚きの眼を天子に向けた。彼とて、そこそこ長い期間を生きてきた妖怪である。
先ほどまでの天子は完全に眼が死んでいる事を分かっていた。分かっていて、嬉々として嬲って居たのだから。
だが、瞬時に思考を残虐な鬼のそれに切り替える。今度こそ心を叩き折り、そのまま隅々を味わう為に。

 「うわあああああああああッ!!」

 毒が抜けた訳でも無い。勝つ算段が有る訳でも無い。けれど、情けない所を見せたくない、その一心だけで天子は前に進む。
勝てなくても良い、せめてヒーローらしく、幻想少女らしく戦ったのだと言う誇りが欲しくて。

 そしてその時、バチィと言う音がして、天子の頭が白く弾けた。


 ◆◯-


 「おとうさん?」

 年齢にして7~8歳位だろうか。あどけない顔のままに、◯◯は振り向いた。

 「呼んだかしら。気のせい?」
 「いや……私は呼んでないが」

 まだ、穏やかさが残る父の顔。今のへりくだった笑みを浮かべ、それでいて何時も擦り切れそうな顔からは想像もつかない程、
優しそうな嘗ての声色。昔の記憶。……昔の記憶?
いや、確か◯の最◯-記憶は天に召し◯◯--◯◯--◯-◯-なにこれ◯-◯
泡に◯-◯-◯押し-◯◯-◯◯◯◯--◯流され-◯-◯◯-◯◯◯--◯-◯--

 「ねぇ、おかあさんは……」
 「邪魔してはいけないよ、大事な祈祷なんだ」
 「さいきん、なゐが多いもの。わかってるわ」

そ◯-う◯--◯-地震◯-◯◯-◯◯◯◯--◯が◯-◯-◯◯◯--◯◯-◯-◯
◯-◯-◯◯お◯◯--◯母--◯◯--◯-さ◯◯-◯-◯◯--ん◯◯-◯◯◯◯

 「早く、おかあさんを助けられるように成りたいわ。そうすれば、もっとおかあさんと一緒に居られるんでしょ」
 「その為には、一杯勉強しなきゃならないぞ?」
 「へっちゃらよ! ひいてはそれが、たみをすくう事になるんだよね?」
 「はは、難しい言い方をするなぁ、◯◯は」

◯-◯-◯◯◯--◯◯-◯◯--◯◯--◯-嫌◯-◯-◯◯-◯◯◯◯--◯---◯
--◯-◯--◯-◯-だ◯◯-◯◯◯◯--◯◯-◯-◯◯◯--◯◯-◯-◯◯◯--

 「む、揺れが! ……またか……」
 「里のみんな、こわがってる」
 「その不安を取り除いてやるのも、我々の努めさ。立派になるんだぞ、◯◯」
 「ええ、わたし、立派なひななゐになるわ。そしてみんなに、ありがとうって言ってもらうの。おかあさんみたいに」
 「まったく、◯◯はお母さんが大好きだな」
 「まぁ、おとうさんだって!」

◯-◯◯◯◯--◯◯-◯-◯◯◯--◯◯-◯-◯◯◯---◯-◯◯-◯◯◯◯--◯---◯-◯◯◯◯--◯◯-◯-◯◯◯--◯◯-◯-◯
--◯-◯--◯-◯-◯◯-◯◯◯◯--◯◯-◯-◯◯◯◯--◯--◯◯-◯-◯◯◯---◯-◯◯-◯◯--◯-◯-◯-◯◯-◯◯◯◯--
◯---◯-◯-◯◯-◯◯◯--◯-◯-◯--◯---◯-◯◯---◯-◯◯-◯◯--◯-◯-◯---◯-◯◯-◯◯--◯-◯-◯--◯-◯-◯◯



 バチッ!!

 「あがっ!」
 「小娘がよォー……畜生、調子乗りやがって……」

 バチィ、バチバチッ!

 「は、はは……ザマァ見やがれってんだ……教えてもらったんだよォ、こいつは殴るモンじゃなくて、長く当てるモンだって」

 バチバチッ! バチバチバチッ!!

 「魚みてぇに跳ねてやがる。オラッ、よがれよがれ!」
 「ひぐっ……あ、かっ……」
 
 不意打ちによって天子の脳天を打ち付けた、電光迸る鉄の棒が天子の背にねじ込まれ唸りを上げる。
一つ一つでは大したことのない電撃も、こうも長く浴び続ければいかに天人の身体と言えど麻痺が残る。
次第に天子の呂律が回らなくなり、肺から漏れ出る空気が嬌声のようになって尚、煙羅煙羅は責め立て続けた。

 「は、は、は……」
 「おい、煙羅煙羅ァ」
 「え? なんスか、牛鬼さん……あばっ!」

 片手の仇を狂ったように殴りつける煙羅煙羅を、牛鬼は人差し指で弾き飛ばす。
顔を吹き飛ばされ、壁に叩き付けられる煙羅煙羅。

 「な、なんで」
 「そりゃあ、お前さん。獲物を横からぐちゃぐちゃにされたら、不愉快にもならァな」
 「片腕を切り落とされたんだ、俺だって一撃入れていいじゃ無いスかよォ」
 「だーから、殺しちゃ居ねぇだろうが。後は大人しく見てろ」
 「バハァーッ、まぁ、空気を読めってこったな……どっこいしょっとぉ!」

 瓦礫をかき分けて、毒蟾蜍が顔を出す。身体を弾ませ、随所に食い込んだ細かい木片を弾いた。
見れば、鉄鴉も弱々しくだが頭を振り、起き上がろうとしている。
牛鬼が来てからは自らの首領に巻き込まれ無いよう遠巻きに見ていた有象無象も、事が終わったと見るや舌なめずりをして天子の周りを囲った。

 「ケェーッ、ひどい目に有ったぜ」
 「見た目だけで女子供を舐めるからそうなんだよォ。恐ろしいのが居る事位判ってるだろうに」
 「うっせェーぜ、イのイチにおねんねしていたシティボーイ君がよ!」
 「んで、牛鬼さん。どうすんですか、こいつ。引き渡せって話でしたけど」
 「あぁン? どうするって、そりゃあ……喰らうわなぁ」

 牛鬼は息も絶え絶えとなった天子を、その大きな手でつまみ上げた。「ひゃへ」天子が舌の足らない声を上げる。

 「天子さん」

 悲鳴を聞き続けたタロの光無い目から、涙が一筋零れ落ちた。

 「毒も良い感じに回って、何とも美味そうじゃねぇか。坊主の臓腑を喰らえば妖力も上がるぜ? 多分な」
 「ワタまで食っちまうんですかい? それはちょっと、怒られやしませんか」
 「キヒヒッ、強くなっちまえばこっちのモンよ。お前らだって、力が欲しいだろう?」

 牛鬼は腕をつまみ上げ、弱々しく睨みつける天子に服の上から舌を這わせる。
 
 「へぇ、こんだけ暴れても桃の匂いがするぜ。垢が付かねぇ身体てのはすごいな」
 「喰っちまうのもいいスけど、その前にオレぁお楽しみてぇんですが」
 「カカッ、天と言うだけ有って別嬪だもんなぁ。あいつらも我慢しきれねぇ見てぇですぜ」

 鉄鴉が嘴でしゃくりあげると、外野から「そうっすよー」「たまんねぇ」等の声が上がった。
中には「こっちの童は楽しまねぇんですかい」等と野次を飛ばす者も居る。

 ――タロ。

 麻痺と毒で朦朧とした意識の中、天子はシャボン玉の膜のように薄い場所で思考を回す。

 ――私はどうなっても、いいから。タロの身だけでも……。

 悲壮な決意が込められた言葉も、舌に乗せられず耳にまで届かない。
天子は砂を噛む思いのまま牛鬼を見上げた。知ってか知らずか、タロの身体に群がろうとしていた者たちを牛鬼は殴り飛ばす。

 「止めな、お前さんら」
 「な、なんでっすか。生意気な天狗を何時かコマして見たいと思ってたんですよ、俺ら」
 「それをやっちまうと、あの女が振り切れちまう」

 そう言って牛鬼は、つまみ上げた天子に対し、更に二本の腕で弱々しく暴れる天子を拘束する。

 「逆に言やぁ、このワンコロさえ無事を確保しときゃあ、こいつは従順って分けだ。なぁ?
  服は破くなよ。上等な生地だぁ、高く売れる」
 「カーッ、俺なら買いたく無ぇですな。なんせ、これからひどく汚れる」
 「ちげぇねぇ……オラ、御開帳だよォ!」

 鉄鴉は壁に背を預けたまま笑い、煙羅煙羅はと言うと、手を後ろ手に膝を付く形になった天子のスカートの腰紐を解き、
下着ごと一息にずり下げた。白く、水蜜桃のようにほのかに桃色がかった臀部が露わになる。

 「ヒューッ!」「たまんねぇ尻だ」「早くヤりてぇよ」

 男たちの下卑た歓声に晒されながら、天子は吐き気を覚えた。天界には無かった、欲という物が己の身体に纏わり付く。
如何にその手の欲望から遠ざかってきた天人と言えど、全く知識が無いわけではない。これからどうなるのかの想像くらい出来る。
汚らわしく、恥ずかしく、舌を噛み千切りたいほど屈辱だというのに、身体に残る麻痺のせいでそれすら叶わない。
何より、泣きそうな顔でこちらを見るタロが居る。天子はタロに顔を向け、弱々しく笑った。伝わるかは分からなかったが。


 ◆


 「畜生、何も見えねえじゃねぇか」

外野の中でも一際背の小さく、外へと跳ね除けられた妖怪がなんとか他者の壁をかき分け天子の姿を見ようと足掻く。

 「くそう、なんとかアイツらの背を越せねぇかな」

自分でも難しいと分かる事をぼやきながらも、ピョンピョンと飛び跳ねる。

 「手伝ってやろうか?」

 そんな折、不意にしわがれた声が後ろからかかる。次の瞬間には、男は高い位置から見下ろすように天子を見ていた。

 ――うお!?

 驚きに声を上げようとしたが出てこない。当然だ、首から下がなくては話にならないでは無いか。
ぐるぐると視点が回転し、血飛沫を上げて倒れる自身の身体が見える。「え」隣に居た男が間抜け声を上げ、胸を貫かれた。

 「ただし、真っ二つじゃがな」

 男の目に鈍く光る刃が迫る。ゆっくりと鈍化した時間の中、男は呆けたようにその一切の焼き色が無い不思議な刀を見ていた。
唐竹のように頭蓋を割られ、男の意識は暗闇に沈んだ。



 「なんだァ?」

 天子へ油を垂らしながら、毒蟾蜍は振り向いた。
この油は別にガマの油と言うわけでも無く、その辺の商店に売っている何の変哲もない油である。

 「……お前さんら、お楽しみは後のようだぞぉ」

 牛鬼は険しい顔をして、人垣の先を見据えた。やせの長身が、乱麻のように断ち切られた。
先ほどまで天子を視姦していた男達も、溢れだした腸の匂いに、にわかに騒がしくなる。

 「邪魔だ三下共、退いてろぉ!」

 一喝。鬼と謳われるに足る怒声が、未だ事態の理解に追いつかぬ有象無象の脳に直接働きかける。
我に帰る、とまでは行かないまでも、その衝撃に人垣を築いていた者たちは足をもつれさせながら、我先にと壁際へ退避して行く。
老剣士は三人を斬り殺し血と脂で汚れた刀を、槍投げのようにその内の一人へ投擲し、左胸を穿った。

 「……これで四人」

 暗緑の袴で血を払い事も無げに言い放つと、翁は腰に下げた三対六本の刀から、二本の刀を抜き、剣鬼の如く笑う。

 「七本二十人……案外、行けるやも知れんなぁ」

 牛鬼は押さえつけていた天子とタロを放り投げると、それぞれの手に自らの蛮刀を取る。
毒蟾蜍、鉄鴉、煙羅煙羅の三人もそれぞれ警戒姿勢をとるが、未だ傷は癒え切っていない。牛鬼は一歩前に出た。

 「言うじゃねぇか、爺が。俺をたった一人に換算とは、ちぃと舐めすぎじゃねぇかね?」
 「そうかも知れぬ。そうではないかも知れぬ」
 「不味そうな爺だなぁ、オイ。やる気が出ねぇよ」

 刀を構え、ジリジリと詰め寄っていく。対する翁は、一見だらんとした構えのまま無造作に相手が来るのを待っていた。
当然、それは種子島が発射される直前の火縄のような……張り詰めた弛緩で有ることは牛鬼にも分かっている。

 「果たして、お主が一騎当千の器か否か」
 「あん?」
 「切れば分かる。切ればな」

 壁に打ち付けられ、自由のきかぬ身体で喘いでいた天子が顔を上げた。
その瞬間、霞が揺らめくように、フッと翁の重心が移動した。なんの気負いも緊張も無く、さもそうで有るべきだと言わんばかりに、丸太のような牛鬼の右上腕へ刀を食い込ませる。

 「がああああッ!?」

 巨獣が如き咆哮を上げ、牛鬼は二つの徒手の内一つを拳に固め翁を打つ。
老剣士はこの拳を踏み台に一息に跳ぶと、先端の欠けた刃で壁際に並んだ男達の内二人の胴を切断し、腹わたに刀を食い込ませた一人を顔を蹴り潰し、殺した。腹に剣を立てたまま頭無しの死体が横たわる。翁は新しく剣を抜く。

 「流石に、この刀で鬼を切るのはちと骨が折れるか……だが、これで七人だ」
 「てめェェェ…………」

 牛鬼は声を低く轟かせ、殺気立った瞳で翁を睨む。天子は己の身に向けられた物と、あまりに違うその迫力に慄いた。

 「タロ……タロ、を……」

 未だ毒に蝕まれるその薄い胸を上下させながら、懸命にその姿を探す。
血溜まり。死肉。胃や腸からこぼれ出た、汚物の臭い。鼻の良いあの子を、何時までもこのような空間に居させるのは忍びない。
今まで感じたことも無いような、濃厚な死の気配。昏い場所から漂ってくる、命を失う寸前の肉のかをり。

 -◯◯--◯◯

 「なに?」

 水の奥から響くような、ゴボゴボとした声。泡の弾けるような音にかき消され、耳に届かない。

 「何なのよ」

 只の水の音で有るはずのそれが嫌に恐ろしく、天子は耳をふさいだ。





 その時既に、老剣士は再度の跳躍をし、牛鬼の右腕一つを切り落とさんとする所であった。

 「チィィィーッ」

 牛鬼は舌打ちをして、片側の残り二本の腕で翁を寄せ付けまいと庇う。
蛮刀を荒々しく振るい、そこを細やかなジャブで狙い撃つ。体格の、質量とリーチの差で押しつぶす。牛鬼はその腹積りだった。
しかし翁は軽々と蛮刀の背を辿り拳に向かって踏み込むと、牛鬼の手首から先を泣き別れにする。
翁はバキバキと悲鳴を上げる刀を振りぬいた体勢のまま、肩まで辿り勢いをつけ蹴り飛ばす。牛鬼の重心が崩れる。

 「悪し魂!」

 叫んだ瞬間、翁の軌道を沿うように付き従っていた半霊が弾け、霊撃を生んだ。
衝撃にあおられ、天井を仰ぎ見る形で牛鬼が完全に倒れる。

 「ゴォォォァァァアアア!!」

 切り口から肉がぶちぶちと湧き出し傷口を塞ぐが、拳までは戻ってこない。
牛鬼は怒りと屈辱に塗れ、また獣の如き咆哮を上げた。





 ゴボゴボ。ぼこぼこ。ざりざり。
天子は耳を塞いで尚耳の奥を反響するその音に辟易としながら、血で汚れた床を這う。
お気に入りのスカートは血で汚れ至る所が黒ずみ、虹をあしらった装飾の内四色が塗りつぶされ、最早色が分からない。

 ――死が、こんなに汚い物だなんて。

 天界で読む逸話には、そんな事は何処にも書かれて居なかった。死とはもっと高潔な物ですら有ると信じていた。
人は確か、死ねば仏になるのでは無かったか。それとも仏になるような坊主の死は、もっと綺麗な物なのか。
こんな。こんな物が仏になり得るのか。天子は死体から床へ染みが作られていく様子を、呆然と眺めながら考える。

 ――私も死ねば、こんな風になるのかしら。

 死体の有り方が、そんなに違うものだとも思えない。死に向かう事への恐怖自体は、八雲紫の手で呼び起こされた。
しかし、これは違う。もっと根源的な、"死"そのものの凄惨さ。
宗教があらゆる美辞麗句で飾り立てる、この世で最も恐ろしい物。

 「うわぁぁぁ、ぎゃっ……」

 目の前で腰を抜かし壁際にへたり込んでいた男が、飛来してきた半霊によって潰れたザクロと化した。
ビチャビチャと血と脳漿の雨を浴び、天子の顔が真っ赤に染まる。血煙の先に、緑袴の剣士。
向こうでは、身を起こす牛鬼と痛みに悶える毒蟾蜍の姿。仰向けの牛鬼を助ける為、天子にやったように舌を絡ませたのだろうか。
無惨に切断された、ビチビチと跳ねる舌を振りのけ、折れた刀でもう一人の目を抉りながら翁は天子へと目をやった。
死を何とも思っていないような、ゾッとする目を。

 「……まだ、お主には早かったかの」
 「え……」
 「戦わぬなら刀を寄越せ。このままでは足りなくなりそうでな」

 使い物にならぬ両手の刀を放り出し、血塗れの手が差し出される。天子は本能的に恐怖を感じ、それを跳ね除ける。

 「あ……ご、ごめんなさ……」
 「いや、いい。狂っておるのは儂の方よ」

 そのまま老人は、天子が先ほどまで使っていた刀を拾い上げ、敵へと向き直った。

 -◯-◯--◯◯--

 ごぼごぼ、ごぼごぼと耳鳴りが酷い。天子は耳を強く抑えた。
眼の奥がクラクラとし、自分が今伏せているのかすら分からない。
呼んでいる。何かに強く呼ばれている。その声は泡に阻まれ届くことはない。ならば何故、自分はこんなに脅えているのか。

 「私の頭に……何があるってのよ……!」

 天子の頭に、ふつふつと怒りが湧いてくる。理不尽への怒り、不甲斐なさへの怒り。
緋想の剣を握ろうとして、手が空を切る。未だ、何処かに落としたままだった。こんなにも、血に汚れた床の何処かに。

 「探さなきゃ……探さなきゃ……」

 この不快な水音を消し去りたくて、天子は目を凝らす。翁が、反対側の壁に居た男共を左右の刀で二人づつ殺すのが見える。
天宝故の功徳か、血塗れの空間の中に有って緋想の剣は未だ血垢に汚れずに転がっていた。

 「有った……!」

ブゥンと言う音を立て、燐光さざめく緋想の刃が起動する。呼吸が楽になり、ごぼごぼとした耳鳴りも自然と収まる。
心が安らかになり、天子は救われた気分になった。万能感が再び天子を満たしていく。
油の浮いた血溜りが、光に照らされ天子の顔を映しだす。

 -◯-◯-いつまで◯◯-忘れたふりをしているの?--◯◯--

 耳鳴りと一緒に消えるはずだった呼び声が、耳に届く。天子は目を剥き、己の手を見つめた。
緋想の剣の光りに照らされよく見えるようになった手は、いつの間にか血で赤黒く染まっていた。血の鏡に顔が映る。

 -◯緋想の雲を作るために、私はこの剣で、一体幾つの魂を切り殺してきた?-◯-

 その言葉が示す事実に気付き、天子は激しく嘔吐した。ビチャリビチャリと、血と嘔吐物が混じりひどい悪臭を漂わせる。
その臭いにあたり、さらに天子は胃の内容物を吐き続ける。
それはまるで、この地底で手に入れた物が丸ごと吐き出されていくようであった。





 「バッ……ハァーッ!!」

 毒蟾蜍が腹を膨らませ、体内に溜め込んだ毒と血を弾として発射する。散弾のように放たれたそれを、翁は横っ飛びに回避した。

 「カーッ、大将が起き上がる迄の時間は俺達で稼がにゃならん! 分かってんな煙羅煙羅ァ!」

 鉄鴉は鋼鉄の羽を同じくデタラメに放つ。翁は身を捩って回避するが、糸のように細い切傷が無数に生まれた。
その巨体故か、牛鬼は一度倒れれば体勢を立て直すのに時間がかかる。
特に片側の腕が二本切られて居ることも有り、この狭い空間の中で身を起こすのには手間取らざるを得ない。

 「応よォ!」

 煙と化した身体を細長く伸ばし、煙羅煙羅もまた、飛び掛かっていく。

 「刀じゃあ気体は切れねぇよォ! 文字通り煙に巻いてやるぜッ! 視界を塞がれて十字砲火が躱せるかーッ!」
 「む……」

 煙羅煙羅の身体は完全に白煙となり、翁の周囲へ纏わり付く。毒蟾蜍と鉄鴉はそれぞれ横に散開。
煙の範囲から飛び出したとしても、いつでも狙い撃てる位置へ陣取った。

 「終いだ! 蜂の巣になって死ね!」
 「……刀で煙は切れぬ、か。本当にそうかね?」
 「何ィ?」

 この状況になって尚、老剣士の顔色に焦りは見えない。その目にはある種のルーチンワークを眺める色だけがある。
煙に包まれ灰色がかる視界に、桜が咲いていく。
一本、二本、……十本程の若木で有ったそれはあっと言う暇も無く巨木に育ち、満開の花を咲かせた。

 「切れぬものを切るべくし、只々磨いた魂魄の剣。切れぬ物など有ろう物かよ……!」

 死を意味する花びらが、二方向から舞い襲う。高く掲げた二刀に、翁は霊力を集中させた。
煙羅煙羅は、桜色に輝くその刃を呆然と見る。妖しく人を魅入らせる、死色の刃。

 「せぇいッ!」

 そして光が爆ぜる。翁が二刀の内一刀を叩きつけるように振ると、剣に込められていた霊力が迸り、柱を成した。
その圧力に剣が粉々に砕け散り、霊柱は花弁……即ち毒蟾蜍と鉄鴉が放った致死の弾幕を巻き上げ、煙羅煙羅をも巻き込んでいく。

 「何ィーッ! うおおお、避けてくれ旦那ァーッ!」

 煙の身体の所々に穴を開けながらも、懸命に煙羅煙羅は叫ぶ。一刀には未だ霊力が蓄えられている。つまり?

 「成仏、得脱斬ッ!」

 下から振りぬくようにもう一太刀。霊柱は剣風に押され、さらに巨大な剣風と化し、屋根をも断ち切り一直線に進む。
桜色に輝く刀の破片が現実の桜吹雪を成し、大鎌となった剣圧が急ぎ身を起こす牛鬼へ向かう! さらに腕二本が切断!

 「畜生がぁぁーッ!」

 しかし、その結果重量のバランスが取れるように成ったのか、よろめきながらも牛鬼が立ち上がる。
剣風はそのまま直線上の勝手口を破壊。我先に逃げようとして殺到していた四人の男共をズタズタに巻き上げ消失し、毒液や鉄羽と死肉が混じった内容物をボトボトと降らせた。
煙羅煙羅は……霧散! 姿すらも無い!

 「煙羅煙羅は!? どうなったァ!」
 「カァッ馬鹿野郎ッ! よそ見すんな毒蟾蜍ォ!」

 翁は粉々に成った刀身を捨て、動揺の抜けきらぬ毒蟾蜍に詰め寄ると、居合一閃腹部を大きく切り裂いた。
血と体液の混じった返り血が噴水の如く溢れ、老剣士の身体を汚していく。

 「バッ……ハァッ……お、オレの腹を……や、やりやがった……が、これでオレの毒を……たっぷり浴びせたぜ……
  幻と懴悔に塗れて狂い死にだっ……バァーッハッハッハ、オゴッ……」

 「……あの、ガマ野郎ォー……」

 脳天に刀を突き立てられ、止めを刺される毒蟾蜍を、鉄鴉は天井に留まりながら見下ろしていた。
だが、同時にこれはまたとないチャンスなのだ。あの天人の小娘がそうで有ったように、毒蟾蜍の毒をまともに浴びて隙を晒さぬ奴など、余程毒に耐性が有る妖怪でも無ければ。
そして、あの爺からは微かとは言え人間の臭いが残っていた。

 「確実に殺してやるッ! 煙羅煙羅、毒蟾蜍! 貴様らへの手向けだァーッ!」

 死角から飛びかかり、蹴脚連打を浴びせかける。鋼鉄の爪が何重にもブレて襲い掛かる、まさに必殺の一撃!
ブツリ。奇妙な音がした。鉄鴉は自分の足を見る。足首から先が千切れ飛び、無くなっていた。

 「ガァァーッ!?」
 「喧しい鳥じゃな。生姜と酒に漬けていれば、少しは臭みも取れるのかね」
 「馬鹿なッ……馬鹿な! 何で毒が効いてねぇ、あれだけの量!」
 「ふん、幻に懴悔か。そんな物、とうに見果てたし、狂い果てたよ」

 慌てて飛び退いた鉄鴉の背に、壁がぶつかった。そのままズリズリと崩れ落ちる。
翁はつかつかと歩みを進めた。得体の知れない物への恐怖が、ゾワゾワと鉄鴉の背を駆け上がっていく。

 「桜が見えるか。死と縁を結ぶ桜が」
 「な、何を」
 「儂にはよく見える。目に焼き付いて離れぬ。貴様にも咲いている。故に断つ」
 「カ、カカ、カキキクククケェェーッ!!」

 鋼鉄の翼を羽ばたかせ、鉄鴉が飛び起きる。

 「何が桜だ、狂った爺が!」

 がむしゃらに羽を飛ばす!

 「大将の為だ! 刀だけでも貰って行くぜェーッ!」
 「そうか」

 空中の鉄鴉に対し、翁は雲耀の速度で踏み込んだ。そのまま刀の柄で、強かに鉄鴉を打ち付けた。

 「ウゲッ!」

 怯んだ鉄鴉を、壁際に向かって蹴り飛ばす。辺りを漂っていた半霊が強襲し、鉄鴉を壁に打ち付け跳ね返す。
なんとか空中で羽を翻し受け身を取る鉄鴉に、翁は跳びかかる。刀の柄が鉄鴉の鳩尾を強かに打ち付けた。

 「ゴフッ!」

 怯んだ鉄鴉を、壁際に向かって蹴り飛ばす。辺りを漂っていた半霊が強襲し、鉄鴉を壁に打ち付け跳ね返す。
なんとか空中で羽を翻し受け身を取る鉄鴉に、翁は跳びかかる。刀の柄が鉄鴉の眉間を強かに打ち付けた。

 「オゴッ!」

 怯んだ鉄鴉を、壁際に向かって蹴り飛ばす。辺りを漂っていた半霊が強襲し、鉄鴉を壁に打ち付け跳ね返す。
鉄鴉は空中で受身を……取れない! 無惨に床へ落下する鉄鴉へ、翁の白刃が揺らめく。

 「望みどおり、刀一本を墓標にしてやろう」
 「カ、カァァーッ! 俺はッ! 雄の中で、一番強くてッ!」
 「知った事か」

 血飛沫が散り、首が跳ねられた。毒蟾蜍と鉄鴉の血で汚れる刀が、鋼の羽を引き裂き鉄鴉の心の臓へと突き立てられる。
残った四肢が幾らかの間ビクビクと痙攣し、次第に動かなくなった。

 「オイオイ……残りは、俺ぁ一人かい」

 グズグズと蠢いていた傷の修復が終わると、牛鬼はのそりと顔を動かした。
たむろしていた男たちは皆肉塊に変わり、天人の小娘は汚液だらけの床にうずくまっている。
視界の中で動くのは、目の前でその地獄を作りだした、ただ一人の男のみ。
六本有った自身の腕も、今や満足に働くのは左右一本づつ。

 「殺されちまったなあ……殺されちまった」
 「その弱肉強食の世界が貴様の望みだったのだろう。ならば、望み通りと言うわけだ。ガタガタ騒ぐ事では無いな」
 「弱肉強食か。あぁ、そうだなぁ。俺ぁ喰うために殺したし、楽しむ為に殺したさ。
  なら逆に聞くがよぅ。お前さんは俺らぁ殺して、なんか得るもんが有ったのかい? 少しでも血肉にしたのかい?」
 「知ったことじゃ無い。主が法の為だと言うのならば、法の為なのだろうよ」
 「キヒッ、キヒッ、法かぁ……クソ食らえだなぁ、オイ!」

 左右に持った蛮刀を、鬼の筋力で小刻みに振るう。このサイズ差で有れば、それでも致命傷にはなるだろう。
だが、老剣士はひらりひらりと身を躱す。蛮刀の切っ先が服を引っ掛ける事があろうと、その身を断つには至らない。

 「死者であろうと法に縛られる。その枠から外れようと願うには、悪人としても鬼としても中途半端だったな」
 「うるっせぇー……お前さんを殺して、そこの天人の小娘を喰えば……まだ分からねぇ」
 「例えそれで力をつけようと、それよりも強い者等幾らでも居る。結局、釈迦の手の平から出れんと言う事じゃ」

 天子は、只々うずくまってその言葉を聞いていた。胃液しか吐けなくなっても、なお吐き続ける自傷のような行為。
急に、緋想の剣が何か恐ろしいものに見えてくる。本当に恐ろしいものなど、とうに分かっているのに。

 「なら、何の為にお前さんは剣を振るうと言うんだね」
 「桜だ。桜を殺し、死との縁を切る」
 「意味の分からんことを!」
 「結ぶ物を切れん筈がないと言う、執念よ!」

 牛鬼が蛮刀を振るう。足元を狙い薙ぎ払われたそれを、翁は飛んで躱した。

 「ほれ、そこだ!」

 唯一手指以外が残る腕で、牛鬼は肘鉄を打つ。辛うじてこれを刀で受け流す物の、鍔がギシリと悲鳴を上げる。

 「お前さんは剣士。その残り一本の刀さえ折れてしまえば、何も出来んだろうよ!」
 「ぐっ……ならば、折ってみるが良い」
 「言われずともォ!」

 壁を背に受け身を取る翁に対し、畳み掛けるように蛮刀で切りつける。ギィンと凄まじい音が鳴り、斬撃は横にそらされた。
体格差故に、ただ振り下ろすだけでも受ける側には凄まじい衝撃を生む。体勢が戻らぬまま、二刀目!

 「もう一丁ッ!」

 翁はこれを辛うじて上に逸らす。しかし、やがて響く金属の破砕音! 刀身が散る!

 「やった! 砕けた! 貰ったァ!」

 勝利を確信した笑みを浮かべ、牛鬼が蛮刀を振りかぶった。

 どぷり。
何やら胸に違和感がある。何だ? 牛鬼は己の胸元を見た。緋色に光る刃が、己を貫いている。

 「あ?」

 この血塗れの空間から集められた高純度の気質が、うずくまる天子の手元から伸びていた。
その刀身、およそ三十尺はあるだろうか。背中からぶっすりと、牛鬼の身体を貫通する光。
天子がクイと手元を動かす。ヴオンと鈍い音を立て、緋想の剣はあっさり牛鬼の気を魄ごと断ち切った。
緋色の霧を吹き出しながら、牛鬼の身体が崩れ落ちていく。

 「お主」
 「私よ……私が、やるのよ……」

 そう呟く天子の目は虚ろで有った。小さな声で何かを訴えながら、幽鬼のように立ち上がる。

 「無理をするんじゃない」
 「私がッ! 私がやらなきゃ……意味が無いじゃない……無くなっちゃうじゃないの……
  釈迦の手の平の上? 何よそれ……御免よ、絶対に御免……!」
 「おい、何処へ行く! おい!」

 老人の声も聞こえているのか居ないのか。血と反吐を付けたまま、天子は走り出す。
否、蔵の入り口で有った場所を飛び出そうとしたところで、不意にその足が止まり、目が驚愕に開かれる。
その壁に隠れるように、少女が立っていた。特徴的な癖毛を跳ねさせ、薄桃のインバネスを着て古明地さとりが立っていた。
傍らに、火車を影のように佇ませ。比那名居天子が汚れた姿を、どこか寂しそうに見つめている。


 「見ないでッ!!」


 ドン、と華奢な身体を突き飛ばし、再び天子は逃げるように走りだす。
その言葉は、天子からさとりへの、明確な拒絶で有った。

 「……フラれちゃいました」

 お燐に支えられ、しばらく呆けていたさとりが、立ち上がり土埃を払いおどけて言う。
翁は一瞬目を細めると、気を失っている牛鬼の蛮刀を拾い上げ、そのまま喉に突き立てる。
首から上が切断され、ごぼりと血が溢れた。

 「終わったぞ」

 仄かな逆光の中、ゆっくりとさとりが入ってくる。既に蔵の中の照明は、砕け散るか落ちて血の海の中に消えていた。

 「これはまた、随分と暴れましたね」

 さとりが粗略に辺りを見回す。その隣では白い犬が、ぐったりと倒れこむ白狼の少女を護るように陣取っている。

 「誰かさんの要望でな。一人残さずと言う為には、ちと容赦する暇が無かった」
 「おやおや、怖い怖い。まぁ、最後は追い詰められてましたしね?」
 「頼りたくは無いが、奥の手は有った。……そのおなごは、気絶させたか」
 「その方が良いでしょう。目で見えにくい物程、想像と言うガスで恐怖は膨らんで行きますから」

 さとりはジロを撫でると、気怠く息を吐く。そしてその辺に落ちていた腕の一本を拾い上げると、「食べますか」と呟き口元にぷらぷらと差し出した。
嫌そうな表情をして、ジロは顔を背ける。

 「この光景は、地獄か」
 「元からそうでしょうよ。まぁ、あえて言うなら血の池地獄なのでしょうが。鼻が曲がりそうです」
 「お主の注文だぞ?」
 「方法までは指定しませんでしたし。……どうしましょうね、このクズ肉。
  このまま放置すると何人か復活するでしょうし、お燐に運ばせて燃やすとしましょうか」

 ジロが口に運びそうにないのを確認すると、さとりは再び腕肉を投げ捨て、蔵の中を物色し始める。

 「良いのか? 追わなくて」
 「何と声をかけろと言うんです、私に。行った所で余計な傷を付けるだけでしょう」
 「分かるだろう、覚り妖怪。何の為の読心だ」
 「ッ! ……分かりませんでしたよ。僅かな間でしたし、彼女自身、ぐるぐるに混乱していましたから」
 「そうか」

 さとりはそのまま、切り落とされた牛鬼の首を見る。第三の目が瞬く。
米俵が丸ごと収まるだろうその頭は、地に転がってなおさとりの膝上にまで届く程であった。

 「……えぇ、ちゃんと死んでませんね。そう、やはり天子さん狙いで……可能であればお空を引き摺り出して来い、と。
  そこから私と……出来れば守矢の神々の責任追及でもする気だったのでしょうか。一度暴発すれば、止まらないでしょうし。
  とは言え、他に目ぼしい情報は無し……じゃあ、ま、始末してしまいましょうかね。飾るにも邪魔ですし。
  お燐。この人達、灼熱地獄に運んどいて貰えます?」

 お燐は無言のまま首肯すると、自らの猫車に肉の破片等を丁寧に載せ出す。
と、何かに気付いたように翁が首を上げた。

 「いや、少し待ったほうが良いかも知れぬ。腹を探られぬに越した事は有るまい」
 「……そうですね、彼女達にも少しは役が必要でしょうから」

 翁がそう言った頃には、既に複数名の足音が蔵の回りを取り囲んでいた。
地底唯一の法的集団であり、鬼が有する自警団。
その多くは酷く返り血を浴びた翁を見て顔をしかめ、そして、暗がりに立つさとりの姿に尻込んだ。
その内の一人――緋々色の一本角に豊かな胸を備えた鬼が、ずずいと前に出る。

 「遅いご到着でしたね、星熊さん。見ての通りなので、処理を手伝っていただけると助かるのですが」
 「……牛鬼。粗暴な奴だったがね、手下思いでも有った」
 「そうですか。その手下思いの彼は、そこの少女を拐かし、それを盾に私の友人も脅かされる所でした。
  ついでに私を地底から排除しようと色々と企んで居たようでも有りますが、ま、それは良いでしょう。
  それじゃ殺しますね?」
 「せめて、聞かせないでやってくれないか。あんたのやり方は知ってる。もう、必要無いだろう?」
 「嫌です。……あぁ、幼女性愛のケが有りますね。原因は……伊吹鬼に力比べで負けたからですか。
  その屈辱から、日々彼女の幼い身体を力任せに好きにする想像をしていた、と。鬱屈してますねぇ。
  誇り高き鬼が笑わせる。もっとも、その誇りも押し付けられたものとして面倒臭がっていたようですけれど」

 さとりは口角を吊り上げ、白目を剥く牛鬼の顔に足を載せる。星熊と呼ばれた鬼は、苦々しい顔でそれを眺めていた。

 「はい、じゃあ想起させますね……さーん、にーぃ、いーち。はい想起……
  あぁ、こっちに歩いてくる萃香さんがどんどん大きくなって行きますね。このままじゃ潰されちゃいますね?
  と、言っても虫ピンに止められたように逃げれないんですけど。まぁ、手足繋がって無いですし。
  そうこう言ってる内にどんどん近づいてきて……あー、あーあ……プチリ」

 そうさとりが宣言した所で、牛鬼の頭は上から急激な圧力が掛かったように潰れる。
眼窩から目玉が二つ飛び出して来て、そして直ぐにドロリとした黒い液体になって、溶けた。
同じく黒ずんで溶けていく身体から、白く半透明な物体が飛び出し、上へ上へと上がっていく。
 「妖怪ならこの位効くんですけどね」と、さとりが自嘲気味に呟いた。

 「……何の意味が有るっていうんだい。今更、こんなこと……」
 「意味? ずっと昔からこうだったでしょう。それこそ、この地底の街が出来る前から。
  弔いたければご自由に。そこまで決める権利は私には御座いません」
 「意固地になり過ぎだよ、アンタは! もっと周りを見れば、やり方なんて幾らでも有るだろう!?」
 「周りを見ろ、ね」

 どろどろに溶けた目玉の跡を踏み潰し、さとりは鬼たちの方へ振り向いた。
死骸と変わらぬ色の目を、真っ赤に裂ける口で彩って。

 「それをさせて貰えないから、私達はこんな苦労をしているのでしょう?」


 ◆


 走り、走り、走り。どろどろの身体を引きずって、宛もなく走る。
天子の目は最早酸欠で昏く閉じかけ、ドクドクとした心臓の鼓動がうっとおしく響く。
何を守ったのかも、何処を目指すのかも曖昧なままに、恐ろしいものに追いつかれる気がして、ただあの場所から離れたかった。

 ――緋想よ! 非非想よ! 肉体の死があんなに惨たらしいのなら、魂の死はどうなると言うの!? 私が断った魂は!
 ――嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 私は知りたくない! 何も知りたくない!

 聞けば、遍く知る事こそが悟りなのだという。ならばこの思いは、知りたくないと言う願いは愚かなのだろうか。
知る事の恐ろしさ。理解する事の恐怖を、仏陀は何とも感じなかったのだろうか?
しかし天子は今、まさに知慧と言う怪物にその身を食われようとしている所であった。
ゴボゴボ、ゴボゴボと、波のさざめきのように泡の音が強くなっては消えていく。緋の光でそれを払う気は、もうしない。

 ――ただ、綺麗な霧だと思っていたの。便利に使える、私を認めてくれた剣なのだと。
 ――何が違うっていうの? この汚らわしい赤黒い液体と? 私は今までそれを嬉々として扱っていたのよ!

 今にも散り散りになりそうな思考回路。泡の水音。後悔に追いかけられる恐怖。蟾蜍の毒。莞爾な笑い。ベタベタとした手。
さとりになんと話せばいい? 翁の、人の死など腐るほど見たと言う目。釈迦の手の平。ごぼごぼ、ごぼごぼ。ロック気取りで。

 「つあっ……!」

 前を見ずに走っていたツケであろうか。天子は足を取られ、膝をザリザリと擦るようにして転んだ。
天人の頑丈な肌に石ごときでは傷一つ付けられないが、痛み自体はある。
心肺に構いなく走ってきたせいか、一度倒れてしまうと手足は泥に埋もれたように動かず、荒い呼吸音だけが鳴る。
いや、とうに埋もれていたのだ。今まで見えていなかっただけで。そして、見てしまったから囚われた。黒い黒い、泥の縄。

 「仏道から……逃れるつもりで……、……ここまで来たじゃないの……」

 肺の中の全てを搾り取られたような心地で、呆然と呟く。
あぁ、それでも。釈迦どころか、是非曲直庁の手の内すら飛び出せない。
息を吸えば疲労と混濁で、頭が白くぼやけていった。心地よくおぞましい眠気。

 ――結局、私はただ小娘なんだ。凄いのは、緋想の剣と天界で。何者かに成ろう等と、随分と大それた夢を描いたものだ。

 思い返すのは様々な人の背。あるいは、翁が居なければ……天子はあの後、萃香の手を取り修羅となる道を選べたかも知れない。
だが、現実は既に修羅となった先の地獄を天子に見せた。返り血と臓物の雨を浴び、死を死とも思わぬ修羅の背を。
そしてあるいは、名居の男が居なければ、天子はここで膝を付き何もかもを諦める道を選べただろう。
しかし、天子はそれもまた見ている。惰性で続く生の、生温いが故の地獄を肌で感じ取って居る。

 行くにも背にぶつかり、引くにも背にぶつかる。故に天子は、何処にも行けはしない。
視界の端が、涙で滲む。

 「泣くもんか」

 それが精一杯の強がりだと言うことは、自らも重々承知していた。

 「負けるもんか」

 不安、安堵。恐怖、信頼。愚痴、知慧。ゴボゴボとした泡の音。全ての陰と陽がごっちゃになり、髄となって溶けていく。

 ――それでも、比那名居天子は-◯-こんな所で◯--◯◯-◯---◯--



 ………………
 …………
 ……




 「あら、こんな所に眠っているわ虹の子の白」

 ふと目が開く。風鈴が鳴るような涼やかな声が耳に入り込んだ。
見れば緑と黄色の鮮やかなブラウスに、反射の加減だろうか、銀から碧色に妖しく色を変える髪が眩しい少女である。
顔を斜めに覆う、奇妙な面が特に目を引いた。

 ――美人ね、この子。

 普段周りからは人形のような美形と騒がれる天子であるが、自らそのような評価を下すのは非常に稀な事で有った。
けれど、華を咲かせるような笑みをしているはずなのに、何処か寒々しい。さて、この笑顔は何処かで……?

 「行って、行って、皆ゲートをくぐって?」
 「……?」

 果たして目の前に居るのは会話が出来る存在なのだろうか。天子は不安を感じた。

 「あー……大丈夫、大丈夫よ。転んだだけだから、気にしないで……」
 「何処へでもようこそ。さよなら見えますか」
 「……バグってるの?」
 「虫の音は有りません。行って、帰って、答える。どうせならば」

 天子には、少女が一瞬だけ悲しそうな顔をした気がした。瞬きをした次の瞬間には、アルカイックな笑顔に戻っている。

 「とりあえず、こっちの意思は通じてるのよね」

 天子はむくりと起き上がり、頷く。
少女は興味を失ったように回れ右をすると、すぐ目の前に有る大きな屋敷へと入っていった。
それを見て、天子もフラフラと吸い寄せられていく。見れば、表札のようなものが掲げられている。

 「ここより先、ち……れい……でん、かな。ちりょうでんじゃ無いでしょうし。
  なんか私随分汚れてるし、お風呂入りたいわ。大きなお屋敷だし、貸してくれるかしら……」

 何故か分からないが、天子の身体の至る所はまるで墨で染められたように黒く汚れている。
早く洗い落としたいな、と天子は思った。そう、いつも天界でやっている時のように。

 「お邪魔しまーす」
 
 ドアノブを捻り、中の様子を伺う。辺りは真っ暗で、人の気配は無い。
 
 「暗っ……誰も居ない?」

 コツコツ、足音が響く。天子はタイルで敷き詰められているらしいエントランスを、恐る恐る進んで行った。
汚れている部分が風景に溶けていき、まるで闇の中に丸ごと埋め込められたようだ。
ふと後ろを見ると、入ってきた筈の扉が跡形もなく消えている。巨大な化物の胃袋の中へ、自ら入ってしまったような感覚。

 「誰か居ませんかー……」

 ダメ元で声を上げるとふわりと柱の陰から、淡い輝きを放つ鳥のような動物が顔をのぞかせた。
その顔に目は無く、脚が三本生え、丁度胸の辺りにぐるんと大きな赤い目が付いている。

 「あらあら、まあまあ」
 「えっ、なんか喋った」
 「ダメだよ、ここは。お嬢ちゃんは着ちゃいけない場所だ。とっととお帰り!」

 ガアガアと甲高く響く声は、とてもじゃないが耳に心地良い物ではない。
天子は耳を塞ぎながら、懸命に反論を行う。

 「ちょ、ちょっと何よ、何なのよ! お帰りって言われても、何処に帰れば良いのか分かんないんだけど」
 「そうかい? ……そうかもねぇ。なら仕方ないねぇ、探すしか無い」
 「探す? ……何をよ」

 天子は辺りを見渡した。いつの間にか辺りは見渡せる程度の明るさを取り戻していた。
ネオンのような原色のワイヤーフレームで出来た床と柱。あちこちが緑と黄色に彩られている。
天子が戸惑っていると、向こうから辛うじて犬か猫のように見える線の塊が歩いてきた。

 「えっと……アンタも喋れるの?」
 「アルハトリバウニルサムセスサムセソ?」
 「えっ」
 「モケケピロピロ」

 言語と取れなくもない何かを呟いて、線の塊は過ぎ去っていく。後にはポカンとした天子が残されていた。

 「えっ……?」
 「ありゃランガージュさ。言語ですら無い。無理矢理処理しようとするから、化けてるんだよ」
 「……アンタが喋る言葉に、心底ホッとするわ」
 「一応、これでも神様に近いモノだからねぇ。これ位は」

 そう言うと自称神らしい鳥は、苦い顔――かは目が無いため分からないが、少なくとも天子はそう感じた――をした。

 「分からない方が良い。なんせ"こっち"で分かっただけ、"あっち"で分からなくなっていく。
  馬鹿のふりをしておきな。それが身を助けることも有る、アタシの主人が"こっち"でそう考えて居るように」
 「分かっただけ……分からなくなっていく?」
 「そういう物なんだ、あっちとこっちは。不可逆じゃ無いのさ……
  今のアンタは、丁度良く色々な物が分からなくなってる。だから今なら戻る事も出来る。探すんだよ」

 すると鳥は「言うだけは言った」とばかリに天子に背を向ける。慌てて天子は、追うように声を掛けた。

 「ちょ、ちょっと待ってよ。こっちに……女の子が入って来なかった? 黄色リボンを付けた黒い帽子の……」
 「……その子については、アタシより先輩だからあまり知らんけどね。
  だけど間違いなく"分かっちまった"子だよ。あまり……期待をしない事だね」

 何処か突き放したような、冷たい声。天子が言い淀んで居ると、向こうから「あぁ、そうそう」と声がかかる。

 「三つの眼がお前を見ている。気を付けなよ」

 天子が手を伸ばすと、既に鳥は蛍のような光となって、消えた。
呆然と、先ほどより少し明るくなった室内を見る。緑のワイヤーフレームで出来た檻越しに、動物達と目が合った。


 ◆


 「三つの眼……三眼?」

 奇妙に色を変え続ける通路を歩きながら、天子は先ほど言われた言葉を復唱した。

 「三つめの眼って言ったら、肉眼、天眼……慧眼? 本質が見られてるって事かしら」

 それに対し、どう気を付ければ良いのかまでは分からないが……。と言うか、見られて困る本質なんて無いし? 
しかし、探せと言われたものの、何をどう探せば良いのやら。言葉の通じるものは、先ほどの金ピカ鳥を除いて居そうに無い。
仕方なく、天子は暫くの間とぼとぼと歩き続けた。

 「にしても、何なのかしらここ、カラフルで……センスの悪いお屋敷ね、ホント」

 地霊殿。聞いた事の無い場所だ。いや、天狗の新聞かなんかに載っていたかも知れない。
だのに、なぜ自分はそんな所に居るのだろう? 天子は首を捻る。分からない事が多すぎて、気持ちが悪い。

 ――えぇん、えぇん。

 遠くから、何かが泣いている声が聞こえてくる。幼い子どものような。
それが自分にも理解出来る事に気付き、天子は訝しんだ。

 「泣き声は泣き声だから伝わるのかしら。意味のある言葉にならない? ……止めましょ、考えない方が良いのね」

 分かっただけ分からなくなっていくという、金ピカの言葉が脳裏に木霊する。
知ればマトモで居られないような、そう言う場所なのだろう。天子の背筋に怖気が走った。

 ――えぇん、えぇん

 「あぁ、はいはい、行けば良いんでしょ」
 
 なんにせよ、退路が無い以上誘いに乗るしか無いのだ。天子は理不尽と己の迂闊な行動を呪いながら歩みを進める。
一歩一歩毎に辺りは明るく、そして彩度が増して行く。黄と緑のタイルが延々と続き、天子は目を細めた。

 「この、目に痛い配色、何とかならないのかしら……」

 周りに等間隔で配置してある檻の中も、だんだんと騒がしく成って行く。天子には意味の分からぬ、甲高い言葉。
泣き声も近づくに連れて大きくなっていく。天子の耳から頭がぐわんぐわんと揺らされる。

 「ああ、もう、頭痛い」

 三つの目が見ているらしい。ならばこの喧騒こそが、人の、そして妖怪の本質だとでも言うのだろうか?
そうだとして、なぜ私がそんな物を見ているのか。何かの手違いじゃ無いのか。天子は考える。
ああ、何かきっと、良くない事が起きるのだ。この気分は……そう、何か悪い事をした後、母に怒られに行く時の気分。
つらつらと思い出す。そう、そんな時私は、いつも木に登っていた。母屋の裏手に有る、一際高い松の木に。

 まだ天に召し上げられる前の、他愛のない思い出。

 ……なぜそれを、今の今まで忘れていたのだろう?


 「……そっか。あっちで分からないって事は、つまりこっちでなら分かるって事――」


 えぇん……。

 ぴたりと泣き声が止んだ。天子が立ち止まった檻の中では、女の子が膝を抱えてうずくまっている。
少女の長い黒髪が檻の冷たい床に散らばる。天子は、唇を噛み締めるようにして檻の前に立った。
目の前の少女から、はぁ、と息が一つ漏れ。天子はその息遣いを知っている。その声を、誰よりも多く聞いている。

 「地子」

 "天子"になる前の、冷静で臆病な私。いつの間にか、こんな所に置いてきていたのか。

 「なんでそんな所に居るの?」
 「…………」
 「また泣いてるの? 泣き虫チコ」

 "天子"の顔に侮蔑が入り混じった笑みが浮かぶ。何時だって泣いていて、何時だって怯えている"地子"は、
"天子"が安心して馬鹿に出来る対象だからだ。

 「泣いてばっかりで動かないから、自分から檻の中に入ったの? それで安心のつもりなのかしら」
 「……」
 「そうやって、何も言わなければ突っ掛かられずに済むなんて間違いだって、ずっと前から知ってたでしょう!」

 ガシャガシャ音を立て、檻が揺れる。"天子"が檻を掴んで揺らしているのだ。

 「……◯◯-◯--◯」
 「何? 聞こえない。言いたいことははっきり言いなさいよ、面倒くさい奴ね」
 「……そう、聞こえないんだ」

 先ほどまで泣きじゃくっていた筈のその声は、天子の耳に酷く冷淡に響く。


 「ヒトゴロシ。ずっとずっとそう言ってたのに」


 泣き笑いの声で呟き、地子はゆっくりと立ち上がる。三日月の形に吊り上がった口に、翡翠色の目が爛々と輝いた。

 「何、を」

 その只事ならぬ様子に、天子は一歩二歩と後ずさる。いつの間にか辺りは再び幽暗に戻り、天子のすぐ背後には、壁……
いや、天子はいつの間にか檻の中に入っていた。閉じ込められていた。地子と共に。

 「人殺し? 何を……」

 天子は緋想の剣を探し、その手に空を切らせる。

 「これをお探し?」

 腰に下げていた筈の緋想の剣は、何故か地子の手に握られていた。ブォンと風が鳴り、緋色の刃が姿を現す。

 「あん? なんでアンタが」

 天子が鼻で笑おうとして、軽く肩を上げた。

 どすり。

 生半可な刃では傷一つ付かない天人の肌を、翠色に煌めく剣は安々と貫く。
肩に深々と刃の先端を埋め込まれた天子が、一拍遅れて冷たい床に倒れこんだ。檻がその背を強かに受け止める。
天子の抉られた箇所から黒い泡がゴボゴボと溢れ、床に落ちた。

 「思い出す? 思い出せるかしら? 初めて緋想の剣を握った時、お前はまずこうやって私を殺したよね。腹を刺して」
 「う、ぐっ……」
 「今日はお前が死ぬ」

 長い髪の奥から、地子の爛々と光る目が覗く。緋色の刃が、今度は天子の腹部を刺し貫いた。

 「あが」

 おびただしい量の泡が泡で押し流され、天子が呻く。

 「嘘つきめ!」

 その目ははっきりと殺意に歪み、蛍光ペンのインクのような液体が、大粒の雨のように目元から転がり落ちていく。

 「お前は何一つ上手くやれてないじゃないか」
 「これから……よ。これから」

 肩と腹を貫かれてなお、天子は唇の端から泡を吹きながら、ニィと笑った。

 「私に任せなさいって」
 「そうやってお前は何時も私を殺す」

 対する地子は、緑の瞳をクシャクシャに歪めて、叫んだ。


 「母様もお前が殺したのよ!」


 「――何を言って」

 どすり。刀身が引きぬかれ、再び天子の肌を貫き裂く。髪を振りしだきながら、地子は何回も天子の身体を穿った。

 「お前が、お前が、お前が、お前が!」

 どすりと言う音がぐちゅりに変わり。

 「何度も、何度も、何度も、何度も!」

 グチュグチュとした音が、完全な水音に変わった。

 「忘れるからっ……!」

 黒く溢れる泡に緑のまだら模様が落ち、灰色の床を極彩色に彩る。
天子の上半身と下半身の繋ぎ目は、ポップコーンが弾けた後の袋のように張り裂けている。

 「…………--◯◯◯-◯」

 天子であった物は、何かを言おうとしてゴボゴボと泡を口から吐き出した。
地子は荒い息を吐き、ズタズタに引き裂いた腹内を素手で探りだす。
泡の中からさとりの人形が取り出され、地子はそれを玩具を散らかす子供のように投げ捨てた。

 「これじゃない…」

 様々な物が、天子の腹から取り出されては捨てられる。
その様子は、さながら何かを探すため、ハンドバッグをひっくり返すようであった。
桃。ヤマメの人形。パルスィの目。桃。石。金平牛蒡が中に入った芋餅。スキマ。猫缶。桃。小さな刀。一升瓶と衣玖の人形。
様々な物が引き出され、そして無造作に黒と緑のインクに汚れる。

 「無い……無い……なんで無いの……?」

取っては捨てを繰り返し、地子は呆然と呟く。やがてその声は、だんだんとヒステリックに上ずっていく。

 「なんで無い! なんで無いのよ! ……あぁ、母様……!」
 「ゴボッ……人の腹の中ひっくり返して、随分勝手な言い草じゃないの……ゴボ、ゴボッ」
 「うるさい、うるさいうるさい……! お前が!」

 泣き怒りの地子から、すうと波が引くように表情が消えていった。
無表情の貌に、ただグリーンアイの化物だけが張り付いている。

 「お前なんか"天子"じゃない」
 「何、今度は」
 「ヤリナオセ! ヤリナオセ! ヤリナオセ! ヤリナオセ! ――ヤリナオセッ!」

 狂ったように地子が叫ぶ。その表情は、天子と同一の物とは思えぬ程悪鬼めいたそれであった。
ゴボゴボと泡がさざめき、先ほどから付いていた汚れごと天子を飲み込んでいく。
沈んでいく意識の中、天子の唇だけが「私は」と僅かに動いたように見えた。


◯-◯◯◯◯--◯◯-◯-◯◯◯--◯◯-◯-◯◯◯---◯-◯◯-◯◯◯◯--◯---◯-◯◯◯◯--◯◯-◯-◯◯◯--◯◯-◯-◯

--◯-◯--◯-◯-◯◯-◯◯◯◯--◯◯-◯-◯◯◯◯--◯--◯◯-◯-◯◯◯

---◯-◯◯-◯◯◯◯--◯---◯-◯

-◯-


 ……子! おい、天子!」

 大音声が耳元にぐわんと響き、天子は嫌そうに顔を顰める。
しかし、それを見たであろう主は、一転してどこか安心したような声に変わった。

 「良かった、起きたぁ……血塗れで地べたに転がってるから、本当に死ぬのかと思っちゃったよ」
 「……え、何、ヤマメ?」
 「おうおう、寝床を占領された私の家さ。パルスィから事情は聞いてたけど……ゴメンな、何の役にも立てなくて」

 少し涙ぐんですら居た気恥ずかしさからだろうか。ヤマメは後頭部をポリポリとかきながら、口元だけで笑った。
天子からすれば、それはなんとなく安心する仕草。どこか恐ろしい所から帰ってきたのだと実感するような、日常の仕草だった。

 「良いのよ。私だって役に立ってたのか、怪しい物だったし」
 「濡れた布巾、取ってくるよ。一応、身体についてた汚れは拭ったけど、ちゃんと拭いといた方が良い。
  酷くうなされてたし、寝汗が凄いよ」
 「あ、うん。ごめんね、何から何まで……」










 「え?」

 ――愕然と、固まる。
天人は汗などかかない。そんな不浄は、とっくに置いて来た身のはず。
しかし現実に、身体には初めて感じるベトベトとした感触があった。初めて感じる痒みが有った。
何よりも頑丈で有るはずのこの身体が、不快感を覚えるなどと――

 「あ、あ……」

 つまり、来るべき時が来たと言う事。この身がついに、天人で無くなったと言うだけの事。
だと言うのに、恐怖から滲み出る震えが止まらない。バラバラになりそうな身体を、天子は必死に掻き抱いく。

 身体臭穢。

 比那名居天子の五衰が、始まった。


【地生不滅】編に続きます。
※誤字修正しました。「様」→「よう」は一度一律でかなに直した後、人力で拾いきれなかったのが混じっています。
はまちや
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コメント



0.600簡易評価
5.50名前が無い程度の能力削除
言葉の選び方とか、モノの例え方とか、描写の仕方とか、ジョークとか、紙一重でスベってる感があります
今のところ良いなと思ったのは天子のロックンロールくらいです
わかり難い、ピンと来ない、世界観に合わない描写の多さ、半霊のコンボとかコピペで三回繰り返す事に面白さは無かったとか、まあ色々とあるのですが、ストーリー自体は続きが気になるので、次行きます
6.100片隅削除
引き込まれるお話。面白い。まだまだ続きが残ってるのが嬉しい。
8.100絶望を司る程度の能力削除
これは、気になる終わり方をしてくれますね……。
続編、楽しみにして次に行こうと思います。
9.100dai削除
久しぶりにいい作品を見れました。
次もすぐ読みます。
10.90奇声を発する程度の能力削除
ここからどうなって行くのかが楽しみです
11.70名前が無い程度の能力削除
とんでもない労作なので真面目にいきましょう
1/5ということで物語の構造や展開についてはまだ言いません

まず言っておきたいのは私が漫画やアニメを全く知らない人間だということです
したがって、散りばめられているであろうパロディやオマージュを理解できていないと思われます
そういった人間から見るとこの作品は、台詞回し、地の文の語彙選択で随分と背伸びというか足が地に着いてない感じがします
奇を衒った、受けを狙った、格好をつけた言い回しが非常に多いですが
これらは自然な台詞の中にあって初めて輝くものだと思います
そればかりだとキャラクタの魅力を伝えるどころか、最低限の情報の伝達(つまり何が言いたいのか)までわかり難くなってしまいます
現にいくつか明らかに意味が通らないとしか思えない台詞があります
戦闘シーンに突入してからは地の文での感情表現(感情の説明ではなく)が突如現れ、これが読者に没入ではなく逆に「覚め」を促していて、もったいないと思えます。

いろいろと突っ込みましたが、物語として総体としては面白く、長いにも拘らず「次を読もう」という気にさせるだけの力を持った作品だと思います(それが一番大事なことでもあります)
それではまた最後まで読み終えたときに
12.100名前が無い程度の能力削除
いいですねぇ!次も見たくなります!今日は見ないけども!あなたの作品好きですよ!!
13.100名前が無い程度の能力削除
先が楽しみです
15.90名前が無い程度の能力削除
アクションにエロスに突然の飯テロまで。このてんこ盛りな感じはかなり好きです
天子の先行きに緊張しつつじっくり続きを読みます
16.100名前が無い程度の能力削除
くっそ長いのにちょっと及び腰だったけどここまでは期待以上の出来
これは徹夜コースだな
19.100名前が無い程度の能力削除
物凄い容量なのでちょくちょく読み進めさせて頂いてますが、本当に面白いです。
今のところ今年最も記憶に残る作品なのは間違いないです。
21.90名前が無い程度の能力削除
いいね
23.90名前が無い程度の能力削除
11番さんが的確なこと言ってるな・・・
記号化された俗語・スラングもまた言葉ではあり、それに明瞭な良悪の判断つけれないが、より正当な日本語を考えるなら最低限に留めるべきなのかもね。
物語はすっげー面白いし、よく練られてると感じます。次行きます。

誤字
>お嬢よう お客よう
お嬢様? お客様?

>莞とした笑み
莞爾とした かな?

>披露
疲労
24.60名前が無い程度の能力削除
紙一重で滑ってるっていうのが言い得て妙だな。
言いたいこと言ってくれてる。
話のストーリー自体は凄く面白いんだけど、会話文中の言葉選びが
雰囲気を台無しにしてる場面が多い。
知ってる人ならニヤリと出来るようなのも知らない人間からしたら
白けてしまう。どうしても入れないと気が済まないなら仕方ないけど
もう少し控えめにした方がいいかな。
次読んできます。
25.100名前が無い程度の能力削除
とても面白い
27.100名前が無い程度の能力削除
オリ要素多めだけど世界観がしっかりしてるので分かりやすいし違和感なし
パロネタはちょっと多い感じあったけど雰囲気壊すほどじゃないし気にならなかった
続きがすごく楽しみ