Coolier - 新生・東方創想話

鏡に映る

2014/06/30 19:57:36
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 最近、少し暑くなってきた。十六夜咲夜は考える。
 何だって湖の真ん中にあるのに、窓なんて殆ど無いのに、紅魔館は夏になると蒸し暑いのか。地下は地下でひんやりとはしているけれど、やはりジメッとした空気が溜まっている。
 そういうわけで、掃除などは時間でも止めないとやっていられない。時間を止めれば暑さも感じずに掃除が出来る。
 そのうちにお嬢様、レミリアスカーレットの居室に至る。ノックもせずに時間を止めたまま侵入するのは、暑さを厭ってのことだから仕方ない。仕方ありません事よ。それにお嬢様がお昼寝の最中だったときに寝顔……ではなくて、起こしてしまわないようにと言う瀟洒な気遣いでもあるのですわ。
 さて、レミリアの居室では少し奇妙な光景が演じられていた。
 鏡には映らないはずのレミリアが、姿見をのぞき込んでいる。そして不思議なことに鏡にはレミリアが映っているのだ。大方、図書室の友人に頼んで魔法の鏡でも作ってもらったのだろう。
 後ろに手を組んで、少し前屈みになりながら首を傾げて鏡をのぞくお嬢様。今は時を止めているので分からないけれど、背中の羽根もパタパタと動いているに相違ない。
 咲夜はレミリアの羽根が動いているのを見たくなってしまった。
 そして時は動き出す。
 咲夜は部屋の物陰に隠れて、楽しそうに鏡をのぞくお嬢様を見守った。覗いているのではない、見守っているのです。
 レミリアは鏡の前を首を傾げたまま、二回ほど往復して見せた。それから鏡に顔を思いっきり近づけて、自分の頬を引っ張ってみたり、羽根をパタパタさせてはしきりに感心する。そうして、ようやく自分が鏡に映っていると言うことに得心がいったのか、今度はポーズを取り始めた。グングニルを出して構えてみたり、腕を組んでカリスマを演出してみたり、いつぞや咲夜の買ってきた猫耳カチューシャを付けてみては赤面してみたり。
 最後にはきりっとした表情で、「私ってなかなかに美人ね」と格好付けた。
 それまで物陰で悶えていたメイド長は時間を止めるのも忘れてクスリと笑ってしまった。美人と言うよりは、まだまだ可愛いですよ。

「誰?」

 咲夜がしまったと思ったときにはレミリアは後ろを向いて、咲夜の顔をハッと見て、見る見るうちに顔を赤くすると、一度鏡の方を確認した。そこで、もう一つ驚いたような顔をして……
 十六夜咲夜は時間を止めて脱出した。
 
「危ないところだったわ」

 ほっと一息。
 どこからともなく「咲夜ー」と呼ぶ声が聞こえたので、また時間を止めて逃げる。
 さて、どうしたものか。十六夜咲夜は思案した。お嬢様は怒っているに違いない。このまま出て行って怒られるのも悪くはない、顔を真っ赤にして怒るお嬢様というのもなかなかに可愛らしい。しかし、機嫌が直らないままというのも少し困る。お嬢様のことだから三日もすれば普通に話してくれるのだろうけれど、その三日が寂しい。
 かくなる上は、怪獣である。間違えた、懐柔である。この際モケーレムベンベは関係ない。関係あるのは甘いお菓子である。子供が機嫌を崩したときの手段と言えばお菓子に決まっている。
「咲夜ー、怒らないから出てきなさーい」というお嬢様の声を尻目に咲夜は人里へと買い物に向かった。



 時刻はほんの少し前に遡る。お嬢様ことレミリア・スカーレットは昼寝をしていた。その寝顔を見た者は口を揃えて「天使のような寝顔だった」と言い、事実その愛くるしいことには何の疑いもない、彼女は悪魔であると言うことは往々にして忘れられる。
 それはそれとして、いつもより少しだけ早く昼寝から醒めたレミリアは、少し厭な夢を見ていたような気がした。どんな夢だったのかはあまり良く覚えていない、とても寂しい夢だったような気がする。誰かを必死で呼んで、でも誰も出てこない、そんな夢。しかし、そんなことは良くあるのだ、気にしても仕方ない。それでも、時折不安になることはある、目覚めたら何千年も経っていて、周りに誰もいなくなっているんじゃないかとか、そんな風に考えて眠れないときもある。
 しかし、不安な時間は長くは続かない。レミリアは目覚めたばかりで焦点の定まらない視界の中に、見慣れない物が置いてあることに気がついた。
 あら、昨日パチェに頼んでおいた鏡かしら、随分と早いじゃない。急に浮き足立ってくる気分を諫めるように独り言つ。
「しかし、私の寝ている間に部屋に入ってくるなんて、中々失礼じゃないかしら、でもまあ今回は頼み事をしたんだし、不問にしてあげてもいいかしらね」
 優雅に起き上がったつもりのお嬢様だが、瞼は半開きで、動作は少しもっさりしている。悪魔でも寝起きは弱いのだ。もっと言ってしまえば、「今回は」などと考えてはいるものの、お嬢様の寝顔はフラン様の寝顔と並んで紅魔館住民の日々の癒やしとなっている。知らぬが仏と言ったところである。くどいようだが、仏でもない。あくまで悪魔である。
 さて、寝ぼけていたお嬢様は、ぴょんとベッドから飛び降りると鏡の方に向かって歩いて行った。寝ぼけていながらも、背中の羽根は期待でいつもよりシャンとしている。お嬢様は自信満々だ、この紅魔館の主たる私は絶世の美女に違いないわ、と。
 鏡の横に来たレミリアは、早速鏡をのぞき込んでみる。そこには白い肌に、青みがかった銀髪と、深紅の瞳の良く映える美女(レミリア脳内補正)が映っていた。実際のところは可愛らしい幼女であるが。
 さて、賢明な読者諸氏におかれては、レミリアの背後に咲夜が隠れていることに気付かれるであろう、事実その通りなのだが、咲夜は時間を止めて出入りをしていて、かつレミリアは鏡に自分が映っているという事実に夢中なので気付くはずもない。
 かくして、レミリアは一通り鏡のまえで動いてみて、映っているのが自分であると言うことを確信し、ポーズを取り始めるに至る。グングニルやカリスマ演出については気に入ったものの、ネコ耳を付けるに至っては、少し落ち着いてみてみると、とても恥ずかしかったのですぐに仕舞った。
「うん、私って中々に美人ね」
 一人でいると気が大きくなるのは人の常、妖怪とて例外ではない。中々に恥ずかしい台詞をキメ顔で言ってみて、今のはちょっと恥ずかしいなと思ったところで後ろからクスリと笑い声が聞こえた、様な気がした。

「誰?」

 誰かに見られてたら死ぬほど恥ずかしいわ。そう思って振り返って見ると、物陰にいる咲夜と目が合った。顔が赤くなるのが分かる、これぞスカーレット・デビルね、じゃなくてどうしようかしらこの状態、死ぬほど恥ずかしいわ。お、落ち着きなさい私、大体あの位置なら私の目の前にある鏡から見えたはずでしょう。
 咲夜と目が合った一瞬の後、レミリアは鏡に目をやった、そこには物陰に隠れている咲夜が映っているはずなのだ。しかし、そこには咲夜は映っていなかった。それだけではない、咲夜が映っているはずの所には、部屋の床と家具しか映っていないのだ、もっと言ってしまえば、映っていないのは先ほどからずっと、であったことにレミリアは気付く。そこに咲夜が居たのなら、確かに鏡にも映っていたはずなのだ。
 ――鏡に誰かが映っていると言うことは、その誰かからも貴方が見えると言うことなのだ――
 レミリアは昔読んだ小説に、こんな趣旨の一文があったのを思い出す。咲夜がいたのは見間違いだろうか、それとも――

「咲夜?」

 部屋の外に呼びかけてみたけれど、返事がない。怒られると思って、返事をしないのだろうか。

「咲夜ー、怒らないから出てきなさーい」

 しかし、咲夜は現れなかった。怒らないと言っているのだから、出てこない理由はないはずよ、そう思ったレミリアは段々と不安になってきた。鏡を見返すと、銀髪の少女が不安げに、一人でこちらを見つめている。そう、一人で。鏡の中には彼女しかいない。
 レミリアは思う。そういえば、パチェに頼んだ鏡だけれど、時間がかかるかもしれないって言ってたっけ、やけに早かったけれど。それに、さっきまで見てた夢、なんだか寂しい、厭な夢、誰かを呼んで、呼んでも呼んでも出てこない、そんな夢だったような気がする。ねえ、もしかしたら、もしかしたら、私がちょっとだけ長く、そう、百年くらい昼寝をしていたとしたら? 私が気付かない間に咲夜がいなくなってしまったから、咲夜はいくら呼んでも出てこないのだとしたら? そんなはずはない、それなら部屋の様子はもっと変わってもいいはず、頭では分かってる。でも、一人の部屋にいると、不安は段々広がって、それはまるで夕立を降らせる雲みたいに、どんどん暗く広がって。

「咲夜ー、ねえ、いるんでしょ? お願い、出てきて」

「ねえ、咲夜?」



「……」

 廊下に敷かれた紅いカーペットが、無機質なレンガの壁が、廊下の向こうの暗闇が、すっと声を飲み込んで、あんまりにも空っぽで。
 咲夜だけじゃなくて、みんなが居なくなってしまったような、そんな気がした。数少ない窓から廊下に射し込む気怠い日差しが、カーペットの一部を四角く、セピア色に切り取っていた。








 フランドール・スカーレットはボーッとベッドに寝っ転がっていた。昼寝から目覚めて、まだ少し、うとうとしながら天井を眺めていた。寝ぼけた手のひらに、ベッドの「目」を移動させてみて、ハッとして元に戻す。危ないところだった。また、ドカーンしてしまうところだった。
 そのまま、何を考えるでもなく、眠るでもなく横たわり、まどろみの中をたゆたう。柔らかなベッドと、耳を浸す静寂は彼女の意識をゆっくりと沈めていき、頭上に広がる暗い天井は重い瞼の向こう側へと遠ざかる。そんな心地よい微睡みの中に、一本の無遠慮な手が差し伸べられて、彼女の意識を地上へと、乱暴に引き上げてしまった。その腕は、忙しない足音だった。パタパタと聞き慣れないそれは、足音もなく扉のまえに現れる従者のそれではなく、妙に威張った歩き方で悠然と歩いてくる姉のものでもない。フランは少しだけ、身構えた。足音は扉のまえで止まり、足音の主は声を発した。

「フラン、いる?」

 妙に切羽詰まったその声は確かに姉のもので、フランはすっかり体の力を抜いて、そうして少しだけ苛立った声で答えた。

「いないわよ」

 そう言い終わるか終わらないかの内に、姉はバタンと扉を蹴飛ばすように開け放って、もの言いたげな妹の元へ一直線に駆け寄ると、有無を言わさず抱きしめた。
 ははーん、なにか姉妹ものの感動物語でも読んだわね、とフランは一瞬思った。次の瞬間にはなにか格好付けた名台詞でも言い出すに違いないわ。

「よかった。フランは何処にも行かないよね」

 ほら、やっぱり、と言いかけて姉の声が涙ぐんでいることに気付いた。すすり泣く声が耳元から聞こえる。全く、どうしたのかしら。

「全く、どうしたのお姉様。寝ている妹をたたき起こして、いきなり抱きついて泣き出すなんて、いつも無駄に気取ってカリスマを演出している尊大なお姉様らしくないわよ…… って泣き止みなさいよ、何があったのか解らないじゃない。別にお姉様の事は心配でも何でも無いけど、話くらいなら聞いてあげるわよ」

 本当のところを言うと、すごく心配である。しかしフランお嬢様はそんなことをおくびにも出さない。

「フラン、今日って今日よね」
「お姉様、言っていることが解らないわ」
「そうじゃなくって、昨日は、昨日だったよね」
「お姉様、言っていることが変わらないわ」
「えっと、そうじゃなくて、今日って言うのは、昨日の明日よね」
「お姉様は、今日がいつかって聞きたいの?」

 レミリアは無言で頷く。

「今日はお姉様が私にプリンを食べられて、ふて腐れて図書館に行って、魔法使いに無理難題を言いつけた次の日よ」

 ややあって、姉は答えた。

「そう…… そうよね。そんな筈、ないわよね。ごめんねフラン、少し、変な夢を見て、混乱しちゃった」
「全く、夢なんかで取り乱さないで欲しいわ。心配しちゃったじゃない」

 あっ、心配したって言っちゃった。まあ、いいや、しかし夢なんかであんなに取り乱すとは、心配して損しちゃったわ。お姉様のおやつは今日の分も私のものね。

「しっかし、どんな夢を見たの?」

 姉の能力が能力なだけに、気になることには気になる。

「私も、良くは覚えてないんだけどね、なんだかとても寂しい感じのする夢だった。私が一人で誰かを呼んでいるのだけれど、誰も居ない、そんな夢だったような気がする」がらんどうの、空っぽで、灰色がかった寂しい夢だった。「それでね、目が覚めてからしばらくして、咲夜を呼んでみたけど、返事がなくて、いくら呼んでも返事がなくて……」
「それで、本当に誰も居なくなったんじゃないかって思ったの?」
「うん」
「全く、お姉様ったらバカね」私がお姉様を置いて居なくなるなんてこと、あるはずがないわ。
「うん」

 いつもなら、バカと言われてそのままにはしないレミリアも今ばかりは素直に頷いた。しかし、咲夜も一体どうしたのかしら? お姉様を放っておくなんてらしくない。いつもお節介なくらいに身の回りの世話を焼くのに、実際に少し鬱陶しいのは本人には言わないけど。少し、咲夜のことも心配ね、どっかで熱中症でも起こしてるかもしれないわ。
 フランは立ち上がると、開け放したままの部屋のドアへと向かった。

「フラン、何処に行くの?」
「ちょっと咲夜を探してくるわ」

 そう言い残して、フランは地上への階段を上っていった。








 そのころ、十六夜咲夜はといえば厨房でプリンを作る準備をしていた。お嬢様の機嫌を直すならば、昨日フラン様に食べられてしまって落ち込んでいたものが良かろうという考えである。
 咲夜が手際よく調理器具を準備していると、外からフランの声がした。

「咲夜―、いる?」

 そう言いながらフランは厨房に入ってきた。一方の咲夜は時間を止めてレミリアが近くに居ないことを確かめた。

「何でしょうか? フラン様」

 咲夜がそう尋ねると、フランはとても怪訝そうな顔をして言った。

「何だ、普通に元気そうじゃない」
「どうしたのですか?」
「うん、いやね、お姉様がいきなり私の所に来て、『咲夜が居ない』って泣くもんだから、何があったのかな、って思ったんだけど。何でもなさそうね、出てきて損しちゃったわ」
「あら、お嬢様が?」

 しまったなあ、と咲夜は思う。てっきり怒って探し回ってるものだと思っていたのだけれど、まさか泣いているとは。そんなに恥ずかしかったのだろうか。ちょっと悪戯の度が過ぎたかと咲夜は後悔する。プリンが出来たら謝りに行きましょう。

「ところで咲夜、貴女、お出かけついでにお饅頭を食べてきたでしょう?」
「えっ? 食べてませんよ?」
「でも咲夜、口元に餡子がついてるわよ」

 咲夜は慌てて口元を確かめて、餡子がついていないことを確認してから言う。

「食べてませんよ」
「咲夜、全然誤魔化せてないわ」
「ところで、フラン様は粒あん派ですか、こしあん派ですか?」
「私はこしあん派だけど、咲夜、歯に粒あんがついてるわよ」
「あらあら」

 次の瞬間、咲夜の歯は綺麗になっている。恒例の種なし手品。フランはというと若干呆れ気味である。

「まあ、それはいいんだけど、お姉様が呼んでも出てこないなんて咲夜らしくないじゃない、何があったの?」
「それはですね、かくかくしかじかで、今の所隠れている訳なんですよ」と咲夜は今までの状況を説明する。
「ふうん、なるほどね。でもそれ、話していいことだったの? 鏡のまえで決め台詞なんて、暴露されたら、お姉様怒るわよ? ……って今気付きましたみたいな顔をしないで頂戴。それと、お嬢様には内密に、って顔も止めなさい」
「あらあら」
「……でも、大体の状況は解ったわ。まあ、それは置いておいて、咲夜は何を作っているの?」とフランは楽しそうに尋ねる。事態は結局何でもない事みたいだし、甘いものは大好きだ。
「プリンですよ」
「あら、またプリンなのね」
「ええ、『また』ではない方がいらっしゃいますから」
「何のことかしら? それはそれとして咲夜、プリンは三人前作ることをオススメするわ」
「三人目は誰ですか?」
「お姉様よ」当然二人分は私のもの。「それと、爆発音がしたら、お姉様の部屋の片付けをお願いね」

 フランはそう言い残して厨房を出た。








 フランは迷わずレミリアの部屋に来ると、ノックもせずにドアを開けて中へと入る。中には姿見があった。フランは考える、私の読みが正しければ、お姉様は咲夜が見つかるまでこの部屋には来ないはず。さて、あれが元凶の鏡かしら。
 フランが鏡の前に立つと、中には白い肌に赤い目と金髪の良く映える美女(フラン脳内補正)が映っていた。ふむ、お姉様よりも、私の方が美人ね。
 それから鏡を壊す準備をする。
「鏡のくせにお姉様を泣かすとは、全く生意気ね」
 きゅっとしてどっかーん。








 一方の咲夜は、完成したプリンをカッパ重工製の冷蔵庫で冷やすと、お嬢様を探して図書館へと向かった。

「パチュリー様、お嬢様を見かけませんでしたか?」と図書館に入っていくと、当のパチュリーは息も絶え絶えという様子で椅子に腰掛けていた。
「見たも何も、今さっきまで弾幕ごっこをしてたわよ。何があったの?」
「弾幕ごっこですか?」
 それはまた、唐突な。咲夜はそう思った。フラン様から聞いた言葉だと、お嬢様は落ち込んでいるのではなかったか。それとも、元凶の鏡を作ったパチュリー様に八つ当たりをしにいったか。
「全く、参ったわよ」と魔女はことの顛末を語る。


 パチュリーは広大な図書館の真ん中にいる。パチュリーが知る中で、最も親しげな者達、思慮深く、時間を惜しまず、押しつけがましくない者達が隙間無く本棚に詰め込まれて、普通の建物の二階分はあろうかという高さの本棚は静かに、まるで墓標のように整然と立ち並んでいる。いや、墓標が人の生きていたという記念碑ならば、本というのは正にどんな墓石よりも、どんな霊廟よりも、確かな墓標なのだ。そして彼らは、墓標になってなお、生きている。決して耳には届かない囁きが、本棚の間の何もない空間を満たして、そして図書館は単なる本の倉庫ではなくなる、図書館になる。とても静かで、心地よい。
 しかしそんな心地よさを破る声が一つ。

「パチェ、昨日頼んだ鏡、ありがとうね」
「あら、どういたしまして」

 パチュリーは本に栞を挟んで顔を上げる。しかし、友人の声がどこかとげとげしいのは気のせいだろうか。

「ところでパチェ、あの鏡について一つ聞きたいことがあるのだけど」

 いや、とげとげしいと言うよりも、どこか不安そうな声だ。

「鏡が、どうかしたのかしら?」

 別に、写るもの以外は普通の鏡の筈だ。話しかけても「この世で一番美しいのはお嬢様です」なんて喋ったりはしない。

「あの鏡って、もしかして吸血鬼以外の生き物が映らなかったりするのかしら?」
「ええ、そうね、映らないわ。その点については色々試したのだけど、駄目だったわね。私があたった文献にも、吸血鬼もそれ以外も写る鏡、なんてものはなかったわ。吸血鬼を写そうとすると、鏡面にかかる術式で、エルバ式鏡面処理術というものがあるのだけれど、その術式の三段階目が他の生き物からきた光をフランツ転移させてしまうみたいで、その三段階目をなんとかしようとすると、今度は第二式の媒介魔力変数が虚数単位に――」
「パチェ、もういいわ」

 えんえんと語り出す魔女を遮ってレミリアは言う。どうして知識人という人種は語り出すと止まらないのか、そして一晩でどうやったらあんなよく分からない言葉をすらすらと言えるのか。しかし、肝心なことは確かめた。あの鏡に咲夜が映っていなかったのは、咲夜が本当は居なかったなどと言うことではなく、単に鏡の特質に拠るものだったのだ。
 そう考えると、ほっとする。いつものレミリアなら、やっぱり咲夜に恥ずかしいところを見られていたと、焦るところだが、今回ばかりは安堵した。

「でもね、レミィ、時間はかかりそうだけれど、吸血鬼も他の生き物も映る鏡がつくれないこともないのよ。ただ、その処理だと反射が弱すぎて、殆ど見えないのよね」
「それって意味がないじゃない」
「うん、でも反射光を増幅する術式もあるにはあるのよ。でもその術式を使うと吸血鬼由来の光は逆に弱まっちゃうのよね。それで今度はナナシ・ナニガシの提唱した光に関する魔術理論を……」

 レミリアは少し腹が立ってきた。全く、人の事をさんざん吃驚させておいて、暢気に訳の分からないことを喋るんだから。

「パチェ、弾幕ごっこよ」
「え? いきなりなんなの?」
「弾幕ごっこ」

 運動不足の魔女がへたれこむのに、そうそう時間はかからなかった。
 レミリアは咲夜を探しに行った。そういえば、あれは殆ど八つ当たりだったわね、とレミリアは思ったが、特に申し訳ないとは思わなかった。


「――という流れで弾幕勝負になったのよ」
「それってパチュリー様の話を中断させたかっただけではないですか?」

 咲夜が苦笑いしながら指摘すると、魔女は心底意外だという顔をした。

「え、どうして? 魔術式って面白いでしょ? ほら、ナナシ・ナニガシの理論だって、先人達が行き詰まっていた問題を立体魔方陣の考え方を拡張するなんてエキセントリックな方法で――」

 目の前に居たはずのメイドはいつの間にか困り顔の小悪魔にすり替わっていたが、パチュリーは夢中で本のページをめくりつつ説明を続けた。結局パチュリーは、小悪魔が目を回して昏倒する三時間後まで気付かず終いだったという。
 一方の咲夜はといえば、レミリアの部屋で鏡越しにレミリアの顔が見えていたことを思い出していた、相手の目が鏡越しに見えれば、相手の目からだって、見えるはずなのだ。お嬢様が後ろから見守るメイドに気付かなかったのは、あの鏡に人間が映らないから、だったのだ。そう考えながら、咲夜はレミリアを探し回った。








 静か、静かな廊下。この静けさを前にしたらきっと、クラムボンですら笑わない。レミリアは何故だかそう思った。いや、静かなだけならば、きっとそんな事は思わないのだ。天井の高い廊下、後ろに広がっている空間が声を潜めて、そっと囁く、こっちにはなにもないよ、と。目の前に続く空間が意地の悪そうにクスクスと笑う、こっちには捜し物があるかもね、と。さすさす、とカーペットを踏む音は、枯れ葉を踏む音に似て、耳障りだ。
 羽根をしゅんとしぼませたまま、少女は歩いている。
 廊下の向こう側に人影がいきなり現れた。
 後ろで囁いていた空間は、唯の廊下になった。目の前に続く空間は、しんと静まりかえった、笑っているものなど、囁くものなど、いなかった。
 人影は少し、困ったような、申し訳なさそうな顔をしている。
 駆けだしたレミリアの足下にあるのは赤い絨毯だ、枯れ葉などではない。余所余所しかった石壁は、いつもの紅魔館の壁だ。

「咲夜!」

 レミリアは思い切り抱きついた。
 咲夜は少し面食らった。しかし、すぐに思い直した。この状態は天国である。正にメイドインヘブン。しかし、その前に言うことがある。

「お嬢様、その…… 済みませんでした」

 しかと抱きついたレミリアは、顔を上げて、咲夜を見上げながら言う。

「咲夜、お前は従者失格よ」
「済みません、つい出来心で覗いてしまって」
「咲夜のバカ。違うわ、全然違うわ。私が言いたいのはそんなことじゃないの。だってお前は主が不安で仕方なくて、怖くて仕方ないときに、いてくれないんだもの」

 ことここに至って、やや鈍感な従者にもお嬢様の泣いていたというその訳が、ようやく分かった。そうか、お嬢様は、私に決め台詞を見られて泣いていたんじゃない、私が呼んでも出てこないから、それで不安になっていたのだ。咲夜はつい、お嬢様の頭に手をやって、わしわしと撫でてしまった。

「咲夜、主の頭を撫でるなんて、し、失礼よ」

 そう言うレミリアの目が少し潤んで、レミリアはそのまま咲夜に顔を隠すようにしてしがみつくと、くぐもった声で言葉を吐き出した。

「咲夜のバカ、とっても怖かったんだから。あの鏡は私しか映してくれない、私がいるのに、咲夜はいない、あの鏡の中にはお前はいなかったのよ。本当に、本当に寂しくて仕方なかったのに…… バカ、咲夜のバカ」

 レミリアの頭の中を言葉が廻る。わかってる、いつかはその鏡の世界とこちらの世界が、同じになる日が来ることを。でも、分かっているからこそ、怖かった。前々から、ずっと言葉にせずにおいた恐怖に、あの鏡は形を与えてしまった、それを表す言葉を与えてしまった。わかってた。でも本当は、解ってなんか、いなかった。

「咲夜、今後は私の許可無く、私から離れちゃ駄目よ。側にいなきゃ」

 咲夜は微笑んで答える。

「お嬢様、私はお嬢様と一緒にいますよ」
「嘘は駄目よ」
「嘘ではないですよ」
「……そうね、嘘では、ないわね」

 ああ、やっぱりこの娘は分かっていないのだ、レミリアは思う。レミリアにとってのそう遠くない未来は、この娘にとっては遠い、遠い未来なのだ。
 でも、そう思いながらも、抱きしめた感触は本当で。咲夜は今ここにいる。
 今はまだ
 今はまだここにいる、確かにここにある。それはきっと明日も、明後日も、変わらない。現在を離れて彷徨っていた思考が、戻ってくる。
 今までは怖くて考えられなかったこと、咲夜がいなくなる日。きっとその時は、私は思いきり泣くのだろう、叫ぶのだろう。何日でも部屋にこもるだろう。きっと耐えられないくらいに悲しいのだろう。
 でも、今はまだその時ではない。今は確かにここにある。
 だから、
 レミリアは、咲夜から一歩離れると笑って言った。
「お茶にしましょう、咲夜。それから、あの鏡は壊してしまいましょう」
 パチェには悪いけど、あの鏡が映すのは、今はまだ見なくてもいい光景だ。



 場所は食堂に移って、レミリアとフランはプリンを前にして顔を輝かせていた。ちなみにフランのもう一人前は、フランが予め消費済みである。抜け目のない妹様であった。
 咲夜はと言えば、おやつを頬張る二人を見守るのに忙しい。

「あら、フラン、今日は私の分もとっておいてくれたのね」と上機嫌なレミリアが偉ぶって。
「お姉様、このタイミングで態度を繕ってもお姉様のカリスマはとっくに0よ」と妹様はやり返す。

 しかし、レミリアは上機嫌。

「そろってお茶が出来るって、いいわね。咲夜も立ってないで、紅茶でも飲みなさい」
「では、お言葉に甘えて」と咲夜も席に着く。

 平和な会話が続いた。きっとこの平和はしばらくの間続くのだろう。レミリアはそう思った。


 しかし、平穏なときは長くは続かない。
 その平穏を破ったのはフランの一言だった。

「ところで、お姉様、鏡は壊しちゃったんだけど、なんでも咲夜が鏡に映らないのがお姉様をこわがらせたみたいだから」
「そうだったの、ありがとうね、フラン」さすがは我が妹、私のことをよく解ってくれている。
「それで、私も鏡を見たんだけど、お姉様よりは私の方が美人ね」
「あら、それはどうかしら?」
「お姉様も、『なかなかに美人』だけどね」とフランは不敵に笑ってみせる。
「それって……」とレミリアは咲夜の方を見て、「咲夜? どこまで話したのかしら?」と睨む。
「記憶に御座いませんわ」と言って、咲夜は走って逃げだした。

 レミリアも走って追いかけた。

「こら、咲夜!」とレミリアの声が紅魔館の廊下に響く。二人分の足音を奏でながら、紅魔館を二人分の風が吹き抜ける。
 きっとこの平和はしばらくの間続くのだろう。

「ところで」とお姉様が食べかけで出て行ったプリンを前にフランは呟く。
「このプリンは、私がもらってもいいということよね」
 平和は、あまり長くは続かないのかもしれない。
小さい頃とか、眠れない夜に、独りぼっちで取り残されてしまうような気がして、どうしようもなく不安になって、という経験がありませんか? あるいは猫を撫でているときに、その猫に置いてかれてしまう日のことを考えてしまいそうになって、慌てて思考を振り払うなんて時がありませんか? レミリアお嬢様にも、そんな時があるんじゃないかなあ、なんて。
しかしレミリアを可愛くしようとしたら、フランが反動で大人びてしまった。でもまあ、五百年も生きていれば、五年くらいの年の差はきっとあまり関係ないはず。
コメディをやりたいといいながらシリアス気味になってしまうのは性という奴でしょうか。
因みに、作中でパチュリーがよく分からない理論を展開していますが、作者にも全く理解できません。知識人というのは困ったものです。
何かしら、文章などで気に入らない点がありましたら、びしばし指摘して下さい。読了ありがとうございました。

 追記、依然投稿していた作品についてですが、同じテーマでしっかり書き直してみたいなと言うことで幾つか削除してしまいました。読んで下さった方々、申し訳ありません。

七月一日追記
文章について、心情描写と地の文が紛らわしいと思われるところをいくつか修正しました。修正しきれているかは解りませんが……
指摘して下さった方、ありがとうございます。

更に追記
あろうことか、パチュリーの名前をパチェリーと勘違いしていました。あれだけの残機を落とされておきながら名前を間違えていたとは……
居眠り魔神
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コメント



0.560簡易評価
3.80絶望を司る程度の能力削除
地の文と心情が混ざっている所がありましたが、それをぶっ壊す程の面白さがありました。
4.無評価名前が無い程度の能力削除
第X次紅魔プリン戦争勃発である。勝敗や如何に。

パチュリーですよー。
6.80名前が無い程度の能力削除
失礼しました。点数を入れ忘れました。
7.90名前が無い程度の能力削除
ほのぼのレミ咲、時々フラン。良い作品でした。
文章構成だけ、ところどころ「ん?」と思うところが。先の方の通り、地の分と心情文が混ざっているせいだと思いますので、そこを気を付ければ満点でした。
9.90奇声を発する程度の能力削除
ん?と思う所もありましたが、面白く良かったです
13.100名前が無い程度の能力削除
萌えた
19.90名前が無い程度の能力削除
すごい好きです。
なんてラブリーなレミ咲なんだ……!!
「咲夜のバカ。違うわ、全然違うわ。私が言いたいのはそんなことじゃないの。だってお前は主が不安で仕方なくて、怖くて仕方ないときに、いてくれないんだもの」
↑ここの台詞、言葉通りに意味を取るとレミリアのワガママなセリフということになると思いますが、レミリアは咲夜がいなくなるのを怖がってるというのが伝わってきて胸がジンとなりました。
「わたしの許可なしにわたしから離れるな」というセリフも、いつか訪れてしまう別れを示唆していてお見事です。