Coolier - 新生・東方創想話

東方不健康の拡大解釈

2014/05/04 06:25:42
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 なんでこんな苦しい思いを頼まれもせずに……と、射名丸文は思う。妖怪の山の自宅におのれを缶詰めにしてはや三日。言うまでもなく締め切りの為で、とうに越えてはいけない線を越えたところを、印刷所の河童達を拝みたおして手にいれた猶予だ。それも朝日がのぼれば終わり。
 ネタならある。取材もした。速記したメモだってある。だが文章が決まらない。先日もよおされた紅白のところの大宴会、あの賑わいをどう綴ったものか。愛用の文机に肘をついて、いい加減ベタついてきた黒髪をわしわし掻く。
 ぱらぱらフケの落ちるザラ紙の上に据えた鉛筆は、ぴくりとも動かない。その上のほうはべこべこに傷ついて今にもへし折れそうだ。行きづまるとガジガジ鉛筆を噛んでしまう。外ではみせない癖の一つ。ため息をつくと視界の端に針ネズミのようになった灰皿がうつった。
 イライラした顔で何度か躊躇したあと、ポッケに忍ばせた煙草をつかみ、器用に振り出してくわえる。マッチで火を点けて、どうにでもなれと胸一杯に吸いこんだ。文が紙巻きに手をだしたのはわりと最近、妖怪のものさしだから無論ケタが違うが、それまで嗜んでいた煙管に比べれば、ついこの間には違いない。
 初めは新しもの好きの見栄も手伝い、吸いにくいのをやせ我慢してプカプカふかしていたが、気付けばのめり込んでいた。なにより手間がなくていい。欲しい時にすっと飲める。だからことある毎に手がのびて、しかもこれで十分というところがない。いやしくも鴉天狗、薬にはそれなりに一家言あるつもりだが、毒に関しては人間の優位を認めるにやぶさかではない。
 徹夜つづきの頭に紫煙がぬるっと染みわたり、ついで渇ききった舌の根っこのあたりから吐き気がにじりよってくる。よくない。明らかに吸いすぎだ。既に微塵も快楽を与えてくれはしない。イライラを不快で塗りつぶす感じ。何かを補うというより更に損なうことで麻痺させる。健全ではない。まったくもって健全ではない。
 追い打つように傍らのマグカップをあおり、冷めた珈琲をからっぽの胃に流し込む。食道をくだる液体といっしょに吐き気はいちど沈んで行き、胃がのけぞるような感覚のあと、倍になってせりあがってくる。顔を歪めてまた溜め息をついた。こうなると分かっていたのにどうして吸ったのか。本当にばかばかしい。つい二十分前に同じ不快を味わったばかりではないか。こんなことを繰り返しても、何のたしにもならない。

 ――しかし、これでいい。過剰なくらいでちょうどいいのだ。尻に火がついている場合は特に。煙草も珈琲も、その不愉快なところまでひっくるめて楽しい。これは新聞も同じだ。頼まれてもいないし、求められてもない。好きでやってる。そういう意味では嗜好品と別段かわらないといえる。
 恐らく文が筆を絶ったところで誰も気にしない。これほど辛く苦しいのにだ。それでも止めないのは、やっぱり楽しいから。嬉しいから。記事を書くのがワクワクするから。あの宴会もそうだ。ネタとしては毎度ありがたく思うけれど、方々への挨拶まわりは大変だし、集まる権力者、特に鬼には気をつかう。突如はじまる弾幕ごっこの流れ弾に肝を冷やすこともしばしば。にもかかわらず、酒に張りたおされてながめる境内は、笑うしかないくらいに楽しい。まさに、そう――

 ふとザラ紙に目を向ける。まっさらな紙面に『悲喜交々』と書き付けてあった。ぼんやりその字句を見る文の目が、初めはおっかなびっくり、徐々にどろどろと濁りだす。ぺろりとゆっくり唇を舐め、まるで頭突きをかますかのように、がばと紙面に被さった。
 ザラ紙に密着させた頬のそばを、鉛筆がものすごい早さで踊る。ついに来た。あの滅茶苦茶を表すのに相応しい言葉だ。やっと『勢い』がおりてきた。さっきまでの逡巡が嘘のように、猛烈な勢いで文章が溢れてくる。あわててはいけない。勢いのままに筆を運ぶと、それがほんのわずかしか続かなことを文は知っている。
 さりとて慎重すぎるのもダメ。肝要なのは手綱をしめつつ身を任せることだ。この辺りのせめぎあいが実に難しくてハラハラして危なっかしくて、だから震えるほど面白い。これがあるから書くのは止められないのだ。口の端がひきつって食いしばった歯が覗き、そのすきまから時折『クヒッ、クヒッ』と息がこぼれる。笑いながら嗚咽を漏らしたら多分こんな声になるに違いない。
 一息に書き上げて顔をあげ、斜めに目を通して吟味する。間違っても頭から読みなおしてはいけない。この手のふって湧いた勢いはこまごま朱をいれると途端に悪くなる。経験上そうなのだ。薄目を開けてぼかし見るくらいでちょうどいい。二三の手直しをほどこし、他の原稿と一緒にカバンへ放りこむ。さっさと印刷所へ届けなければ。問題ない。なんといっても幻想郷一の俊足だ。

 地平にじりじりしていた曙光が遂に堰をきってあふれ出す。夕方みたいな明け方の空を、文は浮かぶように飛んで帰路へつく。出してしまった。渡してしまった。後はもう自分にはどうしようもない。誤字があろうが脱字があろうが、漢字と仮名のあんばい、句読点の打ち方に工夫の余地があろうが、刷りあがった新聞は配る。
 読みなおせばいくらでも不満はあるだろう。事実、配達後に自分で読んで布団の上をころげ回った試しがいくらもある。だがしかし。取材した時に感じたこと。それがどうしたら伝わるか考える苦しみ。湧きあがった着想。書き上げる高揚感。できあがった記事。その評判と無関心。どれもが愛おしい。そう、悲喜交々。
 帰ってやることは決まっている。まずは風呂に入り、次に冷えた麦酒をかっくらう。そのまま布団にたおれこんで気のすむまで泥のように眠る。目がさめたら腹がへっていたのを思い出すだろう。数日間の苦闘をどうねぎらうか、煙草をくゆらせながらゆっくり考える。どうせ最後はぐでんぐでんに酔っぱらうに違いない。そしてその最中、きっとこう思うのだ。

『次はどんな記事にしよう?』
熱中する女の子はかわいい。あんまり熱中してちょっと気持ち悪い女の子もかわいい。
三元
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コメント



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1.90名前が無い程度の能力削除
なんかリアルでいいです
実際は知らないけど
8.100名前が無い程度の能力削除
このじっとりとしていながらも強い執念。良いですね。