Coolier - 新生・東方創想話

水蜜とネコと輝夜

2014/05/01 01:17:26
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 水蜜は最近、散歩と称して寺から出て行き、一刻程でガラクタや目新しい書籍を手に帰ってくる。多くは香霖堂から、時には里にある貸本屋の鈴奈庵から、興味をそそられたものを気の赴くままに手にとっては持ち帰っている様子だ。姐さんから小遣いをもらっているはずだから金銭の心配はないが、彼女が今まで行くことの無かった人間の里へ足を伸ばすことは不安の種といえばそうだ。
 彼女は過去に殺人をしている。その殺人は彼女が姐さんに拾われるより前の話であるし、船幽霊が人間を殺すのは当然なことだ。だから彼女が過去の所業を幻想郷に持ち込んで苛まれるのは本来はおかしなことであるが、長い時間をかけて姐さんの仏教に感化された彼女は、人間の世界にだけあるはずの罪咎を己の内に見出し、自責の念のようなものを抱いている。里の人間と触れることで、彼女の内面に影響があるかも分からない。
 とはいえ、私達は既に互いの行動について云々かんぬん言うような仲ではなくなっていて、何か良くないことがあったとしても、それはなるようにしかならないのだろうし、彼女なら平気だろうという投げやりな信頼が、それはもう何百年も以前よりあるので、そもそも先の話は不安とも呼べない些末事であった。



「いっちゃん。今日のお土産はなんでしょうか? 当てたらチューしてやるよ」
 春の夕暮れ。勝手口から村紗の声が入ってきた。
 今日は私とぬえが典座をしていた。
「私にも聞け」
 かまどの火を起こしていたぬえ。
「ぬえもチューが欲しいのか、このいやしんぼめ」
「私を漬物石扱いするなと言いたいんだ。すぐ二人だけの世界に行きたがるからな、お前達は」
「違うわよ。水蜜が強引に引き摺り込むのよ」
「如何にも、それが船幽霊ってもんだろ」
「上手いこと言ったつもりか知らんけどよ。で、今日はどんな下らないものを拾ってきたんだ?」
「下らないとは心外だな。ほれ」
 長ネギを刻む手を止めて振り返ると、彼女は両手を皿にして、黒くて丸いもの見せてきた。片手に乗るような小さなネコだ。
「へえ、典座を手伝って食材の調達とは、お前もたまには徳を積むのな」
 ぬえは太い竹筒を置き、水蜜の腕からネコの首を掴んで持ち上げた。ネコはか細く、みゃあと鳴いた。
「突っ込まないぞぬえよ。我々は少なくとも典座としては肉を扱わない約束だからな」
「しかしなんでまたこんなものを拾うかね。大体どこに居たんだこいつ。親はどうした?」
 と、ぬえ。ネコを抱いて額を小指で撫でている。ネコは目を閉じたまま静かにしている。
「親猫の死骸の側で鳴いていたんだよ。あまりに不憫だったもんで、つい」
「この仔、まだ目が開いてないのね」
「このままじゃあ野犬か鳶に食われるからさ。乳くらいくれてやれないかな」
「飼う気か? 酔狂でやってるなら今のうちに止めとけ。ネコなんてすぐ死ぬぜ」
「命の尊さを学ぶのも勉強さ」
 そう言われると、私とぬえは言葉に迷う。
「あ、そうだそうだ、里で山羊の乳でももらってくるよ。それじゃあ白蓮によろしく」
 水蜜はぬえにネコを持たせたまま、自分の椀を持って勝手口から出て行った。
「勝手なやつだ」
 ぬえはまだネコの額を撫でていた。
 それから半刻程で薬石になった。水蜜が戻って来て、姐さんにネコの件を話した。姐さんは二つ返事で許可を出した。
「たくさん可愛がってあげるのよ」
 姐さんはいつもの笑顔だった。



 夜の読経が終わってそれぞれが就寝へ向かうはずの時分。伽藍にて、我々は頭を擦り付け合うようにしてネコを取り囲んでいた。ネコは毛布を敷いた簡素な寝床に小さくまるまっている。村紗の椀だと背が高いので、山羊の乳は猪口に入れ換えてネコの口元に置くことにした。
「飲まないなあ、腹が減ってないのか? あと、目やにが多いな。でも指で取ったら瞼にひっついて怪我しそうだ。どうすりゃいいんだろう。分かるかいっちゃん」
「いえ、星なら分かる? 元虎だし」
「お言葉ですが一輪、虎とネコは…… 同じか……」
「こういうのは布に唾を付けて拭いてあげるのよ、多分」
 姐さんが胸元から取り出した布切れでネコの目を拭いた。ネコはにゃあと細く鳴いた。
「ところで諸君、そもそもこんなに小さいネコが皿から飲めるのか? この時期は母ネコの乳房から飲むんじゃないか? 確か、子ネコってのは母ネコの乳房を揉んで授乳を促すんだ。こう、前脚で左右交互に踏んでだな」
 ネコを挟んだ反対側で、ナズが四つん這いのような身振りをする。
「この前脚の動きはそれか。てことは腹は減ってるんだな」
 水蜜がネコの口元に猪口をあてがった。
「口に直接注いだら気管に入って溺れたりしないの?」
「分からんけど、飢えさせるわけにもいかないだろ」
「間違って肺に入って、中で水分が腐って肺炎とかになったら大変よ」
 ネコの扱いを知らない私は、心底不安だった。
「吸飲みに移して飲ませるのはどうでしょう。持ってきますね」
 言うなり星が素早く伽藍を出て行き、すぐに戻ってきた。
 早速水蜜がネコに吸飲みをあてがう。
「これなら調節できるからな。苦しゅうなかろ」
 一同は妙に静まり返り、伽藍が無音になった。やがてネコは赤い舌をぺろりと出して吸飲みの先を舐め始めた。水蜜が少しずつ傾けると、ペチャペチャと音がして、白い乳がネコの口元に垂れた。ネコは舌をしきりに動かし、口周りや吸飲みの先を慌ただしく舐め回している。
「飲んでますよね、これ。飲んでますね。ずっとお腹空いてたんですねえ。良かったですねえネコさん。ああ、良かったあ」
 響子が身を乗り出してきた。
「さ、触ってもいいですか?」
「いいんじゃないかな」
「えへへへ、へへへ、可愛いですねえ、美味しそうに飲んでますねえ、えへへへへ、へへへへ」
 響子がネコの背中を人差し指で撫で回す。ネコは意に介さぬように吸飲みを舐めている。
 彼女は緩んだ顔でしばしそのままだった。ふいに、遠巻きにしていたぬえが近づいてきて、その肩を掴んだ。
「こいつは今、生きるために必死で乳を飲んでる最中なんだ。邪魔してやるなよ、響子」
 響子の締りのない顔が、ピンと元に戻った。
「そうですね。ごめんね、ネコさん」
 身を引く響子。
「水蜜もさ。お前、ネコを飼ったことなんて無いんだろ、もちっと調べとけよ」
 踵を返して、ぬえは伽藍から出て行った。なんとなく皆、黙ってしまった。外で草木が風に吹かれる音が聴こえた。
「ところで、これからどうすれば……」
 しんと静まり返った伽藍に星の声が響いた。ネコは寝息を立てて眠っていた。
「とりあえず冷やしちゃまずい。私の部屋で寝かせるよ」
 水蜜が毛布ごとネコを持って立ち上がる。
「ゲップはさせなくていいのかしら」
 と、私。
「人間じゃないんだからきっと要らないだろう。仮に戻した所で、また新しい乳を飲ませればいいんじゃないかな」
 と、水蜜。
 その後、残りの面子がぞろぞろと水蜜の寝室の前まで付き添い、その場で解散となった。

4―1

 数日経った。姐さんと星は、耳の太子と大事な話があるとかで、遅くまで命蓮寺にいない日だった。
 その夜分に水蜜に叩き起こされた。泣きそうな形相の彼女に手を引かれ、部屋に走ると響子もいた。行灯を点けた暗い部屋で、ネコの様子を注意深く観察している。暗がりの中でよく見ると、ネコは水蜜のスカーフに包まれている。もっと見ると、ネコは小刻みに震えていた。
「鼻水が出て、くしゃみをするようになって、全然乳を飲まないんだ」
 水蜜は立ち尽くしてネコを見下ろしている。下からの光源で彼女の顔に不吉な影が塗られていた。
「もしもに備えて慧音から抗生物質を貰っておいたんだ。でも肝心の注射の練習をしたことが無いんだ。空気が入ったら脳の血管を破るらしいから、私には怖くて出来ないんだ。いっちゃんは注射なんて使ったことあるか?」
 彼女は拝むように小箱を私に突きつけてきた。不思議な光景だった。
「ネコには初めてだけど、何回かあるわ」
「本当か! 頼むいっちゃん! こいつ、信じられないくらい熱くなってて。今にも茹だっちまいそうなんだ!」
 水蜜から小箱を受け取り、注射器の状態を確かめる。中身は私が以前に書物で見たものと同じだった。注射器と針は別々に柔らかい布とガーゼで包まれている。暗がりのせいで衛生状態は判然としなかった。
「念のため消毒するわよ。響子、急いでお湯を沸かして頂戴」
「分かり! ……」
 言うが早いか響子は風のように出て行った。刹那に開け放された襖の向こう、長い廊下のはるか先から、彼女の言葉尻がかすかに届いた。
「そうか、消毒か。そうだ、必要なんだよ。本で読んだのに、失念していた。ごめんよ。ふがいない飼い主で」
 水蜜は響子の代わりをするように座り込み、ネコの体を手で覆った。前のめりになって、独り言をしながらネコに頬を寄せて弁解しているようだった。生気のない声が痛々しかった。
「しっかりして! あんたがそんなんだとネコだって安心できないでしょ」
 顔を上げた水蜜は真っ赤な目だった。恥も外聞もない顔をしていた。
「私は本当にダメだ。こいつが苦しんでいるのに、なにも出来なくて。折角いろいろ勉強したのに。肝心な時に、こんな風で」
「そういうのいいから! そうだ、あんた響子を手伝ってきて。この仔は私が看てるから。いいわね! 分かったわね! 水蜜!」
 過去の書物にあった注射器の項目を思い出そうと急いている最中、彼女を上手く落ち着かせる方法は思いつかなかった。私は、本当は注射器を使ったことが無かった。
 水蜜を無理やり立ち上がらせて、襖の方に押しやった。彼女は両手をぶらぶら振って、泣き声を上げながら廊下の向こうへ走っていった。ドタドタとやかましい足音が遠ざかり、やがて聴こえなくなった。
 私は記憶の片隅にある、医学書の内容を思い出すのに必死だった。二人を待つ間にネコの息が激しくなった。鼻水で窒息せぬよう、私はネコの鼻をガーゼで時折拭った。
「本当に注射、やれんのか。一輪」
 背後の声に驚いて振り向くと、ぬえが立っていた。

4-2

「一応、正しく出来たわ」
 心なしかネコの呼吸が落ち着いたように見えた。
「ネコさん、大丈夫ですか? もうすぐ楽になりますからね」
 と、響子。寝転んでネコに顔を近づけている。
「いっちゃん、本当に」
 正座した水蜜。
「いいわよ。私もいっぱいいっぱいだったし。怒鳴ってごめんなさい」
「やっぱりいっちゃんはすごいな。私は注射なんて扱ったことなかったから、怖くて怖くて。でも、いつ使ったことが……」
「水蜜さん一輪さん。ネコさん、さっきより楽そうです。抗生物質ってすごいんですね、あと、それとこの仔……」
 偶然にも響子が話題を変えてくれて助かった。水蜜は響子に並んで腹ばいになった。
「良かったなお前、いっちゃんに感謝しろよ。って、あ」
「どうしたの?」
 不思議になって二人の上から覗くと、ネコの目がうっすら開いていた。



 鼻水が出なくなり、目もすっかり開いたネコは、水蜜の周囲を歩き回るようになった。縁側で本を読んでいる水蜜の膝の上に、ネコがちょこんと乗っていることがよくあった。
「ネコってのは本能的に雪隠の場所が分かるらしいよ」
 春の陽気の中、縁側で茶をしていた。水蜜の膝でネコが寝息を立てている。私と響子は彼女の話を長いこと聞いていた。響子は私より熱心だった。
「今更ですけど、この仔、名前は付けないんですか?」
 響子は跪いてネコの首筋を撫でている。
「確かに、いつまでも『ネコ』とか『こいつ』とかってのもな。よし、それじゃあ『海月』にしよう」
「くらげ、って、海に月のくらげ? なんでネコにそんな名前?」
「隠岐の島時代によく見た色んな海月がきれいだったもんでさ、ちょっと好きなんだよ」
「海月ってどんなものなんですか?」
「丸くて、海の中をふらふら漂ってて、半透明で。うーん、絵でもあったら早いんだけどなあ。そのうち海の図鑑でも借りてこよう」
 水蜜も響子も、相変わらず海月を眺めていた。海月は水蜜の膝の上で、大きな欠伸をした。
 季節が巡り、山々が粧い、風は乾いた。いつの間にか幻想郷は秋になった。
 海月はすっかり命蓮寺の一員と認められていた。水蜜は海月の世話に慣れ、命蓮寺の面々は海月のいたずらに脅かされることも少なくなった。いたずらというのは、寺の柱という柱を爪とぎに用いて削ったり、姐さんの部屋にある書簡の山に登って、経典に穴を開けたり、知らない間に誰かの部屋に入って布や紙を引き裂いたり、水場の生ごみを食い散らかしたりするというようなことだ。海月は勝手にどこかでバッタやコオロギを捕らえるようになり、もはや外にほっぽり出しても勝手に生きていけるだけの力と知恵を身に付けた。
 ネコというのは、餌をやる人間以外にはなつきにくいと書いてあったが、海月は例外なのか、命蓮寺の面々には気を許しているようだった。もしくは、本当は皆、影で海月に餌をやっているのだろうか。私自身はそうせぬよう心がけているが、響子は、海月に甘くしてしまいそうな気もする。
 とりわけ海月と仲が良いのは水蜜と響子であった。海月が落ち着く場所はどちらかの足元だった。どちらにも居ない時は、しばらく姿を消した後、いつの間にか虫の死骸を水蜜の部屋の前に持ってきて、水蜜に褒められていた。
 水蜜は海月をよく可愛がっていた。香霖堂から買ったブラシを用いて毎日毛並みの手入れをし、決まった時間に餌を用意し、就寝時には必ず障子を開けておき、海月の寝床を部屋の中に作っていた。海月もそれに応えるように、水蜜が歩くと海月も付いていた。読経の時間は水蜜の傍らで箱座りをして目を閉じていた。時々読経にあわせて細長い尻尾が動くので、海月は海月なりに読経に参加しているのかもしれない。
 姐さんや星は海月を見かけると、名前を呼んで頭を撫でていた。誰に撫でられても海月は気持ち良さそうな顔をした。ナズは初めは興味がなさそうだったが、響子と共に猫じゃらしを用いて遊ぶことがあった。ぬえは積極的に干渉するつもりはないようだった。私自身はぬえと同じで、自分からは近づかないようにしていた。というのも、水蜜以外の者が無闇に世話をすると、海月自身が自分の飼い主が誰かを混乱してしまう可能性があるためだ。私と水蜜は本で知ったが、ぬえは初めから知っている素振りだった。

6-1

 秋分の前日、海月が餌を食べなくなった。水蜜が永遠亭に連れて行った所、『はしさいぼうせいきゅうしゅうびょうそう』との診断だった。
「なにそれ?」
 縁側にて、三人で話していた。海月は胡座をかいた水蜜の膝で落ち着いていた。
「歯が溶ける病気らしい」
「歯が溶けるって、歯が溶けるってことですか!? それじゃあご飯が食べられなくなりますよ!」
 閑散とした庭に響子の声が響いた。遠くで柿の木を手入れしていた星とナズが振り向いた。海月は耳を響子から背けていた。
「無くなっても食べられるらしいよ。問題は、痛みのために食事を摂らなくなることだって」
「そんなに痛むの?」
「人間で言うと虫歯の末期のようなもので、歯の神経が露わになってるんだとさ」
「治るの?」
「元には戻らないけど、溶けてる歯を抜けば死にはしないってさ。逆に放っておくと歯茎から細菌が入ってまずいらしい」
「水蜜はどうするの?」
「もちろん永琳に抜歯を頼みたい。でも、抜歯とは言うが、歯茎を切り開いて、溶けた根本から歯を取ることになるから、時間のかかる手術になるらしくて、金がな。どうしたもんかね」
 水蜜は海月に目を落とし、背を撫でた。海月は水蜜の手を舐めた。

6-2

「他の患者が来ないとも限らないから。手術は診療時間が終わってから、つまり陽が落ちてから始めます。海月は今日は間違いなく入院。術後の患部の腫れがすぐに引いたら明日退院。引かないようだったらもう一日預かるわ。付き添ってもいいけど、どうする水蜜? 布団の三つくらい貸すわよ」
 不思議な薬品の匂い。白い壁、金属製の机、丸くて回転する椅子、薄い布を敷かれた足の細長いベッド。白く光る板に貼り付けられた骨の写真。永遠亭の診察室にて、白衣の永琳から説明を聞いていた。水蜜と響子と三人で費用を負けてもらう談判をしようと目論んでいたが、永琳はさして気に留めていないようだった。永琳の後ろに立って控えている鈴仙・優曇華院・イナバはずっと端正な笑みのまま静かにしていた。
「海月と一緒にいたいな。布団は別料金かな」
「ロハでいいわよ。そこまでお金が欲しくてやってるわけじゃないし。ただ、薬代はもらうわよ。人間達から買ってる物もあるから」
「今はまとまった金は無いが、何をやってでも払うよ」
「その言葉が聞きたかった、ウフフ、フフ」
 永琳は、ほくそ笑むような、妙な含み笑いをした。
「なんだよ、なにがおかしいんだよ」
「いえ、こっちの話よ。とりあえず、海月を預かるわ。それとお願いなんだけど、あなた達、姫様と遊んであげてくれないかしら。そしたら費用も負けてあげるわ」
「そんなことでいいのかよ」
「別にタダにするわけじゃないわよ。姫様、遊び相手に飢えてるからきっと喜ぶわ。でも、ああみえて繊細だから、その辺はよろしくお願いね」
「まあ、分かったよ。それじゃあ海月、永琳先生の言うこと聞くんだぞ」
 水蜜は籠に入れた海月を永琳に渡した。海月は円い小さな目で水蜜の顔を見ていた。
「手術は夜よ。その時になったら呼ぶから、永遠亭で適当にくつろぐといいわ。優曇華、案内して差し上げて。あとお風呂と食事と着替えの用意。迅速にね」
 鈴仙に連れられて、私達は客間へと案内された。外の景色には夥しい数の兎が居て、それぞれ庭の掃除やら壁の修繕やらで騒がしく、慌ただしい様子だった。
 長い廊下の途中で鈴仙が話しかけてきた。
「水蜜さんはネコが好きなんですか?」
「さあ、どうだろうね。単なる暇つぶしかもな」
「兎はどうですか? 欲しかったら何匹か命蓮寺にあげてもいいですよ。それなりに働いて、便利ですよ」
「遠慮するよ。兎に仕事をやらせたら修行にならないからな。一応、寺だことだし」
「なるほど、やはり永遠亭とは趣が違うようですね」
 鈴仙は終始にこやかだった。
「しかし、こんなに手厚く持て成されるとは。もっとふっかけられると思っていたが」
 客間で備え付けの茶を飲んでいた。湯は鈴仙が先ほど運び入れてきた。少ししたら蓬来山輝夜の部屋を案内するという。
「命蓮寺に比べると緊張するわねえこの家。鈴仙、なんだか軍人みたいな歩き方だったわ」
「白蓮さん、優しいですからね」
 響子が茶をすすった。私もすすった。

6-3

「珍しい顔ね。お姫様よ。よろしく」
 客間と変わらない十二畳の部屋で、桃色の羽織の輝夜が座っていた。彼女の前には、確かテレビという外の世界の道具が鎮座していた。
「お姫様。ごきげんうるわしゅう」
 水蜜がキュロットスカートの端を持ち上げて会釈した。私と響子も似たようなことをした。
「座って楽におしなさいな。何をして遊びましょうか。闘茶とか? 香を聞くのもいいわね。下の句かるたもあるわ。将棋に囲碁に麻雀に。あと、ファミコンもあるわよ」
 輝夜が話す間に、鈴仙が静かに部屋の隅から座布団を持ちだして敷いてくれた。
「ファミコンってなんですか?」
 と、響子。
「これはね、大量の人間を殺すために作られた電算機械を利用して作られた娯楽装置よ。水蜜、これ持って」
 輝夜が妙な機械の操作装置らしきものを水蜜に渡した。
「お姫様お手ずからとは」
「苦しゅうあるから、普通に喋っていいわよ。ついでに、輝夜って呼び捨ててよ。私もあなた達の事を下の名で呼ぶわ」
「じゃあ輝夜、ゲームしようか。実は外の世界の『こんぴゅーたーげーむ』に興味があってね」
「私は全部やりつくしてるから、あなた達がやりたいのをやってよ。私は横で観てるわ」
「輝夜はやらないの?」
 素朴な疑問が湧いた。
「誰かがやってるのを観るのも楽しいのよ」
「それじゃあ、とりあえず挿してあるものをやろう」
 水蜜が言う。
「これはポートピア連続殺人事件っていう、長いやつだから、他のをおすすめするわ」
「こっちはどうですか、透明で綺麗ですよ。ええと、さ、ら、まんだ、でしょうか」
 『ふぁみこん』の隣にある、大量の『ろむ』が入ったつづらの中から響子が一つを取り出して書かれた文字を読んだ。
「沙羅曼蛇ね、いいんじゃない。弾幕好きなあなた達には物足りないかもしれないけど」
 まず水蜜が『こんとろーらー』を握った。
「なんだこいつ、イソギンチャク? 触手? うお、道が無いんだけど。 あれ? どうすんだこれ、ああ、先に行くのか。また道が、ああ、撃って切り崩すのか、うお、なんだこいつ、脳みそ? いい趣味してんなおい、て、なんで手生えた? 逃げ道ない、なんだこれ、ちょ、ちょ、無理だって、ああ!」
 続いて響子。
「あれ、レーザーは無くなっちゃったんですか? 心細いですねえ。でもきっと目が弱点なんでしょう。おそらく集中攻撃をすれば倒せるんですよ。こんな風に、あああああ!」
 響子の断末魔で襖が揺れたような感覚がした。コントローラーを渡された私はおし黙って集中した。
「なるほど、回りながら少しずつ目を撃つのか。さすがいっちゃん」
「2人が試行錯誤してくれたからね」
 かくして私達は最初のボスを攻略したのであった。
「あなた達上手いわね。少なくとも鈴仙より。ねえ、他のもやってよ。あなた達がファミコンしてるのを観てると楽しいわ」
 その後、輝夜の部屋で小さなちゃぶ台を四人で囲って食事をした。姫にしては慎ましやかな机を使うものだと思って辺りを見回すと、ずっと大きな机が隅に立てかけてあった。
「ずいぶん楽しかったわ。また来なさいよ。まだ他にもソフトはいっぱいあるわ。あ、そうだ今夜は泊まって行きなさいよ。ネコのことも心配でしょう」
「もとよりそのつもりだよ。永琳が布団を貸してくれるっていうから、お言葉に甘えてね」
「へえ、永琳がそんなことを。何か理由があるのかしらね。まあいいわ、それじゃあ、あとで来てね。夜中まででも遊びたいわ」

6-4

「一刻程度かかります。手術室は中の物を全て滅菌するから、申し訳ないけどあなた達を立ち会わせることはできません。部屋の外で待つことならできるけど、どうする?」
 近代的で清潔で、冷え冷えした白い壁の部屋。手術室の固そうな扉の前で、緑色の衣を纏った永琳が説明する。
「念仏を唱えたらうるさいから、座ってるよ。ちゃんと坐布も持ってきてるんだ」
「ずっと疑問だったけど、あなた達って禅宗だったのね」
「よく分からんけど、そうなんじゃないかな。荒行とかやったことないから」
 と、水蜜。
「本当は姐さんって真言宗らしいわよ」
 と、私。
「え、そうなの。それにしては私達、それっぽいことをやってない気が。真言なんて唱えてないし」
「宗派が違ってもやること自体は共通することはあるからね。これからはきちんと真言を唱えましょうか」
「あと、ずっと我々、典座って言ってたけど、それも違うよなあ」
「改めないといけないことがいっぱいありそうね」
 ため息を吐きたい気分だった。
「あの、永琳さん。海月は大丈夫なんですか?」
 響子が話を戻してくれた。
「術式そのものは命に関わるようなことにはならないわ。むしろ、術後の患部から咽頭部あたりの腫れによって気道が詰まって窒息することがあるから、そっちの方ね」
「永琳先生なら安心だよ。海月のこと、お願いします」
 水蜜は頭を下げた。私達も倣った。
 永琳が手術室の扉の奥へと消えると、私達はその扉から半間離れ、坐布を敷いて座り始めた。
 水蜜は一度も身動ぎをしなかった。

6-5

「ずっとそうしていたの」
 扉が開いた音がして、永琳の声がした。
「海月は?」
 水蜜。
「手術は成功しました。海月はもう少しで麻酔が切れます。今夜は口からチューブを通して気道を確保します。あと、二日間は口から食べれないから、その間は栄養注射よ」
「海月を見たいな」
「ガラス越しならいいわ」
 隣の部屋に案内され、海月を見舞った。ギヤマンの壁の向こうに金網のケージに入れられた海月が居た。首にエリマキトカゲのような白い筒を巻かれ、口からチューブを繋げられ、ぐったりと、死んだように眠っていた。水蜜はギヤマンに額を付けて海月を見ていた。
 それから私達は風呂をもらい、鈴仙に呼ばれて再び輝夜の部屋へ招かれた。

6-6

 またファミコンをし、賭けずに闘茶をし、香を聞いて遊んだ。やがて襖の外から鈴仙の声で就寝の時間と聞こえ、輝夜は鈴仙に布団を四つ敷かせた。行灯も消して、暗闇になっていた。時折、竹林が風に吹かれてさわさわと鳴った。
「私もネコを飼ってたことがあるわ。死なない身だと、似たようなことを思い付くのかしらね」
 私がうとうとし始めた頃、輝夜の囁く声がした。
「あのネコ、海月だったわよね。きっと生きるわよ。今回は永琳、近代的な処置をしたはずだから。あのね、永琳ってね、人間の医学からかけ離れたことをあまりしないのよ。楽するなら全ての患者に蓬莱の薬を飲ませれば済むけど、それは嫌みたい。でも、今は、外の人間の技術も進歩してるから」
 真っ暗闇の中空に、輝夜の理性的な声が密やかに漂う。
「どうせすぐ死ぬのに、『生かそう』とか、『助ける』っていうのも妙な話よね。拾ってほんの少しだけ命を伸ばすだけなのに。私やあなたからしたら紙の厚さのように短い須臾の時間に、どんな意味があるのかしら」
「目の前で死なれたら後味が悪いんじゃないかな。そういう感覚があるんだろう。今死なれたって、十年後に死なれたって、目の前で死なれたって、遠くで死なれたって、大して変わらないのに、変な話だね」
 きっと二人は、私が聞いていても構わないのだろう。響子も寝息を立てず静かにしていた。響子の方を見やると、目が合った気がした。
「死を直視するのが怖いんだろうね。だから生き物を助く。それで死を目にするのを先延ばしにできるから。死を克服出来ぬ者の業なんだろうな」
「でも、水蜜はそれが理由で海月を拾ったわけじゃないでしょ」
「ただこのままじゃ死ぬから可哀想だと思って、なんとなく。そうだな、なんとなくだな」
「私が昔拾った時もそんなもんよ」
 輝夜は自嘲するように、フフ、と息を漏らした。
「命蓮寺のみんなが死んだら、友達は輝夜しかいなくなるのか。今のうちに藤原妹紅とも仲良くなっておこうかな」
「あれも、私と一緒で寂しがり屋なのよ」
 そう言えば水蜜は死なないのか。と、その事実を、今知ったような気分になった。輝夜と話す水蜜の親密そうな声色を聞きながら、私の意識は徐々に沈んでいった。



 結局、海月はもう一日預かってもらい、その間、私達は永遠亭の敷地から出なかった。ファミコンや下の句かるたをし、なんだかよく分からない内に輝夜に永遠亭を案内されたり、月や兎の話を聞かされたりした。
 翌日には海月と共に命蓮寺へ戻ることができた。なぜか輝夜も付いてきた。
「永琳離れしないとね。あとほら、自分のことを自分でやるのがあなた達なんでしょ? 実は私、そういうのに興味があって。ねえ、修行っていうのは誰でも受けられるものなの?」
 帰り際に、輝夜はそのようなことを言った。
 それからのこと。海月はすぐ元の通り回復し、命蓮寺の風景にまた溶け込んだ。水蜜も響子も、海月の回復を喜んだ。私も、姐さんも星も喜んだ。
 今はひとまず、海月のことを喜び、この話は終わりなのだろう。けれど私は、いずれ命蓮寺に輝夜が訪れるのか、もしくは水蜜がお礼と称してまた永遠亭に赴くのだろうと思うと、妙な心地がした。
 今まで水蜜は命蓮寺の面々以外の者と親交を深めることが無かった。今回の件をきっかけに外の者とまともに接する、というか、友達を作ることが出来たのであれば、それは彼女にとって大いなる一歩なのだろう。
 水蜜が気まぐれで海月を拾い、たまたまの海月の病気がきっかけで永遠亭へ行き、永琳の思いつきで輝夜と遊ぶことになり、彼女と仲を良くする。そういう縁で起こったこの件をきっかけに、水蜜はなにかしらの精神的な変化、もとい成長をするかもしれない。むしろ幻想郷に辿り着く以前の水蜜はよその者に気を許すことはなかったから、既に彼女には、何かしらの大きな変革が起こっているのだろう。
 水蜜の内的な変化によって、私と彼女との関係がどのように変わるのか、ほんの少し、不安だった。
読んでくれてありがとうございます。

ずっと命蓮寺は禅宗だと思っていたのですが、真言宗ですね。
コメントで指摘を頂くまで知らず、自分の書いた作品には、過去を含めておかしい部分が多くあります。
今回はせめてもの修正として6-4のやりとりに大幅な直しをさせて頂きました。
もともと乱文なものが更に分かりにくくなっていますが、どうかご了承下さい。

過去のお話を含め、せっかく読まれた方々に不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。
今後はもっときちんと事前に調べますので、今後ともよろしくお願いします。
やくたみ
http://jbbs.shitaraba.net/radio/10119/
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コメント



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1.100名前が無い程度の能力削除
ぬえの微妙な距離感や輝夜の寂しいんだか冷めてるんだか全体的にふわふわとした感じが素敵でした
2.50名前が無い程度の能力削除
細かい様ですが、白蓮が真言宗と想像されているので、必然的に寺の法系も真言になるから、禅宗ってのはちっと無理があるような…
3.70名前が無い程度の能力削除
お話の前半と後半で軸がブレてます。前半が子猫を中心に進むのに、後半でいきなり輝夜に飛び移ります。そのせいか起承転結の"結"が何処かに迷走している様にも。話は好きです。ぬえちゃんは良い子です。

私も満足に目も開かない捨て猫を何匹か育てました。日に日に体重を増やし、初めてお皿から食べれる様になった時は心底ほっとします。生きる体力を得たと。
5.70奇声を発する程度の能力削除
お話は良かったです
6.80非現実世界に棲む者削除
とても良かったです。
飼うならやっぱ猫ですね。
7.80名前が無い程度の能力削除
最後のムラいちいいね
8.80絶望を司る程度の能力削除
えーりんが某無免許医師のセリフ吐きやがったww
10.80名前が無い程度の能力削除
ぬえのキャラがいい。とてもいい。
永遠亭も魅力的。
淡々とした語り口は好みです。
あとは結び方がもうちょいかしら。