Coolier - 新生・東方創想話

霊夢に恋をした青年の話

2014/03/17 03:05:19
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空に恋をしたことは、ありますか?






(全く、どうしたもんかなぁ)
春先の林の中を、子気味良いテンポで青年が歩く音が鳴る。
青年の背丈は成人の大人としてもそれなりに高い方であり、筋肉もぱっと見てわかる程度にはついている。
人里の中の質屋の息子である光は、現在博麗神社への道を突き進んでいた。
妖怪がでないかと心配はしているが、まだ夕方になっていないのでなんとかなるだろうと軽い予測を立てる。
雨水が靴の中に染み込み、足先の感覚を徐々に鈍らせていくが、この程度はいつものことである。
しかし、神社に一人で向かうのは初めてであり、それは同時に、そこに居るはずの巫女と一対一で会わねばならないということに、光は若干の恐怖と緊張を覚えていた。
(そもそも、どうしてこんなことになったんだっけか……)


朝、人里―――
朝日が登り始めた頃、半獣が我が家の前に押しかけてきて、こんなことを言いやがったのが発端だった。
「―――というわけで、任せたぞ、光」
「いやちょっと待ってくださいよ慧音先生、なんで巫女様の持ち物を俺が神社まで届けに行かなきゃいけないんですか」
「だってもなにも、お前の家に霊夢の陰陽玉が質に入れられていたんだからしょうがあるまい」
「第一なんで巫女様の持ち物をもって来る奴がいるんですか、そいつ泥棒でしょ泥棒」
「本人曰く拾ったのだそうだ、大方霊夢が里に来た時に落としたのだろう。まあ泥棒というのはあながち間違ってもいないのだが」
「その泥棒はどこにいるんですか。そいつになんとかさせてくださいよ」
「そうさせたいところだが、黒白の泥棒は人里に住んではいないのでね」
「じゃあ巫女様本人に人里に来るように言ってくださいよ、そもそも向こうが落としたものなんだし。」
「くどい。第一、霊夢をわざわざ動かすよりお前一人が言ったほうが明らかにいいだろう。それとも18にもなって神社に向かうのが怖いとでも?」


形勢不利―――
他に援軍など期待もできない。
というかもはや両親にまで行けと言われてしまう始末。
なんだ、巫女様に恩を売って来いとでもいうのか全く。
だが、しょうがないので渋々神社に行くことを認めてしまう他なかった。





基本的に仕事が遅い俺である。
結局それから神社に向かうための準備をしたら、昼になってしまった。
別に能力が低いわけではない(と、思っている)のだが、本当に大事な時以外は集中力などどこかに行ってしまっている。
出発前に腹でも埋めるかと家の中で一人飯を食べていると、蕎麦屋の息子であり、同い年である稔弥が訪ねてきた。

「おうい光、いるか?」
「いるよ」

稔弥は背は普通だがそれなりにがっしりしてる。
顔は普通だが髭がよく伸びるやつだ。
昔馴染みで、女っ気はゼロだが気が利いて男らしい。
友達として仲がいいのもあるが、俺はこいつにそれなりの尊敬を抱いていた。
稔弥がすぐ側にあった俺の荷物に気づく。

「? その荷物どうしたの?駆け落ちとか?」
「アホ、彼女いないのはお前と同じだよ。第一そんな大層な荷物に見えるか」
「じゃあどこに?」
「博麗神社」
「え?」

気の抜けた返事が屋内に響く。
稔弥が若干キョドり始めた。
いやまぁ気持ちはわからんこともないが。




「―――というわけだ」
「うわぁ、って事はお前幻想郷の巫女様と一体一か」
「どうしてそういう思考回路になる」
「いやだってそういうことだろ。ええ、いいなぁお前」
「よかないわ、あそこ妖怪神社だろ、他に妖怪いたらどうすんだよ全く」
「でも今代の巫女様かわいいじゃん。俺人里に来てるの何回か見てるけど」
「そこに関しては否定はしないがな、残念ながら俺と向こうじゃ立場違いすぎてお話にならないよ」
「いやいやいや、出会いなんて何があるかわからないんだから。実は会ってみたら、霊夢さんってめっちゃかわいいな、とお前がなってるかもよ」
「ありえん、第一向こうは妖怪退治が生業なんだろ?変なことしたら俺が殺されそうだわ」
「そういうもんか?」
「そういうもんだ」

どうしてこう、こいつはいつも女方向に話が行くかな。
そんなんだから彼女ができないんだと、心の中でツッコミを入れとく。
勿論ブーメランになって俺にも帰ってくるのだが。

「というわけで俺はもう行く。流石に日が暮れると不味いからな」
「おう、気をつけろよー。あとお前が向こうに惚れて帰ってくるに一票」
「勝手にしろ、ってかお前は何しに来たんだ」
「いや特に用はなかった」
「そうかい」





―――と、いうわけで今に至る。
もうそろそろ神社に着くはずなのだが、若干心が高ぶっているのがわかる。
そりゃ、博麗の巫女と一体一とはなぁ。
いや稔弥の言っていたことを気にしているのではなく、ただ単純に、そういう立場の人間と話したことがあまりなかったせいで、どう接していいのかあんまりわからないのだ。
そもそも向こうはある意味で幻想郷最高権力者。
一方こちらは空も飛んだことがない、霊力の弾もせいぜいが3~4発しか打てないただの人間。
変なことしたらひねり潰されそうだ。


とかなんとか考えていたら、鳥居が見えてきてしまった。
しょうがない、ここまで来たら荷物渡してとっとと帰ろう。
そう決心して、神社に足を踏み入れた。







「あら、参拝者の人?」

第一声はそれだった。
よく、透き通る声だなと思った。
だけど、声はするのに姿が見えない。
一瞬戸惑ったが、屋内にいるのかと考え、一歩踏み出すと、



―――空から女の子が降ってきた


「うおお!」


素っ頓狂な声が出た。
いやものすごくビビった。
いくら妖怪が空を飛ぶのが基本とは言え、人里ではあまりそういう光景は見なかっただけに、正直不意打ちが過ぎた。

「あらごめんなさい、せっかくの参拝客なのに驚かせてしまったわね」

華麗に着地をきめて、謝ってきたのは巫女さんだった。
姿形からするに、おそらくこの女の子が博麗の巫女で間違いないだろう。

「い、いえ全然大丈夫です。それより、貴方が博麗の巫女ですよね?」
「そうよ、私が博麗霊夢。ここ博麗神社の巫女よ」

とりあえず会えたことにほっと一息。
既に心臓バックバクだが取り敢えず思ってたほど危ない人じゃなさそうだ。

「俺、質屋の光って言いますが、慧音先生からこれを渡すように言われたので……」
「あれ?これ陰陽玉?どうして質屋なんかに?」
「なんでも泥棒が家にこれを質にいれに来たみたいで、巫女さんのだったから返すようにとかなんとか」
「ああ、なんだ魔理沙か。以前の異変の時使い終わったのでもこっそり持ってったのね」

などと一人納得している巫女さん。
ぱっと見の外見では16,17といったところだろう。
顔はとても整っており、基本的に外見がいい妖怪たちにも引けを足らないと感じた。
よく見ると独特の服してるし、脇があいていて寒くないんだろうか。

「ともかく、わざわざありがとう。これは今は霊力が篭っていないから危険性はないけど、霊力を込めたら家の一軒や二軒簡単に吹き飛ぶから、ありがたく返してもらうわね」
「そんな物騒なものだったんですかそれ?」

いやちょっと待った俺そんな危ないの持ってたのかよ。
慧音先生もなんでそんなの持たせたんだよ、と若干投げやりな突っ込みを入れておく。
ともかく、やることはやったから里に戻ろう。
早めに戻らんと妖怪が出るしな、と巫女さんに別れの挨拶をしようとしたところで、

「ともかく上がりなさいよ、せっかく届けてくれたんだしお茶でも出すわよ?」

そう向こうから引き止めが入った。

「いやでも、それは流石に悪いので……」
「いいから、暗くなったら送ってくから大丈夫よ、第一このまま返したらなんとなく寝覚めが悪いわ」


なぜだか「送っていく」という言葉に引っ掛かりを覚えてしまった。
全く情けない。
しょうがない、お言葉に甘えておくことにしよう。




神社の中は意外と広かった。
まあ、目の前の巫女さんは幻想郷でおそらく最も重要な仕事をしている。
むしろ湖の横の館くらい広くても問題ないのではないだろうか。
いや一人だから別にいいのか。
よく見るとものが整理されているし、しっかり一人暮らししているんだなぁというのがよくわかる。
自分は18になっても親と共に暮らしているというのに。

「そこに座って、今お茶出すわ」
「いえ、ありがとうございます。わざわざ」
「ああ、別に敬語はいらないわよ?あなたの方が年上だろうし、それにここに来る奴らは大概年齢三桁越えばっかだから、もう気を使うのも疲れちゃったわ。」

と、予想外のことを巫女さんは言ってきた。
この子、意外と社交的というか、明るいなぁ、というのが俺の印象だった。
正直妖怪神社というだけあって、もうちょっと、なんというか、暗いのを想像してたのだが、意外と喋りやすそうだ。
彼女がお茶を持ってきて、座布団に座る。
渡されたお茶は、温かい。

「えーと、博麗?はずっとここに一人で?」
「霊夢でいいわ、基本的にはここで一人ね、まあ大概誰か訪ねてくるんだけど。それでも縁日や元旦以外でここに人里の人間が来るのは珍しいのだけどね。変な異名もついちゃうし」

それはきっと妖怪神社のことを言っているのだろう。
なんだ、気にしてたのか。
というか意外と今俺貴重な体験をしてないか?
博麗神社で巫女さんと二人、なんてそうそうある状況でもあるまい。

「食べ物とかは?」
「大概誰か持ってくるから特に困らないわねぇ。必要になったら人里まで飛んでいけばいいだけだし」
「な、なるほど」

とはいえ、目の前の女の子が自分と違う次元にいることが、言葉の端々から感じられた。
自分も質屋のドラ息子である自信はあるが、この子はそうとう浮世離れしてるなぁと感じさせられる。
まあ、この際あんまり耳に入らない幻想郷の裏事情でも聞いてみようか。
どこまで立ち入ってもいいのかわからないけど。

「でもいつも結界の管理をしてるんでしょ?大変じゃない?」
「あら、ありがとう。でも結界の管理なんて適当でなんとかなるわよ。なんかあったら賢者たちが言ってくるだろうし。」
「賢者って妖怪の賢者か。縁起にも載ってたなそういえば」
「いやあいつ別にそんな大層なやつじゃないのよ。あんなふうに書いているけど実際は大半が寝てるだけよ?」

首を少し曲げながら、彼女は笑う。
リボンがふわりと揺れる。
真正面からそう微笑まれると正直ドキッとしてしまう。
若い人の幾人かが、巫女様って可愛くね?と囃し立てていたのも、なんとなくわかる気がした。

「あの地震は天人が引き起こしたものだったのか」
「そーなのよ。結局あのあと紫がボコボコにしてたんだけどね」
「賢者って怖いなぁ」

こっちがひとつ何かを聞くたびに、彼女はしっかりと順序立てて教えてくれた。
きっと頭もいいのだろう。
昔からここで巫女として生活していることを考えると、人里でのうのうと暮らしてる俺からすれば、おおきな溝があるように思えた。

だが、何故だかそんなに距離を感じさせなかった。
それは彼女の持つ人柄なのかなんなのか。
とにかくこの子はよく笑う。
感情表現が豊かで、話していて飽きさせない。
元々俺のトーク技術は高くはないが、その辺を全く考慮しなくていいのは、なんというか、楽だと思った。





■■■






「じゃあそろそろ行かないと」

結局夜まで話し込んでいた。
もう時間が時間なので、そろそろ帰らねばと思う。
なんというか幻想郷のことにだいぶ詳しくなった感じがする。
というか主に俺が一方的に質問してただけなのだが。
これは、あまり周りに言わないことにしておこう。
しかし、なんで彼女は俺とこんなに話してくれたのだろうか。

「あらそうね、もう夜遅いし。じゃあ送っていくわ。」
「わざわざありがとう。でも、なんで俺を引き止めたんだ?」
「勘よ勘。こっちも人里の人間と話すってのはあんまりないしねぇ。商売のためには宣伝が一番じゃない?」

実は意外と金にがめついんだろうかこの子。
それとも、最近人里に現れた寺や聖人たちと競っているのか。

「それに、なんとなく今日は誰もこなそうだったから、暇つぶし相手になってもらおうかと思っただけよ。」

はて、もしかしてこの子意外と寂しがり屋だったりするのだろうか。
自分の都合良く考えたくなるのが男の性であると、稔弥にはよく言われる。


そして、帰り支度をした俺が境内に出ると、鳥居の下で彼女が待っていた。
お払い棒を片手に、巫女装束をまとっている。
星の光が彼女の顔に影を作る。
それが、とても様になっていた。

「それなりに楽しかったわ。じゃあ、お礼と言ったらアレなんだけど、ほら、捕まりなさい。」
「え?」

素っ頓狂な声を出すのは本日二度目である。
それは何故か。
目の前の霊夢が手をこちらに差し出してきたからだ。
これは、一体どう言う意味なんだろうか。

「そのままよ、こっちのほうが早いし気持ちがいいわ。」

正直、完全に固まってしまった。
恐らくこれから空を飛ぶのだろうという驚きも勿論あったのだが。
それ以上に、手を繋ぐことに対する若干の気後れがあった。
彼女無しなど人生始まってからずっとの俺にとって、そんなことなど数える程しかない。
色々と勘ぐってしまうのも仕方がないだろう。

だけど、なんとなく。
彼女は本当に俺を送るつもりのためだけに言っている。
他意はないだろうなと、ここ数時間だけの経験からそう感じた。

そうして、彼女の手を握った、その瞬間、自らの体が浮き上がり―――





俺の世界は、吹き飛んだ。





最初はただ困惑していた。
初めて感じる無重力に、体は言うことを聞いてくれない。
耳に届くのは風の音のみ。
目は開くことすら叶わない。
体が感じるのは、地に足のついていない恐怖。
前も後ろもわからないこの状況で。
繋がれた彼女の体温だけが、この空においてのただ一つの道標だった。

「ほら光さん。目を開けたほうが楽しいわよ?」

繋がれた手の側から、そんな声が聞こえてきた。
声の調子からするに、なんだか面白がっている気がする。
だが、彼女の言うことなら間違いないだろう、なぜだかそんな確信が胸にあった。
無重力にももう慣れた。
大丈夫と、意を決して目を開けると、


そこには、無限の輝きが広がっていた。

「……」

声が出なかった。
ここに在るのはただ自分と彼女のみ。
それ以外に、この空間を邪魔するものは何もない。
上を見上げれば、広がっているのは星のカーテン。
眼下に広がるのは雲海で、その切れ端から幻想郷が見える。
目に映る全てが新鮮で。
世界は、こんなにも広かった。
もう、湧き上がる開放感と興奮を押さえつける事など、できそうにもなかった。

「だから言ったじゃない。こっちのほうが気持ちいいって」
「……うん、圧倒的だな」

星の光に彼女の髪が濡れる。
紅白にはためく巫女服が、その存在を際立たせる。
この天と地の境界で、文字通り、今俺たちは浮世離れしている。
幻想の蝶が、隣で笑っていた。

なぜだろうか。
この瞬間、今までの自分が生まれ変わった気がした。
空をかける鳥は、この景色を独り占めしていたのだろうか。
降り注ぐ星の光は、これほど綺麗に瞬いていたのだろうか。
そしてなにより、繋いだ手の先にいる彼女は、この景色を見ながら戦い続けてきたのだろうか。

文字通り視点が高くなったのか、こんなにもいろんな事に気がつかされた。
今までの価値観が、全て引っくり返された。
眼下に広がる幻想郷の灯火は、どこまでも、どこまでも美しくて―――

そして、視界が急に上向きになる。
霊夢がさらに高度を上げていく。
このまま星に届いてしまうのか。
それともあの宇宙の隙間に吸い込まれてしまうのか。

「もっと上げるわよ?」

だが、そんなことは、隣にいる彼女の笑顔を見たら、全てどうでもよくなってしまった。




この日から、俺は、空に憧れて、空に恋をした。


























■■■


「おーい」

俺が空を飛んだ日の翌日。
いつもどおり店の手伝いを行っていた。

「おーい」

結局、昨日彼女は俺を送り届けてから、何事もなかったように帰っていってしまった。

「おい、光?」
「なんだ稔弥か」
「どうしたんだぼーっとして」
「いや別に、考え事だよ」

頭の中からは昨日見た光景が焼きついて離れなかった。
満天の星空、眼下に広がる人里、隣にいた彼女の笑顔。
正直に言うと、興奮しすぎてまるで眠れなかった。

「っておい、だからぼーっとすんなって」
「別にぼーっとはしてないって。第一お前こそまた用事もなしに家に来たのか」
「今日はモノをお前の家から取りに来ただけだって。で、どうだったよ」

いきなり訳のわからない質問をしてくる。
いや、何を聞きたいかはなんとなく分かってはいるのだが。

「何がどうだったんだよ」
「巫女さんだよ巫女さん。お前昨日会ったんだろ?」
「会ったよ」
「で、なんかあった?」

なんでこいつは痛いところを付いてくるのか。

「別に何もないよ。ちょっと神社で参拝してお茶入れてもらっただけだ。」
「お前しっかり話してるじゃん」
「お前が面白がるようなことはなんもありませんでした」
「ふーん。それで、可愛かった?」
「……いやまあ、それは否定しないけど。だけど別にもう関係ないだろ、中々あんなことはないだろうし。」

正直、口に出している時に心のどこかで引っ掛かりを覚え続けていたが、努めて無視することにした。

「なるほど。ところで、今さっき巫女さんが人里に来ているのを見たんだけど」
「何?」
「……」

あ。
口に出したらもう遅い。
やってしまったと気づくが後悔先に立たず。

「実は結構会いたいとか思ってる?」
「……昨日のお礼がしたいだけだって」
「じゃあ行くか。ついさっきそこの大通りを歩いてたから。」
「マジかよ……」

そんなことを言いながら、心臓が高鳴ってくるのがわかる。
昨日繋いだ手の感触を思い出す。
全く、どれだけ俺はゲンキンなんだ。


「お、いたいた」

などと奇妙な声をあげる稔弥。
人里の大通りの一角。
団子屋の椅子の上に、わかりやすい紅白の服が見えた。
存在を確認した瞬間、心臓の音が聞こえ始める。
ガキか俺は。
だが、そんな俺の心中など知ったことではないというように、稔弥が俺を引っ張り始めた。

「あら?」

彼女のほうがこちらに気づいた。
笑顔を向けてくるので、当然逃げるわけにもいかなかった。

「こんにちは、昨日ぶりね、光さん」

などと、意外とというかやはりというか、昨日と同じテンションで話しかけてくる霊夢。
一瞬どう返していいか困ったが、こちらも普通に接することにした。

「こんにちは、昨日はありがとう、霊夢」

名前を呼んだ瞬間、隣の稔弥がちょっと驚いていた気がするが、まあ気のせいだろう。

「私に会いに来てくれたの?」

可愛らしく首を曲げる。

「うん、まあそんなところかな。ちゃんとしたお礼もできてないしね」
「賽銭ならありがたく受け取るわよ?」
「生憎と今ここには賽銭箱はないな」
「ここにあるじゃない」

そうにこやかな表情で自分の財布を出す霊夢。
神職としてそれでいいのかと思ったが、仕草が一々可愛く見えてしょうがないのでまあいいか。

「賽銭は今度ちゃんと払わしてもらうよ。それより、なんで人里に?」
「ちょっと小鈴……貸本屋にね。なんでもボヤ騒ぎがあったらしいのよ。」
「って、それはもう大丈夫なのか?割と危ないんじゃ……」
「今のところ問題ないわ。ただ、気になることがあって、ここしばらくは人里に来ることが多くなるかもね」

その話を聞いた瞬間、内心で喜んでいる俺がいた。
これからしばらくこの子に会えるのではないか、そういった邪念や雑念ばかりが心を埋めてしまった。

「そうか……取り敢えず気をつけて、頑張って。」
「どういたしまして。それじゃ私はそろそろ行くわ。まだやらなきゃいけないこともあるし。」
「ああ、じゃあまた。」
「ええ、またね」

そう言って彼女は席を立って、踵を返していった。
俺は大きく手を振って、笑顔で彼女と別れた。
横で一部始終を見ていた稔弥は、面白そうにこちらを見て

「ふーん」

などと、一人ごちていた。






「随分仲良さそうに話してたじゃん」
「そんなことないって。ふつーだふつー。」
「結構楽しそうだったのが見えたんですけど」
「気のせいだよ。それよりお前も家の手伝いがあるだろ」

その後、家に戻った。
どうにも稔弥がめんどくさい。
だが、今の俺の心中を知られるわけにはいかなかった。
この際はっきり行ってしまおう。
多分、俺はあの子に惚れている。
間違いない。
俗に言う首ったけってやつだ。
全く、博麗の巫女に恋をしたなんて言ってみろ。
周りの目線がどうなるかなぞわかったことではない。

「まあ、お前が話さないっていうならいいけど」
「ああ、帰れ帰れ」

ともかく、取り敢えず稔弥を追い返した。




とはいっても、結局その日の仕事はまるで手につかなかった。
何をするにしても頭の中で出てくるのは、彼女の笑顔と、あの時の星空だけ。
心が落ち着く気配はなく、むしろ考えれば考えるだけ楽しくなっていく。
ああ全く、自分は一体いつからこんなに頭お花畑になったというのか。

いてもたってもいられなくなって、結局夜店を閉めてから、家を出てきてしまった。
明日は霊夢に会えるのだろうか。
明後日は?いつまで人里に来る?
それとも今からいっそ神社に行ってしまおうか。
考えることはひたすらどうやって彼女に会うかだけであり、それだけで気分が高揚していった。
恐ろしい病にかかってしまったものだと思うが、それがひたすらに可笑しかった。

上を見上げれば、そこには昨日と変わらぬ満天の星がある。
だけど、それは地上では、周りの明かりと喧騒にかき消されて見えなくなる。
ここは狭い。
空よりもずっとずっと。
雲の上の高さから見る天蓋こそが、自分にとっての本物の空だった。
あの輝きこそが、彼女がいる場所で、あの温もりこそが、俺にとっての道標だった。

ああ、今すぐ空を飛べたらいいのに―――
これほどまでに強く願ったことは、きっとないだろう。




その日以降、夜になると上を向いて里を散歩するのが日課になった。




それからというもの、俺の仕事休みの時間は、人里に出て紅白の服を探すことに専念するようになった。

次の日は会うことはできなかったが、その翌日にはまた同じ団子屋にいた。
なんでもお気に入りなんだとか。
団子を頬張る様子は年相応で可愛らしく、意外と普通の女の子の面もあるんだなぁと思った。
話しながら表情をくるくると変える霊夢に、俺は見とれていた。
それからその団子屋は、俺の行きつけの店にもなった。

その次の日にはこないだのお礼だといって飯を奢った。
なんでも、里の人から直接奢られたのは初めてなんだそうだ。
奢ると言った瞬間、霊夢は目を輝かせていた。
素直に喜んでいる彼女を見て、このままだと何杯でもおごってしまいそうだと思った。
彼女はお礼にお守りをくれた。
効用は?と聞くと、なんでも叶えてくれる素敵なお守りだそうだ。
それからそのお守りは、肌身離さず大事にした。

その二日後には、神社に連れてってもらうことになった。
なんでも、自分が神社の宣伝をしてくれたら、もっと人が集まると思うとかなんとか。
正直彼女と一緒に居ることができるなら、理由なんてなんだってよかった。
神社の梅を見て、御神木としての説明を受けた時には、しっかり巫女やってるんだなぁと感じてしまう。
普段の彼女の仕事ぶりを見たことはなかったので、ちょっと距離が近くなったかなと思った。
何より、なんだかんだ仕事してるんだなぁと感心してた時の、
「当たり前でしょ?巫女なんだから」
という得意げな顔が、おかしくておかしくてたまらなかった。
ただ、その日はこれから妖怪たちの集まる宴会だからと、最後の最後で線引きをされてしまった。
いや、彼女はただこっちの身を心配してくれているだけなんだろうが、そのことが、なぜだか妙に悔しかった。

次にあったのはその三日後だった。
会っていない二日間のあいだ、もう事件が解決してしまったのかと思ったが、そうではないようだ。
だが、もうすぐ尻尾が掴めるらしい。
それを聞いて、事件が解決するのを望まない自分自身に嫌気がさした。
それと同時に、こんなに頻繁に彼女に会えなくなるのかと思うと、胸が締め付けられた。

俺は、彼女を想い、彼女に振り回されている生活を、ただ純粋に楽しいと感じた。
会って話している時間は元より、会えない時も空を飛んだ時のことを思い出したり、これから何を話そうかと考えると自然と笑みがこぼれてくる。
ある意味で、彼女は悪い女だ。
人の心も知らないで好き放題やって、勝手に心を射て来るんだから。
だけど、それがどうしようもなく楽しかった。
人生が、輝いて感じた。
それ以外のことなど、何も考えたくは無かった。



その日、夜の散歩に行こうとする前に、親から怒られた。
最近店の対応が悪いと言われてしまったらしい。
もうすぐ店を継ぐのに何をやっているんだ、と。
完全に俺のせいだった。
ここ最近は、仕事中でもずっと彼女のことを考えていた。
それが客へのずさんな対応として出てしまったんだろう。
悪いのは完全に俺なので、ごめんなさいとしか言えなかった。




時間が、流れてゆく。





次の日の夕方、稔弥に飲まないかと誘われた。
ちょうど店の仕事も終わったので、二つ返事でいいよと言った。
居酒屋に向かう途中、霊夢を探したが、結局この日は会えなかった。

「ほい乾杯」
「乾杯」
「で、最近どうなの?」

と、開口一番に稔弥がそんなことを聞いてきた。

「なにが?」
「何がって巫女様だよ巫女様」
「どういうことだよ」
「どういうこともなにも、見てればわかるって。最近お前がちょくちょく巫女様と話してるの見てる人多いらしいぞ」
「だったらなんだよ。知り合いと話すのがそんなにおかしい事か?」
「いやそんなことはないけどさ……」

と、歯切れ悪そうな稔弥。

「いや、その、お前やっぱり巫女様に惚れたろ?」

背筋に嫌なものが通った。
冷や汗が出てきた。
正直、気がつくの早すぎないかこいつ。

「バレバレだ」

いやしかしこれは本当に困った。
もしかして意外と多くの人がこの事実に気づいているのか?
そうなれば、大問題に発展するのだが。

「大丈夫知ってるの俺だけだから」

と、なんかやっぱり悟ったふうに言ってくる。

「どうして……」
「いやそりゃ、女気ゼロのお前が神社に行った日から上の空で、その上ずっと巫女様と話していると聞いたからな。そりゃわからんわけがない。」
「悟かお前は」
「地底は暑すぎて無理だな」

いやしかし、どうしたもんかなぁ。
こうなってしまった以上、次にこいつが聞いてくることは分かっている。

「で、あの日何があった?」

あの日とはもちろん俺が神社に行った日である。
まあ、こいつは俺が本当に言って欲しくないことは言わないので、言っても問題ないと思うが。
しかし、何だか躊躇われた。
心の中では言ってしまってもいいと思っているのだが、あの体験を二人だけのものにしておきたい自分もいた。
言ってしまったら、なんだか自分の世界が人に取られるような気もして。
でも、楽しかった時間のことを周りに言いふらしたいとも思っていて。
どうすればいいか迷った挙句、この目の前の親友にだけは全てを打ち明けることにした。

「彼女に人里まで送ってもらったんだ」
「ほお」
「それだけ」
「いやそれだけってなんだよそれだけって。もっとあるだろこう……」
「手を繋いだ」
「……え?」

稔弥が、わけがわからないといった様子で声を上げる。

「それから空を飛んだ」
「…………」

そして死んだように黙ってしまった。
いやまあ、気持ちはわかるが。
取り敢えずいつまでも稔弥を殺しておくのもあれなので、詳しい説明をすることにした。





「……なるほどねぇ。いや、そんなことされれば普通惚れるわ」
「まぁ、取り敢えずそういうわけだ」
「へぇー。しかしあの巫女さん意外と大胆なのなぁ」
「いや、多分あれは全くと言っていいほど他意はなかったと思うぞ」
「なんでそんなこと言える?」
「いや、まぁただの勘だけど」

正直、勘違いしたくなる自分もいた。
ただ、あそこまで自分の感情に素直な子もあんまり見たことがない。
だから、あの時の彼女には、間違っても俺を男としてみていたなんていうことはないだろう。
そこを勘違いしてしまったら、なんとなく彼女に失礼な気がしたから。

「で、どうするの?」
「どうするって何が?」
「いや、告るのかどうかって話」
「…………あー」

その問には、上手く反応できなかった。
なぜか、そこは全く考えていなかったからだ。
俺はただ、彼女と一緒にまた空を飛びたかっただけだから。

「いやまあ、向こうの立場とかもあるしなぁ。むしろお前よく博麗の巫女に惚れたよ。」
「どーいう褒め方だ。」
「そのまんまの意味だって。まぁ、普通は畏れ多くてそんなことはみんなしないしなぁ。」
「いや霊夢だって女の子だろ?そりゃ価値観は違いすぎるけど。」

彼女と話してみて最も思ったことが、人々が如何に霊夢への認識を間違えてるかだった。
俺も最初は妖怪神社だのなんだので怖かったが、そこにいたのは快活で頭のいい、可愛い女の子だったんだ。
だから、俺は博麗霊夢を博麗霊夢として見ることにしている。
そりゃ時々価値観がぶっ壊れてると思うときもあるけど、それでも彼女は彼女だ。

「ほお、言うようになったな光」
「いや、ただ話してそう思っただけだよ。ある意味変な奴って言ったら変な奴だが、みんなが考えているような巫女じゃない。」
「んじゃ告るのか」
「え、いや、それとこれとはまた別問題でな……」
「仲いいなら告ればいいじゃん。巫女様が彼女だなんて言ったら羨ましがる人大勢いるだろうし」
「だから、ことはそう単純じゃないんだって。ちょっと考えさせてくれ。」
「そうかい」


結局、その後もしっぽりとしながら酒を飲んで解散した。
主な話題は、稔弥にどうしたら好きな人ができるのかだったが。
あいつもあいつで、好きな人がいないといっつも嘆いていた。
その後、家に戻る気になれなかった俺は、川のそばで寝転がって、空を見ていた。
いやしかし、告る、か。
本気でなにも考えてなかったから、どう反応していいかわからなかった。
そりゃ仮に付き合えたとしたら、これまでよりもっと一緒にいることができるだろう。
神社の仕事もそこまで忙しいというわけではなかったし、よく会えるようになるはずだ。

でも。
俺は彼女の何を知っているというのか。
人里にいる他の人間よりはずっと詳しい自信はあるが。
彼女の心の中で、俺の存在はどのくらいを占めているのだろう。
果たして、男だと見ていてくれているんだろうか。
それとも、単なる里の一般人なのか。

神社に行った日に、これから妖怪の宴会だから、と返された記憶が蘇る。
そういえば、最初に行った時も、あの玉が家の一軒や二軒吹き飛ばすと言ってたっけか。
博麗の巫女の側にいる、ってのは、きっとそういうことなのだろう。
ただ純粋に力が足りない。
それは、彼女の言葉の節々から感じる価値観の違いからも、よく分かること。
今のまま彼女の隣に居続けたいと願えば、それはいつか必ず迷惑になるんじゃないか。
力のない俺が、何かをしようとして、彼女に迷惑をかけるのだけは、ダメだと思った。

今はただなんとなく彼女と上手く接することができているが、いずれはどこかで決別するのか。
もうすぐ二十歳になって、そのうち家を継いだり自分の店を構えても、その関係は続けていけるのだろうか。
そもそも彼女もあと数年で結婚してしまうのではないか。
その時側に自分がいることが想像できるのか。
いくら考えても、世の中わからないことだらけで。
今の自分が、如何になあなあに生きているかというのが、嫌が応にもよくわかる。
心に靄がかかっているようで。
ああ、空を飛びたい―――
空に行けば、この鬱屈とした気持ちを吹き飛ばしてくれるんじゃないかと、そんな気になった。






そこで、空を見続けて何時間たっただろうか。
気がつけば、当たりの喧騒もすっかり止んでいる。
もしかして、もう丑三つ時になってしまったんだろうか。
いくら人里の中でも、夜道は怖い。
早いところ家に戻らなければと、そう思い立った瞬間だった。



雷鳴が轟く。



突如、里の外の方から、火薬が爆発したような大きな音がした。

「!!」

急速に背筋が凍るのがわかった。
丑三つ時になってのこの騒ぎというのは、もう妖怪の仕業しかない。
それは、川辺の対岸に急に現れた巨大な気配が証明していた。
今いる川を越えた先は、もう里の外だ。
なんで里の側に!
不味い、このままだと見つかる―――!

そして、次の瞬間、三丈(およそ10メートル)はあるかという巨大な犬のような妖獣が、川の向こうから姿を現した。

終わった。
ダメだ、完全に食われた。
こちらと向こうの距離は10間もない。
既に向こうはこちらにめがけて走り出している。
あれなら一秒後の俺の体はこの世にないだろう。
牙が迫る。
時間が引き伸ばされる。
一秒が無限になる。
走馬灯。
今までの人生が思い返される。
流されっぱなしのなあなあな自分。
それでも愛情をもって育ててくれた両親。
両親の息子だからと自分に優しくしてくれた近所の人達。
同じものを学んだ寺子屋の仲間。
なんだかんだ言いながら親友だった稔弥。

そして、あの空と彼女の笑顔―――





紅白の閃光が、瞬いた気がした。





「……?」

衝撃はいつになっても来なかった。
恐る恐る目を開くと、紅白の巫女装束が見えた。
俺を守るようにして結界を張っていたのは、まごうことなく霊夢だった。

「あらごめんなさい。こんな時間に人が起きてるとは思わなかった……って、光さん?」

至極普段通りの調子で話しかけてくる。
彼女はあの化物を前にしても、何も変わらなかった。

「れ、霊夢?」
「説明は後だから後ろに下がってなさい。流れ弾が当たっても知らないわよ?」

言われて、急いでさがる。
だが、心臓の動悸が止まらない。
一度感じた死の恐怖は、心を抉って離さなかった。
霊夢は、彼女は大丈夫なのだろうか。
目の前に突っ立っているのは、まごう事なき化物なのに。
だが―――

「あんたはスペルカードをやるような脳もないだろうし……大人しく消えなさい。」

そう呟くと、霊夢の雰囲気が急速に鋭くなっていく。
彼女の口から詠唱が聞こえた。
あれが、神咒というものだろうか。
一瞬にして詠唱が終わる

「降臨せよ、大禍津日」

瞬間、彼女の纏う雰囲気が、目に見えるほど黒くなった。
霊夢に向けて爪を立てようとする妖獣を、掌底の一撃で天まで吹き飛ばす。
そして、さらに追い打ちをかけるかのように、彼女は空を飛び―――

「神霊 夢想封印」

虹色の光が、天を覆った。



決着は、瞬く間に付けられた。
博麗霊夢の、圧倒的な勝利として―――

















■■■




事の顛末はこうだった。
元々貸本屋にあった妖魔本のうちの一つが魔力の溜まり過ぎにより暴走しそうだったので、封印作業をしなければならなくなった。
だが、ただ封印する前に、一度ガス抜きとして魔力を使わせたほうがよいということで、本の中身を里の外で具現化した。
そして本来ならそのまま倒すはずだったのだが、人間の気配を感じて俺の元までやってきてしまった、というわけだ。

「……」

あのあと霊夢はすぐに本の封印作業に移り、あっという間に事を終えてしまった。
人里でも、丑三つ時は危ないからあまり出歩かないほうがいいわよ、と俺に忠告を残して。
その忠告は、こっちの世界に来るな、と言われているようだった。

「……っ」

心がひしゃげていくのがわかる。
ちょっと前までの、楽しい気持ちなど、どこかえ消えてしまった。
俺と彼女では、あまりにも住む世界が違いすぎた。
力がないなんていうことは、頭ではわかっていたはずだったのに。
自分の認識が如何に甘かったかを、痛感させられた。

これでは、彼女の側に居れないじゃないか。

ただ、その想いだけが、どうしようもなく心に積もっていった。
家の中で布団にくるまって、やり場のない想いを捨て去ろうとするが、その度に心が疼いた。
でも、自分には力がない。
今の環境を捨て去って、修行することに全てを注げば、自分でも空くらい飛べるかも知れない。
しかし自分には、そんなことをする勇気すら無かった。
今の場所が、居心地がいいと感じてしまっていた。
でも、彼女のことを諦めたくもない。
一体、どこまで中途半端なら気が済むんだろうか俺は。
なんで、俺は今までなあなあにしか生きてこなかったんだろうか。
一体、俺の本心はどこにあるんだろうか。
空を飛びたいのか。
霊夢の側にいたいのか。
里という枠にとらわれたくないのか。
薄っぺらな自分を変えたいのか。
思考が繰り返される。
涙は出ない。
悔しいとすら思わない。
わからない。
わからない。
何も、わからなかった。







■■■


それから一週間。
霊夢とは一度も会っていない。

普段通り仕事をしているが、前にもまして上の空だった。
このままじゃいけないとわかっているのに。
心が前に進まない。
そもそも、今自分が何をしたらいいのか全くわからなかった。
何が目的で。
何のために生きて。
何をして息をしているのか。

親にも何度も怒られた。
二人は俺に跡を継がせる気でいる。
このまま流されて、跡を継いでしまおうか。
そっちのほうが、遥かに楽だろう。
でも、心がそれをすることを拒んでいる。
俺の人生それでいのかと、哭いている。

今でも里に出れば霊夢の姿を探してしまう。
だけど、紅白の巫女装束は、どこにも無かった。






それでも、夜の散歩だけは欠かさなかった。
夜空を見たかったから。
この里という枠の中では、閉じ込められるような感覚に襲われる。
ここは狭い。
あの時みた空よりもずっとずっと。
あの時以上の開放感は、これから先生きていて味わうことができるのだろうか。
この先将来普通に親の仕事を継いで、普通に子供を産んで。
それで何が変わるというのだろう。

今までの俺の人生は、自分自身の選択というものがあまりなかった。
質屋の息子として生まれ、そのまま育ってきた。
普通に寺子屋に行き、普通に生活をする。
幸い金はあったので、世の中を不便だの不幸だの思うことはなく。
世の中を舐めきって、このまま生きていくんだろうなと思っていた。
そのまま親のもとで働き続けて、将来は適当に嫁さん見つけて結婚するんだろうなぁとしか考えていなかった。

だけど、世界が変わってしまった。
広い世界を、知ってしまった。

あの光景は、18にもなって自立もできないひよっこが、夢を見るには十分すぎた。
一体自分はいつまで親のすねをかじり続けて生活するのだろうか。
そんなものからすらも離れられない自分の中途半端さが嫌になる。
どうして、こんなにも地に足がついていないんだろうか。

それは、里から離れて暮らす霊夢への憧れだったのかもしれない。
彼女は文字通り浮世離れしていて、天真爛漫で、なにより自由だった。
里という組織に縛られて生きている俺が、空を飛ぶ彼女へ自然と感情移入していたのか。
はたまた、薄っぺらな俺が、彼女に触れることで何か変わると思ったのか。

「空を、飛びたいなぁ……」

毎晩毎晩願った想いは、ついには口から飛び出ていた。







川まで歩いていくと、そこに人の影が一つ見えた。

「よお」
「……稔弥?」
「お前、ここ最近毎日夜どっか行っちゃうんだって?親御さん、心配してたよ」
「ああ、なんというか、歩いてないと、落ち着かなくてな。止まっちゃいそうなんだ。」
「そら歩いてなかったら止まるわな」
「心の問題だ」
「なるほど。ところで今、時間ある?」
「? あるよ」

急にそんなことを聞いてきた。
別に俺も、何かあるというわけではなかったので、すぐに返事を返した。

「ちょっと話そうぜ」
「いいよ」

そう言って、俺たちふたりは川原で横になった。







「実はさ、家を出るときちょっとお前のことを付けさせてもらったんだ」

え。
なんかいきなり危ない人になったぞこいつ。

「なんでだよ」
「いやなぁ、お前の親御さんに心配されたんだ。最近お前がなにしてもやる気無さそうなんだけど何か知っているかって」
「……そっか」

いつの間にか、両親にまで負担をかけていたみたいだ。
情けない。
こんなことでは自立などまだまだに決まっているじゃないか。

「それでな、まあ親御さんには何も言わなかったけど、まあ、その、心配してんだ」

こいつの心遣いが本当に有難く感じた。
本当に、よく気が利くやつだ。

「……何をしたらいいか、わからなくなっちゃったんだ」
「……」
「俺は霊夢の側にいたいと思ってる。これは間違いない本心だと思う。だけど、そこに行くには、全然、何も、足りなかった」
「……」
「彼女のことを好きにならなければよかった、なんてことは思わないけどさ。それでも、えぐいよ。」
「……」

稔弥は黙って聞いている。

「結局気持ちだけ先行しててさ。心だけ高ぶって、足元を何も考えないようにしてたんだ。もう18だってのに。」

風が肌を撫でる。

「もう自立するのも目の前でさ。これから自分の人生を決めていかなきゃいけないのに。こう、いつまで流されっぱなしなんだろうって。そんなんでいいのかなぁなんて思ってさ。」
「……そんなこと、みんな思ってるって」
「いや、きっとみんなはもうちょっと自分の将来について考えてるよ多分。俺は、ただなあなあに生きるだけで、自分で何も選択してこなかった。」
「……」
「今から修行しようなんて、遅すぎるんだよ、もう。自分のことは自分でしなきゃいけないのに、今更そんなことをしようとしても、何もかも、遅いんだ。」

口から出るのは自嘲ばかり。

「それに、俺と彼女に絶望的な壁があるって思ったときに、泣けなくてさ。自分のことなのに、なんか他人事なんだ。挫折の一つもまともにできないなんて、ほんと嫌になる。」

何を考えても、このループから出れそうになかった。
だが、この目の前にいる親友は、別の考えをしているようだった。

「……なるほど」
「だから……」
「いやちょっと待てって」

強引に口を閉ざされる。

「それでさ」

稔弥は、一拍だけ間をおいて

「お前は巫女様のことがもう好きじゃないの?」

単純明快な問を、俺に突きつけてきた。
そして、その問だけは、自信を持って答えられた。

「好きだよ。大好きだ。間違いなく」

稔弥が安心したような目で、こちらを見た。

「じゃあさ、それでいいじゃん。結局、大事なのは、お前が一番何をしたいか、だと思うんだ。」
「……」

今度はこちらが黙る番だった。

「確かに、親のことも、里のことも大事だとは思う。だけど、それは一旦置いといてさ。」
「……」
「結局、お前の本心がどこにあるか、でしょ」
「……いやまあ、それはそうだけど」
「俺はさ、凄いなと思ったんだよ。ただ一人だけをずっと想えることが。」
「……なんで」
「だって、俺好きな人いないし。お前が悩んでるのを見て、俺は正直羨ましいと思ったよ」
「そんなことないだろう」
「いやそんなことなくなんかないって。周りを見てみ?あっちこっち行ったり来たりしてる奴ばっかだから」
「……」
「俺は逆に、お前を見て、自分何してるんだろうなって思ったよ」
「……」
「だから、お前は凄い」

全く、どういう慰め方をしてくるんだコイツは。

「いや、周りがどうだろうと、関係ないんだよ」
「そのとおり。周りなんて関係ない。だから、お前はお前の好きなようにすればいい」
「そんな無茶苦茶な……」
「無茶じゃないさ。確かにお前も俺も、色んな人に支えられて生きてる。その責任を果たさなきゃってのも、あると思う。それは忘れちゃいけない。だけど、俺たちは人間なんだから。もっとエゴでもいいと思うんだ」

それにさ、と稔弥は続ける。


「将来どうなりたいか、誰といたいか、見つかったんだろ?だったら後は走るだけじゃん」


その言葉は、俺の心に誓いとなって突き刺さった。

「だから、お前が考えるべきは、その目的地にどうたどり着くかだ。難しいなら、そりゃもうよく考えなきゃいけないんだと思う」
「……な」
「お前いつも言ってただろ?人生がこんななあなあでいいのかって。努力しなくても大概なんとかなるって」
「……」
「でもさ、やっぱり、一生懸命にならなきゃわからないことってあると思うんだ。俺が言っても説得力ないかもしれないけどさ」




「だから、頑張れ、光。」




……やっぱり、稔弥はすごい奴だ。
正直に言おう。
こんな友達を持てて良かった。
それだけは、死ぬほど感謝すべきだ。
俺の甘えを全部受け止めて、それをちゃんと返してくれる。
こんな奴は、なかなかいない。
そして、俺の心も―――

「ありがとう、稔弥」

そう、力強く感謝の言葉を伝えた。

「おう、もう大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。心配をさせてすまん」
「そりゃ良かった」
「早速で悪いんだが、行くところができた」
「そうか、気をつけろよー!」


路は決まった。
その瞬間、心が高揚してくるのがわかった。
もう、迷う気はない。


急いで家に帰ると、出かける準備をした。
空が白み始めた瞬間には出発しよう。
山道だから急がなくては。


結局、立ち止まっていても、何も得るものなんてないんだ。
家で布団にくるまっているのも、もう飽きた。
やるならば、今すぐに。


そして、空が白くなると同時に、全力で里を駆け抜けた。
今までにないくらい、速く、速く。
天狗すら追い抜いて。

山道に入る。
既にはち切れそうな足の筋肉を、総動員する。
心臓が脈打つ。
息が切れる。
肺が痛い。
でもそんなこと、何も関係がない。
もう空がかなり明るい。
もっと、もっと―――


そして、日が昇る瞬間、俺は博麗神社についた。

「……間に合った」
「……光さん?」

ぜぇぜぇと息をするが、深呼吸をしてなんとか落ち着かせた。
そこにいたのは、朝早くから神社の掃除をしている、霊夢。
会えてよかった。
なにやら驚いた表情でこちらを見ているが、あんまり気にしないことにした。

「どうしたのよ、こんな朝早くに」
「いや、ちょっと、お参りにな」
「お参りって、この山道を走ってきたの?」
「まあ、そんな、ところだ」

未だに肺が痛い。
どうやら相当無理をしたようだが、まあ大丈夫だろう。
境内を歩いて、拝殿まで向かう。
そして、財布の中のありったけの金を、賽銭箱の中に入れた。

「え、ちょっと、何やってるのよ」

なんだか困惑気味の霊夢。
そりゃそうか、普通財布の中身を全部突っ込む奴なんていないだろうし。

「だからお参りだって」

そう言って、お祈りをした。
二拝二拍一拝。
しゃらしゃらと神社の鐘がなる。
手を叩き、お礼をしながら、祈る。
辺りは、静寂に包まれた。
鳴るのは風の音のみ。
俺は、全力で祈っていた。
作法が終わると、彼女が訪ねてきた。

「何か悪いことでもあったの?」

それに、笑みで返す。

「逆だよ、むしろいい事しかない。」
「変な人ねぇ、まあ私の生活費が浮くから嬉しいけど」
「そりゃ結構」

振り返ると、霊夢が鳥居の前で立っていた。
いつかのように。
ただ今度は、彼女の顔は朝日に照らされていた。
それが、何よりも美しいと感じた。
その黄金の輝きの真後ろには、幻想郷が広がっている。

「……あ」

思わず声が漏れた。
里だけじゃない。
湖や、妖怪の山、竹林も、全部、全部見えている。
全てが陽の光で輝いてる。
自分のいた里はあんなにも小さくて。
彼女は、いつもここから全てを見ていたのか。
この、幻想郷の全てを。

(やっぱり、遠いなぁ)

これから先、折れそうになることも、転びそうになることもたくさんあるだろう。
でも、やると決めたんだ。
俺は、霊夢と一緒に居たい。
ただそれだけのために、これからの人生を全部突っ走ろうと思う。
今まで何もしてこなかった俺が、やっと選択できたんだ。
これで努力できなきゃ、それはもう男じゃない。
さて、まず人外になる方法はなんだったか。
魔法使いか仙人か。
じゃあまず命蓮寺にでも行こう。
妖怪と戦えるだけの力をつけなければ。
大丈夫、きっと彼女なら人外になっても自分を無下には扱わないだろう。
なぜだか、そんな気がした。

路は険しい。
だけど、楽しいと思う。
だって、これは俺が決めた路だから。
決められた道ではなく、自分で選んだ路だから。
心に願うのは、ただ彼女の笑顔のみ。
それさえあれば、俺には十分で。
黄金に照らされた空が、それを祝福してくれているような気がした―――




















―――その夜、青年は夢を見た。





そこは、青年がいつか見た空だった。
当たりは真っ暗で、在るのは星の光のみ。
月すらなく、ただただ無音なこの空間で。
彼の隣には、やはりいつかのように、紅白の蝶が舞っていた。
二人は手を繋いでいた。
ただ一つ以前と違うのは、青年が自身の力で飛んでいたことだ。
何もかもがあの時のままで、それだけが違いだった。
星が瞬く。
風が動き出す。
そして、二人は空を昇って行く。
星々を超えて、幻想の彼方まで。
どこまでも、どこまでも―――
ご読了ありがとうございました。
オリ主なんてものを最後まで読んでくれるあなたは神です。
ほんとはもっとこう、霊夢の可愛さやらキュートさやらを伝えたかったのですが、
なぜかずーっとモヤモヤし続ける話に
技量不足を痛感します。
カタルシスも糞もない話ですが、よかったなぁと思っていただければ。
では
綺想
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コメント



0.830簡易評価
1.80完熟オレンジ削除
創想話でオリ主って久しぶりに読みました。
キャラの気風か、物語の方向性故か、特に鼻につく部分などはありませんでした。むしろ、霊夢かわいいな、青年よ頑張れと素直にそう思いました。
物語にもう一捻りあればもっと良くなるかと。次も期待しています。
5.80奇声を発する程度の能力削除
たまには、こういうのも良いですね
6.100非現実世界に棲む者削除
久々に斬新な作品を呼んだような気がします。
恋心物語もまた良いものです。
7.90絶望を司る程度の能力削除
面白かったです。いったいこの後どのような道を彼は歩むのでしょうね……。
10.100名前が無い程度の能力削除
こういう作品もいいなぁと思いました。
14.70名前が無い程度の能力削除
霊夢は残念な人にしろ、守銭奴にしろ、いろいろ超越した巫女にしろ、
立場は基本的にニュートラルに描かれるので、彼女に恋をした人間、と言う題材は興味深かったのですが…
冒頭の三人称が間を置かず、光の一人称に突如変化したのが謎で謎で、一気に興が削がれてしまったのが残念です(個人の嗜好なんで別に良いんですが)
20.80名前が無い程度の能力削除
オリ主でここまで楽しく読めたのは久々。これはいい。 その後、彼がどうなったか想像するのも楽しい。 いい作品でした
22.90名前が無い程度の能力削除
青年が好人物で、こういう男なら霊夢が一緒になっても安心だなとか思いました。
青年、頑張れ。
27.100あゆん削除
霊夢,
霊夢ちゃん可愛いよ·····
青年よ霊夢ちゃんを頼むぞ····