Coolier - 新生・東方創想話

ある三つの死

2014/03/02 11:13:23
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 ● ある三つの死




 窓からは、葬式が見える。
 職人達の家が寄り集まった里の裏通りの小料理屋の窓から、射命丸文ははす向かいの葬式を見ている。卯の花の和え物をつまみ、濁った酒をなめる。客は文以外に誰もいない。そもそも文が来た時、既に店の暖簾は出ていなかったから、文は客の範疇ではないのかもしれない。
 まな板に向かっていた店主も手を止めて、窓を見る。

 「阿呆な男でさ」
 「あの、お葬式の?」
 「おうよ、金蔵の奴。出来た女房が居るってのに、女郎小屋なんぞに入り浸ってよ」
 「女郎小屋?」

 女郎などと言う言葉は、この里ではめったに聞けない。宿屋でそういう仕事をする女ももちろん居るが、せいぜいが飯盛りといわれるくらいで、女郎などという大層な言葉で呼ばれることは無い。

 「あぁ、あんだ文ちゃん、知らんかったか」

 店主は意外だという顔で文のほうを見る。

 「ま、この手の話は新聞にゃできんわなぁ。なんつうの、下のさ、び……」
 「尾篭」
 「ああ、それ。尾篭な話でさ、文ちゃんみたいな可愛い娘っ子にする話じゃねぇよね」

 そう言って、へっへっへと店主は笑った。文はこの店が出来た当初、つまり先代からの客だから、店主がまだ歩く事ができない赤ん坊の時からのなじみで、つまりはからかっているのだ。

 「一応、世辞と受け取っておきますよ」
 「里の外れにさ、小屋があんのよ」
 「……ふむ?」
 「女が一人、住んでる。とんでもねぇ美人」
 「それが、女郎小屋?」
 「そそ。実家の話ァ聞かねぇから、元は余り子とかなんだろうけどね。飯盛り女だったのがすぐ請け出されて。ええっと、笹間屋の先代の囲われになったのよ」
 「はぁ」
 「その旦那、女を囲ったとたんに死んじまってさ。しかも女ンとこでね」

 設けたばかりの妾宅で死んだとなれば、それは尾篭な話だろう。

 「へっへっへ。がんばりすぎちゃったんだわな」
 「はぁ、まぁ羨ましい事で」
 「ま、それで済みゃ、笑い話で終わるんだけどさ」
 「終わってない?」
 「囲われ女が旦那無くしちゃ、生きてく道は一つきゃ無ェよね」
 「まぁ、そうでしょうねぇ」
 「おまけに寒気するほどの美人だからさ。いろんな男が通うのよ。んで」

 店主が文の前の空の枡を取って酒を酌む。
 「また、小屋で死ぬ奴が出たのよ」
 「ははぁ、二人目ですか。それ何時の話です? 笹間屋が代替わりしたのは結構前でしょう?」
 「もう十年ちっとも前よ」
 「相方が二人続けて、なにしてる最中に死んじまっちゃぁさ、なんつうの? 噂話つうかさ」
 「そうなるでしょうね。稀代の淫婦だとか?」
 「いやぁ。男を喰うってね。精気を吸い尽くすってさ」
 「ははぁ」
 「ヘッ! 阿呆臭ェ。男は吸って貰いたくて通ってるんだからよ。言うのは女共よ」
 「まぁ、最高の死に方とも言いますからね」
 「おうよ」
 「しかし、そんな話、聞いたことも無かったですよ。耳に入りそうなもんですがねぇ」

 里の裏も表も識る唯一の部外者と自負する文だから、自分の耳に入らなかった事、それ自体が不信である。店主は「ここからは笑えねぇ」とでも言うように、露骨に顔をしかめて続ける。

 「それがよ、まだ終わってねぇのよ」
 「はぁ、また死んだ?」
 「もうこっからは尾ひれに胸びれでさ、どこまで本当だか知れねぇけどね。小屋で死んだんじゃねぇんだが、他にも通ってた男が若死にしたとかさ、生血を吸うとか、いろいろ非道い話になっちまってさ」
 「まるで妖怪扱いですねぇ」
 「まさにそれ。文ちゃんにこんな話すんナァ気が引けるけどさ。まるで化け物よ。そんなだからさ、とても文ちゃんの耳にャ……」

 「あの女は妖怪だ、怖い」と妖怪である文に言う者は流石にいないだろう。いかな射命丸文とは言え、これは知りようが無い。

 「里の者はさ、まぁ妖怪とも普通に付き合っちゃいるけどね、本心じゃァびびってるのよ。妖怪は皆里の中じゃ猫被ってるって思ってるからさ。だから怖ェの。集落の連中はさ、山にも入るし時にゃ妖怪と斬った張ったになるしさ、芯が通ってるけどね。里者は守られてっからさ、逆に怖がっちゃうのよ。まぁ本当、文ちゃんにする話じゃねぇよね」
 つまり、その女郎小屋の女に対する噂話は、初めの頃の嫉妬と艶笑の混じり合ったそれではなくて、半ば本気の恐怖になっていると、そういうことなのだろう。
 「ま、それでも通う奴は居たけどね」
 「男の業ですね。金蔵さんがまさにそれですねぇ」
 「アイツは、ほら二つ向こうのさ、甲津屋の角でぶっ倒れてたってさ。ちょうど小屋から帰ってくる筋道よ」

 金蔵がどういう理由で死んだのか真実はともかく、里中という世間ではまた女郎小屋の女に殺されたという話になってしまうに違いない。
 「死んだ男の女房が番所に駆け込んだなんて話も、前にあってさ。なんつうか、因果ってやつよ」
 「因果といえば、産まれからですけどね」
 「産まれって、そりゃあんまりだよ。集落の余り子でもまっとうに暮らしてる奴はクソほどいらァ」
 「いえ、貧富の話ではなくて。美しく産まれたのが因ですよ。女である限り醜美の判定から逃れられませんからね。並外れて醜いのも並外れて美しいのも一緒です。幸せにはなれませんよ。人並み外れたら人以外と扱われるのは仕方が無い事です。本人にはどうしようも無い事ですがね」

 枡を煽ってまた窓の方をみる。葬式の提灯の前で泣き崩れそうになっている女がみえる。里で寡婦として生きていく過酷さを考えれば、女郎小屋に対する噂話の苛烈さもまた仕方の無い事だろうと文は思う。文はそれこそ人里にもっとも親しい妖怪の一人といえるが、その文の耳にさえ入らなかったほどに、女郎小屋の話は真実味と恐怖を里の者に与えている。この店の親父は文と長年にわたる親交があったからこそ話したのだ。

 「親父さんも女は人外だと思いますか?」
 「料理屋の親父になに聞いてやがる。知らねぇよ、そんな事ァ」
 店主は吐き捨てるように言ってから、ふと使っていた菜箸をとめた。

 「……でも、金蔵が死んだなぁ本当だわな」

 このような状態にまで行き着いてしまうと、もう女郎小屋の女は里はおろか、人間の世間で生きていくのは無理ではなかろうかと思う。もう女に残された道はいくらも無いだろう。



 ◇◇◇



 瞼を開けると、世界が戻ってきた。
 空には満天の星。半分より少し太った月。ああ、やっぱり。そう思った。
 ほんの少し前、そこには今まで見たことの無い陰鬱な風景が広がっているはずだと、聞こえる水の音は三途の川だと、期待していたのに。目に入ってきたのは何の変哲も無い星空で、半身を浸しているのは飛び込んだのと同じ湖の水だった。
 随分と長い間、星空を眺めていたつもりだったが、実際はほんの少しの事だった。すぐに息が苦しくなって、身をよじると、うつ伏せになって水を吐いた。たくさん吐いた。
 吐きながら、また思った。やっぱり、自分は死んでいなかったと。そうしながら、自分はなぜ湖に身を投げたのかと、我が事にも関わらず理由は曖昧で、靄のかかったようなこの頭では、まるでわからない。死にたかったのか聞かれれば、そうではない。つらい事があったのかと聞かれれば、それはそうなのだけれど、死ぬほどつらいと言う訳でもない。将来に希望が無いのは確かだが、今死ななければならない訳ではない。
 つまり、きっと、自分は生きたくないのだなと、そう思った。

 「やっぱり、死んでなかったんだねぇ」

 そう、声がした。はじめそれは自分の頭の中の声かと思って、自分以外にここに誰かいるとは気付かなかった。少しして、先ほどの声が実際に聞こえたものだったと思い出した。寝転がったまま顔を向けると、大きな目が二つ、闇の中に光っていた。猫の目だと思った。

 「こんばんは。化け猫さん」
 「こんばんは。お姉さん」

 目がなれてくると、その化け猫は意外に可愛らしい少女の姿をしているのがわかった。 頭の上の大きな耳がピクリと動いて、その下のおさげが揺れる。

 「私を食べる?」
 「食べやしないよ。あたいは火車なんだ」
 「火車?」
 「そうさ。知らないかい? 葬式に現れて死体をさらう火車」

 知らなかった。この化け猫がもっと仕事熱心で、自分の小屋で死んだ男の死体をさっさと片付けてくれたなら、自分の人生も変わったかもしれない。

 「そう、死体を……」
 「そう。だからね、お姉さんが死体になるのを待っていたんだけど、駄目だったね」
 「殺してくれてよかったのに」
 「そうは行かないよ。妖怪ってのは分を守るものさ。あたいは攫って運ぶだけ」

 石だらけの地べたに寝ているのが辛くなって、半身を起こした。足の先はまだ水の中だ。自分が死体にならなくて、化け猫にとってはもう自分に付き合う必要も無さそうなのに、向こうは相変わらず傍に座って興味深そうにこちらに目を向けている。

 「ねぇ、貴方が運ぶのは人間の死体だけ?」
 「普通はね。魂が無きゃだめなのさ」
 「……妖怪には魂はある?」
 「妖怪は千差万別、いろんなのがいるからね。魂があれば、あたいは運ぶよ」
 「……そう」
 「お姉さんは、もしや妖怪なのかい?」
 「そう見える?」
 「さてね。でも人間離れしてるね。こんなにきれいな人間はなかなか居ないよ」

 「あなたが人間だけ運ぶのなら、私は人間だと知れたのに……」
 気が付くと、そう漏らしてしまっていた。自分が人か妖か、そんな事、自分は本当に知りたいのだろうか。知れれば何か変わるのか。

 「お姉さんは、自分が人間か妖怪かわからないのかい?」
 「そうよ。可笑しいでしょう?」
 「そんな事はないさ。獣から妖怪に変化したばかりで、自分の事がわかっていない奴なんてよくいるよ。お姉さんもその口だろう?」
 そうだろう。その筈だとは、思う。思うがしかし確言できるのか。何かの間違いで人の間で育てば、妖怪も人間のように暮らすのではないか。ならば自分のこれまでの生は、なんら人として産まれた証にはならないのではないか。そう問うと、化け猫は明確に否定した。

 「そりゃ、少しは人間臭くなるかもね。でも、妖怪は妖怪さ。人と同じように育とうと妖怪は分を忘れないよ」
 「分?」
 「あたいの分は死体を攫う事さ。あたいにだって魂があるからね、葬式の最中に親しい者の死体をとられたら悲しいし腹が立つし悔しいのは判るよ。でもあたいはそれをやらなきゃいけない」
 それはつまり、嫌だがやらねばならない使命のようなものか。
 「使命? よくわかんないな。嫌とか好きとかじゃないのさ。理由もいらない。ただ攫う。反対に、探すより作った方が早いからって殺して周ったりもしない。それが分を守るって奴さ」
 「人間は自分の分なんてお構いなしだからね。上手くいくと思えば他人も押しのけるし、好き嫌いで仕事を計るだろう?」
 「お姉さんには、そういう分があるかい? 何も求めず、ただやる。そういう分が」
 「もしあるなら、お姉さんは妖怪かもしれないね」

 あるかもしれない。なんと無しに、そう思った。



 しばらくぼうと遠くを見ていた女はゆっくりと立ち上がった。雑に結っていた髪はすっかり解けてしまって娘のような形だ。水を含んだ着物が重いが気にはならなかった。行く当ては無い。ただこの湿った湖畔にいても仕様がないと、そう思っただけだ。きっと、自分は湖に身を投げたくらいでは死ねないのだし。

 「お姉さんは、生きたくないのだろう?」
 化け猫がうれしそうに問いかけてくる。自分が死体にならなくて、残念がっていたはずなのに。
 「……わかる?」
 「判るさ。火車だからね。いい所があるよ、付いて来るといい」
 そう言って、化け猫は目を細めて笑った。



 浮かれたように化け猫が跳ねる。その姿を亡者の人魂が照らす。その冷えた光に先導されて、女が往く。

 「いい夜だ。ああ、いい夜だ。こんな夜はなかなか無いよ。ねぇ、お姉さん」

 自分を小屋に囲った男はある朝、布団の中で動かなくなっていた。男は今はこんな小屋だが、すぐにちゃんとした家を建てて、いい暮らしをさせてやると、そう言っていた。

 「お姉さんは自分を失ったんじゃぁないよ。元から知らなかったんだろう? だからこれから探しに行くのさ。宣託を下す、人でも妖でもない者の所へ」

 所帯を持とうと熱心に言ってきたあの男も、ある朝布団の中で死んでいた。

 「お礼はいいよ、これは人助けじゃないからね。あたいの探すものも同じ所にある気がするんだ。いい予感ってやつさ」

 幾人もの男が家に来た。金品を置いてゆく者もそうで無い者もいた。どの男もする事は同じだった。だから自分も同じようにしてやった。男達は皆悦んだが、幾人かは死んだ。

 「そう、いい予感だよ。とても素晴らしいものが手に入りそうなのさ」

 いつの間にか、自分は化け物、妖怪と言われるようになっていた。自分は同じ事をずっと続けていただけなのに。なにも求めず、ただ同じ事を。



 ◇◇◇



 長い石段を登り終えると、鳥居の向こうに巫女がいた。色鮮やかな筈の衣装は冷えた光にくすんで見えた。髪に挿した祓串が風に揺れている。月の光は色を失わせる。この風景は身を投げる前に見た湖のそれに通じていると、なぜだか思った。それで、自分がここに来た理由がわかった。

 「燐、あんたはどっか行ってなさい」
 「それじゃぁ、またね。お姉さん」

 巫女に追い払われて、化け猫は獣の姿に成り変ると、二本の尻尾をくねらせて脇の茂みに消えていった。彼女の探し物はもうすぐ見つかるだろう。


 「茶は出さないわよ、悪いけど」
 そう言って、巫女はすたすたと歩き始めた。女を通り過ぎ石段を少し下りて、振り返った。
 「どうしたの? こっちよ」
 神域は、不浄を嫌う、そういうことだろう。二人で石段を下りる。巫女が先導し、女は続く。
 「なんで、ここに来たの?」
 「……ご迷惑でしたか」
 「迷惑とは言わないけど。私は巫女だから、私の仕事なんだろうけどさ。好きでやってるわけじゃないのよ」
 「自分の『分』ですか」
 「まぁ、そうよね」
 「妖怪は分を守り、人は気にしないと、そう聞きましたが」
 「燐が言ってたの? まぁ、妖怪から見たらそうかもね。私から見たらどっちもどっちだけど」

 妖怪は自らの『分』を守ると、あの化け猫は言った。ならば、好きではないが分だからと言う巫女は――。
 「貴方は、人間なのですか?」

 「あんたは、どっち?」
 巫女は答えず、首をかしげて軽い口調で訊き返す。まるで、そんな事どうでもいいと言う様に。
 「……さぁ、どちらなのでしょう。気が付くと、化け物妖怪と呼ばれていました」

 「それに……聞かずともご存知なのでしょう? わざわざ境内から離れたのですもの」
 「あんたはさ、化け物扱いされたら、化け物になるの?」
 「人とは、そういうものではないのですか?」
 自分を知るものが皆「あれは妖怪だ」と思っているなら、それはもう自分がどう思うと自分は妖怪なのではないかと、そう思う。
 「化け物扱いされたら化け物になるってのなら、私はもうとっくに化け物よ」
 ならば――



 「私は人間よ。私がそう思っているから」

 そう言って、巫女はむこうを向いたまま立ち止まった。ちょうど長い石段の途中、踊り場になった所で。巫女の向こうには満月でも半月でもない、太りかけの中途半端な月。冷たい光に照らされた幻想郷。



 「何で殺したのか、理由はある?」

 厳かに巫女が問う。

 「理由があるなら、私はあんたをこのまま番所まで連れて行くけど」
 理由など――。
 「愚問だったわね。理由があったら、あんたはこんな所に来てないわ」
 妖怪は分を守る。理由など要らず、結果も求めず、善悪もない。

 自分が人である事を確信できなくなったのは何時からだろう。里の人々が自分を妖怪と呼んでいるのを知った時、その時自分は「そうかも知れない」と半ば肯定したのではなかったか。床をともにした男が、朝には動かなくなっていたのを知った時、すでに自分は自分を疑っていたのだ。自分と寝た男は死ぬかもしれないと、自分は知っていて、それでもなお――同じ事を続けてきたのだ。何も求めず。
 これが、自分と言う女の『分』なのだ。

 女は巫女に向けて僅かに頭を下げた。遠くに見える里の明かりが、懐かしかった。
 「さぁ、退治してくださいまし」

 巫女が髪に挿した祓串を抜き取り、女に向き合った。月を背に立つ巫女は逆光で女からは表情は見て取れなかった。袖の中から幾枚か札を抜き取り、それを口元に持っていって何事か小さく唱え、そして、それを女に放った。



 ◇◇◇



 火車は、猫車を押して上機嫌だった。これほど美しい死体は何時振りだろう。まるで珍しいおもちゃを買ってもらった子供のように、誰彼かまわず見せびらかして自慢したい気分だった。そうして跳ねるように車を押していると、「お燐さん、お燐さん」と突然頭上から声が降ってきた。びっくりして見上げると、梢の上には天狗がいる。こんな夜更けに猫の自分が鳥目に不意を突かれたと思うと、とても情けなかったが、それも仕方が無いのだ。それほど自分は浮かれていたのだから。

 「お燐さん。その車の中身はもしや女性ではありませんか? そうならば是非拝見したいのですが」
 「天狗のお姉さん。これはあたいの物だよ。難癖つけたら承知しないよ」
 「ああ、見るだけですよ。天狗は死体を攫ったりしません。攫うのは幼子だけです」

 ばさりと軽い羽音を立てて、天狗が舞い降りる。

 「そもそも死体に何ぞに興味はありませんがね、生前を偲ぶというやつです」
 そう言って、車にかかった布をめくり、中を覗きこんだ。

 「ふむ、お燐さん、このひとはまだ生きているじゃないですか」
 そんなはずは無い。胸には針に穿たれた穴が開いているのだ。
 「人間の彼女は世間に殺され、妖怪の彼女は巫女に退治されましたが、ほら、女としての彼女はまだ立派に生きているじゃありませんか。こんな風になってなお、こんなにも美しい」
 ニヤニヤ笑いの天狗が一歩踏み出して、迫ってくる。気圧されて視線をそらすと、車の中の女の顔が見えた。血の気が失せたそれは、まるで作り物のようだ。よく出来た作り物に命が宿るなら、この美しい死体は、まだその命を失ってはいないのかもしれない。

 「……どうしろって、言うのさ」
 「なに、気にする事はありませんよ。すぐに腐って朽ちて、女としても壊れてしまいますよ。女の業など儚いものです。老いにも腐敗にも勝てません。ほら、もう死斑が浮いてきました」
 そう言われて見ると、とても美しかったはずのそれは、先程より僅かに翳ったように見えた。


 「もう十年もすれば、女でも無くなり、妖でも無くなり、人に戻れたものを……」
 女の透けるように白い頬に顔を寄せ、浮き上がった青黒い静脈を指でなぞりながら、そう天狗が呟いた。

 車の中の死体は、もうただの死体だった。




 (了)



3/1 に初稿を投稿しましたが、いったん削除しました。その時点で5つのコメントを頂いておりました。
作品と一緒にコメントも消えてしまう事から、削除せずに修正することも考えましたが、
 話の筋に関わる改稿が明らかである事
 コメントはコメントが書かれた時点の作品にに対してのものあり、改稿されてしまえば作品と繋がらない物になってしまう事
以上を踏まえ、削除とさせていただきました。
inuatama
inuatama.toriashi@gmail.com
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コメント



0.1630簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
はてさて、人だったのか、妖だったのか、女だったのか。どれかに決められなかったのが彼の者の不幸だったのだ、と。

改稿前にもコメントしておりましたが、もう一度。
改稿して『私は人間よ。私がそう決めているから』の台詞ともより噛み合うようになりましたし、オチの文の言葉も品がよくなったかと思います。
評価上げさせていただきます。
9.100名前が無い程度の能力削除
今回も楽しませてもらいました。
14.100名前が無い程度の能力削除
相変わらず漂うなんともいえない退廃した雰囲気が素敵です
15.100名前が無い程度の能力削除
よかったです
16.90ばかのひ削除
もう少し色が欲しかったなって
ただタイトルはとても好き
17.90完熟オレンジ削除
分とは業や性とも言い換えられるのでしょうか。静な終わり方が何ともいえず好きです
18.80奇声を発する程度の能力削除
この感じが良かったです
22.70名前が無い程度の能力削除
確かに淡泊な印象。
それと同時に意味を括り過ぎというか、概念を単純化し過ぎというか・・・逆に妖怪じみた美の描写は薄味気味というか・・・それぞれの匙加減一つでまだ良い物と成る余地は有りそうです。
26.90名前が無い程度の能力削除
しかし霊夢が手をくだしたということはこの人は妖怪だということね
三つの死か
アイデンティティにふり回されるのは勘弁したいな
27.40名前が無い程度の能力削除
霊夢は特別な能力を持ち、分から逸脱せず、化け物と呼ばれ。しかし、自分の事を「人間」と言う。
女は特別な容姿を持ち、分から逸脱出来ず、化け物と呼ばれ。そして自分も「妖怪」ではないかと思っている。
幻想郷で能力持ちの人間は珍しくないですし、作中にあるように業や分、認識が人間と妖怪の差という事でしょうか。

女は自分の行動(分)に疑問を抱いた時点で分を逸脱している、つまり人間なのかなと思いました。対して霊夢はあまりにも化け物らしい行動をしているように見えました。
作中で霊夢を人間と肯定しているのは霊夢自身だけ。なら、霊夢が「あなた(女)は人間だ」と言えば女は人間になったのでしょうか。ならば、何故そうしなかったのか。
認識が重要ではない→霊夢も女と同じく化け物?
認識が重要→何故女を「人間」と言わず、妖怪として退治したのか疑問。
女を退治したのが霊夢なだけに、なんだか気になりました。作中の女は「偶然の不幸に巻き込まれる妖艶な女」ってだけの普通の人間ですし。
女が妖怪と確定できる何かがあれば、評価はまた違ったかもしれません。

それしか生き方を知らなかった、その生き方しか出来なかった美しくも憐れな女と、人でも妖怪でもない化け物巫女の話…と見えるのは流石に捻くれ過ぎでしょうか。
29.無評価スポルト削除
こう考えると現代の女性がちゃんとした仕事に就ける世の中はきっと昔よりもすばらしいものにっているんですね。なんか大事なことが書かれてるいきがしました。
34.100名前が無い程度の能力削除
うへぇ
36.100名前が無い程度の能力削除
こお美女は人間の身体のまま魂が妖怪になってしまっているのでしょうかね。彼女に向かうお燐の言動に妖しさがよく溢れているように感じます。
37.100リペヤー削除
暗い……
女はどうして男を殺しちゃったのでしょうかね……体質的なものなのか、意図的なのか?
なにはともあれ、面白かったです
47.100名前が無い程度の能力削除
何が悪いっていうかさ…哀れすぎる