Coolier - 新生・東方創想話

幻想郷近代化計画

2014/02/05 04:41:50
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注意書き:この作品は東方Projectの二次創作であり、本作品はなるべく原作の設定を尊重しておりますが、登場キャラクターの性格、設定、キャラクター間の関係は、原作と異なる場合がございます。
また作中においての人名の略称については、霊烏路空と射命丸文の二名のみ、文中の「空」及び「文」との混同を避けるために、氏(「霊烏路」「射命丸」)の方を用いております。


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                       一 本物の思索家(デインカム・シンカム)




 紫に報告する前に、八雲藍は若干の戸惑いを見せた。

「山におわします神奈子様が、一度紫様にお会いしたいと」

 それを聞いた紫は、自分の心が不意にすとんと奈落の底へと落ちてゆくような感覚にとらわれた。
いくら大妖怪といえども、神様には頭が上がらぬ紫はすぐさまに布団から這い出て、急ぎ返信を書き、それを藍に託した後、再び浅い眠りについた。

 そして翌日の早朝、紫の手元には守矢神社からの招待状が届いていた。

 招待状の内容は至って普通で、これ以上なく丁寧に招待の意を示す文言が綴られているのみであった。

 ただ一つ、気になる事といえば――力強く流麗に描かれた漢字とは対照的に、その間に綴られたひらがなはどこかぎこちなさを感じさせるものだということだ。
その筆跡は、漢字を用いて書物を記す時代を長らく生きてきた、神奈子のものだと気付いた瞬間、紫は即座に立ち上がり、早足で銀鏡へと向かい、未だ寝癖が残る長髪を入念に梳かし始めた。


 スキマで直接訪問するなぞ無礼千万――そう思った紫は、守矢神社へ至るまで、どこまでも続く幻想郷の空の上を飛ぶことにした。
招待状に同封されていた地図を頼りにして、ようやく鳥居の前まで辿り着くと、既に風祝が出迎えており「こちらへ」と案内する彼女に従い、紫は社の奥へと進んだ。

 行き着いた先の部屋は意外にも家庭的であり、炬燵や座布団が当然のように置いてあった。
部屋の中では神奈子が既に正座しながら紫の到着を待っていた。紫は慌てて対面の上座に座った。果たして神を差し置いて上座に座ってよいものかと、紫は心底不安だった。

「本日はお忙しい中、遠路はるばるようこそお越しくださいました」

 深々と頭を下げる神奈子の姿は、紫が想定していた状況を超えており、紫は考える間もなく咄嗟に頭を地面に擦り付ける思いで返礼した。

 神奈子はにこりと笑った。
 典型的なアルカイックスマイルだった。

「何もそこまで畏まることも無いでしょう。さて、話すべきことは山のようにあります。
しかし上辺だけの礼儀を重んじ、真冬の中互いに寒さを我慢し合う必要などないと、私は思うのです。ですのでさぁ、遠慮なくどうぞこちらへ」

 神奈子が手を差し出した先には、衾(ふすま)がかけられた炬燵があった。紫は神奈子の仰せの通りに、炬燵へと潜り込んだ。神奈子もそれを見て同じく炬燵に入り込む。

「失礼致します」

 襖を開け、入ってきた風祝の胸には一升瓶が抱えられていた。それを炬燵の上に置いた後、襖の傍に置いてある猪口を取りに戻り、それらも炬燵に置いた後「ごゆるりと」と言い最敬礼を行った後、風祝は襖を音も無く閉めた。

――ああ。まさか神と同衾する日が来るとは、夢にも思わなかった。

 紫は今置かれている状況に対し、冗談の一つや二つくらい心に思い浮かべなければ、頭がどうにかなりそうだった。いつもの調子が出ず、初心な自分が酷く滑稽に見えてしまう。
対する神奈子は紫の猪口に酒を注いでおり、注ぎ終わった後一升瓶を机に戻した。紫もすぐさま礼をし、神奈子の猪口に酒を注いだ。
清水のような酒をなみなみ湛える猪口を手に携え、神奈子は宴の始まりを告げた。

 「さぁ。飲み交わし、話し合いましょう!」


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 紫と神奈子は長いこと酒を飲み交わし、語り合った。

 この幻想郷という特殊な領域を維持管理するのがいかに大変か紫は愚痴をこぼし、かつて国を管理していた神奈子は紫に甚く共感してくれた。
 神奈子は長年の人間観察の末、人の特性と心理に対する自分の分析と見解を述べ、それは妖怪である紫が人間を更に深く理解することを可能にしてくれた。

 統治する際の異端分子の対策に手を焼いた経験則や、試験的に導入した管理方法が思うとおりに上手くいかず、飢饉や暴動を招いた失敗談など、苦労話を通じて両者は親睦を深め合った。

 紫が消え行く幻想に危機を感じ、それを守る為、幻想郷を作り上げるべきだと、当時自らが思った大義を朗々と説くと、神奈子は響き渡るほどの拍手と讃えの言葉を浴びせた。
 神奈子は葦原の国と民を守る為一騎打ちを申し出るも武甕槌に敗れ、国を奪われ亡命の日々を今日まで続けている事を絞り出すように話し、古事記を通じ大まかな内容を既に知っているにもかかわらず、断腸の思いで語られるその悲劇に、紫は止め処なく涙を流した。


 二人は共に、組織の頂点に位する者であった。
頂点は一つしかなく、それゆえ孤独であり、紫は幻想郷を守り続けなければならないというプレッシャーから生じるストレスを抱えていた。
誰にも自分の苦悩を打ち明けることは出来ず、唯一の話し相手である幽々子ですらも、彼女の悩みを心から理解している訳ではなかった。
その結果、紫は長時間睡眠を取ることにより、今にも押しつぶされそうな抑圧感を辛うじて和らげてきたのであった。

 そして長年の末、紫はついに知己に出会ったのだ。
紫はこれまでに無いほどの活気を見せ、その笑顔は気のままに笑う少女そのものであった。

 空いた一升瓶がずらりと並び、空になる度に次の酒を持ってくる風祝は、とっくに疲れ果てており、ぜえぜえと息を荒くしていた。
酒を飲み交わし続ける二人と言えば、顔を赤くし感情は昂ぶり、その昂ぶりによってか、声が若干震えていた。
完全に酩酊状態にあるように見えたが、酔翁の意は酒にあらず――彼女らの場合、酒酔いよりも場酔いの方が主な原因であった。

 「朋あり遠方より来る、また楽しからずや――正に今、この時に相応しい言葉だ!」

 神奈子がそう高らかに言い、それを聞いた紫はとても上機嫌だった――友と認められ、誰が怒り、悲しむのか?いや、いない。

 「神奈子様にそう思えて頂けるなんて、我が身に余る光栄ですわ」

 「神奈子でいいわよ、紫」 

 「神を呼び捨てにするなど恐れ多き事ですが、神に呼び捨てにしろと言われたのなら仕方ないですわね。えぇ、喜んで!よろしくお願いしますね、神奈子」

 「そう、それでいいの。皆私に敬称をつけ、距離を置くばかり――触らぬ神に祟り無し、ってやつかしら?そんな私が欲していたのは、友だったのね」

 「私もです。こんな捻くれた老妖怪に、友達なぞ居るはず無いんですもの。でも、それも今日までね」

 見合い、杯を交わす。

 また一瓶飲み干した後、紫はずっと気になっていたことを尋ねてみた。

 「そういえば今日は、何のために私を招いたのかしら?」

 「あぁいけない。楽しさの余り、すっかり忘れていたわ!でもその前にまずは酒ね」

 神奈子は咳払いをし、風祝はげっそりした様子で、酒蔵の方へと姿を消した。

 人払いか、と紫は思った。

 案の定、神奈子は風祝が遠くに行った事を確認してから話を持ち出した。

 「ねえ紫。突然だけど、私が幻想入りしたあの時、何か不思議に感じたことはないかしら?」

 紫は少しの間考え込んだ。 その際彼女の両手は執拗に、そして丁寧に蜜柑の筋を剥ぎ取っていた。

 「この幻想郷において、異変自体は決して珍しいものではないわ。ここ最近の異変を起こしたのはレミリア・スカーレット、西行寺幽々子、伊吹萃香、八意永琳……つまりどれも幻想郷の住人による異変だったのよ――当たり前だけどね。
でも貴女の方は、外界から来た者による極めて特殊な異変だった。そして貴女のように強力な神が幻想入りすることも、幻想郷の史上において類を見ない、極めて異例な事象だったわ」

 それを聞き頷き、神奈子は話を続けた。

 「そこまで分かっているのなら、もう既に知っているでしょう。私のような位の高い幻想的存在が、外の世界からいきなり幻想郷へと避難してきたという事が、一体何を意味するのかを」

 「知っているけど、知りたくないわね」

 顎を机につかせ、紫は頬を膨らます。
 話を進めるため、神奈子は紫が言いたくも、そして聞きたくもない事実を、粛々と述べ始めた。

 「紫……残念だけれど、外の世界では『幻想という迷信』は、科学が行う異端審問によって、驚くべき速さで減少し続けているわ。
人が神の死を宣言し、二束三文で願い事をするようになってから、世界における幻想の濃度は急速に薄れていった……」

 神奈子は諦観と口惜しさの交じった表情を見せながらも、延々と語り続ける。

 「いよいよもって耐えかねて、私はこの幻想郷に辿り着いた。
 でも科学は今も決してその手を緩めることなく、爛々たる双目を以って世界を総覧し、その名において全ての幻想を、その肉の最後の一片までも残さず食い殺そうとしているわ」

 神奈子は食指を以ってとんとんと机を小突いた。

 「そしてそれはこの幻想郷も例外じゃないのよ」

 「まさか!幻想郷は博麗大結界により外界と隔絶されているのよ」

 「えぇ、物理的にはそうでしょうね。でもよく思い出して、紫。近頃は河童達が科学を研究し始め、そして昨今において外界から流れてくる物といえば、写真機や冷蔵庫といった科学機器ばかり……」

 「ちょっと待ってよ。つまり『科学はもう既に幻想郷への侵攻を始めている』とでも言いたいの?」

 「ええ、そうよ。幻想的存在である貴女も薄々感づいているでしょう――科学という概念が、幻想という概念を圧し潰そうとしているのを。そしてその多大なる攻撃は、博麗大結界という一介の隔壁では到底防げないことも」

 神奈子は、少し潤み始めている紫の瞳を直視した。紫は神奈子に情けない表情を見られる事に耐え切れず、すぐさまに目線を逸らしたが、神奈子は毅然として彼女の顔を直視し続けた。

 「ねえ紫……外界の幻想が絶滅したら、次はこの幻想郷よ」

 紫は、ぐいと一口に酒を飲み干し、すぐさま酒を猪口になみなみと注ぎ直し、再度一気に飲み干した。そして彼女は骨が抜けたかのように、机にうつ伏せになった。

 「はぁ、そうね、確かに貴女の仰るとおり、幻想郷を含めたこの世界全ては、確実に近代化、科学化への道を歩んでいる。それは私も百も承知よ。
 ……でもしょうがないじゃない、私にはどうする事もできないわ!もう私にできることは、せいぜい幻想郷の死を遅らせることだけなのよ!」

 半ば諦観気味の紫をなだめるかのように、神奈子が紫の猪口に酒を注ぐ。

 「いいえ、諦めるにはまだ早いし、幻想郷の管理者たる者、最後まで諦めてはならないわ。……実は一つだけ幻想郷が助かる方法があるの――それも物凄く単純な方法で」

 「へえ、そうなの?是非とも御教示頂きたいわね」

 悪い冗談だと思っているのか、話半分に聞いている紫に対し、神奈子は至極真剣に答えた。

 「私達も科学と同調すれば良いのよ」

 「なんですって!」

 机にもたれていた紫は、がばりと身を仰け反らせ、紅色に淡く染まった顔を神奈子へと向けた。

 「もう既に雌雄は決しているのだから、延命などという徒労な時間稼ぎを止めて、潔く負けを認め、美しく残酷にこの大地から往ねとでも言いたいの!」

 「いいえ、違うわ、全くもって違うわよ」 

 興奮気味の紫に対し、どこから話せばよいものかと思いながら、神奈子は諭すように少々語気を弱めながら言葉を紡ぐ。

 「無論、この世界の科学化は誰にも止められないわ。そして科学は幻想が完全に刈り尽くされるまで、その手を休めることも無いでしょう」

 「ええ。でもだからといって」

 「それで私は思ったの――『なら、もはや幻想を科学を以って偽装させるしか、幻想が生き延びる道は無い』と」

 神奈子の真意を測りかねる紫は、思わず首を傾げた。

 「幻想を科学に変えるということ?」

 「いいえ、本質を変える事はしないわ。幻想を使って科学じみたことをやるのよ」

 「でも、どうやって?」

 少し落ち着いた紫は机上に置いてあった煎餅を取り、それをかじりながら、神奈子の話を聞き続ける。

 「外の世界において、科学が爆発的に勢力を伸ばしたのは、どの時代からかしら?」

 「産業革命」

 「そう。人が科学の力である蒸気によるエネルギーを発見してしまい、そこから外界は科学の独擅場と化したのよね」

 「ああ、もうやめて。忌々しい科学の勝ち戦の話なんて、聞きたくもない」

 神奈子はにやりと笑った。

 「あら、どうして?」

 「どうしてって……科学の勝ち戦は即ち幻想の負け戦だからよ!あの時までは幻想の方が優勢だったのよ?!ああ、もしあの時、人が幻想の力を発見し、それを使い発展していれば……」

 悔しそうに愚痴をこぼした紫はそこではっと口を噤み、神奈子の顔を見た。神奈子のにやけた顔を見て、神奈子が何をするつもりなのか、紫は薄々勘付いた。

 「まさか……未だ産業革命が起きていない幻想郷で、幻想の力で『産業革命』を起こすつもりなの?」

 「ええ、その通り。産業革命は科学にとって、世界の科学化に貢献した記念すべきイベント――歴史の転換点なのよ。
『幻想郷は外界同様、産業革命を起こすことにより幻想を唾棄し、科学の傘下に入った』――科学を欺くための、絶好の筋書きだと思わない?」

 「貴女ってほんと……まあ、確かに破天荒で、馬鹿げているけども……でも、あり得ない話じゃ無いわ。少なくとも……ゼロじゃない! 科学が歩んできた道を、幻想が上手く踏襲すれば、ひょっとしたら……」

 紫はそう一人でつぶやきながら、納得したかのように軽く頷いた。 だが彼女はすぐに眉をひそめた。

 「でもその程度じゃあ、疑り深い科学を騙すことは出来ないでしょう?」

 「そうなのよね……これから起こるであろう『幻想的産業革命』において利用されるエネルギーは、魔力や神通力といった幻想的エネルギーではいけないわ。そんなもの一発でばれて科学に捻り潰されるでしょうし」

 魔力を使う妖怪と、神通力を使う神が一体何を言っているのだろうかと思った紫は思わず笑みがこぼれた。神奈子も同じ事を思っていたのか、心なしか少しだけ口元が緩んでいた。

 「じゃあやっぱり外界と同じ様に、産業には科学エネルギーを使うのね?」

 「そうね。そうするしかないとして……となれば、主に利用されるのは熱エネルギー、電気エネルギーと運動エネルギーの三つでしょうね。これらは他のエネルギー形態に容易に変換できる上に、科学化した外界でも主に使われているわ」

 「……でもその生成方法は、科学的手法に則ったものなのよ?幻想が立ち入る余地なんて、とても……いや……」

 紫は神奈子の真意を即座に理解した。

 「その三種を生成するエネルギー機関自体は、幻想の力で駆動させれば……!」

 紫は今の今までこんなことも考えずに半ば自暴自棄になっていた自分を、恨めしいと感じた。その腹いせに紫は飴玉を口の中へと追いやり、犬歯に力を込め、飴を両断した。
 砕けた飴のもたらす林檎味の甘みを堪能しつつ、紫は計画の成功率を暗算し始めた。

 「上手くいく確証は無いけれど、ひょっとしたら……でもそれだけじゃ、やっぱり若干心許ないわ――このままだと……成功率は大体四十九に一つでしょうし」

 「なら、もう一段階増やして、二段構えにしましょうか」

 「二段構え?」

 「ええ、隙を生じぬ二段構え。エネルギー機関に必要なエネルギーも、科学エネルギーを使うのよ」

 「……なんだかややこしいわね。それってつまりエネルギーの変換段階をもう一段増やすってことよね?」

 「まあ、その通りよ。幻想そのもので作られたエネルギー生成機関じゃあ、やはり心もとないでしょう」

 「ええ。念には念を入れよ、多々益々弁ず……これなら成功する確率は……ええと、七つに一つまで上がるかしら」

 それを聞いた神奈子はにんまりと笑った。

 「革命を起こすには充分すぎる! さて、肝心なのはここからよ――じゃあ、『三つのエネルギーを生成する科学的機関が稼働するためのエネルギーを生成する幻想的機関』には、どういったものが妥当だと思うかしら?」

 「そんなの簡単よ。境界を弄って第一種永久機関を作れば、運動エネルギーを無限に生成できるでしょ?」

 紫は冗談で言ったつもりだったが、神奈子は顔を真っ青にし、慌てて否定した。

 「だめだめ!外に仕事をする永久機関なんて、科学的にありえないのだから、仕組みの時点で即効バレてしまうわよ。
やはり簡単に見破られないよう、エネルギー変換の段階はなるべく多い方がいいわね――電気エネルギーを生成するタービンを回す運動エネルギーを生成する水蒸気を発生させる熱エネルギーを生成する幻想的エネルギー機関……とかね」

 神奈子が妙に回りくどく述べるのを聞いて、紫は脱力し、思わず笑ってしまった。

 「それって平たく言えば発電所よね?そういう水蒸気を用いた発電方法は、今の外界では火力発電と、原子力発電といった二つの方法が主流だけど……どちらも科学の十八番でしょう?余計ごまかしが聞かないのではなくて?」

 「ええ、私も全くもって同意見よ。既存の発電方法じゃあ、勝ち目はないわ」

 そう言いつつも、神奈子の穿つその眼は、自信に満ち満ちていた。

 「……何かいいアイデアがあるの?」

 探り気味に放たれたその言葉を待っていたと言わんばかりに、神奈子は返しとして一言だけ放った。

 「核融合」

 それを聞いた紫は反射的に首を一瞬傾げた後、暫しの間ひたすらに目をぱちくりさせた。

 「え?核融合を起こすってこと?」

 「ええ。そして核融合を起こす方法として、幻想の力を使うのよ」

 紫は唖然とした。波と粒の境界や生と死の境界を操る紫の能力をもってしても、原子間の厳然たる境界を破る事はついぞかなわなかったというのに。 神奈子の抱くその夢は、いよいよもって正気とは思えぬようにみえた。
無論、理論上は何もおかしくはない。 原子力エネルギーを複数回のエネルギー変換によって、電力などに変換する事ができるのは、外界ではとうの昔に実証済みであり、現に立派に実用化され、そして立派に問題化しているのだ。
だがそれは核分裂によるものであり、核融合を用いた発電方法は、未だ人の手によって実現された事はない。


そしてそれは神奈子達にとって非常に都合が良かった。
 人知によって、かたどられた科学という概念には、明確な弱点があった――「人知を超えた科学領域」までには、未だ力を及ぼすことができないのだ。
幻想的手法による核融合発電がひとたび実現さえすれば、それは現段階の科学の弾圧が及ばぬものになるであろう――外の人類が、科学的手法により核融合発電方法を実現化するまでは。

 幻想的機関により核融合を起こしその後は核分裂と同様に、反応による発熱を利用して、運動エネルギーに……そして電気エネルギーへと……
 灼熱のタングステンフィラメントと無数の電離アルゴンによって、燦々と照らされる幻想郷の不夜城図が、紫の脳内に歴然と浮かび上がった。

 無謀に思える神奈子の発想は思いの他妥当であると感心しつつも、紫は神奈子に最も困難かつ重要な問題点を提示した。

 「でも、核融合って外界でも未だに実用化されていないんでしょう?科学でさえ出来ないことを、果たして幻想がやれるのかしら?」

 「違うわよ、紫。 科学でさえ出来ないことを、私達幻想が成し遂げるのよ……!」

 神奈子は右手をかざし、冗談気味に「光あれ」と呟いた。


 熱かい悩む神の火だった。



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                       二 武装した妖怪たち


 山中に御座す神様がこちらへ自ら赴く事を天狗組の記者から聞かされた河童達は、恐怖に陥った。
幻想郷の中で科学研究を続ける「異教徒」ともいえよう自分達に、いよいよ神罰が下されるのではないかと彼らは恐れていたのだ。

 河童達は月に一度の集会日を急遽繰り上げて臨時集会を開くことにし、神奈子をその集会に招待することが、議会により満場一致で議決された。
臨時集会が開かれるという情報を唯一スクープした、天狗組に所属する「情報控制部」の広報課課長である射命丸文のみが、集会終了後までの情報非公開と引き換えに当日の取材許可を見事手に入れ、その結果射命丸一名のみが部外者として特別に集会に参加することを許可された。

 集会のおおまかな進行は、神奈子が幻想郷近代化計画を提案、そしてその理由や実行手順について説明し、河童達は実行する際の技術的な質問をし、神奈子がそれに答える、というものだった。

 この集会において、河童達が懸念していた問題は氷解した――それは、神奈子と親方達が繰り広げる質疑応答の一部始終を見れば瞭然であった。

 幻想郷は今、近代化へ進むべき時だと断じ、そしてそのためのきっかけとなる産業革命の必要性を説く神奈子の姿は、河童達が勝手に想像していた「神さびた神のステレオタイプ」を見事に打ち砕いた。
神はこれほど先進的で意欲的であり、そしてその神が我々が信じる科学の後押しをしてくれる――正に百人力ではないか。この幻想郷にて初めて自らの主義を認められた河童達は、歓喜の声を上げ、手を挙げ続けた。

 そんな中、紫が「まさかの時に幻想郷宗教裁判!」と叫びながら扉を勢いよく開け、集会場に乱入した。それを聞いた河童達は、幻想郷の管理者である紫がこの科学的なサバトを阻止しに来たのだと勘違いし、酷くざわついた。
 逃げようとする河童達の退路をスキマで封じつつ、自分も幻想郷近代化計画の一翼を担っていることを紫が河童達に説明すると、彼らは更にどよめいた。

 何か裏があるのではないか。下っ端河童の河城にとりが、怯えながらも勇気を出してそう発言した際、親方達はにとりの僭言にどっと冷や汗をかき、恐る恐る紫と神奈子の顔色を交互に窺った。
 射命丸は、決定的瞬間を逃がすまいと矢継ぎ早にシャッターを切っていた。

 真意を疑う問いに対する紫の反応は、射命丸の期待とは裏腹に、誠に平静であった。

 神奈子が説いた幻想郷においての産業革命の必要性は事実であり、自分もまた幻想郷の管理者としてその意見に賛同し、今回は計画実行者の一員として参加していると、紫は述べた。
射命丸は紫の発言を文花帖に、独自の速記記号で記録していた。

 紫は、依然疑いの眼差しを向ける皆々を真っ向に見返した。
口先三寸をもって争っても無駄だ。いくら心の底から正直に言えども、互いに心を読めない以上、信じることなど出来はしない。
ならばその両目に任せよう。「目は口ほどに物を言う」と先人は言うが、時として目は口以上に雄弁であり、誠実なのだ。

 普段から目を逸らしながら話をも逸らす紫が、相手の目を直視するという、河童達にとって予想外な行動は彼らを竦ませ、射命丸はひゅうと口笛を吹き、すらすらと紙上を走る筆を一旦止めた。
そのタイミングを狙って、神奈子は自分が計画責任者として紫を全面的に信頼していることを話した。 紫と手を携えながら力説する神奈子を見て河童達は、紫に対する不信は、神奈子に対する不信と同義だと理解した。
 その中でにとりだけは、まだ納得していない様子だったが、もはや彼女に発言権が与えられることは無かった。

 神奈子と紫は、河童達が提起したほぼ全ての質問に答えることが出来た――ほとんどが外界で既に解決済みの問題ばかりだったからだろう。
唯一恐れていた「どうやって核融合を起こすのか」という、外界でも解決の目処がついていない問題について質問された時だけ、これは幻想郷近代化計画委員会が解決すべき問題であり、下請けである皆が携わることは無いため、心配する必要はない、という答えを返した。

それじゃ答えになっていない。そう思ったにとりは挙手しようとしたが、誰かにぐいっと裾を引っ張られたのを感じ、にとりは苛立ちながら後ろを振り向いた。

 裾を引っ張ったのは射命丸だった。射命丸の物言わぬ意図を感じ取り、にとりは渋々ながらも黙ることにした。


 予定通りに集会は終了し、皆が続々と退室する中、射命丸がにとりに声をかけた。

 「にとりさん」

 笑顔を浮かべる部外者にいきなり声をかけられ、にとりは困惑した。

 「ほら、落し物ですよ」

 射命丸はにとりに小さな紙を手渡した。
 はて、自分は紙など持ち出した覚えがないぞ――そう思いにとりは少しの間、紙を受け取るか否か躊躇した。

 「なに、貴女のポケットから落ちていたので、拾っておいたんですよ。あ、先ほど貴女の裾を引っ張ったのは、私なんですが……これをお渡ししようと思っていたんですよ」

 そうか、そういうことだったのか。にとりは、早とちりした自分が恥ずかしくなった。依然、自分が紙を持ち込んだ記憶は無いが。

 「あぁ、ごめんごめん。わざわざありがとう」

 記憶に無いとはいえ、善意を断るわけにもいかない……仕方なくにとりは相手に合わせることにし、紙を受け取った。

 「では私はこれにて失礼します。にとりさん、又の機会に」

 射命丸は微笑みながら軽くお辞儀をし、風のように瞬時に去っていった。

 射命丸が視界から消えた後、にとりは帰宅への道を歩み始めた。
しばらく歩いて周囲に人がいないのを確認した後、さきほどの疑問を解決するため、にとりは射命丸から貰った、何重にも折り畳まれたメモを広げてみた。

 『明日の正午、滝の麓に来い』


 くしゃくしゃの紙に殴り書きされたその文字に、にとりは身震いした。


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 河城にとりは滝の麓付近の地理を熟知していた――日頃暇な時はいつも、どこぞの木端天狗と滝の裏の洞窟に隠れて将棋を指しており、にとりはそれが楽しみで仕方が無かった。
 にとりは辺りを見回し、射命丸の姿が見当たらないのを確認した後、洞窟に入り込んだ。
 涼しい洞窟の中央に置かれた石の上にて胡坐をかいていた射命丸文は、既に待ちくたびれていたような様子をにとりに見せつけた。

 「やっと来ましたね」

 「やっと、とはなんだよ。まるで私が遅れたみたいじゃないか。ぴったし言われたとおりに正午に着いただろう」

 遠くからの昼ドンの音が木霊する中、射命丸は皮肉気味に返答した。

 「えぇ、貴女の言うとおり、ぴったしきっかり正午ですよ。 私が申し上げたかったのは『時間通りに着けるなんて、随分と余裕があるんだな』ということですよ」

 にとりは露骨にむかついた態度を取る射命丸と少し張り合おうと思った。

 「はあ。つまり今私達は、余裕がない状況……ってやつなのかい?」

 「気付いていませんでしたか?それは失敬。ならば私が説明しましょう」

 「そうかい。よろしく頼むよ」

 このくそ鴉め。にとりは心の中でそうつぶやいた。 射命丸は胸ポケットに入れていた文花帖を取り出した。

 「にとりさん、あなた先日の集会にて、八雲紫さんにこう質問しましたよね。『なぜ貴女が、この計画に関与しているのか』って。いやあ、もの凄い問題発言でしたね」

 「一技術者として素直に意見を述べただけだが。何かまずかったかな?」

 「はい。監視されてましたよ」

 監視。いつ、誰にされたのかもまだ分かっていないのに、にとりはその2文字を聞いた瞬間、恐怖が背中を這い回り、思わず身が硬直した。
 射命丸はそんなにとりの様子を見て、笑みを堪えながらも説明を続けた。

 「貴女の発言以降はですね……紫さん、自分が発言する際と、貴女が紫さんを見ている時以外は、ずうっと貴女のことを見ていましたよ」

 「ちょっと、ちょっと待ってくれ。なぜ私が監視される必要があるんだ?だって、皆も思っていたことだろう?別に、私だけが疑問に思ったことじゃない」

 「でも皆、言えなかったんですよ。何せあの八雲紫が相手ですから。あの場においては、貴女だけが彼女に質問する勇気を持っていたんですよ――あるいは貴女だけ、場の空気が読めなかったのかもしれません」

 射命丸は万年筆をこめかみにこつこつと当てながらにとりを皮肉った。

 「まぁ正直な所、この質問は紫さんにとっては、どうでもよかったんです。あくまで彼女に対する疑問で、計画に対しての疑問ではありませんから」

 射命丸は少し俯き、上目を使いながら、にとりを責めるように睨み、声を少し低くした。

 「そして貴女の次の質問は、恐らくこうでしょう――『本当に核融合なんて出来るのか』と。
それは危険な質問でした。その質問は計画の核心に触れるだけでなく、計画の成否に対する疑問ともとれます。
こういったことはですね、一構成員として心に思うならまだしも、それを口に出しちゃ駄目なんですよ。皆さんも貴女と同じく各々思うところがありますから、一度口にすれば必ずしや少なからず、皆を不安に陥れることになるでしょう。
そしてそんな危険な質問をする恐れがあったのは、あの場においては河城にとり――貴女だけでした。ですから紫さんは貴女をずっと監視し、いざとなればそれ相応の処置を施していたでしょう」

 言葉を濁した射命丸に対し、にとりは背後から名状しがたい何かが這いよるような恐怖を覚えた。

 「相応の処置って、一体何を?」

 「ご自分で考えてみれば宜しいのでは?」

 思うだけで、にとりは心底からぞっとした。氷の釘が心臓に突き刺さるような感覚だった。

 「さて、私はそんな貴女を引き止めました。なぜかというと今回の集会にて、八雲紫と八坂神奈子両名の機嫌を損ねてしまうと、この計画は無かったことにされる恐れがあったからです。
私は此度の計画の情報を独占入手するために、相当苦労したんですよ――私の一ヶ月分の給料が、情報料として消えてしまいましてね……ここまでして貴重なネタを無かったことにされると私も困りますので、あの時貴女の質問を阻止したんです。
結果的に、自分からは余り言いたくありませんが、私は貴女の命を救ったのです」

 ここまで聞いて、にとりは大方射命丸が何を求めているのか察した。

 「なるほどね。貴女に恩を返すために、私は身の程知らずな発言は止め、大人しく計画に従え、と」

 射命丸はふるふると首を横に振った。

 「何を言ってるんですか。違います。何も疑問を捨てて、上に順じろと言っているわけではありません。むしろ逆です。引き続きこの計画の問題点を探ってくれると助かります」

 にとりはきょとんとした。

 「なぜだい?私には下手に動いて欲しくないんだろう」

 「ええ。私は貴女に上手く動いて欲しいんです」

 そう言った後、射命丸は少し黙り、にとりの反応をうかがった。逆ににとりも同様に黙り、射命丸が話を続けるのを待ち続けた。
 にとりの意図を察した射命丸は、鉛筆を器用にくるくると指でこねくり回しながら、自らの考えを説明し始めた。

 「今回貴女を呼び出したのは、別に口封じをするわけではありません。にとりさん、貴女に私と共に今回の計画の真相を暴いて欲しいんですよ」

 「は?いきなり何を……」

 「にとりさん。私も貴女と同じように、紫さん達が核融合を起こす方法についてわざと隠すのは、やはり怪しいと思います。そして私はただ、一記者として真実を知りたい……いえ、知る義務があるんです。
ですが私はただのしがない新聞記者であり、その上今回の計画に関しては、私は全くの部外者です」

 「そりゃそうだ。ただでさえグループ内で大将面してる天狗組は鼻持ちならないってのに、ハエみたいにうるさく飛びまわる天狗のブン屋に計画を邪魔されてたまるか、って皆思ってるだろうよ」

 ろくに手を動かさないくせに、上でふんぞり返って天狗になってやがる。だが今回の計画は河童技術組合が山んば神から直々に請け負うんだ。ざまあみろ にとりは心の中でそう呟いた。

「ええ、仰る通り河童技術組合は偏屈で頑迷な方が多いので、河童達技術者側の情報は入手困難なのが現状です。
そして奇しくも貴女は今、私と逆の立場にいます。にとりさんが知っている事を私が知らない場合も……そしてその逆の場合もあるんです」

 射命丸は一旦話すのをやめ、一字一句強調しながら話を続けた。

 「真実を知るためには、より多くの情報が必要です。そしてそのためには、信頼できる情報交換の相手――志を共にする『同志』が必要なんです」

 べらべらと自論を喋る射命丸に痺れを切らし、にとりは自分の思いを素直にぶつけた。

 「あのさあ、あんたは好き勝手に私の事を同志だの何だのと好き勝手言うけどね。じゃあ、なぜあの集会の時に、落し物だと嘘をついてまで、私に紙を渡すなんて不可解な事をしたのさ?
あんなの、私に普通に話しかければ済む話だろう?まずはそれを説明してくれなきゃ、気味が悪くてとてもあんたを信じる気にはなれないよ」

 それを聞いた瞬間、射命丸は予め準備していたかのように、すらすらと弁明を始めた。

 「それは前述の通り、昨日貴女が監視されていたからです。私は紫さんの監視下にある貴女にこれ以上問題発言をさせないためにはどうすればいいか、あの時ずっと考えてました」

 そう言った後、射命丸は証拠だと言わんばかりに文花帖の一頁を見せつけた。だが文花帖には、にとりにとっては不可解な記号と乱雑な図しか書かれていなかった。

 「もし直接声をかけていたら、紫さんに怪しまれていたでしょう。
かと言って裾を引っ張って、集会後に声をかけるとしても、部外者である私がにとりさんにちょっかいを出したのを見た時点で、紫さんは怪しむはずです。
だから私は落し物と偽って、紙を渡すことにしたんです――『さきほど裾を引っ張ったのは落し物を返そうとしていただけだった』と紫さんに納得させるために。
紫さんの猜疑に対して、私は納得のゆく解答を与えたんです」

 にとりは感心せざるを得なかった。性格は良いとは言えないが、抜け目のない賢しい奴なのは、どうやら間違い無いようだ。
 この狡猾な正直者と組めば、自分の出世の役に立つかもしれない……にとりはそう思い始めていた。
 しかし意地っ張りなにとりは、自分と組むに足る理由を、射命丸の口から聞きたかった。

 「私より優秀な人は沢山いる。他の人を探したほうがいいよ」

 「そうですね、それは否定できません。ですが彼らが紫さんの怒りを招く危険を冒してまで、私に協力してくれると思いますか?」

 「思わないね。どいつもこいつも腹に一物抱えていながら、それを吐き出すどころか漏らすことすら恐れる種無しばかりだ。それと、私はあんたに借りがある」

 「はい。ですので、私は『貴女』が必要なんです」

 射命丸がにとりと組もうと思うに至るには、充分すぎるほどの条件の良さだった。
 最後ににとりは、言い逃れとしての切り札を出し、射命丸がそれをどう上手く切り返すか期待した。

 「……私が嫌だと言ったら?」

 「このまま一組合員として、大した名声も出世もなく生を終えるつもりですか?」

 その一言で、にとりはついに決心がついたのだった。

 「わかった。やるよ」

 返答を聞いた射命丸は驚喜するのかと思いきや、そういった様相は無く、淡い喜びのみが顔に表れていた。
 まるで、こうなることを予め知っていたかのような表情だった。

 「心強い限りです。これからもよろしくお願いします」

 模範的な笑顔を作り、握手を求める射命丸。にとりは射命丸の手を強く握った。少し冷たくも、柔らかい手が印象的だった。

 「何か知りたいことがあったら連絡してください。とりあえず、現在双方の目的は、核融合を起こす方法を明かすことですね」

 「ああ。技術者側で何か重要な情報が手に入ったら、すぐに伝えるよ」

 「頼みましたよ。お互い頑張りましょう!それでは、霊夢さんに呼ばれているので、私はこれにて失礼致します」

 射命丸はばさりと羽を広げ、ふわりと宙に浮き、ふりふりと手を振り、ひゅうとつむじ風のように洞窟を出ていった。

 にとりは溜息をつき、しばらくの間、壁に寄りかかった。滝の音が絶えず木霊し、その音がにとりの頭に渦巻く不安や恐怖を、空っぽにしてくれる。
感情を整理し理性的になったにとりは、自分が今何をすべきかについて決心をした後、魔法の森に佇む霧雨邸を目指し、歩み始めた。



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 「来てしまったわね」

 紫は神奈子と共に、地下深くに潜む地下世界へと潜り続けていた。
 地底は紫の管轄外であり、長距離転送用のスキマも設置していなかったため、わざわざ地底を飛ぶ破目になったのだ。
 そして地底は地上の妖怪達とは違う社会を築いており、自らの手の届かぬ所には余り干渉したくない紫としては、今回の訪問は気の進まない事だった。

 「どうかしたの?紫」

 「実は私、地底は苦手なのよねぇ。付き合い辛い変人ばかりで、余り関わりたくないの」

 「へぇ。私は初めてだけど、案外涼しくて住みやすそうな所だと思うわ」

 「あら、でも残念。昔はとっても暑かった、いえ、熱かった場所なのよ」

 「いわゆる、ホットな場所だったということね?」

 「そうね。今はいろんな意味でコールドだけれど」

 旧都を通り過ぎた際の住民の冷たい視線を思い出し、紫は少しだけブルーな気分になった。
 神奈子は初めての地下世界ということで、中々上機嫌の様子だった。
 彼女が神様だと知ったら皆おったまげるんだろうな、と紫は思いながら地下へ向かって飛び続けた。

 紫達は計画の第一段階を進めるために、地霊殿を訪れようとしていた。神の火の正体は太陽の化身である八咫烏であり、八咫烏には依り代が必要であった。
そして二人は八咫烏に最も近い、地獄鴉を依り代にすることにした。優秀な地獄鴉の選定のためには、地獄鴉達をペットの一員として放し飼いにしている、地霊殿の主に会う必要があった。
 紫は神奈子の時と同様に、事前に藍を地霊殿へ遣わせ、会見日時などを指定しておいた。招待状の内容は至って普通であり、どうやら相手が変人である心配は無いと分かり、紫は胸を撫で下ろした。

 火車にステンドグラスが映える屋敷へと案内され、幾つもの似たような部屋を通った後、火車は錆びた鉄扉の前で足を止めた。
 ついにご対面かと身構える二人。火車が開けた扉の先、部屋の奥には、この地霊殿の主が立っていた。

 決して身長は低くない。紫と比べ少し低い程度だ。にもかかわらずどことなく幼く見えるのは顔立ちのせいか、衣装が原因か。神奈子の緊張はすっかり解けていた。

 「意外ね。地霊殿の主が、可愛い女の子だなんて」

 好意を示す神奈子とは逆に、紫は主の第三の眼に気付いた瞬間、悲鳴じみた声を上げた。

 「げぇっ、覚り!」

 顔から血の気が引き、紫は少しふらついた。
 何事かと神奈子が紫に問おうとする前に、地霊殿の主は口を開いた。

 「ようこそ、忘れられた地底へ。私は古明地さとり、今後ともよろしくお願いします」

 さとりはお辞儀もせず、ただ微笑みながら手を差し出し、握手を求めるだけだった。
 神奈子はそれに応じ、さとりと力強く握手した――いにしえから延々と続く、武器を所持していないことを示す、信頼の象徴である社交辞令だった。

 神奈子との握手を終えた後、さとりは同じように紫に向かい、手を差し伸べた。
 紫は恐る恐る右手を差し出し、さとりの子供のように小さな右手を軽く握った。
 

 (そんなに心を見られるのが怖いんですか?幻想郷の管理者さん)


 紫は熱い物に触れたが如く素早く右手を引っ込め、軽やかなステップで数歩後ずさった後、鳩が豆鉄砲を食ったかのような表情でさとりを見つめ、火傷でもしているかのように、左手をもって先ほど握手した右手をずっと押さえていた。
 紫のびびり様を見て、さとりは腹を抱えて笑っており、そして神奈子はとうとう友が狂ってしまったのではないかと、若干本気で思っていた。

 「ははぁん。驚きましたか?驚きましたでしょう!ああ、貴女の心の中が恐怖で覆われていくのが、私にはちゃあんと見えますよ!」

 紫は震えた声で叫んだ。

 「テレパシーが出来るだなんて、聞いてないわよ!」

 「ええ、そうでしょうね。だって、普通の覚りには出来ないんですから!
私がペット達と共に過ごし、自分の心をペット達に伝えようと努力した末に得た特殊能力です。
皆覚りの読心能力ばっかり警戒するもんですから、逆に面白いくらい引っ掛かってくれるんです!まさか心を読むだけではなく、心を読ませることも出来るとは、夢にも思わないでしょうからね――先程の貴女のように!」

 さとりが自慢げに語る中、紫は持ち前の経験で落ち着きを取り戻しつつあった。

 「ああびっくりしたわ。 貴女ね、こんな悪戯ばかりしてるから皆に嫌われるのよ!」

 「嫌われる?誰が気にするんです?私は気にしません。だからここでペット達、そして愛しい妹とのんびり暮らしているというのに、なぜ他人に気に入られる必要があるんですか」

 紫がさとりのほっぺたをつねろうとするのを見て、神奈子は慌てて間に割って入った。

 「まぁまぁ。悪戯の一つや二つ、誰だってするでしょうに」

 そうだ。こんな事をする為に、ここに来たのでは無い。
 気を取り直し、紫は今度の用件を、漏れなくさとりに話してみた。

 地獄鴉に神の火を移植する件については、意外にもあっさりと承諾をもらった。
本当にいいのかと神奈子が念のため確認したが、危険が無いのならば特に問題は無いと、念を押されただけであった。
肝心の地獄鴉の選定に関しては、霊烏路空という地獄鴉をさとりから推薦され、話し合いが終わった後、さとりがその地獄鴉の棲む場所へ案内することになった。


 だが、話し合いは地獄鴉の件だけではない。紫達は、もう一つ頼みたい事があったのだ。


 旧灼熱地獄跡を核融合試験炉として利用したい――それが、紫と神奈子の要望だった。


 さとりはその要求に対し、灼熱地獄跡の借用許可と引き換えに、三つの条件を出した。


 一.核融合試験炉は全ての人に対し安全であること。

この「全ての人」とは、地底と地上を問わぬ全ての妖怪達を意味し、そして核融合を起こす張本人である霊烏路空も対象の内に入ることを、さとりは念のため補足した。
皮肉にも「全ての人」という文において、「人間達」は対象外であった。

 その文面を見て、紫は苦笑した。安全そのものは重要であるが、「安全であることを保障すること」は、なんとも馬鹿馬鹿しいというのが紫の見解であった。
幻想郷の安全を日夜勝ち取り続けている紫からすれば、「安全だと保障をすること」ほど、不確かで信用できぬものは無かった。
しかし、相手の条件をのまなければ話は進まない。紫と神奈子はとりあえずこれを認めた。その合い間に紫はさとりに心の内を読まれぬよう、意識と無意識の境界をこっそり弄ってみた。
この状況において、相手に心を読まれるのは非常に不利な事だったからだ。


 二.試験炉によって得たエネルギーの一部を地霊殿、そして旧都を含めた地下世界にも供給すること。

 神奈子はこの「一部」という文面は曖昧で不適切であり、具体的数値に換えるべきだと指摘した。一部と言いながら九割も持っていかれては、たまらない。そういう主張であった。
 さとりは「核融合炉の出力が、現時点において分からぬ以上、具体的数値はこの場では出せない。仮に三割と仮定して、実際に必要なのが五割だった場合、目も当てられないではないか」と反論した。

 二人の意見を取り入れ、紫が提案した条件は以下の通りだった。

 紫、神奈子両名は、さとりに対し「地霊殿及び旧都を含めた地下世界側の電力供給の権利」を双方の合意の元に約束する。
計画が進行し、実際に試験炉が稼動した段階に至れば、地霊殿と地下世界へ供給する電力を、三名で再度具体的に協議することにする。
その際に地霊殿及び地下世界へ供給される電力量は、その実際の必要電力量にかかわらず、試験炉出力の二割以上四割以下まで(端数切捨て)を保障する。


 地下世界の必要電力量が予想より多く、電力供給が足りない場合、やはり電力不足になってしまうではないか。さとりはそう不満げに指摘した。
だが紫と神奈子側からすれば、これ以上電力を割いてしまえば今度は地上側の近代化計画に必要な電力が不足する恐れがあるので、譲歩は出来なかった。

 地上には太陽があり、昼の間は照明に電力を使わないのだから、地下に対しもう少し保障してくれても良いのでは、とさとりは主張した。
それに対し「地上での利用規模は地下よりも遥かに大きく、我々が地下に対して最低でも二割の電力を保障している時点で充分譲歩している」と紫は説明した。

 中々両側の間で妥協点が見つからず、紫は仕方無く、別の方面において譲歩することにした。

それは、地下世界の電力伝達設備――電線や電線柱などを地上側が準備し、そしてそれを地底側に「無償提供する」というものだった。
だが設備の設置に関しては地底側自費負担であることを紫は強調した。

地上に比べ技術力に乏しい地霊殿側からすれば、これはおいしい話であった。自力で一から設備を作る必要もなく、速やかに電力を供給させることが出来るだろう。
衡量した結果、さとりはついにその代替案を認め、紫と神奈子も当然これに同意した。


 そして最後の一条は以下の通りであった。

 三.試験炉を利用した発電およびその利用方法に関しては地上側の自由とするが、試験炉も霊烏路空も、地霊殿の所有物である。
故に試験炉の稼動責任は地霊殿の主である古明地さとりに任せ、現地管理の人員選定もさとりが行う権利を持つ。試験炉の所有権も当然さとり名義とする。


 それを聞いた紫は、内心嬉しく思った。
地上の妖怪達が皆地底を怖がり、誰も試験炉管理職に申し出ないことが悩みの種だった紫達にとって、こちら側で人員を用意する必要が無くなったのは、非常に都合の良いことだった。
稼動責任は初めから所有者であるさとりに任せてしまうつもりだったし、こちらは占有権さえあればよく、所有権がさとり名義となるのは、至極当たり前だと判断した紫と神奈子は、快く第三条を承認した。 

 双方の話し合いが終わり、紫と神奈子はさとりの案内のもと、地霊殿が入り口となっている灼熱地獄へと共に下り、さとりが推薦した霊烏路空という地獄鴉に会いにいくことにした。




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 「とっとと起きろ、お空!寝てる場合じゃないよ!」

 燐は、すやすやと眠っていた霊烏路の体を揺さぶった。

 「んー。一体何なの?また火力が足りなくなったの?」

 睡眠を邪魔されて不機嫌な霊烏路に構わず、燐はせっせと空の髪を梳かし始めた。

 「地霊殿に客が久々に来たんだよ!盗み聞きしてたら、どうやらこっちに降りてくるらしい。なんでもあんたに用があるみたいだよ!」

 「うーん、そんなの関係ないよ。どうでもいいよ」

 友人の言葉など気にも留めず、霊烏路はまた眠りにつこうとした。

 「どうでもよくなーい!さとり様も来るんだよ!」

 霊烏路は羽をばねのように使い、勢いよく飛び起きた。燐はいきなり起きた霊烏路に反射的に驚いてしまい、バランスを崩し座り込んだ。

 「えぇっ。本当に?ひゃあ、どうしよう。いつもさぼってるから、私のこともう要らないって言うんじゃ」

 どうしようどうしようと呟きながら、霊烏路はおろおろしながらも身だしなみを始め、燐はそれを文句を言いつつ手伝った。

 さとり達は予定通り霊烏路達の棲み処を訪れ、霊烏路と燐は既に棲み処にて三人の到来を待っていた。

 霊烏路にとっては、さとり以外に知らない人が二人いる。そのどちらもが、恐ろしく位の高い妖怪であることを、霊烏路は直感した。
 緊張して頭が空っぽで何を喋ればいいのか分からぬ霊烏路に対し、さとりはやるべきことを想起させた。

 「お空、ほら。ご挨拶は?」

 「あぁ、さとり様、ごめんなさい。は、初めまして!こたびは、この灼熱地獄にきてくれて、本当に、ありがとう……ございます」

 たどたどしく懸命に言葉を紡ぐ霊烏路の姿は、神奈子に東風谷早苗の幼少時代を連想させ、紫に在りし日の八雲藍を想起させた。

 「まあ、なんて礼儀正しい」

 「初めまして、小さな鴉さん。私は八坂神奈子、幾千の春秋を過ごしてきた、神さびた神様です。よろしくお願いしますね」

 自己紹介を終えた神奈子は紫の方を見た。紫は慈母のような優しい声で、あやすように霊烏路に話しかけた。

 「初めまして、お空ちゃん。私は八雲紫、まだ生まれてから十七年しか経ってない、ただの雑魚妖怪よ。よろしくね」

 紫の嘘偽りに満ちた自己紹介を聞いた神奈子は、笑いを堪えるのに精一杯だった。だが霊烏路は依然がちがちに固まっていた。
 さとりは霊烏路が緊張しているのに気付き、少しばかり、緊張を解してやろうかと思った。

 「お空、いつものあれ、ちょっとやってみなさい」

 いきなりの要求に霊烏路は戸惑い、難色を示した――どうやら恥ずかしいようだった。

 「ほらほら、ご主人からのお願いよ。やってみて」

 そう言いながら、さとりは急かすように手拍子を打つ。霊烏路は恥ずかしがりながらも主人に言われたとおり、その場に座り込み、皆の前で鳴いてみせた。

 「う、うにゅー」

 「どうです、可愛いでしょう」

 くるりと振り返り、後ろにいる二人に対し自慢げに語るさとりに、神奈子は相槌を打つ。

 「えぇ。地獄鴉だというのに、おぞましさは微塵も感じられませんね」

 確かに。紫は同意し頷いた。地獄鴉と言えば、どれもこれも凶暴極まりない性格をしているが、彼女はなんとも大人しいではないか。
地獄鴉を式にするのも悪くないかもしれないわね、と紫は思い始めていた。

 「人の形に化けられるようになるまでは、私がずっと世話をしてましたからね。まあ、ペットは飼い主に似ると言いますから、可愛さも私譲りでしょうね」

 なるほど。従順なのは、ペットとして馴化したおかげか。さとりの自慢話を聞き流しながら、紫はそう納得した。

 未だ途方にくれる霊烏路に対し、さとりは優しく語り掛けた。

 「お空、このお二人方は貴女を探していたの。そしてこの旧地獄へと案内するために、私も一緒に下ってきたのよ」

 「そ、そんな。何をしに来たんですか?」

 「お二人方は貴女に力を授けるために、来て下さったのよ」

 「でも、でもその後、お空は引き取られちゃうんですか?」

 さとりは怪訝な表情を見せ、第三の眼で霊烏路を見つめた。霊烏路の心を読み取った後、さとりは微笑みながら前に進み、自分より背の高い彼女を抱きしめた。

 テレパシーにより、霊烏路はさとりが見てきた事、聞いてきた事を共有し、三人の用件を徐々に理解してゆく。

 「大丈夫よ、お空。怖がらなくてもいい。このお二人はとても優しい方達よ。貴女のご主人様が保証するわ。さぁ、勇気を出して。行ってらっしゃい」

 爪先立ちをしながら霊烏路の額に優しくキスをした後、さとりはゆっくりと彼女から離れた。
 神奈子は霊烏路に歩み寄ったが、霊烏路はもう怯えることも無く、真っ直ぐに神奈子を見つめていた。

 「覚悟は出来たかしら?」

 「はい。でも私みたいなただの妖怪が、神の力を授かることなんて出来るんでしょうか?」

 霊烏路の問いに、神奈子は笑みを浮かべながら答えた。

「神の火には、究極にして最後のエネルギーを生む秘密が隠されています。
そして、火焔の中に棲む地獄鴉である貴方。貴方はその究極の力を、体に宿らせる事が出来るはずです。
その太陽の如き力は地底のみならず、地上にも希望をもたらしましょう」

 神奈子の声に呼応し、霊烏路は光に包まれ、何者かが体に入り込んでくるのを感じた――それは自分とは似た姿をしていたが、自分とは真逆の存在だった。

 そして空が気付いた時には、彼女の姿は既に大きく変化していた。

 「何これ。すごい!かっこいい!」

 勢いよく羽をばたつかせマントをなびかせる霊烏路を三人は微笑みながら見守っていたが、霊烏路はいきなりその右腕を上に向け、神の力により生成された幾つもの火球を射出した。
天井に衝突し、砕け散った火球は無数の火花へと形を変え、光の雨のように、灼熱地獄に燦々と降り注いだ。

 神奈子と紫は慌てて、力をみだりに使ってはいけないと、霊烏路の軽率な行動を戒めた。
霊烏路は手に入れた力を使って遊ぶことを制止された事に対し、ひどく不満そうな顔をしていたが、さとりも二人と同じように霊烏路を諭すと、彼女はようやく渋々言うことを聞いてくれた。

 本当に彼女で大丈夫なのだろうか――素直だが、少し頭が弱そうな霊烏路の行動を見て、紫は力を授けたことを、少し後悔し始めていた。
そんな紫とは裏腹に、神奈子は頗る満足気な顔をしていた。まるで、最初からこのような子を依り代にしようとしていたように。

 「核融合という大きな力を得る者としては、これくらい純粋じゃないとね」

 「そうかしら?」

 「そうよ。だって、下手に賢(さか)しい者じゃあ、悪用されるかもしれないでしょう」

 神奈子が最も恐れていたのは、その力を以って地下を灼熱地獄にし、地上を数十億年前までの姿に戻してしまう、邪な心だった。
神奈子が危惧する「炎のように邪な心」に比べて、霊烏路の心は澄んだ湖のように、雲ひとつ無い真夏日の紺碧の空のように清らかだった。

 ただ、調子に乗って万が一にも異変など起こさないで欲しいわね――紫は心の中で、密かにそう祈った。



 しかし霊烏路は、手に入れた力を使うのが、楽しくてしょうがなかった。



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                       三 プロメテウス




 「トラトラトラ!トラトラトラ!やったぜにとり!成し遂げたぞ、成し遂げたぜ!百万にも及ぶ、視界を覆いつくす火球を避けて、ついにあいつを倒したんだ!
  おい、にとり!にとり?聞こえるか!?」

 「あぁ、聞こえるさ盟友!まったく大したヤツだぜ、あんたは。でも残念だけど、今は勝利の余韻に浸る余裕なんて無いんだ。私のサポートはここまでだけど、後は一人で帰れるだろう。
 今日は無理だから祝勝パーティはまた次の機会にしよう!それじゃ!」

 盟友である霧雨魔理沙との感度不十分な通信をぶつりと切り、にとりは「遠距離間相互音声伝達装置」が置いてある、河童技術組合の広報室から急いで退室した。

 大変だ。いち早く、文に知らせなければ。
 デスクの上で機械を弄っている河童達を慎重に避けながら、にとりは出口に向かい進み続けた。

 「えぇ、なんとか無事に異変解決、任務終了ですね。えー早速で申し訳ないのですが、私は急ぎの用にてこれにて失礼します。それでは霊夢さん、気をつけてお帰り下さい」

 聞き覚えのある声に反応して、にとりが不意に足を止めた瞬間、左前方の部屋の扉が勢いよく開かれたかと思うと、射命丸がきょろきょろと左右を見回しながら、部屋から出てきた。

 「えぇと、落ち着け。メモを見るんだ。はたてと甘味処で待ち合わせ……違う、この頁じゃない。にとりさん、にとりさん……そうだった、まずはにとりさんに連絡しないと」

 呆然と立ち尽くしこちらを見つめるにとりに気付き、射命丸は思わず声を上げた。

 「なんでこんなところに」

 ふたりは異口同音に発言し、顔を見合わせた。


 「私は地底へ異変解決に行った博麗霊夢さんのサポートを」

 「なんだって?私も地底に行った霧雨魔理沙のサポートを……」

 両者とも眉をひそめ、ぽかんと少し口を開け、大きく目を見開いた。


 「土蜘蛛戦の後」

 「橋姫に出会い」

 「盃持った鬼と力比べて」

 「覚り妖怪に心読まれて」

 「懲りない火車に散々付き合い」

 「しまいに地獄鴉と決着つけた!」

 阿吽の呼吸で一句づつ繋げて完成した武勇伝は、二人が今さっき体験した出来事と全く同じであった。 


 「どうやら私達は奇しくも二人とも、地底にいる元凶の地獄鴉を倒しちまったみたいだ」

 「事実は小説よりも奇なり、とは言いますが……正にこの事ですね。……あぁそうそう、そうでした!その地獄鴉についてですよ!」

 地獄鴉という言葉を聞き、三億光年先の星々を満遍なく映しこんだマントが、にとりの脳裏に浮かんだ。

 「霊烏路空と名乗っていたな」

 「見ましたか?」

 「うん、見たよ。信じられないほどに」

 「私も見ました。忘れられないほどに」

 射命丸は近くに顔見知りがいないことを確認した後、にとりに近づき、耳元でささやいた。

 「どう思います?」

 「間違いない。間違いようがない。あれは『神の火』だね」

 「そのいわゆる『神の火』というものは、やはり……」

 「御察しの通り、核融合のことさ」

 「では、私達の「核融合を起こす方法を探る」という目的は」

 「おめでとう、射命丸文。ミッションコンプリートだよ」
 
 それを聞き、射命丸は近くにあった椅子に座り込んだ後に天井を仰ぎ、手元にあった文花帖でその上向く顔を覆った。
 弱弱しい声が、口に覆いかぶさった文花帖に遮られながらも、微かに聞こえてきた。

 「全く以って、めでたくありませんよ。今回の異変は、紫さんも関与しているんです……」

 「な、なんだって!それはまずいんじゃないか?」

 「はい、非常にまずい状況です。さすがに私達の目的には気付いていないでしょうが、計画の鍵となる彼女を知ってしまった以上、紫さんは遅かれ早かれ、必ずや私達を探しに来るでしょう」

 「そんな……まさか、私達は消されるってことかい?」

 怯えるにとりを見て、射命丸は彼女を安心させようとした。

 「いえ、それは恐らく無いでしょう。紫さんと共に異変解決に協力し、幻想郷近代化計画にも関わっている私達二人が、異変の直後に突如消息不明となれば、紫さんが真っ先に疑われるはずです。
『妖怪の山グループ』に信用されていない事を自覚している紫さんが、今この状況でグループ員である私達を消すとは思えません。十中八九、私達を呼び出して厳重に緘口令を敷く程度だと思います」

 「あるいは、喋れなくするだけかもね」

 「ちょっと、よして下さいよ。もし私が喋れなくなったら、誰が『文々。新聞』の取材を行うんですか!」

 急に声を強張らせる射命丸は、声を失うことを本気で恐れているようだった。

 「じょ……冗談だよ。私だって、生涯だんまりなんて真っ平ごめんさ!」

 だが射命丸は依然落ち着かない様子を見せた。 にとりはここまで怯える自分と射命丸の様を、急に情けなく、恥ずかしいと感じた。

 「……計画の秘密が分かっても、結局私達に出来る事は何も無いじゃないか。こんなの残念極まりないよ」

 「そうでしょうか?情報屋の私としては、事実を知るだけでもう充分な収穫ですが」

 「ああ、ブン屋の甘言なんか聞くんじゃなかった。何の得にもならないのなら、こんな事、知らないほうがよかったんじゃ」

 にとりの言葉を遮るように、一通の封筒が、突如にとりと射命丸の頭上からぽとりと地面に降り落ちた。

 にとりが恐怖を押しのけ、それを拾い上げるのには五分かかり、射命丸が震えを抑え、それを読み上げるのには十分かかった。



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 「あの地獄鴉――霊烏路空が異変を起こしてしまったようね、紫」

 紫は先ほどからずっと炬燵の机の上に上半身を伏せ、ぐったりしていた。

 「火消しは間に合わなかったわ」

 異変解決の件を指していることを神奈子は察した。

 「残念だけれど、異変の大きさからしてそうなるのはしょうがないわよ。それよりも、一体誰が灼熱地獄跡まで辿り着き、霊烏路空を目撃したのかしら?」

 「正確には『霊烏路空の能力を目撃したのは誰か』ね」

 紫は深々と溜息をつき、口に出すのも憚るようなブラックリストに名を連ねた者達の名前を逐次読み上げた。

 「私達も含めるとすると、霊烏路空本人、八雲紫、八坂神奈子、古明地さとり、火炎猫燐、博麗霊夢、霧雨魔理沙、射命丸文、河城にとり。以上の九人のみよ」

 紫は元気のない声で話を続ける。

 「博麗霊夢と霧雨魔理沙の二人は、私達の計画について何も知らないし、彼女の能力には特別興味もないでしょうから、監視する必要はないと思うわ。ええ、そりゃあ一応、霊烏路空のことを安易に話さぬよう警告はするけれど」

 「続いて火炎猫燐。この子は霊烏路の能力を知ってはいるけれど、前述の二人同様、計画の目的を知らないため問題なし。それに彼女は灼熱地獄にいるのだから、誰にも秘密を漏らせないでしょうし」

 「でも、やっぱりこの火車は監視下に置く必要があると思うわ」

 そう提案する神奈子の意見について、紫はふふんと笑った。

 「そうね、私もその方がいいと思っていたところよ。後で灼熱地獄の各地に、監視用のスキマを設置しておきましょう」

 「あら。相手を追跡するようなスキマを使った方がいいんじゃないの?」

 なぜわざわざスキマを「設置」するのか、不思議に思う神奈子に対し、紫は彼女をじっと見つめ、少し苦い笑みを浮かべた。

 「うーん、本当は誰にも自分の弱点を明かしたくないのだけれど、神奈子だけは特別よ。秘密にして頂戴」

 そして紫は残念そうに、事情を話した。

 「私が展開できるスキマには、いくつもの種類があるわ――通ったものを転送させるスキマ。監視用のスキマ。
二つ同時に設置した瞬間互いに引き寄せあい、反応するスキマ、なんて特殊なものもあるわ。
そして弱点というのはね――実は、私が展開したスキマ自体は、移動することが出来ないのよ。展開して設置した後は、閉じることしか出来ないわ」

 「そうなの?でもなぜ移動できないのかしら?」

 紫は書斎にあった紙と万年筆を、今いる居間の机の上に落ちるようにスキマを展開した。
万年筆はからんと音を立て、紙はひらひらと舞い落ちた。紫は右手で万年筆を取り上げて、左手の両指で紙をつまんだ。

 「じゃあ、例を挙げましょう。この紙を空間だとみなして」

 紫は紙に向かい万年筆を勢いよく突き刺し、結果万年筆は見事に紙を貫いた。

 「この筆を私の力、私の能力だとみなす。そうすると、この万年筆により作成された穴は、スキマだとみなすことができるわ」

 筆を引っこ抜くと、丸い穴が紙面に残った。覗くと向こう側の景色を如実に反映し、白い紙とは全く異なる色を見せるその穴は、その世界の中での異端さという点において、紫が開けた、無数の目が蠢くスキマと同じであった。
更に言えば、二次元の紙面にて三次元の景色を見せる穴は、三次元の世界にて異次元の形相を垣間見せるスキマと甚く相似していた。

 「さて、スキマを移動させるということは、この紙と筆で表現するなら、どういうことになるのかと言うとね。
紙を貫いたまま穴に嵌っている筆を、そのまま紙面に平行な方向に動かすのと同じなの。でも私は、紙面に対し垂直な方向にしか穴を開ける事が出来ない」

 紫は筆を使い、何度も紙を突き破った。紙の上には、幾つもの痛々しい空洞が残った。しかしそれはどれも散発的で、穴が多数発生しただけであり、穴が移動していると錯覚させるような痕跡ではない。

 「これで分かったかしら?」

 神奈子は、半知半解のような様子を見せた。

 「自信がないけど、多分……『スキマを開けるための力』と『スキマを移動させるための力』は別物だってこと?」

 「そうそう、大体その通りよ!」

 上機嫌な紫は、饒舌に語り続けた。

 「スキマを開ける力は、この世界とは異なる次元からのベクトルを持つのに対し、スキマを移動させる力は、この世界のベクトルの力だけ――俗に縦、横、幅と言われる、互いに垂直な三つの空間ベクトルね。
つまり開ける力と移動させる力は、力の次元が違うの。だから私はスキマを開けることは出来ても、そのまま移動させることは出来ないのよ」

 そう語りながら、紫は何気なく、ミシンのように目に見えぬほどの速さで、左から右へ筆をずらしながら紙を突いた。
その結果出来た直線状の空洞は、あたかも筆が移動した軌道を表しているかのように見えた。

 「このように、スキマを少しづつ横にずらしながら開閉を繰り返せば、移動してるように錯覚させることはできるでしょうけど、意味が無いわね。
スキマを展開する際に消費する妖力も決して少なくないのだから、こんな事をしたら、すぐに妖力が尽きてしまうわ」

 「だから火炎猫燐が通りそうな場所に、スキマを設置するしかないのね」

 「えぇ、残念ながらね」

 そろそろ本題に戻るべきだと判断し、紫は息を整えるために少しだけ間を置き、神奈子の様子をうかがった。

 「ごめんなさい、話を戻しましょう。先ほどのリストの最後の二人――「射命丸文」と「河城にとり」について話しましょうか。
はあ、この二人は全く運がいいのか悪いのか――とにかく、稀有なケースであることは間違いないわ」

 「そう?二人とも普通の妖怪に見えるけど?」

 「いやいや、この二人の行動が大問題なのよ。二人は地底異変が起きた当時、射命丸文は博麗霊夢のサポートを、河城にとりは霧雨魔理沙のサポートをしていたの」

 「へぇ、奇しくもその二人がねぇ。ならば尚更、彼女らを監視下に置くべきじゃない?その、設置型監視用スキマとやらで」

 「そうしたいのは山々だけれど、無理なのよ。幻想郷近代化計画の契約を結んだ際に、前々から私の能力を気味悪がっていた『妖怪の山グループ』は、敷地内でのスキマ展開の禁止を条項に入れたのよ。
私本人の賛否に関係なくね。『監視されない自由』の権利保障のためだとか『妖怪の山グループ』の独立性の確保だとか、殊勝な事を申しながらね」

 「それは残念ね。なら、あの二人の事はどうするのよ?まさか見過ごすわけないわよね」

 「私がどうするか、もう分かっているくせに」

 思わせぶりな事を言う紫の目をしばし見つめ、神奈子は茶化すように笑った。

 「幻想郷の管理者って、そんなに温いお方だったかしら?」

 「失礼ね。私は幻想郷の誰よりも優しいわよ。
 それこそ、万象撫でる風よりも優しく、隔てなく恵みを与える雨よりも優しく、あまねく照らす光よりも優しく、ひと時のやすらぎをもたらす闇よりも優しく」

 おおげさに啖呵を切っていたが、本人は至って真面目な表情をしていた。

 「それにしてもまだかしら。そろそろ着いてもおかしくない頃だけど」

 紫はスキマを使って外の様子を垣間見たが、覗く先には誰もいなかった。紫は諦め気味にスキマを閉じた。

 「まぁ遅かれ早かれ来るのだから、引き続き話を進めることにしましょうか! 私ね、そろそろ試運転――いわゆる「テスト」が必要だとおもうの」

 目を輝かせながら、そう提案する紫の意見を聞いた神奈子は腕を組み、不安そうに首を傾げた。

 「テストが必要なのは私も同意見だけど……核融合炉の出力をテストするとなると、何せ規模が大きいもんだから、どうしても地上の皆にはばれてしまうわよ」

 大量の蒸気が、地下から地上へと、破天の如き勢いで噴出するのだ。それこそ地底異変時の間欠泉のように。

 人間も妖怪達も大騒ぎするだろう――何せ似たような異変が、つい最近までにあったのだ。

 「そうね。もう、いっそのこと、ばらしてしまいましょうか」

 酒を飲もうとしていた神奈子は紫の言葉を耳にした瞬間、むせてしまった。

 「ごほ、ごほ」

 必死に咳き込み、涙目になりながら、神奈子は紫の真意を確かめた。

 「正気なの?今下手に騒ぎを起こしたら、皆の産業革命に対する不信感を募らせるだけよ。そのせいで計画が頓挫したら、もう目も当てられないわ。幾らなんでも時期尚早よ」

 「そうかしら?遅かれ早かれ皆知ってしまうのなら、こちらから明かしてしまいましょうよ」

 紫は両の手の平で蜜柑を包んだ後、指を花弁のように見せながら、手の平を広げた。蜜柑の皮が瓣(はなびら)のように剥かれており、果肉は蓮花のように分かれていた。

 「大々的に、ね」

 神奈子の目の前で、三重の花が華々しく咲き誇る。それを見つめながら、神奈子は紫の言葉を頼りに、ひたすら思いを巡らした。
 やがて紫の思惑を大方理解したであろう神奈子は、思わずにんまりと笑った。

 「バレるなら バラしてやろう ヤタガラス」

 紫は歓喜で身が震えた。

 「さすが神奈子、天才的!正にその通りよ、大正解!あぁ、きっと楽しいことになるわよ。産業革命が産声を上げ、皆にその力を見せ付けることになるでしょう!」

 手を叩き合う二人は喜びの余り、ゆっくりと部屋の襖を開け、にとりと射命丸の来訪を告げに来た風祝に暫し気付かなかった。




 「ようやく来たわね」

 紫は、頭を下げながらやってきた二人に、先刻までの浮かれた姿を見られまいと即座に笑みを抑え、むっつりとした顔を見せることにより、待ちくたびれていたような雰囲気を醸し出した。

 「二人とも、なぜ今日ここに呼ばれたのかについては、分かっているのかしら?」

 にとりがどうも一言すら喋れぬような様子である事を察した射命丸は、渾身の勇気を振り絞り、消え入るような声で答えた。

 「幻想郷近代化計画において核融合を行うために必要な『地獄鴉の秘密』を知ってしまったからです」

 「あら、随分と察しがいいのね。素晴らしいわ――説明が省けますもの」

 神奈子は紫の迫真たる芝居に面白半分に便乗し、鋭い眼光を以って二人を睨みつけた。二人は蛇に睨まれた蛙のように、ぴくりとも動かない。

 「さて本題に入りましょう。なぜ呼ばれたか分かっているのなら、これから貴方達がどうなるかも予想がついているのでしょう?」

 下を俯き続ける射命丸の額には、絶えず汗が滲んでいた。

 「お願いです、絶対秘密にしますから……どうか命だけは。あぁ、あと口だけはお助けください!」

 射命丸は懇願した。だが紫は無表情を返すのみであった。それは鉄のように固く冷たかった。

 「いいえ。秘密を知ってしまった者を見逃すわけにはいきません」

 ひゅいっ、とにとりは悲鳴じみた呼吸をした。恐怖により息を吐くことが出来ず、限界まで膨らんだ肺が悲鳴を上げていたのだ。

 死刑囚のように判決を待ち続ける二人に対し、紫は判決を言い渡した。

 「私達の仲間になりなさい」

 射命丸は聞き間違えたかと思い、急ぎ視線を自分の足元から紫の顔へと移すと、紫は観世音のように慈愛に満ちた表情を見せた。

 先ほどまで睨みを利かせていた神奈子は後ろを向き、ふるふると震えていた。
 紫は今にも上がりそうな口角を抑えながら、詳細を二人に伝えた。

 「射命丸文。貴女を幻想郷近代化計画の広報委員会委員長に任命します」

 紫は視線をにとりへと向けた。

 「続いて河城にとり。貴女を技術部派遣地底試験炉現地監督員として指名します」

 わけの分からぬ二人を見て、紫は親切に説明を続けた。

 「秘密を知ってしまった以上、貴女達を私達二人の監視下におかなければなりません。
よって、今日から貴女達は下請けである『妖怪の山グループ』としてだけでなく、本計画の一員としてこの計画に参加することになりました」

 一方的に説明を続ける紫に二人は唖然としていたが、やがてにとりがまたもや疑問を口にした。

 「あの、口封じは、しないんですか?」

 にとりが喉から絞り出したその疑問に、紫は困惑する様子を見せた。

 「まさか!貴方達二人を神隠しにしても、この幻想郷にとっては損失にしかなりませんわ――私は幻想郷が最も得をする選択肢を選ぶ幻想郷の管理者、そして今回もそれに則るのみよ」

 にとりはわっと泣き出した。紫は自分達を絶対に許さないだろうと思っていた矢先に、この対応だ。

 許された――その反動は、にとりの感情の堰を切るには充分すぎた。

 射命丸も涙を浮かべていた。その涙は嬉しさゆえではなく、安堵から来たものだった。心に思うことがそのまま口から漏れ、ただ「許された」と呟くのみだった。

 紫と神奈子は二人の頭をさすり、二人が落ち着くのを待った。 しばらくして先に落ち着いた射命丸が、紫に問いかけた。

 「でも、具体的に私たちは何をすればいいんでしょうか?」

 「蒸気出力量を確認するために、試験炉はこれから近い内に試運転を開始します。あややには、皆にそれを伝えて欲しいのです――貴女が得意な広報の手腕を用いてね。
だからまずは、広報紙を作成して欲しいわ――『文々。新聞』総編集長の腕前、期待してるわよ」

 「しかし紫さん……この計画は、妖怪の山と地下世界以外には当分秘密にした方がよろしいと思うのですが……本当によろしいんでしょうか?」

 「えぇ、ぜひお願いしますわ。まあ最初は皆、私達の正気を疑うでしょうね。そして最後は皆、自分の目を疑うでしょう」

 紫はあんぐりと口を開け、天を見上げる人々を思い浮かべ、微笑みながら予言した。

 「超弩級グランギニョルが、突如地上に現れるのだから」

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 「本当に反省しているのかい!」

 火炎猫燐は騒動を起こした張本人に対し、さとりの真似をして叱りつけた。

 「うっさいなあ、もういいでしょ?これからは悪い事はしないって、さとり様たちと約束したじゃん」

 霊烏路は、ひょっとこのように口をひん曲げながら、燐の燃えるような双眸から目を逸らした。

 「……お空は、自分の力の恐ろしさが分かってないのさ!もっと気をつけないと、あたいの方がもたないよ!」

 友のために身を張り、幾度も侵入者を食い止めた燐の言葉は、さすがに能天気な霊烏路の心にも、深々と突き刺さった。

 「分かったよ、もう大丈夫だって!これからは神奈子様が言ったとおり、核融合を平和のために、みんなのために使っちゃうんだから!」

 霊烏路は気合を入れるかのように右腕を勢いよく回し始めた。右手に装着された制御棒はぶんぶんと唸りを上げ、燐は頭を抱えながらしゃがみこんだ。

 「危ないからやめろって!」

 すると霊烏路は急にぴたりと腕を回すのを止め、その場に棒立ちになった。燐はこの気まぐれで奔放な親友をどうしたものかと困り果てていた。


 「ねぇ、お燐」

 「はいはい。今度は、なんなの?」

 「私達が昔まだ地霊殿にいた頃、さとり様にいつも童話を聞かされたの、まだ覚えてる?」

 「そりゃあ……忘れようがないさ。あの時が一番楽しくて、心やすらぐ日々だったじゃないか……」

 さとりの膝上に座りながらその語りに耳を傾けていた頃の記憶が、燐の脳裏に浮かんだ――恐らく、霊烏路の脳裏にも同様に。

 「私ね、さとり様が昔聞かせてくれた、鴉の物語を思い出したんだ」

 いきなりなんだ、という表情を隠せぬまま、燐は黙って霊烏路の話を聞き続けた。

 「鴉は元々真っ白で、それはとてもとても美しい鳥だった。でも彼女は太陽に余りにも近づきすぎて、しまいには黒焦げになってしまった」

 「ああ、その話かい。救いも何もない話だね。さとり様はそういうのが好きだったから、そういうのばっかり聞かされたね」


 感傷に耽る燐を一瞥した後、霊烏路は自分の炭のようにどす黒い羽を見つめながら、話を進めた。


 「神奈子様の計画は、私の核融合の能力を使うんだよ」

 「知っているよ。その核融合とやらの力で、熱を発生させるんでしょ」

 「うん。私が試験炉に入って、核融合を起こすんだ。 神奈子様は言ったの――私は、太陽になるんだって」

 霊烏路は不安そうな顔を見せた後、下を俯いた。

 「太陽に近づいただけで、黒焦げになった、かわいそうな鴉……そんな鴉がもし太陽そのものになったら、一体どうなっちゃうんだろう。
 ひょっとしたら、もっと恐ろしいことが待ってるかもしれないって思うと、私……」

 そういうことか。最近やけに落ち着かなかったのも、異変を起こしたのも、不安だったからか。
 燐は己の行く先が一寸も見えぬ友の心境を想像すると、不憫でならなくなり、胸が裂けるような思いであった。

 そして落ち込む霊烏路にかける言葉を、燐は慎重にそして大胆に選んだ。

 「なんだい。らしくないと思ったら……馬鹿だねえ、お空は。そんなのただのおとぎ話だよ。カラスの色に理由をこじつけただけの、安っぽい嘘っぱちさ」

 駄目だ、まだ足りない。 もっと言葉を、積み重ねねば。

 「それに太陽になるなんて、素晴らしいことじゃん!お空はみんなに神の火の力を分け与える、プロメテウスだよ!」

 霊烏路は、聞きなれない単語を聞き返した。

 「プロメテウスって?」

 「知らないのかい?人間に火を与えた、物凄い神様だよ。人間どもは彼から火を貰って、そこからようやく初めて人間として生きることが出来たんだ。
そしてお空は、神の火っていう新しい火種をもたらす、第二のプロメテウスになるんだよ」

 「ええ、そうなの?じゃあ、私ってすごいの?神様くらいに?それとも――太陽と同じくらいかな?」

 自分の価値に確信を持てず問いかける霊烏路を元気付けるために、燐は懸命に言葉を組み立ててゆく。

 「お空は誰よりも凄いよ。大親友のあたいが言うんだからさ、もっと自信を持ちな。お空は、地下を照らす太陽――『サブタレイニアン・サン』になるんだ!」

  燐はその両腕を目一杯に広げたあとに、その両手を目一杯に広げた。

 「そうさ、地下だけじゃなく地上も照らす、夢のような太陽さ!地上だけしか照らさない普通の太陽よりよっぽど優しくて、遥かに凄いよ」

 「じゃあ……じゃあさ、みんな喜んでくれるかな?私のこと好きになってくれるかな?」

 「そりゃあもう、きっとみんな大喜びだよ。そしてみんなお空を尊敬して、大好きになるさ。みんな、貢物を持ってくるだろうなあ!霊烏路空大明神様ぁ、って拝みながらね」

 少々大げさ気味な燐の言葉を聞いて、霊烏路は笑いつつも友の励ましをしっかりと受け取り、心の中の不安を踏み潰した。

 「ありがとう、お燐。私、もう何も怖くないよ」

 満面の笑みを見せる霊烏路に対して、燐も精一杯の笑顔を霊烏路に見せつけた。

 友と笑い合うことは、二人にとってかけがえの無い事だった。


 だから燐は言い出せなかった。


 人間に火をもたらした、プロメテウスの末路を。
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コメント



0.200簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
これ、続きがあるということで。
原作のキーワードを散りばめて作った設定と文章がこの上なく魅力的で、脈動する組織の論理が感じ取れます。
紫が万能とは程遠いのが特に重要なポイントなのでしょう。外の世界を覆った、科学と組織の力を、1日14時間働く官僚や重役たちが幾重にも作り上げた認識の体系を、御しきれるか怪しいところです。
3.100リペヤー削除
こういう科学と幻想タイプのお話は大好きです。
面白かった。
4.90奇声を発する程度の能力削除
好き…かも
6.100名前が無い程度の能力削除
こういう紫は新鮮でいいですね
話も面白くて最後まで一気に読めました

…続きありますよね?期待してます
7.100名前が無い程度の能力削除
最初のゆかりんときゃなこのやりとりからのめり込むように読んでしまいました。
続きを心から待ってます。
8.90名前が無い程度の能力削除
紫と神奈子がこういうふうに合意、合点して
共同でこの手のプロジェクトを推し進めるというのは非常に新鮮でぐいぐい引きこまれました
特に科学がまだたどり着けてない理論先行の領域を使うという解釈には眼から鱗です
今後核融合が実用化されてもその次も先回りがある点が白眉極まりない

一方で導入で興奮しすぎたせいか、中盤以降の起伏にもう一つ乗りきれずそのまま滑空してゴールしてしまったような心持ちになってしまいました
その勢いで失速らしい失速もなく最後まで持っていけたことも十分だとは思うのですが
10.90名前が無い程度の能力削除
紫「神奈子!アンタっ…私を騙したのね!?」
神奈子「別に騙してなんかいないよ。ただ紫が勝手に期待しただけだ。」
そんな展開にならないことを祈るばかり…。
13.80名前が無い程度の能力削除
ブン屋と河童は許されたのだ…
舞台裏を濃厚に描写ってワクワクするよね
14.100名前が無い程度の能力削除
紙とペンを使った紫の能力説明がありそうでなかった感じで分かりやすい。
続き期待してます
15.無評価名前が無い程度の能力削除
問題は、人間が忘れる生き物で、かつ幻想に比べて世代交代が早いことだな。
技術なんてどんな画期的だろうと、10年すれば日常、100年すれば歴史になる。