Coolier - 新生・東方創想話

風神太平記 第十二話

2014/01/31 22:12:56
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 ギジチを評定衆に加えるべきとしたのは、諏訪子の案である。

 元より彼女はダラハドを警戒していたのだから、彼が国政の場で台頭することには強い危惧を抱かざるを得ない。だから神奈子が「嶋発を排してダラハドを評定衆に引き入れる」と言い出したとき、ひとつの条件を突きつけた。

「ダラハドひとりでは角が立つ。ギジチも加えるべき」であると。
 元よりダラハドを辰野に封じるは、神奈子肝いりの施策である。しかし新参に過ぎぬ者を急にその土地で重んじれば、当地での反発がないとも限らない。ただでさえ、かろうじてといったところで有力豪族の力を抑え込んだ南科野であったのだから。ならば、すでに天竜川沿いの散所と関わり深いギジチをも同時に登用することで、南北で勢力の均衡が保てるという理屈であった。

 とはいえ、それは――神奈子と諏訪子がそれぞれ支援する豪族たちを、国政の場に送り込むということでもある。科野諸州における権力の二極化は、南北の勢力の相克であると同時に、ふたりの王の相克の証でもあった。そうでもしなければ、八坂神奈子と洩矢諏訪子の力関係は、少しの風が吹いただけでもどちらか一方に傾きかねない、繊細な秤(はかり)も同様だったのだ。

 だからこそ、一刻も早く秤の目方を安定させる必要があったのも、また確かだ。
 科野州が裂かれぬために、両者の力の拮抗する点を探し出す必要がある。
 そのためならば、ダラハドとギジチに『代理戦争』を演じさせることさえも、厭うてはならぬ状況にあった。

「とはいえ諏訪子。此度のようにはっきりと、そなたが物を申すとは思わなんだ」

 眼の前を駆け抜けていく軍勢を眺めながら、神奈子は呟いた。
 その口ぶりがどこかぼんやりとしたものだったのは、大軍がいちどに動くところを久しぶりに見て、それに感嘆していたからだろう。諏訪の湖を見下ろす丘の上には、いま神奈子と諏訪子の本陣が置かれ、眼下の諏訪湖畔では召集に応じて科野各地から馳せ参じた人馬が、土を蹴立てて勇壮に突き進んでいくところなのだ。無数の足と蹄が大地に突き刺さり、その度ごとに轟々と、山津波じみたいくさの波濤を絶えず奏でる。

「わたしも以前(まえ)までのような、ただ臣の地位にのみ甘んじているつもりはない、ということにございまする」

 よくよく“戦場”の様子に眼を凝らし、床几からはぐッと身を乗り出しながら、諏訪子は答える。そうである、権力の一端を担ううえは、何もかもを神奈子にばかり押しつけることは許されない。権力を二分することが、科野という国家が二つに裂けることであってはならない。倭国と諏訪とが繋がりを強くしようとしている今このときこそ、歪だった二頭体制はあらゆる粗を削り落とし、国家としてのかたちを明確に備えて均衡を目指す必要がある。それが諏訪子の『覚悟』なのだ。

 そして今、彼女が見つめる光景こそが、彼女の決めた『覚悟』が、現実としてかたちになったものだ。

 軍勢は、みな己の実力を見せんと矛や弓矢を手に湖のほとりを休むことなく駆けまわり、野に放たれた十数の鳥獣を仕留めるべく力を尽くしている。数か月のあいだ国費で養われた雉や鹿、兎に猪などは、野生のものと比べて幾らか肥えていたとはいえ、それでも人間の足では直ぐに追いつけないほどに素早く動く。そしてその鳥獣を狩り出すべく、いくさではなしに各々が専心する。これが太平の証でなくてなんであろうか。この初夏に南北科野から軍勢を召集して盛大に催された狩競(かりくら)は、まさしく神奈子と諏訪子の融和を象徴するかのような儀式であった。

 その諸軍のなかに、ひときわきらびやかな甲冑を身につけた大将が居た。

 鉄を用いた堅牢な鎧であることは言うに及ばず、白い顔料で紋様の描き込まれた小札(こざね)は鮮やかな赤色の糸で繋ぎ合わされ、紋様の白と留め糸の赤が好対照を成して華やかであった。一方で腰帯のようにまとった狐の毛皮は、風を孕んでその終端を絶えず靡かせている。腰に提げた剣を水気で腐らせぬための防湿用である。いずれ劣らぬ、貴き品々であったことだろう。

 その日、諏訪に集った軍勢を率いる将たちのうち、実に『彼』ほどの装いをした者は他に居なかった。その大将は全軍のなかにあって、他の軍勢をもっともよく俯瞰し得る高地――神奈子と諏訪子への憚りから、彼女たちを見上げることになる立地ではあったが――に陣を張り、馬上に身を置いている。鐙(あぶみ)を踏む足は、逸る戦意を抑えるかのように震えていた。その傍らでは犬養部(いぬかいべ)の使役する猟犬もまた、号令のもと獲物に喰らいつくのを今や遅しと待ち構えている。

 その体格は未だ少年の身体と言い得るそれだったが、身にまとった件の鎧はすでに幾たりもの合戦をくぐり抜けてきた相棒のように、ぴたりとその身に馴染んでいる。彼の陣営には、先立って狩りだした山鳩が四羽に鹿が一頭。まずは大将たる自分が兵たちに範を示さねば、と思って射た獲物であった。

 大将――少年は剣を振りかざし、「われらも動く!」と叫んだ。
 声変わりをして間もない、といったところが察せられる響き。
 そしてその命令に応じて「乱声(らんじょう)!」と側近が指示すると、即座に軍鼓が叩かれ、鉦が鳴らされ、直隷の軍団が雄叫びを上げた。馬を駆った伝令が疾く駆け抜けて各軍に達し、『方向転換』を示す緑色の軍旗を振りかざす。それを認識した数千の将兵は、それぞれの獲物からいったん離れ、大将たる少年の指示のもと動き始める。あたかも少年自身を中心とした人間の群れの渦が、草原で蠢いているようであった。

「御覧ください八坂さま。モレヤが動き始めましたぞ」

 がばりと床几から立ち上がり、諏訪子は一心に『戦場』を指差した。

 先行していた数千の軍勢が、陣営のもっとも後方に居る大将の指揮に従い、流れを変える。竹の節の中心を割るように人馬の波が動き、そのあいだを大将直隷の軍団が、自らの威容を四方に見せつけるかのごとく進軍する。それは、およそいくさであれば、至極当たり前の光景ではあった。しかし、今日の狩競でその大仕事を成し遂げているのは洩矢諏訪子の夫たるモレヤなのである。

 当年、十二の歳になった彼(か)の少年が、初めて鎧を身にまとい、剣と弓矢を携えて、自ら馬を駆って、数千の軍勢を率いているのだ。まさしくこの狩競こそが、モレヤにとっての『初陣』であった。

「何とも勇ましきものだ。……実に感慨深きものがある。われら神ゆえ、この身は容易には変わらぬが、人の子らは一年、二年と経つうちに大きく育つ。紛うことなき喜びとせねば」

 諏訪子同様、神奈子もまた愉しげだ。

「こうしてはおれぬ。おおい、わが神体をもっと前に出すが良い。わが夫の、モレヤの一世一代の晴れ姿、天地の神々にもよくよく自慢してやらねばな!」

 諏訪子は周りの部下に命令を発し、この狩競における『御神体』――輿に乗った巨大な男根の形の立像を、本陣の中ほどから前へ前へと押し出させる。ミシャグジの神の蛇体と、そこに宿る生命力との混淆を意味する男根像は、天をも衝かんばかりに勃起し、今しも射精の寸前というほどに怒張しきった状態の再現だ。狩競の儀式における興奮が高まれば高まるほど、この木製の立像を通して、諏訪子やミシャグジ蛇神たちにも強く烈しい霊性が宿り始めるものと思われた。そしてその裏側には、贄として狩られ熱い血を捧げることになる獣たちの存在がある。生命力の賛歌には、常に表裏一体の死が不可欠なのだ。それこそが、旧き神の末裔とも言える洩矢諏訪子のための儀式であった。

 だが、そのような太古の激情に支えられた宗教儀式であっても、根底には現実を見据えた政治戦略ともいうべきものがある。

 今度の狩競は神奈子の名で催されたものでこそあったが、目的としては、洩矢の神に捧げ奉る御頭の確保が第一だったのである。つまり、実質的には諏訪子の主導といえた。もっとも多くの軍兵を拠出したのは諏訪子の治める下諏訪からだったのだし、そして総大将として科野中の軍を指揮しているのが、諏訪子の夫たるモレヤであるということからも、それは明らかであった。

 軍勢の召集に人々を応じさせる政治力、数多の人馬が飯や武器を賄えるだけの生産力に商業力。何よりそれらすべての集積である、精強な軍事力。二頭政治でもこれだけのことが成し得るのだと、人々に示す一大事業の姿である。

 諏訪子の言いつけ通り、本陣の男根像は麓によく臨む位置にまで移動させられた。時をほぼ同じくしてモレヤ率いる下諏訪勢――すなわち、諏訪子が彼のために召集した軍団でもあるのだ――が、軍鼓に乱声、鬨の声とて勇ましく、諸軍の最前衛へと躍り出る。

 すると、あたかもその瞬間を狙いすましたかのように、一頭の若い猪が、勇敢にも軍勢のあいだを駆け抜けてモレヤの居る方へと突進する。獣にも情があるのなら、番(つがい)か子を殺されて憤ったのであろう。辺りには、すでに数頭の他の横腹や背を射られて動かなくなっていたのが見えた。

 獣の悲痛な鳴き声が大気を震わし、その牙が怨敵を突き殺さんと顕わになってきたとき、しかし、馬上のモレヤが放った矢は、過たず猪の眉間を射抜いた。深々と刺さった鏃は紛れもなく脳髄の急所を破壊したと見える。一瞬のうちにすべての生命活動を奪われた獣は、その命を失ってもなお突進の勢いを殺しきれず、尖った鼻先を地べたに突っ込むようにして倒れ込んだ。流れ出たどろどろの熱い血が、幾度目かの祝福を大地に与える。

 戦場を押し包む一瞬の沈黙。
 然して後に、今日の儀式のなかでもっとも巨大な歓喜の声が上がる。
 戦果を上げた少年への賛歌が朗々と響く。
 狩競の興奮は、今ついに絶頂に達しようとしていた。
 例の男根像もまた、輿を担う奴婢たちの手で烈しく揺さぶられる。下から上へ、ずんずんと突き上げるような動きだ。男女の性交を意識した、一種、卑猥でさえあるような悦びの表現である。

 戦場も、本陣も、そしていずれの場に居る者たちも、等しく歓喜と興奮の渦のなかに巻き込まれ、陶酔が辺りには満ち満ちている。諏訪子もまた、夫の晴れ舞台をこの眼に収めることができたという嬉しさで一杯であった。だがその一方で、頭のなかではまったく別の算段をつけている彼女も居る。喜色を頬に含ませながら、同時に冷徹さも浸透しきった眼を諏訪子はしている。

「ときに、八坂さま」

 再び床几に戻り、神奈子に話しかけた。
 あらゆる歓声が産み出す喧騒に遮られ、ふたりの声は他に漏れることはない。

「ひとつ、大事なる御提案が」
「提案? 申してみよ」

 祝祭のときを利用して、内密の話をするのは珍しくない。
 神奈子はこころもち、諏訪子の方へと耳を寄せる。

「諏訪子は、上諏訪を離れとうございまする」
「何だと。上諏訪を…………私のもとを離れてどこに行く」
「自らの御所のある下諏訪に。元からあの土地こそがわが本領、古巣に住まいを移すというだけのこと」

 神奈子の地である上諏訪を離れ、湖を挟んだ対岸にある下諏訪に移る。
 諏訪子に仕える神人(じにん)たちからも、常々望まれていた『還幸』である。
 科野州の権力を二分し、その権勢の象徴として今日のごとき祝祭を成功させたうえは、最後の仕上げとして自らの本拠地に移る。王にして神の御自らその玉体――すわなち政治的な正当性の象徴――を動座せしむるのだから、諏訪の二頭体制は両諏訪それぞれで完成することになる。

 神奈子は腕組みをし、わざとらしく考えこむ素振りを見せた。
 眼までつぶって、眉根に深い皺をよせて。
 だがちょっと経つと、横目に諏訪子を見ながら

「隠居でもするつもりか」

 そんなことを逆に問うた。

「隠居……まあ、似たようなものであるかと。モレヤも一軍を率いることができるだけ大きくなったのだし。婆であり姉であり、また母でもある妻の諏訪子は古巣に戻り、夫の身を案ずるほどがちょうど良い」

 むろん、上諏訪を離れるには『隠居』という名目でも十分であったことだろう。
 評定には自身の息のかかったギジチを送り込んでいるのだし、どのみち、科野諸所の商業は彼を通してでなければ神奈子でさえも話が通らぬ。そして自身は未だ未熟の王であるモレヤの後見、とでもなってしまえば、後は自らの領国で諏訪の政に隠然たる影響力を及ぼすことができるはずだ。

 そんな算段はつけられようが、肝心の神奈子がそれを許すものだろうか。
 それは、悪くすれば諏訪の、科野の分裂をもたらすことになりかねない。

 だが、神奈子から諏訪子へ帰ってきた答えは、そんな危惧をも容易に塗り替える、

「隠居。良いではないか、好きに致せ」

 という、こともなげの言葉であった。

さすがに、これには諏訪子も面食らう。
「はあ?」と間の抜けた声で、眼を白黒させてしまったくらいだ。

 諏訪子自身が下諏訪に移るということは、政治的中枢の一部の機能が神奈子から離れるということだ。そしてまた、下諏訪を中心とした独立性の高い『諏訪子の王国』が再興されるということにもなる。つまり、洩矢諏訪子は八坂神奈子に名目上は従属しつつも、科野という国家自体は神奈子の場と諏訪子の場とで連合に近い状態に変質するかもしれない。それが解らぬ神奈子ではないはず。

 だというのに、そんな“危険”な進言が直ぐさま認められるなどとは諏訪子自身、意外の一語に尽きた。科野という中央への集権が失われることを嫌い、「あまり調子に乗るな」とでもたしなめられると思っていたのに。

「……いささか、拍子抜け致しました。否を突きつけられると思うていたものですから」
「否と言うてやった方が良かったか」
「いいえ。ただ、斯様なことを仰せになるわけが知りとうございまする」

 神奈子は再び考えこむ。
 今度のは、“ふり”ではなく、本当に思案している様子であった。

「洩矢諏訪子の向こうを張っているのも、それなりに疲れる仕事なのだ。相手が子供(モレヤ)なら、如何様にも手玉に取れる」

 神奈子はフと微笑した。

 その冗句の裏には、諏訪子とのこれ以上の対立は望まないという意思以上に、「下諏訪をくれてやるゆえ、もうおとなしくしていろ」という思惑も見て取れた。となれば、彼女の笑みは多分に苦笑いでもあったことだろう。無用の騒乱は、もちろん諏訪子も嫌である。よほどのことがない限りは、もう表立って神奈子には逆らうまい。

「わが政の堂宇のなかより、小うるさいのが一匹居なくなるかと思えば、今からもう気が晴れるわ」
「何の。その小うるさいのは、林の奥で巣作りに勤しむことと決まったのではありませぬか」

 両者は、再び湖畔に蠢く軍勢に眼を落とした。
 どちらがどちらの言葉に先んじるでもなく、うなずきを交わし合う。

 眼下では全軍を率いるモレヤが、二神の攻防も謀議も何も知らぬまま、彼女らの居る方を見上げて笑みをつくっていた。すでに最高潮にまで興奮をたぎらせたその日の祝祭は、もう直ぐ落ち着きを取り戻し、また明日からの日常に回帰する気配を見せ始めている。


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