Coolier - 新生・東方創想話

風神太平記 第十二話

2014/01/31 22:12:56
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『諏訪子、還る』





 諏訪も科野も、まず三年ほどは特に大過なく過ぎ去った。

 叛乱や戦いにまつわる記憶も、むろん、まったく失われたわけではない。だがそれよりも人々は、ようやく訪れた安寧において、自らの居場所を確かにすることの方に余念がなかった。波乱続きで千々に乱れる有り様だった科野州は、それから良くも悪くもなっていない。しかし、ただ、ようやく一個の国として落ち着きを取り戻し始めていたのである。

 さて、しかし。
 そうした平穏さは、言うまでもなく八坂神奈子の名のもとに始まったものだった。

 大王(おおきみ)に仕え、出雲人に推戴された神である彼女の国である――ということに対外的には喧伝されていたのだから、諏訪を中心とする科野諸州もまた、名目のうえでは倭国に属する辺境の『蛮地』ということになる。すなわち、国内での“格”としては一段も二段も低く見積もられていたわけである。すると当然、そこを統治する者たちの位もまた、国家の中枢に属する高級官僚の連中からは卑しめられているに違いなかった。科野国内では他に並ぶ者とてない神にして王である神奈子も、彼女に次することになっている洩矢諏訪子も、中央からの使者に対しては平身低頭して出迎えなければならないのだ。

「では書状の方、確かに洩矢どのに預けたぞ。ようよう八坂どのにも届けられよ」

 その日に起こった出来事は、まさにその事実――諏訪が、倭国においては辺境であること――を強く裏づけるものだったと言える。本年において、時はすでに春となっていた。

 はっきりと根づいた陽気に押され、梅が開花を見て久しい。謁見の場で対面した諏訪子と、出雲からの使者のあいだにも、春の暖かい空気が横たわっている。だが違うところがあるとすれば、両者のどこか冷然とした雰囲気と、それから王である諏訪子の方が下座につき、反対に使者の側が上座に身を置いているという点か。

 諏訪子はそういう作りをした人形か何かのように頭を下げ続けたままで、視線すら決して上げることをしない。年齢のみで言えば神である諏訪子よりも、むろんただの人でしかないこの使者の方がはるかに下だ。だが、両者のあいだには逆らいがたい立場の違いがある。倭(やまと)の中枢たる出雲の都から遣わされた勅使に対し、卑しくも『蛮地』の王たる者が直に相まみえること自体が、一種、破格の栄誉である。上座でふんぞり返った使者の態度は、言外にそうした意を主張していた。

 とはいえ今はそのような、いかにもいら立ちを催させるようなことを気にするべきではない。勅使が持参した竹簡は、その場に控えていた諏訪出身の舎人を通し、『朝廷からの下賜』というかたちで諏訪子の手へと渡っていく。恭しく賜ったその書状の中身は、何らかの大事な用件なのであろう。諏訪子自身は、未だ知る由もないのだが。

「は。その儀、謹んでお受け致しまする」

 あらためて深々と辞儀をした諏訪子…………を、気にすることなど少しもなく、別れの挨拶や出迎えへの労いなどもまるでないまま、勅使はすッくと立ち上がった。そして、部屋の外で待ち構えていた供の者らを引き連れると、足早に去って行ってしまう様子である。

 取り残された諏訪子は驚いて、作法も礼儀も無視して直ぐさま出雲人たちの後を追った。彼らの態度が、あまり性急に過ぎるように思えたからだ。何せ相手は長旅を経て諏訪にまでやって来た勅使である。こちらの気づかぬ無作法、不調法があって相手の機嫌を損ねていたとなれば、諏訪の威信に傷がつく。

「少々お待ちを! もう御滞在の目途はついておられましょうか?」
「滞在ィ? ……何を申すのか」

 城の廊下で呼び止めると、緩慢に勅使は振り向いた。
 だが、いかにも煩わしいといった顔で。

 彼の身につけた上等な仕立ての装束からは、諏訪子の知らぬ、芳しい香りが漂ってくる。おそらくは西国で流通している香を焚きそめているのであろう。腰に佩いた剣には、ごく一部ながら鞘の部分に螺鈿(らでん)の細工まで施してあった。およそ山国の科野では手に入らぬような高級な品々だ。そして、それらを過剰なまでに己の誇りとしているのがよく解る態度――つまり、高慢。藪を叩いて蛇に遭ってしまったであろうことが、諏訪子にも容易に察せられる。だが、一応は出迎える側の礼儀の問題でもある。

「諏訪までの長旅にてお疲れのはず。今宵の宿はお決まりかどうか、お尋ねしておりまする。この諏訪の柵か、それともまた別の館などに当てがございまするか」

 彼女は勅使からの返答を待った。
 だが勅使の方は、諏訪子の姿を上から下までじろりと眺めて、フと溜め息を吐くばかり。明らかな、失笑のそれであった。

「滞在などして何とする。今日中には諏訪を出て、明日には科野からも離れるのだから。いつまでも斯様な辺境の野に遊んでおるほど、私は暇ではない」
「はあ。しかし、ひと口に辺境とは申しましても、諏訪はその辺境にあっての都にございまする。そのような土地柄も、勅使どのの御目においてつぶさに検めていただければと。まず何より、少しお時間を頂けますれば、何らか趣向を凝らした膳でもご用意することできまするが」

 一応は、素直な気遣いである。
 自分たちより立場が上の客人をもてなすことに、特段に遠慮をするべきではない。
だが、使者が返してきた言葉は、諏訪子のそのような思いとは正反対のものだった。

「ほう。……大王の御稜威(みいつ)に降った蛮人の王ごときが、この勅使に説教を垂れるのか。思い上がりおって」
「そのような大それたこと、申し上げるつもりとてございませぬ。ただ、この科野とても端の端とはいえ、今は倭(やまと)という国家の一部。その有り様を知れば、倭の国の政にもきっと役立つものと――」
「そういう物言いが、思い上がり以外の何ものでもないのだ! このような埃っぽい土地、さっさと離れてしまいたいに決まっておろう! 私はこれでも大国主の国造りに際して功あった、少名毘古那(すくなびこな)が神の末裔(すえ)に当たる一族の出なのだぞ! それなのにいったい何が悲しうて、蛮夷の地で夷(えびす)どもから供応まで受けねばならぬのか。それは蛇蠍(だかつ)をむりやり口に詰め込まれるも同然ではないか、気持ちが悪い!」

 あまりのことに、諏訪子は何も言い返せなかった。

 この男が倭国朝廷の権威を笠に着ているのは、言外に滲み出てくる偉ぶった態度から嫌というほど察していたつもりだったのだが、実際にその口から出てきたのはそれをも凌ぐ罵倒だった。こともあろうに供応を申し出た相手に対し、当地の酒も食い物もみな毒で出来ていると言わんばかりの言い草である。もしもこの言い分を聞いていたのが諏訪子でなく、他の豪族たちなら、即座にいくさを始める口実とされたことであろう。

 だが、勅使の横柄さはこれだけでは収まらない。
 諏訪子の無言を『自らの野蛮さを指摘されて恥じている』とでも受け取ったのか、彼はいやらしい薄ら笑いさえ浮かべはじめる。

「きさまたちは、元はといえば蛮地に数限りなく湧き出す蟲がごとき夷めら。そのまつろわぬ夷めらは王化に染むことを経、ようやくその性の半分ばかりが人と同じくなるに過ぎぬ。そのような者らが出雲人をもてなす? 痴れ者が。蟲は蟲らしく、その辺の地べたや草叢で、思う存分遊んでおれば良いのだ」 

 むろん、こうまで言われて直ぐに激昂するとか相手に掴みかかるほど、諏訪子は短慮な性格をしていない。否、むしろ、屈辱を味わえば味わうほど、後々の意趣返しが愉しみになるという性格の持ち主なのだ。

 彼女は、身のうちから湧きあがってくる凄まじい怒りをどうにか堪えながら、両頬の肉だけは努めて上へ上へと引き上げた。あくまで、つくり笑いを崩さない。

「おお、洩矢諏訪子一生の不覚。われら諏訪の者たちが蟲から生じたものだとは、ついぞ知り及びませんでした。……ですが、御用心なされませ。蟲は時に人を刺し、毒を流し込みまする。さすれば人は死にまする。諏訪のような蛮地、とかくそのような恐ろしき“蟲”も多いゆえ」
「下らぬことを。勅使が蛮地に屍晒せば、直ちに大問題だわ」
「だからこそ、申し上げておるのです。辺境にては辺境の、蛮地にては蛮地の気風ありと。何せ諏訪は、未だ旧き異神の“さきわう”地。それら蛮夷の神は無知なるゆえ、怒りに任せて“祟る”こと度々にございまする。それこそ、後先考えず。相手の身分の高低さえいっさい問わず。帰途の山々、森深く闇濃いなかを進む際は、十分にお気をつけくださいませ」

 床板をぎしりと軋ませて、諏訪子は一歩を踏み込んだ。

 他に、彼女は何もしていない。祟りもしないし、呪いもせぬ。ただ、本当にあるかもしれないこと――ないとは言い切れないし、あるとも断言できない――を口に出して“凄んだ”だけだ。だが、勅使たちはそれに圧倒されたのか、諏訪子が踏み込んだ分、後ずさった。ごくりと、唾を飲み込む音さえはっきりと聞こえた。大の男が、たかが小娘の姿をした相手にである。

 さすがに勅使がこうまでやり込められると、今度は倭国朝廷の沽券に関わる。
 出雲人は己の権威にことのほかすがりたがるものだと、諏訪子はよく知っていた。その予想に漏れず、勅使は「……もう帰るッ。このような穢き土地が倭国の一部など、到底、信じられぬわッ。書状、確かに八坂どのに届けられよ!」と吐き捨てて、逃げるように去ってしまった。諏訪子はあらためてにっこりと笑み、深々と頭を下げていた。もちろん、心のなかでは舌を出して。

 しかし、見事にやり込めてやったと溜飲を下げつつも、同時に彼女は幻滅もしていた。
 出雲から諏訪に勅使がやって来たと言うからどんな大人物が遣わされたのかと思ったら、国家の威光を笠に着て、辺境の民を蛮夷と見下すような俗人の極み。倭国朝廷とやらには、人を見る目がないのだろうか?

「小物が。あの程度のハッタリにやり込められて、何が神の末裔かよ」

 もし本当に諏訪の者が勅使を殺害したら、それこそ「野蛮人として征伐してくれ」と頼んでいるようなものだ。諏訪や科野で政に携わる者たち、彼らの信仰を受ける神々は、国家間の力関係も解らぬほど残念な頭をしてはいない。あの勅使は辺境の民をただひたらすら見下すことしか頭にないから、その程度のハッタリさえ見破れないのだ。

 溜め息を吐き吐き、諏訪子は手の中に納まる竹簡に眼を落とした。

 国家の中枢を占める官人が皆あの程度の小人(しょうじん)揃いなら、倭国とやらの政も先が思いやられるが……まずはこれを、神奈子のもとにまで届けねばなるまい。

 ぐん、と、伸びをして胸いっぱいに春の陽気を吸い込むと、薄らとした香りが漂ってきた。城の幾つかの場所に植えられた、梅の木から香ってくる香りだ。同じ芳しさなら、いたずらにばか高い値をした香よりも、毎年、何をせずとも愉しむことのできる梅の花の方が好きだ。諏訪子は、そう思っていた。だからこそ、元来は軍事施設でしかない城のなかに、わざわざ梅を植えさせた甲斐がある。


――――――


「おお、終わったのだな。勅使どのはお帰りか?」
「ええ、たったいま」

 諏訪子は供も引き連れず、まずはひとりで八坂神奈子の待つ部屋へと入っていった。

 ぎしりという軋みと共に妻戸を開くと、そのなかでは神奈子がひとり、昼間から寝転がって酒を飲んでいるではないか。未だ酔いは回っていないようで、顔は少しも赤らんでいなかったが、吐く息には紛れもない酒の香が感じられる。土器(かわらけ)の杯に注がれた濁り酒は、白い水面に映る軍神の顔を絶えず揺らめかしていた。

 諏訪子は、懐にしまっておいた竹簡――さっき勅使から受け取った例の書状だ――を取り出すと、神奈子の真正面に腰を下ろす。と、同時に、「はああ……」と盛大な溜め息を吐いた。見るからに神奈子の怠惰をたしなめている風であった。だが肝心の神奈子自身は、相手の方を直には見なかった。酒杯を少しだけ傾けて、酒がつくる水鏡に諏訪子の顔を映し出し、そちらの方に向けて「何かしくじったのか?」と問うばかり。

「しくじってこそおりませぬが……散々な目に遭いましたぞ」
「ほう」
「倭の国で政に携わる者たちというのを、諏訪子は少し買い被りすぎておりました。どれほど貴き方かと考えておれば、実際には諏訪人を蟲呼ばわりし、こちらの意見を思い上がりと断じてひと絡げに撥ねつけるような小人物。あれで天下(あめのした)を倭国一統にすると息巻いておるのですから、呆れて物も言えませぬ」
「そうであろう、そうであろう。だから私は諏訪子に出迎えをさせたのだ。蛮地の王として侮られるのはイヤだからな。とかく、中央から離れた土地に送られてくる使いだの役人だのというのは、横柄で居丈高な振る舞いをするものよ」

 諏訪子は、今度は神奈子の言に呆れてしまった。

 ふたりがいま話をしているのは、政務を執る部屋ではなく神奈子の私室である。
 彼女の姿が見えぬとき、その居所を探しあぐねるということはほとんどなかったと言って良い。大抵は練兵場で弓でも射っているか、訴訟や陳情として持ち込まれた案件について吟味しているか。そうでなければ馬を駆り狩猟にでも出ているか。いずれにせよ、よほどのことがない限りは容易く見つけることができる。大事な客が来れば直ぐに応対もできる。だが今回、神奈子は自分は城を空けて留守ということにし、勅使の応対は諏訪子ひとりに任せていたのである。

 諏訪子は始め、あえて次席とされる自分が出ることで、諏訪王権は倭国朝廷に対して諸手を上げて従うほど格下ではない! ――というのを示す意図があるのだと思っていた。が、それはどうやら深読みし過ぎだったのかもしれない。ひとまず不快な思いをする役目を押しつけただけだったとは。

 ……もっとも。さすがに冗談だったのだろうけれど。

「まったく、イヤな男にございました。まるで諏訪に入ったばかりのころの八坂さまを見るようで」
「何か申したか」
「いや何も」

 皮肉には皮肉、嫌味には嫌味で返すが、諏訪子の『戦法』である。
 とはいうものの、神奈子にその辺のことが解らぬはずはない。

「まあ良い。そなたのことだ、嫌味な勅使もどうにかやり込めたことであろう」

 言うと彼女は杯を満たしていた酒を一気に飲み干す。
 それから寝転がっていた身体をグンと起こし、あらためて胡坐をかいては諏訪子と向きあった。

「書状をこちらに寄越せ。急なる使者であったのだ、何か大事な用件のはず」

 諏訪子はうなずいて、賜った書状を手渡す。
 留め紐を解いて竹簡を開き、さらりと中身に眼を通し始める神奈子。
 が、その様子を見守っていた諏訪子が、怪訝な眼を相手に向けることになるまで、そう長い時間はかからなかった。

「どうか致されましたか、八坂さま?」

 彼女が見たものは、神奈子の眉間に深い皺が刻まれ始める瞬間であった。
 それと同時に唇も固く引き結ばれ、両手は小さく震えてもいる。烈しい怒りを呼び起こす文面――では、なかっただろう。怒りよりはむしろ、動揺と言い得る表情(かお)を彼女はしていた。予期せぬ大きなかなしみであるように。そしてそのかなしみが槌となって、がつんと頭を殴りつけてきたように。

「…………お、お隠れあそばれたと書いてある」
「何と? いかなる次第にて。いったいどなたが?」
「今上(きんじょう)の大王が、お隠れあそばされた。御崩御あらせられたのだ」


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