Coolier - 新生・東方創想話

庭と花火と稗田阿求

2014/01/21 05:59:06
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「花火を見に行きませんか?」
 藤原妹紅は土を掘る手を休め、縁側で休む稗田阿求の方を見た。阿求の側には、円盆の上で汗をかいている麦茶があった。
 阿求の表情は昨日と比べると幾分か血色が良く、日陰に居るのに拘らず輝いているように見えた。
「え?」
「花火ですよ」
 阿求は少し声を張り上げると苦そうに表情を歪めた。妹紅は縁側に腰掛け、麦茶を一口飲むとこう言った。
「いつ?」
 阿求は懐から一通の手紙を妹紅に渡した。
『盛夏の候、いかがお過ごしでしょうか。
 さて、当紅魔館では、ここ最近の熱帯夜を少しでも涼んでいただこうと簡単なお食事から涼めるような催しを準備しております。
 日時は下記の通りです』
 それから日時が続いている。妹紅は呆れたように阿求を見て、訊いた。
「いつ来たの?」
 阿求は困ったように嬉しそうに笑う。
「昨日です」
「咲夜も何ていうか咲夜ね……。それで、行きたいの?」
 阿求は笑みを崩さず、黙って妹紅を見上げた。妹紅は無意識の間に、庭に目を遣った。
 阿求の屋敷の庭は自然に任せたためか、荒廃していた。もはや、庭とすら呼んでいいのか分からないものだった。この前の春が来た時、生い茂った草木の中から、雑木が芽吹き、枯れ木の姿を呑み込んだ。滝は流れず、小川の水は干からび、池の水は濁り、藻だけが残っていた。
 妹紅の知っている庭はどこにも残っていなかった。白玉楼の先代の庭師が存命だった頃は、よく庭の様子や稗田阿礼の子を孫のように面倒を見ていた。それでも、庭師と先代達の嗜好が加わり、妹紅の知っている庭ではなかった。
 糸のように連綿とした白々しい小さな滝は小川となり、庭の中心を通り、やがて茶室側にある丸々とした池に澄んだ水を届ける。池の周りには枝垂れた黒松や梅などが芽吹いていた。庭の外の花も季節に応じて、顔を出した。
 妹紅はよく庭に面した部屋で、阿礼や阿礼の子達と囲碁を打ったり、将棋を指したり、詩歌を詠んだりと思い思いに過ごした。時には幽々子や紫を呼び、茶を振る舞ったりもした。そして、彼等を看取った。
 思い出が、庭の変化と共に変わるような不安を覚えた。加えて今夏、阿求が倒れた。妹紅は目が覚めたように庭の改修に名乗りを上げたのである。
 妹紅は低い調子で阿求に言った。
「庭は、どうするの?」
「今晩だけですよ? そんなに急がなくてもいいじゃないですか。余暇も大事ですよ」
 妹紅の調子に阿求は新鮮そうな驚きを見せた。妹紅は半ば睨みつけるように阿求を見た。阿求は全然事が分かっていない様子で、口元に固そうな笑みを漂わせていた。阿求の頬はこの前と比べると、底の青白い部分が浮いて見えるようだった。
 阿求にとってやはり、ただの庭なのだろうか。
 幻想郷縁起を執筆する一方で、漢籍を諳んじた彼女を覚えているのは、紫と妹紅だけなのだろうか。復讐に滾っていた妹紅に微笑し、詩歌に親しませ、紫に庭を開拓させた彼女を、妹紅は忘れることができないだろう。花火のように一生を駆け抜けた彼女を、阿求は覚えていないのだろうか。
 妹紅は心のどこかで、庭が妹紅の記憶と一致すれば、阿求が昔のことを思い出すような、そんな美しい幻を描くことがあった。が、妹紅は彼女との思い出が先行するばかりで、肝心の庭は細かい部分になると途端に思い出せなくなった。土や花の香りが思い出せるのに拘らず、配置となるとぼんやりとしていた。
 妹紅は朧気な記憶に絶望を覚え、阿求の提案に乗ることにした。
「そうね、行きましょうか」
 阿求は晴々とした輝かしい笑顔を浮かべた。
「本当ですか? じゃ、妹紅さん、ちゃんと待っててくださいね!」
 阿求は細い身体に目一杯力を入れて、屋敷の奥へと姿を消した。
「阿求、ちょっと!」
 阿求の手を取ろうとした妹紅の指は空を切った。
 妹紅は何も、妹紅自身のために急いで庭を復元しようとしているのではない。妹紅一人のためならば、もっとゆっくり、確実に復元できるような方法を選択する。妹紅は阿求に、あの時の庭を一緒に見てほしかった。そうしてあの時のように、語らい、笑い、慧音などと一緒に何気ない日常を過ごしたかった。
 そのためには、阿求の目に光がある今のうちに、あの時の庭を阿求に見せたかった。今この瞬間も、阿求の身体は病に侵されている。永琳曰く、頭の病気らしい。
 この病が進行すれば、阿求は満足に歩けなくなり、今のように話すことも困難になるらしい。薬で病を治したところで、病により引き起こされた数々の障害は、永琳でも完璧に治すのは困難を極める。治せたところで、病に蝕まれた前の身体状態には戻れない。
 阿求達の運命の前では、妹紅も永琳も紫もあまりにも無力であった。だかといって、妹紅は、永琳や紫のように、その運命を受け入れたくなかった。受け入れれば、阿求の笑顔すら奪ってしまうように思えた。
 その運命に抗う手段が、庭を再生させることなのかと問われれば、妹紅は違うと答えられる。阿求の生は妹紅の手から離れ、もっともっと遠い所にある。今更、妹紅が運命に抗おうとしたところで、どうにもならないことぐらい知っている。それでも、何か、阿求のために動きたかった。
 妹紅は麦茶を飲み干すと汗を拭い、腰を上げて、庭の復興を手がけることにした。幽香とにとりの返事を待ちながら。



     ※

「どうです?」
 阿求は頬を赤らめながら、歳相応の少女のように軽やかに一つ回ってみせた。赤いスカートは房の如く広がった。薄い黄色着物が行灯の灯りに照らされ、壁に花を振りまいた。
 髪に挿す一輪の真っ赤な花が、柔らかい香りを放つ。妹紅の見たことがない花であった。
 唇も頬も温かな色を取り戻していた。
 妹紅は幽香への返事を途中でやめ、思わずこう呟いた。
「……よく似合っているよ。綺麗」
 恥ずかしそうに伏せられていた阿求の目は、妹紅の声を聞いて、瞬く間に輝きを取り戻した。ほっと一息つき、小さな声で言った。
「良かったです。それじゃ、行きましょうか」
 妹紅の恰好は普段と何一つ変わらない。紅魔館へ花火を見に行く程度、とばかり考えていた。阿求がそれ相応の恰好をしているのならば、妹紅もそれ相応の装いをした方が良いのだろうか。
「ねぇ、私も何かそれ相応の恰好をした方が良いかしら?」
「妹紅さんはそのままでも良いと思いますよ」
「……それどういうことよ」
「問題なのは中身ですよ。気の持ちようです」
「それもそうね」
 妹紅は阿求の手を差し出し、恭しく跪き、芝居がかった調子でこう言った。
「さ、お嬢様、私めがお送りいたしましょう」
「お願いします。安全にね」
 阿求は震えた手を、妹紅が我慢できずに取った。
 二人は湖の前に来ると、人里に居た頃と比べると口数は格段と少なくなっていた。握る阿求の手が汗ばんでいるのか、妹紅の手が汗ばんでいるのか、それともただの暑さのせいなのか分からなかった。
 阿求が緊張していたのを妹紅は知っていた。緊張を解くような軽口を叩ける状況ではなかった。言葉を一つ重ねる度に、阿求の緊張が増すように思えた。だから、阿求から口を開けるのを妹紅は待った。
 阿求の手を引き、人里を抜け、森の中を歩く。屋敷から離れるに連れて、どんどんと喋らなくなる様子は、何だかいけないことをしているように思え、妹紅は心が踊った。
 阿求はようやく声を上げた。
「妹紅さん、ここにしませんか?」
 握っていた手はするりと離され、妹紅は歩みを止めて後ろを見た。
「行かないの?」
 紅魔館は湖の畔にあるため、もう真紅な影が妹紅の目にも見えていた。人影もあった。
「ここでも花火は見えますから。いけませんか?」
 阿求の目の奥底に強い希望を見た。普段白い耳が仄かに赤く染まっているように見えた。妹紅は微笑を零し、湖の近くに腰を下ろした。
「阿求がそう言うんだったら、いいよ」
「ありがとうございます」
 紅魔館から鐘の音が響き、妹紅は阿求と顔を合わせて笑った。
 沈黙の後、数発の花火が蜘蛛手のように広がり、夜を揺らした。そして、すぐにまた静寂が戻ってきた。それから立て続けに赤と青の花火が夜空に開いた。
 阿求が力のある調子でこう言った。
「私、男の子になっても覚えてますから」
 妹紅は寂しそうに笑って、答えた。
「稗田阿求だけが覚えておいてくれたらそれでいいわ」
 隣から泣く気配がしたのはその時であった。妹紅は驚いたように阿求の震える肩を見て、優しく言った。
「泣かなくってもいいじゃない」
 阿求の頬を伝う涙は、やがて妹紅の手の甲に落ちてきた。阿求は両手が顔を覆い、堪えることなく泣いた。
「……ごめんなさい」
「いいよ」
「妹紅さんが私のために一所懸命になっているのに、私……」
「いいよ、全然気にしてないよ」
 阿求は涙で濡れた顔を上げて、意外なまでに激しい声を上げた。
「どうして、どうして、妹紅さんは……!」
 妹紅は教えるように答えた。
「阿求が、大切だからよ」
 阿求は悲痛な調子で叫んだ。
「それじゃ、私を見てください! 私を! 庭とか先代とかじゃなくて、今の私を!」
 妹紅は何も言えなかった。目に一杯の涙を浮かべ、感情的になる阿求を見て、何一つ返す言葉がなかった。言葉を奪われた人形のように、阿求を見ていた。
書きたいことがまとまらなかった悪しき例
近藤
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コメント



0.310簡易評価
3.80名前が無い程度の能力削除
花火のような綺麗なお話でした。
5.90名前が無い程度の能力削除
恋愛感情と穿った見方をすると極めてややこしい話です。妹紅は先代との思い出に生きているけれど、阿求は阿求でありたいのでしょう。ならば妹紅の行動は、おせっかいを通り越してひたすらに残酷である。
6.70非現実世界に棲む者削除
個人(阿求)はあくまでも個人であって故人ではない。
虚しいですね。
7.80奇声を発する程度の能力削除
雰囲気が良かったです
11.80名前が無い程度の能力削除
稗田を想う妹紅とあくまでも阿求でしかない阿求。
転生する同じ魂でも側も違えば中も異なるのだから今この瞬間は阿求という存在だけを見てほしい、ということか
切ない話でした
12.80らぐ削除
お?って思ってたら終わってた
もうちょっと展開させてもよかったかなと思ったり