Coolier - 新生・東方創想話

巨人の箱庭

2014/01/06 22:13:21
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『巨人の復元』ということについて、私はパチュリー・ノーレッジ女史の口から直にそのあらましを聞き知った。紅魔館に据えつけられた天文台の処遇について、少し、彼女と話し込んでいた日のことだ。

 かの天文台がいささかパチュリー女史の不興を買っていたらしいというのは、私も知ってはいた。天文台と、そこに設置された天体望遠鏡を最適に運用するには、まず晴れた夜、そして人工の光のない静かな闇が必須である。だが命名決闘法(スペルカード・ルール)の施行以来、幻想郷の夜と来たら、弾幕勝負で極彩色の光が撒き散らされぬ夜はない。もちろん、これでは満足な天体観測など望むべくもなかった。

 そのくせ、この全長五メートル弱という巨躯を備えた反射式の大望遠鏡、及びそれを擁する天文台の維持・管理には年ごとに莫大な費用がかかるのだ。およそ紅魔館の創建以来、この天文台を存続させることがもっとも大きな経済的負担となっていたというのは、それほど知られた話ではない。パチュリー女史が、「役立たずの望遠鏡に予算をつぎ込むくらいなら、その分を私の図書館の管理に回してほしい」と嘆くのも無理からぬことではある。とはいえ天文台の開閉式ドームが、紅魔館の持つキメラ的な印象をもっとも鮮烈なかたちで放っているのもまた確かなところではあった。ハギア・ソフィアの建築様式が一見してキリスト教のそれであるのか、それともムスリムのそれであるのか判別がつきかねるように、構造物としての巨大すぎるドームは、紅魔館の屋根の三分の一というスペースをすっぽりと覆い尽くしていたのだから。

 だが私がその日、件の天文台を見学したときには、一五四二年の紅魔館創建以来、ずっとその場の首座を占めていたという一五四〇年製の古めかしい反射式天体望遠鏡は、跡形もなく撤去された後であった。

 夜ごと弾幕の光から逃れるようにドームを閉じてばかりいた天文台は、ついに用済みになったということだろう。兎を狩り出さない猟犬、鼠を捕まえられない猫、そんなものを飼うだけの余裕などありはしないのだ。本来の主を失って空っぽになった天文台は、拝火教徒が鳥葬に用いるという神聖な祭壇を連想させた。

 そして、パチュリー女史が望遠鏡なき天文台跡で試みたことこそは、『巨人の復元』という実験であったのだ。はるか太古にこの大地を闊歩していた幻想のうちの一体を、現代の幻想郷に蘇らせようとしたのである。

 このことに話が及んだのは、ここ最近における私たちの議論の種が『人は人を模造し得るか』ということだったからである。創世記でアダムの肋骨からイヴが創られたという神の御業は、二千年来、我々の悪しき好奇心を刺激して止まなかった。ピグマリオンの女体像、カバラの祭儀に恃んだゴーレムの生成、ハイチの魔術師が操る動く屍体(ゾンビ)、泥と縄による女媧の人間創造、『日本霊異記』で西行法師が鬼を真似て死人を蘇らせた話、道教の秘術によって為される尸解仙、テセウスの舟のパラドックスの人間への敷衍。果ては人の定義についてホイジンガやエリアーデ等の人文学、さらにはメアリ・シェリーにリラダンといった諸文学の引用までも。

 そもそも天文台の処遇については、長い議論の息抜きとして出てきた話題に過ぎなかったのだが、結局、話は女史の実験を軸にしてまた元の道筋に戻っていったといえる。巨人の復元もまた、その道筋の上にあるものとして、私の興味を少なからず惹いたのである。

 パチュリー女史が斯様な事業に手を出そうと思ったのは、彼女が、自身の図書館で紐解いた一冊の魔術書がその理由であったのだという。

 十六夜咲夜嬢の能力で限りなく時間を引き延ばされたこのヴワルの魔法大図書館には、時折、誰も未だ知らぬような不可解な文物が出現することがある。私は、ア・バオア・クゥの頭骨と称するものが書架の向こうで埃を被っているのを見たことがあるし、オルビス・テルティウスのラテン語初版が第一級の禁書として厳重に封印されているという話も聞いた。スアレス・ミランダが『賢者の旅』の中で紹介している帝国地図に至っては、その一万五百十二分の一の断片が、タペストリーとして図書館の壁に飾られてさえいるのだ。

 先人たちの想像力が顕現したそれらの存在と同じように、ここでは、“いずれ到来するであろう遠い未来において記述されるはずの文献が、古い魔術書として書架に紛れこむことさえ稀ではない”。件の魔術書もまた、それらの不可解な存在のひとつらしかった。

 パチュリー女史を巨人復元に踏み切らせたその魔術書とは、『巨人(ユミル)の箱庭』と題された一書である。

 この書物の大元は、アイスランドにおいて古ノルド語で口伝されていた技術が古エッダに取り込まれ、次いでスノリ・ストルルソンの新エッダとともに採録されたものであるという。とはいえ、むろんそれには“文書としての成立については”という但し書きが必要となる。アイスランドという国が、ノルマン人やケルト人といった諸民族の集合体として誕生したという歴史を鑑みれば、真の起源はむしろ、ノルウェーないしゲルマニア、及びアイルランドの祭儀、その混交にあるのではないか、というのがパチュリー女史の見解である。

 当初、他の古エッダ群と同じく三種の韻律を踏んだエッダ詩の形式を採っていたと思われるこの書物は、その伝播の歴史の中で、不幸にも原典を喪失してしまった。さらにまた、詩文としての属性さえ大きく損ない、現在ではその内容の一部を記したラテン語による散文写本が残されるのみとなっている。魔法図書館に紛れこんだのも、そうした写本のうちのひとつと考えてよい。

『巨人の箱庭』は、その構成としてはさして複雑な形式を採っていない。
 ある魔術師が、自分の元を訪れた訪問客に対し、

『かつて巨人を復元する技術が存在し、自分はそれを実際に行ったこと』

 を語る。ただそれだけである。

 採録者たるストルルソンの遺した四種の注釈のうちのひとつを参照するなら、もともと『巨人の箱庭』の全文は、古エッダのうち現在は散逸した『シグルドリーヴァの言葉』終盤から『シグルズの歌断片』終盤にかけてのいずれかに含まれていたであろうことが察せられる。今日の読者たるわれわれがこの散逸部分の内容を推し測るには『ヴォルスンガ・サガ』を唯一の情報源とするより他にない。

 後代において、ストルルソンが成し遂げた仕事の中ではもっとも忌むべきものと見なされるようになるこの文献は、十三世紀後半には、アイスランドを従属させたノルウェーを通してヨーロッパ世界に伝わっていたようではある。しかし、『巨人の箱庭』が特に高い関心をもって受容されたのはヨーロッパよりも、むしろ黒海東岸沿いの地帯を経由した先にある、キリスト教の影響力の薄いメソポタミア周辺の東方世界とされる。

 四世紀までの隆盛を失っていた異端的な西方グノーシス主義の残滓ともいえる諸派が、当地においては十三世紀に至っても未だかろうじて存続していたが、その西方グノーシス諸派を受け継いだ学者たち(むろん、迫害を逃れるために潜伏していたという意味合いを持つ。小アジアにおいて栄える東方グノーシス主義は、西方グノーシス主義をその素地としていた)が、異教的秘術の集大成ともいうべき『巨人の箱庭』のラテン語・ギリシア語訳、およびその教義の解釈という仕事に取り組んでいたと見られている。今日に伝わっている写本は、彼らグノーシス主義者の手になるものなのである。

 一方のヨーロッパ世界では、事情がかなり異なっている。
『巨人の箱庭』が、異教・異端の痕跡としてキリスト教主流派からの反駁(はんばく)の矢面に立たされることを怖れた学者たちが、可能な限りこの文献の秘匿を試みてきたのだ。巨人の存在そのものは、創世記に登場するネフィリムという形でキリスト教主流派も認めるところである。だから、巨人が復元されれば聖書の内容の正しさが裏書きされるということを意味してはいた。しかし、わざわざ『復元』という手段を採って巨人の実在を確認するということは、聖書が示す世界観の“自明性”に疑義を差し挟む余地があると認めることと同義である。今日では、ヨーロッパ世界に伝わったはずの『巨人の箱庭』は、写本が存在したという情報だけが残存しており、文書自体は永久に喪われているというのが定説となっている。

 それゆえに、翻訳された『巨人の箱庭』がヨーロッパ世界で日の目を浴びるには、さらに一世紀ほどを――十五世紀に勃興したルネサンスが、古典復興と叡智への渇望を人々にもたらすときを待たなければならなかった。異教の地で発展してきたあらゆる学術書とその注釈が翻訳され、西欧が大躍進の時代に向かおうとするまさにそのとき、ルネサンス哲学の奔流の中で、ヘルメス文書や新プラトン主義と同様、『巨人の箱庭』が古典古代の叡智のひとつとして、わずかながら脚光を浴びたのである。

 一三九七年に東ローマ帝国より招聘されたマヌエル・クリュソロラスが、フィレンツェでギリシア語の学校を開設したことから、東ローマ帝国のギリシア語古典文献の読解が可能となり、その中に含まれていた『巨人の箱庭』の写本が“発見”された。おそらくは東方世界からの“知の道筋”とでも言うべきものを通ってギリシアにまで密かに伝わっていたと考えられるこの書物は、しかし一四五三年、今度はメフメト二世の遠征軍がもたらしたコンスタンティノポリス陥落、東ローマ帝国の滅亡に巻き込まれ、大部分を散逸させるという憂き目を見る。だが、コンスタンティノポリスの陥落から生き残った学者たちはイタリア半島に逃れ、その地でばらばらになった各資料を入手し、照合し、接ぎ合わせ、時には自らの記憶を頼りにして『巨人の箱庭』の復元に努めたという。

 ところが、数々の困難を乗り越えて再びヨーロッパ世界に渡り、学術的な研究を受ける機会を得たにもかかわらず、この文献に記された技術を実践する者は、歴史上、決して多いとはいえなかった。『巨人の箱庭』は、その訳者たちの来歴ゆえ、西方グノーシス主義が説く≪偽の造物主(デミウルゴス)による悪しき現世から、栄光に満ちたアイオーンの世界への帰還≫という教義を示すための、隠喩による象徴的意味合いを盛り込んだ書物に過ぎないと大多数の読者に誤解されたのである。グノーシス主義者による翻訳こそがこの文献の幸運であったと同時に、グノーシス主義者による翻訳こそがこの文献の不幸であったとすべきかもしれない。

 言うなれば、巨人の復元という魔術そのものに対する認識があまりにも変化し過ぎ、この文献が持っていた魔術書としての価値は、完全に忘れ去られてしまったのだ。思想書としての『巨人の箱庭』は、今日、古エッダの大元たる『王の写本』と共に、アイスランドのアウトルニ・マグヌッソン研究所に保管されている。そして、その価値の半身ともいうべき魔術書としての『巨人の箱庭』の方こそが、幻想入りを果たしたと推測され得るのである。

 ならば、大多数の読者たちが誤解したこの文献の魔術とはいかなるものであったのか。パチュリー女史が実践したその内容を、簡潔ながら記していく。

 まずわれわれは、前提となるものを確認しておかなければならない。
 エッダが示す北欧の宗教観においては、この世界は『ユミル』なる巨人の屍体から創りだされたとする。『巨人(ユミル)の箱庭』という書名も、この伝承に由来していると考えられる。邪悪な巨人であったユミルは、オーディン、ヴィリ、ヴェーの三柱の神々によって殺害され、その肉は大地となり、骨は山々と化し、血は海に変じ、脳は雲に姿を変え、頭蓋骨は天空を構成したという。かの巨人の睫毛は巨大な壁となって、その中にこそ人間の世界が産み出されたとする。

 術者が行わなければならないのは、まさしくこの過程の模造である。
 殺害された巨人の骸から現れる小世界そのもの――単刀直入に言えば、それが『巨人の箱庭』の完成形なのだ。

元をただせば、この魔術がアイスランドの魔術師たちの間で口伝されてきたのは、世界の構造を人間の眼で直に確かめるという目的があったからに他ならない。巨人を製造し、その屍体からもうひとつの世界を作りだし、この世界が世界樹(ユグドラシル)に貫かれた多層構造のそれであるというのを証明するためだったのだ。本物の世界と寸分違わず複製された“箱庭”の世界は、あらゆる時の経過と歴史をもまた、その内側において寸分違わず複製し続ける。それはつまり、いずれ来たる神々の最終戦争(ラグナロク)の姿をも眼にすることができるということである。世界の創世から滅亡に到るまでの全て――すなわち完全なる瑕疵なき叡智――を記述すること、それこそが、魔術師たちが最後にたどり着くべき境地であった。

 なお伝承において巨人の殺害が三柱の神によって行われたため、それを模造する過程においてもまた、複数の魔術師の力が必要となる。すなわち、巨人復元の提唱者であるパチュリー女史のほか、巨人殺しの司祭役として、他に数名の魔術師がこの実験には関わったと私は聞いた。霧雨魔理沙嬢、聖白蓮尼公、アリス・マーガトロイド嬢の三人である。そこにパチュリー女史を加えた四人の魔術師が、『巨人の箱庭』の再現を行うことになった。


――――――


 まず下地として必要となったのは、巨人の『骨格』である。

『巨人の箱庭』によれば、魔術師たちはスピッツベルゲン島から巨人の遺骨を発見し、それを素材にして復元作業を開始したとある。だが、いかに魔術と信仰とが確固として生き続けていた時代の記述とはいえ、幻想の産物に過ぎない巨人の遺骨がそのまま自然界に残っていたとは考えがたい。肝心なのは、スピッツベルゲン島という地理的条件であった。ノルウェー領に属するかの島は、今日、恐竜を含む古生物の化石が発見される土地として名をなしている。ということは、魔術師たちが巨人の遺骨と想定したものは、おそらく恐竜の化石ではなかっただろうか。

 ある学者は、チキンを食べた後に残る鳥の骨を組み合わせて恐竜の骨格模型を作製するという、興味深い仕事をやってのけている。生物の骨格を再現するということにおいて、異種の生物の骨を使用すべきではないと決まっているわけではないのだ。そこで魔理沙嬢は伝手(つて)を辿り、森近霖之助氏が無縁塚近くで回収してきたという複数体分の草食恐竜の化石を“借り受けてきた”(まっとうな手段で行われた貸し借りだったかは、あえて問わない)。これで、巨人復元の素体の目途は立った。


――――――


 骨格の次に必要となったのは、筋肉である。

 これは聖尼公に割り振られた。彼女は肉体強化に秀でた魔法の使い手ゆえ、その手の仕事には明るいだろうという判断だ。巨人の骨格には、比例して膨大な量の筋肉を付随させなければならない。人間の体重に対して、平均的な筋肉量はだいたい四割程度だという。ごくごく単純な計算でしかないが、体重六十五キログラムの身体なら、約二十六キログラムは筋肉でできていることになる。

 記録によれば巨人一体の復元に対して、ある森の四分の一がまったく空になるほど大量の獣を狩り出し、その肉を供する必要があったという。アイスランドは農業に適した土地が少ないため、人々は牧畜を中心とした生活を営んできた。この記述がそうした国柄を反映した、ある種の誇張を含んでいるという可能性を差し引いたとしても、この幻想郷で魔術師たちが大掛かりな狩猟を行うことは困難に近かった。山々を支配する天狗たちは、よそ者に過ぎない魔術師たちに、いかなる理由であれ自分たちの領地で動物を狩られることを許さないであろう。

 パチュリー女史は巨人の体重をおおよそ一トン前後かと見積もっていたが、それに適切な筋肉量を与えるとするなら、人間の巨大な相似をかたどるとして約十五.五人分の筋肉が必要となる。これを『調達』することは、実は意外なほど容易であったのだ。幻想郷の妖怪たちにおける“人間の消費量”を考慮に入れれば、例えば数日間の断食を耐え忍ぶ、その程度で十二分に対応可能な範囲であると考えられたからだ。相談の末、政治的な問題を引き起こしかねない動物の肉の使用は取り止め、魔術師たちは巨人の筋肉として、人間そのものの肉を使用する結論に至った。

 さっそく聖尼公は、自身の寺である命蓮寺に屍体漁りに来ていた火車猫の火焔猫燐嬢に接触し、これを“説得”して、地霊殿への屍体の搬入を数日のあいだだけ止めさせた。代わりに、紅魔館のパチュリー女史の元に屍体を届けさせるという約束を交わしたのだ。むろん、屍体に関しては実験のために御身を捧げた尊い検体としてその尊厳を重んじ、手厚く弔ったうえでのこと。かくて十五.五人分の肉は魔術師たちの手に渡ったわけである。


――――――


 続いてアリス嬢が受け持ったのは、巨人に被せるための外装――つまりは皮膚であった。

 人間の皮膚の面積は、約一.六二平方メートル。
 これをそのまま巨人のサイズに拡大するというなら、やはり筋肉同様に膨大な面積が必要であろうことは容易に想像された。どうやら鹿のなめし皮を繋ぎ合わせた物が推奨される道具立てであったらしいが、アリス嬢のプライドは(材料の調達以上に)そのような古臭い手段を好まない。魔女とか魔術師であると同時に、彼女はまずもって人形師である。

 人形師としてのアリス嬢は、そもそも人間をそのまま相似に拡大しただけでは、巨人は人の似姿足り得ないと確信していたという。内骨格の生物は筋肉が骨格の外側に発生するという特性を持っているため、筋肉が骨格の内側までしか詰め込めない外骨格の生物と比較すると、より多くの筋肉を獲得することができる。巨人が、人間をそのまま拡大した姿の生物であるとされる理由は、この点ではなかったか。しかしながら、いかに内骨格の生物とはいえ、分を越えた過剰な巨大化は自重の増加による肉体の崩壊を招きかねない。アリス嬢の懸念とは、まさにこの点であった。

 これを解決するために彼女が頼ったのは、河城にとり技師である。

 この河童の工匠は、自身の作成した製品の、人里への販路拡大の手助けを見返りにアリス嬢への協力を約した。技師は顧客から発注された仕事を十二分にこなし、二つの発明品を提供することになった。バスケット状の構造を採用して耐久性を確保した金属製の外骨格を、筋肉が剥き出しになった巨人に被せたのである。それは巨人の重さと外骨格自身の重量を効果的に分散し、肉体の崩壊を防止するため、“下に向かうほど広がったような形状をしていた”。幾つもの層を重ねて焼かれた壺を連想させたというその外骨格は、遠目には、いずれ『これ』が人の姿になるなどとはとても思えぬ、奇妙なシルエットを構成していたそうである。

 さらに技師は、自分たちのような水棲妖怪の指の付け根に生え揃った“水かき”を参考に、巨人の表面に被せるための皮膚をも考案した。水棲妖怪の水かきは、いかなる水流をも“掴む”ことができるよう、極めて伸縮性・弾力性に富んでいる。これと同様の皮膚ならば巨人の全身をも覆い尽くすことができ、かつ十分な堅牢さを保つことができるはずだと目されたのである。外骨格の上に張りつけられた人造の皮膚の厚さは、常人のそれの三倍ほどであったが、その強い伸縮性ゆえにぴったりと伸び切り、表面には薄らと外骨格の姿が浮かんでさえいたのだという。しかし、それほどまでの状態になりながら、耐久試験のために十六夜咲夜嬢がナイフで傷をつけようと試みても、刃先がめり込むばかりで、かすり傷ひとつ残らなかった。


――――――


 骨格、筋肉、皮膚。
 これら三つを備えてもなお、巨人は物言わぬ無頭人(アセファル)に過ぎなかった。

 三人の魔術師の仕事を経て後、パチュリー女史が自ら担ったのは、巨人の脳の製造である。これに関しては前三者が為したこととは、多少、異なった事情が窺い知れる。女史は、協力者たちのように巨人の材料と成り得るものを自ら収集に赴いたりはしなかったし、方々に渡りをつけて便宜を図ったりするようなこともなかった。彼女は最初から最後まで、安楽椅子に身を沈めてペンを握る役目に徹していた。

 彼女が手掛けたのは、ひたすらに『記述』することであった。

 これは極めて単純な作業ながら、同時にもっとも複雑な仕事であると言わざるを得ない。
 彼女の魔法図書館は、その広大な面積に時の経過を継ぎ足したものである。引き延ばされた時間の分だけ、そこに在るべき蔵書は増加の一途をたどり続ける。つまりは、過去に著されたあらゆる記録・文献の原典、写本、注釈が余さず所蔵されているということであり、そして先述がごとく、いずれ著されるであろうあらゆる記録・文献もまた残さず所蔵され得ることを意味している。そこには、『記述』することが可能なあらゆる知性の産物が集っている。

 もはやこれは一個の“宇宙”であり、その中にぽっかりと浮かぶ明瞭な“世界”である。世界のすべてを記述し、記録した媒体が存在するのであれば、それはすなわち世界そのものの模造であり、縮図でしかない。模造された世界は、原典と同じ歴史をたどり、やがて自身の内側にもまた絶えず自らを模造し続ける器官を生ずる。模造された世界を形成するとは、そういうことである。模造するという行為すら、模造された世界は際限なく模造し続けるのだ。

『記述』された宇宙の連なりが、時の引き延ばしと共に際限なく拡大し続けるヴワルの魔法大図書館には在るのだ。世界の礎たる巨人は、世界そのものでなければならない。巨人のうちに産み出された諸々もまた、いずれ自らを複製する手段に気づき、われわれを複製しようと思い立つであろう。

 とはいえ、そうして『記述』された世界は、いかに精巧な造りであったところで所詮は『虚構』である。それが、結局は模造された巨人(ユミル)を箱庭に据えるということであり、その遺体に対する根本的な態度に他ならない。

 だが、すでに『記述』されてしまった事物を、われわれは虚構であると確認することなど不可能なのだ。われわれは、時を遡行することができない。われわれは、いま検めることのできる『記述』から、もっとも信頼の置ける何物かを発見し、その内容を解釈することしかできはしない。“精巧な虚構は不確かな現実よりも現実的であり得るし、現実の方が虚構の模造ともなり得る”。だからこそ、幻想郷では幻想が生きることができる。

 パチュリー女史は、ただひとり最後の仕事を、『記述』することを続けた。
 否、彼女はひたすら、事実に虚構を折り込むことだけに熱中し続けた。

 その筆先があらゆる史料に介入する限りにおいて、巨人は決して亡びることなく歴史上に“実在”し、われわれの生活を脅かし続けてきた。信仰と魔術とがその存在を明瞭に是認し、太古の叡智はその再生を目論み、幾多の時代を渡り歩いてきた。そのもっとも鋭い結実が何であったか、われわれはすでに知っている。その瞬間、『巨人(ユミル)の箱庭』という不可解な書物に、在り得ぬはずの実体が萌す(きざす)。自己自身をその内側の世界に向けて、無制限に複製し続ける巨人の脳が。…………。


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