Coolier - 新生・東方創想話

青き笛吹きゆめむすび 2

2013/12/31 00:01:44
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「この都を救う手だてが、そこに封じられています」

 凛然とした声が、一本角の心を打った。
 雪景色を背にした白く儚げな美貌の鬼が、その目に映っている。
 こちらを見返す、黒い二つの真珠は、いささかも濁っていなかった。
 二本角は今も鬼のまま。虚言を申す輩ではない。故に彼女の予言はまたしても、やがては現世にその描写を具現することとなる。

 一本角の視線が、手渡された箱に結ばれた。
 何の装飾もない、漆塗りの文箱である。ただしその中身が、二本角の言霊を吸い込んで、急に重みを増したようにも感じられた。

 いざ紐を解こうとした一本角の手が、二本角の声に止められる。

「今はどうか私の益体も無い寝言など、忘れてくださいまし」
「だが……」
「鬼の仲間にとって、こんなものは不安の種にしかなりません。この絵の存在自体が禁忌となり、都に害を為すことでしょう」
「………………」

 確かに、彼女の言うことは理解できた。
 予言を下敷きにし、龍が雲を掴んで昇るがごとき速さで都が栄えてきたのは、鬼が一枚岩となって協力し合ってきたからだ。疑心は鬼の心を弱くする。そして心に病を抱えた鬼の腕は、ただのなまくらと化すのである。

 さらに言うなら、この予言は救いの手どころか、鬼達にとっての足枷にさえなれないかもしれない。
 旧都を呑みこむ恐るべき脅威がやってくる。
 城に住むどの鬼であっても、そしてこの都で暮らす誰であっても、一笑に付すことだろう。
 二本角の力を知っている一本角にしても、妄言に聞こえてしまうのだから。

 だが……その一方で信じたくなる気持ちも強い。
 鬼が育てたこの都は、そもそも二本角が生んだといっても過言ではなかった。
 彼女が夢を結び、墨で描き、世に現したからこそ、鬼達は今新たな時代を謳歌していられる。
 二本角の最後の予言。それはすなわち、鬼の子らに残した警告である。
 ならばやはり、今ここでその内容をあらため、来たるべき試練に備えるべきではないか。

「もしも……」

 不安を取り除こうとするかのように、二本角は華奢な白いもみじの葉で、一本角の手を包み込んだ。

「もしも星熊様の御心に、何か思うことがあれば、その時こそどうかこの絵を道標として……」
「いつだ」
「このままいけばおそらくは……あと……七十と五年」

 言明する二本角は、変わらず、真っ直ぐ一本角を見つめてくる。
 その奥に秘められた意志の強さは鬼であることの証明であり、澄んだ黒の瞳は人であることの証明でもあった。
 妖怪の楽園は、地上だけのものではない。ここにもまた、楽園を築くことができる。
 そう断言する自信を今日まで支えてきてくれた眼差しだった。

 一本角は脇に箱を置き、大盃を膝に乗せた。
 おもむろに酒を注ぎ、一息に呷る。これより幾年経とうと、今日という日を決して忘れぬために。

「わかった。私がその間、この都を預かろう」

 盃を旧地獄に向けて掲げながら、力強く、鬼の四天王は宣言する。
 二本角は安堵したように、淡雪がほどけるような微笑みを浮かべた。
 その笑みを奪わずに済んだだけでも、此度の約束の価値はあったのではないか。
 軽はずみな考えであっても、一本角はそんな風に思わずにはいられなかった。

「しかし、七十五年も先のことを、よく見通せるものだな。私などは来年の噂話を聞いても笑い出しそうになる」
「そのことですが、星熊様。実は……」
「ん? まだ何かあるのか」
「いえ、止めておきましょう。開けてからのお楽しみです。もちろん、開かないことを祈っていますけど」
「おかしなやつだ」
「ふふっ」

 なにやら隠している気配を感じたものの、一本角は気にせず、上機嫌のまま酒を呷った。
 隣に座る巫女が鬼であることは間違いない。けれども彼女の笑い声を聞くと、いつも地上の春が懐かしくなる。旧き楽園を捨てた鬼にとって、何よりの肴であった。

 願わくは、この時間を末永く味わっていたい。
 傘に降りゆく白雪が解けることなく、永遠のものとなろうとも。









 ――臥姫…………。

 
 血で塞がった瞼の裏から、白い情景が遠ざかっていく。
 七十五年前の冬。妖怪の命であれば遠くない過去。けれど、ずいぶんと昔のことのような気がする。

 どうして今になって、あの時のことを思い出すのか。
 自問するまでもない。後悔しているからだ。

 鬼にあるまじき行い。進むべき道に背を向けるなど、生き様に反する。
 けどそれが必要だったのかもしれない。どんな忠告を受けたところで、やはり自分は骨の髄まで鬼だった。
 己の力で、あらゆる外敵をねじ伏せることができると信じ込んでいた。
 そのために腕を磨き続けてきた。だが肝心な時に守るべきものを守れなければ、いかなる修練も意味を為さない。


 闇を引き裂くような、けたたましい哄笑が降ってくる。

 
 頭を持ち上げた。遅れて激痛がやってきた。
 動けなくはない。ただし、すぐに動けなくなるだろう。
 鬼の再生力が追いつかぬほど、傷は深く、呪われていた。

「いい眺めね……本当にいい眺めだわ! そう思わない!?」

 一本角は血だまりに手をつき、『彼女』を睨みつけた。
 旧都を今にも滅ぼさんとしている、鬼をも凌ぐ怪物の姿を。 
 
「なんて無様なの。ここが楽園だと信じていた、めでたい連中。自分らが最強だと信じていた、愚かな連中。だから、こんな目に遭うことになる。これは貴方達が蒔いた種」

 彼女は愉しげだった。愉しげに、狂っていた。
 ありあまる怨念の力を帯び、ゆらめく髪が大気を震わせている。
 嗤いを響き渡らせながら、彼女は倒れ伏す一本角を睥睨していた。

「大事な大事な都が、あと少しで滅びてしまう。地面に寝そべったまま、指を咥えて見ているしかない。そんな貴方達を、私達が踏みにじる。なんて素敵なのかしら」

 一つ一つの言葉が、一本角の心に噛みつく。
 耐えた。耐えることしかできない。鬼の四天王が、ここまで無残な姿を晒すことになるとは。

 妖怪の瞳が――緑色の炎を宿した目が――強い光を放つ。

「さぁ……来てちょうだい。私達の元へと。この腐った地底を踏み潰し、次は地上の楽園を滅ぼす。貴方にもその素敵な光景を見せてあげるから」

 己に活を入れ、歯を食いしばって、一本角は立ち上がる。

 哀れな怪物を止めるべく、再び死闘に挑むために。












 ~青き笛吹きゆめむすび~











(13)


 早朝。
 鬼ヶ城の脇から伸びる壁のない廊下は、水で濡れた裸足の跡がたっぷりと残っていた。
 隣接した温泉浴場へと繋がる道である。大多数の鬼が利用する男湯は、特に朝に賑わうのが習わしだ。
 夜通しの宴を終えた鬼達が、寝所で横になる前に一風呂浴びるのである。

「ふぁぁあああああああ!」

 脱衣所の戸の前で、でっぷりとした体格の赤鬼が、大口を開けて欠伸していた。
 茶色の螺髪から二本角が見えており、突き出た下顎からは大きな牙が伸びている。
 しかも、でべそに虎柄のパンツ。これで金砕棒でも担げば、外界ではすでに消えて久しい鬼らしい鬼の姿であったが、手にしているのは無地の手ぬぐいだった。

「朝の風呂は格別じゃが、眠気は醒めんわい」

 鬼は肩に手ぬぐいを載せ、吹きすさぶ寒風を気にした様子もなく、目をこすりながら廊下を歩いていたが、

「んー?」

 その途中で唐突に、がに股の行進を止めた。
 鼻の穴を膨らませ、のそり、のそりと鬼は太い首を動かす。
 やがて顎を一撫でして、不審げに独りごちた。

「誰かおったような気がしたんじゃが……気のせいか」

 鬼は胸毛をこすりながら、廊下をのしのしと軋ませながら去っていった。

「…………」

 柱の陰でカチコチに固まっている、桶に入った幼い妖怪に気付かずに。
 息をひそめる彼女の他には、側に誰もいなかった。土蜘蛛も橋姫も、一本角の鬼もいない。
 釣瓶落としのキスメ、ただ一人であった。

 鬼の足音が聞こえなくなってから、ようやくキスメの体の強張りが解けた。
 耳元まで届いていた動悸も、一拍ごとに、喉の辺りを目指して下りていく。
 が、

「いやぁ、それにしてもミズメさん、いつまでここにいてくれるんだろうなぁ」

 再び、心臓の音がキスメの体内を上昇してきた。また新たに脱衣所の方から、足音と話し声が近づいてくる。

「昨晩、凄かったからな。勇儀様が膝をついたのっていつ以来なんだ?」
「見張りに行ってた連中は羨ましがるだろうなぁ」

 キスメは柱の陰から、そっと顔を出してみた。
 今度は先程よりも年若で、細身の鬼が三人。昨日の忘年会のことを話しながら、歩いてくるところだった。
 滝壺に身を躍らせる修行者の覚悟で、キスメは柱の陰から飛び出し、声を発する。

「あ、あの!」
「……ん?」

 鬼達が会話と足を止めた。
 六つの目玉が放つ三つの視線に、キスメは息を詰まらせた。
 殴られたわけでもないのに、それに等しく感じる眼力。首根っこを鷲掴みにされるような威圧感。
 鬼の一人が「ああ」とうなずき、

「なんだ、釣瓶落としの嬢ちゃんか。こっちの風呂は男湯だぜ」
「いや、えと、その……」
「便所ならあっちだよ。そこの角を右に曲がって真っ直ぐだ」
「……は、はい」

 キスメは頭を下げ、慌ただしく身を翻し、ぴょこんぴょこんと跳ねながらその場を去った。
 鬼達の声が遠ざかっていく。何を言っているかは聞こえない。
 もしかしたら哂っているのかもしれないが、耳まで火照っていたキスメに、振り向いて確かめる度胸はなかった。







「やっぱりダメだぁ……」

 誰もいない廊下にて、キスメは一人嘆く。
 二十回目にしてようやく声をかけることに成功したものの、満足すべき成果とは言い難い。
 『鬼の友達を作る』という崇高な目標までは、今だ千里の険路が横たわっていた。

 昨日までのキスメなら、きっとこんなことは思いつきもしなかっただろう。
 けれども昨晩の宴会が、若い釣瓶落としの世界観に劇的な影響を与えていた。
 途中からは眠りこけてしまって覚えていないものの、最初の方の場面はまだ頭に残っている。
 ごく普通に鬼と会話していたヤマメと、一番目立つ席で堂々と座っていたパルスィ。
 すごかった。二人が誇らしくなり、その友達である自分も一回り大きくなった気がした。

 夢のような時間が本物の酔夢に結びつき、キスメが布団で目覚めると、そこは寝室だった。
 他には誰もいなかったが、『私が戻ってくるまで、うろちょろしないこと』、というヤマメの書置きは残されていた。
 けれども、キスメは珍しくその言いつけに逆らって、今も城の中を探検している。
 自分も一人の妖怪として、ここに住む鬼と打ち解け、次へと繋がる絆を作ろうと思ったのである。

 しかし、二十連敗。
 どうも鬼というのは弱い妖怪にとことん意識が向かないらしく、キスメの姿が視界に入っても気付かぬ者ばかりであった。
 こちらから声をかけなければ振り向いてもらえない。そして声をかけることができても、上手く会話ができない。
 これでは鬼と仲良くなるなど、夢のまた夢では……。

 そう気落ちしかけた時のこと。
 
「あ!」

 キスメは新たな影を発見し、しぼんでいた期待を大きく膨らませた。
 なぜならその鬼は、この城でははじめて見る、自分と同じくらいの背丈の鬼だったのである。
 髪の毛が白くて、頭の上部が黒くなっており、小さな二本角を生やしている。
 少し変わった外見であったが、子供の鬼である可能性は高い。

「ね、ねえ!」

 勇気を出してキスメは声をかける。
 それから、小鬼が振り返るのに合わせて、精一杯の笑顔を浮かべた。

 けれども向こうは微笑み返すどころか、両目を限界近くまで開き、顔を引きつらせていた。
 まるで大蛇と出くわした野鼠のように、ぴしりと音が立ちそうなくらい凝然となり、

「ええ!? 待って!」

 とんずらする背中を、キスメは急いで追いかける。
 が、小鬼の逃げ足は速かった。両脚に車輪がついているのではないかと思うほど、目まぐるしい動きだった。
 キスメも追いつこうと必死だったものの、桶をバウンドさせて追う釣瓶落としの走力では、勝負にならない。
 廊下を二つ曲がったところで、小鬼の姿は消えてしまっていた。

 がび~ん、とキスメは今度こそ完全に凹む。
 まさか、あんな小さい鬼にまで相手にされないとは、脳天直撃の大ショックである。
 今までの連敗を全部足したよりも大きい黒星が、心中の勝敗表にでーんと出現していた。

「妬ましい……」

 友達の真似をして呟いてみる。
 そういえばパルスィがくれた生きるアドバイスに、強くなりなさい、というものがあった。
 強くなれば惨めな思いをしなくなるから、とも。きっと彼女は、こういうことを言っていたのだろう。
 キスメは己の弱さを恥じたものの、どこか諦めている自分にも気付いていた。

「しょうがないよね……私はただの釣瓶落としだもん……」

 もう一度、昨日のことを思い出す。
 この城にやってきた時のパルスィは、はたから見ても凄く緊張しているのがわかった。
 彼女が宴会でどうなってしまうか心配になったものの、キスメはどこか安心してもいたのだ。
 尊敬する妖怪の一人である彼女が、自分と同じ高さの足場に一緒に立っているような気がして。

 だけど、さすがはパルスィだった。
 彼女はやっぱり凄かった。見事に宴会を乗り切ったと聞いてるし、一夜で自分のずっと先を行ってしまった気がした。
 なら私も、と一度は張り切ったキスメではあったが、

 ――釣瓶落としって、どうやって強くなるんだろう……。

 実はキスメには、釣瓶落としの知り合いがいない。
 会ったことはある。本当に珍しいことだけど。でもすぐにその子達は、行方がわからなくなってしまうのだ。
 ヤマメに聞いても、そのうちまた会えるさ、地底は広いからね、と言われて、その度に納得していた。
 だからキスメにとって、身近な手本は自分にとって一番仲良しの、土蜘蛛と橋姫だけだったのだ。

 でも自分は、ヤマメやパルスィのような度胸はないし、力もない。
 そもそも今回のことがなければ、ここで一番偉いという勇儀と知り合うこともなかっただろうし、彼女に一人で話しかけることも、昨日からまだできずにいた。
 本当はこの城に居るのが場違いで、鬼の友人などは分不相応なのだろう。
 ここもまた、旧都の一部である。そして旧都では、強くなければ誰にも認めてもらえない。

「……強く……なりたいな……」

 それは、ただのおまじないと変わらぬ言葉……のはずだった。


 けれどもその言葉が、キスメの奥にある何かを揺さぶった。


「……強くなりたい……もっと……強く……」


 唱え続けることで、さらにその揺れは強まっていく。
 動いていなかったもう一つの心臓が、目覚めたかのように。
 

(強くなれるわ……)


「誰……?」

 キスメは虚空に向かって、そう訊ねていた。
 『仲間』の答えが、彼方から届いた。
 幾千もの呼び声が、一度に体を巡り、背中から柔らかく包みこんでくる。

 内なる声に衝き動かされ、キスメは廊下を進んでいた。
 通り過ぎる鬼達の中に、気付く者はいない。そしてキスメも、彼らのことが視野に入らなかった。
 それよりもずっと、遥か遠くに意識が向いていた。

 徐々に足を速めながら、キスメは改めて感じ入る。
 自分が生まれてから、知らぬうちにずっと抑え込んでいた、その気持ちを。
 それは喜び? それとも怒り? いいや違う。もっと大きくて強くて、激しい気持ち。
 空から降ってくるような、地から湧いてくるような。遠くから引っ張ってくれるような。すぐ側で押してくれるような。

 己に足りなかった何かを、埋めてくれる気持ち。

 開いたままのキスメの目から、涙が零れ落ちた。
 どうして私は今まで、この声に気付けなかったのだろう。この思いを忘れていたのだろう。
 もっと早く応えなければいけなかったのに。いいや、まだ遅くはない。きっと間に合う。
 行かなくては。見つけなくては。




 心が古びた皮をはぎ取り、魂が柔らかな羽を広げる。
 釣瓶落としは振り返ることなく、先へと急いだ。
 ここではない、約束の地へ。

 己が本当に必要とされている世界へと。 






(14)


 胡坐をかき、固く黙したまま、部屋の主は壁を睨み続けていた。
 ただの壁である。絵が描かれているわけでも、掛け軸が飾られているわけでもない。あるのはせいぜい染みくらいのものだ。
 ほのかに照らされる畳部屋の内装は、鬼の四天王の寝床にしては質素ともいえたが、鬼でなければ異様ともいえた。
 しめ縄が巻かれた大岩が鎮座しており、その側には拳の痕がついた球形に近い鉄の玉も置いてある。
 畳まれた布団の側には酒瓶がずらりと並んでおり、その上では『怪力乱神』と書かれた紙が天井付近に貼られていた。

 しかし座した鬼は、あえて無地の壁に体を向けて傾いたまま、微動だにしなかった。
 星を刻んだ一本角が、切っ先を壁に突きつけている。立って歩けば悠然となびく長い髪は、今は背中を流れ、古畳の上にしどけない湖を作っていた。
 彼女の側には誰もいなかった。いたとしても声をかけられる者はいなかっただろう。
 その荒んだ妖気を浴びた灯明の火が、時折風を受けたように倒れるのを目の当たりにすれば。
 
 一人の寝所としては十分に広いものの、今夜部屋にいるのは地蔵と化している鬼だけではない。
 首に巻かれた長い白銀の綱が、奥の御簾で仕切られた一角へと続いており、そちらでもう一つの気配が、か細い寝息を立てていた。

 とん、とん、と入口の戸が軽快な音で鳴る。

「お食事をお持ちいたしました」

 じろり、と部屋の主の目線が動いた。
 星熊勇儀は、数時間ぶりに口を開く。

「……今はいらないから、下がってな」
「まぁそう言わずに。水のお代わりだけでもどうざんしょ? 大根のお味噌汁も、二日酔いにいいよん」

 人懐っこい声は、鰐の橋を渡る白兎のように怖れ知らずだった。
 が、戸を開けて入ってきたのは兎ではなく、配下の世話役でもなかった。
 黄色い髪をひとまとめにした土蜘蛛である。ただし服装は自前のものではなく、この城にある女物の湯着だ。
 忘年会の後で、しかも一度は城の外に投げ飛ばされたというのに、黒谷ヤマメの表情に疲れはなかった。

「パルスィは?」

 勇儀は無言で顎をしゃくる。
 その首に巻かれた綱の先、御簾の奥にヤマメは目をやった。

「……ああ、まだ寝てるみたいね。でも薬が効いてるようでよかった」

 彼女は胡坐をかく勇儀の近くに、ちょこんと正座して、片手に持っていたお盆を床に置いた。
 まずは水差しを手に取り、杯に中身を注いで隣に渡す。
 けれども鬼は受け取ろうとしなかった。

「ふてくされてるみたいね。いやー珍しい顔だこと」
「私に用がないならどっかに行ってろ」
「あらま、ぞんざいな言いぐさ。こりゃ重症かな。どうやらあれから寝てないようだし」
「………………」

 胡坐の上に肘を立て、鬼はぺらぺらと喋る土蜘蛛を視界の外に置いて、口をへの字にする。
 実際ヤマメの言う通り、昨晩から勇儀は一睡もしていなかった。
 壁を前にして置き物になったまま、じっと頭の中で闘い続けていた。
 何千、何万と繰り返される場面。死角から飛び込んでくる柔な拳。鋭角に顎を打ち抜かれる、痛みとすら言えぬほど微かな感触。
 いくら振り返ってみても、納得がいかず、勇儀は不機嫌のままだった。

「ほらほら、鬼の大将がそんな狭量なことでどうする」
「ふん…………」
「もうちょっと、いつもみたいに機嫌よく笑ってごらんよ」
「むす…………」
「こんな美人が、わざわざ世話に来てやってんだからさ」
「わははははは!!」
「待てぃ。そこは笑うところじゃないっつーの」

 ヤマメは鬼の肩をもむのを止め、ゴスッとこめかみを指で一撃。
 鉄兜より頑丈な頭蓋骨を持っているくせに、こてん、と勇儀はあっさり横になった。
 なんと着地した先は、ヤマメの膝の上である。

「なんだい。慰めてほしいんかね」
「うるさい。ちょうどいい位置にあったからだ」

 いかにも鬼らしい自分勝手な理屈である。というより理屈にすらなっていない。
 そのまま旧都を統べる四天王は、あろうことか土蜘蛛に膝枕をしてもらいながら、いじけはじめた。

「うぅ……くそぅ……おのれぇ……まさか私が膝をつくなんて……」
「寝返り打たないでよ? その角刺さったら痛いんだから」
「しかもそれをよりにもよって子分の前で……最悪の忘年会だ……あんな橋姫に……星熊勇儀一生の不覚……萃香あたりの耳に入ったら、向こう二百年は酒の肴にされそうだ~」
「そうだね。話は聞いたけど、結局鬼の親分様の『慢心』が生んだ隙を、伏兵が突いたってことになるんだろうね」

 膝の上の呻き声が、にわかに止んだ。

「あの羅刹の間ではキスメの次に弱かった存在。取るに足らない妖怪だと思って、どこぞの親分様は気を緩めた。無視しても構わない相手だと思っていたから、意識の外に置いていた。そこを見事に突かれちゃった」
「………………」
「実力で負けたんじゃなくて、気の緩みで負けたっていう不覚が情けなくてやってらんない。しかも相手は自分よりも二日酔いでダメージを負っていて、文句の一つも言えやしない。結局壁を睨んで燻ることしかできない。挙句の果てに、人の膝を枕にして愚痴まで垂れる始末。こりゃ旧都の行く末も心配だ」
「やい土蜘蛛っ」

 鬼が頭を起こし、角で相手の額に穴を開けそうになるほど近くで睨みつける。

「地底の連中で二日酔いの鬼の四天王に向かってそんな口を叩けるのは、同じ四天王を除けばお前くらいだぞっ」
「ほっほう。それは褒め言葉として受け取っておこう。どうもどうも」

 ヤマメは怯むどころか、涼しげに応えて手を合わせる。
 小憎らしい顔つきだ。ただでさえ生意気な口を利くのに、今朝は普段の三倍は生意気な態度で接してきている。
 腹いせに叩きのめしてやろうか。よりによって頭に血が上っている鬼の首領に、わざわざ喧嘩を売ることもないだろうに。

 ――いや……待てよ。そういうことか。

 勇儀はようやく合点がいった。
 ヤマメはからかっているのではない。反省を促してきているのだ。なぜなら。

「わかった。認めてやる」

 結局、鬼の四天王は潔く角を引き、観念する。

「お前の友人は大した奴だ。見栄っ張りで捻くれていてどうにも食えない妖怪だけど、相応の実力は備わっていたわけだ。なのに私は見くびっていた。つまり、あの席でお前の友を軽んじていたことを詫びておく。悪かった」
「よろしい。じゃあ私もいいだけあんたを慰めてあげよう。よちよち」
「やかましい。もう一回昨日みたいに外に放り出すぞ」

 ヤマメの頭を乱暴に押しやって、勇儀は再び壁の方を向きながら、杯の水を口に含んだ。

 指摘される前に、薄々感づいてはいた。
 自分が敗北を呑みこめず、その自らの心の弱さについても、認められずにいたことを。
 この世に生まれて幾星霜、勝利という美酒を飽きるほど飲んできた鬼にとって、昨晩味わったのはあまりにも苦く、強い酒だ。
 いやどちらかというなら、今手にしているのと同じ、酔い覚ましの水といった方がいいかもしれない。
 百年分の酔いが、一晩で失せた。

「なぁヤマメ。私に足りないものはなんだ」
「ん?」

 御簾の奥にいる橋姫の様子を覗いていたヤマメが、振り返り、不思議そうに言った。

「何に悩んでんだか知らないけど、あんたほど『足りてる』妖怪は珍しいと思うよ私ゃ」
「私は昨日負けた。その橋姫に不覚を取った」
「いや、それはまぐれの中のまぐれの中のまぐれっていうか、優曇華の花と盲亀の浮木と……あとは配牌大四喜? それが同じ日に起こったような、要するに開闢以来の奇跡でしょ」
「違う。私が負けたのには、きっと理由があるんだ」
「だから、油断してたんでしょうに」
「油断?」

 風が吹く。灯明の火が大きく揺れ動き、光と闇が交互に部屋を巡った。
 ただし勇儀の体から放たれた怒気は、ヤマメではなく、己自身に向いていた。

「油断だと? 私は約束したんだぞ。七十五年前に、この旧都を守り抜くことを誓った。万に一つの油断も許される立場じゃなかったはずだ。それなのに……!」

 語気を荒くして、勇儀は膝に拳を叩きつけた。

「私はいつからここまで驕っていた! ろくな心構えもできていない鬼など、最強どころか最低最弱の役立たずだ!」
 
 己を三度焼き滅ぼしても飽き足らないような怒りが、全身を渦巻いている。
 鬼として、絶対の強さを目指して、今日まで鍛え続けてきた。どんな脅威にも負けない肉体と、それを支える精神を得るために。
 だがその自信が、たった一夜で粉々にされた。あるいは、化けの皮を剥がされた。
 心に隙を作ったあの瞬間、自分に旧都の未来を預かり、背負う資格は無かった。
 その罪業は重すぎる。もう一度強く、己を殴ろうとした勇儀を、
 
「鬼は最強であっても万能じゃない。大昔、あんた自身が私にそう言ったはずだよ」

 土蜘蛛の穏やかな声が引き止めた。
 勇儀は肩越しにそちらを向くと、彼女は座って着物を畳みながら、懐かしそうに、そして存外優しげに目を細めていた。

「橋姫の不幸が弱さにあるのなら、鬼の不幸はその強さにあるのかしらね。大抵の問題は自分の腕力で解決できちゃうから、自分が何でもできると錯覚を起こしてしまう。けど鬼は万能の神じゃない。それをわきまえているだけでも、あんたは他より一段優れた鬼だと、私はその時思った」
「………………」
「まぁ、なんでもかんでも、最後には一人で背負わなきゃ、って思っちゃうのがあんたの困った癖だけどね。もう少し周りに肩を借りてみるのも、いい経験になるんじゃないかしら」
「じゃあ、お前も旧都で暮らせ」
「はは……」

 ヤマメは苦笑しつつ、軽く肩をすくめて、

「ついにあんたの口からも、それが出たか」
「真面目な話だ。お前より腕が立つ鬼はいる。けどお前のように地底を俯瞰できる鬼はいない。そういうやつもこの都に必要なんだって事を、最近になってようやく私も受け入れることができた。元は昔、あるやつから聞いたことだけどね」

 勇儀は頭を下げ、自らの一本角を差し向ける。

「旧都を万能にするためには、お前が必要だ。黒谷ヤマメ。ここらで私らの仲間に加わってくれ。私に肩を貸してくれ」

 胡坐をかいたままの姿勢ながら、その態度は実直そのもので、声音は真剣味を含んでいた。
 鬼の中の鬼と称される四天王の懇請を、風穴の象徴たる土蜘蛛は手を止め、二呼吸ほどの間、物を言わずに眺めていた。

 やがて彼女は、顔の側で指を一本立てる。

「……一つ条件を出していいなら」
「え?」

 勇儀は目を丸くし――ざっ、と音を立てて立ち上がった。

「そうかっ!! ついに決心したのか!!」

 声も表情も、喜色で大きく輝いていた。
 さっきまでのふてくされた態度を放り出し、鬼の大将は部屋の奥へと弾むように移動する。

「そうと決まったら祝い酒だ! 待ってろ。この鍛錬用の岩の裏で寝かせている幻の酒が……ういせっと」
「ちょいとお待ち。条件っていうのは、申し出を引き受ける条件じゃなくて、交渉に臨む条件だよ」
「何だ、まどろっこしい!!」

 そう怒鳴ってから、隠し扉から取り出した一升瓶を、勇儀は再び投げ込んで戻した。
 しめ縄のついた岩を元通りに転がして、肩をいからせて戻ってきた彼女は、渋面のまま腕を組み、

「全く……お前ってやつは、いつも肝心なところで煮え切らないんだからな」
「あはは、ごめんねぇ。これでも自覚してるんよ。で、条件の話だけど、四天王様のお返事は」
「言ってみろ。私にできることなら何でも聞いてやる」
「言ったね? まぁ実を言うと勇儀にしかできないことなんだけどね」
「んん?」

 勇儀は柳眉をくねらせ、その言葉の真意を量ろうとする。
 一方のヤマメは、悪戯を仕掛ける悪童の笑みを浮かべて、とんでもないことをぬかした。

「もう一度、勝負してくれない? あっちで寝てるのとさ」




 ◆◇◆




 ヤマメが寝所を去ってから間もなく、御簾の向こうから新たな物音がした。
 味噌汁をすすっていた勇儀は、椀から顔を上げる。
 
「目が覚めたか」

 返事のかわりに、しゃら……と御簾が小粒の音を立てて動く。
 その奥から這い出るようにして、橋姫が姿を見せた。
 彼女は、ひどい顔をしていた。瞼が半開きで目に力がなく、肌ツヤが悪く、頬がむくんでいる。
 典型的な二日酔いの面構えだ。昨晩、忘年会に臨む前の時よりも生気に欠けている。

「……ヤマメが来てたの?」

 勇儀は「ああ」とうなずいて、味噌汁の小鍋を示した。

「これを置いてった。味見だけでもしてみるか。二日酔いには効くらしい」
「………………」

 食べ物なんて死んでも受けつけるものか、などと言うんじゃないかと勇儀は思ったが、パルスィはのろのろと近づいてきて、大人しく隣に座り、おたまを取った。

 そのまま二人は、しばらく黙って味噌汁をすすった。
 妙な食事である。仲が良いどころか険悪だった妖怪二人が、こうして朝餉を共にしているのだから。
 しばらくして、先に沈黙を破ったのはパルスィの方だった。

「昨日、私……大丈夫だった?」

 勇儀は味噌汁を吹きそうになった。

「何だそりゃ。どういう意味だい一体」
「だから……私が橋姫だっていうことがバレてないか、とか」
「バレてない。それどころか、お前は……というか私の相棒のミズメは、一夜でこの城の人気者になったのは間違いないだろうね」
 
 パルスィは依然として、半分眠った目のままだった。
 まるで己とは関係のない、遠い異国の物語を傾聴しているような面持ちである。

「私の顎に一撃叩き込んだことも覚えてないのか」
「ああ……夢じゃなかったのね」
「忘れてもらっちゃ困る。こちとらそのせいで一睡もできてないんだ」
「………………」
「その後酒を飲んで、若い衆と宴会場で踊ったり暴れ回ったりしたことは?」

 今度はパルスィが味噌汁を吹きかけていた。
 それまでと変わって、酢を味見したような忙しない仕草で、口元をぬぐいながら、

「冗談よね?」
「いいや、冗談じゃない。無論嘘でもない。この際全部話してやる」

 勇儀は鬼らしく、一切包み隠すことなく、正直に昨晩の様子を語ってやった。

 まずパルスィは勇儀の顎に拳を見舞い、膝をつかせた。
 この快挙に鬼達は大いに湧き、パルスィはその瞬間から何かに憑かれたかのようにテンションが変わった。
 酒を浴びるように飲んだ後、奇怪な舞踊を披露しつつ、鬼達に向けて熱唱。

「熱唱? 歌ってたってこと?」
「ああ。さらに、一人一人の良いところを瞬時に判断して、最後は『妬ましい!』とか言って締めていた。あいつらは皆感涙していた」
 
 その後、パルスィは忘年会における台風の目に変貌した。
 彼女は演奏の指揮者となり、相撲の行司となり、舞の振付師となり、組体操の審判となった。
 羅刹の間での締めくくりは、皆で肩を組んでの大合唱。
 しかもその後はなぜか、騎馬戦が始まった。

「騎馬戦?」
「ああ。首が繋がってるもんだから、私はしょうがなく、お前の担ぎ手に回った」

 勇儀と二人の鬼を馬にして、パルスィ、もといミズメは将軍さながら城のあちこちを回った。
 彼女の担ぎ手は引く手数多であり、そのままほら貝を吹きながら、旧都へと先陣を切って繰り出しそうな勢いであった。

「以上が宴での騒ぎだ。続いてこの部屋でお前がどれくらいひどい有様だったかを話してやる」
「……もういいわ。聞きたくない。っていうか死にたい」

 パルスィは耳を塞いで顔をそむけた。
 陰気な面もさることながら、いい具合に綱を巻いているために、本当にこれから首を吊りそうな感じである。
 こんな意地っ張りのもやしのような妖怪に土をつけられたのかと思うと、また勇儀は悔しくなってきた。

「いや待って。念のため一つだけ聞かせて」
「あん?」
「この服は誰が着替えさせたの。あんた、寝てる間に変なことしたんじゃないでしょうね」
「…………」

 まだ酒が抜けてないのか阿呆、と勇儀は怒鳴りつけてやりたかったが、耐えて素直に教えてやった。

「寝ている間は、ヤマメがお前の面倒を見てやっていた。だいぶ苦しんでたからな。この城に置いてある薬を飲ませてやらなきゃ、きっとあと三日は起きられなかっただろうよ」

 パルスィはそれを聞いて、何故かさらに沈み込んだ面持ちになった。
 ヤマメに世話をかけたというのが、そんなに嫌な事実だったのだろうか。それとも彼女がここにいないことを寂しがっているのだろうか。

「どうせなら最後まで面倒を見てやればいいのに、その後は私に押し付けて出て行ったのさ。気が利いてるんだか薄情なんだか。不思議な関係だなお前達も」
「わかったように言うんじゃないわよ」

 鋭い声が飛んでくる。
 傷口に触れられた獣が、不意に飛び起きて牙を剥いたようだった。

「何も知らないくせに……強いくせに……あんたなんて、仲間がたくさんいるくせに……」

 驚く勇儀の前で、潤んだ緑の双眸が小さく燃えている。
 嫉妬、羞恥、私憤、敵意、類を見ないほど入り組んだ感情が、紡がれる言葉にしがみついていた。
 けれどもパルスィはすぐに目を伏せ、またもや顔をそむける。

「……余計なことだったわ。気にしないで」

 ばつが悪そうに、彼女は味噌汁を一口すすって言った。
 勇儀の方は、何だか肩すかしを食らったような気分で、その言動を読み解こうとしていた。
 よくわからない。ただ、昨日とは比べ物にならぬほど殊勝な態度である。これは、この橋姫なりに反省しているといってもいいのだろうか。

「ふふん」
「何よ」
「いや、確かに。お互い何も知らないな、と思ってね」

 勇儀は椀を置いて、立ち上がり、一度伸びをしてから、

「ちょっと酔いを醒ましにいかないか」
「お風呂なら、まだいい……」
「いや、風呂じゃない。すぐそこだよ」

 そう言って親指で示したのは、廊下側の戸ではなく、城の外へと通じる方だった。




 ◆◇◆




 パルスィは今さらながら、鬼の美徳を一つ理解した。
 彼らは嘘をつかない。偽りもしない。なので会話相手としては、その発言の裏を読んだりする面倒がない。
 勇儀が誘った場所がすぐ近くだというのも本当のことであった。
 ただし、近くだったからといっても、さして良い場所というわけではなかった。

 まずそこは屋根がなかった。薄ぼんやりした霧が空に広がっていて、雪がちらほらと頭に舞い降りてくる。
 そして壁がない。首を左右に向ければ、パルスィの身長の倍はある凶悪な面構えをした金の鬼瓦が目に入る。
 ろくな床もない。雪の降り積もった屋根瓦が歩いて五歩の境まで続いていて、そこから先は何も足場がない。

 つまるところパルスィが連れてこられたのは、鬼の城の最上部、冠にあたる屋根だった。
 師走の冷えた風が襟元から入り込んでくる。指をポケットに入れていなければ、そのうち曲がらなくなりそうだ。

「こんな所に連れてきてどうするつもり。凍死しろって言いたいの?」
「お前さん、暑がりだったんじゃなかったか」
「寒がりでもあるわ」
「なるほど。まぁ昨日の啖呵が戻ったようで何よりだ」

 そう言う勇儀は薄着のままで、全く寒さなど感じていない様子だった。
 風呂の時も思ったが、鬼というのは体温が高いのかと思われる。こうしている間も、屋根の上を通る寒風に混じって、彼女の方から暖かい空気が流れてくる。
 だからといってパルスィは、互いの体の間に空いた、三歩分の距離を狭めるつもりは毛頭なかったが。

「ここからの眺めが好きなんだ。城の中よりも空気はいいし、酔い覚ましになるんじゃないかと思ってね」
「ふぅん……」

 まぁ開放的な眺めであるということは、パルスィも否定しなかった。
 旧都で最も高い建造物。ここに立てば、南の果てまで建物が階段状に続いていくのを一望できる。
 パルスィが上の層から下りてくる時に使う洞穴も、旧都の真上にあるわけではない。したがって、ここまではっきりと都の全貌を眺める機会には、なかなか巡り合えなかった。
 上から見ると、旧都と名付けられた大規模な風車の端に立っているような気分になる。
 北東、南東、北西、南西。それぞれに伸びた羽の上で、うっすらと雪をかぶった家並が、いろどり豊かな鬼火を掲げていた。

 位置的にも階層的にも最高にある、地底の王者に許された眺めだ。
 隣の鬼の目的は、この絶景でこちらの機嫌を取るということだったらしい。

 ……などと信じるほど、パルスィはお人よしではない。

「どうせねらいは、それだけじゃないんでしょ」
「なかなか勘がいいな。もちろんそれだけじゃない」
「昨晩の仕返しでも考えてるの?」
「当たらずとも遠からず、だな」

 勇儀は白い息を吐く。彼女の口角は、わずかに持ち上がっていた。
 
「私はお前のことがわからん。風呂でも腹を割って話すことができそうになかった。かといって、ヤマメに教わったところで……いや、誰であっても聞いただけじゃ、きちんとそいつのことが理解できるとは思えない」

 挑戦的な赤い瞳が流れ、こちらを見据える。

「相手を知るには、勝負するに限る。一度も勝負していないのに、心底仲良くなることはできない。これは私の持論というより、鬼の理念なんだ」
「ああそう。いかにも脳みそまで筋肉でできた奴らにぴったしの論法ね。で?」
「だから今ここで勝負してみないか」
「殴り合いに興味はないわ」
「こいつを使おう」

 ひょい、と勇儀が取り出したものを見て、パルスィは眉根を寄せた。
 それはとっくりでも鉄棒でもなく、布に包まれた長さ一尺ほどの、木でできた楽器だったのだ。

「笛? あんた笛を吹くわけ?」
「ああ」

 勇儀は布を解いて、その横笛を指に挟む。

「ここなら邪魔は入らない。旧都の雪景色を拝みながら、吹き比べといこう」
「別にそんな……」
「ちなみに私がこれでお前に勝ったら、いよいよヤマメは旧都に住むかもしれないんだ」

 ヤマメが旧都に住む? 
 胸の内でそう繰り返した途端、パルスィの心拍数が急激に上昇した。
 あまりにも唐突過ぎて、なおかつ聞き捨てならない話だった。

「お前が寝ていたさっき、私が誘ったんだよ。そうしたらやっこさん、二日酔いの橋姫とこれで勝負するのが交渉に臨む条件だとかぬかしてね。聞けば、お前も笛が吹けるっていうじゃないか。それもかなりの腕前だとか」
「………………」
「それとも得意分野じゃ負けるのが怖いか?」
 
 この鬼は……とパルスィは心の内で毒づく。
 挑発だとわかっていても、ニヤケ顔がムカついた。ここで無視して、逃げたと思われるのも癪である。
 風呂での鼻歌を思い出す限り、どうせろくなもんじゃないはずだ。

「受けるわ。今度は素面であんたの自信を砕いてやる」
 
 啖呵を切ったパルスィは、懐に手を入れた。
 取り出したのは、昨日キスメからプレゼントされたばかりの笛袋。そこから取り出したるは、小ぶりの笛である。
 いつも肌身離さず持ち歩いている最も大切な道具であり、人に見せることは、ほとんど無い。

 二人は同時に、それぞれの笛に唇を寄せた。

 しばらくして、細く息が吹き込まれ、雪の舞う風を霊妙なる音が染め上げていった。






(15)


 黒谷ヤマメは早歩きで、鬼ヶ城の一階を歩いていた。
 顔をきょろきょろと動かし、視線で廊下の隅々をなぞる。
 柱の裏や天井の梁も見逃すことなく、閉じた部屋があればその奥の気配も探ってみる。が、見つからない。

「おかしいねー。どこに行ったんだろ」

 捜しているのはキスメだった。
 鬼ヶ城の最上階にある勇儀の寝所から一階の寝室に戻ってみると、釣瓶落としはヤマメの書置きと共に姿を消していた。
 それから客間や広間、炊事場にお便所等、手当たり次第に調べて回っているのだが、桶に隠れた緑の頭は、まだ出てこない。可能性として考えられるのは、どこかで迷子になっているということ。この城は広いので、ありえぬ話ではなかった。

 廊下の拭き掃除をしていた鬼を見つけ、ヤマメは声をかける。

「あ、ねぇ。お藤さんや」

 『おふじさん』である。『おとうさん』ではない。

「あらヤマメちゃん。お嬢の顔色はどうだった?」

 もじゃもじゃの髪を載せた顔に、ど迫力の笑顔が表れる。眼、鼻、唇。一つ一つのパーツ全てが大きい。
 作務衣に身を包んだ体つきも太く丸っこく、貫録のあるお母ちゃんという感じである。激怒しているわけでもないのに、頭から角が生えているのを除けば。

 お藤さんと呼ばれる彼女は、いわゆる家事の鬼だった。掃除洗濯裁縫、おさんどんまでなんでもござれ。
 放っておけば散らかし放題で不潔まっしぐらになる荒くれ者共。
 彼らの住むこのお城が『汚城』とならないのは、お藤さんの監督が行き届いているからである。
 無論、鬼に言うことを聞かせるには、相応の強さや威厳がないといけないわけだが、お藤さんにはそれが備わっていた。
 実際のところ、かなり古参の鬼らしい。勇儀をお嬢と呼べる者は、彼女を含めてほんのわずかだそうな。

「まぁ、思ってたほど沈んじゃいなかったし、荒れてもいなかったし、あれなら午後にはケロッとした顔で出てくるんじゃない?」
「そりゃあよかった。ヤマメちゃんがいてくると助かるわぁ。いっそここに住みこみで働いてくれないかしら」
「いやいや私は浅いところが似合ってるから」

 ヤマメはパタパタと手を振ってかわす。
 お藤さんとするこのやり取りも毎度のことなので、すでに挨拶のようなものである。

「ところで、私の連れの釣瓶落とし見なかった? キスメっていうんだけど」
「ああ、あの子なら脱衣所の近くで見かけたって話を、うちの青二才達から聞いたよ」
「へぇ」

 まさかとは思ったが、本当に忠告を守らずに、一人で探検しているのかもしれない。
 昨日の買い物といい今日のことといい、あの子にもどうやら独立心が芽生えたらしい。
 言いつけを守れないのはいけないことだが、成長している証拠でもある。怒ればいいんだか喜べばいんだか。
 うんうん、と複雑な親心をヤマメが味わっていると、

「ヤマメさん」

 呼ばれてそちらを向く。
 開いた畳部屋で、鬼の若者らが食事しているところだった。
 どれも昨晩の忘年会入りしていなかった面々だが、すでにヤマメとは顔見知りである。 

「よかったらどうですか。飯まだなんでしょ」
「ん? いや私はもう軽くつまんではいるんだけど」

 本格的な朝食はキスメを見つけてから、一緒に取ろうと思っていた。
 が、ここはひとつ、あの子を待つことなく先に済ませちゃってるのも、いい罰になるかもしれない。
 と考えたヤマメは、

「じゃあ、そこに混ぜてもらおうかな」
「待ってました!」
「ならヤマメちゃん。私が一式持ってきてあげるから、あんたは遠慮せずに座りなさい」
「ありがとうお藤さん」

 というわけで、鬼に混じって朝食を取ることになった。
 これも昨晩の宴会で存分に腕を振るった、料理長の板巳の監督で作られたものである。
 盛りは大雑把だが、味はよい。食欲がなくても食欲が湧くように作られているのだから、お腹が空いている時であれば尚のこと箸がすすむ。

「ヤマメさん、昨日の忘年会で勇儀様が負けたって本当ですか」

 鬼の一人に訊ねられ、ヤマメはおかずを呑みこんでからうなずく。

「負けたっていうか、膝をついただけらしいんだけど。でも残念ながら私は見てないのよね」
「ええっ、もったいない。歴史的瞬間を見逃したってことじゃないですか」
「オイラも今年参加できてたらなぁ」
「そうすれば、あの勇儀様が膝をつくのを見られたわけだろ。う~ん、考えただけで痺れるほど痛快だ」

 なぜか鬼達は、勇儀が膝をついたのを喜ばしいことのように語っていた。
 何となく、寝所でふくれっ面をしていた友のことを思い出し、ヤマメはさりげなくフォローする。

「あんた達、少しはやられた方の気持ちも考えてあげなよ。勝った方ばかり褒めるんじゃなくてさ」
「え、大将の気持ちを考える?」
「そんな畏れ多い。俺たち下っ端に慰められたって、いい気分にならないでしょう」
「十中八九殴られるな」
「いやいや、そんなことないって。勇儀だってああ見えて可愛いところがあんのよ」
「何言ってんですかヤマメさん。大将を可愛いなんて言える命知らずな鬼は、地底に存在しませんよ」
「だろうねぇ。可愛いっていうのは、お嬢よりもヤマメちゃんに使う言葉だろうさ」
「いや、お藤さん。さすがに勇儀と可愛さで比べられるような時代が来たら、私ちょっぴり傷つくような……」

 どっ、と笑いが起こる。
 ヤマメも頬が緩むのをこらえきれず、ご飯を箸で口に運びながら、幸せな気分を味わっていた。

 ――鬼ヶ城に住むってかぁ……。

 確かに自分の気質が、鬼と相性がいいことをヤマメは自覚していた。
 そうでなくてもここに住む鬼達は、旧都の南をうろつく鬼と違ってひねたところがなく、付き合いやすい。
 おまけに城は広くて住み心地はいいし、ご飯も美味しいのだ。
 そんなところに、大将自ら勧誘されたのだから、旧都の妖怪なら一も二もなく飛びつく話だろう。

 そしてヤマメにとって何よりも嬉しかったのは、親友である星熊勇儀にあれだけ言ってもらったことだった。
 彼女のことは妖怪としても友としても、心の底から尊敬している。
 あそこまで熱っぽく勧誘されて、気持ちが揺れないはずがない。

 しかし勇儀は一つ勘違いをしている、ともヤマメは思っていた。
 蜘蛛はどこにでも巣を張るわけではない。暑すぎず寒すぎず、高くも低くもなく、風通しも程よい場所に。
 つまりあらゆる方向に目をこらすことのできる、自らにとって最も調和の取れたところに住み処を設けるのだ。
 だからこそ、この世界を俯瞰できる。土蜘蛛が鬼に混じれば、鬼の目しか養えない。
 ヤマメは自らの力が、あくまで風穴に棲むことにより発揮されるものだと考えていた。
 勇儀の力になりたいからこそ、この城を巣にはできない。あえて側にいないことで支えるという協力の仕方も、世にはあるのである。

 ――それに私がこんなところに住んだら、絶対反対する連中だっているだろうしねぇ……。

 ヤマメが味噌汁の最後の一口をすすりながら、そんなことを考えていると、

「ここにいたか」

 絶対反対する連中の筆頭が、ぬぅっと姿を現した。食事時に見ると箸の進みが遅くなる顔である。
 勇儀の片腕であり、この鬼ヶ城でもっとも厳格と言われる鬼、左近。
 普段からその怖さを体感している者達は、喉仏を動かして委縮していた。
 だが彼が用があるのは、鬼の若人ではないらしかった。

「黒谷……ちょっと来い」
「え、私?」

 意外だったので、ヤマメは思わず自分を指して言う。
 隻眼の鬼は重々しくうなずき、

「飯は終わってるのだろう。ここでは話せん」

 有無を言わせぬ強引な態度である。
 仕方なく、ヤマメはお藤さんと鬼の若人達に別れを告げ、左近の後についていった。




 ヤマメが連れて行かれた先は、鬼ヶ城本丸の裏庭だった。
 お決まりのごとく、ここも地上によくある、わびさびを内包した日本庭園のような風雅な装いではない。
 地底は日光の恩恵を受けないため、当然のごとく松などで緑を飾ることはできず、流れる水などもなし。
 その代わりに、多様な彫り物が飾られた岩の庭園となっており、火の消えた石灯籠が四方に配置されていた。

 左近は頭を一度回して、辺りに誰もいないことを確認している。
 ヤマメの方は、何故ここに連れてこられたのか、全く心当たりがなかった。
 はて、話とはなんだろう。突然の愛の告白とか、そういう色事の関係ではなさそうである。
 仮にそうだとしても、ヤマメの方が困るが。

「こいつを見てくれ」

 左近が取り出したものは、幸いなことに恋文ではなかった。
 けれどもそれを見て、ヤマメは息を呑むのをこらえきれなかった。
 手に取って凝視する。

「もしかして……これ予言の絵!?」

 そう確信できるほど、その墨絵は完成度が高く、凄味を感じさせる作品だった。
 綱を手にした逞しい一本角の鬼が何か黒雲のような闇と対峙した光景が、冴えた筆さばきで描かれている。
 想像していたよりも、遥かに緻密な絵だった。
 見れば見るほど引き込まれ、戦いの物音まで聞こえてくるようだった。
 勿論、勇儀の下手くそな絵とは、提灯と釣鐘である。疑いなく、臥姫最後の作とみてよいだろう。

「どうして旦那が?」
「それはだな」
「ひぇえ、まさか臥姫の寝所からこの絵を盗んだのは……!」
「それがしな訳がなかろう! 昨晩あったことを話してやる」

 いよいよ聞く気になったヤマメは、左近の話を謹聴する。
 真面目くさった口調で語られる内容は、滑稽なほど突飛であった。
 一方で、ヤマメの胸を好奇心で高鳴らせるには十分な要素を含んでいた。
 左近から渡された二枚目、その容疑者が描いたと思しき絵を眺めながら、

「白いおかっぱ頭の小鬼ねぇ。私は一度も見かけてないし、旦那には心当たりがない。だとすると、どこから入り込んだんだろう」
「わからん。昨晩から寝ずに捜し回っているのだが、目撃者の数も少なすぎる」
「門番や見張りにも当然問い質してはいるんだよね。……ん? もしかしたら、小鬼の姿を見たのは全員若い子?」
「狩魔に小結に……それから狒狒丸も見たと言っておった。確かに羅刹の間入りしている鬼は一匹もおらん」
「じゃあそれってさ」
「なるほど。鬼ではないのかもしれんな」

 強い鬼というのは、割と他の妖怪の気配に鈍感なところがある。
 人間の臭いには敏いが、魑魅魍魎程度は意識に入らないのだ。強者ゆえの死角、といったところであろうか。

「でも角があったんだよね」
「そう聞いている。まぁ角がある妖怪といっても様々だが……あと白いおかっぱ頭と言ったが、頭頂部だけは墨のように黒かった、と申す者もいた」
「頭のてっぺんだけが墨色……墨色?」

 そう口にした瞬間、何かがヤマメの頭の中で結びつき、

「……あ……あー!!」

 大発見中の大発見に、思わず叫び声を上げていた。
 それこそ、庭に反響し、内緒話が台無しになりかねないほど大きな声で。

「そっか! わかったよ旦那!」
「本当か!」
「頭のてっぺんを墨で染める白髪、とくればあれじゃないか!」
「いいからさっさと言え黒谷! 盗んだ犯人は何者だ!」
「だからその筆だってば!」
「筆?」
「つまり犯人は『絵と一緒に箱に入ってた筆』だったんだよ」

 突拍子もない推理に、左近は面食らっていた。 
 だが理解したその顔つきが、徐々に険しくなっていった。

「付喪神ということか?」
「だろうね。だから絵は盗まれたんじゃない。そう言ってもいいかもしれないけど、外からじゃなくて、内から持ち出されたんだ」

 ヤマメはあの時、臥姫の仕事場であるお堂にて、勇儀から絵がなくなっているということを聞き、まだ犯人が中に潜んでいる可能性についても、一瞬考えた。
 ただしあのお堂は鬼の体格を隠すには狭いし、入口を除けば唯一といっていい明り取りの窓も、出入りするには小さい。それに自分達以外の妖怪の気配は、何も感じられなかったので、すぐに考えを除外したのだった。
 だが犯人が付喪神となると、話は全く変わっている。なぜならあの場においては、無色透明の妖怪よりも目立たぬ存在といえるからだ。

「鬼じゃなくても気付けないよ。だってあそこにある絵巻はどれもこれもそれなりの霊力を含んでいたし、古道具の山だもん。いつ二本足が生えて歩き回るかわかったもんじゃない付喪神候補だらけってことになるでしょ?」
「……確かに、木は森に隠せというが、あれほど隠れ蓑にうってつけの場所はないな」
「私らが蔵を探している時にずっと隠れてたっていうのは考えにくいから、隙を見て窓から外に出たんじゃないかな。……いや、待って」

 話すうちに、自分の推理に自信を深めていたヤマメは、顎に手を当てて唸る。

「ただの付喪神じゃなくて、『式』だった可能性もあるねぇ。臥姫はそもそも巫女だったんだろう。鬼にない術を持っていても不思議はないし、その小鬼に何らかの命令を下してたのかも。だけどそうなると、どんな命令だったんだろう。何でその式神は、あのタイミングで絵と一緒に身を隠したのか? うーん、謎は深まるばかりです」

 おふざけ半分の台詞に、側で聞いていた鬼は雷を落とす。

「真面目にやれ黒谷! お前の推理が正しいかもしれん。が、もっと大きな疑念がある。何故そいつは今も隠れてるんだ。予言の絵に纏わる話が、勇儀様に関係ないはずがない。顔を見せる機会はいつでもあったのだぞ」

 確かに左近の言う通りである。その付喪神が臥姫の遺志だというなら、勇儀に何かを託したと考えるのが筋だ。
 それなのに、どうして勇儀と会わずに隠れ回っているのか。

 ヤマメはかぶりを振り、あっさりと探偵役を放棄した。

「わかんないね。やーめた」
「何、止めた?」
「考えたら、こりゃ旦那のお仕事だった。私は別件で忙しいんよ」
「貴様、この期に及んで部外者面をするつもりか。旧都の明日に関わるかもしれんのだぞ」
「ここで二人で考えるより、その子を見つけて訊ねる方が早道でしょ」

 気色ばんでいた左近は、その一言で口をつぐむ。

「この絵は結局、万本綱を解く手がかりにはなりそうにないわ。けどその小鬼の話には、私も興味がある」

 ヤマメは鬼に絵を返しながら、片目をつむった。

「実は連れの釣瓶落としが迷子になってるようでさ。私はそっちを捜さないといけないから、小鬼の方は旦那が何とかしておくれ。ただもちろん私が小鬼の方を見つけたら捕まえておいてあげるよ」
「ふむ。ならばそれがしも念のため、釣瓶落としの方についてもついでに訊ねて回ってやる」
「そうしてくれるとありがたいわ。けど珍しいね。旦那が私に相談事なんてさ」
「止むを得ずだ。今勇儀様は窮地にあるからな」
「へ?」

 まさかと思ったヤマメは、驚きを露わにして、左近に訊ねていた。

「ちょいとちょいと。勇儀にまだこのこと知らせてないの?」
「側に橋姫がおる。あやつの耳は鋭い。油断ならぬ」
「って言っても今さらでしょうに。この絵のことも含めて、すぐに報告するべきだと思うよ私ゃ」
「わかっておる。が、それがしはどうも、あの橋姫が好かん」
「そりゃ旦那は鬼だからね」
「橋姫が好かないのではなく、あやつのぶれた気質が気に入らぬのだ。他人事ではないぞ黒谷。お前がその要因なのだろうからな」

 突然、鬼の矛先が切り替わる。
 けれどもその鋭く細められた片目は、土蜘蛛のことを疎んでいるわけではないようだった。
 ただ厳かに諌めていた。

「我々は獣や人間ではない。妖怪だ。お前ほどの妖怪が、それに気付いておらぬはずがあるまい。いずれ取り返しのつかぬことになっても知らぬぞ」

 大きなお世話だ、と言い返すことは簡単だった。
 けど、ヤマメはできなかった。そして続く一言に、ますますそれができなくなった。

「鬼は鬼、土蜘蛛は土蜘蛛、橋姫は橋姫。垣根を越えることはできん。だからあやつも、百も生きずに逝ったのだ」

 左近の硬い声には、このふるつわものに似合わぬ、無力感が沁み込んでいた。
 あやつ、というのが誰なのかは、聞くまでもない。かつて地上から地底に潜り、人界を捨て去った一人の鬼。

「……肝に銘じておくよ」

 ヤマメは神妙な面持ちで呟く。
 勇儀に説教して間もなく、その片腕に説教されることになるとは、おかしな話である。
 しかしながら、左近の忠告は的外れどころか、ヤマメが見落としかけていた摂理を拾い上げていた。
 
 私達は妖怪だ。
 それは誇りであると同時に、生まれながらの業であり、二度と首から離れることのない枷なのだ。
 いつだって妖怪は、その業に問い続け、向き合わなくてはならない。そうでなければ、妖怪は妖怪でなくなってしまうのだから。それが意味することはすなわち……。

 左近はわざとらしく舌打ちして、嫌悪感をたっぷりまぶしたいつもの目線となり、吐き捨てる。
 
「要するに、こんな非常識な状況でなければ、貴様などに相談するはずがないということだ。覚えておけ黒谷」
「へいへい」

 ヤマメの方も口を曲げ、おざなりに手を横に振って、遠慮なく無礼な態度で応えてやった。
 やっぱりこの城に住むのは考え物である。この堅苦しくてうるさい舅と顔を合わせるのは、年に一度で十分だ。
 挨拶もそぞろに、二人がとっとと解散してそれぞれの行動に移ろうとしたところで、

 頭上から風に乗って、笛の音が舞い降りてきた。
 ヤマメがハッとなり、左近も足を止めて、天を仰ぐ。

 吹奏が並の腕前ではないことは、素人の耳でも分かっただろう。
 では鬼の耳ではどうか。これも間もなく、答えが出た。
 絡み合う笛の音は、城に住む者達の活動を止め、時間を掌握し、空気を支配しはじめたのだから。
 まるで城全体が聞き惚れているような錯覚を起こさせるほどの調べといってよかった。

 裏庭にいた二人のぎすぎすした雰囲気も、難なくほぐされてしまった辺り、演者の力量が窺えよう。 
 ただし左近の方は顎鬚をしごき、片眉を不審げに動かす。

「はて……笛の音が二つ。勇儀様はともかくとして、こちらは一体誰の笛だ?」
「ふふ。いずれ旦那にもわかると思うよ」

 ヤマメは嬉しさを隠せず、満面の笑みを浮かべる。
 
 それにしても、隠れた特技っていうのは外見からは窺いしれないねぇ、などと思いつつ。






(16)


 その瞬間まで、紡ぐ音に全てを捧げていた。
 時間が引き伸ばされていき、薄くなって、透明に変わっていくまで。

 やがて呼気がなくなり、音が虚空に溶けてから、自分の時間が戻ってきた。

 瞼を開いたパルスィは、ふと自分の頬が濡れていることに気付いた。
 いつからそうだったのかがわからない。夢から醒めたような心地たった。

「ほー」

 勇儀が何やら感心したような声を出す。
 慌てて腕で目をこすって、パルスィは遅まきながらとぼけた。

「いっとくけど、これは雪が目に沁みたのよ」
「何? はっはは、お前さん、本当に素直じゃない妖怪なんだなぁ。鬼とは正反対のひねくれもんだ」

 相も変わらず、無遠慮な物言いである。
 けれども、パルスィも今更こういった鬼の性格が、気にならなくなってきた。

 それより気になったのは、今の笛だ。
 昨日見た常軌を逸した怪力や妖術、素晴らしい料理や舞、そのどれもこれも驚かされた。
 しかしながら、これほどまでにイメージとのギャップを感じた例は、なかった気がする。 

「……どこで笛を?」
「昔、地上の都で毎晩ある人間と吹き比べをしていたんだ。その時に一度交換したのがこれさ」

 自らの笛を懐かしげに見つめながら、勇儀は答えた。

「自慢の笛で惜しかったけど、残念ながらその人間には、笛の腕で勝てなかったから。あれは今心に浮かべても素晴らしい音色だった。その時のことを、さっきまた思い出したよ」

 聞き様によっては、こちらを褒めているような台詞である。
 そっちは、と勇儀が目で訊ねてきたので、パルスィもごく自然に答えていた。

「私の故郷の笛よ。妖怪になってからは、橋の上でずっと吹いていた」
「聴いただけで年季がわかる。ヤマメの言った通りの腕前だった」

 余計なことを……とパルスィはここにいない土蜘蛛に愚痴った。

 よくよく考えてみれば、おかしいはずなのだ。
 ここの連中に歓迎されている様を見れば、将来ヤマメが旧都に住む、という一抹の可能性はあるかもしれない。
 けれど、そう彼女が決心するにしても、自らの意志で決断せず、こんな他者の勝負の結果で占おうとするはずがない。
 ここで自分に、この鬼と笛の吹き比べをさせることこそが、ヤマメの目的だったのだろう。

 まんまとそれに乗せられ、しまいには勝負も忘れて没頭してしまったことが、パルスィは悔しかった。
 いつもそうなのだ。初めて会った時から、こっちの行動を見透かしたように先回りして。
 辛い時に助け船を……私が面と向かって受け取りたがらないものだから、いかにもさりげなく送って寄こして。

 そういえば、

「あんた、どうやってヤマメと知り合ったの」

 パルスィは笛を懐に戻しながら、昨日から気になっていたことを口にした。
 いくらヤマメの交友関係が広いといっても、彼女は土蜘蛛で、勇儀は鬼なのである。ましてや力の勇儀とくれば、旧都はおろか地底にその名を轟かす大妖怪だ。言ってみれば、格が違う。
 それなのに、二人はとてもくだけた関係に見えた。ヤマメは遠慮無くツッコミを入れていたし、勇儀はそれに全く腹を立てていなかった。もちろんそれは自分と彼女の場合でも同じである。どちらの仲が上かとなれば、譲るつもりはない。
 しかし、気にはなった。ヤマメは勇儀に直接訊ねてみろ、と言っていたが、一体どのような深いいきさつが……

「服が欲しくてねぇ……」
「は?」

 思わず顔が横を向く。
 勇儀は何だか照れくさげに、鼻の頭をかいていた。

「私は昔から、喧嘩で着る物を破くことが多くてね。あとこの額の角も長いだろう。着替えの時、襟がいっつも邪魔になって困ってたんだ。で、ある時、仲間の一人から面白い土蜘蛛の噂を聞いてね」

 それまで彼女は、土蜘蛛に対して良い印象も悪い印象も持っていなかったらしい。
 風穴に棲む、いわゆる『穴暮らし』の黒谷ヤマメと知り合いになるまでは。

 勇儀が自分の服を引っ張りながら言う。

「で、あいつが作ってくれたのがこの服だ。伸び縮みして、よほどのことがなければ穴も開かない。洗濯しても悪くならない。本当に重宝してるよ」
「へぇ……」

 パルスィは昨日の風呂場の一件を思い出していた。
 そういえば脱衣所で着替えている時、この首の綱を苦にせず脱げる服を物珍しく思ったのだが、そんないきさつがあったとは知らなかった。
 しかし、拍子抜けするくらいドラマの無い話である。
 もっとも、やはり勇儀がヤマメのことを大層気に入っているのは、語調から容易に受け取れた。

「出会った時から、あいつは私に媚びたりしなかった。肝が据わっていたし、腕も立った。計算高いところがあるのがたまに傷だが……でもそれも保身のためじゃない。例えば私が風穴の連中を潰しにかかろうとすれば、真っ向から止めにくる、そんな予感がある」
「…………」
「私は気骨があるやつが好きなんだ。骨がないやつは最初から興味を抱けない。だから今、お前さんには少し興味が湧いている。ここに誘ったのもそれが理由だ」
「あの宴席では、私を無視してたのに?」
「そうだ。あれは不覚だった。まさかあんな一撃を食らわしてくる度胸があるとは、予想に無かった。物凄くムカついたが、感心もした。しかも、お前が友人のためにあんな思い切ったことをしたというところが、また面白かった」
「違うわ」
「ん?」
「妬ましかっただけよ。あんな風にどつきあいができるあんた達が」

 ヤマメが外に投げ飛ばされた時の記憶を、パルスィはおぼろげながら取り戻していた。

 親友がひどい目に遭わされ、怒りに我を忘れて殴る。
 あまりに平凡で常識に沿った行動だ。誰かの為にそんな行動を取れる自分がいるなど、絶対に信じられない。
 だからきっと、あれは嫉妬だったのだ。
 パルスィの知らない世界で、二人が互いに遠慮のない付き合いをしているのに、我慢ならなかったのだ。
 嫉妬したからこそあんなにも強い、鬼をも倒せるほどの一撃を生み出せた。
 それに普通に考えれば、あの高さから投げ飛ばされたくらいでヤマメが怪我などするわけがない。
 単に自分が取り乱しただけだったのである。美談でもなんでもない。

「お前さんは、なんであいつと仲良くなったのさ?」

 聞かれることを予想していたパルスィは、そっけなく答えた。

「地底に珍しく世話好きな妖怪がいるって聞いて、どんな人気者か面を拝みにいったのよ」
「なるほど。それで?」
「……………………」
「それだけ?」
「うるさいわね。それだけよ」
「ははは、でもいまだ縁が続いてるってことは、お前さんも、よほど気に入ったんだね」
「いいえ」

 否定するのに力はいらなかった。

「気に入らないことばかりだったわ」

 それどころかあの土蜘蛛は、水橋パルスィという橋姫が最も嫉妬した妖怪だといっても過言ではない。
 黒谷ヤマメの生き方は、パルスィには決して真似できない『狂い』があった。
 地底に仲間を増やし、それでいて自らの芯を捨てずに保ち、破滅が相応しい地底を諦観する一方で、理想を願うような歩みを見せる。
 側でその生き方に触れるほど、嫉妬の念は深くなる。自分には得られないものを持っているから。
 そして嫉妬は別の形で、今でも残っている。

 ――私にとってヤマメが一番大事な存在でも、ヤマメにとって私は、数ある友の内の一人に過ぎない。

 そう思う度に、橋姫である自分に戻らざるを得なくなる。
 
「……あいつにとって、私の代わりなんていくらでもいるわ。旧都にも、それ以外の地底にも、この城にだってたくさん」

 妬ましい。
 私の知らない顔を彼女が他の者に見せている時。私が知らない顔と彼女が仲良さげにしている時。強くそう思う。
 そして不安になる。私はヤマメにとって、本当に特別な存在なのだろうか、と。
 結局こんなマフラーを鬼と共に身に着ける羽目に陥ってしまったのも、そのせいだったのだ。
 いい加減、自分の間抜けぶりに嫌気がさし、ますます不安が募る。
 迷惑をかけてばかりの私は、いつ彼女に見捨てられてもおかしくないのではないか、と。

 でもパルスィにとって、あの土蜘蛛ほど頼りになる存在はいないし、これから出会うことも考えられない。
 叱ってほしいときに叱ってくれて、なだめてほしいときには、なだめてくれる。
 先程のように、見てほしくない醜態を晒した時には、できるだけ放っておいてくれるし、それ以前に危機に陥った際には、いつも手厚く面倒を見てくれた。

 彼女に一番感謝する資格があるのは、私のはずだ。
 だから一番彼女を大切に思っているのも、私のはずなのだ。

 でもそれを確かめることはできない。無理に証明しようとして、全てをぶち壊してしまうのが怖い。
 それが橋姫とは関係なしに、水橋パルスィにだけ存在する、消えることのない業なのである。

 鬱々とした思考に、隣の鬼がちょっかいを出してきた。

「なるほど、そういうことか。こっちの橋姫はあいつと逆で、冷めてるようで熱いところもある奴なんだな」

 何が『なるほど』だ。全く分かっていないくせに。
 パルスィはこめかみを引きつらせながら、そう心の中で呻くものの、勇儀はなおも続ける。

「こういうのはどうだ。お前さんもヤマメと同じことをしてみる。つまり仲間をたくさん作って、あいつに妬ましがらせる」
「……あのね。角が生えてる分だけ頭に栄養がいってないわけ? それをしたところで何が解決するっていうの」
「それもそうだ」
「第一、橋姫と友人になろうと思う妖怪なんて普通いないわよ」
「ふむ」
「橋姫っていうのは、複雑で面倒くさすぎる妖怪なのよ」
「それは十分わかった」

 鬼の四天王は、どこ吹く風といった面持ちで、

「パルスィ。今度、また笛の吹き比べをしてみないか」

 そう続けた。

 呼吸が止まったのは、その誘いのためか、それとも久しぶりに、名前で呼ばれたからなのか。
 判らないまま、橋姫の防衛本能が働く。相手を傷つけ、追い払うための千の言葉を頭に並べる。

 けれどもパルスィがその中から選んだのは、一番はじめに思いつき、なおかつ一番優先度の低い答えだった。

「…………気が向いたらね」

 それで十分だったのかもしれない。
 勇儀が満足したように笑う気配があったから。

 とそこで、彼女は強く膝を叩いて、

「よし。じゃあ次は、あの釣瓶落としとの、いきさつを聞かせてくれ。キスメだキスメ」
「嫌よ。そろそろ寒すぎて舌が凍りつきそうになってきたわ。聞くならあんたから、あいつに聞きなさい」
「それが何だか私、昨日から恐がられてるみたいだし、話せなくて困ってるんだ。でもあいつはパルスィにずいぶん懐いてるじゃないか」
「まぁね」
「お前さん、およそ子供に好かれる要素がないのに、おかしいだろう」
「失礼ね!? あんたに言われたくないわよ!!」

 頭にきたパルスィが食って掛かろうとしたところで、




 耳障りな音が天から届いた。




 そこまで大きい音だったわけではない。
 だが笛の音や風の音、街から聞こえてくる音とは異質なものだったために、怒鳴っていたパルスィも、ふと空を見上げていた。
 
 そして顔を上げたまま、下ろせなくなった。

 やけに暗い。旧都の天井を照らす夜光虫や発光植物が、全て消えている。
 あるのは闇。恐ろしく深い闇で、空が塗りつぶされていた。

「何かしら……今の……」

 そう話しかけながら、パルスィは隣に目を向けて、ギョッとした。
 
 勇儀が、天を睨んでいた。恐ろしく獰猛な気配を身の内から漂わせていた。
 血管が浮き出た首、食いしばった歯の間から伸びる牙。
 こちらを見ているわけではないのに、その眼光で体に火がつきそうにも感じられ、本能的に震えが走る。
 さっきまで会話していた鬼と、同じ妖怪に思えなかった。
 
 また頭上から音が聞こえてくる。
 ぱりぱりと、薄氷の上を歩くような、不安を掻き立てる音だった。
 
 そしてパルスィはついに気が付いた。
 あれは闇ではなく、途方もなく大きな影だ。
 
 続いて起こった轟音と共に、天に亀裂が走った。
 城を押しつぶせそうなほどの大岩が、落ちてくるところだった。
 パルスィが悲鳴を上げるために息を吸い込んだ、その時。


 はぁぁあああああああっ!!


 勇儀が気合をほとばしらせた。
 彼女の肉体から噴出した絶大な妖力が、落ちてくる岩石を受け止めた。

 パルスィは城の屋根に尻もちをついたまま、その光景を目の当たりにする。雪の冷たさを気にする余裕すらない。
 妖気が千の龍となって絡まり合い、巨石を押さえる釈迦如来の腕と変化したように見えた。
 さらに勇儀は両手を掲げ、空中で回す。途端、大岩は軌道を急激に変え、旧都の外へと飛んでいった。
 『投げ飛ばした』のだ。
 そうパルスィが理解するのとほぼ同時に、衝撃で鬼ヶ城が鳴動した。

「来い、パルスィ」

 放心状態にあったパルスィを、勇儀が手で引っ張り上げてくる。

「すぐに城を出るぞ」
「な、何なの? どうしたの?」
「恐れていたことが起こり始めたかもしれん。準備しろ」

 部屋に戻った勇儀は、乱暴な手つきで『ミズメ』の面を投げてきた。
 ただ事ではない様子だ。状況が呑みこめていないパルスィも慌ててそれを受け止め、顔にはめる。

「旧都に結界が張られてるのは、昨日話したな」
「ええ。……まさか、じゃあさっきのあれは、崩落かなにかの岩で結界が壊れたってこと?」
「ただの崩落じゃない。あの大きさの岩でも、普通であればビクともしない。なのに今の衝撃で突き破られた」

 勇儀の解釈に耳を傾けながら、パルスィは靴を履く。これで準備が整った。

「つまりあれは外からの『攻撃』の可能性がある。いよいよ臥姫の予言の時が来たらしい」

 攻撃……一体何者が旧都を脅かすのか。今もなおその正体がわからない。
 ただし、この旧都が危機にさらされているということについて、勇儀は確信を持っているらしかった。
 パルスィの方はまだ半分、茫然自失の体から抜け出せていないものの、緊迫感だけは伝わっている。

 寝所から廊下に出ると、すでに勇儀の片腕が待機していた。
 挨拶をぬきにして、左近は状況を報告してくる。

「比良坂の観測隊との交信が途絶えております。指揮を任せた炎馬とも連絡が取れません。何かあったと考えるのが妥当です」
「らしいな。しかし水神が岩をここまで飛ばすというのは解せない。あるいは妖怪か何かか……とにかく私は現場へ飛ぶ。全員叩き起こせ。その後のこっちの指揮は、お前に任せた」
「そちらは?」

 と左近がパルスィの方を視線で示す。相変わらず、部外者を見る目付きだ。
 勇儀は間を置かずに応えた。

「連れて行く。この際、他に道がない」

 パルスィが口を挟む前に、新たに廊下を飛んできた者がいた。
 ヤマメだ。

「勇儀! これって!?」
「例の黄泉比良坂で何かが起こってる可能性がある。私達は今から現場へ向かう」

 はっきり言う鬼に、すかさず何か問いかけた土蜘蛛の機先を制し、パルスィは宣言した。

「私は行くわ」

 他の三者が、一様に驚きを表した。
 パルスィはあえて、隣に立つ鬼の視線を、横目で見返しながら続ける。

「こうなったら仕方ないでしょう。ついていくだけよ。けど、手くらいは貸してあげる」
「いい覚悟だ。頼りにしてるぞ」

 勇儀は豪気な笑みを浮かべ、肩を叩いてくる。
 これに反してヤマメは何も言わず、もどかしそうに唇を噛む。
 おそらくは、もっと適切な作戦が他にないか懸命に考えているのだろう。
 そこで、彼女の側にいるはずのものがいないということに、パルスィは気づく。

「キスメは? 今どこに?」
「実はさっきから捜してるんだけど……散歩に出かけたのか、どこかで迷子になってるのか」
「じゃあ、あんたはそっちを頼むわ。味噌汁のおかげで、私の方はもう酔いは醒めてるし」

 それは土蜘蛛を決心させるための、パルスィなりの気丈なふるまいだった。
 ヤマメはついにうなずき、真剣な、まさに鬼気迫る顔で、勇儀の方を睨み据える。

「勇儀。キスメが見つかり次第、私もそっちに合流する。その間、パルスィの身を」
「任せろ」

 勇儀はその肩に一度手を置き、床を蹴った。
 パルスィも遅れぬよう、彼女の後に続き、外を目指した。






(17)


 城を飛び出した勇儀とパルスィは、城門と玄武街を繋ぐ艮坂を下り、南へと急いだ。
 無論、昨日城にやって来た時のような徒歩ではなく、上空を飛んでの移動である。

 下界の混乱ぶりは、大石を巣に落とされた黒蟻のごとしだった。
 とはいえ混乱しているのが妖怪なので、その激しさは蟲の比ではない。
 風を切る音に混じって、いたるところから罵声や悲鳴が聞こえてくる。旧都が騒々しいのはいつものことだが、あくまで散発的なもので、これほどではなかった。まだ火の手が上がってないのが不思議なほどだ。
 ただしパルスィと宙を並走する勇儀は、下の騒動ではなく、むしろ遠方に注意を向けていた。

「何か『いる』な」
「ええ」

 パルスィの勘も、危険を感じ取っていた。
 旧都の外、方角はやはり南西。広い旧地獄の端に何かとてつもないものが待っている予感がある。
 本能的に肌寒くなり、神経が張り詰めるこの感覚は、山崩れの前触れに似ていなくもない。
 ただしここからでは、その正体が一切わからない。

「なんなの一体。妖怪? それとも神様か何か?」
「直接、面を拝んで確かめるしかないだろう。何だろうと、旧都を脅かすやつは許さん」

 勇儀が飛びながら、拳を掌に打ち付けて気合を入れる。
 すぐ側で響く乾いた音が、パルスィの意識を真っ直ぐにし、雑念を取り払った。

 やがて二人は中央街を抜け、旧都の南北の境界を越えた。
 ここまで来れば、パルスィにも見覚えのある場所が多い。まず見えてきたのは人食い広場だ。
 悲鳴が飛び交う中、そこで奇妙な現象が起こっていた。妖怪達が『何か』に襲われている。

「あれ……水よね」

 パルスィが断定できなかったのは、その光景がまともな感覚では認識しがたい代物だったからである。

 見たままを言うなら、地底の妖怪達が『水』に襲われていた。
 洪水で溺れているのではない。膨大な数の透明な液体が伸び縮みしながら、不可思議な動きで飛翔し、逃げ惑う妖怪達に襲い掛かっているのだ。よく見ると、広場のいたるところで、水は爆発するように広がっては消えることを繰り返していた。まるで水の弾幕だ。
 空中で足を止めた勇儀が、深刻な表情で呟く。

「地下水が景気よく溢れだしてる、なんて話でもなさそうだな……っとぉ!?」

 突然二人の下方で、水柱が噴き上がった。
 思わず身を遠ざけるパルスィだったが、勇儀の方は動かず、それを素手で防ぐ。
 蠅を叩き落とすような動きとは裏腹に、物凄い衝撃で空気が割れた音を発し、水の勢いが引いた。
 しかし、

「ぬっ……!?」

 受け止めた勇儀の掌も、妙な色にただれていた。
 ただの水ではない。その正体に気付いたパルスィは、叫んで警告する。

「『怨霊』よ!!」

 再び近くの通りから、水柱が地面を突き破って出現した。
 水の刃が建物を裂きながら、こちらに向かって鮫の背びれのように迫ってくる。
 その中に青い炎が、さらにその奥に髑髏の影が浮かんでいるのが見えた。

 直接触れるわけにはいかない。そう自ら判断したパルスィは、妖力を礫に変えて放った。
 光弾が一直線に走り、水の脅威を迎え撃つ。規模を狭くすることで、威力を集中させたのだ。
 見事、本体である怨霊を射抜くことに成功し、迫りくる液状の刃は弾けて、ただの水たまりと化した。

「やるなパルスィ! ついて来い!」

 勇儀の声に引っ張られ、パルスィは人食い広場の真っただ中に突入した。
 まずは上方から、
 
「ふん!!」

 勇儀の妖力が、周辺を豪快に薙ぎ払う。
 濃密かつ激しい弾幕を食らって、水にとり憑いていた怨霊の集団が、一たまりもなく消滅した。
 格闘戦を封じられても、鬼の攻撃は強力無比だ。地面まで抉り取られ、ど派手な爪痕が残る。

 空間の開いた広場の真ん中に、二人は着地した。
 間髪入れず、四方八方から怨霊が迫ってきた。

「背中は任せたぞ!」
「ええ!」

 問答している時間はない。
 パルスィは目の前の脅威に集中した。

 地面から昇った水柱に騎乗し、二体の怨霊がそれぞれ別の角度から襲い掛かってくる。
 左右の腕を交差させ、パルスィは一方に広範囲の妖力を放ち、押しとどめた。
 もう一方を、本命の一撃で仕留める。向きを忙しなく変えながら、それを何度も繰り返した。

 怨霊の数はさらに増え、息つく暇もなく飛んでくる。
 防ぎきれない、と観念しかけたパルスィの視界の端から、弾幕の援護が割り込んでくる。
 勇儀だ。こちらの呼吸の乱れを読んだかのような間だった。
 そのまま彼女は大仰な動作で、怨霊の注意を引きつけるように立ち回った。
 パルスィもその呼吸を読んで位置を変え、己の視界に集中する。
 地面に互いの足で円を描きながら、二人は外側を向いたまま、夥しい数の暴威に立ち向かった。

 攻撃は最大の防御。弾幕は身を守る盾。
 撃って撃って撃って撃って撃って。死にもの狂いで撃退し続けて。

 五分が経った。
 パルスィは肩で息をしていた。
 けれども、視界は驚くほどすっきりし、静かになっている。
 結局綱を絡ませることなく、二人で怨霊の軍勢を一掃することに成功していた。

「……すーっ」
 
 パルスィは深く息をして動悸を鎮めようとする。柄にもなく、戦闘で気が昂ぶっていた。
 相談も指示もなく、感覚のまま闘った結果とは思えぬ、抜群の成果である。
 呼吸が一致していた要因は、一つしか考えられない。図らずも、城の頂での協奏が生きたのだろう。
 しかし、
  
「しらみつぶしになりそうだね」

 勇儀が決して慢心していない声で言った。
 パルスィもすぐに悟る。旧都は広い。この人食い広場であっても、全体の一分にしか満たない面積だ。
 同じような現象がいたるところで起これば、対処にどれだけ時間がかかることか。

 すでに人食い広場は無残な有様となっている。
 怨霊に毒され、呻き声を上げて地面に倒れている妖怪と、見る影もない売り場と商品の残骸。
 さすがのパルスィも、同情を禁じ得ない。
 昔ヤマメと来た時は……こんなふざけた広場、水没してしまえばいいとまで思ったのだが。

 ――と





  
  



 鈍痛。
 転倒の危機。
 捕縛。拘束。状況把握。
 鬼。盲目。激昂中。攻撃対象。
 
『俺の目を出し抜けると思ったのか、コソ泥が……』
 
 理解不能。
 血圧低下。視界不良。
 側頭部に熱。息と推定。

『てめぇには片腕すらもったいねぇ……両腕とも引っこ抜いてやる』

 肩部亀裂骨折。粉砕骨折。筋肉損壊。意識不明……



   
     
     




「姐御ぉ! 遅れてすみやせん!」

 威勢のいい声と共に、広場に続々と鬼達がやってくる。
 率いているのは、城に住む精鋭達である。編成を終えた旧都の治安部隊が到着したのだ。

「ここは頼んだぞ! 相手は怨霊だ! 気を引き締めて戦え!」

 と、勇儀は彼らに一声かけてから、

「よし。私らは首謀者の首根っこを押さえにいこう。急ぐぞパルスィ」
「…………」
「パルスィ?」
「え、ええ。行きましょう」

 パルスィは我に返って応えた。
 今の……白昼夢のようなものは何だろう。妙にリアリティのある映像だったが、記憶にない。

 ひとまず忘れて、パルスィは今やるべきことに専念した。
 この広場を抜けて旧地獄街道を南に下れば、やがては旧都の端から抜け出られる。
 そこから黄泉比良坂までは、飛べば五分とかからない。
 だがその道程は短いようで、長くなる可能性が高かった。なぜなら、

「あ、姐御! あれを見てくだせぇ!」
 
 鬼の一人が指さす方に顔を向け、勇儀が目を剥いた。

「なんてこった……!」

 パルスィもまた、開いた口がふさがらなくなった。

 南東で、街を破壊しながら『水の竜巻』が蛇行していたのだ。
 百本の滝を束ねたような音を立てて、空中に舞い上げられているのは、家屋と妖怪の影だった。
 しかも竜巻は、見る見るうちに大きくなっていく。あのままでは南東の繁華街が更地に変わる。

「よほど、どでかい怨霊を内包してるらしいな。あれが本命かもしれない。手っ取り早く片づけてやろう!」

 勇儀が恐れることなく地を蹴り、竜巻へと向かった。
 パルスィも遅れじとついていく。

「食らえ!」

 挨拶代わりに、勇儀が弾幕を撃つ。
 その長大な身に光弾を受けた竜巻が、ぐらりと揺れ、針路を変えてこちらに向かってきた。

「正面からは危ないわよ!」
「構うもんか!」

 忠告を無視して、勇儀が空中で腰を落とし、片脇に裸拳を引きつける。
 竜巻が迫りくる中、彼女の猛々しい妖気が、背中側にいるパルスィをも押し避ける勢いで膨らみ、

「でやぁ――!!」

 ねじられた拳の先から、螺旋の衝撃波が発射された。
 だけでは終わらず、

「うららららららら!!」

 空中に勇儀の拳が、残像を重ねていく。
 けたたましい水音と共に、五階建ての高さはあった竜巻が見る見るうちに小さくなり、ついには消滅した。
 散り散りになった怨霊が、力なく漂っているのが目に入り、我に返ったパルスィは思念を飛ばす。
 橋姫の力の源は、嫉妬。パルスィの溜めこんだ嫉妬は、あらかじめ飛ばした思念に沿って、緑色に光る泡沫を生じ、怨霊達を根こそぎ刈り取った。

「ちっ! まだくるか!」
 
 勇儀が次の目標に狙いを定める。
 その先では小型の竜巻が、倒壊した家屋の間から出現し、妖怪達を追い立てていた。
 どうやら怨霊の元凶はもっと先で待っているようだ。

「北に向かえ!」

 逃げ惑う妖怪で入り乱れた空間を、勇儀は飛びながら指示し、

「ここも一旦、後から来る奴らに任せよう」
「…………」

 パルスィは荒くなる息を抑え、無言でうなずく。二人は騒乱の合間を縫って、先を急いだ。

 間違いなく、南に進むにつれて、破壊の規模は増大していた。
 そして怨霊の攻撃も、さらに苛烈なものになっていた。
 不意に出現する鉄砲水を、勇儀は正面から受け止める。水の壁を飛び越えてきた怨霊達を、パルスィが撃破しながら過ぎ去る。第二波、第三波と襲ってくる水を切りぬけながら、二人は前進した。
 旧地獄街道が見る影もない。洪水の痕のように、道が砕かれている。





 
   
   




 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。

『やめて!! 来ないで!!』
『目障りなスケだねぇ。その目玉、くりぬいて飾ってやろうか』

 哂い声が憎い。
 泥水の味が憎い。
 何よりもこいつが、こいつが憎い。

『あんたを呪ってやる……! 必ず……!』
『はは、やってみなよ。丑の刻参りだっけ。ほれ、ここにちょうど釘があった』
 
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
 手が手が手が手が手が手が手が手が手が手が手が手が手が手が手が手が。

『私がここでやってやるよ。ひとぉつ……ふたぁつ……』



    
      
      





 またもや謎のイメージに頭が侵され、パルスィの脈拍が乱れた。

「パルスィ! 休んでる暇はないぞ!」

 勇儀の叱咤に、気力を振り絞って飛ぼうとするが、視界が白み、眩暈が襲ってくる。
 耐えることができず、砕かれた屋根の上にパルスィは何とか着地し、膝をつく。
 すぐ側に勇儀が着地した。

「どうしたんだ一体」
「大丈夫……」
「震えてるじゃないか」

 言われて、パルスィは我が身を抱きしめていた腕を解いた。
 寒さと吐き気が止まらない。気勢を奪われ、己を見失い、血を抜き取られるような感覚。
 妖怪でありながら、命を直接吸われるこの感じは、まるで……。

 勇儀が何かに気付いたように、声を上ずらせてしゃがみこむ。
 
「怨霊にやられたのか!? いつだ!」

 パルスィは首を振る。
 咬まれた覚えはない。なのにこの症状は、怨霊が原因としか思えない。

「パルスィ! おい!」
「大……丈夫だから……もう少し、先まで……」
「けどお前……!」
「私は大丈夫よ! 気遣いはいらないわ!」

 そう叫びながらも、パルスィは震えが止まらずにいた。
 自分の様子がおかしいことは明らかに分かっている。
 さっきから奇怪なイメージが発作のようにやってくる。そしてなぜか南へと向かうほど『興奮』してしまう。
 本来であれば、鬼と闘いに臨むことに悦びを覚えるような、自分の性格ではない。
 なのに今気持ちが逸っているのは、間違いなくこの異常な感覚のせいだ。
 一体この先に、何が待っているのか。 

 ふっ、と体が軽くなった。
 勇儀の頭が自らの脇の下に入っているのを、パルスィは朦朧とした意識の中で、ぼんやりと眺める。
 担ぎ上げられたのだ。だが彼女は足を南西に向けたまま、動こうとしなかった。

「どっちへ行く。パルスィ」
「……え?」
「このまま進めば黄泉比良坂。そこはおそらく怨霊の巣窟だ。けど今のお前が、私の戦闘についてこられるとは思えない。とりあえず、医者に診てもらってからまた出直すという手もある」

 パルスィは自分の耳か、この鬼の頭のどちらかがおかしくなったのだと思った。

「……私の心配なんてしてどうするのよ。今は旧都の一大事なんでしょ」
「旧都は強い。これくらいじゃ、くたばらん。だがお前の様子は危ない。私の勘だ」

 勇儀はパルスィを担ぎ直しながら言う。

「無事に帰すと、ヤマメとも約束したからな」

 心を別の痛みが苛んだ。
 結局、いつも自分は迷惑者にしかなれないのだろうか。

 ――連れて行って……お願い……。

 本心とは逆のことを、パルスィは伝えようとしたが、舌が回らなかった。
 行きたくない。自分の何かが変わりそうで怖い。けど借りを作るのも、足手まといと見なされるのも嫌だ。

 勇儀が答えを待っている。
 辰巳横丁の景色をぼんやりと眺めながら、パルスィは場違いにも、昨日の事をぼんやりと思い出していた。
 この辺りで鬼に追っかけられて、その後勇儀と対面したのだ。
 もっともその前に、乱麻堂でヤマメと彼女が話しているのを目撃したのがきっかけともいえたが。
 



 
   
   



 私を見てね。私を知ってね。私を見てね。私を知ってね。
 ほらこんなに。ほらこんなに。ほらこんなに。ほらこんなに。
 
『このクソったれが!! よくも俺様の腕を!!』
『待て待て。俺に任せろ』

 わぁ近づいてくる。わぁ近づいてくる。わぁ近づいてくる。わぁ近づいてくる。

『こうなったらこいつはもう戻らねぇ。ただ殺すのはもったいない。この桶は薬として、高く売れるんだ』

 あれ動けないよ。動けないよ。動けないよ。動けなななななななな

『へへ。悪く思うなよ。恨むなら俺たちじゃなくて、弱く生まれたお前を……』



    
      
      




 足元が急になくなったような不安が、パルスィを襲った。
 自分達の影が、もっと大きな影に呑みこまれる。

「勇儀……あれ……」

 けたたましい音が天から響いた。
 勇儀が振り仰ぎ、

「なっ……」

 言葉を失う。乱麻堂が屋上から、音を立てて倒壊していく。
 
 その上から、新たに結界を突き破ってきた巨岩が、見る見るうちに迫ってきていた。






(18)


 突然床が振動し、鬼ヶ城の廊下を走っていたヤマメは、足をもつれさせた。
 宙返りして、急停止。壁に手をつき、油断なく窓から外を見据える。

「……地震じゃないね」

 南側で土煙が上がっていた。
 衝撃からして、今度こそ結界を突き破って岩が落ちてきたに違いない。
 あれは辰巳横丁、乱麻堂の建っている辺りだろうか。あの様子では、建物ひとつ残らずぺしゃんこになっているだろう。

 いよいよ大変なことになってきた。
 これが何者かによる攻撃だとすると、今いる鬼ヶ城も安全かどうか疑わしい。
 ここは旧都でもっとも頑丈な建物だが、もっとも目標にしやすい建物でもあるからだ。
 南側に住む妖怪達の多くは、強い鬼の集まる北側に逃げてくるだろうし、警備の鬼達も鬼ヶ城周辺に避難の誘導を進めるだろう。
 もしそれが敵の狙いだとするとまずい。
 今は無理でも、いずれは旧都の外にある広い場所に避難所を設けるよう、進言すべきかもしれない。
 ヤマメは考えをまとめる一方で、声を四方に張り立てる。

「キスメ―! いたら返事しておくれー!」

 こんな騒ぎになってもまだキスメが見つからないことに、焦りが募っていた。
 やはり外にいるのだろうか。
 ならばここにいる鬼に言いつけて、彼女が城に帰ってくるのを待ってもらう方がいいかもしれない。
 キスメの捜索を旧都で行えば、微力ではあるが救助活動に手を貸すこともできる。
 もし彼女の安否が確認できれば、すぐに勇儀とパルスィの加勢に向かいたい。今ほど体が二つ欲しいと思ったこともなかった。

 と、城全体に張り巡らせていたヤマメの『意識の網』に、小さな影が引っ掛かった。

 ――三階……!

 すかさず階段を蹴って昇る。
 目指す場所は三階奥、城の裏手を通る廊下に面した……物置だ。
 なんだってあんなところに隠れようと思ったのか。当てはずれにも程がある。
 ともかく急いで廊下を駆け抜け、奥にある扉に着いたヤマメは、開けるなりその名を呼ぶ。

「キスメ!」

 だが、ヤマメの目に飛び込んできたのは、釣瓶落としではなかった。
 薄暗い中、掃除用具の陰で身を小さくしているその妖怪は、おかっぱ頭の小鬼だった。

 髪の毛は全体的に白いが、頭頂部だけが墨で湿らせたように黒くなっている。
 鶯色の狩衣姿で、二本の角を除けば、まるで平安のかむろを想わせる容姿である。
 小鬼は見つかったことに驚いているらしく、こちらを真ん丸の目で見つめていた。
 ヤマメもその小鬼と、ほとんど変わらぬ表情で口を動かす。

「あんた……もしかして臥姫の?」

 そこでまた城が、大きく揺れ動いた。
 慌てて逃げようとする『付喪神』の体を、ヤマメは抱きとめる。

「っとぉ! ちょっとお待ち!」
「…………!!」

 ヤマメはじたばたと無言で暴れる付喪神を、なんとかあやそうとした。

「大丈夫! 誰もあんたを傷つけやしないよ!」
「……! ……!」
「わかったわかった! じゃあ逃げな! けどその前に、十秒だけ黙って話を聞け!」

 ばたつく手足が、ぴんと動きを止めた。

「今、外はかなり危ないから、絶対城からでないこと。けどここにいれば左近の旦那も、あんたを守ってくれるさ。何しろ、臥姫の忘れ形見なんだから。だからもう隠れるのはおよし」

 懸命に囁きかけるうちに、ようやく小鬼の四肢が丸まっていく。逃げる気配もすでになかった。

 ヤマメは改めて、その怯えきった姿を眺めてみた。
 やはり付喪神で間違いない。近くで接しても、鬼特有のささくれ立った妖気ではなく、古い道具の精に共通するまろやかな妖気を感じさせる。
 目に涙を浮かばせてヤマメを見上げる顔は、あどけなく、少し間が抜けていた。
 彼女の主人である臥姫も、こんな顔をしていたのだろうか。
 向き合っていると、不思議と緊張の糸がほぐれてしまう、可愛らしい相好である。

「筆の子だから筆姫、じゃあ安直かしら。どうしてあんたは勇儀から逃げ回ってたんだろうね」
「………………」
「そうだ! こうしちゃいられない。とりあえずあんたは左近の旦那のところに連れてくとして、あ、待った。ねぇ、私の仲間が今どこにいるか知らない? キスメっていうんだけど、緑色の頭の……こんな髪型した釣瓶落とし」

 早口で述べ立てて、ヤマメは自分の髪を一房手で掴み、二つのおさげを作ってみる。
 途端、筆姫は物凄く驚いたように、再び顔を引きつらせた。

「その反応……知ってるんだね!? 今どこに……ってこら!」

 またもや逃げ出そうとする小さな体を、ヤマメはもう一度抱き留める。

「知ってるなら教えて! この城で見たの!?」

 筆姫は口をパクパク動かして首を振った。声になってはいないが、何かを伝えたそうな顔だ。

「そっか、喋れないんだ。じゃあえーと、ほら、紙に書いたりできないかしら」

 筆姫はこくこくとうなずいて、袖から小筆と紙を取り出した。
 さすが、とヤマメは指を鳴らし、続きを急かす。

 ところが、式神が墨でこしらえ始めたのは、予想に反して文章ではなく、墨絵であった。
 いかにも慌てん坊の仕草だが、その筆さばきは本物だ。
 別の作品を転写しているかのように、あっという間に絵が出来上がっていく。
 ひとまずヤマメは、すぐ隣で彼女の仕事ぶりを見守ることにした。

 そして絵が出来上がっていく様を見るにつれて、あどけない所作に緩んでいたヤマメの顔から、だんだんと笑みが消えていった。

「これ……どういうこと?」

 完成したその絵を、食い入るように見つめる。

 そこには、旧都を脅かす、二つの魔物が描かれていた。
 左近に見せてもらった予言の絵よりも、はっきりと。

 山のように大きな怪物と、それを従えるように空中に立つ影。

 ヤマメは付喪神の方に顔を向けた。
 この絵の『二つの妖怪』は、一体何者だ? なぜ彼女は今になって、この絵を描いて自分に伝えようとした?
 むしろ勇儀の前に姿を現して、直接彼女の方に伝えればよかったのに、なぜ早くそうしなかったのか。

 いや……それができない理由があったとすれば?

「……まさか……」

 筆の式神が、土蜘蛛の考えを読んだかのように、切羽詰まった様子で何度もうなずき、また新しい紙を取り出し、絵を描きはじめる。今描いた絵にある二つの妖怪について、より詳しく描写していく。

 ヤマメの焦燥が加速していった。
 一瞬打ち消そうとした、あってほしくないその答えを、予言者の筆が残酷に暴いていく。
 見たくないのに、瞬きすることができない。

 ただし今度出来上がった絵は、ヤマメの懸念をさらに超越していた。

「そんな……!」

 理性を保っていた糸が切れ、谷底に落とされる浮遊感。
 ヤマメはその絵を前にして、完全に打ちのめされていた。
 墨を通して、付喪神が訴えてくるのが分かる。これは予言ではない。事態に乗り遅れようとしていた、ヤマメのために描いてくれたものなのだ。

「あれ!? ヤマメさん、どうしたんですかこんなところで」

 通りかかった鬼の若者が、廊下から部屋を覗き込んでいた。
 ヤマメは立ち上がって、物置を出るや否や、その鬼に一枚目の絵と筆姫を押し付け、

「この子を左近の旦那のところに連れてってやって! 私は用事が出来たから!」
「えっ、ちょっと待ってください!」

 その声を無視して、ヤマメは窓から飛び出した。
 鬼瓦と城の壁に、一瞬で糸を張り、強く蹴って加速をつける。

 目指すは南西。全ての元凶が待っているであろう、あの場所へ。
 信じたくはない。が、確かめなくてはいけない。
 
 その手には、式神から託された、一枚の絵が握られていた。




 ◆◇◆




 瓦礫と大岩が混在した、屑の山脈。
 その奥底に眠る、一際大きな岩の下で、星型の光が明滅していた。
 呼吸のような一定のリズムで光るそれは、赤く尖った円錐体に刻まれており、次第に微動し始める。
 と同時に、圧縮されていた妖気の塊が、膨張の兆しを見せ、
 
「………………っだらぁ!!」
 
 ドガン、と五百貫はある岩が真っ二つになり、破片が十メートル近く吹っ飛ばされる。
 瓦礫の海をかき分けて現れたのは花果山の猿ではなく、旧都の鬼の首領である。

「くっそ……よくもやってくれたな」

 勇儀は首の後ろに手をやり、頭を振って呻いた。
 建物もろとも押しつぶされる前に、巨岩に一撃をぶち込んだものの、砕けた岩の一つが真っ直ぐに飛んできて回避できなかったのだ。
 破片といっても、自分の質量の一万倍はある大岩である。それがもろに後頭部を直撃したのだから、いくら鬼の肉体が頑丈といっても、下手をするとお陀仏であった。
 しかしどうにか、相方の身を庇うことはできたが……。

「えっ……!?」

 勇儀は珍しく、うろたえていた。
 体の下に庇っていたはずの橋姫は――目付き以外は似ても似つかぬ、大トカゲのぬいぐるみだったのである。
 おそらく乱麻堂かどこかの商品だったのだろう。
 あまりに急いで対処したので、守るべきものを間違えてしまったのだ。

 しかし、間違ってしまった理由はもう一つある。

 ――綱が外れてる!?

 なんと、いくら解こうとしても全く歯が立たなかったあの万本綱が、勇儀の首からいつの間にか外れていた。
 一体どういうきっかけで解けてしまったのかはわからないが、これでようやく自由に……ではなく、

「しまった……! パルスィ!」

 勇儀は慌てて周囲の瓦礫をあさり始める。
 何しろヤマメに堂々と「任せろ」と約束してから、一時間も経っていない。
 これでパルスィに何かあったら、面目丸つぶれどころの話ではなかった。ましてや、トカゲのぬいぐるみと間違えた、などと言い訳できるはずがない。

「パルスィー! どこだー! 返事してくれー!」

 勇儀は立ち上がり、大声で呼びかけた。
 乱麻堂の残骸と岩で周囲は洞穴状になっている。足下には売り物が散乱しており、生きた魚まで跳ねていた。
 この中から橋姫の姿を見つけ出すのは、かなりの骨だ。が、そんなことを悩んでいる場合ではない。
 ひとまず勇儀は、鬼火で明かりを作ろうとした。

 その時である。

 正体不明の爆風が、勇儀の鼓膜を圧した。
 土煙や瓦礫、売り物など、視界を塞いでいた余計なものが、全て一度に吹き飛んだ。

「……っ!」

 不意の衝撃にも、勇儀は完璧に対応していた。
 腕で身を庇いながら、一瞬たりとも目を閉じることなく、注意深く周囲を窺う。
 油か何かに引火したのだろうか。しかし空気は肺を焼くほど熱くなく、それらしき臭いもない。

 粉塵がおさまるのに合わせて、勇儀は構えていた腕を徐々に下げていく。
 と、わずか十歩の距離に、影が浮いていることに気付いた。
 彼女を見た勇儀は思わず、無事だったんだな、という声が出かかる。
 だがその台詞は、喉の奥に引っ込んだ。

 橋姫はミズメの面をつけていなかった。
 首に結ばれていた万本綱は外れており、全身を覆っていた外套も脱げて、会った時の服装に戻っている。
 だが見たところ怪我をしているようではない。先程担がれていた時よりも、ずっと生き生きとしていた。

 いや、不自然なほど、生き生きとしていた。

「パル……スィ?」

 勇儀は茫然となる。
 パルスィの雰囲気が一変していたからだ。
 ざわめく髪の毛、緑に燃える双眸。口の端は吊り上り、真っ赤に裂けた笑みを形作っている。
 綱がようやく外れたことに喜んでいる……という感じではなかった。
 勇儀には理解できない。なぜ彼女は『敵意』を向けてくる? 

「くく……」

 パルスィは地面に立つこちらを見下ろし、喉を鳴らした。
 周囲は相変わらず、敵意の混ざった寒々とした妖気が取り巻いている。

「ついに……長年の夢が叶うわ……鬼の四天王……力の勇儀……」

 一言ずつ、パルスィは呪文のように告げる。 

「貴方が居なくなれば、この『腐った都』の力も半減する。そうすれば、事を為すのは容易い」
「何を言って……」

 勇儀が一歩踏み出そうとした、その矢先であった。

 敵意が殺気へと変わり、すぐ側の瓦礫の山が弾け飛んだ。
 水のトラバサミが、体を食いちぎろうとしてくる。

「くっ!?」

 勇儀は身をひねり、両腕に妖気を走らせながら後退した。
 これもただの水ではない。ここまで来る途中で見た通り、怨霊の呪いで汚染されていた。

「まさか……」

 勇儀は瞠目して、宙に浮く妖怪を見据える。
 今の攻撃はまぎれもなく、彼女の妖気が引き金となって発生した。
 ということは、

「パルスィ……お前が怨霊を!? なぜだ!?」
「さすがに、この場で倒しきるのは難しいわね。けど私には、とっておきの『手下』ができた。もはやあんたに止めるのは不可能よ」
「なんだと!?」

 パルスィはとんぼ返りして、「あはははは!!」と飛び去っていく。
 咄嗟に捕まえようと勇儀が足を踏み出したところで、またもや目の前に水の番兵が立ち塞がった。
 自らの拳圧でそれを吹き飛ばし、勇儀はパルスィの後を追う。

「待てパルスィ! どこへ行く!」

 呼び止めるものの、橋姫は振り返らない。
 だが彼女が向かっている先は、そもそも勇儀と共に目指していた方角――旧地獄の南西であった。






(19)


 ――どういうことだ一体。

 勇儀の頭は、状況の急激な転換についていけていない。
 脳内で謎が連鎖的に生まれる。
 
 いきなりパルスィが変わってしまったのはなぜだ。 
 万本綱が外れたことと、何か関係はあるのか。
 この怨霊騒ぎと彼女に、一体どのような繋がりが。

 混乱する頭を余所に、勇儀の肉体は鬼の本能にあくまで忠実だった。
 旧都の郊外を蛇行しながら飛ぶ緑の陽炎を見失わぬよう、まっしぐらに追う。

 だが勇儀の狩人としての直感が、別の角度から疑問を投げかけた。
 パルスィの飛び方がおかしい。こちらを振り切ろうとするなら、あんなぐねぐねと飛ぶ意味がない。
 そのくせ、速度は勇儀に勝っている。じゃなければ直線的に飛ぶこちらは、とっくに追いついているはずなのだから。

 つまるところ、あいつは逃げていないのだ。追っ手であるこちらを挑発し、誘っている。
 この先に連れて行こうとする目的は何か。何やらどデカい落とし穴を仕掛けているという可能性も高い。

 ――上等……。

 勇儀は凶暴な笑みで、邪魔となる思考を熔かしつくした。
 旧都に徒為すものは、何であろうと己の力で叩き潰す。それが知り合ったばかりの友であっても遠慮はない。
 ほんの一瞬だけ、土蜘蛛との約束が頭をもたげたが、両手で頬を張り、打ち消した。
 どちらにせよ、あの橋姫ときちんと対話をしないことには始まらないのだから。
 
 やがて黄泉比良坂が見えてきた。
 小石から大岩、そしてあの山ほどもある岩を含めた黒い岩石群が、片づけられずに残っている。
 旧都の騒ぎとは裏腹に、ここは不気味なほどの静けさに包まれていた。
 だがしかし、本物の黄泉の気配をにおわせる肌寒さの中で、勇儀は――鬼の長はあってはならない光景を目撃する。

「お前達!」

 見張り番を請け負っていた鬼の仲間らが、地面に倒れ伏していた。 
 勇儀はその身体の一つに駆け寄って、状態を確かめる。

「炎馬! しっかりしろ」

 鬼ヶ城から遣わせていた部下だ。
 勇猛果敢であり、実力は城でも十指に入るほどの鬼だったが、虫の息になっていた。
 鍛えた肉で盛り上がった背中が、真一文字に裂かれている。
 そのわずかに湿った傷に触れ、勇儀の眉間に力が入る。

 ――水神……いや、怨霊か。これもパルスィの仕業なのか?

 鬼は自他ともに認める最強の種族だが、怨霊はあまねく妖怪の天敵である。
 不意をつかれれば、どのような強者であっても精神を侵され、やられかねない。
 旧都の怨霊は全て監視下にあり、その役目は鬼ではなかったので、このような奇襲はここを任されていた誰しもが想定していなかったため、餌食にされたのだろう。

 だが、どうも妙だった。
 炎魔の身体にある、傷口から流れたのであろう血の痕が、もう乾ききっている。
 パルスィが今しがたここに来て凶行に及んだのであれば、まだ出血していてもおかしくない。

 それに、より多くの鬼達は、別の力でやられている。
 見たままを言うなら、全員が凄まじい力で叩きつぶされていた。
 どれも一撃。たった一撃で仕留められている。どんな馬鹿でかい大槌を使えばこんな状態になるのか。
 鬼の群れを力でここまでいたぶれる存在が、同じ鬼の他にこの世界にいるとは考えにくかったが。


 グルォォオオオオオオオ!!

 

 山鳴りを思わせる遠吠えが、黄泉比良坂に響き渡った。
 勇儀は顔を跳ね上げ、強大な妖怪の気配に身震いした。
 慌てて敵の居所を探るものの、目に入るのは物言わぬ岩ばかり。
 
 いや、最も大きな岩山の上に、ぼんやりとした緑の光を見つける。

「パルスィ!!」

 勇儀は彼女に向かって、鋭い声を飛ばした。
 燐光に包まれた橋姫が、糸を引くように降りてくる。彼女はちょうどお互いの表情が窺える距離で止まった。
 その体の周りを、怨霊が青白い軌跡を描きながら、飼い主に懐くように遊泳している。

「すぐにあんたも、そいつらの仲間入りをすることになるわ」
「お前……!!」

 憤怒が勇儀の身を焼きあげた。

「なんだっていうんだ一体! 怨霊にやられて、頭がイカれたか!? それともこれは前から計画してたことなのか!?」
「クク……そうね。どちらも半分だけ正解、と言っておくわ。敢えていうなら、嫉妬の神様の導きというやつかしら」
「ふざけるな!!」

 すぐにでも引きずり下ろしたい気持ちを抑え付けながら、勇儀は握った拳を横に払い、問い質す。

「私にもわかるように、最初から全部説明しろ!!」
「…………説明するまでもないわ」

 パルスィの笑みが崩れ、修羅の顔が表に出た。
 
「妬ましいのよ!! 鬼が妬ましい! 旧都が妬ましい! 力を持つやつらが! 私より強いやつらが! ずっとずっと妬ましかった!!」

 耳をつんざく金切声が、黄泉比良坂の岩の間を反響した。
 彼女は空中で、自らの顔に爪を立て、髪を振り乱して喚く。

「なんで私は弱いの!? どうして旧都の連中に下に見られて、笑われて生きていかなきゃいけないの!? なんで私には力がないの!? なんで! どうして! あああああ妬ましい!」

 ヒステリックに叫ぶその姿は、狂っていた。
 激憤のあまり、全身の関節に力がこもり、操り人形のような姿勢で、獣じみた唸り声を喉から発している。
 怒りにとらわれていた勇儀も、その奇態に呑まれ、切るべき啖呵を見失ってしまった。

「そういう思いをしている連中は、上にはたくさんいるわ!! そういう奴らをあんた達は無視してきた! 淘汰してきた! なぜなら強いから。そうすることが許されるから。だから私もその流儀にのっとって、旧都をぶっ潰してやるのよ!!」

 パルスィは一方的にまくし立てながら、両手を頭上に掲げ、上昇する。
 岩山の頂上に足を置き、彼女は指揮するように腕を動かした。

「この最強地底妖怪、堕威陀羅(ディダラ)でね!!」

 勇儀は驚嘆のあまり、金縛りとなった。
 パルスィの足下にある巨岩が地響きを起こしながら、浮き上がり始めたのだ。

 いや、それはすでに岩ではなかった。
 鬼ヶ城と比肩しうる大きさの、不格好な巨人であった。
 頭はない。ずんぐりした胴体に数珠状に連なった岩が腕のように繋がっており、二つの太く平らな岩が足の役目を果たしている。
 なんという大きさであろう。元々、途方もない高さと太さの岩石だったが、動くことでさらに存在感が増す。
 そして恐るべきことに、その山を動かしている力は、怨霊そのものだった。
 すなわち、怨霊で繋ぎ合わされた岩の大怪獣と呼べる存在だったのだ。

「さぁ! その力を見せてやりなさい!」

 堕威陀羅が転がっていた岩石の一つに、のっそりと手を当てる。
 鈍間ながらど迫力の動きを、心が白紙状態にあった勇儀は、ただただ眺めていたが、

「んぬっ……!?」

 直後、信じられない勢いで、岩が接近してきた。
 砲弾どころではない。富士の噴火口から飛び出しでもしなければ、これほどの威力は出ないだろう。
 咄嗟に受け止めた瞬間、勇儀の掌で岩が砕け散り、肩まで痺れが走った。
 これが幻覚か、あるいは蜃気楼か何かの類ではないことを実感する一撃だった。

「……恐れ入った」

 勇儀は痺れた手を振りながら、鼻を鳴らして言った。
 称賛の言葉は、怪物ではなく、パルスィに対してのものである。

「こんな超弩級の化け物を秘かに育てながら、のうのうとあの宴会に参加してたとはね。面の皮も厚いが、肝っ玉も大したもんだな」
「ふふ、あいにくこれは私が作り出したものじゃないわ」
「何?」
「『私達』は天啓を授かった。すぐに理解することができた。これは恵まれぬ橋姫に与えられたプレゼント。非力な妖怪が、己の本懐を遂げるための道具」

 彼女の言の真意を、勇儀が量る暇はなかった。

 堕威陀羅の体から怨霊が浮きだし、再びその腕が別の岩を支え、持ち上げたのだ。
 だが今度その怪物が狙いを定めたのは、足元にいる勇儀ではない。
 北東、すなわち旧都の方角だ。すでにここから何度も岩を投げつけて、結界を脅かしていたのだろう。

「ふんぬ!」
 
 勇儀の弾幕が、その岩が腕から離れる前に、空中で破壊していた。
 大規模な崩落を思わせる石の雨が降ってくる。
 それを全く苦にせず体に浴びながら、勇儀は薄く笑い、片手で招きながら挑発する。

「あいにく、旧都にはこれ以上指一本触れさせないよ。木偶の坊」

 顔のない巨人のかわりに、その上にいたパルスィの表情が憎々しげに歪んだ。

「堕威陀羅!! そいつを捻り潰してやりなさい!!」

 地底を揺るがす咆哮を上げ――どこから声が出ているのか不明だが――地鳴りと共に巨体が向きを変えていく。さらに、数珠状の腕が左右に広がった。
 堕威陀羅は遠心力を効かせて、まずは右腕を振り回してくる。
 衝撃波だけでも、旧都の長屋を紙屑のように吹き飛ばせる威力がこもっていた。
 しかし勇儀は地を蹴って、その一撃を悠々と避け、

「はん! どこの間抜けだ!? こんなノロい拳に当たるのは!」
「あんたの間抜けな部下達よ」

 パルスィが言った途端、伸び切った巨人の腕から、怨霊の大群があぶくのごとく噴き出る。
 勇儀は笑みを引っ込めた。無数の牙の前で、きりもみ回転。
 と同時に弾幕を放ち、なおも迫りくる怨霊達を振り払いながら、殺意の沼から脱した。
 岩の一つに着地し、再び怪物と向き合い、息を整える。

「ノロい拳じゃなくて、呪い拳。なんてね」
「んな……」

 橋姫の一言は、怨霊以上に勇儀の気力を削いだ。
 だが悠長にふざけていられる状況ではない。
 この怪物が、ただ動くだけの岩山ではないということが分かった。
 パルスィの余裕が虚勢ではなく、本物だということも。
  
 ブォォと唸りを上げて、再び堕威陀羅の規格外の拳が勇儀の元に迫ってくる。
 慎重に飛んでかわす。余波の風が空気の棍棒となって、全身を打った。
 前髪が全て引っくり返り、一本角がピリピリと痺れる。
 ほとんど両腕を振り回しているだけでしかない。喧嘩の素人の動きだ。同じ背丈であれば、遊び相手にもなりはしない。
 ただし、込められたパワーが桁違いだった。見た目を裏切らぬ、鉄鉱の山に等しい重量感。
 部下の鬼達を一撃で叩きのめせたのも、この破壊的な膂力の賜物だろう。
 
 けれどもそれだけでは、鬼を屠ることはできない。

「ちっ!」

 勇儀は絶えず弾幕を放ち、岩石の行列が通り過ぎる度、食らいついてくる青い炎を振り払っていた。

 問題は怪物の腕を覆う、この怨霊の存在だった。
 肉体よりも精神に偏っている妖怪にとって怨霊は厄介な存在だが、通常はろくな知性がないために、追い払うのは簡単だ。
 しかし命令を与えられ、使役者によって統率された怨霊は、どんな大妖怪にとっても脅威となり得る。
 下手に素手で反撃しようとすれば、逆に毒され、致命傷になりかねない。
 よって、勇儀の避けるべき攻撃範囲は出鱈目に広くなっており、その空隙を見つけるだけでもかなりの労苦を強いられた。

 休む間もなく、怪物の拳となっている岩塊が、大風を巻き込んで飛んでくる。
 勇儀は回避に徹しながら、じっと隙ができるのを待っていた。黄泉比良坂の広い戦場を目一杯使って、上手く相手の攻撃を誘導し、

「そこだ!」
 
 急上昇した勇儀は、伸びた拳と怨霊の間合いをギリギリで見切って、堕威陀羅の裏へと回った。
 千坪の広さはある無防備な背中に、鉄拳を叩きこもうと接近する。
 だが堕威陀羅は全く慌てた様子もなく、狙いすましたかのようにもう片方の腕を使って、こちらの体を正確に狙ってきた。

 再びリーチの外に追いやられた勇儀は、めげずに次の攻め手を模索する。
 背中側は死角になっているかと思ったが、そうではなかったようだ。
 というよりこの化け物には、顔らしい顔がない。
 ひょっとすると、前後の区別がないのではないか。もしや、パルスィが目と耳の役割を果たしているのでは。
 
 勇儀は拳の照準を、上方を漂う橋姫に切り替えた。
 元はと言えば、勇儀の怒りの原因の大半はこっちの妖怪にあるのだ。
 手加減無しの拳骨を撃ちこんでやろうと、腕を振りかぶって突っ込んだが、

「ふふふ」

 パルスィは先手を打っていた。
 怨霊のしみ込んだ流水が、彼女の体の後方から、勇儀に向かって放たれる。

 ――そうか、これもあったな!

 触手のごとく唸る水の鞭に、再び勇儀は回避を強いられる。 
 堕威陀羅にしてもパルスィにしても、この怨霊があるとないとでは、与し易さが天地の差だ。
 ましてやこれほどの数となれば……。

『勇儀様ぁ!』

 堕威陀羅の拳の風切り音に混じって、太い声が勇儀の耳に届いた。
 城の鬼達が、応援に駆け付けてくれたのだ。数は二十名ほど。いずれも物々しい具足を身に着けている。
 相手が怨霊だという報告を受け、入念な装備をしてきたのだろう。気合も十分入っている様子だ。
 しかし、

「手を出すな、お前達!!」

 その一喝が、戦場に躍り込もうとしていた彼らを踏み止めた。
 一度堕威陀羅から離れ、勇儀は鬼達の側に舞い降り、命令を下す。

「そこらで動けなくなってる奴らを介抱しろ」
「しかし勇儀様……!」
「二度も言わせるな。こいつは私がけりをつける。星熊勇儀の決闘だ」

 音に聞こえし鬼ヶ城のつわものどもが、一様に固唾を呑んだ。
 鬼の戦いには流儀がある。大将の一騎打ちとなれば、どんなことがあっても邪魔するわけにはいかない。
 ましてや四天王の決闘など、彼らにとっては神話の中の出来事に等しい。この旧都で、この目で拝める日が来るとは信じられなかったのだ。

 一も二もなく命令を受け入れ、鬼ヶ城の鬼達は、倒れていた仲間の救出へと向かった。
 その様子に満足して、勇儀は再び、怪物と相対する。
 腰に手を当て、首の骨をこきこきと鳴らしながら、

「いいものを手に入れたな、パルスィ」

 頭上に呼びかける。
 その声は屈託がなく、快晴の空のようにからっとしていた。

「察するに、お前はその怪物と力比べをさせたくて、私をここに呼んだ。違うか?」
「力自慢してるあんたが、力に屈するところが見たかったのよ。けど、まだ笑う余裕があるのね」
「いやぁ心底嬉しいのさ。迷惑どころか、こんなにありがたい話はない。できれば、年が暮れるまでずっと闘っていたいくらいだ。はっはっは」

 大口を開けた馬鹿笑いに、橋姫が忌々しげな面持ちになる。
 おそらく今の発言が、ただの強がりだと思ったのだろう。

 主人の憤懣に感化されたのか、堕威陀羅が一吠えして拳を持ち上げ、勇儀に向かって振り下ろす。
 さっきよりもさらに勢いがある。
 同サイズの鉄球に等しい拳が、空気の壁を生じながら、猛スピードで近付いてくる。

 勇儀は大きく横に飛んで、それを避けた。
 黄泉比良坂の大地が、轟音と共に地割れを起こす。離れた場所で見守る鬼達も、吃驚していた。
 とてつもない力だ、と勇儀は眼下に広がる拳の痕を眺めながら思う。
 鬼は嘘をつかない。この化け物と闘えるのが、本当に嬉しい。
 もっとその力を見てみたい。味わってみたい。戯れてみたい。ずっとこうして、戦っていたい。

「でも私の欲ばかり考えてちゃあいけないからなぁ……」

 横振りで飛んでくる腕をなおも避け、勇儀は不敵に呟く。
 鬼は生まれた時から死ぬ時まで、強敵に飢え続ける。
 ただし星熊勇儀にとって、長らく強敵というものは存在しなかった。
 そう。何百年と、巡り会う機会はなかったのだ。

「ふふふ、あいにく久しぶりなんで……ちょっとここら辺がどうなるかわからないが」

 辺りの空気が変わった。
 地面に下りた勇儀は、左手を前にかざし、右の拳を弓のように引いた。
 右足を大きく下げ、腰を低くし、意識を丹田に持っていく。

「……せっかくのお人形が壊れても、泣かんでくれよパルスィ」

 堕威陀羅の拳が、勇儀に一直線に伸びてくる。標的となった自らを遥かに超える大きさの岩塊が。
 勇儀はかわすのを止め、その場に立ち尽くした。

 四天王の拳がはじめて、堕威陀羅の拳と交わる寸前、


「三歩必殺っ!!」


 大音声と共に、勇儀の気迫が弾け飛んだ。
 足場に亀裂が走り、空間が悲鳴をあげる。

「一歩!!」

 刹那、神速の拳が光を放ち、

 轟音と共に、『黄泉比良坂の岩壁に』大穴が生じた。
 射線上にあった堕威陀羅の巨大な拳は、跡形もなく吹き飛んでいた。

「二歩!!」

 堕威陀羅の逆の拳が、またもや一瞬で吹き飛んだ。
 のみならず、腕全体に亀裂が走り、怨霊達が残らずかき消された。

 パルスィが目を瞠る。
 しかしその口が言葉を発する前に、勇儀の最後の一撃が放たれる。


「三歩ぉ!!」


 今度は正真正銘の爆発が起こった。
 旧地獄がここにきて、この日最大級の揺れを起こす。
 そして堕威陀羅の体の中心には、方針円状の罅が走っていた。
 黒色の岩肌に平面の花火を咲かせ、大巨人は体をふら付かせて、ついには地鳴りと共に仰向けに倒れる。

「う、嘘でしょ!?」

 パルスィの悲鳴が、勇儀の耳に痛快に響いた。
 無理もない。鬼の群れを子ども扱いした怪物を、赤子の手をひねるかのごとく粉砕してしまったのだから。
 橋姫は舐めていた。いや、知らなかったのだ。旧都を背負う鬼の、真の巨大さを。
 地底の頂点に立つことを許された大妖怪、「力の勇儀」の名を象徴する『力』を。

「とどめだね!!」

 勇儀が倒れた堕威陀羅の胴体となっている岩山目がけて飛んだ。
 抉れた胴の中心に、剥き出しの心臓部が見えている。
 輝く緑の玉目がけて、勇儀は拳を振りかぶり、




「…………キスメ?」




 無防備な巨人の中心部で光る、緑色の球の中で眠っていた妖怪。
 それは昨日知り合ったばかりの釣瓶落としだった。

 鬼の拳に迷いが生じる。
 昨晩と異なり、油断ではない。
 が、取り返しのつかぬ悪手であることには変わりなかった。

 一瞬の隙を縫って、堕威陀羅の第三の拳が放たれた。
 死角から連なった岩が、勇儀の体に直撃する。

「がはっ……!!」

 堕威陀羅は人形。腕は二本のみという概念はないのだ。
 いくら壊されても、ここら一帯に散らばった岩から、次々と新しい手足を生み出すことができる。
 怨念の一撃が、妖怪の精神の隅々を汚染し尽くさんとした。勇儀は体内に練り上げていた妖気を全身に翔け巡らせることにより、何とか食われるのを防いだ。

 けれどもダメージは深刻だった。
 観戦していた鬼達が息を呑む。そして口から血を流す勇儀は、中腰で呻く。

「どういうことだ……パルスィ……」

 それまで、かすらせもしなかった堕威陀羅のまともな一撃は、鬼の常識すら遥かに凌駕する威力だった。
 もう一つ、たった今新たに知った事実も、勇儀にとって見過ごせない痛打となっていた。
 「ふふふ」と橋姫は哂う。

「堕威陀羅の母体は、水気を含んだただの岩。吸収した怨霊は、知性なんてかけらもない奴ら。こんな風に統一した動きをするには、核となる妖怪が必要だったの」
「だからそいつを生贄にしたのか……!!」
「生贄? 馬鹿言ってんじゃないわよ。私よりも先に、彼女が選んでいただけ。私はその手助けをしているのよ。つまり伝道師みたいなものかしらね」
「戯れ言を……!!」

 勇儀は睨み殺す勢いで、視線をぶつける。
 けれども余裕を取り戻したパルスィは、いささかの良心の呵責も感じていないようだった。

「旧都に住むあんたに、私達の気持ちは永遠に理解できない」

 橋姫は冷ややかな声で言って、片手を振り上げた。

「ちょっと驚いたけど、おかげで目が覚めたわ。あんたは遊べるほど柔な妖怪じゃない。堕威陀羅。とどめを刺してやりなさい」

 堕威陀羅が命令通り拳を振りかぶり、一気に突き出してくる。
 体力が回復していない勇儀は、引きつけてから避けようと力をためた。
 その足元で、ぴちゃりと音が鳴った。

 水だ。勇儀の背筋に冷えた痺れが流れる。
 パルスィは今の会話の際、決して酔いしれていたわけではなく、周到な罠をしかけていたのだ。
 濁流がくるぶしに絡みつき、あっという間に体の自由が奪われた。
 痛恨の念にとらわれた勇儀の体に、再びまともに拳が叩き込まれ、

「がぁっ…………」

 血しぶきと共に、地底最強の鬼の体は宙を舞った。
 黄泉比良坂の岸壁に叩きつけられ、一拍おいて墜落する。
 力なく地面へと落ちて行き、石の大地で一度跳ねた勇儀の体は、今度こそ動かなくなった。

「勇儀様!!」
「姐御!!」

 崇拝する四天王が敗れたという事実を目の当たりにし、鬼達は凍りつく。
 けれども、彼らが悲嘆にくれる時間は、長くなかった。
 一人残らず目を血走らせ、鬼はいずれも地獄の狂犬と化した。

「よくも星熊の姐御を!!」
「全員でかかれ!!」

 救助していた者達を捨て、省みることなく、一斉に突撃していく鬼達。
 そして堕威陀羅の力に、それらは次々と駆逐されていった。
 鬼の拳は全て怨霊の鎧に阻まれ、その身は怪力に打ちのめされていく。あまりにも一方的な光景だった。
 パルスィは高笑いを響かせる。

「あはははは!! 鬼が転がってる!! 苦しんでのたうちまわってる!! 最高の眺めだわ!!」

 しかしそこで、大勢が決することはなかった。
 堕威陀羅の胴部に、どこからともなく飛んできた火球が命中したのである。
 再び岩の巨人はよろめく。パルスィは素早く、攻撃が飛んできた方向に目をやった。

「へぇ……」

 新たに現れた増援は、鬼ではなかった。
 パルスィは舌舐めずりしてほくそ笑む。

「こっちはもっと歯ごたえがありそうねぇ」

 彼女の視線の先には、右手に砲を構えた地獄鴉と、怨霊を従えた火車が浮かんでいた。






(20)


 鬼ヶ城。
 その本丸は有事の際に城として使える建造物だったが、今朝の異変が起こってから、今は逃げ込んでくる妖怪達の即席の避難所に使われていた。
 普段よりそこを住居にしている鬼達は、いずれも一騎当千の兵士であり、逃げ場など必要としていないからだ。

 よって異変の対策本部は、二の丸にあたる城の最上階に設置されている。
 机の上には旧都の全体地図が広げられているものの、座って腰を落ち着かせているものは、ほとんどいない。
 戦に飢えた鬼の中の鬼達は、皆やる気に満ち溢れていながら、各々が不満を発していた。
 誰がどこの区域の指揮を執るかで、議論を交わしているのだ。

「朱雀街の防衛は、我に任せてもらおう。ついては二番隊と三番隊の指揮権を借り受けたい」
「ならん。前線はいまだ混迷を極めておる。お主一人では手に余ろう」
「無礼な! お主こそ大人しく城に引っ込んでおれ!」
「黄泉比良坂には誰が立つ。先遣隊からの報告が済み次第、みどもが向かおうと思うのだが」
「なんの、抜け駆けは許さんぞ! 我も加えい!」

 仲間が発奮する様を眺めながら、この場の代表である左近は、ほとんど口を開こうとしなかった。
 こうしている間にも、現場からの情報が、常に入ってくる。
 ただその情報を整理し、作戦を決定するには、あまりにも事態が奇々怪々であった。
 旧都の南部にて大規模の怨霊騒ぎが起こっており、被害が増大しているということ。
 こちらはまだ何とか理解できなくもない。
 問題は黄泉比良坂に出現した、巨大妖怪だった。
 報告によれば、その妖怪を指揮していると思しき妖怪もいるらしい。現場も相当混乱しているらしく、ここに集まった鬼達はいても立ってもいられず、一刻も早く旧都の南側から先へと向かうことで意見が一致しかけていた。

 ただし左近だけは、はじめから断っている。
 勇儀にこの城を任されたからでもあるが、事態の流れが気に食わないのである。
 鬼達はいずれも勝利を信じて疑っていない。その姿勢は鬼だから当然といえるものの、冷静に鑑みて、今の旧都の兵力は十分とは言い難かった。有力な鬼の多くは方々に出かけており、旧都に残ってるのはこの部屋にいる左近を含めた数名。四天王は勇儀だけだ。

 もう一つの問題は、心構えのことである。
 地上の勢力が地底に攻め込んできた時のために、この都には様々な防衛策があらかじめ準備されていた。
 が、そもそも鬼というのは喧嘩師であって、兵法家ではない。
 打って出るか、攻めてくるのを待ち構えるか、くらいの方針を決めるだけで勝利する力があったからだ。
 横道を使われ、人に敗れた歴史もあるものの、正面から叩き伏せられた経験はなく、そうなるとは夢にも思っていない。
 もし今回の事態が、そんな鬼の心の隙を突くものだとすれば。

 左近の憂慮が現実となるのに、長くはかからなかった。
 伝令役の鬼が血相を変えて飛び込んできたのである。

「い、一大事です! 勇儀の姐御が……!」

 勇儀の名前が出た瞬間、部屋にいた全員が息を止めて、そちらを向いた。
 入ってきた鬼は、震え声を絞り出す。

「たった今、敵に討たれたようです……決闘に……敗れて……」

 その報告は、作戦本部を震撼させた。

「……ありえん!!」

 一人の鬼の拳が、卓の端を砕き割った。
 
「相手がどんな化け物であろうと、あの勇儀様が敗北するなどありうるはずがない!!」

 声が怒りで熱せられている。今にも伝令役を殺しかねない目付きだ。
 だがその表情が青ざめていることに、自身は気づいているのだろうか。

 もっとも左近も、己の内臓が冷たい石と化したように思えた。
 懸念していた事態どころの話ではない。旧都の大黒柱が折れた音が、はっきりと耳に届いた。
 速やかに食い止めなければ、確実にこの都は崩壊に向かう。戦ごっこの茶番に興じている場合ではない。

 とそこで、新たな伝令役が部屋に飛び込んできた。
 こちらも顔色は真っ青だ。

「『あの妖怪』がここに来訪しました! 責任者と話がしたいと……!」

 部屋の空気に全く別種の緊張が走った。
 取り乱しかけていた鬼達が、一瞬にして固まり、騒ぎを収めた。
 間もなく、伝令役の背後から、『あの妖怪』が姿を現す。

「お邪魔します……」

 彼女は、荒くれ者揃いの鬼ヶ城にて、いかにも浮いた身なりをしていた。
 フリルで装飾した水色の上着に、ピンクの生地のスカート。少女めいた服装が包んでいるのは、砂糖菓子のように華奢な体だった。赤のヘアバンドをした薄紫の髪は襟元で切り揃えられており、櫛が入ってはいるが、やや毛先が跳ねている。
 だが彼女の外見において、もっとも注目すべき部分は、紐かあるいは血管のようなもので繋がり、胸元に浮かんでいる。
 赤い瞼でくるまれた、一際大きな眼球。

 旧都における最大の禁忌、古明地さとりは部屋に入っても表情を変えずにいた。
 唯一、胸元に浮かんだ『第三の目』が、部屋の面々を順繰りに見渡す。

「……『化け物』」

 ぽつり、と彼女は呟いた。

「『害虫』『都の腫瘍』『下劣な覗き魔』『地底の屑』」

 五月雨の前奏のように、ぽつぽつと呟きが漏れる。鼻にかかった、か細い声で。
 全てを見通す第三の目玉は、最後、左近に向けられた。

「そして『心食い』。やはり私はこの場に招かれざる者と思われているらしいですね……まぁ仕方ありませんか」

 挨拶代わりに心を読まれたつわもの達は、畏怖の念を隠せなかった。

 サトリ。それは心を読む妖怪。
 地上の嫌われ者が逃げ込んだこの地底世界で、尚のこと嫌われている妖怪こそが、この種族であった。
 旧都で我が物顔をして生きる鬼達であっても、サトリに対しては、同様の思いを抱いている。
 なぜならこの妖怪は心を覗きこみ、そこに潜む恐れの精神を食らうのだ。鍛え上げられた肉体や拳を用いずに、己の心の力を量られるというのは、鬼にとって耐えがたい禁忌なのである。

 もう一つ鬼達が彼女を難物としている理由は、この古明地さとりが形式上、旧都において最も上の立場にあるからだ。
 元々旧地獄を管轄していた閻魔より、彼女がこの地の怨霊の監視役を任されたことで、都はある種の権威を得ることができた。
 さもなくば地上をはじめとした他の勢力に、武力のみで勝ち取られた無法者の住み処と見なされ、長らく余計な介入が絶えなかったことだろう。すなわち旧都の発展には、彼女の存在も一役買っていたということだ。
 しかしながら、都を実質的に管理している鬼ヶ城と地霊殿の間には、大きな溝があった。
 百年経ってもその溝は深まるばかりであり、こうして同じ空間に立っても変わりないことは、この険悪な空気が証明している。

「何ゆえここに参った、古明地」

 はじめに沈黙を破った鬼は、星熊勇儀の片腕であり、この場の代表である左近だった。

「これを好機として、都の主権を奪いに来たか。それとも面白半分に、鬼の和を乱しに来たのか」
「いいえ。私もその和に加えてもらえないものかと」

 妖気のさざ波が部屋に起こる。
 古明地さとりは無表情のまま。ただし彼女の胸にある第三の目が、うるさげに半眼となった。

「『怒鳴らないで』ください。私だけではなく、地霊殿の者達も同様です。私のペットもすでに、黄泉比良坂に向かわせました」
「な、なんだと」

 幹部である鬼の一人が問い詰めようとしたらしかったが、呂律が回っていない。
 一波乱を予期していた左近もまた、意外な思いにとらわれていた。

「……下心などありません。我々地霊殿の者達にとっても、この旧都は安息の地なのです。本来管轄外ではありますが、もともと私達は灼熱地獄跡の怨霊の管理を閻魔様に任されている立場ですしね。此度も怨霊が相手となれば、傍観してもいられませんから」

 さとりは不意に身体をひねり、壁際に立つ鬼に、第三の目を向ける。

「『何ができるというのだ。その細腕で』ですか。我が一族の武器は一つだけです。敵の『心』を暴くこと」

 彼女は抑揚のない声音で、さらに続ける。

「私の前で、はかりごとはできません。敵の企みを看破することは、サトリ妖怪にとって容易い。今の貴方がたにとって、必要な『力』になれると考えていますが」

 再び部屋に沈黙が落ちる。ただし彼らはいずれも、彼女の言っている意味の裏側を理解していた。

 古来より、サトリほど忌み嫌われる妖怪はなかった。
 人間だけでなく、同じ妖怪であっても……いや、妖怪の枠組みに入れることすら嫌うものばかりだったのだ。
 サトリの歴史は迫害の歴史である。サトリを見つければ殺し、滅ぼそうとする者は、後を絶たなかった。
 なのにサトリが根絶やしにされることなく逃れ続けたのは、まさしく、『心が読める』からだったのだ。
 サトリを読みで上回ることも、罠にはめることも不可能。欺くことができるとすれば、幸運がもたらす偶然のみ。
  
「……わかった。その力を借りるとしよう」
「正気か左の字!?」
「是非もない」

 左近は粛然として、いきり立つ仲間に述べた。

「この戦は断じて負けることが許されぬ戦だ。こやつが怨霊の扱いについて、我々よりも詳しいのは確かだろうからな」

 ついで隻眼の光は、すまし顔で傍観していた妖怪を貫く。

「ただし古明地。貴様に表に出て好き勝手に動いてもらうわけにはいかんぞ。それこそ我々の士気を下げる迷惑千万の行為だ。貴様は我々の作戦に沿って働いてもらおう」
「構いません。もともと私は日陰者ですし、歩み寄るつもりもない。今日この場で会話した内容についても、後で綺麗さっぱり忘れていただいて結構です」
「勝手にしろ!!」

 一人の鬼がそう叫び、足早に部屋の扉へと向かう。

「机上の戦は食い飽きた!! 俺は好きにやらせてもらうぞ。鬼はサトリの手など借りん!!」

 肩をいからせ、怒鳴り散らしながら去っていくその鬼を皮切りにして、他の者も同じように荒い態度で部屋を後にしていき……。

 結局、作戦本部に残った鬼は、左近ただ一人であった。
 依然顔色一つ変えず、隻眼の鬼はのたまう。

「これで幾分、話しやすくなったな」
「皮肉ですか? それに、私には声を出して伝えなくとも結構ですよ。時間が惜しいのでしょう」
「時間も惜しいが、神経も惜しい。心を読むのは敵だけにしてもらおう。この場では出来うる限り、まともに話せ。さもなくば、その細首を叩き折って、今すぐここから放り出してやる」
「…………」

 古明地さとりは脅し文句に取り合おうとせず、無言で空いている椅子に着席した。
 と、卓の上に、あるものを置く。
 水筒である。左近が眉をひそめるのも構わずに、こぽこぽ、と彼女は蓋に紅茶を注ぎ始める。

「何の真似だ」
「喋ると喉が渇くので持参したのですよ。鬼の皆さんは、客である私にお茶など入れてくれるような方々には思えなかったものですから」
「………………」

 自分もここから出ていくべきだったのでは、と左近は額に青筋を立てながら思った。
 もちろん手遅れである。

「念を押しておくが、協力する気はあるのだな」

 こく、とさとりはうなずいた。無のままの表情からは、その真意を量ることはできない。
 無論のこと、彼女が嘘を吐いて何か企んでいる可能性もまだ残っていた。しかもそれを確かめようとしても、この妖怪が相手では巧みにかわされることになる……という左近の疑念も読まれているはずだ。
 一方は裏切られる可能性を常に残し、もう一方はその心配を無用としてしまう。サトリが他の妖怪と協調することができなかった最大の理由かもしれない。
 旧都以前の歴史を顧みても、鬼とサトリが手を組むのは稀有なことだった。

 おそらく勇儀が負けたという報告がなければ、左近も古明地さとりの申し出を一蹴していただろう。
 けれどもこの戦はすでに、鬼の本能――我欲のままに突撃するだけで、なんとかなるようなものではないことを状況が示している。
 なので此度の地霊殿の代表者の申し出を、左近は勝負師としての勘で受け入れたのだった。
 たとえこれが罠だとしても、彼女から目を離す方が危険でもある。

「……信頼の証、ですか。難しいですが、まずは手土産として、この騒乱を引き起こしている、最重要人物と思われる妖怪についてお伝えしましょう」

 おもむろにさとりが切り出した言葉に、向かい側に陣取る左近は、居住まいを正した。

「橋姫です」
「何?」
「彼女は水橋パルスィと、己の名を語っていました。それが、あの怪物を導く者の正体です」

 どこまでも平らな声音が、鬼の精神を穿つ。
 深く、強く。

「なんだと……そんな……馬鹿な……」
「知っているのですね?」

 色を失った左近は、咄嗟に本心を隠そうとするものの、この相手では無意味であるということに気付いた。

「……そうですか。彼女は貴方がたの城にいたのですか」
「確かに、いた。だがなぜだ……そのようなそぶりは全く……怨霊にとり憑かれでもしたのか」
「おそらくは。けれども、もともと素養があったのでしょう」

 お茶を一口すすってから、さとりは端然と述べた。

「彼女の心は旧都に対する妬みに満ちていました。そこを怨霊に利用されたのかもしれませんね」
「ぬぅ……」

 左近は水橋パルスィの言動を思い起こした。
 短い付き合いではあったが、左近は彼女がどんな妖怪だったかについて、一定の評価を下している。
 大胆にして内気。腕は心もとないが、何をしでかすか分からぬ危うさをはらんでいた。
 そして鬼が橋姫を嫌うように、彼女は明らかに鬼を嫌っていたことも、明白だった。
 さとりは左近の心を読んだらしく、

「発端は怨霊かもしれません。けれども現時点でこの異変の首謀者は、その橋姫として問題ないかと。話に聞く岩の化け物は彼女の傀儡に過ぎず、まともな意識を持ち合わせていないようです。水橋パルスィは嫉妬に狂い、この旧都を滅ぼすことを考えています」
「交渉の余地は」
「ないでしょうね。話が通じる相手なら籠絡する自信がありますが、おそらく今私が出向いたとしても、殺されるだけでしょう。そうでなければ、私はここに参上していません」

 旧都における一角の勢力の代表者は、臆面もなくそう言った。
 左近は暗澹たる思いにとらわれたものの、今になってようやくあることに気付き、愕然となった。
 
「そうか……黒谷はそれに気付いたわけか」
「なんです?」
「……混乱を避けるために、隠しておいたのだがな。古明地。一つお前にやってもらいたいことがある。この場で、ある奴の心を読んでもらいたい」

 そう言いながら、左近は懐に手を入れ、三枚の束ねた紙を取り出して、さとりに渡す。

「臥姫の名については知っていよう」
「……我が家の設計者でもありましたから」

 左近は小さくうなずき、「出てこい」、と短く呼んだ。

 が、何も起きない。
 鼻の頭に皺を寄せて、左近は立ち上がり、部屋の隅に安置されている箱へと向かった。
 その蓋を開け、じたばたしていた中身の首根っこを掴んで引っ張り出す。

 白と黒のおかっぱ頭の小鬼――いや、その姿を模した付喪神が現れた。
 相も変わらぬ無表情でこちらの様子を眺めるさとりに、左近は説明する。

「この付喪神は臥姫の式神。そしてその三枚の絵は、臥姫の予言だ。七十五年前、旧都の崩壊を予言して、あやつは逝った。ただしその絵のうちの二枚は、ここにいる式神が描いたものらしい。その訳を知りたい」
 
 一夜にして、鬼の仲間どころか部外者にまで、災いのもとである予言のことを明かすことになったわけだが、すでに目前まで破滅が迫っているこの非常事態において、出し惜しみしても仕方がない。
 この式神を見つけたのは、黒谷ヤマメだった。部下の報告を通して、左近は彼女から間接的に、この小粒妖怪の身柄を預かったのである。
 ところが肝心要の付喪神は、左近の強面に怯えるだけで、全く意思の疎通を図ることができなかった。
 捨て置くわけにもいかないため、こうして形式上かくまっていたのだ。
 しかしながら、心を読めるさとりであれば、左近には分かりかねるこやつの意思を明らかにできるのでは。

 期待にたがわず、古明地さとりの第三の目は、物を言えぬ式神が相手でも効力を発揮した。

「……どうやら情報を修正する必要があるようです。正確にはこの一枚目の絵も、かの臥姫ではなく、その式神が箱の中で書いたものだとか。彼女が臥姫から与えられた命令は、この予言の絵を完成させることだったそうです」
「む……? どういうことだ?」

 彼女は絵に視線を落とし、じっと式神の方に第三の目を向けながら、難解な古文書を解読するように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「彼女の主人は……旧都に迫る暗雲を予言することはできた。ただし、その暗雲の正体や、何者が引き金になるのか、そして誰が都を救えるのかを読み通すことができなかった。なので、自らの能力を式に与え、未来を託したとのことです。時が経ち、いよいよ旧都に危機が迫り、その詳細がより明らかになった時のために」

 淡々とした説明に、左近の心臓が早鐘を打つ。

「ではなぜ、今まで姿を現さなかった。なぜ勇儀様の元から逃げ出したのだ」
「それは彼女の側にまさしく、今回の異変の主犯がいたからです」
「なぜその時言わなかった!! 橋姫が犯人だと気づいておったのならば!!」
 
 部屋を揺るがす怒声を受け、付喪神はすかさず卓の下に隠れてしまう。
 さとりはそちらに目もくれず、涼しげに言った。

「左近さん。予言者のジレンマというものについて、考えたことはあるでしょうか」
「…………?」
「そうですか。では、式神がどういうものかについては?」
「……うむ」

 前者は知らずとも、後者についてはある程度の知識が左近にはあった。
 式神は術者の命令を受け、その通りに行動する道具のようなものである。

「その通りです。つまり、この式神に与えられた命令は『予言を完成させること』であって、『旧都を救う』だとか『犯人を暴露する』ということではない。もし事前にその橋姫が近い未来に起こる異変の主犯であると、何らかの手段でこの式神が訴え、仮に貴方がたが信じたとして、予言どおりに水橋パルスィが主犯になるとお考えですか?」
「……何が言いたいのだ貴様は」
「あの橋姫にあったのは素養だけで、大元の源泉は怨霊にあります。おそらく異変は水橋パルスィ以外の者を呼び水にして発生し、その時には、別の予言を完成させる必要が起こるでしょう。ですがこの式神にはその力がない。あらかじめ定められている予言を完成させることしかできないために、現実に起こっている事態に関与するわけにはいかないのです。それが予言する式神のジレンマということですね」

 ややこしい理屈に、左近は辟易とした。
 犯人が目の前にいるのに、それを捕えても解決ができないというのは、迂闊に納得できる話ではない。
 それに黒谷の万本綱が水橋パルスィを捕えて逃がさなかったのは、彼女が異変の犯人だったからではないのか。
 だがそうなると、何故勇儀の首にも結びついていたのが、謎として残るが……。

「私の方も一つ気がかりなことがあります。ここに描かれた、怨霊を元にして動く、巨大な岩の怪物のことです」

 さとりが予言の絵を卓の上に置いて言った。

「この怪物は、いつどのようにして現れたのでしょう。そして何故あの橋姫に従っているのでしょうか」

 この期に及んで、ずいぶんと異なことを聞く。
 もっとも左近もその点については、推測することしかできなかった。

「おそらく、怨霊で動いているからであろう。同じく怨霊にとり憑かれた橋姫が、同調して操っているのではないか」
「怨霊はそれほど単純なものではありません。本来あれらは妖怪と相いれない存在ですし、操れるとすれば、死者に長らく関わった特別な妖怪だけでした。それに、あれほどの怨霊は、一体どこから生じたものなのか。灼熱地獄跡の怨霊は全て管理下にあったというのに……」

 不穏な光を帯びた双眸を、瞼が半分ほど隠していく。
 あっさりと開けてしまった宝箱の底に潜む、罠の気配を探るように。

「嫌な予感がします。あの巨大な岩人形が暴れるだけの能しかなく、それを操る者が気の触れた猛獣使いでしかないのであれば、むしろ安いのですが」
「これ以上、何かあるというのか」
「先程も言いましたが、水橋パルスィの目的は、旧都の根絶。ただの破壊活動のみでは、それは成し遂げられないでしょう」
「不吉なことばかり言う割に、貴様は落ち着いているのだな」
「慌てても解決はしませんからね。今、私のペットが前線で戦っています。片方は怨霊を手なずけるのが上手で、もう片方はエネルギーの権化。期待に応えてくれることを、ここから祈ることにします」

 そう言って、さとりは持参した紅茶のおかわりを注ぎ、椅子に座る式神に渡した。
 式神はおっかなびっくりそれを受け取り、息で冷ましている。

 左近は頭を抱えたくなる気持ちを、懸命にこらえた。
 本当にこの場を放棄して、出て行った仲間と共に現場に向かうべきなのかもしれない。
 けれども鬼ヶ城にはまだ、若い鬼達や避難してくる妖怪達がいる。勇儀に与えられた、城を守るという役目は、何としても守らねばならなかった。

 それに四天王が敗れ去ったという報を、左近は信じていない。
 暴走する橋姫を止める役目についても、己の他に心当たりがある。
  




(21)


 孵化したばかりの太陽が、地の底で続けざまに産声を上げた。

 純白のエネルギーが黄泉比良坂を白で染め上げる。
 マグマの温度を超えた、鉄をも溶かす灼熱の炎が、嵐のごとき乱気流を起こした。

 だが霊烏路空の持つ、神だけに許された炎を、岩山の怪物は片腕で防ぎ切っていた。
 さらにその手から怨霊が噴出し、左手の制御棒を構えていた空を呑みこまんとする。
 慌てて無茶苦茶に弾幕を放ち、後ろに退避しながら、地獄鴉はすぐ近くを飛ぶ相方に喚いた。

「お燐! あれなんとかしてよ!」
「そうしたいのはやまやまだけど!」

 火焔猫燐は、焦っていた。
 燐の能力は、怨霊を操ることにある。灼熱地獄跡で怨霊を直接管理しているのも彼女だ。
 故に今回の異変に際して、主人であるさとりの命を受けた時は、腕の見せ所と思い、張り切っていた。
 が、話が違う。この怨霊は全く言うことを聞いてくれない。どいつもこいつも暴走しているのではなく、猟犬のように飼い馴らされている。
 しかも数は灼熱地獄跡から噴出する量を優に超えていた。これほど濃密な怨念の前では、友を食われないように援護するのが精いっぱいだ。

「おくうこそ、なんとかできないの!?」

 燐が言い返す。
 しかし攻撃役の空もまた、焦っているのだった。
 弾幕ごっこ等において、攻撃をかわされた経験はたくさんある。
 けれども、八咫烏の力を得た自分のエネルギーを、食らっても食らっても倒れない者を相手にした経験がないのだ。信じがたい耐久力。夢魔のような敵だった。

 戦っているのは、燐と空だけではない。
 彼女達だけでも――主に空が――地霊殿の戦闘力の八割以上を占めているのだが、他のペット達もこの危機に躍動しているし、旧都に住む鬼の兵員達も加勢、というよりお互い不本意ながら共闘している。
 けれども濁流、怨霊、そして巨人の両腕。この三つで全て対処されてしまっていた。
 鬼一体で並の妖怪の百人力に相当するというのに、あの化け物は一体どれほどの強さを秘めているのか。

 燐は口惜しげに、暴れ続ける岩の魔王を睨みつけていたが、ふと気づいて、

「おくう、あいつだ!」

 空の背後に回って、耳打ちする。
 彼女が指さすのは、巨人の側をうろつく緑の光だった。

「ほら、あいつがあのデカブツを操ってるんだろう。デカい攻撃にまぎれて、あたいがあいつに接近して倒す」
「わかった。私がデカい攻撃を撃てばいいのね」

 ツーとくればカーとくる間柄だ。作戦の立案から実行までは、短時間で済む。
 空は制御棒にフルパワーを注ぎ込んだ。

「爆符『ペタフレア』!」

 火球の群れが旧都の闇を、怨霊の群れを、そして化け物の胴を光で覆った。
 掛け値なしの全力である。方向を間違えれば、この弾幕が旧都を壊滅させてしまうだろう。

 だが敵はやはり倒れることなく、その熱量を凌いでいた。
 燐は我が目を疑う。内心これで倒れてくれれば御の字だと思っていたのだが、まさか空のフルパワーまで正面から抑え込んでしまうとは。
 あの怨念の塊が、神に等しい力か、それ以上の力を秘めているということに他ならない。

 だがすでに燐は、派手な攻撃にまぎれて、橋姫に接近することに成功していた。
 ちりちりとした熱気を潜り抜け、無防備な背中に狙いを定める。

「もらったぁ!!」

 燐は迷うことなく突っ込んだ。
 周囲には自前の怨霊と弾幕。自らはその一つに化けながら、接近戦で仕留めるため、爪を振りかざす。
 橋姫が鈍い動作で振り向き、片手を持ち上げかけるのが見えた。
 遅い。間に合うはずがない。
 射程圏に入った燐は、彼女の顔が驚愕と恐怖に歪む様を思い浮かべながら、迷いなく片手を――

「……ふん」

 橋姫の姿が蜃気楼のように揺らめいた。
 予期した手応えがやってこず、戸惑う燐の体が、多量の水に呑みこまれた。
 ごぼ……と口から泡が漏れる。
 空気を求めて四肢をばたつかせる。

「私が雑魚だと思ってたわけ?」

 橋姫の手が、自らが操る水を通して、溺れる猫の喉首を締め上げていた。

「お燐ー!!」

 地獄鴉が、友の窮地を見てパニックに陥り、闇雲に突撃してきた。
 橋姫はそちらに一度視線をやるなり、無造作に手を下に振る。
 意識を奪われた燐が、水の枷をはめられたまま落ちていこうとした。
 
 全力で飛んでいた地獄鴉は、一瞬そちらに視線を誘導させられ、方向を転換しかける。
 次の瞬間、巨人の裏拳が彼女にぶちかまされた。

「………………」

 悲鳴すら上げられず、空の意識は刈り取られた。
 その体はくるくると回りながら、旧都まで飛んでいく。たとえ生きていたとしても、もはや戦える状態ではあるまい。

「他愛ないわね」

 パルスィは嘲り笑いながら、堕威陀羅の頭に乗った。
 あれだけいた鬼も、すでに動く気配はなく、全て戦闘不能となっている。
 彼らは間もなく怨霊の餌食となり、パルスィにとってより強力な手下を生む苗床となるであろう。
 だがそれは、目標の前の枝道に過ぎない。

「そろそろ最終目的に移りましょう、堕威陀羅。旧都に入るわよ。ひととおり破壊しながら、中心街まで向かいなさい」

 堕威陀羅は地底を揺さぶる遠吠えでもって、主人の命令に応えた。
 それは旧時代の支配者達に自らの力を誇示し、勝利を突きつける雄叫びでもあった。
 パルスィも引き攣った笑い声を辺りに響かせる。

「あはははは!! もう刃向かう奴は残っていない!! 私達の覇道を阻む者は……!」


 その攻撃には音がなかった。そして色もなかった。
 殺気や敵意さえも極限まで隠した、細く、微かな動きだった。


 天空より一本の『糸』が、パルスィの体に到達する。
 と同時に、一瞬で締め上げる。胴を、腕を、足を、首を。

「がっ……!?」

 たった一本の糸に、パルスィの体がバラバラに千切れかねない力がこめられていた。
 そのまま拘束が続いていれば、結着がついていただろう。
 けれども意識が途絶える寸前、パルスィは怨霊一体を犠牲にして、その糸を断ち切ることに成功していた。

 片膝をつき、細く腫れた痕のついた喉を押さえ、パルスィは喘ぐ。
 その表情は、変わらず卑しい笑みで彩られていた。

「不意打ちだなんて、つれないわね……長い付き合いだってのに」

 遥か頭上にいる気配に向かって、パルスィは顔を持ち上げる。

「でも馬鹿正直に突っ込んでくる奴らよりも、あんたのやりかたの方が好感が持てるわ」

 やはり音もなく、影が下りてきた。
 近付くにつれて、闇の中にその姿が浮かび上がっていく。
 逆さに垂れた黄色い髪が、丸みを帯びた茶色の服が、足から伸びた銀の糸が。
 たっぷり時間をかけて下り、土蜘蛛は広い堕威陀羅の頭部に、ひらりと着地する。 

「……パルスィ」

 黒谷ヤマメは、絶え入るような声で応える。
 俯いたその顔は平静……とは言い難いものだった。
 危機を前にしても取り乱すことのない彼女の胆力をもってしても、表情に苦渋を隠せてはいなかった。
 パルスィは対照的に、さも愉快げな顔で訊ねる。
 
「『正気に戻って』? それとも、『決して許さない』?」
「……………」

 ヤマメが口にした台詞は、そのどちらでもなかった。
 体を起こし、ある物を投げつける。
 それは一枚の絵だった。

「……臥姫の式神が、私に教えてくれたんだ。けどこの目で確かめるまでは信じたくなかった」

 その絵には巨人の核にされた釣瓶落としと、怨霊を引き連れた橋姫の詳細な姿が描かれていた。
 二人を知っている者であれば、すぐに気が付くくらいよく描けていた。

「でも、わからなくもないよ」

 ヤマメはかすれた声で、そう言った。目を寂しげに伏せながら、

「ずっと知ってたからね。あんたが旧都の連中を憎く思ってることは」
「へぇ……」
「本音を言うなら、好きにさせてあげたい。それが橋姫の業だっていうなら、その道が見つかったんなら、歩ませてあげたい。でも……」

 ヤマメは真剣な眼差しで、パルスィを見つめる。
 両腕を軽く広げ、五つの指を伸ばす。それは土蜘蛛が、本気で闘いに臨む姿勢だった。

「これはやりすぎだ。しかもキスメまで巻き込むなんて、見過ごせるはずがない」
「どうして? 釣瓶落としって、そういう妖怪でしょう?」

 パルスィは勇儀に勝利した時と同じく、悪びれることなく言う。

「むしろ今までが異常だっただけよ。本当はこの妖怪はもっと凶暴で、もっと血に飢えている。私はキスメの内なる願いを解放してあげてるだけ。それを邪魔する権利が誰にあるわけ? 私にもあんたにもないわ」
「……覚えてないのかい?」

 ヤマメの瞳が揺れた。何げない言葉に、ひどく傷つけられたような面持ちであった。
 パルスィは素知らぬ顔で、とん、と片方の靴を鳴らし、上昇する。
 軽く手を上げ、周囲を巡る怨霊を、自らの元に呼び寄せる。

「鬼の四天王に止められなかった私を、あんたが止められるかしら」
「止めるさ」

 ヤマメの指先から、しゅるる、と糸が出ていた。
 と同時に、彼女の霧状となった妖気が、石でできた足場に漂いはじめる。

「私が止めなきゃいけないんだ。あんたは私の親友で、特別な友達だから」

 値踏みするような目つきをしていた橋姫が、その瞬間、豹変した。
 髪の毛のざわめきが増し、両目が吊り上り、顔面に血管が浮き出る。

「よくもそんな嘘を……!」

 憎悪に満ちた怨嗟の呻きが、その口から零れ落ちる。

「私の代わりなんていくらでもいるくせに……!! この偽善者!!」
「嘘じゃない……」

 ヤマメは下から、堰を切ったように訴えた。

「嘘じゃない!! 私はあんたに、本音を打ち明けたはずだよ! 本当に胸の内をさらけ出した相手は、あんただけだ! パルスィ! 思い出しておくれ! 『あの時』のことを! あれが私の本心で、意地汚い私の業なんだ! だから『キスメにこんな道を選ばせようとする』あんたを、どうして放っておける!!」
「うるさい!!」
 
 怒声と共に、身をよじるパルスィから、妖気が弾けたように発散された。
 まとわりつくしがらみを、引きはがすような叫びだった。

「あんたも同じよヤマメ。私にないものを持っている旧都の連中と同じ。だから、仲間になんて入れてやらないわ。私達だけで、復讐を成し遂げてやる」
「……もう、手遅れさ」

 ヤマメは呟くようにそう告げ、悲痛かつ無念の表情を顔に浮かべる。

「さっきあんたに巻きつけた糸には『病』が仕込んであった。もうじきあんたは指一本動かせなくなる。それから私に拘束されて、この異変は終わりだ」
「へぇ」

 パルスィは無造作に、腕を大きく振る。
 瞬間、ヤマメの背後に、水のあぎとが出現した。
 しぶきとともに降り注ぐ怨霊を、ヤマメは咄嗟に跳んで避けたが、

「っ……!」

 パルスィの拳が正面から迫っていた。
 肩で受け止めるものの、その後の反撃を許さぬほど、その拳は重く、呪われていた。
 再び堕威陀羅の頭部に落ちて転がるヤマメに、パルスィは酷薄な声で訊ねる。

「指一本が、何?」
「そんな……どうして……」

 予想を外した土蜘蛛の体に、再び流水がいくつもの帯となって襲い掛かった。
 と同時に、パルスィの弾幕がその間隔を埋めていく。

 ヤマメは一足先に回避していた。
 そのまま堕威陀羅の頭部から滑るように落ち――たかと思えば、逆側から放り上げられたように出現する。
 背後を取られたパルスィが振り向きざまに攻撃するものの、ヤマメは空中で急激に方向を変え、またもや死角へと移動する。その動きは鋭く、予測不能だ。

 堕威陀羅の体に、彼女の糸がいくつも絡んでいることに、パルスィは今になってようやく気が付く。
 ここに下りてくる前に仕掛け終えていたのだろう。考えなしに正面からぶつかり合ってくる鬼とは、全く異なる戦い方だ。持久戦も辞さない姿勢である。

 ただし、怨霊の力を手に入れたパルスィの前では、意味をなしていなかった。
 周囲に怨霊を巡らすことで、近づく隙を与えない。そして相手の足場となる糸を、簡単に水流で断ち切る。
 堕威陀羅の腕を借りずとも、圧倒することができた。それでも土蜘蛛は屈しようとしない。

「すごいわねぇ。いつまでもつかしら」

 しだいにヤマメも、怨霊を捌ききれなくなってきていた。
 動きが鈍い。最初にもらった一撃が効いてきているのだろう。
 ついにもう一度、水流に足を取られ、ヤマメは堕威陀羅の頭に――パルスィのすぐ側に音を立てて転がった。

「無様ねヤマメ。いい加減足掻くのはやめて、とっとと殺されなさい」

 侮蔑と嘲けりを混ぜ、パルスィは言い捨てる。
 ところが、

「…………違う…………」

 ヤマメが体を起こしながら、そう呟いた。

「あんたは……誰だ……!?」

 跳ね上げた顔に浮かぶその表情は、驚愕と混乱。
 そして与えられた状況を呑みこむことができぬ、恐怖に彩られていた。 

 次いでヤマメの全細胞が、かつてない激しい怒りに満ちる。

「パルスィをどこにやった!!」

 冷静さをかなぐり捨て、土蜘蛛は声を叩きつけていた。
 その眼光には、これまでの戦闘で欠けていた、紛うことなき殺意が込められていた。
 対する橋姫は笑みを湛えたまま、とぼけた様子で言う。

「何言ってるのよ。私はパルスィ。あんたの友人だった妖怪よ」
「あんたはパルスィじゃない! パルスィはこんなことをするはずがない! なのに……どうしてその姿を……!!」
「私は水橋パルスィ。私こそが、橋姫の中の橋姫」

 パルスィが手をかざす。
 その掌で、怨霊が嗤う。

「さようなら、黒谷ヤマメ」

 流水が土蜘蛛の体を、十字に走り抜けた。
 切り裂かれ、隙だらけとなった胴に、締めの一撃がまともに入った。
 自らの糸に絡まり、赤と茶色が混ざった影が、力なく大地に落ちていく。

「ははは……これで逆らう奴はいなくなったわね。堕威陀羅、そいつにとどめをさしなさい。目障りだわ」

 橋姫は容赦のない命令を下す。
 けれどもパルスィを乗せた岩の塊は、動く様子を見せなかった。

「どうしたの堕威陀羅。なんで止まってるのよ」

 やはり岩は動こうとしない。 
 それどころか、まるで躊躇しているかのように、地面に伏せた土蜘蛛の前で、足を引く気配まで見せた。
 その態度が橋姫の神経を逆撫でし、激怒させる。
 
「何を考えてるのキスメ!! そいつはただの裏切り者よ! あんたに道を示すのはそいつじゃない! この私だ! さっさとそいつを叩きつぶせぇ!!」
 
 喉を嗄らした叫びに、怪物の蛮声が応じる。
 ついに堕威陀羅は、その拳をおもむろに持ち上げ、

 動かぬ土蜘蛛の体に、一気に振り下ろした。






(22)


 今日何度目かの、大きな揺れが起こった。
 辰巳横丁で救助活動を続けていた妖怪達は手を止め、それぞれが忙しなく鳥の群れのように首を動かす。
 再びあの大岩が、近くに落ちてきたのかと思ったのである。
 今、旧都は結界で守られていない。これまではそもそも、守られているという意識自体が希薄だったのだが。

「手を休めるなお前ら! 運べ運べ!」

 声を荒げて歩き回っているのは、城住まいの鬼である。
 何か旧都に重大な危機が訪れた際には、城の鬼達が指揮官となり、区画ごとに分かれた鬼達を指揮下において対応することになっている。
 ただその仕組みも、長らく形骸化していた。それに鬼をはじめとした都の妖怪が待ち望んでいたのは、同じ妖怪との戦争であり、一方的に脅かされることでも、怨霊と取っ組み合うことでもない。
 作業現場は、どうにも辛気臭い雰囲気が漂っていた。

 その中に一人、いかにも幸の薄そうな顔をした若い鬼がいた。
 普段は『我闘処誇羅』という甘味所で下働きをしている鬼である。
 彼は昨日から不運続きだった。
 ある店での騒動がきっかけで、鬼の四天王のお世話をする機会に恵まれたのだが、その後に口を滑らせて噂を広めたのがまずかった……らしい。
 らしいというのは、親方から頭の形が変わる程殴られ、その時の記憶が定かではないのである。
 明日はいいことが起こるといいな、と思って目覚めた時には、この怨霊騒ぎであり、すぐさま救助隊に駆り出されることになったのだった。

「おい! そこで下向いてるへなちょこ! お前は乱麻堂の方を見てこい!」
「へい!!」

 口答えせずに、若者は走った。どこでも顎で使われる立場というのはつらいものだ。
 鬼に声が届かなくなった辺りで、不平を漏らす。

「あーあ。こんな潰れた建物のどこを捜せっていうんだか……」

 最もひどい被害をこうむったのが、今目の前に広がる乱麻堂『跡地』である。
 起床した後、天からこの辺りに大岩が落ちてきたのを朱雀街から見た時は、この世の終わりが来たのかと思ったほどだ。
 あの南側の象徴にもなっていた乱麻堂がこんな有様になっているのを見ると、一層のこと気が滅入ってくる。

「誰かー。残ってないかー」

 声をかけながら歩く。
 妖怪はタフなので、この規模の災害であっても生き残っている可能性が十分にある。
 むしろ多数の怨霊に襲われる方が危険といえた。
 もしここで助けた相手が奇跡的に美人だったり、気立てが良かったり、グラマラスだったりしたら。
 そんなあるはずもない運命的な出会いを思い浮かべつつ、ため息をついて瓦礫の側を歩いていると、

 足が何かにつまずいた。

「…………」

 彼はその光景に釘づけとなった。
 たった今足をつまずかせたのが、瓦礫からはみ出した『脚』だということに気付いて。

「こいつ……生きてんのか」

 生きている。妖怪が死ねば、死体も残さずに消えるのが普通である。
 が、建物の残骸から綺麗に両足を揃えて突き出たその脚は、なんというか、冗談のようなポーズだった。
 羊羹の側面に刺さった爪楊枝のようである。
 どうやら瓦礫が奇跡的にいい角度で妖怪を避け、穴にはまるように体がすっぽりと収まっているようだ。

「おーいそこ! 誰か見つけたのかー!」
「はーい!! こっちでーす!!」

 指揮官に呼ばれた若者は、慌てて返事して、一生懸命足元の瓦礫をかき分けていき、

「…………なんだこれ」

 変なシチュエーションで見つけた妖怪は、苦労して掘り出してみると、もっと変な妖怪であることがわかった。
 期待した美人かどうかもわからないが、しかしまともな妖怪ではあるまい。
 ただ何か記憶に引っかかるものがないわけではなかった。昨日自分はこの妖怪をどこで見たのだろうか。

 頭をひねりつつ担架を呼ぶ彼の足下で、その金髪を埃で汚した妖怪は、ぴくりとも動かずにいた。

 首に白銀の綱を巻き、祭りか儀式で使うような、赤く仰々しいお面をかぶったまま。


 

(続く)

 
 

 3に続きます。

旧名:PNS
このはずく
http://yabu9.blog67.fc2.com/
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コメント



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1.100名前が無い程度の能力削除
ど、どうなる・?
4.100名前が無い程度の能力削除
古明地さとり
・旧灼熱地獄清算事業団(=地霊殿)理事長(是非曲直庁直轄事業932号・執行局長待遇)
・旧都開拓公団(=鬼ヶ城)監査長   ・旧都銀行相談役
・旧都電源開発機構(通称:Q-POWER)総裁 兼 間欠泉地下センター専務理事
8.100名前が無い程度の能力削除
えっ、ここで、次回作にダッシュだ。
11.100名前が無い程度の能力削除
吹き比べの話は源博雅朝臣と朱天童子?
さておき後半の怒涛ぶりに圧倒されました
そろそろ寝ないとマズイけど読まずに寝れんわこれ
13.100名前が無い程度の能力削除
宴会時のパルパルハイスペックすぎワロタwwwww
嫉妬の第一人者ってことは、言い換えれば他人の長所を探すのが上手い人ともいえるわけですしね。
と和んでいたところでまさかの急展開。
しかもマジで偽者!? あ、もしや舌切雀の時の、間違えて撃つと大玉飛ばしてくる人!?(違う
16.100名前が無い程度の能力削除
お空それ砲門やない、制御棒や。
22.100Admiral削除
キスメがかわいい!
ヤマメがアツイ!
どうなるパルスィ!
これは一気に読まざるを得ないですね!
3に行ってきます!
32.100名前が無い程度の能力削除
筆が乗ってもうたまらない。グイグイ読ませる。いいですね……とか思ってたら
PNSさん貴方だったんですか!!!!!!道理で!!!!!好き!!!!!!!!