Coolier - 新生・東方創想話

秋末奇譚 さらわれた静葉

2013/11/22 23:01:23
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「姉さーん! どこにいるのよー!?」

 日の傾いた山の広場に穣子の声が響き渡る。

 この日、二人は今年最後の山の散策に来ていた。明日は立冬。すなわち秋が終わりを告げる日だ。二人は冬が来る前に残った秋を回収してしまおうと、秋の味覚や紅葉を拾い集めていた。

それぞれ別行動をして、夕方前になったら山の広場に集まろうという約束だったのだが、木の実拾いに夢中になっていた穣子は約束の時間を大幅に遅れてしまったのだ。慌てて広場へたどり着くが姉の姿はなかった。

穣子は広場の端にある紅葉の木にも行ってみたが、やはり姿は見えなかった。

この木は毎年秋になると、見事に染まる。姉曰く「紅葉とは何たるか。そのすべてを体現している稀有な逸材」との事らしいが、穣子にはこの木の良さがよくわからなかった。

「おーい! ねえさーん!!」

更にひときわ大きい声で呼びかけてみるが、返事はなかった。

もしかして、先に帰ってしまったのかもしれない。そう思った穣子は一旦家に戻る事にした。

帰る途中で姉に追いつくかとも思ったが、結局誰とも会わず、穣子はそのまま家に着いてしまう。

家の入り口に近づくと、中に誰かがいる気配がした。もしかしたら姉かもしれない。

本来なら姉の気配かどうかなんて神様である自分ならすぐわかるはずなのに、今は力が弱ってるせいで建物越しではそれすらも感じ取れない。我ながら情けないと思いながら穣子は、木製の引き戸を開ける。しかし、中にいたのは姉ではなく河童のにとりだった。

「あ、みのりん! おかえりー。いやー悪いね。留守みたいだったから勝手に上がらせてもらってたよ!」

穣子と静葉の家だというのに、彼女は床に足を投げ出し、勝手に囲炉裏に火をつけて思いっきり寛いでいた。

「……あの、ここ私の家なんだけど……?」
「あ、おかまいなく、おかまいなく」

彼女は穣子の言葉にも全く意に介さないと言った様子で、しまいにゃ床に寝っ転がる始末だ。

穣子は呆れた様子で思わずため息をひとつ吐く。気温が下がっているらしく吐いた息は白かった。

穣子とにとりは、以前起きた異変がきっかけで交流を持つようになった。初めのうちこそ、お互いぎこちなかったものの、今はもうそれぞれ「にとりん」「みのりん」と、あだ名で呼び合えるほど打ち解けていた。

「ところでにとりん。姉さん帰ってきた?」
「静葉さん? 見てないよー。私がここに来てからは、みのりんが来るまで誰も来なかったよ」
「あれ、そうなの……?」

どうせ、そのうち帰ってくるはず。そう思った穣子はにとりと雑談でもしながら姉の帰りを待つ事にした。しかし、待てども待てども姉が帰って来る気配はなかった。

「……うーん。姉さんったら遅いわねぇ」
「そうだねぇ。いくらなんでも遅いね。ちょっくら捜してみようか? ま、あの人のことだから事件に巻き込まれるなんてはないと思うけどさ」

確かに何かの事件に巻き込まれる姉なんて穣子には想像すら出来なかった。とは言え、心配なのには違いないので穣子は姉を探してみる事にした。

「にとりんも一緒に捜してくれるの?」
「もっちろんですとも!」

そう言ってにとりは自分の胸をどんと叩く。

「……なんでそんなに張り切ってんのよ……?」
「ま、いいじゃん。それより早く行こうよ!」

にとりに言われるままに穣子が外に出ると、空は分厚い真っ黒な雲に覆われていた。

「真っ暗だけど大丈夫? 私は見えるけど」
「あー。こりゃいい感じに真っ暗だね。でも大丈夫! こんなこともあろうかと思ってね! じゃじゃ~ん!」

彼女はやたら楽しそうに背中のリュックから眼鏡のような物を取り出す。それは前に静葉が道具屋から買ってきた、ばいざーとかいう物に似ていたが、にとりのそれは更に機械やら何やらが賑やかにくっついている。

「なにそれ?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれた! これは暗いところでも明るく見える驚異のゴーグルさ。そう、名づけてブラックビジョン!」

にとりは得意げに、そのブラックビジョンなる眼鏡を装着してピースサインをする。
自慢気にポーズを取ってはいるものの、彼女の姿はお世辞にも格好いいとは言えない。しかし、せっかくやる気になっているのに茶々を入れるのも悪いので、穣子はあえてこれ以上触れない事にした。

「それじゃ、いきましょ!」
「よーし! れっつごー!」

穣子に続いてにとりもその不細工な眼鏡をかけたまま夜の山へ飛び出して行く。

予想通り山の中は真っ暗だった。しかも北風まで吹きつけ始めていて、なんとも居心地の悪い様相を呈していた。

「ねえ、せっかく二人いるんだし手分けして捜してみようよ!」
「そうね! ……じゃ、私は山の上の方行ってみるから、にとりんには沢の方をお願いしていいかな?」
「オッケー!」

ぐっと親指を立てるポーズを取ると、にとりは意気揚々と沢の方へと降りていった。その姿を見届けると穣子は、思わずその場に立ち尽くしてしまう。

つい勢いで山の上の方に行くなんて言ったものの、この寒風の中で山の上に行ったりしたら、それこそたちまち凍りついて、冷やしみのりこの一丁あがり。なんて事になりかねない。
ましてや、自分よりはるかに賢い姉が、自らそんなところに行くとも思えない。
そうなると穣子が思い当たる場所は一つしかなかった。

彼女は、にとりが行った方とは反対側の谷へと降り始める。やがて小ぢんまりとしたお堂が見えてきた。

厄神鍵山雛が住んでいるお堂だ。

静葉は何気に雛とも仲が良かった。最初に彼女と仲良くなったのは穣子の方だったのだが、雛が何度も家に来るうちにどうやら打ち解けたらしく、最近は頻繁に会うようになった。

ちなみに穣子と雛もお互いに「ひーちゃん」「みのりん」と、あだ名で呼び合う仲だった。

この、あだ名で呼び合うという行為は、穣子の中で親愛なる者同士の証であるという意味が込められている。この事を穣子は静葉に話したが、その時は鼻で笑われてしまった。しかし、それでも彼女にとってこの行為が凄く大切な事に変わりはなかった。

穣子が小屋の前の戸を軽く叩くと雛はすぐ出てきてくれた。

「みのりん、どうしたの?」
「あ、ひーちゃん。ごめんねこんな時間に。実はね……」

穣子が雛に事情を詳しく説明すると雛は「え!?」と、驚きの声を上げる。

この雛の驚きぶりから見てもどうやらここに静葉はいないらしい。

穣子はもしかしたら雛が姉さんをかくまってる可能性もと思っていたのだが、この狭い小屋の中には隠れるような場所もない。

それにいくら力が落ちているとは言え、この範囲くらいなら姉の気配などすぐ感じ取れる。すっかり当てが外れた穣子は思わず天を仰いでしまった。

そのとき、雛が彼女に声をかける。

「……あのね、みのりん。ちょっと聞いてもらっても良いかな?」
「ん? 何?」

雛は不安げな表情を浮かべてちっちゃな人形を二つ取り出して穣子に見せる。
ひとつは黄色い髪の赤い服着た人形で、もう一つは帽子を被っており、穣子にそっくりだった。ということはもう片方は姉なのだろうか。

「ひーちゃんこれってもしかして……」
「そ、ひーちゃんと静葉さんの人形よ」
「こんなのどこで手に入れたの?」
「自前よ」

その言葉を聞いた穣子は雛は案外器用なんだなと感心してしまう。もっと色々話を聞きたいところであったが、生憎今はそんな余裕はなかった。

「……この人形がどうかしたの?」
「よーく見て。静葉さんの人形」

穣子は雛に言われるままに、姉の人形をよく見てみる。

「あ!」

思わず穣子は声を上げてしまう。姉の人形の首の付け根が破れ、そこから赤い綿が見えていたのだ。
いくら人形とは言え、あまり気持ち良いものではない。そもそも、わざわざ赤い綿を使うという時点でおかしいのだが。

「何よこれ まるでスプラッターじゃないのよ。気持ち悪い」
「あのね、さっき急に棚から落ちて破れちゃったのよ。だから何か嫌な予感がしてたんだけど、まさか静葉さんが行方不明になってるなんて……」

雛の言葉に穣子は背筋が凍るような感覚を覚えた。

「も、もう、ひーちゃんったら脅かさないでよ! 姉さんに限ってそんな事あるわけないじゃない! 神様なんだし、ちょっとの事じゃビクともしないし」

実際、神様は滅多のことがない限り傷つくことはない。例えそんじょそこらの刀や槍で斬られたり貫かれたりしようと、ある程度の衝撃は受けるものの傷そのものを負うことはないのだ。

とは言え、信憑性はともかく、こういう事を厄神である雛が言うと妙に説得力があるように聞こえるので、穣子は反応に困ってしまった。

もちろん雛自身、脅すつもりなど全くないことは穣子にはわかっていたのだが、それでも彼女は動揺を隠せなかった。とにかく、これ以上ここで時間を無駄にしている場合ではない。そう感じた穣子は、後ろ髪をひかれつつも、この場を去ることにした。

「……それじゃ私そろそろ行くね。こんな時間にお邪魔してごめんね」
「あ、待って。みのりん! 私も静葉さん捜すの手伝うわ!」
「え……? でも」
「いいのよ。静葉さんには私もお世話になってるもの。それに、みのりんが困ってるのを放っておけないし」

雛の言葉に穣子は戸惑ったが、せっかくの雛の好意を無下にしてしまうのは気が引けたので穣子は雛の助けを借りる事にした。

「ありがとう! ひーちゃんがいるなら凄く心強いわ!」

雛はにこりと笑みを浮かべる。その笑顔を見た穣子は、心なしか元気が出た気がした。
 二人が外に出ると、山の方から何やら大声が聞こえてくる。

「おぉーい! みのりぃーん!! どこにいるんだーい!」

声の主はにとりだった。彼女は穣子の姿を見つけると慌てた様子で駆け寄ってきた。

「どうしたの? 姉さん見つかったの?」
「ねえ、こんなのを見つけたんだけど、これって静葉さんのじゃ……?」

にとりが差し出してきた物を見て穣子は愕然とした。

それは紅葉が沢山入った背負籠だったのだ。間違いなく静葉の背負籠だ。しかも、よく見るとその篭には何かで切り裂かれたような跡があった。更にその傷口には紅葉とは明らかに違う赤いものがこびりついていた。

それは紛れも無く血だった。
それも、人間や妖怪のものではなく神様の血だ。

それを見た瞬間,穣子は思わず気が遠くなり、その場でよろけてしまう。

「みのりん!?」

慌てて雛が支えに入る。幸い意識はすぐに戻った。しかし、もし雛が支えてくれなかったら恐らくその場に倒れ込んでいただろう。

「ねえ大丈夫? みのりん疲れてるんじゃない?」
「ごめん。大丈夫よ。ありがとう」

心配そうにのぞき込む雛に穣子は笑顔を作って見せる。雛から手を離すと穣子はなんとか自力で立ち上がった。

「ねえ、にとりん! これどこで見つけたの?」
「広場の大木のちょっと先だよ。木の上に引っかかっていたんだ!」
「なんですって!?」

それは待ち合わせ場所とすぐ目と鼻の先だった。

(しまった! 見落としてしまった!)

自分のそそっかしさに思わず歯軋りを漏らしてしまう。

「それで静葉さんは近くにいなかったの!?」

雛の問いに、にとりは首を横に振る。穣子は頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。

「みのりん! 大丈夫よ。三人で探せばきっと見つかるわ!」

雛がそう言って穣子の肩を叩くと、にとりもそれに続いた。

「そうだよ! 満身創痍になるのはまだ早い! 諦めずに捜してみようよ」

二人に励まされた穣子は夜が明けるまで懸命に捜索を続けた。しかし、姉はおろか手がかりの一つすらも見つける事が出来ず、結局三人は一旦出直す事にした。

重い足取りで家に辿り着くと、中は恐ろしいくらいに静まり返っていた。当然、誰かがいる気配はなく、もしかしたら姉が帰って来ているんじゃないかという一縷の望みもこれで完全に潰えてしまった。

穣子は囲炉裏の前まで来ると崩れるように倒れ込む。思ったよりも体力の低下が激しい。その理由はわかっていた。秋の力がほとんどなくなってしまっているのだ。

穣子は毎年冬になると秋神様としての力をほとんど発揮できなくなってしまう。静葉にもその傾向あるが、穣子ほど顕著ではない。どうしてそうなるかは穣子自身にもわからず、そのせいで彼女は、毎年冬になるとほとんどの日々を寝て過ごさなければならなくなってしまうのだ。

そんなこの時期にここまで体を酷使するということは、ある意味自殺行為に等しかった。

「……みのりん? 大丈夫? さっきから辛そうだけど……」
「うんうん、私も気になってた。もしかしてどこか具合悪いんじゃ?」

ただでさえ二人には姉さんの事で迷惑をかけているのに、これ以上煩わせるわけにはいかない。そう思った穣子は二人に向かって作り笑いを浮かべて告げた。

「大丈夫。少し疲れただけよ。ちょっと休めば治るから……」

実際はもう一歩も動けないくらい彼女の体は消耗しきっていた。ただでさえ弱っていたのに一晩中冬の寒風に吹きさらしだったせいだ。

ぼんやりとした意識の中で姉の姿が浮かび上がるが、それはすぐに暗闇の中へ消える。そして、そのまま穣子の意識は奥深くへと沈んでいってしまった。


                 **


 静葉が疼くような痛みで目を覚ますとそこは窓の無い薄暗い部屋の中だった。部屋を照らす灯りは油か何かを燃やしているのだろうか。少し焦げ臭いような臭いを辺りに放ちながら、仄かに部屋の中を照らしている。そのおぼろげな光の中に浮かび上がっている外への扉には取っ手らしきものが見当たらない。

一体、自分はどうしてここにいるのか。静葉は眼を閉じて思い返す。

そう、確か、大紅葉の木の下で穣子を待っていた所を突然何者かに襲われたのだ。しかし、そこから先の記憶はない。あるいは気を失ってしまっていたのかもしれない。

次に、ここがどこなのかを確かめるべく彼女が起きあがろうとすると、肩口辺りに激痛が走る。この痛みで目を覚ましたのだということを彼女は思い出した。よく見ると、赤黒くなった血が上着の肩から腕にかけてべったりと染み付いていた。通りで痛いはずだ。

静葉はその傷口を反対側の手でおさえる。どうやらまだ出血しているらしく、赤く生ぬるい血が手のひらにべったりと張り付いた。
それにしても自分の血を見るなんて如何ほど振りだろうか。そもそも神様である自分がここまでの傷を負うこと自体早々ない事なのだ。しかも、肩の痛みだけじゃない。腕がしびれてほとんど動かなくなっている事に気づく。これは神経もやられてるのかもしれない。

どうやら犯人は神を殺傷出来るほどの強力な武器を持っているらしい。

目覚めたばかりで混沌としていた意識の糸が少しずつ結びあがっていく。
静葉はもう一つ思い出した。厄介な事に、その犯人は自分と顔見知りだったのだ。だからこそ襲われた時、無警戒だった。

その時、突然部屋の扉が勢いよく開けられ、その張本人が彼女の目の前に姿を現した。

「ようやく起きたみたいね。目覚めはいかが? 八百万の神様さん」

その腰に届くまで伸ばした青い髪に触れながら挑発的な笑みを浮かべている天人こそが静葉を襲った犯人だ。

以前、静葉は天界へ来る機会があった時に彼女と偶然知り合った。と言っても当時この天人は相当酔っぱらっていたので、まともな会話はほとんど出来なかったはずだ。よく見ると彼女の手には大層な刀が握りしめられていた。

「ねえ、どうして自分がこんな目に遭っているか分かっていないでしょう?」

まるで静葉の心を読んだかのように彼女は問いかけてくる。

「ええ、皆目見当つかないわね。でもここまでの事をするくらいなんですもの、きっと相当の理由があるのでしょう?」

天人は笑みを浮かべたまま静葉に近づく。その目はまるで妖怪と見紛うほどらんらんと輝いている。こんなに邪悪な気配の持ち主だったのかと静葉は驚きを隠せなかった。

「決まってるじゃない。復讐よ」
「復讐? 私あなたに何かした?」
「したわよ!」

彼女が言い放つや否や、ひゅっと空気を切る音が響き刀身が静葉の頬をかすめる。チクッとした感覚に思わず彼女が指で頬をなぞると、うっすらと血がつく。なるほど。自分はどうやらあの刀にやられたのだと静葉は確信する。

静葉は天子をきっと睨む。

「ふふん、驚いたでしょ? まさか神様に傷を負わせる武器があるなんて」
「……ええ、驚いたわね。でもどうして私をこんな目に遭わせる必要があったの?」
「知りたいなら教えてあげるわ。あなたはこの私を無視したのよ。復讐するには十分過ぎる理由でしょ? でも大丈夫、殺しはしないわ。それだけは約束してあげる」

静葉には彼女の言ってる事の意味がよく分からなかった。確かにあの時、話の途中で自分は帰ってしまったが、何しろ時間が無かったし、何と言ってもこの子がへべれけになっていてまともに会話も成立しない状態だったからなのだ。

それなのに、たかが無視したくらいで腕が動かなくなるほどの重傷を負わされたのかと思うと静葉は段々腹立たしくなってきた。

「何か言いたそうね。よし、発言権を与えるわ!」

偉そうに言いながら、天人は胸を張る。

「ほら、せっかく発言権を与えてるんだから何か言ったらどうなのよ!?」
「それじゃ、一つ質問があるわ。あなたは私をどうしたいのかしら?」

静葉が単刀直入に疑問を投げかけてみると、天人は小馬鹿にするように鼻で笑い返した。

「私は質問までしていいとは言ってないわよ。言いたい事はそれだけ?」

どうやら、この子にはコミュニケーション能力というのが根本的に欠けているようだ。静葉は腹が立つのを通り越してこの天人が哀れにさえ思えてきた。自然と彼女を見る目が冷たいものになってしまう。

「な、なによ!? その顔は! なんで私をそんな目で見るのよ!」

彼女は静葉の醒めた視線に、今までの強気そうな態度から一転して怯えの色を見せる。
まったく忙しい子だ。と静葉が思っていたそのときだ。

「あんたのその目が生意気なのよっ!!」

突然の怒号とともに、それまでおびえを見せていた天人は目を見開き、静葉に向かって刀を振りかざしてきた。

静葉は横に飛ぶように転がって避ける。肩に激痛が走り思わず蹲りそうになるが構わず立ち上がって、次の攻撃に備え、すかさず間合いをとる。しかし、彼女は刀を振り下ろしたままの状態で動こうとしない。

怪訝に思った静葉がそっと近づいてみると理由はすぐ分かった。

刀だ。彼女の持つ刀が禍々しいほどの気を放ち彼女を蝕んでいたのだ。
あの刀はおそらく妖刀の類だろう。
天人は苦しそうに肩で大きく息をしている。その顔には玉のような汗が噴出していた。

やがて我に返ったように立ち上がると、静葉が言葉をかけるまもなく、おぼつかない足取りで、何かを言葉を呻きながら、そのまま部屋から出て行ってしまった。

(やれやれ……いったい何がどうなってるんだか)

静葉は彼女が去っていった方を見つめながら思わず心の中でつぶやく。

とりあえずなんとかこの場はやり過ごせたようだと一息をつくと、静葉は布団に座り込み、頭の中で、これからするべき事を整理することにした。

まずは兎にも角にも、この傷の回復を念頭に置いた方が良いのは間違い無いだろう。そうでもしないと、傷が疼いてまともに身動きすらとれない。

あの天人に関しても気がかりはたくさんあるが、少なくとも殺しはしないと言っていたので身の安全に関しては当分は大丈夫だろう。そう信じたい。傷が癒えたら隙を見てここからなるべく早く脱走することにしよう。

静葉はそのまま布団に横になると、天井のふらふらとした灯りをぼんやりと見つめる。

全く、とんだ厄介事に巻き込まれてしまったものだが、せめてもの救いは思考が正常な事だ。自分の頭さえしっかり働けばこの苦境は絶対乗り越えられる。今まで災難に巻き込まれた時もそうやって乗り越えてきた。気だけはしっかり持たないと。静葉はそう強く自分に言い聞かせて目を閉じる。

ふと、彼女の脳裏に妹の姿が浮かび上がってきた。

そう言えば穣子の奴は何をしているんだろうか。今頃きっとさぞかし心配している事だろう。

(……大丈夫よ。姉さん必ず無事に帰るから。だから、もう少しだけ待ってなさい)

慰めるように妹の幻影へつぶやくと、静葉は体を休めるために眠りについた。


                ***


 目を覚ますと穣子は布団の中にいた。しかも、頭ごとすっぽりと包まれている。これは一体何事かと彼女は思わず眼をぱちくりさせる。

どうやら結局あのまま気を失ってしまったらしく、にとりと雛が運んで寝かせてくれたようだ。二人には感謝しなくては。

そう思った彼女が布団の隙間から外を覗くとすぐ側に二人の姿があった。自然と二人の会話も耳に入ってくる。しかしそれを聞いた穣子は耳を疑う。二人はなにやら言い争いをしている様子だったのだ。

「……まったく、お前がいるからみのりんの具合が悪いんじゃないか!?」
「失礼ね。確かに私は厄神だけど、みのりんが具合悪いのは私のせいなんかじゃないわ!」
「そんなのわからないだろ! 大体お前が近くにいるといい事が起きないって言うじゃないか。もしかして静葉さんが誘拐されたのもお前のせいじゃないのか!?」

にとりの怒号が聞こえる。これは自分が止めに行くべきなのか。しかし、ここで自分が入った事で余計話がこじれてしまったらどうしよう。と、布団の中で穣子が悶々としていると、雛が口を開いた。 

「お願いだから落ち着いて聞いて。みのりんは冬になると秋の力が足りなくなって色々具合悪くなっちゃうの。いつもなら静葉さんがいるけど、今は代わりにみのりんの事をよく知ってる誰かが側にいてあげないといけないのよ」

――雛、ありがとう。

穣子は思わず小声でつぶやく。雛の言葉は更に続いた。

「……にとりさん。この際、私の事は嫌いでも何でも構わないわ。でも、せめて今だけは、みのりんのために力を貸してもらえないかな。この事件が解決したら私はもうあなたに会わないようにするから」

雛の言葉を聞いた穣子は、危うく驚きの声を出しそうになるが、慌てて口をふさぐ。そして、にとりの返事を待っていた。彼女はしばしの沈黙の後に重々しく口を開いた。

「……ああ、わかったよ。静葉さんを助けたいのは私も同じだしね。一応協力はするよ」

二人は本当にそれでいいのだろうか。穣子は色々と腑に落ちず、布団の中で悶々とし続けていた。

「ありがとう。助かるわ。ところで……」
「……ああ、そうだね」

急に二人が静かになったと思ったその時、突然被っていた布団が勢いよく引っ剥がされ、思わず穣子は仰天の声を上げた。

「…ねえ、みのりん。今の話聞いてたんでしょ……?」
「あはは……ど、どうして私が起きてたってわかったのかな?」
「そりゃーねぇ。あれだけ布団の中でアナグマみたいにモゾモゾ動いてたらどこぞの氷精だって分かると思うよ」

と、言いながらにとりはどこから取り出したのか、きゅうりをバリボリと食べはじめる。

「ま、というわけで話の通りなの。だからみのりんは何も心配しないでね?」

雛は相変わらずの笑顔だ。いや、でもこれは心配するなという方が無理な話じゃないだろうかと穣子は思ったが、彼女の笑顔に気圧されてしまう。

「ところで、みのりん。体大丈夫?」
「え? うん。まぁ……大分楽にはなったけど」
「そう、なら良かった。でもまだ下手に動かない方がいいわよ。顔色悪いし」
「え? そうかな」
「そうよ。きっとまだ病み上がりみたいなもんだし、無理はダメよ。大丈夫、私たちが手がかり探してくるから。ね? にとりさん!」
「……え? あ、うん。そうそう! この私に任せなさい! チョチョイのパッパで見つけてきてやるよ!」

どうやらにとりは、きゅうり食べるのに夢中になってて話に気づいてなかった様子だ。本当に大丈夫なのだろうかと、不安になってしまう。

「それじゃ行ってくるわ。みのりんはちゃんと寝てないとダメよ」
「そーそー。厄神様の云う通りだよ。あんたにダウンされちゃ困るんだからさ」

そう言うや否や二人は足早に出て行ってしまった。なんか上手くはぐらかされた気がしてしまい穣子は思わず苦笑する。

ほどなくして外の方で二人が言い争うような声が彼女の耳に入ってきた。出かけてからまだ数分も経ってないというのに。穣子は具合が悪いのとは違う頭痛を覚え、思わず目を閉じる。しかも、そのうち寒気まで襲ってきたので穣子は布団に潜る事にした。ところが布団に潜っても体は温まるどころか、寒さが増すばかりだ。もしかして二人とも入り口を開けっ放しで行ってしまったのだろうか。そう思いながら仕方なく起き上がって入り口の方へ行くと、その寒さの理由が分かった。

入り口も確かに開いていた。でもそれだけではない。なんとそこには、憎き冬の妖怪レティ・ホワイトロックの姿があったのだ。

「な、なんであんたがここにいるのよっ!?」

穣子の声に気づいた彼女は、涼しそうな笑みを浮かべて振り向く。

「あら、稔り神さん。御機嫌いかがかしら。今年も私の季節になったから挨拶に来たわ」

よりによってこんな時にこいつが来るなんて最悪もいいとこである。穣子はあからさまに顔をしかめて彼女に言い放った。

「姉さんならいないわよ!」
「へぇ、珍しいわね。せっかく冷やかしに来たのに」

そう言ってレティは、涼しい笑みを浮かべ続けている。

「昨日から行方不明なの」
「行方不明って静葉さんが……?」
「そう! それ以外に誰がいるってのよっ!」

具合悪くて機嫌も悪いせいか、穣子言葉遣いは自然と荒くなっていく。

「だから今、雛たちに捜してもらってるのよ。だからとっとと帰りなさいよ!」
「あなたはどうして捜しに行かないの? 自分のお姉さんじゃない」
「うっさいわね!! そんなのわかってるわよっ! 力が弱ってて捜しにも行けない状況なのよ!! こんな体じゃなけりゃ真っ先に行ってるに決まってるでしょーがっ!」
「力が弱ってるって……秋の力のこと?」
「そんなん見りゃわかんだろ!? あぁもう、いいから早く帰れって言ってんだろーがよっ! とっとと失せろ! この性悪雪女!!」

我ながら酷い言葉だと言った後で穣子は思った。しかし、今は言葉に気を遣ってるほどの余裕すらなかった。穣子は肩で大きく息をしながら、思わず胸をおさえた。

レティは今一状況が飲み込めない様子で彼女を眺めていたが、すぐにきびすを返し逃げるように立ち去ってしまう。

今ので疲れ果ててしまった穣子は、布団に戻ろうと後ろを振り向いた。ふと、彼女が長いため息を一つ吐いた途端、突然視界がぐらりと歪んだ。
そして気がついた時は既に床へと倒れ込んでしまっていた後だった。それでもなんとかはいつくばって穣子は布団へと潜り込んだ。

ああ、何とみっともない姿なんだろう。いくら具合悪いとは言え、姉の一大事にのうのうと布団で寝ているだなんて。

そんな自分にだんだん腹が立ち、それと同時に悔しさもこみ上げてきた。

(まったく何が神様だ。一年のうちのわずかな期間にしか力を発揮出来ないなんてそこら辺を飛んでる妖精以下じゃないか)

悔しさの余りに今までずっと我慢していた涙がとうとうこぼれてきてしまう。一度堰を切った涙はそう簡単には止まらない。次々と溢れる涙とともに、頭の中で色んな思考がぐるぐると張り巡らされた。

(姉さん無事だろうか。昨日三人であれだけ探したのに見つからないって事は、もう近くにはいないのかもしれない。大体、籠についてた血の量からしても相当な傷を負っているのは間違いなさそうだし。下手すれば致命傷かもしれない。もしかして、もうこのまま姉さんに二度と会えないのだろうか。そんなのは絶対嫌だ!)

怒りと悔しさと寂しさがごちゃ混ぜになり、嗚咽となって漏れ始める。泣いてもせめて声だけ出さないようにする。そう心に決めていたが、もう限界だった。

穣子は自分でも驚くくらいに声をあげて布団の中で泣きじゃくった。声を出さないとおかしくなってしまいそうだったのだ。

やがて、ひとしきり泣き落ち着いた穣子は布団から顔を出す。泣いて火照った顔にひんやりとした外気がとても心地良い。

と言うより、むしろ凍りつくほど寒いくらいだった。あまりの寒さに思わず辺りを見回すと、なんとレティが枕元に座っていた。穣子は目を疑った。彼女はいつからいたのだろうか。もしかして自分が泣いていたの聞かれていたのか。

「もう気が済んだかしら?」

どうやら悪い予感が的中したようだ。こいつに自分の弱いところを見せてしまったなんて最悪もいいところだ。穣子は思わず両手に頭を抱えてうなだれる。

「聞かなかったことにしてあげるわ。あなただって辛いでしょう」
「何しにきたのよ! さっき帰れって言ったで……」

穣子の言葉が言い終わる前に、彼女は大きな箱を差し出してきた。

「何よ。これ!」
「いいから開けてごらんなさい」

そう言って微笑を浮かべ続ける冬の妖怪を一瞥すると、穣子はわざと乱暴に箱の蓋を開けた。中にはたくさんの木の実やきのこが敷き詰められていた。

「なによこれ……」
「見ての通り。差し入れよ。ほら、此間のお礼もかねて」
「いらないわよ! あんたの差し入れなんて」
「そ。でも私はお節介だから無理矢理でもあなたに送るわ」
「好きにしなさいよ」
「……あなたのお友達、必死で捜してたわよ? いい友人持ったわね」
「うるさい! あんたには関係無いでしょ!」

悪態をつく穣子を何もかも見透かしたような眼差しで見つめるレティ。穣子は彼女のこういうところが嫌いだった。

「……でもね。静葉さんを救えるのはあなたしかいないのよ」

その言葉を聞いた穣子は思わず彼女を見遣る。

「……それってどういう意味よ?」
「だって彼女を一番知ってるのはあなただもの」
「……もしかして、何か知ってるの?」
「いいえ。私は今日ここに来たばかりだもの。思わせぶりな事言ってごめんなさいね。ただね。彼女がいないと私も寂しいのよ。だからあなたに頑張ってもらわないと」
「勝手なこと言わないでよ! そんなのあんたの都合じゃん!」
「そう。勝手よね。だから私はこれ以上首を突っ込まないわ。それじゃ」

そう言い残すとレティは足早に去って行ってしまった。

「二度と来んな!」

穣子はレティの方に大声で怒鳴ると、彼女が置いていった箱を手元にたぐり寄せる。

嫌な奴からの差し入れとは言え、ありがたいことには変わりはない。改めて思えばせめてお礼くらいは言っておくべきだったかもしれない。そんな事を思いつつ箱の中を漁っていると、一枚の紙切れが出てきた。その紙切れを手にとって見るとミミズがのたくったようなものが書き殴られていた。

穣子は最初ゴミかと思って放り捨てようとしたが、どうも気になったので何度もそれを見つめ直してみた。すると、ようやくそれが文字だという事に彼女は気づく。

まるで暗号か何かかと思うほど汚い文字だったが、不思議と読むことは出来た。

――あきのかみさまへ このあいだは おせわになりました これはあたいとれてぃからのおれいです しずはさんぶじにみつかるといいね みつかったら こんど みんなでいっしょに あそぼうね ちるの――

チルノ。確か前ににとりが言っていた氷精の名前だ。そう言えばレティと仲が良かったと聞いてた気がする。まったく、氷精にまで心配されているというのに、一体自分は何をやってるのか。穣子は思わず自嘲的な笑いを浮かべ、その紙切れを床に放り投げそうになる。

その時、裏側にも文字が書いてる事に彼女は気づき、急いで手元に戻す。これは多分レティの文字だろうか。

――きっと静葉さんは今のあなたにこう言うでしょう。

「もう、穣子ったら何をやっているの? 今自分が出来る事をやれば良いだけでしょ」 

お節介な冬の妖怪より――

穣子は思わず紙切れをぐしゃっと握り潰した。

――やっぱりこいつは嫌いだ。卑怯だ。ここで姉さんの言葉を出してくるなんて。でも、おかげで何か目が覚めた気がする。

穣子は目の前の木の実をおもむろに掴み取り、口に放り込んだ。

秋の味覚を一度に沢山食べる事で一時的に力を回復する事が出来る。ただし効き目が切れたときに今までの負担が一気に来る最早荒療治と言うより危険なドーピングみたいなものだがこの際そんな事は言ってられない。

穣子は小さいキノコやどんぐりを次々とお口の中に放り込むと、勢い良く噛み砕く。心なしかさっきより少し体が楽になった気がした。どうやら早速効果が出てきているようだ。

「待ってて! 姉さん! 必ず私が救ってみせるわ!」


            ****


 誰かの気配を感じ、静葉は目を覚ました。肩の痛みは大分ひいていた。このまま何も起きず治ってくれると良いのだが。彼女がそう思っていると入り口の扉が開けられ、例の天人がずかずかと入ってきた。

「ねえ、ご飯用意したけど食べる?」
「あら、ありがとう。でも私は神様だから物は食べなくても平気なのよ」
「そんなこと言わないで食べなさいよ! わざわざあんたの分も用意したんだから!」

ぶっきらぼうに言うと天人は切った桃が乗った皿を枕元に置く。もしかすると毒なんかが入ってると思えなくもなかったが、神様に効くほどの猛毒なんて少なくとも静葉は今まで出くわしたことはない。皿をすっと手元にたぐり寄せる。四等分した桃が皮もむかない状態で一列に盛られていた。お世辞にも器用とは言えない盛りつけ方だ。おそらく彼女が切ったのだろう。わざわざ用意したと言うのはどうやら本当らしい。そう言えばこの屋敷は彼女以外に誰もいないのだろうか。

そんな事を考えながら静葉は、その不揃いに切られた桃の切れ端に楊枝を刺す。

よく、天界の桃は食べるだけで体が強くなると言われているが、それは神様にも当てはまるのだろうか。肉体の増強とまではいかないにしても、せめてこの怪我に効くというのなら十分にありがたいのだが。

とりあえず一つ頂いてみようと、静葉は早速その果肉を口に含む。口の中に広がる果汁は思ったよりも淡泊な味だった。彼女はもっと濃厚なものを想像していただけにちょっと拍子抜けしてしまう。

彼女が桃を食べる様子を天人はじっと見続けている。
それはあたかも被検体の観察をする生物学者。あるいは飼ったばかりのペットに餌をやり、食べる様を興味深そうに見つめる子供のような眼差しだ。自分を猫か何かと勘違いしているのだろうか。

「ねえ、良かったらあなたも一緒に食べる?」
「……え?」
「私と一緒に食べない?」
「いや、でも……」

静葉の誘いの言葉に、彼女は思いの外、動揺を見せる。これは脈がありそうだ。そう思った静葉はもう一押ししてみることにした。

「あなたの事、色々聞かせて欲しいの。一緒に食べながらお話しましょう」

これは案外口から出任せの言葉ではない。実際、静葉はこの子に興味あったし、例の刀の事も気になっていたのだ。

「そ。あ、あんたがそこまで言うなら一緒に食べてやってもいいわよ?」

口ではそう言いながらも、天子はいそいそと静葉の脇までやってくる。どうやらこの子は、言葉よりも行動や仕草から感情をくみ取った方が良さそうだ。
まったく、とんだひねくれ者、いや天の邪鬼と言うべきか。と、静葉はくすりと笑みを浮かべる。

天子は静葉のすぐ脇にちょこんと座ると、もそもそと桃を食べ始める。
それにしても今の彼女からは禍々しさというものが全く感じられない。何より目の様子が違う。あのらんらんと見開いていた、まるで妖怪のような目ではなく、少し気の強そうではあるものの純粋そうな少女の目をしている。おそらくこれが彼女本来の姿なのだろう。

「ねえ。そういえば私のこと色々知りたいって言ってたわよね。具体的には何が知りたいわけ?」
「そうね。まずはあなたの名前かしら」
「私の名前? そんなの前に会ったときに名乗った気がするんだけど」
「そんな気もするけど忘れちゃったわ」
「人の名前忘れるなんて最低ね」
「しょうがないでしょ。あの時あなた酔っ払ってて言ってる事が良く聞き取れなかったんだもの」
「失礼ねー。酔っ払ってなんかなかったわよ!」

そう言って天子は不満そうに頬を膨らませる。

「仕方ないわねー。今度は忘れないでよ。私の名前は、天の子と書いてて・ん・し。比那名居天子よ」

彼女は何故か妙にうれしそうな表情で、わざと抑揚をつけて自分の名前を名乗る。

「天子ね。覚えたわ」
「ねえ。私からも質問して良いかしら?」
「何かしら?」
「あんたの名前を教えてよ」
「あら、前に名乗った気がするけど?」
「そんな気もするけど忘れちゃったのよ」
「人の名前忘れるなんて最低ね」
「う、うるさい。いいから教えなさいよ!」

実際にあの時、静葉は名乗っていなかった。そんなに昔の事でもないのに既に記憶が曖昧という事は、やはりこの子はあの時酔っ払っていたのだ。本人は意地でも認めないようだが。

「静葉、静かなる葉で静葉よ」
「静葉。へー良い名前ね」
「あら、あなたにこの名前の良さがわかるの?」
「バカにしないでよ。私は天人よ? 風流とかくらい多少は理解してるわよ! 多少は!」

そういえば、天人というのは酒と踊りの日々を過ごしていると聞いたことがあった。故に皆が皆、風流人士とまでは言わないが、そういうものを嗜んでいても別におかしい事ではない。それでもこの子が言うと、妙にミスマッチに思えるのはなぜだろうか。

そもそもこの子は静葉が思い描いてた天人の姿とはかけ離れていた。もっと浮世離れして超越したような仙人のようなものだと思っていたのだが、天子からはそんなもの微塵も感じられない。天人とはこういうものなのか。それとも彼女が特殊なのだろうか。そんな事をあれこれ思いながら桃をついばんでいた静葉に天子がふと問いかける。

「ねえ、その桃おいしい?」
「うん、そうね。思ったより味が薄いわね。もっと濃い味なんだと思ってたけど。でも、嫌いな味じゃないわ」

確かに味は薄いがこれはこれで悪くない。むしろ水気が多くて喉を潤すには丁度いいくらいだ。しかし、その答えに天子は少し寂しそうな表情を浮かべる。

「私はこの味あまり好きじゃないわ。まるでここを表してるみたいで」
「あら、どういうこと?」
「ここにいる人等は皆、うわべだけで付き合ってる奴ばかりでさ。薄っぺらいのよ。そう、まるでこの桃の味みたいに……」
「そうなの? てっきり、飲めや歌えの陽気な道楽人ばかりだと思ってたんだけど」
「……それは見た目だけよ。愛想はいいけど、心の中では何を思っているのかわかったもんじゃない。そう、どいつも、こいつも。……どいつも……こいつも……」

突如ぞくっとした感覚が静葉の体を突き抜けた。ふと天子を見ると様子が明らかにおかしい。彼女は思わず身構える。天子の手にはいつの間にか例の刀が握りしめられていた。いったいどこから取り出したのか。もしかして感情の高ぶりに呼応して現れるとでもいうのだろうか。

「そうよ! どいつもこいつも、みんな私の事バカにしやがって!! 何が天人崩れよ!! 好きでそうなったわけじゃないのに!!」

天子はよく分からないことを喚きながら布団の枕に対して執拗に何度も何度も斬りつける。まるで親の敵とでも言わんばかりの勢いだ。ずたずたになった枕からは羽毛がはじけ瞬く間に部屋中へ飛び散っている。

「天子。落ち着きなさい」
「うるさい! 指図するな!」

静葉は明らかに殺意がこもっている目で睨みつけられてしまった。だがここで押し負けるわけにはいかない。と、彼女は気をしっかり持つ。

「もう一度言うわ。落ち着きなさい」
「黙れ! 殺されたいの!?」
「あなた、私を殺さないって言ったわよね?」

その言葉を聞いた彼女の目が一瞬揺らぐ。間髪入れず静葉は続ける。

「天子。私のもう一つの問いに答えてくれるかしら?」
「な、何よ……」
「その刀の事よ」
「ああ、これ? かっこいいでしょ」
「それは妖刀よ。今すぐ手放しなさい」
「うるさい! 指図するなって言ったでしょ!」
「その刀は確実にあなたを滅ぼすわよ。それでもいいの?」
「この刀を持ってると心が落ち着くのよ。安心出来るの」

天子は刀の刀身を指でさすりながら口元をゆがませ、笑みを浮かべる。
彼女はこの刀に魅入られているのだ。このままでは刀に蝕まれ、いずれ命を落としかねないだろう。なんとか説得出来ないものか。とりあえず下手に挑発するような言動だけは避けたい。静葉はなんとか話を続けようと彼女に持ちかける。

「ねえ、天子。もっと私とお話しましょう。私はさっきまでの穏やかなあなたの方が好きよ」
「う、うるさい! おまえだって……そんな事言いながら私の事をバカにしてるくせに……っ!」

彼女の呼吸が激しく乱れてきているのがわかった。あるいは命を削り取られているのかもしれない。

「こ、この刀さえあれば……みんなを見返せるのに……!」

彼女の体が大きくぐらつきそのままゆっくりと床に崩れる。

「天子!」

思わず静葉は彼女の体を受け止める。その体はまるで氷柱を抱いているのかと思うほど冷たい。刀はいつの間にか彼女の手から消えていた。やはり感情の高ぶりによって現れるのだろう。

とりあえず静葉は天子を布団へ寝かせることにした。しかし、寝かせた所で熱源がないのにそうそう体が温まるわけがない。案の定、天子は顔面を蒼白させて震えていた。
近くに何か熱を蓄えるのに使えそうなものはないか。そう思いながら辺りを見回すと、入り口の扉が開かれているのに気づく。

(そうだ。今ならここから逃げ出す事も出来る)

静葉は目線を天子に戻す。彼女は「寒い」と、うわごとのように繰り返しつぶやいている。元々こいつは自分に危害を加えた悪い奴だ。彼女が今苦しんでいるのは、その因果とも言えるし、それをわざわざ救ってやるほどの義理はない。

(……とは言ってもねぇ)

静葉は困った表情を浮かべて、震えている天子を見つめながら小さくため息をつく。

結局、静葉は、ここに残って彼女の看病をする事を選んだ。このまま放って置いたら下手するとこの子は死んでしまうかもしれない。それはちょっと流石に気の毒過ぎるし、何より夢見が悪い。我ながら甘い選択だとは思ったが、これが自分の性分であり、自分が出した答えだ。

静葉が急いで部屋を出ると、木目の手すりのある廊下に出た。その手すりの先は大きな吹き抜けになっていて、そこから綺麗な絨毯が敷かれている下の階が見えた。その奥には螺旋状の階段も見える。
思ったよりもこの建物の規模は大きいようだ。こんな建物に彼女は一人で住んでいるというのか。

彼女が一階へ飛び降りると、奥に部屋が数個あるのが見えた。静葉は直感で真ん中の部屋へと入る。
その部屋はどうやら台所のようで、かまどや食器棚などが設置されていた。静葉は、そのかまどの横に丁度良い大きさの丈夫な袋があるのを見つける。おそらく出かけるときに水などを携帯するためのものだろう。うまく使えば湯湯婆代わりに出来そうだ。
そう思った彼女は早速、お湯を沸かすためにかまどに薪をくべて火をつける。

お湯は予想よりかなり早く沸きあがった。
少しぬるいが、逆にこれくらいが体に負担をかけない塩梅かもしれない。
静葉はお湯をゴムの袋に注ぎ、こぼれないように固く結ぶ。そしてその上からその場にあった布を巻きつけて湯湯婆にすると、それを持ってすぐに部屋へと戻った。そして、天子の寝ている布団の足下に入れてやる。あとは布団の中が温まるのを待つだけでいい。足さえ温まればひとまず大丈夫なはずだ。

一連の作業を終えると静葉は思わずふう、と一息ついた。

こういう事は穣子の看病をしていて何度もやっているので彼女にとっては朝飯前だった。

そう言えば、あの子の具合が悪くなるのは冬に差し掛かる丁度今辺りだったはずだ。多分今頃、鬱になりながら布団に寝込んでいるかもしれない。心配ではあるが、彼女の周りには雛やにとりなどの良い友達がいる。特に雛は穣子の事を良く知っているので、きっと彼女が上手くやってくれているはずだ。そう信じたい。静葉はそんな事を考えながらぼんやりと天子の様子を眺めていた。

ふと、彼女が「ううん」と唸りながら寝返りを打つ。顔色は大分血色が戻ってきているように見えた。恐らく湯湯婆が効いてきているのだろう。

これでとりあえずは一安心といった所か。天子は口元を緩めて赤子のように眠りこけていた。

「……いく、おなかすいた」

彼女の寝言だった。『いく』とは誰かの名前なのだろうか。静葉には全く見当もつかなかった。それにしてもなんとも幸せそうな寝顔なのだろうか。見てるこっちも思わず和んでしまう。その寝顔を見て、自分のした事は間違ってなかったと静葉は改めて確認が出来た気がした。そして、天子が当分目覚める様子がないことを確かめると静葉はそっと部屋の入り口へと向かう。

彼女が寝ている今のうちに、建物の中を調べさせてもらうのだ。この好機を逃す訳にはいかない。もしかしたらあの刀についての手がかりが見つかるかもしれないからだ。それに運が良ければ出口も調達できる。

優しい静葉お姉さんの出番はここまで。ここからは抜け目のない紅葉神様の時間だ。静葉は天子の方を振り向く。彼女は依然として熟睡したままだ。これなら当分は起きないだろう。そう確信した静葉は、彼女を残して部屋をあとにした。


               ****

「ふー。食べた食べた」

箱の中の食料が空になる頃、穣子はすでに多少の距離なら飛び回れるほどの力を取り戻していた。実際体もかなり軽く、試しにちょっとした弾幕を放ってみると弾幕は力強い軌道を描いて入り口の方へと飛び散っていった。
どうやらこれなら戦闘も問題なさそうだ。と、思ったその時だ。

「ただいまーって、うぎゃーーー!?」

なんと、運悪く丁度帰って来たにとりに弾が命中してしまう。

「わーーー!? ごめーーん!!」

あわてて穣子が駆け寄ると、にとりは服の埃を払いながらのろのろと起きあがる。幸い、大した威力は無かったので服が汚れたくらいで済んだようだ。穣子は安堵の溜息をつく。

「まったく、一体何事かと思ったよ。危ないなぁ」
「ごめんなさい! まさかにとりんが帰ってくるなんて思わなかったから」

ひたすら謝る穣子をにとりはきょとんとした様子で見ている。

「なんか、みのりん、すごく調子良さそうだね?」
「あ、うん。おかげさまでね! 何とか元気になれたわ」
「おー。そいつは良かった! それじゃ後は静葉さんを助けるだけだね」

そう言ってにとりはにかっと笑う。その時、穣子は雛の姿が見えないことに気づく。 もしかして一緒じゃなかったのだろうか。気になった穣子は彼女に聞いてみることにした。

「ねえ、雛は?」
「あ、途中で別れたよ」

彼女の答えは素っ気ないものだった。二人の仲が良くはないとは言え、やはりちょっと寂しいものを穣子は感じる。

「まあそれより聞いてくれ、みのりん! 静葉さんをさらった犯人がわかったかもしれないんだ!」
「なんですって! 一体どこのどいつよ!?」

にとりの言葉に思わず穣子は身を乗り出す。

「まぁ、そんな焦らないで。今、順を追って説明するからさ」

そう言ってにとりはポケットから紙切れを取り出す。どうやらそれに仕入れてきた情報が記されているようだ。穣子はその紙切れに見覚えがあったが、どこで見たかまでは思い出せなかった。

「実はね。昨日の夕方、山の広場周辺で怪しい人物が目撃されてたんだよ」
「怪しいやつ?」
「そう、話によると、その人物は青い髪に帽子をかぶってる奴だったそうで、そいつが赤っぽいスカートの女性を抱えたまま空の方に姿を消してしまったそうなんだ」
「赤っぽいスカートの女性って、それってやっぱり……」
「うん、静葉さんに違いないと思う。それで更に情報を集めた結果、静葉さんを連れ去った青い髪の女は比那名居天子という天人の可能性が高いことがわかった」
「誰よ?そいつ」

穣子は全く予想していなかった人物名を聞いて、思わず目が点になってしまう。予想どころか名前すら聞いたことがない人物だった。

「うん。私も全然聞いたことがない奴だったんだけど、どうやら静葉さんは前に天界行ったときにそいつと遭遇してるみたいでさ。これは推測だけどその時に静葉さんと、天子とか言う奴の間で何かイザコザがあって、その報復で彼女が今回の事件を起こしたんじゃないかなって思うんだ」

そう言えば前に姉が、天界で面白い奴に出会ったとか言ってたのを穣子は思い出す。なるほど、確かにそれならつじつまも合う。

「凄いじゃない。よくそこまで情報集められたわね。あんた探偵屋でもやっていけるんじゃないの?」

すると苦笑いを浮かべる彼女の口から意外な事実が告げられた。

「いやぁ、その、実はさ。文にも手伝ってもらったんだよね」
「あ……! なるほど!」

にとりの言葉を聞いて穣子は納得する。この幻想郷で情報の扱いにおいては彼女の右に出るものはいない。そのとき、にとりが持ってる紙切れの正体を穣子は思い出した。それは文の手帳の切れ端だった。きっと説明するためにわざわざもらってきたのだろう。

文と姉さんは何気に気が合うし、確か、にとりと文も仲が良かったはず。
持つべきものは友というわけだ。本当有難い。

「さてさて、みのりん。こうなったら天界に行ってみるしかないと思うんだけどどうする?」
「もちろん! 行くしかないでしょ!」
「おっけー! そうこなくちゃね!」

そう言ってにとりは親指をぐっと立てる。

「うーん、それにしても天界か。今まで行った事なかったけど一体どんな所なんだろう。ねぇ、にとりは行ったことあったりするの?」
「うん。前に一回だけ、発明品の試用テストで行った事あるよ!」
「発明品?」
「そ、空飛ぶ魔法の乗り物さ」
「へぇ……」

空なんて普通に飛べるのに、空飛ぶ乗り物なんて何に使うのか。やっぱり河童の考えている事はイマイチわからないなと穣子は思わず首をかしげる。にとりは目をキラキラと輝かせて何やら独り言をぶつぶつ言っていたが、不意にうんと大きく頷くと勢い良くその場を立ち上がった。

「……さて! そうと決まったら、早速行く準備しないといけないな。今日はもう日も暮れてきたから、出発は明日の朝にした方が良さそうだね。そんじゃ、明日の朝迎えにくるから、それまで行く用意しておいてね!」
「え……? あの、ちょっと?」

にとりは一方的にまくし立てると穣子には目を向けず「さーて。忙しくなるぞー!」と言いながら慌ただしく勝手に去って行ってしまった。

彼女が去っていった方を眺めながら穣子は思わずため息をつく。そして思わずふっと笑みを浮かべた。

にとりはいつも楽しそうだ。今回だって何か事件そのものを楽しんでいるように感じる。でもそれは他人事だから真剣じゃないというのではなく、きっとにとりは姉が無事だと言う事を信じて疑わないからこそ、心にゆとりが持てているのだろう。

「みのりん、ただいまー」

声を聞いて穣子が迎えに行くと、雛は何やら手提げ袋を提げて入ってきた。

「何それ?」
「ん? ちょっとね。秘密。ところで、体の方はどう?」
「おかげさまでこの通り元気になれたわ。もう大丈夫よ!」
「本当? それはよかったわ!」

雛がにこりと微笑む。穣子は、あの事を聞くなら今しかないと思い、彼女に尋ねてみることにした。

「……ねえ、ひーちゃん。ちょっと良いかな」
「なあに?」
「あの。にとりんの事なんだけどさ……」
「あぁ、みのりんは気にしなくていいのよ」
「その……なんかごめんね?」
「え? なんでみのりんが謝るの? みのりんは全然悪くないわよ」

雛は驚いたような表情で穣子を見つめる。

「いや、ほら、でも、向こうが一方的に嫌ってるんだよね? だから私が代わりに謝っておくべきかなって……」
「いえ彼女も悪くないわよ」
「……へ?」
「ほら。だって、私は厄神だから嫌われてて当然なのよ」

穣子は思わず言葉を失ってしまう。

「みのりんだってわかってるでしょ? 私の側にいると人間だろうと妖怪だろうと神様だろうと悪い事が起きるって事は」
「それはそうだけど……」
「だから別にいいのよ。嫌われても仕方がないし、それに私そういうのは慣れてるから」

穣子は思わずはっとする。ああ、そうだ。雛はずっと昔からこういう体験をしてきていたんだ。だからあの時もにとりに対してあんな事が言えたのだろう。

――私の事は嫌いでも何でも構わないわ。でもせめて今だけは、みのりんのために力を貸してもらえないかな。この事件が解決したら私はもうあなたに会わないようにするから。

やはり雛は強い。自分なんかよりもはるかに強い。思わず穣子は乾いた笑みを浮かべる。

「ねえ、みのりん、今は私の事なんかより静葉さんの事の方が大事よ」

穣子は雛の言葉で我を取り戻す。

「そ、そうだったね。ごめんね。余計な事言っちゃって」
「ううん、気を遣ってくれてありがとう」
「え?」
「私ね。みのりんや静葉さんがいてくれて本当助かってるのよ? こんな嫌われ者の私と仲良くしてもらえてるんだから。だからこそあなた達の力になってあげたいの」

(ああ、もう、何でこんなにいい子がよりによって厄神なんだ! 雛、大好きっ!!)

穣子は思わず心の中で叫んでしまう。

「……みのりん? 大丈夫……?」

雛は、きょとんとした様子で穣子を見ている。
どうやら声には出さずとも表情に出てしまっていたらしい。穣子は顔を真っ赤にして誤魔化すように笑った。

「あははは。だ、大丈夫! それよりっ! えーとほら、あの、さっきにとりんが来てさ。明日天界に行くって事になったんだけど……」
「うん、知ってる」

知っているということは、もしかして二人はずっと一緒に行動していたのだろうか。

「だから、これを用意してきたの」

そう言って雛は先ほどの手提げ袋を彼女の目の前に掲げる。

「と、いう事は……武器か何か?」
「んー。だから秘密だって。だけどきっと役に立つはずよ」

武器じゃないとすれば一体何か。穣子があれこれ推測していると雛が話しかけてくる。

「ねえ、確か、天子って言ったわよね? 静葉さんをさらった犯人」
「あ、うん、そうみたいだね。まだ犯人って決まったわけじゃないけど」
「私、噂で聞いたんだけど、その天子っていうのはかなり強いみたいよ。なんでも前に霊夢さんの神社を壊してしまったとか」
「マジで!? なんて命知らずな」

よりによって博麗の巫女にケンカを売るとは。しかしそれだけ自分の力に自信があるからこそ出来る芸当かもしれない。そう考えた穣子は思わず顔をこわばらせた。

「ごめんなさい。もしかして不安にさせちゃった……? そんなつもりで言った訳じゃないんだけど……」

その様子を見た雛が不安げに尋ねてくる。

「……いや、むしろ燃えてきたかも」

そう、勝たなくちゃいけない。誰が相手であろうと私は絶対に姉さんを取り戻してみせる。穣子の決心は揺るぎなかった。

「……みのりんが元気になってくれて本当良かった。私とにとりだけじゃ心細かったからね」
「つっても、私がいたからと言って勝てるとかどうかなんてわからないけどねぇ……」
「大丈夫! ニ人と三人じゃ全然違うし、それに三人寄れば文殊の知恵って言うでしょ?」
「なるほど。たしかにそうね!」

穣子はもうちょっと雛とお話をしていたかった所だったが、今のうち寝ておいて体力を少しでも温存しておかないといけない。

「ごめん。私、少し寝るね。明日朝早いし」
「うん、わかったわ。おやすみなさい」

そう言って雛は微笑を浮かべる。

「ひーちゃんはどうするの? 一旦帰る?」
「ええと、ここにいても良いかな……?」
「え、別に良いけど……」
「ありがと」

どうして彼女がお礼を言ったのか穣子はわからなかったが、寝る前に雛の笑顔が見れた事が凄く嬉しかった。これはいい夢が見れそうだと、その笑みを瞼に焼きつけ穣子は眠りについた。


早朝、穣子は機械の駆動音のような音を聞いて目を覚ます。ふと顔を上げると、雛は枕元に座っていた。穣子が起きたことに気づくと「おはよう。ひーちゃん」と言いって微笑んだ。もしかしてずっと自分の側にいたのだろうか。寝顔も見られていたのかと思うと穣子はなんか気恥ずかしくなってしまった。
 
「ねえ、ひーちゃん。これ何の音?」
「さあ、外の方から聞こえるわね。行ってみましょ」

まだ真っ暗な外へと出ると、そこには人が乗れるほどの鉄の円盤が、その存在感を見せつけるように居座っていた。一体何事なのか。
穣子は寝ぼけ眼をこすりながら円盤を見回す。雛も唖然とした様子でそれを見ている。やがて円盤の上側が開いたかと思うと、中からにとりが姿を現した。

「やっほー。おまたせー! 約束通り迎えに来たよ」
「にとりん! 一体これは何よ?」
「何って、昨日話した乗り物さ。これで天界に行くんだよ」
「え? わざわざこれに乗っていくの? てっきり自分達で空を飛んでいくのかと思ったけど」
「それでもいいけど、こいつを使えばあっという間にたどり着けるよ。それに空飛んで余計な力を消耗せずに済むでしょ」
「確かにそうだけど、……大丈夫なのこれ? 鉄の塊じゃないのよ」
「さ、いいから、早く乗った乗った! 出発するよ!」

にとりに促されるように二人はその乗り物の中に入る。円盤の中は照明か何かがあるのか、ぼんやりと明るかった。どうやら中から外の様子が見えるようになっているらしい。設置されてる円上のソファーは思ったより座り心地が良かった。

「よし、二人とも絶対ベルトは締めてね。それじゃいくよ。ユニバーラゲス号発進!」

にとりの号令とともに円盤がふわりと浮き始める。そして見る見るうちに地面が遠くなっていく。すごいスピードだ。これなら確かに自力で空を飛ぶより遙かに速い。

「さあて、これから雲の中に突っ込むよ。ちょっと衝撃があるかもしれないけど、まぁ大丈夫だから」

「ちょっと、衝撃って! どういう事……」

穣子が聞こうとした瞬間、早速円盤が大きく揺れる。

「うひゃあああ!? ちょっとにとりん、これ大丈夫なの!?」
「あー。平気平気。ちょっと気流に巻き込まれてるだけだから」

にとりはこれっぽっちも動揺せず笑顔すら浮かべて操縦レバーを握っている。

穣子は頭を手で抑えながら衝撃に耐えた。ふと脇を見ると、雛が目を閉じて祈るようなポーズをとっているのが見えた。こういう時は一体何の神に祈ればいいのだろうか。穣子がそんなことを考えているうちに徐々に揺れは収まってくる。

「さあ、雲を抜けるよ!」

にとりがそう言ったとたん視界が突然開ける。薄明るい夜明け前の空をバックに満天の星がすぐ目の前で瞬いていた。

まさに宝石箱をひっくり返したようなという表現がぴったりな、それはそれはきらびやかな光景だった。

「綺麗だね……」
「うん、素敵だわ」

穣子も雛も目を輝かせて星空を眺めた。

「よーし、ここまで来ればもうすぐさ。後は落下するだけだ。それまでこの天体ショーでも楽しんでてね」

あとは落下するだけって、一体どういう原理でこの円盤が動いているのか気にはなったが、二人はそれより今はこの星空を堪能していたかった。

そういえば昔、姉さんと二人で妖怪の山の頂から夜通しで星空を眺めていた事があった事を穣子は思い出す。
あの時も凄く綺麗な星空だったが、この景色はその時以上だ。
そうだ。今度姉さんにもこの光景を見せてあげよう。きっと喜ぶはずだ。穣子はそう思いながら外を見つめていた。

やがて、星々が姿を消し空が徐々に明るくなってくる。足下にふと目を向けると、大きく広がった雲の海が視界に入ってきた。よく目を凝らすとその雲海に浮かぶようにたくさんの岩が並んでいるのが見える。

「あれが天界さ。今から着陸するよ」

さあ、いよいよだ。
穣子は気を引き締めると心の中で叫んだ。

(姉さん! 今行くわ!)


                *****


 看病してからと言うものの、静葉はすっかり天子に懐かれてしまった。それは静葉にとって好都合だった。危害を加えられるよりは遥かにましだし、何より嫌われているより好かれている方が色々と行動しやすかったからだ。

怪我の方もたまに疼く時はあるものの、以前ほどの激痛が走る事は無くなった。ほとんど動かなかった腕も大分元に戻っている。もしかしたらあの桃が効いているのかもしれない。

あれからこの屋敷を探索し、静葉はいくつかの手がかりを見つけた。まず、ここが天界であるという事だ。しかし、それは今更驚くことじゃなかった。天人である天子が住んでいるという点。それにお湯を沸かしたときに沸点が低かった点から見ても彼女は薄々そんな予感を持っていた。

そしてもう一つ、それは例の刀の鞘らしきものを入手出来たと言う事だ。これは天子の部屋とおぼしき場所で手に入れた。この鞘には細い紙切れが数枚貼り付けられている。恐らく魔を封じる護符だろう。この鞘を使えば刀を封印し、彼女を救えるかもしれない。

肩の傷が治り切っていない今はまだ、それを試すにはリスクが大きいが、別に時間に追われているわけでもない。傷が癒えてからでも遅くないのだ。

それまで天子の感情を高ぶらせるような事をしない限り、彼女が刀に侵食される事もないはずだ。

徐々にだが、確実に事態は好転しつつある。静葉は確かな手応えを感じ取っていた。

今、天子は自室で眠っている。体が頑丈な天人とは言え、どうやら睡眠時間はきちんととらなければいけないらしい。

そう言えばここに来て今何日目なのだろうか。多分まだ数日くらいしか経ってはいないのだろうが、もう長い間ここにいるような気がする。

思い返せば無視された復讐なんて理由で彼女に襲われた時は一体どうなることかと思ったものだが。

と、思いにふけっていた彼女にふと疑問が浮かび上がる。

天子は自分をここに閉じこめて結局どうしたかったんだろうか。復讐という割には殺しはしないと言った。もしや、じわじわと嬲るつもりだったとでもいうのか。

荒れているのは刀のせいという事を差し引いても、彼女の言動には些か矛盾がある。

そういえば彼女は自分の事を深く語ろうとはしなかった。倒れる前に彼女が吐いた言葉から察するに、自分に何かしら劣等感を持っていたのは間違いない。そしてそれを克服するためにあの刀に手を出したと考えるのが妥当だろうが、そうなると自分へ対する復讐のために刀に手を出したというのは嘘になる。

そもそも、彼女はあの武器をどこで手に入れたのだろうか。

例え、天界にそんな武器が溢れているとしても、彼女が果たしてこんな危険な刀に自ら手を出すだろうか。

いくら復讐するためだろうと己の身を滅ぼしては元も子もない。それくらいはいくら何でも彼女にだってわかってるはずだろう。しかし、もし刀の危険性を知らなかったとしたらどうだろうか。

ましてや、その刀を誰か信頼する者から渡されたとしたら。

その時、静葉は誰かの気配があることに気づく。天子ではない。振り返るとそこには今まで見たことが無い妖怪の姿があった。その妖怪は縁が緋色に輝く衣を身に纏い、涼しい眼差しでを見つめていた。

考えに耽っているあまりに静葉は彼女の気配に全く気づいていなかった。一体何者か。静葉は思わず身構える。

「私に何か用かしら?」
「……あなたは何者ですか?」
「人に名前を尋ねる時は、まず自分から名乗るのが礼儀というものよ」
「それは失礼いたしました。私は永江衣玖。天人に仕える竜宮の使いです」

そう言って頭を下げた妖怪は、見たところ礼儀正しいように見える。
いく、そういえば前に天子が寝言で呼んでいた言葉だと静葉は思い出した。

「私は秋静葉。紅葉を司る秋の神様よ」
「なんと! 神様であられましたか! これはとんだご無礼を!」
「気にしなくて良いわよ。囚われの身の神様がいくら偉ぶろうと威厳も何もあったもんじゃないわ」
「まあ、囚われですか?」
「そう、ここに住んでる天人のお姫様にね」
「総領娘様に!? と言う事はあなたが……」

そこまで言うと、彼女は咳払いをしながら言葉を濁らせる。どうやら何かを隠しているようだ。静葉は少し彼女を突っついてみる事にした。

「さっきあなたは天人に仕えていると言ったわね。と言う事は天子とも関係があるのかしら?」
「ええ、多分に。私は天人の中でも特に比那名居家とは結構な付き合いですので」
「そう。じゃあ、話が早いわ。私が何故こんな目に遭ってるか説明してもらうわよ」
「端的に言ってしまえば、総領娘様はあなたに助けを求めているのです。あなたが心の拠り所なのです」
「ふむ、それは、あの刀が関係してるのかしら?」
「あの刀を手にした者はいずれ身を滅ぼします。だから総領娘様は、あなたに助けを求めたのです」

彼女の言葉が本当ならば、天子はあの刀の危険性を知りながらも自分で手にとったことになるのだが、どうも静葉はそれはしっくりこなかった。そこでもう一つの疑問を投げかけてみることにした。

「どうしてあの子は私じゃないといけなかったのかしら……? 私以外でも良かったんじゃないの。そう、例えばあなたとか」
「……いえ、私は今、総領娘様の前には姿を現せられない身ですので」
「姿を現せられない身って割には彼女の近くにいるじゃない」
「ええ、こうやってちょくちょく様子を見に来てるんですよ。心配ですから」

静葉はどうも話が掴めなかった。わざとはぐらかしているのか。それとも単なる天然なのか。わざとならまだしも天然なら性質が悪い。そこで静葉は質問を変えてみる事にした。

「ところであの子はどういう経歴を持っているのかしら?」
「総領娘様の事ですか?」
「ええ。そうよ」
「わかりました。お話いたしましょう」

彼女は天子の事のみならず、比那名居家というものが天界でどういう位置づけなのかをこと細かく静葉に説明してくれた。

それによると天子の一族は元々地上に住んでいたが、ある事がきっかけで天界へと住める事になったのだという。しかし、天人になるため修行を積んだわけでもなかったので他の者からは不良天人と揶揄されてしまっていた。そしてまだ幼かった彼女もそのついでに天人となれただけである上に、親から溺愛を受けていたため我侭に育ってしまったのだという。

ある時、彼女は己の暇つぶしのため天界の道具を持ち出し、地上で『異変』を起こしてしまったらしい。

それも下手すれば幻想郷を消滅させるような惨事を招くほどの規模だったのだという。

それまでも度々問題を起こしていた彼女は、その件でついに親にも見離され、いよいよ独りぼっちになってしまう。それで彼女は皆を見返そうと、懲りずに妖刀を持ち出したというのが彼女の説明だった。

静葉はようやく天子の持つ劣等感の正体がわかった。しかし、まだ知りたい肝心な事がわからないままだった。

「どうして彼女は、私に助けを求めたのかしら」

その問に衣玖は神妙そうな顔つきで答える。

「……異変を起こしてからの間、総領娘様を構う者は皆無でした。しかし、唯一地上から来たあなただけが相手をしてくれた。その事を総領娘様は何度も私に教えてくれました。それはもう嬉しそうに」
「……なるほどね。つまり他の天人から疎まれ、親にも見放され、どうしようもなくなって、唯一言葉をかけてくれた私を無理やり連れてきたというわけね」
「ええ、その通りだと思われます」

そう言って衣玖は、にこりと笑みを浮かべる。
確かに人との接し方をあまり良くわかってない天子ならそんな行動に走ってもおかしくはない。言ってしまえば衝動的なものだったのだろう。

それにしてもこの衣玖という妖怪、なんとも掴みどころのない奴なのだろうか。表面上は笑顔だが、その裏では何を考えているのか全く読み取れない。

なるほど、天界がこんな人物ばかりで溢れてるとしたら天子が嫌がるのもわかる気がする。

こういう奴にはあえて直球を投げてやるに限る。静葉はにやりと笑みを浮かべて彼女に問いかけた。

「さて、永江衣玖と言ったかしら」
「は、はい。何でしょうか?」
「あなたは今、天子の親側についているのでしょう?」
「え……」

それまで飄々としていた彼女の顔が一瞬こわばった。構わず静葉は続ける。

「あの子の一族に仕えていながら、今、彼女に会うことは出来ない。そしてあの子の親は彼女を見離した。それ即ちあなたが親側についてる事に他ならないわ」
「……ええ、まぁそうなりますね。その通りです」

彼女は笑顔を浮かべているが、それは先程までとは違う少し引きつらせたような笑みだった。

「さて、もう一ついいかしら?」
「……はい」

彼女は依然笑顔ではあったが明らかに静葉を警戒していた。実にわかりやすいと、静葉は思わずほくそ笑む。
この衣玖という妖怪も曲者に見えて実際は案外思考は単純なのかもしれない。確かに天子とウマが合うというのならそれも納得できる。

「私はあの子と知り合って未だそんなに経ってはいないけれど、いくつかわかったことがあるわ。確かにあの子は我侭で人とのコミュニケーションをとるのが下手だけど、根っこはとても純真で素直だし頭だって悪くない。少なくとも同じ過ちを何度も冒すほどの愚か者ではないわよ。私にはあの子が自らあの刀を持ちだしたとは思えないのよ」
「……ふむ。何が言いたいのでしょう……?」

衣玖は妖怪特有の冷ややかで、相手を飲み込むような視線を静葉に向けている。彼女は負けじと、目を閉じると確信を持って質問を投げかけた。

「天子にあの刀を持たせたのはあなたね? 永江衣玖」

静葉が目を開けると、冷ややかな視線を向けたままの衣玖の姿が見えた。構わず静葉は更に質問を投げかける。

「あの刀は持つものの命を奪う妖刀。その危険性を知ったうえであなたはあの子に刀を与えた。そうね?」

静葉が睨むように見つめると、彼女も負けじと静葉を睨みつけていたが、やがて観念したように目を閉じると小さく呻くように言葉を漏らした。

「……ええ、その通りですよ。あの子を騙したのは私です。でもこうするしかなかったんですよ……こうでもしないとあの子は……」

そこまで言った衣玖は突然背後の気配に気づき、慌てて振り向く。そこには呆然と立ち尽くす天子の姿があった。いつの間にか目覚めていたらしい。

「……う、嘘でしょ? ねえ、衣玖。だってこの刀使えば皆を見返せるって言ったでしょ……? 辛いけどこれを克服すれば天人で最も強い力を得られるようになるって言ったでしょ……っ!!?」

彼女は放心した様子で衣玖の方へと滲み寄る。

「ねえ……衣玖? 嘘って言ってよ?」
「そ、総領娘様……も、申し訳ございません!!」

衣玖は崩れるようにひざまずき、彼女に向かって頭を下げる。その時、天子の手に例の妖刀が現れる。

「出たわね」

とっさに静葉は衣玖を壁の方へ突き飛ばす。それまで彼女が居たところには刀が深々と振り下ろされていた。明らかに殺意のある剣撃だった。彼女からはこれまでにないくらいの邪悪な気が溢れている。これはかなり不味い状態だ。身の危険を感じた静葉は、即座に部屋から飛び出る。

一方、衣玖は、瞬間移動でも出来ると言うのだろうか。いつの間にか一階の広間にまで達していた。静葉もそこまで逃げようとしたその時。強烈な衝撃が彼女の体を貫き、気がついたときには屋敷の玄関の上の壁に叩きつけられていた。どうやら飛び蹴りか何か受けたようだ。

例え、どんなに強力な攻撃であろうと、あの刀で攻撃されない限りダメージを負う事はない。とは言え流石は天人。身体能力が半端なく高い。恐らく並みの妖怪なら今のでお陀仏だろう。

「だ、大丈夫ですか!?」

衣玖がふわりと浮いてこっちにやってくる。

「あの刀で斬られない限りは私は平気よ。それより来るわよ」

天子が刀を振りかざし二階の手摺を越えて飛び掛ってくる。
かろうじて横っ飛びで避けるが、彼女が着地した瞬間に衝撃波が発生し、それに吹き飛ばされてしまう。起き上がると天子は衣玖の目の前に居た。

「総領……いえ天子様。あなたは私の命が御所望なのでしょう! この裏切り者の命でよければいくらでも差し上げます!」
「駄目よ。お逃げなさい。今のあの子には何を言っても無駄よ」

跪いたまま衣玖は静葉の方を見ると微かに微笑んだように見えた。

次の瞬間、彼女の体を天子の凶刃が貫く。

刀が引き抜かれると、辺りに鮮血が吹き溢れ、彼女の体がくの字に折れるようにして床へと崩れ落ちた。その様子を天子はうっすらと笑みすら浮かべて眺めていた。

静葉は自分の体がみるみるうちに熱くなっていくのを感じた。

「天子! 彼女は確かにあなたの親側についていた! それなのにどうしてここにいたかわかるの!? 彼女はあなたを心配して様子を見に来ていたのよ!」

激昂する静葉を天子は静かに睨みつけた。

「……こいつは私を裏切った。私に嘘をついてこの刀で殺そうとした。……もういい。すべては茶番。こんな腐った世界なんてめちゃくちゃになればいい。誰も信用出来ないわ。あんたも同じなんでしょ? どうせ私を裏切って地上へ戻る気なんでしょ」
「ええ、私は用事が済んだら帰らせてもらうわ」
「用事?」
「あなたの呪いを解いて正気に戻す事よ」

天子は感情のない笑みを浮かべながら、ゆっくりと静葉の方へと迫る。彼女の眼からは完全に光が消えていた。

「残念でした。私は正常よ」

万事休す。

そんな言葉が静葉の頭をよぎった。そして彼女の刀が静葉に向けて振り下ろされようとしたその瞬間。突如、轟音とともに天井が崩れ落ちる。その衝撃で彼女は大きく体勢を崩す。天子の切っ先は急所を掠め、わき腹をえぐる程度で済んだ。しかし、彼女は天井が崩れた衝撃と刀による傷の痛みで意識が徐々に遠のいていくのがわかった。
意識が切れる寸前に静葉は、大きな銀色の円盤のようなものが視界に見えたような気がした。


               ******


「にとりんのアホー!! どうするのよこれ!?」
「だ、だってみのりんが、この建物怪しいって言うからさー」
「だからって誰も建物の上に着地しろってまでは言ってないわよ!」
いやー、実を言うと着地の微調整が難しいんだよね。これ」
「難しいんだよねじゃないわよ! 姉さんにまで危害が及んでたらどうするのよ!?」

言い争いをする二人を雛が不安げな表情で制止する。

「二人とも喧嘩してる場合じゃないわよ。外からものすごい厄を感じるわ。厄いなんてレベルじゃない!」

異様な雰囲気は穣子でも感じ取れていた。そして同時に姉さんの気配も感じ取れる。間違いない。ここが今回の元凶だ。きっと天子とかいう奴もここにいるに違いない。穣子は自らの気合を入れ直す。

「よし、二人とも、行くわよ!」

外に出ると、辺りは木材やら何やらが散乱していた。

「うわー。これはひどい」

それを見てにとりが思わず漏らす。あんたが言える立場かと穣子は彼女に半眼を向けるが、今はまず姉さんを捜すのが先決だった。

気配からしてすぐ近くに居るはずと、穣子はあたりを見回すがさっきの衝撃で埃が舞い上がっていて視界はほとんどなかった。

「みのりん! あれ! あそこにいるの静葉さんじゃないか!!」

にとりが指さした先には怪我をして横たわる静葉の姿が確かにあった。穣子は駆けつける。

「姉さん!? 姉さん! しっかりして!」

穣子の呼びかけに静葉はゆっくりと目を開ける。

「あら……妹の幻が見えるなんて。私も、もうおしまいかしら……」
「ちょっと姉さん! 本物よ! 穣子よ! 助けに来たのよ!」

感情が高ぶっている穣子は静葉の体を思わず揺さぶってしまう。

「だめ! みのりん、ちょっとどけて!」 

声に驚いて、穣子が脇を見るといつの間にか雛が立っていた。彼女は薬のビンのようなものを抱えていた。

「静葉さん。これを飲んで! 永遠亭のお医者様から貰ってきた神様に効く特効薬よ!」

雛は姉さんの口をこじ開けて薬液を飲ませる。
そう、彼女が抱えていた手提げ袋の中身はこの薬だったのだ。

「おい、お前! そこで何してんだっ!!」

突如、遠くからにとりの怒鳴り声が聞こえる。穣子は雛に静葉のことを頼むと、急いでその場へと駆けつけた。

そこには、血のついた刀を持って立ち尽くす少女と、血を流して横たわる妖怪の姿があった。

「一体何があったの!?」
「みのりん! あいつだ! あいつが比那名居天子だ! あいつが静葉さんをさらった犯人だ! 気をつけろ! なんかヤバそうな武器持ってるぞ!!」

にとりは興奮した様子で穣子に告げると天子を睨みつける。

「……何よ。あんたたちは?」
「私は秋穣子! 豊穣を司る神様にして秋静葉の妹よ!」
「そして私は静葉さんの盟友にして谷河童の河城にとりだ! おまえの事は事前に調査済みだぞ! さあ、静葉さんを返してもらうぞ不良天人!」

穣子とにとりは威圧をかけるように天子に対して名乗り上げたが、彼女は全く動じる様子はなかった。

「……確かに私は比那名居天子。あなたの姉をさらった張本人。でもそんなのはどうでもいいわ」

抑揚のない声でぼそぼそとつぶやく。彼女からは感情らしきものが見受けられなかった。

「ねえ、にとり、あいつってこんな不気味な奴なの?」

思わず穣子はにとりに尋ねてしまう。

「い、いや、もっと子供じみたわがままな性格だって聞いてたんだけど……」

にとりも動揺を隠せないといった様子で天子を見つめる。

「目障りだから消してあげるわ」

そう言って彼女が振り上げた刀からは物凄い邪悪な気が発せられていた。

「行くぞ! 先手必勝! 河童『スピン・ザ・セファリックプレート』!!」

意表を突いてにとりがいきなりの大技を繰り出す。高密度のリング状の弾幕が波状のごとく次々と彼女に襲い掛かっていく。

あれは穣子が知ってる限り彼女の持つ最強スペルだ。それを初っ端から繰り出すという事は、相手がそれだけ強敵という事なのだろう。

それならばと、穣子も負けじと大技を繰り出した。

「喰らえ! 豊作『穀物神の約束』!!」

レーザー型の弾幕を天子に向かって縦横無尽に撃ちまくる。
しかし、彼女が刀を大きくなぎ払うと巨大な衝撃波が発生して二人の渾身の弾幕をいとも簡単にかき消してしまった。更にその衝撃波がこちらに襲い掛かってきた。

穣子は何とか間一髪で避けたが、にとりは吹き飛ばされてしまう。
天子は迷わず倒れているにとりの方へ歩み寄る。

「にとりん!! 逃げて!!」

彼女から返事はなかった。どうやら気を失ってしまっているようだ。このままではにとりが危ない。穣子が第二の弾幕を張ろうとしたその時、一陣の稲妻が天子の体を貫きなぎ倒した。

ふと、見るとさっきまで倒れていた妖怪が立ち上がっていた。きっと稲妻は彼女が放ったものだろう。

天子はすぐに起きあがると、ゆっくりその妖怪の元へと近づく。雷で貫かれたというのにダメージらしいダメージは見受けられない。

「衣玖……まだ死んでなかったの? 裏切り者の分際で……」
「私もあなたと同じ天界の桃を普段食べていますから、体は丈夫なのですよ」

そうは言うものの、おぼつかない足下、荒い息づかい、そしてあの出血量から彼女がやせ我慢をしているのは明らかだった。見ていた穣子にまで痛みが移りそうなくらいの重傷だ。

「天子様は、本当に私を殺す気だったのですか?」
「当たり前よ。あなたは私を裏切ったのだから」
「嘘ですね。……本気で私を殺す気だったら、あえて急所を外したりはしないはず」
「……何言ってるの」
「さっき私を殺す気だったら、ひと思いに心臓を貫けばよかったはずです。それなのに天子様は反対側を貫いたじゃないですか……」
「ええ、さっきはちょっと手元が狂っただけ。今度は間違いなくトドメさしてあげるわよ」

このままでは彼女が殺されてしまう。穣子が二人の元へ駆け寄ろうと立ち上がった瞬間、急に視界が歪み足がしびれて倒れ込んでしまう。

穣子は一瞬何が何だかわからなかったが、すぐに理解した。ドーピングが切れてきたのだ。よりによってこのタイミングで。

倒れ込む彼女の前で天子の刃が衣玖と呼ばれた妖怪に向かって振り下ろされる。その刃は無抵抗な彼女の体を斬り裂き、血飛沫が辺りに飛び散った。しかし、彼女は倒れなかった。いや倒れかける所で踏みとどまったというのが正しいかもしれない。

「……ほら、やっぱり急所を外してるじゃないです……か」

彼女の言う通り、刀がえぐったのは肩口辺りで急所とは程遠い。とは言え、出血多量でいつ力尽きてもおかしくないことには変わりない。なんとか止めさせなければと、穣子は歯を食いしばって体を動かそうとするが、まるで感覚が伝わってこない。

「……天子様。もう私は見ての通り虫の息です。あなたがその刀で一突きさえすれば……簡単に殺せますよ?」
「……そんなの見りゃわかるわ」
「……天子様。あなたはどうして私を殺さないのですか……?」
「どうしてって……」

その時、天子に初めて戸惑いの色が現れた。

「どうして、どうして……どうしてっ」

彼女の目の色が変わって声が徐々に涙声になっていくのがわかった。衣玖が命がけで感情を揺さぶり続けてきた結果、あの鉄仮面だった天子の表情に綻びが生まれたのだ。

「……どうして私を裏切ったのよ!衣玖ぅ!!」
「……それは、あなたを守るためですよ。総領娘……様」

そう言うと彼女はついに両膝をついて倒れてしまう。

その場に天子の張り裂けるような慟哭が響き渡った。

「……もう、イヤだよ……。私がいるからいけないんだ! 私がいるから皆不幸になるんだ! 私なんかいなくなってしまえばいいんだ!」

泣き叫びながら、天子は自らに刀を突きつけようとする。

――この馬鹿! やめろ! 

穣子はそう叫ぼうとしたが、動揺のあまり声が出なかった。

「天子、おやめなさい。せっかく守ってもらった命を自分で捨ててどうするの」

穣子が声に驚いて振り返ると、静葉がにとりと雛に抱えられて立ち上がっていた。その手には鞘が携えられている。

「静葉……」

天子は動きを止め、驚いた様子で静葉を見つめている。

「ね、姉さん! ちょっと安静にしてなさいよ……!」

「大丈夫。ちょっと、そこにいる天人のお姫様に用があるだけだから」

そう言うと静葉は二人に抱えられて天子の脇へ来ると、すっと座り込んだ。

「……ねえ天子。『復讐』した気分はいかがかしら……?」

既に天子はしゃくりあげるように泣きじゃくっていた。そんな彼女の頭を静葉は優しくなでる。

「いい? 安易に武力で物事を解決しようというのはもっとも愚かな行為よ。力による解決は必ずしこりを生む。身に沁みてわかったでしょう?」

天子は黙って頷く。

「そこの妖怪さんもあなたを守りたかったと言ってたわね。きっと何かしら深い理由があったのでしょう。とは言え、彼女があなたを騙したのは紛れもない事実……」

その時、その場の雰囲気が急激に変わる。静葉からはそれまでとは比較にならないほどの神様独特の威厳で満ち溢れていた。所謂、カリスマ全開状態だ。

「天子。あなたに問うわ」

その声はさっきまでより低く力強い。それは思わず天子がその場に正座してしまうほどだった。

「比那名居天子。あなたは呪われていたとは言え、私や私の仲間達、更には己の周りの者にまで危害を加えた。それは決して黙って許されるものではないわよ」
「う……も、申し訳ございません。神様。どうかお許し下さい」

静葉の気配に気圧されたのだろう。天子は思わず敬語になってしまう。

「お黙りなさい。謝って済むと思うな。あなたは親から見離されてしまったそうだけど、もしそれで親を恨んでいるというのなら、お門違いも甚だしい。今まであなたに降りかかった災難は総て己に起因するもの。あなたは自分に甘過ぎるのよ」
「も、申し訳ございません!」
「それを踏まえたうえで私の問いに答えなさい」

静葉の言葉は厳しいが、その口調は諭すように穏やかだ。

「天子。あなたは永江衣玖の事を許せますか?」
「……え?」

自分に甘過ぎると忠告までしておいてその質問は酷過ぎる。穣子がふと、天子の方を見ると案の定、彼女はどう答えて良いかわからないという様子で目を泳がせている。

「……すぐには答えも出ないでしょう。少し待ってあげるわ」

天子は静葉から視線をそらすように頭を下げてしまった。きっと彼女の中では今、色んな思考が渦巻いているんだろう。

依然として静葉はプレッシャーをかけるというほどではないが天子をずっと見つめ続けている。

一方、雛は今のうちとばかりに衣玖のもとへと駆けつけると例の傷薬を取り出す。それを見たにとりが何やら雛と話をする声が聞こえたが、穣子にはよく聞き取れなかった。

やがて静葉が静かに口を開いた。

「……さあ。答えを聞かせてもらいましょう」

静葉の言葉に天子はぴくっと反応して、息を一つ吐くと勢い良く顔をあげる。彼女は静葉を半ば睨みつけるような表情すら浮かべている。果たして彼女の口からどんな言葉が、と、皆が固唾を飲んで見守る中、彼女が勢い良く一声を上げる。

「ゆるす!」 

一同ぽかんとしているのを尻目に、天子は更にまくし立てた。

「当たり前よ! 衣玖は私を守ろうとしたというし、こっちにだって非はあるんだもの! 私に衣玖を責める資格なんかない! それに考えてみればこれは私が甘いとかとは別の問題! こんな事で私を惑わそうったって無駄よ。そうやってあんたは私に罪の意識とか植えつけようとさせてるのね! そうでしょ!?」

そうでしょう!? と同時に天子は静葉に向かって指をさしている始末だ。

その場の空気が凍りつく。静葉は顔を伏せて全身を震わせている。穣子はこれから落ちる姉のカミナリの規模を予想して思わず肩を竦ませた。

と、その時だ。

「あはははっ!! もうだめ、我慢出来ないわ。あっはっはっはっはっは!!」

静葉が顔を上げていきなり大笑いし始めた。かと思うと、直ぐ様天子も釣られて笑い出す。様子を見ていた雛やにとりも連鎖して笑い始める。穣子は自分だけ置いてけぼり食らった気がして思わず皆を見回す。

それまでのシリアスな空気は瞬く間に崩壊していってしまった。
やがて落ち着きを取り戻した静葉が、涙を指でぬぐいながら天子に告げる。

「……失礼。天子、あなた本当に面白いわねぇ。でもそれで良いのよ。あなたは紛れもない誇り高き天人なのだから。神にも食ってかかるようなそんな気高さも時には必要なのよ」

いや、こいつ絶対そんな事考えてない。と、穣子は思わず心の中で抗議する。

「ただし。何があっても情は忘れてはいけないわ。情を忘れた者は必ず身を破滅させる事になる。それだけは肝に銘じておきなさい」
「はい!」
「うん、よろしい。それじゃ、あなたはもうその刀に固執する理由はなくなったわね。今から封印するわよ」

まるで教師と教え子、はたまた親と子供のようなやり取りの後に静葉が抱えていた刀の鞘を構えたその時、突然天子が刀を振り上げた。

「天子、何のつもり?」
「わ、わかんないわよ!? 手が勝手に!!」

彼女は何が何だかわからないといった様子だ。どうやらこれは彼女の意思じゃないらしい。

「静葉さん逃げて!! 刀が封印されるのを拒んでいるのよ!!」

様子を見ていた雛の叫び声で穣子はようやく事が理解出来た。

「……し、静葉ぁ!! 助けてぇ!」

天子が泣き叫ぶ。しかし、その彼女の表情とは裏腹に刀は静葉に向かって真っ直ぐ振り下ろされようとしている。静葉は急いで立ち上がろうとしたが、傷が疼いたのかその場にうずくまってしまった。

「姉さん!」

ここまで来たのに姉さんがやられたら意味が無い。

穣子の中でその気持ちが爆発した次の瞬間。

「うおぉおおおおおおおおおお!! 姉さんは私が守るんだぁああああああっ!!!」

穣子は烈火のような勢いで二人の間に割って入ると、振り下ろされた刀を両手でがっしりと握り締めていた。手からは血が滴り落ちていたが、構わず強く固く掴んで離さなかった。

「よし、みのりん! そのままよ!」

すかさず雛は駆け寄り、鞘に何やら念のようなものを込めると勢い良く刀に鞘を収める。鋭い金属音と低い断末魔のような声と共に刀が鞘に収められる。刀は天子の手から離れ、彼女はその場に倒れ込んでしまう。

そじて穣子の記憶もそこで途絶えてしまった。


                *******



 天子が目を覚ますとそこはベッドの上だった。

周りには誰もいない。

ふと、彼女は窓際に紙切れが置いてある事に気づく。
それは静葉からのもので、自分の家の地図が記されてあった。
そしてその地図の下に一言『ごめんなさい』とつけ加えられていた。

「すべて私が悪いのに……どうしてあなたが謝らなくちゃいけないのよ……! なんで、そんなに優しいのよ……!」

天子は、ぽたぽたと涙を流す。

その時だ。

不意に彼女の頭を誰かが撫で上げる。天子が驚いて見上げると、そこには衣玖の姿があった。

天子は無言で衣玖に抱きつくと、泣きじゃくった。衣玖は黙って天子を片手で抱きしながら、もう片方の手で、その頭を強く撫でた。

天子のすすり泣く声はいつまでも響きわたっていた。


――それから数日後、天子は地図を頼りに一人で秋姉妹の家に向かった。

衣玖もついてくると言っていたのだが、敢えて天子はそれを断って一人でやってきた。
迷惑をかけたのは自分なのだから、ここは自分だけで行くのが筋だろうと彼女は考えたのだ。

天子が家の戸を叩くと静葉は笑顔で迎えてくれた。

「いらっしゃい、きっと来ると思ってたわ。さ、上がりなさい」

静葉は彼女を囲炉裏まで案内するとお茶をもてなしする。
天子は出されたお茶に口をつけると早速静葉に問いかけた。

「ねえ、あの手紙。どうして、静葉が謝る必要なんかあったのよ? どう考えても悪いのは私じゃない」

彼女の問に静葉が答えようとしたその時だ。

奥の部屋から何やらうめき声のようなものが聞こえて来る。
思わず天子は目を向けてしまう。

「あの、誰か寝てるの……?」
「ああ、穣子よ。あの子、相当無理してたみたいでね。あれからずっとあの調子なのよ」

言ってる側から再び声が聞こえてくる。

「……大丈夫なの? なんか相当苦しそうなんだけど」
「ええ、平気よ。あの子はいつも冬になると調子が悪くなるから。大丈夫。そのうち目を覚ますわよ」

本人の姉が言うのなら間違いないと、天子は納得することにした。しかし、思い返してみれば、彼女が無理をする羽目になったのも自分が騒動を起こしたせいだということに気づき、天子は視線を落としてしまう。

そんな彼女の様子に気づいた静葉は静かに語りかけた。

「まだ、気にしてるみたいね。確かに今回の出来事はあなたの心に大きな衝撃を与えたでしょう。そして多くの人を巻き込んでしまった。それは事実だわ。でも、もういいじゃない。あなたはもちろん、あの竜宮の使いさんや、あなたの両親の事だって責める事は出来ないわ。そう、誰も悪くなんてないのよ」
「……でも、私があんたをさらったりしなかったら……こんな……」

天子の言葉は、途中から涙声に変わり聞き取れなくなっていた。静葉は構わず彼女に告げる。

「ええ、そうね。あなたが私をさらったりしなかったらきっと、もっと悲惨な結果になっていたでしょうね」

彼女の言葉に天子は思わず顔を上げた。

「天子。あなたが今こうやって無事でいられるのは、あなたが私をさらった……いえ、違うわね。あなたが、この秋静葉に助けを求めたからなのよ。あなたは苦しみに耐えかねて神である私を頼った。文字通り、苦しい時の神頼みって事。何もおかしいことはないのよ」

静葉の話を黙って聞く彼女の目にはまた涙が溢れていた。

「ま、でもそんな結果論はどうでもいいわ。もう終わった事だもの……それより、さっきの質問の答えね」
「あ、うん……」
「あの時、あなたの友達になってあげられなかったからよ」
「え……?」

目をぱちくりとさせている天子の頭を静葉はそっと撫でる。

「……じゃ、安直だけど、てんこでいいかしら?」
「てんこ……?」
「あなたのニックネームよ」
「ふ、普通に天子でいいわよ……」
「ニックネームで呼ぶことは特別な意味があるらしいわよ?」

そう言うと、静葉はちらりと穣子の方を見遣る。天子はいまいち意味が分からないといった様子で静葉を見ている。

「ま……あんたが言うならそれでも構わないわよ? 静葉」
「よし決まり。てんこと私は今日から友達ね。いつでも遊びに来なさい。よろしくね」

そう言って静葉はすっと手を差し出す。天子は笑顔でその手を掴み握手を交わした。外は冬の寒風が吹きすさんでいたが、二人の周りは穏やかな暖かさに包まれていた。




――エピローグ――


気がつくと、最初に目に飛び込んできたのは見慣れた天井だった。
どうやら布団の上に寝かされているみたいで。という事はここは私の家……?

ちょっと、待って!? あの後一体どうなったの!?
と、慌てて起き上がろうとした瞬間全身に激痛が!

「あぎゃーーーーーーーっ!?」

思わずあげてしまった叫び声を聞いた姉さんがすっ飛んで来た。

「あけましておめでとう」
「……へ?」
「まったく。穣子が寝込んでる間に年が明けちゃったわよ?」
「……は?」

まさか!? 今までのは全部夢だったとか!? ちょっと待って。そんなオチは嫌よ!? あの大冒険はもしかして全部夢!?

「穣子。……ありがとう。本当に、ありがとう。そして、お疲れ様」

そう言って姉が私の頭を撫でてくれた。ああ、よかった夢じゃなかったんだ。いや、冷静になって考えてみれば、ドーピングの後遺症で体が動かなくなってるんだから夢じゃないってのはすぐにわかった事なんだけど。

それにしても今までの記憶が頭の中に次々と蘇ってくる。思わず感極まって涙が出そうになってしまう。

「……ねえ、姉さん。あの後の事教えて欲しいんだけど……」
「そうね。丁度今皆来ているところだし直接聞いたらいいわ」
「は……い?」

姉がおもむろに襖を開けると、雛やにとりに文さん、そして天子や衣玖さんまで姿を現しこっちに駆け寄ってきた。

「み、皆!? 一体どうしたのよ!?」
「新年会してたのよ。穣子が上手いタイミングで目覚めてよかったわ」
「いえーい! あけましておめでとう! みのりーん! もう目覚めないかと思ったわよー!!」
「ひーちゃん。心配かけてごめんね!」

もう既に大分酔ってるらしくいつになくハイテンションだ。きっと今回の鬱憤が一気に出たんだろう。お疲れ様、ひーちゃん!

「あ、あけましておめでとう。みのりん……」

対して河童は何か気まずそうにしている。

「にとりん? どうしたの? なんか元気ないんだけど」
「……いや、あのさ。雛との事なんだけどさ。その、私が悪かったよ。正直、厄神ってだけで毛嫌いしてたんだけど……」
「にーとりさーん! もうそんな事はどうでもいいのよーっ! 私は皆がだいーすきなのっ!!」 

そう言ってひーちゃんは河童を後ろからじゃれるように抱きつく。 って、何て羨ましいっ! 私だってひーちゃんに抱きしめられたいのにっ! くそっ! 動け、私の体っ!


なんでも話によると、ひーちゃんは天界に乗り込んだ時、にとりんが怪我した時のために妖怪用の薬も用意しててくれていたのだという。結果的に薬は衣玖さんの治療に使われたが、それを知ったにとりんは例え相手に嫌われていようとも尽くそうとするそんな彼女の姿に心を動かされたんだそうだ。

ま、何であろうと仲良しが一番よね! 良かった良かった。

「穣子さん。あけましておめでとうございます。あなたの活躍は静葉さんから聞いてますよ」
「文さん! あなた協力してくれなかったらまだ事件は解決していなかったかもしれません。本当にお世話になりました」
「いえいえそんな。今回私は何もしていない同然ですよ。単に取材の一環として情報を集めただけですから」

そんな謙遜しなくても……。
まぁ、でもあくまでそういうスタンスを貫こうとするのは文さんらしいわね。

「穣子様。あけまして本当に申し訳ございませんでした」

衣玖さんが畏まって私に深々と頭を下げてくる。ってなんか言葉おかしいし。どうやらこちらもだいぶ酔ってるみたいで。

「あー。そんな気にしなくてもいいですよ。せっかくの正月なんですから、もっと肩の力抜きましょうよ。ところでケガは大丈夫なんですか?」
「あ、はい。おかげさまで。お気遣いありがとうございます」

確かに彼女は痛がる素振りすら見せない。間違いなく今回の事件で一番の重傷を負ってたはずなのに凄い回復力ね。体が頑丈だって言ってたのはまんざら嘘じゃないのかもしれない。うーむ、天界の妖怪恐るべしだわ。

さて、後残ってるのは……っておい、そこで呑気に餅を食べてる天人! あんたの言葉を一番聞きたいんだけど!?

「ほら、総領娘様も穣子様に謝ったらどうですか!」

衣玖さんがたしなめて、餅を奪い取ると天子の奴はようやくしぶしぶとこっちを向く。まったく、こいつ全然反省してないんじゃないの!?

「あ、ええと……」

天子の奴はそれっきり黙りこんでしまう。

「あのさぁ……黙ってないで言いたい事あるならはっきり言って欲しいんだけど……?」

痺れを切らして思わずちょっと強めに言うと、彼女は走って外に行ってしまった。

「申し訳ございません。まだ今回の件で動揺してるようでして」

慌てて衣玖さんが追いかけていく。

「何よ! あいつ全く反省してないんじゃないのよ!?」
「……そうね。あの子の事、あなたにも言っておく必要があるわね」

そう言うと姉がその後の事について説明してくれた。

それによると、天子の親達は、問題行為ばかりを起こす我が子を一族の保身のために、何と抹消しようとしていたのだという。

それを知った衣玖さんが親の所から彼女を引き離すためにわざと彼女に妖刀を預け、呪われてしまったのを口実に彼女を親元から隔離させた。

すぐに呪いを解いてやるつもりだったのだが、予想以上に刀の呪力が強く、更に未熟な天子が刀に取り憑かれてしまって、彼女一人では太刀打ち出来なくなってしまった。そのまま天子の親の目を盗みながらも、呪いを解く手段を探してる間に今回の事件が起きてしまったのだという。

ちなみに天子は刀を持たされた時、衣玖さんから「この刀の力を克服すれば周りの皆を見返せる力を手に入れられる」という言葉を告げられたらしく、彼女はそれを信じてどんなに苦しくても、衣玖さんの言葉を信じて頑なに刀を離そうとしなかったとか。

「へー。あいつにも健気な所あるんじゃないのよ。ちょっと歪んでるけど」
「ふふ、そうよ。あの子は根はとても良い子なんだから」

どうやら姉さんはすっかり天子の事を気に入ってしまったようね。

「しかし、まぁ……衣玖さんは随分と大胆な手段を取ったのねぇ。下手すりゃあの子の命も危なかったというのに」
「……あのまま何もしないでいたら、今頃天子は親の手によって消されていたでしょう。それにそういう状況になってる以上、余程の理由がないと、天子を親元から離すことは出来なかったでしょうしね」
「んで余程の理由が、妖刀に呪われてしまったという事?」
「ええ、苦渋の決断だったと衣玖も言ってたわ」

うーん、なんだか、天界という場所の複雑な事情を垣間見た気がする。

「それにしても、ひどい話ね!」

流石のひーちゃんも珍しく怒ったような表情をしている。

「まったくだ! いくら自分の身を守るために我が子を抹消するってそんな親どこに居る!! まさにこの子にしてこの親ありだ! 信じられないのにも程があるよ!」

それに続いて河童が吐き捨てるように言う。でも、にとりんの気持ちはよく分かる。私だって同じ気持ちだし。

「ちょっとあんたら! 父上達を酷く言わないでよ!! あんたら何も事情知らないくせに!」

いつの間にか戻って来ていた天子が言い返してきた。って、だからなんであんたはいちいち喧嘩腰なのよ!

「仕方ないのよ。天界とはそういう所なの。皆こぞって他人を蹴落として出世する事だけしか考えていない。でもそうでもしなくちゃ、あっという間に出し抜かれて没落してしまう。特に私の家なんかは元々地上にいたわけだから尚更よ」
「おいおい! でもだからってお前は自分の親を許せるってのかい!? お前を殺そうとしたんだろう!?」

あー。にとりんも一度熱くなると止まらなくなるところがあるのよね。今はお酒も入ってるから尚更か。

「だから仕方ないって言ってるでしょ。天界とはそういう所なの。むしろ今までそういう目に遭わなかったのが不思議なくらいね」
「他人事のように言うなよ! いいのかよそれで!?」
「まあまあ、にとりったら、落ち着きなさいよ。要するに郷に入れば郷に従えって事でしょ。異郷の地でカドを立てずに暮らしていくための鉄則よ」

食ってかかろうとするにとりをすかさず文さんがなだめに入る。
流石文さんグッジョブ!

「そ。そこの天狗さんの言う通りよ。それに私が父上達に迷惑をかけていたのは紛れもない事実。だから私は決断したの。そう、親に勘当される事を!」

な、なんですとー!?
天子の言葉で皆一斉に驚きの声が上がった。
するとそこへすかさず衣玖さんのフォローが入った。

「あ、単にほとぼりが醒めるまで親元を離れて地上で暮らすだけですから。あしからず」

あ、なーんだ、そう言う事ね。驚いて損した。いや十分大事だけど……。こいつが地上で過ごすなんて相当苦労するでしょうねー。ま、いい薬にはなると思うけど。

「それで当分は私と総領娘様の二人暮しとなるでしょう。ただし、まだ住処が見つかっていないのですが……」
「見つかってないってそれまでどうするつもりなのよ?」
「あ、その事で穣子にお話があるの」
「……え?」
「新しい家が見つかるまで彼女達をここに住ませる事にしたから。ちょっと天子の奴に常識というものを叩き込んであげようと思って」
「はぁ!? ちょっと待って姉さん!?」

そんな話聞いてないってば!? いや、目覚めたばっかだから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど! まさしく寝耳に水!

「と、いうわけで改めまして宜しくお願いしますね。穣子さん」
「いや、衣玖さん。あの……」
「あ、御食事等に関しては心配要りません。すべて私の方で用意いたしますので」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「ああ、あとプライバシー等の事に関しても、奥の部屋に防音完備の仕切りを作らせて頂きますから問題ありません」
「いや、だから……」
「あ、そうそう。穣子。天子の事はこれからてんこと呼ぶ事にしたわ。あなたの真似よ。私とてんこは友達なの」
「……ねぇ? ちょっと姉さん、もしかしてどこか悪いところでも打った? それとも妖刀の呪いとか?」
「残念でした。私は正常よ」

そう言って悪戯そうに舌を出して見せる姉。って、あれ? 姉さんってそんなキャラだったっけ……。一体私が寝てる間に何が起きたというのよ……?

「おー、この栗きんとん美味い! 地上の食べ物は美味しいものばかりね! これからの生活が楽しみだわ!」

あんたは呑気に食ってる場合じゃないでしょーが!? 少しは反省しなさい! っていうかその栗、私が山で集めてきた奴じゃないのよ! 私にも食わせろ!


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 というわけで色々あったけど、こうして無事に姉さんは戻ってきてくれた。それがまず何よりも嬉しい。
何か二人ほど居候が増えるというおまけもついてしまったのが頭痛いけど、おかげで今年の冬はいつもより賑やかなものになりそう。
きっとこれなら来年の秋が来るまで楽しく過ごせると思う。

そう、だって私には姉さんもいるし仲間だっている、独りじゃない。もう暗くなる理由はどこにもない。

願わくば、どうか次の秋が来るまで皆で笑って過ごせますように!
少しは読みやすくなってると思います。
バームクーヘン
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コメント



0.260簡易評価
3.80名前が無い程度の能力削除
核心部分の設定が少し甘いかな、と思ったけど、勢いで押し切られました。
熱い展開と、少々強引なハッピーエンド。静葉様も格好良かったです。
細かい粗はありますが、楽しく読めました!
5.90桃花鳥削除
幻想郷特有の小洒落た言い回しだとか、距離感、それにしがらみ…

最後まで読もうとすればするほど楽しめましたよ。

前作のきのことは打って変わって、なんだかあったかくなる物語でした。
9.100ヤクザ憲兵削除
レティさんとチルノの温かい気遣いに涙腺が……そしてやはり穣子さんは折れない! その勢いは天界まで届くのだ。しかし最後に頼りになったのは静葉さんの年季であり、やはりこの姉妹は離れてはならないのだなと再確認……今回もとても楽しませて頂きました。挫けない秋姉妹に拍手を送りたいと思います