Coolier - 新生・東方創想話

BitterSweets(2)

2005/09/08 04:58:01
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 翌日、神社の片付けを約束していたアリスは意気揚々と魔理沙の家に向かった。
「魔理沙、おはよう。起きてる?」
 二回続けて、軽く扉をノックする。
 軽快な音が響き、一瞬の間を置いてばたばたと廊下を走る音がする。
「悪い悪い、すっかり寝てたぜ」
 寝間着に慌てて帽子を被った姿で魔理沙が扉を開ける。
「いつもならノックしたくらいじゃ起きないでしょ。約束は覚えてたみたいね」
「大丈夫だ、私の記憶力はかなりのものだぜ」
 見栄を張るにしても、完璧とは言わないあたりが微笑ましい。
「とりあえず準備するから、中入って待っててくれ」
「ええ。お邪魔するわね」
「すぐ着替えるからな」
「……あ、それから」
 呼ばれて改めて振り向いた魔理沙に、アリスがにっこり笑って言う。
「朝は、おはようよ」
「……おはよう」
 苦笑しながらも、照れ臭そうに応じる魔理沙だった。

「しっかし、わざわざ迎えに来るとはねえ」
 寝間着を脱ぎながら呟く。
 アリスが家にやってくることは多々あったが、他所に出かける際にわざわざ迎えに来ることはなかった。
 迎えに来いなどと言った日には逆にそっちこそ来いと言われるのがオチだっただろう。
「どうかしたみたいだな、まるで」
「魔理沙?」
「うわっ!?」
 急に背後から声をかけられ、飛び上がる。
 慌てて今さっき脱いだ寝間着で体を隠し、振り向く。
「の、覗くなよ!」
「あ……ごめんなさい」
 怒鳴りつけると、アリスは体だけ引っ込めてから言う。
「よかったら朝食作っておこうかと思って。いる?」
「あ、ああ。もらおうかな」
「分かったわ。すぐ作るから」
 そして遠ざかる足音。
 それを聞いて安堵の溜息を漏らす。
 が、ふと冷静になって考える。
「……どうしてこんなに動揺してるんだ、私は?」
 相手は同性。相手はアリスだ。何もこの程度で恥ずかしがるようなもんじゃない。
 そう頭では思っても、しばらく火照りは止まらなかった。
 胸元を抑えて、二度目の溜息とともに漏らす。
「どうやら、私もどうかしたみたいだぜ……」



 魔理沙が朝食を終えると(アリスは自宅で済ませた)、すぐに出発となった。
 途中軽口を叩き合いながら飛び、博麗神社が見えてくる。
 近付くと、眼下に欠伸をしている霊夢が見えた。
「おはよう」
「おはよう霊夢。今日は随分眠そうじゃないか」
「こっちはくたくたなのよ……早く終わらせてもう一眠りしたいわ」
 そう言ってまた大欠伸をする。
「さ、さっさと終わらせましょ」
「おっとその前に霊夢、朝会ったらおはようだぜ」
 自分が言われたのと同じ調子で、魔理沙が言ってのける。
「……おはよう」
 面食らったように答える霊夢と、それを見て魔理沙と一緒、と笑うアリス。それに釣られて笑う魔理沙。
 霊夢ひとりだけが、何が何だか分からないと言った調子で憮然としていた。

 三人でやれば、仕事も三倍早く終わる。
 途中霊夢のやる気のなさを皮肉ったり、アリスがからかわれたり、魔理沙がサボったりしながらも昼前には片付け終わったのだった。
「あー、これは楽だわ」
「これなら毎日でもいいんじゃないか?」
「いや、毎日はちょっと」
 縁側に寝転び、アリスが持ってきた紅茶が入るのを待つ。
 紅茶を淹れるときはゴールデンルールというものが……と言い付きっ切りで台所に立っているので、アリスはしばらく戻ってこない。
 しばらくすることもなく、日差しを浴びて待つ。
「……ねえ魔理沙」
「何だ?」
「アリスのことだけど……」
 霊夢がそう訊ねると、魔理沙はまたか、という表情でそっぽを向いた。
「前も言っただろ。別に悪いことじゃないんだから放っておいてやれよ」
「んー、でもねえ」
「それとも霊夢は今のアリスは嫌いか?」
「嫌いじゃないけど……」
 むしろ積極的に手伝ってくれるあたり嬉しい、と思ったのは黙っておくことにした。
「でもさ魔理沙」
「あー、分かったぜ。霊夢の言いたいことが」
 え、と首を傾げる霊夢。
 皮肉げに笑って魔理沙が言う。
「霊夢、それは嫉妬というやつだ。心配するな、アリスと仲がよくても霊夢のこと忘れてたりはしないぜ」
「……あんたもおかしくなったみたいね」
 盛大に溜息をつく霊夢と、思い切り笑い飛ばす魔理沙。

 ずきん

 心の奥が痛い。
 心臓を鷲づかみにされたような苦しさと、針で刺されたような鋭い痛みが同時に襲ってくる。
 鼓動が高鳴り、気分が悪くなる。
 何だろう、これは一体……。

「ん、アリスか。もう淹れたのか?」
「え、ええ」
 気付くと後ろに立っていたアリスに声をかける。
 ティーセットまで持参していたアリスは膝を突いて、三人分のカップに淹れたての紅茶を注ぐ。
「いい香りだな。わざわざ持ってくるだけのことはあるぜ」
「そうでしょ。自慢の逸品よ」
 初めに香りを楽しむ魔理沙とアリス。
 対して霊夢は普段紅茶を飲まないためか、ぐいと一杯流し込む。
「……やっぱ紅茶はよく分かんないわ」
「馬鹿ね。紅茶はまず香りを……」
「そんなことよりよくこの熱さで飲めるな」
 ちびちびと舌をつけては顔をしかめる魔理沙。猫舌なのである。
「お茶は熱いうちに飲むものよ。まあ魔理沙には無理でしょうけど」
 体の芯にじわっと染み渡るのを感じつつ、二杯目を注ぐ。
「熱いお茶を無理に飲む必要なんてない。それに私はちゃんと紅茶の味わい方を知ってるぜ」
「私のお陰でね」
 アリスの家を訪ねたときに出てくるのは、大抵紅茶である。
 しばしば入り浸る魔理沙は、アリスから紅茶の飲み方について手解きを受けているのだった。
 もっとも、そうでなければ魔理沙もやはり霊夢と同程度にしか知らなかっただろう。
 元来和食派であり、自分で淹れるお茶は日本茶が殆どなのだ。
「さて、それじゃお昼の支度しましょうか。食べてくでしょ?」
「勿論だ」
「今日の魔理沙は人に作ってもらってばかりね」
「楽でいいじゃないか」
 いつもより三倍賑やかな博麗神社。
 三人は昼食を食べた後もしばらく世間話に興じ、結局魔理沙とアリスが帰ったのは夕暮れの時間だった。



「今日は何だか手伝いをした分以上に楽しめた気がするぜ」
「そうね。私も連日出かけたりするのは久々よ」
 陽の暮れた魔法の森。
 常人なら途方に暮れる深い森を、ふたりは迷わずに歩く。
 文字通りふたりにとっては庭のようなものである。
「明日はどうする? この前パチュリーのところに行くって約束したけど……」
「そうだな……あ、明日はパスだ。結果の出る研究があってな」
「あら、そうなの」
 残念そうに眉をひそめるアリス。が、すぐ気を取り直して今度大丈夫なのはいつの日か確認を取る。
「明後日は? 駄目なら明々後日でも……」
「おいおい、随分急ぐんだな」
 急いで行きたがるアリスに苦笑する。
「三日くらい空けないか? 早く図書館に行きたいっていうのも分かるけどな」
「別にそういうわけじゃ……いいわ、三日後ね?」
「ああ」
「また迎えに行くわ」
 寝てないでね、と悪戯っぽく笑って見せるアリスと、少し怒った風にしてみせる魔理沙。
 そうしているうちに、お互いの家までの分かれ道に着いてしまった。
「それじゃ今日はここまでだな」
「そうね。おやすみ魔理沙、またね」
「ああ、おやすみ」
 今度はごく自然に別れの挨拶が出る。
 一度だけ振り向いてから、アリスは帰っていった。
「さて、私も……」
 魔理沙もまた家への帰路を急ぐ。少しだけ、独りの寂しさを感じながら。
 ついこの前までの喧嘩の耐えなかったアリスと、最近のアリスの両方を思い浮かべる。
「……可愛く笑うんじゃないか、あいつ」
 そう言ってから、誰も聞いていないのに慌てて周囲を見回す。今の可愛くは、なしだと呟きながら。
 しかし、どう言い訳しようとも、今のアリスに好感を抱いていることは否定できなかった。
「ま、それもいいか」
 溜息をひとつ。
「いいじゃないか、ああいうのも……なあ、霊夢」
 そう言って、魔理沙は玄関のドアを開けた。



 夜行性の妖怪達が跋扈する深夜。
 まだマーガトロイド邸には明かりが灯っていた。
「……そうよね、魔理沙って和食派だったわ」
 家に着いてからは今日の反省を書き出している。
 その上でああすればよかった、こうすればよかったと次に備えて考えておくのだ。
 そういった計画的なところはアリスらしい、といえばそうだろう。
「和食も覚えようかしら。でもうちには料理の本なんてないし……」
 しばらく悩み、今度図書館に行くときに貸してもらえばいいのだと思い至る。
 魔導書を持っていくだろうと思っているパチュリーは驚くだろうが。
「それにしても……三日後か」
 しばらく会えないことは残念だが、ここのところ自分の身の回りのことを殆ど何もしていなかったのも確かである。
 魔法の研究や掃除でもしていればいいだろう。
「ふぁあ……やっぱり外に出ると疲れるわね」
 朝早くから外出して、かなりの深夜まで夜更かしである。
 肌にもよくないわね、と嘯きながら明かりを消しベッドに潜り込む。
「今日も楽しかった。これからもずっとこうだといいな……」
 そう思うと同時に……昼に感じたことを思い出す。
 魔理沙と霊夢が仲良く喋っていたとき。
 あの時感じた心の痛みは。

 一体、何だったのだろう……。






 パチュリー=ノーレッジはその日も自らのテリトリーである図書館で本を読んでいた。
 昨日も、その前の日も本を読んでいた。
 無表情、というよりはむっつりと不貞腐れたような表情で延々とページを捲り続ける。
 彼女はそんな変わらない生活が好きだった。
 ……近年はそういう生活を乱す輩もいるのだが。
 例えば、初めは突然の轟音。
「…………」
 続けて爆発音、地響き、それに混じって聞こえてくる悲鳴。
 パチュリーは本を閉じた。お出迎えの支度である。
「咲夜、いつもの通りに」
「畏まりました。後でお茶をお運びしますわ」
 空中に呼びかけても返事が返ってくる。
 こういうときこの館のメイド長は本当に便利だと思う。
「よ、パチュリー。約束どおり遊びに来たぜ」
 遠慮なしにドアを開け放って、魔理沙と、続けてアリスが入ってくる。
「来いと言った覚えはないわ」
「毎度歓迎感謝するぜ。メイド長に言って大人しく図書館まで通させてくれてるの、パチュリーの指示だろ?」
 人の話はまるで聞いていないが、指摘していることは事実である。
「できれば最初から門番にも言っておいてやってほしいんだけどなあ。来るたびに撃墜するのは気が引けるぜ」
「嬉々としてやってたくせに……本当に常識知らずなんだから」
 目の前で光に飲まれた門番を思い出して、アリスは呆れた声で言う。
 魔理沙が来た際、図書館まで入り込む分には、事実上スルーするのが紅魔館の不文律となりつつある。
 知らないのは、当の門番くらいのもので。
「さて、漁るか」
「漁らないで」
「ごめんなさい……ちゃんと返させるから」
 全く聞く耳を持たない魔理沙と、その代わりに恐縮するアリス。
 大変対称的な二人である。
「この前は大体ここらまで読んだんだったかな、と」
 ごっそり十冊は抜き出して、その場に座り込み読み始める魔理沙。
 こうなれば何を言っても無駄だろう。
 魔理沙が本に熱中しているのを確認して、アリスはパチュリーに近付いた。
「ねえ……ちょっと探してる本があるんだけど……」
「……? 魔導書は魔理沙が座り込んでるあたりから右手側全部よ」
「いえ、魔導書じゃないわ」
「……人形関連は確か向こうの方に」
「そうじゃなくて……料理の本なの」
 答えながらも本から目を離さなかったパチュリーの動きが止まる。
 顔を上げてアリスの顔を伺う。
「……料理の本よ」
 困ったような、照れたような表情でアリスが繰り返す。
「例えば、食人料理の本だったりとか」
「いいえ」
「毒入り料理とか」
「違う」
「……普通の料理の本?」
「普通の料理の本」
 念に念を押して確認を取り、目を瞑ってどこにあったかを思い出す。
「……確か27番の棚。分類は641番」
「ありがとう。恩に着るわ」
 軽く頭を下げて、本棚の陰へと消えていく。
 パチュリーは、それを見送ってから再び本に目を戻した。
「……魔理沙の同類だと思ってたんだけど」
 まさか料理の本とは。随分想像していたのとは違うタイプのようだ。
 そしてふと、最近まともに料理と呼べるものを口にしていないことを思い出す。
「たまには精のつくものも食べようかしら」
 後で咲夜がお茶を持ってきたら、ついでに料理も作るよう言おうと思うのだった。



 それからしばらく、お茶の時間を挟みながら三人の読書の時間は続いた。
 その間、アリスは料理のレシピを写していた。
「よし。このあたりなら作れそうね」
 自分でも作れそうな料理だけを選んでメモし、本はきちんと本棚に戻す。
 これが魔理沙なら、返すどころか家まで持って帰ってしまう。
「もういい時間よね。魔理沙、まだ帰らないのかしら?」
 そろそろ夜雀も鳴き始める時分である。
 ひょっとしたらまだ読書に没頭しているのかと思い、確認してみることにした。
「……でさパチュリー、この前の案はどうなんだ?」
「魔理沙の声……?」
 パチュリーのいるテーブルの近くまで戻ってきたアリスは、魔理沙の声がして耳を澄ました。
 この前の案?
「何の話かしら」
「ほら言ったろ、合同のスペル製作」
「……興味ないわね」
「つれないなあ」

 ずきん

 まただ。
 また霊夢の時みたいに胸が痛む。
 無意識に、アリスは二人に見つからないように本棚の影からその会話に聞き耳を立てていた。

「相性だって悪いわけじゃないだろ。融和させるのは可能って結論だったはずだぜ」
「合体スペルなんて非効率的。無駄だわ」
「面白いと思うんだけどなあ」

 何でよ。
 わざわざパチュリーに頼まなくたって、私でいいじゃない。
 私、魔理沙のパートナーなんでしょ……?

「パチュリーが手伝ってくれないと困るんだよ。理論部分は一緒にやったじゃないか」
「研究は研究。考え、理論を組み立てることに意義はあるけど、私はそこまでで充分なの」
「そんなこと言わずに、友達じゃないか」
「ねえ、魔理沙!」
 はっと二人が振り向く。
 思わず、飛び出して声をかけていた。
「アリス。どうかしたか?」
「あ、えっと……そう、まだ、帰らないのかな、って……」
 しどろもどろに言い訳をする。
 しかし魔理沙は気にした風もなく、そんな時間かと呟いた。
「そうだな。んじゃ、今日は帰るとするか」
「そう」
 魔理沙が椅子から立ち上がり、パチュリーは素っ気なく言ってまた本に目を戻す。
「よし、行こうぜアリス」
「ええ。お邪魔したわね、おやすみなさい」
「じゃあなパチュリー、おやすみ。また来るぜ」
「……持っていった本はちゃんと返してね」
 振り向くこともなく言うパチュリー。
 しかし、その言い方がまた来てもいいという意味であることを、魔理沙は心得ていた。



 帰り道、アリスは魔理沙の後ろを歩いていた。
 本当は並んで歩こうと思うのだが、先程の出来事を思い出すと気が引けてしまうのだった。
「ああ、今日も大漁大漁」
 そんなアリスの様子にも気付かず、魔理沙は図書館から持ち帰った本を抱えて歩く。
 目的の本が見つかったらしく、今にもスキップしそうな勢いである。
「アリスはどうだった? ひとつくらい持って帰りたくなったんじゃないか?」
「……ん、そうね」
 予想を裏切る気のない返事に、怪訝そうに魔理沙が振り返る。
「どうかしたのか?」
「あ、いいえ……なんでもない、わよ」
「なんでもないってことはないだろ」
 明らかに落ち込んだ様子を気にして、顔を覗き込む。
「疲れたのか?」
「そういうわけじゃない、けど」
 見上げる魔理沙に、僅かに後ずさる。
「歯切れ悪いなあ。言いたいことでもあるのか?」
「それは……」
 問われても即答できず、視線を逸らしてしまう。
 だが、答えないということが問いを肯定しているも同然だった。
「ほら、言ってみろよ。私はお前のパートナーだぜ?」
「……それ。それのことよ」
 絞り出すように、言う。
 それ、と言われて何のことか分からない魔理沙が首を傾げる。
「私、魔理沙のパートナー、なのよね」
「ああ、そうだぜ」
「魔理沙にとっても、私はパートナー?」
「勿論だ」
 冗談を付け加えようとして、アリスの真剣な瞳に気圧されて止める。
 しばらくの間を置いて、再びアリスが口を開いた。
「……本当に? 本当に私達ってパートナーなの?」
「おいおい……今更どうしたんだ?」
「答えて」
 アリスがにじり寄る。
 今度は魔理沙が後ずさる番だった。
「……ああ、そうだ。私達はパートナーだぜ」
「…………そう。それならいいの」
 アリスが一歩退いて、表情が幾分和らぐ。
 魔理沙も、顔には出さないが内心ほっとしていた。
「ごめんなさい。急に変なこと訊いて」
「いや……それより帰ろうぜ」
「あ、そうね」
 今度は二人並んで歩く。
 先までの違和感を払拭するように、二人はいつも通りに振舞うのだった。



 いつものようにおやすみを言って二人は別れた。
 魔理沙の気配が遠のき、後姿が見えなくなってすぐ、アリスは駆け出した。
 焦燥にも似た気持ちを抑え、アリスは家のドアを開け、転がり込む。
 ドクドクと心臓が早鐘のように鳴り、眩暈すらする。
「どうしたんだろう、私……どうしちゃったんだろう」
 魔理沙に詰め寄ってから、ずっとこうだった。
 頭では、そして表面上では魔理沙の言葉を信じている。
 しかし、心のどこかで、信じていない自分がいる。

『魔理沙の言っていることは、本当だろうか?』

 そんな疑心が生まれてしまったことを、アリスは自覚してしまったのだ。
「そんな馬鹿なこと……」
 頭を振って、その考えを打ち払う。
 しかし、疑念が晴れることはない。
「……考えちゃ駄目。今日は疲れてるのね。魔理沙の言ったとおりだったんだわ」
 そう決め付け、着替えもせずにベッドに潜り込む。
 そして顔を枕に押し付け、ぎゅっと目を瞑る。
 まるで、怖い夢を見た子供のように。






 朝。
 目覚めは、あまりよくなかった。
 しかし、それでも昨晩に比べれば調子は随分といい。
「……そろそろ起きなきゃね」
 気だるい体に渇を入れて、起き上がる。
 再びベッドに倒れ込みたくなる気持ちを抑え、昨日から着たままだった服を脱ぎ捨てる。
 寝汗をかいた服を着替え、顔を洗う頃には殆どいつもの調子に戻っていた。
「……うん、今日も大丈夫」
 鏡を見て、笑顔を作る。
 今日は、ほんの少しだけ寂しそうな笑顔に見えた。

 その他の身支度を整えると、そろそろ胃が何かを欲し始めていた。
「昨日は夜食べないまま寝ちゃったものね……」
 朝食を作ろうとキッチンに立ったところで、昨日のメモを思い出す。
 自分でも作れそうな、和食料理のメモ。
「そうだ、作って持っていって、魔理沙と一緒に食べようかしら」
 初めて作る和食。どうせなら魔理沙にも食べてもらいたい。
 そう思うと、俄然やる気が出る。
「ええと、調味料はあるし……うん、このくらいなら作れるはず」
 選んだ料理は、玉子焼きと魚の塩焼き。
 朝食の定番こと味噌汁も作りたかったが、運ぶことを考えて諦めた。
「魚は塩を振って焼くだけでしょ。玉子焼きは……オムレツみたいなものなのかしら、多分」
 簡単簡単、と気楽に調理を始める。
 が、手順は分かっても料理というものは上手くいかないものである。
「あ、れ……? これ、なかなか焼き加減が……ああ、焦げちゃった!」
 フライで返すタイミングを逃し、少し黒く焦げてしまった玉子焼き。
「魚は……塩、レシピどおりのはずなんだけどなあ」
 少ししょっぱい塩焼き。
 ご飯だけがふっくらと炊けていた。
「……魔理沙なら文句言いながらでも食べてくれる、わよね?」
 あはは、と空笑いしながら、籠に料理を詰める。
 多分、大丈夫。
 不味いと言われても仕方ないけれど、きっと魔理沙なら食べてくれる。
 そんな期待を持ちながら、アリスは家を出た。



「あんまりのんびりしてると冷めちゃうわね」
 できるだけ温かいまま食べてもらいたいところだが、急ぎすぎると中身が潰れてしまう。
 急く気持ちを抑えて、あまり揺らさないように運ばなければならない。
「こういう時家が離れてると不便よね」
 家が同じならいいのに、と何の気なしに呟いてから真っ赤になる。
「同居、かあ……」
 それも悪くないのかもしれない。
 一人暮らしは何かと不便だし、しょっちゅう通うくらいならそれもいい。
 一緒に過ごす時間も、ぐんと増える。
「夫婦みたい……って、本当に魔理沙が言ってたとおりね」
 以前そう言っていたことを思い出す。
 夢みたいだけれど、夢では終わらないかもしれない。
 いつか機会があったら切り出してみようと心に決めるのだった。

「ふう、随分長く感じたわ」
 霧雨邸。
 一応ご近所と呼べる距離にあるのだが、あまりしょっちゅう足を運ぶのは難儀する。
「……まだまだ先のことだもの。あんまり意識しちゃ駄目ね」
 さっきの考えも、しばらくは胸の裡に秘めておく。
 とりあえずは、持ってきた料理を食べてもらわなくては。
 そう思い近付くと、中から話し声がする。
「…………?」
 まだ朝方、そうそう訪れる者もいないはずである。
 遠慮なく入るというのも躊躇われ、悪いと思いながらも聞き耳を立てる。
「霊夢の声……」
 聞き取りづらいが、確かに魔理沙と、もうひとりは霊夢の声だ。

「……夢の作る飯は……なあ」
「どうして……ざ私が作らなきゃ……わけ?そんなの……でも…………ればいいじゃない」
「まあいいじゃないか」

「ご飯……もう食べちゃったんだ……」
 どうやら霊夢が作ってしまったらしい。
 約束していたわけではないから仕方ないのだが、ショックを隠せないアリス。
 ふらふらと更に近寄り、ドアに耳をつけて話を聞き取る。

「それで、朝っぱらから呼び出して何の用?」
「ああ、それなんだがな……」
 少し口ごもる魔理沙。
「何? できれば早く帰りたいんだけど」
「……前ちょっと話しただろ」
「……ああ。例の同居の話?」

「……!!」
 耳を疑う話に、愕然とする。

「私の知ったことじゃないわよ」
「そう言わずさあ。頼む」
「嫌」
「霊夢~」

 全身が強張り、足ががくがくと震える。
 ふらふらと後ずさり、背を向ける。
「はあ……は、ぁ……」
 熱にうなされるかのように、息が上がり、目の前がぼうっとする。
 そしてもう何も考えず、走り出した。

「ん? 誰かいるか?」
 家の外で足音がしたような気がして、魔理沙が窓の外を見る。
「……別に誰もいないみたいよ」
 霊夢がドアを開け、周囲を見渡して言う。
「んー、そうか」
「まあともかく、私帰るから」
「なあ、どうしても駄目か?」
「駄目」
「……そうか。私も腹決めるか」
 深く溜息をついて、ぐたりと椅子に座り込む。
「じゃ」
「ああ、朝早くに悪かったな」
「本当に」
 霊夢は素っ気なくドアを閉め、飛び立つ。
 同時に、先程視界の隅に見えた人影のことを考えるのだった。






 気がつけば、自分の家だった。
 時間も忘れて机に伏せる。
 何も考えない。
 何も考えたくない。
 そう思いながらも、少しずつ魔理沙の家で聞いた会話を思い出してしまう。
 自分より先に霊夢が料理を作ってしまっていて。
 自分が魔理沙と一緒に暮らしたいと思った丁度そんなタイミングで、魔理沙が霊夢に同居を頼み込んでいた。
 最悪。なんて最悪なタイミング。
 馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。
 そんな風に思っても、浮かぶのは笑みではなく涙。
「…………馬鹿、みたい」
 独りで浮かれて、期待して、楽しい世界を作り上げていた。
 それが現実に還れば、この有様だ。
 パートナー。
 パートナーって?
 ……パートナーは、パートナー。
 きっと、ただそれだけのこと。
 そこに特別な意味なんて別になくて、魔理沙にとってはたくさんいる『知り合い』の内のひとり。
 パートナーっていうのは、一緒に戦う仲間。
 それは偶然の関係。
 あの晩、自分から持ちかけた関係。
 本当なら一夜限りの、即席の関係。
 それが偶然、ほんの偶然長続きしていただけ。
 だけど、
「だけど……私にとっては、そうじゃなかった……!」
 独りぼっちだった自分。
 誰にも靡かず、誰にも属さない。
 そんな生き方をしてきたはずだ。
 ついこの前までは。
 少しだけ分かった気がした。
 魔理沙と並んで飛んだあの夜から、少しずつ何かが変わっていたのだ。
 独りでいたくない。
 一緒にいたい。
 偽りの自分が剥がれ落ちて、本当の気持ちに気付けた。
 魔理沙と一緒にいたい。
 そう思った瞬間に開けた世界。
 でも、まだ届かない。魔理沙に、届かない。
 魔理沙は友達もいっぱいいて、誰のところへも自分から乗り込んでいく。
「私は魔理沙のことだけ見てて……その間も、魔理沙は他にもたくさんの人を見てて……」
 だからすれ違った。
 アリスにとっての魔理沙の大きさと、魔理沙にとってのアリスの大きさが釣り合わなかったから。
「こういうのを、きっと片想いなんて言うんだよね……」
 ぽろぽろと涙が零れる。
 悔しかった。
 悲しかった。
 周りの見えていない子供だと罵って、自分自身をひっぱたきたい気分だった。
「ぅ……」
 魔理沙のところへ持っていこうと詰め込んだ料理が目に入る。
 失敗だけど、笑いながら食べてくれると思っていた料理。
 霊夢に先を越されて、無駄となった料理。
 それを見た瞬間、抑え込んでいた衝動が噴き出す。
「……こんな、もの! こんなものっ!!」
 皿を掴み、床に向けて投げつけていく。
 焦げ付いた玉子焼きも、塩の濃すぎた焼き魚も。
 みんな、床に散っていく。
「う、……く…………ぁぁ……!」
 砕けた皿と、飛び散った料理を見て、力が抜ける。
 代わりに再び悲しさが心を覆い尽くしていた。
「まりさ……魔理沙、魔理沙ぁっ!!」
 血が滲むほど拳を壁に押し付け、声を嗄らしてその名を呼ぶ。
 涙はいつまでも果てることなく流れ続ける。
 泣き、喚き、叫ぶ。
 そんなことしかできない自分を、殺してしまいたかった。



 何もしたくない。
 ただただ家に篭り、食事もろくに摂らず、空腹さえも無視して眠り続ける。
 時折目を覚ましても、水だけを飲んでまた眠る。
 そんな生活を三日も続けただろうか。
 体がボロボロになっていくのが分かる。
 そして、同時に心も。
「…………疲れた、なぁ」
 激しい倦怠感と、空腹と、自虐的な思考に苦しむ。
 それらと戦う気力も、もう残ってはいなかった。
 段々と、死んでも構わないという思いが強くなっていく。
「いいじゃない、ねえ……」
 苦しい。
 生きているのが、苦しい。
「こんな命、消えてしまえば……」
 そしてまた目を瞑る。
 もしかしたらもう二度と目覚めないかもしれないと思いつつ。
 それでもいいや、と呟きながら。

 そんな思いとは裏腹に、アリスは再び目覚めた。
 そして、衰弱した体に鞭打って体を起こす。
「おはよう、ようやく起きたわね」
 目の前に、霊夢がいたからである。
「……どこから」
「普通に玄関から入ったわよ。開いてたし」
 どうやらずっと鍵を閉めずにいたらしい。
 それでも、普段はそう困ることもないのだが。
「何しに、来たのよ」
 今、一番会いたくない相手だった。
 あのときの光景が、また思い出される。
「んー」
 霊夢はしばらく逡巡し、そしてあっさりと答えた。
「勘かしら。何となくよ」
 頭痛が酷くなる。追い出してやろうかと思ったほどだった。
「まあともかく。なんか作るわ」
 そう言って霊夢はキッチンに立つ。
 足元にはアリスが散らかした皿や料理が片付けられずに残っていたが、気にする素振りもない。
 どこまで知っているのか、気になった。
「……霊夢」
「座ってていいわよ。すぐできるし」
「何をしに来たの」
 再び同じ質問をする。
 そして霊夢は、今度は答えなかった。
「私のこと、笑いにでもきたのかしら」
 皮肉、と見せかけてかまをかける。
 もしこれに返事するようなら、きっと全部お見通しなのだ。
「…………アリス、あんたさあ」
 返事にしては遅すぎるほどの間を空けて、霊夢が口を開く。
「無理しすぎよ。傍目に見てて」
 手早い包丁捌きはそのまま、声色だけが巫女のそれに変わる。
「あんたが何を考えてこんなことしてるかは私もよく分かんないけど」
 珍しく、慎重に言葉を選ぶように話す霊夢。
 測りかねて、アリスも沈黙を続ける。
「ただ、ひとつだけ分かるわ」
 刻み野菜の皿を片手に、霊夢が振り返る。
「あんたは人間じゃない。なのに、その境界を越えようとしてる」
「何の、話よ」
 視線が交錯する。
 真意を測るように。相手を威圧するように。
「アリス」
 霊夢がゆっくりと口を開く。
「外、出なさい。私達らしいやり方で教えてあげるわ」
BitterSweetsの中篇です。
まだまだ続きます。

長いっすか?(汗
lunarkami
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