Coolier - 新生・東方創想話

こころさがして、あいもとむ

2013/10/24 23:10:20
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 喧騒。
 博麗神社からは秩序が失われていた。しかしそれは、騒乱からはほど遠い。酒を楽しむ者、もしくは酒に溺れる者たちが織りなす狂騒にも似た宴の様相だ。
 この神社では、ここの巫女である博麗霊夢主催の宴会が開かれていた。基本的に集まるのは妖怪ばかりで、僅かばかりの人間の姿も見受けられるが、それらは例外なく妖怪に比肩する実力を有している。
 霊夢は神社に妖怪を寄せ付けるつもりはないのだが、宴に関しては別なのか、それとも諦めてしまっているのか、神社の中心で妖怪たちと楽しげに騒いでいる。その姿は博麗神社での宴会においてなくてはならない光景だ。
 そんな賑やかな宴の席をこころはきょろきょろと辺りを見回しながら歩いている。誰かを捜しているわけでも、何かを探しているわけでもない。楽しいという感情が混沌に渦巻くこの場所で、他人の感情観察をしているのだ。酔っぱらっているからか、はたまた見慣れた光景だと思っているからなのか、顔を覗かれたりしても気にした様子を見せるようなのはいない。

「そうやって他人の顔覗いて回ってるのって変態っぽい」

 不意に横合いから揶揄するような声が聞こえてくる。声の持ち主はこころの腕に縋るように身体をくっつける。甘えているというよりは、騒がしさの中に自身の声が消えてしまわないようにしているようである。

「あ、こいし。こんばんは」

 こころは気さくな様子で挨拶をする。こいしの態度に関して言及したときの反応など色々と気になることはあるものの、宴の席でするものでもないかと判断して、今は気にしないことにする。

「挨拶で誤魔化すつもり?」
「そういうわけじゃないけど、挨拶は大事だから。それで、私がやってることだけど、表情を学ぶためのものだからだいじょうぶ」
「こころがどう思ってようと、相手が同じように思ってるなんてあり得ないと思うよ。まあ、こころが他人からどう思われてようと私には関係ないけど」

 こころの楽観的な思考を否定する言葉。しかし、後半の言葉は穿った見方をすれば、好意的に取ることも出来る。

「それって、どんな私でも受け入れてくれるとかそういうこと?」
「ばっかじゃないの?」

 こいしは冷ややかな視線をこころへと向ける。こころも冗談として口にしたので、あまり気にしていない。というよりも、素直に頷かれでもされた方が反応に困っていただろう。気になる存在であるとは思っているものの、そういった存在からはほど遠いのだから。
 しばしの沈黙の後、どちらが示したでもなく二人は止めていた足を動かし始める。こいしは相変わらず、こころの腕に縋りつくようにしたままだ。
 こころはその重さをなんとなく気にしながら、騒ぎに沸く宴の場を落ち着いた足取りでうろつくのだった。




「あんたたち、さっきから境内の中うろうろしてるばっかりじゃない。ほら、せっかく宴会に出てきたんだから、お酒も飲みなさい」

 こころがこいしを伴ってふらふらとしていると、不意に赤ら顔の霊夢に絡まれた。その手には、漆塗りの杯と酒瓶とがある。
 妖怪を素直に招き入れてはいない霊夢だが、舞によって参拝客などを招くことのできるこころは受け入れているようだ。だからか、話しかけられることの多い彼女が珍しく自分から話しかけている。

「え、でも、まだ他の人たちが楽しんでるのを見ていたい」
「十分すぎるくらい見て回ってるでしょうに。いつまでも他人が楽しんでるのを見てたってしょうがないわよ。あんたも輪に加わって楽しむ。わかった?」

 霊夢は有無を言わせぬ雰囲気を漂わせながらそう言う。妖怪ハンターとして恐れられ認められている彼女は、並々ならぬ気迫を放つことがある。本人に自覚はないようであるが。

「わ、わかっ、た……」

 こころは霊夢の勢いに圧されて頷く。
 普段の霊夢なら積極的に他人に関わるようなことはないのだが、酔っているせいなのかやたら絡んでいる。一人でいるのも無関係ではないだろう。ちょうど彼女の周りに誰もいなくなってしまっているようだった。幻想郷一と言っていいほどに顔の広い彼女だからこそ、こういうことが時々ある。挨拶をしたり、少しの間一緒に楽しむ者が入れ替わり立ち替わりやってきては離れていくので、間が悪いと一人きりになってしまうこともあるのだ。
 そして、そんな彼女は手近な者を適当に捕まえて、宴が終わるまで解放しようとはしないことがある。

「んむ、物分かりがよくてよろしい」

 横柄に頷くと、手慣れた様子で二人分の杯の用意をし始める。杯に透明な酒が注がれていく。
 その間に、こころは靴を脱いで霊夢の座っている敷物の上に座る。歩き通したり、立ちっぱなしであることの多い彼女だが、それでもやはり足に疲労が溜まっていたようで、力が抜けていく感覚にほうと一息吐く。

「……あれ?」

 と、いつの間にかこいしの姿が見えなくなっていることに気がつく。そして、今更ながらに温度差に寒気を感じて身体が少し震える。

「どうかした?」
「こいしがいなくなってるなー、って。霊夢さんはどこに行ったか知ってる?」

 きょろきょろと首を動かして、黒色の鍔広帽子を探す。いなくなったらいなくなったで仕方ないと思っている部分があるものの、挨拶もなしにいなくなられるのは寂しい。だから、何か別のことに気を取られてそっちの方に吸い寄せられてしまったんじゃないかなー、と考える。
 完全に小さな子供に向けるような考えである。本人にそうした自覚は全くない。

「知らないわよ。まあ、いなくなった奴のことなんて知らないわ。だから、せっかく注いだのは私がもらっとくわ」
「戻ってくるかもしれないから、私が預かっとく」

 こころは杯を傍らに置こうとしている霊夢の方へと手を伸ばす。二人の間にはこいしの振る舞いに関しての認識に差があるようだ。霊夢は単純に、こいしのことはどうでもいいと思っているだけなのかもしれないが。

「そう。じゃあ、はい」

 まだまだ酒が残っているからか、少しの未練も見せることもなく酒の入った二人分の杯をこころの方へと差し出す。それから、自分の杯へと酒を注ぎ足す。

「あんたたちって仲良かったのね」
「そう、なの?」

 物理的に触れることは容易なものの、精神的な部分は見ることさえ出来ないと気づたこころは、霊夢の質問に対して首を傾げることしかできない。

「こいしがいろんなのに絡んでるってのはよく見るけど、一緒にいるって雰囲気を醸し出してるのを見たことがなかったから、そうなのかなぁとね。なんかあいつって、誰に関わるにも距離を取ってるような感じじゃない? というか、あんたたち自身のことでしょうに」
「そうなんだけど、私もよくわかんなくて。聞きたいこと聞いても、はぐらかされるばっかりだし」

 こころは最近のこいしの言動を思い描きながら、杯の水面をじっと見つめる。そこには自身の無表情と悩んだ表情の面が浮かんでいるだけだ。それ以外のものは、何も見えてはこないし思い浮かんでもこない。
 霊夢はそんなこころの姿を見て、面倒くさそうな表情を浮かべる。余計なことを言ってしまったとでも思っているのかもしれない。

「こころは私の玩具。それ以上でも以下でも何でもない。私のことを知る必要も考える必要もない。ただ私を楽しませさえしてくれればいい」

 いつの間にか戻ってきていたこいしが、背後からこころに抱きつくような体勢となる。

「だからほらほら。お酒は見つめるものじゃなくて、飲んで溺れるものだよ」

 こころは不意に抱きつかれたということに意識を向けすぎて、その先に対処できなくなってしまっていた。
 こいしはこころの手に自身の手を重ねて杯を傾けさせる。そして、自身も上を向くような体勢となりながら上体を反らすような格好にさせた。傾いた杯からこぼれる酒はこころの口を塞ぎ、鼻をも浸食しようとする。文字通り酒に溺れそうになったこころは、慌てて杯の酒を飲み干すことで事なきを得る。

「何するのっ!」

 そして、背後のこいしへと怒りを向ける。振り向くことができないので、頭の般若は宙を鋭い眼光で睨んでいる。

「せっかくの楽しい宴なのに、一人悩んでる様子を見せてる不届き者には言われたくないねぇ」
「よくわかってるじゃない。ここにいていいのは、楽しもうって気概のある奴だけ。面倒ごとなんてどっか適当な場所に投げときゃいいのよ。悩める時間が有限なら、楽しめる時間だって同様に有限なんだから」
「そうそう。ま、私たちなら人間よりはずっと余裕はあるけどね」

 そう言いながらこころが横に置いていた杯を手にとって、抱きつくような体勢のまま杯に口をつけて傾ける。少し飲みづらいのか、口の端から酒がこぼれていっている。
 そして、一杯の酒を飲み干すころには、白い肌はすでに微かに赤く染まっていた。あまり酒に強くないのかもしれない。

「何にせよ、この場で飲んで騒がなきゃ損損。ほらほら、次行くよ次」

 いつの間にかこいしの手にあるのは酒瓶へと変わっていた。そこから、こころの杯へと酒を注いでいく。

「それ、どっから持ってきたのよ。というか、つまみもいつの間にか増えてるわね。……ふむ、よくやったわ、こいし」
「ふふん、もっと褒めてくれていいよ」
「それをこっちにも注いでくれたら褒めてあげる」

 霊夢は杯を偉そうにしているこいしの方へと差し出す。端から見ればこころに差し出しているようにも見える。
 こいしはこころの杯へと注ぎ終えると、身を乗り出して差し出された杯へ酒を注ぎ始める。こいしの体重のほとんどがこころに掛かる。手に持った杯から酒がこぼれないようにしなければならないので、何もないときに乗りかかられるよりも幾分きつくなっている。

「……こいし、重い」
「がまんがまん。というか、乙女に向かってそういうこと言うのって酷くない? この前も言ってたし」
「重いものは重い。それに、こいしはそういうこと気にしてなさそう」
「まあ、確かに。……とと」

 杯がいっぱいになりそうなことに気づいたこいしが酒を注ぐのをやめる。そして、ずるずるとこころの背中を滑り降りて、こころに寄りかかって敷物の上に座り込むと、自分の杯へと酒を注ぎ始める。
 霊夢はそんな二人のやり取りを眺めながら、一人で杯に口を付けて酒を味わっている。よほど美味しい酒だったのか、その表情は満悦そうに緩んでいる。

「そういえば、霊夢に褒めてもらってない」

 しばらくして、ふと思い出したようにこいしがそう言う。

「ちっ、忘れなかったか。まあでも、こんなにいいお酒を掠め……、じゃなくて、貰ってきてくれたんだから、褒めるしかないわよね。ほんと偉いわ、あんたは。誰から貰ってきたのよ」
「さあ、誰だったっけ? 適当に渡されたものを受け取っただけだしなー」

 二人ともわざとらしくそんなやり取りをする。
 こころは不審そうな表情を浮かべた面を付けて二人のやりとりを聞きながら酒を舐めるように飲んでいる。気がついたら確保していた酒がなくなっていたというのはこの宴会の席においては日常茶飯事なので、そのことに関しては一々気にしたりはしていない。彼女が気にしているのは、二人のわざとらしさそのものだ。霊夢は酔っているからで、こいしは元からだと思うことはできるのだが、気にしないこともできない。

「まあ、誰だっていいわ。今日はいつもよりも張り切って飲むわよ!」
「おー」

 酔っぱらった霊夢と、その場のノリで適当にはしゃぐこいしとがやけに盛り上がり始める。酔ってもいないし元々おとなしいこころは、その急上昇に置いて行かれる。決してノリが悪いわけではないが、一足飛びではしゃぐようなことはできない。

「む、一人しけてんのがいるわね」
「盛り上がるまで、酒瓶を口の中に突っ込んであげようか」

 その結果、標的にされた。出る杭は打たれるのである。実際には引っ込んでいるのだが。

「お、おー」

 小さく拳を突き上げて誤魔化そうとする。

「よし、霊夢。私が捕まえとくから、酔わせたげて」
「了解」

 しかし、意味がないようだった。
 こころの背後にいるこいしはそのままこころを羽交い締めにし、霊夢はこころの手から杯を奪い取って、傍にあった酒瓶を手に取る。

「ちょ、ちょっと待って。もう一回、もう一回だけやらせて!」

 こころは身の危険を感じてそう懇願する。今更ながらに、二人の暴走の危うさを正しく理解する。

「まあ、別にいいわよ。盛り上がればなんだっていいし」
「えー、こころで遊ぶほうが楽しいのに」

 霊夢はこころの言葉を聞き入れ、こいしは不満そうな言葉を口にしながらもこころを解放する。
 こころはとりあえず窮地を脱したことにほっと一息をつく。しかし、まだまだ安心ができる状態ではない。ここで何もしなければ、結局またこいしに捕らわれて、霊夢に好き勝手されるだけだろう。
 どうせやるならやれる限りのことをやってやれ、である。
 杯を持って立ち上がると、すっと息を吸う。それだけで彼女の周囲の雰囲気は塗り変わり、気配に敏感な者が彼女へと意識を向ける。
 こころはそれを意識しながら口を開く。注目されることには慣れている。むしろ、このままどれだけの人をこちらに振り向かせられるだろうかという闘志が湧き上がってさえきている。それを表すかのように彼女の頭には勇ましい武将の面がついている。

「さあ、皆様方、ここで少々の時間をいただきたいと思います!」

 境内の端から端まで届く声は、その場にいる全員の注目を集めるには十分すぎるほどだった。
 それら全ての視線を見返すように周囲を見渡す。何の脈絡もなく宴の席の中心となったこころには、これから何が起こるのかという不審の込められた視線とそれ以上に何かを期待するような熱気の込められた視線とが集まっている。
 燃え上がる瞬間を待ちわびる火種たちを生かすも殺すもこころ次第だ。そのことを思って、彼女自身もまた感情が昂揚してきているのを感じる。

「今宵は宴。ここに集まった皆様一同、盛り上がっていることでしょう。実際皆さん、非常に楽しそうな表情をしていました」

 落ち着いたよく通る声は、聴衆の中へと溶け込んでいく。そしてそれは、彼女の言葉をより深くへと届かせるための道となる。

「しかし! どうせ盛り上がるのなら、天をも突き通すほどに楽しみましょう! 私は感じていますよ、皆さんがもっともっと大はしゃぎしたいとうずうずしているのを!」

 煽動の言葉に空気がざわつく。声を上げているのはこころだけだが、聴衆の浮ついた感情が行き場を求めて騒いでいる。

「一人で空騒ぎ、二人で馬鹿騒ぎ、皆揃ってドンチャン騒ぎ! 浮かれて、飲んで、歌って、踊って、楽しめば、それは天にだって届くはず! さあさあ、皆さん改めて全身全霊で騒ぎましょう!」

 思い浮かんだ言葉を、熱を帯びた声に乗せて発する。能を舞っているときのような洗練された言葉は不適切なのだ。荒削りの本能的な言葉こそが、聴衆へと素直に取り込まれて熱となりくすぶり始める。
 そして、こころは手にした杯の酒を飲み干し――

「おおぉぉぉーっ!!」

 腕を突き上げ、声を張り上げる。酒による酔いが回っているのか、はたまた自らの口上に酔って高揚しているのか、こころの顔は赤みを帯びている。彼女自身、熱の正体は判然としていない。
 ただ、自身の放つ熱が限界まで蓄えられた熱を解き放つのを感じ取る。
 こころの声に応えるように、そこらじゅうから声が上がる。まるで、決戦前の鬨の声のようだ。しかし、広がるのは戦火ではなく、酒気だった。
 こころの焚き付けによって一体感を得た宴会会場は、異様な盛り上がりを見せ始める。集団は個々人よりもずっと遠いところに限界があるのだ。

「さあ、こいし、霊夢さん、私たちも楽しもう!」

 再度座り込んで、目線の高さを戻したこころは熱で浮ついた声のままそう言う。宴会を盛り上げるための熱を振りまいたのは彼女だが、彼女もまた聴衆から熱を受け取って感情を火照らせている。
 しかし、間近でこころの声を聞いていた二人は、圧倒されて動けなくなってしまっているようだった。

「あー、えっと、ちょっと待って。一回だけ深呼吸させて」

 霊夢は手のひらをこころの方へと向けながら、言葉通り一回深呼吸をする。熱と酒気とを帯びた息が吐き出され、少し彼女の身体と心とが冷める。しかしそれは、彼女が自らの意志で動く為には必要な処置だった。

「……うん、よし。さすが、舞台慣れしてると迫力が違うわねぇ」
「私は酒気に火を近づけただけ。これくらいなら、霊夢さんでもできると思う」
「ふーん。まあ、なんだっていいわ。そんなことよりも、改めて楽しみましょう! ほら、こころ、注いであげる」
「うん」

 こころは空になっている杯を差し出して酒を注いで貰う。火照った身体と少し痛む喉は水分を欲していた。
 そんな彼女へとこいしがぎゅっと抱きつく。

「こいし? どうかした?」
「私の玩具のくせに生意気なと思って。うん、この気に食わないって気持ちはお酒にぶつけよう。さあ、飲むぞー!」

 こいしはこころから離れて自分の杯へと酒を注いで一気に飲み干す。
 こころは内心首を傾げるものの、立ち止まって考え込むだけの冷静さは熱に溶かされてしまっていた。
 宴は、まだまだ続く。




 死屍累々。
 過去に類を見ないほどの異様な盛り上がりを見せた宴の代償はそれだった。熱気に中てられ、己の限界を知らずのうちに越えてしまった者から順番に倒れるように眠っていってしまっていた。
 そんな光景を見つめるのは、この騒ぎの火付け役となったこころだった。赤ら顔からはなんの表情も読み取れないが、頭には愉快そうな表情の面、周囲には困惑の表情の面が漂っている。無理をさせてしまったことに対して申し訳ないと思う一方、この場を包んでいた熱気によって高揚していた心は満足していた。
 宴の会場となっていた境内は静かだ。しかし、たくさんの気配があり、宴の余韻がまだ動いている者たちに物静かな肴を提供している。それは悪くないと思える光景だ。だから、彼女はこの光景を前向きに受け入れる。
 こころは境内から自分の周りへと視線を向ける。そこにはいくつもの酒瓶が転がっており、霊夢とこいしが無防備に寝姿を晒していた。
 霊夢は夢の中でも宴会の続きをしているのか、はたまた全く別のことをしているのかはわからないが、その表情は楽しそうに緩んでいる。
 こいしは殊更目立った表情を浮かべているわけではないが、こころの腿に頭を乗せている姿から安心しているような様子が窺える。
 どこか刺々しい皮肉めいた雰囲気も、雲のような掴みがたい雰囲気も手放した彼女の姿は、見かけよりもずっと幼く見える。まるで何も持たない赤子のように。
 その姿を見ていると、頭を撫でたいという衝動が沸々と沸いてくる。起きたら怒るんだろうなー、と思いながらも自分自身を抑えられない。落ち着いている様子を見せているが、彼女もまた酒気に捕らわれているのだ。
 衝動のままにそっとこいしの髪へと触れる。いつもそこを隠している黒色の鍔広帽子は、酒瓶と一緒になって敷物の上に転がっている。こころの指は何物にも阻まれることなく不思議な色合いの銀髪の中へと沈んでいく。そのまま髪を梳くように頭を撫で始める。
 こいしが身動ぎをする。見下ろすこころの方へと顔を向けたかと思うと、そのままぱちりと目を開いた。こころは動揺することなく手を動かし続ける。頭には笑みを浮かべた女の面を付けて。

「勝手に何やってんの」

 翡翠色の瞳がこころを睨む。しかし、酔いで赤らんだ頬、起きたばかりだからなのか、それとも酔いのせいか若干焦点の定まらない翡翠色の瞳。それらのせいで鋭さは微塵も感じられない。
 それに、振り払おうとも逃げようともせずされるがままとなっている姿。それもまた、普段の彼女を知るこころにとっては、手を止めない理由となっている。

「無防備な頭が手頃な場所にあったから撫でてみてる」
「ふぅん、嫌がらせで人の髪型崩してるわけじゃないんだ」
「こいしって髪の手入れしてるの?」

 こころの手に触れる髪は決して手入れがされていないものではなかった。それでも、こいしと髪の手入れが結びつかなくてそんなことを聞く。

「さてさてどうでしょう。こころこそどうなの?」
「自分で適当にやった後、師匠が仕上げをやってくれる」
「ふぅん」

 こいしの口から興味のなさそうな声が漏れ出る。流れ的に聞き返してみただけで、本当はどうでもいいと思っているのだろう。
 そのままどちらも話題を投じようとしないので、見つめ合う二人の間を沈黙が支配する。二人とも頬を酒気で赤く染めているだけで、何の表情も浮かべていない。
 不意にこいしが両手を伸ばし、こころの口の端に指を当てる。そして、口端を吊り上げさせ、無理矢理笑みを浮かべさせる。その顔を見て、こいしは小さく吹き出す。

「む……、勝手に人の顔いじった上で笑うなんて酷い」

 不満そうな表情の面を付けて、たっぷりと不満を込めた声を出す。しかし、こいしの手の上に自らの手を重ねるだけで、そうされること自体を拒絶しようとはしない。

「だって不自然すぎて変だから。あんなに色々見て回って結局自前の表情一つ浮かべられないんだから、もうどうしようもないんじゃない?」
「これでも、師匠の前でなら少しくらいは動く。というか、こいしは私を手伝ってくれてるのか、それとも足を引っ張ろうとしてるのかよくわからない」

 何度も重ねてきた疑問を再度重ねる。納得のいく答えを得られるまで、何度だって繰り返すつもりだ。もしくは、こいしが零す言動の端々から理由を組み立てられるようになるまで続ける。なんにせよ、有耶無耶にしてしまうつもりはない。

「何度も何度もこっちが嫌になるくらい言ってるけど、私はこころを玩具にして遊んでるだけ。手伝ったつもりもないし、足を引っ張ろうとしたつもりもない。面白そうな方に行くように適当にいじってるだけ」

 こいしからの答えはいつも通りだった。しかし、今日はいつもと違う所がある。
 少し癖のある髪の手触りが、何かの異常を伝えてきている。

「……玩具だって思ってる相手に甘えるのはおかしいと思う」
「誰が誰に甘えてるって?」
「こいしが私に。今日は出会ったときからやたらくっついてくるし、私がこの場を盛り上げたときもなんだか様子がおかしかったし、今だって私の腿の上に頭を置いて横になってる。……何か、あったの?」

 長いとは言えないが、決して短い付き合いでもないのだ。こいしという少女が普段どういった行動をするのかというのを多少把握するくらいはできている。

「私に何かがある? そんなことがあるわけがないじゃん。私はいつだって意識を排して第三者に徹してる。確かに今みたいに干渉することはあるけど、それだって私はいつだってそこから抜け出せるようにしてる。私には何も起きない。何かが起こるはずがない」

 自虐じみた言葉たちは無感情に吐き出される。そのことに自分は何も感じていないのだとでも言うように。
 しかし、こころには苦しみながらもそれを隠すように意地を張っているようにしか見えなかった。それくらいに、今のこいしの姿は弱々しい。

「……じゃあ、どうして今日はやたらと私にくっついてくるの?」
「うるさい。こころには関係ない」

 一蹴されてしまう。だからこそ、余程答えたくない理由だというのがわかってしまう。しかし、こころにはそれを無視してまで聞き出す理由がない。

「わかった、じゃあ聞かないようにする。その代わり、甘えてきたいときは遠慮せず甘えてきていいよ?」

 こいしの手を柔らかく握る。

「他人に甘えたりしない私には関係ないことだね。というか、それも恩返しの一環だったりするの?」
「んー……、恩返しとは関係ないかなー。こいしのことは少し特別視してるから」
「ふーん?」

 珍しく少しばかりの興味が乗ったような返事だった。それを感じ取ったこころは自分の考えを整理しながら話をする体勢となる。

「こいしは私にとって宿敵みたいなものだった。私の面を返してくれないから、何度も何度も決闘を重ねてた。でも、新しい面も馴染んできて、私の感情も落ち着いてきた頃には取り返そうっていう気持ちもなくなって、気が付けばこいしに会うこともなくなってた。それと同時に、宿敵としてのこいしは私の中から完全に消え去ってた。あの頃は新しい居場所に馴染むためにばたばたしていたから、すぐ近くのこと以外見る余裕もなかったし」

 夏の異変の収束が見られるまでは、こいしはこころの日課の中に入っていたのだ。そして、こころがあの異変で出会った者の大半を日常の中に招き入れた一方で、こいしは異変の中に置き去りにしていた。だから、時間の流れの中で徐々にこいしのことは忘れていっていた。

「もしかしたら、そこで私たちの関係は終わってたのかも。でも、私はしばらくして落ち着いた頃に前の希望の面のことを思い出した。それから、感情なんて持ってないなんて言う不可思議な妖怪のことも同時に思い出した。まあ、その時点ではこいしのことはあまり意識していなくて、そういうのもいたなー、くらいだったんだけど」

 記憶が薄れて印象も薄くなっていたのだから、そうなるのも当然のことだろう。そして、再会も淡泊なものであれば完璧に記憶の中から消え去っていたかもしれない。

「でも、面を返してもらうときに会ったこいしは異変の最中の時とは全然雰囲気が違ってた。なんだか暗い感じというか後ろ向きな感じになってるなーって思った。でも、希望の面の力で明るくなってただけで、これが本来の姿なんだってことがわかると、悪いことをしたかなーって思うようになってた」

 こいしの手に希望の面が渡ることがなければ、希望を手に入れ、そして失ってしまうという落差を与えることはなかったはずなのだ。今のこいしを見ていれば、希望の面にあれほど執着していた理由も理解できてしまう。

「じゃあ、こころが私に対してしようとしてるのは償いってこと?」
「ううん。仲間意識、みたいなものかな。私は表情が欠如してて、こいしは自称だけど感情が欠如してる。近いものが欠けてて、それでお互いに補えそうだなーって思ったら親近感が沸いてた。だから、こいしの手助けをしてあげたいと思うのかもしれない」
「自称とは失礼な。正真正銘私は無意識無感情の申し子。誰も私の精神に触れられはしない」

 自身の言葉の正しさを証明するかのように、こいしの声にも表情にも一切の感情が付随されていない。
 しかし、こころは楽という感情でわざとらしく塗りたくられた隙間から、彼女の本当の感情らしきものが覗き出ているのを垣間見ている。だから、こいしの態度は張りぼてのようにしか見えてこない。

「あ……」

 ふと、こころの頭の中に散りばめられていたこいしの人物像が組み立てられ一つの形を作る。自ら話をしているうちに、欠片が少しずつ繋がっていっていた。

「こいしが私を助けるような態度を取る理由、わかったかもしれない」
「へぇ、私がこころで遊んでるだけってのにようやく気づいた?」
「そうじゃない。こいしは――」

 それを言葉にしてしまっていいのだろうかという思いはあった。しかし、自分の胸の内にだけ仕舞っておけるようなものでもなかった。たぶん、少しばかりこいしの機嫌が悪くなるだろう。そんな楽観的な気持ちで、彼女がたどり着いた真実を口にする。

「――私を希望にしようとしてるの?」

 それが、こころが導き出した真実だった。
 こいしは希望の面に、より正確に言うなら希望に執着していた。しかしそれは、こころが新たな希望の面を手に入れることで失われてしまった。
 それによってこいしは失望の底へとたたき落とされたのか、それとも希望も絶望もない空っぽな日常の中へと収まったのかはわからない。何にせよ光を失ったということだけは確かだ。
 そんな彼女のところに新たな希望を宿したこころが現れたとなればどのように映るだろうか。きっとそこに新たな光を見たに違いない。
 しかし、こいしがそれを奪い取ろうとするような素振りを見せることはなかった。代わりに月かもしくは星を眺めるかのように度々こころの前に姿を見せるようになっていた。
 もしかすると、それは再び希望を失ってしまわないようにというこいしなりの工夫だったのかもしれない。手元には置いておかないで、見守りながら希望の成長を手伝っておこぼれをもらってほんの少しの満足を得る。そんなささやかな幸せを享受しようとしていたのかもしれない。
 詳しいことはこいしに聞いてみなければわからない。そう、思ったのだが――

「何、言ってるの。意味が、わかんない」

 こいしの言葉はいつもの刺々しいものだったが、声は呆然と漏れ出てきている。まるで反射的に身を守っているかのような痛々しさが透けて見える。
 こころはその反応を見てようやく、自らの過ちに気が付く。

「あ、え、っと……」
「あ……、違う、違う、そうじゃない……」

 こいしが怯えた様子で首を左右に振る。
 こころは想像さえもしたことのない姿を呆然と見返していることしかできない。楽しい宴の中、たった二人だけ前向きな感情が失われていた。
 やがて、こいしが我に返り、こころの手を振り払って立ち上がる。そして、ふらふらとしながら立ち上がると、黒帽子をそのままに闇夜の中へと走り去って行ってしまった。
 こいしから感じ取った絶望はこころを縛り続けていた。

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